今週の戯れ歌

蛾のやうに装ふおみな誰が為にその笑止なる睫毛を付して居るのか

時によりて厭になつちまう事のあり忙し過ぎる日々の続けば

長々き撤退の日を生きて居ると信じたる我人の上に立たず

緩慢なる落日を見つつ喧嘩せずさういふ人で私はありたい

良きものを良きと愛でつつ日を暮らしその余の事は忘ずるが良き

母の手を逃れ出でては階段を走る君私がとらまえてやろう

二人連れに二人並びの席を譲り善き事をせしとほくそ笑む我

少しだけ気を使つてみる事もあり喜びの反射を受けたいが為

警官の迷子を抱きて大股に歩める姿に明日を託せり

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今週の戯れ歌

他人の聞く聞きたくもない音楽の漏れ伝わるぞまこと憎けれ

ある日いつかうた詠まぬ日の来るらむその日のいつか思ひ寄らねど

朝目覚めうた詠むまいと思ふ日の如何なる様か思ひも描けず

窓外をどこまでも流れる枯尾花我が行く道の寂しき彩り

人に遅る妻に怒りし折あれば人に遅るは我が事と知る

顔色も良き娘子を眺めをれば息子の嫁と年経りた 我

人と人の繋がりが根を張るまでに経ぬる時間を思ひてもみよ

宴終わるその瞬間に生きる意味を考える我の生きにくき哉

本番の舞台を踏めば生きる事の意味が判ると思った日もあり

組織には馴染めない我さもあらば組織を支うる人を敬する

ゑひてあらば世の有様も鈍く見ゆ我と我が身の鈍れるやうに

うた詠むを職業する人のある我が身と引き換え不思議なるかな

我が心赴くままにうたを詠み省みざるの快きかな

伊達眼鏡かけたる人のあさましやあわぬ眼鏡に苦労したれば

生きるには緊張感の要あれば演奏会も欠かせざりけり

久方に舞台に乗りて楽をなし陶酔すれど我は変はらず

大きなる慣性を持つ音響の伽藍をなせるは大管弦楽のみ

軽やかに楽器と楽器の歌い交わすは室内楽の妙味なりける

友と呑むその時をただ思ふだけで笑み湧き上がる有り難き友

人生の無理無駄ムラをとるならば人の立ちたる余地すらもなし

人生は無駄無駄無駄只蛋白質の戯言なりけり

いみじくも人糞製造機とはよく謂へり二酸化炭素発生機でもあり

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アルルの女(原典版)

ゲーテの『若きウェルテルの悩み』を受けて、フランスでは、「ドイツでは、たった一度接吻した女のために自殺する男の小説が流行っているんだってさ」と言ったという。恋愛の国フランスではそんなことで落胆しない、というわけである。

その姿を見ただけで恋に落ち、その恋のために自死に至るという『アルルの女』がフランス小説であるというのは、意外である。

メリメでもあれば、異国情緒と怪奇のあわいにそんな話を差し挟んでもおかしくはなかろうというものの、ドーデにしてこれである。

あるいは、純情素朴な南仏人と、すれっからしの都会人の違いとでも言うのであろうか。

さて、私が聴いたのは、クリストファー・ホグウッドの演奏だけに、普通ではありません。即ち、組曲版ではなく、原曲版(らしい)です。曲も編成も、組曲版とは全く異なります。

1.序曲
規模の小ささに驚かされますが、大管弦楽による組曲版と同様に、堅固な音楽に浸ることができます。
サクソフォンの「白痴の動機」の純粋な悲しさ、ハープに代わるピアノの美しさ、ヴァイオリンが思い出をかき立てる様など、音響上の広がりは小さいですが、小劇場で劇を観るには、この方が適当でしょう。
この曲は、構成上、組曲版と同一です。

2.メヌエットのテンポで
 組曲版の「メヌエット」とほぼ同一でしょう。激烈なヴァイオリンのメヌエット、サクソフォンとフルートが織りなす中間部。時々ピアノが登場するのはご愛嬌。

3.第一幕への序奏
 勇ましい序奏です。第一組曲に入っていないので、私にはあまり馴染みがありません。
 中間部では、サクソフォンが穏やかな旋律を奏でます。組曲版でのサクソフォンの活躍は限られていますが、こちらで聴くと、楽器数が少ないこともあり、相当の活躍を見せているように思います。全合奏の時には、サクソフォンは目立たないのですが、楽器数が減ったときには、とても目立つ。不思議な楽器です。この楽器の用法だけをとっても、ビゼーの才覚が感じられるように思います。
 アヴェ・マリアを思わせる動機で力強く終結します。

4.メロドラム1
 組曲では「鐘」の中間部として奏される印象的なフルート二重奏。
 少しさっぱりしているのがいささか勿体ないと思うが、簡素な伴奏が却って侘しさを盛り上げるとも思う。
 ホグウッドは、少し速めのテンポをとることによって、熱っぽさと侘しさのあわいを描いて流石である。
 そして中間部は、聞き慣れない不思議な経過句となる。その後に、なんと「アダージェット」。
 これは本当に、少人数で奏されるべき音楽であることを再確認する。
 例えば、ファーストヴァイオリンの五連符の後を、半音階で動くセカンドヴァイオリンが切なくてならない。これもまた、少し速めのテンポを見せることによって、音の動きのもつニュアンスを生かしている。
 宮城谷昌光氏が、ビゼーに室内楽があれば面白かったろうと言い、あるいは、「アルルの女」の室内楽版の可能性についても述べているけれど、まさしくそのような感懐を抱かせるものである。
 中間部の後に、フルート二重奏が戻って来る。中間部とともに、このメロドラムのために、ヴィオラを置いているとしか思えない。そして、その効果は絶大なものだ。

5.パストラール
 大らかで日向臭いようなパストラール。呼び交す木管が懐かしい。殊に、サクソフォンのそれは、独特の深みと艶を帯びて、白痴の聖性を感じさせる。頭上を飛ぶ鳥の鳴き声を、のっそりと見上げているような趣きである。
 これも組曲とは違って祭りに入って行かない。

6.鐘
 組曲の「鐘」は、あの執拗な「鐘」のテーマをホルンが奏するのが印象的であり、フルート二重奏の中間部の後、再び執拗に「鐘」が舞い戻って来るのが、恐ろしいまでに印象的ですが、この曲の冒頭の「鐘」はホルンではないのに少しびっくり。
 中間部がないので、鐘の回帰もなく、それも勿体ない。そう言う意味では、この勿体なさを解消した組曲版を造り上げたビゼーはやはり凄い才能だと思います。
 ここでも少し速めのテンポできびきびと音楽を進めて行くこともあって、あっと言う間に終ります。

7.メロドラム2
 こちらは「アヴェ・マリア」を思わせるテーマのメロドラム。
 これまたあっと言う間に終ります。

8.ファランドール
 ご存知ファランドール。
 聞く所によれば、一人で、腰に下げたスネアを片手で叩きつつ、残った片手で笛を吹くとか。そうした笛太鼓奏者の大行列がファランドールである由。
 とてもあっさりと終り、第二幕の序曲に。

9.第二幕への序奏
 ここでもサクソフォンが悲しく・穏やかに鳴ります。それに応えるコントラバス。室内楽的な音作りの中で、チェロ五人を要する理由が解りました。遠くからかすかにファランドールの音が聴こえて、全曲が終ります。

 劇が何幕か知れませんし、これ以降、劇と音楽の関係がどうなるのかも解りませんが、組曲的ひとつの解として、この終り方にも納得が行く様に思います。
 
フルート2(*ライナーノートに1とあるが多分間違い)
オーボエ1
クラリネット1(*ライナーノートに0とあるが多分間違い)
サクソフォン1
ファゴット2
ホルン2
ヴァイオリン7
ヴィオラ1
チェロ5
コントラバス2
ティンパニ1
パーカッション1
ピアノ1

Christopher Hogwood, Kammerorchestra Basel
Arte Nova Classics Music fot the Theatre Vol.1
82876 61103 2

このCDには、R.シュトラウスの「町人貴族」も入っていますが、ビゼーに比べるとかしましいだけの音楽に思えて、つい聴かずにいます。いつか聴きましょう。

アルルの女(組曲版)は、小学生くらいから好んでいて、今なお好きな曲である。そして、室内楽仲間の中年男性の多くが同じ様な感情を持っていることを知り、また嬉しく思ったものである。原典版は、ある時は組曲と共通し、ある時は組曲版と全く違った表情を見せ、非常に面白いものです。いつもの事ですが、演奏するには、どうしたら良いのだろう、と考えてしまいます。

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今週の戯れ歌

この曲は本当に一人で弾いているのと娘の呆れるラフマニノフ賛

秋の虫の夜こそしげく鳴きにけり眠れぬ我の心慰む

内臓は化学工場なりアルコールの処理に遅れる事もまたあり

虫取り網持って急ぐはお母さん息子さんのもとへ向かっていますね

珍しくお出かけの折は列車遅延でも大人しくしようと自ら思う

我の乗る列車にだけは飛び込むなと我がエゴイズムは叫んで言うのだ

夏の日のあまりの暑さに耐え兼ねて言わずもがなを言うも恥ずかし

老いる前に死ぬるのも良し老いてなお生きるのも良し我知らず

風のままに地面を探る烏瓜根付くべき地の何時か見出す

殊更に描かれた眉を良いといふその感性の理解に隔たる

こんなにも暑いといふのに秋服を売り込もうとは恐れ入るのみ

美しい夕暮れ雲の輝いても電車の中では誰も気付かず

様々の事起こりけむ終はりけむ数多のそれを我知らざりし間に

日も高き時より酒飲みに行く我の後ろめたさと密かな楽しさ

様々な電子機械を使ってみたかったそれら多くが滅びて行った

神あらば世に生きるのも悪しからざり神ある事を我は望めり

一日を終えつつ帰途にうたを詠みさしたる事の無きを喜ぶ

偉大なる創作せむと志しき若き日の我名残とてなし

世の中の大きく動くといふ折に関わり薄き我が身なるらむ

電車待つプラットフォームに扇舞う今日一日の暑さ控えて

汗まみれの男の電車に乗って来る冷たいシャツを押し付けたまうな

明け方に余所の家なる目覚ましに叩き起こさる眠い一日

眼鏡無く物見れば皆印象派細君ですらルノワールと見ゆ

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今週の戯れ歌

様々の不安を我は抱えつつ足許見つ今日を生き抜く

昔見し人の姿を忘れ得ずかつての心は失ひたれども

真夏日の日差しの強さに耐え兼ねて早朝出社を試みる日もあり

飲み過ぎぬ程度に酒飲む晩もあり飲み過ぎたるは記憶せざるとや

初めての職場に行きて待つ暇に人に隠れてうた試みる

己が見に出来得る事を数へては世に用無きを独り悲しむ

追いつめられるといふのは心の中の出来事対人関係でどうすべきなのかわからない

少しだけ台風にある情け哉傷つく東北を斜に避けゆく

或る時は新宿駅の西口で詩人を見れど志を買いそびれる

ふざけずに血を吐く思ひでうたを詠めと思ふ心の少しだけ有

時によりて唯昔日の懐かしき数多の歳を無駄に過ごして

夜の虫の明け初めてこそ鳴いてをり耳を傾く人は無くとも

大いなる志を立てむと覚ゆれど思ひつくのは些事ばかりなり

昔々戦をなせる人々の心の裡を尋ねてみたかり

何故に始めたものか戦争の何故終らせなかったのか書を繙いてみる

我生きて戦に関はる事無きを幸ひなりと人に語らむ

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夏空

夏の空。大きな雲が過って行った。

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冬空

手を伸ばしても届くことのない冬の空。

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夕景

西の空と水路に輝きを残して夕日が落ちる。

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2011年のまとめ

3月11日の震災の有り様を見、今なお復興の途遥かなる東北を思うと、言うべき言葉も思い当たりません。

自分ができることは、無にも等しいものですが、それはそれとして、もっと多くを為すべきではないかと思っています。もちろん、自分の職位・職務以上を為すというのは、無責任なる漫画の根性ものの定型であり、見習わざるべきものと思っています。一方、職以外にも「人」として、様々なことが為せるのではないか、と思うのです。これは、一対一の子育てを終りつつあり、少しでも良き社会を次世代に残したいという私の思いでもあります。

歳をとり、己の頭が決して良くはないことや、努力する体力気力も無尽蔵ではないことを、明確に自覚するようになりました。それを成長というのは少し寂しいのですが、それがため少し楽に生きられるようになりました。
でも、それはそれで、室内楽の選曲をするときは、多少難しい曲でも弾いてやれと思うのが不思議なのです。これから衰える一方であるのは明らかなのですから、今のうちに弾いておこう、という気持も幾分かあるのでしょう。

◆音楽活動
◇十年振りのオーケストラ
久し振りにオーケストラで楽器を弾くことができた。もう十年程もオーケストラから遠ざかっていることもあり、また、ベートーヴェンの弦楽四重奏を何曲か弾いていることから、ベートーヴェンであれば、ある程度は弾けようし、作りも解って面白いのではないかとの読みで、交響曲第七番を弾かせてもらった。
若い頃の私であれば、第一楽章のリズムパターンは一定と見ただろうけれど、同じ動機であっても、出て来る回ごとに違うと見るのが、カルテット弾きたるものの目線だろうか。そういう自分に気が付いてちょっと嬉しい。
最初の練習では体が痛くなり、先行きに不安を感じたけれど、最終的にはとても楽しかった。良い指揮者にも恵まれた。最後の練習の時、「やらなければならない枠にはめ込もうとし過ぎて、少し隙間ができている。もっとはみ出して、初めてきっちり枠の中が埋まる」という事を仰った。その言葉に応えて、オーケストラが変わった。その瞬間が楽しかった。良いオーケストラ、良い指揮者であった。

◇室内楽
諸般の事情により、今年は1回限りとなった。それもまた止むなし。長い練習は、少し沈滞しかかったけれど、なんとかうまく乗り切れたように思う。シューベルトのロザムンデを楽しむことができた。
もともと、他の奏者の「受け」で考える癖があるようだが、それよりも、自ら突破することを考えるようになったのかも知れない。自分ではさして変わっているつもりもないが、「これまでと違う」と言われた。それ以上の話をしていないので、どういうことであるか実は解っていないのだが。

◇演奏会
今年行った演奏会は唯一度。カルミナ弦楽四重奏団。恐るべき彼等であります。まあ、参考にならないこと夥しいものがあります。でも、実際に聴く事ができて良かった。

◇レコード
聴くレコードはあまり変わっていません。

○ブラームス 交響曲第三番 バルビローリ、ウィーンPO
古い録音ですが、この演奏を聴くと、ブラームスの交響曲が「室内楽的」と言われる理由がよく判ります。まるで、内声と木管のための曲のようです。その優しい手触り、温雅な佇まいが忘られない演奏です。聴いた事がない方は是非々々。
私もこの曲を弾いた事があるはずなのですが、まさかこのような曲とは思っていなかったようにも思うし、また、あのときの私の身辺(頭上を流れ行く雲とか)は、実はこんなにも美しかったのではないかと思ったりもします。
  涙をや偲ばむ人は流すへきあはれに見ゆる水茎の跡

○ヘンデル 水上の音楽 ハーティ版 ジョージ・セル
これもまた古い録音です。その昔、厳しく艶消しの音楽をしているということになっていたセル。そうした一面があるのは認めるけれど、それは、彼のオーケストラ・トレーナーとしての才覚と、古典派的(あるいは即物主義的)一面であって、それに尽きるものではないことが、この演奏にはよく現れていると思う。形式的には、今となってみれば古い「グランド・スタイル」の演奏と言えるけれど、和声的処理と対位法的処理のバランス、出るべきところで見せる内声やバス声部の立体的な扱い、ゆったりとしつつもたれないテンポ等が、自然な有り様で成り立っているのが大変嬉しい。特に、「エア」については、「これが弾きたくて全曲弾いているのだろう」と思わせる充実振り。私にも、この曲だけ弾きたい、と思わするもの。そしてまた、闊達で壮麗なホーンパイプと、明るい影を引くそのトリオ。良いなあヘンデル。

○J.シェンク ソナタ e-moll 平尾雅子
これは珍しくも新しい国産CD。偶然の出会いで耳した音楽。きしむようなヴィオラ・ダ・ガンバの音色が痛切である。日本人が演奏し、日本人が作ったCDであるけれど、特に日本風とも思わないが、外国風とも思わない。ただただ良い音楽が良いままにあるという事である。
 小川典子や田部京子もそうだけれど、日本人が弾いて、殊更に日本風を強調するでもなく、ただただ良い音楽があるという人々が居ることに感慨がある。

○東京芸術大学ケルト音楽プロジェクト
楽しいケルト音楽。録音に、も少し広やかさ、伸びやかさがあれば、と惜しまれるもの。

◆読書
○戦う操縦士 サン=テグジュペリ、堀口大學
○こころ 夏目漱石
今年は、きちんとした本を少しは読むことができました。それだけでも充分に嬉しいことです。単に物忘れが激しくなって、読んだ事を忘れてしまったということもあるかも知れませんが、昔とは違った気持で、でも、同じ本を読むことができるというのは喜びです。記憶力の低下以上に、感性の低下は嘆かわしいはずですが、それを嘆く感性自体が低下しているらしく、あまり嘆いたりはしないのでした。
サン=テグジュペリは中学に入りたてで読んでいた本。「エスプリ」とか、「イマージュ」という単語自体が衝撃的でした。一方、夏目漱石は高校三年で読んだ本。「私はその人のことを先生と呼んでいた」という、直裁な冒頭に引き込まれました。いずれも懐かしい本です。

○僕はどうやってバカになったか マルタン・パージュ
面白い本もありました。まるで、私の事を言っているような本ですね。他には、ジーヴズ本のお世話になりました。

○インド綿の服 荘野潤三
○ミラノ霧の風景 須賀敦子
そしてまた、日々を慰めるような本も。このお二人に接点があった事も嬉しい驚きでした。

その他、数学や物理の本を少し読んでいます。頭の体操と言ったところでしょうか。曲がりなりにも読書の記録をつけました。抜け落ちも多いし、こんなにわづかな本しか読んでいないことに驚かされますが、急いで読んでも仕方がない。私は書物を味わいたいのであって、消費したい訳ではないのですから。

◆その他
東京芸術大学と多摩美術大学の学園祭に行って参りました。それぞれに、楽しい芸術のお祭りでした。様々な意匠の様々な芸術作品が、生き生きと息づいているのを見るのは、大変楽しいことでした。これらの学園祭では、どうやら常連とおぼしき中高年の人々を見かけるのですが、私もその仲間入りをしつつあります。

この文章はiBookG4で書いています。HDDを交換し、メモリーも増やしていますが、流石にこのSafari1.3.2ではgoogle.comすら表示できません。ところが、iBookは消滅し、MacBookPROか、MacBookAirに行くしかない。どちらも、ちょっと困るんです。となると、intelMacの中古を探すしかないのでしょうか。困ったことです。「作業」をするならば、Ubuntuで困りはしないのです。でも、音楽と写真を管理しつつ、文章を快適に書くのが個人としての私の最大のコンピュータ利用目的ですから・・。

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読書の記録(2011年12月)

フンガくん、くいしんぼフンガくん、おこりんぼフンガくん 国松エリ
借りた本。本当にフンガくんは困ったお人(おブタ?)である。でも、そういうフンガくんは可愛いし、多くの子供にとって、心の友であることができるのではないかと思う。良い大人が、図書館で予約までして借りるのもどうかとは思うものの。

だるまちゃんとうさぎちゃん 加古里子
借りた本。加古らしい優しい本。

数理科学 2011年12月号
買った本。たまには頭を使うべきでしょう。でも、これを買ってから仕事の進みが遅くなった様な気が。昔は結構難しい本を買っていた(読んでいたかどうかは定かでないが)し、仕事も気張ってしていたように思うのだが。

perl書法 増井俊之
昔買った本を拾い読み。私にとっては、この人こそ「ハッカー」だと思う。増井の研究成果である日本語変換システムが搭載されている(らしい)という理由でソニー製携帯電話を使っていた時期もある。

パソコンプログラム入門以前 伊藤華子
昔社内教育用に買った本を拾い読み。良書と思うが、最近見かけない。開発環境とは何か、プログラムを書くとはどういうことかを、きちんと・公平な視点で書いている点が良いと思う。こう言う「周辺的な知識」は後々効いて来るが、これが効いた!/効く!と思えるような人は、こうした本を読まなくても、こうした知識を身につけ、これが効かない様な人は、読んだところで効きもしないし、有難味も解らないということかも知れぬ。

世界の幻想文学 自由国民社
昔買った本を拾い読み。この本自体がなかなか面白いのであるが、気を付けないと、未来の読書の楽しみを削ぐことにもなる。で、自由国民社のこの手の本は、最近は売られていないようである。買っておいて良かった。(世界の奇書も)。

おばけやさん おかべりか
借りた本。なかなか楽しいおばけやさん。シリーズのようですので、先が楽しみです。

顕微鏡で宇宙を見る 佐藤文隆
古書店で購入。しかし、まだ古書店にあるということは、一頃余程流行った本であろうか。
天文学者と宇宙物理学者の違いが面白い。こうした宇宙論をまとまって読んだことがないので、面白かった。

プチ・ニコラ はじめてのおるすばん ゴシニ
借りた本。いつものニコラ節。楽しいです。でも、「おるすばん」はもっと引っ張ってもらって良かったなあ。この本の主題ではありませんが、フランスの小学校の日本と隔たること大きいことが色々と見て取れるのも面白いところです。授業中にものを食べていても、その事自体全く「悪」ではありません。我々の持つ「教育」に対する思い込みは、全く東アジアの儒教風であることを思い知らされます。なお、私は、東アジアにおいては儒教風授業を執って良いと思っていますが、できれば自覚的にそうあって欲しいし、他の文化はそれはそれで重んじるべきであると、思っています。

日本料理献立のこつ 柴田書店
借りた本。いつもの柴田書店の料理本。とてもきちんとしている。しかし、とてもではないが、素人が作れるようなものではない。私にとっては読んで楽しいというもの。確かに料理屋の料理はこのレベルでなければ、なかなかやって行けないであろう。そして、全ての料理店がこのレベルではないのも事実であろう(だからと言って、困るとかイケナイと言う事ではない)。

マンガでわかる記憶力の鍛え方 児玉光雄
買った本。悪い本ではないが、あまりまとまりがない。また、つい漫画を読んでしまって、本文を読み飛ばしてしまう。とは言え、漫画で風景付けられているので、本文もそこそこ覚えたような気になるのが、「記憶力の鍛え方」の一環なのだろうか。

フィールドワーカーのための動物おもしろ基礎知識 熊谷さとし
昔買った本。動物系の広範な基礎知識がまとまっており、かつ、具体性も欠かさず読み易い良書。著者の癖もあるにはあるが、主張は主張と解る様に書かれているのが良い。

現代チェロ奏法(アイゼンバーク)を拾い読み。左手の向きの修正を試みているところ。どうやら、斜めに崩すのが癖になっているらしい。それはそれで音色優先の時に使い道があるが、速弾きでは腕とネックを直交させ、全ての指が対等に使えるようにする方が良い。と、思っているところ。

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