読書の記録(2022年4月)

厄除け詩集 井伏鱒二
買った本。「酒の歌」を読んで、井伏鱒二を読みたくなった。井伏の文章で最もよく親しんできたのは、実は「ドリトル先生」だ。小学生以来再読を繰り返しているのだから間違いない。
ドリトル先生の初訳を確かめようと思い年譜を見る。関東大震災と甲府大空襲に縁があったらしい。関東大震災の折、不通になった東海道線に代わり、中央線で西に逃れたというのは、私の祖母と同じ。我が伯父は、山梨高等工業学校在学中、たまたま甲府大空襲時帰省のため不在。本来であれば、防空壕の入り口で見張り番を勤める係だったが、代わりに防空壕の番をした同級生は、胡座をかいたまま爆弾の破片で首から上を削ぎ落とされていたという。

源平の武将歌人 (コレクション日本歌人選)  上宇都ゆりほ
買った本。買った直後は少々面白くないと思っていたが、アニメ「平家物語」を見つつ読むと、それぞれの人物の印象が強くあって読むことになり、非常に面白くなった。確実に本人が詠んだうたがあり、また、第三者が本人に仮託して創ったうたがある。それぞれにそれぞれの趣があって大変おもしろく読めた。
アニメも大変面白く見た(一部欠落はあるものの)。古典がこのように敬意のもと高い品質で再興するのは嬉しい。一方、まさか十一話で終わるとは少し残念である。
私が好きな「忠教都落ち」が描かれていない、ということであるが、「源平の武将歌人」によれば、同様の話が平家物語の版によっては、もうひとつあったという。
複数の版の異同があるというのは、ブルックナーの交響曲、千夜一夜物語など、「生きた作品」を自分自身が解釈しながら扱わねばならないような気がして、実は嫌いではない。まあ、自分が演奏する際、多くの場合は「己に都合の良い方を採る」ということをしています(ごめんなさい)。

インスマスの影 クトゥルー神話傑作選 H・P・ラヴクラフト
買った本。現代人の基礎的教養として。昔から断片的には読んでいるものの、まとまってきちんと読んだことがなかったので、とっつきやすそうな、平積みになっているこの書を手に取る。創元を読まねばの気もするのだが、五冊読むのがつらそうなので。
若い頃、友人から「たくさん読むと皆同じに思えてくる」「どれもこれも『名状し難い』的描写があるが、あまりに続くと『それなら執筆するな』とツッコミたくなる」などと聞いたので、その余波もある。
なかなか面白くもあるし、多少くどくもある。

やきものの教科書
先日、国立博物館で買ったもの。非常に面白い。系統だって読んでいるわけではなく、好きなところを拾い読みしている。何よりもきれいな写真でたくさんの実作が掲載されているのが良く、技法説明では掲載された実作の作者による制作写真が掲載されているが楽しい(素人目にはどれも「粘土の写真」なので、完璧な理解ができているわけではないが、この粘土塊がこんなきれいな焼物になるんだ!という楽しみになる)。
よって、技法の説明を読んでいるはずが、つい実作の美しさに感嘆し、頁をめくって他の実作を見て行くことになる。ということで大変楽しめる書である。実作も新しいものも多く入っており、非常に多彩である。よくまあこれだけの取材をできたもの(これだけの取材を要する企画をしたもの)と感心する。もちろん、常日頃雑誌等を作っていて取材のストックが相応にあったのではないか・・・と想像するけれどね。とは言っても、これだけのものをわかりやすくまとめ上げて頂いただけでも大感謝である。
(焼物に興味を持つとは自分も老齢である、とも思う。私は若い頃、愛知県で暮らしていたが、かの地はやはり焼物に近しいのであって、様々な場面で焼物に接する機会があった。家庭教師に行った先の玄関に古瀬戸らしきものが飾ってあったりしたものである。)

4月のお買い物。マゼラン雲(スタニスワフ・レム)、掃除婦のための手引書(ルシア・ベルリン)、ユリイカ「菌類の世界」、辮髪のシャーロック・ホームズ(莫理斯)、鉄道ピクトリアル「国鉄の気動車1950」と「貨物輸送1950−1960」。休日に本屋に行くとて少々買いすぎた。

●雑感 盛原氏(Yuan Sheng)のピアノを聴く。なかなか良い。
https://www.youtube.com/watch?v=zmEa7KX6D00&ab_channel=BrilliantClassics
北京中央音楽院の教授であるとのこと。ゆとりがあり、繊細な陰影のある表情が良い。アジアのバッハって良いなあと思わせるもの。これをアジアだと思うのは、あくまでも名前を見ての幻想にしか過ぎないかも知れないが。

長谷部一郎氏の演奏会を聴きにゆく。
シューマンが最も面白かった。弓の緩急がすなわち音の密度の変化であるが、それが最もよく表現され、ピアノとの対照も良かったと感じる。

NHK日曜美術館で修復師の仕事を見る。
仕事場がきれい。修復も大変美しい。修復自体が芸術である。
このようにそれ自体が芸術とも言えるほどの修復を成し遂げるためには、手先の技術ももちろん大切だが、多くの良い作品に接し、それをよくよく知る必要があるであろう。修復自体が創作でもあり、悪意をもっていうならば、捏造にすらなり得る。が、もちろん、そんなことはされていない。作品全体への深い理解と敬意に基づく「修復」であった。そしてまた、なによりも仕事場が大変整理されており大変美しい様子だったのが印象に残る。
向田邦子が使っていた器を「太田」氏からの依頼で修復するとのこと。「太田」氏とは漫才コンビ爆笑問題の太田光氏であった。
以前、私は、太田が向田邦子のドラマを詳しく解説するテレビ番組を見たことがある。本当に太田は向田脚本を愛し、細部にわたってよくよく知っての上で解説していることがよくわかる良い番組だった。太田が芸術大学に裏口入学したという巷説を見たことがあるが、仮に入学が適当でなかったとしても、卒業には十分以上に値する人間だったと私は感じた。
向田の器が、向田の脚本のみならず向田の感性を愛する太田のところに行けて良かったな、というのが私の気持ちである。

ギター製造工場の動画
https://www.youtube.com/watch?v=0JSnvUaBUTc 私、ギターについて知る所少ないので、内部構造等面白かった。ふつうに木工用ボンドを使って作るのね。
ネットで見ると、ニカワ派とボンド派があるみたい。まあ、ニカワは温めて解体できるので、高級品向き。で、ボンドは普及品向きなのであろう。
そのメーカーのギターを試奏された方。なかなかいい演奏。私にはギターという楽器のことはわからんが。
https://www.youtube.com/watch?v=nBn7aVN835E

https://www.youtube.com/watch?v=sre6gA-VFlQ&ab_channel=RandomThings

Leaving Home | A Tragicomedy
https://www.youtube.com/watch?v=nTB61iR6cVQ&ab_channel=FrameOrder

An Object At Rest 
https://www.youtube.com/watch?v=NBVCIgfyciA&ab_channel=GraemeHindmarsh

A Simon’s Cat SPECIAL
https://www.youtube.com/watch?v=GTUruS-lnEo&ab_channel=Simon%27sCat

Wynton Marsalis launched
https://www.youtube.com/watch?v=mpt3HWf5Lds
私はジャズ(等)について「学ばない」ようにしている。英語がわからん私には、これらの講義は学習にはならず、とは言え、様々な語法・分野を知ることができて大変面白い。少しずつ音を重ねるのが発見的で私には良い。演奏も良いが、他の楽器の演奏を見ている姿も良い。

ハーバード大学の学生さんらしい。喜歌劇「軍艦ピナフォア」。序曲だけ聞いてもドキドキする。ヴィオラ奏者にドヴォルザークさんがおられる。
https://www.youtube.com/watch?v=oPZjMjgNzlc&t=709s

田馥甄
https://www.youtube.com/watch?v=Fme_FNdfVCs&list=RDCLAK5uy_mTDHYYJLCkFv8XL1Z8AFkMqF9RfQZzeRc
台湾の方。なんとなう親近感がある。

The Chemical Brothers - Let Forever Be (Official Music Video)
https://www.youtube.com/watch?v=s5FyfQDO5g0&ab_channel=ChemicalBrothersVEVO
ケミカルブラザーズの不思議動画。いつもながら不思議。

Foo Fighters これまた不思議動画。
https://www.youtube.com/watch?v=1VQ_3sBZEm0&ab_channel=foofightersVEVO
このバンドのメインの方(と思われる方)、小林まことの漫画の登場人物のように見える。細面で一般的には「格好良い」「イケメン」の類なのだが、眉根をよせていたり、頬をふくらませていたり、何かと表情豊かに困っているところが、全て共通する。不思議である。

Genesis 不思議だ。これらの不思議動画はMV大喜利なのか?
https://www.youtube.com/watch?v=hGI2d31M7Ns&ab_channel=Genesis

イランの音楽
https://www.youtube.com/watch?v=7OsKYiKpphs&ab_channel=RastakMusic
https://www.youtube.com/watch?v=yCY_4E1dyw0&ab_channel=CrossGenerationMedia
古い文化をもつペルシアを思う。

以上、ワクチン接種後のぼんやりの中で管見した動画たち。

ワルキューレ
https://www.youtube.com/watch?v=svMHBPed9Bs
おっかない8人の女性によるワルキューレ。この人たちに「仕事せよ」と追われたら、一生懸命仕事するだろうな。フルオーケストラが鳴っていてなお聴こえてくる人声には恐れ入るしかない(真面目に言って、物理的音量とは異なる信号検出の仕組みに類するように思うが)。と思っていたらば、さらなるもう一人が!

桂三枝(現文枝)の「赤とんぼ」を聞く。この人の新作落語は好きだ。落語らしさがあり、人情がある。色々な歌を繰り出してくるけれど、それぞれの歌への敬意があるやに思う。歌そのものを歪めているところは少しも見られない。あくまでも、問題があるのは「部長」(笑)である。

NHKの奇術教室番組で、Mr.マリックの手品を見る。ここで行っているのは、間違いなく初心者向けの手品であり、「誰にでもできる」ものであろう。けれど、Mr.マリックがやると、これら初心者向け手品が、本当にタネも仕掛けもない、流麗な「魔法」のように見えるんだよね。私はこの番組を、自分が奇術をするためでなく、Mr.マリックやその他練達の手品師を楽しむために見ている。
昔々テレビの過剰演出下にあるMr.マリックは悲壮で見るのが辛かったけれど、そうした嵐をくぐり抜けて、タネも仕掛けもあるのが分かっている初心者向け手品を「芸術」の域でやってのけるMr.マリックを、私は安らかな気持ちで嬉しく楽しく見ている。

映画「オーケストラ」の一場面でカリウ氏がヴァイオリンを弾いているのを見る。最初はいわゆるジプシー音楽。これはこれで達者だが、その後のラ・フォリアがクラシック的にも完璧な正確さの音程・歌い口で泣かせる。これくらいやらな、「美人主人公が瞠目するシーン」にはならんわな。

「闘う操縦士」におけるサン=テグジュペリ乗機ポテーズ63-11まわりの記事
http://kabanos.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/post-e383.html
ついでに、フランスの航空機製造会社ダッソーはもともとブロックであるというのを初めて知る。ダッソーが変名由来であること等もまた。勉強になりました。漫画タンタンに出てくる・・・氏はダッソー氏がモデルであるとか。結構セコイ人物として表現されていたが、良いのかね?

文楽のたのしみ https://note.com/k_kanna/n/ne5050b8f7a59 この方の絵とてもうまい。さらりと書いているところが又ステキ。

恋は魔術師
https://www.youtube.com/watch?v=jGifP6IOUjI&ab_channel=TheRaulSolaris
フラメンコ様式の振り付け。見たい。

フルートとギターの二重奏。バルトークがあっさりしていて不思議な味わい。
https://open.spotify.com/track/3dHumxnZLMCVzzuUTbebB4?si=20c255ccaf974577

3Dデジタル・アーカイブ・プロジェクト
https://motion-gallery.net/projects/3dda-nakagin
中銀カプセルタワービル等失われる建築物を3Dデータとして保存するらしい。現存する実物写真に、デジタル化データを模型として手前に置いた映像を示しておられるのが、実に不思議で面白い。ウルトラマン等の特撮映画で出てくる「ニセモノの街」や「怪宇宙人によって縮小された建物」のようで、恐ろしさというか異世界感を持つ。(「フェッセンデンの宇宙」と言っても分かる人にしか分からないであろう)。
なお、中銀(なかぎん)は、中●銀行の類ではなく「中銀」という会社があるようだ。

Google Art&Culture には時々「ゲーム」が出てくる。まあ、ものすごく面白いとは言えないようなものだが。で、今回は、古代ギリシアと思しき壺の模作をしよう、というもの。簡単なWeb上のインターフェイスで出来ることには限りがあるが、それでも、轆轤とともに回転する粘土塊に凹みをつけ、腕をつけ、絵を描くことができる。それら作業が終わった後、焼付っぽい映像も流れ、完成品が見られる。私、いい加減に作業しへっぽこ壺をおっぺしましたが、42点も頂いてしまいました。ちょっと面白かった。

Google Art&Culture でエゴン・シーレを見て、日本の漫画でも、私が似ていると感じる表現者がいたなあ、と思った。
覚えている作品名から調べると、三者違う作者でしたね(ピンポン(松本大洋)、ショムニ(安田弘之)、深夜食堂(安倍夜郎)。特に前二者)。我ながらいい加減な漫画鑑賞であることよ。  ともあれ、(日本)漫画の表現は映画から多くの影響を受けているように思うし、さらに日本絵画・西洋絵画の影響も積極的に受けているやに思う。それって実は大変高度な「総合芸術」って言うべきかなとも思う。

Le gendarme se marie, THE GEDARME GETS MARRIED (1965) Louis de Funès.
フランスの喜劇役者ルイ・ド・フュネスによるサントロペ憲兵隊シリーズ。
「恋に落ちる」の表現がとてもわかりやすい(笑)。クロチルド修道女も短時間の出演ながらいつものスピード狂っぷりを見せてくれて嬉しい。大団円(めでたし・めでたし)というにふさわしい終結。
我が国の「落語」には「全ての人間には欠点がある。完全な人間はいない。」という前提があるという。この喜劇においても同じ前提があてはまるのかも知れない。もしかすると、喜劇とはそういうものなのかも知れない。

「耳をすませば」実写版、主要登場人物はチェロ奏者志望とのこと。私、若い頃ヴァイオリン作りになりたいと思っていたことがあります。かつても、そして今でも素人チェロ奏者であることは動かないものの。でも、チェロを持って歩くのって、映画で撮影するのに足るほど格好良いのかな?今どきの若者は大柄なので、格好がつくのだろうか。勝手に心配。
また、爺さんどもの合奏がこの映画の最高潮でもあると(室内楽を偏愛する私には)思われるのだが、誰が・どんな演奏をするのだろうか。「ワシの考える最強の合奏団」を選り抜くべきだろうか?(絶対不要)私は偶々知った何人かの奏者を好んでいるに過ぎないので、公平性は激しく欠落しているのだが、その愚を知りつつ名を挙げるならば、つのだたかし氏(リュート。アニメ版ではテオルボだったような気がするが。。。)、平尾雅子氏(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、山岡重治氏(ブロックフレーテ)だろうか。もちろんサヴァール御大やパオロ・パンドルフォ氏でも嬉しけれ。でも、チェロとどうやって絡むのだろう。ここはガンバを下げて、ヴィオラ奏者に入ってもらうのか?悩ましい(絶対不要)。

コンピューターの歴史で忘れてはならないチャールズ・バベッジ。Wikipediaによれば、数表を機械的に作成することを考え始めたのは1812年とのこと。チャイコフスキーの序曲「1812年」を知ってから、私の中で、この年はヨーロッパ史の一大指標になっている。当時も数表作成は、人間の手ではあるものの、ある種機械的に計算されていたとのこと。ちょっとおもしろい。ファインマン回想録には、原子爆弾の泊祝計算を行うのに、全米から数学が得意な高校生を集め、計算ステップをひとり1ステップずつ担当させる云々と読み取れる描写があり、通じるものを感じる。気象学者リチャードソンの夢もまた同じである。
これらはいわば「人間将棋」ならぬ「人間(群)計算機」とでもいうものであろう。私もいちどはこの「人間(群)計算機」をやってみたいものだ。どこかの理数科の高校あるいは大学でイベントとして行うと盛り上がったりしないだろうか?
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/whitep/1-3-2.html

某日某駅にて人たちがなんとなう騒がしい。「電車の中で暴れた酔っぱらい」が二人の方にホームで取り押さえられていた。お二人は、よほどの達者な方らしく、相応の体格の酔漢は、お二人に腕を背中に回されて、ホームに胸を押し付けられ、完全に無力化されている。駅員さんが何人か来て、お二人が拘束をわずかに解くと、ふたたび暴れるので、「警察が来るまでこのままにしましょう」となる。
お二人は「ものすごく強そう」というタイプには見えなかったが、無力化の度合い、そしてまた、安全確認のご様子から、まあ、そちら方面のご職業なのではなかろうか、と思いました。自分のような素人は簡単に暴漢を相手にしてはいけないとも思い、また、己も電車の中で暴れたりするのは止めようと思いました(暴れたことはないはずですし、暴れようと思ったこともありませんが、念の為)。

ウクライナはよく耐えている。ウクライナ国民・政府・軍は、最大の尊敬に値する(私如きの尊敬なぞ屁の突っ張りにもならぬのは重々承知しているが)。
些少ながら二度目の寄付をウクライナ大使館にした。本当であれば、復興のための資金になると良い、と思っていたが。まだそこへの道は見えていない。軍事目的に使われない寄付の方法があるとも言うし、そちらを選ばれるのも尊いと思うが、私は、ウクライナの人々が最も必要としているところに使って頂ければと思い、ウクライナ大使館を寄付先とした。
ともあれ、軍隊の階級・軍事用語を私はある程度知っており、世の中の人々は意外と知らない、ということに気づく。昭和五十年ごろの小学生は、いろいろな形で軍隊・戦争の話を耳にし、読む機会があったように思う。親たち・伯父伯母たちから聞いたり、小説や漫画で読んだり。

Twitterでのウクライナと米国大使館のやりとり
https://twitter.com/USEmbassyKyiv/status/1518847209881718784
ウ)ウクライナでのみ:ロシア製爆弾をバーベキューにできます。 米)我々用はどこで注文できますか?
別な人)たくさんあるので、ボランティアに頼んで!再利用はSDGs.
ゼレンスキー大統領もユーモアについて言及していた。イギリスもアメリカも最後までしぶとく戦争を続ける国にはユーモアがある。我が国も防衛力を増すためには、ユーモアを研究・開発せなばならんのかも知れぬ(半分嘘)。

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伝説のバグ

昔の職場であったバグの話。

その職場ではC言語が使われていた。若手が「C言語の標準ライブラリ(たしか stdio.h)内でエラーが出る」と言い出した。

で、職場で大騒ぎになって、手が空いているものは、全員でバグの究明に当たることになった。若干野次馬根性の気味無きにしもあらず。

その疑似コードは以下の如し:
include MyInclude.h
include stdio.h
main(){
何らかの処理
}

で、確かにコンパイルすると症状が再現される。間違いなく「C言語の標準ライブラリ(たしか stdio.h)内でエラーが出る」と言って良い。

しかし、世界中で使われている標準ライブラリでこんなにも簡単にエラーが出るということは非常に考えにくい。

ということで、答えは、以下のようにMyInclude.hの中で「コメントを開始したが終了していなかった」のが原因であった。その結果、「stdio.hの本当はコメントではない部分が、コンパイラ(正確にはプリプロセッサ)によってコメントとして解釈されてしまった」ということであり、そのためにマクロ呼び出しで「エラー:このマクロ未定義じゃん」ということになった(と記憶している)。

MyInclude.hの中身
プログラムとしての何らかの記述・・・
/* --- コメント開始
   コメントを閉じないままに、このファイル終了

stdio.hの中身
本当はコメントでないマクロ定義等プログラムとしての記述

/* --- 真のコメント開始
    コメント終了 --- */
「本当はコメントでない云々」で定義されたコードを呼び出し。

ということで、職場内を大騒ぎにした「標準ライブラリ内のエラー」は終息した。
その職場には「バグ取り名人」がいて、「取れないバグがあったら持ってきて欲しい。バグ取りはパズルのようで面白い」というものすごい御仁であったが、このバグだけは私が先に見つけたのであった。私にとってたった一度の勝利なので、あれから十年以上経ったのに、よく覚えている。

教訓としては、「標準ライブラリの前に自分のライブラリを読み込むな」とするのが良いと思う。もちろん、種々の事情を勘案する必要はあろうと思うが、ふつうの状況であれば、これによりデバグが楽になると予想する。

もうC言語を使わなくなって久しい。私の考えるC言語は、もはや「古典」の類であろう。私が良いと思った書を挙げておくが、これらすでに古典的良書に類するのであろう。

Cプログラミング専門課程 藤原博文
 ポインタ(その技術的中身とC言語としての表記方法)に特化して書かれた書
 特にポインタに関する「実験」についての記載が良い。
 こうした「実験」はどんな言語でも使えるし、使うべきであるが、なかなかこれについて書かれたものを見ない。
 その点でも良書と思う。

デーモン君のソース探検―BSDのソースコードを探る冒険者たちのための手引き書 氷山素子
 C言語一般ではなく、Unixの一種であるOSのソースコードに関する手引きである。
 どうするとソースコードを見ることができるか、ソースコードの読み方・考え方。また、ソースコードを見る価値についてもよく書かれており、非常な良書と思う。これまた、どのようなプログラム言語でも通じる技術について書かれた本である。
 これを絶版にしてどうする、と言いたいほどのもの。
 デーモン君が泣き虫、ママのツッコミが厳しすぎる、パパが理想化され過ぎ、等の感想がなくはないが、それは本質とは関係ないのである。

C言語プログラミングレッスン 結城浩
 結城浩氏の書物はいずれも正確さ・わかりやすさの双方の意を払ってあり良書と思う。C言語について結城本をきちんと読んだことがないものの、新人教育用にざっと見た限り非常な良書と感じた。

C言語の書物はたくさん出版されているが、「たくさん出版されている」場合、「どれもこれも一長一短・玉石混交」ということがよくあるので、その点は注意が必要であろう。もちろん、読者と書物のレベルが会わないと良書でも無用の長物になるので、その点も注意が必要である。
いずれにせよ、Cの規格はどんどん新しくなっており、これら古典的C言語の古典的良書がどれだけ有効であるか、現役でC言語を使っていない私には判断できない。

今さらこんな事をネット上に書いても新味も何もないけれど、暇つぶしの徒然に昔の思い出を書いてみたものである。

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今週の戯れ歌

ひともとの老木の我に花を見せ今年の花見は満ちて終はれる

花咲けばあまた桜のあるを知る色なき冬を越へた木と我

花を見て少し悲しと思ふらむ花見る人の共に無ければ

花を待つ心の切な事もあり若かりし頃悲しかりし頃

花を見ば若かりし日を思い出し嗚呼あの人の如何に居らるる

様々な人たちの去り様々な花々の過ぐいつか我もまた

悲しかる場所に行きけり密やかに犯行現場に戻れるごとく

様々な花咲く園にしばしあれば浮き世の憂さのしばし晴らさむ

花と葉の共に出たる桜あり青める姿を我は好めり

何がしか我に覚悟の足らざりき今宵新たな花を眺めて

連れだちて歩ける人を羨みて頭を垂れて来し方を思ふ

切らるとも枝を伸ばして花を咲かす桜の株の力漲り

をち方のジェノベーゼの香り嗅ぎながら珈琲飲むもまた乙なりけり

真面目なる本読む人の良からまし我また本と切に向き合へ

花見れば一年生きたと思ひ侘ぶまだ来年は花を見るらむ

花の下うたを捻くる人もありただ花を観よ花散らぬ間は

幹からも花咲くことの珍しく力尽くせる樹の心なる

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読書の記録(2022年3月)

ヴォイニッチ写本の謎
完読ではないが、だいたい読んじゃった。読みにくく、進みの悪さに、ちょいちょい飛ばして結論を覗く。仕事なんかで必要な書籍で、必要情報だけを探す時の方法。まあ、それをしても仕方がないなという程度の書物であったと思う。著者は色々な想像を張り巡らせるが、それが何かの結論に結びつくとは言えず、あーゆーのもこーゆーのもあるねというエッセイみたいなもの。しかもそれぞれの情報や想像がさほどの興味を惹くものでもないため、読みにくさが増すばかり。ちょっと残念本でした。
ネットで公開されていヴォイニッチ写本の画像を見、Wikipediaを読めば良い・・・と私には思えました。

へそまがり日本美術
東京国立博物館内の販売所で買った本。たいへん面白い。これを手がかりに様々な「へそまがり」の美術を見たいものである。
以前読んだ山口晃「ヘンな日本美術史」も面白かったが、こちらとも異なるものの見方・異なる絵を示しており、双方それぞれに良いものであるが、そんな本ばかり読んでいる自分が「ヘンで、かつ、へそまがり」であるかと情けなくなるのが欠点か。
ともあれ、私は若い頃から西洋画を主に見ており、日本画は成人するころから少しずつ見だしたのであるけれど、私が若かったころは西洋画・日本画ともに非常に「教科書的」な見方が多く、いささかつまらなかったように思う。近年になって、暁斎や若冲が復興し、「ヘンな・へそまがりな」美術も見られるようになって大変楽しい。

やきものの教科書
これまた東京国立博物館内の販売所で買った本。断片的には知ってる(ような気になっていた)事々も幅広くきちんと書かれており、大変勉強になる。また、例示されているやきものも、古今様々なものであり、これらを見ているだけでも大変楽しい。
写真の多くがやきものだけを切り取っているのも、私にはありがたい。もちろん、茶室・床の間・食卓があってのやきものという考え方もあろうけれど、やきものを置く場は一様ではないので、その色付けがないのは私にはありがたい。
これらやきもの(写真)を集め、選択するだけでも大変な作業ではなかったかと思う(楽しい作業であったかも知れぬ、とも思う)。大変な労作に敬意を表したい。 amazon.co.jpにおいて、本書をものすごく貶している書評があったが、人の見方は様々であると呆れた。書物は人・時・所で同じ価値ではないと思うが、「それにしても、そこまで言うことはあるまい」というものであったことよ。

地球の歩き方ムー
ネットで見ていて買ったもの。ムー味の広大無辺・荒唐無稽はさほど濃くなく、また、昔ながらの地球の歩き方のような安宿徘徊・ 地元感重視についても薄味ではある。とは言え、世界中の様々な古代文明を跳梁することができ、在宅の多い昨今なかなかに楽しめた。ともあれ、かつてはそれなりに正しいと信じられていた説がムーの側に移動していたりして、なかなかなショックを受ける。
ムーの楽しさにはいくつかあるけれど、ひとつには「仮説を羽ばたかせる楽しさ」がある。物知りが何人か集まってお酒を飲んで、「こんなこと知っているか」とか「それならこんなこともあるのでは」的に話を膨らませて行くことがある。ムーにはそうした想像の飛躍を楽しむ面がある。久しぶりのムーで私には楽しかった。

中学生時代、「英国軍艦ユリシーズ」、「駆逐艦キーリング」などを読んだ。帆船小説ホーンブロワーものを読んだ流れであったと思う。あくまでも偏った読書の感想にしか過ぎないが、第二次世界大戦においては、物資輸送の護衛任務が英国海軍の主要任務のひとつであったことが察せられる。後に読んだ「非情の海」もそうであった。日本も英国と同じように島国であるが、考え方に大きな違いがあるように感じる。
「駆逐艦キーリング」は、最近「グレイハウンド」として映画化された。トム・ハンクスがどの程度制作に関わっているか知らないけれど、以前「アポロ13号」やアポロシリーズは彼が強く望んでいた作品だったと記憶している。アポロ13号と駆逐艦キーリングを並べてみて、彼の熱意は、成功と失敗の間にあるプロジェクトとその中に居る人間を描くことにあるのだ、と感じる。プロジェクトの中で右往左往する私には非常に興味深く感じる。
アポロシリーズで、発注者であるNASAと受注者であるノースアメリカン(?)の会議の場面があり、これもまた非常に感銘を受ける場面であった。
1)会議での主張は発注・受注側で対等である。忖度の如きものはない。
2)会議は基本的に録音されている。
3)ただし、録音を中断して非公式な取引をすることもある。
4)ただし、非公式な取引についても、録音を開始した後に結論を確認する。 こうしたプロジェクト遂行が出来る米国だからこそ結果的に「戦争が強い」のではないかと、私は思った。
(英国はオペレーションズ・リサーチ発祥の地であり、また別な戦争巧者を思わせる)。

海野十三 独本土上陸作戦 ――金博士シリーズ・3――
https://www.aozora.gr.jp/cards/000160/files/3344_18550.html
「計算尺」について調べた際、たまたま検索結果として現れた小説。1941年夏にこんなのんびりした冗談小説を書いていたのだね。日米開戦までおよそ半年。 その後、空襲都日記・敗戦日記に「海野十三は死んだ。断じて筆をとるまい。口を開くまい。辱かしいことである。申訳なき事である。」とある。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000160/files/1255_6571.html
私は日本が戦争に負けた後、どのような状況であったのかに興味がある。石川達三「望みなきにあらず」、山田参助「あれよ星屑」など興味深いが、海野十三の日記も同様の興味で読んだ。
続けて「火星兵団」などを読む。バローズの「火星のプリンセス」は1917年。火星兵団は1939年。少年小説ものの独特な雰囲気。説明的な会話。少年の運の良さ。最近流行の「ラノベ」もまたこれら少年小説の後裔であろうか。

この他、「ハイドンな朝」、法水麟太郎短編集などを読む。

●日々の雑感
先月の書き忘れ。2月中、こんにゃく座「あん」と映画「やさしい女」に行くことができた。コロナ以前、月に一度は「文化的催し」に参加しようと思っていたが、それに近くなったかも。
「あん」は小説・映画があるとのことだが、私は未見。こうした話はなかなか感想を述べにくい。「楽しい」というのは罪深く、「楽しくない」というのもおかしい。どういうべきものか。ともあれ、役者とは「何にでもなれる人たち」であり、楽しくも恐ろしい。ことに主役を演じた高野うるお氏は相変わらずの説得力。あえて言えば、主人公千太郎が徳江さんを守らなければならないと感じる動機がよくわからない。脚本としてそこをある程度繰り返してでも押すべきではないかと思うが。あるいは、その点をこそ我々視聴者に問いかけているのか?
「やさしい女」はドストエフスキーの原作を見ており、いわゆる「鬱展開」であることを映画が始まったところで思い出した。否、もう少し楽しい思い出を回想しているような気もしたのだが。なかなか年度末に見にゆくものではないな。まあ、きれいな映像を思い返す楽しみはあるけれど。
舞台はパリに移されており、時代もまた1960年代(?)になっている。それが作品の本質に関わらないと監督は判断されたのであろう。確かに、場所や時代に左右されない相当に普遍的な内容であろう。

3月。またも映画を見にゆく。小森はるか/瀬尾夏美による『空に聞く』。
「震災後、約三年半「陸前高田災害FM」のラジオパーソナリティを務めた阿部裕美さんを追う。」
見に行って良かった。絵もきれいだし、映画としてのまとまりも良かった。最初に登場する爺さんを始めとする、三陸の「ふつうの人々」も良かった。日本のドラマ・映画に出てくる役者は少々幅が狭いかもね。「ふつうの人々」があまりない気がする。絵として、話としてきちんとつながっていて、「作品」であると感じた。一方で、「作品」として出過ぎない点も良いし、感情の押し付けもない。ありのままがありのままでいられる稀有さを感じるものであった。
愛知県芸術文化劇場制作となっていたが、こういうことにお金を使っているのは偉い!と思いました。
阿部さんのお名前をどこかで聞いた気が・・・と思いました。先月お読みした絵本を作られた阿部結さんですね。

国立博物館に空也上人像を拝見しに行く。久方の美術館。久方の仏像。大変よろしかった。
阿弥陀、四天王、地蔵・運慶像などもそれぞれ傑作だが、空也上人はとりわけ素晴らしい。その気品・気迫、そして渾身の祈りを感じさせる全身の表情が素晴らしい。顔に表情があるのはもちろん全身・手先・足先・所持品に至るまで表情がある。素晴らしい傑作を間近に見られて大変良かった。
また、出口に弟子が作った習作ごときものがあるのも大変良い。他の傑作群を見た後であると、この二体は「材木をちょっと加工した」と見え、傑作の傑作たる所以がまざまざと知れる。まさに配置の妙であろう。
これらを大いに堪能した後、販売所に行ってみた。様々な工芸品等もよろしいが、書籍が非常に充実しており、これだけでも見るに値するもの。重くなるので多数は買えぬと思いつつ、三冊を購入してしまった。「やきものの教科書」「へそまがり日本美術」「インスマスの影」。
ここで商っている書物は、もちろん美術・工芸的なものが多いが、それらと関係の深い、民俗・宗教や奇想の類も大いに対象とされており、書棚を見ているだけで楽しめるのである。
今回本館のみしかみていないので、次回は東洋館を見たいもの。倉敷の大原美術館で仏教美術など少し見ているので、東洋館の入り口を見てそれを思い出したりした。今度はお弁当を持ってゆつくり行こう(この場所で気軽にお食事をするのはいささか工夫が必要かも、と思ったので)。

先月の書き忘れその2。昨月某日、朝の散歩をしていると、中学生女子がやって来る。「何某高校はどこですか?」。この辺りは道が狭小複雑で、実はほんの少し行けば何某高校が見えることから、そこまでご一緒する。どうやら入学試験であったらしい。私も下見をせずに試験場に行く派であったけれど、やはり下見は大切であることよ。
以前、昼間の散歩時、制服姿の男女の中学生と、犬を連れた中年女性が一緒に走っているのを見たことがある。変わった三人連れだなと思いきや、角を曲がるところで、中年女性が「後はここからまっすぐよ」。二人は礼を言って走り出す。どこへ行くかと興味を持ち、私もその方向に歩みを向けて見たが、若い二人の足の速いこと!あっと言う間に道の果てに二人の姿は消えた。若い二人とともに走れる女性もなかなかに天晴。爽やかな一場であった。

過日、近所に消防車・救急車・パトカーが来る。老婦人と電話連絡取れぬとて、娘さんからケアマネージャーさんに連絡があり、ケアマネージャーさんが訪問したものの、ドアベル等に応答ないからとて、これらをお呼びになったらしい。屋内で倒れているのを発見し救急搬送。意識もあり、まずは良かった。非常にしっかりした方で、クリスマスになると、教会の人々がこの家の前で静かにクリスマスの合唱をされるのが、なかなかに風情があったものである(合唱云々はコロナ前の話)。

韓国の選挙活動では、「歌と踊り」がよく用いられているとのこと。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220301/k10013506531000.html?utm_int=detail_contents_tokushu_004
なるほど、なかなか知れないことである。隣国の人々。見かけは「よく似ている」と思うことがある一方、表情や動きは「異なる」と思うことがある。選挙における「歌と踊り」は私の感じる「異なる」のひとつである。

ジャズの人たちKokoroko
https://www.youtube.com/watch?v=zUnKDK1iklo&ab_channel=SofarSounds

パリのシンガソングライター
https://www.youtube.com/watch?v=ZthUo-Z97uw&ab_channel=IndilaVEVO

自主制作アニメーション
https://www.youtube.com/watch?v=cH3pJXYrVc4&ab_channel=CGMeetup

あさま山荘事件
https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/WV5PLY8R43/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pQo5VdwjXk/?utm_int=detail_contents_news-link_003
https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/WV5PLY8R43/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pVB8n9G9Eg/?cid=gendaihk-hp-220224
多くの取材結果から核心のみを濾し取ったと思われる。若い方がこうした過去に向き合われることを偉としたい。
私自身も若いころ「革命欲」みたいなものがあった。しかして、世の中そう簡単には変わらない(変えるべきでもない)と思いつつ、世の中が変わるべき時、変わりそうな折に、それを後押しする立場になれれば良いなと思うようになって久しい。本当であるかは知らないが、ゲリラ戦の教科書には「民衆/社会の支持が必要不可欠」と書いてあるそうだ。他国に侵攻する者はよくよく考えるべき、というより侵攻しないことを考えるべきだ。

先般、お散歩の折、街角で大人の楽しそうな声が聴こえる。道沿いの集合住宅の駐車場で、若い男女が踊るようにはしゃいでいる。近づきながらよくよく見れば、幼い子供がシャボン玉をしているのを若い両親が楽しく追いかけているのだった。「このシャボン玉、まだ飛んでいるよ!ほら、ほら。」などと言って。写真を撮って上げればよかったか。気の利かない私。気の弱い私。

コパチンスカヤのベートーヴェン
https://www.youtube.com/watch?v=L1l69tA5oCs&ab_channel=NPRMusic
細かいことには拘泥しない激しく尖ったベートーヴェン。

チャイコフスキーの「悲愴」を聴く。「悲愴」という言葉とはうらはらに明るい第三楽章。ここから起こる急激な暗転がこの曲の本質なのかも知れない。
この明から暗への転換に、「ロシア人は友人の墓の前で泣く」という言い回しを重ね合わせてみる。この言葉は「ショスタコービチの回想」にあったもの。「回想」は偽書かもしれないが、そうだとしてもあの時代のソビエト=ロシアの雰囲気をよく伝えるものだと思っている。これについては、吉松隆氏の説も面白い。
この言葉は、「生きている間は国家の前に無力であり友人を救うことができないが、友人が死んだ後ならば墓の前で泣くだけのことは許される」といった国家観を言っているように私は感じている。
昔々、飯守泰次郎先生に「悲愴」を指揮して頂いた時のこと、第三楽章の「一発」の後、テンポを上げてゆく指揮棒についていったところ、先生は演奏を止め、「ここは、軽々に棒について来るべきではない。嫌がるオーケストラを指揮棒が無理やり引きづり出す場面であるのだから、オーケストラは重々しく抵抗しながらテンポを上げるべきだ」という趣旨のお話をして下さった。指揮者と演奏者の間のコミュニケーションというものを、何も知らない若者であった我々に対しまざまざと示して頂いたことに大変な感銘を受けた。
今聴いているのは、マルティノン指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。帝政ロシアの話を読んでいると、(明治の我が国と同じように)世界の優秀な技術を取り入れるべく各国から優秀な人々を招いていたようだ。フランス人指揮者とオーストリアの楽団の組み合わせから、私は、そうした古いロシアの香りを感じたつもりになっている。 私は、ロシア音楽、ロシア文学、ロシア人に親しみを持ってきた者であり、個々の露人を避難するいわれはないけれど、ウクライナ侵攻には悲しみと怒りを禁じ得ない。
Wikipediaによればチャイコフスキーはウクライナ系であり、曽祖父はザポロジェ・コサックであるとのこと。

なかなか好きなタイプの音楽 Roots Revival ensembleとPetra Nachtmanovaさん
https://www.youtube.com/watch?v=FqxAvVWfvPM
何か無名性を感じる。時々ある「低い音程」が癖になる。

目で見る中標津の開拓
https://www.youtube.com/watch?v=eXWqj57ahBE&ab_channel=%E3%81%BF%E3%81%AE
古い映像。映画などの虚構でなく、日々の事業や生活の端々を(演出はあるにせよ)見ることができ、たいへん面白い。
植民ないし植民地という言葉は現代的価値からすると負のイメージが強いが、この当時は正あるいは中立であったと感じられる。北海道「拓殖」銀行にある「拓殖」の語は「開拓・植民」であろうかと初めて思い当たる。

https://www.youtube.com/watch?v=KKwVGqXM8u4
音楽は私の趣味にあうが、見た目はコワイ。

ドヴォルザーク交響曲第八番:
https://www.youtube.com/watch?v=q_F96qv4zvg
互いの距離でアンサンブルが切れそうになるのを、体を動かして必死に連携しているようだ。少人数による見通しの良さと音像の広がりの良さの相乗効果もあり、室内楽的な良い演奏になっている。
非常なる臆断をするならば、こうした諸事情を考えた上で、比較的アンサンブルのしやすいドヴォルザークを選び、少人数の音響を活かすよう演奏しているのではないか。
(昔、井上道義氏が日比谷公会堂で「このホールは音響設計以前の建築だが、非常に音響の良い席もある。休憩時に空席には移動して良い」と客席に呼びかけたことがある。欠陥を楽しみに転化できる偉大な才能!と思った。)

なぜここに行き着いたのか説明が難しい動画。凝り過ぎた構造で、なかなか理解しにくいぞ!
https://www.youtube.com/watch?v=BQ0mxQXmLsk&ab_channel=CamilaCabelloVEVO
カミラ・カベロさんの「MV」。

過日夕刻、新聞受けを覗きに玄関を出た。街灯の下、手をつないだ母子。座り込んだ幼子に、母はやさしい口調ながら少々お困りの様子。で、ここはオジサン登場。「あれっどうしたのかな。お嬢さん大丈夫ですか。」云々と呼びかける。多くの子供は見知らぬ第三者に介入されるくらいなら母と歩いて逃げ出す。去りゆく母が背後の私に向かって「ありがとうございます」と二度も仰る。なんのなんの。思えばこれも母の技。亡き母を思い出させてもらったことを母子に感謝するのは私の方だ。

こうした事々もウクライナ侵攻問題で相当程度上書きされている気がする。
私が思うのは、無理やり他国に攻め入って勝った軍隊はいない、ということ。ロシアがナポレオンとヒットラーを撃退したというのもそういうことではないのか。
日露戦争の故事をひいてフィンランド人・トルコ人が日本人に共感を示すというのを話としては知っていても、これまで実感を持ったことはなかった。このたびのロシアによるウクライナ侵攻を見るに、大国の隣同士の気持ちが自分の中で湧いて来るのを感じるし、多くの国でも同じ気持ちでいるらしいことを感じた。
ロシアとウクライナは兄弟国であったという。その成り立ちから長年そうであったのが事実であるとしても、今回の侵攻によって、これから数十年ウクライナは(少なくとも国家として)兄弟国であるとは言わないであろう。今回の侵攻によってむしろウクライナはウクライナとして立つことをより強く思うようになったのではないか。

過日、歩いていると、かすかに「ロンドンデリー・エア」を歌う歌声が聴こえてきた。私にとって懐かしい懐かしい曲。ほんの最終節だけであったが、奇跡の出会い。たまにこうした小さな奇跡を見出すことがある。私は神の存在・不在いずれにも確信がないが、時に、神がいるのかも知れないと思うことがある。神がいるものならば、「私もまた慰めを必要とする弱い人間であり、私にとって懐かしくも貴重なるこの歌を与えて下さったことには心から感謝しますが、ウクライナで困窮している多くの人々を何よりもまずお救い下さい。」と申し上げたい。

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読書の記録(2022年2月)

マウントオリーブ ロレンス・ダレル
アレクサンドリア四重奏第三巻。相変わらず小説らしい小説。「お耽美」なので冗長でもあり少々読みにくいが、だからといって完全停滞でもない。
「コプト人」というのに目を見張る。エジプトのキリスト教徒のことであり、カトリックでもプロテスタントでもない別なコプト派になるらしい。シャーロック・ホームズ未発表事件に「3人のコプト人」があり、これ以外で「コプト人」という単語を見た記憶がない。 ともあれ、(古代とはいわないが、それなりに)古くからエジプトの知識階級であったらしく、そのプライドは高く、ものの見方は個性的でもある。
これまでの二巻に出てきたネシムは後退し、ネシムの弟ナルーズ、母レイラ、父らの姿が浮かび上がる。アレキサンドリアの都会にあるネシムと田舎に住む家族の違い等々、コプト人のイメージが私の中で出来上がってゆくのがなかなかおもしろい。 これまでの三巻で、アレキサンドリアの庶民の姿はあまり目にしていないが、この都会に集まった様々な民族・立場の人々の姿が面白い。
イギリス人、フランス人、ユダヤ人、ギリシャ人、コプト人などなど。

クレア ロレンス・ダレル
アレクサンドリア四重奏第四巻。小説らしい小説。「とんまな兄弟」が長々しくて読みにくいが、後ろの方をこっそり見て、この長さなら、と我慢する。ダレルが最も言いたいのはこの部分なのか?それにしてはわかりにくい。
これら四巻の眼目が、「時間の流れではなく、ものの見方・見かけの相対性」(私の超単純な理解)であるのはそのとおりで、二巻は一巻を覆し、三巻は新たな事実を見せ、四巻もまたそうである。そういう意味でも、後の巻ほど面白いし、最初の巻は「どうせ覆されるのだから」という思いもあって、正直面白くない。とは言え、覆されるであろう一面の真実を信じる「僕」の切なさを、後の巻になって改めて味わう、とも言えるだろう。
四巻読了。なんとも言えぬ幕切れ。もしかすると主題循環ということかも知れぬ、と思った。また、相対性云々という表向きの看板をあまり意識しないで読んだ方が楽しいやも知れぬ、と思った。とはいえ、久しぶりにそれなりの巻数がある書を集中して読むことができ、楽しかった。
他に少しばかり読んで投げ出している本が何冊かあるが、これらを読み直すのが良いかも知れぬ。

おおきなかぜのよる 阿部結
西荻窪ウレシカで原画を見、本を買う。素晴らしい幻想。奥行きのある風景。連鎖のある物語。
この方、絵は上手いし、物語は作れるし、恐ろしい才能。一枚の絵が上手い、ということもあるが、絵の中に様々な要素が入っていてその奥行きがあり、他の絵との連鎖があって、非常に動的な絵の連作となっている。動的要素を見ていると、アニメーション化するのも良いかも知れない、と思った。でも、高品質のアニメーションでなければ、作品の質を損なってしまうだろう(「スノーマン」が近いかも知れない)。
「おやつどろぼう」も素敵。謎の集団が本当に謎である。あの謎をあれこれ考えるのも面白い。

「その他の外国文学」の翻訳者
紀伊国屋で「ヌマヌマ;はまったら抜けだせない現代ロシア小説傑作選」とともに見つけて買った。いずれも一ページも見ずに買っているが、紀伊国屋を我は信ず。
なかなかおもしろい本であった。また、この本を出発点に種々の面白い本にたどりつけそうなのが嬉しい。
かく申す私も、チャペックの未翻訳書を読みたいがために、チェコ語を学ぼうとしたことがある。翻訳家諸氏は、たとえ茨の道を進むとも、私がごとき語学弱者の屍の山を越えてゆくが良い!の心持ち。
私は、「その他の外国文学」のファンである。チェコ、ポーランドあたりが好みだが、南米も興味ありである。でもって、「新しいマヤの文学」という文言を見た時に、確かにびつくらこいた覚えがある。

なお、紀伊国屋では、呉明益「眠りの航路」も見つけるが、三冊は持てないと考え断念。呉は「歩道橋の魔術師」が面白かったので、読まざるべからずの仲間入り。白水社の「エクス・リブリス」なるシリーズも面白そう。白水社等の丁寧な本づくりはとても素敵なのだ。もしかすると、私は紙の本を購入する最後の世代なのかも知れないが、私が世を去るまではなんとか白水社(等)には続いて欲しいものだ。

地球の平和 スタニスワフ・レム
買った本。それなりに面白かったが、勢いつけて読みすぎた気もする。も一度ゆつくり読もう。時々意味が取りにくい文章がある。原文がそうなのか、訳文の不徹底か、私の理解不足化、そのいずれとも知れないが、気にはなる。 これもまたポーランド語で書かれており「その他の外国文学」であろう。

他にスターメイカーや法水麟太郎短編集をめくり見る。それぞれになかなか面白いね。

1990年〜2000年代の鉄道模型趣味誌を読んだ。私が最も知らない時代。バブル経済と連動するのか、製品の量が非常に多い。1970年〜1980年代しか知らぬ者には、びつくりするほどである。昨今高齢化等の理由で廃業メーカーが多いらしいが、それらも盛業中、新興メーカーもひしめき合っている、というところだろうか。一方紙面としては、旧来の図面を多用した技術志向が若干緩んでいるようにも思う。カラー写真も多く、雰囲気があって良いとも思うが、一枚も図面が出てこないような記事が結構あり、昔の鉄道模型趣味誌を知る人間にはいささか物足りなくはある。欲しい車両・部品はなんでも自作しなければならないという前の時代とは異なるのだろう。そうした傾向を見るために買ったとも言えるので、それはそれで良い成果ではある。

以下は気になる本。読んだわけではございません。
トールキン「終わらざりし物語」が文庫化されているのを発見。文庫になったならば読まねば、と思う。翻訳者(集団)の「山下なるや」という名乗りもトールキンにふさわしい。読まねばの本が結構あるのが嬉しくも苦しい。

https://www.kawade.co.jp/np/search_result.html?writer_id=07749
また、「立教高等女学校の戦争」(神野正美)も気になる。先日までの新聞小説は、海軍水路部のお話であったが、立教に分室を設けて計算をしていたとのこと。そのための増刊なのかな?
「暁の宇品」。以前、知人宅で見せてもらった「おじいちゃんの軍隊手帳」(ほんもの)に、陸軍船舶砲兵として乗船していた記載があったと記憶している。そんなに遠くのことではないのだ、と思った。たとえば、船舶兵の有名人としては春風亭柳昇氏が挙げられるだろう。
ホーガンの新刊「未踏の蒼穹」。金星の科学者による地球文明崩壊原因の調査。非常に面白そう。「星を継ぐもの」シリーズは、昔読んで大変楽しめたが、年取って読むと、ちょっと荒っぽいなあと少し残念であった。逆に言えば、若い頃勢いに任せて読んで良かった、とも思った。さて、こちらはどうなることやら。

七月舎なる書店に行き、詩集「ビオラ」、「ある完璧な一日」(マルタン・パージュ)、「通勤電車でよむ詩集」を購入。新たな詩集を読むのは久しぶりなので楽しみである。パージュは「僕はどうやってバカになったか」が面白かったので、これまた楽しみ。

●日々の雑感
ウクライナ情勢まことに深刻。私は、ロシア文学・ロシア音楽・ロシア美術・ロシア料理のいずれをも好んでおり、ロシア人民の暖かさについて聞くことも多い。ロシア人がいう「ロシア人は友人の墓前で泣く」というのは、無慈悲無情な大国を前にロシアの人民は泣くしかないということでもあるのかも知れない。 ロシア人民にしてそうであれば周辺国の人民もまたそうなのかも知れない。
何ということだ。 これ以外のことは余事に過ぎない、と思ってしまう。何もできない己の無力を悲しみつつ、ウクライナ大使館に寄付を行う。

以下はまこと些事だが書いてしまったので、記録として残しておこう。

お散歩の途次、いわゆる「緑道」に生えた柑橘類の木の下で、子どもが樹上に向かって声をかけている。樹上にいるもう一人の子どもが「手が届かない」と言って叫んでいる。どうやら、蜜柑を頂こうということらしい。今どきの子どもでも木登りをして、果実をちょろまかすのか、と、少々嬉しくなってしまった。さてさて、なんとか黄色くて大きい果実を落とし、「硬くて剥けない!」などと叫んでいるのを暫く眺めていた。
でもね、大人の悲しい知恵で言うならば、鳥も食べない果実であるならば、皮が硬すぎるというのもあろうけれど、あるいはまた、とてもとても酸っぱくて、食べ物の少ない冬ですらなかなか食べる気にならない代物であろうことも十分予想されるのだよ。私は、彼らにこのことを伝えなかったけれど、そしてまた、試食に参加することも(大人だから)しなかったけれど、想像中の酸味によって口の中を唾液でいっぱいにしつつ、その場を去ったのあった。ともあれ、なかなか面白い情景が見られて散歩の甲斐があった、と嬉しかった。

久方のNPR Arooj Aftab
https://www.youtube.com/watch?v=ZUYJ8_tBSSQ&ab_channel=NPRMusic
よくあるニューミュージック系ポップスという面もあるが、不思議な音程感などはなかなか良い。
ヴァイオリン奏者が凄い髪型だ。

鉄道廃線の話を耳にする。こんなにも道路と自動車が普及しているのであれば、鉄道はその役目を終えた部分がある、と思うべきなのだろう。現在十両以上の編成で走っているところ以外、今後の人口減少に伴って鉄道はなくなる、と思うのが正しいように思う。大都市周辺と大都市間程度であろうか。都市間はいわゆる新幹線以外残らないと考えても良いだろう。
一方、公共・私的交通手段は別途必要になるが、それは自動運転バス(タクシー)の類になるのであって、道路と鉄道の二重投資が必要ない分、こちらに投資されるべきだ、と感じる。まだ、技術・システム化がそこまで進んでいないので、鉄道はそこまでの「繋ぎ」として残存すれば良いのではないか。
明治〜昭和初期に、国家が鉄道を敷設しなかった町々では、有志がお金を出し合って鉄道を作るということが行われてきた。これら鉄道の多くは、おおむね昭和の末頃までには消滅していると思うけれど、これら鉄道と同様により多くの鉄道が消えてゆくのであろう。
私は趣味として鉄道を大いに好むものであるけれど、逆にこうした鉄道史を繙いて、多くの鉄道の消長を読んで来たことから、このように感じる。
鉄道そのものが価値を持つ「観光鉄道」にはこれらとは別な可能性を感じるし、大いに期待する心情を持つものの、これとてなかなか難しいのもよく知られているだろう。

Yahoo Japnからの連絡「2022年4月6日 (水)よりYahoo! JAPANは欧州経済領域(EEA)およびイギリスからご利用いただけなくなります」。
理由を見ると「欧州経済領域(EEA)およびイギリスでサービス利用いただける環境を継続的に提供することが困難になったためです」。これでは説明になっていないよ、と思う私。この文章では、「出来ないから出来ない」と言っているように見える。せめて「法的な・・・」とか「コスト的な・・・」くらいは書いて欲しいものだ。私自身は欧州でこれらサービスを利用することはないので構わないが。
昔々、ADSLサービスYahooBBに申し込んだ時のことを思い出した。以下の流れでなかなかだった。
1)サービス申し込み・受付 2)テスト不通+サポート連絡(メール) 3)サポート連絡の回答があまりにも遅い(数ヶ月)ので、申し込み撤回 4)さらに数カ月後、サポートから「申し込み撤回したくせにサポートにメール寄こすな」とメール。こちらから「サポートからの回答がないから申し込み撤回した」と返信。 なかなか乱暴な会社であるな、と当時思ったのであった。
ベンチャー企業が大規模化する際、現場で種々の軋轢を受ける人々の辛さを思ったりするが、そうは言っても乱暴な回答するのはいくらなんでも・・・と思うのであった。
そしてまた、光ファイバーによる常時接続の現在から見ると、ADSLは繋ぎ技術でしかなかったのだなあ、と思う。

「とん蝶」について調べていてたどり着いたページ。
https://www.hanshin-dept.jp/hshonten/special/kuishinbo/index130109.html/
大阪のたべもの「とん蝶」は、大変好みにあう。「とん蝶」を好む方であれば、私と食べ物の好みも合うであろうなどと考えてみる。一方、東夷である私は、「粕汁」を食べたことがほとんどない。神戸出張の折、どこでもイイやと入った三宮のおでん屋さんの「粕汁定食」はとても美味しかった記憶がある。大根・人参の切り方も、それぞれの味が残るよう繊維に沿って切ってあるてふ丁寧さで感銘を受けたものだ。私は特別な材料から特別な味がするのは当たり前であり、ふつうの材料から特別な味を引き出すのを特別に尊ぶ。
さてさて、私の好みを並べるならば、蕎麦は東京、鰻は名古屋、とん蝶と粕汁は関西、といったところか。各地各様の味と工夫があり、遠路行くことのないこの二年をあらためて悲しむ。

北京オリンピックの入場は漢字表記の画数順。
これは漢和辞典の発想だ。というか、漢和辞典は中国語の辞書に倣って作られているのか。まあそうだろうね。私は、新聞報道の各国名の漢字表記を楽しんだが、中でも「波斯尼亚和黑塞哥维那 ボスニア・ヘルツェゴビナ」の異国情緒が凄い。法水麟太郎ものでも、漢字ゴリゴリの国名・地名・哲学用語が並べ立てられて、私がごとき活字狂患者を陶酔させて余りあるものがある。私はどの国が勝つ負けるという事にあまり興味がないが、こういうのには垂涎の思いを抱くのである。
ちなみにモールス通信を行う際、英米等は「アルファベット」、日本語は「カナ」。「中国語は漢字を数値に置き換えたコード」と聞いたことがあるが本当かな?もちろん電報も同じだと思う。

A Bullet For The General 群盗荒野を裂く
たまたま見た映画。マカロニ・ウェスタン。備忘のため書く。失礼ながら「よくある若干意味不明のマカロニ・ウェスタン」であろう。でも、なにゆえイタリア人は西部劇を作るようになったのだろう。戦争に敗れた日本では「封建的な作品」を作れなくなり、それがため「多羅尾伴内」のような無国籍的映画を作ったという経緯があるようだが、イタリアはどうなのだろう?

「何歳まで生きるつもりか?」等問われることあり。
なかなかこうした身に迫った質問をされることがないので、頭を使った。面白い出会いがあるものだ。
諸般の情勢から八十まで生きると仮定せねばなるまい。そしてそこまでどのように生きるか。以前、定年後大学に行き直すことを考えていたけれど、最近そこまでして学ぶ気持ちがないことに気づいた。最近、過去に学んだことの多くを忘れるようになり、学ぶことの虚しさを思うようになったからか。
この何十年デフレーションで給料は上がらなかったが物価も据え置きだった。だから、過去の蓄えが「減る」恐怖もなかった。最近、物価が上がりだし、私の現役時代は残り少なになっている。よって、過去の蓄えは「急速に減る」と思うべきだろう。我々の世代は、人口も多く、なにか貧乏くじを引かされた気持ちがないでもない。

禿山の一夜
https://www.youtube.com/watch?v=Baz0b9e2PsU
禿山の一夜のバレエの練習風景。ロシア情緒満載。これを見ているととても遠くにたどり着いた気持ちになる。
まだまだ煮詰めていない練習風景であるからこそ、そこここに意図せぬロシアの雰囲気が漂っているのではないか。ロシアの男、ロシアの女、ロシアの音楽。舞台の書割や照明がないまま、このままの有様で全曲を見てみたい。

https://www.youtube.com/watch?v=6RlxZ56eWDg
「気違いじみた乱痴気騒ぎ」。ドストエフスキー好みであろう。バレエにこうした場面を持ち込むのを、私は「ペトルーシュカ」で初めて見たが、実に面白い。「ポリフォニーとはこういうことだ」という理解もむべなるかな。最後まで楽しめた。ドヴォルザークの「スラブ舞曲」もまた言ってみればこのバレエの日常場面でのものであって、こうした勢いがとてもとても大切だと思う。
(途中のドラムで踊る場面が少し冗長かつお子様向きでないなのと、骸骨ダンサーの髪型が「サイボーグじいちゃんG」みたいなのが、私にはちょっとずっこけ)。
これら振り付けはイゴール・モイセーエフになるものらしい。バレエと民族舞踊を結びつけたとのことである。上記動画でも、バレエらあしさと民族舞踊らしさのバランスが素晴らしい。バレエよりに整い過ぎても詰まらないが、民族舞踊側に振って乱れてもまた詰まらないと思うのである。

ライヘンバッハ駅
http://www.euro-bahn.com/40_2735.html
鉄道模型用の建築模型。ライヘンバッハといえば、名探偵ホームズと宿敵モリアーティ教授が運命の対決を行った場所ではないか!そうなると、駅に置く人形として、ホームズ、ワトソン、(変装して物陰から二人を見つめる)モリアーティ教授が欲しくなる!(セバスチャン・モーラン大佐はどうしよう?)
だがしかし、人形のカタログを見てもそうしたものはない。結婚式人形は人気があるようで、旧教・新教の両方が用意されている。教会が町にひとつはあり、教会のある風景に人々が親しんでいるということだろうか。あるいは、そうした古い田舎の町々に郷愁を抱くともとれるが。それにしても「おなじみKrause一家」などおかしい。こういうところが「大人の趣味」たる所以であろうか。

慈恵病院の内密出産の続報。市長が戸籍作成方針を明らかに。これだけで問題が全て解決するわけではないけれど、まずは良かった。我々は「大人」(おとな;たいじん;たーれん)たるべく、かくありたいものである。私は人間は生物でしかなく

機会があって、六本木の夜の電飾を見る。これは「きれい」というものだろうか。よく整頓されており、LEDを使っていることから、同一周波数で揃っている。それは確かだ。でも、私はこれを「美」と見ることができない。朝道ばたで見かけた「霜ばしら」の美しさに比べて電飾の光のなんと貧しいことだろう。

いにしえの雑誌「Bit」電子復刻とのこと
https://kw.maruzen.co.jp/ln/ebl/ebl_doc/ebl_kyoritsu_catalog202103.pdf
大変喜ばしいが、38万円では個人負担はしかねる。またいつかお会いする日を待ちましょう。我が家の押入れの奥底にもまだ何冊か残っているであろう。Bit、UnixMagazine、SoftwareDesign あたりを私は読んでいた。
私は、結局Windows系、Oracle系の知識は身につけずに終わりそうだ。あれらは何か「狭さ」を感じる。地方都市に「市役所」や「体育センター」といったバス停があるのと同じで、その市内ではもちろん日々通用しているが、他所者にとっては非常にわかりにくく、そうした他所者に対する「冷たさ」や「狭さ」をこれらの名称から感じる。これがSmallTalkなどのように、思想的背景があって最初から「俺らの世界観はここまでだから」とされるならば「そうですか」とも思うのである。

КРУТОЙ ШПИОНСКИЙ ФИЛЬМ! СМОТРИТСЯ НА ОДНОМ ДЫХАНИИ! "ЗОРГЕ" (1-4 СЕРИЯ) ЛУЧШИЕ ВОЕННЫЕ ФИЛЬМЫ https://www.youtube.com/watch?v=WF64AMaweKI
ソ連のスパイ「ゾルゲ」のドラマ。日本の風景がかなり変。上海租界あるいは旧満洲時代の大連といったところか。日本人(役)の所作もええ加減。まあそんなものか。

『乙女戦争』作者対談 https://futaman.futabanet.jp/articles/-/81017?page=1
ヴィクトルカの名は小説「おばあさん」の登場人物からとったとのこと。この小説。とても好き。

先生きのこる
「この先、生きのこる」が「この先生(改行)きのこる」となって、「先生 きのこる」、「きのこる」って動詞なに?というネタ。 本日の発見は「願うどん」。「自分が願うどんなものも石臼に生み出させることができた。」から。どんな「うどん」だ?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%83%A4%E3%81%A8%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%83%A4

若い人から、子育ての大先輩であるとて要諦を尋ねられる。
一に曰く「時代によって子育ては変わるから年寄りの言うことを聞くな。何か言われたら『参考にします!』と言っておけ」
我ながら良いことを言った(自画自賛する爺さん)。

女性は東京に集まる。地方ほど女性が生きにくいのだろう。仕事の種類の選択肢は小さく、旧来からの女性としての役割が期待されるなど、若い方には生きにくいであろう。逆に言えば、旧来の価値観で言えば東京は男性が生きにくい社会になりつつあるのかも知れない。ここで言う「東京」に「永田町」は含まれないとかなんとか考え出してしまった。
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/61842.html

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今週の戯れ歌

あの人のピアノに耳を傾けて時よ止まれと夢に願へり

これだけの年月を経てなお夢に出ずるあの人にただありがとうと伝えたい

いつか我あの人に逢う事ありや幽冥界を踏み越へる前

あの人の居るかも知れぬ町に行き何事も無き三十有余年

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読書の記録(2022年1月)

ジュスティーヌ ロレンス・ダレル
少々ダレ気味であるものの、とりあえず頑張って読んでいる。ネシムの作った別荘の話がなかなか雰囲気があって良かった。
amazonにアレクサンドリア四重奏の解説?があり、「お耽美」という書き方をしていた。まさにそうであろう。「お」が要るかどうか、迷うところはあるが「耽美」ではなく「お耽美」というのは英国人作家には「耽美」は難しいという揶揄でもあろうか。

バルタザール ロレンス・ダレル
アレクサンドリア四重奏第二巻。これらニ巻は時間の流れに沿ったものではない、といったことが第一巻冒頭に述べられているが、いよいよ第二巻。確かに時間の流れではなく、第一巻の否定から入ってくる。面白い構造であり、複数の視点を活かすには、視点を変えるごとに巻を変えた方が良いかも知れぬ。とはいえ、主人公ダーリーがバルタザールからもらった手紙で、自分(ダーリー)の中にあるさまざまな人々の肖像・行動像を書き換えて行く、というのをダレルが書いているのを、私が読んでいるのであって、段々「これって誰の文章だっけ」と考える煩雑さが出てきてしまう。さらに、前述の「お耽美」的文章で、意味は取りづらい。まあ、それも含めて自他の境界線が朧になるのが面白い、と言っておこうか。私のような不注意な読者はこのような精緻な本を読むべきではないのかも知れない。
ともあれ、昔から読みたいと思っていた書であり、小説らしい小説を読むことが出来て嬉しい。
ネット通販の良さで、一巻ずつ別な古書店から買ったものである。大人はきちんと新本を買わねば、とも思っているが、現時点でこの書については古書以外入手が難しいように見える。
amazon.co.jpでの評価者が10人程度。偶々見た漫画が2万人の評価者。なるほど、ここまで評価者が多いと正当な個人の評価者ではなく組織的マーケティングと想像する。そしてまた、私が読んで面白いのは10人程度が評価する本であろう、と思うのも面白いことである。

鉄道ピクトリアル 機械式気動車特集
古書店で買った古い雑誌。単独走行が前提となる自動車においてはクラッチ式が随分後まで残っていたが、連結走行せねばならない鉄道車両において、職人芸的クラッチ制御はなかなかできかねるので、内燃機関を使った場合、液体式または電気式な動力伝達方式が主流であった。で、この雑誌はこれら液体・電気式登場以前のクラッチ式のお話。
Youtubeでもクラッチ式の運転風景が見られるが、各車両に運転士が乗っており、ブザー音でギアの繋ぎ変え・加速をするてふ古式ゆかしい・大変面倒な操作をしていて驚く。
戦争を間にはさみ、ガソリン機関+クラッチ式→ガス機関+クラッチ式→ディーゼル機関(機関換装)+クラッチ式と改造されてゆく様がものすごい。この後、さらにディーゼル機関+電気式とディーゼル機関+液体式が登場し、クラッチ式も液体式に改造される・・・ということらしい。同時代に書かれた文章であり、今となっては読みにくい面もあるけれど、それも含めて面白い雑誌であった。
これと関連してWikipediaやyoutubeで気動車・ディーゼル機関車の動力伝達方式について学ぶ。様々な方式が提案・実装されているが、「様々な方式がある」というのは、多くの場合「どの方式も一長一短(決定的な技術が存在しない)」であったりする。そもそも、「エンジンの特性が電気モーターに比べて使いにくいものである」ということもある。それがため、電気式ディーゼル機関車が出てくるのであるからね。
私にとってこれらは役立てる場面の全て無駄な知識であって、であるがゆえに遊びとして楽しいてふもの。

鉄道ピクトリアル EF10・11・12・14特集
これまた古書店で買った古い雑誌。我々は、これら戦前製電気機関車と戦後製のEF15を「茶色いデッキ式電気機関車」ということで同列に並べがちであるが、同時代の人々にとっては歴然と異なる段階なのであるなあ。また、戦前最後の電気機関車EF12(貨物用)・EF57(旅客用)は数十両程度しか作られていないが、当初構想としては百台程度は作るつもりであったというのも、考えてみれば当然であろうか。
また、私はこれら機関車の最晩年を少しばかり知っているに過ぎないが、本書はこれら機関車が中心的存在であった時期に書かれており、晩年との扱いの違いが面白かった。
父が印象に残ると言っていた鉄道車両のひとつが電気機関車EF13(戦時型)であった。EF13は戦時型であるだけに、ここでは扱われない別枠であった。

甲子夜話(松浦静山)、酒のうた、をめくり見る。こういう「少しずつ読める本」は良いね。
また、法水麟太郎短編集から「鷹の城」を読む。相変わらずの超人法水。素敵です。
ステープルドン「スターメイカー」は電車に乗る機会にのみ読んでいるが、以前より読みやすく感じる。 「別地球」のお話は、1940年前後、英国からナチス・ドイツを見て書いているようにも思われるが、また、現在の世界を予言しているようにも思われる。読みやすくはないが、もっと読まれてよいように思う(皆がこの本を読んだから「世の中が良くなる」、と単純に思っているわけでもないが)。

●日々の雑感・メモ
シューベルトの八重奏を弾く機会があった。奏者を八人集めるだけでもなかなか難しく、貴重な機会であるが、あまり全体に頭を使うことができず、その点が大きな反省。
私はふだん四重奏を弾くことが多い。八重奏は四重奏の二倍と見ることもできるが、情報量的には四倍かも知れぬ。各奏者の相互作用を見るとそうなってもおかしくない。また、四重奏は各奏者のとの相互作用を考えて処理可能だが、八重奏になると、私の処理能力ではほとんど不可能である。そうなると、「音楽の全体感」「音楽そのものの流れ」を考える必要があるのだろう。そして、それこそが「指揮者の出番」であるのだろう。
私が本番を前に感じたのは、八重奏になると「九人目」としてシューベルトの存在を考えた方が良い、というものであった。これなむ「指揮者」と同じ発想である。
この反省が具体的にどのように活かされるか、どのように活かされるべきか、分からないし、そもそも反省を活かす機会があるのか分からないが、よくよく考えてみたい。
ちなみに、私にとって演奏会は自分が真面目に演奏し、真面目に考えるきっかけとして重要だが、聴衆が多い少ないはどうでも良いと思っている。誰かひとり真面目に聴いているならばそれで十分である。基本的にそう考えており、さらに、今回はコロナ感染への考えから、私はだあれもお客さんを呼んでいない。

1/17は阪神大震災の日だ。
私は当時札幌在住であり、テレビを禄に見ない生活をしていた。だから、その朝もテレビを見ず、地震があったのを知らぬままに家を出た。大きな地震があったと知ったのは、職場の近くで信号待ちをしている時、後ろから追いついた同僚に言われた時であった。私の職場のある部署では、全放送局の放送を受信・録画する必要があり、十二台ほどのテレビが積み上げてあった。その部署に行ってみると、全ての画面で大きな火が燃え盛っており、非常に大きな災害が今まさに置きつつあることに驚いた。また、高速道路が横倒しになっている画像にも衝撃を受けた。
神戸周辺に知人が居るとはいえ、簡単に連絡をとるわけにもいかず、一方で、今のようにネットを通じて個別的な情報・局地的な情報が入ってくるわけでもなかった。当時加入していたパソコン通信Nifty-Serveの時事フォーラムで、神戸大学からインターネットを通じて発信されている情報を戦慄しつつ見た記憶がある。ある種インターネットの威力を見た最初の経験である。
一方、トンガの火山噴火・津波では海底ケーブルの切断や停電で情報が出てこないもどかしさがある。この情報落差をどうするかが今後の課題なのだろうなあ。(ドローンに中継機をつけて高空から投下して、一定期間電波中継をさせる等するのだろうか。まさに軍事技術であり、防災技術であろう。)

The Pirates In an Adventure with Schientists!
お正月には映画を見ることが多い。映画館に行かず、買っておいたDVDを家で見るという程度だが。過去にこれまでにこの方法で「大いなる幻影」と「まぼろしの市街戦」を見ている。これらは見てよかった、と思う映画である。
今回は、粘土アニメのAadmanスタジオの比較的新しい作品であるPirates・・・。このスタジオの作品は「ウォレスとグルミット」や「モーフ」などで親しんでいる。今回も面白かった。
ヴィクトリア女王はこんな扱いをして良いのだろうか? Monty Python でもヴィクトリア女王はヒドい扱いをされていたが、英国王室が寛容なのか英国民が苛烈なのか。
英国の有名俳優ヒュー・グラントが主人公の声を当てているのにオドロキ。
英語版のブルーレイディスクを購入したがびつくりするほど安価であった。Linuxで見るにはひと工夫必要だったが、案外簡単に見られた。
以前、電車内で他の方が見ていて、気になったので教えて頂いた Song of Sea も見たいものだ。

ヘレヴェッヘのシューマン
https://www.youtube.com/watch?v=zpJaeSpDDus&ab_channel=SWRClassic
この方の録音にはさまざまな曲でお世話になっている。いわゆる古楽が原点にある方だが、無骨なドイツバロック的古楽ではなく、流麗なフランスバロック起点であるように感じる。このシューマンも細身で流麗なところが良い。演奏する方は弱音中心で大変であろうけれど。
ところで、私は、クレンペラーの重厚で無骨なシューマンもまた好んでいる。こうした「様々な演奏スタイルを適用可能」というのが古典音楽の古典たる所以であり、楽しみであると思っている。
ヘレヴェッヘの演奏の持つ野の花の風情、クレンペラーの演奏の持つ巨大な老松の存在感、印象は大きく異なるものの、それぞれ音楽の骨格を明確にしている点が実は共通しており、いずれも好ましい。

慈恵病院の内密出産ニュースを読む。
産む方・産まれる方、すべて大変な困難を背負っていられる。こういうことに軽々にあれこれ言えるものではない、というのが感想。

ロシアの俳優ワシーリー・リヴァーノフは、いわゆる「ロシア版シャーロック・ホームズ」のホームズを演じた方であるが、人形アニメ「チェブラーシカ」で「ワニのゲーナ」の声をあててもいるとのこと。なんだか嬉しい。地平線へ去ってゆく列車の屋根の上で、アコーディオンを弾きながら歌をうたうワニのゲーナの姿の切なさ懐かしさ!

Дело Гастронома №1 / Trouble in Store. 4 Серия. Сериал. StarMedia. Историческая Драма
アンドロポフ時代のロシア=ソ連における百貨店を舞台にしたドラマ。
当時のソ連では、共産主義を標榜しつつ、ブラックマーケットが広く行き渡っており、それゆえ大きな経済格差が社会に生じていた。コネとカネで多くが進む。ここで描かれる人々の多くは、共産主義エリートであって、衣服・執務環境・飲食物ともに大変贅沢である(メルセデス・ベンツに乗り、コニャックを飲み、マールボロを喫し、キャビアを食べる体である)。また、誰しもが別荘ダーチャを持っている。
主人公であるデパートの支配人も、悪意ではなくどちらかというと有能と親切心から、ブラックマーケットの首魁になってしまっているようだ。皆が「良い人」という主人公。KGBも(当時の実態はさておき、映画では)紳士的な取り調べをしているように描かれている。また、自身の仕事が社会正義のためなのか、権力闘争のためなのかでKGB職員が悩む姿も(多少中途半端ではあるものの)、描かれている。とはいえ、盗聴・盗撮を簡単にして来るのが、自由主義社会の人間から見ると恐ろしい。
幕切れがようわからんのは英語字幕をよく理解していないからか???
コネとカネが社会の仕組みの根本原理であるというのは、ほんとうに前近代的だなあ、と感じる一方で、我が国をはじめとする東アジア諸国も現代において似たようなものであると感じるし、ロシアやその周辺国もまたそうであるし、自由を標榜している欧米社会も実は実は、、、と考えてゆくとある意味人間の本質であると悲観したくなる。
KGBの捜査について、こんなところにも言及があった。
https://www.fben.jp/bookcolumn/2020/09/kgb.php

鉄道ロマンス "Железнодорожный"
https://www.youtube.com/watch?v=8awTm0y10S0&ab_channel=%D0%9F%D0%A0%D0%98%D0%9E%D0%A0%D0%B8%D1%82%D0%B5%D1%82%D0%BD%D0%BE%D0%B5%D0%9A%D0%B8%D0%BD%D0%BE
鉄道ロマンスとでも言うのかな?おとぎ話というか、素晴らしい脚本とは言えないけれど、ロシアの文物を見るのは面白い。としておこう。なかなか楽しめたからね。
列車の中で「暮らす」という感覚がなかなか凄い。シベリア横断鉄道でも車掌(給仕?)は車両に一人ずつ居て住み込み的な働き方をしていると聞いたことがある。たしか山田耕作の回想録であったか?

The Small Escape
https://www.youtube.com/watch?v=v9iME5dvgAQ&ab_channel=BMWUSA
BMWの小型車イセッタの物語。素晴らしい映像化。ひとつの映画作品。
私は小型自動車を好む。その身軽さ自由さを好むらしい。息子を口実に買ったミニカーも、スバル360、ローバー・ミニなどである。
また、昨年英国の Oxford Dicast から通信販売で1/76スケールの小型車3点セットを買ってしまった。BMW(ご本家はイタリアのイソ社とのことだが・・)のイセッタ、メッサーシュミットのKR200、ハインケル(トローヤン)のカビーネ。後二者はドイツの航空機メーカーとして名高い。このあたりの事情は、Wikipedia「バブル・カー」を読むとよくわかる。そしてまた、これらバブル・カーの欠点を踏まえてローバー・ミニが登場したことも。
https://www.oxforddiecast.co.uk/products/3-piece-set-bubble-car-76set62 例えば、これらバブルカーの中には(多くは?)前進することしかできず、しかも前面ドアであり、車庫入れの際、壁際まで迫って駐車すると、外に出られない、という欠点があったらしい。
https://www.youtube.com/watch?v=pwDZqAW8M4I&ab_channel=TopGear
このメモを書いての発見。私はイセッタをベンツ製であると勘違いしていた。ベンツとBMW(バイエルン発動機製造会社)の区別がない私。ふつうの自動車にはまったく興味がないからであろう。

山の夏の日 (Jour d'été à la montagne) ヴァンサン・ダンディ
スウェーデン放送のインターネットラジオで聴いた曲。なかなか良かった。フランスの管弦楽曲のうちでも元気が良い奴は独特の雰囲気があって格好良い(わんぱくマーチなんかもね)。と思っていたが、本当にこの曲であるか確信が持てなくなった。よくよく調べてみよう。

イタリアのTEE用気動車
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%9B%BD%E9%89%84ALn442-448%E6%B0%97%E5%8B%95%E8%BB%8A#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:FS_ALn_442.203_und_ALn_448.203.jpg
機械式気動車について調べた中で出てきたもの。ヨーロッパの国際特急TEEは我々世代の若い頃のあこがれであったけれど、創立当初各国の経済力の差もあり、イタリアでは二両編成程度の列車しか作ることができなかったらしい。
ともあれ、この写真を見るに、二両とはいえ、イタリアらしい編成美を持った素晴らしい意匠である。とはいえ、この意匠は、近接して下側から見上げると非常に量感に富んで美しいが、模型のように上から、あるいは、横から見るとそれほどは素晴らしくはない。いわば、この写真がこの車両の最良のものであって、これ以上の素晴らしさを求めるのは難しいようである。

海外の競売サイトでオランダの蒸気機関車 NS3851 の模型を買う(Fleishmann 製 Nゲージの中古)。
関税・送料等払って国内での競売価格と同等であった。箱はないが、特段の傷はなく、きちんと走行する。ただし、古い模型の古いキャラメルモーターなので、その性能は推して知るべし。いわゆる「ラビットスタート」の類である。
「キャラメルモーター」であることはもちろん開けて見ている。まあ、「キャラメルモーター」というのは俗称にしか過ぎないが、たぶん間違いないであろう。
さて、現在、モーター交換について調べている。私にはこういうのが一番楽しいらしい。私は自称「パズラー」であり、何らかのパズルを解くことに一番興味がある。しかも、それは意図的に作られたパズルではなく、たまたま生起したパズル的状況をより好むようだ。モーターの寸法や軸の太さ、取り付け方法を調べ、世の中にそれに相当するものがあるだろうか・・・と調べているところである。

クロスボウは所持禁止というポスターを町でみかける。
それならばロングボウは良いのか、と思ったりする。たぶん良いのであろう。
アジャンクールの戦い・クレシーの戦いがすなわちロングボウのクロスボウに対する優越性の現れであるが、それならばクロスボウに優越するロングボウを禁止しないで良いのか!と疑問に思う。そこでWikipediaを詠むと、それぞれ長短があり云々と書かれており勉強になる。熟練者にとってはロングボウの方が速射・命中精度とも高いが、非熟練者でも使えるというのがクロスボウの特徴とのこと。ロングボウに熟練するには、相当程度の教育・訓練が必要であり、それら教育のなか「悪いことをしてはダメよ」が合わせて行われている現実を鑑みて、ロングボウを禁止していないのであろう。いわば、直接的に百年戦争の事例を考えてクロスボウ禁止を行っているわけではないが、これらの長短こそが禁止の理由と言っても良い。まあ、私が弓兵を率いて戦闘する予定はないので、無駄知識中の無駄知識であるのは間違いない。

年に一回のこととて生命保険会社の担当者に会う。
特段支払いを受けるような難事に遭わなかったことを喜ぶ。以前の担当者は「大阪弁のオッチャン」で、電話でしか話をしたことがないものの、この電話を受けるのが一年の無事を確認するゆえ嬉しいてふものであった。オッチャンは転勤されたとのことだが、元気でやっているものだろうか。保険なんてもらわずに掛け捨てできるのが一番の幸せである。保険金を払えるだけの収入があり、もらわぬだけの出来事しかない。それが一番。それ以上の幸せはあるまい。

昔、近所に「麻酔科のお医者さん」が住んでいた。
当時、子どもだった私が持っている麻酔のイメージは、小説などでみたものだった。すなわち、瓶の蓋を開けて「クロロホルム」を布に垂らして、被害者の口元にあてるとすぐさま「うーん」と言ってばったり倒れる。だから「麻酔専門のお医者さん」がしているのは「とても簡単なお仕事」だと思っており、むしろ「何故専門家が必要であるのだろう」とすら思っていた。
もちろん、大人になって考えるとこの理解が大きく間違っていることがすぐわかりますね。身体機能をある程度麻痺させる、ということは、麻痺の程度が重すぎる場合は、呼吸停止等によって麻酔そのもので死に至ったり、身体機能を不可逆的に損なう。逆に麻痺の程度が軽すぎるならば痛みを感じたり、痛みによる反射的動作のために迂闊に手術を行うことができない(素人考えなので細部は誤っていると思いますが、大枠は間違っていないでしょう)。
ということで、「適切な時間・適切な強度で麻酔をかけ、手術を容易ならしめると共に、患者の生命・身体機能を守る」というのはなかなか難しく、専門的知識・専門的経験がなければできないでしょう。
ということで、子供のころ「簡単なお仕事」と思っていたものが、意外と大変である、というのはよくあることです。
私自身自動車の運転免許を取得するまで、自動車は運転が上手な方しか運転していないと思っていました。決してそんなことはなく、下手な運転手が、必死になって運転していたり、それならばまだ良い方で、下手な運転手が注意散漫なままに運転している、と思うのが正しいと思い知りました。

「出来ない」と言った後に「出来る方法」を思いついてしまう問題。
小さいながら自分自身にも先日あった。中身は仕事上のことなので書かない(守秘義務がかかるような内容ではないが、遊びで行っている活動で私は仕事に触れたくない)。職場の若手が作業しているのを見て、「それはこういう理由で原理的に不可能」と言って、数日後、眠っている時、夢の中で「こうやればできる!」とたどり着いた。まあ、最初の「原理的不可能」はその時の前提条件からすると正しくて、その前提条件そのものを変える(他のデータを導入する・イロイロ試行錯誤する云々)必要があるので、どちらの答えも間違っていないのである。また、出来る手法は論文もたくさんあって一般的と言えば一般的なので、「出来る証明」はすでにされている。よって、真の難問を解いたわけではなく、世の中一般で行われていることを思い出し、それをどのように行っているかを思いついたに過ぎない(どんな問題も最初に解くのが一番難しい)。
おまけで言い訳すると、若手には、「原理的に不可能」だけではなく、ある種代替案を提示している。また、後で思いついた「出来る手法」についてもお知らせしている。「出来る手法」は人手・時間がかかるので、今・この瞬間にやるべきかというのは組織的・戦略的判断が必要なので、そういう意味でも「原理的に不可能」という答えはそれはそれで有用であろう(と見苦しい言い訳)。

サイボウズ「サイボウズ社員だけど、テレワークがつらいんです」
https://logmi.jp/business/articles/325665
この会社、いつもながら誠意がある、と感じる。いちどこの会社で働いてみたかった。

静かなドン Тихий дон Tikhiy don
「静かな」Tikhiyが、スタニスワフ・レムの小説「泰平ヨン Ijon Tichy」のTichyとたぶん同じ。 前者はロシア語、後者はポーランド語であるが、スラブ語で同族な気がする。ひょっとして、「静かなドン」と「静かなヨン」で、「ヨン」の方も韻を踏んでいる(というか、駄洒落になっている)のかな?
「静かなドン」はこれ自体が美称である(らしい)というのが、Wikipediaの解説。
「美称」と書いて見覚えがある地名だと思ったらば、「美祢」であった。おおきに違う。

恋は水色
https://www.youtube.com/watch?v=nD4ib9-laGY
本当は「青」なんだね。で、もともとフランス語で力強い歌唱だったのが、英語の「青」が悲しみを含意するやらで柔らかい歌になったと。我々世代の日本人はポール・モーリアの曲として知っているが、それ以前もあったのだね。

Dinner for One
https://www.youtube.com/watch?v=DCMAJ7KfP7M&ab_channel=MusiSide https://young-germany.jp/2016/01/dinner_for_one/
なるほど、「一人のための晩餐」とはそういうことか。ドイツで大晦日に見るというドラマ。

こんなことを長々と書いているから読書が進まないのかも知れぬ。無駄話の効用に鑑みてお許し頂きたい。

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今週の戯れ歌

川崎と横浜の境を見つけたり私にとっての非日常なる

道を挟み異なる町に人の住みその心持ちの不思議なるかな

その気持ち聞いてみばやと思へども言葉にするの難しかりける

世の隅に身を置きたりと思ひしは北国に住む若き日の我

歩かねばうたも出でずと思ひ知るけふ久方に少し歩きて

在宅で足腰弱るを気が付くは少し歩ける久方の休み

歩くことは考えることと思ひしが歩かずあれば考えずある

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2021年のまとめ

●演奏活動
久方に演奏活動をすることができた。本当にありがたいことである(サントリーの缶コーヒーBOSSの宣伝にも久方の演奏活動の物語があり、共感した)。
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲Op.59-2、交響曲第一番、ブラームスの交響曲第一番。新しいオーケストラを創るからとお誘いを受けて弾くことができた。近年若干暇を持て余し、オーケストラにも参加してみたいと思っていたところであり、渡りに船。既存のオーケストラに入ると、すでにある人間関係に入ってゆくことになりなかなか難しい。そういう意味でも新しいオーケストラは良い。皆一緒(とも限らないが)。
オーケストラに行っていつも思うのは、周りが自分より上手でも不幸であるし、自分が周りよりも上手であっても同様である。そういう意味で「平均人」でありたい、ということだ。それは「阿部礼司」幻想であって、そうした平均人など存在しないのはよく分かっているけれど。
久方のオーケストラ・久方の演奏でうまく行かないことの方が多かった。年齢による衰え・多忙による衰えがあるのだから、積極的に自分を鍛えることをせねば、と思うのであった。ともあれ、楽器をかついで歩き回って腰を抜かさなかっただけでもよしとせずばなるまい。

近所にお住まいの方(複数)から「最近楽器の音が聴こえない」と言われる。楽器を弾く部屋が変わったからかと思うが、先方の耳が遠くなったのではないか・・・とも思う。練習量が減っているというのあるのかと少々不安であるけれど。

●読書
本をたくさん読んでいるわけではないが、面白い本に出会うことが出来た。以下が特によろしかった。良い本に出会うことが出来、幸いである。

歩道橋の魔術師 呉明益、天野健太郎
白い病気 カレル・チャペック、阿部賢一
シリーズ小さな喫茶店 山川直人
地図で見る日本ハンドブック レミ・スコシマロ

国書刊行会からスタニスワフ・レムの第二期が始まったのも嬉しい(これを書いていて、「地球の平和」が年末に出版されたことを知る。早く甲斐に行かねば)。
歳長けて、もう面白い本との出会いは二度とないと思ったこともあるけれど、知らざる多くの書があり、また、昔読んだ本の再読もまた面白い。ドストエフスキーをもいちど読んでみようかと思っている。いつか「失われた時を求めて」再読もしたいが、まだまだ先であろう。

●鉄道遊び
好きな車両・懐かしい車両の模型(Nゲージ)を買って・並べて・走らせて、楽しく遊んでいる。
先日、小学生時代からの電車仲間が我が家に16番ゲージ(いわゆるHOゲージ)を持ってやってきた。彼としてはHOゲージの仲間を増やしたいのだそうだ。でもね、HOゲージは高価でもあり、この大きさに全く見慣れないので、私はそこに行く気がないのだよ(と言いつつ、ネットで調べ物をする私)。
とはいえ、我が家の押入れにさらに大きなGゲージが隠してあることは言い出せなかった。そのうちびつくりしてもらおう。

思えば、小学三年生の春先、百貨店で母に買ってもらったのが私の鉄道模型ことはじめである。その時に買ってもらったディーゼルカー(関水金属製キハユニ26)は今も手元にあり、私の宝である。鉄道や模型を通じて、技術・システム・歴史・経済等多くのことを学んだ。理系進学することになったのも鉄道趣味が発端のひとつであろう。今また暇にあかして電車遊びができるというのもなかなか良いことだと思っている。

私が幼い頃見たはずだ、と、父が言っていた「蒸気機関車D51が牽引し、C11が後押しする中央西線の貨物列車」についても、ネット上で貴重な情報を頂くことができた。こういうことが知れるのもネットの有難さであり、ネットにつながっている人々の有り難さである。(https://shinano7gou.at.webry.info/201901/article_4.html)

●外出と街歩き
音楽会に行かず、美術館に行かず、映画館に行かない。私の基準ではこれ非文明人である。オミクロン株の行方が気になるが、来年はなんとかこれら三者に行きたいものだ。
歩いての中華街行きではできていない。その他あまり遠くには行けていない。そういう時もある、としておこう。

時々珈琲屋に行くようになった。隣町に夕食のおかずを買いにゆくついでであるけれど。その店の珈琲が特別においしいということではない。店の人が特別親切ということでもない。だが、この店に行って以来、どこで珈琲を飲んでも不味さを感じたり、居心地の悪さを感じることが多くなった。まして、自分で淹れたそれに至っては泥水の類である。自分で色々な努力をして出てくるものが泥水であるならば、その努力は甲斐がない以上に悲惨である。よって自分で珈琲を入れるのは止め、人が淹れた珈琲のみを飲む、と決めた。それはそれでちっとも困らない。お茶の類は珈琲に比べて雑に入れても味が大きくは変わらない。自分で淹れるならばこれに限る。

●その他
2020年・2021年と身内の不幸が続いた。人の生き方が様々であるように、人の死に方も様々である。そしてまた、いかにそれが当然の自然現象であると知っていても、やはり死にゆく人に接することは人間に深く大きな影響を与えるのだと思った。それは悲しいという感情もあるが、それ以上に深く身体の奥底から揺り動かされているように感じる。それは、あまりにも当たり前のことであるけれど、正直な感懐である。

GoogleStreetViewで見るに、鳴海駅前の大きな松の木。父が愛した大きな大きな松の木は浅間神社や山車の蔵と共になくなったようだ。あの町はもう私の知っている町ではない。それはそれで良いのかも知れない。私は、かつて日々利用していた東岡崎駅と金山橋駅が大きく変化を遂げた際、なにか大きな安らぎを覚えたことがある。それは、犯行現場の消滅に安堵する犯罪者の気分なのかも知れぬ。それらの駅で私が為したのは犯罪ではないけれど、人様に語れるようなことではなかった、ということだろう。
そして鳴海駅と鳴海の町自体が変わるならば、私はそこに戻りたいと思うこともなく、安らかに今の場所で生きてゆけば良いことになる。私は様々な土地で様々な恥ずべき行いを為してきたが、それらは全て雲散霧消し塵芥灰燼の如くに成り果てた。大変気安いことではある。

2020年の半ばから、我が家では毎週木曜日は「テイクアウト夕食」の日にしている。自分たちの気分転換と経済貢献になるからであるが、これもまた種々の条件を考えねばならず手間は手間である。まず「このイベントを何曜日にするか」という議論もしたけれど、「週末に近づいて後一日頑張ろうという木曜日が良い」という私の意見で木曜日にしてもらっている。
お店やメニューに関して、家族の意見があまりにも合わなければ、「各自勝手次第」とする。
ある意味在宅時代以前以上に外食しているとも言えよう。どのお店も一生懸命やっておられると思うが、繰り返し利用する、というのはなかなか厳しい条件であるなあ、というのが感想。年に一度・二度の利用と、月一回程度の利用では格段に敷居の高さが変わる。あるいは、私一人の利用と家族四人の利用でも同様である。そういう意味でどのお店も悪くはないが、完全なる信頼感を獲得している店まではないなあ、ということである。

在宅勤務が主になっておおよそ二年が経過。かつての自分は「会社」という場で「仕事」だけを考えるという人間だった。 現在、自分はそこから大きく逸脱しているのではないか、と感じる。もともと逸脱していた気もしないではないのだが、少なくとも会社で仕事をする時間においては仕事に専念し、仕事に専念する精神構造を作っていた。ところが、二十四時間自宅にいて、庭を眺めたり、街路を行く人々の音を聴いていると、それらが日常であって、「仕事」はどこか遠くに霞んでいるように思われてくる。 これは多分私だけの感懐ではなく、こうした変化によって、実は社会自体が大きく変化しうると思っている。それが良き方に向くのか否か、それはどちらとも言えないだろう。 私自身はそもそも出不精な人間であり、毎日家にいるのも、隠居ないし出家遁世の夢が思ったより早く叶ったという程度の感懐であるけれど、多くの活動を制限せられている若い人々にこの状態は可哀想だ、と思う。

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今週の戯れ歌

接続を断てば独り静かに座しておりまるで会議がなかつたやうに

PCの人の如くに喋りたるネット会議の不気味なるかな

亡き人は「出世をせよ」と我に言ひ笑顔で職場去つて行きけり

退職のその日のうちも仕事して笑顔を遺し職場を去れり

その人は出世をせずに去りにけり人を憎まず憎まれもせで

退職の見送りは我ただ一人大久保駅の蛍光灯の下

亡き人の好む書物の出版さる喜ぶ顔を思ひて読むなる

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