今週の戯れ歌

雨の日の旅車窓のそぼ濡れて我が心をも湿らするかな

音高くキーボード叩く者近くあらば苛立たしき事限りなきなり

静かなる家居に育つ我なれば様々な音の気にもかかれり

三階の小林さんに怒られると静かに住まいし懐かしき家

三階の小林さんの色白き眼鏡の貌の我を静めり

何処までも雨雨雨我が旅を行く

窓硝子斜めによぎる雨垂れの末には千切れ行くぞ見よ

人間は間違えるものだそう思おう我自らが例証である

目覚めれば五月晴れなる新緑の山と田畑の眩しかりけり

広々と見渡す程の田のありて眺めをるだに飽きる事なし

山中に分け入って行く細道の影なす様ぞ心慕わし

この山を越えれば終着駅トンネルに吸われる心地味わう

子を諫むその一言に土地言葉現旅する我に面白くあり

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拍手の音楽(スティーブ・ライヒ)

お客さんの拍手がミニマルミュージックになっていたら面白かったのに。
(「三人のスティーブ」というのを考えたのは秘密です)。

http://www.youtube.com/watch?v=FcFyl8amoEE

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空間幾何学

座標系の彼方へ。

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静かなる正午

仲間たちとともに

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悪い母親

これを見た時は、風の中の花嫁だと思った。

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ねじれた心

あなたの事が嫌いではないよと言ってあげたい。

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今週の戯れ歌

鉄を噛むにほひのすなる宵もあり我が心には鬼の座するか

安売りでコートを買いし翌日は寒くなるのを喜んでをり

シャッターを閉ざす通りに日の差して人多かりし面影の浮く

交差点に路面電車の曲がり来て何事もなく遠のいて行く

新幹線百キロ毎に雨晴の立ち替わりあり雲の大図鑑

車窓から昼の景色に親しめば夜の暗さに驚きのあり

そんなにも酒呑まぬ我ひとりゐて暫しの暇を如何に過ごさむ

流れ行く車窓を眺めひと日行く手持ち無沙汰の極致なるべし

生きる意味など考えざらむを装ひてひと日車中に身を置いてみる

こんなにも桜の萌ゆるくになりしか大震災よりひととせをおきて

世の中には怒りたくて怒っている人がいるこうした人をどうしたものやら

この線路があの美しい渓に続いていて街住まいなる我を慰む

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読書の記録(2012年4月)

宣告(中) 加賀乙彦
先日古書店で買った、宣告(上/下)は、実は中を欠いたものだった。古書店で中だけ探しても見たが、諦めて、図書館にて予約。
自分は、何でこんな快からざる物語を読んでいるのだろう。作者は、何故こんな快からざる物語を書いたのだろうと思案。
現在の自分が、非常に享楽的であることは確かだ。かといって、禁欲的にならねばならぬとも思っていない。享楽的ではあっても、節度を守っていると思うからか。私は「今」に固定され、「今」とともに流れており、時間を超えた視点を持ち得ないから、何とも言えぬ。

宣告(下) 加賀乙彦
古書店で買った本。様々な人の、様々な死が、実はあまり腑に落ちないままに終る。腑に落ちないということを言いたかったのか。また、静謐を疑われる主人公が、真に静謐に達していたのか、その理由は何だったのか腑に落ちない。
実は新聞小説でもあったのだろうか。辻井喬「終わりからの旅」も、新聞小説らしい食い足りなさがあったが。

もしも野球部の女子マネージャーがドラッガーを読んだら
借りた本。実は、学校の運動部の「マネージャー」が、ちっとも「マネージメント」をしていないのを不審に思っていた。話はご都合主義以外の何物でもない。ドラッカーの跋文から得られる主人公の理解には、飛躍が見られ、「私とって、それは自明ではない」と言いたくなること多数。
舞台を「学校」に置く事によって、私のような「会社」に居る人間が、多少なりとも客観的に(あるいは、お気楽に)、ものを考えられるようにしているのかも知れないが、その一方で、「日本人には大人の社会を考えることはできないのか」という、聊か悲しい疑問が湧いて来る。また、人は何の為に生きるのかという問いの前に、組織のあり方は、多少陳腐に思われる。このように、いくらか文句を言いたくなるというのは、それだけ身がある本なのであろう。
「真摯」の訳語が与えられている原語は何だろう。「真摯」という言葉は、日常使わないので、意味が執りにくい。「真面目さ」ではないのか。私自身、最近の思いとして「モラル」(オシムが言う様なモラル)が、組織内の人間には非常に重要であると考えているが、「モラル」の正しい日本語としては「きちんとしていること」あるいは「責任感」と言うのが、私にはぴったりしているように感じられる。
「真摯」は「ひたむきさ」というやる気の側のことか、あるいは「まじめさ」ということか、大変気になる。
思い出して、トム・デ=マルコの「デッドライン」を少し読み返した。「ドラ」は、どちらかというと外部的/社内部門間的なものの見方(経営的=マネージメントな見方)だが、デッドラインは、どちらかというと現場寄りに見える。どちらの『フェアリーテイル』としなければ成り立ち得ない部分があるのが、物語の出来/不出来としてではなく、現実に生きるものとして、少し悲しい。

陽気なタルタラン タルタラン・ド・タラスコン アルフォンス・ドーデ 小川泰三 岩波文庫
古書店で購入。古い岩波文庫。訳は古く、旧かな旧漢字。読むに困らないが、軽妙さが伝わるかというと隔靴掻痒。おもしろうて、やがて悲しき物語、であることは充分理解せられたけれど、旧かな旧漢字の壁が高く、他人に薦めることはないだろう。
月曜物語、風車小屋便りは、子供の頃から好きだった。何故好きであるかも曰く言い難いけれど、好きなものは好き。月曜物語らと共通する南仏の乾いた明るさ(そしてアルジェリアも)が好ましい。

アルゴリズム辞典 奥村
昔古書店で買った本。テトロミノの解法を読む。データ構造が理解できず、三日程苦しむ。そうか、(0,0)は「あるに決まっている。」と考えているのだとの結論に達した。ちょっと嬉しい。Cで書く(写す)気にはなれないから、rubyでも、あるいは、関数型言語で。
本書のプログラムをもう少しいじれば、ポリミノの汎用ソルバーになりそうな気がするが、そうしていないところは、むしろ奥村の見識と思う。

Life with UNIX
昔買った本。拾い読み。
昔、UNIXをいじるには、こうした「文化的背景」を知っていた方が良かったが、今となってはどうでも良いだろう。
多くの情報が、もはや考古学の世界である(私にはそれが楽しいんだけどね)。
昔はUNIX入門の定番だった「たのしいUNIX」も、さすがに今日的ではないと感じる。(私はアスキーの「入門UNIX」「応用UNIX」「実用UNIX」で入門したが)。

小説家という職業 森博嗣
古書店で買った本。大変面白かった。この考え方が唯一無二のものではないが、こういう事を書ける人は少ない。

図説モンスター 映画の空想生物たち 石田一
貰い物。様々なモンスターが面白い。ベラ・ルゴシのドラキュラ、カーロフのフランケンシュタインが、それぞれの唯一無二の象徴となっているのが、面白い。また、ハリーハウゼンの造形が良い。ついネットでハリーハウゼンの動画を探して、暫し眺めてしまう。
動きがカクカクという批判もあるようだが、むしろその方が「この世ならぬもの」あるいは「神意に操られるもの」という神秘性が感じられて良い様に思う。

私の羽根 庄野潤三
書店の古書市で購入。庄野の随筆。庄野らしさを味わうことができた。抑制された筆致を快く感じるような年齢になったのであろう。庄野潤三、須賀敦子と良い出会いが時々ある。だから、新しい著者の探索は止めるべきではないだろう。
最近、買った本を、割合に早く手放すことがあるけれど、庄野の本であれば、手元に置いて、当然読み返すであろう。
堀口大學の「毛虫の舞踏会」が読みたくなった。

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グローリア

中学校時代、歌っていた、「モーツァルトのグローリア」は、ヴェンツェル・ミューラーの作曲だそうだ。

譜面はここに。
http://imslp.org/wiki/Mass_in_G_major_%28M%C3%BCller,_Wenzel%29

ミューラー氏については以下を(誤りについても言及あり)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Wenzel_M%C3%BCller

誤りについては以下を。
http://www6.airnet.ne.jp/jbb01004/cml.html

大らかで好い曲ではあるけれど、あの作品でモーツァルト品質と言われると、少し悲しいので、誤りが分かって嬉しい私です。
小学校で教わった社会も理科も大きく変わり、様々なことが解明されて来たことに喜びを感じていますが、音楽についても同様であることは嬉しいことです。

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楽器の夢

昔、知人からフランス製の古いチェロを借りていた。

ちょっと、触ったことのないような楽器であった。古色蒼然とした黒く艶消しの楽器で、弾いていると、その古色たるちょっとしわがれたような音色が大変楽しい面白い楽器であった。私はもっと尖った音色も欲しかったので、結局譲ってもらうことなく、お返しした楽器であるけれど、半年近くも起居を共にした懐かしい楽器でもある。

そして、その楽器を借りている時分、夢に楽器が現れた。

女性チェロ奏者が、借り物の楽器で、もの凄い勢いでフランクのソナタの第二楽章を弾いている。

茫然として見ている私に、弾き終えた彼女は、「この楽器良いじゃない」と言って、ぽんと楽器を私に手渡す。
(あなたに鳴らせるかどうかは解らないけれど)と、反論できぬ言外の意味を視線に交えながら。

なかなかに恐ろしい夢であった。楽器を借り、また、当時通い始めたレッスンに足が向かないままになっていたのが反映されたものであろう。そう、夢で見たのはレッスン室での情景であった。

そう言えば、楽器の持ち主の家に行こうとする夢を見た事もある。

何故かは知らないが、住宅街の坂道にじゃあじゃあ水が流れていて、それがため、知人宅に行けない、という夢だった。そんな坂道のあるところにお住まいだった訳ではないのだが、夢なんて脈絡のないものだ。そして、もっと脈絡がないのは、坂道の半ばにある家の中で、四人の老人がカルテットをしていることだった。

白ひげでやせこけたもの凄い老人が四人でカルテットを弾いているのだ。

佐久間アンプの佐久間氏の写真をその頃初めて見たからかも知れない。

その四人が弾いている曲がなんであったか、夢の中で正確な曲が流れていたかどうか、記憶にない。しかし、びしっと四重奏を弾いているというより、勝手に動き回りながら、ごそごそ弾いているジプシーバンドのようであったとも思われる。

また、小学生時代の同輩であったフルート奏者を夢に見て、その夢の話をヴァイオリン奏者にするという夢を見たことがある。メタな夢はそれが一回きりである。

時々は面白い夢を見たいものである。

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