読書の記録(2026年6月)

夜明けと音楽 イ・ジェニ、橋本智保訳
偶然見つけた書店で偶然目に入って買った本。良い!
泣きそうだ(電車で読むには適さない。また、急いで読んではならない。頭が冴えている時間に、集中して少しずつ読むべき本)。
自分は詩文を読むにはせっかち過ぎると自覚している。一方無味乾燥な散文も好きではない。
自分が文学を読み始めたのが、サン=テグジュペリ(堀口大學訳)であったりするとそうなるのかも知れぬ。そうした、流れの良い詩的散文。なかなかない。
(墨東奇譚、井伏訳ドリトル先生などなど)。

玉電余話 軌道逍遥
玉電(東急電鉄世田谷線)開通以前にあった様々な計画線についての小誌。
東急電鉄社史でも扱われなかったというが、まあ東急あるいは玉電そのものではない、滅び去った他社の歴史ではあり、それはそれで仕方がないとも言える。ともあれ、こうしてまとまったかたちで読めるのは大変おもしろくも有り難い。
現在の世田谷区は、東急田園都市線・小田急小田原本線・京王電鉄八王子本線(?)の3本が東西に走り、南北移動はあまり盛んではない。
こうした現在の有様以外が少しでもあり得たのかどうか等、この小冊子を読んで思い描くのも一興である。
我々が土地に対して抱くイメージは現状の交通体系に強く依存しがちだが、そのことを知れるだけでも面白い。

アグニの神 芥川龍之介
「文芸誌ムゼイオン」(https://museion2003.web.fc2.com/m2/akaitoridaiitiji.html)からたどり着く。
ムゼイオンは「三銃士の息子」(カミ)を調べていて飛んだのだった。
いつもながら、マイナーな書物・楽曲について調べると、昔ながらの面白いページに行き着く。
芥川は「杜子春」などもそうだが、こうした翻案もの・異国ものが多いのだね。
私小説的でない創作を目指していたのだろうか。なにか創作者としての行き詰まりを予想させるところがあるのは、彼の自死を知っているからではあろうけれど。
「宇宙探偵マグナス・リドルフ」はトレジャリーが書いたので、カミではないのだね。荒唐無稽な題名から混同していたよ。
『機械探偵クリク・ロボット』の方がカミだね。

砂の本 ボルヘス 篠田一士
好きな本。基本的にどの編もわけがわからないのだが、そのわからなさが面白いと思える程度に収まっている。これが長編だったら苦しいのだろうけれど。
昔、私が考えた「世界シミュレーター」は、世界中の全粒子を再現するというもの。要は「世界の再創造」であり、実現不可能であるという結論。よし全粒子を準備したとて、「初期状態」を同じにするというのは、まさに天地創造そのものであろう。
忠臣蔵理解の適当さ。誰がこの適当あらすじを考えた!と言いたい。篠田氏はこれに注をつけないのは、「もちろんわかってますよね」という大人の態度なのだろう。嗚呼大人。そういう時代もあった、と言いたくもなる。

五月 その他の短編 アリ・スミス 岸本佐知子
相当変わった短編。岸本佐知子さんは、ルシア・ベルリンでも良い訳だったので、安心して購入。
少しばかり奇をてらった作品が多い。面白いことは面白いが、私が求める方向でもないかな。
バイオニック・ジェミーは注がなくてもわかるぞ(私の年代の者に限られると思うので、注はあるべき)。

マンガ 「書」の黄金時代と名作手本―宋から民国の名書家たち 魚住和晃、栗田みよこ(まんが)
面白く読めた。文字に関しては、読解できるものは鑑賞できるが、読解できないものは鑑賞できない、と気づく。
文字とは美術的造形だけでなく、実用性も兼ね備えていなければ鳴らないという一例か(我が身の事例を勝手に展開)。
こうした書物で書の奥義がわかるはずもないが、中国において歴史的に書が重んじられ、様々な工夫が重ねられてきたこと、その影響は日本にも及んでいること、これくらいは実感することができて良かった。
もちろん、造形を見て「好き・嫌い」と思う遊びも少々楽しんだ。
元はといえば、Google Art&Cultureで見かけた書の由来を知りたいこともあったが、なんとなう時代的位置づけがわかった気がする、という程度。ま、そんなもの。
https://artsandculture.google.com/asset/couplet-in-seal-script-0002/TwGA8BFCGDC2VA

鉄道模型趣味
風邪で伏せりつつめくり見る。
16番ライブ蒸気の話題は時々あるが、電動両用の作品があるのに驚く。モーターは炭水車に搭載。ライブ時にはギアを解除するとか。
国鉄香春線。やさしい色調で、私はなんとなく好きな作品なのだが、あまり話題にならない。
そもそも私自身が押出の強い居丈高な作品を好まず、多少弱いところのある佳品を好むからとも思うけれど。
このレイアウトは保育社「鉄道模型」に出ていて、詳しく知りたいと思い、古いTMSを買ったもの。
同じ様に千曲鉄道も「鉄道模型」などで見て断片的にしか知らず、この度古いTMSで読めて良かった。
 1973年6月号 着工以来6年目を迎えた 7800x2850mmの大レイアウト千曲鉄道! 千曲鉄道建設譜
 1973年7月号 千曲鉄道に架かる橋
「鉄道模型」では、レイアウト全景ではなくスイッチバック駅周辺のみを上方から撮影した写真のみを掲載しているので、なんというかレイアウトのコンセプトがわかりにくかったように思う。これらを見て、古典蒸気機関車が牽引する古典列車が活躍する舞台としての千曲鉄道というものが理解できたように思う。山岳線が主であることもあって、「精密な建造物」はあまり入れず、だからこそ車両がのびのびと活躍できると、解釈した。
本当は書籍「千曲鉄道」を購入すべきだったのだが、買い逃したのである(残念)。
Playmodel2のきさらぎ鉄道。失礼ながら簡素で素朴な出来。でも、色彩の統一感など非常に好感が持てる。これもまた佳品。
で、ふだん「でかい」と私が不満に思っているアーノルトカプラーであるけれど、こうした落ち着いた風景の中では特段目立たない。その他ディテールも同じだろう。こうしたレイアウトで安定的に運転(入換含む)を行うには、アーノルトカプラーは良いかも知れない、と思った。

鉄道車輛401集 復刻版
鉄道模型視点で、かつ、古い本。私が「古い車両」として知っている鉄道車両が新車だった頃の情報であり、その点でも目新しい。

Dispatch
https://micromodelrailwaydispatch.com/
ネットで教えてもらった小型レイアウト雑誌。面白そう。ともあれ、「ディスパッチ」って、ディスパッチャーとかの「指示出し・指示を出す人」の印象があった。調べてみた意味もちょっとこの雑誌とどのように対応するのかちょっと分からない。

風琴と魚の町 シベリヤの三等列車 多摩川 林芙美子
青空文庫。あまり長いのは読みにくいが、古い有名作家の短編を居ながらにして読めるのはありがたい。
貧しさが悲しいもの。また、現代の視点からは「人権がないとはこういうことか」と驚かされるもの。
人権大事。
小説としては多摩川が面白い。シベリヤは随筆。風琴は自伝的作品であり小説とも言いにくいもの。

世界は五反田から始まった 星野博美
とてもおもしろい部分があるけれど、ちょいちょいツマラン。
「ゲンロン」誌連載だから仕方がないが「ゲンロンカフェ」への言及がウルサイ。また、共産主義・組合活動への忌避感を持つのも、経緯を含めて理解できるが、話の筋の中に何度も書かれると嫌気がさしてくる。筆者はもっと透明で、過去の事実に注力して欲しい。
(私が名作と思う「みんな彗星を見ていた」でも、一箇所「金縛り」か何かの話題があり、私の求める透明感を損なっていた)。
文章的には前半はグダグダで読むのが辛い。小林多喜二・宮本百合子パートまでがグダグダ。満州開拓団、空襲から文章がしっかりして読めるようになる。不思議。
父上が疎開先から戦後すぐ東京に戻らなかったのは、「都会地転入抑制緊急措置令」(昭和21年3月9日勅令第126号)の直接・間接の影響もあるかも。
我が家でも同年代の伯父を始め、高校までは疎開先で出ておいて、大学・就職で東京回帰というパターンがある。
自分は五反田文化センターに行くことがあり、またこの近くに住む友人に連れられて周辺をうろうろしたことがあるので、そこで触れた部分とそうでない部分の落差があるのが、読者としてあかんのだね。
そう言えば、子供の頃から見慣れている「写真でみる 鉄道車両100年」に、戦前の目黒川を渡る山手線(木製の電車)と山手貨物線(当然蒸気機関車牽引)の写真があった。たしかに「木密かつ工場地帯」と言えるような写真だったと記憶する。

スミルノ博士の日記 アウグスト・ドゥーセ
なかなか面白かった。が、本当にこの犯罪と隠匿が成立しうるか、ちょっと分からない。
そして、帯文はネタバレなのではないだろうか。なんとなうそんな気がしつつ読んでいた。
まあ、それでも楽しめるミステリではあるのだが。ホームズものは読むのに手頃な長さと、数量も良いよな…などと思うたり。

ドストエフスキー短編集 米川正夫
何か妙な「注」(日本語訳の説明)がついているのだが、どうやら米川の古い訳が現代読者に通じない・・・と判断して、日本語訳の説明をしている、らしい。
そんなんだったら新訳を出すべきでは、と思うのだが。森鴎外が訳した「ファウスト」とか「絵なき絵本」のような古典性があるのであればまた話は別だが。
まあ、私自身は米川訳の日本語を理解する程度には昔の人なので、この変な蛇足は無視すれば良いのであるけれど。

アリ・スミス「五月 その他の短編」、ドストエフスキー短編集(上・下)を買う。本屋さんで本を買うのは楽しい。
アリ・スミスは見つけて買ったもの。ドストエフスキーは以前ネットの発売予告を見ていたもの。ある程度短編は読んでいるが、このようなアンソロジーならではの面白さもあろうと思い購入。以前、「ボボーク」を読もうと思い、「ボボーク」が入っている「作家の日記」(という名の随筆・評論集と言ってよかろうか。たしか全6巻)を買ったのだが、「ボボーク」に行き着かなかった記憶がある。ドストエフスキーを一生懸命読んでいたのは三十歳から四十歳にかけてだったと思う。できれば短編集のボボークを読み、日記のボボークをも読みたいものだ。
「フーコーの振り子」の文庫が書店にあった。「薔薇の名前」すら読んでいないので、ちょっと気後れがするね。
後、西洋人が読んで面白いものと、日本人である私が読んで面白いと思うものが必ずしも重なるとは限らないし。

仕事の打ち上げっぽい感じで大金を使おうと思ったが、本を買うのと、お酒を飲むくらいしか宛もない。
下北沢B&Bで「食で巡るトルコ」と「わたしの白水社」を書い、なぜか神保町に行き、魯迅「阿Q正伝」(愛書館中川書房)、大谷敬二郎「捕虜」(永森書店)、「内山完造の世界」(内山書店)など買う。
特徴ある書店があって嬉しい。愛書館では、ちくま文庫のバルザックがあって欲しかったが、値段との兼ね合いで今回は諦め。どうして買える時に買って置かなかったのか後悔。値が下がらないのは人気あるから、と店の方の弁。そらそうだ。
永森書店は店先の300円均一光人社文庫。ほとんどが「戦闘」関係だが、唯一「戦闘以外の戦争」という私の興味に合うものだったので購入。
店内に入ると、戦前の絵葉書・地図等たくさんあって時代も空間も飛ばされたかのような感慨が。
内山書店には中国語漫画・台湾漫画を見に行ったが買いたいものがなく、それならと買ったもの。岡山文庫ということは、内山は岡山出身なのね。
それと、内山の店先にあった200円の中古CD。モンテベルディ「タンクレディとクロリンダ」。なにゆえ内山書店に?というものだが。

国書刊行会のレムシリーズ
最終巻「レムかく語りき スタニスワフ・ベレシとの対話」が出たとのこと。買いに行こう(買った)。

妙蓮寺でうろうろしていたら「本屋・生活綴方」を偶然に発見。古めかしい看板にてっきり閉店かと思いきや、現役の書店であった。
目についた「夜明けと音楽」(イ・ジェニ、橋本智保訳)を買った。非常によろしい。急いで読むべき本ではないので、少しずつ読んでいる。
最近、台湾・韓国文学を読んでいるが、そうしていて良かった、と思わするもの。 良い本を置いている良い本屋にめぐりあえて大変うれしい。妙蓮寺、次にいつ行くかは分からないけれど。

ジェイン・オースティン「高慢と偏見」を以前読んだ。大変良かった。中野康司訳・ちくま文庫では他のオースティンも相当ある。探して読もうではないか。
なんとなう、ゾラのちくま文庫のように高値がついている気がしないでもない。
それならそれで、ちくま文庫をもっと常時監視して、出たらすぐ買うを実践せねば(それならば、まずはつげ義春か?)。

●雑感 今月のテーマは「人間性の恢復」
本が読める人間、音楽を聴ける人間でありたい。
せめてもの願い。
仕事もそうだし、政治もまた。

Beethoven: "Andante" from String Quartet No. 15 in A minor, Op. 132 - Amsterdam Sinfonietta
https://www.youtube.com/watch?v=0epdCIGkZy4
カルテットから遠く隔たったところにあるように聴こえる。
企画も演奏も良いのだが。カルテット的ではない。
そしてこの人々にしても、カルテットでこの曲を弾く機会がそうそうあるようには思えない(勝手な想像)。
それだけ考えても、自分はいかばかり恵まれた人間であろう。望外の喜び、筆紙に尽くしがたい喜び。

Ilva Eigusのヴァイオリン
https://www.youtube.com/watch?v=POaPRTL7fuM
少しく地味で質実な音づくりが好感。今さら派手派手モーツァルトを聴きたいとは思わない私にはちょうど良い。
和声展開をきっちり見せるところも、ソリストというより「音楽家」。
指揮者(Kevin Griffiths)、オーケストラ(Empyrean Orchestra)も好演。派手がましさはないが、理知的論理的にすべきことを美しく表現している。
この人のブラームスも聞いてみたが、「ヴァイオリン・ソナタ」ではなく、正しく「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」であるな、と感じた(褒めことば)。

Marie Jacquot指揮 ブルックナー交響曲第6番
https://www.youtube.com/watch?v=6j_Z9sf7Pig
堅実で美しいブルックナー。この方の指揮振りは派手さがまったくないもの。歌劇場の職人指揮者の系譜とでも言おうか。
あるいは室内楽風ブルックナーとでも言うべきか。
ハイティンク、ロンドン交響楽団の第4番を見てみたが、第1楽章最後の音はコンサートマスターが字余りにしていないか?これで良いのか?

ブルックナー交響曲第8番
https://www.youtube.com/watch?v=jhlURSacwXo
ホルンの1番はHaeree Yooさん。ソウル出身の女性。良いソロだ!
15歳で学校の吹奏楽部で楽器を始めたとか。私も「小学校の器楽部出身」と言い訳しているのが恥ずかしいね!。
この人が吹くブラームスの交響曲第3番を聴いてみたい。
このオーケストラは、韓国人が多いが、日本人・中国人はいないようだ。同国人がいた方が色々便利でそういう関係なのかな?
オーボエ、クラリネットもアジア人顔だが、オーケストラの楽員紹介には記載がない。お試しなのかしら?

ロッテルダムのオーケストラ。皆で楽器を交代。それでもこれだけ弾けるのがすごい。
https://www.youtube.com/watch?v=K8mYM-4hQ2E

そもそも、私がドストエフスキーを読み始めたのは、ヤナーチェクへの興味からで、よってして「死者の家から」から読み始めたのだった。
ヤナーチェク「死者の家から」は、結局序曲以外聴いていないが、このネット時代、全曲聴くのも簡単ではないか!
今まで、(実現していないが)、指輪四夜とか「モーゼとアロン」を聴こうとしてきたが、まずもって「死者の家から」を聴くべきだ!と思った。
頑張ろう(結論はいつもこれ)。
アバドがザルツブルグ音楽祭を指揮した録音・録画がYoutubeにあった。アバドは有名曲だけでなく、意外と「隠れた名曲」をきちんと指揮している印象がある。ペルゴレージの「スターバト・マーテル」など。ペルゴレージは古楽の方が演奏しやすいように思うけれど、現代弦楽器と現代唱法で、良い演奏をしていた(1990年ごろCDを買って、以来繰り返し聴いている)。

バラキレフ
https://www.youtube.com/watch?v=cxlf-ZmE8JI
名のみ知れる方だが、繊細なピアノ曲が「ロシア・ピアニズム」というにふさわしい。繊細な前奏に比べて主題がふつうに始まるとふつうの曲だ。と思ったら、グリンカの主題をバラキレフがピアノ独奏化したのね。なかなか良い小品だ。

BIG BIKE ORCHESTRA
https://www.youtube.com/watch?v=eUK9fQK7xHk
コントラバス、自転車いけるんだな。
一生懸命自転車に乗って、それが「個性」であり「売り」ではあろうけれど、私への訴求効果にはなっていない。まあ、音楽は楽しそうで良いんだけど。

ヴァイオリン属の弦(金属弦)の概史
https://rearpond.mystrikingly.com/blog/9ea417fb084
ここに書かれているくらいのことは知っていてもいいかな、というもの。

「千代田区と日本大学(仮称)千代田区立神田駿河台ホール(日本大学カザルスホールちよだ)整備等に向けた基本方針を共同で策定(令和8年6月19日配信)」
https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/kuse/koho/pressrelease/r8/r806/20260619.html さて、カザルスホールについて、期待はしていないものの、進展あり。まあ、浮世の目で見れば進展ありだが、「カザルス」という名に意味を置くと「特段何も」と感じるところ。

映画「回転木馬」の「六月は一斉に花開く」は、その昔、NHKの5分間音楽番組「名曲アルバム」で聴いて気に入っていた曲だ。
だが、映画サウンドトラックを始めとして、どの演奏を聴いても今ひとつ気に入らない。
なんとなう、田舎臭くもっさりしているように聞こる。もっと颯爽と晴れやかに演奏してもらいたいものだが。映画に合わせるともっさりなのだろう。

バッハのマタイ受難曲から、歌・チェロ・チェンバロで取り出している演奏動画を見た。
チェロの人が「通奏低音」的でなく気持ち悪い。まあ平たく言えば「音程が悪い」。要所要所でチェンバロと音程が違うので大変気持ちが悪い。
他にも若干見逃し難い傷があり、これを音楽大学の名で公開していていいのかな?と思った。

ヌレーエフ(ソ連のバレエダンサー)の名字は、アラビア語起源。
バージルは「Vergilius ヴェルギリウス」から来ていると。

アメリカのアニメーション学校の卒業制作展のオープニング(らしい)
https://www.youtube.com/watch?v=HsmuwHqcC6I
多くのクリエーターの苦しみを簡潔に辿ったもの。宮崎駿や草間彌生がダヴィンチやミケランジェロに並ぶというのもアニメーター視点なのかも知れぬ。ともあれ、各人が各人らしい場に置かれているのが楽しい。

『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』
ううん。まあこんなものか。日本と絡める必要もさほど感じられない。第二次大戦直後である必然性もあまりない。
ホームズの贋作にはもっと良いものがいっぱいある。

MONSIGNOR QUIXOTE (1985)
https://www.youtube.com/watch?v=uO4XWTYrFQU
現代(と言っても40年ほども前だが)のドン・キホーテとサンチョ。(まだぜんぶ見ていない)。なかなか良さそう。
「トルケマダの下で苦しんだ者の数は、スターリンの下で苦しんだ者の数より少なかった」。なかなか。使う機会はなさそうだが。

独海軍のUボートや英国海軍のVictoryの説明をYoutubeで見る。
https://www.youtube.com/watch?v=FctRpaleRFc
https://www.youtube.com/watch?v=4Nr1AgIfajI
年寄りはYoutube解説など見ると、アカン思想に洗脳される・・・と聞くが、技術解説でもあるし、これらの解説がまあまあ間違っているとしても、私が誰かに解説することもなさそうだし、まあよかろうなのだ。
英和自動翻訳で字幕を出してみているが、英語は銃と砲の区別なく Gun なので、ヴィクトリーに搭載されているのも、皆「銃」と訳されて少し悲しい。
Uボートは金属製かつ電気を利用しているので、方位磁石は使えず、ジャイロを使っているが、ヴィクトリーは(時代としてジャイロが実用化されていなくもあり)木造船なので、方位磁石を使っている。これらを続けてみた発見がこんなだというのも情けないな。。。
ランチ、カッター、ピナクルボート、バージの違いも、ホーンブロワーを読んでいる時適当理解だったから、私には新発見だ。

蒸気機関車も面白いが、単位系がポンド/ヤードなのが悲しい。
https://www.youtube.com/watch?v=Hszu80NJ438

68の車輪
https://www.youtube.com/watch?v=H7A9nC03Ypo 変電所用変圧器の輸送。昭和30年前後か?風景としては「となりのトトロ」に似ているかも。関東平野の農村地帯だからね。
しかし、ろくな道路もない場所に変電所を作る(作らざるを得なかった)のか、と「貧しい日本」を思う。今またそこに帰りつつあるようにも思う。

ねこのしっぽ研究所
https://plankton.image.coocan.jp/index.html どうやら在野の研究者らしい。すごい!(中身についてぜんぜん理解できていないけれど)。

Why Aliens Would NEVER Invade Africa
https://www.youtube.com/watch?v=5oOjMKt1P6k
エイリアンはなぜアフリカを侵略しないか。非常に機知に富んだ面白いお話。この手の話題は飲み会のバカ話でちょいちょい出るけれど、これはまた面白かった。アフリカを舞台にエイリアンが登場する「第9地区」についてもきちんと扱っており、論理的かつ面白かった。エイリアン映画を息子と一緒に見てあげるお母さん、やさしい。
南アフリカ出身のトレヴァー・ノアTrevor Noah氏のスタンドアップコメディ。

ヒジャブ和服にケチをつける人間がいるらしい。狭量な。
それを言ったら、褌必須(女性はまた別)とか、現在の足長男は禁止wとか変な理屈はいくつでも出てくる。
私がごとき日本人古来の体型(胴長短足)以外は和服を着ちゃいかん、貴様の足は長すぎるからケシカラン!なんておかしいでしょ?

エコーモデルの「よろず日誌」を読む。
映画「三丁目の夕日」との関わりが書かれている。なんか関係あるんだなと思っていたが、同好の士の繋がりであったこととてちょっと嬉しい。
しかし、第二次城新鉄道は断念されたのだろうか。勝手ながら感慨がある。
また、「ステーション型ハンダごて」。昔の炭火焼きハンダごての再来みたいでこれも少しうれしい。
自分は炭火焼きを実見したことすらないが、小学生だった頃、友人から借りた電気工作の本は、彼の父上の書だったらしく、炭火で真っ赤に焼くようなことが書いてあったと記憶する。複数のコテを用意して、交互に焼きながら使う、といった説明であった。もちろん現代のステーションはハンダごて1本で即熱してくれるのが素敵。

髙木宏之氏の「日本の蒸気機関車データ集」。https://web.archive.org/では見られるが、本家はなくなったのか。。。
多くの貴重な情報がサーバー閉鎖のためになくなっていく。 私はこのデータ集を見て論評できるだけの知識はまったくないのだが、日本の蒸気機関車開発が手放しで褒められるようなものではなかった(後世から見て種々反省すべき点があった)のは事実だろうと思うし、こうした誠実な態度というものに敬意を覚えるので、これらの記事を読むのが好きだった。
私ごとき者の表面的理解であっても、8620型の改良であるはずのC50が目立った活躍ができず入れ替え用がほとんどで(それはそれで有用なのだが)、8620よりも先に廃止されてしまったのを見ると、「当初目指していた『改良』は失敗したのでは?」などと思うのである。

ある鉄道模型中古店で、KATOのクハニ67を3両ほどみかける。クモハ61だけ使ってクハ二を放出したのだろうか?
まあそれ以外考えようもないか。クモハ61は茶色くしたのか、オレンジ色にしたのか。他の色があるのか、私は知らない。
(Tomixの半流クモハ40とならべる平妻クモハ40にはなりうるか。それでも茶色かオレンジだろうが。)
名鉄キハ8000には惹かれるが、かといって動力を入れる加工をするのもな。の気分。動力入のセットを(中古であっても)買うのが良さそう。

また別な中古店でマイクロエースのナハネフ10を買ってみる。茶色に塗り替えようと思って、非冷房を探していた。安価だった。
台車の転がりが悪いことは格別。ブレーキ付きの趣。台車は交換した方が良いかも。
また、床下のおそらく冷房用エンジンと燃料槽だっと思われる部分がもぎ取られマジックで塗られている。
安価だったしこれで良いのだが、「もぎ取る」ではない丁寧な工作だったらなと思わするもの。 九州観光号っぽい客車も見かけたが購入は見送り。
蒸気機関車(C56小海線)など、余り高価ではなかったので、買うのは良いかも。「そのうちシールドビームでないC56も売られるだろう」と思って買わなかったの愚。

塗料ファレホ。「主要成分の60%が水と同じ成分」って、「水」では?
水に水以外の成分ってあるか?(厳密に考えるとある場合があるが、普通無視している)。
まあ、売り物の60%が水であるは書きにくいのだろうが、塗装性能を維持するのに必要な水なのだから。。。と思う私。

Wikipediaでイブリン・ウォーの映像化作品「おとぼけハレハレ学園」を見つける。
なんという滅茶苦茶題名。1970年代を思い出す(制作は1968年なので、おおむね相当)。

「Cape Horners」
希望峰を越えた船乗りの尊称のようだ。もちろん帆船時代の。

「着弾」
「新商品がとても欲しくなった」→「心に刺さる=着弾」なるネットスラングは楽しくて良いが、ウクライナ在住の方の記事だった。
ロシアの爆弾(かミサイルかドローン)がご自宅に着弾したとのこと。些少の寄付を行う。ロシアが憎くなるよね。

無印良品では「財布」と「ウォレット」を区別している!
どっちがどっちだ!

レゴ「交差付きレールセット」と言っているが、それは「分岐」だ。「交差」ではない。

映画「グレイハウンド」は、C.S.フォレスター「駆逐艦キーリング」が原作。
アメリカからソ連への支援物資輸送船団の護衛なわけだが、同じ様な話は、「英国軍艦ユリシーズ」や「非情の海」もある。
なぜ、トム・ハンクスがキーリングを選んだのか少し考えたが、「少なくとも主人公視点で相当程度ハッピーエンドだから」か「米人が主人公だから」かだと言っても良いかも。もちろん、主演をトム・ハンクスがすることを考えると、ユリシーズも非情も映画として作りにくそうではあるけれどね。
援ソ輸送船団の小説が(私が知るだけでも)3つあるのか、と思いつつ、我が国の護送ものとしては「機雷」(光岡明)しか知らない。もちょっと探してみるとしても、さてそもそもあるのかどうか。

Youtubeめ「WDRファンクハウスオーケストラ」はやめてくれ。「WDR放送管弦楽団」
なんだか全く違うジャンルの音楽を想像させる。
「e string」を「電子ストリング」と訳すのもあかん。定訳は「E線」だね。
「四国お遍路バイブル」なる書名を見る。仏教関係の本に「バイブル」はあかんだろ。

Terrible Adult Chamber Orchestra - Silicon Valley
私と志を近うする者のように見える。略称TACOが良い!

合気道の動画を見てしまう。
体重56kgで100kg超のプロレスラーと落ち着いて相対できるだけでも恐ろしい実力があると見える。
基本的には関節を決めて、相手を振り回す。相手がボケカス(例えば私)だと、投げられる以前に骨が折れる。相手が鋭敏であるほど、自分から「飛ぶ」。弟子衆は技をかけられ慣れており、痛みを感じる以前に「飛ぶ」条件反射が出来上がっているようにも見える。
だからといって、これらがヤラセだということではなく、「大変危険な技」であると思う。
以前、駅で暴漢を取り押さえていたのは擒拿(チンナ)術だったかも、と思う。絵に描いたような完全制圧で、「暴漢ではないのでは?」と思って見ていると、「ちょっと緩めます?」と言って緩めると暴れだし「ダメですね」ときつめると収まるのを見て「やはり暴漢だったのだ」と思った。制圧者は大人しそうな二人だったが、それぞれ優れた技ものだったのだろう。

以前、映画「13日の金曜日」をテレビで見た。
恐怖映画ではあるのだが、見ているうちに、恐怖よりも苛立ちが募ってくる。
逃げ惑う女性がウルサイ。米国映画にありがちな「ヒステリー女」そのもの(苛立つ)。
で、だんだんジェイソンに感情移入する。が、この男は本当にツメが甘く、動作もノロいので、イライラする(苛立つ)。
私のようなセッカチ男はついジェイソンを叱咤してしまう。
「右だ!左だ!」「行け!今だ!」(ボクシング観戦か?)
でも、女を逃し続けるので、叱咤が罵声に変わる。
「何やっているんだ!」「おらおら、走れ!走れ!」
というわけで見ているとイライラし、かつ、疲れるので、もう二度とは見ないだろうなあ、と思ったのでした。
まあ、人気があるようなので、好きな人は好きなのでしょう。

ローワン・アトキンソンの真面目なインタビュー(でも、Mr.ビーンのそれで始まる)。
https://www.youtube.com/watch?v=liOaxogiLIA

Gangubai Kathiawadi | Netflix India
インドの女性実業家のお話の予告編を見る(予告編マニア)。と書くと情報が落ちている気がするが。たいへん面白そう。
日本ものの広告を見る範囲ではNetflix見ても仕方ない・・と思うが、こうした他国のものが見られるなら・・・と思ったり。

デジタルアンプがふたたび鳴らなくなる。
12v電源を交換したアンプが鳴らない。電源投入直後は鳴る。電源スイッチのつまみをグラグラすると鳴ることがあったが、一瞬鳴って止まる。そのうち、グラグラでもグリグリでも鳴らなくなる。
よってしてスイッチそのものを疑う。パチン・パチンと切り替わる昔ながらの電源スイッチ。
テスタで調べるとたしかに一瞬(目で見てわかる程度だから0.1秒オーダー)導通するが、その後、不導通・完全絶縁と言っていいもの。
で、スイッチをバラす。金属板の爪で絶縁性樹脂を抱き込む構造。爪をドライバーで起こせば良い。
構造的には、シーソーと待受棒。どちらも接触する点が凸になっていたのが摩耗(アーク?)で減った痕跡がある。
シーソーを凸の減った分(と思われる程度)「への字」に曲げる。とりあえず導通するようになったので良し。
接点が磨かれたからかアンプの音がきれいになったような気がするが、デジタルアンプでそんな現象はないだろう。
また、今回は直ったような気がしているが、全体として経年劣化しているのは確かだから交換部品を買っておこう。
秋月電子に遊びに行く口実ができて良かった、というものだ。

飯田橋に行く機会があり、ヒサールで食事をしてみる。
どうやら、ケバブ系以外のトルコ料理は以前出していたが止めてしまったようだ。
チキンバターカレーを食べてみて、悪くはなかったけれど、私が求めるトルコ料理ではない。残念無念。
インドのカレーとも違う、ちょっと風変わりな甘めのカレー。ご飯の左にケバブ、右にカレー。あまり仲良しという感じでもない。野菜のような「逃げ場」が無いのも辛い。
大久保ヒサールの背の高いご長男の姿がなかったから推して知るべしなのだろう。

落合バルシュも悪くない。ちょっと胡椒辛いか。また、メニューは狭め。
あれこれあって、西新宿チャンカヤで落ち着きそう。ヒサールと完全一致ではないが、メニューも感じもよく似たところがある。少しずついろいろなメニューを試してみよう。東新宿パムッカレはなんか縁がなさそう。またいつか行ってみよう。
(チャンカヤ。スープとメインがとても塩辛い日があった。心配)。

国内で梅毒感染者が増加中とのこと。
歴史上の病気だと思っていたのだが。
シューベルト、シューマン、スメタナあたりの天才性と錯乱と狂気はたしかこれ。
そしてまた、アードリアン・レーベルキューン(ドクトル・ファウスト)も。

Wikipedia でドミニコ会について読む。
末尾、関連項目において、「異端審問」は仙台市の聖ドミニコ学院に包含されているように見える。
箇条書きのレベル設定ミス(おそらく「閉じ」ミス)だが、どうしたものか。
私はこれらについて至って浅薄な知識しかないので、編集するのも憚られる。

ドミニク・アングルの絵画「ド・ブロイ公爵夫人の肖像」。
物理学者ド・ブロイのご先祖なのね。
触ると機械が壊れるから理論物理学者になったとかいうのはパウリか。。。
ド・ブロイから菊池正士を通じて箕作阮甫までつながるのはなかなかおもしろい。

サッカーのワールドカップ。ネットでハイライトだけ少し見る。Zlatan Ibrahimovicはすごいね。
2018年のドイツ韓国戦もすごかった。この話はちっとも知らなかった(きちんと報道しているのかしら?)。
あの強豪ドイツと2−0でやり合う韓国!。
2019年女子の英米戦も良い!もう昔の試合だけ見ていれば私は満足だ。
もともと、どこが勝ち上がるとかそういうの興味なく、「眼の前の戦い」が面白ければ良い派だしな。
(そういう極近視眼的サッカーファンなので、戦争についてものを読むときは逆に「戦闘以外」に着目して見ようとおもったのかも)。
スコットランドのサッカー応援団は「タータンアーミー」。キルトを履いてバグパイプを吹いたり踊ったり。
レポートしている女性は「ミトロプーロス」。昔そんな指揮者がいたね。ギリシア系。
そういえば、以前、新宿駅で緑地のタータンのキルトを履いた男が歩いていて格好良かった。「正装」って感じだった。
ドイツはパラグアイにPK戦で負けちゃった。すごい!

北の鉄路をひらく【JRTT鉄道・運輸機構】
https://www.youtube.com/watch?v=nUYZI5WJbG4
こういうドキュメンタリは勉強にもなり楽しい。が、この頃一生懸命開拓していた地域でも、もう当然のように廃線が出ている。
先見の明がなかったと思うのか、それとも人口の拡張・収縮や交通手段の変化に合わせた当然の行いと見るのか。

京王電鉄バスの自動車車掌作業基準(1965年)
https://www.youtube.com/watch?v=zxpaS0okPtQ
亡き母の最も辛かった時期は、大学進学を断念しバスガイドとして勤務していた頃という。
この動画は路線バスの車掌向け教育動画であって、母が乗っていた観光・修学旅行ではないけれど。そしてまた、母はその後の職業で、広告代理店・映像制作の会社の事務方を選び、そこで「企業研修用映画撮影」にも少し関係していたとか。テレビドラマの年長の脇役女優を見て、「生命保険の研修用映画に一緒に出たことがある」と。女優さんはセリフがあって顔が映し出される役、母は、背中だけ映るとか、手だけ映るとか、そんなだったらしい。
で、作業基準。踏切ひとつ渡るのにも下車確認・誘導が必要だったのか。たいへんだ。
そしてまた現金のやりとり。車掌本人には個人の現金、拾得金を持たせないのも、なんというか厳しい世界ではある(そのあたりの厳しさを描いた書籍があったと記憶する)。また、動画中言及がないようだが、トイレ・食事の休憩などはどうしていたのか。

パキスタンの歯車工場
https://www.youtube.com/watch?v=HVSOBqIxKpY
歯車ってこう作るのか。まあ他に考えにくいが、鋳物はともかく金属の切削加工って実見する機会に乏しいので、こうして動画で見られて嬉しい。
この規模の歯車は何に使うのだろう。発電所?巨大な土木機械?
続いて、鉄道用車輪を材料に鉄の「筒」を作っているのを見たが、こちらはどうやら小麦製粉用のローラーみたいだ。
このあたりの動画は、見ている分にはたいへん楽しいのだが、金属を溶融する際の排ガスや、メッキ処理等での排水処理のいい加減さは正直言って目に余る。大きな健康被害が出ないうちに改善されると良いのだが。

ルシタニア号の沈没なのに、日本語解説にタイタニックが。ううん。
https://www.youtube.com/watch?v=fffbTHRoLZU

Materclass de viola con Tabea Zimmermann マタークラスってなんだろうと思ったが、マスタークラスの綴間違いみたい。

庭の紫陽花がきれいに咲いた。濃い青紫と、少し淡いピンク。なかなかよろしい。
道行く人々も眺めたり写真を撮ったりされている。
殊に、母と幼い子が花を眺めて語らっているのは微笑ましい。
そしてまた、我が家に「蔓延」していた琉球朝顔の苗を、請われた方がおり、お分けした。
適度に根付き、適度に生長すると良いな、と思う。あんまり爆発的に伸びて「おばけ朝顔」などと言われるのも悲しかろう。
その他、山芋による「グリーンカーテン」もまあまあうまく行っている。そもそも山芋の葉はさほど密ではないので、その効果は限定的であろうけれど。
その隣には、桑とカラスウリと謎の蔓草1(5葉で地味な花が咲く)、謎の蔓草2(羊歯に見える蔓草)による「グリーンウォール」がある。なかなかだ。蔓草1はアケビらしいが、なぜそんなものが生えているかが謎。アケビを食べた後、種を植えたりしただろうか。なお、実までならないので、アケビである確信がない。蔓草2はカニクサ(蟹草)らしい。もっと調べてみよう。

最近、個人ブログ記事を読んでいると「更新をお知らせしますよ」のうるさいポップアップが出る。
それだけならまだ許容範囲だが、書き手が亡くなったことを知っていると、虚無感に襲われる。
死者の書いた貴重な資産を使ってなお商売しようという商業主義の行き着く先を思い暗澹たる気持ちになる。

SNS。どこも見ていると、排外主義記事が挟まれる。X、FACEBOOK、Instagram。まともに思えるのはBlueSkyか。
イヤになる。こういう記事が「お金」になるのね、きっと。お金の出所がどこかは別にしても。

人間性の恢復と関係あるのか無いのか。仕事が一段落したので、一人飲み会。
お酒をたくさん飲みたいが、空腹なのもアカン。
そういう時、ちょうど良く小腹を満たすのはなかなか難しい。
まずは、某駅前「凧」へ。安くて軽い和食おつまみでお酒が飲める。
メヒカリ唐揚げ、豚と茄子の大葉味噌炒め、お刺身盛り合わせ。ほんとはお刺し身が最初に出るのが良かったかも知れないが、ビールと唐揚げ・炒めを楽しんだ後、日本酒(朝日山)とお刺し身が同時になったのは幸福。
料理はどれも美味しいが、「美味しすぎない」。お酒を楽しむための絶妙な軽さがありがたい。
その後、バーへ。 ラフロイグ(トワイスアップ)、グレンフィディック(ウィスキーソーダ)、タリスカー(トワイスアップ)、最後はアグリコールラム「ラ ファボリット ブラン オーセンティック」。これまで飲んだことがないラムだったが、草の香りが良かった。マルティニーク島産ということで、トロワ・リヴィエールとちょっと似ていて嬉しい。
さて、お酒を好きなだけ飲んで、人間性は恢復したのだろうか。

その後、大風邪を引いて、粛々として人間の弱さを再確認した。これからも堅実に生きていこう。

庭に火鉢を出してある。水を張って睡蓮を活け、メダカを入れている。
ここに時々トカゲが浮いている。
なぜだろうと思っていたが、火鉢の縁にトカゲが佇んでいるのを見た。おそらくは、水面を好んで蚊がやってくるのを狙って火鉢の縁におり、蚊に釣られて水面に落ちるらしい。
で、壁は垂直で滑らかだからいつまでも水面にいる。死にはしないが、水の冷たさもあり衰弱しているところを私に(二度ばかり)見つかるということらしい。

たまたま学童疎開の事例を見る。渋谷区富谷から、静岡県相良に疎開。米軍の御前崎上陸をおそれて、青森県に。
戦争なんてやってはいけない。そうに決まっている。
https://www.daitakuji.jp/%E5%AF%8C%E8%B0%B7%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E9%9B%86%E5%9B%A3%E7%96%8E%E9%96%8B/

GoogleMap 樺太の南の方のストリートビューを見ていたら、偶然、写生をしているらしい子どもたちを見つける。
が、手が滑って二度と探し出せない。一期一会。

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今週の戯れ歌

透き通ほる 冬の夜空に 我が熱が 赤外線として 宇宙に飛びゆく

街角に花束持てる人のありよくよく見れば葱束なるべし

一年の収入額を数へては「いつ」辞めるかを暫し思へる

仕事辞めてまた働くの不安あり野垂れ死にする覚悟はなしや

社保年金自分で払ふの手間を思へば会社にあるは有難かりける

大金を使ふ宛こそ無きならば無為徒食をも思ひ描ける

嘘つきの首相を見ては呆れ果て真面目に生きるのバカらしくなる

奇を衒ひしことありしかど気付けば我は平々たり凡々たり

省みて大なる悪を為さざるは我貧しくも誇りなりける

酔ひて乗る夜の列車の慕わしき我が行く果ての定かならざる

いつか我目的地をも定めずに気ままなる旅せむと心得

人権のあるものの如く生きし我この世にあるの少し難かる

少しずつ人権売りて飯食へど憲法だけは変えさせじと決め

ひと仕事終えて愚痴れる方もなく強き酒飲み憂さを晴らせる

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読書の記録(2026年5月)

さばのゆの須田さん 岡部敬史
私も須田さんに触れられたひとりとして、読んでよかった。買ってよかった。良い本を編んでいただいてよかった(感謝)。
そしてまた、須田さんありがとう。あらためてさようなら。
ネットで見て須田さんもスコットランドの癖が強いウィスキーLaphroaigが好きだったことを知る。私も好きだ。ちょっとした偶然。

劇場 ブルガーコフ 水野忠夫
ブルガーコフの絶筆とのこと。「巨匠とマルガリータ」「犬の心臓」などの幻想性を期待すると少々外すかも。
そういう奇態というよりは、ドストエフスキーのような日常に近い異常な群像劇。ドストエフスキーが流刑地で群像劇に目覚めたように、ブルガーコフは劇場で群像劇に目覚めたのだろうか。
「ブルガーコフの自伝的作品」等の付加情報がないと読みにくくはある。それもあって未完の大作の趣がないでもない。

たくさんのふしぎ 森に咲く銀色の花 ギンリョウソウ 末次健司 安斉俊
光合成をしない、見るからに不思議な植物ギンリョウソウ(銀龍草)の概説絵本。
貴重な写真も満載だが、丁寧なイラストがまたいい!不思議なギンリョウソウの有様がよく理解できる。
「種」とはなにか、「分類」とはなにかについての説明も簡潔にして要を得たものと感じる。
私はギンリョウソウのことを「ギョリンソウ魚鱗草」だと勘違いしていた。
フラヌール書店で購入。良い書店には良い本がある。

送別の餃子: 中国・都市と農村肖像画 井口淳子
最近見かけるのは、若い学者が「自分はこんなヤバいことしています」自慢のような本。まあ若者はなべて危なっかしいし、出版するにはそういう方が売れるのだろう。
この本にも若干そんな危惧を持ちつつ読み進める。現実のこととてひとつひとつはさっぱり記述されているが、その積み重なりが大きい。中国という国の大きさ・多様さ、そこに住む人々のおおらかさ・暖かさ。そんなことを思いながら読み進めた。自由な都市と旧弊な農村。中国において制度的にそうなっていたとして、そもそも制度以前にどんな風だったのだろう。そしてまた、日本に於いても同様に地方から都会に脱出する若い女性が跡を絶たないのはどういうことか。「都市は自由にする」は中世ドイツのスローガンだったように思うが、それは歴史上普遍的なことだったのか、などなど。
「秧歌」なる単語が出てきた。以前、中国出張時に見た連続ドラマ「大秧歌」を思い出し、ちょっと驚く。中国の農村を舞台にしていれば、当然出てくるものではあろうけれど。

世界は五反田から始まった 星野博美
同じ著者の『みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記』が面白かったのと、折角五反田で見つけたので。
(ところで「ゲンロン」てカタカナで書くのが格好いいのだろうか。なにか如何わしいニセモノ感があるように思うのだが。私がネットで見かけるのが、ゲンロン及び主催者の悪口が主であるからだろうか。「ゲンロン」とカナで書くと「ゲロ」みたいだが)。

ゲは言語学のゲ 吉岡乾
これも若い学者が無理に面白そうに書いているようにも見える。もとが雑誌の連載とて仕方がないが、話題が飛び、読んでいて集中しにくい。
私の最近の随筆(非創作)はなかなか当たらない。まあ仕方がないだろう。

温又柔「台湾生まれ日本育ち」と「私のものではない国で」をちゃんぽんに読み、なんか既読感があるな、と思ったりする。
作者が悪いのではなく、訳のわからない読書方法をとっている私が全面的に悪い。
ともあれ、私は国内転居(等)で言葉の違いに苦しめられたけれど、まして外国語たるや、と暗澹たる気持ちになる。
優しくない人間がどこにでもいるのだろうか。優しい人間も様々な場所にいるけれど。

古い鉄道模型趣味誌
33号。湘南型二等食堂附随車。台車やブレーキにも言及していて驚くが、筆者は国鉄大井工場勤務とのこと。さもありなむ。
この頃、鉄道ピクトリアル誌が始まったかどうかという時期で、TMSには実物ファンも多かったのだろう。
この記事も、模型としてのフリーというよりも、実物としてのコンセプトカーのような感じである。
1000号(古くない)。片野正巳、小林信夫など読み慣れて懐かしい人々の記事が読めるのが嬉しい。そしてそれぞれが沼尻であり単端であるのも。
小林氏はこの時点で亡くなっていたのではないか、と思うと、文末にさらりと「託された原稿」とある。さもありなむ

連休中、不動前のフラヌール書店に行けた。今回はきちんと開店時。
日本国憲法(岩波文庫)、たくさんのふしぎ(森に咲く銀色の花 ギンリョウソウ)、世界は五反田から始まった(星野博美)。
「モスクワの伯爵」等他にも面白そうな本があったけれど、時宜にかない、かつまた、五反田ならではの書を選んだ。
此処には良い本がたくさんある。こういう良い書店を見つけると、「ここに布団を敷きたい」(寝転がって書棚に手を伸ばしたい)と思うのである。
四月末書店アンダンテで買った「送別の餃子: 中国・都市と農村肖像画」(井口淳子)も棚にあって、ついにっこりしてしまう。
古書店で自分の持っているのと同じ本があると、「自分の本を家人が勝手に売ったのではないか」あるいは「こんな良い本を手元に置かずに古書店に売ったのだ」といちいち疑ったり怒ったりするのだが、新刊書店ではそういう悩みがないのが良い。「うむ。良き本を売っておる。たいへんよろしい」的寛厚で接せられる。
もちろん新刊書店でも「こんな愚かな書を売るのか!」と怒りを感じることはしばしばあるけれど。

米川正夫訳『ドストエフスキー全短篇』全2巻が中公文庫から!忘れずに買わねば!
その流れで「スミルノ博士の日記」も発見。これも良さそう。
プーチンの蛮行を見ているとロシアは好きになれない(憎むべきである)、が。

●雑感

映画「耳をすませば」
封切り時に映画館で三度見た。札幌で二度、名古屋で一度だったと記憶する。
もしかすると、名古屋は納屋橋あたりではなかったか。そしてまた、映画の後に「びっくりドンキー」でハンバーグを食べたのではなかったか? 近藤喜文監督が唯一無二の才能で、宮崎駿・高畑勲両氏に愛されたというのもよくわかる気がする。
丁寧で無理のない話・絵づくり。現実と幻想の不可分性がまことに麗しい。
この作品を見返すに、つくづく惜しい人を亡くした、と感じる。

現在の持ち曲
 Beethoven Op.132 (7/11)
 Mozart K.421 (7/11)
 Tchaikovski Symphony No.6 (7/4) お遊び
 Mozart Symphony No.41 (7/4) お遊び
 Dvorak Sextet (10/17) 昨年のQuintetから進歩がない気もするが。これはこれで楽しいから良い。
  2ndVcなので、全体を見渡したバスの役割ができると良いな、と思っている。
 Beethoven Symphony No.9 (11/1) ほんとかな?

レオンコロ弦楽四重奏団
良かった。七楽章休みなく続く長いベートーヴェンの四重奏曲第14番が体感三分だった。
軽やかに歌い和するベートーヴェン。二十世紀の苦闘し続けるベートーヴェンとは異なる。
(私にとってはどちらのベートーヴェンも大切)。
アンコールのパーセルに彼らの弦楽四重奏に対する考え方が詰まっていたように思う。
四声の独立を示すフーガで始まり、四声の調和を示す(ノンビブラートの)コラールで〆る。
自分としてはセカンドヴァイオリンの仕事振りに惚れる。彼女が馬力をかけるとき、大きく音楽が展開する。そうした役割を確実に果たしていく。良いセカンド弾き。
(ひとりならばヴァイオリンをそれなりに弾けても、セカンドの役割を果たせない奏者も一杯いるかも)。

レオンコロの表情豊かな弓使いを見ていると、我々がごとき20世紀の弓使いと大きく違うのではないか、と思ってしまう。
より正確には、20世紀日本の貧しい教育システム(そもそも私は音楽に関してはそうした教育システムの外側にいたのであるけれど)の貧しい弓使いとの違いと言うべきかもしれない。
私が考える20世紀の代表例は斎藤秀雄が指揮する桐朋音楽大学の合奏団によるヴィヴァルディ(動画)。
そしてまた、レオンコロの音作りの標準は、ソフトトーンであって、互いの音を邪魔しない、戦わない。

今回はトッパンホールだったが、レオンコロは第一生命ホールで弾いているのね。トッパンも第一生命もおおむね25周年。カザルスホールが独自公演を止めた頃に始まったのかな。そうなると、仮にカザルスホールが再開するとしても(以前整理したように)カザルスホールの立ち位置を作るのは非常に難しいだろうね。どうするのかな?千代田区・日本大学。林真理子学長は一期でお辞めになるそうだが、「カザルス」の名を返すという本来的にすべきことをする気があるのかないのか。困ったものだね。

トッパンホールで隣席になった方、メシアンもお聴きになったとのこと。すごい偶然。

Marilyne Naaman - Hallelujah
https://www.youtube.com/watch?v=tiBF9n_ZuqQ
マリリン・ナーマンは、レバノンの女優・歌手とのこと。歌っている歌が、なんというかふつうで驚く。

ブラームスのクラリネット五重奏にピアノ編曲版がある!
https://www.youtube.com/watch?v=tbAsSXeOWhw
結構それらしい。チェロ曲で有名なクレンゲルの兄弟が編曲したとのこと。

アカデミア実店舗閉店。
昔「楽しい弦楽四重奏曲」の札が刺さった棚の楽譜を順次見ていったら、鉄条網の描かれた表紙が出てきた。
テレジエンシュタット収容所でウルマンらが書いた曲集だった。
「楽しい」からの「強制収容所」に震撼した記憶がある。
また、ヤナーチェクJanacekの譜面を「Y」で探している若者たちに出会ったことも。

Naughty Bits「難所集」
https://www.sjmusicpublications.co.uk/product/excerpts-beethoven-cello
https://www.sjmusicpublications.co.uk/product/excerpts-haydn-cello
https://www.sjmusicpublications.co.uk/product/excerpts-quintets-sextets-cello
室内楽におけるチェロの「難所」を集め、指使い等整理したものらしい。
こんなものあるのね。ベートーヴェンの四重奏、ハイドンの四重奏、五重奏・六重奏
ちょうど私が弾いている曲が表紙になっているが、指使いが全く違う。これで弾く気になるかと言われると困るが、これはこれで参考になるのはそのとおり。困ったものだ。

同じ出版社から出ている「Chamber Music Repertoire for Amateur Players: A Guide to choosing works matching Players' Abilities. Harold Haynes」を買おうかどうか迷う。
https://plaza.rakuten.co.jp/morton05/diary/202604190000/
なんとなう弾きたい曲は視界に入っているし、ネットで音源も譜面も見られるし。自分だけでなく、仲間の情報収集も併せて、切迫して自分が情報を集めなければという気持ちは薄い。
例えば、以前集めた音源として、ツェムリンスキー、レーガー、オンスロウなどを弾きたいか?というとまあそこまでの気持ちになるし。

フィッシャー=ディースカウ(Br)、バレンボイム(Pf)によるマーラー歌曲集
随分前から手元にあったがちっとも聞いていなかったもの。
とても良い。この二人で悪かろうはずはないよね。それぞれに向き不向きはあるにしても、なんでもできる人たちなのは間違いない。

合唱組曲「旅」終曲「行こう再び」
忘れがたい曲であるけれど、前奏ありなしの2つがあるのね。
前奏がなく(一音だけあるとも言える)、いきなり始まる方が私には良い

アルカンの「海辺の狂女のうた Chanson de la folle au bord de la mer」。imslpでリコーダー五重奏版を見つけダウンロードする。
が、すでにダウンロードしていたことを発見。しかも、今回と同じチェロアンサンブルでの演奏を考えていた形跡が。が。が。
まあ、タイトルが物凄いし、アンサンブルとして面白い曲ではないから、演奏機会はないだろうけれど。練習はしてみたいね。

P.クレンゲルによるブラームスのクラリネット五重奏曲ピアノ版
https://www.youtube.com/watch?v=tbAsSXeOWhw
ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番のチェロ版もこの方の編曲。
チェロ奏者にとっては、ヴァイオリン奏者のP.よりも、J.チェロ奏者の弟の方がよく知られている。

"働く我に希望あれ" って何だっけ?
「秋の色はさらに深し」も分からなかったけれど。困る(困らない)。
美しく働く我に希望あれ、だった気がするが、語調はそうだとして具体的内容には自信がない。
秋の色は更に深し、もわからん。白楽天あたりを源氏で引用したとかな気がするのだが。

昔中華街にあったという「海勝昌」。なんとなう勝海舟と丁汝昌を思わする。まさかとは思うけれど。

孤独のグルメ。やはり名バイプレーヤーが出ている回が面白い。
主役級が出てくると、それら役者の雰囲気になってしまい、味が濃すぎる。
殊に野間口徹氏の回は良い。頼りなくも非常識でちょっと憎たらしい(優しく美人のヨメはんに甘やかされている)アンちゃんを描いて余すところがない。
笑福亭鶴瓶による「スジナシ」でも野間口徹氏は大活躍だった。
主役級は「本人」が期待されている以外のあり方ができないけれど、野間口氏は一般人に擬態しつつ、そこから理不尽な猛反撃を天然自然に繰り出して来るところがコワい。いい役者だ。

中国の連続ドラマ「大秧歌」。昔、中国訪問時テレビで見て印象深かったもの。ネットでたくさん見てしまう。
勧善懲悪の時代劇。悪役「三浦」を演じる役者の日本人風演技がなかなか面白い。おそらくは日本映画を相当程度見て、日本の知的選良の悪役の演技を移しているのではないかと思うのだが、具体的に誰のどの演技と思い当たるほどの知識はない(まったくない)。
勧善懲悪の時代劇を細かに分析しても仕方が無いが、「三浦」は日本的悪であるが、三浦が悪なのであって、その他日本人は「モブ」としてしか登場しない。(藁人形でも代用可能と言っていいレベル。鉄砲を持って走り回ればよく、なんなら顔・表情は必要ない)。

USB DAC をもう一つ作ろうと思う。
そんなものは既に持っているので、必要性皆無。とは言え、秋月DACもトランス2個も買ってしまったので、これらを使いたい。
手段のためには目的を選ばないのが趣味というもの。
秋月DACにトランスを組み合わせたいわゆるぺるけ式。とは言え、600Ω:2kΩなるもので、おそらく増幅度が低く人気がないので、多少安価に入手できたものと思われる。
秋月電子の通販で素子を買おうとする。抵抗は数百円くらいで思ったより高いと思うと、これが100個入。物凄く安い。
こんな安価なものを作って・売って儲けが出るのか心配になるほど。
安価なカーボン抵抗に比して高級と言われる金属皮膜でも2倍。1コ1円が2円。大量に使うならもちろん製造原価にハネるが、ひとつ・ふたつ使うばかりなので(というか、我が家に少々ある素子を探せばありそうな気がしてきた!)

連休が終わる午後。
我が家の前を「ごろごろ」が何台も通り過ぎていく。
そもそも早朝・深夜構わず住宅街を「ごろごろ」していくのはケシカランと思っているが、それ以上に連休の終わりが身に迫る。

泉岳寺と増上寺を勘違いしていることに気づいた。
今まで「泉岳寺」と言われるたびに、「増上寺」を思い浮かべていた。頭脳外部に映写できるわけではないので、誤りに気づかなかった(気づかれなかった)。
近いと言えば近くにあるのだが。そしてまた、これらの寺で待ち合わせをしたわけでもなく、行ったことすらない(増上寺の近くを通ったことがあるくらい)なので、問題はないのであるけれど。

昔読んだ電子回路の本。「インピーダンス」の説明の近くに、信号増幅の説明があり、電子回路がダンスを踊っているイラストがあったように記憶する。小さな信号(ダンス)も増幅すれば大きな信号(ダンス)になる、というような。
おかげでインピーダンスが踊り(ダンス)と関係があるかのような理解をしている(間違ってもいないが正しくもない)。
以降、アフォーダンス(阿呆踊り)、社交ダンス(そのまま)などが皆仲間であるかのような誤解を…

獅子唐は甘辛あってのお楽しみ時には辛きものとてもよし

アンティクーチョは南米の串焼き
アーティチョークはヨーロッパの春野菜(花菜類)
前者はキドニーパイ→日本畜産副産物協会によるレシピ→アンティクーチョのレシピと飛んできた。

晴雨兼用の傘を買った。 ものは良い。ブランド名「ハレとケ」は恐ろしい。なんとなう民俗学っぽくもあり。
ハレは晴れ、晴れやかだが、ケは日常、そしてその先に「ケガレ」があったりしなかったっけ?

「クマの出没情報と出会わない対策」政府広報の変な作文
正確には「クマの出没情報とクマに出会わない対策」。助詞「に」がどこにもない。
「出没情報と(出没情報に)出会わない」と読める。
まるで「悪い知らせを避ければ悪い事実を避けられる」という愚かな王様の寓話みたいだ。
もしかすると、現在の政権を批判する高度な寓意が込められているのかも知れぬ。

いただきものの菩提樹の蜂蜜。たいへん美味しかった。
菩提樹といえば、仏陀の悟りを思うか、あるいは、シューベルトを思うか。
と思って調べると、仏陀の方はインドボダイジュなる別種。シューベルトもまた近縁ながら別種のセイヨウシナノキ。
ちょっと安堵する。同じ地球上の樹種なのだから、仏陀もシューベルトも同じ樹の下にいて良いのだが。
あえて言えば、仏陀は暑いインドの人と思っており、シューベルトは凍てつくドイツの人と思っているので、その点で同じ樹種だと少々気持ちが乗らない。
さらに「恋のマイアヒ」原題"Dragostea Din Tei"(ルーマニア語)は『セイヨウシナノキの恋』の意味だそうだ。
この曲「のまねこ」が生じてから耳にしたので、特段内容や出自に注意を払ったことがなかったが、こういう(まじめな)曲ではあるのね。
調べていると「ギコネコ」など出てきて懐かしい。ちなみに、私は2chはROM専。たまに読む程度で書き込んだことは一度もない。言葉使いが悪いので用心していた、というところ。もっともよく読んでいたのは、以前いた職場の内部事情板かも。

船員口入れ業と船内高利貸制 篠原陽一
http://koekisi.web.fc2.com/ronbun1/page002.html
たいへん貴重な情報。まあ、戦前の船員の労務環境を私のような者が聞いても仕方がないとも思うが、「基本的人権ということばが知られていなかった時代」について学ぶことは現代においても大きな意義があると思う。
江戸川乱歩や徳富蘆花などの文章を読んでいると現代であればふつうに職業差別と取れる文言が見えたりするけれど、これらにしても「(たとえば船員のように)多くの柵があって、一般人から恐怖されるに足る労務環境が存在した」のを垣間見るという点では貴重であったりする。
平水夫の悲惨もなかなかだが、船長職を買えば能力に関わらず船長になるのも恐い。パスカルは「船長は家柄でなく能力で選ばれる」と言っていたが、単なる比喩なのか、英仏・時代の違いなのか???
http://koekisi.web.fc2.com/hansen/page006.html

サラハッディン・アイユーブの時代劇
Kudüs Fatihi Selahaddin Eyyubi
第一話冒頭から強い印象を残したスレイヤが23話?で死亡。矢一本でケリを付けるなんてひどい。
時々こういうのがあるけれど、まあ、斬殺されるより美しいままで亡くなってドラマ的に良いのかも。
それと、俳優さんのスケジュールや、役柄的有効性みたいなので強制退場させている気もする。
若手女優さんだったので、オッサンであるアイユーブとあまり絡むと販売路線としてアカンとか。
後、時代背景から仕方がないのであろうけれど、オスマンやオルハンと比べて、話が複雑。
トルコ人ならある程度「わかって」いるのではないか、とも思えるもの。

こうしたイスラム側のドラマをたくさん見ているせいか、「十字軍」への私の評価は著しく低い。
そもそも欧州観点で見ても、エルサレムに行かず、東ローマ帝国治下のコンスタンチノープルで暴れたり乱暴極まりない。
ましてイスラム側においてをや。してまた「子供十字軍」に悲惨な末路。
「草刈り十字軍」なる語を見て震撼する私だった。そういう意味では「新撰組」も新興武士階級の理念と欲望の混交ですよね。
まあ、小説ダルタニャンと史実のダルタニャンと偽自伝のダルタニャンでは皆違うし、小説以外は人物に少々問題無しとせずなのは仕方がないのであるけれど。

中國哲學書電子化計劃 なるもの発見
https://ctext.org/zh
これを読みこなすほど賢くはないが、覗き見するのは楽しそう。繁体や英訳があるのも嬉しい。
遠大な外国文明の書を半解ながら読めるのだから「漢文」というのは面白いと思うのだ。
和歌の嫋嫋たる面も大いに楽しいが、漢文のゴツゴツした面も楽しい。

「スノーボールアース」の漫画/アニメがあるらしい。
スノーボール・アースと言えば、ブディコだよな、な、な、な。

映画「プレッシャー」
https://www.youtube.com/watch?v=zdM4tdLQBg0
ノルマンディー上陸作戦時の気象予測の話らしい。「気圧」と正しい予測を行うのに感じるプレッシャーの双方を掛けているのだろう。
で、邦題はどうするのか。

朝、家の前を掃除していると、通りがかりの中学生が「俵万智って生きているんだ」と友人に話しているのを耳にする。
SNSでこれをつぶやくと、ご本人が「生きています」とツッコむと言う。
ともあれ現実にこの発言を聞くことができて面白かった。
とは言え、私も歌人にお会いしたことは殆どない。

「もくめん屋」なる語をネットで見る。「木毛」と書くらしい。木質緩衝材。
私が子供の頃に聞いたのは「きわた」。完全に同じであるか確信がないが、同じような木質緩衝材。
母の実家の道を隔てた向かい側は広い空き地だったが、「こうば」と呼ばれ子どもたちの遊び場になっていた。
この「こうば(工場)」は「きわた」を作っていたが、ある日火災でなくなってしまったという。
燃えやすい「きわた」だけにあっという間に全焼してしまった、と。

我が家の琺瑯の薬缶。穴が空いた。三十年も使えばそうなるか。
小さなピンホール。ポタポタと垂れる滴。
土鍋が割れたのは、お粥を炊いて塞ぐけれど、鉄に琺瑯ではどうしようもなかろう。
この薬缶は専ら家人がコーヒーを淹れる用。
私はコーヒーを淹れるのを止めた。七転八倒する割に出来上がるのが泥水以下だったら淹れない方が良い(淹れる努力をしない方が良い)。
というわけで、私は他人様が淹れたコーヒーだけを飲むのである。
(昔書いた小説に「赤い琺瑯の薬缶」を登場させてみたりしたのもあり、ちょっと琺瑯の薬缶には感情移入しがち。なお我が家のは「白」。赤いのは、その昔(五十年ほど前)、お隣さんだった川崎さんのお宅にあったのだ)。

マキタの18V充電式掃除機を買ってみる。
我が家には1台コード式があるのだが、安いのをもう一台と思っていた。が、1万円以下ではなかなかないようだし、数万円などというものすらある。モーターがついてて「吸う」以外に機能なんかないのに。
で、2台目なので、充電式に。ほんとは3年ほど前に買った山善の充電式高枝切と同じ10.8Vを探したが、そういうものはない。
手元に掃除機があるのはなかなか便利。充電池も2つ買ったので、これでマキタの電動工具を気軽に買える!
小さいながらLEDランプが点灯するのも良い。工事現場などで隅っこ掃除に役立つのだろう。我が家でも同じである。
ちなみに、排気は本体横に吹き出す。通常使用では全く問題ないが、寝ながら使おうとすると、風が顔を直撃するかも知れぬ。まあ、絶対にマキタが想定せず・推奨もしない阿呆な使い方なので、ふつうの人間が気にするには当たらない。

wikipediaでホイッスラーについて読んでいたらMr.Beanの話題が。
こないだYoutubeでMr.Beanが滅茶滅茶にしていたのは『灰色と黒のアレンジメント-母の肖像』だったのか。
なかなかなめぐり合わせ。楽しい。

マウス(ポインティングデバイス)はエンゲルバートが1960年代に発明。QUERTYキーボードはタイプライター由来。
もっと気が利いたものはできないのか。ハードよりソフト寄りに考えるべきで、フリッカ入力などが答え(実装され・普及した)なのだろう。
そういう意味では、増井俊之はエンゲルバート級の業績といえるのか(そう考えなくても尊敬しているけれど)。
まあ、ヴァイオリン属弦楽器の奏法など何百年(あるいはもっと)基本的には変化していないのだから。。。

鉄道模型の販売ページで、EF15と書かれた写真にEF57が。
おそらくは鉄道があるていどわかるデザイナーさんが作っているのだろうけれど、古い車両の見分けがつかないのではないか。
わかる人はすぐわかるし、そうでない人はわからないままであろうし、それで誰かが困るような場でもないけれど。

熊谷駅で列車を待っていたら優等列車らしいのが通過。
新幹線と並走するこのあたりに在来線特急は走っているのだろうか?と思うと、ヘッドマークには「Party」の文字。
通過した後を見送るとヘッドーマーク(テールサイン)には「団体」の文字。
そうか、Partyとは団体の意味。そこから宴会とも政党とも意味が広がったのだ。

反歌・急行大和篇(藤井貞和、書肆山田)
気になる題名。しかし、急行大和なんて、JR化以前の列車ではないのかな?

UbuntuでBluetoothを使うのは難しいらしい。
前は使えていたキーボードが使えなくなってしまった。瞬時に接続・切断を繰り返すようになった。
使いにくい小型USBキーボードを使っている。ううん。

トルコ料理レストラン バルシュに行ってみる。
大久保ヒサールがなくなり、トルコ料理成分が絶対的に不足しているため、満足できるトルコ料理店を探している。
バルシュは悪くないが、ヒサールのような煮込み料理や茄子クリームの牛肉煮込み掛けなんかは無いようだ。
キョフテとメゼを食べに行けるのは良さそう。
煮込みと茄子クリームを探す旅を続けよう。

5月にしては寒く、かといって多くの冬物はしまい込んでしまったので、カーディガンを羽織る。
そんなカーディガン姿を見た息子から「お父さんみたいに見える」と言われる。ショック。I'm your farther.
以前、帽子をかぶって練習に行ったところ「チェロが上手い人に見えます」と言われて以来のショック(笑)。

多忙につき練習1回断念。来月の楽しい合宿も断念。何のために生きているのやら。
昔々、多忙であったおり、「ロデオドライブ」の名で書かれた室内楽評論のネット記事をよく読んでいた。
ユーモアと余裕があり、優しさを感じさせる文章だった。ヴァイオリンとヴィオラを弾く方のようだったが、「上手い」ことに価値を見出さず、何かまったく違う味わいを賛嘆されている方だった。この方に教えられた演奏も多い。同じアマチュア奏者でもあり、メールも少々交わしたことがあり、いつかお会いすることもあるだろうと思っていたけれど、どうやら若くして病没されたらしい。
残業しながらモーツァルトのクラリネット五重奏を聴くと、彼の文章を思い出す。否、彼を思い出したからモーツァルトを聴いているのだろうか。
大田区ハイドン管弦楽団の平瀬さんという方だったように思う。お会いしたことこそないけれど忘れ得ぬ人のおひとりである。

多忙というのはそもそも計画の破綻であり、リスク予見を含む計画性の欠如であるわけだが。
反省をしようとすると、反省以前に「アイツが悪い」などと思うわけだが、もう少し冷静になると「アイツを信用したオレが馬鹿だった」と思うわけだ。
前者よりも後者の方が酷いことを言っているような気もする。
もちろん、こんなことは、反省する時のものの見方の違いであって、相反する結果というわけでもない。

忙しくて個人練習ができない中での室内楽練習。
アカンところは一杯あったが楽しい。ありがたいことである。
お仕事はいい加減飽きてきたから、もちょっと自分の時間を使いたい。体が動くうちにできることをしておきたい。

一山越えた休日。「人間性の恢復」などと思ってみる。
とは言え、休みに遊ぶためにも、心の準備が必要らしく何もできない。
それこそが人間性の毀損であると感じるところ。

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今週の戯れ歌

忙しき日にはあれども故知らず遠くの駅に佇める我

忙しき日にはあれこそ誰も行かぬ出張行きて忙しさ増す

一時の怠惰を車中で楽しめば再び地獄ぞ我を待つなる

数々の錯誤のありて今のある人を恨まず天を恨まず

思ひをれば「できる」と言ふた己が身の情けなくもあり悲しくもあり

正直に背伸びもせずに生きやうとこの歳になり改めて思ふ

何もなき駅前通りに風の吹きガンマンならで我歩きゆく

啄木の釧路を歩む歴史漫画叙情に満るその味わひは

皆ひとの座れるやうな田舎電車久方ぶりののんびりなるらむ

この後に多忙が待つと知らぬなら喉けからまし田舎電車は

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今週の戯れ歌

ある日には人前で楽器を弾けることもあり満足すべき演奏ならねど

人たちはあえて触れざることもありその 経緯こそよくも知りたる

後になればあれこれ思ふ事もあり先に思はぬは愚かさかりけり

愚かさを数へ上げては忘れけり忘れぬならば生きるは辛かる

乗る汽車はいつか何処かに着きにける我が行く先の何処になるかは

降りる駅を間違へまいと思ひけるいつか寝落ちの危機を覚へつ

後一駅思へる後の危なかるそこで落ちては何のためやら

幼きよりヴァイオリン習ふを羨めど彼らは彼らの悩みあるべし

ふらふらと人に習はずチェロ弾ける我が人生も肯定さるべし

人に習ふ気持ち薄かる我なれど人によりでは師とするもあり

録音を聴いて絶望また絶望諦めざるが唯一の取り柄

録音を聴けば一喜百憂す憎くあるのは録音機かな

数多人の関わる業ぞ素晴らしきそこから漏るる我ぞ悲しき

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今週の戯れ歌

〆切も近き仕事のあるなれば休む余裕のあるを憎めり

〆切を指折り数ふ我なれば切迫せぬを呆れ見てをり

成算のあると思えぬ人ながら算段もせぬ輩憎めり

何事もなく〆切の終はるなれと祈るばかりのこの日々なるらむ

(韮カレーなる美味を食して詠めるうた)
食欲も乏しと思ひてカレー喰めば目の覚めるやうにカレー食べたり

連休に掃除をせるは習ひなり大晦日には掃除せざれれば

我もまた何者ならむと思ひをり名のある人の名を目にすれば

名無きだに悪しき名あるほど悪しからず名無き事をば寿ぎあるべし

酒飲まばうたひとつばかり詠みてけむ無駄に生きたる無駄な戯言

生きるとは足りぬ売上を誤魔化して次は良かれと騙しをること

いついかに良き知らせあると思ひ侘び運の悪いを嘆きもあるなる

酒沁みる冬の夜こそゆかしけれまたこの冬のいくつあるなる

昔昔雪舞う夜に薬缶なる熱き日本酒飲みしことあり

炭で焼く薬缶にありし酒なれば我が腸に沁みも入りなむ

雪の夜の熱燗こそは慕わしき昔昔の札幌の街

中韓の人に優しき人のある日本人のかくもあるべし

善悪は国籍民族関わらず善きは善きなり悪しきは悪しかる

一歳の何とか終はる日も近き今年の我も何も為さざる

何事も為さざるままに日を送り悪しきも為さぬ我で宜しき

やる気ある人々に我は申さざる貴方のやる気は人を傷つく

やる気ある人はどうぞそのままに我に関わる事なく過ごせよ

やる気なき我ではなくもあるけれどやる気あるのは相手選べり

だらだらと働く日々を送るなればしやつきりするのあり得るのかな

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鉄道と模型の雑談(夜行列車と客車列車)

KATOから「大垣夜行345M」製品化とのこと。
私が大垣夜行に乗車したのは、製品化対象より少し後。東京→名古屋間。
東京での大学受験を終え、従兄弟達に東京ディズニーランドに連れて行ってもらったその日の夜、名古屋に帰るために乗車した。
雪吹きすさぶディズニーランドは空いていた。どの乗り物もほとんど待たずに乗れた。
ディズニーランドは混雑するのがふつうだから、後年その話をすると、誰もが「それは違う遊園地では?」「ほんとうにミッキーマウスはいたのか?」と問われる。さあ、従兄弟任せだったから勘違いしているかも知れない。浦安から小型バスに乗って、夢の国に向かうとは思えないような雑然とした下町商店街を通り抜けていったような記憶がある(この頃、京葉線は貨物線であって舞浜駅はなかったのです)。
さて、昼間も雪が吹きすさんでいたけれど、夜になっても雪は止まなかった。
遅くに東京駅地下街で夕食を摂ってから、乗車したのだろう。どの駅でも闇の中で赤黒い炎が点々と揺らめいていたのを覚えている。分岐器が凍りつかないよう、分岐器の関節部分で灯油を焚いて温めていたのだろう。たくさんの分岐器がある大駅であればまさに「見渡す限り」であり幻想的だった。
静岡駅で長時間停車し何本もの貨物列車が通過していったこと、夜明け頃刈谷駅で通勤・通学客が乗ってきたことを覚えている。
髭の伸びかかった眠い顔で、運動部らしい女子高生と顔を合わせるのが恥ずかしかった記憶がある。
大学受験をしていた私と女子高生。今にして思えば、年齢はひとつふたつしか違わない。だが、当時は大きな差があるように感じていた。
あの列車は、愛知県に入る頃から早朝の一番列車になっていたのだろう。
今は昔。どこにでもいて珍しくもなかった165系もほとんどなくなってしまった。あれから40年も経つのだから当然だ。
さて、KATO製品。12両もの長い電車を買う元気は私にはない。
飯田線は好きだったから、「みすず」「伊那」のような4両編成で十分である。
クハ+モハ+モハ+クハの「伊那」は持っているからそれでよろしい。(とは言いながら、クハ+クハ+モハ+クモハにも色気はあるし、クハ+サハ+モハ+クモハはどうなのか、あるいはクハ164低窓(クハ153改)だったらなどと思わなくはない)。

自分が乗ったことがある客車列車は急行「ちくま」と特急「北斗星」、大井川鉄道「川根路」だけかな?
おそらく「ちくま」は名古屋から長野へのスキー旅行で往路のみ2回。どちらも座席車。リクライニングではないボックス席だったので、12系時代。
編成前端の20系寝台車もちらりと見に行ったが鉄道趣味休眠時代だったので写真も取らず(銀塩時代でカメラも持っていかなかった)、機関車もよくは見なかった。中央西線の電気機関車といえばEF64で名鉄の車窓からもしばしば見ていたから珍しくもなんともなかった

「北斗星」は大学院時代11月の学会が仙台であり、そこから初任地予定の札幌まで移動し、帰路は札幌から上野まで。
たぶん「B寝台」であったろう。固定式の上下二段別途で、往路は4人ボックスに3人(全員20代程度の男性)だったと記憶している。
往路の二人連れが「東京のディスコの女性は皆薄着でまるで『ストリップ小屋』だべ」と言っているのが微笑ましかった。おそらくは照れ隠しに方言を用いていたように思う。

「川根路」は小学生の頃、父に連れられて乗った。国鉄型客車以外に電車改造客車も連結されており、小学生であっても「怪しい客車だ」と思った記憶がある。
そしてまた、当時の名鉄は内装が木製である電車がふつうに走っていたので、戦前型の客車(だったろうと思う)でもさほどの感激がなかったのが今となっては申し訳ない。

かくもわずかではあるけれど、客車列車(座席・寝台双方)に乗れて良かった。
夜行列車としては「ちくま」「北斗星」「大垣夜行」ということになる。僅少なれど貴重。

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読書の記録(2026年4月)

人間の大地 サン=テグジュペリ 野崎歓
私は堀口大學教の狂信者なので、おそるおそる読んでいる。ヒドいことを言えば、堀口・野口両訳のどちらを読んでも感じられる詩情はサン=テックスのもの、堀口から感じられるのは堀口の訳業、などと思ったりしている(それが不正確であることはいちおう分かっている)。
とは言え、堀口時代に情報不足で訳しきれなかったところもあろう。そういう意味で、野崎を参照しながら堀口を鑑賞する、という態度が私には良いのかも知れぬ。
と言いつつも、気になる点を書いてしまおう。
 「機械が人間をだめにする」。口語ではこのように言うけれど、サン=テックスの文章をこのように訳しては欲しくない。
 せめて「機械が人間を堕落させる」とか。「機械が人間を無能/無気力にする」とか。言い様はないのかな?
題名についてもTerreを大地とすべきだろうか。堀口はおそらく聖書的解釈で「土地」としているように私は感じている。
人間の土地・神の土地として分画的に。人間の領分を含意しているとも思う。
大地とすると、何か区画・限度があるようにあまり思えず、この点でサン=テックスの意図を表現しきれていないように感じる。
もちろん「土地」として、我々が日常生活で見て・売り買いしているような印象を与える危惧は持つけれど。
とは言え、野崎訳としては「人間の大地」の方が「夜間飛行」より読みやすかった。訳がこなれたのか、私が訳に慣れたのか。あるいは、サン=テックスの文章において、飛行機操縦の専門語などカタカナ語にしたい単語量に違いがあるのか。
とは言え、堀口訳の詩情を懐かしく慕わしく思いつつ、最後まで無理やり読んだ。申し訳ないけれど。
そう言えば、阿部謹也「ドイツの歴史」冒頭で、欧州の国籍差別の話が出てくるが、「人間の土地」末尾のポーランド人移送問題も直接ではないにせよ、そういうところに繋がる。「人間の土地」を読み始めた頃知らなかった事々が少しずつつながる。そういう読書は良い読書だ。

ネットで「人間の土地」と検索すると、検索候補に「人間の土地 あらすじ」と出てくる。これほどまでに「あらすじ」を見て意味のない書も少ないと思うけれど、それでも「あらすじ」を見たい人がいるのだろうか。
同じ様に、ルバイヤートや牡猫ムルも異訳を買ってあるので、読まねばだね。

家守奇譚 梨木梨香 近藤ようこ
相変わらず淡々と面白い。それぞれの話は薄味だが味わいの違いははっきりしている。
近藤ようこさんの絵は繊細で素敵。
(だが、鉄道趣味で鉄道風景などを研究してきた者から見ると、家屋の建ち様、田畑、鉄道などはも少しそれらしいと嬉しい。作品の本質には関係なくはあるのだけれど。特に田畑は難しいよね。地形の自然さとの兼ね合いがあるから)。

京大マガジン0号 失敗
こういう軽い雑誌は好き。見知らぬ世界を覗けて楽しい。一方で、「内輪ネタ」があると興醒め。この雑誌はその点気を使われているようだ。
湯川秀樹の「先生ではなく『さん』付け」論も京大らしくて良いな、と思う。そしてそれをそのまま受け取るだけでなく、軽くではあるが分析しているところも。
スペイン人料理人=歴史研究者による「狸汁」随筆も凄い!こういう「変な研究」(超褒め言葉!)があるのも京都大学らしく良いと思う。

うったて
岡山の文芸無料雑誌。表紙の天川栄人氏のお姿に惹かれてもらってくる。そもそもこういう軽い雑誌が好きだからというのももちろんあるけれど。
知らないことがたくさんたくさんあることが知れて面白い。
なお、北九州の「雲のうえ」も好きだったが、2025年に廃刊決定とか。残念。

葬送コンチェルト
台湾の漫画。絵がうまい。一方、漫画表現のぎこちなさが少し見えると感じるのは私日本人が漫画を見すぎているからか。
日本の葬祭習慣についても自分がよく知っているとは思わないが、台湾の葬儀について知ることになろうとはまさか思わなかった。仏教ベースだが(日本がそうであるように)土着的習慣も多くあり、また現代化も進んでいるといったところ。この所種々読んでいる台湾もののひとつとして、台湾を(ほんの気の所為だが)多角的に見られるようになったかも。
面白い話なので、も少し数を読んでみたい。紙幅の関係もあろうが、話は速い。そこもじっくり描いていただきたくもある。

天幕のジャドゥーガル トマトスープ
お気軽に遠い時代の遠い世界に行かれ楽しい。酸鼻を極める宮廷陰謀劇ではあるのだが、かわいい絵にごまかされてつい読んでしまう。
私ごとき者には理解及ばぬ時代・世界のことながら、だんだん主人公の活動の根源が分からなくなる。大きな「歴史の流れ」からすると、そんな感情は些細なことにしか過ぎないのかも知れない、とも思ってしまう。

カラスウリ 藤丸篤夫 有澤重雄
写真絵本。カラスウリ愛好家として買わねば。
花と実を中心した描写。ふつうそうなるだろうけれど、そうなると「たくさんのふしぎ」の春夏秋冬をあつかった「カラスウリ」の工夫が際立って来る(失礼な感想ですが)。

古い鉄道模型趣味
61号。鉄道模型社の広告。「金矢」を使っているのね。「金失」忌避はもっと後の話だと思っていた。「金或」(正確には異なるけれど)を使うのもある。発煙装置はこの頃からO番等で既にあったのか。蒸気機関車B20実物に「使いみちがない」と明記。自分は子供向け図鑑が出発点であるし、「公式」っぽいのはこういうマイナスポイントはあまり書かなかったから大人になるまで私はこうした悲しい事実を知らなかった。
298号。大船のBookOffで見つける。リバース線を「回帰線」と訳すの賛意を表するなど面白い。「南回帰線・北回帰線」とは無関係の「回帰線」。
G&D鉄道「最後の写真」は、「関水金属が販売したC62」だとか。不鮮明な白黒写真を見て「あれ、日本型かドイツ・オランダあたりかな?」と思って、ミキスト本文を読んで驚いた。正確に言えば、G&D鉄道の線路上を走る機関車ではなく、線路脇でライブスチーム模型として走らせているアクセサリ。そしてC62は「ネクタイどめ」というタネ。とは言え、それはそれで面白い。確認すると「G&D鉄道の写真集」にもこの写真は収まっている。なかなかよく見ないと見逃してしまうね(この写真集も素晴らしい)。
300号。表紙の走行写真は当時としては非常に努力して撮影された記念碑的映像だったのね。1000号でも登場する久保田氏。内閣に所属する写真家。鉄道趣味人にもいろいろな人がいるものだ。

コンセプチャルガール パピヨン本田
1ページめからツッコミどころ満載で楽しい。
文化部に「強豪」って不思議だな、と前から思っていた。吹奏楽部もまた然り。
自分が大学生時代、オーケストラをやっていて良かったのは、こうした「強豪」概念が希薄だったこと。
私の価値観では、「裕福で頭の良い学生たちが良い先生に見てもらってきちんと演奏している」オーケストラよりも「地面から生え出てきたような学生たちが自分たちで考え、苦闘しながら演奏する」オーケストラの方が数段面白かった。
私は、部活動の「強豪」の無思考性が嫌いなのだと思う。「勝つ」という目先の小さな価値観に振り回され、思考がコンクールでの判定基準にだけ収斂するような。
宇宙は広大無辺であり、自分が今此処に於いてどのように生きるか。それを考えることが生きるということであって、それを放り出して重箱の隅を美しく塗り上げてもねえ、とつい思ってしまう。
というようなことまでも考えさせられるところが「コンセプチャル」なのではないかな、と愚考。

シベリアに憑かれた人々(加藤九祚 かとう きゅうぞう)、劇場(ブルガーコフ)を読み始める。
シベリア研究にスウェーデン人捕虜たちが関わっていたのも全く知らず。
また、九祚が読めず調べると、シベリア抑留者でもあった、と。
ブルガーコフはドストエフスキー的ドタバタで始まり面白い。どいつもこいつもロクデナシ。主人公も脇役も。
それでいてどこかに聖性を帯びているような気がするのもロシア的。

書店アンダンテで「送別の餃子: 中国・都市と農村肖像画」(井口淳子)、「ゲは言語学のゲ」(吉岡 乾)を購入。
特に前者はなかなか自分が他の書店で見つけられる気がしない。そう思って他の本に先んじて買ってみたが、読み始めてなかなかに関心していることろ。灯光舎、忘れないようにしよう。

雑談サイトreddit
「恐れながらご報告いたします。ヤロスラフ・ハシェク著の「兵士シュヴェイクの冒険」を読んでおります。」
https://www.reddit.com/r/books/comments/18mtx4x/humbly_report_sir_that_im_reading_the_good/?tl=ja
日本語翻訳の精度が高い。岩波文庫のように(日本の)軍隊調に訳されてるように見える。

なぜかSumoLogicなる言葉に行き当たる。
https://www.sumologic.com/
なんだこれ。日本相撲協会が怒りそう。私が知っているSumoではなく、別なSuperUltraMovingOrganizationみたいなのかも知れんし。

某所にて、ある作家全集を見る。なかなか高い。もちろん高い理由があることなので、その値に文句を言うつもりはないが、ならば買うか買えるかというとそれもまた違う。
そもそも値段が書いてないので店主に尋ねる。ネット価格がいくら、持ち帰りなら値引き。半年経って売れなければさらに値引き。私が目をつけた本は結構な割合で売れてしまうのだが、半年間値引きを待って買った、となると私も寝覚めが悪い。表を歩けなくなる気がする。さて。
とは言え、ひとりの作家を固め読みするのは、なかなか良い。ひとりでもそういう作家があるのは幸せなことだ。
中学に上がった頃、サン=テグジュペリで同じようなことをしたかったが、文庫以外買うお金がなかったので、戦う操縦士、南方郵便機、夜間飛行、人間の土地、星の王子さまで終わってしまった。評伝・評論も少し買って読んだりはしたけれど。大人になって城塞を買ったが読めないままどこかにあるはず。死ぬまでには読まねばだね。私も城塞の「族長」くらいの年齢ではないのかな?
大学に入った頃、夏目漱石で同じようなことをした。岩波文庫を踏破し、岩波にない分を新潮文庫(坑夫)、ちくま文庫(薤露行)で補充した記憶がある。文明論集や日記(抄)などは息切れしてあまり読んでいないけれど、それでも相応に目を通すというのは良いものだ。
その後、社会人になってドストエフスキーを相応に読んだ。なぜか賭博者のように投げ出したものもあるし、「作家の日記」も拾い読みだけれど、一応そこまで行ったのは自慢してもよかろう。

宮沢賢治「そもそも拙者ほんものの清教徒ならば」から菊芋について調べ始める。
すると一般社団法人日本菊芋協会なる団体があることを知る。なかなかに驚く。
しかし、賢治のこの文章からはなかなかの諧謔味を感じるし、言葉としての面白さ、調子のよさが感じられる。そうした意味でも、賢治の作品は黙読だけでなく、音読・朗読そしてまた演劇・歌劇など「音」としての楽しみを多いにしたいものだ。

中学生の頃、合唱指揮の本を読んだことがある。西洋人が書いたまったく参考にならないやつ。
「教会などで管弦楽と一緒に演奏することもあると思う。チェロは意外と面積を必要とするから気をつけろ」と書いてあった。
当時、合唱部員だったけれど、教会でも演奏しないし、管弦楽と一緒にすることもないしで、「本当に役に立たん本だ」と思った記憶が。
中学生ながら背景となる社会的・文化的事情が、日欧で大きう違うことを痛感した。

●雑感
R.シュトラウス「メタモルフォーゼン」本番。
まあ、いつものように「ヨレ」て演奏している。もっともっと基礎から練習しなければ、だね。
デュポールに取り組んでハイポジションの怖さが少し減じたけれど、それとても得意なポジションと不得意なポジションが歴然としてあるし、美しい飛び方が確実にできているわけでもない。もっと練習しよう。
曲自体は面白かったし、楽しく演奏できたのではあるけれど。
(本番前に急に多忙になったのもあるけれど、それは言い訳だよね)。

現在の持ち曲
 Beethoven Op.132 (7/11)
 Mozart K.421 (7/11)
 Tchaikovski Symphony No.6 (7/4) お遊び
 Mozart Symphony No.41 (7/4) お遊び
 選曲中 (10/17)
 Beethoven Symphony No.9 (11/1) ほんとかな?

デュポール読聴会第4回
前回細かく見るのを諦めた。今回は最初からぼやっと全体を見るつもりで行っている。全体を見た印象が残れば、自分が演奏(練習)する際のイメージになるであろうから、という魂胆。ただし、自分が特に苦手とする弓(弦との接点を中心)と、左手の型を変えないままのポジション移動はつい見てしまう。まあ、細かな指使いとしてではなく、体全体の体勢っぽく見ているということにしておこう。
練習曲が音楽的であることから、デュポールの後進に対する愛情を感じる。21の練習曲もそうであるし、試論内に記された練習曲・断片もそうである。
今回の話で忘れたくないのは、フレーズの行き着く先を安定して弾くための逆算的フィンガリング。確かに、昔々(30年以上前)追い詰められるまで移動しないフィンガリングを見た記憶があり、「そこまでポジション移動が嫌いなのか」と驚いたのを思い出す。

お誕生日に聴くCD。
推しの島根・丸山どっちが良いか、と思いつつ、自分のチェロ演奏に凹んでいるので、ここは丸山(伴奏は島根だけれど)。
ヴァラチーニのソナタ。沁みる。長調の6番から短調の7番への推移が殊に良い。
普段使わない真空管アンプで聴くにふさわしい。己のへなちょこ録音を「良い音」で聴くと、自我崩壊の危機に瀕するけれど、丸山・島根の美音を訊いていると、いい気分である(結局島根CDも聴いた)。

次回演奏会のため様々な曲を聴く。
バッハのゴルトベルク変奏曲。1時間もかかるのだから弾く気にならない。
30も変奏するからで、勝手に弾けない変奏を間引けば・・・。

メシアン「鳥のカタログ」全曲
たいへん申し訳ないが、この曲はほぼ初めて聴いた。本当であれば何らかの予備知識を持って聴くべきもののようにも思うが、何も知らず聴く実験をさせて頂いた。武蔵野市民文化会館の値段設定にほだされたとでも言っておこうか。
一回聴いて何か見通せたり語ったりできるような曲ではないことがよく分かった、というのが正直なところ(阿呆の感想)。
そして、日本人(私)は「鳥は可愛い」と思っているところがあるが、フランス人(メシアン)は必ずしもそうでなさそう。
私が思い浮かべる鳥は日常町中で見る雀や目白などの「可愛い鳥」とドバトやカラスなどの「困った鳥」。
メシアンはどうやら猛禽から小鳥まで、フランスの原野を飛んでいるのを見ているように思われる。
なんとなう「荒野に生きる猛禽・野鳥を追った動物ドキュメンタリー」の音楽のように思われた。
ピアノの音は非常な美音。でかい音もうるさくない。ピアノ自体もよかろうが、奏者も相当の達者。
谷口知聡氏。覚えておきたい。終演後ご本人は「休憩ごとに人が減るかも・・・」とおっしゃっていたが、そういう意味でも修行プログラムだったのは否めない(私は修行が嫌いではない)。
私自身の勝手な希望を申し上げると、セヴラックやモンポウもありメシアンもありの演奏会にして頂くと学びもありつつ楽しい演奏会になりそうな気がする。まあ、メシアン全曲のような衝撃に欠けるので、谷口氏の志向に合うかは不明だけれど。

フォーレ「ドリー組曲」
ピアノ二重奏版。ティッサン=ヴァランタンとピュイグ=ロジェの演奏をLP時代に聴いていた。
少々のんびりした、こもった音(よく言えば温かい音)。同じCDを買った。LPの方が音が良かったような気がする。若干キンキンする。
とは言え、お洒落だが優しい良い演奏。
ORTF弦楽四重奏団

こんにゃく座の歌役者は「沖まどか」さん、指揮者は「沖澤のどか」さん。
どちらも素晴らしい音楽家。だが、私はつい「沖のどか」さん「沖澤まどか」さん等と混同しがち。
ご本人に呼びかける機会がないので無問題ではあるが、家人からは当然怒られる。
ご両人が共演することはあまりなさそうだが、「ピーターと狼」の朗読を沖まどかさんがされたりすると私は喜ぶ(欣喜雀躍)。
しかし、こんにゃく座を続けてみていると、役者というのは本当に様々な役柄をこなすし、しかも、それがご本人の普段の表情と大きく異なる「恐い」役であることもしばしばである。この「恐さ」というのは、本人が恐いと思っている場合もあれば、舞台上の他の役を恐がらせるものでもあり、また、もっと大きく観客に危うさを感じさせるものであったり様々なのだが、そうした様々な「恐さ」を表現しうること自体が、私には「恐い」。
役者恐るべし、としか言い様がない。

Haydn 2032 なるプロジェクトがあるらしい。ハイドンは1732年生誕であるからして2032年すなわち生誕300年に向けた取り組み。
そう言えば、ハイドン生誕10万日だったかの演奏会が以前あった気がする。
計算すると2006/1/14。もう10年以上前ですか。
2032年は6年後。自分は生きてはいそうですね。そろそろそういうことを考える年齢。

アラビア音楽は良い!
https://www.youtube.com/watch?v=7psxruQ0EeQ

Alf Leila We Leila 千夜一夜物語
https://www.youtube.com/watch?v=IxJQQ20zdjg
エジプトの超有名曲。ここで演奏している方々がどういう方なのか知れないが、堂々として「様になっている」。
良いな。有名歌手が歌われているのもいいけれど。
このような「エジプト・中東風ヴァイオリン」ってどんな歴史があって、どんな曲があり、どんな教育システムがあるのだろう。非常に気になる。
以前、中国旅行の際、中国風ヴァイオリン二重奏曲の本を買ったことがあり、中国でもヴァイオリンの中国化(あるいは中国音楽のヴァイオリン化)の動きが多少なりともあると思ったけれど。我が日本においても、ポップス系の伴奏でもふつうにヴァイオリン(属)が使われている。こちらは、日本風の音律で弾いているとも思えず、なかなか独立した分野となっていないものの、同じ流れと言えなくもない。
このような、各国・各地域のヴァイオリン属楽器の受容と変容を見るのも面白そうだ(鶏卵的同時多発なのは間違いないだろうけれど)。

シャンカール(子)を久しぶりに聴く
https://www.youtube.com/watch?v=1h4dI2pW8vg
前に聴いた時より良い!真空管アンプ+DALIスピーカーというのもあるかも。
ピアノ+女声あたりは平凡かも。私が新規性を求めすぎているのやもだけど。と思ったら、バスが変なことをし始めたので、少しいい感じに。
しかし女声合唱は平凡に感じる。新規性を・・・。

Isata Kanneh-Mason ピアノ奏者
https://www.youtube.com/watch?v=QFGWCRXkWns
活き活きとして良い!TinyDeskConcert はアップライトピアノなのがちょいと可哀想だが。箱庭的音色の中でよく歌っている。
学校の音楽室でものすごく上手な人がピアノを弾いているように聴こえるよね。
大きな歌がある時はそれに従っていて良いが、緻密なところはちょっとバラバラして聴こえる。アップライトだからか。若さの限界か。
Facebookで「プロコフィエフに温暖化なし」なる翻訳が見えるのが謎。No warming in for Prokofiev
Google翻訳だと「プロコフィエフにはウォーミングアップは不要」。
ChatGPTに10通りに訳せと言っても概ねその方向。そういうことらしい。ウォームアップが必要ないという意味が分からんが、いつでも準備ができているほど日々生活そのものがプロコフィエフです、と言った所なのだろうか。

兄貴Shekuのチェロも凄く達者。「楽譜」を見て弾いている人間ではない(ニクい!)。
https://www.youtube.com/watch?v=o3h6i2GXUhg
録音の仕方にもよろうけれど、ピアノとチェロの響きが団子にならないのも素敵。

ところで「時には母のない子のように」(Sometimes I Feel Like a Motherless Child)は伝承曲なのね。知らなんだ。
なんとなうカルメン・マキが歌っているとだけ知っており。

スウェーデンの「セカンドハンド・オーケストラ」
https://www.youtube.com/watch?v=6pKHV0mh_ws
楽器がセカンドハンドなのか、楽曲がセカンドハンドなのか・・・ということか。Wikipediaにも項目があった。
スウェーデンはスイスではないシリーズ。

Amaia: Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=6tCjflXY9CM
若干癖が強く聴こうか止めようか迷うけれど、相応に面白い。「音づくり」に興味があるらしいところが良い。皆さん複数の楽器をこなされているのも「音づくり」への興味のゆえと思われる。

BBCのドラマ The Other Bennet Sister ちょっと見たい。
オースティンの小説「高慢と偏見」に登場するベネット五姉妹のうち、最も地味で雑に描かれているメアリーの物語。
俳優さんも、メアリーの愛嬌がなかったり、あったりする様をうまく演じているように見える。
田辺聖子「私本源氏」には、「本編では不幸になってしまう女性たちへの田辺の最大限の愛情」が見られて素晴らしいと私は思っているが、この作品にも同様の良さがあると期待させられる。

客車が逸走しちゃったのね。
https://www.youtube.com/watch?v=VPmm5rVVsvA
機関車走行シーンは明らかに早回し。だが、なぜそう思うのか。なんとなうわかるんだけれど。背景のざわめきみたいなのかな?
「作り物」であるのは明白でおそらくハッピーエンドになるのも明らかだけれど、古い時代の展望車・機関車が見られて嬉しい。

ひき肉を食べ続ける日々
ある日、お昼ご飯にキーマカレーを食べた。そう言えば昨日のお昼ご飯はガパオライスだった。
と思うと、一昨日の夕食はミートソース、昨日の夕食はミートソース流用のグラタン、この日朝食はミートソース入りオムレツ。
もしかして、晩ご飯は麻婆豆腐ではないかと思っていたら、家人もそう考えていたとのこと。でも豆腐を買い忘れて野菜炒めに。
とは言え、翌日は麻婆豆腐あろう。我がひき肉の日々は続く。
(ひき肉好きなので、特段気にならない)。

高級はちみつ。
もらいものの「菩提樹はちみつ」を食べる。香り高く美味。贅沢に馴れると生活が苦しくなるので、高級品には接しないように生きているけれど、たまにはこういうのも良いなあ。
近所の家の塀に自動車がぶつかったことがあり、家の持ち主に写真を撮って連絡したお礼に頂いたもの。ありがたや。

今月の誤字
 低音調理 → 低温調理 そもそも見つけたのが、録音テープの乾燥処理。「低音」になってしまいそうな場面だ。でも、カセットテープなんか熱で歪みそうだが。
 「スタイリッシュなルッキングも沙流ことながら」。久々の大ネタ。
 元北海道民としては「沙流川」に言及してもらって嬉しい。靴屋さんの宣伝文句。
 「1986年JR末期」→「1986年国鉄末期」または「1986年JR化直前」だろうな。JRは2026年になってもまだ存在するぞよ。
 鉄道ピクトリアル「事業用車特集」。まあ、この本を読む人にとってはこの程度の知識は常識中の常識であるからして問題はない。
 以前「戦災」を「繊細」と誤っている例もあった。大量出版ではない専門誌はそういうものと思って読むべきだろう。
 「ギンリョウソウ(銀龍草)」を「ギョリンソウ(魚鱗草)」だと思っていた!発話の機会がなかったのがもっけの幸い。
 「貴重な 弦楽器の弓」→「貴重な弦楽器の弓」。「管弦楽器」という言葉もあまり見ない。「管弦楽」あるいは「管楽器・弦楽器」だろう。
 ストローヴァイオリンみたいなのを思い出して期待した私が愚かだった。

大鍋飯
ネット(X)が自動翻訳前提で動き始め、各国の人々の発言が見られ面白い。
で、韓国語話者の日本語訳に「大鍋飯」が出てくる。元は中国語で、大鍋で飯を炊いて皆で食べる「(働かなくとも他の人と同じ様にご飯が食べられるという意味で悪しき)平等主義」を言うらしい。
食で例えることさすが中国人と思うたり。
一方、「大鍋飯」で検索すると「西班牙風大鍋飯」が多数当たる。どうやら「パエリア」のことらしい。これも面白い。

昔の録音媒体に懐かしさを感じはするし、独特の音質に惹かれもするけれど、安定性・利便性・多数の音源・新しい音源と考えると今更LPレコードやカセットテープに戻れる気はしない。
MDも導入しなくて良かった(俺賢い)と思う。CDもチェックサムすら入ってないのは今となっては欠陥規格だが、時期を考えるとまあまあ仕方がないとも思うもの。でも、その規格を途中で一切変えなかったのもなんだかな。変えられない規格だったのが命取りとも言えようか。
初めて買ったCDは、ワルター指揮マーラー交響曲第1番、インバル指揮マーラー交響曲第5番、クレンペラー大地の歌、の3枚だったと記憶する。1枚3,500円時代。
おそらく名古屋駅の松坂屋百貨店にあったヤマギワで購入。

昔々、集合住宅に住んでいた頃、父の古い下着を表に干しておいたところ、風で飛んでいったという。
見つけた人が住宅の階段の上がり端にかけておいて下さったが、みすぼらしくて恥ずかしいということで、母はその下着を持ってゆくことができず、長くそのままにしていたという(暗くなってから帰宅する父は気が付かなかったかも知れない)。
私は、ある時七階で執務中、向かいの集合住宅のベランダで布団を干そうとして、風で煽られた布団が飛んでいくのを見たことがある。布団は飛んでいったけれど、干そうとした人が落ちたりせず安心した。

四月の朝。 新しい通学路に惑う人もあり初々しい。
そして資源ごみ回収の朝、昨年度の教科書がもう紐で括られて置かれている。そんなに勉強が嫌いなのかな?
あるいは完璧に履修したからなのか?
そしてまた、ランドセルが入っていたと思しいボール箱。中身のランドセルは今頃新入生の小さな背で踊ってもいようか。
四月の朝は楽しい。

乗車の際、車内で「ピ」が必要な電車に乗った。
本当は一番前の車両で「ピ」をせねばならない車両だが、後ろの降り口から乗ってしまった老婦人がおられた。
ご婦人は、乗ってから「ピ」をせねばと車内で前に移動していく。
事情を知らぬ人々が「ここに座れ」「席を譲る」と立ち上がること私から見えた範囲でも数名。
ご婦人はそれらを断りつつ、前に向かって進んで行った。
なかなかに美しい風景。「ピ」をせねばのご婦人。席を譲る人々。

ネットで同性愛の方の話をみかける。
なんというか「ふつうだ」と感じる。
私は異性愛の人間だが、「異性ならなんでも良い」というわけではなく、種々様々な条件による「好きなタイプ」がある。
そしてまた同性愛の方も「同性ならなんでも良い」というわけではなく、「好きなタイプ」があるようだ。
考えてみるとそれはそうだよねと思う。愛の対象として見るスコープがどこを向いているかだけの違いではないか、と私は感じる。
細顔と丸顔のスコープが違うように、異性と同性のスコープが違う。そんな風に私は感じている。
(スコープなく「異性ならなんでも良い」「同性ならなんでも良い」という方も居られるかも知れないが、あまり思いつかない、というだけのことではある)。

1990年頃、最後の手書き卒論の方がおられたように記憶する。
シベリウスで卒論を書く文学部生と、卒論がないので清書を手伝う法学部生がよくツルんでいた。
大学オケの木管と弦楽器の人たちだったが、弦の人は卒論の内容に文句を言ったりしなかったのか気になる。

日本人(男性)の悪事自慢みたいなのは何だろう。
万葉和歌にも「酒飲んでダメにならない奴はほんとダメ!」なんてあるし、東アジア的親交の深め方に一緒に泥酔するというのがある気がするけれど。
「道徳を踏み越えられるオレ格好良い!」漫画も多かった。
日本は長い歴史において常に技術と倫理を輸入してきたので、こうした輸入コンプレックスから輸入品を否定すると倫理も否定されるということかも知れない。
私自身、「倫理」より「人情」と解釈しようとする部分があるが、これもまた、輸入品否定の気持ちではある。
だがさらに「不幸の均霑」(オレより幸せな奴は許せない)は人情にすら優越しているのだろうか?
そしてまた、そういう「不幸の均霑」は日本だけでないようにも思われる。

燃料費高騰につき、海外の演奏団体が来日を断念するかも、と聞く。
確かに生半可な燃料費高騰ではない上に、大幅な減便が予定されているのだからな、と納得。
今現在、外来音楽家のチケットはレオンコロ四重奏団の一枚だけだ(過去数年ほとんど聞いていない)。さてどうなるか。
機会があって少しばかりご馳走を食べてはみたけれど、もしかするとこれが最後のお魚かもと思わぬでもない。
石油がなければ漁船は動かず、トラックも動かない。料理屋さんからは「コースのみ」と言われたが、できうる限り在庫を減らしているのやも知れぬ。肉についても同じであろうから、豆を買っておくくらいしかないだろう。

斉諧生先生がTwitter上におられるのを発見。浮月斎先生らとともに、一時は毎日(以上の頻度で)読んだ音楽批評ブロクたち。
お元気そうでなにより。今にして思えば「我が国で一般化途中の黎明期のネット」だったのだ。
あの頃のネットには「凄い人」がいた。凄くない人もいたのだろうし、凄い人でネットにいない人もたくさんいたに違いないが、ネットのお陰でお会いすることができた凄い人々も幾人もある。今更ネットでそうした「出会い」はないかも知れぬ。まあ、仕方ないよね。
当時はネット接続できるのは、それだけのお金と技術と時間的余裕がある人々だった。そう思う私は立派なインターネット老人。

TA2020デジタルアンプ修理。
と言っても、電源が壊れたのを入れ替えただけ。12V3Aの電源が通販で850円。
本当は電源が壊れた理由を調べて対応すべきだが、経年劣化であろうと決めつけて何も考えずに交換。
よく見ると、電解コンデンサのひとつが破裂している。以前使っていたPCも電解コンデンサ破裂で止まったのだった。
さて、電源交換により、前より音が少し細くなったような気がするが、気の所為だろう。そもそも、40年前のS-X7なるスピーカーをテストで鳴らしても携帯ラジオ以下の音質。
その後繋いだ Tannoy Mercury2 とても、コンデンサが寿命(寿命でないコンデンサだけ交換した)で、高音が出ていないので、何がなにやらではある。

ネット広告で「ゴルフバックの宅配」。オラには関係ねぇ。まあ世の中の大勢と行き方(生き方)が違うのである。私は。

古くから使っているNiftyのメールアドレス。スパムばかりが来る。
しかもスパム分類力はGoogleに劣る。まあ、仕方がないけれど。
昔は知人友人とはこちらを使っていて、一部どうでも良い広告をGmailで受けていたが、完全に逆転した。
さてどうしたものか。NiftyにはCocologで依存しているけれど。

朝、家の前で掃除をする。お子さんを乗せた自転車が何台か走ってゆく。
ある一台が通った直後、何か白いものが道を横切ったようだ。
お子さんが「消しゴムを落とした」と一言。自転車を止めて戻ってくるママさん。
見回すが見つからず、諦めるように言いつつ走り出す。
私が見た軌跡を元に心当たりを少し探すと、草の葉影にペンギンのような白黒に塗り分けたラグビーボール型の消しゴムを発見した。
家の門柱の上に載せておいたが、さてなくならぬところを見るとまだお気づきでないのか。明日もっと目立つようにせねば。
というので、目立つようにしたところ、日曜朝、ご一家で通りかかって発見・回収されました。良かったよかった。

家の周りを掃除する。子供連れ・犬連れには簡単に声をかける。治安向上運動とも言えるし、いい歳のオッサンが率先して挨拶もしないのは浮世の義理に反すると思うから。

家の周りにいる時、楽器のことを問われることがある。
だが、私が弾いているのが本当に「チェロ」であるか私には確信がない。
楽器そのものはおそらくチェロであろう。しかし、演奏方法はどうだろうか。
小学校の部活動で楽器を初め、長く長く独学で来た。もしかすると根本的に間違っていて、あまりにも間違っているがために、誰もそれを告げられずにしまったという可能性はどうしても否定できない。
あるいは、外見的には間違っていないとしても内部的な力学の根本原理が誤っていて、外部から観察する人々は「なんか変だがそういう奏法もあるかも知れない」と緩慢な善意で解釈している可能性もある。

PCのBluetoothが不安定(というかダメダメ)。
悲しい。
小型キーボードで、キートップには日本語印字がなく、できればUS配列で、無線のもの。って少ないのよね。
ぎりぎりBluetoothならあるが、Logicoolはない。Logiの無線マウス・キーボードは、OSが立ち上がる前から接続されるので便利なんだよね。それに安定もしているし。ChatGPTに聞いても「そんなもん」という結論になるのが悲しい。
Linuxでは、USBのBlueToothアダプターで安定して使えるものがないらしい。悲しい。

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今週の戯れ歌

面白くなき飲み会に出るならばうたのタネでもはつか拾はむ

我の知らぬ原理の世にはあると知れ知りたきことも無かるなれども

理を知らざるままに政を為せる輩ぞ世を乱しをる

世のなべて滅び滅びよ滅びたれ滅び滅びよ我も滅びむ

嘘ついて平気な輩の憎くあり嘘の報ひの早く来るべし

暑き日を過ごせし一日を省みれば「暑し」の他に何もあらざる

なんじやもんじや咲き入る様ぞをかしかり一年一度の大盤振る舞ひ

忙しき仕事の間にはうたを詠み暇なる時にうたの出でざる

生きる為にうた詠むならばうたの為生きるにあらず下手なうたなれ

暖かき一日なれば糠味噌の早く漬かりて早夏来たる

休みとて行く宛とてもなかりけり練習あればもつけの幸ひ

鬱とした気持ちを晴らす術を無み明るきうちより盞を傾く

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今週の戯れ歌

空に浮かぶバンダバルーンを見上げてはスマホを向ける人々数多

愚かなる首相パンダは不要とてイキれど庶民はパンダ愛せる

歴史ある日中友誼の証とてパンダ来たる五十年前

パンダ送られ喜ぶ日々の歴史あり歴史を見ぬは「保守」であらざり

様々な歴史を無視し踏み躙る「保守」とは何ぞ

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