読書の記録(2018年9月)

おばあさん ボジェナ・ニェムツォヴァー
先月から読んでいた本。読んで良かった。穏やかにして美しい。
小津安二郎について、カウリマスキが「殺人、暴力を用いずして人生の機微を描いた」と賞賛していたかと思うが、同じ感懐を抱く。
訳者も、目立たぬ良い仕事をされている。

目の見えない人は世界をどう見ているのか 伊藤亜紗
書店で購入。ここにも生物学科を捨てて、美学に行った人が(先駆者は金沢百枝先生)。
なかなか面白い本であるが、どちらかというと、研究の端緒を見る面白さであって、これで学問が完成しているとはいえない。
また、「目の見えない人の捉え方」を図にして説明したものがあるが、この図の作り方がわからないので、少々不安になる(私が読み飛ばしているせいかもしれない)。
多分、目の見えない人から筆者が聞いたことを、筆者なりの想像力で絵にしたものと、私は思うのだが、そうした「筆者フィルター」がある図なのかどうかは、お知らせ願いたい。
「足が感覚器」という表現を読んで思い出したのは、私の北海道時代、凍結路面を自動車で走っているときに「尻が感覚器」と感じたことである。凍結路面では、自動車は当然のようにスリップするのであるが、路面の凍結も必ずしも平面でなく凸凹しており、それゆえ、四つの車輪が等しくスリップするとは限らず、車体を回転させる力が働くのである。ということで、尻を感覚器にして、車体の回転をいちはやく察知し、体勢を立て直すことが絶対に必要なのである。さもなければ、多くの自動車が通行しているなかで車体がくるりと回転し、自分だけが後ろ向きになってしまうかも知れないのである。
また、多少牽強付会であるかも知れないが、晴眼者であっても、世の中が「同じ」には見えていない。自動車好きは、いちいち車種を見分けて楽しむが、私には鉄の塊が右往左往しているようにしか見えない。機械図面の熟練者は平面上の図がたちどころに立体で見える。地学屋は石を見ればどの地域かたちどころに理解し、気象学者は、雲を見れば、その中の力学的構造を見るであろう。云々。

重力と磁力 山本義隆
面白い部分もあるが、興味を惹かれない部分も少なくない。私には、板倉聖宣「私もファラデー」や「慈力と磁石」の方があっている。

東京店構え ウルバノヴィチ
買った本。紀伊国屋で特装版を見かけ、つい買ってしまう。もちろん、それが嬉しいのだから良いのだ。種々の理由からネット通販は控えるようにしている。
こういう本は好きなのである。私の見ている現実とよく似た、でも少々異なる現実を見る、というのが実はファンタジーなのだと思う。完全なる異世界の話を読んでもあまり面白くない。私の住む現実世界と、私の知らない他の世界が入り混じっている、というのに最も刺激される。
楽しく見られて良かった。

西郷と大久保 海音寺潮五郎
古書店で買った本。西郷流行りに乗って読んだ。新聞連載らしく、後半非常に急ぐ。また、西郷流刑中は、大久保中心に話が進む。そうしたわけで、海音寺が薩摩人として西郷に愛着を抱いていることはよくわかり、そうした淡い同時代感は興味深く読めるものの、説明が行き届いているとはいえない。

世界のことばアイウエオ 黒田龍之助
買った本。様々な言語があることが知れて楽しい。英語偏重への警鐘など、当たり前のことを当たり前に述べていられるのも良い。

清々と 谷川史子
古書店で四巻まとめて購入。良い本だった。良い漫画であった。読んで良かった。
人たちの誠実なやりとりを見るだに快い。
吉松隆のプレイアデス舞曲集がよく似合う。あるいは、ブラームスの弦楽六重奏第二番。
こういう物語を読むと、私の人生は無駄に過ぎてしまったと思う。それはそれで仕方がないではないか。私が私の誠意を発揮したいと思っていても、それに社会的価値がないのであれば。’Mein junges Leben hat ein End' と笑って言ってのけたいものである。

風の十二方位 アシュラ・ル=グウィン
買った本。読んでいる途中。「シュロップシャーの若者」が題詩に上がっているのが嬉しい。ここで私はバターワースの曲を思うのである。
スタニスワフ・レムを好むものとしては、玉石混交と思うのである。
とはいえ、ル=グウィンの様々な面を見ることができて良かった。
(これまでに読んだことがあるのは、ゲド戦記のみ)。

ノアの箱舟 シュペルヴィエル 三野博司
買った本。堀口大學訳を入手したのは十七歳であったかと思う。高価ではあったが、二度と手に入るまいと思ったか、でも、買って良かった。
堀口が訳していない物語も読むことができて良かった。

「塩の歴史」を読んでいる。もう少々訳がこなれていればと思う。原語も気取った言い回しをしてそうだが、直訳調で読みにくいこともしばしば。

忙しいながらも、というよりもその反動で本を大いに買い、大いに読んだ。人生はかく過ぎて行きける。余の事は思ひ煩はず。

公園の黄色い象さんの滑り台の傍で妙な踊りを踊っている男あり。左右の手を振り払うように。よくよく見ると、滑り台の影に幼いお嬢さんがおられ、お嬢さんに蚊がたからないように、手を振っているのであった。

子供の頃に聴いたレコードを思い返す。なかなか変わったものが多かったのは、親の友人に数寄者がいたせいであろう。
ルネ・レイボヴィッツの「禿山の一夜」「展覧会の絵」
エルネスト・アンセルメ指揮のベートーヴェンの交響曲第五番、第七番。
ビーチャム指揮のフランクの交響曲
ジュリーニ指揮の悲愴。

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今週の戯れ歌

お子さんと「たけのこ」を語らふ母ありて「お母さんが『ふみ』だから、あなたは『ふみのこ』ね」とぞいふ

寝て醒めてなほ道行きの途中なり通過列車の身を揺るがしつ

ある朝は耳聞こへざるを驚けり重き病ひの友あるが故

ものごとに裏あるを知る歳になり思つたことを皆は言はれず

様々の裏と表を知りながら惚けてをるも処世の術なり

嘘つかず正直者で通したくあへて黙せることを選べり

今にして思へ場我の来し方はただ欲につれ足を運べる

ブラタモリ何回見ても石の名が覚はらざる我気象学科卒

疲れてはうたうたふにも思ひなく只疲れたと後は思はず

世の中に己を猛る人のありて人傷つくを省みもせず

生きるには様々の人に会ふべかる愚かな人に会ふの悲しき

我もまた愚かな人の群れにあり人を謗るは愚かさの故

黙しあればせめて悪口なくも済み我が誠実はその程度なる

世にあるを怨み怨みて覚ゆべし我なくばまた怨みなし

何時か我怨み忘れて生きるべし自我の半ばも忘るるのならば

若き人の優しさ見れば心傷む世知に長けたる人もやあれば

嘆けるは人にしありて獣らしく相闘いて傷つけあふこと

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今週の戯れ歌

看板の一つ一つに燕の巣街の人らのやさしさなるかな

人たちの生きたる様を観るにつけ生きて有るのは下らなきかな

下らなき人に交はり言ふことなき交はらざるのいとど良きかな

静けさや嵐の後の蓮の花重たい水面に波紋がひとつ

世の中で一番酷い目に遭うは私ではなし有り難きかな

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読書の記録(2018年8月)

その他の外国語エトセトラ 黒田龍之助
買った本。少々硬質な諧調が面白かった。私も外国語学習欲があるものの、真面目にやっていないね。ヨセフ・チャペックの「島」を読みたいと思っているが、チェコ語を今から学習して、「島」を楽しめるともあまり思えないし、それならば、英語で読むのもよかろう、と思っている。英語は、母語ではない使用者も多く、実質的な中間言語として翻訳ものも多いようであり、読書好きには学ぶに足る言語である、と思っている(そういう私には、発音はどうでも良い)。

ボルヘス怪奇譚集 ボルヘス、ビオイ=カサレス
買った本。アンソロジーということになっているが、この二人の名からすると、偽作もあろうと思うのも含めて楽しみつつ読んでしまう。
堀口大學が取り上げている「ナポリの女乞食」があり、嬉しかった。具眼の士とはあるものだね。よって、堀口訳詩集なども少々めくり見る。アポリネールの艶笑詩など、若いときにはわからなかった。

シベリア最深紀行 中村 逸郎
買った本。amazon.co.jpでは、写真の多い表紙の印象から、てっきり写真が多い本と思ったが、中身は基本的に文書。わづかに白黒写真。
ふつうには行けぬ場所に行き、ふつうには会えぬ人々に会っているのだろうが、そもそも、筆者が何を考えてこうした場所に行き、何を考えて行動しているかがよくわからず、それゆえ、筆者が最終的に抱く感懐もよく理解ができない。少々残念な書であった。

巨匠とマルガリータ ブルガーコフ
買った本。思いの他面白かった。冒頭からしてすっ飛んでいるけれど、「巨匠」も「マルガリータ」も予期していたものとは全く異なる。
外国語の和訳はある程度生硬であることを覚悟しなければならないが、この訳は非常にこなれていて読みやすかった(無用の注が少ない点も良い)。
ファウスト、新約聖書、ロシア小説、ソビエト時代を知らない場合に、面白いと思えるか、等は疑問。(それは作者や翻訳者の責任ではなく読者の問題だと思う)。

ルイ14世の軍隊 ルネ・シャルトラン
昔買った本。ダルタニャンへの言及はあるが、近衛銃士隊の服装が結局はよくわからない(絵では見せてもらえない)点は、私のような者には残念。正史としては、ダルタニャン氏がさほど重要ではない、というのは確かだが。

勝海舟の嫁クララの日記 クララ・ホイットニー
古書店で買った本。上下巻のうち上巻のみ。
面白いかと言われると甚だ惑う。こういうことに興味がある者にはそれなりに面白いと述べるのが正しかろう。
梅太郎との婚姻に最大の興味があるわけだが、そういうことは日記には書かれていないらしい。

楽しいUNIX 坂本文
古書店で186円。今更これを読むのもナンであるが、若い人向けにと思いつつ、また、懐かしさから買ってしまう。実は、私はこの本をきちんと読んだことがなかったが、Unixのあるところには、必ず置かれていたように思う。今の知識で見ると、そういう書き方は誤解を生じませんか等の心配もしてしまうが、コンパクトにまとまった良書である。lessはなくて、moreしかない等の時代の違いはあるけれど。ちなみに、続編はC shellの本なので、そのユーザー以外には縁がないだろうなあ。私は、わづかなksh時代以外は、bashであるし、移植性のためにスクリプトはshで書けと教育されたので。

おばあさん ニェムツォヴァー、 栗栖 継
買った本。地味な題名、見た目に関わらず、大変面白い。
チェコの国民的書物とのことだが、大変味わい深い良書である。ドヴォルザーク好き等チェコに興味がある御仁は読まざるべからず。
まだ、最後まで行っていないけれど、読み終わるのが惜しい、と思わするものである。

ソ連は、米国製爆撃機B-29の実機からリバースエンジニアリングを行いコピー機を作ったという。ネジは米国式のインチネジであったのか、ソ連のミリネジであったのか。少々気になる。エンジンもソ連の同等品を使っているのだから、同じように工業製品としての量産性を考えればミリネジであったろうなあ。

車中、学生が古語の単語集を読んでいた。曰く「わななく」。私はこの語を好むけれど、思い出せる用例は、堀口大學の訳するアルセーヌ・ルパンだけだ。『H(アッシュ)はわななく』というのが、ティベルメニル城館の秘密の通路を開く暗号ではなかったかしら。ともあれ、堀口訳以外のルパンは言動が軽く思われて、つい読まずにしまう理由である。
(「わななく」は堀口大學訳詩集に出てきた。当然だね)。

新しいネタを考えついた!
鳥獲りが鳥獲りにきて鳥獲れず鳥獲り獲り帰る鳥獲りの声
元はもちろん
瓜売りが瓜売りにきて瓜売れず瓜売り売り帰る瓜売りの声

そうなると・・・
襟選りが襟選りにきて襟選れず襟選り選り帰る襟選りの声
織織りが
花卉描きが
栗刳りが
鳧蹴りが
狐狸懲りが
(以下同文)

この8月は少々読書することができ、大変嬉しい。夏休みがとれる見込みは薄く、今後さらに忙しくなる予感もあるけれど、「おばあさん」のような面白い本を読むことができ、「ナポリの女乞食」を見つけるなど、楽しみもあるというのはありがたいことだ。

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今週の戯れ歌

お子さんと「たけのこ」を語らふ母ありて「お母さんが『ふみ』だから、あなたは『ふみのこ』ね」とぞ

寝て醒めてなほ道行きの途中なり通過列車の身を揺るがしつ

ある朝は耳聞こへざるを驚けり重き病ひの友あるが故

ものごとに裏あるを知る歳になり思つたことを皆は言はれず

様々の裏と表を知りながら惚けてをるも処世の術なり

嘘つかず正直者で通したくあへて黙せることを選べり

今にして思へば我の来し方はただ欲につれ足を運べる

夜の底に沈みつつある暮れ方の町にぽつぽつ灯火の増え

体温を超える外気を吸い込んで吸つた心地の無きぞ悲しき

体温を超える外気を吸つたとて頭上の靄は晴れぬままなる

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読書の記録(2018年7月)


ピアノの名曲 メジューエワ
買った本。なまなかの知識では読み進めることすら難しく、あるていど知っている曲のみを無理やり読んだところである。
でも、こういう方の考えていることの一端であれ、知ることができるのは面白く、ありがたいことである。
私は、メジューエワ様の演奏がきっかけでメトネルを聴くようになった者であるが、アムランの演奏は速すぎるように思ってしまう。メジューエワ様は、ロシア人ピアニストはゆっくり歌いたがると指摘されているが、その好例であり、私はロシア人の側にいるようだ。
今後、さらに学びを深めつつ、本書を読めるようになりたいものだ。

日本景観論 アレックス・カー
古書店で購入。皮肉な景観論。正論にさらに皮肉がまぶされているのには、正直苛立たしくはあるのだが、私自身、小学生時分に新幹線から見る車窓が看板で汚されていることに悲しんだ覚えがあり、他人の指摘とは思えない。
そしてまた、猥雑なるを「アジアの特質」として誤魔化すこともまた私のなすところであったが、カー氏にはすでに先回りされている。まさに、ご指摘のとおり。

君たちはどう生きるか 吉野源三郎
古書店で購入。良い本だった。
この「叔父さん」は三十歳をいくらも出ていないであろうが、「大人」である。私たちは本当に「大人」であろうか。

電車基礎技術
少しずつ読み進めている。大変勉強になる良書。(偶に誤字があるが、そんなことが問題になる書ではない)。自分自身の興味や背景知識から、章立ての順番には読まず、台車、働力制御の順で読み、ブレーキ系はまだ読めていない。

磁力と重力の歴史 山本義隆
古書店で三冊買ったうち、第一巻の半ば過ぎまで。
古代あるいは中世人が磁力についてどんなに変ちくりんな理屈を展開していようが、私の実生活にはなんら関係はないのである。で、読書としては、歴史的概観の部分は面白いが、昔の人の変ちくりんな理屈は少々退屈だ。それを言っちゃあおしまいよ、ではあるものの。ということもあってか、ちょいちょい古書店で三冊揃いを見つける。

新宿烏森口青春編
サラバ国分寺書店のオババ
古書店で百円。椎名誠氏の有名な書。面白かった。解説にもあるとおり、中小企業を描いた「企業小説」はあまりない(なかった)。
ともあれ、後者は国分寺書店の部分は少なく、また、それが主題とも思えぬ。たしかに最良の部分ではあるけれど。
「国鉄」なんて言葉が懐かしい。さすが「昭和軽薄体」。

青春デンデケデケデケ 芦原すなお
昔買った本。繰り返し読むに足る良い本。

魯山人味道
昔買った本。文章の味わいがあって、つい読んでしまう本。魯山人はただならぬ人であった、と感じる。何よりも、自分自身が手ずから料理をしており、大根の皮まで食べる意気がある。

雨月物語 上田秋成
買った本。なかなか面白く読めた。現代ではあまり使わぬ大和言葉が見られるが、漢字にかなをふってあるおかげで、意味は漢字をみてわかるという具合だ。
講談社学術新書版であるが、解説は非常に難解にして長いので、ほぼ読まなかった。解説を書いた時代背景がわからねば、解説自体が理解できないのではないか。古典の物語を解釈するのに「イデオロギー」という言葉を頻用することに私は違和感を持つ。私のように、物語として楽しみたいものは、この版を買う要なし。

ヨシダ裸でアフリカを行く ヨシダナギ
買った本。これまた無謀な若者のお話。面白くはあるが、不安になってしまう。でも、知恵長けたるまで待つと、こうした冒険心が失われてしまうので、若く、無知なうちに冒険をしておくべきものかもしれない。(でも、海外に単身行くのであれば、英語はあるていど身につけておくべきではないだろうか)。
まだ、読み始めたばかり。

CDを買う。アファナシエフのシューベルトの晩年のピアノソナタ、タブラトゥーラの「放浪」、デンマーク弦楽四重奏団の民謡集、シア・キングのブラームスのクラリネット五重奏・三重奏。350円のものもあり、なんだかごめんなさいな気分である。

以前読んだ『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(田嶋幸三)では、サッカーにおいて「意図のあるプレイ」を大いに称揚しており、私も大いに共感している。今回のワールドカップにおける日本チームを垣間見るに、「意図のないサッカー」 をしている瞬間がごく少ないのは、これまでと比べて大きな進歩であると思った。嬉しい限りである(偉そうにスミマセン)。

合唱曲「樹氷の街」の歌詞を思い出してみる。「黒い鉄路を白く繋ぐ」というくだりは、雪国に暮らしたものには、むしろ逆に思われる。黒い鉄路は降雪によって一面の白色の中に塗り込められ、春になって再び黒く繋がれる。また、樹氷というのは、ある程度の風速がないとできにくいように思うが、街は多くの凸凹があり、風速が落ちがちで、あまり樹氷ができる環境ではないように思われる。もちろん、もっと象徴主義的に捉えるべきなのであるが。(野暮でスミマセン)。

奥歯を抜歯をしたり、帯状疱疹らしきものが出たり、ご年齢もあって、だんだんに劣化してゆく私。今月は少々本が読めた。それだけでも良しとしよう。

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読書の記録(2018年6月)

マッティは今日も憂鬱 カロリーナ・コルホネン
買った本。静かで面白い。何冊も読むかと言われると疑問だが。

電車基礎講座(改訂版) 野元浩
買った本。これはいい本だ。説明も技術的根源に遡ってなされており丁寧だ。
とはいえ、電車技術も相当に複雑なので、簡単に頭に入るというわけではない。相応の覚悟と時間を要する本だ。でも、時間をかけて読むに足る内容と記述がされていると思う。
もちろん、まだ途中。
昔々、電気学科に行こうとしていたことを思い出した。行っていたら、まったく違う人生であったろうね。

縄文人に相談だ 望月昭秀
買った本。面白いことは面白いけれど、シャレで読む程度かな。

アイヌと縄文
買った本。背景知識がないせいか、短期記憶や文章読解力が落ちているせいか、頭に入らない。
ともあれ、万葉集に現れる「しだ」がアイヌ語の借用ではないか、というのは面白かった。「我が面(おも)を忘れむしだはクニはふり峰(ね)に立つ雲を見つつ忍はせ」という万葉歌は、教科書で見て以来私の大変好むところであるが、この「しだ」について知識が得られて大変嬉しい。
(うたの意味は、「私の顔を忘れてしまったときには、大地から沸き起こり、峰の上に立ち上る雲を見て偲んでください」であろう)。

クッキングパパ うえやまとち
古書店で三冊購入。人目を気にしない梅田夫妻の、その後の成長が端々にあって嬉しい。正確に言えば、彼らが成長した、というよりも、彼らの良さをわかる程度に読者が(私が)成長したというべきか。

多忙ゆえ読書量は少ない。仕事関係の本は読んでおり、まあ、こんなものか。

新幹線の車中で、幼いお子さんと「たけのこ」について語らっていた女性。「お母さんが『ふみ』だから、あなたは『ふみのこ』ね」。素晴らしいポエジー。

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今週の戯れ歌

他人の褒む書物厭へる我なれば百万売るるを憎み読まざる

人は人我は我なり羨みて向上せるなら羨みてもみむ

永休みする事も無く過ごせれば深酒するもちと悪からず

我を我と措定し得るは人達の我を我とぞ言へる故なる

我は我を以て我とぞ覚ゆれば人達もなく我はあらざる

人の見る我は我なり我の見る我我ならず心得よ我

世の人の色々あらむ詳細は守秘義務あらばあへて黙せむ

人の行かぬ道を歩けば心軽く歩く人あつてと道と思はず

我よ我失はれつつある自我なれば絶って探すも不要なるらむ

笑ひ声のまこと良からむ世を捨つる我にありても心慰む

有楽町新橋浜松町田町麦酒開ければ旅をしぞ思ふ

弓矢持つ老若男女駅に在り狙はる的の寝覚め悪しかる

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読書の記録(2018年5月)


スターメイカー ステープルドン
長野で買った本。「最初にして最後の人類」と勘違いしていたのではある。
まだ、前半三分の一。
宗教があれば、教会があり、聖書がある、というのは、キリスト教者の素直な表現なのであろう。翻訳者が、「伽藍」や「経典」あるいは「聖典」と訳してもよかろうとは思うのだが。
ちなみに、日本語でキリスト教に用いている「教会」とは建物の意味ではなく、ギリシア語の「エクレシア=集会」の意味らしい。確かに、「教会」とは「教会堂」ではない。

臨済録 
昔買った本。若い頃の私には奇矯極まりない禅者たちのやりとりが面白かったけれど、常識人として生きている現在において、彼らの狂気が真実のものなのか、つい疑ってしまう。己の小さきことを反省すべきだろう。

カレー・カルチャー
長野で買った雑誌。カレーの世界もなかなか大変だ。カレーを食べに行きたくなる一方、カレー屋さんの大変さを思うと心から楽しめなかったりする小心な私。

多忙ゆえあまり読書のできなかった五月。仕事の本も読んでいるので、無読というわけでもない。

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今週の戯れ歌

意味もなき人生を生きる我なれど優しき人の我を支へむ

「中山式」の看板懐かし東京駅その意味するところは未だ知れねど

目を細め看板見上げ戯るるあの一時のかけがえもなきを

我が膝の悪しかる様を伺ひつ共に歩ける一時のあり

人たちと対して行くには面倒と感じることの多き我なる

独り酒独りで飲みて人生の退屈なるを暫し慰む

二十年隔てて友の形見来る嗚呼己も又直ぐに逝かなむ

若くして逝きし友あり疎略なる最後の別れをただ悔やむのみ

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