今週の戯れ歌

我がうたの冥くあるこそ正しけれ生きてあるには意味の無ければ

人たちは生きる意味をば捨てをきて己が愚痴をば賢しらに言ふ

人生に意味無きことを思ほへば明るく生きる他無からまし

意味のなき生を生きたる我なれば生を愚弄することもあれ

捻れたる蛋白質の作りたる空気振動を「言葉」と言ふなる

空気なる振動意味を伝ふとて多少ご回答のあるも当然

あれこれを誤解もすなる我なれど甚だしきは悲しかりけり

戦闘中死亡するのを望みけむ生きる意味なき生を生きれば

生きてあれば斬った張ったも生のうちその瞬間は汗顔なれども

| | Comments (0) | TrackBack (0)

読書の記録(2018年11月)


言語設計者たちが考えること Masterminds of Programming
以前買った。様々なプログラミング言語の本。ぱらぱらと読み直す。
プログラミング言語の選定も幅広く、その点も非常に良い。プログラミング言語のような普遍的ツールの作者たちが何を考えているかの一端が示されており、それを比較対照できるということからのみでも学ぶべき点の多い貴重な書だ。

神曲 ダンテ
古書店で一冊百円。さすがに古い岩波文庫は読みにくい。
韻文を韻文らしく訳しているせいがあろうが、「この文章は地の文か、作中のダンテの発話か、あるいはウェルギリウス、あるいは他の登場人物の発話か」と惑うことが多い。
また、種々現れる有名人も原語表記やイタリア式表記になっており、普通の日本式表記ではなく、これまたわかりにくい。「シーザー」って言ってよと思うのだ。
安さにほだされて買ったものの少々後悔。どこまで頑張れるかな?

戦う操縦士 サン=テグジュペリ
昔々買った本。私が最初に読んだ「文学」。何度でも読もう。

亀のひみつ 田中美穂
阿佐ヶ谷に行ったついでに買う、なかなか楽しい。
私の「亀」は、幼いころ持っていた大きなぬいぐるみ。そして「ドロンコ」(ドリトル先生と秘密の湖」の彼)。

古書店でちくま文庫版「デカメロン」一冊百円。思わず購入。学生時代から迷いつつ買わなかった書。

某日、ユジク阿佐ヶ谷で映画「キン・ザ・ザ」を観る。観てよかった。映画館で観て良かった。ユーモアがありペーソスがある。日常があり幻想がある。同じ風景が幾重にも異なる意味で見えてくる。素晴らしい映画だ。
これから観ようという方には、是非映画館での観覧をお勧めしたい。
(ユジクさん素晴らしい機会をありがとう)。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

今週の戯れ歌

知らぬ町の夜道を雨にそぼ濡れて歩く我只誰でもなきまま

この年は銀杏の黄葉見ざりけり大塩風の街に狂へば

生きるとは望まぬ酒を飲まされて望まぬことを言はさるること

生きるとは望まぬままに流されて望まぬままに何かすること

生きるとは今日を忘れる心ありて明日は明日とて切断すること

生きるとは連続性を願ひつつ種々切断を受け入るること

連続と滑らかなるは異なると数学は言ひ我も思ほゆ

滑らかな生を生きむと思ほへど滑らかならぬは運命なりける

生きるとは詩人になりたき心あれど詩を書かぬまま今日になること

行き行きて狂気の様を省みよ我が踏む道の乱れて乱れて

あの人のやうなる人に道を譲り心の内の少し安らぐ

| | Comments (0) | TrackBack (0)

今週の戯れ歌

何事も油刺さねば軋むなりヨイショは社会の潤滑油です

ヨイショして真に受けらるる事もあり片腹痛きをどこで晴らさむ

ヨイショしてまたヨイショしてヨイショしてまあいい加減ヨイショもよきかな

生酔ひで朝昼晩を過ごすかな酒飲まずとも朧なるまま

神経を逆撫でさるる事のあり呆れ果てては言葉すら出ず

直感が我を導く正義すら直感以外の何ものでなし

目の前を酒が過ぎ行く幾杯か知れぬままなる我は唯我

様々な仕事ありせば気に染まぬあれこれこそが記憶に残れる

星空の輝くやうなブルックナー広大な宇宙考える葦

| | Comments (0) | TrackBack (0)

読書の記録(2018年10月)

カラスと京都 松原始
買った本。私と同年代の方の、学生時代を描いた書。さすが京都大学、自由にして闊達、というところと、同年代ならではの似たような部分とが入り混じっている。私には面白いが、万人にそうであるかは不明。
「旅するミシン店」なる書店の発行。いわゆる取次を通さず、「買い切り扱い」等の条件つきでのみ卸すという。こういう本を扱う紀伊国屋は偉い!(こういう面白い本を出すのも、もちろん偉い!)。

風の十二方位 ル=グウィン
買った本。ル=グウィンは、三十年前の「ゲド戦記」以来。
初期から後期に至る短編を読むことができ、大変よかった。
SFというよりもファンタジーのように感じる。ということは、登場するのは、すべて「人間」であり、「訳の判らない生物(いや、そもそも生物か?)」ということはほとんどない。
稀に訳語でひっかかることあり。古い訳でもあり、仕方ないけれど。

塩の世界史
古書店で買った本。この本を買って「犬の忠臣蔵」を見に行くと、赤穂と吉良の塩の話が出てびつくりした。
ともあれ、凝った原文を訳しきれていないようで、ところどころ舌足らずで読みにくい。途中で投げ出している。

中世の秋 ホイジンガ
昔買った本。この本が好きなんです。理由は定かでないけれど。
実用性皆無の保証付。それでも二度三度読んでしまうのだ。事実は小説よりも奇也ということか。歴代ブルゴーニュ公の「無怖公(サン・プール)」「善良公(ル・ボン)」「突進公(ル・テレメール)」といった通り名は、訳語も素敵。
私は「遠くに行くこと」を求めて読書しているらしい。そして、中世欧州もまた間違いなく「遠く」である。

カザルスへの旅 伊勢英子
以前、古書店で買った本。実は、一度この本を読みかけて投げ出している。私には実に読みにくい。この方は、勢いで様々な行いをしているけれど、そういう姿が痛々しいと私には思われてらないのである。若さゆえの勢いというのは、ある人にはあって良いのだ、と近頃思うのではあるが、それをまた赤裸々に語られるたものを読むことに対し、私には読者としてのためらいがある。
よって、途中まで読み、少し先を拾い読み、結局すべては読めなかったのである。


書籍等の通信販売サイトに、書物の評価の「星」が示されている。もちろん、読んで面白かったり、役に立ったりしたら、多くの「星」をつければ良いであろう。しかし、読んでみて、面白くなかったり、役に立たなかったりしても、それは、その時の「私」の側の問題であるかも知れぬ。そういう意味の「読者を選ぶ本です」というフラグがあっても良いのではないか、と思う。特に数学や物理を始めとする高度な教科書類は、多くの知識を前提として必要とする場合があるのだから、当然「読者を選ぶ」のである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

読書の記録(2018年9月)

おばあさん ボジェナ・ニェムツォヴァー
先月から読んでいた本。読んで良かった。穏やかにして美しい。
小津安二郎について、カウリマスキが「殺人、暴力を用いずして人生の機微を描いた」と賞賛していたかと思うが、同じ感懐を抱く。
訳者も、目立たぬ良い仕事をされている。

目の見えない人は世界をどう見ているのか 伊藤亜紗
書店で購入。ここにも生物学科を捨てて、美学に行った人が(先駆者は金沢百枝先生)。
なかなか面白い本であるが、どちらかというと、研究の端緒を見る面白さであって、これで学問が完成しているとはいえない。
また、「目の見えない人の捉え方」を図にして説明したものがあるが、この図の作り方がわからないので、少々不安になる(私が読み飛ばしているせいかもしれない)。
多分、目の見えない人から筆者が聞いたことを、筆者なりの想像力で絵にしたものと、私は思うのだが、そうした「筆者フィルター」がある図なのかどうかは、お知らせ願いたい。
「足が感覚器」という表現を読んで思い出したのは、私の北海道時代、凍結路面を自動車で走っているときに「尻が感覚器」と感じたことである。凍結路面では、自動車は当然のようにスリップするのであるが、路面の凍結も必ずしも平面でなく凸凹しており、それゆえ、四つの車輪が等しくスリップするとは限らず、車体を回転させる力が働くのである。ということで、尻を感覚器にして、車体の回転をいちはやく察知し、体勢を立て直すことが絶対に必要なのである。さもなければ、多くの自動車が通行しているなかで車体がくるりと回転し、自分だけが後ろ向きになってしまうかも知れないのである。
また、多少牽強付会であるかも知れないが、晴眼者であっても、世の中が「同じ」には見えていない。自動車好きは、いちいち車種を見分けて楽しむが、私には鉄の塊が右往左往しているようにしか見えない。機械図面の熟練者は平面上の図がたちどころに立体で見える。地学屋は石を見ればどの地域かたちどころに理解し、気象学者は、雲を見れば、その中の力学的構造を見るであろう。云々。

重力と磁力 山本義隆
面白い部分もあるが、興味を惹かれない部分も少なくない。私には、板倉聖宣「私もファラデー」や「慈力と磁石」の方があっている。

東京店構え ウルバノヴィチ
買った本。紀伊国屋で特装版を見かけ、つい買ってしまう。もちろん、それが嬉しいのだから良いのだ。種々の理由からネット通販は控えるようにしている。
こういう本は好きなのである。私の見ている現実とよく似た、でも少々異なる現実を見る、というのが実はファンタジーなのだと思う。完全なる異世界の話を読んでもあまり面白くない。私の住む現実世界と、私の知らない他の世界が入り混じっている、というのに最も刺激される。
楽しく見られて良かった。

西郷と大久保 海音寺潮五郎
古書店で買った本。西郷流行りに乗って読んだ。新聞連載らしく、後半非常に急ぐ。また、西郷流刑中は、大久保中心に話が進む。そうしたわけで、海音寺が薩摩人として西郷に愛着を抱いていることはよくわかり、そうした淡い同時代感は興味深く読めるものの、説明が行き届いているとはいえない。

世界のことばアイウエオ 黒田龍之助
買った本。様々な言語があることが知れて楽しい。英語偏重への警鐘など、当たり前のことを当たり前に述べていられるのも良い。

清々と 谷川史子
古書店で四巻まとめて購入。良い本だった。良い漫画であった。読んで良かった。
人たちの誠実なやりとりを見るだに快い。
吉松隆のプレイアデス舞曲集がよく似合う。あるいは、ブラームスの弦楽六重奏第二番。
こういう物語を読むと、私の人生は無駄に過ぎてしまったと思う。それはそれで仕方がないではないか。私が私の誠意を発揮したいと思っていても、それに社会的価値がないのであれば。’Mein junges Leben hat ein End' と笑って言ってのけたいものである。

風の十二方位 アシュラ・ル=グウィン
買った本。読んでいる途中。「シュロップシャーの若者」が題詩に上がっているのが嬉しい。ここで私はバターワースの曲を思うのである。
スタニスワフ・レムを好むものとしては、玉石混交と思うのである。
とはいえ、ル=グウィンの様々な面を見ることができて良かった。
(これまでに読んだことがあるのは、ゲド戦記のみ)。

ノアの箱舟 シュペルヴィエル 三野博司
買った本。堀口大學訳を入手したのは十七歳であったかと思う。高価ではあったが、二度と手に入るまいと思ったか、でも、買って良かった。
堀口が訳していない物語も読むことができて良かった。

「塩の歴史」を読んでいる。もう少々訳がこなれていればと思う。原語も気取った言い回しをしてそうだが、直訳調で読みにくいこともしばしば。

忙しいながらも、というよりもその反動で本を大いに買い、大いに読んだ。人生はかく過ぎて行きける。余の事は思ひ煩はず。

公園の黄色い象さんの滑り台の傍で妙な踊りを踊っている男あり。左右の手を振り払うように。よくよく見ると、滑り台の影に幼いお嬢さんがおられ、お嬢さんに蚊がたからないように、手を振っているのであった。

子供の頃に聴いたレコードを思い返す。なかなか変わったものが多かったのは、親の友人に数寄者がいたせいであろう。
ルネ・レイボヴィッツの「禿山の一夜」「展覧会の絵」
エルネスト・アンセルメ指揮のベートーヴェンの交響曲第五番、第七番。
ビーチャム指揮のフランクの交響曲
ジュリーニ指揮の悲愴。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

今週の戯れ歌

疲れてはうたうたふにも思ひなく只疲れたと後は思はず

世の中に己を猛る人のありて人傷つくを省みもせず

生きるには様々の人に会ふべかる愚かな人に会ふの悲しき

我もまた愚かな人の群れにあり人を謗るは愚かさの故

黙しあればせめて悪口なくも済み我が誠実はその程度なる

世にあるを怨み怨みて覚ゆべし我なくばまた怨みなし

何時か我怨み忘れて生きるべし自我の半ばも忘るるのならば

若き人の優しさ見れば心傷む世知に長けたる人もやあれば

嘆けるは人にしありて獣らしく相闘いて傷つけあふこと

ブラタモリ何回見ても石の名が覚はらざる我気象学科卒

| | Comments (0) | TrackBack (0)

今週の戯れ歌

看板の一つ一つに燕の巣街の人らのやさしさなるかな

人たちの生きたる様を観るにつけ生きて有るのは下らなきかな

下らなき人に交はり言ふことなき交はらざるのいとど良きかな

静けさや嵐の後の蓮の花重たい水面に波紋がひとつ

世の中で一番酷い目に遭うは私ではなし有り難きかな

| | Comments (0) | TrackBack (0)

読書の記録(2018年8月)

その他の外国語エトセトラ 黒田龍之助
買った本。少々硬質な諧調が面白かった。私も外国語学習欲があるものの、真面目にやっていないね。ヨセフ・チャペックの「島」を読みたいと思っているが、チェコ語を今から学習して、「島」を楽しめるともあまり思えないし、それならば、英語で読むのもよかろう、と思っている。英語は、母語ではない使用者も多く、実質的な中間言語として翻訳ものも多いようであり、読書好きには学ぶに足る言語である、と思っている(そういう私には、発音はどうでも良い)。

ボルヘス怪奇譚集 ボルヘス、ビオイ=カサレス
買った本。アンソロジーということになっているが、この二人の名からすると、偽作もあろうと思うのも含めて楽しみつつ読んでしまう。
堀口大學が取り上げている「ナポリの女乞食」があり、嬉しかった。具眼の士とはあるものだね。よって、堀口訳詩集なども少々めくり見る。アポリネールの艶笑詩など、若いときにはわからなかった。

シベリア最深紀行 中村 逸郎
買った本。amazon.co.jpでは、写真の多い表紙の印象から、てっきり写真が多い本と思ったが、中身は基本的に文書。わづかに白黒写真。
ふつうには行けぬ場所に行き、ふつうには会えぬ人々に会っているのだろうが、そもそも、筆者が何を考えてこうした場所に行き、何を考えて行動しているかがよくわからず、それゆえ、筆者が最終的に抱く感懐もよく理解ができない。少々残念な書であった。

巨匠とマルガリータ ブルガーコフ
買った本。思いの他面白かった。冒頭からしてすっ飛んでいるけれど、「巨匠」も「マルガリータ」も予期していたものとは全く異なる。
外国語の和訳はある程度生硬であることを覚悟しなければならないが、この訳は非常にこなれていて読みやすかった(無用の注が少ない点も良い)。
ファウスト、新約聖書、ロシア小説、ソビエト時代を知らない場合に、面白いと思えるか、等は疑問。(それは作者や翻訳者の責任ではなく読者の問題だと思う)。

ルイ14世の軍隊 ルネ・シャルトラン
昔買った本。ダルタニャンへの言及はあるが、近衛銃士隊の服装が結局はよくわからない(絵では見せてもらえない)点は、私のような者には残念。正史としては、ダルタニャン氏がさほど重要ではない、というのは確かだが。

勝海舟の嫁クララの日記 クララ・ホイットニー
古書店で買った本。上下巻のうち上巻のみ。
面白いかと言われると甚だ惑う。こういうことに興味がある者にはそれなりに面白いと述べるのが正しかろう。
梅太郎との婚姻に最大の興味があるわけだが、そういうことは日記には書かれていないらしい。

楽しいUNIX 坂本文
古書店で186円。今更これを読むのもナンであるが、若い人向けにと思いつつ、また、懐かしさから買ってしまう。実は、私はこの本をきちんと読んだことがなかったが、Unixのあるところには、必ず置かれていたように思う。今の知識で見ると、そういう書き方は誤解を生じませんか等の心配もしてしまうが、コンパクトにまとまった良書である。lessはなくて、moreしかない等の時代の違いはあるけれど。ちなみに、続編はC shellの本なので、そのユーザー以外には縁がないだろうなあ。私は、わづかなksh時代以外は、bashであるし、移植性のためにスクリプトはshで書けと教育されたので。

おばあさん ニェムツォヴァー、 栗栖 継
買った本。地味な題名、見た目に関わらず、大変面白い。
チェコの国民的書物とのことだが、大変味わい深い良書である。ドヴォルザーク好き等チェコに興味がある御仁は読まざるべからず。
まだ、最後まで行っていないけれど、読み終わるのが惜しい、と思わするものである。

ソ連は、米国製爆撃機B-29の実機からリバースエンジニアリングを行いコピー機を作ったという。ネジは米国式のインチネジであったのか、ソ連のミリネジであったのか。少々気になる。エンジンもソ連の同等品を使っているのだから、同じように工業製品としての量産性を考えればミリネジであったろうなあ。

車中、学生が古語の単語集を読んでいた。曰く「わななく」。私はこの語を好むけれど、思い出せる用例は、堀口大學の訳するアルセーヌ・ルパンだけだ。『H(アッシュ)はわななく』というのが、ティベルメニル城館の秘密の通路を開く暗号ではなかったかしら。ともあれ、堀口訳以外のルパンは言動が軽く思われて、つい読まずにしまう理由である。
(「わななく」は堀口大學訳詩集に出てきた。当然だね)。

新しいネタを考えついた!
鳥獲りが鳥獲りにきて鳥獲れず鳥獲り獲り帰る鳥獲りの声
元はもちろん
瓜売りが瓜売りにきて瓜売れず瓜売り売り帰る瓜売りの声

そうなると・・・
襟選りが襟選りにきて襟選れず襟選り選り帰る襟選りの声
織織りが
花卉描きが
栗刳りが
鳧蹴りが
狐狸懲りが
(以下同文)

この8月は少々読書することができ、大変嬉しい。夏休みがとれる見込みは薄く、今後さらに忙しくなる予感もあるけれど、「おばあさん」のような面白い本を読むことができ、「ナポリの女乞食」を見つけるなど、楽しみもあるというのはありがたいことだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

今週の戯れ歌

お子さんと「たけのこ」を語らふ母ありて「お母さんが『ふみ』だから、あなたは『ふみのこ』ね」とぞ

寝て醒めてなほ道行きの途中なり通過列車の身を揺るがしつ

ある朝は耳聞こへざるを驚けり重き病ひの友あるが故

ものごとに裏あるを知る歳になり思つたことを皆は言はれず

様々の裏と表を知りながら惚けてをるも処世の術なり

嘘つかず正直者で通したくあへて黙せることを選べり

今にして思へば我の来し方はただ欲につれ足を運べる

夜の底に沈みつつある暮れ方の町にぽつぽつ灯火の増え

体温を超える外気を吸い込んで吸つた心地の無きぞ悲しき

体温を超える外気を吸つたとて頭上の靄は晴れぬままなる

| | Comments (0) | TrackBack (0)

«読書の記録(2018年7月)