読書の記録(2019年6月)

甲子夜話
「くだ狐」の記事を見つける。「豆つぶほどの小さないぬ」で言及されているそれを見出す日が来るとは思ってもいなかった。佐藤さとるの完全な創作であると思っていた。完全な創作ではないからといって、コロボックルシリーズの価値がわづかなりとも減ずるものではない。でも、佐藤が見たであろう風景を私が自分で発見したということは、私にとって大きな喜びである。私は、いつか「矢印の先っぽの国」に行ってみたいと思う者であるが、安易にそれを検索したりはしない。いつか自然に導かれるものだと信じる。

 

遠野物語
後半をめくり見る。やはり前半の佐々木鏡石からの聞き書きの方が面白い。こちらは一次資料に近く、解釈は今様にして良いが、後半は解釈そのものを問題にしているので、時代を経ると読みにくくなるということか。
「五平餅」への言及があり、少々興味深い。御幣餅、五兵衛餅、ぐひん餅、という表記で出てきて、現在通常用いられる「五平餅」とはなっていない。

 

倉敷・新見・津山・姫路周遊。姫新線完乗。楽しい列車の旅。3時間に1本ともなると、気ままに乗降はできないが、緑あふれる伯備線・姫新線を楽しむことができてよかった。また、どこか遠くに行こう。

 

3週連続で映画。ホフマニアーダ、芳華、山猫。
「ホフマニアーダ」。E.T.A.ホフマンの永年の読者には幻想的かつあれこれの話の引用の仕方で面白く感じられた。ホフマンの小説を読んだことがない人には辛かろう。おおむね「黄金の壺」が主題で、「砂男」、「コッペリア」、「くるみ割り人形とネズミの王様」が絡んでいるかと思う。私が読んだのは大昔であり、それらがどのように溶け合っているかまでは弁別できないが、大筋で理解はできたものと思う。
「芳華」。中国軍内の慰問隊の青春劇。昔昔の共産色の強い映画でもなく、ごく自然な映画作りがよかった。彼らは私と同じ時代を異なる社会で生きたのだ、と思う。映画の主体が、「作者」にあるのか「二人の主人公」にあるのか、少々定まらないのが難点。とはいえ、どちらかに絞っても面白くないのもよくわかる。
「山猫」は特によかった。シシリアの荒涼たる風景に際立つ華麗な館。貴族たちの日常の折り目正しい姿も、舞踏会の華麗な様も素晴らしい。公爵とチッチョの対照がまた良かった。タンクレディが派を変えてゆくところに「静かなるドン」を思い出した。変貌の理由は同じではないし、同じような話でもないけれど、ある意味「そんなもの」ではないかな。
ルキノ・ヴィスコンティを見るのは実は初めてであったが、イタリア貴族である彼の「山猫」を見てよかった。また、ヴィスコンティについて調べると、私が好きなドストエフスキーの「白夜」を映画化しているという。同好の士を見つけて嬉しくもあるが、あの話はペテルブルグである必要があると、私は思っているのだが。。。

 

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読書の記録(2019年5月)

甲子夜話 松浦静山
先月古書店で買った本。一巻と四巻をめくり見る。なかなかに楽しい。読みにくいところは避けるひどい読書。絶対に役に立たないが、それこそが読書の楽しみ。

正法眼蔵随聞録
先月古書店で買った物。つらつら読む。禅の学びがあるというよりも、時代における仏教の有様がわかる、という点で面白い。臨済録のような激烈な禅(公案禅)とは異なり、どちらかというと静謐な瞑想の世界というべきか。あるいは肩肘張らない風にも見えるか。

エマ ヴィクトリアンガイド
古書店で百円。ヴィクトリア朝をテーマにした漫画エマのガイド。実はエマをきちんと読んだことがないのだが、「ジーヴズ」のガイドとして購入。大変楽しめる。
森薫さんのファンである村上リコさんの著書になるらしい。ご両者ともよくぞここまで整理された。大したものだ。

その他の外国語エトセトラ
古書店で購入。でも、この本は以前買ったようにも思う。まあ、健忘症患者にありがちなことだ。楽しく読めたから良いだろう。そして、この本が参照している様々な外国語に関する書物の面白そうであること!

フィンランド語は猫の言葉 稲垣美春

買った本。大変面白かった。早く読んでおけばよかった、と思う。留学記としては少々古いのであるが、それがまた面白い。

 

ヴィオラかあさん ヤマザキマリ
買った本。一番の興味は、我が師三村明とヤマザキ母が接点があったか、ということ。効果不幸か、この本に師は登場しませんでした。でも、札幌交響楽団史を調べる機会を得てみたらば、師は楽団創立当初の二年間のみ在籍し、そこではヤマザキ母と一緒であったようだ。びつくりだね。

書店で「モロッコのリーフ戦争とアブドゥルカリーム ―ワタン防衛のスペイン賄賂とドイツスパイ資金」を発見。リフ戦争については、サン=テグジュペリが言及しているのを読んだことがあるのみ。「リフ戦争の当時云々」。こんなテーマについて日本語で読めるのだから驚きだ。

過日、google.co.jpのトップページがオマル・ハイヤームであった。彼が詩文を愛唱し私淑する者として大変嬉しい。だからと言って、書が大いに売れることがあったりするのかな?

今月初めに連雀亭で落語を聞く。神田連雀亭ワンコイン寄席。二ツ目の皆さん。
柳家あお馬、立川談吉「平林」、春風亭橋蔵「目玉医者」。
前お二人は二ツ目になったばかり、というところ。話も単純なものを選び、間断なく話し続けるの図。
談吉は長躯を折ってぐにゃぐにゃと姿勢がよろしくない。こういう芸もあるのだろうか。私には見づらい。
橋蔵が最も達者。二ツ目の後半に入ったところ、だろうか。冒頭まくらは少々声が聴きづらかったが、話に入るとしっかり聞こえてくる。
やはり「間」がきちんと作れるという点、気負わずとも話ができる、という点でトリにふさわしい。

 

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今週の戯れ歌

人たちの仲良くあれば微笑まし我只あるは身をも隠しつ

春なれば花咲き野には光あり只それだけで良いではないか
この花を観ればこの春終はるべし数多の花の後に咲くとも
内にある花の思ひの枯れずあれば巡る春こそ我がものなるべし
酒の名の覚へあるこそ悲しけれ覚へ無きほど酔ひ臥してみむ
友とあれば安酒とても美酒ならむ微笑む乙女皆美女なるやうに
あまりにも恥多き日を送りつついつか誇れる日もあれよかし
我ありて恥多きこと数多ありき思ひ出すのも修行なるかな
美女ありき我に届かぬ思ひあり生きているとはさういふものなり

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今週の戯れ歌

死ぬまでになすべき事を考えやう愚かなうたを書き連ねるでなく
生きるとは誰かの為と願ひつつ心得違いを撒き散らすこと
生きるとは昼に話せしあれこれを今宵思ひて苛立てること
話すればすればするほど噛み合はずその空しさに歯噛みするばかり
忙しくうた詠む暇も無かりせば我なるうたはその程度かと

置賜の春ののどけき田園を弾丸列車のふと通り過ぐ

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読書の記録(2019年4月)


闇の奥 コンラッド 中野好夫
古書店で百円。申し訳ないが、日本語が読み辛い。原書が読み辛いとのことだが、とても読めない。途中で投げ出した。

海上発電 泉鏡花
古書店で百円。異様で奇矯な人物たち。明治にしてこの表現。

世界をこんなふうに見てごらん 日高敏隆
古書店で。「学者」の驕慢のない、日高のやさしい視線が快い。我もまた学校の驕慢からこぼれ落ちる人間であった。日高のごとくあらんことを。

まくら 柳家小三治
昔買った本。面白かった。しかし、一部に生活実感として理解しにくくなった内容があるのも事実。平成の初めのころのことをもう忘れている。(昭和天皇崩御前後の話がある)。

ピアニスト=コメディアンである ボルゲ(ボルヘ?) 。面白い。達人ミカラ・ペトリが酷い目に遭わされている。

「わんぱくマーチ」は阪田の歌詞で知っているのだが、洒落た間奏があるのを少々不思議に思っていたところ、元はフランスの映画音楽であるとのこと。なんでもすぐに知れる時代になってありがたい。
https://www.youtube.com/watch?v=ONsrQSRvXR8
一方、「誰かが口笛吹いた」や「クラリネットが壊れちゃった」が軍楽起源らしいのには驚く。

四月一日、朝の電車に新入社員らしい二人連れ。
「すごく混んでいる!」
「こんなの東京では空いている方だよ」
前者は関西から来た方のようでした。前者の素直な驚きと、後者のたしなめるような言い方が面白かった。

四月二日、また、朝の電車に新入社員らしい二人連れ。
「思ったより混んでいないな」
「混ませてるのは俺らで、毎日乗っている人は迷惑しているだろうな」
己を客観視できることなかなかのもので、感心しました。「混ませている」という表現も面白い。

昨年のこと。多摩美術大学のオープンキャンパスに行ってきた。小松勁太氏の卒業制作「都市計画における世界観の構築」における「有田プロジェクト」の出来が非常に良いので、感銘を受ける。近頃の若い者は・・・本当に素晴らしい。紹介動画がyoutube.comにあるはず。

四月は大変に多忙であり、あまり本が読めなかった。

近所の古書店が閉店とのこと。まことに残念。心ばかり本を買ってみる。甲子夜話(1、4、5巻)、岡本太郎「神秘日本」。漱石全集「三四郎」、「それから」、「門」。「こころ」が欲しかったが欠巻。三部作を買ってみる。フレイザー「金枝篇」(古い岩波版)。ペンローズの量子脳。正法眼蔵。
エセー(岩波)第二巻、第三巻。いずれも五十円。第四巻以降は既に持っている。これらは百円であった。第一巻であればいずこなりと贖うことができよう。

連休一日目は掃除をして過ごす。夕食は洋食屋でハンバーグサンド、オムライス(ドミグラスソース)、ナポリタンスパゲッティ等。二日目はカルテットの練習。三日目はキッチン南海で昼食を摂り、ユニクロでズボンを買った。四日目は百円商店でお風呂道具を買い、昼食に台湾ラーメンを作って食べた。休みに何をして良いのか、自分はあまりわかっていないようだ。一月から三月まで、それぞれ「おでかけ」ができたが、四月はできなかった。むむ。

 

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今週の戯れ歌

あめが下勝者敗者の格差あり零和ゲームを生きるわれらに

雨降れば勝者の影に敗者あり零和ゲームを競う時代に

 

 「零和」と書いて「ゼロサム」と読まるべし。ゲーム理論の用語ならむ。

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読書の記録(2019年3月)

3/2の「googleの人物」はスメタナだった。弦楽四重奏もピアノ三重奏も好きなので、少々嬉しかった。

禅マインド ビギナーズ・マインド
以前買った本。書名は突飛だが、中身は相応にきちんとしている。宗教の本は、あまりにも専門的過ぎたり、あるいは、表面的過ぎたりと、なかなか読んで学びが多い本がないが、この書は相当に良い。できれば「次に読むべき本」を指してくれるとありがたいのだが、それを示すこと自体が禅らしくないかも知れぬ。

クッキング・パパ うえやまとち
昔貰ったり、買ったりしたありったけを読んだ。年度末繁忙期にはそういうこともあらあね。でも、様々な人々に作者は常に暖かい眼差しを向けている。中年・老人の恋もまたそうであるし、若い母親の生活と意見もまたそうである。

爆撃調査団 内田百間
古書店で買った本。この人の文章が長く愛読される理由が、年長けてやっとわかった。あるいは、妙ちきりんな文章が多いことを悟らねば、このような調子の文章の良さを味わえぬとも言えよう。

ドリトル先生アフリカゆき ロフティング、井伏鱒二
昔々買った本。何度読んでもドリトル先生は面白い。「バーバリの竜」に語りかける、穏やかなドリトル先生のことばのよろしき。

 

二月の書き忘れ。五美大卒業制作展に行く。各美大のうちでもファイン・アート系のみらしい。それぞれの学風が感じられて面白い。また、大きな絵の作品が多いが、想像するに、学生時代の集大成として大きな絵を描かせているのだろう。私としては、女子美術大学の方が描いた「ばく」が最高傑作。大きな画面を大きく使って大きな絵を描いておられる点が素晴らしい。どうしても細かいものをたくさん描いてしまい、大きさに負けてしまいがちであるように見受けた。

神田連雀亭にて。三遊亭らっ好、柳亭市楽、春雨や風子。
らっ好は、ご隠居らしさはよく出せるが、うっかり者の「間」が早いのではないか。
風子は今ひとつ自分の苦労を笑いに転換しきれていないのかも。風子のネタは春風亭柳昇の創作で、私の最も好む噺のひとつであって、大変嬉しかった。柳昇が演じると父の観点に聞こえるが、風子が演じると、娘=嫁の視点が中心になる。これは面白い発見であった。これもまた、父の「間」が短いようにも思う。柳昇であれば薬の入手先を「お父さんが陸軍の研究所で云々」としていたが、そこはさらりと流された。まあ、風子は陸軍軍曹であったはずもないので。
市楽が最も楽しめた。私は力を抜いて落語を聞きたいと思っており、その趣味に合致したのである。市楽は、演じる前の説明から面白く、枕も楽しめた。客に「芸」とはみせぬ「その人」らしさが、真の「芸の力」であるのだろう。

 

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今週の戯れ歌

米国は自由の故に強くあるとその面影の今何処なる

自由こそ国の強さの基づへと「わだつみ」にあり忘れられざる

国境に壁を用ひて守れるは始皇帝なる功業なりける

もの言へど理解の浅き御仁あり己が足らぬを早自覚せよ

自覚なく暮らすの不幸か幸ひか多分また自覚なきなる

故郷の友と集ひて語るには挫折なき者一人もあらざる

我が友の挫折を知るは青雲の志こそ高くある故

一日を何事もなく過ごしをり我が人生の斯くあるが如く

波風のある人生を送るれば平らかなるをたぶん憎めり

人の皆理解されたき願望の虜にあれば神はいませり

あれよあれなければなかれわれ知らず汝ただあれ汝なるまま

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読書の記録(2019年2月)

総解説世界の幻想文学 自由国民社
昔買った本。「スナーク狩り」の四方田訳を確認するのに読み始め、相当に読んでしまう。結構な網羅性で、知らぬ作品も知っている作品も多く、楽しい。
「世界の」と銘打っているが、「欧米の」というのが順当なところ。文句をいうほどのことでもないが。私の好む「聊斎志異」なんかは入っていない。

中世の東海道をゆく 榎原雅治
以前買った本。私が知っている土地が多く記されており、それゆえ楽しく読める。そうでない方々に面白いかはわからない。

風車小屋便り 岩波文庫
昔々買った本。子供の頃からこういう本は好きだった。ファーブルと時代も土地も近く、観察と解釈で成り立っている、というのが共通して、好みにあうのかも知れぬ。
ドリトル先生もまた近いかも知れぬ。落語でいうと、うるさ過ぎない「ぬるま湯に浸ったよう」な芸風が好みにあうのだから、そうした人生の余裕を幼い頃から求めていたということか。

クッキングパパ 37巻ほか
昔買ったもの。相変わらず楽しく読んでいる。
偶然、「おいしんぼ」と「クッキングパパ」の表現を比較した評論に行き当たる。「第37回 作品の性格とおいしい表現の関係」https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/dannwa_lab37
非常に面白い。

スターメイカー ステープルドン
少しずつ読み進む。読みにくくはあるものの、非常に面白い。第二次大戦前夜という設定で書き出されているが、それは本当なのだろうか。いささか後世の知識が使われているようにも思う。あるいは、それこそが、ステープルドンの高見であるやも知れず。引き続き少しずつ読もう。

HB
以前阿佐ヶ谷で買った雑誌。蟲書房店主の談話がある。面白い、とも思うが、店主について種々読んで「知っている」かのごとくなる自分が恐ろしい。それをストーカーというのではないか?

ギリシア人男性、ギリシア人女性を求む デュレンマット
以前買っておいた本。非常に面白い。久しぶりの小説らしい小説。
デュレンマットについては北村薫が「ロムルス大帝」について言及していて、なんとなく昔の作家であると思い込んでいた。

金の鳥 八百板洋子、 さかたきよこ
西荻窪ウレシカで購入。繊細で空気感のある物語・絵。私は読書や趣味に「遠くに行くこと」を求めている。ブルガリアの古い時代に遡ることができ嬉しかった。
現代人は「自我」に動かされているが、登場人物は、より醒めたところにあるように見え、古代の偉人たるにふさわしい。
原画展示の最後に見えるように貼ってある小さな「城」の絵が殊の外心に残る。
(自我については「チャーチルの昼寝」の受け売り。)

カーたろうとこけしっぺ 山田美津子
西荻窪ウレシカで購入。カレンダーや「お母さん大丈夫」等で愛読しているご本人がおられた。これらの作品に現れる自画像そっくりで紛れもないご本人。
「カーたろうとこけしっぺ」は、日常のように見える不条理な楽しい物語。

退屈をあげる 坂本千明
西荻窪ウレシカで購入。静かな物語。相手を完全に理解することはできないが、共感するものがある、という距離のある愛情。
三人の作家さんを目の当たりにし、それぞれが描かれたものを頂くことができた。描くものが人それぞれで異なること、そしてそのいずれもが輝きを持っていること。

落第読本 辰野隆
松本の古書店で買った本。昔の落第生の話が面白いかというとなんとも微妙。皆さん一高・帝大を落ちるレベルなので、もはやまあなんともと言ったところ。最後の辰野自身の、法科を好まない理由などが面白かった。こういう本がぽろりとあるのが、松本の文化都市らしさだと思う。


様々な書籍が文庫化されているのを見て驚く。
コリン・ウィルソン「アウトサイダー」、嵐山光三郎「漂流怪人きだみのる」、渡辺京二「明治という幻影」など。
ついでに植木等(聞き書き)「とんでもない男」は昔朝日文庫であったものがちくま文庫に移った。「とんでもない男」は植木等が父について語ったものであるが、大変に面白い。聞き手・編者は植木の義弟とのことだが、歴史学者ということで、文章もこなれており、考証にも疑わしい点がない。そしてまた、植木の父は只者ではない。ミキモトの真珠職人であったり、社会主義者であったり、水平運動に参加して特高警察に逮捕されたり、どうやらキリスト教に触れていた時期もあるらしいが、僧侶になってもいたりと、植木等が「とんでもない男」というのにふさわしい。息子に「等」とつけたのも宜なるかな。真面目な息子が「わかっちゃいるけれど止められない」と歌うべきか悩んでいるのに対し、「まさに親鸞の教え」という痛快さ。読書人は読まざるべからず。


こんにゃく座「遠野物語」を見る。言葉と歌が一緒に頭に入ってくる快感。歌だけを聞き、演技だけを見ても、ここまで物語に集中できないと思う。言葉とうた、音響、舞台装置と衣装、役者たちの所作の全てがあって、私はあの時代のあの場に連れて行かれる心地がする。そしてまた劇中劇のごとき物の怪の奴らの跋扈にもまた。大変面白い舞台であった。最初にこんにゃく座を見・聴いたのは、「魔笛」で、やはりこれはモーツァルトの音楽の立体感と、魔笛とモーツァルトの人生を立体的に見せる二重の立体性が面白かったのだが、遠野においては、「我々日本人は何者なのか」という疑問と「私は社会において何者なのか」という疑問が、文壇/地域社会/物の怪の跋扈する日常と立体になっており、音楽と相まって大変面白かった。
(隣席が作曲の方で、幕間についお話しかけてしまいました。すみませんでした)。
実は遠野物語を読んだことがないが、宮本常一の「忘れられた日本人」を好んで読んでいたりして、民俗学的「聞き語り」は好きだ。

昔々、マタイ受難曲(バッハ)を聴きに行った際、チェロとヴィオラ・ダ・ガンバの弓使いが常に逆であるのを奇異に思った。特に、ひとつのパッセージの最後の長音を、チェロの場合は、体を開く方向に使い、ガンバは閉じる方向に使う。チェロは、楽曲の最後を世界に向かって解き放とうとしているようであり、ガンバは、自らの内に込めようとしているように感じる。

CD購入。今時CDを買う人間は少ないのだろうが。中古と新品とりまぜて。
「カメルーンのオペラ」、ラモー「異国の優雅な人々」(クリスティー)、御喜美江「アコーディオン・バッハ」「スカルラッティ」。平尾雅子のプロデュースによる「信長公所望の音楽」。

言い間違い「あなたは0%悪くない」。

二月初めに風邪で寝込み、それゆえ仕事を抑制していた。お陰で、多少なりとも読書をし、多少なりとも人間らしい感懐を持って暮らした。三月はそうは行くまいが。

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今週の戯れ歌

あの女性(ひと)の我を見つめる眼差しの未だ夢に見ゆ万日を超へ

夢だにもあの女性(ひと)の我が前に唯あれば我が生涯の少し意味あり

我が記憶忘れずにあれあの女性(ひと)の瞳の奥の謎の輝き

寂しかる日々にありては夢に見るあの女性(ひと)の眼差し我を慰む

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