宣告(中) 加賀乙彦
先日古書店で買った、宣告(上/下)は、実は中を欠いたものだった。古書店で中だけ探しても見たが、諦めて、図書館にて予約。
自分は、何でこんな快からざる物語を読んでいるのだろう。作者は、何故こんな快からざる物語を書いたのだろうと思案。
現在の自分が、非常に享楽的であることは確かだ。かといって、禁欲的にならねばならぬとも思っていない。享楽的ではあっても、節度を守っていると思うからか。私は「今」に固定され、「今」とともに流れており、時間を超えた視点を持ち得ないから、何とも言えぬ。
宣告(下) 加賀乙彦
古書店で買った本。様々な人の、様々な死が、実はあまり腑に落ちないままに終る。腑に落ちないということを言いたかったのか。また、静謐を疑われる主人公が、真に静謐に達していたのか、その理由は何だったのか腑に落ちない。
実は新聞小説でもあったのだろうか。辻井喬「終わりからの旅」も、新聞小説らしい食い足りなさがあったが。
もしも野球部の女子マネージャーがドラッガーを読んだら
借りた本。実は、学校の運動部の「マネージャー」が、ちっとも「マネージメント」をしていないのを不審に思っていた。話はご都合主義以外の何物でもない。ドラッカーの跋文から得られる主人公の理解には、飛躍が見られ、「私とって、それは自明ではない」と言いたくなること多数。
舞台を「学校」に置く事によって、私のような「会社」に居る人間が、多少なりとも客観的に(あるいは、お気楽に)、ものを考えられるようにしているのかも知れないが、その一方で、「日本人には大人の社会を考えることはできないのか」という、聊か悲しい疑問が湧いて来る。また、人は何の為に生きるのかという問いの前に、組織のあり方は、多少陳腐に思われる。このように、いくらか文句を言いたくなるというのは、それだけ身がある本なのであろう。
「真摯」の訳語が与えられている原語は何だろう。「真摯」という言葉は、日常使わないので、意味が執りにくい。「真面目さ」ではないのか。私自身、最近の思いとして「モラル」(オシムが言う様なモラル)が、組織内の人間には非常に重要であると考えているが、「モラル」の正しい日本語としては「きちんとしていること」あるいは「責任感」と言うのが、私にはぴったりしているように感じられる。
「真摯」は「ひたむきさ」というやる気の側のことか、あるいは「まじめさ」ということか、大変気になる。
思い出して、トム・デ=マルコの「デッドライン」を少し読み返した。「ドラ」は、どちらかというと外部的/社内部門間的なものの見方(経営的=マネージメントな見方)だが、デッドラインは、どちらかというと現場寄りに見える。どちらの『フェアリーテイル』としなければ成り立ち得ない部分があるのが、物語の出来/不出来としてではなく、現実に生きるものとして、少し悲しい。
陽気なタルタラン タルタラン・ド・タラスコン アルフォンス・ドーデ 小川泰三 岩波文庫
古書店で購入。古い岩波文庫。訳は古く、旧かな旧漢字。読むに困らないが、軽妙さが伝わるかというと隔靴掻痒。おもしろうて、やがて悲しき物語、であることは充分理解せられたけれど、旧かな旧漢字の壁が高く、他人に薦めることはないだろう。
月曜物語、風車小屋便りは、子供の頃から好きだった。何故好きであるかも曰く言い難いけれど、好きなものは好き。月曜物語らと共通する南仏の乾いた明るさ(そしてアルジェリアも)が好ましい。
アルゴリズム辞典 奥村
昔古書店で買った本。テトロミノの解法を読む。データ構造が理解できず、三日程苦しむ。そうか、(0,0)は「あるに決まっている。」と考えているのだとの結論に達した。ちょっと嬉しい。Cで書く(写す)気にはなれないから、rubyでも、あるいは、関数型言語で。
本書のプログラムをもう少しいじれば、ポリミノの汎用ソルバーになりそうな気がするが、そうしていないところは、むしろ奥村の見識と思う。
Life with UNIX
昔買った本。拾い読み。
昔、UNIXをいじるには、こうした「文化的背景」を知っていた方が良かったが、今となってはどうでも良いだろう。
多くの情報が、もはや考古学の世界である(私にはそれが楽しいんだけどね)。
昔はUNIX入門の定番だった「たのしいUNIX」も、さすがに今日的ではないと感じる。(私はアスキーの「入門UNIX」「応用UNIX」「実用UNIX」で入門したが)。
小説家という職業 森博嗣
古書店で買った本。大変面白かった。この考え方が唯一無二のものではないが、こういう事を書ける人は少ない。
図説モンスター 映画の空想生物たち 石田一
貰い物。様々なモンスターが面白い。ベラ・ルゴシのドラキュラ、カーロフのフランケンシュタインが、それぞれの唯一無二の象徴となっているのが、面白い。また、ハリーハウゼンの造形が良い。ついネットでハリーハウゼンの動画を探して、暫し眺めてしまう。
動きがカクカクという批判もあるようだが、むしろその方が「この世ならぬもの」あるいは「神意に操られるもの」という神秘性が感じられて良い様に思う。
私の羽根 庄野潤三
書店の古書市で購入。庄野の随筆。庄野らしさを味わうことができた。抑制された筆致を快く感じるような年齢になったのであろう。庄野潤三、須賀敦子と良い出会いが時々ある。だから、新しい著者の探索は止めるべきではないだろう。
最近、買った本を、割合に早く手放すことがあるけれど、庄野の本であれば、手元に置いて、当然読み返すであろう。
堀口大學の「毛虫の舞踏会」が読みたくなった。