3月11日の震災の有り様を見、今なお復興の途遥かなる東北を思うと、言うべき言葉も思い当たりません。
自分ができることは、無にも等しいものですが、それはそれとして、もっと多くを為すべきではないかと思っています。もちろん、自分の職位・職務以上を為すというのは、無責任なる漫画の根性ものの定型であり、見習わざるべきものと思っています。一方、職以外にも「人」として、様々なことが為せるのではないか、と思うのです。これは、一対一の子育てを終りつつあり、少しでも良き社会を次世代に残したいという私の思いでもあります。
歳をとり、己の頭が決して良くはないことや、努力する体力気力も無尽蔵ではないことを、明確に自覚するようになりました。それを成長というのは少し寂しいのですが、それがため少し楽に生きられるようになりました。
でも、それはそれで、室内楽の選曲をするときは、多少難しい曲でも弾いてやれと思うのが不思議なのです。これから衰える一方であるのは明らかなのですから、今のうちに弾いておこう、という気持も幾分かあるのでしょう。
◆音楽活動
◇十年振りのオーケストラ
久し振りにオーケストラで楽器を弾くことができた。もう十年程もオーケストラから遠ざかっていることもあり、また、ベートーヴェンの弦楽四重奏を何曲か弾いていることから、ベートーヴェンであれば、ある程度は弾けようし、作りも解って面白いのではないかとの読みで、交響曲第七番を弾かせてもらった。
若い頃の私であれば、第一楽章のリズムパターンは一定と見ただろうけれど、同じ動機であっても、出て来る回ごとに違うと見るのが、カルテット弾きたるものの目線だろうか。そういう自分に気が付いてちょっと嬉しい。
最初の練習では体が痛くなり、先行きに不安を感じたけれど、最終的にはとても楽しかった。良い指揮者にも恵まれた。最後の練習の時、「やらなければならない枠にはめ込もうとし過ぎて、少し隙間ができている。もっとはみ出して、初めてきっちり枠の中が埋まる」という事を仰った。その言葉に応えて、オーケストラが変わった。その瞬間が楽しかった。良いオーケストラ、良い指揮者であった。
◇室内楽
諸般の事情により、今年は1回限りとなった。それもまた止むなし。長い練習は、少し沈滞しかかったけれど、なんとかうまく乗り切れたように思う。シューベルトのロザムンデを楽しむことができた。
もともと、他の奏者の「受け」で考える癖があるようだが、それよりも、自ら突破することを考えるようになったのかも知れない。自分ではさして変わっているつもりもないが、「これまでと違う」と言われた。それ以上の話をしていないので、どういうことであるか実は解っていないのだが。
◇演奏会
今年行った演奏会は唯一度。カルミナ弦楽四重奏団。恐るべき彼等であります。まあ、参考にならないこと夥しいものがあります。でも、実際に聴く事ができて良かった。
◇レコード
聴くレコードはあまり変わっていません。
○ブラームス 交響曲第三番 バルビローリ、ウィーンPO
古い録音ですが、この演奏を聴くと、ブラームスの交響曲が「室内楽的」と言われる理由がよく判ります。まるで、内声と木管のための曲のようです。その優しい手触り、温雅な佇まいが忘られない演奏です。聴いた事がない方は是非々々。
私もこの曲を弾いた事があるはずなのですが、まさかこのような曲とは思っていなかったようにも思うし、また、あのときの私の身辺(頭上を流れ行く雲とか)は、実はこんなにも美しかったのではないかと思ったりもします。
涙をや偲ばむ人は流すへきあはれに見ゆる水茎の跡
○ヘンデル 水上の音楽 ハーティ版 ジョージ・セル
これもまた古い録音です。その昔、厳しく艶消しの音楽をしているということになっていたセル。そうした一面があるのは認めるけれど、それは、彼のオーケストラ・トレーナーとしての才覚と、古典派的(あるいは即物主義的)一面であって、それに尽きるものではないことが、この演奏にはよく現れていると思う。形式的には、今となってみれば古い「グランド・スタイル」の演奏と言えるけれど、和声的処理と対位法的処理のバランス、出るべきところで見せる内声やバス声部の立体的な扱い、ゆったりとしつつもたれないテンポ等が、自然な有り様で成り立っているのが大変嬉しい。特に、「エア」については、「これが弾きたくて全曲弾いているのだろう」と思わせる充実振り。私にも、この曲だけ弾きたい、と思わするもの。そしてまた、闊達で壮麗なホーンパイプと、明るい影を引くそのトリオ。良いなあヘンデル。
○J.シェンク ソナタ e-moll 平尾雅子
これは珍しくも新しい国産CD。偶然の出会いで耳した音楽。きしむようなヴィオラ・ダ・ガンバの音色が痛切である。日本人が演奏し、日本人が作ったCDであるけれど、特に日本風とも思わないが、外国風とも思わない。ただただ良い音楽が良いままにあるという事である。
小川典子や田部京子もそうだけれど、日本人が弾いて、殊更に日本風を強調するでもなく、ただただ良い音楽があるという人々が居ることに感慨がある。
○東京芸術大学ケルト音楽プロジェクト
楽しいケルト音楽。録音に、も少し広やかさ、伸びやかさがあれば、と惜しまれるもの。
◆読書
○戦う操縦士 サン=テグジュペリ、堀口大學
○こころ 夏目漱石
今年は、きちんとした本を少しは読むことができました。それだけでも充分に嬉しいことです。単に物忘れが激しくなって、読んだ事を忘れてしまったということもあるかも知れませんが、昔とは違った気持で、でも、同じ本を読むことができるというのは喜びです。記憶力の低下以上に、感性の低下は嘆かわしいはずですが、それを嘆く感性自体が低下しているらしく、あまり嘆いたりはしないのでした。
サン=テグジュペリは中学に入りたてで読んでいた本。「エスプリ」とか、「イマージュ」という単語自体が衝撃的でした。一方、夏目漱石は高校三年で読んだ本。「私はその人のことを先生と呼んでいた」という、直裁な冒頭に引き込まれました。いずれも懐かしい本です。
○僕はどうやってバカになったか マルタン・パージュ
面白い本もありました。まるで、私の事を言っているような本ですね。他には、ジーヴズ本のお世話になりました。
○インド綿の服 荘野潤三
○ミラノ霧の風景 須賀敦子
そしてまた、日々を慰めるような本も。このお二人に接点があった事も嬉しい驚きでした。
その他、数学や物理の本を少し読んでいます。頭の体操と言ったところでしょうか。曲がりなりにも読書の記録をつけました。抜け落ちも多いし、こんなにわづかな本しか読んでいないことに驚かされますが、急いで読んでも仕方がない。私は書物を味わいたいのであって、消費したい訳ではないのですから。
◆その他
東京芸術大学と多摩美術大学の学園祭に行って参りました。それぞれに、楽しい芸術のお祭りでした。様々な意匠の様々な芸術作品が、生き生きと息づいているのを見るのは、大変楽しいことでした。これらの学園祭では、どうやら常連とおぼしき中高年の人々を見かけるのですが、私もその仲間入りをしつつあります。
この文章はiBookG4で書いています。HDDを交換し、メモリーも増やしていますが、流石にこのSafari1.3.2ではgoogle.comすら表示できません。ところが、iBookは消滅し、MacBookPROか、MacBookAirに行くしかない。どちらも、ちょっと困るんです。となると、intelMacの中古を探すしかないのでしょうか。困ったことです。「作業」をするならば、Ubuntuで困りはしないのです。でも、音楽と写真を管理しつつ、文章を快適に書くのが個人としての私の最大のコンピュータ利用目的ですから・・。