読書の記録(2025年4月)
飛ぶ教室 ケストナー 丘沢 静也
楽しくも考えさせられる読書であった。
「ギムナジウム」という優越的地位にあってもその中で起こる「男らしさ」の物語など、ともあれ、読後感は良い。
ロマン・ロランの小説で、ドイツ民族は非常な長文で貶されているが、ここではさらりとした味わいのドイツ的理知のあり方が示されているように思う。
畑の中に置かれた客車に住むというとこちらを思い出す。
Grounded Coach Body
https://peco-uk.com/products/grounded-coach-body?srsltid=AfmBOopzNRWUn8e5aYfoLmbsNjIHoPKDcGah7RHebWtSey1nbIZzJCHE&variant=7435747328034
中谷宇吉郎 随筆(青空文庫)
I駅の一夜、アイクと鳩山さん、英国日食班の印象、ケリイさんのこと、原子爆弾雑話、抗議する義務、小林秀雄と美、北海道開発に消えた八百億円、など。
科学ものではない「I駅の一夜」や「ケリイさんのこと」がほのぼのと心に残る。特に前者は、近年の我が国の凋落振りにあって、少しく同じような心情や期待を持つ者にとっては忘れがたい。
我が国の首相が国会図書館で一時を過ごしたことを批判する向きもあるようだが、たとえば「原子爆弾雑話」など読んでおくのはたいへん重要だと、私は感じる。よってして国会図書館に行くのも当然のことと思う。
中谷宇吉郎をなかば文人と捉え、美文のみ書いているように賞揚する向きもあるように感じるが、「北海道開発に消えた八百億円」を読むと、適正なる社会批判者であって、今の世の中にも大変必要とされている(が、過剰に批判されたりもする)立場であるように感じる。
増補 幕末百話 篠田鉱造
適当にめくり見るに、脱疽をヘボン医師が治療する話あり。これってば、山田風太郎先生の明治断頭台のモデル(の一部)だよね。
さすが山田先生。たったこれだけの記事から大きいお話に発展させておられる。
澄江堂雑記 芥川龍之介
wikipediaの題頁を見る⇒「澄江の化石産地」が出ている。⇒「澄江堂ってば芥川龍之介だよね」⇒Google検索すると「澄江堂雑記」(青空文庫)が当たる。の順序。
とても賢そうでそこそこおもしろい文言が並んでいるが、よくわからない文章もある。私の賢さが不足しているのか、時代性が強いのか。「文芸と階級問題との関係は、頭と毛生けはえ薬ぐすりとの関係に似ている。」など。
「七 赤西蠣太」は以前読んだようにも思うが、いつ・なぜ読んだか思い出せぬ。
龍之介が紹介している近松の俊寛はなかなかに劇的で面白そう。読んでみよう。
ここから「痴人の告白」についてネット辞書を見る。「痴人の告白」の項を読んでいるのに「レストランの調理スタッフ」が出てくる。広告が本文を平然と邪魔し、その区別も不分明な時代。悲しいね。広告をするなとは言わないが、本文を邪魔しないこと・本文と区別がつくこと・不快でないことは、最低限守っていただきたい。
古い東京の「とても」は否定を伴ったが、新しくは三河由来の否定を伴わない使い方が入ったとの言説。最近でも似たような話を聞く。「まったく・・・ない」等かな?
幻の朱い実 石井桃子
石井桃子と言えば、私が幼い頃より「くまのプーさん」などでお世話になった翻訳者である。
その方の小説。岩波現代文庫で「石井桃子コレクション」としていることからその重視されていることがわかる。
私の母・祖母の間くらいの時代性を感じるこの小説を読むと、小説と母・祖母の話を通して、時代の断面を立体的に見ているように感じる。
また、生涯独身だった大叔母や歳長けてからひっそりと結婚生活を初めた伯母など、あの昭和の動乱期における結婚の有様にも通じるようにも感じる。
この小説は、「自伝的作品」と見るべきなのだろう。極貧でも富裕でもない、都会の知識層の戦前・戦後の(戦中の生きるのに精一杯だった時期を除く)、シスターフッド的な精神生活を描いたものとして見るべきなのだろう。
(岩波書店の作品紹介を見るに、石井自身は結婚歴がないとのこと)。
言っても詮無い「もし」であるけれど、私自身もっと若く結婚する前後に読んだならばどう感じただろうか、と少しく思う。
もともと、カラスウリ趣味で見つけた本でもあり、銀座教文館で偶々複数置いてあったので、思わず買ったのだが、読めて良かったと思う。高年男性には、一読ではわからないニュアンスがたくさんありそうなので、いつか再読しよう。
ジャン・クリストフ ロマン・ロラン
なんとか二巻を読んでいるところ。第一巻はドイツ人(ドイツ民族)の悪口が相当あったが、第二巻はドイツ作曲家の悪口。バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナーその他もろもろ皆アカン。まあ、こういう見方もあると楽しんでいるけれど、描写は冗長だし、昨今あまりウケないのも当然(また、それが惜しくもない)と感じてしまう。買ってしまったので、第四巻までつらつら読んでみましょう。
私は精神的軋轢の大きい本は読みたくないらしい。まあ、自覚もあるのだが。
星の牧場 庄野英二
大岡昇平の「武蔵野夫人」を読んでいると、復員兵が兵士の目で地形を眺める情景が異様に浮き立っているように感じられる。それまでのあやふやな「作り話」ではなく、明晰な意味を持つとともに生死を分かつ峻厳さが感じられる。
庄野もまた戦闘で負傷し、そののち後方勤務になったらしい(ロッテルダムの灯火)。ここでも、大岡と同じではないが「兵士の目」が感じられる。それも、負傷兵の目であり、海没した戦友たちを思う目である。
この書もまたちくま文庫の「戦闘以外の戦争」シリーズであり、読んでよかった。
古い鉄道模型趣味誌
先日亡くなった片野正巳氏の古い記事(1975年の京濱急行など)を読んで楽しむ。
鉄道模型趣味通巻第1000号
私が最もよく買い、最もよく読んだ雑誌。でも、私が現役で読んでいたのは343号(1977年1月)〜480号くらい。
記事も「機芸」出版社の志にふさわしい題材を選んでおられるように見る。私には、欧州の不思議な電気機関車が、題材、模型化手法、工作水準ともに機芸らしさを感じた。
付属のDVDで伝説の「孔版1号」が読めるのも嬉しい。このあたりはもともとの雑誌が読みにくいのだから、も少し解像度を高くして頂ければよかったのだが、仕方がない。
孔版時代の文章を読んでいると、「予備士官」とか「今の処、戦災を受けなかった会員の車輌を持ち寄って運転しており云々」「空襲で(自宅が)全焼」「一夜を過ごす話のたねはヤミと食物の浮世を離れて」などとあり、生々しい時代性が感じられる。この時代にすでに模型を趣味とし、模型趣味における「芸術性」を志している人もあったのだと感銘を受ける。
そしてまた、京都大学の化学系の教授宍戸圭一氏の記事などもある。「自分が発明した薬品を売っている会社の看板を1/80模型の線路脇に出したから、1/80の看板料を払え」なんて面白い。ノーベル化学賞をとった野依氏は宍戸氏の弟子のひとりなのね。
完売・増刷決定とのこと。喜ばしい。私はちょいちょいこういうのを買いそびれるが、この本ばかりは執念で手に入れた(というほどのことはない)。グリーンマックス創業五十周年記念誌は高価だったこともあり、ぼんやりしているうちに売り切れた。こちらも何らかのかたちでの増刷(廉価版)は出ないのかなあ?
そうそう、一点贅沢を言うならば、すでに古典的なレイアウト三部作(レイアウト全書、レイアウトモデリング、レイアウトテクニック)もpdf化して欲しかった。時期尚早なのではあろうけれど。
付録の記事題名・著者DBはSQLiteなので、適当なフロントエンドを突っ込めば直接中を触ることができる。
私は Linux (Ubuntu) を常用しているので、 DB Browser for SQLite を使った。これ、なかなか使い良い。
例えば以下の感じで、WHERE句の中を変えるとだいたい好きなことができる。
SELECT year, month ,articles.title, authors.name, categories.name FROM articles
INNER JOIN categories ON articles.category_id = categories.id
INNER JOIN magazines ON articles.magazine_id = magazines.id
INNER JOIN authors ON articles.author_id = authors.id
WHERE authors.name LIKE '赤%'
(空白を入れてイコールが揃うように書いていたが、markdownが解釈して改行するのでボツにした)。
TMS30号。赤井哲郎氏(前号でもそう呼ばれている)が、なぜか赤司哲州名で記載している。
東西電車自慢東の巻。「双方ともイキリ立つ内に遂にはどちらかに大事故が起こるものである」。
雑文(失礼!)のうちにも、未来の福知山線事故を予言しているようで慄然とする。
時々訪れる古書店にあった「ニルス・リューネ (ルリユール叢書)」を、買いに行ったら売れてなくなっていた。
よくある。そういうの。古書店主もそうおっしゃった。誰かが気にかけると、誰かが買ってゆく、と。
やはり、「迷ったら買う」しかない。呉明益の「複眼人」も気になるが、これは文庫があるからなあ(それならそれで文庫が切れないうちに買おう)。
渡辺電機(株)氏の「新選組いちねんせい」(ネット漫画)。結局すべて読んでしまった。なかなかのオチ。
新選組が内紛外紛で人を殺してばかりいた実相をギャグ漫画で描くのもすごいが、最後がこれかい(ほめことば)。
バルザックの「人間喜劇」の発想は、司馬遷の史記などで用いられた編年体・紀伝体(本紀、世家、列伝)と出発点(問題意識)は同じかもね。まあ、人間のやることが新旧東西あまり異ならぬというだけのことだが。
「アラミス最期の恋」なんて小説があるのね。
(たまたま、ヤン・ヨーステンについて調べていた→アメリカに「アラメダ」なる地名がある→アラメダ公爵(ダルタニャン物語の登場人物)について調べる→この小説にたどり着く。読んでみたい。貧乏銃士だったアラミスが、イエズス会の管区長にしてスペインの大公爵になり、そしてその虚偽と変転に満ちた人生を回顧する・・・。
ダルタニャン物語は面白い。何度も読んでいるけれど、最初に読んだ小学5年生の時は冒険活劇として、大人になってからは歴史的物語として、それぞれ面白く読んでいる。貴族たちの群雄割拠するルイ13世統治下から、新教弾圧、反乱を経て中央集権化、また、武力闘争中心だったのが、経済闘争中心へと変化していく様、下級貴族であるからこそ貴族社会に出入りすることが出来、有能であるからこそ出世するダルタニャン(そしてコルベール)。などなどの変化を肌身を持って感じさせてくれるのは流石デュマ(及び鈴木力衛)の筆力と思う。
アレクサンドル・デュマによる自作の翻案『銃士たちの青春』 柳光子
https://ehime-u.repo.nii.ac.jp/record/2001447/files/AN10579404_2022_52_51.pdf
これも上記と同じ経緯で見つけたもの。こんな作品あったのね。
でもって、柳光子氏は(研究者であるから、とはいえ)、非常なダルタニャン物語好きなのね。私も嬉しい。
と思うたら、この手の文書は結構あちこちで書かれているのね。これは愛媛大学、別に岐阜大学。
「退屈を囲って」とあったが、「不遇を託つ(かこつ)」の「託つ」だろうなあ。
「チェロはいいよ!」を読み始める。
アマチュアとして合点がいくことが多い。
https://www.amazon.co.jp/dp/B015VBVCW2/ref=docs-os-doi_0
おそらく著者は私が知る人だ。この属性の方がそうそうおられるとは思えない。そしてこの語り口。硬質な諧謔とでも言おうか。
ちょっと悲しいのは、電子版をWebブラウザで読むことができず、Kindleアプリが必要なこと。私はLinuxで読みたいがなかなか。
喫茶店でだらだらしながら書籍通販のwebサイトを眺め、岩波文庫「やし酒飲み」を「お買い物かご」に入れた途端、隣席に座った方が同書を取り出したので驚く。
そして、岩波文庫の近刊に「夜間飛行・人間の大地」がある。私が好む「南方郵便機」や「戦う操縦士」が無視されがちなのが悲しい。
●雑感
エイプリルフール。良い嘘をつくのは難しいものだ。
昔、行きがかり上、我が家の子どもたち向きの四月馬鹿の催しを考えねばならなくなった。
実害がなく、でも騙されたと少々悔しい思いもしてもらいたい。
そしてまた私は会社に行かねばならない。
仕方がないので、前日子どもたちが寝静まってから、家の中の時計を30分ずつ早め、朝30分早く起こした。
「まだ寝てるの、起きなさい」てな具合だ。
もちろん後々文句を言われたが、心に残る良い催しであった。
子どもたちが小学校に通っていた頃の、春休みの温かい思い出。
同じように、成人した我が子に昔読んでいた絵本「ペッチ」を誕生日プレゼントにしたのは、今なお話題になる。
「ペッチ」は、今は「ラスムスクルンプ」を名乗ってTwitterもしているので、家族内では、ラスムスに向かって「おいペッチ。いつからラスムスクルンプになったんだよ」と(乱雑に)呼びかけるツイートをするぜ!という会話が面白おかしくなされている。ゴメンよラスムス。
バッハの管弦楽組曲第3番の本番。
高校生の時に挑戦し、結局序曲が出来なかった。以来四十年の宿願が果たされた。
なんだか最近こういう「もうすぐ死ぬのかな」的結願が多い。まあ、そうであったとしても限りなく有り難いことだけれど。
当時は速いところも弾けなかったが、冒頭の圧力をかけて弾くようなところがそもそも理解できず、奏法も判らなかった。
当時は、録音もほとんど入手できなかった。たまたま、NHK-FMでロリン・マゼール指揮ベルリンRIAS放送管弦楽団が流れたのが唯一の情報だったと思う。
あれから、様々な情報も増え、グランドスタイルで行くか、ピリオド風で行くかを考えるくらいには世の中とともに進んできた。
大変ありがたいことである。
で、例によって練習中、モロモロ嘴を挟んだのであるけれど、本番後に「室内楽のレッスンを受けたことがあるか」と問われたのは、もしかすると「お前の変な嘴の根拠はなんだ?」ということだったかも知れぬ、と後々思い至る(事後孔明とは己がことだよ)。
己が身を顧みるに室内楽としてのレッスンも少しは受けているけれど、おそらくは昔々、三村先生の練習を受け、さらに杉浦薫師の室内楽(チェロとピアノの二重奏)の練習を何度か見学させてもらったことが大きいようにも思う(ついでに言うと中学校で顧問が滅多に来ない合唱部の指揮者をしていたぞ)。
彼らは、音楽を萎縮させないために、様々な工夫をしていた。だから「音程が変」とか「●●しないで」といった具体的対応がしにくい表現はしなかったし、それぞれの奏者が積極的に感じ・考えて弾く気になるような文言を発していた。私は良い先生に恵まれたのだ。その大恩を少しでも世の中に返せるならば、本望これに尽きる(それに反する行いをしていないかよくよく反省しよう)。
現在の手持ち曲:
Mozart Quintet K.614 5/10本番
Dvorak Quintet Op.97 11/9本番
曲目未定 10/4本番
Beethoven Quartet Op.132 時期未定
Mozart Quartet K.421 時期未定(K.465と比較検討したが、ベートーヴェンと並べた時に重すぎる懸念があり、K.421に決定)。
さらに、もしかすると9月にチェロ教室のおさらい会にお邪魔するかも
練習の録音を聴いていると、思ったよりダメだった、思ったとおりダメだったというのもあるが、思ったよりダメじゃなかった、というのも偶にある。意図しないで手が勝手に動いていて、耳は追尾できていない状況。それが楽しいかと言われると忸怩たるものがあるけれど。私は私の意志と制御のもとに音楽をなしたい。
弦を替えた(4月15日)。
2024年7月6日からドミナントプロを使っていた。ほんとうは半年で交換したかったが、値上がりもしたし逡巡の末。
そんなに劣化している感じでもなく、結構長く使える良い弦だったかも。最初さほど良いとは感じなかったが、安定していて劣化も少ないように感じる。
今回はダダリオのカプラン。張った直後の感じでは、アカン。
うるさい。特に上2本。でC線は弱い。G線の第4ポジションあたりは暴れすぎ。また、ハイポジションになると音がひどく艶消しになる。まあ、慣れてくれることを期待しましょう。もし1週間経ってこれが治らなければドミナントプロの古いのに戻った方が安全かも。
ダダリオを張るのは、20年振りくらい。ヘリコア・ユニコアを売っていた時代。渋谷で買ったような記憶がある。
2週間経ってまあまあ落ち着いてきた。が、やはり毛のひっかかりが悪く音が荒れやすい。ガットもそうだが、弓の技術の低さが暴露されるタイプの弦である。
La Musica Collana
エーベルルの三重奏、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ。
一曲目より二曲目の方がピアノの音が穏やかで美しくなったように感じた。どーゆーことなのだろう。作曲家(が作った曲)の違いなのか、演奏者の演奏行為の違いなのか・・・。
モーツァルトのロンド。短調モーツァルトはやはり良いね。
最後のトリオは「さすがモーツァルト」。エーベルルも面白い良い曲で楽しく聴けたのだが、やはり、格の高さが異なるように感じる。
そしてまたロンドも良いのだが、やはり「3人で演奏する立体感」がたまらない。
(エーベルルとモーツァルトの対比が面白いので、同じ演奏会で・この順番で弾いていただいたのはたいへんよろしい)。
して、例によって丸山氏・島根氏の様々な音作りが素晴らしいのだ。
五反田文化センターへの行きがけに不動前駅近くのフラヌール書店によったが、定休日であった。なんと間が悪いこと。
ガラス越しに店を覗いていると、隣の英学塾の時間待ちらしいお嬢さんが「今日は定休日ですよ」と教えて下さる。
なにかにと少しお話した。お嬢さんは小学生であろうけれど、都会育ちらしく利発にしてきちんとした物言いをなさる。
私の「日頃の行いが悪いから定休日にあたってしまった」に対し、「そんなことはないでしょう。優しい声をしているから優しい人なんです」などと大人をヨイショするのも後生恐るべし。
二度と会わないであろう人の類例。最近「忘れ得ぬ人」について考えるがそういう方のお一人にかも知れない。
昔、東海道線の車中で蜜柑を下さったご婦人方、札幌で凸凹に凍結した道路で脱輪した自動車を救って下さった引っ越し屋さん・・・。
Abel Selaocoe: Tiny Desk Concert 先月一曲目しか聴いていなかった。
https://www.youtube.com/watch?v=GhY31ngpnWg
二曲目はなんと、マラン・マレ「人間の声」。自由な即興歌謡も付く。不思議だが納得できる演奏。
この「曲」とも言えないような「曲」。好きな人が多いね。自分でもなぜこの曲を好むか不思議だったけれど、この曲にしかない何かがある。
クリストフ・コワン演奏会
恐るべき安定性。恐るべきニュアンス。ロングトーンであれ、動きのあるパッセージであれ、完全に自家薬籠中のものとして正確なニュアンスづけが行われている。こういうのを聴くと、己がテキトー音楽・いい加減音楽・ブサイク音楽が嫌になるよね。
ヴェルフルやモーゼスもとても面白い音楽で良かった。まあ、ベートーヴェンと並べると格下感は否めないけれど。
フィリアホールのエスカレータを降りる際、お子さん連れの女性が「おもちゃを見るのはいいけれど、買わないからね。ポイントは『買わない』こと!」とおっしゃっている。なかなかおもしろい。つい「良いポイントだと思います」と賛意を評してしまう。
我が家でもそうだったが、何でも買ってもらうのが幸せではないと思う。『特別』の甘美な響きを伝えるのも親の務めかと思う。
落合の有名鉄道模型店でダラダラ過ごす。
BGMがチェロ特集だったらしく、「白鳥」やエルガーの協奏曲。若干居心地の悪さを感じるが、そう思う人間は少数であろう。
昔、同僚に「ジャズは寛げる」と言ったところ驚かれた。ジャズ研出身者で「次に誰がソロを取るか、取ったソロをどうこなすか、緊張する」とのこと。人それぞれ。
株式会社キングインターナショナルのホームページを見たところ、閉鎖のお知らせになっていた。
CDが売れないので、閉業ということだろうか。
ヴァントゥイユのソナタについて検索した結果のひとつであったのだが。
雨降りの日曜日 鷺澤伸介氏
http://blaalig.a.la9.jp/
シェーンベルク「グレの歌」のもととなったヤコブセンの「サボテンの花ひらく」の和訳を公開されている方(偉大!)。
2015年頃拝見して感激していたが、このところサイトが見られなくなった・・・と思いきや、今日は接続できた。
この方のサイトも「古き良きインターネット文化」であるが、この方の名前に言及されている方々もまた、「古き良き文化」に属するようで嬉しい。
https://leeswijzer.hatenadiary.com/entry/2021/06/01/065528
あのインターネット黎明期の良き日々は失われて久しい。
「サボテンの花ひらく」の冒頭が少々分かりにくいが、国木田独歩「忘れ得ぬ人」と似たようなことを言っているやにも思われる。自分の2016年のメモ(http://folia.txt-nifty.com/musik/2016/06/index.html)でもこれらが並んでいるのはそうした意味があったのかも(自分のことでももうわからん)。
鷺澤伸介氏の興味と能力は素晴らしい。
ウィンナーワルツのCD選び。私も実は同じようなことを考えたことがある。
http://blaalig.a.la9.jp/wienerwald/wienerwald.html
ウィーンの森の物語はやはりツィターでなければ・・・というのには特に賛同。アントン・カラスが弾いているのはどの録音だっけ?
これを出発点に、子供の頃家で聴いていたウィンナーワルツのLPレコードを探す。
https://www.snowrecords.jp/?pid=136414355
見つかるのがネットのすごいところ。ミネアポリス交響楽団の名前にはなんとなう覚えがあるが、指揮者アンタル・ドラティなのは知らなかった。
ジャケットは安っぽいし、写真は意味不明だが、思った以上にきちんとした演奏だった。これに限らず、我が家にあったLPレコードは結構趣味性が高かった。これもその一枚だったのか。
ドラティの「CD30枚組ボックス・セット」にも収められているらしい。また、NAXOSのこれ(https://ml.naxos.jp/album/00028948441051)も近い。
そう言えば、このLPには「ウィーンの森の物語」が入っていて、自分は「美しく青きドナウ」よりもこちらの方がなんとなく「名曲」として刷り込まれていた時期があるのだった。とは言え、自分がオーケストラで演奏するようになると、ツィターがあったり、弦楽器の独奏があって取り上げにくい「ウィーンの森の物語」よりも「美しく青きドナウ」の方が演奏機会が多くなり、何年か後にはこちらに親しみを感じるようになったのだった。
ストラヴィンスキーの言いたい放題
http://blaalig.a.la9.jp/printemps.html
我々は、カラヤンやブーレーズを崇めているのだが、しかし。
一方で、「火の鳥」をストラヴィンスキーが指揮する映像を見たことがあるが、そんなに素晴らしいとも思えない。
ラテン系の格好いい女声 Entre a Mi Pago Sin Golpear (Chacarera)
https://www.youtube.com/watch?v=ZV7T0WFxopc
第二次ブルガリア帝国の皇帝にカロヤン・アセンがいる。カロヤンは「善良なヨハネ」もしくは「寛大なヨハネ」ですって。
指揮者カラヤンもご先祖はこっち方面と聞いたことがある。どうなんだろ。
CDを買う。中古とは言え、安くて申し訳ない。昔、CD出始めの頃、LPレコードを安価に買い漁ったが、それよりも安い。
もう、主流はネットのダウンロード販売なのだろう。
イギリス国鉄クラス50ディーゼル機関車の50007号は作曲家「Sir Edward Elgar」の名が付いていた、と。
ボンタンアメ100周年とのこと。
目出度い。ボンタンアメは子供の頃から大好き。雅で床しいお菓子だ。
1925年に作られた。我が母だけでなく、祖母が親しんでいる様子があったが、さもありなん。
今後の発展を祈りたい。
また、ボンタンアメと並んでいる兵六餅について調べると、「大石兵六夢物語」に題を得ているとのこと。
Wikipediaを読むと、大石兵六はずいぶん狐に誑かされており、兵六餅の箱絵にあるような勇ましい感じでもないのが、ちょと不思議。
とは言え、地元銘菓に地元のお話が結びついているのはが雅味があって良いよね。
こちらは1931年から。いずれも息の長いお菓子だ。
軍隊に送られたり、工場が空襲で焼けたり、戦争と無縁ではいられなかった百年を思う。
遊び半分で官報を眺めていたら、「水先人に免許を与えた件」を見つける。
水先人は氏名と本籍地都道府県名まで公開されるんだ。まあ、公益性も高いし、詐称されたりした時の損害も大きいだろうから公開の意義も大きいのだろう。それに引き換え気象予報士・・・。
まあ、そういう扱いで良いのだが、日々の気象予報・防災について言及するだけでなく、地球温暖化についての注意喚起も続けるのが、職業倫理つうもんよね、と思わないでもない。
博物館「明治村」村長は阿川佐和子氏。阿川氏は明治生まれだっけ?なんてね。
「明治偉人隊」なる者らも居て、福沢諭吉氏も含まれている。大隈重信を押し込めなかったのか、まあ学閥が弱いのが早稲田の良いところではあるよね。名古屋出身の有名な明治人としていないのも一見識かも知れぬ(すぐには思いつかない)。
後藤新平は板垣退助が岐阜で刺された時に治療にあたったと言うが、愛知県医学校勤務だっただけで、出身は奥州水沢なのね。
永井荷風は父方母方とも名古屋(周辺)と縁があるものの、本人は東京小石川生まれで名古屋との縁は非常に薄い。
名鉄中興の祖である土川元夫氏は明治生まれであるけれど、流石に主に取り上げるのは控えるだろう。
Wikipediaを見ると、土川が京都帝国大学出身とのこと。京都大学霊長類研究所が犬山にあったのもこの縁であったか。
霊長類研究所は長く憧れの的だっただけに、低調な終焉となったのは残念である。
ChatGPTで写真を絵画風に加工してみる。
レンブラント風=暗く粗い筆使いで、とてもレンブラントとは言えない。
フェルメール風=レンブラントと区別がつかなった。説明文では自画自賛していたが。
ミロ風=まあまあそれらしかった。これが一番おもしろい。
エッシャー風=一応石版画には見える。が、エッシャーの謎めいた冷たい表現力はないよね。
棟方志功風=木版画には見える。が、棟方の豊穣さ・厳しさはないよね。
漫画風=特定の作者を指定すると拒否される。漫画風というより、漫画調を取り入れたデッサン風にかえしてくる。北斎漫画風は作成できない。
ポップアート風、エジプトのピラミッドの壁絵風、ビザンティンモザイク風、アール・ヌーヴォー風、マヤ文明もコンテンツポリシー違反だそうだ。嘘くさいな。
以降は「たとえば・・・リクエストせよ」という中で例示しているのに、指示すると違反という矛盾。なんだか仕事をしたくない人間みたいだな。
説明文を記録しておこう。
こちらがレンブラント風の油彩画風に仕上げた画像です。重厚でドラマチックな雰囲気が加わり、まるで絵画のような仕上がりになりました!
フェルメール風に仕上げました!柔らかい光と陰影のコントラストが特徴的で、静謐な雰囲気が漂う作品になっています。
ミロ風に仕上げました!カラフルで遊び心のある抽象的な表現が、列車をユニークな形と色彩で描き出しています。
これら説明文はつく時とつかない時がある。どうしたものなのか。
六花亭のインスタグラム
熱狂的かつ長期に渡るファンが熱く語っている。
自分なんかはこの人々に比べて大したことないと思うが、数日の北海道出張の際、六花亭某喫茶室に毎日出入りして店員さんに見咎められた(気づいて頂いた)のは私である。
札幌勤務時代、毎週六花亭の喫茶室に通っていた。今なお名前を覚えている店員さんがある(それとは別に、お名前こそ存じ上げていないものの、バッテリー上がりを助けてくださった社員さんはさらに忘れてはいないし、子々孫々まで忘れてはならぬ)。もしかしたら、私は、店員さんと結婚して、六花亭に転職して、今ごろは六花亭管弦楽団の首席チェロ奏者・・・。まあ、こういう無責任な想像は、フーテンの寅さんという大先輩同様に楽しいよね、と道理もへったくれもなく書くのをお許し頂きたい。下らない男でござんす。
レストラン「聚楽」
昭和ひと桁生まれの亡父が「はじめてナイフとフォークを使った」のは聚楽(上野)らしい。
当時、父は全音楽譜出版の使い走りをしていて、作曲家ないし作家さんに原稿料を持ってゆくことがあった。ある時の待ち合わせ場所が「聚楽」で、作家さんが「君、ご馳走しよう」と言われて、見様見真似で苦心しながらハンバーグを食べたという。
父はこの話をしながら、我々子どもたちのナイフとフォークの練習としてフレンチトーストを作ってくれた。
父の昔話は、おそらく昭和二十年代後半のことだろう。
金沢の「芝寿し」
大好き。で、伝統的なお寿司屋さんかと思いきや、東芝の炊飯器を売るために炊いたご飯の使いみちとして、金沢伝統の押し寿司を思いついたとのこと。なかなか面白い。
芝寿しが食べたくなってきた。今年は金沢にゆこうか?(柿の葉寿司も大好き)。
鉄道模型のKATO、ついに「クロコダイル」を模型化。
KATOがスイスの鉄道を模型化しているのを、なかなか良いなと思って見ていた。でも、最新型のスマートな車両ばかりで、私の好みには少し合わない。だから買いもせずに来た。
有名な電気機関車クロコダイルなど古い車両があれば買うのに、と思っていたが、やはりツボを付いてきた。私はこの機関車を買うだろう。そうなると客車・貨車なども買わねばならぬ。私は、列車に乗って移動しつつ、車窓から様々な風景を楽しみ、さらに行き交う列車を眺めるのが好きなのである。ということは「行き交う列車」を再現するために、旅客列車と貨物列車を・・・などと考える。すなわちなかなか楽しいご散財が待っている。
鉄道模型趣味誌第1000号は「孔版初号(1946年)~3号、創刊号(1947年)~102号までの全ページPDFを収録DVD」がつくとのこと。
伝説の初期が読めるのは非常に嬉しい。私が現役読者だったのは、350〜430くらいだったろうか。
昔買った雑誌の記事を今なお眺めて楽しくも学びがある。すごい雑誌だ。
中野ブロードウェイの中の模型店で、古い模型をいくつか見る。 中村精密のC51、エンドウの9600。昔欲しかったNゲージ蒸気機関車の模型。昔の倍の値付けは決して高いとは思わない(が、自分のような者が買っても仕方がないとも思う)。見られただけでほのぼのと幸せである。もちろん、これらの蒸気機関車が最新式の模型になって登場して欲しいけれど、商業的に難しかろうし、期待もすべきではないだろう。
漢字。廿、丗、卌。20、30、40まではあるが、50はない。
50があれば、五十歩百歩を「四字熟語」に入れられたのに。
まあ、昔は卌みたいな五十があったが、文字コードに入らなかったのね。
誤字シリーズ
「口径の高速有蓋者」は「後継の高速有蓋車」だろうなあ。「有害者」でないだけ穏当かも。
「まずは所作なく勤めたのであろう。」と見たが「大過なく」か。
「無所作」は「やることがなくぶらぶらしていること」らしいので、おかしいだろう。
靴「スベルガ(滑るが)」ではなく「スペルガ」だった。
香水「カーレシュ」も「加齢臭」「カレー臭」みたい。
Googleの検索結果「黄昏のウィーンの生物学 尿前 JT生命誌研究館」
原文は 「黄昏のウィーンの生物学 承前 JT生命誌研究館」
間違えるにも程がある。まさか、原文が以前は間違っていたのだろうか。。。
アッテネーター(減衰器)。「音程がアッテネーター」と言いたくなる。
一旦停止違反でお巡りさんに止められた運転者(ベンツを運転する若い女性)が「それってあなたの主観ですよね」と言っているのを小耳に挟んだ。
この語法がいかに広まっているかを実感した。日本人は自分の主張をできないことが欠点とされてきたから、多少の進歩かも知れないが、その主張が聞きかじりの「魔法の文句」ではねえ。
JCB。Journal of Cell Biology 細胞生物学雑誌。Johann Christian Bach じゃないよ。
カード会社は「Japan Credit Bureau」だったんだ。今は違うだろうけれど。
アジャンクール(エジンコート)。英国で戦艦の名前になっているのを知らなかった。まあ、第一次大戦時の戦艦だからね。
主砲塔が7つもあり、世界最多とのこと。そもそも英国向けではなく、ブラジル向けだったものがトルコ向けに変更になり結局英海軍。などなど。
先月の「ギヨタン」。「たん」は女児などの愛称としての接尾語?としても知られ、可愛らしい印象が一般的だろう。
しかして、ギヨタン、ヨナタン、などの名を「かわいい」と思えるだろうか。
Nowhere
「No Where どこでもない」としても「Now Here 今・此処」としても禅語っぽい。なんだっけ、「爾の那辺において切なるや」(お前は、どういう場所で(どういう時に)切実であることができるのか?)。
「AIコンパニオン」なる語を聞く。
この「コンパニオン」はどのような意味だろうか?ご学友程度の意味だろうか?まさか、バブル期のパーティーに現れた「酌婦」のことではなかろうけれど。貴族のお付き女性なども「コンパニオン」だっけ。
米国の爆撃機B17の後方射撃手向け動画
https://www.youtube.com/watch?v=aoHOVUKOc0M
これを見ただけで有効な射撃が出来るようになるとも思わないが、こうしたものを動画にする国と我が国は戦争したのね。
知人に「地理学至上主義者」がいる。
「地理学科が理学部と文学部にあるのではなく、地理学の中に理学も文学もあるのだ。あらゆる学問は地理学の中に位置づけられる」くらいの壮大にして高い視点を持った主義であり、そういう意見も一定程度納得がいくと感じるものである(私は一文字異なる理学至上主義者なので、一定程度以上の納得はいかない)。
地理学至上主義からみた「あらゆる学問の位置づけ」を改めて見てみたいものだ。
(酒飲みの与太話)
笑福亭べ瓶氏のYoutubeを見る。
関東四派閥の話を聞く(尋ねる)ことが出来るのは、上方かつ関東での仕事も長いべ瓶氏ならではだろう。
特に昇進制度などで、圓楽と立川の違いがものすごいが、その双方を包摂するのが「落語」であるのは、良いことだ。
立川小春志氏の修行は人情ものみたいだし、錦笑亭満堂の軽やかな芸風も良い。そして落語協会・落語芸術協会が中庸を締めるのも良い。
(日本の政治もこれくらいに落ち着かないか、と余計なことを思ってしまった)。
桂米朝「落語とわたし」を渡されるお話。私も読んでたいへん気に入っているので、嬉しい。
「笑福亭の捨て育ち」というのも凄い言葉。田中啓文で「笑酔亭」となっているのもここから来ているのかとやっと知る。
映画「兵隊やくざ」が無料公開されているのを見る。
もとより娯楽作品ではあるけれど、日本の軍隊の暴力性・非合理性が満ち満ちており、これをある種『軍隊とはそういうものだった』として社会が受容していたしるしでもあると思う。「星の数よりメンコの数」というのも、ある種非合理性の裏面である。
フォークランド紛争の記事をネットで見る。昔、戦争1年後くらいでBBCが双方にインタビューした番組を見たことがあり、驚いた。そんな時期に双方で取材が出来たということ、また、双方の軍人が憎しみではなく義務として戦闘を語っていることなどに。
中国による台湾侵攻があると、私は思っていないけれど、そういう観点から見直すことももちろん可能だろう。もちろん、大きな違いもあるだろう。
京都ノートルダム女子大学募集停止とのこと。
京都大学出身者から「京女とダム女」という言い方を聞いたのは、何十年も前。
四年生大学が閉校する時代。少子化だから当然でもあろうけれど。なんとなう「京大生の口から出るような名門女子大」だと思っていたので、驚く。
ChatGPTにものを教わる。
1992年頃買ったマイク(Sony ECM-909A)を使うと雑音が多いのは、経年劣化でコンデンサーが容量抜けしているのではないか、とのこと。ちなみにこのマイクはプラグインパワー対応だそう。そんなことまで教えてくれる。
1995年頃買ったスピーカー(Tannoy Mercury m2)から高音が出ないのも同様にコンデンサー劣化。推奨コンデンサーも教えてくれる。
UbuntuでBluetoothトラックボール(サンワMA-BTTB183)が使えないのは、PC内蔵のBlueToothデバイス(RTL8821AE)が凶悪だかららしい。
こういうことはきちんと答えてくるっぽい。
情景。
四月上旬の朝、スーツ姿の親娘三人が駅に向かって歩いてゆく。
中高年の父母と、就職したての娘でもあろうか。黒いスーツに少しだけ華やかなお化粧。
娘さんが「娘が一番背が高くて・・・」と話すのを聞くともなしに聞くご両親。
思わず「行ってらっしゃい」と呟くと、お母様が「行ってまいります」と返して下さる。
私がこの親子の状況を(正しいかどうかはわからないが)見て取ったことを、お母様は感じ取ったに違いない。
子供を就職させる同世代であろうことも。
よき職業生活を送られますことをお祈り申し上げます。