読書の記録(2025年4月)

飛ぶ教室 ケストナー 丘沢 静也
楽しくも考えさせられる読書であった。
「ギムナジウム」という優越的地位にあってもその中で起こる「男らしさ」の物語など、ともあれ、読後感は良い。
ロマン・ロランの小説で、ドイツ民族は非常な長文で貶されているが、ここではさらりとした味わいのドイツ的理知のあり方が示されているように思う。
畑の中に置かれた客車に住むというとこちらを思い出す。
Grounded Coach Body
https://peco-uk.com/products/grounded-coach-body?srsltid=AfmBOopzNRWUn8e5aYfoLmbsNjIHoPKDcGah7RHebWtSey1nbIZzJCHE&variant=7435747328034

中谷宇吉郎 随筆(青空文庫)
I駅の一夜、アイクと鳩山さん、英国日食班の印象、ケリイさんのこと、原子爆弾雑話、抗議する義務、小林秀雄と美、北海道開発に消えた八百億円、など。
科学ものではない「I駅の一夜」や「ケリイさんのこと」がほのぼのと心に残る。特に前者は、近年の我が国の凋落振りにあって、少しく同じような心情や期待を持つ者にとっては忘れがたい。
我が国の首相が国会図書館で一時を過ごしたことを批判する向きもあるようだが、たとえば「原子爆弾雑話」など読んでおくのはたいへん重要だと、私は感じる。よってして国会図書館に行くのも当然のことと思う。
中谷宇吉郎をなかば文人と捉え、美文のみ書いているように賞揚する向きもあるように感じるが、「北海道開発に消えた八百億円」を読むと、適正なる社会批判者であって、今の世の中にも大変必要とされている(が、過剰に批判されたりもする)立場であるように感じる。

増補 幕末百話 篠田鉱造
適当にめくり見るに、脱疽をヘボン医師が治療する話あり。これってば、山田風太郎先生の明治断頭台のモデル(の一部)だよね。
さすが山田先生。たったこれだけの記事から大きいお話に発展させておられる。

澄江堂雑記 芥川龍之介
wikipediaの題頁を見る⇒「澄江の化石産地」が出ている。⇒「澄江堂ってば芥川龍之介だよね」⇒Google検索すると「澄江堂雑記」(青空文庫)が当たる。の順序。
とても賢そうでそこそこおもしろい文言が並んでいるが、よくわからない文章もある。私の賢さが不足しているのか、時代性が強いのか。「文芸と階級問題との関係は、頭と毛生けはえ薬ぐすりとの関係に似ている。」など。
「七 赤西蠣太」は以前読んだようにも思うが、いつ・なぜ読んだか思い出せぬ。
龍之介が紹介している近松の俊寛はなかなかに劇的で面白そう。読んでみよう。
ここから「痴人の告白」についてネット辞書を見る。「痴人の告白」の項を読んでいるのに「レストランの調理スタッフ」が出てくる。広告が本文を平然と邪魔し、その区別も不分明な時代。悲しいね。広告をするなとは言わないが、本文を邪魔しないこと・本文と区別がつくこと・不快でないことは、最低限守っていただきたい。
古い東京の「とても」は否定を伴ったが、新しくは三河由来の否定を伴わない使い方が入ったとの言説。最近でも似たような話を聞く。「まったく・・・ない」等かな?

幻の朱い実 石井桃子
石井桃子と言えば、私が幼い頃より「くまのプーさん」などでお世話になった翻訳者である。
その方の小説。岩波現代文庫で「石井桃子コレクション」としていることからその重視されていることがわかる。
私の母・祖母の間くらいの時代性を感じるこの小説を読むと、小説と母・祖母の話を通して、時代の断面を立体的に見ているように感じる。
また、生涯独身だった大叔母や歳長けてからひっそりと結婚生活を初めた伯母など、あの昭和の動乱期における結婚の有様にも通じるようにも感じる。

この小説は、「自伝的作品」と見るべきなのだろう。極貧でも富裕でもない、都会の知識層の戦前・戦後の(戦中の生きるのに精一杯だった時期を除く)、シスターフッド的な精神生活を描いたものとして見るべきなのだろう。
(岩波書店の作品紹介を見るに、石井自身は結婚歴がないとのこと)。
言っても詮無い「もし」であるけれど、私自身もっと若く結婚する前後に読んだならばどう感じただろうか、と少しく思う。
もともと、カラスウリ趣味で見つけた本でもあり、銀座教文館で偶々複数置いてあったので、思わず買ったのだが、読めて良かったと思う。高年男性には、一読ではわからないニュアンスがたくさんありそうなので、いつか再読しよう。

ジャン・クリストフ ロマン・ロラン
なんとか二巻を読んでいるところ。第一巻はドイツ人(ドイツ民族)の悪口が相当あったが、第二巻はドイツ作曲家の悪口。バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、ワーグナーその他もろもろ皆アカン。まあ、こういう見方もあると楽しんでいるけれど、描写は冗長だし、昨今あまりウケないのも当然(また、それが惜しくもない)と感じてしまう。買ってしまったので、第四巻までつらつら読んでみましょう。
私は精神的軋轢の大きい本は読みたくないらしい。まあ、自覚もあるのだが。

星の牧場 庄野英二
大岡昇平の「武蔵野夫人」を読んでいると、復員兵が兵士の目で地形を眺める情景が異様に浮き立っているように感じられる。それまでのあやふやな「作り話」ではなく、明晰な意味を持つとともに生死を分かつ峻厳さが感じられる。
庄野もまた戦闘で負傷し、そののち後方勤務になったらしい(ロッテルダムの灯火)。ここでも、大岡と同じではないが「兵士の目」が感じられる。それも、負傷兵の目であり、海没した戦友たちを思う目である。
この書もまたちくま文庫の「戦闘以外の戦争」シリーズであり、読んでよかった。

古い鉄道模型趣味誌
先日亡くなった片野正巳氏の古い記事(1975年の京濱急行など)を読んで楽しむ。

鉄道模型趣味通巻第1000号
私が最もよく買い、最もよく読んだ雑誌。でも、私が現役で読んでいたのは343号(1977年1月)〜480号くらい。
記事も「機芸」出版社の志にふさわしい題材を選んでおられるように見る。私には、欧州の不思議な電気機関車が、題材、模型化手法、工作水準ともに機芸らしさを感じた。
付属のDVDで伝説の「孔版1号」が読めるのも嬉しい。このあたりはもともとの雑誌が読みにくいのだから、も少し解像度を高くして頂ければよかったのだが、仕方がない。
孔版時代の文章を読んでいると、「予備士官」とか「今の処、戦災を受けなかった会員の車輌を持ち寄って運転しており云々」「空襲で(自宅が)全焼」「一夜を過ごす話のたねはヤミと食物の浮世を離れて」などとあり、生々しい時代性が感じられる。この時代にすでに模型を趣味とし、模型趣味における「芸術性」を志している人もあったのだと感銘を受ける。
そしてまた、京都大学の化学系の教授宍戸圭一氏の記事などもある。「自分が発明した薬品を売っている会社の看板を1/80模型の線路脇に出したから、1/80の看板料を払え」なんて面白い。ノーベル化学賞をとった野依氏は宍戸氏の弟子のひとりなのね。
完売・増刷決定とのこと。喜ばしい。私はちょいちょいこういうのを買いそびれるが、この本ばかりは執念で手に入れた(というほどのことはない)。グリーンマックス創業五十周年記念誌は高価だったこともあり、ぼんやりしているうちに売り切れた。こちらも何らかのかたちでの増刷(廉価版)は出ないのかなあ?
そうそう、一点贅沢を言うならば、すでに古典的なレイアウト三部作(レイアウト全書、レイアウトモデリング、レイアウトテクニック)もpdf化して欲しかった。時期尚早なのではあろうけれど。

付録の記事題名・著者DBはSQLiteなので、適当なフロントエンドを突っ込めば直接中を触ることができる。
私は Linux (Ubuntu) を常用しているので、 DB Browser for SQLite を使った。これ、なかなか使い良い。
例えば以下の感じで、WHERE句の中を変えるとだいたい好きなことができる。
SELECT year, month ,articles.title, authors.name, categories.name FROM articles
INNER JOIN categories ON articles.category_id = categories.id
INNER JOIN magazines ON articles.magazine_id = magazines.id
INNER JOIN authors ON articles.author_id = authors.id
WHERE authors.name LIKE '赤%'
(空白を入れてイコールが揃うように書いていたが、markdownが解釈して改行するのでボツにした)。

TMS30号。赤井哲郎氏(前号でもそう呼ばれている)が、なぜか赤司哲州名で記載している。
東西電車自慢東の巻。「双方ともイキリ立つ内に遂にはどちらかに大事故が起こるものである」。
雑文(失礼!)のうちにも、未来の福知山線事故を予言しているようで慄然とする。

時々訪れる古書店にあった「ニルス・リューネ (ルリユール叢書)」を、買いに行ったら売れてなくなっていた。
よくある。そういうの。古書店主もそうおっしゃった。誰かが気にかけると、誰かが買ってゆく、と。
やはり、「迷ったら買う」しかない。呉明益の「複眼人」も気になるが、これは文庫があるからなあ(それならそれで文庫が切れないうちに買おう)。

渡辺電機(株)氏の「新選組いちねんせい」(ネット漫画)。結局すべて読んでしまった。なかなかのオチ。
新選組が内紛外紛で人を殺してばかりいた実相をギャグ漫画で描くのもすごいが、最後がこれかい(ほめことば)。

バルザックの「人間喜劇」の発想は、司馬遷の史記などで用いられた編年体・紀伝体(本紀、世家、列伝)と出発点(問題意識)は同じかもね。まあ、人間のやることが新旧東西あまり異ならぬというだけのことだが。

「アラミス最期の恋」なんて小説があるのね。
(たまたま、ヤン・ヨーステンについて調べていた→アメリカに「アラメダ」なる地名がある→アラメダ公爵(ダルタニャン物語の登場人物)について調べる→この小説にたどり着く。読んでみたい。貧乏銃士だったアラミスが、イエズス会の管区長にしてスペインの大公爵になり、そしてその虚偽と変転に満ちた人生を回顧する・・・。
ダルタニャン物語は面白い。何度も読んでいるけれど、最初に読んだ小学5年生の時は冒険活劇として、大人になってからは歴史的物語として、それぞれ面白く読んでいる。貴族たちの群雄割拠するルイ13世統治下から、新教弾圧、反乱を経て中央集権化、また、武力闘争中心だったのが、経済闘争中心へと変化していく様、下級貴族であるからこそ貴族社会に出入りすることが出来、有能であるからこそ出世するダルタニャン(そしてコルベール)。などなどの変化を肌身を持って感じさせてくれるのは流石デュマ(及び鈴木力衛)の筆力と思う。

アレクサンドル・デュマによる自作の翻案『銃士たちの青春』 柳光子
https://ehime-u.repo.nii.ac.jp/record/2001447/files/AN10579404_2022_52_51.pdf
これも上記と同じ経緯で見つけたもの。こんな作品あったのね。
でもって、柳光子氏は(研究者であるから、とはいえ)、非常なダルタニャン物語好きなのね。私も嬉しい。
と思うたら、この手の文書は結構あちこちで書かれているのね。これは愛媛大学、別に岐阜大学。
「退屈を囲って」とあったが、「不遇を託つ(かこつ)」の「託つ」だろうなあ。

「チェロはいいよ!」を読み始める。
アマチュアとして合点がいくことが多い。
https://www.amazon.co.jp/dp/B015VBVCW2/ref=docs-os-doi_0
おそらく著者は私が知る人だ。この属性の方がそうそうおられるとは思えない。そしてこの語り口。硬質な諧謔とでも言おうか。
ちょっと悲しいのは、電子版をWebブラウザで読むことができず、Kindleアプリが必要なこと。私はLinuxで読みたいがなかなか。

喫茶店でだらだらしながら書籍通販のwebサイトを眺め、岩波文庫「やし酒飲み」を「お買い物かご」に入れた途端、隣席に座った方が同書を取り出したので驚く。
そして、岩波文庫の近刊に「夜間飛行・人間の大地」がある。私が好む「南方郵便機」や「戦う操縦士」が無視されがちなのが悲しい。

●雑感
エイプリルフール。良い嘘をつくのは難しいものだ。
昔、行きがかり上、我が家の子どもたち向きの四月馬鹿の催しを考えねばならなくなった。
実害がなく、でも騙されたと少々悔しい思いもしてもらいたい。
そしてまた私は会社に行かねばならない。
仕方がないので、前日子どもたちが寝静まってから、家の中の時計を30分ずつ早め、朝30分早く起こした。
「まだ寝てるの、起きなさい」てな具合だ。
もちろん後々文句を言われたが、心に残る良い催しであった。
子どもたちが小学校に通っていた頃の、春休みの温かい思い出。

同じように、成人した我が子に昔読んでいた絵本「ペッチ」を誕生日プレゼントにしたのは、今なお話題になる。
「ペッチ」は、今は「ラスムスクルンプ」を名乗ってTwitterもしているので、家族内では、ラスムスに向かって「おいペッチ。いつからラスムスクルンプになったんだよ」と(乱雑に)呼びかけるツイートをするぜ!という会話が面白おかしくなされている。ゴメンよラスムス。

バッハの管弦楽組曲第3番の本番。
高校生の時に挑戦し、結局序曲が出来なかった。以来四十年の宿願が果たされた。
なんだか最近こういう「もうすぐ死ぬのかな」的結願が多い。まあ、そうであったとしても限りなく有り難いことだけれど。
当時は速いところも弾けなかったが、冒頭の圧力をかけて弾くようなところがそもそも理解できず、奏法も判らなかった。
当時は、録音もほとんど入手できなかった。たまたま、NHK-FMでロリン・マゼール指揮ベルリンRIAS放送管弦楽団が流れたのが唯一の情報だったと思う。
あれから、様々な情報も増え、グランドスタイルで行くか、ピリオド風で行くかを考えるくらいには世の中とともに進んできた。
大変ありがたいことである。
で、例によって練習中、モロモロ嘴を挟んだのであるけれど、本番後に「室内楽のレッスンを受けたことがあるか」と問われたのは、もしかすると「お前の変な嘴の根拠はなんだ?」ということだったかも知れぬ、と後々思い至る(事後孔明とは己がことだよ)。
己が身を顧みるに室内楽としてのレッスンも少しは受けているけれど、おそらくは昔々、三村先生の練習を受け、さらに杉浦薫師の室内楽(チェロとピアノの二重奏)の練習を何度か見学させてもらったことが大きいようにも思う(ついでに言うと中学校で顧問が滅多に来ない合唱部の指揮者をしていたぞ)。
彼らは、音楽を萎縮させないために、様々な工夫をしていた。だから「音程が変」とか「●●しないで」といった具体的対応がしにくい表現はしなかったし、それぞれの奏者が積極的に感じ・考えて弾く気になるような文言を発していた。私は良い先生に恵まれたのだ。その大恩を少しでも世の中に返せるならば、本望これに尽きる(それに反する行いをしていないかよくよく反省しよう)。

現在の手持ち曲:
 Mozart Quintet K.614 5/10本番
 Dvorak Quintet Op.97 11/9本番
 曲目未定 10/4本番
 Beethoven Quartet Op.132 時期未定
 Mozart Quartet K.421 時期未定(K.465と比較検討したが、ベートーヴェンと並べた時に重すぎる懸念があり、K.421に決定)。
 さらに、もしかすると9月にチェロ教室のおさらい会にお邪魔するかも

練習の録音を聴いていると、思ったよりダメだった、思ったとおりダメだったというのもあるが、思ったよりダメじゃなかった、というのも偶にある。意図しないで手が勝手に動いていて、耳は追尾できていない状況。それが楽しいかと言われると忸怩たるものがあるけれど。私は私の意志と制御のもとに音楽をなしたい。

弦を替えた(4月15日)。
2024年7月6日からドミナントプロを使っていた。ほんとうは半年で交換したかったが、値上がりもしたし逡巡の末。
そんなに劣化している感じでもなく、結構長く使える良い弦だったかも。最初さほど良いとは感じなかったが、安定していて劣化も少ないように感じる。
今回はダダリオのカプラン。張った直後の感じでは、アカン。
うるさい。特に上2本。でC線は弱い。G線の第4ポジションあたりは暴れすぎ。また、ハイポジションになると音がひどく艶消しになる。まあ、慣れてくれることを期待しましょう。もし1週間経ってこれが治らなければドミナントプロの古いのに戻った方が安全かも。
ダダリオを張るのは、20年振りくらい。ヘリコア・ユニコアを売っていた時代。渋谷で買ったような記憶がある。
2週間経ってまあまあ落ち着いてきた。が、やはり毛のひっかかりが悪く音が荒れやすい。ガットもそうだが、弓の技術の低さが暴露されるタイプの弦である。

La Musica Collana
エーベルルの三重奏、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ。
一曲目より二曲目の方がピアノの音が穏やかで美しくなったように感じた。どーゆーことなのだろう。作曲家(が作った曲)の違いなのか、演奏者の演奏行為の違いなのか・・・。
モーツァルトのロンド。短調モーツァルトはやはり良いね。
最後のトリオは「さすがモーツァルト」。エーベルルも面白い良い曲で楽しく聴けたのだが、やはり、格の高さが異なるように感じる。
そしてまたロンドも良いのだが、やはり「3人で演奏する立体感」がたまらない。
(エーベルルとモーツァルトの対比が面白いので、同じ演奏会で・この順番で弾いていただいたのはたいへんよろしい)。
して、例によって丸山氏・島根氏の様々な音作りが素晴らしいのだ。

五反田文化センターへの行きがけに不動前駅近くのフラヌール書店によったが、定休日であった。なんと間が悪いこと。
ガラス越しに店を覗いていると、隣の英学塾の時間待ちらしいお嬢さんが「今日は定休日ですよ」と教えて下さる。
なにかにと少しお話した。お嬢さんは小学生であろうけれど、都会育ちらしく利発にしてきちんとした物言いをなさる。
私の「日頃の行いが悪いから定休日にあたってしまった」に対し、「そんなことはないでしょう。優しい声をしているから優しい人なんです」などと大人をヨイショするのも後生恐るべし。
二度と会わないであろう人の類例。最近「忘れ得ぬ人」について考えるがそういう方のお一人にかも知れない。
昔、東海道線の車中で蜜柑を下さったご婦人方、札幌で凸凹に凍結した道路で脱輪した自動車を救って下さった引っ越し屋さん・・・。

Abel Selaocoe: Tiny Desk Concert 先月一曲目しか聴いていなかった。
https://www.youtube.com/watch?v=GhY31ngpnWg
二曲目はなんと、マラン・マレ「人間の声」。自由な即興歌謡も付く。不思議だが納得できる演奏。
この「曲」とも言えないような「曲」。好きな人が多いね。自分でもなぜこの曲を好むか不思議だったけれど、この曲にしかない何かがある。

クリストフ・コワン演奏会
恐るべき安定性。恐るべきニュアンス。ロングトーンであれ、動きのあるパッセージであれ、完全に自家薬籠中のものとして正確なニュアンスづけが行われている。こういうのを聴くと、己がテキトー音楽・いい加減音楽・ブサイク音楽が嫌になるよね。
ヴェルフルやモーゼスもとても面白い音楽で良かった。まあ、ベートーヴェンと並べると格下感は否めないけれど。

フィリアホールのエスカレータを降りる際、お子さん連れの女性が「おもちゃを見るのはいいけれど、買わないからね。ポイントは『買わない』こと!」とおっしゃっている。なかなかおもしろい。つい「良いポイントだと思います」と賛意を評してしまう。
我が家でもそうだったが、何でも買ってもらうのが幸せではないと思う。『特別』の甘美な響きを伝えるのも親の務めかと思う。

落合の有名鉄道模型店でダラダラ過ごす。
BGMがチェロ特集だったらしく、「白鳥」やエルガーの協奏曲。若干居心地の悪さを感じるが、そう思う人間は少数であろう。
昔、同僚に「ジャズは寛げる」と言ったところ驚かれた。ジャズ研出身者で「次に誰がソロを取るか、取ったソロをどうこなすか、緊張する」とのこと。人それぞれ。

株式会社キングインターナショナルのホームページを見たところ、閉鎖のお知らせになっていた。
CDが売れないので、閉業ということだろうか。
ヴァントゥイユのソナタについて検索した結果のひとつであったのだが。

雨降りの日曜日 鷺澤伸介氏
http://blaalig.a.la9.jp/
シェーンベルク「グレの歌」のもととなったヤコブセンの「サボテンの花ひらく」の和訳を公開されている方(偉大!)。
2015年頃拝見して感激していたが、このところサイトが見られなくなった・・・と思いきや、今日は接続できた。
この方のサイトも「古き良きインターネット文化」であるが、この方の名前に言及されている方々もまた、「古き良き文化」に属するようで嬉しい。
https://leeswijzer.hatenadiary.com/entry/2021/06/01/065528
あのインターネット黎明期の良き日々は失われて久しい。
「サボテンの花ひらく」の冒頭が少々分かりにくいが、国木田独歩「忘れ得ぬ人」と似たようなことを言っているやにも思われる。自分の2016年のメモ(http://folia.txt-nifty.com/musik/2016/06/index.html)でもこれらが並んでいるのはそうした意味があったのかも(自分のことでももうわからん)。

鷺澤伸介氏の興味と能力は素晴らしい。
ウィンナーワルツのCD選び。私も実は同じようなことを考えたことがある。
http://blaalig.a.la9.jp/wienerwald/wienerwald.html
ウィーンの森の物語はやはりツィターでなければ・・・というのには特に賛同。アントン・カラスが弾いているのはどの録音だっけ?

これを出発点に、子供の頃家で聴いていたウィンナーワルツのLPレコードを探す。
https://www.snowrecords.jp/?pid=136414355
見つかるのがネットのすごいところ。ミネアポリス交響楽団の名前にはなんとなう覚えがあるが、指揮者アンタル・ドラティなのは知らなかった。
ジャケットは安っぽいし、写真は意味不明だが、思った以上にきちんとした演奏だった。これに限らず、我が家にあったLPレコードは結構趣味性が高かった。これもその一枚だったのか。
ドラティの「CD30枚組ボックス・セット」にも収められているらしい。また、NAXOSのこれ(https://ml.naxos.jp/album/00028948441051)も近い。
そう言えば、このLPには「ウィーンの森の物語」が入っていて、自分は「美しく青きドナウ」よりもこちらの方がなんとなく「名曲」として刷り込まれていた時期があるのだった。とは言え、自分がオーケストラで演奏するようになると、ツィターがあったり、弦楽器の独奏があって取り上げにくい「ウィーンの森の物語」よりも「美しく青きドナウ」の方が演奏機会が多くなり、何年か後にはこちらに親しみを感じるようになったのだった。

ストラヴィンスキーの言いたい放題
http://blaalig.a.la9.jp/printemps.html
我々は、カラヤンやブーレーズを崇めているのだが、しかし。
一方で、「火の鳥」をストラヴィンスキーが指揮する映像を見たことがあるが、そんなに素晴らしいとも思えない。

ラテン系の格好いい女声 Entre a Mi Pago Sin Golpear (Chacarera)
https://www.youtube.com/watch?v=ZV7T0WFxopc

第二次ブルガリア帝国の皇帝にカロヤン・アセンがいる。カロヤンは「善良なヨハネ」もしくは「寛大なヨハネ」ですって。
指揮者カラヤンもご先祖はこっち方面と聞いたことがある。どうなんだろ。

CDを買う。中古とは言え、安くて申し訳ない。昔、CD出始めの頃、LPレコードを安価に買い漁ったが、それよりも安い。
もう、主流はネットのダウンロード販売なのだろう。

イギリス国鉄クラス50ディーゼル機関車の50007号は作曲家「Sir Edward Elgar」の名が付いていた、と。

ボンタンアメ100周年とのこと。
目出度い。ボンタンアメは子供の頃から大好き。雅で床しいお菓子だ。
1925年に作られた。我が母だけでなく、祖母が親しんでいる様子があったが、さもありなん。
今後の発展を祈りたい。
また、ボンタンアメと並んでいる兵六餅について調べると、「大石兵六夢物語」に題を得ているとのこと。
Wikipediaを読むと、大石兵六はずいぶん狐に誑かされており、兵六餅の箱絵にあるような勇ましい感じでもないのが、ちょと不思議。
とは言え、地元銘菓に地元のお話が結びついているのはが雅味があって良いよね。
こちらは1931年から。いずれも息の長いお菓子だ。
軍隊に送られたり、工場が空襲で焼けたり、戦争と無縁ではいられなかった百年を思う。

遊び半分で官報を眺めていたら、「水先人に免許を与えた件」を見つける。
水先人は氏名と本籍地都道府県名まで公開されるんだ。まあ、公益性も高いし、詐称されたりした時の損害も大きいだろうから公開の意義も大きいのだろう。それに引き換え気象予報士・・・。
まあ、そういう扱いで良いのだが、日々の気象予報・防災について言及するだけでなく、地球温暖化についての注意喚起も続けるのが、職業倫理つうもんよね、と思わないでもない。

博物館「明治村」村長は阿川佐和子氏。阿川氏は明治生まれだっけ?なんてね。
「明治偉人隊」なる者らも居て、福沢諭吉氏も含まれている。大隈重信を押し込めなかったのか、まあ学閥が弱いのが早稲田の良いところではあるよね。名古屋出身の有名な明治人としていないのも一見識かも知れぬ(すぐには思いつかない)。 後藤新平は板垣退助が岐阜で刺された時に治療にあたったと言うが、愛知県医学校勤務だっただけで、出身は奥州水沢なのね。
永井荷風は父方母方とも名古屋(周辺)と縁があるものの、本人は東京小石川生まれで名古屋との縁は非常に薄い。

名鉄中興の祖である土川元夫氏は明治生まれであるけれど、流石に主に取り上げるのは控えるだろう。
Wikipediaを見ると、土川が京都帝国大学出身とのこと。京都大学霊長類研究所が犬山にあったのもこの縁であったか。
霊長類研究所は長く憧れの的だっただけに、低調な終焉となったのは残念である。

ChatGPTで写真を絵画風に加工してみる。
 レンブラント風=暗く粗い筆使いで、とてもレンブラントとは言えない。
 フェルメール風=レンブラントと区別がつかなった。説明文では自画自賛していたが。
 ミロ風=まあまあそれらしかった。これが一番おもしろい。
 エッシャー風=一応石版画には見える。が、エッシャーの謎めいた冷たい表現力はないよね。
 棟方志功風=木版画には見える。が、棟方の豊穣さ・厳しさはないよね。
 漫画風=特定の作者を指定すると拒否される。漫画風というより、漫画調を取り入れたデッサン風にかえしてくる。北斎漫画風は作成できない。
 ポップアート風、エジプトのピラミッドの壁絵風、ビザンティンモザイク風、アール・ヌーヴォー風、マヤ文明もコンテンツポリシー違反だそうだ。嘘くさいな。
 以降は「たとえば・・・リクエストせよ」という中で例示しているのに、指示すると違反という矛盾。なんだか仕事をしたくない人間みたいだな。
説明文を記録しておこう。
 こちらがレンブラント風の油彩画風に仕上げた画像です。重厚でドラマチックな雰囲気が加わり、まるで絵画のような仕上がりになりました!
 フェルメール風に仕上げました!柔らかい光と陰影のコントラストが特徴的で、静謐な雰囲気が漂う作品になっています。
 ミロ風に仕上げました!カラフルで遊び心のある抽象的な表現が、列車をユニークな形と色彩で描き出しています。
これら説明文はつく時とつかない時がある。どうしたものなのか。

六花亭のインスタグラム
熱狂的かつ長期に渡るファンが熱く語っている。
自分なんかはこの人々に比べて大したことないと思うが、数日の北海道出張の際、六花亭某喫茶室に毎日出入りして店員さんに見咎められた(気づいて頂いた)のは私である。
札幌勤務時代、毎週六花亭の喫茶室に通っていた。今なお名前を覚えている店員さんがある(それとは別に、お名前こそ存じ上げていないものの、バッテリー上がりを助けてくださった社員さんはさらに忘れてはいないし、子々孫々まで忘れてはならぬ)。もしかしたら、私は、店員さんと結婚して、六花亭に転職して、今ごろは六花亭管弦楽団の首席チェロ奏者・・・。まあ、こういう無責任な想像は、フーテンの寅さんという大先輩同様に楽しいよね、と道理もへったくれもなく書くのをお許し頂きたい。下らない男でござんす。

レストラン「聚楽」
昭和ひと桁生まれの亡父が「はじめてナイフとフォークを使った」のは聚楽(上野)らしい。
当時、父は全音楽譜出版の使い走りをしていて、作曲家ないし作家さんに原稿料を持ってゆくことがあった。ある時の待ち合わせ場所が「聚楽」で、作家さんが「君、ご馳走しよう」と言われて、見様見真似で苦心しながらハンバーグを食べたという。
父はこの話をしながら、我々子どもたちのナイフとフォークの練習としてフレンチトーストを作ってくれた。
父の昔話は、おそらく昭和二十年代後半のことだろう。

金沢の「芝寿し」
大好き。で、伝統的なお寿司屋さんかと思いきや、東芝の炊飯器を売るために炊いたご飯の使いみちとして、金沢伝統の押し寿司を思いついたとのこと。なかなか面白い。
芝寿しが食べたくなってきた。今年は金沢にゆこうか?(柿の葉寿司も大好き)。

鉄道模型のKATO、ついに「クロコダイル」を模型化。
KATOがスイスの鉄道を模型化しているのを、なかなか良いなと思って見ていた。でも、最新型のスマートな車両ばかりで、私の好みには少し合わない。だから買いもせずに来た。
有名な電気機関車クロコダイルなど古い車両があれば買うのに、と思っていたが、やはりツボを付いてきた。私はこの機関車を買うだろう。そうなると客車・貨車なども買わねばならぬ。私は、列車に乗って移動しつつ、車窓から様々な風景を楽しみ、さらに行き交う列車を眺めるのが好きなのである。ということは「行き交う列車」を再現するために、旅客列車と貨物列車を・・・などと考える。すなわちなかなか楽しいご散財が待っている。

鉄道模型趣味誌第1000号は「孔版初号(1946年)~3号、創刊号(1947年)~102号までの全ページPDFを収録DVD」がつくとのこと。
伝説の初期が読めるのは非常に嬉しい。私が現役読者だったのは、350〜430くらいだったろうか。
昔買った雑誌の記事を今なお眺めて楽しくも学びがある。すごい雑誌だ。

中野ブロードウェイの中の模型店で、古い模型をいくつか見る。 中村精密のC51、エンドウの9600。昔欲しかったNゲージ蒸気機関車の模型。昔の倍の値付けは決して高いとは思わない(が、自分のような者が買っても仕方がないとも思う)。見られただけでほのぼのと幸せである。もちろん、これらの蒸気機関車が最新式の模型になって登場して欲しいけれど、商業的に難しかろうし、期待もすべきではないだろう。

漢字。廿、丗、卌。20、30、40まではあるが、50はない。
50があれば、五十歩百歩を「四字熟語」に入れられたのに。
まあ、昔は卌みたいな五十があったが、文字コードに入らなかったのね。

誤字シリーズ
「口径の高速有蓋者」は「後継の高速有蓋車」だろうなあ。「有害者」でないだけ穏当かも。

「まずは所作なく勤めたのであろう。」と見たが「大過なく」か。
「無所作」は「やることがなくぶらぶらしていること」らしいので、おかしいだろう。

靴「スベルガ(滑るが)」ではなく「スペルガ」だった。
香水「カーレシュ」も「加齢臭」「カレー臭」みたい。

Googleの検索結果「黄昏のウィーンの生物学 尿前 JT生命誌研究館」
原文は      「黄昏のウィーンの生物学 承前 JT生命誌研究館」
間違えるにも程がある。まさか、原文が以前は間違っていたのだろうか。。。

アッテネーター(減衰器)。「音程がアッテネーター」と言いたくなる。

一旦停止違反でお巡りさんに止められた運転者(ベンツを運転する若い女性)が「それってあなたの主観ですよね」と言っているのを小耳に挟んだ。
この語法がいかに広まっているかを実感した。日本人は自分の主張をできないことが欠点とされてきたから、多少の進歩かも知れないが、その主張が聞きかじりの「魔法の文句」ではねえ。

JCB。Journal of Cell Biology 細胞生物学雑誌。Johann Christian Bach じゃないよ。
カード会社は「Japan Credit Bureau」だったんだ。今は違うだろうけれど。

アジャンクール(エジンコート)。英国で戦艦の名前になっているのを知らなかった。まあ、第一次大戦時の戦艦だからね。
主砲塔が7つもあり、世界最多とのこと。そもそも英国向けではなく、ブラジル向けだったものがトルコ向けに変更になり結局英海軍。などなど。

先月の「ギヨタン」。「たん」は女児などの愛称としての接尾語?としても知られ、可愛らしい印象が一般的だろう。
しかして、ギヨタン、ヨナタン、などの名を「かわいい」と思えるだろうか。

Nowhere
「No Where どこでもない」としても「Now Here 今・此処」としても禅語っぽい。なんだっけ、「爾の那辺において切なるや」(お前は、どういう場所で(どういう時に)切実であることができるのか?)。

「AIコンパニオン」なる語を聞く。
この「コンパニオン」はどのような意味だろうか?ご学友程度の意味だろうか?まさか、バブル期のパーティーに現れた「酌婦」のことではなかろうけれど。貴族のお付き女性なども「コンパニオン」だっけ。

米国の爆撃機B17の後方射撃手向け動画
https://www.youtube.com/watch?v=aoHOVUKOc0M
これを見ただけで有効な射撃が出来るようになるとも思わないが、こうしたものを動画にする国と我が国は戦争したのね。

知人に「地理学至上主義者」がいる。
「地理学科が理学部と文学部にあるのではなく、地理学の中に理学も文学もあるのだ。あらゆる学問は地理学の中に位置づけられる」くらいの壮大にして高い視点を持った主義であり、そういう意見も一定程度納得がいくと感じるものである(私は一文字異なる理学至上主義者なので、一定程度以上の納得はいかない)。

地理学至上主義からみた「あらゆる学問の位置づけ」を改めて見てみたいものだ。
(酒飲みの与太話)

笑福亭べ瓶氏のYoutubeを見る。 関東四派閥の話を聞く(尋ねる)ことが出来るのは、上方かつ関東での仕事も長いべ瓶氏ならではだろう。
特に昇進制度などで、圓楽と立川の違いがものすごいが、その双方を包摂するのが「落語」であるのは、良いことだ。
立川小春志氏の修行は人情ものみたいだし、錦笑亭満堂の軽やかな芸風も良い。そして落語協会・落語芸術協会が中庸を締めるのも良い。
(日本の政治もこれくらいに落ち着かないか、と余計なことを思ってしまった)。
桂米朝「落語とわたし」を渡されるお話。私も読んでたいへん気に入っているので、嬉しい。
「笑福亭の捨て育ち」というのも凄い言葉。田中啓文で「笑酔亭」となっているのもここから来ているのかとやっと知る。

映画「兵隊やくざ」が無料公開されているのを見る。
もとより娯楽作品ではあるけれど、日本の軍隊の暴力性・非合理性が満ち満ちており、これをある種『軍隊とはそういうものだった』として社会が受容していたしるしでもあると思う。「星の数よりメンコの数」というのも、ある種非合理性の裏面である。

フォークランド紛争の記事をネットで見る。昔、戦争1年後くらいでBBCが双方にインタビューした番組を見たことがあり、驚いた。そんな時期に双方で取材が出来たということ、また、双方の軍人が憎しみではなく義務として戦闘を語っていることなどに。
中国による台湾侵攻があると、私は思っていないけれど、そういう観点から見直すことももちろん可能だろう。もちろん、大きな違いもあるだろう。

京都ノートルダム女子大学募集停止とのこと。
京都大学出身者から「京女とダム女」という言い方を聞いたのは、何十年も前。
四年生大学が閉校する時代。少子化だから当然でもあろうけれど。なんとなう「京大生の口から出るような名門女子大」だと思っていたので、驚く。

ChatGPTにものを教わる。
1992年頃買ったマイク(Sony ECM-909A)を使うと雑音が多いのは、経年劣化でコンデンサーが容量抜けしているのではないか、とのこと。ちなみにこのマイクはプラグインパワー対応だそう。そんなことまで教えてくれる。
1995年頃買ったスピーカー(Tannoy Mercury m2)から高音が出ないのも同様にコンデンサー劣化。推奨コンデンサーも教えてくれる。
UbuntuでBluetoothトラックボール(サンワMA-BTTB183)が使えないのは、PC内蔵のBlueToothデバイス(RTL8821AE)が凶悪だかららしい。
こういうことはきちんと答えてくるっぽい。

情景。
四月上旬の朝、スーツ姿の親娘三人が駅に向かって歩いてゆく。
中高年の父母と、就職したての娘でもあろうか。黒いスーツに少しだけ華やかなお化粧。
娘さんが「娘が一番背が高くて・・・」と話すのを聞くともなしに聞くご両親。 思わず「行ってらっしゃい」と呟くと、お母様が「行ってまいります」と返して下さる。
私がこの親子の状況を(正しいかどうかはわからないが)見て取ったことを、お母様は感じ取ったに違いない。
子供を就職させる同世代であろうことも。
よき職業生活を送られますことをお祈り申し上げます。

» Continue reading

| | Comments (0)

良い楽器に触らせてもらう日

昔、楽器屋で高価なチェロ・高価な弓に触らせてもらったことがある。

当時学生だった私は、50万円くらいの量産品のチェロを使っていた。良く鳴る良い楽器だったから、各大学で同じメーカーの楽器を1台ずつは使っていたと記憶する。
それ以外の学生も概ね同程度の楽器を使っていたと思う。おそらくは30〜80万円程度。
そして、わづかに楽器に理解のある親族があるなど特別な事情があると、100〜200万円あるいはそれ以上の楽器を使っていたのではないだろうか。

そして、大学に長くいた私は、下級生の楽器選びを手伝うことが多かった。

実は当時楽器選びをする際、特定の楽器屋とのみ付き合わないようにしていた。
まあ、その地域のアマチュア奏者の多くは、学生か学生OBだったから、学生に変な楽器を売りつければ、その楽器屋は商売が立ち行かなくなるだろう、とも思ったが、そうであっても、「この楽器屋で買わねばならない」という状況を作らないようにしていた。
もちろん、無限に多くの選択肢があったわけではないけれど、数軒は付き合うようにしていた。

で、どの店も学生に親切だったけれど、ある楽器屋は、経営者が大学オーケストラのチェロ出身だったらしく、割合にチェロ学生を構ってくれることがあった。

ある時は、背板が斜めに継いである楽器を見せて、「こういう楽器を買うのは慎重にした方が良い」などと言い、またある時は、「ドイツ、イギリス、日本の楽器は、同じメーカーで同価格なら同じ性能の楽器と考えて良いが、フランスやイタリアは個体差が激しい」といったことを教えて下さった。

さて、とある平日の昼間たまたまその楽器屋に行った際、待ち時間を過ごしていると、その経営者が「良い楽器と良い弓があるから弾いてみるか」と言って、古い楽器を出して下さった。楽器屋の値付けがどれくらい正当か?という話はあるにしても、きちんとした健康かつ古い楽器で、音もしっかり出るのだから、一定以上高価なのは当然、という楽器だったと記憶する。

私の弓でこの良い楽器を弾くと、非常に良い音がする。己はこんなにも上手かったのか、と思う。
また、言われて見て、良い弓で私の楽器を弾くと、これまた非常に良い音がする。良い弓は短く使えば短くなり、長く使えば長くなるようで、まるで孫悟空が使う「如意棒」のようだった。
こうして感心していると、「良い弓で良い楽器を弾いてご覧」とおっしゃる。
で、折角の良い弓と良い楽器であるのに、これが意外といい音がしない。
不思議に思っていると、「それがあなたの持っている音だ」と。
「良い弓も良い楽器も、『あなたがやっている事』を反映する。だから、良い弓・良い楽器を使うと、『良い弾き方』をせざるを得ない。だから、良い弓・良い楽器を使うと上達するのだ」と。

この言葉にはすこぶる感心し今なお記憶している。

その後も機会があれば楽器屋で様々な楽器に触らせてもらうようにしているが、自分としては数十万円から三百万円くらいまでの楽器は、評価できるような気がしてきた。これらの楽器はおおむね、価格と性能が比例するように感じることが出来る(好みはまた別だが)。
だが、ここから上の楽器は皆同じように感じる。雲の中に入ってしまったようでもあり、価格に対する感度が対数的に下がっているようにも感じる。

まあ、魯山人先生が「わさびの味がわかっては身代は持てぬ」ので、身代は持っていないけれど、わさびの味がわからない方が幸せであると思っておこう。

そうそう、「良い弓・良い楽器」はとても買える値段ではなかろうと思ったけれど、一応値段を訪ねてみた。

「値段はつけられない。若くていい人がいたら貸したい」とのことであった。

すなわち、眼の前に居る私は「若くていい人」には該当しないということであった(残念)。

私に良い弓・良い楽器を触らせて下さったのは、長期的には「営業」に他ならないのだろうけれど、そこで何か要らないものやダメなものを売りつけられたわけではなく、私としてはあれを若くものを知らない人間に対する親切の一つだったと解釈している。そしてまた、あれから何十年も経って楽器を買うかもという際、この楽器屋にも行って楽器を複数触らせてもらっており、ご縁がなかったのは残念だと思っている。

注:ここでの楽器の価格は二十世紀のものも二十一世紀のものも、また、地域についても特段区別せず適当に書いているので、あまり参考にならないでしょう。お気をつけください。

» Continue reading

| | Comments (0)

今週の戯れ歌

酒を煽り暗き道をば歩み出し我がゆく道に光あれとや

休みなる明日を思へば少しばかり度を過ごすのもなかなか良きかな

久方に歩く夜の町暗い道我が目の程は見えずあるなる

佳き酒の重き憂さをば晴らすべき明日の頭痛は知れたことなれ

電車代節したつもりで歩くなれど酒飲みければ本末転倒

本末は転倒なれど酒を飲み憂さを晴らすも必要なりける

夢に見る「皆集まったよ」の一声に指先までも至福に包まる

» Continue reading

| | Comments (0)

今週の戯れ歌

虚しきはひと日楽器を弾きをきて我の我なる事もなきこと

楽器弾きて我の我なる由をなみ悲しむ事の果ても無きかな

文法も知らず片言喋るやうに楽器を弾くの悲しかりけり

知識なき我を哀れむべかりける唯思ふやうに楽器弾くのみ

酒飲めば暫し苦痛も忘れけむ我弾く楽の虚しかりける

人あれば我に情をかけるべし理もなきままに奮闘すなる

酔ひながら列車待つのも辛かりき他人の所為にはせざれけれども

酔ひなくばうたも詠まざる我なれば酔余のうたの積み上がりける        

» Continue reading

| | Comments (0)

読書の記録(2025年3月)

イギリス人の患者 オンダーチェ
同名の映画の予告編から想像していた物語から相当に大きく違っていた。
まあ、勝手に想像するのが(仕方ないとはいえ)アカンのだし、また、映画は映画で原作と同じではないからね。
半分ほど読んだところでは、これらの登場人物が本当に必要なのか、まだ全くわからない。
少し判りにくく書いているところがあるように感じるが、充分制御されていて、落ち着いて読めば判るようになっていると感じる。
とは言え、非常に変わった小説ではある。一体誰が主人公であるのか。一巻ごとに主人公が転じていくアレクサンドリア四重奏のように、この本も主人公が変わっていくのかも知れないが、何か安定した構造になっていないように感じる。それこそが筆者の工夫であり主張であるのかも知れないが。
西洋人の描く砂漠小説あるいは植民地小説としては、サン=テグジュペリ(人間の土地、南方郵便機など)、ブッツァーティ(タタール人の砂漠)、ダレル(アレクサンドリア四重奏)、カミュ(ペスト)などと並べてみるのも面白いかも知れない。

ジャン・クリストフ ロマン・ロラン
まだ第一巻前半。ジャン・クリストフが苦しい運命と闘いつつ成長していく物語・・・なのであるが、その苦しさが過剰かつ冗長に酷い。
まえがきを読むと、「ドイツのダメさのために苦しんで、フランスで云々」と書いてある。おお。ロマン・ロランのフランス中華主義で書かれているのね。そう思って相当割り引いて読まないと読みづらいところである。早いとこフランスに移動してほしい。まあ、フランスの中でも土地柄によってロマン・ロランの好き嫌いがあるみたいで。昔は人気があったようだけれど、最近あまり聞かないのはこういうところかもね。
で、第一巻読了。後半は少し人間関係が広がり、話が動き出す。ともあれ、若き日の出会いと別れ。仮初の関係は長くは続かない。
(申し訳ない言いようだが少々くどいので)精緻に読むことはしていない。第2卷冒頭もあまり読みやすいとは言えない。無念。

Nゲージで始める鉄道模型 成美堂出版
今更な書かも知れぬ。そしてなぜ買ったかを忘れて後ろの方からめくり見ていたが、最初の方の片野正巳氏の記事を見て気づく。このために買ったのだった。片野氏の京浜急行作品はなんどか鉄道模型趣味誌でお目にかかっているが、おそらくはこれが線路風景も含めた総集編らしいとのこと。
古くからのTMS執筆陣でもNゲージを扱っているのは片野氏だけだったように思う。ご自身のレイアウト作成の目標があったためとは知らなかった。

半七捕物帳 01 お文の魂
青空文庫。なかなか面白かった。これが日本の「捕物帳」の出発点であり、シャーロック・ホームズに触発されて書かれたとのこと。これからちょいちょい読んで見よう。

晩年茂吉 北杜夫
北杜夫=斎藤宗吉氏が物心つく年齢になり、文学に開眼し、茂吉と葛藤しながら、一方は成長し、一方は衰えてゆく。己が記憶するその様を描くために北杜夫がこの書を書き始めたのではないかという充実感。確かに、「どくとるマンボウ青春記」にもわづかに斉藤茂吉の苦吟の有様が触れられているけれど、ここにはさらにさらに直截的な表現が見られるように思う。読んで良かったと思う書。私が子供の頃から家には北杜夫の小説・随筆があり、慣れ親しんだ北の書のたどり着く先が見られたのが大変感慨深い(まだ読み終わってはいないけれど)。
彼は、「青春記」などでは、文学者となったきっかけをトーマス・マンに置いていた。そして、これら茂吉シリーズにおいてマンの影に実は茂吉もあったことを述べている。そして晩年茂吉を見ていると、老文学者とそれに反発しつつも畏敬の念を懐き、自身も文学を志す息子の姿が、(そういう作品があるということではないものの)何かしらトーマス・マンの小説のように感ぜられる。いわば人間はひとりひとりの歴史があるばかりでなく、一族の積み重なった歴史の中で生きているという。前者は若書きのトニオ・クレーゲルやヴェニスに死す。後者は魔の山やブッテンブローグ家の人々。さらに、一族を超え歴史と国家そしてまた文化という中での運命がファウスト博士。そういう解釈もしてみたくなる。

井上井月が始めて出版されるにあたり、芥川龍之介が関わっていたとは。驚く。
関川夏央・谷口ジロー氏の漱石シリーズでも、思わぬ人々の出会いと別れを描いていて驚くことは多かった。しかし、確かに言われてみれば同時代を生きた人々が出会っていたと考えた方が妥当なことも多かったし、そうでなくとも出会ったと思ったほうが面白いことも多かった。ともあれ、幕末から明治二十年までを生きた極貧俳人が間接的とはいえ芥川龍之介につながるとは。

忘れられた日本人 宮本常一
井月が伊那松島周辺で生活しており、私が昔々飯田線に乗って訪れた土地である・・・というのと関連して、「名倉談義」を読むために読み始める。
名倉は鳴海小学校器楽部・OB/OG連合で演奏旅行に訪れた土地。その後もOB/OGによるヴェガ・アンサンブルでなんどか訪れたことがある。
若い頃の三村先生は広島県山間部の小学校で音楽教育に血道を上げていたと聞くけれど、稲武・名倉への訪問はそれら若き日の反照という気持ちがあったのだろうか。
また、私の中学時代足助に遠足に行った折、地元の「金田」氏のお話を伺った記憶が有る。名倉談義でも金田氏が登場する。おそらくは足助・名倉で同族ではないだろうか、と思いつつ懐かしんで読む。
私の記憶では、名倉幼稚園で演奏の折、庭で餅つきをしてくださった記憶がある。私が朧気に記憶する暖かい名倉の人々の様が「名蔵談義」にも見られ、私にはたいへんうれしい。一方、地図で見ると、名倉の幼稚園・小学校は昔と似たような形で存続しているけれど中学校は廃校。悲しい日本の現実である。
例によって古い建築物を探してGoogleMapをさまよう。種々紆余曲折の末、鳴海に昔「万菊」なる酒造会社があったことが知れる。まったく記憶にない。鳴海と言っても広いし、子供は酒造メーカーには興味はないし。近所の古い酒屋に出ていた看板は大高の「鷹の夢」であった。これは大人になって認識し、友人の結婚披露宴にこの酒を樽に入れてもらって持ち込んだりしたので、忘れられないけれど。そうでもなければ覚えてはいまい。
調べると、住所「境松」は最寄り駅が鳴海駅から3つ先の中京競馬場になるようだ。それならば、いわゆる鳴海町の住民としては大高の方が近いと感じる。

レイアウト全書
古い鉄道模型レイアウトの本。我が国最初期のトロリーラインにして高い完成度で知られる瑞穂軌道。ものすごく苦労して路面軌道を作っている。曲線半径150mmとのこと(1/80)。Nゲージ(1/150)なら80mm。
きょう日のNゲージであれば、安価な製品がある(隔日の感あり)。
で、KATOとTOMIXのカタログページを見てみる。KATOは曲線半径180mmらしく、TOMIXは140mmと177mm。
瑞穂軌道に比べるといずれもずいぶん大きな曲線半径だ。TOMIXは異なる半径で単線でも複線でも対応可能。KATOは複線ながら同一曲線半径で、曲線の中心点をずらすという、瑞穂軌道にも採用されている「本格」仕様。考え方の違いが面白い。

戦争中の暮らしの記録 暮しの手帖
古書店で購入。長く存在を知りつつも買わなかったことを反省するレベルの書。

ガルシア=マルケス「族長の秋」購入。文庫で入手できるうちに買っておこう。いつ読めるかはわからないが。
ランペドゥーサ「山猫」も買い忘れたもんね。
「族長の秋」は新潮文庫を先日買ったが、2015年5月に言及している。つまり河出文庫が家にあるのだろう。ううん記憶ないぞ。
読んでない本に限って重ね買い
映画「山猫」Le Guépard はリメイクされたのね。
予告編を見ると、タンクレディと結婚するアンジェリカ(カルディナーレ)はヴィスコンティ版の方がそれらしく見える(単なる刷り込みだろうけれど)。それ以外はまあまあヴィスコンティ版と遜色ないか?

教文館にゆく機会があり、「幻の朱い実」(石井桃子)を発見したので購入。カラスウリ趣味の一環でしかないのだが、口実はともかくも良い本を見つけて読めればそれで良いのだ。そしてまた月刊たくさんのふしぎ「ヒキガエルとくらす」も。我が家のガマさんは先日路上で横死してしまったので、追悼のために読もう。

「安曇野」(臼井 吉見)復刊とのこと。昨年、碌山美術館に行ったりしたこともあり、読んでみたい。安曇野もウロウロしたかったが、雨のため諦めた。再訪もしたい。
復刊にあたっては安曇野市が一部費用を負担されているらしい。市がこういうことをされるのは嬉しい。
が、これを買うのに安曇野市文書館に行く必要があるとはなんと禁欲的な!なかなか行けそうもないので、悲しい。

「カルミネさんのイタリア料理」2013年8月に借りて読んだ記録があるね。昨年古本で買ったけれど、昔読んだことを記憶していなかった。学習能力のない我。

Google Arts & Culture に高浜寛さんの漫画が。
https://artsandculture.google.com/story/QgUxDpw5vYGOKg
税金の使い方として賛成だけれど、(1)英語他各国語版があるのかな?、(2)文部科学省(文化庁)ではなく経済産業省なんだ、(3)さらりとした書き方だが、創作家の実感がこもっていて感慨深い。海外の方にも読みやすいのではないか、(4)高浜寛さんの絵はいつもながら「量感」がある、平面的な「漫画」ではなく、フランス風「バンド・デシネ」に近いのだろうか、(5)きちんと、編集・監修・制作がついているのね、とっても良いこと、などと思う。
バンド・デシネについてWikipediaを見ると、古い雑誌に「アラキリ」(Harakiri)がある。日本で雑誌「ギヨタン」とかあるのかも。。。

●雑感
2月は短かった。あっという間に3月。こうして地獄行きの超特急列車は爆走する。

2月のブラームスは「山の上アンサンブル」という名であるイベントで演奏した。
主宰者から菊廻舎のお菓子(吹寄せ)を頂いたのだが、缶を開けると、楽しい吹寄せの上にお菓子の黄金色の扇(雲平というらしい)があり「山の上アンサブル讃江」と書かれている。凄い気の使いよう。うむむ。主宰者人柄よく味方多い方とお見受けしたがここまでされるか。

こんにゃく座「明日のオペラへの誘い」
《宮澤賢治歌劇場Ⅵ》ということで、『タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった』『鹿踊りのはじまり』
私は宮澤賢治のこれらの作品を文章で読んでみたがもものすごく面白いとは思えなかった。だが、こうしてオペラにすると、賢治の面白さが際立つ。
いずれのオペラも賢治の作品の中では目立たないものであり、現代生活からは失われた「過去のリアリズム」的なところがあるのだが、こうしてオペラにして頂くと、場面場面・各々の台詞をゆつくり味わうために、賢治のポエジーが目の当りに立ち上がってくる。
これらの作品において、主人公は確かに日常にいたはずだが、知らず知らずのうちに、木々が話をし、鹿が踊る非日常の世界に立っている。その不思議さたるや、黙読ではなかなか味わいにくいのかも知れぬ。
(前回「リア王」で悪女の中の悪女を演じた鈴木あかねさんが、裏方としてふつうに立ってらっしゃった。あの『悪女』の印象が強いがため、ついつい見てしまう私。怖いもの見たさとはこれがことだ)。

デュポールを読み聴く会 vol.2
チェロ二重奏は楽しい。
なんて言っている場合ではなく、デュポールを初めとする歴史的なチェロ技術を学ばねばなのだが、やはりチェロ二重奏を聴くのは楽しい。

先日弾いたベートーヴェンOp.18-5の変奏曲はまさにバッテリーなのだが、「オン・ザ・ストリング」の情報がなかったからかアップダウンで出来なかった(悔しい)。情報があれば出来るわけではないけれど、こういうことをたくさん聞いて・読んで・音に接して少しでも出来るようになりたいものだ。
いや、楽しい。
なんとなう、昔習った事々が実はデュポール由来の情報が多かったようにも思う。おそらく、師匠はデュポールの内容として知っていて、だが弟子(私)がその域に達していないので、デュポールを教材にはせず、ただしヒントとして有効なものは個別に与えられたということかと推測している。

GoogleMapで世界中の地図が見られるが、ふだん日本国内以外見ない。
ふと思いついて南米を見てみた。コンモドロ・リバタヴィア。サン=テグジュペリ「夜間飛行」に出てくる土地。
砂っぽい風景。
空港を探して見る。拡大すると周辺に「エスタンシア」のつく地名がたくさん表示される。それぞれが所有者の異なる農場(日本と比べると非常な大規模なのだろう)のようだ。
夜間飛行の時代、どこで山脈を越えていたのだろうと考える。当時の航空機の性能を考えると、最も山が低い場所(鞍部)を通ったと考えるのがふつうだろう。そういう場所にはもともと道路があって、情報があるし、事故の際の救援もしやすい。そう考えると、「クリスト・レデントール・デ・ロス・アンデス」を通ったのかなと思う。峠にはオートバイがいっぱいいて、なんだか楽しそう。
メンドーサの地名も「人間の土地」で出てくるし、おそらくこの付近で山越えだったのではないか。

庭仕事をしていると、幼児お二人とママさん通る。
先日まで、庭の木の枝に鳥さん用蜜柑を刺していた。お子さんは「蜜柑は何であったの」と尋ねる。
目ざとくも賢いなあ。ママさんがお子さんときちんとお話をされている感じがあり、それがためお子さんもきちんとお話ができる。
お子さんを賢く育てたいなら、学習塾に放り込む以前に、家族できちんとお話する習慣が大切なのだなあ、と感じる。
(お子さん自身が「きちんと話すと良い利得がある」実感を日常持つことが重要。「利得」は「きちんと返してもらえる」が第一であって、行動してもらえる、物質的利得があるというのは、時々あれば充分でしょう)。

そういえば、先月食べた麻婆豆腐は美味しかった。諏訪の「麻婆豆腐 どんどん」。
諏訪に行ったのではなく、先方が東京某所に出張っておられた。で、出張り先の定食の一部として麻婆豆腐。
定食のお刺し身、小鉢(煮付けの類)と麻婆豆腐が喧嘩しないか、ちょっと心配していたが、そんな懸念ない美味しさ。
ほんのり辛いけれど、辛すぎず、豆腐の甘み、油の良い香り。味は複雑でちょいと表現しにくい。 でもって(蕎麦つゆなんかそうだけれど)、醤油の味、味醂の味、出汁の味がしているうちは、美味のうちに入らない。どれがどれと分析出来ない一体感があって初めて美味と言える(なんかカルテットみたいだよね)。

諏訪交響楽団は日本最古のアマチュア楽団を名乗っているが、確かにそうらしい。
1925年創立ならば、今年100周年ではないか。
こういう方々が居られたゆえに、今の我々があることは(若い人たちはともかくも、老人である私どもは)忘れてはならないと思う。

技術系雑談サイト slashdot.jp が終了ないし移転とのこと。久しぶりにアクセスして知った。
2010年頃には日々閲覧していたようだ。こういう「選ばれた者のサイト」「選ばれた者のネット」の時代が終わったのだろう。残念。

というのも、昔書いたブログを読み直しているのが発端。
2008年にはカサドの「愛の言葉」をさらい始めていたのね。今も手元においてちょくちょく弾いてみているが。まだまだ『弾ける』とは感じない。
全ての曲は永遠に未完成なままに過ぎゆくというこれもまた典型なのかも知れぬ。

研究者漫画ハカセといふ生物、2025年にも続いているのね。ご家族が増えているようでなにより。

横笛。左構えは珍しいのでは。右構えもされているが、どのような使い分けなのか。
https://www.youtube.com/watch?v=OGKheeIpXSI

様々な調律法による演奏
https://www.youtube.com/watch?v=sOcq0SwKaZI
なかなか面白い。時々素っ頓狂で「これは使いたくない」という調律もあるが、「まあまあ行けるんでない」が複数有るように感じるのが、私の音程感覚(安定した安定)というものであろう。

C. P. E. Bach - Solfeggio in C minor H. 220, Wq. 117/2 (1766)
https://www.youtube.com/watch?v=znPxf7ukcIw
激しい!音楽的挙動と感情が結びついており、遠くショパンの祖先であることが伺われる。

シュトルム・ウント・ドランク。
日本語では、疾風怒濤(運動)と称することが多いが、中国語では狂飙突进运动。「飙」が特に凄い字だ。
日本では「飆」を「ヒョウ」と読むらしい。つむじ風、暴風、疾風の意。
犬を右側に書いたり、火に置き換えた異体字もある。

ハイドン時代のヴァイオリン奏者であり商人(実業家)であったトストの織物工場がこれらしい。
https://jam.jihlava.cz/en/object/91-johann-tost-textile-factory
チェコのイフラヴァにあるとのこと。マーラーはイフラヴァの近所で生まれた。

ミヒャエル・ハイドンの作品にキリシタン大名高山右近を題材にした「ゆるぎないキリスト教徒 ティトス・ウコンドン」なる音楽劇があるそうだ。
https://www.youtube.com/watch?v=KkPYmDmFXNU
「みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記」(星野博美)を読むと、日本におけるキリスト教宣教・キリシタン殉教は欧州に相当程度詳しく伝えられていたようであるし、大きなニュースでもあり、カトリックの宣伝材料でもあったようである。よって、こうした日本を舞台にした作品も相当数あった・・・ということのようだ。
上記のご演奏はなかなかに興味深い。よくぞ蘇演せられたと感謝したい。

「福田陽電子音楽作品集」を見かける。「陽電子音楽」とはなんぞや、などとふざけてみる。
「電子音楽」は別に電子レベルで音楽を考えているわけではなく、電子楽器を使った音楽てふことですな。

様々な調律による演奏
https://www.youtube.com/channel/UCe3p_obvnODjBjkHgHLmpZA?gclid=CjwKCAiA5pq-BhBuEiwAvkzVZd38XTz4nmcd2RH67iJcnb0oc1FNfiqG29bteBlYk3VMwkmz3Kff4xoCLCMQAvD_BwE
それぞれの調律方法の特徴を明確に感じるほどの能力は私にはないが、それでも時々「この曲にこの調律はアカン。気持ち悪くなる」というのはある。たいへん貴重な情報提供には感謝あるのみ。

我々が通常使っている音階は12音であり、その調律(微調整)のひとつに平均律がある。
一オクターブ(周波数倍・半分)を12音に分けるのではなく、他の数で分ける方法は提唱されているんだ!
19平均律、31平均律、34平均律、41平均律、53平均律。いきなり平均律に飛びつかなくても、と思ったり、まずは平均律から発想し、和音のための微修正をすれば良いのかも、とも思い。
映画スター・ウォーズの星々で演奏される音楽が平凡なアメリカ音楽なのには少々がっかりだったが、まあスペース・オペラ(というか宇宙西部劇)としてはその品質は妥当なのだろう。私としては、ちょっとこういう奇妙な音楽にして欲しかったわけだが。
また、物理的鍵盤楽器ならば、「平均律」など固定的調律法が必要になるだろうが、現在のソフトウェアでならば、全ての音をそれぞれの和音和声似適した調律にすることも可能であろう(ほんとかな?)。
また、1平均律から11平均律を試みている方もあり。
https://www.youtube.com/watch?v=a9qSlscGgVQ&list=PLlUo3WY-fW6rPN9fEw5GL7dq8pgeg3LBe
「ふつう1オクターブは12音だけどなんで?」「他の分割も試そう!」というのは物理屋の感覚っぽい。

ヴォルフ=フェラーリ ピアノ五重奏 についてネットで検索する。
こうした少々珍しい音楽について調べると同好の士に行き当たることが多いように思う。
しかも、関西の年長の方が多いようにも感じる。昔「大フィルと文楽は(関西人として)意地でも潰さない」などと言ったようだが、関東人の素っ気なさ冷たさと異なり、関西人の方が、音楽・文化を味わうにしても一段階濃厚なのではないか。
チェロのワークショップを京都で覗いた際にも、五弦チェロの会話をふつうにしていたり・・・。
名古屋ももとより芸事が盛んで、お茶と和菓子が親しまれていて、鈴木ヴァイオリンが成り立つような土地で、だから弦楽器奏者も天然自然の上手が数多いたように思う。こういうのきちんとデータ化できたら面白いだろうね。音楽教室の数?オーケストラの定期会員数?

Abel Selaocoe: Tiny Desk Concert チェロを使った音楽表現。おもしろい。
https://www.youtube.com/watch?v=GhY31ngpnWg
どういう伝統・潮流に属するものか。あるいはそれらとは大きく隔たったものなのか。渋い唸り声はモンゴル風にも思えるのだが。
南アフリカの音楽を融合と説明されている。

旅行用のチェロ
https://travelcello.net/
https://jasonclarkeantiques.co.uk/products/victorian-military-campaign-collapsible-cello-attributed-to-jules-grandjon
現在も売っているようだが、古い方は、ヴィクトリア女王時代の「塹壕用チェロ」。「キャンペーン」とあるのは、現代に生きる我々が想像するような商業的なものではなく「軍事的遠征(シーザーやハンニバルなんかが行ったヤツ)」である。

バス歌手ネステレンコについて検索してみる。
非常に有名だったように思うが、Wikipedia日本語版には記事がないのね。
陸上競技選手の記事はあるが、ラテン文字綴を見ると「ネステレンカ」とカナ表記した方が良いのでは、と思ってしまう。

BERSAGLIERI OF BEDIZZOLE
https://www.youtube.com/watch?v=w7qNsz78gaE
https://fanfara-bersaglieri-bedizzole-1.jimdosite.com/about
イタリアの軍楽隊だろうか。吹きようは全般に荒っぽいのだが、最後に「走る」のがすごい。そらウケるだろうよ。

エジプトの女性歌手Amal Maherアマル・マーハー
https://www.youtube.com/watch?v=xatN8pY16SY
Alf Leyla Wa Leyla とは「千の夜と、一つの夜」だそうだ。
ヴァイオリン奏者は毛を生やさない伝統があったりする?

蝦蟇が路上で横死。先日、庭にいるのを見たばかり。近所の池のあるお家に行く途中、車に踏まれでもしたろうか。家の裏に埋めた。
と思いつつ Youtube を覗くと、候補に the frogge galiard (蛙のガリアルド)がお薦めに。何たる偶然。何たる皮肉。

料理研究家のタサン志麻さんを「サタン志麻」と誤読。疲れているだ。
デーモン小暮氏と共演される際はサタン志摩さんでお願いしたい。

某所で「譲る ゆずる」が「護る まもる」になっているのに気づく。
黙っているのも不人情だが、こっそりお知らせする手段もないので、こういうところに書いてウサ晴らし。

「混同水栓」。そりゃ「混合水栓」。みなボケちまったのか心配になる。

いつもながら、京唄子と京マチ子がちゃんぽんなことに気づく。
鳳啓助とコンビで漫才をしていあのは京唄子。鳳啓助と大鳥圭介(幕臣)は同音だ!。

偏頭痛の予防注射「ガルカネズマブ」。「ネブカドネザル」っぽいぜ。
「IT企業ニューラリンクの取締役しヴォん」は「シヴォン」という名字にひらがなが入ってしまった模様。「トイザらス」みたいなのかと思ったよ。

「新美の巨人たち」(にいみのきょじんたち)。

『DF90形は、車両メーカーが国鉄および海外への売り込みのために、独自の機関車を設計・試作した。』
『DF90形は、車両メーカーが国鉄および海外への売り込みのために、独自の機関車を設計・試作したもののひとつである。』だろうな。
ちょっと職場の作文教室で使いたくなる。

鉄道模型サイトでみた文章。「片方の妻が」。
妻が2人以上いる男性!なのではなく、鉄道車両の前端・後端の「妻板」のこと。そら前後ふたつ妻板がありますな。
哲学者土屋賢二氏の随筆でもそんなのがあった。

「茨城」は「いばらぎ」ではなく「いばらき」だそうだ。
だが、私には茨城県人の発音が「ぎ」に聴こえることがある。
私には「ぎ」と認識され、現地では「き」と認識される「き゜」音があるのかも知れない。

「仏訳された仏教教典」
少ない文字数で書くためには仕方がないが、同じ文字をまったく異なる概念で近接して使うのはわかりにくいという良い例。
この用例採取ができたのは(何の役にも立たないけれど)ちょっと嬉しい。

「静かなドン」について調べると、作家名を「シェローホフ」としているのを見つけた。「ショーロホフ」なんすけど。

ガロアムシを発見したのは Gallois (フランスの外交官)。
20歳で亡くなった有名な数学者ガロアは、 Galois 。

米国のオルガニスト Ethel Smith は、英国の作曲家 エセル・メアリー・スマイス(Ethel Mary Smyth DBE) とは別人。

横浜にも大阪にも鶴見(地名)が有る、と思っていたが、もひとつ見つけた。
広島県広島市中区鶴見町
鳥の名を含む地名はどれくらいあるのだろう。我々の祖先はどんな鳥を地名と結びつけて考えたのだろう。
鷺沼(千葉、川崎)、鷹匠(静岡ほか)などをすぐに思い出す。連雀は鳥だと思って良いのだろうか?

Legging (Canals) 19世紀英国で運河のトンネルを足で蹴って進む方法。
https://www.youtube.com/watch?v=3ZRj1KqFZR4
英国の海洋小説ホーンブロワーにこの場面が出てくるが、今ひとつわかりにくかった。この絵面と完全一致であるかはわからないが、概ねこのイメージで良いのだろう。
おそらくホーンブロワーで登場しているのは、船の両側に乗り台が突き出す「つばさ」式だったと記憶する。
運河で遡行する際、通常匹き馬で船を牽引するが、狭小トンネルではLeggingするわけ。流れに沿って順行するならば無論動力は必要ない。
こうした歴史的な事柄も絵で見られる時代が来た。素晴らしいことだ。(それにつけても歴史に逆行するような奴原には困ったものだ。)
Leggingはともかくも、英国の運河を旅してみたくはなる。ちょうどパスポートを切らしてしまったところだけれど。

英国BBCの政治コメディ Yes, Prime Minister 字幕で見ても面白いぞ。

米国の女優アリ・マッグロー(Ali MacGraw)さん。
ウクライナ出身の女優 Mariya Andreeva さんとちょっと似ている。

昔撮影した上田交通の電車5253。おそらく1994年だと思う。2023年に別所温泉訪問時に見た電車は5252。
http://folia.txt-nifty.com/musik/2014/05/post-43bc.html
2023年の5252は屋根上全てが明灰色一色だが、1994年の5253は地が濃灰色で部品は白緑色。昔の方がおしゃれだったか。
この2両は番号が1番違いだけあって、同じ形式であったようだ。
2005年からは鉄道部門は上田電鉄となって独立したのね。
5253も長野計器株式会社が長野計器丸窓電車資料館として保管してくださっているとのこと。偉い!

ミルウォーキー鉄道EP-2型電気機関車(通称「バイポーラ」)から派生してモーターについて調べる。楽しい。
https://hr-inoue.net/zscience/topics/motor/motor.html
子供の頃、二極モーターを持っていた。おそらく航空機・船舶の模型・玩具用だったと思う。外部から最初の回転を与えないと動かないので、鉄道模型用には使えなかった。ミニモーターだかベビーモーターといった商品名だった記憶がある。
が、そういうことを書いて下さる方があり「ミニベビーモーター」だろうと思われる。
https://minkara.carview.co.jp/userid/240223/blog/22642914/
https://ki84.web.fc2.com/motor.html
懐かしい。これを指でつまんで回しながら「鉄道模型には使えないなあ」と嘆いていた。
ミニベビーの二極は電機子、EP-2に二極は界磁。まぎらわしい。

かご型三相誘導電動機を手作りしている動画を見かける。
意外とラフに作っても動くのね。
金属かご(というほど緻密でもない枠)がぐるぐる回るのは不思議だが、磁石が回っているのと同じように電磁石への電流の流し方を変えているので・・というのは直感的に分かりやすい。電車基礎講座を読んでいてここでひっかかって止まっていたので、再読しようかな。

鉄道模型 真鍮製キットの製造販売で有名なワールド工芸廃業
いつかこの会社で売っている蒸気機関車C51のキットを作ろう、と思ってはんだ付け練習を(ほんの少し)していたのだが。
「Nゲージ蒸気機関車」サイトでなんどもイメージトレーニングをしたのは、実は2000年ごろだったように記憶する。
30年経ってもそこに行き着かないのだから、会社も畳んでしまうよね、という感想。うむむ。
同じようにキットを謳っていても3Dプリンタ製品が出てきており、これらの方が簡易に組み立てられて売れるだろうか。。。

飯田線の写真を見て楽しむ。
https://www.kanorail.com/kyuukoku/senzengata.htm
飯田線から旧型国電がいなくなったのが1983年。
当時の急行伊那1号は、大垣6:38発・上諏訪14:09着とのこと。むむ。それなら、鳴海・豊橋を名鉄で移動せず、大高まで歩き、大高から乗車すれば一本だったのに。などと今更言っても詮無いことであるなあ。大高駅は「遠い」という認識であって、名鉄の終電を逃した際、一度だけ大高下車で鳴海まで歩いたことがあるきりだろう。
手元にあるバッハの無伴奏チェロ組曲の譜面が1983年発刊になっている。私の幸福な子供時代が終わりを告げ、人生の紆余曲折が始まった年だったのだね。

1982年12月に友人と飯田線に乗りに行った。父が泊まったことがあるという飯田の宿を予約してくれた。
飯田線車中で、鉄道関係の方が声をかけてくださった。たぶん、一旦北上しきった辰野から宿泊地である飯田に戻る夕刻過ぎの車中だったろう。「来年2月にイベントがある」だったと記憶する。今思うと80系廃止だろうか。
種々のブログなどで鉄道関係者の優しさに触れた文章が有るけれど、私にもそういう暖かい記憶がある。

写真の説明に「飯田線を走るスカ色のクモハ60形」とあるが、飯田線にはほとんどクモハ60はいなかったのでは?また、短期間いた時もぶどう色だたようだが?さて。
https://toyokeizai.net/articles/-/864708?page=3

国鉄高慎線という名の鉄道模型レイアウトの名を始めて聞く。私の休眠時代に有名になったもののようだ。
ネット時代のありがたさで、公開されている動画を見ることができる。嬉しいな。
また、公益財団法人 統計情報研究開発センター『統計と情報の専⾨誌「エストレーラ」』に「寄稿 統計家の道楽--国鉄高慎線を訪ねて」なる記事が掲載されているとのこと。こういうのを読むのが好きなのよね、私。編集が整えていないだけに、筆者本人の感想がまっすぐに放射されて面白いのだ。もちろん、一般的には編集者がはいって整えた文章を読むほうが良いのだが、こういうのも好きなのだ。動画と合わせて見るに、この筆者=統計研究者がレイアウトの製作者でもあるのだね(私の仕事と無関係ではない書物も書いておられる・・・)。

ディーゼル特急 キハ81「はつかり」
https://www.youtube.com/watch?v=ymmGJx6M2I0
私どもが小学生であった昭和の頃、年に1回、学校で映画館紹介があったように記憶する。
学校の講堂(体育館)に、見慣れぬ映写機器が持ち込まれ、植物の成長であるとか、交通事故の痛ましさであるとかのドキュメンタリーを見せてもらう。ちょっとした非日常感が味わえる楽しいもよおしだった。
この映像はそのことを思い起こさせる(そういう使い方をされたものではないようにも思うが、いずれにせよ何の確信もない)。

今更ながら多摩美術大学の卒業制作優秀作品集を見る(2023)。
https://www.tamabi.ac.jp/works/filters/?works_category=graduation-works-2023
私が知らないことも多く、多くを教えられる。「鴨居玲の酔っ払い作品」なんてまったく知らなかった。こうした新しい窓が開くことに感謝しつつ。
Door ふしぎな世界。魅力的。
夏生まれの私と温室育ちのあなたの折衷案 細かく丁寧な表現に惹かれる。人間、こういうのに魅力を感じるのだよね。
死の舞踏 音楽系。「交響曲」ではないけれど。
こころの救急箱 calmind やさしい世界。でも、こういう作品を志向する方ご自身が辛くないのかちょと気になる。
絵画における酔っぱらい表現 これは面白そう。オランダの風俗画くらいしか思いつかないけれど、きっと多くの絵があるのだろう。
何も考えずに、Google Arts & Culture で「drinker」と検索すると、582件返って来る。
https://artsandculture.google.com/search/asset?q=drinker
これを見ているだけで頭痛がしそう。分析なんてとんでもない。

米国のアニメーション作品「アバター」予告編を見る。
ドラゴンボールとナウシカ(とトトロに出てくる猫バスと一休さん)をくっつけたような感じか?
ともあれ、作品の出来は良さそうだが。
中国が市場になると見ているせいか、米国製品(コンテンツも含め)が結構中国風味を入れてきているように思う。
そうそう、ドラゴンボールは孫悟空由来だし、ナウシカはギリシア由来。一休さん的禅問答は、釈迦・維摩・達磨・黄檗ということで、印中由来。人間には地域性が必要不可欠。私ももちろんその嗜好を相当程度激しく持っている。

私事ながら(ここに書いている雑感など全て私事だが)、鼠径ヘルニアの手術をすることになりそう。人生初めての入院・手術。
カントンにさえならなければ問題ないが、カントンになると緊急手術になるのでとお薦めを受けた。
カントンは「嵌頓」。「広東麺」のカントンではないよ。韓国語では「空き缶」の意になるようだ。紋章学にもそんな用語が。
今まで、巻爪で爪を引っこ抜いてもらったことや、親知らずを抜いてもらったことがあるけれど、あれらはいちおう手術という気がしないので。

Google で「ヴィオラ・ダ・ガンバ 販売」で検索したところ、Google系の広告はヴィオラ・ダ・ガンバ一辺倒になった。
これは良い。なんでも肥満・禿頭・口臭などの不愉快宣伝を出しやがるよりずっと良い。

ついでにあるサイトでヴァイオリンの説明を見ていたら、「ドイツ製チェロの良さが感じられる作風です。」と来たもんだ。
おそらくメーカーの名前からたどった褒め言葉をコピペしたのだろうが、それにしても雑だ。

我が家の庭に何本か生えているのはトウネズミモチ(唐鼠黐)らしい。
「手をかけて育てるような木ではなく、放置しても元気に育つ。」(https://www.uekipedia.jp/%E5%B8%B8%E7%B7%91%E5%BA%83%E8%91%89%E6%A8%B9-%E3%82%BF%E8%A1%8C/%E3%83%88%E3%82%A6%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%83%9F%E3%83%A2%E3%83%81/)というのはまさにそのとおり。
樹木らしい大きさになっているのが「何本か」であって、スプラウト状態のものは「数知れず」。放置しても・・・がよく実感せらるる。

我が家近くの飲食店。メディアが取り上げると行列が出来る。よってして老地元民は行列を避けて、行列が去ったのち暫くして落ち着いた店に行く。
ネットで「●●駅近くのお薦めの店10」みたいなのをみたが、ありがたいことに老地元民が行く店を避けていてくださった。よかった。

ミニディスクMDが生産中止になったとのこと。
かれこれ30年前に売り出され話題になった記憶が有る。
当時のウワサとしては、デジタル化・圧縮するために信号を捨てているので音質が低下すること、また、ファイルシステムっぽくなっているけれどもあまり質が高いものではない(貧乏くさい)ことなどだったと記憶する。
結局、自分では一度も買わずにしまった。割合すぐにUSB録音機が使えるようになり、PCで音源を扱えるようにもなり、私にとっては「なんのためのMD?」となってしまった。

大学における学部リスト Wikipedia国立大学では「旧帝国大学群に準ずる法医工文理農経」なんてある。
うむむ「文教法経 理医農工」だと思っておったぞよ。医学部の人は「医理農工」とおっしゃるけれどね。
wikipediaの順序は、東大的法科優越思想なのではないか?

皆吉司氏の俳句「夢の中で燃えてゐるチェロ西行忌」

» Continue reading

| | Comments (0)

今週の戯れ歌

一年の終はると云ふ日にありありて次なる歳に希望だになき

独りあり酒を酌むのも好かりけりさあその他の為す事もなし

何かにと気の揉め揉める一歳の何とか過ぎしの虚しかりける

生きるとは無意味な歳を重ねをきて無意味なままに学びなきこと

安らかな日々を待ては働けど指折り数うるその日はいつか

いつかいつか安らぎに満つ日のあらば今日此頃のドタバタも良し

酒飲めば我は数多を忘れたりその忘却を求めてぞ飲む

酒飲みて酔ひ泣きせぬの不思議なり生きたることの虚しさの崖

ちびちびと酒を飲むのも習ひなり無駄に生きたる齢ひ重ねて

歳長けて不調様々感ずれど苦とする気持ちも薄れるや良し

浮世なる義理も果たさず暮らせればどの不義理をも片付けざらまし

いつか我息止まるまで酒飲まむこの世にあるの飽き果てる時

人の顔覚えられぬも悪くない酒場で会った素敵な彼女も

明日には二日酔いにもなるならむ良き酒飲めばそれも良きなる

どうでも良い相手にどうでも良い応対すどうでも良い我が人生なりせば

» Continue reading

| | Comments (0)

読書の記録(2025年2月)

みんなバーに帰る パトリック・デウィット 茂木健
本当にダメな人たちのお話。これを読んでいると自分の肝臓が腫れていないのが意外になってくる。
「シスター・ブラザーズ」の作者の最初の作品とのこと。読みやすく助かる。先月のヴァージニア・ウルフは辛かった。
悪漢文学でもあり貧困文学でもある。米国は文学輸出国であるが、その中に結構貧困文学があるように思う。
怒りの葡萄、欲望という名の電車、ザ・ロード(ジャック・ロンドン)なども貧困文学ではないか?
(大学の英語の授業で読んだ短編(題名失念)がまさにプア・ホワイトの出てくるやつだった。横丁で逢瀬を重ねる若い男女だが、富裕な男の家の大掃除で殺鼠剤を撒いたその日、貧しさを隠していた女が男の眼の前で倒れる・・・てふのだった)。

コーヒー哲学序説 寺田寅彦
青空文庫。ディー・レスタリ「珈琲の哲学」について調べた時に出てきた。
相変わらずの達意の文章。こういう文章を読むと、自分の頭が良くなったかのような錯覚が得られる。
(それに比べると、1月のヴァージニア・ウルフは現実を突きつけてくる辛さがある)。

禁酒宣言 上林暁・酒場小説集
ちくま文庫の「昭和シリーズ」(と、今私が名付けた)。
この方もまた私にとっては未知の作家。なんとなう蟲文庫店主がこの方を称揚していたような気がするが、誤った記憶かも知れぬ。
昭和の佳品を書く方々の例に漏れず、面白うてやがて切なき物語哉。
「みんなバーに帰る」とともに、酒飲みの悲しさを描いて余すところがない。また、この書もまた「戦闘以外の戦争」の一面を(あからさまではないにせよ)持っているように感じる。
皆人が戦争によって頭がおかしくなっていなければこんなにも酒を飲むはずがない、と私は思ってしまう。正しいか否かはわからないけれど。
ともあれ、これらの短編が実話ではないにせよ、ダメな酒飲みのダメな話が多く、読んでいて少々悲しくなる。そうなると、木山捷平の方が良かった、と思ってしまうよね。
また、上林は織田作之助を批判していたようだ。昔の作家同士の批判にいちいち意見を持っても仕方がないが、私としては織田の方が良いかな。

暗黒公使 夢野久作
「暗黒公使」と書いて「ダーク・ミニスター」とカナを振る。禍々しくて格好良いね。これなむ中二病。
初出1933年(昭和8年)とのことで、冒頭割合勇ましい排外的言辞もまぶしてあるけれど、読んでいくと特段思想小説ではないので、読める。
なかなかおもしろく読めた。偶々時間があったこともあるが、久しぶりに一日で一冊読んだ。
初めての夢野がこれになったのも可笑しいかも。書店で台車に積まれた書のひとつだった。動いている書には動いているものの魅力がある。

万載狂歌集 太田南畝
私ごとき浅学の者には楽しむ事が難しかった。なかなか辛い。もちっと立ち読みすべきだったね。残念。

おせち 内田有美ほか
きれいで楽しいおせちの絵本(写真のように見えるが「絵」であることよ)。
それぞれの料理にそれぞれの縁起が書かれているが、また別な情報では、こうした「現代おせち」は昭和の豊かさの中で出てきたものも多く、決して古来からのものではないとも聞く。そういう意味では、我が家がそうしているように、好きな食べ物をおせちに取り入れて、好きな縁起を創ることも許されよう。

高慢と偏見 オースティン 中野 康司
なかなか面白い。イギリスのユーモア小説(冗談小説ではなく人情小説)の系譜に連なるものと思って読んで良いのではないか。
女性の登場人物が多めで性格づけもしっかりしているが、男性側は若干類型的。それが面白さを損なうものではないが、「女性作家ならでは」かも知れぬ。
また、作家本人は、たとえば五人姉妹の誰に自己投影しているか、少し気になる。おそらくは次女エリザベスであろうとは思うけれど。
翻訳もユーモア小説らしさを活かしており、冒頭で「取らぬ狸の皮算用」なんて書いているが、英原文をチラ見した限り、なかなかこのようには訳せない。私はこうした翻訳を好むのでたいへんよろしい。
昔々、「ジェーン・エア」を読んだりして、英国小説の「暗さ」を予想していたが、まったく其の方面ではない。 「カンターヴィルの幽霊」(オスカー・ワイルド)、「ウェイクフィールドの牧師(むだばなし)」(ゴールドスミス)、などの暖かさ・人情味を感じる。
ツンデレ系恋愛小説としては「続 あしながおじさん My dear enemy」に通じるかな?(五人姉妹として有名な若草物語は未読)。
描写が簡潔で、各章も短く、お話がサクサク進むので、読みやすい。なんとなう新聞小説ではないように思うが、新聞小説的において読者を惹きつけ続けるために、山を散りばめ続けるのに似ているように感じる。
老人的に言えば、若い人が恋愛も含めた人間の何を知っているつもりになっているのか、というところ。老人としては、若くして無知であり、老いてなお無知であり、かろうじて無知の知を多少味わったと感じる。妄動なくして小説なし。もちろん小説作品としてはこれで良く、私は実に楽しく読んでいるのである。
訳もたいへん良いが、下巻の274ページの「ケチ」は「狭量」くらいの方が良いかも。。。。なかなか重大な単語なので、軽いカナ文字でないと良いなというのと、ケチの語は、吝嗇・卑小などの意味も同程度に持つということで、趣味嗜好の類であるけれど。もひとつ、「保証」とすべきところを「保障」と書いてある2箇所は直した方が良いと思う。

茂吉彷徨 北杜夫
晩年茂吉以前に読んでいなかったことに気づき、こちらを先に。北杜夫自身が実感を持って書いているので、読みやすく面白い。
茂吉の恋、我儘さ、頑迷さ、フモール、これら多くの面を描くのは、家族であり、茂吉のフモールを継ぐ小説家であった北杜夫だけが出来たことだ。
弟子筋であればはばかることをも「人間茂吉」として余さず描いている。むしろ家族こそ影の面を描かなかったりするが、そこを踏み越えたのは、北杜夫の自覚として、自分自身が茂吉に多くを負っていることによるのかも知れぬ。青年茂吉を読み出した時はいささか面白みが少ないようにも思ったが、ここに来て俄然面白くなった。青年茂吉・壮年茂吉・晩年茂吉に挟まれて、この巻のみ茂吉彷徨と逆順にしている意味もなんとなうわかるように思う。
旧青山脳病院松澤本院跡にある茂吉の歌碑「茂吉われ院長となりいそしむを 世のもろびとよ知りてくだされよ」を見てからやっとここまで。
この歌にも、北杜夫が強調している茂吉のフモールが感じられる。

井月句集
伊那谷を徘徊していた脱俗の俳人井上井月の俳句集。少々めくり見たるのみだが、平易にして高雅、慕わしう思われるもの。
伝記類も付されていて、行き届いた書である。 伊那谷を旅したことがある者にはまた思い入れ深いものがある。「松島」というのは「伊那松島」(静岡鉄道管理局伊那松島機関支区があった)ではないかと思ったりもする。最近、鉄道趣味の延長で伊那谷の伝統的家屋の形式を調べたりした(ネットで画像を探すだけだが)をしていたこともあり、なかなかな驚きであった。シンクロニシティ。

フランクを始末するには アントニー・マン
ちょいと刺のあるユーモア小説。悪漢小説・貧困小説と言って良い短編もある。そして、欧米(に限らないだろうが)の貧困小説には時々薬物中毒が描かれるように思う。「誰がために医者はいる」をなかなか読めないでいるが、依存症は現代社会の大きな病としてもっと考えるべきなのかも知れぬ。
表題作「フランクを始末するには」がなかなか出てこないので、「早くフランクを始末しろよ」と思ったりするけれど、

おだまり、ローズ 子爵夫人付きメイドの回想 The Lady's Maid : My Life in Service ロジーナ・ハリソン
実録だけに面白い。翻訳も行き届いたものと思われる。
近代と現代の間でもあるような時代。第一次世界大戦で男子徴兵のため、屋敷内の使用人がほぼ全て女性になったことを「ウーマン・リブ」と表現するなど、「エマ ヴィクトリアンガイド」でも示された「総力戦によって、大量の兵士を動員するために階級差が消えていった(消えざるを得なかった)」を思い出させる。そう言えば、中世欧州においても、「軍旗を三回頭の上で振ると自由民になれる」的表現があったように思う。(ここで勝手な演繹を行うと、戦争を称揚している保守層は女性開放を目指しているのか?)
相当に高慢で奇矯な子爵夫人とのやりとりも面白いが、貴族と警察の関係、宴会などではトランプを二晩で廃棄してしまうなど、現代からは思いもよらぬ話がたくさんある。
そう言えば、宝石サンシーはこの家にあったのね。ルパンが発見し、フランス共和国に寄贈した(と、小説「ウネルヴィル城館の謎」にあったはずの)あの宝石が!。

表紙カバーにもあるように、ジョン・シンガー・サージェントが肖像画を描いた、ということからも富裕のほどが知れる。
サージェントの絵をGoogle Art&Cultureで探すと、肖像画(一種の美人画)以外に、戦争画もある。確かにそういう時代だった(おだまり、ローズもそうであるように)。
https://artsandculture.google.com/asset/gassed-0000/2AHwiYWpCD8WQw
https://artsandculture.google.com/asset/studies-for-gassed-0001/tAF-xObnUTNdbA

誰がために医者はいる 松本俊彦
依存症の原因にトラウマ。そう言われれば(素人目にも)それが正しいように思われるが、精神医学はなかなかそれを認めてこなかったようだ。
医者というのも世のため人のためという以前に、己のためだったり権威に従属したり、ということではある(この方はそれを批判しておられるわけだ)。
我が父も、軽度のアルコール依存症だったのではないか、と思うにつけ(暴力を振るうこともなかったし、理性的行動が出来ていたとは思うものの)、他人事としてではなく、悲痛な思いで読んでいる部分がある。
薬物依存症が変化しているのに、精神科医療も社会もそれにまったく追随できていない、ということに衝撃を受けた。
私はほとんど薬を飲まず、医者通いもしていない生活をしているので、思い当たらなかったが、現代社会の深い問題がここに現れている。
松本氏は、親が医者というわけでもなく、様々な社会階層の人々と直接に接する事があったからこそ見えているものがあるのだろう。医者の子が医者になったからとて、自らの恵まれた境遇に気づかず、病者もまた自己責任と思うことがあるのではないかと想像する。
ベンゾ処方激減と大腿頚部骨折増加の関係なども丁寧に解説してあり、素人にもたいへん行き届いた文章になっている点、「流石はみすず書房」と思わせるものである。
近所の書店の「みすず書房まつり」(?)にもこの書が並んでいた。良いことである。

鉄道ピクトリアル 国鉄輸入電機の系譜(2025年)
最新号。明治・大正期において、鉄道は当時世界的に最新技術であった。西欧諸国に遅れて近代化を進めた我が国では、多くの技術を導入し、そこから学び(雑にいえば「コピー」し)、その後の発展に至った。
電気機関車技術が発達していた米国機・スイス機は優秀だったが、英国機はアカンかったなど、面白い。まあ、そうした技術的面白さとは別に、外見としての格好良さを云々して良いのも愛好家の権利ではあるのだが。
原子力発電所も電気自動車もすべてそうだが、大きなエネルギー(密度なのか規模なのかちゃんぽんに理解しいるが)を使うには様々な困難が伴うよね。様々な技術入門書があるけれど「こういうところがキツいからこういう技術でカバーした」的解説がされていると嬉しい(が、素人に噛み砕いて説明するのは難しかろう)。

鉄道ピクトリアル 2Bテンダ特集(1968年)
古い雑誌を読むのは好き。「2Bタイプじゃまるで鉛筆みたい だから よん・よん・れいと人は呼ぶ」という蒸気機関車。
本題も面白いけれど、写真展の入賞者に鳴海町下郷氏が入っているのを見つけた(当時のこととて住所が全て入っている。私が知っている下郷家ではない方だ)。
下郷氏は庄屋かつ鳴海宿本陣。下郷(下里)知足氏は松尾芭蕉と交流があるなど、鳴海で知らない人はいない一族。
また、数学者一松信氏が連載記事への感想を投稿されている。当時の肩書が立教大学教授というのもWikipediaの履歴と合致(京都大学の印象が強方ので、つい確認してしまった)。
うだうだWeblog(https://na-inet.jp/weblog/archives/000843.html)によれば「コンピュータへの応用も広く視野に入れ,(たぶん)60年以上も縦横に活躍し,今も現役であり続けている一松」。数学雑誌への投稿はよく知られているようだが、こういう投稿もマメにされていたのね。
などというのはさておき、梅小路蒸気機関車館で蒸気機関車を動態保存する方法の模索(技術伝承が可能かどうかも含めた本当の模索)について書かれていたり、非常に面白い号であった。

面白そうな本のメモ:
 呉明益 『複眼人』(小栗山智 訳 / 角川文庫)
 ディー・レスタリ「珈琲の哲学」
 
年度末なので本が読みたくなる・買いたくなる。すでに買って・積んである本があるにも関わらずそれらを顧みず、以下を買う。
 高慢と偏見 オースティン、ちくま文庫  フランクを始末するには アントニー・マン(始末する、という雅な訳語がたいへんよろしい)。
 暗黒公使 夢野久作(暗黒大使で検索すると仮面ライダーの悪役が。書店でカートに山積みになっているなかでも光彩を放っていた!)。
 イギリス人の患者 オンダーチェ(まったく知らない作者。似たような名前の映画があるが、それとの関係もわからない!それが素敵)。
 井月句集 (伊那谷のびんぼう俳句詠み。それだけしか知らないが、それだけでもなんとなう他人という気がしない。)
 おだまり、ローズ ロジーナ・ハリソン(子爵夫人付きのメイドの回想録。以前、漫画「エマ」のためのメイド文化入門(?)的書物を読んだが、大変興味深くも勉強になったのだった。メイドや執事に興味のある者はぜひ読むべき!「エマ ヴィクトリアンガイド」森薫と村上リコという其界最高の二人組!)

紀伊国屋ウェブサイトで「カラスウリ」を検索すると「基礎からの数理統計」が2冊当たる。
「きそカラのスウリとうけい」となるからか!
基隆とスコットの関係は不分明だがこの類だろうか?

「患者の眼 コナン・ドイルの事件簿」(デイヴィッド・ピリー)を読んでみたい。というか、2011年3月に読んだメモがあるが、記憶がまったくない。続篇が訳されていないのが悲しい。 原書は、The Patient's Eyes (David Pirie)
続篇は、The Dark Water: The Strange Beginnings of Sherlock Holmes

ランペドゥーサ「山猫」(岩波文庫)を買い忘れていることに気づく。まあ、岩波は古本もきちんと流れるので、いつか・どこかで出会うであろう。と自らを慰める。
「タンクレディ」は「よく考えられた助言をする者」なのね by Wikipedia。決して「戦車の淑女」ではない。

九四歩
織田作之助「聴雨」で「坂田の青春」と言われた奇手。おそらくは望みのない奇手だが、そう言えば、これにつながるような話を聞いたことがある。
アマチュアの相当な将棋指し、ゲームセンターのコンピューター将棋を指す際、種々相手の出方を探るうち、初手を定石にない手を打つと、コンピューターが長考に入り、結果的に自分自身の考える時間が増えることを発見。その際の「奇手」として「端歩突き」すなわち「九四歩」を使った、とのこと。
関東名人と関西名人の大一番で放たれた「奇手」が流れ流れてとある地方都市のスーパーマーケットのゲームセンターで打たれることの不思議さよ。
その方は、コンピューター将棋ゲーム機の上位十位をすべて自分の名前に書き換えてその場を去ったという。

キーボード「H」が入力できなくなったため、表を引っ剥がし、中身をグリグリ。
その結果、入力できるようになったが、画面に「hhhhhhhhhhhhh」と並ぶ。小説「HHhH」を思い出し慄然とする。
東京創元社の「HHhH」のページからサントリーへのリンクがあるので踏んで見るが、中身はない。そのくせ年齢確認が出てくる虚しさよ。

このあたり、雑感と読書の記録(書物に関係あること)の境界だね。Bookish な人間なのだろう。

●雑感
演奏会2つ。
ひとつは、ブラームスの弦楽六重奏第一番(Op.18。第一楽章のみ)。
もひとつは、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第五番(Op.18-5)。
どちらもOp.18(ということに深い意味なはいけれど)。
ベートーヴェンのOp.18は「昔ながらの6曲組」。 でもって、枝番1-6は作曲順ではないとのこと。まあ一連の作品としての並べ方があるべきだよね。
ピアノ・ソナタはOp.13「悲愴」を含む第10番まで、ピアノ協奏曲は第1番Op.15、第2番Op.19。 ヴァイオリン・ソナタは第3番Op.12-3まで。チェロ・ソナタは第2番Op.5-2まで。
交響曲は第一番がOp.21なので、まだない。

ブラームスは、「講演を聴いて、その後の休憩後」という「あちらさんのタイミング」で弾かねばならなかった。
ふだんは「演奏のためのタイミング」であり、そういう意味では恵まれておるのだな、と思った。
まあ、全面的にアカンわけではなかったが、少々緊張したし、最低限をしようとする演奏になっちまったなあ。いちおう義理は果たしたということで。
講演自体は「コーポレート・ガバナンス」てふ私には縁の薄いものかと思いきや、キリスト教会(法王)と世俗権力(王)と大学自治などから言及されるもので、阿部謹也の読者たる私にはたいへんおもしろかった。

ベートーヴェンは初期作品としての弾きにくさもあったけれど、一緒に演奏した方が様々な実験につきあって下さることもあって、柔軟な演奏が出来たように思う。私自身も練習終盤に明確に「楽しもう」と意図することができたのも良かった。良き縁に恵まれてありがたいことである。

「安定が安定している」という感想をもらった。安定が安定してなかったら困るんでねえのと思うのだが、「音程が(正確な方向で)安定している」と理解しておこう。「音程が安定して狂っている」という可能性も排除できないが、それはそれ。 "ALWAYS look on the bright side of life!" ということで。

日本大学が引き取った「カザルスホール」は2026年6月に復活とのことだが、理念ある企画運営がないならば、「仏作って魂入れず」だと思う。
ホールとして使って来なかったことの反省も込め、せめてカザルスの名をお返ししてほしいものだ。
名前をお預かりすることによって当然生じる責務があると私は思うのだが、日本大学経営陣は代々こうしたことに無感覚・無責任であると私は感じる。千載の醜名を世界(の一部かも知れないが)に垂れ流しにしている、と言っても良い。

そういえば、ウィーン・フィルハーモニーの「ニューイヤー演奏会」の中継をしていたNHK林田アナウンサー(東京藝術大学楽理科卒)が活き活きしていた、という話。クラシックTVも林田さんで良いのではないか。清崎氏は悪くないが、この番組もまた、オッサンが若いお嬢さんを教えるの体になっちまっているので、林田さんと鈴木さんで良い。

今月の誤字:  効果覿面を効果的面。「覿」なんて文字は「覿面」以外で使わないなあ。
調べると、「覿武」「覿実」「良覿」なんて熟語がある。うむむ。全く知らなかった。
他には「孫覿」なる人物が当たる程度。後は、OCRの誤読っぽいのもあった。。。
 
Wikipedia「ダース・モール」(映画スターウォーズに出てくる悪役)の項を読む。 ダース・モールとオビ・ワンが「一騎打ち」。馬に乗っていない者でも「一騎」で良いのか、少々悩む。「一騎当千のつわもの」も騎乗してこそと思ったりする。なかなか悩ましいものだ。

アラブ音楽。ふつうに鍵盤楽器がいて、ふつうにアラブ風音階を奏でているようだ。
https://www.youtube.com/watch?v=Q_HoGYhk4x8
先月、自由音程楽器(造語)でなければアラブ音楽が演奏できないかのように思ったが、鍵盤楽器でも改造しちまえば良いのか。
ハーモニカやハルモニウムのようなリード系ならリードを削ってフラットの音程を上げれば良い。簡単(原理的には)。ただし不可逆改造ではあるけれど。

‪"Consolação‬"‪ - Rosinha de Valença‬, 1966
https://www.youtube.com/watch?v=hxi_qliU3DE
すごく格好良いギター。サポートの打楽器奏者もいい仕事をしている。笛が出てくると興味が薄れるけど。
ホジーニャ・デ・ヴァレンサ。ブラジルの方。

Lucie Horsch, Fuse - Parker: Ornithology (Arr. Horsting for Recorder and Ensemble)
https://www.youtube.com/watch?v=5zzCYFL9zfw
このリコーダー奏者、何でも吹ける。雰囲気を創るのが非常にうまい。
ルーシー・ホルシュ。オランダの方らしい。

昔の名鉄は深緑色もあったと記憶するが、どんな色だったか。
https://moha90.livedoor.blog/archives/24809712.html
https://www.filmscan-print-s.com/0519-15V-01.html
http://scarlet7000.net/04_kaminari_mei_0800_04.html
https://www.n-sharyo.co.jp/company/toyokawa/memorial_square/toyo-me-mei.htm
現代では「こういう色にしたい」という欲求側から色を決められるのかも知れないが、おそらく当時は「こういう色が作れる」という供給側の都合で色が決まっていたように思う。
模型を作っておられる方は「暗緑色・三菱系」をお使いで、これは海軍航空隊で飛行機の上面に塗っていた色である。名古屋には、三菱重工の航空機工場があったことから、仮説として、同じ供給元から得られる同じ色を名鉄でも使うようになったというのは十分なりたつように感じる。

wikipedia「緑」の項には、種々顔料がその歴史とともに記されている。これを出発点に三菱、名鉄の緑色顔料にたどり着くことができるだろうか・・・。同じ海軍の暗緑色でも、三菱系・中島系で異なるのは、①そもそもの顔料成分が異なる、②顔料成分は同じだが、不純物や樹脂が異なる、③顔料成分は同じだが、不純物や樹脂が異なることから褪色状況が異なる、などの理由が考えられる(考えたところで止まるけれど)。。。

私が記憶する名鉄は昭和50年ごろ、深緑、クリーム色に赤帯、赤の3パターンの塗りがあり、これら3パターンの車両が混結するという不統一さだった。
その後、名鉄は赤(スカーレット)で統一され、後に優等列車の白色に赤帯が加わったところで、私の名鉄沿線生活が終わる。
30年ほども経って、名鉄に青系の色が走っているのをみて驚くまいことか。「名鉄と言えば赤」と思っていたので。
だが、歴史を遡れば、深緑とともに、薄紫、クリーム色に臙脂のツートンなどもあり、必ずしも「赤」だけではなかったのだと知る。

ところで、地元名古屋大学ではスクールカラーを「濃緑」と定義しているが、この色と「暗緑色・三菱系」の関係は少し気になる。
名古屋大学は日中戦争遂行のために作られた「最後の帝国大学」の面を有しているはずであり、地元の有力軍事企業とのつながりもあったに違いないと思うのだが。。。

私が長く使ってきた楽器は、ブーベンロイトの産だった。第二次大戦後、共産化したチェコスロバキアの町ルビから多くの楽器製造者がブーベンロイトに移住したという。
私が最近使っている楽器は、マルクノイキルヘン出身者が作ったものだ。本人はベルリンに工房を構えていたというが、マルクノイキルヘンの流儀でもあろうし、あるいは、下工作をマルクノイキルヘンでしてベルリンで仕上げていたかも知れぬ。して、マルクノイキルヘンはルビと国境こそ隔てているものの目の鼻の先。自動車で15分、歩いて2時間。
そう言う意味では同じ傾向の楽器を、そうとは知らずに選んだのかも知れない。私が欲しいと思った楽器は少ないが、昔昔、チェコの楽器を欲しいと思ったことがある。あれは、チェコのどこの楽器だったのか。とても面白い。
https://rearpond.mystrikingly.com/blog/0b29dfb7972
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12645825691.html
https://www.chopin.co.jp/media/Encyclopedia_The_VIOLIN/a3712?srsltid=AfmBOorBBIiTYLMxP-x-bd1OJ5biQAB82uYxXueS5fQcpvXUZNnbNgpE
まあ、高価な楽器を自分の目と耳だけで選ぶなどという博打はなかなかできるものではないし、他人様にそうした方法はお薦めはしないのだが。とは言え、自分自身が楽器を選ぶ際、それ以外の方法は思いつかなかった。

福音館「ぐりとぐら」は200刷を超えているとか
私が幼かった数十年前すでに存在し、楽しく読んだ(読んでもらった)記憶があり、今なお普遍的に見かけるのだから当然かも知れぬ。
私が知っている200刷超は、K&R(プログラミング言語C)だけかも。
2024年2月25日に353刷。私が買った時は230刷くらいだった気がする。
https://blog.kamikura.com/archives/5131

品川駅のプラットホームにある電気機関車の動輪、もとの機関車はなんだったのだろう。
13本スポークだが、内側軸受だったようにみえる。
EF53、EF56の先輪とも思ったが、これらは8本スポークの写真があった。
http://home.a00.itscom.net/yosan/denki-1/denki-1.html
EF58の台車の模型。13本スポーク
http://traincglib.web.fc2.com/traindir/ef58/ef58_003.html EF58などの動輪はおそらく1200mm程度。品川駅のはそれより小さく感じたが、この感覚はあてにならない。
https://www.flickr.com/photos/121928043@N07/44207747584
そうなるとEF58等の動輪で、軸端を削ったのか?

という過程で見つけた3DCGによる鉄道車両
http://traincglib.web.fc2.com/index.html
構造も再現しているようで凄い。人力だけでこれを作り上げたのだろうか?
稀に印象と異なる形態が見られるが、図面が完全でないのか、私の記憶が歪んでいるのか?
EH10やDF50の前頭部がわずかにそういう異なった感じを受ける。

パネンカ。サッカー技術のひとつらしい。チェコソロバキアのサッカー選手アントニーン・パネンカ氏由来とのこと。
音楽系ではヤン・パネンカ氏が有名。スメタナ四重奏団との素晴らしい共演で知られる。私も大好き。

乾電池を何に使っているか?
 リモコン(テレビ(単4×2)、冷暖房(単3×2)×2)
 無線マウス(単3)、無線キーボード(単4×2)
 メトロノーム(006P)、録音機(単4) これ以外に懐中電灯(非常用)があるか。充電式にしたくもあり、なかなかな本数でもありどうしたものか。
そういう意味では、ひげ剃り・バリカンのような内蔵式は楽だが、AC/DCアダプターが増えるのも感心しない。みなUSB充電にしてくれ、と思う。

紀伊国屋書店Webページの検索における「基隆・スコット問題」。
「基隆 スコット」でGoogle検索すると、米国の駆逐艦スコットが、台湾に譲渡され「基隆」と名乗るようになった、と。これは無関係だと思うのだが。

トムとジェリーの音楽は非常に優秀。 ワルツ回でのピアノ演奏はどういう版によるものだろう?オリジナルなのか、あるいは、ゴドフスキーなどのピアノの名演奏家によるパラフレーズなどなのか?ちょいと気になる。また、オーケストラ演奏をしている者の中には、ナチスから逃れたユダヤ人演奏家で、ウィーン風の音楽を本当に知っていた者もいたのではないか。などなど、大人になると色々気になる。

いにしえの高山線の写真
https://kiyosuqudzilla.sakura.ne.jp/gallery/?ca=9
素晴らしい。Tomixも名鉄キハ8000系を発売するならば、C58も高山線仕様(国鉄仕様)を作ってくれないかしら?

Faye Webster: Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=1ul9aWg0AQo
Laufey: Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=avjI3_GIZBw
久しぶりにTinyDeskConcertを覗く。やはり自然音が良い。
レイヴェイ(林冰)さんは母上中国ご出身。なんとなうアジア人として親しみ深い。

米国の主要輸出品目は「理性」だったと思っている。
さて、その理性を失った米国はほとんど鎖国を目指しているようだ。
経済に疎い私ではあり、米国は多くの資源を持っている国なので、鎖国してもやっていけるのかも知れない。
おそらく、国際的に通用する商品開発ができなくなり、多くの市場を失うのではないだろうか。

サン=テグジュペリの子供時代の遊び「騎士アクランごっこ」
雨が降り出すと、子どもたちは外に飛び出す。
雨粒に打たれた子どもは「やられた」と言って次々に倒れる。
最後まで雨粒に打たれなかった者は、次の雨まで「騎士アクラン」の名乗りを許される。

英国BBCによるベートーヴェンの映画「Eroica」(2003)
オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティックが演奏。チェロの人がボリス・ジョンソンぽい。
ロプコヴィッツ侯を演じている役者さんは Jack Davenport 氏。Davenport って機関車メーカーがあったっけ。
しかしこの映画、相当程度演奏に時間を割いている。私が如きそういうのが大好きな人間はそれも「ドラマ」としてみるが、そうでもない人には苦痛かも。まあ、自分の好みからは素晴らしくもありがたい英断である。
これらの演奏音響はどうやって作っているのだろう。「本番」に関しては、映像の人数より音響の人数の方が多いように思う。
最初のうまく行かない演奏は映像と音響で同じ人数な気もする。
おそらくは絵と演奏は別撮りなのだろう・・・。なかなか複雑だが。
こうした演奏の周りで会話しながらぐるぐるって、楽しそう。なんだか卒業生が部活を覗きに来たみたい。演奏者には邪魔っけに違いないけれど。

会社でFaundryの紙袋を見かける。洋菓子屋さんだそうだ。
機関車好きはもちろん蒸気機関車メーカー Valcan Foundry を思い起こす。火の神ヴァルカンの鍛冶場といったところか。
Davenport 共々機関車に興味がある方限定。

二十年ほども冷蔵庫で放置していた「苦丁茶」を淹れて飲む。
とても苦いが苦いながらに旨味があり、なかなか良い。父母を偲んで飲むべきものだろう。

Kuruluş Osman オスマン帝国建国(ドラマ)180話
なんと、オスマンの第一夫人バラ・ハトゥンがあっけなく死亡。ええーそんなぁ。
第二夫人マルハン・ハトゥンが120話あたりから現れない理由も私は把握してないし。
バラ・ハトゥンは第一話からオスマンを助けたり大活躍。彼女の死は偽装したものに違いない!(と言いたい私)。
ふふふ。「偽装したもの」ではなく「偽装されたもの」だったけれど、バラ存命。もちろん、そのうちオスマンが助けるに違いないが、早く早くバラ・ハトゥンを助けて!(と駐日トルコ大使館の電話番号をしらべようと思う私)。
本作品を「楽しい時代劇」「勧善懲悪」「異国の水戸黄門」として消費する私。色々考えないではないものの。中韓でも相応に時代劇が作られている。日本では?いわゆる娯楽時代劇はあまり作られなくなったが、大河ドラマでは歴史ものは多いし、相応にあるよね。まあ、海外販売が見込めるような連続ドラマが定期的に供給されると良いのかも、などとは思うけれど。

近代戦は総力戦である。前線だけでなく、兵器の開発・生産・運輸・消費まで全ての国力が問われる。
そうした発想から、社会への女性参加をより多くすることを論じても良さそうだが、あまり聞かないね。

GooglMapを見ていて、雉本朗造氏について知る。「鳴海小作争議」なんてあったのね。ちっとも知らなかった。
旧東海道沿いにキジモトふとん店があり、ふとん屋さんらしい色白でふっくらしたお嬢さんが居られた記憶がある。
その隣が太田薬局でこれまたおきれいなお嬢さんが居られたような。。。。

日本酒「鳴海」を発見した。が、読みは「なるか」だった。
千葉県勝浦市の東灘醸造株式会社。元鳴海町民としてはいつか飲んでみたい。

タブレット譜面の利用を時々考える。譜面として利用しながら演奏の録画・録音を行うことも可能だろう。意味があるのかわからんけど。
「目が泳いでいる。ここで落ちたな」とかわかってもねえ。

スマホ用マイクを探していたら「京都大人女子ピアノサークル」を見かける「京都大学の女子だけのサークル」と見間違えたが、「京都の大人の女子のピアノサークル」だった。でも「おとな」なのか「たいじん」なのかは見極めていない(無問題)。

Nagasaki (Harry Warren & Mort Dixon)てえ曲があるのね。そんなに長崎でもないけれど。
ジーヴズのドラマ中に出てきたので、つい調べてしまった(調べものに困らないいい時代だ)。

ネットで福地桜痴「奮友福澤諭吉君を哭す」を探していたら、慶應義塾大学出版会のページが当たった。桜痴を悪しざまに書くにためらいはない一方、福沢へのヨイショ多く甚だ苦笑い。
島原藩邸払い下げの件など(もし書くとするならば)どう書かれるものやら。
昔、福沢諭吉批判(学問的な批判)を一生懸命されている大学教員がおり、なんでそんな昔の人を?と疑問に思ったが、確かにヨイショしすぎ面を警戒すべきかも、と感じる。福沢だけのことではないが、為政者に都合の良い学者を『天才』などと言って過剰にもてはやす風潮はアカンと思う。

座椅子が壊れた。
母が長く使い、コロナ禍で在宅勤務になった私が使ったので、随分になる。
壊れてみてよくよく見ると、外の布地も草臥れ果てている。寿命であろう。
廃棄のために分解すると、やはり鉄製の枠が破断していた。その割にはそれなりに座っていられたが、全体がしっかりしているので、左側が破損しても右側で支えられうるということだったのだろう。破断箇所は、関節部の少し上。関節付近は、関節と枠を継ぐために二重になっているが、その二重部が終わり、一重になったところ。梃子の応用その他から考えても妥当な破断箇所であることよ。
繊維ものと鉄枠に分ける。前者は燃えるごみ。後者はパイプカッターで切断の上、不燃ごみに出す予定。パイプカッターは役立つが、現時点ではものを捨てるのに使うことが多い。それ以外では、譜面台の寸法縮小かな?
も一つ小さい座椅子があるので、当面は困らないが、新しい座椅子を探す。
室内楽練習用に椅子を買い、洗濯機を買い、座椅子を買う。
他にも、電子レンジがそろそろ壊れそうだとか、パン焼き機があると良い・・・などお買い物の楽しみは尽きない。

弦楽器雑誌の特集が「チェロでバッハ」。まあ、無伴奏組曲と小曲らしい。ふつうそうだろう。
マタイ受難曲を弾きたいとか、音楽の捧げものやトリオ・ソナタを弾こうというのは、いささか正気の他の行為なのだろう。
これまでも音楽雑誌を読んだことがほとんどないが、これからもないだろうなあ。
「あなたも弾ける通奏低音」あるいは「弦楽四重奏の音程を考える」なんて特集なら読むかも知れないが。

奈良茶飯は川崎の名物。大阪の「とん蝶」とも似ている。
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/35_20_kanagawa.html
食欲不振の方と話した⇒苦丁茶はどうか調べた(食欲不振にはあまり良くないみたい)⇒Wipkipediaで他の茶文化について飛んだ⇒茶粥は粥として米から炊くのでなく、冷や飯から作ると知る⇒奈良茶飯(今ここ)。
川崎の旧東海道沿いにある菓寮「東照」で奈良茶飯風おこわが食べられるらしい。中華街に歩いて行くのもよいが、旧東海道歩きも面白そうだ。覚えておこう。
一方、とん蝶はあいかわらず関東では買えないのね。「鶴見店」が横浜市鶴見区と思いきや、大阪市鶴見区だった(無念の歯ぎしり)。

Nissen hut(ニッセン式小屋あるいは改良版のクォンセット・ハット、かまぼこ兵舎)について調べたところ、英オークニー諸島にあるキリスト教会の記事に当たる。
https://serai.jp/tour/1145767
いい話だ。

模型も入手可能(1/76)
https://peco-uk.com/collections/4mm-oo/products/nissen-hut?variant=7435691622434
これと関連して「Pill Box」も売られている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Pillbox_(military)
日本語ではロシア語由来の「トーチカ」がふつうだが、「特火点」という語もあるそうだ。

Putin, Putout 辞めろプーチンの動画
https://www.youtube.com/watch?v=t-wFKNy0MZQ
すごく面白いというわけでもないが。日本語字幕も工夫されている気がした。

若くして亡くなったヤネチコヴァ女史の動画
https://www.youtube.com/watch?v=icBJoBkvg70
私も悲しい。

https://de.wikipedia.org/wiki/LAG_Nr._895
ミュンヘンの「地方鉄道」Lokalbahn Aktien-Gesellschaftの貨物電車。素敵。
なんというか、鉄道車両には「文法」があり、電車(旅客車)と貨車の文法は異なる。で、その異なるあわいにある貨物電車の奇異な感じがまた良い。

北大路魯山人についてネットで検索していたところ、「テレビ番組なんでも鑑定団で高額評価」という肩書で書いている方が。
ふふふ。金額評価なんて、魯山人が泣き出しそうだ。
ついでにイサムノグチのこともWikipediaで見てみたが、確かに家族関係が複雑。親御さんが原因。

明治日本の『ルバイヤート』杉田英明氏の論考
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/39077
様々な明治訳に触れることが出来て嬉しい。我らはルバイヤートを愛する者。それぞれに翻訳てふ二次創作を為し・楽しむ者である。

» Continue reading

| | Comments (0)

今週の戯れ歌

若き日の恥ずべき事らを忘るならば齢とりたるも悪しくあらざり

心あらば我も寂しと思ふらむ心なき身の有り難きかな

寂しさと美しさを混同するな孤独であつても醜はありうる

掃除して時間忘るる事もありもう昼過ぎと飯食べに出る

傘持たず宿を出るこそ運悪しく飲んでるうちに止むも運なれ

宴会でざわめく厨房よそにして腰を据えては酒飲みにける

寒風に膚引き締めし若き日の冬はついぞ無からむ今日びなるらむ

酒飲めば唯寂しさの募りける話を合わす労はすれども

何かにか虚しい言を費やさむ世にあることの虚しくあるなら

慣れぬ人と酒飲むことの虚しかる独りになりて独り飲みけむ

酒飲みて動悸激しき宵もあり我が体内の如何にあるらむ

酒飲めばうたのひとつも詠まずあらず酒飲まざればかくもあらざる

終点の声を聞くなら目も醒めぬ眠り続けて全ての終はりへ

久かたのファミリーレストランの懐かしき老若様々囀るが如し

ファミリーで行動するの稀なれば他所の家族も少し気になり

幼きら喜び食べる姿あれば我が若き日を思ひ出ださむ

古き友と合奏するは良からまし楽器も軽く足を運べる

顧みればあつと言ふ間の子育ても急に終はりぬ呆気なき程

普段行かぬ場にこそあればうたも詠まむ単調な日々を少し破りて

» Continue reading

| | Comments (0)

今週の戯れ歌

いつか我全ての邪念の晴れるならばあの人に逢ふこともあらなむ

稀に見るあの人の夢我の我なるを繋ぎ止めたる最後の記憶か

命あれば今年の春も花を見つ我が拙かる越し方を悔ひつつ

» Continue reading

| | Comments (0)

読書の記録(2025年1月)

誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論 松本俊彦
「エッセイ」ということであるが、私如きがテキトーに書いた「ずいひつ」ではなく、様々経験と考察に基づく深い「試論」とでも言うべきもの。
読まざるべからずの書。と言いながらあまり進んでいないな。

ジャン・クリストフ ロマン・ロラン
最近なかなかその名を聞かない作品・作家。ともあれ、ベートーヴェンを弾く機会が多いこともあり。一読を試みているところ。
西洋小説の子供の描写に違和感を覚えることがある。「失われた時を求めて」でも、主人公が寝る際、母が来てくれないと言って嘆き、でも意外に幼くはない年齢だったりした。ジャンにもそういうところがある。また、ジャンの不幸を上積みし、不幸表現を上積みするのを読むのが辛い(私もついにタイパ人生発動か?)。内容の話ではなく表現・演出の話でしかないが、ちょと気にはなる。

資治通鑑
この題名「統治に資する」の意味なのね。世界史では名前だけ習って、資料名の意味すら習わなかったような気がするが、自分の学びが浅いせいかも知れぬ。
こういう中国の史書を読むのは楽しい。「虎に翼」の例えも出てきた(私はドラマを見ていないが、いい意味の言葉ではないのね)。
翻訳や注も行き届いており、大変良い。さすがちくま学芸文庫。

灯台へ ヴァージニア・ウルフ  鴻巣友季子
少々読みにくい。もともと冗長に書かれた「意識の流れ」をひらがな多めの日本語にしているせいだろうか。
ひらがな多用の英文和訳は丸谷才一氏あたりが発祥なのだろうか。たいへん申し訳ないが、漢語に置換しつつ読んでいる。
とは言えなんとか読んだ(次に読みたい本があるから意地で・・・という面なきにしもあらず)。
繊細で面白いところがあるので、いずれ他の訳で再読したい。河出書房2009年出版を文庫化とのこと。
繊細で現実と密着しつつも幻想性があって、もっと面白い書物なのではないか・・・と思うところ。
おそらくは、英語の問題ではなく、日本語の問題。(私が良いと思う翻訳が、堀口大學や井伏鱒二なので。。。)。
岩波=御輿哲也が2004年、グーテンベルク21=中村佐喜子が2013年(元は新潮1956年)、みすず=伊吹知勢が1999年。開明書院=伊東只正が1977年。などと、種々情報をつないだが、wikipediaに一覧があるではないか。さて。
出版社(すなわち編集者)で選ばないとどうしようもない・・・のか。河出の翻訳・日本語品質ってこんなもんだっけ。
新潮は、(少なくとも昔は)良かったはず。百年の孤独も訳は古いし(でも古びていない)、堀口大學も訳は古い(でも古びていない)。。。

たとえば115ページ:
「しかし言ったとたん、言った自分に苛立った。いまのは誰が言ったの? わたしじゃない。なんだかまんまと引っかかって、心にもないことを言わされた気分だった。」
 「とたん」と使いたいなら「途端」と漢字を当てた方が文章が引き締まって見えるだろう。
 「いま」「わたし」も同様。
 「引っかかって」は多義的なので、口語としては問題がないが、文章語としては読みにくい。「どういう『引っかかって』なのだろう?」とそれこそ読者が「引っかかる」。
 「騙されて」あるいは「唆されて」とした方が読みよい。
たとえば「しかし、そう言ってからすぐに自分自身に苛立ちを覚えた。今の言葉は誰が言ったのか?私ではない誰かに促されて思ってもいない言葉を言わされたように感じた。」の方が少しは良いと私は思う。
p-150 「入ることも出ることも自由な渦巻き」ってなんだろう?人生でそういうものに出会ったことがないのでわからないぞ。
p-175 「彼もこの果物皿で目を愉しませ、その中に入りこんでは、こっちで花を摘み・・・」は、「皿の中で花を摘む」に驚いていると、前段の「広い果物皿の中を人が歩きまわっているな気がしてくる」を比喩として受けているのか。。。相当程度集中して読まないとアカンな。この本。
まあ、私の「意識の流れ」も大概テキトーで人様にご理解頂くのは難しいと思うが、この書もなかなかだ。(なんだか良い部分もあるように思うのだが、通読は苦しいなあ)。

面白いは面白いのだが、読みやすさへの配慮がも少しあると嬉しい(私の年齢的問題・年度末繁忙期問題もあるとは思う)。

わたしのゆたんぽ きたむら さとし
絵本。思いのほか壮大で驚いた。湯たんぽ。最近見ないなあ。

メアリー・スミス
絵本。結構好きなんです。この絵本は、特に可愛らしくもないけれど、家に時計を持たない昔の人々が活き活きとしている。
おそらくは、産業革命初期であって、多くの人々は時計を持たないが、社会は時計で動き始めているのだろう。
時計がまったく存在しないのであれば、それはそれでメアリー・スミスは存在しないし、時計が遍在していても同様なのだから。
ドリトル先生に登場する「猫肉屋」もいささか似ているように思う。それまでならば貴族などの富裕層だけが猫を飼い、使用人に猫の世話をさせればよかっただろう。現代であれば猫用の肉などその辺でキャットフードを買ってくれば良いだろう。そうなるまでの端境において、「猫肉屋」が存在し得たのでないか、と想像する。
(ここまで書いて南條竹則氏の書籍を購入して未読なのを思い出した。)

アラブ音楽入門 飯野りさ
以前買って少し読んだが、譜面を読んでも音にならない人間なので、その時は面白くなかった(私が全面的に悪い)。で、実際弾いてみた。
とてもとても楽しいっすね。ほんとはアラブ音楽を耳コピしようと思っていたのだが、なかなか難しくて挫折しておりました。
ちょっとそれらしい節をいくつか覚えてどこかで披露してやろうなどと(にやにや)。
で「横棒つき♭=1/4低い」というのが出てくるわけで、これをどの程度の音程にするのが良いかを考えるのも楽しい。
そこではっと気づく。私は、音程自由なチェロを弾くのでそういう「お楽しみ」がふつうに可能だが、この書を入手した多くの方々はどうされるのだろう?(ヴァイオリン属、コントラバス、トロンボーンは自由な仲間!ヴィオラ・ダ・ガンバはフレットがあるので、この仲間ではない!等など。多くの管楽器や鍵盤楽器の方は不自由なはず。。。)
そういえば、グリーンスリーブズにもふつうの半音では処理したくない場所があるのだが・・・。
おまけ:著者名で検索すると、博士号取得審査結果など出てくる。なかなか厳しいコメントがついていて、博士号取得の大変さ(この方の、ということではなく広く一般的に)が知れる。この博士論文と思われる「アラブ古典音楽の旋法体系 〜アレッポの歌謡の伝統に基づく旋法名称の記号論的解釈」が出版されている。これを読みこなせるくらいの知識・根気があれば良いのだが。。。

晩年茂吉 北杜夫
放置していたのを再開。某所で「ゴキブリ小説」が話題になる→北杜夫「高みの見物」を紹介→放置を思い出す→今ここ。
青年茂吉等で見られた堅さがとれ、北杜夫らしい文章になってきた気がする。そして、そうしたことを喜んでいる自分は、実は昔から北杜夫ファンなのだなあ、と思い返す。思えば、両親が買って手元に置き続けた少数の本が北杜夫であったし、それを勝手に読んだ記憶もある。「船乗りクプクプのぼうけん」もあれば「どくとるマンボウ航海記」「高みの見物」「白きたおやかな峰」もあった。
疎開時代の茂吉は相変わらずの独善的愛嬌があるのだが、北杜夫的ユーモアがここに通じていると思うと、北杜夫ファンとしては、この書を読んで良かったと思うのである。
どうも茂吉彷徨を未読のまま晩年を読み出していたので、彷徨に戻る。北杜夫らしい、という印象に変わりはなく、それを楽しんでいる。茂吉の頑迷さには辟易しつつ。

うろおぼえ一家のおみせや 出口かずみ
素晴らしい「うろおぼえ一家」シリーズ最新作。
本当に素晴らしいうろ覚えが続出・頻出・噴出。これ比べれば、私の少々の物忘れくらい無問題!と思えるくらいの素晴らしさ。
それでいて話は(何らかのかたちで)きちんと楽しく進んでいく。
出口氏はよくこういう話を作れるものだと感心。
シリーズをすべて買っている。

ペルシア逸話集、ホスローとシーリーンを購入。平凡社東洋文庫。トマトスープ先生のニザーミーの漫画を見たから。
https://x.com/Tsoup2/status/1871190283003838792
楽しみ。ペルシア逸話集で知っていそうなのは、オマル・ハイヤームだけかな?

紀伊國屋書店サイトの在庫検索に「基隆」と入れると、なぜか「スコット」の文字が題名に入った書籍が返ってくる。
「スコット探検隊」「リドリー・スコット」「スコットランド」「マスコット」。台湾関係の書物も返ってくるのだが。
問題はないが、不思議ではある。
和書で「基隆」セイフサーチだと全3292件
和書で「スコット」セイフサーチだと全5917件
よってして、「スコット」がすべて「基隆」に当たっているわけでもない。。。

ジョン・アレンのG&D鉄道写真集を買った。ネットオークションで多少競ったものの、安価と言って良い価格。
なにせ高価だったのでなかなかまとまった写真を見ることができなかった。
Gorre & Daphetid で検索すると日本語Wikipediaにも立項されているし、動画にも行き着く。凄い時代だ。
私以上にアウトプットの多い方に見て頂くべき本だとは思うが、私自身子供の頃から見たかったGDということで興奮して落札してしまった。多謝。

J Train DD54特集をしぶとく読んでいる。私がいいと思う写真は西尾克三郎氏撮影が多い。
いわゆる形式写真の類であって、側線などに機関車が佇んでいるだけで、特段活気が感じられるはずもない写真なのだが、何か量感を始めとする機関車の良さが伝わってくる写真である。
鉄道員の写真でも、作業中の写真も良いが、作業の合間にある種の記念写真として撮ると、作業の活気はありつつも、長く残るであろう写真に撮られる緊張やはにかみがあってそうした複合的な良さが出たりするのであるけれど、機関車にもそういうのがあるように感じられる。
(他の写真がアカンと言っているわけではまったくないが、おそらくは子供の頃から見慣れている写真の系譜に連なる西尾写真に惹きつけられるのであろう、ということ)。

●雑感
La Musica Collana 演奏会(2025/1/8)
ぜんぶ知らない作曲家の知らない曲だった。活き活きとしたいい音・いい歌い口・いいアンサンブルで聴くとみんないい曲。
ついでに、私、カデンツァ全般を好まなかったけれど、いい音でその人の持ち味のあるカデンツァならいつまでも聴いていたいと思った。
ピリオド楽器の団体だが、ピリオドのためのピリオドではない(そういう学究的なのも時には面白いが)。

東映映画「二発目は地獄行きだぜ」1960年
最初は、高倉健(キッドの謙)が主人公かと思ってしまうが、若い高倉はまだ脇役。片岡千恵蔵(月の輪熊次)が主人公。
どうやらシリーズもの(物語としての関連性はない)で、進藤英太郎が半悪役というのも相場が決まっている模様。
あんまり変装しない多羅尾伴内くらいの昔の娯楽作らしいゆるい作りだが、セリフ周りなどが格好良く面白い。
新年初めて見る映画がこれというのも、ちょいと面白い。
題名の意味はあまり良くわからない。「自分は一発目を先に撃つような者ではないが、お前が一発目を撃つならば自分は撃ち返すし、その二発目は必ずお前を地獄送りにする。お前らごとき悪者の一発目が愛と正義の使徒である自分に命中するはずはない。」とまあこんな意味なのであろう。決め台詞を解説するの愚を犯してしまった。

我が家のチャーハンは真っ黒い「ソースチャーハン」だった。
父が作る時は、具はキャベツだけ。フライパンから直接食べたりした。
父が台所から鍋敷きとともにフライパンを持ってくる。「おい、スプーンを(人数分)持ってこい」と。
世の中のチャーハンが白いのを「何か変だな」あるいは「そういうものもあっていいよね」「中華だから仕方がない」などと思っていた。

白ご飯、キャベツ、ソース、(お好みで胡椒)だけでできて、なかなか美味しいので、お試しあれ。
肉類や他の野菜を入れても良いが、キャベツの甘みとソースの味わいを楽しむのがよいので、キャベツは相当程度火を通すをもって良しとする云々と愚考する。
なお、スーパーマーケットで売っている焼きそば用の蒸し麺についてくる粉ソースが余っているなら、あれで作るのが簡単である。

貰い物のカレンダーは、どれも「日曜〜土曜」形式だ。土曜・日曜の休みで色々組み立てを考えるのだから、土曜と日曜を並べるのが「ふつう」だと強硬に主張したい。カレンダーは「月曜〜日曜」形式にすべき。
と、思ったけれど、Googleカレンダーなどのデジタルカレンダーには、両形式を選択できるのがふつうだろう。ということは、システム側では、どの形式がよく使われているかのデータがあるということだ。見たい。

眼鏡を変えたい。私に丸眼鏡はとてつもなく似合う。まるで大正時代のご先祖様が蘇ったように似合う。だが、視野が狭まるので不可。いつものウェリントンorボストンだろうなあ。ともあれ、近眼と老眼があわさって眼鏡不要な距離もあったりする。難しい。

スイスのお気に入りの電車(青白塗装)。すぐ忘れるのでメモ。
Leuk–Leukerbad-Bahn ABFe 4/4
https://www.triebzug.ch/tpcasd.php
https://www.rail-pictures.com/bild/switzerland~heritage-railways-and-museums~blonay-chamby-bc/50346/the-llb-abfe-24-n176-10.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%AF-%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E9%89%84%E9%81%93ABDeh4/4%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A

年末年始の暇に古いスピーカー(Tannnoy Mercury M2)を使ってみる。
ピアノはソフトペダルを踏みっぱなしみたいに、ヴァイオリンは弱音器をつけたように聴こえる。女声はそれなりに聴こえるのだが。
フルレンジはそれなりに生きているが、ツィターが耄碌してきたのだろう。あるいはネットワーク回路のコンデンサーが抜けてきたか。もう30年近くになるのだね。Wharfedaleの方は、一度コンデンサー替えているからな。。。

並行して年末年始は真空管アンプ(Tu-870)を使ってみる。 なかなかいい音がするのだよね。ふだん使っているデジタルアンプは、音量音域に関わらず歪みなく平板だが少し曇りガラスの音がする。真空管アンプは色々な部分で大いに歪んでいるが美しい色が見える。そんな感じ。まあ、あくまでも少数例による「卑見」に過ぎないが。
しかし、我が家のデジタルアンプだと音像が見えないが、真空管アンプ(安物)は、弦楽四重奏の4本の楽器の位置が明確だ。うーん。真空管アンプを常用というのはちょっとなあ。環境に優しくないのもひとつ。また、消耗品である真空管が値上がりしているのでお財布に優しくない。

と思って、TA2020-020キット(若松通商)のデジタルアンプに戻そうとしたら音が出ない。むむ。
結局同じTA2020-020で作られたRSDA202を使っている。が、これはキットより音が良いようだ。何故に?
RSDA202に替えた最初はちょっと音色が悪かったが、だんだんに慣れたようだ。これくらいの音が出れば充分な気がする。
キットの方はおそらく電源側の問題と思っているが、直さねば(このキットは2台作っている)。ついでに、コンデンサなど交換して、せめてRSDA202に負けない音質にしたいものだ。。。

伝説のアンプ「クリスキット」のことを、久しぶりに調べる。 テムズ氏(https://www.haruka-tm.jp/index.html)と、らかす氏(http://racas2.com/)を若干混同していたことに気づく。まあ、例によって大きな問題はない。なお、お名前は勝手に私がつけた。これで混同の恐れがない。
お二人の語る桝谷氏(クリスキット主宰者)像が同じ、語られる言葉、語り口が同じなので、混同していた。まあ、同一人物を描いている以上同じないし類似して当然なのだが、それにしても桝谷氏の言動にブレがないのでもあろう。
また、お二人とも桝谷氏の「弟子」とも言える合理性を身に着けておられ、それぞれ社会の非合理性(反合理性)に疑問を呈して生きておられる点も似ていると私は感じる。
後者は新聞社におられた方のようだ。新聞の凋落を内部から語っている。私は昨年12/31で長年の新聞購読を止めたけれど、外からでも、「まともに取材し、分析した記事は皆無だ」と感じる程度には凋落している。
私も人並みにジャーナリズムに憧れたことがあるけれど、これらの文章を読む限り、まあふつうの日本の大企業のひとつ、だろう。
電機メーカーも自動車メーカーも凋落が明らかになったり囁かれたりしていうが、無批判無思考が社会全体の趨勢なのだろう。
昔々、大企業出身の上司から、私に対し「あなたは大企業では三日保たない(三日以内に怒って辞める)」と指摘されたことがある。まあ、そういう人間の自覚が今はあるし、そういう意味でもこうした大企業に入らずに済んだのは人生の幸運だろう。

ちなみに、私の考えとして「究極のオーディオシステム一式」を揃える気はない。オーケストラひとつをとっても発音原理が異なる様々な楽器があり、その音をすべて的確に再現できるシステムの構築は困難だろうし、また、人間は同じ環境にあると感性が鈍化していくので、「究極」が移ろうて行くと考えている。よってして、複数のシステムを聴いて、そこでの差異検出を楽しむのが良いように思う。まあ、白飯・冷奴のように「飽きない味」を求めるのもそれはそれで面白そうだけれど。

お正月の朝、日本酒を飲んだら常にないほど酔って驚いた。翌日夕刻飲むと平常どおりの酔い。
確かに食事からの時間が朝のほうが長い。単に「空腹だと酔う」という既知の事象を確認しただけだった。
少々深刻な事態を想像してしまったので、お気楽な結果になり安心。

「孤独のグルメ」にアキラ100%氏が出演していた。この方の明るさには癒やされる。ドラマ内でも「アキラ」「100%」のセリフが出てきている。というセリフを書く脚本家の配慮に相応しいアキラ氏の演技がよかった。

シェヘラザード
https://www.youtube.com/watch?v=LNwXxIm-7jI&t=1s
なんども聴いているポーランドの学生オーケストラ。オーケストラの「ひとつの生き物としての機能」について大変考えさせられる。 個々の奏者は優秀で音も綺麗、音程も良い。でも、なにかごしゃごしゃ・もごもごしていて「オーケストラの音」にはなりきっていないと感じる。どうしたら「オーケストラの音」が出るのか。面白い。

昨年(積年)の反省として、初めて組む奏者とあまり難しい曲を合わせるべきではないと思う。
あったり前ではあるのだが、つい魔が差すことが多いので改めて文字にしてみた。
色々な曲を弾きたいというのは自然な感情だけれど、我々は困難に陥って悲しむことを目指しているのではないので、少しずつステップアップするということも大切だと思う。

ベーム指揮,ウィーンフィルのブルックナー交響曲第8番のCDの音質が気に入らないが、ネットで見るとSHM-SACD版(GRAMMOPHON UCGG-9023)も同じ音質とのこと。残念。

フランス王アンリ一世の二番目の妻アンヌ・ド・キエフはウクライナ出身とのこと。フランス王家にウクライナの血が入っていたとは知らなんだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%83%8A
当時はキーウの方が先進的で、パリはみすぼらしかった・・・なども面白い。

「布団キック」は、最近の韓国語でその日にあった恥ずかしいことを寝る前に思い出すことをいう、らしい。
とてもおもしろい。
中国語の「事後孔明」(もともとは「事後諸葛亮」)も好き。下司の知恵は後からの類だね。

「第二次大戦のシュベイク」(ベルトルト・ブレヒト)なんてものがある。大滝秀治がシュベイク役。
https://db.epad.jp/s/3787
戯曲を読んでみたいが、ちょいと手に入るものでもなさそう。
(探した経緯:1.Twitterでオルタネイトチェロ奏者成田七海氏を知った。2.彼女のアイルランド音楽のライブを聴きに行こうと思った。3.ライブにバロウン奏者が参加すると知った。3.兵士シュベイクにバウロンという登場人物がいた事を思い出した。4.バウロンでネット検索した。5.その結果、多くは現存のガラス工芸家を指し、2番めに「兵士シュベイク」が当たるが、その検索結果に劇団民芸による「第二次大戦のシュベイク」の配役表も含まれていた。なかなか長い連想の繋がり。小栗蟲太郎の小説のようだ。)
「ブレヒト戯曲全集 (6)」として未来社から刊行(1999/6/1)されているね。うむむ。
ニザーミーの「ホスローとシーリーン」「ペルシア逸話集」を買ったばかりだからなあ。

指揮者 城谷正博氏
http://www.shinkyo.com/concert/p268-2.html
昔々、佐藤功太郎氏に指揮をお願いした際、下振りとして来て下さったことがある(ような気がする)。その後もご活躍とのことで喜ばしい。
アマチュア団体の指揮が面白いのかどうかはわからないが、音楽界の裾野として、若手の実技の機会としては有用な部分があるかも知れないと思った。

私が学生だった頃、愛知県立芸術大学の指揮科の大学院生にトレーナーとして来て頂いていた。ある時、「指揮科の学生でも、滅多にオーケストラを指揮する機会がない。ついては、彼らに機会を与えてはくれまいか」というお話を頂いた。で、我々としてはどうせ通し演奏の練習などするのだから、それを振ってもらえば別に無駄でもあるまいと、数人の学生さんに来てもらったことがある。
結局のところ、「練習」以前の「通し」を振ってもらい、相応には「通った」のだが、彼ら自身は思ったようにオーケストラドライブが出来なかったらしく、見るからに意気消沈してお帰りになった。
きちんと指揮棒に反応できなかった我々オーケストラがアカンということもあろうけれど、指揮棒一本振っただけでオーケストラがちょいとついて来るという幻想をきちんと打ち砕いて挙げた・・・と思うべきなのかも知れない。大学院生から明確にそう言っていただいたわけではないが、大いなる感謝を示して頂いたので、今になってそう推察するのである。
(なお、これは、二十世紀のお話なので、現在に当てはめて良いのかはわからない。)
この「大学院生」はふつうに指揮し、我々をトレーニングしていたので、音楽科の学生はそれくらいできるものだと思っていたけれど、どうやらそうでもない、と気づいた瞬間でもあった。この有能な「大学院生」氏は今もミュージカルでご活躍。メロディーラインを美しく描くセンスの良い方だったので、ミュージカル界でのご活躍は大変嬉しい。

垂直カルダン駆動。並行でも直角でもない第三のカルダン駆動。
https://hibiki.sinfo-t.jp/100th/story_railroad.html
どないなこっちゃと思うのだが、上記URLの写真を見るとはじめて納得される。

エンダーのゲームは中国語で安德的游戏(安徳の遊戯)なのね。安徳天皇(平家物語)を思い出しておどろく。が、若い人の不幸を思うと通じるものが少しありそうと思うたり。

孫文護衛の映画で「Kidnap in London」なる本が問題になっており、なんだこれと疑問に感じていた。
調べると孫文の著書『倫敦被難記』らしい。kidnap というと、児童誘拐と思いがちな私。「kid」が入っているからね。
映画は主演の大人(たいじん)振りがとても格好良いものの、(大変失礼ながら)アクションシーンを撮影するために孫文を引き合いにしているだけで、いささか中途半端であると感じた。まあ、カンフーのアクションを私は大変好むのだが、人の生き死にに関わり、政治に関わる大事としてみると不安になる。

国語辞典で「隠逸」について調べると、隣に同音の「淫佚」がある。意味が極端に異なる。
「隠逸」はなかなか好みにあう言葉だが、「自分はインイツを旨としている」などと発言して後者だと思われると大変よろしくない。
気をつけよう。
さすが、新明解第三版。「真冥界」というのもなかなか凄い変換だ。大陸書房っぽい。

Ditta Rohmann女史のCD。こういうタイプの演奏家写真は珍しい。空駆けるチェロ奏者?
https://www.hungarotonmusic.com/en/albums/9951-kodaly-kurtag-ligeti-eotvos-dukay-cello-works-solo-cello-portrait?category=643

ローラーコースター?も珍しい。
https://www.hungarotonmusic.com/en/artists/2118-rohmann-ditta

だが、そもそもフンガロトンのページを見たのはペレーニのCDを見たかったから。
https://www.hungarotonmusic.com/en/artists/20612-perenyi-miklos

能登で一年遅れの成人式のニュース。
美容院で前髪を気にしているお嬢さん。たいへん微笑ましい。お嬢さんが前髪を気にしていられる平和が続くことを祈る。
(我が国の政治家諸氏は万民の平安を考えて行動されているのだろうか?)

成人式。行ったといえば行ったし、行かないと言えば行っていない。
成人式当日、特段式に行く必要性も面白みも感じなかったので、家にいた。友人が行かないか?と誘いに来たので、行くことにした。
会場である小学校の講堂に行くとすでに式は始まっているようだった。面白くもなさそうな講話をちょっと外から覗いて、面倒だから昔遊んだ運動場を歩いてみた。式が終わって講堂から出てきた人々に知った顔を見つけ、何人かと挨拶を交わしてから帰宅した。
これを成人式に行ったというのか、行かなかったというのか。
なお、服装はふだん来ていたコーデュロイのジャケットだった。ジャンパーで行こうとして母に悲しそうな顔をされた記憶がある。

今月の誤字
 「法人作曲家」。おそらく「邦人作曲家」だろう。でも、法人作曲家があっても良いかも知れない。
 漫画の「さいとうたかおプロ」みたいなの。

 「粘菅目昆虫の細胞培養」
 「粘管目昆虫の細胞培養」 「管(くだ)」が「菅(すげ)」になっている。
落語家立川小春志氏のWikipedia。まあ、間違っているのも落語家らしいから良いや(すまん。無責任で)。

極めてどうでも良いことであるが、大阪市立東洋陶磁美術館 館長は出川哲朗氏。
お笑い芸人さんと同姓同名なようだ。
高野秀行氏ら(将棋指しと探検家)のように対談してほしい。

庭の木が茂りすぎたので、大枝を切り倒した。
街灯を覆っているとちょと夜道が暗いだろう。
作業していると道行く人やご近所が声をかけてくださる。
この後、家族総出で片付け。片付けのほうが大変。
充実した一日だったが全身痛い。

大枝を切り倒したところで、ご近所が電動鋸を貸してくださる。感謝。
体を動かしたおかげで食べ物・飲み物が異様にウマい。
お昼ご飯のマフィンに塗ったバター、休憩時のりんごジュースはふだんの五倍ウマい。脳が痺れるようだ。

「ノコギリ体験300円」の商売も考えたが大人の常識として止めておいた。
たしか、ハックルベリー・フィンにペンキ塗り商売の話があったように記憶する。

大枝を倒した際、枝葉が当たって眼鏡が飛んだが、壊れなかった。
以前、月桂樹の上から眼鏡を落とし、一ヶ月見つからなかったことがある。が、見つかった時、少々汚れていたものの、洗えば無問題であった。
不撓不屈の眼鏡。

とは言え、こんな大枝(幹)を素人がいい加減な道具で切り倒すのは危険なのである。
どんな危険があるかあまり想像できないのだが、そのこと自体が危険なのである。
まあ、植木屋さんに頼むにも相応のお金がかかるようなので、ある程度自分でやることは考えたいのだが。。。
高枝用電鋸を買いたいが、その前に、洗濯機、掃除機(ロボット?)、パン焼き機等必要品が目白押し。

NHKドキュメンタリー「72時間」が好きでよく見る。
詰まらない脚本・詰まらない演技を超えたなにかがある。
別府温泉の「貸間」は、長寿老人、病気でおそらくは余命を数えている夫婦、病気から戻ってきた男(そして見知らぬ人を交えた宴会)、貸間で結婚を申し込んだ夫婦ものと、『生きる』諸断面を構成する結果となった。編集の妙もあるけれど、湯治場とは昔からそういう場ではあるようにも思う。
(海辺のお墓は前に見たので飛ばす。)
安いガソリンスタンドも良い。「安い」のは地域全体でも同様らしいので、安いことよりも、深夜・早朝に取材していることで、ふだん(勤め人であるような私が)あまり見かけない人々を映し出しているように感じる。
高野山に雲海を見に行くご家族。交通事故死されたお子さんを偲んでの高野山行きとのこと。お子さんを亡くされた悲しみを思うと、思わず手を合わせる。

世田谷美術館「東急 暮らしと街の文化――100年の時を拓く」をちらりと覗く。
まあ、真面目なまともな催しなので、『ゴートー慶太』なんて下世話な言葉は見られないようだった。
ともあれ、五島慶太氏の書が見られたのは面白かった。素人目にはなかなかの能筆。書画骨董を集めていただけのことはある。
1970年代らしい動画に見入る方々も多く、沿線ならではの催しと思わせるものだった。
長年の鉄道ファン・鉄道史ファンとしては、言わずもがなの情報も多いが、「実物」などを見せてもらえるのは嬉しい。また、田園都市を始めとする東京郊外に「文化人」が多く住んでいたことなども面白い。これら文化的な家々は、私の子供時代の「素敵な住宅」であったりするのが懐かしい。
亡父は、百貨店にアルバイトしていた時分、「グッドデザインコーナー」関係のお使いで岡本太郎氏のお宅に訪れたことがあるというが、さてどの家だったのだろうか。

女優原田知世氏主演の映画「私をスキーに連れてって」(1987年)の舞台は『安宅物産』なのね。
で、『安宅産業』が潰れた(吸収合併になった)時期を見ると1977年。もちろん、わかっていてこの名を使ったのだろうけれど、誰のどういう意図であるのかが、まったく想像できない。
安宅産業の破綻については、Wikipedia等に詳しい。勤め人はいちど読んでおいた方が良いと思う。
個人的には、昔いた会社の実質的な創業者が安宅出身だったので、そういう興味もある。また、立原正秋氏の小説でも安宅をモデルとしたものがあり、昔々読んだ記憶がある(「春の鐘」)。
Wikipedia「安宅産業」に映画「私をスキーに連れてって」へのリンクとともに実在の商社「アタカコーポレーション」のページへのリンクもある。アタカは安宅産業の流れを組み、1990年創業とのこと。

ナポレオン時代に行われていた「腕木通信」について調べる過程で、シャルル=ルイ・アヴァスの通信社について知る。今なお通信社として知られるロイターもここから発祥したとは。

ナポレオン麾下の元帥のうちでも有能で知られたダヴーの子孫は日本人女性と結婚しているのね。なかなか驚く。

柿胃石。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jnms1923/19/3/19_3_452/_pdf
柿の食べすぎなどで起こる病気(?)。びつくり。ただし、体質・既往症など複合的な原因で生じるらしくもあり、詳細不明とか。
この論文は、N=2で書かれている。ふつうの自然科学ではN=2では論文が書けない(査読を通らない)が、医学に関しては「症例研究」みたいなのがあるらしい。そらまあ、命がかかっているし、お医者さんはたくさんいるから、こうして早め早めに情報共有することは大変意義深いよね、と思う。

指揮者ヘレヴェッヘへのインタビューを日本語訳して下さった方がいる。
そうか、フランドル人はポリフォニーに興味があるのか(少々早とちり)。
http://classic.music.coocan.jp/cond/org/herreweghe-int.htm
バロック演奏のリズミックについての言及も興味深い。
たしかに、ヘレヴェッヘのバッハは滑らかで、特に重唱が美しい。

そう言えば、昨年秋冬頃、東京大学での「ファッション」関係の講義だかが話題になっていた。まあそれはそれで良いが、東京大学たるもの、世界平和であるとか、日本の生存戦略であるとかをもっと考えて頂きたいものである。なんとなう、東京大学出身者から利己主義が香ってくるように思われることがしばしばある。誠に残念。

「WDRファンクハウス管弦楽団」なる語を見かけたが「WDR放送管弦楽団」だった。「放送」くらい訳して欲しい(自動翻訳だろうけど)。
WDRは西部ドイツ放送。演奏録音(録画)のネット公開に積極的なのでありがたい。
ウテ・レンパーさんの一人舞台。ウテ・レンパーさんは、昔、ロッテ・レーニャさんと名前を並べているのを見たことがあるので、ものすごく昔の人だと思っていた。失礼ながらご存命とは知らなんだ。
https://www.youtube.com/watch?v=GkpWgiJQnHM&t=391s
チェロの独奏も素敵(15分30秒)。
それを聴きながら微笑んでいるヴィオラの東洋人女性はMari Fukazawaさん。その前の方も東洋人ぽいがホームページにはお名前がない。

神戸の震災からもうそんなに経つのか。
当時、北海道在住でもあり、朝からテレビを見る習慣もなかったので、話を聞いたのは、職場近くの交差点だった。
信号待ちをしていると、後ろから来た同僚に「神戸の地震、知っている?」と聞かれた。
(当時はインターネットも一般的でなく、携帯電話すら持っていなかった)。
職場のとある部署では、業務上の必要があり全放送局のテレビ画面を写し出しているのを知っていたので、それを見に行った。
すると、10台ほど積み上げてあるテレビ(当時テレビはブラウン管式しかなかった)のすべてが「燃えて」いた。
長田の火災、高速道路の倒壊を知っただけでも驚いてめまいがする思いだった。
職場に神戸出身者がいたが、本当に顔色が悪かった。ご実家と連絡がつかないということで当然である。

仕事が終わり帰宅し、新聞・テレビを見つつ、パソコン通信(Nifty)に接続した(当時はアナログ電話経由で接続。おそらく9600bpsもあれば良い方)。
神戸大学からインターネットで状況を発信している方がおられ、それをパソコン通信に転載している方がおられた(発信者も拡散を望まれた由)。
Macintosh(Color Classic II)の画面上に一文字ずつ現れてゆく現地の状況を見て震撼した北海道の冬が忘れがたい。

そう言えば、神戸ご出身の方から聞いた話を思い出した。
「親父が国鉄鷹取工場に技術者として勤務していた。工場で蒸気機関車の図面を廃棄するというので貰い受けて神戸の自宅に保管していた。震災後の火災で皆燃えてなくなった」。
もしかすると、いわゆる国鉄制式機だけでなく、「弁慶」などの復元にも関係していたのではないか、と後々思ったが、もはや確かめる術もない。

40年来のチェロ友人と合奏参加。覗きに来た方に「一緒にやる?」と誘うと「ふたりがラブラブ過ぎて中に入れない」。
なるほど。そうかも知れぬ。
類例として、大人になって、幼馴染と一緒にオーケストラに参加して、飲み会などで驚かれたことがある。
「互いの物言いに遠慮がなさすぎる」
確かに「バカじゃないの」くらい言っているかも知れないし、そんなこと大人同士でふつうは言わないよね。
親戚・家族の類に近いと言われればそのとおり。
でまた、親戚ではないが、永年つきあっていて親戚みたいになったそういう人たちというのがあるのは大変大変ありがたいことである。
(親戚のお葬式でそういう方が来てくださると、私は嬉しく感じる)。

玉屋柳勢氏のその後を調べる。
神田連雀亭で見た二つ目のうちでも、最高に面白かった柳亭市楽が真打ちになった際、玉屋柳勢を襲名したとは調べて知っていたが、その後それきりになっていた。
ホームページにある言葉「不器用な自分が『本物』になろうと思ったら『本物』に習わなくてはなれない、と思ったからです。」は良い言葉だなあ。
たしか、連雀亭で噺以前の説明ですでにお客さんを笑わせていたし、その際、落語の知識がなければ笑えないようなところでも「こんなところで笑っている方はすでに落語漬けになっているので、ロクなもんじゃない」と笑えない人を救ったり、実に大したものだった。こういう大きな心を持った方に笑わせてもらいたいと思うのだ。
福島までこの方を聞きに行くのもよいかも知れない。
連雀亭で聞いたのが2019年。確かにその後個人的にも様々なドタバタがあった。落語家を追い続けられなかったのも仕方がない(と自らを顧みて無くもがなの言い訳)。
柳勢氏、『円紫さんとわたし』を読んで落語家を志されたのね。このシリーズは「ひたむきさ」をうちに秘めた人々が登場されるものであって、いかにも真面目でひたむきな柳勢氏に似つかわしい。私も好きなシリーズであり、こうしてつながることが(私は無関係な人間なのだが)とても嬉しい。

昔、家にあったビーチャム指揮のフランクの交響曲。フランス国立放送交響楽団。これか。
https://www.discogs.com/release/16712811-Sir-Thomas-Beecham-Franck-Orchestre-National-De-La-Radiodiffusion-Fran%C3%A7aise-Symphony-in-D-Minor

昔々、大学オーケストラにいた頃、OBから「使っていないチェロがあるから進呈する」と言われ、OBの勤務先に楽器を取りにいったことがある。
それから何十年後、出張で名古屋城の近くを通った。「この広い交差点に見覚えがある」と思いきや、この「勤務先」が目の前にあった。
現在の名古屋医療センター。当時は国立名古屋病院。
旧名「国立名古屋病院」を調べるためにWikipediaを読んだが、その昔、陸軍が名古屋城内にあり、隣接する家老の屋敷後に陸軍病院を作った、その後身なのね。
道理で名古屋城近くにあるわけだ。
我々が生きている世の中が江戸や明治と繋がっていることをよくよく感じることができた。
さて、あの楽器は大学オーケストラの若手に使ってもらっていたが、その後どうなったのだろう。
(送り主に礼状を出せ、演奏会に招待せよなどと言ってみたものの、その後どうなったことやら)。
まあ、私が使っていた7/8の楽器も、名古屋市立向陽高校の弦楽合奏部に貸し出して、その後行方不明と聞く。(向陽OGが調べてくれたことがあるが、行方不明という結果が返ってきた。どこかで元気にしているとありがたいのだが・・・)。

ブラームスのクラリネット五重奏曲のヴィオラ演奏版を探していてみつけた。
https://www.youtube.com/watch?v=PjQifgZL23U
なんというか「反室内楽」と感じる。「非」でも「無」でもなく、「反」。たいへん興味深くはあるのだが。。。
これよりは、たとえばバルビローリが指揮したウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が演奏するブラームスの交響曲第三番の方が、「室内楽」だよね、と感じる。

「田舎でも自転車だけでじゅうぶん暮らせる」論(愚論)をネットで見かける。
私が札幌で暮らし始めた際、札幌を「田舎」だと感じた。当時、札幌には弦楽器専門店がなかったことが一つの典型だろう。
複数の楽器店があったが、どの店も、ピアノもピアニカもヴァイオリンもバラライカも商っているイメージであって、ヴァイオリン3台にチェロ1台を並べてあるが、とても弦楽器の知識のある店員がいるとは言えなかった。
(積雪・凍結を除外すれば)札幌ならば自転車で暮らせるかも知れぬ。でも、積雪・凍結を考えると無理筋だね。

一方、北海道の地元民に言わせれば、札幌は「都会も都会、物凄い大都会」であると言う。何故と問うとあまり要領を得た答えは返って来なかった。例えば以下のごとし。
 札幌には地下鉄が走っている。
 知らない人が住んでいる(田舎はみんな顔見知り)。
でもって、自分が道東に行った際、自動車で走っていると本当に「ぽつんと一軒家」を見かけた。自動車で相応の速度で走ってさえ、隣家と30分以上もあるような家。冬、雪に閉ざされたらどのように生きていくのか心配になる家。そんなのがちょいちょいある。
こういう家は相当程度大きいし、自立して生活できるよう、燃料その他の貯蔵にも充分意が払われているようだった(当然である)。
こういう家を見た時、しみじみと「札幌は都会である」という意味が腑に落ちたように思う。
こういう田舎で自転車で暮らせというのは、積雪があることと合わせて完全に無理筋だろう。
さて、今様に言えばテレビ番組「ぽつんと一軒家」(テレビ東京だと思ったら朝日放送だった)や「ドキュメント72時間」(NHK)の積雪地の回を見れば、「田舎でも自転車だけで・・・」と言えないことがわかるかも、と自分は思う。

「比較で読みとく スラヴ語のしくみ」を読んではみたい。が、お値段も相応だ。
いい加減な多言語愛好者である私。おそらくは読み通せないような私が買って良い本だろうか。
youtubeで、スラブ語話者が集まって「各国のスラブ語がどの程度理解されうるか」を試みる動画があった。あれは楽しかったので、その延長でで考える私。

『「Yahoo! BB ADSL」が2024年3月31日をもって、22年間の歴史に幕を下ろした』とのこと。
昔、YahooBBのADSLサービスに申し込んだが接続できず、問い合わせ窓口にメールを書いた。
返答ないまま3ヶ月ほど経過したので、解約。解約後1ヶ月ほど経ってから「解約しているのに問い合わせするな」とメールが来た。
問い合わせが解約以前であることを知らせたら沈黙。お詫びの一言もなかった。あれはあれでひどい商売だった。
勢い任せのベンチャー企業ってば良いところだけ宣伝してアカンところはなかったことにするのね、と感じた。

雑誌「鉄道ジャーナル」休刊とのこと。あまり読んだことがない雑誌。
鉄道模型趣味、鉄道ピクトリアルが自分の「本道」。本道ですら毎月購読をしたことがない。
思えば母の教育「できるだけ固定費を作るな」は、現在のネットにおける「解約しづらい問題」を看破している。
雑誌に関しても、「結果的に12ヶ月買っても良いが、個々の紙面を見た上で判断せよ」は、子供のお金の使い方として正しいように思う。

チェロ椅子
https://ameblo.jp/iphone-fan/entry-12759614298.html
2022年に書かれたこのページのamazonでは、2,200〜2,387円となっているが、リンク先に飛ぶと4,828円。
諸物価が倍になっている証拠のひとつ。
物価上昇に対し政権が安穏としているように感じるが、そんなものなのか?

と調べたりしたのは、我が家でする室内楽練習用。結局、IKEAで椅子を買った。
PINNTORP ピントルプ(4,000円)が安くて良いなと思ったが、よくよく見ると、ÖSTANÖ オスタノ(2,000円)はさらに安い。
通販だと送料がかかるが、椅子4本・往復の電車代と思うとさほど高い送料ではない。本当であれば、椅子は座り心地を試して買うべきだと思うけれど、まあ安いし買ってやれと思って買ってみた。
宣伝文句としては「心地よくて頑丈なチェア。金属フレームに柔らかなシート、快適な背もたれ、カーブした形が特徴です。 モダンな印象の、飽きの来ないこじんまりとしたデザインは場所をあまりとりません。しかも、驚くほどお手ごろ!」とのこと。
大体において正解だったと思う。高さ・座り心地・堅牢性など楽器練習にはよさそう。組み立ても簡単であり、重くもないのは利点。
(最低な椅子は、前下りで、前後左右の中央が凹んでいて尻が挟まり腿にパイプがあたる椅子。さらに低すぎたり音がしたり。。。)
耐久性はわからないが、我が家でそんなに頻繁には練習しないので、さほど問題になることはないだろう。おそらく、床との接点がプラスチックなので、いずれ割れるだろうけれど、その頃には、布の座面がボロくなって買い替え時になっていそうだ。バラせばゴミ収集にも出せそう。
積み重ねはおおむね可能。よってして折り畳めはしないが収納的にも悪くはない。
で、IKEAとしては配送・組立はお客が自分でするのが標準。配送を頼むと、サービス関連のアンケートが飛んでくる。このアンケートは、配送と組立の双方について淀みなく聞いてくる。「私は配送だけで組立は頼んでいないのですが・・・」というスキを与えない。さあ、どうやって答えたら良いのか。結局途中で止めた。

数年前、父がグループホームに入居した時、「時々母がホームに行って一緒にお茶を飲んだりするかも知れない」と思い、父の個室に置く机と椅子のセットを探したのだった。IKEAか、無印良品か、ニトリか。結局コロナ禍で家族と言えどもホームには入れず、そうしているうちに母が亡くなり、父が亡くなりして、机も椅子も一場の夢となった。だから、改めて椅子を買ったりする事にはいささか情緒的にならざるを得ない。
そうやって父母を思い出すのもまた供養と思っておこう。

中世欧州を舞台にした映画「冬のライオン」。「風とライオン」(リフ戦争を主題にした映画)でもなければ、「魔女とライオン」(ナルニア国)でもないし、さらには「白いたてがみのライオン」(ヤナーチェクの伝記映画)でもない。済みません、ただそれだけです。

我が家の前を、保育園児たちが歩いてゆく。数人の先生方が歌をうたい、園児たちは歌とも言えぬ不思議な掛け声を各々勝手気ままなリズムで挙げている。
私の中のマーラー先生がおっしゃる「これこそまさにポリフォニーだよ。クレンペラー君」。
素晴らしいポリフォニーにしてポリリズムであった。

4弦のヴィオラ・ダ・ガンバ。ネットの質問コーナーで話題になっていて、「そんなもの本当にあるのだろうか?」と思ったらebayにあった。   https://www.ebay.com/itm/254379722135
河北省衡水市の業者さんらしい。6弦ガンバも売っているが、こうした謎楽器の仲間でないか、なかなかコワい。ネック先端の装飾を女神像にしている商品もあるが、あまり西洋的でないお顔に見える。また、ガンバは背中上方が斜めになっているのが普通と思われるが、ここの製品の一部は斜めになっておらずチェロっぽい。「チェロ風ガンバが存在する」という噂はこれのことだろうか?
また、ガンバを売っているもうひとつの業者IESTA社は、本社はドイツで工場は中国(北京?)。中国の人、ガンバ好きなのかしら?
自分の中のアジア人的感性としては、剛直なチェロの音より、典雅ではんなりとしたガンバの音の方が良いかも、と思う。

タラス・ブーリバ
https://www.youtube.com/watch?v=D3zsZ2XG-1w
相変わらずのヤナーチェク節。冷静なんだか熱しているんだかわからない。
非常に高貴で美しく、でも野蛮で魁夷。何か全体像が見えていない巨大なものの極く一部だけに触れているかのような謎めいた感触がある。

NHKクラシックTV つんく氏の回を見る。なかなか良かった。
つんく氏は「アーティスト」だ、と思った。また、女性を姓で呼ぶのも好感が持てる。
私はカルテット弾きとして、1個の四分音符を見た時、時間・空間の枠組みの中でこの1個にどんな色を塗るか(場合によっては何色に塗り分けるか)を考える。四分音符を十六分に割って演奏するか、もっと鈍重にするか考えることもしばしばある。これらは、つんく氏が歌唱・ダンスに要求していることと同じだ(と勝手に感じた)。
そこまで歌唱やダンスを追い込んでいないと「パンツのゴムが緩い」ことになる。つんく氏の方法によって、パンツがぴちっとジャストサイズに決まる。
今回に限らず、清崎氏も悪くはない(大体においてはとてもいい)のだが「あいりチャン」呼びは『時代遅れのオッサン』に見える。昭和の昔が再現されたみたいだ。

16ビートと直接関係がないけれど、昔、ある市民オーケストラに出してもらった時のことを思い出した。
リハーサルでの演奏はさほど悪くなかったけれど、やはり最後の最後で「パンツのゴムが緩かった」のだろう(私見)。
指揮者横島氏は「皆さんきちんと演奏しているのだが、演奏で埋めなければならない枠のぎりぎりまでしかない。そうではなく枠からはみ出して枠内が完全に埋め尽くされているようにすべき」風のことをおっしゃった(私理解)。
その言い方があまりにもしみじみとしていてオーケストラ諸氏の胸を打つものがあったからか、以降の演奏はキリッと引き締まり、ひときわ格が高くなったように思う。
一言でオーケストラを変える「ことば」についても考えさせられるが、そうした言葉を発するまでの作り込み・タイミングもまた考える必要があるだろう。魔法の言葉はいつでもテキトーに発すれば良いのではない。魔法の言葉は魔法の手順・魔法のタイミングで発した時のみ有効になるのであって、そうでなければ空疎なのだ。そして、横島氏はそうした魔法を体現できる素晴らしい指揮者である、と感じた。
「枠いっぱい」を見切るためには16ビート等のように正確に間合いをとる必要がある。表現は異なるけれど、おそらくは同じ心であると、私は感じる。

NHKに香取慎吾氏が出演しておられる。と知って驚いたのだが、よくよく考えると性犯罪に関わりがあるのは、中居正広氏だった。
お二人の識別が出来ていないことがわかった。
ともあれ、性犯罪をする者らは罰せられるべきと思った。
これまで民放4局の区別がつかないのでフジテレビのチャンネルボタンを押したことがないが、この度はじめて「CMがどうなっているか」を見るために、番号ボタンを押した。

ネットでちらりとみた「立原正秋氏の朝食」。板海苔を炙って、塩と油で食べる。今様の知識でいえば「それは韓国料理である」。昭和に氏の書を読んだ頃、韓国料理のことは何も知らなかった。かろうじて、焼肉とキムチ(当時は朝鮮漬という言葉が書かれていることも多かったと記憶する)だけが知れていた。そしてまた、彼自身は日韓混血を自称していたが、実際には両親とも半島出身者だったと後に知った。そうした事々をすっ飛ばして、板海苔のこの記事を楽しむことは、私にはしにくい。
同じ記事にレバーの生姜煮、ステーキ(塩とタバスコで食べる)なども並んでいるが、これらもまた朝鮮半島出身だった彼の好みを暗示しているのかも知れない。同じように半島出身者が読めば、当時であっても「彼も半島と縁が深いにちがいない」と感じたのだろうか。

片野正巳氏没
30年間鉄道趣味から離れていた間も、『陸蒸気からひかりまで』と『私鉄電車プロファイル』は手に届く書棚にあった。
これら書物から多くの良い夢をみさせてもらった。深く感謝。

Vivid Consort のリコーダー奏者 Sheng-Fang Chiu 氏は台湾ご出身。やはり台湾は「笛」の国であろうか。
他のお二人と違ってうたは歌われないが、笛に関しては一番むつかしいところを楽々と吹いておられるように見える。

ストリンガーズ(Vn+Vcのデュエット。ケルト音楽が主?)のライブに行けなかった。残念。
私は、島根朋史氏、成田七海氏らに興味があり、アラブ音楽入門を読み、なんとか室内楽でクラシック音楽に引っかかっているが、何か日本のふつうの管弦楽団にあまり興味がない・・・のだろうか。自分にはおそらく大きな欠落があるのだが、あまりにも大きい欠落はむしろ気がつくことができない体のものかも知れぬ。(RとLの区別がない我々には、自力ではRとLの区別を発見することができないように)。

いくつかの日本企業に勤務して思ったのは、「人数がある程度増えると、その組織は日本人の統計的平均に近づく」ことであった。日本のオーケストラが日本人の統計的平均に近いのはおそらく真実でもあろうけれど、そうした状況下でプロフェショナルなオーケストラはどうやって商品性を高めるのだろうか。
『地の利』はもちろんあるだろうし、演奏会の企画・選曲などもそうだろう。だが、「音色」とか「演奏様式」といったオーケストラの本質に根ざす部分はどのように制御されているのだろう。まあ、「指揮者として誰を呼ぶか」あるいは「新しい奏者としてどんな人を採用するか」という見えにくくも、制御しにくい部分に依存しているのだろうと愚考するところ。
(いわゆるピリオド系以外で演奏様式を強く打ち出している団体はないだろうなあ)。

弦楽四重奏のレッスンを受ける。
自分自身には強固にして莫大な無知があり、その無知を見過ごして居るような気がしてきた。
レンブラントの「夜警」の塗り絵を買ってきたは良いが、塗るべき色鉛筆が三色しかない。そんな感じ。
とは言え、自分自身が「夜警」を三色であると認識しているならば、そのように塗り分けてもよいだろう(少なくとも、素人が己の楽しみとして塗る限りにおいて)。

一方で「和声理論」は、「物理理論」と違って宇宙普遍なものではない。「こういう響きを皆が良いというんです」というのをある時代・ある地域で切り取ったものであり、ベートーヴェン時代の和声を理論面から切り取ることにいささかの心理的抵抗もないでもない。一方で、人間なんて数百年でそんなに変わらないという発想からは、まあ、音楽理論も少し踏まえておけば良いのでは?と思う。(と言いながら、演奏・練習の中で理論を使いこなすだけの訓練コストは馬鹿にならないなあ・・・まあ「臨時記号は『事件』」「変な響きがあったらどんな音を積んでいるか確認」くらいが現実的であろうか。)

同じ主題の異なる変奏曲。たとえば、ラ・フォリア。変奏を混ぜて演奏することも可能・・・だろうね。面白いか、意味があるかは別だけれど。
以前、「難しい変奏はトバす」というのを思いついた。が、誰も実行していないので、安心する(思いついたわりには)。

西大井をローマ字で書くと Nishi-Oi 。漢字とローマ字の字数がアンバランス。西はローマ字5文字なのに、大と井はそれぞれ一文字。

Den älskande 恋人(スウェーデン語)。シベリウスはRakastava(フィンランド語)の題名を付けているが、恋人ならば、Rakastajaになるらしい。Rakastavaでは「愛する」。むむむ。
ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの「O dulcis electe」の後にこれを流すスウェーデン放送。
その後は、フランシスコ・タレガの「アラビア風奇想曲」
それから、サミュエル・ドゥシュキンの「マリア・テレジア・フォン・パラディスのシチリアーナ」。 Wikipediaを見るとなかなか興味深い。パラディスもドゥシュキンも始めてその名を見る。

「クレージーの大冒険」日本各地の有様が懐かしい。蒸気機関車が走っているのは東野鉄道だろうか? 六角形の金属的な廊下から脱出するのは、スターウォーズのネタ元か?

今年、どこに旅行に行こうか?
行ったことがない都道府県?
 徳島県、愛媛県、佐賀県、大分県、宮崎県、沖縄県は行ったことがない。
 山口県、広島県、鳥取県は宿泊したことがない。
 鹿児島県は奄美大島のみで内地は行ったことがない。
 熊本県訪問は幼い頃で記憶がない。
離島?
 行ったことがあるのは、奄美大島、伊豆大島、直島くらい。  名前が浮かぶのは、対馬、隠岐、五島、江田島、小豆島、淡路島、佐渡ヶ島、八丈島、利尻、礼文、奥尻・・・。 海外?
 台湾、フィンランド?
それとも昔行ったきりの場所や、近くを通っただけの場所?
 知多半島、渥美半島。飯田線沿線、滋賀、金沢・高岡?
一日、田舎を電車かバスに揺られて、その隙間で知らない町を少々うろつけば良いので、どこに行っても同じといえば同じ。以前行った八木・新宮のバスもそうだし、東京・名古屋の移動に二俣線を入れるのも同じ。

庄田耕峯の新版画なかなか良い。覚えておこう。
まあ、新版画は「わかりやすさ」が結構はっきりしていて、それがため情緒に不足すると思うこともあるけれど。

» Continue reading

| | Comments (0)

«2024年の記録