今週の戯れ歌

いま一度あの人のピアノで歌いたきは「行こうふたたび」憧れに担われて

あのひとの我を見つめる眼差しの未だ夢に見ゆ万日を超え

夢だにもあのひとの我が前に唯あれば我が生涯の少し意味あり

我が記憶忘れずにあれあのひとの瞳の奥の謎の輝き

寂しかる日々にありては夢に見るあの女性(ひと)の眼差し我を慰む

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読書の記録(2018年1月)

アーロン収容所 会田裕次
古書店で購入。快い読書でないに決まっているが、やはり読んでよかった。この時代のこの人でなければ持ち得ない視点を提供してくれる。昨年の「忘れられた日本人」に続く、読まざるべからずの書である。
敵味方の憎しみについていえば、大勢ではないとはいえ、英兵の「私の友人は誇り高い日本の侍と戦って死んでいったのであって、日本人が誇りをもって戦っていなかったというのは心外である」(私の意訳)という感懐もまたタッポーチョに通じるものがある。

エンジニール  鉄道に挑んだ男たち(1) 池田邦彦
古書店で購入した漫画。「明治の機関車コレクション」や「早風」などと聞いて蒸気機関車の姿が思い浮かぶのであれば、読まざるべからず。
島安次郎の物語でもあるのだが、なかなか面白い。もっと時代を掘り下げ、ディテールにこだわっていただけると嬉しいのだがなあ。様々な人々が非常な勢いで出てきては去って行くように思われる。

平賀源内捕物帳 久生十蘭
古書店で購入した本。雰囲気は悪くないが、さほど面白くはないね。投げ出さずに最後まで読めはした。特に源内ならではという場面には乏しい。

人間をお休みしてヤギになってみた結果  トーマス・トゥエイツ
買った本。「トースターを作ってみた」よりも深い問いである。軽妙な文章(翻訳)はありがたいが、やはり問いは重い。
年寄りとしては、こうした根源的な問いを持ち、それに立ち向かう気力と知力のある若者が、あたら将来を危機に晒していることに心を痛めるのだが、それとても世知に阿る浅知恵にしか過ぎないかも知れない
訳者は大変であろうと思うが、読みやすいものでありがたい。

古書店で、「貴志康一と音楽の近代(ベルリン・フィルを指揮した日本人)」を購入。面白い本が出てくるものだ。私が貴志の話をみたのは、出谷啓氏のエッセイで「朝比奈が、貴志がいたら、今の自分の存在はなかった」という一言を紹介している場面である。

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札幌市電のササラ電車

札幌市電のササラ電車が稼働しているのを初めて目の当たりに見ることができました。

札幌市電のササラ電車

また、動画で撮影することができました。

いずれも、2017年11月19日撮影です。

wikipediaで使って欲しいのですが、手続き等々判らない。また、動画もこのページに埋め込みたいが、cocologでは難しいようなので、リンクしています。リンク先をご覧ください。

通常、ササラ電車は早朝や夜間に稼働しているようであり、私の札幌在住時代にも稼働しているのを見たことがなく、この度、稼働しているのを初めて目の当たりにすることができたので、大変うれしいです。

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氷川清話

テレビドラマ「西郷どん」放映に便乗して氷川清話を売り込むの図。

国立国会図書館デジタルコレクション「海舟先生氷川清話」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781233/1
28コマ末尾より

<引用ここから>
あの人見寧といふ男が若い時分に、おれの處へやつて來て『西郷に会ひたいから紹介状を書いてくれ。』といつたことがあつた。所が段々様子を聞いて見ると、どうも西郷を刺しに行くらしい。そこでおれは、人見の望み通り紹介状を書いてやつたが、中には『この男は足下を刺す筈だが、兎も角も會つて遣つて呉れ。』と認めておいた。
</引用ここまで>

西郷の応対や如何に。いやその前に桐野半次郎はいったいどうするのでしょうか?(講談風に)

吉本版にはとかく改変の評が付きまとう。江藤淳・松浦玲編(講談社学術文庫)を読むのが良いらしい。私は勝部真長編(角川文庫)を長く読んでおり、気分として江藤・松浦版と大きな違いを感じてはいない。

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読書の記録(2017年12月)

忘れられた日本人 宮本常一
古書店で買った本。
立ち読みしたところ、「名倉談義」の名が見えた。昔々、名倉に訪れたことがあり、懐かしさゆえの読書であるが、大変面白かった。
日本風の意思決定の有様は、実は私が日々見ている会議そのものではないかと思う。欧米風意思決定を目の当たりにしたことがあるわけではないので、日本風以外の意思決定の方法がを知っているわけではないものの。
有名な「土佐源氏」はもちろん面白かった。
「世間師」における明治に生じた「各々志を遂げよ」の誤解からくるドタバタも面白い。たしかにそのように読んでもおかしくはない。
この本を三十才くらいで読んでおけばよかったかも知れない。網野善彦もよかったけれど、並行して読むべきであったようにも思う。「忘れられた日本人」を新渡戸稲造「代表的日本人」と誤解していたかも知れない。こうあって欲しいという願望を込めた「日本人」という部分が全くないとは言わないが、それを微小にした「事実こうあった日本人」として重要と思われる。

おいしいロシア シベリカ子
借りた本。最近ロシアづいているが、その中でも暖かく可愛らしくおいしそうな本。せめて、サラダ・オリヴィエ程度は作ってみたいものだ。

ロコス亭(奇人たちの情景) フェリぺ・アルファウ
札幌で買った本。最初は実験的過ぎて、あまり面白くないが、読み進むにつれてスペイン情緒が溢れてくる。スペイン風自虐がやはり面白い。奇人たちの情景、というより、スペインの奇人たちの情景、というのがふさわしい。

世界でさいしょのプログラマー エイダ・ラブレスのものがたり フィオナ・ロビンソン せなあいこ
借りた本。エイダ・ラブレイスの生涯と業績をわかりやすく記した絵本。私のようなものにもちょうど良い。

おいしい ”つぶつぶ” 穀物の知恵 ゲッチョ先生の穀物コレクション 盛口満
借りた本。「ネコジャラシからポップコーン」以来時々読んでいる盛口満の本。野生の米なども記されていて面白い。
この本における「穀物」は「毎日食べているおいしいつぶつぶ=穀物」ということだが、粟、稗、マランサスも取り上げており、これらを「毎日食べている」とは(私には言いがたい)。また、通常は穀物扱いしない油を摂るつぶつぶも挙げられており、少々視点が定まらない感じがする。面白い情報を扱っているだけに残念。

どんぐり図鑑 宮國晋一
借りた本。さまざまなどんぐりについて調べてみたかったので、役立った。どんぐりに興味がない者が読むような本ではない。

シュメル 人類最古の文明  小林 登志子
買った本。「世界最古の物語」、ヘイエルダール「ティグリス号探検記」、「湿原のアラブ人」に続くメソポタミアの書。
馴染みのない神名や人名が続いて少々苦しいが、全般に面白く読むことができたと思う。ともあれ、淡々とした書き振りであるので、もう一度読み返さねばならぬかも。

天災から日本史を読みなおす 先人に学ぶ防災 磯田道史
買った本。磯田師の書は読まざるべからず(買わざるべからず)。
磯田師は年来災害史についてお考えであったとのことであり、その成果を惜しみなく開陳して下さる。誠に読まざるべからず。
勢いよく書いていられるので、少々書き飛ばされている感なきにしもあらずであるが、そんなことは編集者に任せれば良いのである(編集者さんしっかりしてください)。先生はご研究とその研究の普及という双方を担っておられるだけでも大変なのですから。
この本で全てが説明されているわけでもなく、この本で述べられた全ての説が正しいとも思わない。この本を出発点に様々なことを考えてゆかねばならないが、その意味で良書と思う。

バッタを倒しにアフリカへ 前野ウルド浩太郎
借りた本。私のように歳長けて要らぬ世知を身に着けた者には、筆者はあまりにも若く拙く無知無謀であって、人に迷惑をかけ過ぎている、とも思う。ともあれ、これだけ己をさらすことができ、志は甚だ高く、身は謙虚であり、既に多くをなしつつあるというのは、私が若い頃に願いつつもできなかったことであって、大いに尊敬する。研究を含めてまだまだ未完の物語であるが、これからの成果を願って已まない。
(私も幼い頃にファーブルに馴染み、昆虫について学び見る楽しさを感じたので、筆者の感懐は他人事ではない。)

2017年は忙しいながらもなんとか本を読むことができた。ありがたいことである。

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2017年のまとめ

2017年はなにしろ多忙であった。

楽器を演奏する機会は大きく減り、室内楽の演奏会には一度も出ていない。また、演奏会に行くこともほとんどなかった。私の自己認識には長く「アマチュア演奏家」が含まれていたが、どうやらそれも薄れつつあるらしい。人間というものは、生きるためには捨てられるものは捨てて顧みない機能が付されているのであろう。

■読書
多忙な時期を過ぎて少々読むことができた。良い本も多かった。嬉しいことである。特に三冊挙げておく。行きがかり上、私は社会の中の他者であることに拘っているのだが、それがこうした読書癖にもつながっているのだろう。

○岡本太郎の東北 岡本太郎
○ビザンチン皇妃列伝 井上浩一
○ようこそ文化人類学へ 川口 幸大
○忘れられた日本人 宮本常一

■舞台・映画・落語
「こんにゃく座」の「銀河鉄道の夜」を見られた。本当の舞台は集中して見るので楽しい。音楽とことばの調和、楽しい舞台装置。ちくま文庫で全集を(大体すべて)揃えてしまった。これまでにきちんと読んだことのない詩集にも目を通して嬉しい。(私の多忙な年度末になりがちなのが少々辛いが)。

タルコフスキーの「惑星ソラリス」を映画館で見られたのはうれしかった。ユジク阿佐ヶ谷。回りの飲食街も素敵。これが中央線文化というものか。また行こう。騒音おばさんがいないと良いな。

「神田連雀亭」を発見し、落語を聴けくことができた。また行こう。ここに出ているのは皆二ツ目の人々だが、素人が聞いても、もうすぐ真打という二ツ目と前座からなったばかりの二ツ目が見分けられるような気がする。そしてまた、それが面白い。

■散歩
自宅から横浜中華街への歩行。ついに到達した。距離三十kmを約八時間。五回目の挑戦にしてやっと成功。でも、思ったより早く達成できたと思う。川沿いと旧街道沿いを選べば一見遠回りでも歩行には合理的なのだろう。でも、合理的ではない道を見出したいものと思っている。また行ってみよう。

■音楽(演奏)
オーケストラとチェロアンサンブルの助っ人が一回ずつ。

室内楽の本番を一つ途中放棄した。皆さんにはご迷惑をかけ、そのことも含め、自分には苦痛であった。事情のあることでもあり、できない本番を無理にすることはさらに迷惑かつ苦痛であることが明らかなので、この選択肢以外はないのである。

一方で、休みの朝に起きるのと、楽器を担いで歩き回るのが苦になってきた。これら苦痛と引き換えるほどの楽しみを、自分は演奏活動に見出しているのか、と考えてしまう。これまでの人生、なんでも体験できるものはしておこうと考えてきたけれど、無駄な時間を使いたくない、という思いが生じてきた。人生そのもが無駄であるならば、すべての生きる時間は無駄であるに違いないのだが。

■音楽(聴く方)
私は長い間クラシック系の人間として過ごしてきたけれど、時間・知識・資金という資源が限られていたことと、最も手近にあって楽しみ方を知っていたからクラシック系で過ごし続けてきたのであって、他を排除してきたわけではない。
近年、youtube等を通して、改めていろいろな曲を聴くことができ、大変嬉しい。

特に米国のラジオ局(というと短絡的だが) NPR の Tiny Desk Concert はお気に入りである。

Rahim AlHaj
https://www.npr.org/event/music/452560735/rahim-alhaj-tiny-desk-concert
https://www.youtube.com/watch?v=osf1gckzf70
この音程がたまらない。クラシック系ではこういう音程を作る人はみないなあ。

Monsieur Perine
https://www.npr.org/2016/03/02/468875757/monsieur-perin-tiny-desk-concert
https://www.youtube.com/watch?v=JGL-eQAAxGs
いろいろな人々がいて、同じ人種と思える人は二人といない。面白い音楽である。

DakhaBrakha
https://www.npr.org/event/music/401767767/dakhabrakha-tiny-desk-concert
https://www.youtube.com/watch?v=hsNKSbTNd5I&list=RDhsNKSbTNd5I
ヨーロッパ系民族音楽という意味では最もクラシックに近いはずだが。ブルガリアンヴォイスには長年親しんできたが、それとも似ているところがある。このチェロの奏法は、私が考えているものと全く違う。

Red Baraat
https://www.npr.org/event/music/519692416/tiny-desk-special-edition-red-baraats-holi-celebration
https://www.youtube.com/watch?v=lgmw41CY1Fo
もちろんこういうのは大好き。

My bubba
https://www.npr.org/event/music/454889833/my-bubba-tiny-desk-concert
https://www.youtube.com/watch?v=uzzVdi3HOfU
このデュエットが、私が親しんできたクラシック音楽の世界に最も近いかも知れぬ。面白いものだ。

Mariachi Flor De Toloache
https://www.npr.org/event/music/460841484/mariachi-flor-de-toloache-tiny-desk-concert
https://www.youtube.com/watch?v=-rl26QKPHtE
うらぶれた喇叭、さびしいピチカートのヴァイオリンとギター。こういうの好きだ。

NPRの演奏の中でも、ワールドミュージックに近いものを私は好むようである。ドラムセットの入った音楽は、私には皆同じに聞こえるらしいというのも発見。これら好みに合うものは、完全なドラムセットを含んでいない。

また、こんなのも好き。

フィリップ・ジャルスキー&ラルペッジャータ
https://www.youtube.com/watch?v=OMnLV38EVxQ
その中で、天国と地獄
https://www.youtube.com/watch?v=OMnLV38EVxQ&t=3396s
http://bonnjour.exblog.jp/12839781/

CDで楽しんでいるのはこちら。

シュザンヌ・ファン・ソルトの鍵盤音楽帳(1599)  Harpsichord Recital: Penson, Guy (The Susanne van Soldt Virginal Book)
楽しいヴァージナルの曲集。時々入るリコーダーが天空海闊さらに楽しい。

吉松隆 プレイアデス舞曲集
田部京子様の演奏。ひそやかで美しい。

メトネル ピアノ曲集 
メジューエワ様の演奏。時に明るく、特に暗く。幅広くもしなやかな演奏が好ましい。

ラモー ナイス
サヴァール師の指揮になるもの。演奏したいが、あまり見かけない肘押し式バグパイプの宛てがない。

■その他
仕事ゆえの多忙ではありましたが、一方で仕事のために多くの土地に行くことができました。札幌、青森、秋田、仙台、長野、松本、岡山、福岡、奄美。これら多くの土地に行くことができたので、案内本など見ず、店の外面を見ただけで入ってみるというのを楽しめるようになりました。

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今週の戯れうた

生きるとは叶はぬ事と知りながら見果てぬ夢を否定せぬこと

生きるとは己が齢を省みて年相応に装へること

寂しさは話合わせて酒を飲み主旨に反して頷けること

寂しさは詰まらぬ会で酒を飲み詰まらぬままにひと日終ゆこと

寂しさは行く宛てもなく地図を読み行く筈もなき地形見ること

寂しさは己が理想を隠しをきて世知に長けたるふりをすること

寂しさは酒を飲みたる時ばかりペシミスティクなうたを詠むこと

寂しさは梢高くの烏瓜枯れ果てた末欠けてあること

寂しさは風になびける烏瓜日に焼け白く乾きをること

寂しさは我に縁無き高くある烏瓜こそ輝けること

寂しさは「お前だけだ」と言ひながらその嘘なるを互ひ知ること

寂しさは終えるあて無き仕事してなほ宿題の増えし見ること

生きるとは締め切り間際に出されたる不完全書類の面倒見ること

生きるとはブラックホールの如くなる光放たぬ御仁みること

生きるとは宛無き宛を宛にして宛の外れて宛探すこと

「人生に意味を」と君の言ふならば考えてみむサン=テグジュペリよ

負け戦アラスに飛べる君思へば我が身の上はいたく良からむ

寂しさは待ち合わせして噛み合はず会えぬままにて気まずくなること

もの集むこころ乏しき我なれば趣味持つことも易しからざり

愚にもつかぬ言葉並べて世に晒す我は愚かと我も知りけむ

雪降ると天気予報の言ふなれど心の準備のまだ足らざらむ

眠り足らぬ鈍き頭を抱えては平素以上に足らぬ我なり

烏瓜梢高くに輝きて手の届かないあのひとのやうなる

溌剌と輝く笑顔残しては我無きが如き烏瓜なる

彼処にも此処にも赤く輝いて秋の日差しの明るきを知る

遠くまで歩くひと日の愉快なり数多紅顔の美人と戯れ

崖の上の梢の先の蔓にある赤い瓜には手は届かざる

青空を背に輝ける烏瓜我が見上げるを知らぬ振りして

烏瓜梢高くに輝きて手の届かないあのひとのやうなる

筑紫なる霞める山も穏やかに我が見納めの事も無く過ぐ

昔昔通える日々は半ば眠りうつつ無きまま乗り換へをも為す

多忙なる我を覆へるペシミスム昔の馴染みまたも来ませり

人生の空なることはバビロニアなる粘土板にあり古今の真理

リビドーの人を動かす源なれば我はそろそろ店仕舞いなる

生物として子成せり育てり役終はり生きる意味とて残ると思へず

人よりも早い帰宅の気詰まりな理由なけれど長き習ひなる

公私なく感情的な生き物に距離を置くべく言葉濁せり

取り留めも無き一日の過ぎにけりそしてそのまま一生の終はる

素晴らしき明日もや有ると期待する心の既に失はれける

己が知る数多記憶は毀たれて我は我をば失ひつつあり

きのう無くあす無くけふ無くひるも無くよる無く我なく唯うたの在る

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カルボナーラスパゲティの作り方

カルボナーラスパゲティは、言って見れば卵かけご飯だ。手軽だが、作り方によっては大変美味しくなる。今回、少々成功したので備忘のため記す。

まず、お湯を沸かし麺を茹でる。フェトチーネ推奨。生麺なら尚可。最近、乾麺であればフライパンで茹でている。その際、塩ではなくブイヨンまたは昆布茶を投入している。

ベーコンを弱火で炒める。時間がかかるので、お湯を沸かし始めるのと同時に炒め始めれば良いくらい。ベーコンは厚切りがお勧め。

ベーコンの脂身が透明になり、身に焦げ色少々がつきはじめたら、茸類を投入し中火にしかき混ぜる。茸類はマッシュルーム、平茸、湿地茸、椎茸等なんでも可。なお、茸類は切るのではなく、裂いた方が感じがでるように思う。

茸類から水分が出始めたら、鍋に牛乳を注ぎ、昆布茶を一匙加える。この時、胡椒を少しだけ振るかも知れない。

一方、ボールに卵を割り、牛乳で緩めてほぐす。またとろけるチーズやクリームチーズ、ヨーグルトを入れる。

茹で上がった麺をベーコンと茸を炒めた鍋に移し、火を止めて卵液を流し込みかき混ぜる。麺を笊に上げてもよいが、面倒なので、私は鍋から鍋に移している。炒め鍋に茹で汁少々を加えるのを専門店で見たことがあるので、(それがカルボナーラであったかは定かでないが)、湯切りを真面目にする気がなくなった。火を通したければ再度火をつければよい。

好い加減までぐるぐるかき混ぜて皿に取り分け、お好みで粗挽き胡椒と粉チーズを振りかけて食べましょう。

この方法は、普通、カルボナーラスパゲティに必要とされている生クリームを買わなくて良いのが眼目である。ヨーグルトは酸味と旨味がありつつ、くどくならないので、お勧めです。(我が家では大抵冷蔵庫にあるので)。

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読書の記録(2017年11月)

興亡の世界史 ロシア・ロマノフ王朝の大地 土肥 恒之
借りた本。ロマノフ王朝とはいいながら、ほぼロシア通史といって良いと思う。私はよくよく考えるとロシア通史を読んだことがない。断片的には色々と読みかじっているので、全体が構築できて、大変楽しい読書であった。(ほんの少し編集の行き届かない文章を見つけたけれど、内容の傷になるほどではなかった)。

世界最古の物語 矢島文夫
買った本。ゼーマン「ギルガメシュ王ものがたり」の愛読者には、冒頭のギルガメシュの話はお馴染みだが、シュメール人らについて、別な方面で知識やイメージを供給しなければならない書である。とはいえ、世の中の多くの世界に現れるような物語も多く、意外と「そんなものか」と思ってしまうようなあっさりした話が多い。昔々の虚飾の少ない文学であるからとも言えるが。これは、もともと口承であったろうし、音読した方が良いのだろうなあ。
とはいえ、最古の物語が、最古の時代に終わったのではなく、現在に至るまで様々な形で流れてきていることを知るのは楽しい。
最近読んだ「湿原のアラブ人」もヘイエルダール「葦船ラー号」も、みなメソポタミアにつながるものであって面白かった。
ちなみに、ルドミラ・ゼーマン「ギルガメシュ王ものがたり」三部作は、必ずしも歴史的背景に沿った絵柄ではないものの、ギルガメシュの粗野と高貴、敵対と友情、大いなる希望と絶望を描いて余すところがない非常なる傑作である。

中国史談 沢田瑞穂
昨月の続き。激動の大国であるから仕方ないのは重々承知しているが、残虐苛烈の程度が甚だしかったりして、読んでいて楽しいとは言えぬ部分多々あり。また、素人向けにもう少しふりがな・説明があって欲しいものである。仕方ないが。

仏教ハンドブック
買った本。めくり見る。なかなか悪くはないが、物足りない。「日本の仏教」と端から限定しているので、文句をいういわれはないが、臨済宗の説明があり、そこに臨済義玄への言及はあっても、さて、臨済和尚の説明はない。
神仏習合や明治あるいは戦後の仏教改革について述べられているのは良い点。とはいえ、なんとも歯切れが悪いように思うのだよなあ。一体この感じはなんなのだろう。

父と子 ツルゲーネフ 米川正夫
古書店で百円。非常に面白く、出張の移動時間を使ったとはいえ、二日で読んでしまった。そういう結論で良いのか、とも思うけれど、登場人物が生き生きとしており、風景や情景もまた興を削がぬようなバランスで説明され、実に惹きつけられる。
中国小説もそうだが、結論にあまり意味はなく、決着つけねばならないので、まとめているだけで、結「論」ではないのかもしれぬ。
ともあれ、入手したのは随分古い本であって、旧仮名遣いが残っていたり、「ワ」に「てんてん」の活字が下手くそな手彫りになったり、「ヰ」に「てんてん」があるなど古めかしいものである。また、三十四刷にもなるのに、誤植が残っている。例えば、「煙突」が「煙笑」とか。

怪人フー・マンチュー
札幌で手持ち無沙汰に買った本。2004年発行。13年間の在庫。
私は東洋人なので、つい心情的にDr.フーの味方になる。
多く映画化されたフーマンチューものの原点、あるいはシャーロック・ホームズ冒険譚のヴアリエーシヨンとして楽しむのが良かろう。
訳に苦言。早川らしく全般に読みやすく優れた訳だと思うが、「エンジン車」はやめてね。ふつうに「機関車」でよいでしよう。

カンタヴィルの幽霊 ワイルド
札幌で買った本。2015年刊。おもしろかつた。ワイルドは「王子」のような童話・説話のイメージと、刑務所行きのイメージがどうしても噛み合わない。
「スフィンクス」や「無害なスフィンクス」を通じて繋がっているのだろうか。
ページごとに注をつけるのは、私には面白くない。また、本文中に訳してしまえば良いようなことも注に出すのは、特に詩文において煩雑である。

タッポーチョ 大平洋の奇跡
古書店で百円。興味深く読むことが出来たが、小説仕立てになつていることが、記述の信憑性を貶めていると思う。
出来れば大場自身の記述もあればと思った。
この書とは関係ないが、かつてあつたフォークランド紛争の後、英国BBCが、両国の関係者に取材したドキュメンタリー番組を見たことがある。戦争の大義を追うのではなく、現場で起こっていることを、敵味方双方に丁寧にインタビューしており、不思議の感に打たれたものである。
クロポトキンの回想録だったかと思うが、ナポレオンのロシア戦役ののち、落伍したフランス将兵がロシア貴族のフランス語家庭教師になったりしている記述を読んだことがある。戦争というものが国家間の利害対立で起こるとしても、国民同士の憎しみには直接結びついていないようである、というのは、クロポトキン、BBCの双方に通じているようにも思われる。タッポーチョにおいても、同じような考え方が底流にあると思うが、それは、私が理解してきた「鬼畜米英から東京裁判への流れ」とは大きく異なっているように思う。

日本開国 アメリカがペリー艦隊を派遣した本当の理由  渡辺惣樹
札幌で買った本。非常に読みにくい。また、筆者は歴史なり学問なりのアマチュアであるらしく、論理性・信憑性が高いとも思えぬ。いろいろ調べておられて面白い事実を掘り起こされているとも思うが。
こんな本を買うのにお金を使うのではなかった、と後悔するわけだが、そうした後悔もまた良書を選ぶ眼力を養うための授業料ではある。

龍馬史 磯田道史
札幌で買った本。磯田先生の本は読まざるべからず。
龍馬の手紙という一次資料から、歴史像を立ち上げるという知的作業の面白さを覗き見させていただける。これ一冊で龍馬や維新史の全てがわかるものではないと思うが、非常に面白い副読本となろう。読んで良かった。
NHKのテレビドラマ「龍馬最後の三十日」放映に合わせて書店に並べてあったらしく、読んだ翌日偶然最終話の放映を見た。磯田先生とは異なる解釈であり、また、ドラマとして想像を多く含んだものであるが、それはそれで面白かった。これまで、あまりイメージを持てなかった春嶽公について(想像を含むとしても)、ひとつの面を見ることができたのも良かった。勝麟をはじめとして、春嶽を賢公と見る向きが多いにもかかわらず、歴史上あまり大きな役割を果たさなかった理由に触れることができたかと思う。
磯田先生の姿勢、一次資料に当たることや、歴史を生きたものとして見ること等、大変学ぶべき点多く尊敬している。文章が読み易いのは、ある程度勢いがあるからと思う。尊敬する磯田先生にひとつお願いをするならば、勢いのある文章は読んでいて楽しいが、記述が浅く、読むに理解や判断がしにくい場合がわづかになくはない点である。(でもこれは編集者の役目だと思いますがね)。

笑いの騎士団 スペイン・ユーモア文学傑作選 東谷 穎人 (編)
札幌で買った本。1996年の刊行物を店頭に並べているとは、素晴らしいとも不安とも言える。
地価が安いため、有りっ丈の在庫を店頭に並べることができるのは、私のような消費者には非常にありがたいことであるが、一方、森閑として人なきフロア(レジでさえ各階にはない)を彷徨していると、やはり書店の先行きに不安を覚えるのは事実である。
この本は、完全に背ヤケしていて、表紙から背表紙に回った黄色い帯がほぼ完全に飛んでいた。(それを気にするわけではなく、古い良い本が買えて嬉しかったのであるが)。
amazon.co.jpにおいては、この書を一万円以下で入手することはできない。札幌の丸善ジュンク堂は、私のように少々古い本を適価で入手したい者には素晴らしいかも。他にも、例えばアルセーニエフ「タイガを通って」が二冊並んでいるとか、端倪すべからざる品揃えなのである。(アルセーニエフは先日取り寄せで買ってしまったけれど)。
名は高いがあまり目にすることの少ないケベドの書を読めたのは嬉しかった。


メジューエワの著書を買ったから、というわけでもなく、秋の日にふさわしいということで、メジューエワのメトネルを聴きなおす。
Op.38-2, Op.38-3は2種類の録音を買っているけれど、それぞれに違いがあって素敵である。抜粋の時はどちらかというと軽やかに、Op.38全曲の時は、振幅の大きさをみせ、狂奔の激しさはシューマン風ですらある。同じ音楽をこのように弾き分けつつ、同じメジューエワであるのが素晴らしい。こうした優れたピアニストの優れた演奏を繰り返し家庭で聞くことができ、本当に幸せである。
(本当であれあば、「メジューエワ *様* 」と申し上げたいが、控えました)。

フィンランドの作曲家マデトーヤの「Okon Fuoko」(バレエ組曲)はいちおう日本が題材らしい。googleの画像検索でも舞台写真はほとんど当たらないが。

iTunesに取り込んである曲名がおかしいことに数年過ぎてから気がついた。『「子供の不思議な角笛」さなかに説教するパドヴァのアントニオ(Des Antonius Von Padua Fischpredigt)-Dietrich Fischer-Dieskau-』。「さなか」って何?「さかな=魚」でしょ。「アントニオ」も「アントニウス」の方が聖人らしい。「聖アントニウス」ならば尚可。
マーラーはグロテスクだと言われていた時代は、もう数十年も昔であって、今更そういう言説は流行らなくなったのかもしれないが、その怪異もまた彼の大切な要素であると私は思っている。オーケストラの演奏技術が向上し、マーラーの総譜くらいはきれいに響かせられるようになった(なってしまった)のかもしれないが。ジョージ・セルが指揮し、シュヴァルツコップとフィッシャー=ディースカウの歌う「子供の魔法の角笛」には、幻想と怪異、子供らしさと化物らしさ、高貴と稚気が混在あるいは同居しており、好ましい。

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読書の記録(2017年10月)

岡本太郎の東北
買った本。良い本であった。画家岡本太郎の鋭い感性と人類学者岡本太郎の鞏固な論理にうたれる。
岡本太郎が秋田で出会った紳士「人生の敗北者」は、私自身のことであり、また、私の身内にもそういう者がいたことを思い出させる。そして、岡本太郎の敗北者に対する共感。これだけでも私はこの書を買った甲斐があると考える。

富士山頂 新田次郎
古書店で百円。面白い本であった。役所内部の人の動きなど民間に生きる我々には知り得ないが、そこもまた人の生きる修羅場であることがよくわかる。役所と役所、役所と民間、民間と民間、ひとつの組織内、いろいろな立場を描くために、それぞれの味は薄まっているものの、コンパクトにまとまっており面白く読むことができた。
私は文学作品という点で見ていないが、そのことは作品と作者を少々貶めているやもしれぬ。

目からウロコの文化人類学入門 人間探検ガイドブック 斗鬼 正一
古書店で百円。川口幸大に続き面白かった。ただし、前書きから序章あたりでは、文化人類学は難しくない、、、という言い訳が続き少々読みづらい。川口と斗鬼の背負っている文化の違いを見てしまう気がする。
ただし、amazonの書評にもあるように、面白い事実が列挙されているという本であって、面白い解釈に踏み込んでいる本ではない。私は、入門だからこれで良いとは思うが。

楡家の人々 北杜夫
以前古書店で買った本。おもしろうてやがて悲しき物語かな。読んで良かった。偶々、旧分院の近くを通る機会があったが、建て直しのための破壊が終わったところであった。破壊の対象がここに現れる建物であったわけではないが、少々の感慨を得る。
「精神病学集要」を書いた学者の名として、クラフト=エヴィングが出てくる。クラフト=エヴィング商會はここからきているのかな?
(この月に読んだ、北村薫「太宰治の辞書」の後書きにクラフト=エヴィング商會が登場していてびつくり)。

岩波写真文庫「電話」
古書店で買った本を再読。昭和二十五年の電話システム。都市内はダイヤルで繋がるが、市外は交換手呼び出し。海外への電話は県庁所在地レベルの都市の電話局でのみかけられるが、日米の回線は数本程度。という、現在の我々から見ると恐ろしいまでの原始的システム。こういった事実関係を薄い冊子にきちんと整理しているのは偉大である。

野口体操入門 羽鳥操
買った本。あまり読んでいないが少々残念な予感。野口氏の個人史や著者本人のそれが冒頭に置かれているが、私はその個々にあまり興味がない。また、記述も散漫であるように思う。甚だ残念。(天下の岩波が・・と思わないでもない)。

日本史の内幕 磯田道史
買った本。磯田先生の本は本質的な意味で面白い。ともあれ、特に冒頭は軽い読み物であって、期待しすぎてはならぬ。
また、帯には「西郷隆盛の書を見れば性格がわかる」ようなことが書かれていたが、西郷の書を見るところまで記述はあるが、性格についてまで言及していないようだ。よくある帯の上滑りである。

太宰治の辞書 北村薫
買った本。「私」シリーズを愛読して幾星霜。あれからそんなにも時間が経っていたのか。「私」のお住まいが、庄野潤三氏宅の近くであるように思われるのは、庄野と「私」の愛読者である私には快事である。とはいえ、「私」の義父は庄野のご子息でもなさそうだなあ。
とはいえ、「私」がふつうの一読者ではなく、書物の秘密の帳の向こう側にするりと入られてしまうのは、私が如きふつうの一読者には少々寂しくもある。(それだけ、主人公を愛しているということだが。)

ガスター、矢島文夫「世界最古の物語」、瀬戸内寂聴編「仏教ハンドブック」、羽鳥操「野口体操入門」購入。
磯田道史「日本史の内幕」、メジューエワ「ピアノの名曲」、北村薫「太宰治の辞書」を購入。
岩波文庫にこんな書まで入るようになった!と驚く。まずは、江戸川乱歩、堀口大學。そしてまた「星の王子様」。この調子で行くと、「戦う操縦士」堀口訳が岩波化される日も近いか?(「山椒魚戦争」が岩波化された時には驚きました)。
でもって、講談社学術新書には、いしいひさいち「現代思想の遭難者」が!

このブログもほとんど読書の記録に尽きている。まあ、それでもよかろう。

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