読書の記録(2019年4月)


闇の奥 コンラッド 中野好夫
古書店で百円。申し訳ないが、日本語が読み辛い。原書が読み辛いとのことだが、とても読めない。途中で投げ出した。

海上発電 泉鏡花
古書店で百円。異様で奇矯な人物たち。明治にしてこの表現。

世界をこんなふうに見てごらん 日高敏隆
古書店で。「学者」の驕慢のない、日高のやさしい視線が快い。我もまた学校の驕慢からこぼれ落ちる人間であった。日高のごとくあらんことを。

まくら 柳家小三治
昔買った本。面白かった。しかし、一部に生活実感として理解しにくくなった内容があるのも事実。平成の初めのころのことをもう忘れている。(昭和天皇崩御前後の話がある)。

ピアニスト=コメディアンである ボルゲ(ボルヘ?) 。面白い。達人ミカラ・ペトリが酷い目に遭わされている。

「わんぱくマーチ」は阪田の歌詞で知っているのだが、洒落た間奏があるのを少々不思議に思っていたところ、元はフランスの映画音楽であるとのこと。なんでもすぐに知れる時代になってありがたい。
https://www.youtube.com/watch?v=ONsrQSRvXR8
一方、「誰かが口笛吹いた」や「クラリネットが壊れちゃった」が軍楽起源らしいのには驚く。

四月一日、朝の電車に新入社員らしい二人連れ。
「すごく混んでいる!」
「こんなの東京では空いている方だよ」
前者は関西から来た方のようでした。前者の素直な驚きと、後者のたしなめるような言い方が面白かった。

四月二日、また、朝の電車に新入社員らしい二人連れ。
「思ったより混んでいないな」
「混ませてるのは俺らで、毎日乗っている人は迷惑しているだろうな」
己を客観視できることなかなかのもので、感心しました。「混ませている」という表現も面白い。

昨年のこと。多摩美術大学のオープンキャンパスに行ってきた。小松勁太氏の卒業制作「都市計画における世界観の構築」における「有田プロジェクト」の出来が非常に良いので、感銘を受ける。近頃の若い者は・・・本当に素晴らしい。紹介動画がyoutube.comにあるはず。

四月は大変に多忙であり、あまり本が読めなかった。

近所の古書店が閉店とのこと。まことに残念。心ばかり本を買ってみる。甲子夜話(1、4、5巻)、岡本太郎「神秘日本」。漱石全集「三四郎」、「それから」、「門」。「こころ」が欲しかったが欠巻。三部作を買ってみる。フレイザー「金枝篇」(古い岩波版)。ペンローズの量子脳。正法眼蔵。
エセー(岩波)第二巻、第三巻。いずれも五十円。第四巻以降は既に持っている。これらは百円であった。第一巻であればいずこなりと贖うことができよう。

連休一日目は掃除をして過ごす。夕食は洋食屋でハンバーグサンド、オムライス(ドミグラスソース)、ナポリタンスパゲッティ等。二日目はカルテットの練習。三日目はキッチン南海で昼食を摂り、ユニクロでズボンを買った。四日目は百円商店でお風呂道具を買い、昼食に台湾ラーメンを作って食べた。休みに何をして良いのか、自分はあまりわかっていないようだ。一月から三月まで、それぞれ「おでかけ」ができたが、四月はできなかった。むむ。

 

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今週の戯れ歌

あめが下勝者敗者の格差あり零和ゲームを生きるわれらに

雨降れば勝者の影に敗者あり零和ゲームを競う時代に

 

 「零和」と書いて「ゼロサム」と読まるべし。ゲーム理論の用語ならむ。

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読書の記録(2019年3月)

3/2の「googleの人物」はスメタナだった。弦楽四重奏もピアノ三重奏も好きなので、少々嬉しかった。

禅マインド ビギナーズ・マインド
以前買った本。書名は突飛だが、中身は相応にきちんとしている。宗教の本は、あまりにも専門的過ぎたり、あるいは、表面的過ぎたりと、なかなか読んで学びが多い本がないが、この書は相当に良い。できれば「次に読むべき本」を指してくれるとありがたいのだが、それを示すこと自体が禅らしくないかも知れぬ。

クッキング・パパ うえやまとち
昔貰ったり、買ったりしたありったけを読んだ。年度末繁忙期にはそういうこともあらあね。でも、様々な人々に作者は常に暖かい眼差しを向けている。中年・老人の恋もまたそうであるし、若い母親の生活と意見もまたそうである。

爆撃調査団 内田百間
古書店で買った本。この人の文章が長く愛読される理由が、年長けてやっとわかった。あるいは、妙ちきりんな文章が多いことを悟らねば、このような調子の文章の良さを味わえぬとも言えよう。

ドリトル先生アフリカゆき ロフティング、井伏鱒二
昔々買った本。何度読んでもドリトル先生は面白い。「バーバリの竜」に語りかける、穏やかなドリトル先生のことばのよろしき。

 

二月の書き忘れ。五美大卒業制作展に行く。各美大のうちでもファイン・アート系のみらしい。それぞれの学風が感じられて面白い。また、大きな絵の作品が多いが、想像するに、学生時代の集大成として大きな絵を描かせているのだろう。私としては、女子美術大学の方が描いた「ばく」が最高傑作。大きな画面を大きく使って大きな絵を描いておられる点が素晴らしい。どうしても細かいものをたくさん描いてしまい、大きさに負けてしまいがちであるように見受けた。

神田連雀亭にて。三遊亭らっ好、柳亭市楽、春雨や風子。
らっ好は、ご隠居らしさはよく出せるが、うっかり者の「間」が早いのではないか。
風子は今ひとつ自分の苦労を笑いに転換しきれていないのかも。風子のネタは春風亭柳昇の創作で、私の最も好む噺のひとつであって、大変嬉しかった。柳昇が演じると父の観点に聞こえるが、風子が演じると、娘=嫁の視点が中心になる。これは面白い発見であった。これもまた、父の「間」が短いようにも思う。柳昇であれば薬の入手先を「お父さんが陸軍の研究所で云々」としていたが、そこはさらりと流された。まあ、風子は陸軍軍曹であったはずもないので。
市楽が最も楽しめた。私は力を抜いて落語を聞きたいと思っており、その趣味に合致したのである。市楽は、演じる前の説明から面白く、枕も楽しめた。客に「芸」とはみせぬ「その人」らしさが、真の「芸の力」であるのだろう。

 

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今週の戯れ歌

米国は自由の故に強くあるとその面影の今何処なる

自由こそ国の強さの基づへと「わだつみ」にあり忘れられざる

国境に壁を用ひて守れるは始皇帝なる功業なりける

もの言へど理解の浅き御仁あり己が足らぬを早自覚せよ

自覚なく暮らすの不幸か幸ひか多分また自覚なきなる

故郷の友と集ひて語るには挫折なき者一人もあらざる

我が友の挫折を知るは青雲の志こそ高くある故

一日を何事もなく過ごしをり我が人生の斯くあるが如く

波風のある人生を送るれば平らかなるをたぶん憎めり

人の皆理解されたき願望の虜にあれば神はいませり

あれよあれなければなかれわれ知らず汝ただあれ汝なるまま

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読書の記録(2019年2月)

総解説世界の幻想文学 自由国民社
昔買った本。「スナーク狩り」の四方田訳を確認するのに読み始め、相当に読んでしまう。結構な網羅性で、知らぬ作品も知っている作品も多く、楽しい。
「世界の」と銘打っているが、「欧米の」というのが順当なところ。文句をいうほどのことでもないが。私の好む「聊斎志異」なんかは入っていない。

中世の東海道をゆく 榎原雅治
以前買った本。私が知っている土地が多く記されており、それゆえ楽しく読める。そうでない方々に面白いかはわからない。

風車小屋便り 岩波文庫
昔々買った本。子供の頃からこういう本は好きだった。ファーブルと時代も土地も近く、観察と解釈で成り立っている、というのが共通して、好みにあうのかも知れぬ。
ドリトル先生もまた近いかも知れぬ。落語でいうと、うるさ過ぎない「ぬるま湯に浸ったよう」な芸風が好みにあうのだから、そうした人生の余裕を幼い頃から求めていたということか。

クッキングパパ 37巻ほか
昔買ったもの。相変わらず楽しく読んでいる。
偶然、「おいしんぼ」と「クッキングパパ」の表現を比較した評論に行き当たる。「第37回 作品の性格とおいしい表現の関係」https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/dannwa_lab37
非常に面白い。

スターメイカー ステープルドン
少しずつ読み進む。読みにくくはあるものの、非常に面白い。第二次大戦前夜という設定で書き出されているが、それは本当なのだろうか。いささか後世の知識が使われているようにも思う。あるいは、それこそが、ステープルドンの高見であるやも知れず。引き続き少しずつ読もう。

HB
以前阿佐ヶ谷で買った雑誌。蟲書房店主の談話がある。面白い、とも思うが、店主について種々読んで「知っている」かのごとくなる自分が恐ろしい。それをストーカーというのではないか?

ギリシア人男性、ギリシア人女性を求む デュレンマット
以前買っておいた本。非常に面白い。久しぶりの小説らしい小説。
デュレンマットについては北村薫が「ロムルス大帝」について言及していて、なんとなく昔の作家であると思い込んでいた。

金の鳥 八百板洋子、 さかたきよこ
西荻窪ウレシカで購入。繊細で空気感のある物語・絵。私は読書や趣味に「遠くに行くこと」を求めている。ブルガリアの古い時代に遡ることができ嬉しかった。
現代人は「自我」に動かされているが、登場人物は、より醒めたところにあるように見え、古代の偉人たるにふさわしい。
原画展示の最後に見えるように貼ってある小さな「城」の絵が殊の外心に残る。
(自我については「チャーチルの昼寝」の受け売り。)

カーたろうとこけしっぺ 山田美津子
西荻窪ウレシカで購入。カレンダーや「お母さん大丈夫」等で愛読しているご本人がおられた。これらの作品に現れる自画像そっくりで紛れもないご本人。
「カーたろうとこけしっぺ」は、日常のように見える不条理な楽しい物語。

退屈をあげる 坂本千明
西荻窪ウレシカで購入。静かな物語。相手を完全に理解することはできないが、共感するものがある、という距離のある愛情。
三人の作家さんを目の当たりにし、それぞれが描かれたものを頂くことができた。描くものが人それぞれで異なること、そしてそのいずれもが輝きを持っていること。

落第読本 辰野隆
松本の古書店で買った本。昔の落第生の話が面白いかというとなんとも微妙。皆さん一高・帝大を落ちるレベルなので、もはやまあなんともと言ったところ。最後の辰野自身の、法科を好まない理由などが面白かった。こういう本がぽろりとあるのが、松本の文化都市らしさだと思う。


様々な書籍が文庫化されているのを見て驚く。
コリン・ウィルソン「アウトサイダー」、嵐山光三郎「漂流怪人きだみのる」、渡辺京二「明治という幻影」など。
ついでに植木等(聞き書き)「とんでもない男」は昔朝日文庫であったものがちくま文庫に移った。「とんでもない男」は植木等が父について語ったものであるが、大変に面白い。聞き手・編者は植木の義弟とのことだが、歴史学者ということで、文章もこなれており、考証にも疑わしい点がない。そしてまた、植木の父は只者ではない。ミキモトの真珠職人であったり、社会主義者であったり、水平運動に参加して特高警察に逮捕されたり、どうやらキリスト教に触れていた時期もあるらしいが、僧侶になってもいたりと、植木等が「とんでもない男」というのにふさわしい。息子に「等」とつけたのも宜なるかな。真面目な息子が「わかっちゃいるけれど止められない」と歌うべきか悩んでいるのに対し、「まさに親鸞の教え」という痛快さ。読書人は読まざるべからず。


こんにゃく座「遠野物語」を見る。言葉と歌が一緒に頭に入ってくる快感。歌だけを聞き、演技だけを見ても、ここまで物語に集中できないと思う。言葉とうた、音響、舞台装置と衣装、役者たちの所作の全てがあって、私はあの時代のあの場に連れて行かれる心地がする。そしてまた劇中劇のごとき物の怪の奴らの跋扈にもまた。大変面白い舞台であった。最初にこんにゃく座を見・聴いたのは、「魔笛」で、やはりこれはモーツァルトの音楽の立体感と、魔笛とモーツァルトの人生を立体的に見せる二重の立体性が面白かったのだが、遠野においては、「我々日本人は何者なのか」という疑問と「私は社会において何者なのか」という疑問が、文壇/地域社会/物の怪の跋扈する日常と立体になっており、音楽と相まって大変面白かった。
(隣席が作曲の方で、幕間についお話しかけてしまいました。すみませんでした)。
実は遠野物語を読んだことがないが、宮本常一の「忘れられた日本人」を好んで読んでいたりして、民俗学的「聞き語り」は好きだ。

昔々、マタイ受難曲(バッハ)を聴きに行った際、チェロとヴィオラ・ダ・ガンバの弓使いが常に逆であるのを奇異に思った。特に、ひとつのパッセージの最後の長音を、チェロの場合は、体を開く方向に使い、ガンバは閉じる方向に使う。チェロは、楽曲の最後を世界に向かって解き放とうとしているようであり、ガンバは、自らの内に込めようとしているように感じる。

CD購入。今時CDを買う人間は少ないのだろうが。中古と新品とりまぜて。
「カメルーンのオペラ」、ラモー「異国の優雅な人々」(クリスティー)、御喜美江「アコーディオン・バッハ」「スカルラッティ」。平尾雅子のプロデュースによる「信長公所望の音楽」。

言い間違い「あなたは0%悪くない」。

二月初めに風邪で寝込み、それゆえ仕事を抑制していた。お陰で、多少なりとも読書をし、多少なりとも人間らしい感懐を持って暮らした。三月はそうは行くまいが。

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今週の戯れ歌

あの女性(ひと)の我を見つめる眼差しの未だ夢に見ゆ万日を超へ

夢だにもあの女性(ひと)の我が前に唯あれば我が生涯の少し意味あり

我が記憶忘れずにあれあの女性(ひと)の瞳の奥の謎の輝き

寂しかる日々にありては夢に見るあの女性(ひと)の眼差し我を慰む

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今週の戯れ歌

(傘修理屋)
骨折つて相合い傘の客と主調子悪きはこのへんだらう

食券買ひ行列作つて他人様の食べ終はるを待つ時間あるかな

暇無くば凡そ食事をするにして時間不要の選択をせる

暫くはうたを詠みけむ暇なし暇あれどもうたの出でざる

音楽を勉強なると構へしがただ楽しかる時も見つけり

ふと聴きし節回し耳に残りありてこの積み重ねこそ「生きる」ことなれ

いつか我にうた詠まぬ日の来るならむその来る日の近き気もして

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読書の記録(2019年1月)

生きている兵隊 石川達三
古書店で百円。「生きている兵隊」と「武漢作戦」が併載されている。
戦時に書かれた貴重な書。前者は中国大陸での兵隊の日常、後者は武漢作戦に至る全体像を描こうとしているようである。特に後者では、兵站、衛生兵、船舶工兵等の描写が珍しく感じる。海軍が中国本土を遡行し、陸戦隊が(上海以外で)戦闘を行っていたのは全く知らなかった。

タクシードライバー日誌 梁石日
古書店で百円。この本を初めて見かけたのは、大学生協書籍部であったように思う。硬質な文章が印象に残ったが、齢五十にして読むと、歯噛みするような苛立たしさが伝わって来るばかりである。私という者が変わってしまったのだろう。それも大きく。

スナーク狩り ルイス・キャロル、トーヴェ・ヤンソン絵、穂村弘訳
ロマチンックロシア展に行って渋谷でついでに買った本。
キャロルのナンセンス自由詩?に、幻想的で不機嫌なヤンソンの絵とあらば買わざるべからず。翻訳もまたなかなかのもので、まことに満足した。
自由国民社「世界の幻想文学」に四方田犬彦氏が韻文で訳されているのが、ほぼ全訳に近いことを知る。ともあれ、双方あって双方楽しいというやつである。そしてまた、双方が反歌を書いているのもまた良きかな。

元年春之祭 陸秋槎、稲村文吾
古書店で購入。古代中国ミステリということで、私の「遠くへ行きたい」欲はかなり満たされる。漢文好きでも少々辛いところはあるが、なかなか楽しめた。
登場人物の性格付けは、少々きつく感じるが。

戦う操縦士 サン=テグジュペリ 堀口大学
昔々買った本。
ふと思うと、複葉機等の古典機が好きなのは、サン=テグジュペリの南方郵便機の印象が強かったからかもしれない。リチャード・バック「イリュージョン」、「Night Swallows」(ロシアの女性操縦士たちのテレビドラマ。)、宮崎駿「雑想ノート」などなど。
特に、リチャード・バックでは、アメリカの田舎を、まるでオートバイでとろとろ走るように複葉機で飛び回り、畑でキャンプする様が非常に印象的であり、自分もこんな生活をしてみたい、と思わせるものがあった。
(そういえば、ヘミングウェイの「心のふたつある大きな川」もまた、キャンプ小説であり、憧れたものだった。山に登る努力をしたくはないが、キャンプはしたい私である。)

そしてまた思い返すに、私は、若い時分から私なりに「戦う操縦士」であろうとしてきたのではないだろうか。そして、そうした書に若くして触れることができたことを幸いであると思う。若かった私が最初に触れた「文学」は「戦う操縦士」であったし、その衝撃は計り知れないものがある。

アラスへの飛行を行った機体を調べたところ(インターネットで検索すればすぐ分かる。良い時代になったものだ)。ブロック M.B.174(http://military.sakura.ne.jp/world/w_mb174.htm) らしい。思いもよらない妙な飛行機だ。
「観測士官であるデュテルトルは垂直方向に地上を見ているが、操縦士である自分は、斜め方向にしか地上を観察することはできない云々」と記されている意味がよくわかった。これが分かるまでに、おおよそ四十年。長生きをして良いこともあるものだ。

トレチャコフ美術館所蔵品展に行ってこられた。子供の頃家に図録があって親しんだ絵もあり、また、長年にわたってみたいと思っていた絵をみることができ、非常にうれしかった。
ロシア小説を好んでよく読んでいることもあり、また、最近は、ロシアの映画やドラマをyoutubeでみられることもあって、風景も人もなんとなう親しみを感じているというのもある。


マーラーの交響曲第九番を聴く。クルト・ザンデルリンク指揮、ベルリン交響楽団。私にとってのこの曲の初CDであろう。この曲を弾いたことが二度あるにも関わらず、第一楽章が「andante」であることにいつも意外の感を持つ。多くの交響曲の第一楽章がallegroであるためであろうか。少なくともallegrettoであろうと思ってしまうのである。
私にとって、マーラーは、十五の歳の春にラジオで聴いた第七番に始まり、すぐさまレコード店でクーベリック指揮バイエルン放送交響楽団のLPレコードを入手し、その夏はそのレコードばかり聴いていた。その秋に聴いた第九番(バルビローリ指揮ベルリンフィルハーモニー管弦楽団)がそれに続く。
大学への受験勉強で鬱屈していたころ、第一番から順繰りに一日でどこまで聴けるか試したこともある。多分、第七番の終楽章か、第八番の第一部で音を上げたように記憶している。思えば、悲しくもわびしくも豊かな青春時代であった。

夕方、通勤列車を降り、改札口を出たところで、母親に連れられた幼い娘さんが、男性に駆け寄る。「パパ、らーい好き」と大きな声で言いながら、男性の膝に抱きつく娘さん。大変に微笑ましい。父よ、人生の盛期を最大限に楽しむが良い。

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量子力学を考える。

ある方の質問をきっかけに、量子力学について考えてみました。末尾に参考書籍を記しています。

1)そもそも「力学」とはなにか。
力学とは、文字通り力の学問ですが、力を受けた物体がどのような振る舞いをするかを『記述する』学問です。

この場合の『物体』は、例えば、太陽/地球/月/彗星といった天体であったり、電子/陽子/中性子といった素粒子であったり、回転する「こま」であったりします。もちろん、『物体』は、自動車のボディーや東京スカイツリー、本四連絡橋でも構わないのですが、こうした実用的な力学は自動車工学や建築学で扱うことや、物理屋さんの好むような理論化が十分でない等の理由で、通常、「物理」という学問分野の対象にはなっておらず、物理屋さんがいう「力学」の範疇には入れないことが多いです。(抽象的な方が格好良い、という伝統的物理観によるものといってもよいでしょう)。

力学の計算の成果として、ハレー彗星の回帰年数や、電子の振る舞いを「予測」することができ、それにより我々が住んでいる宇宙の有様の理解が進むことが、力学の目的であるといえます。この「予測」は、「数式表現」されていることが強く求められています。

また、そもそもの物理学の成り立ちから、「真理は単純な数式で表されるはずであり、それは美しい形式を持つに違いない」という暗黙の信条があり、「なんとなくこんな感じ」とか「この時はこうなる」風の場当たり的な知識は物理学と見なされません。
(私見では、化学/地学/生物学/工学に対し、物理学が優位性を持っていると感じるのは、こうしたストイックな態度によるものと思います。一方、物理学における全ての数式はあくまでも「実験的事実」から導かれるものであって、理論は実験的事実に基づいて構成されるものに過ぎません。しかしながら、世の中では、「それが理論だから正しい」式の間違った言い方がされてしまうことがあります。「多くの実験事実に基づいて理論化されたものであり、さらに、その理論が真理としてあるべき美しさを持っていると感じられることから、正しいだろう」というのが、正しい態度ではあります)。

量子力学は、「量子」と呼ばざるを得ない「へんなもの」の力学であるといえます。

2)「量子」とはなにか。
光がそうであるように、粒子でも波動でもある存在を、粒子的な観点から「量子」と呼びます。また、この世界においては不確定性が本質であり、粒子の振る舞いを完全に予測することはできず、ある一定の幅の間でしか粒子を捉えることができません。

普通に考えると、ある存在が、同時に(あるいは、見方によって)粒子でも波動でもあり得る、というのは解釈に苦しみますが、どうして、ある存在が粒子でも波動でもあり得るのか、という問いに対しては、「多くの実験事実がそうであるから、そう解釈するしかない」と回答をせざるを得ません。

どうやら、宇宙は人間が理解するために存在しているのではなさそうですし、そもそも、人間が物事を理解するというのはどういうことか、という疑問がふつふつと湧いて参りますが、物理学科的には、「数式表現ができ、それによって予測できれば、解釈はさておいて、理解したってことで良いよね。」というココロであります。もちろん、物理学者も人間ですので、粒子でも波動でもあることや不確定性についてはなかなか納得し難く、気持ち悪いと思っていると思います。


3)「量子力学」とは何か。
繰り返しになりますが、量子力学は、「量子」と呼ばざるを得ない「へんなもの」の力学であり、「量子の振る舞いについて、波動/粒子の両側面や不確定性を踏まえつつ、実験的事実を数式表現し、予測する学問」であるといえます。

物理学科的に「量子力学」を理解するためには、いわゆる古典力学以上の数式(特に面倒な解析力学等)を理解する必要があり、学生の多くが初歩の段階で脱落します。(申すまでもなく私もその一人。個人的な関係は全くありませんが、「シュレジンガー音頭」の方のお気持ちはよくわかります)。

量子力学を理解したい、という問いに対して、私が答えるとするならば、大学の物理学科に入り、古典力学、解析力学、量子力学を学び、また、いくつかの有名な歴史的な実験を追体験し、量子力学を創って来た人々の随想を読みつつ思索に耽り、十数年を過ごしてみると、幾ばくかの理解が得られるかも知れないが、自分もまた、量子力学を理解したとは言えないのであるから、人様に教えられることはない、ということでしょうか。

4)書籍について
と言う事では、折角のご質問に答えたことになるまいでしょうから、いくつか書名を挙げておきます。
いずれもきちんとしたもので、定評がありますが、合う/合わないは極端に分かれますので、実際手に取って御判断下さい。


●物理学科での教科書
「量子力学 I (物理学大系―基礎物理篇) 」 朝永 振一郎 みすず書房
(物理学科の量子力学入門。既存の知識の再利用ではなく、新たな知識の獲得という視点を知る事なく、
 後輩に譲り渡したのが残念です。)

「量子力学入門」 (物理テキストシリーズ 6) 阿部 龍蔵 岩波書店
(私のころの初学者用教科書です。)

「量子力学 I 原子と量子」 (物理入門コース 5) 中嶋 貞雄  岩波書店
(これも同様のレベル。このシリーズにはお世話になりました。)

「量子力学―ランダウ=リフシッツ物理学小教程」ランダウ・リフシッツ
(超デキる学生向け。こういう世界を覗き見るのも一興かと。ちくま文庫になっています。
 物理系の卒業生同士で「ランダウ読んだ?」はある種のご挨拶です。)

ファインマン物理学
(凡人学生向け。数式だけ飛ばして読んでも良いかも知れません。私はファインマンの量子力学は未読ですが、
 これで読書会をやってみたい気はします。)

●物理学科副読本系
「鏡の中の物理学」朝永 振一郎
(本書中の「光子の裁判」は絶対読むべきです。湯川秀樹の「旅人」もよかろうと思います。)

トムキンスの冒険 ガモフ
(伝説の名著。これはお勧めしても間違いでないと思っています。)

量子力学の冒険 トランスナショナルカレッジオブレックス
(有名な本ですが、私はこれの前著「フーリエの冒険」しか読んでいません。合う人には合うと思います。)

「32ページの量子力学入門」シンキロウ 暗黒通信団
(暗黒通信団は、円周率表のような変な本があるので注目しています。未読ながら気になる/安価ということで、
 挙げておきます。「“距離”のノート」も気になります)。

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2018年のまとめ

■音楽
久しぶりに室内楽復活。演奏会は2019年ですが、楽しい練習をすることができました。ところどころ、体が気持ちについて行かない場面があるのが悲しいですが。


■書物
今年記憶に残った書物を挙げる。

おばあさん ボジェナ・ニェムツォヴァー
巨匠とマルガリータ ブルガーコフ
殿様の通信簿 磯田道史
アーロン収容所 会田裕次
清々と 谷川史子

■そのほか
映画「惑星ソラリス」及び「キン・ザ・ザ」を見られた。嬉しいな。

落語。神田連雀町の連雀亭でいくつか聞けたのが良かった。実演を見聞きできるのは本当に楽しい。出演者が皆さん二ツ目というならば、応援の気持ちを持ちつつ、安価なので気軽に聞けるのも良い。

仕事で、岡山、仙台、札幌、室蘭に行くことができた。奄美大島、福岡、長野、松本は昨年でおしまい。2019年はどうなることやら。

忙しさに呑み込まれて種々大切なことを置き忘れて生活しているようだ。自分を失う、ということはこういうことだろう。失うような自分があるかどうか、という気もするが。

長く歩く趣味から学んだのは、判断力の低下がもたらす最大の危険は、判断力が低下すると判断力の低下に気がつかないことである。種々、示唆するところの大きい学びである。


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