読書の記録(2024年9月)

二十六人の男と一人の女 ゴーリキー 中村唯史
短編集。掲題もまことにロシア小説らしい社会的対比と幕切れ。「女」も良かった。
ロシアも国家としては尊敬できないが、国民は・・・。まあどの国でも同じといえば同じなのが悲しい。

佐多稲子短編集
冒頭にある小説などは少々読みにくかった。この時代に書かれたものは現代人にはいささかひっかかるものがある。昭和半ば生まれの私がそう思うのだから、より若い人には更にそうかも知れない(あるいは新鮮で魅力的かも知れない)。
「虚偽」は良かった。この時・この人にしか書けないものだと思う。
ここでも「宇品」からの出港がさらりと出てくる。「暁の宇品」の重要性を思う。

新アラビア夜話
最初の二話を読む。まあまあ面白いが、物凄く面白いというほどではない。
イギリス人の書く小説という感じ。

バーナム博物館
最初の二話を読む。まあまあ面白いが、。物凄く面白いというほどではない。
アメリカ人の書く小説という感じ。

女の園の星
凄い漫画。
だが、この漫画も凄いが、漫画中に出てくる漫画「エターナル カオル」(いや、エタ〜ナル カオルかも)。これが凄い。しりあがり寿先生を彷彿とさせる展開。こうして二重の漫画を描ける和山やま先生の才能は凄い。

部落の女医 小林綾
冷静な観察の記録であって、感想を書きにくい。
また、ご本人の経歴も戦後の変動に大きく影響を受けたのだなあ、と思わするものである。
文化人類学の参与観察に似ている。

鉄道模型趣味 1973-1975
古書として購入。私が鉄道模型を始めた頃の入門書といえば、保育社の「鉄道模型」(山崎喜陽著)であるが、この「鉄道模型」に写真が掲載されているレイアウト作品の多くが、今回入手した鉄道模型趣味誌に掲載されている。まあ、「鉄道模型」の執筆年を考えれば当たり前であるのだが。
ともあれ、今まで「鉄道模型」の写真一枚でしか見たことがない作品を、記事として読むことができ、さらにまとまった数の写真で見られるのは喜ばしい限りである。
「剣山鉄道」が「つるぎやまてつどう」であるとは初めて知った。これまで45年間「けんざんてつどう」だと思っていた。
また、この当時すでにNゲージで架線集電レイアウトがあったのも驚き。

これら剣山鉄道、河内鉄道、武蔵野鉄道は、私が子供の頃の「憧れの模型鉄道」である(もっとたくさんあるけれど)。

唐宋伝奇集
読了。読了を誇るような本ではないけれど。短編で役人が耳にしたうわさ話っぽいのが多いので、すずろに読むには良いが、それ以上のものではなかろう。不足する部分を補いたいと思うと二次創作に走る。芥川龍之介然り、中島敦然り。

史記 列伝
少しずつ読んでいます。資治通鑑も読まねばなのだが。

歌集 点の記 平林 静代
長い間知るような知らないような方の歌を拝読するのは特別なものだ。

オリヴァー・サックスの「音楽嗜好症」もちらと見た。「音楽の立体性」について(私が思っているのとは異なる形で)言及があった。真面目に読もうと思う(などと虚言を弄して幾星霜)。

覚え書(買いたい近刊):
 すべての月、すべての年 ――ルシア・ベルリン作品集 講談社文庫 2024/9/13
 クイックオバケの動かない漫画 クイックオバケ 2024/9/25
 女ひとり、インドのヒマラヤでバイクに乗る。 里中はるか 2024/9/26 無事購入!
 写本で楽しむ奇妙な中世ヨーロッパ: 写本が教えてくれる 2024/9/27
 ごはんが楽しみ 井田千秋 2024/10/7
 線路沿い街歩き 小川真二郎作品集 小川真二郎 2024/10/11
 エティオピア物語 岩波文庫 2024/10/16
 Y字路はなぜ生まれるのか? 重永瞬 2024/10/25
 牡猫ムルの人生観 E・T・A・ホフマン 酒寄進一 東京創元社 2024/11/29
 ネコのムル君の人生観 E・T・A・ホフマン 鈴木芳子 光文社古典新訳文庫 2024/9/11

ホフマンの「牡猫ムル」は好みの作品だが、全ての訳を揃えるか悩ましい。角川の石丸静雄訳で特に不満はないのだよね。
ともあれ、長年題名については「牡猫ムルの人生観」が定着しているところに、「ネコのムル君」とはぶちかましたね。こういう訳を作りたい気持ちも判るが、こういう「柔らかい」言葉は古びやすいようにも思う。また、「ネコのムル君」に対し「人生観」と固く受けるのが良いのか。「ネコのムル君人生を語る」くらいが良いのではないか?(訳文を読んでいないので、無責任な提案)。
ルシア・ベルリンは「掃除婦のための手引き書」を読んで、初めの方はあまり気に入らなかったが、読み進むうちに興に乗って来て楽しめた。こちらも読んでみたい。

●雑感

朝日新聞購読中止まであと4ヶ月。
我が家ではどうやら関東大震災前から購読していたらしいが、下らない新聞に成り下がり、年間六万円もの大枚を費やすに足らないので、止めることにした。一番良くないのは、読者を馬鹿にしてせせら笑っていること。庶民の意地としては批判などという面倒な親切ごかしをせずに購読を止めることだろう。
本当は8月末に止めたかったが、販売店にゴネられたので、仕方なく12月末を待っている。でも、次にヤラカシたら我慢できないだろうなあ。

東京駅ー茨城空港間のバス料金、コロナ前は500円(茨城県が補助)だったのに、今や1650円。まあそれが普通の価格だろう。だが、残念。

韓国映画「還魂」に出ている女優コ・ユンジョン (韓国語: 고윤정)さん。たいへん素敵。
日本映画「地獄の花園」に出ている女優永野芽郁さん。大変な演技力。細っちくてとてもケンカをなさるように見えないが、目つきやら、あるいは、ケンカのあとによろよろと歩くお姿が本当にそれらしい。こういう、破天荒でコミカルながら嫌味なく演技できるのが役者の役者たる所以であろうか。
他の女優の皆さんもそれぞれ活き活きと「ヤンキーOL」を演じて居られるように見る。

鉄道車両の車輪が急曲線で鳴るのは、フランジがこすられる音ではないとのこと。
https://dda40x.blog.jp/archives/2006-10.html
世の中知らないことが多すぎる。まあ、知らなくても困りはしないのだが。
この方は、非常に工学的に・芸術的に模型趣味をされている。(機芸というのはこういうことを目指しているのかも知れぬ)。
もちろん、趣味はさまざまで、私のようにだらけて自分では何もしないが、こういう文章を読むのは好き、という行き方も許されて良いとは思っている。が、少々居住まいを正さねば、とも思う。
「奈良時代の仏像もロストワックスでできている」なんてのも面白かった。

エタ・ハーリヒ=シュナイダー 偶然見かけた。全く知らなかった。 https://numabe.exblog.jp/23462350/
ローゼンシュトック回想録には、軽井沢で蟄居していた時分のことが語られる。戦中の西洋人音楽家のことはそれくらいしか知らなかった。

https://www.youtube.com/watch?v=oNLDJp83YAQ

Twitter (X) で「性欲が馬並み」というフォロワーが続けてつく。
呆れて全てブロックするのだが、どいつもこいつも「馬」なのが気に入らない。
もっといろいろな生物について興味を持たないような輩に、私は興味が持てない。
もちろん実在だけでなく、想像上の動物でもよい。棘皮動物やケートス、臘虎膃肭獣などを挙げられないようでは大したことはない。
いずれにせよ、言語能力の低さにがつかりする。

ドゥダメルのマーラー。なかなか良い。
https://www.youtube.com/watch?v=htGOqQDS4ug
鋭角的で、対位法的で。歌うところをもっと歌って欲しいけれど。この基盤の上で、破滅的な歌謡性があれば。。。
近年のきれいなマーラーに飽きたらない私には、こういうのが良い。
ただし、この映像のカメラワークは最低。観光客がスマホを振り回したみたい。

『坂道のアポロン』──聴こえないはずの音楽を鳴らす
https://artsandculture.google.com/story/AQXRA-bzXIFHJA
作者小玉ユキさんのインタビュー。演奏に熱中すると擬音語が消える、というのがなかなか良い。自分が楽器弾きとして思うのは、音が聞こえているうちは、演奏に熱中しているとは言えず、音楽そのものの中に入り込んでいると、音と自分が不可分であって「聞こえてくる」という感覚ではないということだ。

昔、海べりのある町で、鰯を買った。ひと箱(おそらく五十匹くらい)二百円だった。
鰯の手開きは母から教わっていたが、久しぶりだったので、最初は不調。
で、きれいに出来たのは酢洗のお刺し身。崩れたのは葱生姜と混ぜて「つみれ」にして味噌汁に。中くらいのは蒲焼に。
また、鰯を食べたいものだ。
人様が作って下さるなら、梅肉を巻き込んだ天ぷらを食べたいな。

私の長年の経験から言って、
『「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えないのは人間ではない』。
こういう人間とは是非にも距離を置くべきだ。
某県知事がまさにこれだろうし、彼奴の属する某政党の輩は皆これだ。

LibreOfficeを使うと、古いアップルワークスのファイル(拡張子cwk)を開くことができる。
これは大変ありがたい事だが、日本語が時々文字化けする。
「時々」というのが中々曲者だ。
同じ文字が同じように化けるわけでもない。コンピューターを使っていてこのような傾向性のない誤りが生じたのを見たことがない。そしてまた、テストをするのも中々大変そうだ(アップルワークスが動く環境があることはあるけれど・・・)。
昔、職場の先輩が「全てのデータはテキストファイルにせよ」と叫んでいた正当性が三十年後に証された。

神奈川県警のキャラクターが崎陽軒と合従と聞く。
かなピーポ君?
となると、うれピーポ君、うまピーポ君がもれなくついてくる?

ご近所のご老人から「仙川の山水中学校」について伺う。
軍関係学校のひとつだったとか。桐朋学園の前身であるが、あまり耳にしないと思った。調べると1940年開校であって、軍関係で目立った卒業生がいなかったからだろう。Wikipediaによれば『「山」は陸、「水」は海を意味しており、当時は転勤の多い陸海軍の子弟の教育を目的とする学校であった。』とのこと。

Wikipediaの誤字『浮沈艦を誇った「武蔵」』は『不沈艦』だろう。

弦楽四重奏団の写真で印象が強いのはカペー四重奏団(Quatour Capet)。
ファーストヴァイオリンが落ち込んでいるのを、皆が心配しているように見える図像。
http://salondesocrates.com/capet/capet_photo3.jpg
実際には、私の理解が誤っているのだろうけれど。

英国の作曲家 Howard Blake による A MONTH IN THE COUNTRY もなかなか格好良い。
https://www.youtube.com/watch?v=FtK5JJ3D-8w (組曲より行進曲)
譜面もネットで買える。
https://www.howardblake.com/music/Film-TV-Scores/608/A-MONTH-IN-THE-COUNTRY.htm
が、「ひと月の夏」の映画や小説を知らんとつまらん。

この方、「スノーマン」の音楽が有名かも。
https://www.youtube.com/watch?v=f0CLyDPY_U0
なんでこなな憂鬱な音楽をつけるんじゃ。

品川の「日本音楽高等学校」は昨年「品川学藝高等学校」になったとか。
新幹線で上京してくると、列車の速度が落ち、線路は右に左に曲がりくねり、車掌さんの車内放送からも何がしか安堵の調子が聞き取れる。 そんな時、この学校の大きな文字の看板が見えてくる。
私にとってある種「東京」そのものだった。

品川近辺の地図を眺めていると、「光学通り」「ジャーマン通り」「ゼームス坂通り」など、なかなか興味深い通りの名が連なっている。
杉並にある「岩通通り」もなかなか良かったが、これらの通りも覗いてみたいものだ。

セクタープレート
ターンテーブル(転車台)とトラバーサー(遷車台)の中間。
Fallerが模型を売っているが、ターンテーブルという名前のようだ。前方後円墳っぽい堀がちょいと愛嬌があるね。
実物にも存在するようだが、なんとなう帯に短し襷に流しの趣があるように感じる(だから、例が少ない)。
https://www.osbornsmodels.com/faller-120275-segment-turntable-3-way-kit-with-servo-ii-39402-p.asp
http://www.belfieldhall.co.uk/belfield/ngr/belfieldquay_01.html

低温ハンダを買ってやれ、と思って amazon を覗くと、錫・鉛合金であるふつうのハンダの中で、比較的低融点のものを低温ハンダと言って売っている。ビミョー。蒼鉛などを入れて、ハンダより融点を低くしたものを「低温ハンダ」と言っている・・・と思っていたので。
融点が100℃以下の金属って、ちょっと興味深い。これで作った器にお湯を入れて・・・という犯罪(ミステリ)を考えるが、低融点の金属は普通柔らかいので、なんとなく気づく気がする。まあ、そういう事に興味がない人間も多いのであろうけれど。

飯田線沿線をGoogleMapで眺めるのが趣味。
田切駅の近くに井上井月の句碑を発見。井月に興味があったので、なかなかうれしい。
池田邦彦氏の作品「カレチ」に田切駅らしい描写があったように記憶する。
(皆が好きな田切駅である。)

映画 Kelly's Heroes (邦題は「戦略大作戦」だが、そんな内容ではない)に、AEG製凸型電機機関車らしいのが少し映る。
シャーマン戦車の 75mm 砲の餌食になったと思われるのが悲しい。。。
(これらを作ったり壊したりするほどの予算をかけた映画とも思えず、まあ有りものが偶写っただけで壊してもいないとは思いますが)。

La Music Collana(10周年記念演奏会)
本当に若いのに達者で活き活きして素晴らしい音楽。
オーボエが「2本」というのが非常に楽しかった。
音質も歌い口も同じようで違い、違うようで同じ。
こーゆー音楽をして欲しくて作曲家は同一楽器2本で書いたのだなあ、と。
「2本」のための音楽。良い。

チェンバロ、オルガン、ハープ、ギター、テオルボ、ヴィオローネ、チェロと、豪華な通奏低音が印象的。
緩徐楽章と速い楽章での使い分けもあり、また、ハープの方がいないと思いきや鍵盤楽器2名体制だったり。
特にギターのジャカジャカが格好良い。
(諸般の事情により低音部に耳が行きがち)。

ふだん一人で低音を弾いているので、今回の豪華な通奏低音陣を見ていると、「良好な職場環境」という言葉が浮かんでしまう。
「全員がそれぞれの個性を活かして大活躍する職場です」なんて。
私がベートーヴェンの四重奏を無理やり弾いている時、誰か助っ人がいたらなあ(それはそれで困る)。
ちなみに私が「最低の労働環境」と思うのはウルトラマン(ら)。死にそうになるまで上司は助けに来ない。宇宙には労働基準監督署は・・・(以下略)。

CD「Fioritura」を買う。
このところ追いかけている La Music Collana の記念盤。
ヴィヴァルディの協奏曲なんて「四季」以外に知っている曲あったっけ。と思いきや。音の出始めで驚く。そういやこの曲・・・。
「鈴木鎮一チェロ指導曲集」に入っていた。私が如き野良奏者は冒頭どう弾くべきなのか、全然わからずたいへん困ったものだった。
「納得のいく演奏方法が思い当たらない」のである。まあ、紆余曲折はあるにせよ大人になったから、「こうやって弾くよなあ」とも「いい曲のいい演奏だなあ」とも思うのである。
(他に「どう弾くべきか全然わからないで困った曲」と言えば、ニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」やレスピーギの「古代舞曲とアリア」の「パッサカリア」等がそうだ)。

すごく爽やかで晴れやかな演奏で、日曜の昼下がり、好みのお茶とともに楽しむのも良い。
だがしかし、これは委曲を尽くした演奏でもあって、スコア片手に演奏の妙を解剖するのも楽しそうだ。

RV417の3楽章なんかすごく良い!ヴァイオリン協奏曲だっけ、と思いきや、熱いチェロが飛び込んでくる。
して、このチェロ奏者の弓使いがニュアンスに富んでいて惹きつけられる。スピード感のあるキレのある演奏も素敵だが、一方で遅い部分で、気を持たせるような表現が非常にうまい(こういう方は異性を口説くのもウマいのではないか、と私の邪念が申す)。
で、この楽章の次に、安らかなシンフォニアが来るのも素敵。

お気持ちだけの音楽も詰まらないが、頭で考えただけの音楽も詰まらない。情意を尽くしつつ、それを超える何かがある演奏だけが繰り返し聴かれる。そしてその「超え方」にも色々あって、これまでの我々は熱誠の故を以て由とすることが多かったように思う(「爆演」のようなのもある種超え方の一つなのかも知れぬ)。その中にあって、自然であること、たおやかであることに価値を見出されているように見受けられる。まこと貴重である。
そう言えば、私の師匠杉浦薫が言っていた「道端にいる猫を見て、『かわいい』と思う、そういう気持ちが音楽にならなければおかしい」という言葉にも通じるように思う。

こんにゃく座「リア王」
自分、ブリテン王でなくって良かった。ウチのカミさんが鈴木茜さんでなくて良かった。「悪女と書いて『ワル』と読む」。鈴木さんがこんな悪い女(ひと)だったなんて。。。と言う恐ろしくも楽しい劇。道化の二人がまた良かった。彼らが出てくるとその雰囲気に完全に切り替わる。でも、悪女も善女も皆そんなことになってしまうなんて。シェークスピアひどい!
も少し違うことを述べるならば、老いにつれて愚かさの勝るリア王、ちょいとした地位にあってウヌボレている私の姿でもあろう。そしてまた、今の世の日本の権力者どもも同様。耳に快い言葉に取り憑かれぬよう気をつけよう気をつけよう気をつけよう。
一点、衣装はなんとなう中途半端でわかりにくかった。衣装が良いとオペラに集中できるが、中途半端であると、そこにメッセージを読み取ろうとして余計なことを考えてしまう。

弦楽六重奏について少し調べる。 もちろんブラームスの2曲が有名。浄夜、バッハの6声のリチェルカーレ、R.シュトラウス「カプリチオ」くらいが普通のレパートリーか。
ベートーヴェンの田園交響曲の六重奏番を見つけた。物凄く室内楽的という音楽ではないが、楽しそうではある。(そもそも6重奏に室内楽を求めるか問題。逆に室内楽的な交響曲もあるのだが。。。)まだ全部聴いていないが、「嵐」はVcふたりで5連符と4連符を分け合うのだろうか。
後は、バスを入れてR.シュトラウスの「メタモルフォーゼン」?

「下持ち協会」でふたたびヴィオラ・ダ・ガンバ体験をさせて頂く。
ガンバは、初めての人が弾いても不快な音が出にくい気がする。基本的に和する音が出るから、アンサンブルをすると、一本ずつが聞こえ、しかも和するように感じる。
一方、ヴァイオリン属はゴツい音を出せるから、後期ロマン派に展開し、さらにスター・ウォーズなどの映画音楽に繋がったのだろう。
(どっちが良いとか言う問題ではまったくない。どちらも愉しめば良い)。

カバヤ児童文庫が岡山県立図書館で公開されている。
アルセーヌ・ルパン(原典)ファンは、
 23少年探偵トルレ
 24少年探偵トルレの追跡
(特に後者)をお読みになると楽しいのではないか?
https://digioka.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/kabaya/bunko/index.htm

元々上で創ったが、いつのまにか下で思い出していた。まあ、決めないで両方残すのが、野良うた詠みである私らしかろう。
 亡き友を思へ只佳き酒を注げ涙はいつか枯れ果てるとも
 亡き友を偲べただ佳き酒を注げたとへ涙は枯れ果てるとも

發瓜(一文字)、胡瓜(一文字)の二文字で「からすうり」だとか。
癸瓜の間違いとも。
烏瓜愛好家としては瞠目せざるべからず。

雑誌「蒸気機関車EX Vol.58」の目次を見た。「えっ、空母の空母の飛行甲板に蒸機?」
「空母の」はひとつで良いのだろうなあ。きっと。
タワーレコードのアンゲルブレシュトのCDは相変わらず「要諦」とすべきを「幼帝」となっている。悲しい。

スラブ語の共通性についての動画
https://www.youtube.com/watch?v=Av6bVGFRme8
犬を「ペス」というそうだが、そういう名付けを見たことがある気がする(サザエさんだったか?)。
英人が犬に「カメ、カメ come, come」と言うので、犬の名を「亀」だと思ったというのと同じか?(違うだろうけれど)。
川は「Rzeka」。RとZと続くのは、ドボルジャークもそうだよねと思うが、さて。
これって漢語圏でも成り立つ遊びなのだろうか。

月末に風邪を引いた。夏のお疲れ、演奏会のお疲れが出たのだろう(公式見解)。また、マスクをしないで夜の電車に乗ったのも悪かろう。これからも気をつけよう。なお、病院での診断結果として、コロナでなく・インフルエンザではない、とされている(えっへん)。

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ある演奏会のための3つの雑文

 先日の演奏会のパンフレットに空きページが出来たので、雑文を書くことにした。
 思えば中学生だった頃、生徒会新聞の埋め草担当だった。「30分以内に120字。内容不問」といった命令を受けて実装していたことを思い出した。
 当時と変わらぬ無内容でっち上げ作文。再度使うかもだが、備忘のためにもここに置こう。

(勝手な駄弁)

 クラシック音楽は素晴らしい。でも、クラシック音楽だけが素晴らしいわけでもない。他にもたくさん素晴らしい音楽はたくさんある。
 コロナ禍の外出自粛だった時、インターネット上にある様々な音楽を聴いてみた。せっかくだから、できるだけクラシックでないのを。
 で、自分が好む音楽が少しわかってきた。

1. 自然音が好き。電子音はあまり好きでない。  
2. 『立体的』な音楽が好き。  
   旋律+伴奏の音楽でもいい音楽はたくさんあるが、  
   何度も聴いたり何度も弾いたりする気にはなれない。  
   『立体的』であるからこそ、「もう一回聴いてみて、違う面を見つけよう」と思う。  

これら「私にとって面白い音楽」を少しばかり紹介しよう。
いずれも、米国のラジオ番組制作会社(であるらしい)NPRの「Tiny Desk Concert」。著作権上も問題ないので、安心して聴いてほしい。

 まずは、ラヒム・アルハジ氏のウード。これはリュートや琵琶の仲間だが、「音程が楽しい」。そしてまた、2曲目から打楽器氏が登場するが、この打楽器がまた「歌う打楽器」で素晴らしい。
• Rahim AlHaj: https://www.youtube.com/watch?v=osf1gckzf70

 次はコロンビアの楽団。調べるとラテンとヨーロッパ風味がどうこうと書かれているが、それは知らず、いろいろな楽器が錯綜しかかるのがなかなか良い。打楽器もうるさすぎない。
• Monsieur Perine: https://www.youtube.com/watch?v=JGL-eQAAxGs

これもまた四重奏。調子っぱずれのヴァイオリンやラッパがとっても素敵。
• Mariachi Flor De Toloache: https://www.youtube.com/watch?v=-rl26QKPHtE&t=78s

 今日演奏する二曲も、何が一番おもしろいかと言えば、『音楽が立体的』で四人の存在が常に輝き続けるところだ。ベートーヴェンもハイドンも、「お前、伴奏だからまあノンビリ弾いておってええぞ」という曲ではない。
 こんな曲を弾かせて頂くのは奏者冥利に尽きるというものだ。小学生だった私は、モーツァルトやハイドンを通じて室内楽の一端を覗き、いつかこうした「立体的な音楽」に参加したいと思った。以来、幾星霜。今回「名前のある四人」の一翼を担う機会を頂いた。勿体なくも忝なくも、石に齧りついてでもこの機会は逃すべからず。そしてまた、あわよくばこの機会を二度にし、三度にしたいものである。
 本日のお客様諸氏諸姉におかれましても、旗揚げに付き合った因果と諦めて、今後ともご支援・ご鞭撻をば御よろしくお願い申し上げ候。(あなかしこ)

(埋め草)

 以前、中央線沿線を徘徊した折、阿佐ヶ谷駅の近くで素晴らしい彫刻作品を見つけた。
 黄金の林檎を背中に隠し持った少年と、少年に声をかけられて振り返ったであろう少女のお二人。嬉しそうに少女を見つめてすらりと立つ少年、少年に声をかけられて、驚き喜びつつ振り返り、まだスカートが遠心力に翻っている少女。
 誰の心にもある(いい年齢である私の心にもわづかに残る)青春の憧れと輝きを思い起こさせるような素晴らしい作品。津田裕子氏の『お誕生日おめでとう』だそうだ。

 今どきの徘徊者はこうした景物を見るにつけスマートフォンで撮影して備忘とする。私もまた例の如く撮影を試みるものの、どのような画角を試してもこのお二人をうまく画面に収めることができなかった。お二人が私のことを気にされないのを良いことに、お二人の身近で立ったり座ったり、周りをぐるぐる廻ったり、遠ざかったり近づいたり。でも、どうやったところで満足のいく画面は得られなかった。
 これをよくよく考えるに、そもそも二次元平面に収まるような作品ならば、苦労して「彫刻」など作る必要はないのであろう。空間上の様々な位置から熱意を以て見た者の脳内にだけ立ち上がる立体作品。その立体作品を作り上げるための媒介物としての「彫刻」。

 そんなことを考えてみた。

 私達は今日の演奏会に向けてベートーヴェンの弦楽四重奏曲を一年以上も練習してきた。もしこれが単純な旋律と伴奏だけの音楽であったならば、そんなにも長い間弾き続けることはできなかっただろう。おそらくは『お誕生日おめでとう』以上にこれは立体作品である。しかも、彫刻は時間的に動かぬ三次元作品だが、弦楽四重奏曲は時間の流れの中で動き続ける四次元作品である。我々四人は各々の脳内に完全に一致する四次元作品のモデルを作り上げ、それを時間軸に沿って躍動させなければならない。

 という理念はさておき、幅広い音程・甘いリズム・揺れ動く豊かな解釈、奮闘努力の甲斐もなく阿鼻叫喚と右往左往の素人弦楽四重奏の世界へ、皆様はよくぞお出で下さいました。思い通りにならぬは世の常。まして我ら相当程度に真面目なる勤め人であるならば、平日は会社に行って勤労に励んでおるのであります(勤労の程度は人それぞれな気がしますが、それもまた世の常でござる)。

 さて、このような事情はありつつも「常設の弦楽四重奏団」の一翼を担うことは、私の子供の頃からの漠とした希望であって、私としては折角の演奏会を唯この一回で終わらせることは到底容認できないのであります。本日起こし下さったお客様諸氏諸姉におかれましても、本日の後悔や反省はあるにせよこれまた何かの因果と諦めて、今後とも演奏会にお出で頂きたく御よろしくお願い申し上げ候(あなかしこ)。
 
 

(おまけの駄弁)

 最近、どんな曲でもインターネット上に転がっている。だから、ある曲を弾くというと、我が家のCD棚を探すより先に、ネットで検索する。  すると、様々な演奏に行き当たり、中には演奏とともに譜面が進んでゆく動画がある。若い頃、中古レコード屋さんでLPレコードを漁り、楽譜屋で譜面を少しずつ買い揃えていた自分にとっては、まことに隔世の感しかない。

 さて、このようにして行き遭う動画の中には、単に演奏風景が流れるものだけでなく、映画の一場面があったりする。
 ベートーヴェンの弦楽四重奏第14番について調べると、テレビシリーズ「Band of Brothers」の一場面が出てくる。

 黒い画面に浮かぶ白字「1945年4月11日 ドイツ ターレ」が消えると、ヴァイオリンが大写しになっている。このヴァイオリンを初老の男性奏者が構えると、演奏が始まる。曲とも音楽とも言えないような長くたなびくため息のような音。
 徐々に周囲が写りこむと、そこは、見渡す限りの廃墟の中である。
 廃墟を片付ける人々は着のみ着のままで疲れ切って無表情だ。そして「MP」の腕章を付けた軍警察が素っ気なく行き交う。

 こうした異常な風景の中で、静かに演奏する弦楽器の四人。椅子に座っている者もいれば、崩れた煉瓦に腰掛けている者もいる。
 少し離れた廃墟の二階から米兵たちが煙草を吸いつつ、演奏を眺めながら投げやりに話す。
 「ドイツ人は真面目に働く」
 「モーツァルトの効き目だろ」
そこで後ろからやって来た米兵が口を挟む。
 「ベートーヴェン」「モーツァルトではない。ベートーヴェンだ」

 「Band of Brothers」はノルマンディーからドイツに至る戦闘を続ける米兵の物語であり、この動画は全10話のうちの第9話「なぜ戦うのか Why We Fight」の一場面であるという。
 登場人物には明確なモデルがいることから、おそらく、廃墟でベートーヴェンを演奏したのも現実なのだろう。だが、なぜ彼らはここでベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番を演奏したのか。そしてまた、なぜ怒涛と慟哭の終楽章に入る直前で演奏を止めてしまったのか。
 それに対し、おそらく単純な答えはなく、あるべきでもないと思う。そしてまた、我々が生きるのは様々な演奏に気軽に接することが可能な時代ではあるけれど、ベートーヴェンの後期作品を演奏するにあたって、個々の技術的な難しさを超えた精神性の前に、粛然たらざるを得ないと私は感じる。

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今週の戯れ歌

佳き花の植わりし庭ぞ忘れがたし花の名前はなほ知らねども

酒飲めば父の供養になるならむ母の目つきはきつくなれども

父母の諍ひは何時も酒ならむ酒飲む我の今も悲しむ

酒飲めば楽しくあれと父の言ふ父とて何時もさうはあらざり

老後には如何に過ごすと問はれても何ひとつだに思ひつかざる

ひたすらに仕事と楽器に生きるならば他にするなる事も思はず

酒飲みて默し座れる一時の考えざるは死を待つ一時

昔昔流行れる歌の流るれば洟垂らしたる頃も思はむ

難しき曲をさらへるこの頃は酒も控えむ無駄であるとも

焼鳥の煙慕はし夕暮の赤提灯の我を呼ぶなる

父ならばより多く飲む宵なれど不肖の息子は出来上りたり

早く焼けよ我が頼みたるマルチョウの煙はあれど出来は未だなる

香り良き焼鳥我の目の前で他所の人なる前に飛びゆく

愚にもつかぬ三十一文字の並び行く我が人生の意味なきやうに

焼鳥に「ねぎま」は欠かすべからざる子供の頃の夢の食べ物

「人生」を「腎性」なると変換すそんな言葉は見たこともなし

「こんにちは世界の国から」と歌の流るあまりに昔の歌に驚き

少しばかり酒の足らざる今のうちに切り上げるほど賢くありたし

ありたしと思ふ我とはまた別に尻長くする我も我なる

異なれる我を認める余裕あるは歳を長けたる功と思はむ

ほんたうの歌詠む人に褒めらるる素人貶さぬ優しさなるべし

ありがたや真の歌詠む人なれば素人相手に文句は言はざる

焼鳥の焼ける間に間に暇つぶす三十一文字の無駄に並ばむ

次のあらば唐揚げ食べたき気持ちあり次なる時の何時かあるらむ

酔ひ醒めて三十一文字を見返して恥ずかしきとも思はぬ我かは

煙満つ焼鳥屋良し今日は飲まむ明日のことは明日考ふ

最近はうた詠むことも遠ざかり偶に酒飲む時の酔狂

酔狂に三十一文字を並ぶるはまさに酔ひたる時の酔狂

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今週の戯れ歌

我ながら酷い父とは思ふらむ妻子無視してアイス食べなむ

独り食べるアイスクリームの後ろめたし妻子を捨てる没義道なるらむ

ほんものの歌詠みに見せる歌のなきただ落ちているのを拾い上げたる

上達の余念なきのを宣すれど不可能を意図と言ひかへたるらし

次の五輪で我は定年なるならむ運動家では我はあらねど

双子乗る電車にまたも双子来て振り返ればまた双子あるの楽しき

車中にて三十一文字を並べるは他にする事を思ひつかざる

定年の本当に来るか疑わし我らの人参は常に遠ざかる

いつもいつも我らの世代は軽んぜられその他大勢を脱せざらまし

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読書の記録(2024年8月)

浴槽で発見された手記 スタニスワフ・レム
いつもの難解で饒舌なレム節。
カフカの「城」との類似性が指摘されているようだが、「城」においては、「城」の内部構造が一切見えず、K対城の1:1構造になっているが、レムは当然そんな過去踏襲はせず、1:NでありN:Nであり、さらに再帰的構造や群:群の対応があったり、システムそのものが複雑奇怪になっていく印象がある。
「城」もまた私達の日常だが、「浴槽で発見された手記」もまた、私の日常である。

たくさんのふしぎ おいしさつながる 昆布の本
昆布に関係するおいしいものとして、「鱈の昆布〆」が出てくるのが嬉しい。 昔、私が北海道人に「北海道でおいしいものは?」と問うた第一声がこれであった。 「どこで食べられるのか?」と問うと、「近所の漁師にもらった鱈をおふくろが昆布〆にしてくれた・・・」ということで、結局私は食べられなかった。 こうした思い出があってもなくても楽しい昆布の本だった。羅臼と富山の歴史的な関係も述べられていて、例のごとく行き届いた本だった。 (色々な種類の昆布の違いについてももっと知りたい。なぜ地域によって異なる食味の昆布ができるのか、また、食味の違いは生物としてどのような違いなのか、など)。

独裁者の学校 エーリッヒ・ケストナー
簡素にして皮肉の効いた戯曲。独裁政権下で迫害されつつも生き抜いたケストナーだけに終幕もまた悲劇。

思いもよらない日本の見かた モーガン、ルネ
編集部が中国ヘイトをかましたり、不愉快な本。
モーガンさんもルネさんも、日本において外国人として様々な苦労をされていると私は想像するけれど、そういう方が、ヘイトを内在するこういう本にお出になっていて、私は悲しい。
この本を見て腹が立って来たので、「それはわたしが外国人だから?――日本の入管で起こっていること」(安田菜津紀)を読もうと思う。 前提として、ヨイショは社会の潤滑油で必要不可欠と私は考えている。だが、ヨイショも過ぎると身に毒(これ重要)。
購入前に出版社名をよくよく確認するべきだった。

ブルーノ・タウト「日本美の再発見」に書かれた日本礼賛も、行く宛なき亡命者タウトが自分の居場所を作るために行った説を耳にしたことがある。タウトを(ちょいと)読んでみたが、建築物の美は書かれているが、日本の日常をボロクソに書いている部分もあり、まあまあ正直な偏屈爺さんだなと思った。だからと言って、奴さんがヨイショをしていないとは限らないが。
そう言えば、谷崎の「陰影礼賛」もちらっと読んだことがあるが、日本の便所を褒めてたりして、エログロ風味というか、嗜虐/被虐的というか、まっとうな趣味で書いたとは思われない、冗談半分・韜晦全開の文章なので、あれをもって日本文化の正当な評価のひとつとして扱うのは賛成できない、と思った。まあ、そうしたヒネ味こそが日本文化であるという主張には賛同するけれど。

アーキビストという仕事を知る。
チャペックの戯曲「ロボット」には「アルクイスト建築士 Alquist: Clerk of works」なる重要登場人物がある。
この方の名はアーキビストとは関係ないのだろうけれど、ちょっと気になった。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001236/files/46345_23174.html

キリスト教美術をたのしむ 旧約聖書篇 金沢百枝
少しずつ読んできたもの。一点悲しい感想は「(老眼の者にとっては)絵が小さい」。価格、判型から言って仕方がないのであるけれど。
本文と絵がどうしても離れるのも(寝転がって読む者には)読みづらい。
とは言え、中身は非常に楽しい。欧州・キリスト教の歴史の長さを思いつつ、美術として様々な技法・画風を楽しむことができるし、キリスト教の考え方や欧州の歴史の中での重点の変化などにも触れることができる。

天幕のジャドゥーガル 第4巻 トマトスープ
登場人物は、それぞれに、それなりに「善意の人たち」なのだが、あまりにも根深い対立。これからどうなるのか気になる。
なかなか登場人物とその関係が覚えられないので、紙の本が絶対に必要。
そして、早く第5巻出てくれ!気になる。

編集長敬白 名取紀之
もともとブロク(的ネット記事)だったもの。凄い人は若い時から凄かったのだなあ、と恐れ入る。
まあ、自分のごとき微温い趣味者ももちろんいて良いと思うけれど。

小林信夫の模型世界 小林信夫
鉄道模型界で、有名な小林氏の鉄道模型趣味誌掲載記事の抜粋集。
昭和の頃に読んで懐かしい記事もあり、最近古書として買って見つけた記事もあり、さらには未見のものもあり、大変楽しく読むことができた。 小林氏の思い出や思想が端々に語られており、なにか「全人像」を見られる心地がする。私も愛知県出身であり、小工場の思い出など共通するものがあるようにも思った。勝手な思い入れにしか過ぎないのはよくわかっているけどね。

古書店で「部落の女医」を買う。非常に面白そう。「気違い部落周游紀行」と同じような、文化人類学の香りを感ずる。
「日中15年戦争」を買う。ちくま文庫の戦争関連書は買わざるべからず(買うべき)。文庫本が2000円近くするようになったことを嘆きつつ。とはいえ、本書は相当の大部であるが。

海と毒薬(遠藤周作)、キャラメル工場から(佐多稲子)、太陽の季節(石原慎太郎)などを少しめくる。どうするかのう。

以下は買い忘れ防止の覚書:
女ひとり、インドのヒマラヤでバイクに乗る。2024/9/26 里中 はるか (著)
ごはんが楽しみ 2024/10/7 井田 千秋
線路沿い街歩き 小川真二郎作品集 2024/10/11 小川真二郎
(女性の執筆した本ばかり買うのも悪い気がするが、この世の半分は女性なので、そーなるのも当然であろうよ。)

●雑感

ちょっと不思議なアニメーション
SUNDOWN - Animation Short Film 2020 - GOBELINS
https://www.youtube.com/watch?v=jKh-DP89FPY

Wikipediaを眺めて遊んでいたら「酒田戦争」なる言葉を知った。
住軽アルミニウム工業は5年で会社解散。
鳴海小学校の同級生で住友軽金属の社宅に住む者がおり、親が酒田に転勤になった後、数年経って名古屋に戻った・・・というのは今思えばこれだ。会社の盛衰は様々な人生に影響を与えるのだね。

平成のはじめ頃、伯父に呼ばれて食事をした。
「自分が就職した昭和三十年代、人気業種は『三白(さんぱく。砂糖、セメント、肥料原料である硫化アンモニウム)』だった。自動車産業は不人気で、自分のような『落ちこぼれ』の就職先だった。だから、今、人気業種に行っても良いが、不人気業種に行くのも良いかも知れない」と言われた。
平成のはじめ頃、電機メーカー、自動車メーカーなどが人気であったろうか。大学の優秀な人々はそれら産業に数多く就職した。
近年、それらの産業が傾き始めている。あれだけ優秀な人々を集めたのにと本当に驚くしかない。
(自分はそうした優良産業・優良企業には採用されないといささか僻んでいたのだが。。。)

国立音楽大学の所在地が立川市であり、国立駅から徒歩1時間を要することを知った。
うむむ。立川音楽大学か、(最寄りの駅名をとって)玉川上水音楽大学になるしかないのか・・・。まあ、旧立地名を使っている学校はいっぱいあるから、もちろん無問題だけど。

ピクシブ大百科にある「メイツ星人」の解説。「暴徒ぼうと」とあるべきところ、「暴従ぼうじゅう?」となっている。直したもんだか。
ヤフーオークションで、「上野鉄道」の仮名を「こうげつ」と振って模型の機関車を売っている人がいる。箱には「こうづけ」と正しく書いてあるのだが。。。
同様に名鉄電車にある行き先表示を「黒谷 野汲」と読み解いている方がいた。「黒野⇔谷汲」なんだがなあ。
三省堂書店の在庫で「レイアウトの留意線とその実例」というのがあった。正しくは「レイアウトの留置線とその実例」だね。
アニメである「キャシャーン」は「新造人間」なんだ。落語なんかで「ご新造さん」が出てくる(無関係)。

乗ったことのある在来線特急(国鉄JR)
しらさぎ、ひだ、あさま、北斗星、
北斗、オホーツク、踊り子、かいじ、
あずさ、南紀、すずらん、スーパーカムイ、とかち?(おおぞら?) 
新幹線での移動が多かったので、在来線特急とは縁が薄くなりがち。北海道には縁があったので、意外とここで乗っている。山陽・九州方面は壊滅的だね。

HPVワクチンを巡る集団訴訟の鈴木エイト氏によるご報告を読む。
原告の女性達が健康でなく幸福でないことに、まことにご同情申し上げたいが、一方で、裁判というものの厳正さにも心打たれる。
HPVワクチンについては、名古屋コホート研究でも、危険性は見出されないことが報告されていたように思う。
https://x.com/cult_and_fraud/status/1821159033992310855
https://x.com/bar1star/status/1821469563458113850
「科学的見地から妥当な判決が出て欲しいと思うし、何より原告側女性たちが正しい形で救われて欲しいと思う。」という方のお言葉に全面的に賛同する。

ロシアではボールベアリングが払底しつつあり鉄道運行に支障が出ているとか。
ベアリングやピストンリングは高精度な消耗品なので、こういうことになりがちだろう。
飛行機のタービンブレードなんかもその仲間か?

オリンピックで唯一見ようと思ったサッカー(フランス対スペイン)見逃しちゃった。正確には録画忘れ。
まあ、無問題。他は見ていない。ニュースで流れているのを見た程度。
昔は「アマチュアの祭典」であり「参加することに意義がある」だった。それが、商業主義、プロフェショナル参加、国の争いとなり、さらには、汚職の温床となるにつけ、運動家諸氏諸姉を見てはあわれを催すになり、見る価値を感じなくなった。

AppleLossLess でUbuntu上で再生できないファイルがいくつかある。どこかに報告すると喜ばれたりしないのか?
そのうち調べよう。

「不思議遊星歯車機構」について調べてみる。
大きな減速比をとれるようだ。
で、小型モーターと組み合わせた製品もある。
安価ではなさそうだが、一度遊んでみたいものだ。
https://www.icomes.co.jp/custom/microactuator/
もちろん、価格以外の事情もあって模型用になっていないと思うけれど、こーゆーことを考えるのが楽しいのだ。
(口だけ番長)
続けて、サイクロ減速機についても調べる。『歯車』でなく波型なのにきちんと噛み合い、波型だからこそ歯が欠けたりしない(おそらく、特定箇所のみに力がかからない)のが格好良い。 ただし、鉄道車両などに興味があるものとしては、可変速でないのが残念(不思議遊星歯車もだが)。

サイクロ減速機、波波型なので、ゆるい結合かと思いきや、しっかり力が伝わり、かつ、尖った部分がないので、そこが欠けるということもないとは、まさにアンサンブルの理想。
よってして「サイクロ弦楽四重奏団」を旗揚げしようか。
https://www.zokeisha.com/zahs/cy.html
でも、サイクロイド曲線かと思ったら、エピトロコイド平行曲線なのね(意味はわからん)。
サイクロ弦楽四重奏団あらためエピトロコイド弦楽四重奏団
まあ、サイクロ減速機は商標で、一般名詞は cycloidal drive あるいは cycloidal speed reducer というそうだ。

トマトソースパスタを作る際、料理酒のつもりで味醂を入れてしまった。そんなに変ではなかった!
玉葱のみじん切りを炒め、豚こま切れを細かに切ってそこに入れ、塩胡椒少々。
火通りをよくしようと、酒(というか味醂)。
人参細切れ。
茄子の乱切り(あく抜き少々)
オリーブオイル追加
缶詰トマトと生トマト乱切り、昆布茶を投入。
茹で上がったパスタを投入して混ぜる。しばし経ったら皿に盛る。
「パスタなんて『焼きそば』」という言葉を聞いたことがあるが、私が作るパスタに関して言えばそのとおり。

さらにその後のトマトパスタは、茹でた麺に、生トマト、鯖の水煮(レモン風味)、塩昆布(細切れ)、オリーブオイル、バジルを和えてみた。まあ、ふつうの食べ物。ルッコラなどを入れるときっとハイソな食べ物になるだろう。
もうひと品は、長葱、梅干しの汁、赤紫蘇のふりかけ、長芋の刻んだのを和えたパスタ。
あまり火を使わない、というのをしてみた。

『大提琴&鋼琴經典歌曲串燒(工作、通車、日常、放鬆)』なるプログラムをyoutubeで見かける。
大提琴はチェロ、鋼琴はピアノ、経典歌曲はクラシック歌曲。ここまでは良い。「串焼」は「メドレー」らしい。
もちろん「串焼」だけだとまさに串焼らしいが、「歌曲串焼」はメドレーになるようだ。ちょっと美味しそう。
カッコ内の4つは「仕事、交通、日常生活、リラクゼーション」。
最後の「放鬆」がなかなか良い。髭ではないのですよ。

戦車と自走砲の違いがいつまで経っても分からない。分からないままに最近考えたこと。
まず、戦車は戦車兵が自走砲は砲兵が扱う、という説明を読んだが、これは戦車兵と砲兵の違いが分からない私には理解できる説明になっていない。
現在も続くロシアによるウクライナ侵攻・ウクライナによる防衛を見ていると、「大砲」というのは、観測システムや照準システムとともに機能して「見えない遠くの敵」を撃つもののようだ。観測・照準や砲弾供給も含めた大規模システムの末端の一つが「大砲」であって、大砲だけ闇雲に撃つものではない。一方、戦車はそれ自体が動き回って「見える敵」を探して撃つ(映画表現でしか知らないからこう思うが、おそらくシステム化を進めているのだろうけれど)。
話は飛んで、ナポレオンは砲兵出身だったから、皇帝となってからも科学者を重用したという。
ナポレオン戦争の時代においてすでに、観測・照準が数理的に行われていた(あるいは、その萌芽があった)から、ナポレオンには科学への親近感や信頼感があったと思われる。
ということで、「見えない遠くの敵」を数理的に撃つために砲兵が運用する車両が自走砲、「見える敵」を撃つために機動性を重視しているのが戦車、と私は考えている。もちろん、物事にはグレーゾーンがあることも多いし、技術上の問題で別れていたものが、技術上の問題解決によって収斂していくこともあるし、「縄張り争い」も世の常だから、平射する(見える敵を撃つ)自走砲もあるかも、とは思う。
(まあ、私がどう考えようが、誤っていようが、どうでも良いのだが)。

30年ほど前、韓国映画「反則王」を見た。いろいろな国の映画を見てみようくらいの気軽な気持ちだった。
喜劇であり当然面白かったし、多少泥臭い演出も印象的だった。主人公が突然アイドル衣装で出てきて、「演歌」を歌って、好きな彼女にアタックする妄想を描くのなど、なんてわかりやすいのだろう、という感じ。
韓国映画は今もよく話題になり、反則王の主演ソン・ガンホ氏もSNS上でよく見かける。ふふふ、私は30年前から知っておるのだよ、と(まったく意味はないが)嬉しい気分になるのであった。

韓国ドラマ Don't Worry, I'm a Ghost | 걱정마세요, 귀신입니다
役者さんが日本人ぽい。主役男性は野間口氏、女性は上白石氏などなど

ウルトラマンに出ていた女優 小川涼さん。セリフ回しも達者で、コミカルな芸。大した役者さんだと思った。
銅金カナオという派手でいささか均衡を欠いた研究者を演じておられたが、たいへん好演。

祖母は名前に変体仮名を使っていた。
明治生まれの「ふさ」の「さ」
https://cid.ninjal.ac.jp/kana/detail/110030010/
「しづ」の「し」
https://cid.ninjal.ac.jp/kana/detail/120050010/

愛知県の「愛知」は律令制の「愛知郡」から来ているのはおそらく間違いなく、その「愛知郡」は「年魚市潟」から来ているのも間違いないであろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E9%AD%9A%E5%B8%82%E6%BD%9F
年魚市潟の一部が鳴海潟であるが、歌枕としては鳴海潟も有名だったのだから、「愛知」に代わって「鳴海」が使われていても良かった気がする(元鳴海町民として)。
神奈川だって、神奈川郷が神奈川県なんだから、鳴海が県になっても良いのだ(暴論)。

愚息が幼かった頃、「あやかちゃん」を「あやちゃかん」と言っていた。
「あやかちゃん」ママがそれを気に入り、メールアドレスを「あやちゃかん」にして下さっていた。

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読書の記録(2024年7月)

暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ 堀川 惠子
読了。読んでよかった。日本の歴史に興味があるならば、読むべき書である。 大井篤「海上護衛戦」は名著であるが、「海軍が海上輸送を護衛する」観点で書かれたものであり、もう一方の「海上輸送がどのような有様であったか」で書かれたものが本書であり、双方読んでひとつの枠がやっと閉じそうである。さらに(小説であることを大前提に)光岡明「機雷」は、これら海上輸送に関わる現場の状況を理解するのに有用だと考える。
一点だけ苦言めいたものを申し上げると「暁の宇品」という題名が若干小説(創作)らしく見えるのが気になる。部隊名が「暁部隊」であったので、そのことを言いたいのであろうが。また、「ヒロシマ」と名付けるのも分からないではないが、それだけがこの書の本質ではないだろう。(と言って良い題名を思いつくわけでなし)。
結局のところ、先の大戦は、作戦レベルの参謀たちが表舞台で大活躍しつつも、成果が見えにくい兵站システムや系統だった技術開発は有能かつ誠意ある現場担当者任せで、戦略レベルでは放置されていたということだろう。すなわち「プロジェクトX」状態。それを今なお反省しないのが、番組としての「プロジェクトX」。残念である。
なお、江戸家猫八、丸山眞男も、陸軍船舶司令部勤務であった。

中国戦線従軍記 歴史家の体験した戦場 藤原 彰
「暁の宇品」の少なくとも前半は中国戦線の上陸作戦・補給作戦であり、ふと思い出して再読してみた。
確かに度々「宇品」の地名がさらりと出てくる。
どちらかというと激戦とは縁が薄かった著者。そういう戦史は表に出にくい面もある。

暁の宇品にちらりと登場する、今村均(非薩長・リベラル軍人)について少々調べると、大杉栄と同年代であり、新潟県新発田で同時期を過ごした云々とある。
http://kunyon.com/shucho/100705.html
「「坊っちゃん」の時代」(関川夏央、谷口ジロー)でも、同時代を生きた様々な人々の意図せぬ出会いが描かれ、私がごとき無知な者は何度も驚かされるのだが、この出会いも関川・谷口に描いて欲しかったと思うたり。

壮年茂吉 北杜夫
読了。時代が現在に近づいてくるせいか、茂吉の歌も読みやすくなってきたようだ。もしかすると北杜夫(斎藤宗吉)氏の記憶や思いが多くなってきたから、私にとって読みやすくなってきた、ということかも知れない。
私にとって、北杜夫は気づけば身近にあった本である。両親が好きだったのだろう。あまり本を買わないようにしていた我が家でも、「白きたおやかな峰」「船乗りクプクプの冒険」「高みの見物」などあった記憶がある(しかも文庫本ではない単行本だ)。 この後、茂吉晩年を読もうとして気づいたが、その前に茂吉彷徨があるのに気づいた。それを入手してまで読まないか、それとも、息子北杜夫との関係がますます繁くなりそうだから買って読むか。悩ましい。

百年の孤独 ガルシア=マルケス
南米小説らしく、呪術や土俗が身近にある「マジックリアリズム」的面白い本。
非常に面白かった。圧倒的。だが、粗筋など書く意味もないし、読む意味もない。本文を読むしかない。

訳もよくこなれている。稀に修飾関係がわかりにくい場合があるが、意味を考えれば一意な解が得られる。もしかするとこの晦渋は原作が求めているものかも知れぬ、と思ってみる。
最近、翻訳書ではちくま文庫・岩波文庫の調子が良いので、当然それらだろうと思って探してしまった。新潮だった。おやまあ失礼。30年位昔であると、岩波は訳が古く、新潮の方が訳が新しくて読みやすいのがふつうだった(ニーチェは例外)。だが、新潮は新しい売れ筋を追求するようになって、面白みが減じ、あまり読まなくなった。売れ筋っぽいのなら、ハヤカワの方が私の性に合う。というわけで久しぶりの新潮。「戦う操縦士」(サン=テグジュペリ)、「ドクトル・ジバゴ」(パステルナーク)、「我が思い出と冒険」(コナン・ドイル)を絶版にしているのは、いささか疑問であるが・・・。
ついでに角川の惜しい絶版としては「牡猫ムルの人生観」かな。

百年と一日 柴崎友香
面白いことは面白いがオッサンが読む本ではないかな。
私が読書その他の趣味に求めていることは「遠くに行くこと」らしいが、あまり遠くと感じない。それこそが真の距離なのかも知れないけれど。
題名はガルシア=マルケスにちょっと似ているね。そんな運命の大河みたいな風情は感じられないが。

史記列伝 魏公子列伝 第十七 無忌 野口定男訳
史記列伝も三冊ある。少しずつ読もう。資治通鑑や淮南子もある。いつでも遠い国の遠い時間に行かれることを考えるとちょいと愉快だね。

アルテリ十六号 渡辺京二追悼
熊本で発行されている雑誌。渡辺京二の名に惹かれ、松本のカフェで購入。
怖い人だろうなと思っていたが、怖い人だったようだ。さもなければ、世の中に逆らうような本など書けまい。
こういう方があることは大変ありがたいが、身内にこういう方がないのも大変ありがたい、などと思ってしまう。

最後にして最初の人類、鉄の暴風、アナーキストの銀行家、などなど読まねばならん本が多い。ありがたいことである。

ゲルツェン『過去と思索』全7巻。うーむ長い。頑張るかどうか。でも買っておかないと欲しくなった時には入手難だろうなあ。
https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/8062
なぜかゲルツェンをヴィッサリオン・ベリンスキーと勘違いしていた。まあ、人とこの話をすることがなかったので無問題。
ちなみに、クロポトキン自伝「ある革命家の手記」は岩波文庫中でも屈指の面白さ。冒険活劇の類。

雑誌「東京人」に好きな小川真二郎氏の絵が出ているらしい。が、この「東京人」という書名が恥ずかしくて買えない。
自分が東京人なのか、あるいは、東京人になりたいのか、考え込んでしまう。

●雑感
津軽弁の「指揮棒」が「すけぼー」に聴こえる。たいへん楽しい。
https://www.youtube.com/watch?v=hI-6dcqM5pc
おじいさん・おばあさんに電話をするのも、クレームを入れるのも、全て相手の顔が思い浮かんでニッコリしてしまう。
1985年頃、青森の観光バスに乗り、バスガイドさんが我々に話す事は全て聞き取れた(当たり前)が、バスガイドさんと運転手さんがしている会話は一言も聞き取ることができなかった。そういうのを思い出す。そしてまた、井上ひさし「國語元年」。

一方沖縄語は「沖縄方言で歌ってみた」を愛好。「きたたに」が「ちゃたん」になった解説など、女王様が良い人のように見えるのもなんだか楽しい。

ゴヤ「むしり取られて追い出され」
あまり見覚えのない変わった作品。Wikipediaの記事で紹介されなければ見ることもなかったろう。
ジャック・カロなどの「暗い絵」はあまり日本で紹介されない傾向があるね。社会批評が嫌われるのか、歴史的背景を考慮せずに見られる絵だけが「売れる」のか。さて。

電車の2人がけ座席に3人で座る若者あり。記念写真など撮って楽しそうで良かった。

とある選挙の期日前投票に行ってきました。
きじつ「ぜん」が正しいと最近知りましたが、投票所の係の方も、「まえ」と言ってから「ぜん」と言い直したので、一般的には「まえ」で良いのである(と勝手に納得)。
投票箱は期日前投票全期間を通じて開けないらしく、私は投票3日めの1番乗りでしたが、投票箱が空である確認はしませんでした。時報で投票開始なのは、例によって例のごとし。
投票所からの帰路、街角で投票促進ボランティアを見かけるので、投票済ませた旨お知らせしたところ、なかなか意外にも「ありがとうございました」と言われてしまう。私は返す言葉がでなかったのだけれど、私の方こそ大いに感謝すべきと思い、ペットボトルの水一本進呈させていただきました。

選挙結果はいささか不本意なものでしたが、そもそも私は「らくらく当選しそうな方」に投票したことがなく、「ぎりぎりだが当選してほしい方」に投票したり、批判票として投票することが多いので、そーゆーものと言えば、そーゆーものである。
それでも百万票以上投ぜられた候補者がいるのだから、一位の方の公約だけが守られるだけでなく、他の候補者の公約も重んじて頂きたいものだ。

すわ「6世紀双龍文環頭大刀柄頭」かと思ったが、レプリカとのこと。
https://x.com/fuuraibooo/status/1807959175659659323
でも、楽しかった。わくわくした。十二分に「浪漫」。

Flow my tears - John Dowland - Ensemble Soranza
https://www.youtube.com/watch?v=8rWQHf3A3j8
衣装や演出は少々凝りすぎ。お歌は素敵なのに。
自分が演奏者であるせいか、音響空間(誰がどこで発音し、どこに反響して聴こえているのか)が気になる。それがため、画像と音が空間的に不一致だと大変気持ち悪い。おそらくよく反響する閉鎖的空間で録音しているのに、屋外を歩いている映像がついている場面があるが、こういうのアカン。
ふつうに舞台で歌い、その姿を客席側から撮影して頂ければ良い。

Shores of the Belt
https://www.youtube.com/watch?v=qv1T67-1_N4
Kenti Rahayu Wati さんの曲らしい。インドネシアの方らしい。なかなか好きな曲だが、どこかで聴いたような気もする。とりとめもないところが良いが、それがため、覚えていられないようにも思う。

Symphony for eight - Philip Glass - Cello Octet Amsterdam
https://www.youtube.com/watch?v=DWsp-XG31C4 フィリップ・グラスのチェロ八重奏の曲。格好良い!とっても難しいだろうけれど。

GoYa四重奏団のブラームスを聴きなおす。
https://www.youtube.com/watch?v=_sZFNAd-lMA&t=1002s
全員身長 2m82cm くらいはあるな(誤った直感)。演奏中の私の身長はその1/10くらいだ。もっと大きくものを見なければ!

グルジエフの不思議な、でも懐かしいような音楽
https://www.youtube.com/watch?v=740PhEOdx1M
神秘家とでも言うのだろう。弟子にウスペンスキーがいるが、もちろんチェブラーシカの作者とは別な方。
「聖母昇天祭の」という意味なのだそうだ。

ポーランドの音楽大学オーケストラ(私の中でシリーズ)
https://www.youtube.com/watch?v=BPRBLL_iLVA
Penderecki Academy of Music Orchestra
以前聴いたシマノフスキよりも楽団として「引き締まった」音がする。学生さんだけではないのかな?おそらくは。
どの奏者もオーケストラとしての奏法に自信をもって弾いているように見える。
で、〆はスターウォーズ第1作の「王座の間とエンド・タイトル」。この曲は本当に管弦楽曲として一般化した。欧州歌劇・管弦楽表現の正統的な末裔なんだね。

旧海軍に「鳴海」なる砲艦があったとのこと。まったく知らなかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B4%E6%B5%B7_(%E7%A0%B2%E8%89%A6)
元鳴海町民としてはなんだか嬉しい(隣町有松との対抗意識?)。

スタートレック:ローワー・デッキって、面白そう。
でも、ロワー・デッキって、「下層階」ではなく「下層甲板」くらいが良いのでは?軍艦なんだから。
たとえば、下記のは、「lower gun deck」だけどね。
https://sakhalianet.x10.mx/shippictures/image_viewer.php?url=&img=art_anatomy_of_the_ship_of_the_line/three_deck_ship_of_the_line_mid_18th_century.jpg
ふと思いついて、映画「タイタニック」の解説等を見ると、「下層デッキ」と言っている。「甲板」より「デッキ」の方が一般的な語なのね。現代。何かゲームの影響のような気もする。。。

関水金属の蒸気機関車製品化はすべて動態保存機なのね。まあ、営業上当然でもあろうけれど。C11は大井川、東武、北海道など。C12は真岡、C56は西日本、8620は九州などなど。一時代を代表し、両数も多かったC51やD50が製品化されることはないのだろうなあ。

もうすぐパリ五輪。
山下泰裕会長はJOC会長ながら、頸椎損傷のため公式の場に現れることができない。
公式の場に現れなくても「会長」職が務まるのは不思議ね。また、優れた柔道選手だった方が、首の怪我というのも(陰謀論的には)物凄い暗殺者にヤラれた感があるっす。もう少し深刻に考えると、自死されようとしたのか、とも思える。
まあ、JOC自体が「闇の組織」みたいなところと感じてしまうし、そこに巻き込まれて身動きもならない元運動選手というのも悲劇(場合によっては喜劇だが、ほとんどの場合悲劇)である。。。スポーツの方々セカンドキャリアはよくよく考えられよ。
(同じようなことお前にも書いているね)。

「テレスコ式」
テレスコピック式の略。海賊船長が使っている「望遠鏡」のように伸縮式ということだろう。
だが、「てれすこ」と略すと、落語の演目みたいだね。
落語では、「てれすこ」に対し、「すてれんきょう」ということになるが、実はこれらが「テレスコープ」と「ステーレン(星々)鏡」に対応する意味のあるオランダ語であるらしい。もちろん、海の生き物ではないよ。
これは福島第一発電所の放射性物質デブリの取り出しに関して見かけた語。もちろん巫山戯ているのではないが、落語と・・・。

スラブ語系4言語の共通と相違
https://www.youtube.com/watch?v=YpRHf9nQkts
似てはいるけど、時々違う。ともあれ、「ナイフ」のような具体的でおそらくは近隣で同じような道具を指す場合と、「Air」のように、そもそも何を指しているかが曖昧なものもあるなど、似そうなものとそうでなさそうなものがそもそもあるなあ、と思ったり。それも含めて面白い動画であった。

信頼獲得プロセス ~若い教授のベストプラクティス~
http://stanfordmba.blog108.fc2.com/blog-entry-85.html
「人は心を100%解放した時こそ、最も個性を輝かせる」という名言が忘れられず、何度か検索したが、近年の検索エンジン劣化のため探し出すことができなかった。なんとか見つけたので、ここで記録。
しかし、Googleの劣化は公害レベル。MS-Bingもなかなか酷いが、サイト指定検索が効く部分だけはMSが少しだけマシ。

私が学問に目覚めた時 法学部教授・蒲島郁夫
https://park.itc.u-tokyo.ac.jp/agc/news/31/hougaku.html
こちらも最近の検索エンジンでは出てこない貴重な証言。この方は「くまモン」の上司であったというが、それ以上に知られるべき方。退職時、くまモンが転ぶまで走って追ったというのも宜なるかな。

誠実で怜悧そうな乙女の残像 私たちは20世紀に生まれた
https://numabe.exblog.jp/242177634/
昔のネットは、こういう落ち着いた記事、広告のない記事、賢い方の書いた記事を読むものだった。どちらかと言うと読書ができる人間、文章を書くことができる人間の場所であった。それらもまた今は昔になってしまった。
ここで紹介されている尾崎喜八の「冠着」は素晴らしい。私も自分の好む書を読んでいる方には大いなる親近感を覚える。そしてまた、旅の途上であればなおのこと。
http://www.ozaki.mann1952.com/bun/aoienpou.html

某書店で「もらったプチトマトのおいしさ」を語る店員さんが居られた。他の店員さんにお勧めしたりして楽しそう。何か、よく書かれた戯曲を演じているかのようでもあった。
で、ご本人らに、その楽しさをお伝えしたところ、私もプチトマトを頂いてしまった。とても美味しかった。ごちそうさま。
どのお店か書くとご迷惑な気がするので、それは秘匿。

ドビュッシー: 歌劇「ペレアスとメリザンド」(1963年3月12日 シャンゼリゼ劇場ステレオ・ライヴ)
https://tower.jp/item/6292141/
とても興味深いが、誤字がちょっと格好悪い。
 誤:そして、<ペレアス>を演奏する幼帝を次のように語ります。
 正:そして、<ペレアス>を演奏する要諦を次のように語ります。
聴いてはみたいが、お値段も高く、SACDの再生環境は手元にないので、止めておこう。

ドイツ文学者高橋健二の戦中と戦後について少し読む。
https://numabe.exblog.jp/240330393/
https://core.ac.uk/download/pdf/236039139.pdf
後者には「知の変動」なる言葉が出てくる。ふと、昔読んだ東京大学編「知の技法」を思い出す。あれは、私には詰まらない書物だった。知の暴力性に対し無批判・無反省であったからだと記憶する。調べると、三部作で、1.技法、2.論理、3.モラル、となっている。これらを読むと、私のつまらなさは払拭されるのかも知れぬ。が、もいちど読む気にはならんなあ。(出発点からは完全に脱線)
ともあれ、昨今の営業批評家の類も、無批判無反省に適当な営業的言辞を弄しているなあ、と思ったりする。

大阪に梅田駅が複数ある問題に対し、一時は、九州にも梅田駅があったとのこと。
1915年(大正3年)から1943年(昭和18年)。小倉鉄道梅田駅が戦時買収されるまで。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BB%BB%E9%A7%85

原作改変問題に関連して。
テレビ版サザエさんで、冷蔵庫が白色から緑色にかわった時、出資者が東芝だからかな、と思った。
昔は「しろもの家電」と言っていたが、バブル期頃から他の色の冷蔵庫も売られるようになった。サザエさんの事例も同様の時期だったと思う。
電話はいつまでも黒電話であるようだが。

定年退職まで指折り数えるほど。子らも成人、親は物故。定年再雇用で汲々とするのは性に合わないが、突然生活を変えるのもよろしくないだろうから、許されるなら週に3日ばかり働くようにしてみようか。もしかすると、急に勤労意欲が湧く可能性も皆無ではないだろう。それはその時考えよう。でも、全日を労働に捧げる気持ちにはなれない。楽隠居としてやりたいことをゴソゴソ始めるのが良いだろう。さほどの「やりたいこと」もないのだけれど。

昔のブログ記事を読み直すと、何度も書いているネタがある。記憶力の減退が少々悲しいが、既に二十年近く書いているブログである以上、仕方がないであろう。気にしないことにする。

NHKで立川談志の「化け物屋敷」を見る。
私は談志は好きでなかった。理屈屋で捻て繊細で。私が落語に求めるのは、もっと下らなくてバカバカしくて大らかで突拍子もなく野放図なものだ。
でも、こうやって見なおすと、当たり前だが談志は良い。
円楽が借金して建てたことで有名な「若竹」で演じているのだが、なんのかんのと若竹や円楽を引き合いに出す。
それもクサしているようで、決してそうではない。談志って優しい男なんだな、談志って良い男だな、と思う。だが、あまりに繊細でその優しさがまっすぐに出ないから捻てしまう。
だから、私は談志には好きなところが一杯あるし、いい男だと思いつつ、ちょっと距離を置きたくなるのである。
(談志の捻ているところだけ真似ている弟子がいるが、この男は繊細でもなく優しさもないので救いようがない、と感じる。おそらくは、田中啓文の小説で描かれる笑酔亭梅雨のような男であろう)。

笑福亭松鶴 後引酒。動画を見る。本当に酔っているように見えるが、もちろん芸。虚実皮膜である。楽しい。

昼下がりにテレビで放映しているB級映画「ROHNIN」を録画して見てしまった。
高速でわかりやすい映画。昼下がりダラダラしながら見るには最高(見たのは昼下がりではないけれど)。
奪い合っている「ケース」の中身がまったく明かされないなど、いくつかご都合主義だが、そんなことが問題になる映画でもない。

ルービック・キューブは3次元上の正6面体で1面を3×3に分割。N次元上の正M面体をP×Pに分割したキューブで同じような遊びができるだろうか。以前、Excel上にルービック・キューブを実装しようとしたことがある。平面に投影すればこのように何次元であっても問題ないはずだ・・・が、N次元上の「回転」が直感的には理解できない。

スペイン放送協会による El Quijote ドン・キホーテの連続ドラマ。
https://www.youtube.com/watch?v=VZ1geIOE5T8
スペインの乾燥した風景が懐かしい。原作が読みたくなった。
この映像を見ていると、ドン・キホーテの憧れる「騎士道時代」とドン・キホーテが現実に生きる「現代」の違いが私にはよくわからない。おそらく、江戸と室町のように、「どちらも自分にとっては遠い昔」でしかないからだろう。そしてまた、騎士道時代の錯誤とドン・キホーテの現代の錯誤が異なるようにも見えない。だが、よくよく考えると、それは、江戸の錯誤、明治以降の錯誤、戦後から現代までの錯誤もまた異ならないのだろう。

遠い昔に読んだはずのドン・キホーテ原作。なかなかに読みにくかった記憶がある。饒舌すぎるというかなんというか。この映像を眺めつつ読むとより楽しく読めそうに思う。そして、ティラン・ロブラン(岩波文庫)も買っておかねば。さらに、読みかけで放り出している「ラ・セレスティーナ」もまた。

スェーデン放送のネットラジオで、シマノフスキの演奏会用序曲を耳にする。R.シュトラウスみたいな格好良い序曲 もっと演奏されて良いように思うが。・・・クラシック界によくある話としては、著作権が切れ、楽譜の入手が容易になって、初めて取り上げられるというもの(データがあるわけではないので、そーゆー気がするレベルだが)。

みわぞうsings三文オペラ
https://www.youtube.com/watch?v=Fo60tncK2Gw
私がクルト・ワイルに求める、フガフガして定かならぬ音作りがされていて嬉しい。

White Voice 東欧の伝統的歌唱法。
https://www.youtube.com/watch?v=wLntE4v6VNo
https://en.wikipedia.org/wiki/White_voice
https://www.youtube.com/watch?v=Vc54taQsLxA
オペラ的な、いわゆる「ベル・カント」と対照的な歌唱法(であるように私は感じている)。
私はベル・カントには軽やかさを、ホワイト・ヴォイスには力強さを感じるが、単純にそうとは言い切れないそれぞれに複雑な味わいを感じる。で、私は(たいへん幸せなことに)どっちも好きなのよ。(他の歌唱法も)。
なお、youtubeのチャンネルは、スラブの共通性を強調し、ロシアを「スラブ国家」としているようだが、シベリアをスラブにしてしまうのはどうかと思うのと、ウクライナからあれほど厭われてなおロシアをスラブの盟主と思うのは勘違いも甚だしいと思う。

チェコの喜劇ドラマ。ちょっと見ている時間がないのでメモ。
https://www.youtube.com/watch?v=3u_UvebAF-c&list=PLoTYYc0WPf5BXxE-rdidj_vFhAJG7OAtI

ベートーヴェン Op.131 自分が弾くための参考資料として: ボロメオSQ 色々なアイデアがあって参考になる。アジア人率が高い。
https://www.youtube.com/watch?v=stbnbu0aPGI
電子譜面なのね。

東京都美術館でデ・キリコ展を見る。
有名なマヌカンの絵以外にも、初期作品や舞台芸術などもある。
遠近法が狂っているのは有名だが、平行で一点に消失するはずの床材がいい加減に描かれていたり、人物像の骨格が歪んでいたり、手抜きな顔だったり(剣闘士達の戦い)、遠景か近景か判らなかったり(Bagnante coricataの背景の海など)、色調も「赤」なら「赤」で押し通すなど、どれも仕事が「丁寧でない」ように見える。絵葉書や教科書などの印刷媒体で適度に劣化させると、割と見やすいのだが、実物はとても「荒っぽい」。
この人は、絵を描くのが好きではなかったのではないか、特にふつうの絵かきが喜んで描く「顔」とか「模様」とか「色彩」などを憎んでいたのではないか、と思ったりもした。
初期の自画像もふつうに写実的だが、衣服の模様はごにゃごにゃさせているだけであり、色調も荒っぽいので、そう思った。
そして細かく描くのが嫌さに、あの平板な顔「マヌカン」に至ったのではないか・・・と。
(素人の愚論としてお読み流し下さい。もちっと考えてみます)。

PERCY FAITH - A SUMMER PLACE ALBUM などを聴く。母が好きであったろう映画音楽、という感じ。
懐かしくも優雅だ。おそらくは、若き日の母にとって、米国映画は憧れの象徴であり、明るい未来への希望でもあったのだろう。
私は思う、当時の米国の最大の輸出物は「自由」と「希望」であった、と。
今なお、諸外国の優秀な留学生・移民を惹きつけるのは、これらではないのか。これらを投げ出す米国には亡国しかないのではないか。

アドルフ・ホフマイステル Adolf Hoffmeister(1902~1973)
https://en.wikipedia.org/wiki/Adolf_Hoffmeister
チェコの画家。チャペックのカリカチュアで馴染んでいたが、Wikipediaにある多彩な作品を見ると様々な技法・画風のいずれも卓越していると感じる。上手い。
illustration Made in Japan, 1958 だけは、現実の日本とあまりにも関係ないけれど。でも、この絵の幻想性には惹かれるね!

Giuseppina (1959)
https://www.youtube.com/watch?v=EIbQSLI6FjE
英国石油が出資した短編映画らしい。なかなかというより非常に良かった。ガソリンスタンドに現れる各国人の様相、そして最後のお客。
主人公父娘が(そして母と赤子も)素敵。1961年のアカデミー賞をとっているのも宜なるかな。

ネットの天気予報サイトを眺めていたら、過去に検索した地域の天気が小さく表示されているのに気づく。
新十津川町、中札内村、士別市。行ったのは昨年3月。どの町も雪の中だった(中札内では地面が見えていたけれど)。懐かしい。

CD店で、バッハの宗教曲について店員さんに解説してもらっている人がいた。 ガーディナーのマタイ受難曲を聴いたが次は異なる演奏を聴きたいということだった。お店の物知り店員さんは、いくつかの指揮者を挙げた上で、カール・リヒターを薦めていた。そして、さらに重い方が良ければクレンペラーを、軽い方がよければヘレヴェッヘを、と言っていたようだ。 なかなかに我が意を得たりの感がある。私がこれらのマタイを全て聴いているわけではないけれど、なんとなう話について行かれるのは、年の功であろう。
一方、ショパンのピアノ三重奏のヴィオラ・チェロ・ピアノ版をBGMにかけつつ「地味だ」と宣う方もあり。私はヴィオラが実にいい音で感心しましたが。

己の書いた過去のブログを読み返していてモンサラットをモンラサット誤っていたことに気づく。
モンサラットは、モン・セラート「星の山」と音韻が似ている。スペインの修道院にそんなのがあったっけ。

「酒田戦争」なる言葉を知る。
住友化学対住友金属。結局住友金属が酒田に無理やり作った住軽アルミニウム工業はオイルショックもあり5年で解散。
そう言えば、鳴海には住友金属系の社宅があり、ここのご一家で酒田に転勤になったお父さんがいた記憶がある。
今にして思うと、酒田戦争関係だったのね。

島根朋史氏の無伴奏チェロ組曲全曲演奏会に行く。
一日で全曲弾くのも困難だと思うが、さらに無伴奏フルート・パルティータ(トレブル・ガンバによる)を入れ、アンコールに無伴奏ヴァイオリン・ソナタの第2番からアンダンテを弾くという偉業。
にこやかに高ぶらず、種々の説明を行ないながら、美しい音で演奏を積み上げる。唖然とする他ない。
一番印象に残ったのは第五番。サラバンドを中心に前後の対称性があることを活かした盛り上げがたいへん楽しかった。

我々の世代は、「クラシック音楽」の最初の者であるかのようにバッハを考え、バッハ・ベートーヴェン・ブラームスくらいの視野でバッハを考えたりするあ、この方はヴィオラ・ダ・ガンバも達者であるし、バロック・古典派の豊かな世界でのバッハを見ているように思われる。
このこと自体は、師匠筋であるビルスマや鈴木秀美が切り開いてきたことであろうけれど、理屈を踏まえつつもそれを超えた豊かな実りとして提示されることの凄さよ。

良い方の演奏を聴くことができる良い時期に生きられるありがたさよ。

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読書の記録(2024年6月)

チェロ・レポート: 社会人になってからチェロを習い始めて、 いったいどこまで上達できるのか? 竹内千寿
社会人になってから楽器を初めた方のレポート。なかなか参考になる。が、参考にならない部分ももちろんある。
時間がない社会人としての練習方法や、理系(特に物理系)としての考え方は参考になる。あるいは、自分が考えてきたことの確認になる。
一方、ものすごいエネルギーを投じてチェロに取組んでいることについて、現在の私には(今さら)参考にはならない。これは筆者の咎ではなく、単なる時期の問題である。
とは言え、同じアマチュアとしてこんなにも凄い仲間が居るのだ、と楽しむのに良い本である。

壮年茂吉 北杜夫
北杜夫はトーマス・マンへの愛好から始まっている、と永年信じてきたが、父茂吉へのあこがれも大きかったことが知れる。
本来、「仮説」であろうところが、繰り返し「仮設」になっている。岩波ともあろうものが。。。
また、「ソップ」がオランダ語であることから、オランダへの接点を探されるが、明治・大正期の方は「ソップ」なる語をオランダ語と意識せず、一般に使っていたように思う。池波正太郎などにも用例があったと記憶する。ちゃんこ鍋などでも「そっぷ」という言い方をしたのではないかな?まあ、今更な感懐ではあるものの。
そんな詰まらないことを書いても仕方がないが、私は自分が散文的な人間であることを再発見しているようだ。茂吉より杜夫の方に興味があるのもそういうことであろう。

空軍大戦略 リチャード・コリヤー
早川書房の古い本。実は今を遡る四十年以上以前、小学生だった私は、この本(ハヤカワ文庫版)を、ほぼ立ち読みで読了してしまった。その罪滅ぼしでもないけれど、今回古書店で購入。そんな高値がつく本でもないが。
古い訳であり、訳語について文句を言うとキリがない。昔は様々な情報が乏しいなかで翻訳していたのだなあ、と感じる。

人が亡くなるところはさらりと書き、生存者バイアスに満ち満ちた書、ということができるかも知れない。
あるいは、実際の戦争を経験した当時の人々には、こうした多数の死の有様は当たり前のことであって、わざわざ詳述するまでもなかったのであろうか。(あるいは出版営業上の事情もあろう)。

英国の努力が大きかったのはもちろんだが、ドイツの戦術的錯誤によって英国独立は保たれたと言えるのだろうか。また、記載の仕方を見ていると、戦闘員同士の戦闘はある種「騎士道」作法であるかのように記述されているように読める。この点、独露戦、日中戦、日米戦とも雰囲気が異なるように思われる。「戦争」への見方さまざま。

どんな軍隊でも自国を守る戦いは他とは異なるのだろう。だが、二度の欧州大戦に参加した米軍は?不思議である。
逆説的には、戦争こそ米国の基盤であると言う説はこの辺りから出るのだろうか?

イシ 北米最後の野生インディアン シオドーラ・クローバー 著、行方昭夫
たいへん貴重な書。
白人(アングロサクソン)の行ったインディアン虐殺について、時代的言い訳が長いな、と思ったが、その後の虐殺の様子を(白人読者に)読ませるための伏線であったかと思ったりする。インディアン虐殺の記述については、相当程度気分が悪くなる。しかし、これは世界中で起こったことでもあり、日本人にも無縁でない。そう思いつつ耐えて読む。(日本人が大日本帝国の名の下に行ったことごとをも私は考える。粗雑なる精神を持つ者は民族人種を問わず何処にでも居るのであろうか、と。)
スペイン人はある程度現地住民と和したが、アングロサクソンは虐殺に走ったというがなぜだろう。ゴールドラッシュなど「ならず者」が大手を振って生きる時代であったとも言えるのだが。
ともあれ、イシと友人たちの交流には少し心慰むるように想う。
西洋人が出会ったアメリカ原住民への感想を、東洋人が読むと違和感なきにしもあらずであるが、それを考えることが考えると言うことではないかと思う。
様々に思うところの有り、一定の言では言い表せない。即ち良い読書であった。

暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ 堀川 惠子
なんだか読みにくそうと思ってしばらく積んでいたが、読み始めると速い。文章が非常に読み易く、たいへん助かる。
例によって例のごとく旧軍の悪弊が頻出。その中で奮闘された有為の人々を思う。どうしてもそうした人々に肩入れしたくなるけれど、戦争そのものが断罪される時、その戦争に対して有為も無為もないではないか、とも思う。ともあれ、「失敗の本質」がそうであるように、無為が有為に卓越している場合に、「必要のない戦争」が起こるとも言える。(必ずそうなるという蓋然性があるとは言えないとしても)。
「きけ わだつみのこえ」においても、科学的議論の不在が敗戦をもたらした、という感想があり、私は技術論だけで見ても、これは非常に重要な指摘だと思っている。

東野鉄道・上武鉄道
数十年前に廃止になった鉄道の本。楽しい読書。多士済済興味深い車両があの頃の風景の中を走っていたのかと感興。

陛下のお書きになった「テムズとともに」。調べると、私は2014年に読んでいる。あの頃、まだ町にあった古書店の店頭で贖ったのであった。
移動の自由をお持ちではない方だからこそ「道」あるいは「運河」に興味をお持ちになったとか。
野原などに自然にできる「踏み分け道」を、以前見たことがある。「これこそ道の道たるものだ」と思った。すなわち始原の道。
陛下はそんな道をご覧になったことがあるだろうか。

先日、古書店で「ソ連に幽霊は存在しない」を見つけた。買おうかと思ったが、思いとどまった。2012年8月に読んだではないか。
忘れているのだから再読しても良いが、この程度の感想しか書かないのであれば、再読するほどのものでもないのだろう。
http://folia.txt-nifty.com/musik/2012/09/20128-fa69.html

「太陽の季節」。短いのに読む気にならない。所詮金持ち学生の遊興生活を描いたものであって、通俗小説の域を出ないからだろう。

●雑感
小旅行。直前まで行き先定まらず、結局松本周辺。折りたたみ自転車は、雨のため断念。
大糸線で信濃大町に行く。立山黒部アルペンルートの一端ということに、行くまで気づかず。迂闊。

お昼は蕎麦屋さんで、信州の食べ物セット。塩烏賊の酢の物、エゴ、野沢菜。そしてキノコ蕎麦(冷)、日本酒常温。塩烏賊が特に美味しかった。

穂高の碌山美術館。碌山氏出身地。館の建て様、初夏の若葉が雨に濡れるの有様もよろしく楽しめた。
文覚は西行伝説でも聞いていたが、たしかに西行に限らず気に入らぬ輩を殴りつけそう。

ほんとは、折りたたみ自転車で安曇野を走り回るはずだったのだが。。。

松本に戻り、雨の中ぶらつく。格好良い画材店の隣、電気屋さんの古い看板をかけたまま営業しているカフェ。本も売っているのが良い。
向かいに銭湯があるのが目につく。カフェにも銭湯の楽しいパンフレットがある。
カフェの女性に、銭湯は百年ほども歴史があるなど聞いて楽しい。もともとは材木屋さんだったのが、木っ端を燃やしたのが始まりらしい。
銭湯最高。
湯上がりに番台の女性と少し話す。雲がなければ常念岳が見えるなど。松本の方は皆親切だ。
その後、パン屋さんでクリームパンを購入後、なかなかよろしい居酒屋を発見し沈潜。野菜のおばんざいを特に称揚したい(わざわざ一人用にしてくださった)。
こうして、雨ながらも蕎麦屋・彫刻・カフェ・銭湯・居酒屋となかなか良い一日であった。

二日目は大変晴れた。宿でクリームパンを食した後、ウロウロしていると、昨日のカフェを再度発見。朝からやっている。そういえば、そんなことを聞いたような気もする。酔って忘れた愚。
朝のコーヒーを飲んでいなかったので、もいちど入る。後から入ってきた客人ドウグヤタサキ氏(ヴィオラ弾きの友人に似ている)としばしお話。
昨日もらいそびれたパンフを見ると、カフェの主は市議会議員でもあるようだ。そう言えば、銭湯の脇に出ている看板を昨日から見ているはずなのに、気づかない愚。
客人ドウグヤタサキ氏は芸術家で展示のため松本に度々来ているとか。
その後、宛もなく歩き出し、大きな木が生えているのに向かって歩くと。旧制松本高校の遺構。
北杜夫「どくとるマンボウ青春記」の舞台であり、先日、松高教授であった蛭川幸茂氏の著書も読んだばかり。感慨深い。

さて、松高の後、地図を見ると、松本民芸館が近いので、行ってみる。道が少々わかりにくく、偶然行きあった近所の方にわかりやすいところまでご案内いただく。まこと松本の方は親切である。
松本民芸館は、非常によかった。先般、世田谷区美術館での民芸展も良かったが、松本の風景の中にある民芸やまた良し。

バスで松本城に移動。その後、ドウグヤタサキ氏の展示を見る。軽妙で楽しい。買わないのは申し訳ない。

松本→甲府→富士→熱海→小田原なる経路で帰途。身延線全線は本当に久しぶり。富士・富士宮間のみは仕事で2往復(以上)しているが、全線は小学生だった頃、父に連れられて以来。あの時も甲府から富士に向かった。

直前まで松本に行くと決めていなかったし、松本でどうするかも考えていなかったし、その割には楽しめた。そういう自分にとって行きやすく、行けば楽しい土地がひとつふたつあると良いものだ。松本の皆さんには感謝するばかりである。

神秘主義者グルジェフやその弟子ハルトマンの音楽らしい。
https://www.youtube.com/watch?v=rlq3a2JfMRc
相当不思議。ふつうの調性音楽ではあると思うのだが。 仮名表記でハルトマンになる作曲家は複数いるが、この方は、露人 Thomas Alexandrovich de Hartmann 。

素敵な歌、ガンバの素敵な伴奏と素敵なオブリガート
https://www.youtube.com/watch?v=UwfPKcTNv-4
もともとは、歌手 Barbara が歌った「 Ce matin-là 今朝」のカバーらしい。
特にオブリガートが良い。譜面が欲しい(同じ雰囲気で弾けるかどうかは別問題)。 訳詞はこちらにあった。有り難い。
http://chantefable2.blog.fc2.com/blog-entry-313.html

道楽亭橋本氏逝去
道楽亭には、数度行っただけのご縁だが。最初は、行けなくなった同僚の切符を引き取って代わりに行ったものだった。うんと狭い、膝を抱えるような客席で、でも楽しかった。
そして、記憶に残るのは舞台に上がるはおふた方、お客に来たのは私ひとり「演っても良いですが、キツいですよ」と言われ、止めにしてもらったもの。今思えば、一生に一度のこととて、演って貰えばよかった。で、ご祝儀の一つも出せば「イイ男」だったんではないかな。私は往々にして判断を過つが、思い出に残るひとつがこれだ。
道楽亭。いい名前の良い席だった。

インテル入ってる、という宣伝文句があった。Intel inside の和訳だろう。英和とも韻を踏んでいるのが良い。
メンタル参ってる、という一文を思いついた。使いどころが見つからない。言葉の軽さに比して内容が重すぎる。
バザールでござーる、という宣伝文句があった。マジャールでごじゃーる、という一文を思いついた。やはり使いどころが見つからない。
いつかバルトークを演奏する時に唱えてみようか。

鉄道模型製造会社ホーンビー
https://uk.hornby.com/hornbytt120
日本ではあまり見かけない。1/120模型が結構作られている。この模型は英国型1/120なので、模型の軌間は12mmのようだ。日本型1/120だと9mmになるので、ちっとも互換性などない。自分には関係ないが、残念だと思った。
機関車も思いの他様々な種類が作られている。
機関車トーマスで、いじわるな「ディーゼル」と呼ばれていた機関車も。 https://uk.hornby.com/products/br-class-08-0-6-0-d3986-era-5-tt3028m 調べると、このディーゼル機関車 BR Class 08 は、「1010両が製造され、イギリス国鉄の 各形式の中でも最多数のディーゼル機」だそうだ。だからこそ、蒸気機関車愛好家に憎まれたのかも知れない、と思った。最高速度は32km/h というのも、ものすごい割り切りである。

鉄道の人たち  昭和27年制作
https://www.youtube.com/watch?v=3K_ttsioHTQ&t=126s
途中、除雪車出動時のBGMが「パシフィック231」。厳密には「場違い」だろう。電気機関車で雪が多いのは、上越線か?

youtubeで海戦の解説を見てみる。
米国人が作成したものは、艦長が主人公で人間サイズの物語、日本人が作成したものは、艦が主人公で人影は皆無。
偶然そうなっただけなのかも知れないが、日本人の行う種々の「擬人化」とも合わせ、何か戦争観・人間観の違いがあるようにも思える

偶々「響け! ユーフォニアム」(宝島社文庫)の表紙絵を見た。コントラバスのお嬢さんはフレンチ弓なのね。高校生ながら天晴!
あと、バスにパフリングがないみたい。
(まあ、そういうことではないのだろうけれど)。

「慶応大学は慶應年間に始まり、明治になって始まった東京大学より古い」理論がある。
で、緒方洪庵は適塾。適塾は大阪大学医学部の前身。福沢諭吉は適塾出身で慶應義塾を作った。だから、慶應大学は大阪大学の分家説。
だが、仏教系大学がより古い説もある。
Wikipedia「カレッジ」の項目より引用
学寮を起源とする仏教系大学としては、駒澤大学(1592年創立・曹洞宗)、龍谷大学(1639年創立・浄土真宗本願寺派)、大谷大学(1665年創立・真宗大谷派)、花園大学(1872年創立・臨済宗)などがある。
さらに「四天王寺大学は推古天皇の元年に聖徳太子により、仏の教えを学ぶ場、そして人間教育の場として創建された四天王寺敬田院(きょうでんいん)が起源である。」とも(Wikipedia)。だんだん面白くなってきた!

クイックおばけさん。大好き。
https://www.instagram.com/p/C8FEqVpyyNd/
どじょう星人も素敵だが、私の音楽にどじょう星人の宇宙船を動かすほどの感情があるだろうか。
感情的ではない理知の音楽も面白いが、私としては、理知と感情のたゆたい・混淆・混沌こそが音楽ではないか、という気持ちがある。

ウテ・レンパーほか
https://www.youtube.com/watch?v=GkpWgiJQnHM
レンパーさんご存命だったのね。というか、私とさほど変わらんやん。そうだっけ?

煙がある風景 峠を超えるD51 関西本線と中在家信号場
https://www.youtube.com/watch?v=Yuw0BcuW2RU
素晴らしい蒸気機関車の風景(現実にこんな煙に燻されたいというのではないけれど)。
コメントの中に「複数の蒸気機関車はどのように協調運転していたか?」とある。「汽笛で合図しあい、あとは乗務員の技倆・努力によっていた」くらいが現代的正解であろうか。
私世代の者は、親父から、あるいは身近な書物からそうした話を見聞きしていたけれど、もうそういう時代ではないのだ、と改めて感じる。

ポーランドの音楽学生オーケストラ(らしい)
https://www.youtube.com/watch?v=qxy_cftk0ho&t=2288s
ハイドンなどを聴いても音色が冷ややかであると感じるのは、ポーランドに対する先入観のせいか?

以前「通奏低音を弾いたことがあるか?」と訊かれた。適当に応えてしまったが、これって、通奏低音の例のアルファベット/数値を見て解釈できるか?という問いかも、と最近になって思ったので、テレマンの通奏低音教本をまずは買ってみる。(が、私の目的にはあまりそぐわないようなのを買って見て気づく。)
ともあれ、自分で解釈したのではないにせよ、若い頃、バッハ、ヘンデル、パーセルなどを弾いたことがあり、これらは今になっても大きな財産かも知れない、と思った。

モーツァルト協会例会、市川市文化会館(6/29)で、島根氏の演奏を聴く。
失礼な褒め方だが、音程感が非常によく、音作りも非常に良い。「歌い口」に惹かれる。

丸山韶氏のCD「Frenesia」を買ってみた。「熱狂」という掲題を軽んじるわけではないけれど、風の声・雲の流れ・暮方の光のような軽やかで繊細な音楽であるように感じる。こういうのが好きだ。この方のモーツァルトのヴァイオリン・ソナタを聴いた後、Youtubeで他の演奏を聴いた。現代ヴァイオリンは味付けが濃すぎて私には胃もたれするようだ。
活気ある通奏低音も素晴らしい。

Viola da Gamba 三兄弟(嘘)
treble viola da gamba
terrible viola da gamba
trouble viola da gamba
私は天与の才によって下ふたつは達人になれそう。

ついでに、Oboe 三兄弟(嘘)
Oboe da caccia
Oboe Focaccia
oboe d'amore

モーツァルトの弦楽四重奏第15番を練習:
1楽章:死人のように無表情に弾いておるな>>儂。
4楽章:時々変態ヴィヴラートが炸裂する。まあ強調したいお気持ちはわかるのだが>>儂。
臨時記号があるような音は「事件」なのだが、「事件」として求められている程度を超えて「大事件」になっておる>>儂。
最後のコラールはヴィオラが紙一枚音量大な方が嬉しいかも。

ブラームスの弦楽四重奏第2番を練習: 1楽章: 冒頭しばらくチェロが死んでいる。音程極悪。拍の70%くらいで意識喪失。ブラームスを弾くならば、白玉(全音符)は102%以上弾く気持ちでないとアカンよね。
皆で音程整理しないとアカンね(自分ができないのは連帯責任)。

ハイドンOp76-5:
1度は真面目に弾いた曲であり、おおむね形になってはいるけれど、第1楽章が思いの外やることが多そう。
「表情」を作る意識はオーケストラ奏者にはあまり要求されないし、モーツァルトやベートーヴェンでもさほどは必要ないだろう。
でも、ハイドンは表情を作らないと、まったく音楽にならない。そんな感じ。
後、細かい音符で急ぐ癖を是正しよう。十分弾けるテンポであることをよくよく理解しよう。

ベートーヴェンOp.131:
少し先が見えてきたかも。通せば通る。落ちるが戻れるの程度だが。
ベートーヴェンの話ではないが、「人間が覚えていられるのは7つ8つ。」という話がある。で、多くの場合、生活で2つくらい、趣味で2つくらい記憶領域を使っていて、仕事に3つ4つ割いていれば大したもの、と聞いた。仕事が忙しくなれば、一時的に趣味や生活を削ってしのぐ等など。その意味でも、この曲の7楽章は多いのよね。しかも、途中長い変奏曲(変奏の度合いが大きくて別な曲に聴こえる)が入る。
ともあれ、もっと「考えないで弾ける」ようにする必要がある。頑張ろう。
ブラームスはもっと「考えて弾ける」方が良さそうに思うのだが、この「考える」とは何を言っているのだ?>>私

とは言え、先日から取り組んでいるデュポールのお陰で左手は矯正されつつあり、様々なパッセージに活きているように思う。 デュポールは、第1番が弾けそうになかったので、8番、9番に取組み、これらもちっとも上達しないので、1番に戻って見た。どれも弾けないのだが、弾けないなりに楽しく練習している。

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今週の戯れ歌

酔ひ酔ひて友としあれば語り合ひて思ひ残せる事のあるまじ

高き酒を仮令飲むとも志の共にしなくば砂と同じき

安酒であれど同じき意を持てる友にしあれば黄金の味せむ

黄金なる酒注ぐ友の居ませまし我が後の世もかくもあれかし

立場なれば若き人には語りせむ役に立つかは疑問なりせど

若者よ年寄りの語るあれこれは聞き流しつつ己が道行け

我もまた人たちのやうに歳をとり同じきやうに繰り言もせむ

目の前を通り過ぎ行く列車あり我が目も今は追ひつかざりける

列車待つホームで煎餅食べる者ちいと遠慮の気配こそせよ

取り立てて注意せむとは思ふまじされどひとこと言いたくもあり

酔ひ酔ひて友と別るるその時はまた逢ふ日をも期せずあるらむ

我が耳の適当なるはよく知りしそんなものとは何時も知れける

昔昔録音機材の悪しかると思ひたるこそごかいなるらむ

ある時は三十一文字の浮かぶらむ然程の意味も絶へて無けれど

闇にあり併走すなる列車あり何処まで我と行を共せむ

うたを詠む人を此の世で見もあらずさういふ人のありしや否や

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今週の戯れ歌

昔食べし駅蕎麦の店閉まりける嗚呼あの時に食べてよかつた

様々な事急に昔の事となり取り残されし心地こそあれ

切符買う方法さえも変わりけり昔の技術の役に立たざり

宛もなく列車に乗りて言ふことなし知らぬ景色に喜ばむ我

何処に行けど家の様子の変わらざる土地の色こそ今は消えけり

昔買いし雪だるまなる酒瓶の絶えて見ざるは少し悲しき

綺羅星の如くスパークしながら走り行く新幹線は昭和の思ひ出

人たちの仲良くするを端で見ば己が姿を確かめざらめや

何かにの因果はあつて今のあり省みるのも手遅れなるかな

酒飲めば楽しむべしと思ひあれどさなき心も湧き起こるやらむ

昔見し町の我には冷たかる我また街には冷かりしを

生きるだに我に恥たる事多し生きる我には不可避ならまし

喜ばる事も無き身を隅に置きて走り去る風景をただ見入るなる

世の中に身の置所とてあらぬならば偶の旅こそ気も休まれる

速く行く快速列車を見逃してゆるゆる行くも旅の味なる

昔昔ぼろぼろ宿で合宿し柔らな床に恐れるもあり

日頃見ぬ高校生らの声聞くと日本語ならざる言の葉もあり

遠き国の血を引くならむ子らとても此処で育てば此の辺の子

「相見」駅我を嚇かすその名前相見る事のたへて無ければ

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読書の記録(2024年5月)

国鉄輸入電機の系譜
古い時代の電気機関車の本。こういうの読むの、私にとってはほんと気楽で良い。あまり写真を見たことがなかったEF50もたくさん出ている。
戦前戦後、東海道線にいたのならば、亡父が乗った車両もこういうのが牽引していたのだろうなあ、と思ったりする。
(父から聞いた電気機関車の話はEF57、EF13(戦時型)とED42くらいだったろうか)。

クァルテットの技法 ディヴィッド・ブルーム
現在取組んでいる、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番が取り上げられていると聞いて書棚から引っ張り出すの迂闊。
(アマゾンで現在の販売状況を調べようとしたところ、韓国ドラマ「漆黒の四重奏<カルテット>」も結果として出てくる。でも、私の期待には違って、弦楽の四重奏あるいは楽器の四重奏ではないようだ。残念。)
チェロの譜例で、誤ってテナー記号になっている場所(2箇所)を発見。へ音記号として見れば正しい。

唐宋伝奇集
上巻読了。ぼちぼち読むには良い。
以前、・・・を読んで、中国の鬼は閻魔庁の役人であることを発見したが、今回も大木の虚に住む蟻が官僚性でもありそうな王国であることを発見。中国は社会化が早かったので、人外の怪異であっても、明確な社会を構成していることがしばしばあるようだ。我が国の「鬼」など人外の存在が素朴な族長社会程度であるのとはちょいと違う(だからどっちがどうとも言う話ではないよ)。
下巻もぼちおち読もう。

タタール人の砂漠 ディーノ・ブッツァーティ
読み始めた。読み始めるのに時間がかかった。最近、そういう本が多い。入手困難を予想して買ってはみるものの、「詰まらなかったらどうしよう」とか、「読みにくかったらどうしよう」という恐れが先行して、着手できない。永年の読書で読めない本は(少なくともその時は)読めないし、読めなかった本も、その後の経験や気分や季節や天気で読めたりすることもあるとわかっているのだから、気軽に読み始めて気軽に投げ捨てれば(比喩表現)良いのだが。 だが、本書なかなか良い。平易な文章表現で読みやすいが、徐々に不思議がこみ上げてくる。良い。最後まで充実して読み切った。
ディーノ・ブッツァーティ氏は「シチリアを征服したクマ王国の物語」の方なのね。面白うてやがて悲しき物語を書ける方。
訳は良いが、「兵曹長」は「曹長」のほうが良さそう。何故か一箇所だけ「曹長」になっている。私の浅薄な知識では、兵曹長は海軍の、曹長は陸軍の下士官のおおむね最上のもの、と感じる。海軍は兵曹長・一等兵曹・二等兵曹、陸軍は曹長・軍曹・伍長。将校は陸海で同じなのに、下士官兵は異なる。なぜだ?

石原慎太郎の「太陽の季節」も怖いもの見たさで少々読んだのだが、ブッツァーティの「詩的文学」に比べるとうんと小さい。卑小である。今どき誰も石原慎太郎など読まないということがそれを示している。まあ、頑張って最後まで読もう。いつか。

落伍教師 蛭川幸茂
旧制松本高等学校の数学教員として、北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」でも異彩を放つ人物であり、北の想像力の産物ではないか、とすら思われる蛭川氏の自伝。いやいや、あの北が控えめに書いていたことが漏れ伝わる。楽しい本ではあるが、時代背景の判らぬ方が読むのはよろしくないかも。少なくとも「青春記」を読んで楽しい方にのみお薦めだろう。
ところで、この本は松本市の古書店で買ったものである。他で見かけたことはない。やはり、旧制松本高校への愛着なり憧憬なりがあの町にはあるのだろう。

そこらじゅうにて 日本どこでも紀行 宮田 珠己
これも買ってしばらく放置していた。読み初めはよくある雑文かと思って侮っていたが、徹頭徹尾脱力しきった雑文はこれはこれで至芸だと思った。
毎日こればかり読んでいると、自分自身が宮田氏の劣化コピーになりそうで止めたほうが良いが、自分が嵩にかかって硬調な時など、これでもって解すのは大人の知恵であると思う。そーゆー意味でなかなかよろしい。で、自分も力まずどこか行こうかな。取材費で落ちるのがちょっと羨ましいが、何があっても何がなくても原稿に結実する必要がないのこそ『旅』なのだ、と主張しておこう。

サン=テグジュペリを題材にした漫画があるといい、少し覗く。登場人物は皆さん女性として描かれるのね。どうしよう。ドーラの名にびつくりするが、そうか小説である「夜間飛行」でリヴィエールに擬せられているのは、献辞に書かれたディディエ・ドーラになるのか。まあ、私はサン=テグジュペリの文学を好みすぎているので、漫画を読むことはできないだろう。
そう言えば、新潮文庫は、夜間飛行(南方郵便機を併録)、人間の土地、戦う操縦士の3冊を出していたが、最近(と言っても30年ほど)見ないのは、戦う操縦士だったっけ。なかなかケシカラン。出せ出せ。これを機会に。
この漫画がこのまま進むと、主人公はアラスへの偵察飛行をするし、渡米後アフリカに移動した自由フランス軍に合流して、P-38を操縦して地中海方面に出撃するぞ!(と新潮社を脅してみるの図)。
でもなあ、ブレゲーとか飛んでる絵は見たいなあ。
大人として理性的に別人格の別作品と思って冷静に見られる自信がない。なんと言っても四十年以上前からの愛読書だからね。
少し読んじまったが、まだドーラは「規則とは馬鹿げたものだが、人間を鍛えてくれる」とは言っていない。もっと後で言うのかな。私はこの言葉に支えられていた時期があるからなあ。
長く生きるといろいろなことがあるものだ。

●雑感
sophie yates女史について調べる。 昔、彼女のチェンバロをCDで聴いて感銘を受けたことを思い出して。顔も髪型もとんでもなく変化した、と思ったらどうやら別人。そら違うわな。
シモーヌ・ヴェイユでも同じ轍を踏んだっけ。

ギターの曲:
https://www.youtube.com/watch?v=JDNa9ELGox0

弦の値段3年間でおよそ倍増。
注文日 2021-09-15でアマゾンから買った領収書を見直す。
Dominant ドミナント チェロ弦セット 147 | B0002F6XX6 1 ¥15,015(税抜き)、¥16,517(税込み)
5月6日時点のアマゾンが¥32,454。すなわち倍額とみて良い。
円は安くなったものだ。しかも、世界各国の人々が買いたいと思う日本製品が今どれだけあるのだろう(ない)。よって、円安が止まる要素は ない。そして、国家も企業も研究・開発を軽んじ、予算投入を行っていない。ならば、新しい製品が出てくることはなく、円安は止まらない。

Tiny Desk Korea
https://www.youtube.com/watch?v=4BrChsxR9uw
奇を衒ったところのないジャズ。安心してのんびり聴くのに良いぞ。韓国のジャズの人

Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=RyWGBoU6dc8
こちらは相当凝ったジャズ(と私は感じる)。米国在住中国系豪州人のベーシスト。

昔、仕事上の日中宴会で、中国の方が詩を作って下さった。ノートの切れ端にボールペンで書いた即興詩。
東の国から友人たちがやってきて云々・・・だった記憶がある。なかなか格好良い。
だから、中国理解のためにも漢詩を知っておくのは良いし、知れば楽しい。

カーチュン・ウォン指揮日本フィルハーモニー管弦楽団によるマーラーの交響曲第九番を聴く。
第1楽章はもともとわかりにくい混乱したイメージがあるが、そこから抜けきれなかった(私が)。
第2楽章・第3楽章の「狂気」は明確に伝わってきた。
第4楽章はこれまでの3つの楽章であった様々を包容し、美しい静寂に結びつけることが出来たように思う。
第4楽章開始前に積極的に時間を取るのは大変良いと思った。演奏上の実利もあろうし、聴く側にも明確なメッセージとなる。こういうところが、この人イイね。

私の座っていた場所の問題かもしれないが、弦楽器がもう少し明瞭に聞こえると嬉しい。1階奥で、2階が庇状にかぶっている場所だったので、上に音が出るVnやVaが聞こえにくかったかも知れない。
右側にいるはずのコントラバスの音が左から聴こえたように思うが、どうやら、反射音を聴いていたみたい。そういう場所がサントリーホールにはあるのだろう。ちょと不思議。

ところで、高関シフト(左から順に、1stVn、Va、Vc、2ndVn、Cb、の変則対向配置)は、2ndVnやVaが相当独立したこの曲でも有効かも。
観客の立場として、高関シフトでは、2ndVnは「見える」、Vaは「聞こえる」効果が高い。2ndVnは中にいても外にいてもおそらくは「聞こえる」し、「見える」ことで、聴こえが良くなる効果もある。もちろん、平常運転ではないので、アンサンブルの難しさ等生じるとは思うものの、マーラーの交響曲第七番での効果を同じ後期である第九番でも期待したくなる。

サントリーホールからの帰り道、氷川の旧勝海舟邸前に、勝海舟と坂本龍馬の像がある。外国人の方がこれを眺めてたが「カワイイ!」と仰る。私は「カワイイか?」と疑問の抑揚で訊くと、「カワイイ」と繰り返される。ほんとは英語でお伝えするべきだったと、後に反省。「They were famus samrai, that did never use their swards.」。でも、龍馬は拳銃をぶっ放しておるな。ま、護身のためということで、幕末に跋扈した殺人者たちとは一線を画する、と考えて良いだろう。

夢に出てきた茶道キット。
携帯茶筅。棒状の竹に見えるが、スライドスイッチを滑らせると茶筅になる。
これと茶碗と抹茶が格納器から出てくる。
お湯だけ貰えばどこでも抹茶。
現実だったのかも知れないが、夢だったと思う。

音楽系動画のメモ:もちょっと書いておかないと、後で探すのが困難だろうけれど・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=oPQ5X4rhEnY

https://www.youtube.com/watch?v=7y3KbUHnee8

https://www.youtube.com/watch?v=DXddIB5v1nc&t=508s

古い時代のディーゼル機関車(電気式)。下回りの発想はまさに蒸気機関車。
https://www.jernbanen.dk/motor_solo.php?s=173&lokid=719

なぜか蒸気動車の総括制御について考え始める。
まずは、総括制御まで行かないとしても、付随車(制御車)からの遠隔運転について調べる。
まず、横文字での表記から。米国では「Steam motor car」、英国では「Steam Railmotor」で調べるのが良いらしい。
ほんとはハンガリーのガンツ式について調べたいが、ハンガリー語もドイツ語もアカンので、英語。
このあたりを見ると、蒸気動車本体でも、機関室の反対側に運転室を設けて、そちらから遠隔操作(と言っても、1ベルで発車、2ベルで停止、程度)していたようだ。ベルは電動式。で、制御車ともケーブルでつないで、同様にベルで連絡していたようだ。
https://www.didcotrailwaycentre.org.uk/zrailmotor93/features/features.html#walkover
「ケーブルがバッファの下に垂れ下がったままになっており、「そよ風に揺れている」」なんて表記があるのも面白い。
いちおう、二両編成はしていたのだ、と思う。

https://www.victorianrailways.net/motive%20power/kerr/kerr.html

内燃機関であっても総括制御はなかなか難しく、日本国内の初期は全車両に運転士が乗って、ブザー連絡だったし、似たようなものではある。
そうやって、考えると、比較的最初期から総括制御ができていた電車の(基礎原理の)素晴らしいこと!
初期内燃機関動力車を電気式にしたのも、これがためである(はず)。

古い時代から遠隔操作が実装されたのは、パイプオルガンであるが、遠隔操作方法も、1.機械式、2.空気式、3.電気式、とあったはず。鉄道の分岐器操作も大体同じだね。

偶然、音楽番組の収録演奏を聴く。
まずは、職業音楽家であっても、プロコフィエフ、ドヴォルザーク、ラヴェル、ブルックナーを一晩で弾く経験はなかなかできないだろうな、と思う。 選曲も面白いし、放映時間に合わせて短時間で多様な曲が聞けるので楽しい。合間の豆知識や感想は私には無用だが、別に聞きたくないほどのものではない。プロコフィエフ、ドヴォルザーク、ラヴェルは、ディズニー映画と重複する曲だったが、大きく異なる。ディズニー映画が明快でお子様向きなのに対し、プロコフィエフ等は複雑な「大人の味わい」。新興国米国と長い歴史を持つ欧州の違いであり、20世紀の大衆文化と19世紀の貴族文化の残滓の中での民族楽派の違いでもあろう。
プロコフィエフは、冒頭ちょっとR.シュトラウスっぽいが、すぐにソ連ぽい音楽になる。
ドヴォルザークはさすが地味天才。ヴィオラとか和声的にめちゃめちゃに楽しそう。
長大な曲の「聞き所」だけ演奏するパターンも、なかなかそういうのを聞かないので、興味深い。やはり、長大な作品の文脈の中で演奏し、聴取されるのと、同じ意味・同じ重さ・同じ熱量を持つわけではないことを確認できた。演奏側もいささかとまどいの気味を感じさせる。
私にとっては、文脈も熱量も大切なので、こういう形式の演奏会に積極的に行くことはないだろう、と確認することができた。これは収穫。
まあ、こうした音楽番組を見なくなって久しいので、考えてみれば当然であるが。
なお、私自身、子供の頃からこうした音楽番組(名曲アルバム、音楽の広場、題名のない音楽会など)に馴染んできたし、大恩を感じてもいる。私の趣味嗜好からはすでに外れているけれど、今後も引き続きこうした取り組みを続けて頂きたいものである。

越智萌先生と大庭三枝先生を混同していた。法学者で女性というのだけが共通点。まあ、read onlyなので無問題。よかった。越智先生に「食いしん坊党党首」などとTweetしなくて。以前、夏目雅子氏と和泉雅子氏を混同していたこともある。まあ、無問題。

父は、子供の頃、「達っちゃんに背負われて、よく線路際に電車を見に行った」という/ 後の小田急社長利光達三氏のことらしい。
達っちゃんの背で小水を漏らしてしまったこともあるとか(大変申し訳ありません)。
大学進学後、成城駅でアルバイト駅員として集札口にいたところ、切符を出さない背広姿の男性がいたので、「きっぷ・きっぷ」と連呼したところ、お付きの社員が「君ぃ、この方を・・・」と言ったところで、「あ、達っちゃん」「なんだ、イサオちゃん」。
幹部社員だった利光達三氏の視察だったという。

時々見ているポーランドの学生オーケストラ。
https://www.youtube.com/watch?v=Fc68YK9L5fM
ビゼーのカルメン。南国の情熱とも異なる冷え冷えとした冷涼感(笑)。
人間(私)はなぜ音楽に「温度感」を感じるのだろうねえ。

昔話
大学の同級生に留学生がいた。ふだんジーパンに白Tシャツで過ごしていた。いかにも「ふつうの若者」であった。
卒業式の際、それはそれは美しい民族衣装で現れた。華美ではなくモノトーンであるけれど、明らかな輝きがあった。
その気品あふれるお姿を拝見した瞬間、彼が「大貴族」であることがわかった。
後々、日本人同級生と彼の話になった時、自分の国ではお湯一つ沸かすことが出来ない地位であって、日本では一時の自由を楽しみ、インスタントラーメンを自分で茹でるのですら喜んでいた、と聞いた。

演奏会。ハイドンの77-1を弾いた。なかなか音程感のある面子で良かった。もうひと声、発声が制御できると良いのだが。
己が阿呆なせいで飛び出しや暴走などなしているが、理性の他の出来事はなんとも言えぬ。まあ、鉄道などで「酔っても暴力は許さん」と書いてあり、理性外は言い訳にならんのだが。来てくださるお客様には感謝しかない。

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