Beethoven, and so on.
いつものように解説じゃない解説。
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音楽にはいろいろな「らしさ」がある。
ベートーヴェンにはベートーヴェンらしさ、ドヴォルザークにはドヴォルザークらしさ。
それを感じたいがために、楽器を弾き、いろいろな作曲家の曲を弾いてみようと思うのだ。
そしてまた、作曲家が楽曲を書く時、どんな楽器でも指定できるのに、わざわざ、弦楽四重奏を選んだということは、作曲家が弦楽四重奏らしさを求めているということだ。
でも、弦楽四重奏らしさって、なんだろう。
自分がチェロを弾いていて、大きな音程の跳躍があった時、時間をかけて跳躍をするのが普通だ。だって、作曲家は、チェロの特性を知らずに書いたはずはないのだから。そしてまた、人声をはじめとして、音程の跳躍は、それだけの緊張感や高揚を必要とするし、それにはそれなりの時間が必要だからだ。
そういうことを思いつつ、弦楽四重奏をするにも、どちらかというと、相手志向でものを進めていた。それをもって「アンサンブル」ができるようになったと思っていた。
でもね、或る日、弦楽四重奏のレッスンに行ったならば、やんわりと否定されてしまったよ。
完全否定ではなかったけれどね。「安全運転し過ぎ」って。
確かにな、そうだよな。
音楽としての全体の流れがあって、その同じ流れの中で、相手も自分も浮揚している、そういう感覚も大切だ。そして、浮揚をどちらが先んじてするかは、流れと相手と自分があっての平衡であって、どこまでその平衡を崩しつつ立て直せるかが「アンサンブル」の楽しみなんではないかなと思ったりする。ちょいと溺れてみるのも、思いのほか、洒落ているかもしれない。
そう言えば、前々回のバルトークで、お客さんが手に汗握って、面白かったっけ。狙ってやったことではないけれど、お客さんも(弾いている私らも)心臓ばくばくで、終った時に、喜んでもらえた(嬉しかった)のは、そうはない体験だった。そういうのもあって、やはり「ライブ」のお楽しみなんだ。
閑話休題。
弦楽四重奏とは何か、弦楽四重奏らしさって、なんだろう。今しばらく考えてみたい。
どうやら、とても面白そうな問いだから。
ベートーヴェン弦楽四重奏曲第三番 ニ長調 作品十八ノ三
第一楽章 Allegro
冒頭ののびやかなのか窮屈なのか判らない不思議なパッセージで始まる。ちょっとハイドンの「日の出」みたい。ベートーヴェン氏は、自分の話を聞いて欲しいタイプだったのだろうと思います。それがため、色々な話法を繰り出して、相手の耳をそばだてさせる。いや、良い奴なんですよ。
第二楽章 Andante com moto
いつものベートーヴェンの緩徐楽章。こういうのが好きだ。私は、こういうのが弾きたいのである。そして、ベートーヴェンは初期にしてこの風格。この豊かな歌がもっともっと続けば良いのにと思ってしまいます。中期ベートーヴェンなら、この三倍の長さで書きそうですが、思いの他あっさり終ってしまいます。
第三楽章 Allegro
一応伝統的メヌエット風だけれど、やはりベートーヴェンの雰囲気が横溢している。いわゆるトリオではなく、短調と長調の変奏がついているところが、中期の弦楽四重奏にも似ている。交響曲におけるスケルツォ楽章は専らベートーヴェンの発明になるらしいけれど、このメヌエットも少しスケルツォに通じるようだ。いわゆる古典舞曲の謂いではない。
第四楽章 Presto
ベートーヴェンらしい、拍のずれた変な曲である。楽し気だけれど、余人のつけいる隙がないというか、この雰囲気はシューマンにも通じるのかも知れない。人文主義的な「フモレスケ」よりも、ちょっとラリって楽し気な「ユーモア」に近い雰囲気。で、ありながら、忘れずに小難しい顔もしてみせる。「根は陽気な教養おじさんが、小難しい顔をして酒場で冗談を言っている」という一文(実はヒンデミットに対して言われたもの)を思い出させるものです。
普通、弦楽四重奏曲第三番として数えられているものの、実は最初の一曲だったそうです。近いところで、交響曲第一番は作品二十一、ピアノソナタ第八番『悲愴』が作品十三番だそうです。恥ずかしながら、私は「悲愴」と「熱情」の区別がつかず、ついでに「月光」は「激昂」と思っていた時代がありまする。だって、ベートーヴェンなんだもの。
(もろもろの情報についてはWikipediaに教えられました)。
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