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今週の戯れ歌

我が心定まらぬまま年を越し定まらぬまま年を始めぬ

今少し考える時間の我にあれ心の整理の必要なりせば

美しきうた詠みたしと思へども我が内心の雑然たるかな

我が心定まることのありやなしや不確かな時を送り重ねて

世の中は未だ休みらし仕事行く我に一抹寂しさのあり

背の伸びし息子にコート買ってやり上から言われる謝辞の寂しき

給料が下がるといへり贅沢を知らぬ我には何も返せず

人と人に信頼関係を求めるのは唯甘えだろうかそんなものか

死に体を整えていると我は思う退職届を出す日を数えて

詰まらない奴を相手に職を賭す我は豪儀な賭博者なるべし

選択は合理性より好悪なる我生きて居る合理性のなし

人間は心の傷を厭へれば心の傷を認めたりせず

指先のささくれ手袋にひっかかり少し痛むも冬の道行き

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Beethoven, and so on.

いつものように解説じゃない解説。
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音楽にはいろいろな「らしさ」がある。

ベートーヴェンにはベートーヴェンらしさ、ドヴォルザークにはドヴォルザークらしさ。

それを感じたいがために、楽器を弾き、いろいろな作曲家の曲を弾いてみようと思うのだ。

そしてまた、作曲家が楽曲を書く時、どんな楽器でも指定できるのに、わざわざ、弦楽四重奏を選んだということは、作曲家が弦楽四重奏らしさを求めているということだ。

でも、弦楽四重奏らしさって、なんだろう。

自分がチェロを弾いていて、大きな音程の跳躍があった時、時間をかけて跳躍をするのが普通だ。だって、作曲家は、チェロの特性を知らずに書いたはずはないのだから。そしてまた、人声をはじめとして、音程の跳躍は、それだけの緊張感や高揚を必要とするし、それにはそれなりの時間が必要だからだ。

そういうことを思いつつ、弦楽四重奏をするにも、どちらかというと、相手志向でものを進めていた。それをもって「アンサンブル」ができるようになったと思っていた。

でもね、或る日、弦楽四重奏のレッスンに行ったならば、やんわりと否定されてしまったよ。
完全否定ではなかったけれどね。「安全運転し過ぎ」って。

確かにな、そうだよな。

音楽としての全体の流れがあって、その同じ流れの中で、相手も自分も浮揚している、そういう感覚も大切だ。そして、浮揚をどちらが先んじてするかは、流れと相手と自分があっての平衡であって、どこまでその平衡を崩しつつ立て直せるかが「アンサンブル」の楽しみなんではないかなと思ったりする。ちょいと溺れてみるのも、思いのほか、洒落ているかもしれない。

そう言えば、前々回のバルトークで、お客さんが手に汗握って、面白かったっけ。狙ってやったことではないけれど、お客さんも(弾いている私らも)心臓ばくばくで、終った時に、喜んでもらえた(嬉しかった)のは、そうはない体験だった。そういうのもあって、やはり「ライブ」のお楽しみなんだ。

閑話休題。
弦楽四重奏とは何か、弦楽四重奏らしさって、なんだろう。今しばらく考えてみたい。
どうやら、とても面白そうな問いだから。

ベートーヴェン弦楽四重奏曲第三番 ニ長調 作品十八ノ三
第一楽章 Allegro
冒頭ののびやかなのか窮屈なのか判らない不思議なパッセージで始まる。ちょっとハイドンの「日の出」みたい。ベートーヴェン氏は、自分の話を聞いて欲しいタイプだったのだろうと思います。それがため、色々な話法を繰り出して、相手の耳をそばだてさせる。いや、良い奴なんですよ。

第二楽章 Andante com moto
いつものベートーヴェンの緩徐楽章。こういうのが好きだ。私は、こういうのが弾きたいのである。そして、ベートーヴェンは初期にしてこの風格。この豊かな歌がもっともっと続けば良いのにと思ってしまいます。中期ベートーヴェンなら、この三倍の長さで書きそうですが、思いの他あっさり終ってしまいます。

第三楽章 Allegro
一応伝統的メヌエット風だけれど、やはりベートーヴェンの雰囲気が横溢している。いわゆるトリオではなく、短調と長調の変奏がついているところが、中期の弦楽四重奏にも似ている。交響曲におけるスケルツォ楽章は専らベートーヴェンの発明になるらしいけれど、このメヌエットも少しスケルツォに通じるようだ。いわゆる古典舞曲の謂いではない。

第四楽章 Presto
ベートーヴェンらしい、拍のずれた変な曲である。楽し気だけれど、余人のつけいる隙がないというか、この雰囲気はシューマンにも通じるのかも知れない。人文主義的な「フモレスケ」よりも、ちょっとラリって楽し気な「ユーモア」に近い雰囲気。で、ありながら、忘れずに小難しい顔もしてみせる。「根は陽気な教養おじさんが、小難しい顔をして酒場で冗談を言っている」という一文(実はヒンデミットに対して言われたもの)を思い出させるものです。

普通、弦楽四重奏曲第三番として数えられているものの、実は最初の一曲だったそうです。近いところで、交響曲第一番は作品二十一、ピアノソナタ第八番『悲愴』が作品十三番だそうです。恥ずかしながら、私は「悲愴」と「熱情」の区別がつかず、ついでに「月光」は「激昂」と思っていた時代がありまする。だって、ベートーヴェンなんだもの。
(もろもろの情報についてはWikipediaに教えられました)。

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今週の戯れ歌

保護モード優しい響きの用語あり甘える気持の我に湧き出ず

限界と何が決めるか知らないが私の心は一杯である

虐げるのも虐げられるのも嫌たとえ一生を棒に振っても

耐えよとて世に送り出す気もないのにそうなったのを許して欲しい

賞与なく今年の冬は過ごすらむ買うべきものを先に送りて

何となく虚しき思ひを抱きつつ日曜の夜の床に向かへり

色々の事したいとは思ひつつ仕事の為に寝るも虚しき

もの作る仕事をせむと若き日に志したるを何時違えしか

正月に百人一首を覚えむと娘にうたを選ぶ楽しさ

責任とは不利益を受く事なりと法学生と話す日もあり

同じ陽に夕映えを見る人もあれ冬の朝日に息白くして

雲の峰今宵の雪の前触れか

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今週の戯れ歌

(携帯電話)
携帯の通信量を比べれば私は妻の百六十分の一

子を抱いた若妻の夫に手を伸ばす恥ずかしがらずに握ってやれよ

いつもとは違う頭を使いたいと飲み屋を捜して町をうろうろ

熱あれば時の流れも異に思へくさめ有りこれ生きる証しか

私の中でひとつの気持が死んで行ったこんな事が何度あるのか

仕事からは少し距離を置こう生きる為心健やかであらむ為に

体中を使って考えているさもなくばかくも体は痛まざるべき

我を賭けて為すべき仕事と思へねど賭けたる我もまた乏しきかな

省みて我小人であればこそかくも心を労すものなれ

炬燵なく長椅子もなき我が家なればごろ寝するのも簡単ではない

暖かき心を持ちて生きていたい冷たき手指に息吐きかけながら

人らしき仕事を望む我なれど左様な仕事に恵まれもせず

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今週の戯れ歌

人生にはさういふ面があるさう思ふしか無いではないか

週末にインクを注ぐを忘るればやる気も早く枯渇したりき

人と人の諍いに我は挟まれぬ頑ななるは人の心よ

長らえば又この曲も弾くであらう同じ気持は抱かざれども

何時如何に我はこの世を立ち去らむ為すべき事を指折り数えて

諍いを何より厭ふ我なれば辞表のひとつも懐中にあり

諍いて何が嬉しきものなのか諍いのある家に育ちて

父母の諍う言葉を書き留めて寂しく眺む子供部屋哉

諍いを避ける努力を無にされてそれは私の最後の一線

人と人の諍いの中に我ありて己が幼き日々を思はむ

折れ合えぬ事ありと人言ふならばその応報をその身に受けよ

人と人の諍いの場を立ち去れば我に嬉しき家族の待ち居り

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2009年のまとめ

例年どおり、2009年のまとめです。まあ、年齢相応に失速して来た感は否めません。

◆音楽(弾いて楽しむ)

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第15番
 難しい曲でした。1月に弾いたので、遠い昔のように思います。

ブラームス クラリネット五重奏
 これまた難しい曲でした。以前から弾きたい曲だったので、大望を遂げた思いがあります。でも、やっと噛み合わせが判ったという程度でもあったので、もう一度弾きたいものです。

レッスン
 チェロの個人レッスンに就きました。ひとつの曲を人に精密に聴いてもらう前提で弾くという体験が絶えてなかったので、緊張しました。レッスンに繰り返し行く程、日々の練習が出来ているとは思わないのですが、きちんと弾く習慣、きちんと弾く意識を持つ習慣ができるだけでも良いと考えております。ともあれ、楽しく練習ができているので、良しとしましょう。

その他
 ピアニストに遊んでもらいました。ベートーヴェンのピアノソナタ第二番を弾いたのですが、色々発見があって面白かった。ベートーヴェンは、この水準を考えつつ四重奏を書いている筈である、ということを痛切に感じました。

◆音楽(聴いて楽しむ)
演奏会にはちっとも行っていません。酷いものです。

西村朗と吉松隆の対談を読み、私と意見が近そうな西村が好むというボロディンやら、ハチャトリアンを聴いています。でも、音楽は吉松の方により親しみを感じそうなところが、複雑であります。

ボロディン 交響曲第二番
 ロシアらしい素晴らしい曲。ヴィオラ弾きなら惚れると思うのだが。

ハチャトリアン 仮面舞踏会、幸福の頌歌
 例の仮面舞踏会。これを純情可憐なお嬢さんが踊るのは、没義道だと思う。このワルツは、物凄く「悪者」の雰囲気がする。悪い。悪過ぎる。否、これを・・(以下際限のない繰り返し)。
 もう一つは『幸福の頌歌』。ヴァイオリンが四十とハープが十本に独唱と管弦楽という物凄いもの。昔々、夜中に海岸近くを車で走らせていて聴いて、忘れ難い印象を得ている。まさかこんなもののCDを買う事ができるなんて驚き。しかも同じ演奏だ(まあ、自作自演以外有り得ないような曲ですが)。

キューネル、マレ(平尾雅子)
相変わらず、ヴィオラ・ダ・ガンバに惹かれております。私には、チェロの張りの強さは、過酷に過ぎるのかも知れません。もはや叶わぬ夢とも思いつつ、ガンバに憧れる日々です。学生時代、大学のオーケストラを「脱走」した後輩が、ガンバ弾きになって、古楽器研究会の演奏会に誘ってくれたのにね。本当に惜しい事をした。

◆読書
ぼちぼちです。

デュ=ガール チボー家の人々
 久方に小説らしい小説を読みました。第一次世界戦前〜半ばにかけての、欧州の変動に巻き込まれて行く人々。

スタニスワフ・レム 泰平ヨンの航星日記
 相変わらずのレム節。嬉しくなってしまう。ユーモア小説の書体をとりつつも、人を思索させずにはおかない。「地球には生命は有り得ない」論証なんて、本当に楽しいです。

ピエール・ロチ 秋の日本
 「逝きし世の面影」もそうですが、もはや有り得ない日本を追うようなものを読んでいます。考えようによっては、とんでもなく想像力に富んだ作家によるSF小説のようなものです。ロチには、差別的な視線もあるものの、その一方で、詩人ならではの洞察力や詩心を見せることも多く、非常に面白いものです。鹿鳴館の描写、京都、吉原、日光。そして、そこに生きる人々への眼差し。
 その他、「戊辰物語」のような幕末ものを繙いています。

比類なきジーヴス (国書刊行会ウッドハウス集)
 「ボートの三人男」に表現されているイギリス人の間抜けさは、非常に愛好するところですが、「比類なきジーヴス」もまた、それに列するものです。面白いシリーズなので、急がず少しずつ読んで行こうと思います。

◆その他
歳を取り、昔のことを思い返すことが多くなりました。同窓会に出る様になったのも、この数年です。

また、懐かしい人々を尋ね歩きたいと思っております。会えるうちに、会える人にあっておく、というのは、私がかつて思っていたことではありますが、今になって、また、身に沁みて思うことでもあります。

いわゆる工作ものは殆どしていません。12Vの直流電源の上に、銅線(より線のうちの細い一本)を落としているのに、気付かずに通電したため、破壊したのが、夏休みのことで、以来、意気消沈しております。本当に間抜けですね。注意力の低下がこの数年で露呈してきました。

料理はそこそこしていますが、新機軸にはなかなか辿り着けない。細君と子供達は、ピザやケーキ作りの経験を積んでいるせいで、粉ものの扱いに長けて来ておりますが、私は遅れをとっております。

体も心も耐久性は有限であるということがよく判って来ましたので、それらの許容範囲内でぼちぼちやって行こうと思っています。それ以上の事は望むべくもないということです。

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