ロボットコンテストを見た日
NHKのロボットコンテスト(ロボコン)大学編を見た。面白くなかった。年末にやっていた高等専門学校編に引き続いて面白くなかった。
要は、技術的な視点が欠落しており、お涙頂戴に堕しているからである。
以前のロボコンは「ロボコン博士」こと森 政弘氏がルール決定から批評までを担当していた。
だから、ルールについても、批評についても、技術的なポイントが、番組中にはっきり示されていた。
技術的なポイントとしては、現在の技術ではこう言う点が難しい、あるいは、あるいは技法選択によるトレードオフの観点など、実際に工学者ならではの視点が示されており、我々視聴者も、その視点で実機を見て、アイデアの善し悪しと実装技術の善し悪しの双方を考えることができた。
たとえ、アイデアが素晴らしくとも、実装が不出来であれば、使い物にならないかも知れない。あるいは、実装の不出来をカバーする程に素晴らしいアイデアがあり得るかも知れない。また、アイデアは平凡なものであっても堅実な実装を行ない、堅実で素晴らしい結果を得ることもある。あるいは、アイデアに頼っていると、初戦はうまく行ったとしても、何回戦かを通すうちに、実装の不出来があらわになったりする。
工学というのは、こうしたアイデアと実装のトレードオフを考えることが必要不可欠であり、そのバランスと運が勝敗を決めている。
そしてまた、プロジェクトチームとして、アイデア創りから、設計、実装、練習、作戦立案をするためには、様々な意思決定をする必要がある。それら意思決定の局面でどのように考えたのか、あるいは、そもそも、コンセプトとしてどんな考えを据えたのか等等、ロボコン参加者の日常は、技術的プロジェクト運営の非常に刺激的なテーマであると思う。
ともあれ、最近のロボコンではそんなことはお構い無しである。仲間が居て、中身が何だか判らない「どりょく」を皆でして、お仕舞いである。彼等が何をどのように考えたか、その履歴の少しも省みられない。そして、彼等に何を考えさせようとしてルールを設定したか、全く伝わって来ない。という以前に、番組の表層的な面白さ、絵柄として送り出し易いことだけを考えているのであろうことが伝わって来る。まことに残念である。
私が、子供だったころ、技術屋に大いなる憧れを持っていたけれど、それは、面白おかしいこうしたドラマチック演出の物語を見たからではない。むしろ、伝記映画におけるキュリー夫人の絶大なる苦労の様を見て、化学屋だけには成るまいと決心した。私が技術屋に憧れたのは、叔父の本棚にあった、無味乾燥の「電気基礎論」のような「大人の本」を見てこその思いであった。
子供は、子供騙しの「お子様ランチ」など食べたがりはしない。テレビ番組を作っている人々は、そんなことも分からないのかと思った。
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