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読書の記録(2019年2月)

総解説世界の幻想文学 自由国民社
昔買った本。「スナーク狩り」の四方田訳を確認するのに読み始め、相当に読んでしまう。結構な網羅性で、知らぬ作品も知っている作品も多く、楽しい。
「世界の」と銘打っているが、「欧米の」というのが順当なところ。文句をいうほどのことでもないが。私の好む「聊斎志異」なんかは入っていない。

中世の東海道をゆく 榎原雅治
以前買った本。私が知っている土地が多く記されており、それゆえ楽しく読める。そうでない方々に面白いかはわからない。

風車小屋便り 岩波文庫
昔々買った本。子供の頃からこういう本は好きだった。ファーブルと時代も土地も近く、観察と解釈で成り立っている、というのが共通して、好みにあうのかも知れぬ。
ドリトル先生もまた近いかも知れぬ。落語でいうと、うるさ過ぎない「ぬるま湯に浸ったよう」な芸風が好みにあうのだから、そうした人生の余裕を幼い頃から求めていたということか。

クッキングパパ 37巻ほか
昔買ったもの。相変わらず楽しく読んでいる。
偶然、「おいしんぼ」と「クッキングパパ」の表現を比較した評論に行き当たる。「第37回 作品の性格とおいしい表現の関係」https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/dannwa_lab37
非常に面白い。

スターメイカー ステープルドン
少しずつ読み進む。読みにくくはあるものの、非常に面白い。第二次大戦前夜という設定で書き出されているが、それは本当なのだろうか。いささか後世の知識が使われているようにも思う。あるいは、それこそが、ステープルドンの高見であるやも知れず。引き続き少しずつ読もう。

HB
以前阿佐ヶ谷で買った雑誌。蟲書房店主の談話がある。面白い、とも思うが、店主について種々読んで「知っている」かのごとくなる自分が恐ろしい。それをストーカーというのではないか?

ギリシア人男性、ギリシア人女性を求む デュレンマット
以前買っておいた本。非常に面白い。久しぶりの小説らしい小説。
デュレンマットについては北村薫が「ロムルス大帝」について言及していて、なんとなく昔の作家であると思い込んでいた。

金の鳥 八百板洋子、 さかたきよこ
西荻窪ウレシカで購入。繊細で空気感のある物語・絵。私は読書や趣味に「遠くに行くこと」を求めている。ブルガリアの古い時代に遡ることができ嬉しかった。
現代人は「自我」に動かされているが、登場人物は、より醒めたところにあるように見え、古代の偉人たるにふさわしい。
原画展示の最後に見えるように貼ってある小さな「城」の絵が殊の外心に残る。
(自我については「チャーチルの昼寝」の受け売り。)

カーたろうとこけしっぺ 山田美津子
西荻窪ウレシカで購入。カレンダーや「お母さん大丈夫」等で愛読しているご本人がおられた。これらの作品に現れる自画像そっくりで紛れもないご本人。
「カーたろうとこけしっぺ」は、日常のように見える不条理な楽しい物語。

退屈をあげる 坂本千明
西荻窪ウレシカで購入。静かな物語。相手を完全に理解することはできないが、共感するものがある、という距離のある愛情。
三人の作家さんを目の当たりにし、それぞれが描かれたものを頂くことができた。描くものが人それぞれで異なること、そしてそのいずれもが輝きを持っていること。

落第読本 辰野隆
松本の古書店で買った本。昔の落第生の話が面白いかというとなんとも微妙。皆さん一高・帝大を落ちるレベルなので、もはやまあなんともと言ったところ。最後の辰野自身の、法科を好まない理由などが面白かった。こういう本がぽろりとあるのが、松本の文化都市らしさだと思う。


様々な書籍が文庫化されているのを見て驚く。
コリン・ウィルソン「アウトサイダー」、嵐山光三郎「漂流怪人きだみのる」、渡辺京二「明治という幻影」など。
ついでに植木等(聞き書き)「とんでもない男」は昔朝日文庫であったものがちくま文庫に移った。「とんでもない男」は植木等が父について語ったものであるが、大変に面白い。聞き手・編者は植木の義弟とのことだが、歴史学者ということで、文章もこなれており、考証にも疑わしい点がない。そしてまた、植木の父は只者ではない。ミキモトの真珠職人であったり、社会主義者であったり、水平運動に参加して特高警察に逮捕されたり、どうやらキリスト教に触れていた時期もあるらしいが、僧侶になってもいたりと、植木等が「とんでもない男」というのにふさわしい。息子に「等」とつけたのも宜なるかな。真面目な息子が「わかっちゃいるけれど止められない」と歌うべきか悩んでいるのに対し、「まさに親鸞の教え」という痛快さ。読書人は読まざるべからず。


こんにゃく座「遠野物語」を見る。言葉と歌が一緒に頭に入ってくる快感。歌だけを聞き、演技だけを見ても、ここまで物語に集中できないと思う。言葉とうた、音響、舞台装置と衣装、役者たちの所作の全てがあって、私はあの時代のあの場に連れて行かれる心地がする。そしてまた劇中劇のごとき物の怪の奴らの跋扈にもまた。大変面白い舞台であった。最初にこんにゃく座を見・聴いたのは、「魔笛」で、やはりこれはモーツァルトの音楽の立体感と、魔笛とモーツァルトの人生を立体的に見せる二重の立体性が面白かったのだが、遠野においては、「我々日本人は何者なのか」という疑問と「私は社会において何者なのか」という疑問が、文壇/地域社会/物の怪の跋扈する日常と立体になっており、音楽と相まって大変面白かった。
(隣席が作曲の方で、幕間についお話しかけてしまいました。すみませんでした)。
実は遠野物語を読んだことがないが、宮本常一の「忘れられた日本人」を好んで読んでいたりして、民俗学的「聞き語り」は好きだ。

昔々、マタイ受難曲(バッハ)を聴きに行った際、チェロとヴィオラ・ダ・ガンバの弓使いが常に逆であるのを奇異に思った。特に、ひとつのパッセージの最後の長音を、チェロの場合は、体を開く方向に使い、ガンバは閉じる方向に使う。チェロは、楽曲の最後を世界に向かって解き放とうとしているようであり、ガンバは、自らの内に込めようとしているように感じる。

CD購入。今時CDを買う人間は少ないのだろうが。中古と新品とりまぜて。
「カメルーンのオペラ」、ラモー「異国の優雅な人々」(クリスティー)、御喜美江「アコーディオン・バッハ」「スカルラッティ」。平尾雅子のプロデュースによる「信長公所望の音楽」。

言い間違い「あなたは0%悪くない」。

二月初めに風邪で寝込み、それゆえ仕事を抑制していた。お陰で、多少なりとも読書をし、多少なりとも人間らしい感懐を持って暮らした。三月はそうは行くまいが。

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