写真とイラストで綴る 買収国電 宮下洋一
凄い本だ。表紙だけ見ていてもしばらく楽しめる。
先日中古模型屋で、阪和モタ・モヨを入手してしまったからには買わざるべからず。
天幕のジャドゥーガル 第3巻 トマトスープ
ボラクチンの賢さ・優しさ・したたかさ・優柔不断に惹かれる。だが、ファーティマの怒りもよくわかる。モゲの素朴さも、ドレゲネの恨みも。そうしたそれぞれの感情と意志が交錯する物語には大変惹き込まれる。
この方の創作能力は凄い。読まざるべからず。
南の島に雪が降る 加東大介
読んで良かった。実体験者が書く、さらりとした表現の中に垣間見える苦しさ・切なさ・人情。寝ずに一気読みしたが、その後再読している。本当に読んで良い本だ。
虜人日記(小松真一)、ロッテルダムの灯火(庄野英二)などとともに、加東は最前線の戦闘員ではない、だが、戦闘員でなくとも生命を危機に晒しながら軍隊の中で役割を果たした人々の記録として読まざるべからず。
映画ではニセ如月寛多を渥美清が演じている。こういう役はこれだけの役者でなければ務まるまい。映画も見たい。
https://www.youtube.com/watch?v=QnZHe0BeinU
加東大介氏を見知ったのは、映画「秋刀魚の味」で、主人公を演じる笠智衆が駆逐艦艦長だった時代の部下として。この映画もきちんと見なければ。
ついでに、小松真一氏の「虜人日記」がWeb化されているのを発見。
https://ryojin-nikki.com/museum
この本で出てくる「暖流」(岸田國士)も大変気になる。読みたいものだ。(そしてもちろん、「関の弥太っぺ」や「瞼の母」も)。
蒙求 今鷹真
中国の子供向け訓話集。我々がよく知っている「孟母三遷」や「蛍の光窓の雪」などが並んでいる。一度はこうした原典に近いものに目を通したいと思って購入。もちろん楽しく読めている。
「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 小川さやか
読み始めてた。時々論文調の抽象論が始まって私には読みにくい。でも、実例が挟まれるので、相応に理解が進んでいる気になる。
昨今の社会情勢を見るに、日本社会・日本経済に欠けているのは、ここで描かれているような「活気」であり、「活気」を作り出すための「自由さ」であると感じる。私も含め、社会人が「いい子」として求められている「おとなしさ」がこれらアフリカ人商人にはまるでないようだ。
●雑感
Googleに円地文子が取り上げられ少々驚く。
「源氏物語」を大学受験目的で読んだのが古い思い出。受験勉強としては、有名な話のあらすじが頭に入っていれば有利、と考えた。いつもながら、知識で語学力を補う作戦である。
源氏の現代訳としては、与謝野訳・谷崎訳などが有名であるが、書店で立ち読みしたところ、円地訳が比較的「客観的」で原文の意味に近いと感じて選択した記憶がある。
伊藤茜氏の絵をギャラリーに見にゆく(9月の末)
「風」「秋麗」の二枚が至極気に入る。というか、藝祭で一度見ていて気に入ったので、別途見にゆく気になった。
ギャラリーなので、お値段が書かれている。買えば買えると少々煩悶。でもね、折角の絵でも飾ったり、人様に見て頂かないのでは「死蔵」だからね。と諦める。
まあ、飾る場所を思いついてしまってはいるのだが。
実は、この方が最初に描いたという日本画を見たことがある。空白も含めた緊張感のある美しさが印象的だった。この絵ももいちど見たい。
今回の4枚のうちでは、「風」が最もそれに近く空白の緊張感を感じさせる。「秋麗」は紅葉の葉一枚一枚の表情に惹き込まれる。
また、お会いできる機会を楽しみにしましょう。
ライブハウス南青山MANDALAにて古楽系のライブを聴く。
1部:オトテール『エールとブリュネット』新井道代 (フルート) 菅きよみ (フルート)
2部:18世紀のヴァイオリン・デュオ 鳥生真理絵 (ヴァイオリン) 大橋麗実 (ヴァイオリン)
面白い曲があったが、プログラムを頂いていないので、覚えきれず残念。
フルートとヴァイオリン、それぞれ私との距離感の違いが面白く、さらに、それぞれの枠の中で、歌謡性のある「ふつうの曲」と「堅牢な器楽曲」の差異が面白かった。
Twitter(X)で突然現れて、「今日なら行ける」と思って急に行った。こういうのも良い。
しかし、皆さん海外留学経験をお持ちで、そういう方がふつうにいる時代って凄いな、と思った。まあ、日本円が弱弱なので、そういう数も確実に減少するのであろうけれど。
友人の演奏会に行く。シューマンの弦楽四重奏第三番、メンデルスゾーンの弦楽四重奏第三番。
どちらも、私の感覚としては「人間の演奏する曲ではない」。聴いて楽しむのは良いが、とても自分が弾けるとは思えない。そうした曲を弾いてしまう人たちがいるというのは、本当に凄いことだ。
表現力のある楽しい演奏会で良かった。
洋菓子メーテルリンクのタルトはたいへん美味しかった。
国立歴史民俗博物館で「鋳張り」なる言葉を知る。
銭を鋳造する際に型と型の間に溶解した金属が流れてできる、いわゆる「バリ」のこと。
もしかして「鋳張り」→「バリ」なのかな。
プラスチック成形は確かに「鋳物」だね。
ふつう「射出成形」といって「鋳物」とは言わないけれど。
通常の鋳物では「鋳型」を壊すが、プラスチックの金型は壊さないからかな?
イスラエル・ハマスの戦争。
元はと言えば、英国の二枚舌外交によるものだ。が、イスラエルが長きに渡ってアラブ系住民を虐待したきたのも事実。だからといってハマスの民間人殺害が許されるとも思えぬ。
プーチン・ロシアによるウクライナ侵攻、アゼルバイジャンとアルメニア紛争、など、21世紀もまた「戦争の世紀」なのだろうか。
第一次世界大戦直後には「最後の戦争」という言い方もあった。「こんな悲惨な大戦争を人類が二度と起こすわけがない」と考えたからそうした言い方をしたのだろう。だが、私達はそうではなかった事実を知っている。二度あることは三度あるのだろうか。
国際政治学者の皆さんの言説は大変参考になると感じるが、一方で、国際政治学者が全員失職するような素晴らしい世の中にいつかなって欲しいと願わずにはいられない。
昔読んだ、「コロンバ」(プロスペル・メリメ)だったと思う。シチリアの人々は一族の「復讐」を最重要とする。で、ふたつの家系がそれぞれ歴史的な復讐をしあったりするという。A家の祖父がB家の祖父を●●し、でもそれはB家の曽祖父がA家の曽祖父を××したからだが、それは・・・。と、既になぜ復讐しなければならないかも曖昧になっていたりするらしい。
恐ろしいことだ、と思う。
お間違いの多い日
池袋東口のギャラリー『路草』に行こうとして、西口の小料理『路草』まで行ってしまう。そして、種々あちこちの用事を済ませ、夜、風呂に入ろうと風呂屋に行くと本日は休み。それぞれきちんと調べるべきだった。気をつけなければ。何か自分の中で欠落しているように思う。
さて、ギャラリー『路草』では、私が小学校時代に「鉄道模型趣味」誌で見た、1/150スケールの自作蒸気機関車群を見た。こんなにも精密な模型を作ることができるのだ、と幼いながらに震撼する思いで眺めた模型を実際に見られて嬉しかった。作者は当時三十歳位で、今なお模型作りをされているようだ。奥様が(私ではない他の方に)解説されているのを小耳にはさみつつ、私は私の好きな機関車を眺めて楽しんだ。
川崎製鉄の異形の機関車や、「陸の八八艦隊」などは、特に興味深かった。同じような作品が現れないということは、やはりこれだけのものを作るのは難しいということだろう。
小さいながらも凛とした素晴らしい模型群であった。
我が家のガス給湯器が壊れた。二十年近く使っているので、部品交換もできないそうだ。ガス屋さんによれば、むしろ「よく今まで使ったものです」ということ。
お風呂屋さんに行くには、東西北いずれもひと駅程度は歩かなければならない。休みの日、予定のない日ならばそれもよかろうが、ちょいと辛いね。
お風呂屋さんの休みを調べると、それぞれ曜日が異なる。おそらくは、毎日風呂に入らなければならない人もおり、そのために、休みを異なってとるようにしているらしく思われる。
お風呂屋さんに行けないときは、電気ポットで湯を沸かし、洗面器三杯の湯で体を洗い・拭っている。まあそれはそれで良いのだが、やはり、湯に浸かって体を温めないと、体内時計が整わないように思う。
ガス給湯器に限らず、建築資材は供給不足説もあるようだ。半導体も不足しているようだから、そうであってもおかしくないだろう。
貧しさはこういうところから始まるのか。
モヒニ・デイ女史 インド出身のベース奏者
https://www.youtube.com/watch?v=DFpouPPR19E
格好良い!
Bella Hristova
https://www.youtube.com/watch?v=zCn3FJDmGd8
Heinrich Biber Passacaglia for Solo Violin
いい曲だ。譜面買っちまった。弾けない変奏は無視するか?
むかし、ハイドンの主題による変奏曲で変奏無視の提案をしたが、受け入れられなかった。みなさん真面目だ。
「英語が使えるようになる幼稚園」を発見。
いきなりビジネス英語を教えていたりして。ヒヒヒ。ここで使えるようになる英語はもちろん幼稚園英語。幼稚園英語は大人が使う英語の必要条件と考えれば意味があるのか。
英語だけではなく、さまざまな外国語に一般化して考えたい等など。こうした「英語商売」。いささか底が浅いような気がする。
一方で、ノーベル賞小説家の和訳がほとんど存在しない問題。英語を読むことを考えても良いのでは?もちろん原語の専門家がきちんと翻訳してくださるのが良いにもせよ、中間言語としての英語は無視せざるべからず。チャペック「園芸家十二ヶ月」の中野好夫訳はたしか英語からの重訳だった気がする。重訳ではあるけれど、達意の日本語で書かれた楽しい本だったので、本読みとしては満足している。
昔、ウンベルト・エーコの「セレンデピティ」を英語で(無理やり)読んだが、内容がなんというかこの世の常でない内容であり、意外と読めた記憶がある。
興味本位で賭博について調べる。
刑法そのものには「賭博」の定義が書かれていない。
で、刑法では、賭博を禁止しつつ、「一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。」のただし書きがあり、パチンコはこれに該当する(させている)らしい。
昔々、祖母が孫相手に「10円玉を持っておいで」と言って、「おはじき」をしていた。上手に弾けるとその10円は自分のものになる。こんなのは「賭博」ではないのだね。そうであろうと思いつつ、あらためて安心した。そしてまた、祖母は孫に小遣いをやる方便にそんな戯れをしたのであろう。
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=140AC0000000045
https://www.mc-law.jp/kigyohomu/21180/
古楽アンサンブル リュミエールの演奏会に行く。
歌入りの様々な古楽/古楽風楽曲の数々。大変楽しめた。古楽は性に合うのと、好きなブルガリア民謡をやってくれたからなおさら。そしてまた詩の朗読から入るのもいいし、演劇的演出もステキ。
歌の氏家紗知さん、朗読のお声がまた良い。
ダンブリュイはヴィオラ・ダ・ガンバの分散和音のピチカートが激烈に格好良い。ちょっとレナルド・アーンの「クロリスに」っぽい。
私がふだん接しているような「クラシック系」は3曲くらいが最大で、それはそれで充実した楽しみだが、古楽などは、小曲がたくさんで、これはこれで面白く楽しい。
ガッツリ焼肉食べる日と、小料理屋で少しづつつまむ日とどちらも甲乙つけ難いのと(少なくとも私にとっては)同じである。
「ロバハウス」にも初めて往かれてよかった。もっと言うなら、西武拝島線を乗り潰せたのも面白かったし、玉川上水上流の様子を見られたのも良かった。こいつらはあくまでもオマケであるものの。
「日本下持ち協会」第2回に行ってみる。
「下持ち」の意味が分かっていない私。音楽アンサンブルにおいて「低音を支える」ことだろうか、あるいは、弓の持ち方なのかな?
ネットで偶々見つけ、ヴィオラ・ダ・ガンバに触ることができるらしいので、会社を休んで行ってみる。
思えば、自分がヴィオラ・ダ・ガンバを知ったのは、四十年前友人に誘われて「マタイ受難曲」(J.S.バッハ)を聴きに行った時だろう。以来色々あるけれど、長く興味ある楽器の筆頭である。
というわけで触ってきましたヴィオラ・ダ・ガンバ。
まず1時間目は弦楽器初心者の方が講習。ここで受講者に遠慮会釈も無く貼り付いて、楽器の構え・弓の持ち方などを見て覚える。私は、見て盗めるものは盗まにゃ損、という昭和の吝嗇人間なので当然である。
2時間目でガンバの経験が少しある方と私で講習。私は己の全知全能を振り絞り、かつ、全身気張りながら一応らしいことができる。チェロ歴何十年なので音階くらい並べられて当然ですね。で、講師ともども「カエルのうた」の輪唱をなんとかしましたね。なんであれ合奏できるというのは楽しい。たいへん楽しうございました。
そして3時間目にはすでに楽器が弾ける皆さんのコンソート(同一楽器による合奏)。何度か通しながら、少しずつ修正して行く。
これを聴いているのが実はたいへん楽しい。
四声が対等なのがコンソートの良さであるが、それら錯綜する声を聞き分けるのにも、何度か通して頂けるのは大変良く、また、最初は奏者も「分かっていなかった」構造が、修正しつつ繰り返すうちに「明確に浮き出してくる」。こういう「物事が完成に向かって変化する姿」を見られるのは本当に楽しい。いわば三次元乃至四次元で作品を見ているの心持ち。ある意味、完成品だけ見るよりもずっと良い。
さてさて、楽しい催しであったが、それ以外にも、ある程度習慣(良きにつけ悪しきにつけ)で弾いているチェロにも意識的に体を使った反照がありそう。さて、できればどこから安ガンバを手に入れたいものだ(楽器には必ず維持管理が必要なので、通信販売で買う気にはなれない)。
映画「大きなる驀進」を見る。
https://www.youtube.com/watch?v=AjCzLVcxVig
昔の機関車・列車が走り回っていて嬉しい。そしてまた車内の情景も。
皆さん、車内でふつうに煙草を上がっていらっしゃる。お客さんも車掌氏も。そういう時代だったのね。
舞台は夜行特急列車だが寝台車だけではなく座席車も連結されており、お金のありそうな人々は寝台車に、若い人々や庶民は座席車に乗っている。そういう時代であった。
ネット上の誤字。
陰謀論を陰毛論と書いてあるのを見つけた。この言葉に囚われて本来の文章の意味が頭に入ってこない。
もひとつ、「潔癖を証明する」というのもあった。これは簡単なような難しいような、主観問題だからね。おそらくは「潔白を証明する」だろうね。
演奏会などに行けて大変嬉しい。少し調子に乗りすぎかも知れない。あるいは私ですらこの調子なのだから、世の中はさらにコロナを忘れていい気分になっているかも知れない。
今月はコロナワクチンの接種をし、基本的にマスクもし、手洗い嗽もしている。インフルエンザも流行しているようであり、風疹の気をつけねば、ということでこれらの予防接種も考えている。