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読書の記録(2023年12月)

寝ぼけ署長 山本周五郎
正直なところを言えば、書店から出られなくなって買った本ではあるが、こういう気軽な本を読むのは好きだ。
有力者の横暴、法さえ守っていれば道着も何もなく、否、法を守らずとも罰されなければそれでも良い等読んでいると、昔の話とも思えなくなってくる。万古不変の趣があるか?
私の人権意識も大概古く良からぬものであると思うが、「人情」もないのが今の浮世であるなあ、と改めて思う。

ロボット物語 スタニスワフ・レム
「宇宙創世記 ロボットの旅」とは別なお話。という事を知らず、この書の存在を知らず、偶然、古書店にレムがたくさんある中で発見。ありがたい。他は持っているものばかりだったので、これ一冊を買ったが、ポーランド語原書も2冊あった。どんな人が持っていたのだろう。凄い。
そういえば国書刊行会のレム・シリーズII続刊が出ない気がする。応援しよう!(どうやって?)

河野裕子 永田淳
笠間書院の和歌の本は買わざるべからず。と言うか、ちらっと見て、「第一子すなわち筆者を詠んだ」云々とあり、さらに「買わざるべからず」と思い購入。
永田和宏の書いたものをこのところ好んで読んでいる。和宏、裕子、娘の紅は歌人ながら、ひとり息子の淳は(少なくとも表立っては)歌人ではなく、「疎外感はないのかしら」と余計なことを思ったりもしていた。そういう下世話な興味もなくはない読書である。 和宏の書いたものは、裕子と同じ時間・同じ場を生きたものとして、その場その時の感懐を共にするようなところがある。一方、淳の書いたものは、自分の知らぬ時代知らぬ場を思い、それを自分の知る母や自分の知る事ごとに結びつけているように思う。あるいは、和宏は歌人として、淳は編集者として裕子の歌を見ているともとれる。
現在の私は、物事を複眼的に捉えるのを面白いと思っているので、こうした和宏と淳の見方・書き方の違いが大変面白い。そしてまた、そうした様々な見方・書き方の向こうにある裕子の歌を読み直すのが面白い。
改めてご経歴を拝するに、河野氏は、熊本に縁があること、生年、病気など、私の母に近い。
昔のお写真など拝見するに、(本当は時代的な近さによるものだろうけれど)、熊本人としての類似性があるように思われ、似た病気であったこともあり、親しみと懐かしさを感じつつ拝読している。

母の如き親しみを以て歌を眺む会ひたる事のつゆなけれども

と勝手なるうたを詠んでみる。

行きつけの店 山口瞳
家のどこからか出てきた本。昔のファンタジーを読むような具合。昔の人々は、多くの情報がなかったから、なんとかたどり着いた店のうち、気に入った店を「行きつけの店」にしていたのではないか。そして、お金が自由になる人々は相応の店を「行きつけの店」にしており、一般人のたいそう憧れるところであった。そうした背景で書かれた書だろう。
今尚、様々な商業主義の元、「お店の紹介・宣伝」はあるけれど、どちらかというと、テレビ・雑誌・ネットの三者で行われており、こうした書籍はあまり見ないかも、と思う。
この書に書かれた店が今もあるかどうか知らない。多くはきっと無くなるか、雰囲気が変わっているだろう。だからこれは今の私にはファンタジーだ。で、年取ってこういうものを読むと、「上手に作文するなあ」と感心する。まあおそらくは、こうした上手な作文に騙されるのも楽しみのうち、ということだろう。

蒙求
読了。「孟母三遷」みたいな四字の歴史格言とその解説。日本人が知る事績も非常に多く、いい加減にしか知らなかったことが確認できるなど、大変良い。
ちなみに、孟母三遷を取り上げてみたが、孟母のタイトルはこちらではなく、「孟母断機」である。なんで「三遷」のほうが有名なのだろうか。引っ越し業界の宣伝でもあるまいが。

動く人工島 ジュール・ヴェルヌ 三輪秀彦訳
弦楽四重奏団の4人が主人公なので読んで見る。いつものヴェルヌ節。
ふつうであれば眠くなるような、説明的言辞を読んでいるだけで楽しいのだよね。夢と勢いがあるというか。
そして、他民族に対する素朴な優越感。まあ京都人の「イケズ芸」だと思って、私は楽しく読んでいるのであるが。
まだ途中。もちろんこれからひと波乱あるのであろう。
古い訳なので、文句を言っても仕方がないが。
 発電機→電動機 電流によって動かされる方なので。
 騎士→騎兵ないし乗馬者、馬乗りなど 封建制度・貴族制度における「騎士」ではないよね。
 メンデルスゾーン弦楽四重奏曲第7番→存在しないはず。他にも、モーツァルト等の名曲と言っている番号が怪しい。適当に書いているのか、読者をおちょくっているのか、さて。

自分の中に歴史を読む 阿部謹也
昔読んだ本。整理中に読み始める。阿部の問題意識のすべてが私と重なるものではないけれど、たいへん興味深く、切実な問題設定をされていると感じる。
また、阿部の個人史として読むと、何時にあっても、孤独で静かな阿部の眼差しを感じるように思う。
阿部学説が現在も正当なものとして流布しているのか、私にはわからない(阿部説が正当/不当であることを証明することも難しいので、現代的な学問の流れからは傍流となっていると想像したりもする)。
バロックから古典派に向かって、音楽が「語りから歌」に転じてゆくのと、阿部がいう、世界が贈与・互酬的関係からキリスト教的普遍的関係に転じてゆくのと、いささか重なるところがあるのではないか、と私は思ってみたりしている。
また、前近代と近代の違いとして、贈与・互酬性によって直接的な関係で結ばれた社会と法や制度の下における平等社会(用語は私が勝手に変えている)という点を挙げているが、報道で見る我が国のあり方は明らかに前近代の贈与・互酬性社会ではないか。これで先進国でございと言っているのは矛盾の極み。
新しい本ではないが、再読で教えられること・考えさせられることが多く実りある読書であった。良い本を再読できて大変うれしい。

阿房列車 内田百閒 一條裕子
驚くべき漫画。人間百閒が活写されている。原本を読んだことがない人が面白いと思うかはわからないが、原本を読んだ人には原本と等しく楽しめるのではないだろうか。
頑固だが愛嬌のある老人百閒。でも、今の私より若いのではないか。
百閒および参詣氏が乗車した列車の編成表が付されているのも、私には面白い。この漫画と、鉄道模型の列車セットなどあれば、私は買ってしまうだろうな。「阿房列車急行「霧島」セット(百閒および山系氏のミニフィギュアつき」とか。そうなると、同じように漫画「エンジニール」セットも欲しくなる。「関西鉄道急行列車(牽引機は『早風』)」(島・雨宮のフィギュアつき?)。
この編成表はどうやって作ったのだろう。それはそれでちょっと気になる。

欲望という名の電車
偶小耳に挟んだ会話中に現れた戯曲が、書店で眼の前に現れたため購入。読んだことがないので、多少恥じつつ。
小説には通例「視点人物」が出てくる。この戯曲にはそれがないように見える。以前、ゲーム・オブ・スローンズの登場人物解説を眺めていたら、「視点人物」が何人か挙げられていた。
ということは、戯曲であっても視点人物を設定することができるわけだ。
私の推測では、舞台劇は観客の視点が固定されているので、視点人物を設ける必要はない(低い。あるいは設けることができない)。
テレビ・映画などでは、場所や時間が移動することから、「誰かの視点」がないと視聴者が混乱しやすい。そのために「視点人物」を設けることで物語の流れを作り出すことができ、それによって、視聴者の混乱を防ぐ。
まあ、素人の仮説に過ぎないが。

「年末年始に読む本」を買う。言い訳しないと本を買うこともできないのか、私。
「入門 公共政策学」、「パンの歴史」、「河野裕子」、「尾形亀之助 美しい街」、「シェイクスピアの記憶」(ボルヘス)、「精選 物理の散歩道」(ロゲルギスト)など。
文庫・新書の類が多い。貧乏中学生だった頃からの習いでもあり、持って歩いて電車の中で読むためにも仕方がない。

昔、大学受験のため「源氏物語」の粗筋を諳んじようと思った。
田辺聖子「絵草紙 源氏物語」で概略を把握。全1巻で短く、かつ、絵があるので、理解しやすかった。
円地文子「源氏物語」(全5巻)を読んだ。谷崎潤一郎・与謝野晶子なども読んでみたかったが、「色」がついていることを警戒して避けた。円地文子はそれぞれの巻冒頭に、登場人物の関係図がついているがたいへんよろしい。これがないと誰が誰やらわからなくて困る。
その後、田辺聖子「私本 源氏物語」(続編も含め3冊)を読んだ。まあ、当然これが一番面白いわな。でも、田辺が源氏を枉げていると、私はあまり思わない。源氏の中で不幸せになりがちな女性たちを、田辺は強く・美しく描き、自ら救われるように描いていると感じる。田辺の源氏物語とその登場人物への愛情がなせるわざと、私は思った。今も時々私本源氏を引っ張り出す。
そうそう、大学の文学部に潜り込む、という野望は果たされなかった。それで良かったと思うけどね。

海街diary 吉田秋生
鎌倉あたりに行くことが時々あるので、読んでみた。
面白いストーリー展開。深刻になりすぎないようよく調整された「深み」。
マナスル初登頂者のお話が出てくる。私の大学時代、近くの研究所の教授がヤルンカン初登頂者(凍傷経験者)なので、ちょっと親近感。
様々な要素が相当の密度で進んでゆくが、相応の味わいもある。

●雑感
ミード(蜂蜜酒)を初めて飲む。
甘いことは甘いが、酸味も程よくあり、美味しかった。少し甘めの白ワインと言ったところ。
ともあれ、一つのミードで百のミードを語るなかれ(今思いついた格言)、すべてのミードがそうなのかはわからない。

ジャンヌ・ダルク。英語で Joan of Arc。相当に趣が異なる。
仏語では Jehanne d'Arc。いずれにせよ、Arcが地名というわけでもなさそう。

「なんて素敵にロマネスク」というのを思いついた。氷室冴子氏の「なんて素敵にジャパネスク」のパクリでござる。と言って通じる時代ではないかな?

生れかわる客車 国鉄客車鋼体化の記録 高砂工場  昭和28年制作
https://www.youtube.com/watch?v=K481r0Kh6gw
台枠は縦横に延長、車体は新製、車輪のタイヤははめ直し、台車のバネは新たに入れており、もはや「改造」の意味があるのか、と現代の視点からは思ってしまう。
また、床、内装、天井、椅子など木工品も多いが、丸太からの製材自体を国鉄工場が担っていたのも知らなかった。確かに大量に使うのであり、独自の規格などあればそうなるだろう。今となってはもったいないような無垢材を惜しみなく切り刻んでいる。
基礎的な資材の入手が困難であり、人手が余剰であるならばこそこうした手立てを採ったものであろう。
オハ61 379(米子鉄道管理局鳥取客貨車区?)および前身の木造客車が主人公。B50など後年あまり見かけなくなった車両がちらちら写るのが嬉しい。

1960年代 国鉄深名線 豪雪地帯を走る
https://www.youtube.com/watch?v=h-Cd4ESMFcc
機械式気動車キハ05が走っている。総括制御ができないのに、2両編成だ。北海道といえば、キハ22の印象が強いが、キハ22受け入れの素地がこうして作られていたとも言えよう。
前面4枚窓のうち、3枚は中桟があり、おそらくこの3枚が開くのであろう。当時の窓の構造・工作から言って、隙間風が入りたいへん寒かったのではないか、と思ってしまう。
Wikipediaでキハ05(キハ04)の記事を読むと、涙ぐましいほどの国産化努力をしつつ、スパークプラグとローラーベアリングはどうしても国産化できず輸入している。また、エンジンも米国ウォーケシャ製品に及ばなかったということである。昭和10年頃の日本の工業力を知る意味でもなかなか重要だと思う。

テフロン(PTFE)は、マンハッタン計画でも用いられたとのこと。
サランラップがもともと軍事用に研究されていたことも含め、感じ入る。

紛失した眼鏡発見。 庭木に登って作業していたところ眼鏡を落とした。棕櫚の葉の上に落ち、そこからさらに落ちたところを見ていた。
眼鏡なしで作業を続け、作業後木から下りて地面を探したが見つからなかった。何日も探したが見つからない。これが1ヶ月前。
道路に出ていったか、光り物を好むと言う烏が持ち去ったか、などと思っていた(あるいはKGBのスパイ説も)。
その後、野朝顔がはびこっているのを相当に片付けた。それもあって、庭が明るくなった。で、それら木々を眺めていたところ、落ちた場所の棕櫚の葉の下にある月桂樹の枝に、眼鏡が引っかかっていた。
眼鏡を畳んでシャツのボタンにぶら下げたりするが、ちょうどそんな具合に畳まれており、少々歪んでいるものの、大きな不具合はなかったので、洗剤で洗い、眼鏡屋さんで調整してもらい、ふつうに使えている。
慌てて次の眼鏡を買わなくて良かった。まあ、前の眼鏡があったし、老眼が進んで間近であればむしろ眼鏡なしで暮らしているので、そんなに困ったわけでもないので。
六十歳にでもなったら、オシャレ眼鏡でも作ろうかな。眼鏡屋さんで丸眼鏡を試すと、大正時代の人みたいで実に似合うが実に悲しくもある。
(山田参助氏をちょっと思い出す。彼のCDを買わねば)。

「翔んで埼玉」続編出来。
第一編公開時、埼玉県民なる知人が見に行った感想は「埼玉県は特に disられていない。他の県の方が disられていて心配」だった。
私が映画を見るに「埼玉県民の disり耐性の高さに恐れ入った」ところである。
ともあれ、どんな人でもゆかりのある土地に愛憎の思いがあって当然であり、それを超拡大して見せてくれる曲芸をこの映画では楽しむことができた。

日本大学の部活動には、3段階あるようだ。
競技部、学生部、サークル。
まあ、なんか変だな。大学改革を行うなら、こういう部分の方を直すべきと感じる。
大学生なんだから自主運営くらいしなさいよ、と思ったりする。まあ、事情はそれぞれであろうが。

某無名宗教団体の不名誉な新聞記事を見る。
まあ、そんなところなんだろうな。と腑に落ちてしまう。
私が若い頃持っていた宗教へのあこがれをきれいに粉砕してくれたことにはいささかの感謝をしている。

日本最初の地下鉄、上野・浅草間が開通したとき、待ち行列が上野・浅草より長かった、というお話が好き(ほんとかな?)。
移動目的ではなく、乗ること自体がお楽しみの「アトラクション」感覚だったようだ。
私が最初に銀座線に乗った時、時々車内が真っ暗になるのでびつくりした。ここで騒いでは「イナカモノ」だと思って我慢した記憶がある。
新旧雑多な車両で編成されていたが、まだ、リベット打ちの車両が混ざっていた。

忘年会。
外気が暖かいと気分が出ない。
寒い中、コートの襟を立てて移動し、店に入ってコートを脱ぎ、「や、今日は鍋だ」と喜び、熱燗を頼む。
鍋が煮えるまで、あれこれつまみながら、盃を傾ける。
温かい鍋を啜った後、帰路、火照った頬を寒風で冷ましながら歩く。
これらも昔話になるのだろう。

連続式の輪ゴム銃を作ったことがある。
感想は、
1)装弾がたいへん
2)弾道を見ながら狙いを修正してゆけば良いので、いつか必ず命中する。
というもので、1からは「工業化→輸送力→総力戦」と連想し、2からは「塹壕戦→戦車→工業化→総力戦」と連想した。
装弾における工業化とは、つまり、連続的に利用可能な弾薬セットの製造であり、弾丸つまりを起こさないような、高度な精度管理が必要ということである。
もちろん大量に消費される弾薬であるから、設計・製造技術・生産管理など全工程における一体的な技術力ばかりでなく、国家としての資源管理や工業規格の達成が必要である。
さらに、その弾丸を的確に戦場に届けなければならない。かんたんに言えば「輸送力」であるが、むしろ「物流システム」というべきであろう。
こうした生産力・物流力が必要となるとまさに国家全体が戦争のための生産と物流に総力をあげる「総力戦」と考えるべきだ。
ということで、ごく当たり前のことだが、物量戦すなわち総力戦である、という結論に至った。
あまりにも当たり前のことであり、この結論・思考過程は、人類にとっては些細な一歩に過ぎない。でも、私にとっては実感から当然の結論に至ることができたのだから、自分自身の巨大な躍進だ!

RIASの意味を始めて知る。「Rundfunk Im Amerikanischen Sektor: アメリカ軍占領地区放送局」
RIASのオーケストラ、合唱団は良い演奏を残している記憶がある。こういう意味だったのね。

渋沢社史データベース
https://shashi.shibusawa.or.jp/index.php
なんぞ凄いものがある。

偶然「目黒銀座」を通る。
なかなかいい通りね。私にはいささかお洒落すぎるけれど。
祐天寺の「カレーハウス ナイアガラ」も発見。
小学生の時分に雑誌「旅」か何かで見た覚えがある。四十五年程昔だ。店舗前の踏切遮断器と店主の笑顔の写真が、当時のあまりきれいでない印刷紙面にあったと記憶する。
関東に居住するようになり、そういえば行ってみたいと先日から思っていたのだが、偶然見つけてしまうとは。これまた面白いことである。
まあ、人が流れるような飲食店向きの立地であるということでもあろうけれど。

Google Photo
「この写真に「彫る」が写っていますか?」と訊かれる。
塑像を入れるべきか迷う。彫像はもちろん該当するのだが。直訳の弊害。

久しぶりに機械式メトロノームを使う。
錘の高さで速度を変えるのだが、錘の上端を目盛りに合わせるのを忘れ、下端を合わせる。
「アンダンテはこんなに遅かったっけ」と惑う。

真空管アンプの去就を考える。
そもそもロシア管をよく見かけたが、ロシアから物を買うのは、現在の私の好まないところである。
また、円が弱いこと、真空管の生産数が少なく、値上がりしがちであることを考えると、あまり明るい将来が考えられない。
まあ、私が他のアンプと使い分けつつ消費するくらいの真空管は購入可能であろうけれど。

「情熱の真空管」ペルケ氏亡くなったと聞く。
私は、アンプ実装には至らなかったけれど、トランス式DACは作って楽しんでいる。
彼の「生き方」や「考え方」にも興味があり、そうした文章を拝見した。たいへん尊敬できる方であり、貴重な情報の開陳にはまことに感謝している。
また、彼が紹介ししている音源もたいへん素晴らしいものであり、徐々に聴き進めているところだ。
一方、彼が比較的最近知ったらしいシベリウスの弦楽合奏曲については、私が昔から知っているものだった(演奏は違うが)。
世の中に発信する価値のある知識・情報は、私には乏しいが、わずかでもよいからこうした情報を世の中に発信すべきではないか、と考えている。

スピーカーについて調べる。
「フルートの音域にクロスオーバーを持たない。」って良いな。
https://jun.fishing-forum.org/2009/10/post-143.html
楽器弾きなら当然考えることだろう。
チェロならA線を220Hzとしてその2オクターブ上まで出すならば880Hz。も少し上まで出すと考えても1kHzあれば良さそう。
むしろ、下の方がC線が55HzのAのちょっと上。
現在、Dali Menuet II なるスピーカーを使っているが、再生周波数帯域70Hz~55000Hz、クロスオーバー周波数4.2KHz。
クロスオーバーは良いとして、下が足りん。まあ、人間の聴覚は、倍音から下の音が鳴っていると補完する機能があるので、ふつうこれで問題ないらしいが。

この点でいえば、Tannoy Mrcury m2 の48Hz~20kHz、クロスオーバー周波数 2.5kHz や、Wharfedale 515 の 42Hz~25kHz の方が優秀に見える。
Mercuryは古くてもっさりドカドカした音、Wharfedaleは地味にきらきらしているけれど、いわゆるカマボコなんだけどね。

古文・漢文不要説。
歴史に学ばなくて良いなら、これらは不要なのだろう。でもね、歴史から学んだ方が良いと思うな。
プロフェショナルとして古文・漢文の機微を学ぶ必要はないと思うが、我々が日々用いている現代文にも様々な形で忍び込んでくる古文・漢文があるのだから、それらに触れた時、「これは古文/漢文なのだから、現代文と勘違いしない方が良い」と思う感性は持っていた方が良いだろう。
まあ、自分は小学生だった時、親父に「新唐詩選」を渡されて読んでいた。そのお陰で学校の漢文で困ったことは一度もないので、特殊事例ではあろう。あれ一冊でマーラーの「大地の歌」までおおむね到達できる。

藤沢製本の事業撤退。
https://note.com/fujisawabb/n/n383bc1810b6f
こういう切実な話はなかなか外に出てこない。非常に貴重である。
(どうでも良い成功譚は表に出やすいが、本当に重要なことは出てこない。まして「撤退」においてをや)。

島根朋史氏の『J.S.バッハの装飾・弓使い』を聴講
音楽雑誌も買わず、音楽会にもほとんど通わず、教科書も含め音楽系の情報に接することが少ないくせに、楽器だけは長く弾いている人間には大変刺激的で面白かった。
まあ、「最新」であることに全く興味はないけれど、情報が多いがゆえにそれに縛られるのではなく、多くの情報の中でより自由により開かれた思考が出来、それによってより自由で楽しい音楽が花開くというのは大変楽しい。

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今週の戯れ歌

諦める事多かりし人生はただ欲深きと異ならざりける

「極深」のコーヒーなれど我が耳は「欲深」なりと聞きぞ違へる

心憂き諸々からは距離を置ける弱き我をば赦したまひそ

家を出るその気もなくて家を出れば「鬱」が後ろより我を見るなる

日を浴びて少し気分の晴れるならば無理にも家を出て正解なり

多忙とて家を出でずに過ごせれば心暗くして体も動かず

救援のあるかなきかを我は知らずただ救援に相応しくあれ

一日の終はつた如き蕎麦屋入りて酒も飲めぬは辛くありけり

河野永田のうたの本読み涙する我がうた斯くも高くあらざり

我は我の高くもあらぬうたを詠み高くもあらぬ生を生くべし

芸大生に畑を貸せる男ありその寛闊に耳傾けり

古き町の街道筋を通り抜けり造り酒屋の重々しき哉

駅からは遠ざかるほど家もなく林野の中に大学のあり

起伏ある山野の如き構内にのんびりとある大学や良し

田や畑を作品とする芸術家心に沁み入る我ら土の子

私からあなたへの言葉はもう尽きたあなたから私に言葉がないから

気持とて限りある資源と思ひ知る知りたくもない事実の悲しさ

言ふ程に悲しみの我にあらざりき随分前から予想されたこと

数多き自然現象の流れ来て我の片方を通り過ぎゆく

聊かの無関心なる視線もて通り過ぎたる現象を見ゆ

命あれば今年の秋もラフロイグ英国王も愛せると聞く

好き好み正露丸なる酒を飲みもの好きなるは我であるかな

酒場なる我を見るのは久しぶり酒を飲むのは常になるとも

好めるはトワイスアップの酒なれど少し冷たくあればさらなり

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読書の記録(2023年11月)

あの本は読まれているか ラーラ・プレスコット
なんとなう面白くもあるが、1950年代の米人女性に感情移入して読むのはちょいと難しい。で、露側・米側の話が交互に出てきて読みにくい。米露とも「女性は強い。男性はアカン」と言いたい小説なのだろうか。なんとなくテーマが読み取れず、あまり楽しめなかった。残念。

ともあれ「ドクトル・ジバゴ」が大きな「事件」であったことを改めて知る。
私自身は学生時代、新潮文庫になったのを喜んで急いで買った記憶がある。だが、その後新潮から再刊されないという。如何なる事情によるものやら。
そして、数年前に見たロシア制作のドラマは、旧ソ連の百貨店経営者が主人公であったが、禁書であるドクトル・ジバゴが少々登場した。主人公に探りを入れるKGB捜査官が職務で入手した「ドクトル・ジバゴ」を、学校教員である妻に貸し、妻は学校で学生に貸す。そして学生は電車内で読んでいる書を官憲に咎められ、捜査の手が妻にも及びかねないので云々・・・という筋であった。
これらは実話ではないだろうが、一方で、ソ連国内でも多くの人々がこの本に大きな興味を持ち、秘密裏に入手し閲読するケースも一定数あったのであろう。

「その日暮らし」の人類学 小川さやか
大企業=正規軍、零細商人=ゲリラ、と解釈することも可能かも知れぬ。まあ、比喩は比喩に過ぎず、受け取る側によって必ずわかりやすくもなく、正確でもないけれど。
どうやら、我々の日本社会は「きちんとしよう」としすぎて、社会が硬直化しているようだ。一方、ここに出てくるゲリラ的零細商人的な働き方は、まったく「きちんと」はしていないが、それ故に、柔軟に社会が動いてゆく。もちろんどちらも長短があって、一概に日本もアフリカ風に「その日暮らし」になるべき、とは思わないが、もちょっと「その日暮し」に寄ったほうが社会としての発展が望めるように思う。
東芝然り、ジャニーズ然り、政治や教育もまたそうである。まあ、前よりも余裕がなくなってゆく中で、必然的に「その日暮し」に寄ってゆく部分はあるのだろうが、もともとの「きちんとしよう」を捨てきれず、「その日暮し」への恐怖に身を固めた我々日本社会が柔軟に新しい体質を身につけるのは難しいであろう。
さて、本書がアフリカが舞台であるせいか、某日、アフリカ人が登場する夢を見た。私が列車(昔の急行電車のようなボックス席の車両だった)に乗っていると、アフリカ人の執事らしい男性が、「向こうの個室に席がある」といざなってくれる。それについて行くと、アフリカ人らしい女性のボディビルダーがにっこり笑って迎えてくれる。そこで私は「ああ、この人(夢の中では旧知である人)は実はアフリカ人だったのか」と思うのであった。
私にはアフリカ人の知人はいないので、たいへんステレオタイプな「アフリカ人」であり、ほんとうのアフリカの人々には失礼極まりないのであるが、私の脳内から取り出せない以上、ご寛恕願いたい。

蒙求
少しずつ読んで読了。
諸葛孔明の話題で、出典は「蜀志」となっている。我々「魏志 倭人伝」についてよく耳にするのだが、まあ、魏呉蜀と三国同時に並んでいたこともあり、それぞれ「志」があってもおかしくないのだろう。どうしても「魏志」というと、そのまま「倭人伝」が出てくるが、倭人伝はあくまでも魏志のほんの一部であって、魏志の多くは「魏国の歴史」である。

ゴッケル物語 クレメンス・ブレンターノ
ドイツロマン派の有名作家ブレンターノ。マーラーが作曲した「魔法の角笛」でお世話になっている。
現代の我々から見ると、冥いロマンティシュ・拙い稚さに特徴があるように思う。 我々(現代日本人)は、幼さに無垢を見、罪を見ることはあまりない。幼いものが誤りを犯すのは「保護者」の問題であって、本人を責める気持ちにはなりにくい。
一方、ここで現れる稚さはどちらかというと本人が責められるべき未熟さであるようにも思われる。そういった「冷たい視点」も含めて、ロマンティッシュ全体が「冥さ」に覆われているように思われる。森の奥の城の冥さ、人形が逃げ込む森の冥さなどなど。
E.T.A.ホフマンの怪異が生え出でる土壌はこういうところにもあるのだろう。
ふだんの自分の生活感情と異なる「遠く」に行くことができて、良い読書であった。

たくさんのふしぎ 「植物」をやめた植物たち 末次健司
いつもながら「たくさんのふしぎ」は面白い。あらゆる大学の図書館で購読されるべきではないか。

もっと!天幕のジャドゥーガル
https://souffle.life/author/motto-tenmaku-no-ja-dougal/
たいへんおもしろい。ジャドゥーガル本編ももちろん面白いが、その内容や疑問が頭に入っている状態で読めるのが大変良い。
東京藝術大学取手キャンパスに訪れた折、なかなか格好良いコートを来ている方がおられた。背中や襟から前身頃に向かって刺繍があり、結びボタン。ちょっと中華風でもない。聞けば、カシミール地方で購入したとのこと。後ろ姿の写真をとらせて頂いた。乙嫁語りなど好ませたまうとのこと。私はすかさずジャドゥーガルをお勧めした
(1. 格好いいコートのお写真がネット上にあるではないか。 2. 話しかけている相手がジャドゥーガルの作者である可能性は考えなかった。でも、可能性は充分あるよね。気をつけよう)。
https://omoharareal.com/navi/news/detail/3697

沈黙 遠藤周作
意外と淡々とした描写。こうなるしかないのか。それが歴史的事実でもある。そしてまた、取締側の考えもある意味目的に対して理屈は明確である。だからと言って今の我々から見て正当とはまったく言えないのだが。

大遠藤の用字に文句をつけるのは大変不遜であるが一言。
 甲板に凭れる→舷側に凭れる
 酒瓶が転がって→この時代の「瓶」とは「土瓶」なのだろうか?時代的にガラス瓶ではないと考えられる。また、「土瓶」が「転がる」ような形状か?そもそもこの時代に貧しい者が酒を買って自宅まで持って帰って飲むだろうか?さらに貧しい者がアルコール中毒になるほど酒を買うことができたのだろうか?さほどの強い酒が安価に購入できたのだろうか?などなど疑問。
以上、作品の本質には一切関係ない。

太子の少年 佐々木良
現代の奈良語に翻訳した万葉歌集。たいへん面白い。が、しばしば現代語の方が分からずに万葉歌の方を見直す私。
これが2巻で1巻もあるのね。

ノモンハンの夏 半藤利一
有名な書。冒頭を読んでいるだけで、現在の日本社会の状況にあまりにもよく似ていて、ページをめくるごとに気分が悪くなること必定。
無責任に調子の良いことを言っているヤツが出世して、調子良く勝手なことをして、それがため世の中がどんどん悪くなり、収拾がつかなくなってしまっているが、無責任野郎は相変わらず。
「ノモンハンは言われているよりソ連の被害は大きかった云々」の説もあり、それはそれで良いが、だからと言って不必要かつ不手際の極みであった事実は変わらないと思う。
(下士官兵が優秀であったことは、以前から言われている。)
また、ノモンハンにおける戦闘とともに、欧州・ソ連の状況が同時に動いていたこと、それに対する大日本帝国の対応も描かれており、益々暗澹たる気分になれる。
ともあれ、読んで良かったと思う。

清々と 谷川史子
再読。
後書きを読むと、作者にとって初長編であり、最初に設定を決めず途中整合をとるのが大変だったとある。まあ、それはそれで興味深い。
そう言えば、私は、「セーラー服のカトリック学校」というのを知らない。あるのかな?セーラー服の起源はとうぜん「水夫/水兵」の制服であるが、19世紀末から20世紀はじめ頃、女性や子供のファッションとして定着した・・・と記憶する。
小説「ヴェニスに死す」でも美少年タッジウがセーラー服を着ている記述があったように思う(映画と混乱しているかも)。
で、そんな軽薄なファッションをカトリックが認めるのかな、と私は疑問に思うのである。まあ、「知らんけど」。
なお、主人公たちが通う学校が「カトリック」とは明記していないが、マリア像の描写からすると、ふつうに考えてカトリックであろう(英国国教会とかもあるかも、だが)。
一部、登場人物たちの会話の論理のつながりがわからんところがあるが、若者どうしは論理を超えて勢いで伝わる、ということと理解している(これによって特に話が混乱して読者が困ることはない)。

歌に私は泣くだらう 永田和宏
歌人永田氏が妻河野氏の晩年を描いた書。今の私が読んで良かった。この数年に父母を亡くし、自分たちの順番を考えるようになった私には切実にして哀切。
書くことに迷いもあったというが、私は書いていただいたことに感謝する。
有名歌人夫婦という立場は私には理解し難いが、人として切実に生きること、自分の生を見切ることは、凡人とても異ならぬ、と私は思う。

最近、書店でも詩歌の棚があれば、近寄って眺めることが多くなった。とは言え、韻文だけを読み続けるのは疲れるので、散文韻文混じりがいちばん楽しめる。
さて、過日、神田須田町の蕎麦店「まつや」に行った折、「季刊 新そば 174」を頂いた。久しぶりの「まつや」でもあり、久しぶりの「新そば」でもある。
帰宅してページをめくるに驚くべし、巻頭に永田の文章と短歌がある。こうしたご縁にはなかなか楽しく驚かされるのである。
また、こうした小冊子に書かれた随筆を読むことを、私はなかなか好いているのである。

●雑感
『炭坑節』mmm+ジンタらムータ+久下惠生
https://twitter.com/nyantokonyan/status/1718460113198162005
謎のバンドによるゆるゆる演奏。とてもゆるくていい気分。
だが、うたのゆるさに比べ、管楽器がきれいに吹いているのが、少し気になる。キレイな音の欺瞞性。音楽の商品化というか。
昔、佐藤しのぶと和田あき子のデュエットというものすごいものを聴いたことがある(テレビで)。
どちらも歌手として一家を為す人であり、それぞれに聴く分には、私は大変好きなのだが、同時に歌われると、オペラ歌手の欺瞞性(っぽいもの)が気になるのであった。

カニササレアヤコ氏の笙を聴く。
カニ氏「子供騒いでもいいよ」とのこと。お子さんたちも声を出していたけれど、なんか音楽的だった。ふだん耳にする笙の音は、お祭りのそれだったりするので、社殿の奥から笙が聞こえる一方、屋外のざわめきや綿菓子に喜ぶ子供の声が混じったりする、そういう感じで、立体的音楽である。
そこでリゲティを思い出しておく。関係ないけど。
https://www.youtube.com/watch?v=8ZKaMuALMMY
https://www.youtube.com/watch?v=w0Tvj83xqDw
バーバラ・ハニガン氏についても忘れんようにしよう。
笙。登場の場面でもの凄く息が長いと思ったら、吸っても吐いても同じように音が出るとのこと。もちろん、循環呼吸や気嚢について考えましたよ。バグパイプみたいな空気袋とかね。
思いの他の表現力で、でも、遅い曲の方が多いのかしら。多声の曲もそこそここなせるようなので、シベリウスの「祝祭的アンダンテ」とか、マレの「人間の声」とかイケるかも(いや、演奏できるのか分からないが)。

先月のヴィオラ・ダ・ガンバを思い返す。
一般人の感懐として、ガンバとチェロはそっくり。楽器弾きの感想として、ガンバとチェロはまったく違う。
類似点:構え方(大域的な形)、弓の軌道、左手の押さえ方(たぶん)
相違点:右手の構え方、右手の軌道・使い方、左手はフレットがあっての押さえ方なので、チェロの押さえ方とは異なる。音色。どこを押さえてもフレットがあるせいで、基本的に開放弦の音がする。おそらく、弦の張力や指板からの高さの関係があり、チェロは押さえる分の張力付加が効いて音程が変わるが、ガンバにはそれほどの音程変化がない。
基本的にチェロは「張って、張り詰めて音を出すもの」だと思う。一方、ヴィオラ・ダ・ガンバは「緩んで緩み抜いて音を出すもの」だと思う。もちろん、チェロで抜くこともガンバで張ることもあるだろうが、基本的な立ち位置というか、方向性はこれで間違いないと思う。その点が大きくことなり、右手を上手で使うか下手で使うかはここにかかっているように思う。

ついでに、「通奏低音を弾いたことがあるか」問題(勝手に問題化)。
学生時代、オーケストラにいたけれど、全てが楽しいわけでもなくいささかの苦痛なきにしもあらず。まあ、人間の社会にいれば仕方のないことであるが、その時、自分の楽器演奏においてオーケストラの比重は1/3しかない、と思っていた。1/3が一人で弾く。1/3が通奏低音を含めた室内楽。と思っていたように思う。それゆえ、オーケストラなどいつ辞めても良いかな、と。
さて、高校時代、バッハの管弦楽組曲(2番・3番いずれも序曲を除く)を弾き、それが通奏低音(ぽいの)の弾きはじめ。 大学に入ってすぐ、ヴィオラが初心者で同級生でカルテットはできないので、バッハの2本のヴァイオリンのトリオ・ソナタ(おそらくBWV1036)を弾いた。生き生きとしたいい曲だった。最終楽章がフーガなのも良い。自分にフーガ趣味があることを発見した最初だった。 また、学生時代のある日「伴奏ピアニストが熱を出したので、午後の小さな本番でヘンデルのフルート・ソナタの通奏低音を弾け」と言われ、急遽弾いたこともある。打ち上げで酔っ払った写真が手元に残っている
社会人になってから「音楽の捧げもの」のトリオ・ソナタを弾いた。これにドメニコ・ガロを加えればおしまい。偶にしか弾けないがそれぞれ楽しい通奏低音生活ではあった。今後も引き合いがあって欲しいものである。
「音楽の捧げもの」は辛いけれど楽しかった。何故か池袋のマレーシア料理屋さんが練習会場であって、昼営業の最後に集まって昼食をいただき、机を片付けて練習。練習の合間にお茶を入れていただき、夜営業に向けて机を出し直して練習終了。フルートの方がマレーシア料理屋さんに可愛がられていたから、らしい。そういうのも忘れがたくて楽しいね。
あ、一度だけプロアマ混成の「マタイ」の2番Vcをもらったことがある。でも、友人の結婚式と重なって断念したのだった。あれは惜しかった。

多摩美術大学・東京農業大学のお祭りに行く。
どちらも「自分たちが作ったものを様々な人々に見てもらって(食べてもらって)喜んでもらうのが嬉しい」という気持ちは同じ。

農大生が多肉植物の最後の一つを売らんしていた。だが、売り方が「芸」の域にまで高まっており、それを聴くのが楽しい。となると、「買ってしまうと、この『芸』が終わってしまうのか」と思い、買わずにしまうという連鎖が起こる。
多くの方々がこの売り声を楽しく聴きつつ結局私が見ているうちに多肉植物は売れなかった。
人間が生きてゆくには、こうした「お祭り」が必要なのだろう、と思い至る二日間であった。
こうした若い人々の楽しい様を間近に見せて頂いて、感謝。

平安伸銅のラブリコ
https://www.lmaga.jp/news/2023/11/750354/
ラブリーコングの色は「モーブピンク」とのこと。
モーブ色ってば、「失われた時を求めて」でもちらっと出てくる象徴的な色だったような。また、昆虫学者アンリ・ファーブルが茜(植物)から染料を取り出し商業化しようとしていたのを断念することになったのも、この人工染料の影響だったような。レジオンドヌール叙勲の際も、染料試作のために指が赤く染まっていたはず。で、モーブは最初期の人工染料のひとつで、非常に流行したというもの。
ラブリコ動画の制作意図にはこのような文化的重層性があるにちがいない(嘘)。

立川志らく氏。話題になる。
この方が演じようとしているのは「江戸っ子ぽさ」なのか、「立川談志の弟子っぽさ」なのかなんだか分からないが、その表層的な演技が鼻につく。
「何だかわからないが、『何か』を演じようとしている」と見ている者に感じさせるのは、演技者として欠けている点があるのだろうと思う。
柳家小三治が「郡山剛蔵」といい、春風亭柳昇が「私ももとは陸軍軍曹」という。これら虚実皮膜の域には遠い。

柔道の山下氏頚椎骨折とのこと。
希死されていたのかも、と思う。
まず、柔道家が転倒すること自体が疑問であり、さらに転倒したとして、受け身も取れないことが疑問である。
さらに言えばこうした素朴な疑問に一切触れない報道が不思議である。
彼はかつて「国民的英雄」であらせられたが、東京五輪では関係者の贈収賄など良い話を聞かず、最近お写真を見るに生彩がない。
ご自分でも身を誤ったと思っているのかも、と思う。早くお辞めになれば良いのに、と私は感じていた。
(陰謀論に与するならば、東京五輪問題で表に立たせないために「消された」と考えたくなるぞ。)

プロレス。話題になる。
昔、何かの番組を見ようとしてテレビのスイッチを入れたところ、プロレス番組の最後の部分だった。 誰もいないリング、熱狂の残ったホールの様子。そして、テロップに、これから毎日各地で興行が行われるとの告知が流れた(確か北海道だったので、旭川、帯広、釧路・・・のような感じだった)。
これを見た時、プロレスには筋書きがあるに決まっている、と思った。偶発的な状況任せで毎日安全かつ楽しい興行が出来るわけがない、と思った。
でも、だからと言ってプロレスが楽でインチキな商売だとは思わない。非常に高度な訓練と最高の肉体のぶつかり合いを見せる、尊敬すべきショービジネスだと思う。
まあ、「プロレスに筋書きがある」という事は、かつては『言わないお約束』だったのかも知れないが、今となってはあまりにも<公知>なのではないかな。
手品だってタネや仕掛けがあるに決まっているが、それが分かっていても、本当にそうは見えないし、だからこそ楽しいし、安心もしていられるし、そうした面を満たしていることに尊敬できる。NHK手品講座で、Mr.マリックが初心者向け手品を演じて下さったが、まさに「ほんとうごと」に見え、身震いするほど嬉しかった。
こういう言い方自体今の世の中に合わないと思うが、「男らしさ」を商売にするプロレスの人々が、「女性」に文句をつけているようでは、<情けない>と感じてしまう。そこは「男らしく」鷹揚にすべきでないの?文句を言うなら、もっと強そうな奴らに立ち向かうのが「男らしさ」でないの?営業上必要な「男らしさ」を自ら毀損していないかな?

「たわまん」現代語としては「たわーまんしょん」。
米朝の聞き語りを読んでいると「撓まへん」と出てくる。「撓まん」。大きな地震の時「たわまん」は撓んで揺れを吸収するが、ふだんは「撓まん」のか?
米朝の弟子も様々で個性的である。こういう師匠は偉いなあと思う。
まあ、個性的でない落語家・芸人というのもどうかと思うが。

Chloe Chua氏のブルッフ
https://www.youtube.com/watch?v=seGGLTnuqYM
たいへん情熱的で明晰で面白い。最終楽章のこの緊張感までどうやって高めて行ったのかは気になる。
「花なければ萎れどころ無役なり」は風姿花伝にある芸の極意らしいが、この方の「萎れどころ」はどこでどうしているのだろう。
オーケストラはこの前後の曲に何を並べ、どのように演奏したのだろう。
(私はヴァイオリン弾きではないけれど)、このような若くて有能な方を見るにつけ、職業として音楽を選ばなくて良かった、と思う。
まあ、トゥハチェフスキーが望んだように「どこかのオーケストラの第二ヴァイオリンの後ろの方で弾いていたかった」といった感懐があるのも知ってはいるけれど。

映画エイリアンで女優シガニー・ウィーバー氏が坊主頭になっている。
その姿を見て、急に思い出したことがある(これ自体随分昔の話だが)。
昔、私が小学校低学年だった頃、父母の友人が急に自宅に来たことがある。
どうやら、奥さんが脳の病気(あるいは怪我)で大阪にある実家近くの病院で手術をした、夫としてもちろん会いに行くのだが、心細くてならない、といった話があったようだ。
で、翌日、「大阪に行くぞ」ということで、そのご友人と私達一家四人で自動車に乗って出かけた。
大阪の仕舞屋に到着し、奥から出てきた女性が坊主頭だった。
そのことを私は半ば忘れていたのだが、映画エイリアンで女性の坊主頭を見た瞬間に、この記憶が蘇った。大阪の仕舞屋を背景に、明るく微笑む坊主頭の女性。
女性というものは、髪が長いものだと思い込んでいた私に、それは衝撃だった。そして髪が長くなくとも、まぎれもなく女性を女性であると感じることにも驚きがあった。 「それでは」と言って、我が一家は車を帰路に向けた。母からは「大阪でも奈良でも何処にも寄らなかった」とずっと父は非難され続けていたけれど、「奈良で鹿を見た(木の間隠れに鹿が見えた)」と父は言う。
まあ、それで良いのだ。そういう行為が父らしい。自分が出来ることはしっかりする、それ以上ベタベタしない。大阪の仕舞屋の前で自動車から下りもしなかったのではないか。少なくともどこかに駐車すらしていない。そういう父だった。

昔、安房トンネル開通前、安房峠をオートバイで越えた。秋のはじめながらとても寒かった。
釜トンネルの手前でタクシーに乗って上高地入りした。タクシーに相乗りした方が古今亭志ん朝師匠だったのではないか、と思うが、今となっては確かめる術もない。
「気ぃ使わなくって良いんだよ」という口調で、「この方はもしや」と思った。テレビで見知った師匠ではあるけれど、観光とて着物を来ておられず、さらにあの頃のテレビの解像度では、とてもご本人の顔は覚えられなかった。

鉄道の操車場にあった「カーリターダー」。「車両(カー)減速装置(リターダー)」とでも訳すべきものだろう。
でもそうした情報がなかった時代「カーリ・ターダ」かも知れない、と思っていた。
インドの詩人「カーリダーサ」の名を聞いた時にも、とうぜん「カーリターダ」を思ったのであった。
字句の切れ目が分からなかった、という点では「プエルト・リコ」「シャン(ズ)・エリゼ」等いろいろあった。
そう言えば、フランスで我が国の誰やらが「アンヴァリッド」を訪問されたとか。昔は廃兵院(あるいは廢兵院)と言っていたが。 Les InvalidesのValidは「ばりでーしょん」などと技術用語としてその道の方なら日常お使いであろう。

詩と音楽のイベントに行く。
そう言えば、「詩」について人と語り合った経験に乏しいことに気づく。私の両親は、詩歌のひとつも暗唱できねばという人々であり、時々好きな詩歌について語ってくれたが、自分が発言したのは、子供の頃きょうだいとアポリネールの和訳のヴァリエーションについて話し合ったくらいであろうか。まあ、書物の話も学校などで滅多にしなかったので、その仲間ではある。
やはり、詩は読んでもそれなりに面白いが、言葉として発せられての楽しみが多くあるように思った。一方で、私は音楽をいちいち細かに捉えすぎていて、音楽と詩がある時に双方を理解するのが苦手なことにも気づいた。そう言えば、10年くらい前うたを歌おうという機会があったけれど、自分の脳内での歌詞の処理が本当に下手くそだと思ったものだった。まあ、それで困る生活をしていないけれど、私の脳内の「音楽」が非常に器楽的であるらしいことは覚えておこう。

接待文化について読む。まあ、あれを「文化」というべきかはアレだが。
以前見た、中国の歴史ドラマで、「格好いい共産党の大人(たいじん)」が、国民党系の警察署長を拉致させ、一緒に食事をし、その際の記念写真を撮るというのをしていた。大人は終始にこやかで温厚だが、署長とすれば、こんな人物と「仲良く」している写真はそれだけで致命的であることはよく分かっている。もちろん、大人にしてもそれをよく理解しての記念写真であり、「何かあったら」然るべき使い方をするぞ、という暗黙の恐喝を行っているのであった。
もしかすると、すべての「接待」には「悪いことを一緒にしている」感が大切かもね。私はその大切さを理解したいと思わないが。
私には「お客さんと食事をする(お酒少々を含む)」程度の経験しかないが、1度だけ「女性つき」をやったことがある。

とあるお客さんの要請で田舎宿にコンパニオンさんに来てもらった。まあ、詰まらないことこの上ない。何も話すことがない。私が世間的な、ゴルフ、麻雀、野球、テレビ番組などに興味がないからだが。
よくまあこんな田舎にまで、と思ったが、自動車に載せられてわざわざ来るらしい。帰る時間をやたら気にしていた。
結構良いお金を払い、お客さんもお喜びになったし、私も人生でただ一度のそういう「接待」を経験できたので、大変良かった、というべきだろう。
20世紀の末の話だから、もうそんな職業は廃れている、と思いたいがいかがであろうか。

まあ、あんなものはなくなれば良い、と私は思っている。知人(理系)は、「令和になっても文系の奴らは昭和の酒の飲み方をしている」と言っていたが、今尚接待文化があることとおそらく地続きであろう。
私は「同じ釜の飯を食う」重要性は理解するが、「悪いことを一緒にしている」のはこれとて東アジア的かも。

昔、とある社長の武勇伝(出版されている)の中に、「借金して接待する」といった記載があり、それって、会社の経費として許される以上に接待しているということであり、社会通念上まずいんじゃないの、と思った覚えがある。

暑い間は、「冷やしたぬき蕎麦」を研究していたが、寒くなったので「おかめ蕎麦」に鞍替えした。 どちらにせよ、蕎麦を食べる前に写真に撮っているだけだが、五反田の海老民では写真を撮ってくれるなとのこと。よって文章で記録する。
こちらのおかめ蕎麦は、かまぼこ3枚、麩1つ、伊達巻1切れ、なると2切れ、しいたけ半分、たけのこは縦裂き1つ、わかめ1盛りだった。

東方的バッハ
https://www.youtube.com/watch?v=RmBG9g68SnY
なかなか面白い。東ローマ帝国ビザンチン風ということなのだろうか。1453年に東ローマ帝国は滅んでいるが、だからといって、コンスタンチノープルのキリスト教徒が滅びてしまったわけではなく、こうした演奏があり得たかも知れない、と思う。

パトリシア・ヤナーチェコヴァさん亡くなったと聞く。
https://www.youtube.com/watch?v=mVUpKIFHqZk
新婚間もなかったとのこと。無念。

la musica collana の演奏会に行く。たいへん楽しかった。
私が楽器奏者に求めたいのは、「歌いくち」と「音色」。おそらく音程も求めているが、音程は音色の一部と解釈しているようだ。音程悪くて音色だけきれい、という人を私は見たことがないため。
楽譜というのは、音楽の情報の一部にしか過ぎず、「楽譜どおり弾く」というのは音楽の具体性を積極的にそぎ取るという態度だと思っている。いわば、一軒の家の間取りだけ見て家を建てるようなもので、外壁の色、屋根の材質を一切考えませんと言っているに等しいように思う。
LMCの皆さんは、床と天井と内壁はどのような材質のどのような色にして、それぞれを調和させるか緻密に考え、ひとつの緊密な「室内環境」を作り上げているように思う。そこに穏やかに浸っていても楽しいし、細かな工夫を見ても楽しい。素敵な壁紙のように遠目には落ち着きがあり、近目には隠し模様がある、そんな感じだ。
というわけで、暫くこの団体に貼り付いてみようと思う。私もクラシック音楽歴が長く知らない曲が少なくなってきたとつまらなく思っていたところだが、アンコール以外すべて噂のみ知る作曲者の知らない曲だった。

日本民藝館に行くが、臨時休館。
ホームページを見直すとたしかにそう書いてある。だが、私以外に同時に三人が休館に驚いている。これは、民芸館側の告知不足であり、ホームページのデザイン不備ではないのかな?
近所の前田侯爵邸に行ってみる。ここもいくつかある入口には「自転車持ち込み禁止」とのみ書いてある。この表現も有害無用で「自転車の方は北側正門にお回り下さい」と書くべきではないかな?
ワインバーグの名著「ライト ついてますか?」を読むべき。まあ、如何にも近視眼的小役人的態度ではある。

東京藝術大学取手キャンパスに行く(取手藝祭)。
常磐線に乗って取手駅を通過したことはある。でもTXが出来る前だから十年以上前だろう。あの辺りの駅、一度下りてみたいと思いつつ、初めての降車。 本当は東口に出なければならないが西口に出てしまう。列車前より・後ろよりふたつの改札は東西両面に出られそうに見えてそうなっていない。こうした表示類が不親切なのはあまり人が訪れない地域の性である。結局、東口のバスには乗れそうもなく、タクシーを使ってしまう。結果的にバス代の8倍程度かかる、と計算された。
タクシーは古い街道筋を走る。造り酒屋さん(味噌屋さん?)などあり、大変趣深い。そして、段々人家がまばらになり、森に入りかかったところに門があり、その奥の丘の中にキャンパスがある。なかなかに長閑。夜は真っ暗ではないかと心配にはなるが、なんとなう芸大生もそんなことを気にしなさそうに見える。

取手キャンパスには、先端芸術と美術教育の方(その他)が居られるらしい。
田園地帯にあるだけに、作品もまた、ちょいちょい農産畜産寄りのものがある。あらゆる人間は土から生え出でる物を食べなければ生きていけないのだから、芸術もまた土から生え出でるべきではないか、と私は思うし、このキャンパスはある程度それを体現しているのではないか、と思う。「豚のとちく」(白川深紅さん御作品)を扱った作品など大変心に残る。植物を描いている大作も見たが、都会の公園にある植物ではなく、野にある植物であるように見えた。これらもまた「土から生え出でる」の好事例と感じる。
地元の方が多数参観にお出になっているらしいのが大変好い。「近所だから毎年藝祭に来ている」「うちの畑を芸大生に貸していて・・・」という会話の前ふりがとても好い。だからと言って恩着せがましいでもなく、暖かくもきちんとした距離感もある。なんだか、短いやりとりしかしていないけれど、取手の人々に好感を持ってしまった。藝大はいい場所を見つけたものだ、と感心した。
その意味で、このキャンパスを見られて大変良かった。大学に無関係な者の願望としては、音楽科の方もこの地を訪れたり、人々と触れる機会を持ったら良いのに、と思う。

これで、(1)東京藝術大学(上野)、(2)武蔵野美術大学(本校)、(3)武蔵野美術大学(吉祥寺。通っただけだが)、(4)多摩美術大学(八王子)、(5)多摩美術大学(上野毛)、(6)女子美術大学、に加え、(7)東京藝術大学(取手)が並んだ。私の無意味な美術系大学めぐりコレクション。
日本大学藝術学科、東京造形大学に訪れれば一応東京の美術系大学制覇だろうか。
他に、北海道教育大学旭川校の美術家卒業展を(偶然)見たことがあるのと、愛知県立芸術大学に行ったことはある。私の無意味な自慢ではある。

取手駅でお手洗いを借りた時、並んでいた方が「関東鉄道常総線列車衝突事故」の事を語っていた。私も実は、「関東鉄道」・「取手」などと聞くとついこの事故を思い出してしまう。
調べると1992年6月2日。もう30年も前のことなのか。そして、今尚人々に思い出されてしまうのか。逆に言えば、鉄道の事故は非常に少ないのだろう。Wikipediaの航空事故リストなど見ていると、(世界中様々な土地で飛行していることもあるが)毎年のように何らかの事故がある。また、自動車の交通事故など言うに及ばずで、思い出せるような事故などほとんどない。
(自動車事故で覚えているのは霧の中で150台以上の多重衝突くらい)。

会津高原のペンション「ラフォリア」さんは今月末で閉業とのこと。以前、ラフォリアについて調べた(検索しただけなんだけれど)時、見つけたもの。
「ラフォリア」は、スーパーマーケット、マンション、花の名前などになっているが、本来は「empty head」あるいは「fool」の意味なので、命名としてちょっとどうかな・・・と思っていた。
でも、ペンションであれば、「まあ、頭を空っぽにして寛いで下さい」とも読み取れて好い名である、と私は思った。昔調べたのも20年近く前であろうから、閉業しても宜なるかな。

結城浩氏の「数学ノート」を久しぶりに覗いてみる。「音楽と数学:音は波」。基礎的なところ。
このあと、和音や音色について入ってゆくのかなあ、とドキドキ。
私としては「子音(的なもの)」と「母音(的なもの)」も気にしている。トランジェントと定常音みたいなことか(こういう用語があるか知らんけど)。

人間の記憶には意味記憶と物語記憶がある(というのは大変重要な情報だと私は思っている)。
数学は純粋に意味だけの世界だが、そこに物語を付け加えることで、記憶の定着性を向上させる試みが数学ガールの趣旨だと感じる。
以前、読書会で意味と物語が相半ばする書物を読んだ時、意味と物語への興味の度合いが人により極端に異なることに驚かされた。
いわゆる理系は意味を、文系は物語を愛好していた。

昔々、私、「最大の台風(大きさのスケール、および、風速)がどのような物理定数に依存しているか?」を考えたことがある。
粘性とか気温勾配みたいなのが支配因子だろうと思いつつ、別に研究畑ではないので、もちろん放置。
神山氏(お茶の水女子大学の気象学教室)が同じようなことを考えて居られる。自分の疑問が正当なものであると知れて嬉しい。研究成果をお待ちしたい(私が理解できるかは別)。

日本大学の部活動が廃部とか。
私が所属していた大学オーケストラは、基本的に「学生が勝手に(任意に)」やっているものであって、大学から施設を借り、光熱費を頂いているものの、運営の主体性は学生にあった。
演奏会、選曲、指揮者・ソリスト・トレーナーの選定・交渉、練習計画、合宿・演奏旅行の企画・交渉・運営などなど。
であるがゆえに、「大学側が運営している運動部」というものが今ひとつ理解できない。
まあ、色々あるのだろう。大学オーケストラでも、学生が入れ替わる一方、長く指導する立場にある「悪い大人」がいたりするらしいから。
(社会的に掣肘されても仕方がないレベルの「すごく悪い」場合と、社会的には問題ないが、「まあもうちょっと学生のこと考えてやれよ」くらいの場合の双方を聞いたことがある)。

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