読書の記録(2023年1月)
ゴールデンカムイ 野田サトル
無料公開にほだされて正月休みに読破。ちょっとやりすぎた。
まあ、年末年始に映画を見る代わりと思えばこんなものか。
アイヌ考証については、専門家がきちんと見ているとのことで、安心して読めた(いちいち疑って読んでいると疲れる)。
時代考証はあえて破っていそうなところがあるが、話の勢いの前には些事であろう。
「ニヴフ」とか「ウィルタ」は「デルスウ・ウザーラ」で見た名前であり、なんとなう親しみがあるのもよろしかった。
こういうスケールが大きく、かつ、正史をあまり歪めないお話が私には一番楽しいかな。
山田風太郎の小説「地の果ての獄」も北海道の樺戸監獄を舞台にしており、「北海道歴史もの」というジャンルで同類であーる。
さらに広げて「北海道もの」と考えると、「銀の匙」、「チャンネルはそのまま」なども仲間であーる。
私は、元北海道在住者なので、こうしたものには興味があるし、それ以外の「地域もの」の漫画も好物である。
福岡・博多の「クッキング・パパ」や、矢口高雄「おらが村」、高妍「緑の歌 収集群風」等など。思ったより少ないが、地域性を出すためには、地域の中にいてもわからないし、外にいてもわからない。その難しさがあるからかも知れない。
国鉄 「日本最大の企業」の栄光と崩壊 石井幸孝
趣味で読むには若干深刻な書。話の速度・粗密が様々であるが、それはある意味当然でもあり、「栄光」と「崩壊」の行きがかりを双方書くためのものでもあろう。
ともあれ、趣味的に知ったり齧ったりしている断片がひとつの大きな絵になってつながるところもあり、興味深かった。
いくつもある労働組合の確執を趣味者である私が正確に追尾する必要はないので、少々理解が浅いが、こうしたことも含めた上で、未来への提言を行っている点が貴重である。
どういう人に薦めるべきかいささか迷うが、国鉄の栄光と崩壊から学びを得たい方には良い、というところか。
また、石井氏がディーゼル技術者であったことから、ディーゼル機関車の国産化等の記載は非常に貴重な証言になっていると感じる。
(特に、ディーゼル機関・ディーゼルシステム開発の「難しさ」について端的な説明があり貴重。)
動く人工島 ジュール・ヴェルヌ
ヴェルヌには、楽しい技術解説(うつくしい未来像)とわかりやすいドラマの二面があるが、この書はほぼ前者に尽きる。
主人公(というか視点人物)を弦楽四重奏者とする意味があったのかどうか、等など。
いつもの英国人蔑視(仏人称揚)は喧嘩友達のこととて構わないが、現地人差別は昔の小説と解っていても少々気になる。
まあ、現代の人が喜んで読むような内容ではないね。
新編 不穏の書、断章 フェルナンド・ペソア、澤田直
脈絡もない迷路のような美しい文章。訳も大変こなれているように感じる。
いや、良い本を買えて良かった。(下北沢のB&Bさんありがとう)。
こういう本は実際の本屋でなければなかなか買えないと思う。つまり、本との出会いは、いつでも良いということではなく、自分の側の状態にも依存するので、実際に開いてみて、その時の自分に適しているかを考えずには買えないということである。
ところで、翻訳の良さに、お名前で検索するとフランス文学の方である。不思議に思い、後書きを少々覗くに、仏文の方でありポルトガル語はご専門ではないが、どうしてもペソアを訳したくてポルトガル語その他を参照されたとのこと。(素人考えには、ラテン語・ロマンス語系で共通するところが多いようにも思うが、あらゆる言語には地方差・時代差もあり、一概には言えまい)。
「不穏の書」の原語と見ると「desassossego」。「desassossego」(ポルトガル語)をGoogle翻訳すると「落ち着きのなさ」と返ってくる。
ふと思いついて仏語にすると「agitation」。音楽用語としての「アジタート」や、日本語化した「アジる」は、相当の熱量を感じさせる言葉だが、「落ち着きのなさ」とはいささかの隔たりを感じる。
とまれこうまれ「不穏」と訳すのはなかなか悪くないと思う(なぞの上から目線)。落ち着きのなさを漢語にする才覚が私にはないが、「軽挙妄動」と結びつけて「妄動の書」とする・・・と一瞬思ったがあんまりだな。「惑乱の書」の方が少し良いかも。このあたりの言語感覚は言語化するのが難しいぞ。
で、Google翻訳で「desassossego」を中国語にすると「不安」と出てくる。まあ、妥当なのだろうが詩語としては「不穏」の方がおののきがあるようで良いな。
(以上、勝手に訳語検討ごっこ)。
「尾形亀之助 美しい街」
行く先々で見かけたので、購入。まあ、そういう場所にばかり行っているということなのだが。
山川直人氏の漫画で取り上げられており、親しみを感じていたので購入。
嘘いつわりなき庶民感情や良し。
近頃の政治屋やテレビで垂れ流しになっている雑話業者の汚れた文言を(間接的にではあるが)目にするにつけ、嘘いつわりがない、というだけで清々しい。
「汚れっちまった悲しみ」なのかな。
そもそも私はセッカチ人間で、ゆっくり詩を楽しむということが難しい。であるがゆえに、自分にあった詩を、少しずつ楽しむ、ということしか出来ない。
であるがゆえに、詩をたくさん読むことはできないし、少ししか読めないならば、余程自分にあった詩でなければ読めない、ということになる。
なかなかメンドウであるね、私。それで誰に迷惑をかけるでもないので、お許しいただきたい。
肝っ玉おっ母とその子どもたち ブレヒト 岩淵達治
読んで良かった。最初の1ページからブレヒトの皮肉が炸裂し、最後までそれが持続する。戦争を非難する文言はほとんどなく、戦争を礼賛しているのだが、その礼賛の仕方があまりにも滅茶苦茶で、これを読むと、笑いながら戦争の悪が身に沁みてゆくことになるように思う。
翻訳はわかりやすいが、劇として演じられることを想定しているからか、私が求めがちな「小説としての良さ」とは異なる文言を選んでいる。(というのをメモしておくが、これを翻訳の品質の問題と考えているわけではない)。
精選 物理の散歩道 ロゲルギスト
なかなかおもしろい。私の知識・能力ではわかりにくいものもあるけれど、日本語文法やリスク評価(今で言う)など先見的な試みは本当に素晴らしいと思う。
私が夢想しているのは、同じような「数理経済学」である。(私は経済学素人なので、誤解多数があると思うが)、現在の経済学は根本原理がなく、マクロの経験則をあてている程度ではないだろうか。それに対し、エネルギー保存則をベースに貨幣価値を評価してゆくような経済学はできないものだろうか。というやつ。まあ、誰か考えて失敗しているのだろう。アシモフの「心理歴史学」などが典型だ。
愛撫 庄野潤三
私のようなものにはちょっと読みにくい。後年の淡々とした幸せを描く庄野からすると、意図的な不幸、意図的なグロテスクを描いているように見える。
これまでに読んだ様々な本の記憶も薄れると、「天国に財宝は持ち込めない」という『財宝』のひとつが『記憶』であると感じるようになる。
多くの苦しかった記憶もまた薄れており、それを慰謝と思っても良いのかも知れず、禍福は糾える縄の如しと思うしかなかろう。
●雑感
「ローグライクしかやったことがない人間が「Rogue」やってみた。」
https://www.4gamer.net/games/535/G053589/20240105025/
移動キー[h]左、[j]下、[k]上、[l]右、は、普通にviエディターのキーアサインである。というのは常識だと思っていたが、この「常識」も最早インターネット老人会(Unix支部)の話題にしか過ぎないか。
ゲーム「ローグ」は昔から有名だが、私はやったことがない。ローグライクの文字列がウィスキー「ラフロイグ」に似ていると思うくらいだ。
『ブラックジャックによろしく』を読んで勘違いして欲しくないこと
https://medley.life/news/56bd3a5169e1ce7e008b6242/
良い漫画なんだよね。それだけに事実関係をきちんと指摘することも大切だろう。
ドヴォルザークの弦楽四重奏曲 Op.105 の本番中、A線が緩み演奏を止める。こういうケースは初めて。
後で湿度20% だったとの話も聞いており、おそらく低湿のせいであろう。自分が舞台上で調弦する貴重な姿を録画で見た(別に見たくはない)。
今回も含めて今年は演奏会4回を予定している。そういうこともあってか、「復活」と言われた。
深い意味はなかったのであろうが、印象深い言葉だった。確かに、この数年音楽が詰まらないと思っていた。コロナによって、あるいは、戦争によって、多くの人が傷つき死んでゆく傍らで楽器を弾くことには罪悪感さえある。個人的にも両親の他界もあり、深刻で切実な時間があった。形式的には音楽活動を続けていたけれど、最近になってようやく少し真面目な音楽活動に「戻って来た」という感慨がある。その点を旧知に看破されたようで少しく驚いたのであった。
ところで、「復活」と言われて思い出すのは、ラザロ、イエス、トルストイの順番か。トルストイは読んでないや。アンナ・カレーニナを読みはしたけれど、働く必要のない貴族の恋愛を読んだところで、私にはあまりおもしろくなかった。そういうこともあり、トルストイにはあまり愛着がない。
「立て、ラザロ。愛は行動の前を通りかかるが、お前はまだ宿屋から出てきていない」というセリフがアルセーヌ・ルパン(正確にはボワロー=ナルスジャックによる高度な贋作)にあった。このセリフの意味が何十年経ってもわからない。
人気漫画に習って、「冷凍のフローズン」というのを思いついた。
フリーレンはドイツ語で「冷凍する」の由。
クーデターはフランス語で実は3単語 coup d'État 「国家への攻撃」。
クードグラース coup de grâce 「慈悲の一撃」と比べてみよう。
フランス語は「ラテン語が訛ったもの」と考えてよい(だって、プルーストがそう言っているから)。
我が国の東北弁(特に津軽方言)が短いのと軌を一にするものである。「け(食べて下さい)」「く(いただきます)」など、ほのかにフランスの香りが感じられるではないか(嘘)。
ついでにメモ
国家理性 Raison d'État と 存在意義 Raison d'être。前者は「国家的理由」だと思っていた。
サラディンのドラマ(らしい)
https://www.youtube.com/watch?v=o1b-cTUM_ig
オスマンも140話を超えている一方、こちらも見始めるのか・・・。迷う。Wikipediaでアイユーブ朝について読むと、なかなか面白い。為替の存在などなど。
まこと、知らないことがたくさんあるものだ。
たとえば、大阪万博は中止すべきだろう。人もお金も資材も震災復興に回すべきだ。また、自民党の裏金・脱税に関しては、きちんと捜査し、摘発すべきは摘発すべきだろう。
庶民の常識で「犯罪」と思われるものを放置するのであれば、検察などの捜査当局はその理由を説明すべきだ。
日本は正当な理屈、自然な考えの通らない国になってしまった。
阿部謹也氏の書を見ると、「贈与・互酬が社会関係の基盤になっているのが前近代、『平等』となるのが近代」と感じられる表現がある。我が日本は前近代であり、「贈与・互酬」で政治を動かしているのだ、と感じる。
まあ、いつまでも前近代で頑張る国であっても良いのかも知れないが、そんなことをしていると世界中の若者からそっぽを向かれ、衰退して当然ですよね、と初老の私でも思い至るのだが、この国のえらい人たちにはそういう感覚はないらしい。あなや。
露語で書かれたトルストイの大型本を間違って通販で買ってしまう夢を見た。8,300円でも高いと思ったが、何故か買ってしまい、思いの他大きい本が届いて、値段を見直すと83,000円であるという恐ろしい夢。
まあ、トルストイも好きではないし、露語は読めないし、読む気もないけどね。
我が師杉浦薫の演奏が公開されていた。
http://npowfao.or.jp/blog/theory/p06_j/#jump
お元気にされているだろうか。杉浦師には本当にお世話になった。そして、私は、森下元康氏とは直接の接点を持ったことがないが、杉浦師を通じて師匠筋である、大恩があるものと思っている。徳は孤ならず。
まさに杉浦師らしい「うたい口」と「音色」が録音に残されていることが大変うれしい。
これを仰ぐにいよいよ高く、これを切らんと欲するにいよいよ堅し。
おそらくは、杉浦師の「自分で感じ、自分で考える」という根は、ご自身の志向でもあったろうが、森下先生の志向でもあったろうと信じる。
三村先生からは「私はヴァイオリンのことは分かるがチェロのことはわからない。自分で考えなさい」と仰っていただき、杉浦師からの最後のレッスンで「考えるのをやめるな」と言われた。私は本当に師に恵まれつつも、これら大恩をどこにも返すことなく生きており、忘恩の徒である。
Rosinha de Valença ホジーニャ・ジ・ヴァレンサ
https://www.youtube.com/watch?v=hxi_qliU3DE
とっても素敵。
Paco de Lucia - Tico Tico
https://www.youtube.com/watch?v=HIXLC5SRC7w
こちらも。私、昔から撥弦楽器が好き。アランフェス協奏曲くらいしか知らなかったころ、たいへん困っていた。今やyoutubeなどを通じて無尽蔵に(でもないが)様々な曲・様々な演奏に手が届くのは本当に有り難い。ただし、きちんとメモをとって置かないと、手から滑り落ちるのも仕方がない。
Echo Bridge Cello
https://www.youtube.com/watch?v=vbCulZIUF7c
達者なチェロの四重奏。韓国系だろうか。私、韓国系の奏者は味付けの濃さで敬遠気味だったが、この方たち、そうした無理なドライブはしないので好き。日本の古い奏者も無理しがち(だから好まなかった)だったので、昔の韓国系奏者も同じように無理しつつ、出てくる無理味が日本と韓国で違った、ということかも。
プルーストの眼
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/10613/ronso1220300820.pdf
「この絵を私が数時間で描いたとあなたはおっしゃいます。しかし私は全生涯の経験によってそれを描いたのです。」はホイッスラーの言葉であるとのこと。大事なのでメモ。
(と言いながら、ホイッスラーをホガースと勘違いしていた私。)
関水金属KATOの飯田線シリーズはやはりクロハ59改造クハ68やクモル23050を計画していたのか。
https://ameblo.jp/bon-syosai/entry-12836799114.html
まあ、計画するのも当然だろうし、優先度として後回しになるのも当然だろうけれど。私はもちろん「惜しい」と思う口である。
電車内で幼いお子さんの笑顔を拝見すると癒やされる。
先日「叩いて・つねって・階段のぼってこーちょこちょ」をされている若いパパさん・ママさんが居られた。事の次第を理解するにはまだ幼いようではあったけれど、温かいお二人の話振りに私も嬉しかった。
時によってはスマホを見なければならない事もあろうが、お子さんと向き合っているパパさん・ママさんを見るのは、私には嬉しい。
デカルト『音楽提要』 における spiritus について
https://researchmap.jp/read0163018/published_papers/18652274/attachment_file.pdf
名須川学氏による平松希伊子氏の批判への「反論」。注1にある誠実さが心を打つ。私はどちらの論考をも理解・判断するだけの素地を持たない者だが。
ブラームスの弦楽四重奏第2番
Johannes Brahms, String Quartet Op.51 No.2 - GoYa Quartet
https://www.youtube.com/watch?v=_sZFNAd-lMA
GoYa四重奏団はアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の団員とのこと。素晴らしいうたい口とアンサンブル能力。驚くべし。
Shanghai Youth String Quartet Brahms No 2 A minor Opus 51
https://www.youtube.com/watch?v=P4Hw5KkCYH0
こちらは上海若者四重奏団。
これらのふたつの演奏のうち、前者は快いが、いい気分で聞き流してしまって勉強にはならない(いや、勉強になるんだけどね)。後者は様々なひっかかりがあるために、気づく点も多い。後者を聞くことで前者の工夫や凄みが分かるところも多い。
若い方々なので、これからも頑張って欲しい。
私は、あるアマチュアの四重奏団の演奏を聞くのを楽しみにしている。この人々は大変腕達者であるのだが、「私なら絶対やらない」ことをたくさん繰り出す。あえて言えば、「『私がやりそうなこと』を非常によく知っていて、その上でひとつひとつ丁寧に否定しているのではないか」と思われる演奏をする。だから、私自身がアイデアに詰まっている時、彼らの演奏を聞くと、「そこはもっと・・・したい」「そこは・・・はしない」とたくさんの考えが浮かび上がる。だから、私はこの団体を尊敬し、いつまでもそのままでいて欲しいと思っている。
そして、私と彼らの違いを考え続けている。
【NNNドキュメント】200人以上が死亡 封印された沖縄の鉄道事故の真相
https://www.youtube.com/watch?v=qA7buVeEzU8
私は鉄道史を好んでいるので、ある程度大きな鉄道事故について知っているつもりであった。しかし、沖縄における事故についてはまったく知らなかった。
女の園の星
https://www.shodensha.co.jp/onnanosononohoshi/
ひと頃パオロ・マッツァリーノ氏の文章をよく読んでいた。久しぶりに彼の名を見かけ、ブログを覗いていたところ、この漫画が紹介されていた。とても面白い。いい意味で脱力系、いい意味で下らない。
静かな画風なのも良い。絵は頭文字Dと似せているのだろうか。すごく絵がうまいが中身が脱力という漫画は、私はなかなか好きで「クロマティ学園」も好みに合う。女の園の星。もっと読んでみたい。
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲のサックス四重奏版
https://www.youtube.com/watch?v=I2KTtE4KPEU&list=OLAK5uy_lKec-9FicDT_gJvOijn8VtT8ZUy8Kp_Dk&index=12
弦楽四重奏団が演奏するのとまったく違う曲に聞こえる。恐ろしいことだ。