国鉄輸入電機の系譜
古い時代の電気機関車の本。こういうの読むの、私にとってはほんと気楽で良い。あまり写真を見たことがなかったEF50もたくさん出ている。
戦前戦後、東海道線にいたのならば、亡父が乗った車両もこういうのが牽引していたのだろうなあ、と思ったりする。
(父から聞いた電気機関車の話はEF57、EF13(戦時型)とED42くらいだったろうか)。
クァルテットの技法 ディヴィッド・ブルーム
現在取組んでいる、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番が取り上げられていると聞いて書棚から引っ張り出すの迂闊。
(アマゾンで現在の販売状況を調べようとしたところ、韓国ドラマ「漆黒の四重奏<カルテット>」も結果として出てくる。でも、私の期待には違って、弦楽の四重奏あるいは楽器の四重奏ではないようだ。残念。)
チェロの譜例で、誤ってテナー記号になっている場所(2箇所)を発見。へ音記号として見れば正しい。
唐宋伝奇集
上巻読了。ぼちぼち読むには良い。
以前、・・・を読んで、中国の鬼は閻魔庁の役人であることを発見したが、今回も大木の虚に住む蟻が官僚性でもありそうな王国であることを発見。中国は社会化が早かったので、人外の怪異であっても、明確な社会を構成していることがしばしばあるようだ。我が国の「鬼」など人外の存在が素朴な族長社会程度であるのとはちょいと違う(だからどっちがどうとも言う話ではないよ)。
下巻もぼちおち読もう。
タタール人の砂漠 ディーノ・ブッツァーティ
読み始めた。読み始めるのに時間がかかった。最近、そういう本が多い。入手困難を予想して買ってはみるものの、「詰まらなかったらどうしよう」とか、「読みにくかったらどうしよう」という恐れが先行して、着手できない。永年の読書で読めない本は(少なくともその時は)読めないし、読めなかった本も、その後の経験や気分や季節や天気で読めたりすることもあるとわかっているのだから、気軽に読み始めて気軽に投げ捨てれば(比喩表現)良いのだが。
だが、本書なかなか良い。平易な文章表現で読みやすいが、徐々に不思議がこみ上げてくる。良い。最後まで充実して読み切った。
ディーノ・ブッツァーティ氏は「シチリアを征服したクマ王国の物語」の方なのね。面白うてやがて悲しき物語を書ける方。
訳は良いが、「兵曹長」は「曹長」のほうが良さそう。何故か一箇所だけ「曹長」になっている。私の浅薄な知識では、兵曹長は海軍の、曹長は陸軍の下士官のおおむね最上のもの、と感じる。海軍は兵曹長・一等兵曹・二等兵曹、陸軍は曹長・軍曹・伍長。将校は陸海で同じなのに、下士官兵は異なる。なぜだ?
石原慎太郎の「太陽の季節」も怖いもの見たさで少々読んだのだが、ブッツァーティの「詩的文学」に比べるとうんと小さい。卑小である。今どき誰も石原慎太郎など読まないということがそれを示している。まあ、頑張って最後まで読もう。いつか。
落伍教師 蛭川幸茂
旧制松本高等学校の数学教員として、北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」でも異彩を放つ人物であり、北の想像力の産物ではないか、とすら思われる蛭川氏の自伝。いやいや、あの北が控えめに書いていたことが漏れ伝わる。楽しい本ではあるが、時代背景の判らぬ方が読むのはよろしくないかも。少なくとも「青春記」を読んで楽しい方にのみお薦めだろう。
ところで、この本は松本市の古書店で買ったものである。他で見かけたことはない。やはり、旧制松本高校への愛着なり憧憬なりがあの町にはあるのだろう。
そこらじゅうにて 日本どこでも紀行 宮田 珠己
これも買ってしばらく放置していた。読み初めはよくある雑文かと思って侮っていたが、徹頭徹尾脱力しきった雑文はこれはこれで至芸だと思った。
毎日こればかり読んでいると、自分自身が宮田氏の劣化コピーになりそうで止めたほうが良いが、自分が嵩にかかって硬調な時など、これでもって解すのは大人の知恵であると思う。そーゆー意味でなかなかよろしい。で、自分も力まずどこか行こうかな。取材費で落ちるのがちょっと羨ましいが、何があっても何がなくても原稿に結実する必要がないのこそ『旅』なのだ、と主張しておこう。
サン=テグジュペリを題材にした漫画があるといい、少し覗く。登場人物は皆さん女性として描かれるのね。どうしよう。ドーラの名にびつくりするが、そうか小説である「夜間飛行」でリヴィエールに擬せられているのは、献辞に書かれたディディエ・ドーラになるのか。まあ、私はサン=テグジュペリの文学を好みすぎているので、漫画を読むことはできないだろう。
そう言えば、新潮文庫は、夜間飛行(南方郵便機を併録)、人間の土地、戦う操縦士の3冊を出していたが、最近(と言っても30年ほど)見ないのは、戦う操縦士だったっけ。なかなかケシカラン。出せ出せ。これを機会に。
この漫画がこのまま進むと、主人公はアラスへの偵察飛行をするし、渡米後アフリカに移動した自由フランス軍に合流して、P-38を操縦して地中海方面に出撃するぞ!(と新潮社を脅してみるの図)。
でもなあ、ブレゲーとか飛んでる絵は見たいなあ。
大人として理性的に別人格の別作品と思って冷静に見られる自信がない。なんと言っても四十年以上前からの愛読書だからね。
少し読んじまったが、まだドーラは「規則とは馬鹿げたものだが、人間を鍛えてくれる」とは言っていない。もっと後で言うのかな。私はこの言葉に支えられていた時期があるからなあ。
長く生きるといろいろなことがあるものだ。
●雑感
sophie yates女史について調べる。
昔、彼女のチェンバロをCDで聴いて感銘を受けたことを思い出して。顔も髪型もとんでもなく変化した、と思ったらどうやら別人。そら違うわな。
シモーヌ・ヴェイユでも同じ轍を踏んだっけ。
ギターの曲:
https://www.youtube.com/watch?v=JDNa9ELGox0
弦の値段3年間でおよそ倍増。
注文日 2021-09-15でアマゾンから買った領収書を見直す。
Dominant ドミナント チェロ弦セット 147 | B0002F6XX6 1 ¥15,015(税抜き)、¥16,517(税込み)
5月6日時点のアマゾンが¥32,454。すなわち倍額とみて良い。
円は安くなったものだ。しかも、世界各国の人々が買いたいと思う日本製品が今どれだけあるのだろう(ない)。よって、円安が止まる要素は
ない。そして、国家も企業も研究・開発を軽んじ、予算投入を行っていない。ならば、新しい製品が出てくることはなく、円安は止まらない。
Tiny Desk Korea
https://www.youtube.com/watch?v=4BrChsxR9uw
奇を衒ったところのないジャズ。安心してのんびり聴くのに良いぞ。韓国のジャズの人
Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=RyWGBoU6dc8
こちらは相当凝ったジャズ(と私は感じる)。米国在住中国系豪州人のベーシスト。
昔、仕事上の日中宴会で、中国の方が詩を作って下さった。ノートの切れ端にボールペンで書いた即興詩。
東の国から友人たちがやってきて云々・・・だった記憶がある。なかなか格好良い。
だから、中国理解のためにも漢詩を知っておくのは良いし、知れば楽しい。
カーチュン・ウォン指揮日本フィルハーモニー管弦楽団によるマーラーの交響曲第九番を聴く。
第1楽章はもともとわかりにくい混乱したイメージがあるが、そこから抜けきれなかった(私が)。
第2楽章・第3楽章の「狂気」は明確に伝わってきた。
第4楽章はこれまでの3つの楽章であった様々を包容し、美しい静寂に結びつけることが出来たように思う。
第4楽章開始前に積極的に時間を取るのは大変良いと思った。演奏上の実利もあろうし、聴く側にも明確なメッセージとなる。こういうところが、この人イイね。
私の座っていた場所の問題かもしれないが、弦楽器がもう少し明瞭に聞こえると嬉しい。1階奥で、2階が庇状にかぶっている場所だったので、上に音が出るVnやVaが聞こえにくかったかも知れない。
右側にいるはずのコントラバスの音が左から聴こえたように思うが、どうやら、反射音を聴いていたみたい。そういう場所がサントリーホールにはあるのだろう。ちょと不思議。
ところで、高関シフト(左から順に、1stVn、Va、Vc、2ndVn、Cb、の変則対向配置)は、2ndVnやVaが相当独立したこの曲でも有効かも。
観客の立場として、高関シフトでは、2ndVnは「見える」、Vaは「聞こえる」効果が高い。2ndVnは中にいても外にいてもおそらくは「聞こえる」し、「見える」ことで、聴こえが良くなる効果もある。もちろん、平常運転ではないので、アンサンブルの難しさ等生じるとは思うものの、マーラーの交響曲第七番での効果を同じ後期である第九番でも期待したくなる。
サントリーホールからの帰り道、氷川の旧勝海舟邸前に、勝海舟と坂本龍馬の像がある。外国人の方がこれを眺めてたが「カワイイ!」と仰る。私は「カワイイか?」と疑問の抑揚で訊くと、「カワイイ」と繰り返される。ほんとは英語でお伝えするべきだったと、後に反省。「They were famus samrai, that did never use their swards.」。でも、龍馬は拳銃をぶっ放しておるな。ま、護身のためということで、幕末に跋扈した殺人者たちとは一線を画する、と考えて良いだろう。
夢に出てきた茶道キット。
携帯茶筅。棒状の竹に見えるが、スライドスイッチを滑らせると茶筅になる。
これと茶碗と抹茶が格納器から出てくる。
お湯だけ貰えばどこでも抹茶。
現実だったのかも知れないが、夢だったと思う。
音楽系動画のメモ:もちょっと書いておかないと、後で探すのが困難だろうけれど・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=oPQ5X4rhEnY
https://www.youtube.com/watch?v=7y3KbUHnee8
https://www.youtube.com/watch?v=DXddIB5v1nc&t=508s
古い時代のディーゼル機関車(電気式)。下回りの発想はまさに蒸気機関車。
https://www.jernbanen.dk/motor_solo.php?s=173&lokid=719
なぜか蒸気動車の総括制御について考え始める。
まずは、総括制御まで行かないとしても、付随車(制御車)からの遠隔運転について調べる。
まず、横文字での表記から。米国では「Steam motor car」、英国では「Steam Railmotor」で調べるのが良いらしい。
ほんとはハンガリーのガンツ式について調べたいが、ハンガリー語もドイツ語もアカンので、英語。
このあたりを見ると、蒸気動車本体でも、機関室の反対側に運転室を設けて、そちらから遠隔操作(と言っても、1ベルで発車、2ベルで停止、程度)していたようだ。ベルは電動式。で、制御車ともケーブルでつないで、同様にベルで連絡していたようだ。
https://www.didcotrailwaycentre.org.uk/zrailmotor93/features/features.html#walkover
「ケーブルがバッファの下に垂れ下がったままになっており、「そよ風に揺れている」」なんて表記があるのも面白い。
いちおう、二両編成はしていたのだ、と思う。
https://www.victorianrailways.net/motive%20power/kerr/kerr.html
内燃機関であっても総括制御はなかなか難しく、日本国内の初期は全車両に運転士が乗って、ブザー連絡だったし、似たようなものではある。
そうやって、考えると、比較的最初期から総括制御ができていた電車の(基礎原理の)素晴らしいこと!
初期内燃機関動力車を電気式にしたのも、これがためである(はず)。
古い時代から遠隔操作が実装されたのは、パイプオルガンであるが、遠隔操作方法も、1.機械式、2.空気式、3.電気式、とあったはず。鉄道の分岐器操作も大体同じだね。
偶然、音楽番組の収録演奏を聴く。
まずは、職業音楽家であっても、プロコフィエフ、ドヴォルザーク、ラヴェル、ブルックナーを一晩で弾く経験はなかなかできないだろうな、と思う。
選曲も面白いし、放映時間に合わせて短時間で多様な曲が聞けるので楽しい。合間の豆知識や感想は私には無用だが、別に聞きたくないほどのものではない。プロコフィエフ、ドヴォルザーク、ラヴェルは、ディズニー映画と重複する曲だったが、大きく異なる。ディズニー映画が明快でお子様向きなのに対し、プロコフィエフ等は複雑な「大人の味わい」。新興国米国と長い歴史を持つ欧州の違いであり、20世紀の大衆文化と19世紀の貴族文化の残滓の中での民族楽派の違いでもあろう。
プロコフィエフは、冒頭ちょっとR.シュトラウスっぽいが、すぐにソ連ぽい音楽になる。
ドヴォルザークはさすが地味天才。ヴィオラとか和声的にめちゃめちゃに楽しそう。
長大な曲の「聞き所」だけ演奏するパターンも、なかなかそういうのを聞かないので、興味深い。やはり、長大な作品の文脈の中で演奏し、聴取されるのと、同じ意味・同じ重さ・同じ熱量を持つわけではないことを確認できた。演奏側もいささかとまどいの気味を感じさせる。
私にとっては、文脈も熱量も大切なので、こういう形式の演奏会に積極的に行くことはないだろう、と確認することができた。これは収穫。
まあ、こうした音楽番組を見なくなって久しいので、考えてみれば当然であるが。
なお、私自身、子供の頃からこうした音楽番組(名曲アルバム、音楽の広場、題名のない音楽会など)に馴染んできたし、大恩を感じてもいる。私の趣味嗜好からはすでに外れているけれど、今後も引き続きこうした取り組みを続けて頂きたいものである。
越智萌先生と大庭三枝先生を混同していた。法学者で女性というのだけが共通点。まあ、read onlyなので無問題。よかった。越智先生に「食いしん坊党党首」などとTweetしなくて。以前、夏目雅子氏と和泉雅子氏を混同していたこともある。まあ、無問題。
父は、子供の頃、「達っちゃんに背負われて、よく線路際に電車を見に行った」という/ 後の小田急社長利光達三氏のことらしい。
達っちゃんの背で小水を漏らしてしまったこともあるとか(大変申し訳ありません)。
大学進学後、成城駅でアルバイト駅員として集札口にいたところ、切符を出さない背広姿の男性がいたので、「きっぷ・きっぷ」と連呼したところ、お付きの社員が「君ぃ、この方を・・・」と言ったところで、「あ、達っちゃん」「なんだ、イサオちゃん」。
幹部社員だった利光達三氏の視察だったという。
時々見ているポーランドの学生オーケストラ。
https://www.youtube.com/watch?v=Fc68YK9L5fM
ビゼーのカルメン。南国の情熱とも異なる冷え冷えとした冷涼感(笑)。
人間(私)はなぜ音楽に「温度感」を感じるのだろうねえ。
昔話
大学の同級生に留学生がいた。ふだんジーパンに白Tシャツで過ごしていた。いかにも「ふつうの若者」であった。
卒業式の際、それはそれは美しい民族衣装で現れた。華美ではなくモノトーンであるけれど、明らかな輝きがあった。
その気品あふれるお姿を拝見した瞬間、彼が「大貴族」であることがわかった。
後々、日本人同級生と彼の話になった時、自分の国ではお湯一つ沸かすことが出来ない地位であって、日本では一時の自由を楽しみ、インスタントラーメンを自分で茹でるのですら喜んでいた、と聞いた。
演奏会。ハイドンの77-1を弾いた。なかなか音程感のある面子で良かった。もうひと声、発声が制御できると良いのだが。
己が阿呆なせいで飛び出しや暴走などなしているが、理性の他の出来事はなんとも言えぬ。まあ、鉄道などで「酔っても暴力は許さん」と書いてあり、理性外は言い訳にならんのだが。来てくださるお客様には感謝しかない。