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読書の記録(2024年7月)

暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ 堀川 惠子
読了。読んでよかった。日本の歴史に興味があるならば、読むべき書である。 大井篤「海上護衛戦」は名著であるが、「海軍が海上輸送を護衛する」観点で書かれたものであり、もう一方の「海上輸送がどのような有様であったか」で書かれたものが本書であり、双方読んでひとつの枠がやっと閉じそうである。さらに(小説であることを大前提に)光岡明「機雷」は、これら海上輸送に関わる現場の状況を理解するのに有用だと考える。
一点だけ苦言めいたものを申し上げると「暁の宇品」という題名が若干小説(創作)らしく見えるのが気になる。部隊名が「暁部隊」であったので、そのことを言いたいのであろうが。また、「ヒロシマ」と名付けるのも分からないではないが、それだけがこの書の本質ではないだろう。(と言って良い題名を思いつくわけでなし)。
結局のところ、先の大戦は、作戦レベルの参謀たちが表舞台で大活躍しつつも、成果が見えにくい兵站システムや系統だった技術開発は有能かつ誠意ある現場担当者任せで、戦略レベルでは放置されていたということだろう。すなわち「プロジェクトX」状態。それを今なお反省しないのが、番組としての「プロジェクトX」。残念である。
なお、江戸家猫八、丸山眞男も、陸軍船舶司令部勤務であった。

中国戦線従軍記 歴史家の体験した戦場 藤原 彰
「暁の宇品」の少なくとも前半は中国戦線の上陸作戦・補給作戦であり、ふと思い出して再読してみた。
確かに度々「宇品」の地名がさらりと出てくる。
どちらかというと激戦とは縁が薄かった著者。そういう戦史は表に出にくい面もある。

暁の宇品にちらりと登場する、今村均(非薩長・リベラル軍人)について少々調べると、大杉栄と同年代であり、新潟県新発田で同時期を過ごした云々とある。
http://kunyon.com/shucho/100705.html
「「坊っちゃん」の時代」(関川夏央、谷口ジロー)でも、同時代を生きた様々な人々の意図せぬ出会いが描かれ、私がごとき無知な者は何度も驚かされるのだが、この出会いも関川・谷口に描いて欲しかったと思うたり。

壮年茂吉 北杜夫
読了。時代が現在に近づいてくるせいか、茂吉の歌も読みやすくなってきたようだ。もしかすると北杜夫(斎藤宗吉)氏の記憶や思いが多くなってきたから、私にとって読みやすくなってきた、ということかも知れない。
私にとって、北杜夫は気づけば身近にあった本である。両親が好きだったのだろう。あまり本を買わないようにしていた我が家でも、「白きたおやかな峰」「船乗りクプクプの冒険」「高みの見物」などあった記憶がある(しかも文庫本ではない単行本だ)。 この後、茂吉晩年を読もうとして気づいたが、その前に茂吉彷徨があるのに気づいた。それを入手してまで読まないか、それとも、息子北杜夫との関係がますます繁くなりそうだから買って読むか。悩ましい。

百年の孤独 ガルシア=マルケス
南米小説らしく、呪術や土俗が身近にある「マジックリアリズム」的面白い本。
非常に面白かった。圧倒的。だが、粗筋など書く意味もないし、読む意味もない。本文を読むしかない。

訳もよくこなれている。稀に修飾関係がわかりにくい場合があるが、意味を考えれば一意な解が得られる。もしかするとこの晦渋は原作が求めているものかも知れぬ、と思ってみる。
最近、翻訳書ではちくま文庫・岩波文庫の調子が良いので、当然それらだろうと思って探してしまった。新潮だった。おやまあ失礼。30年位昔であると、岩波は訳が古く、新潮の方が訳が新しくて読みやすいのがふつうだった(ニーチェは例外)。だが、新潮は新しい売れ筋を追求するようになって、面白みが減じ、あまり読まなくなった。売れ筋っぽいのなら、ハヤカワの方が私の性に合う。というわけで久しぶりの新潮。「戦う操縦士」(サン=テグジュペリ)、「ドクトル・ジバゴ」(パステルナーク)、「我が思い出と冒険」(コナン・ドイル)を絶版にしているのは、いささか疑問であるが・・・。
ついでに角川の惜しい絶版としては「牡猫ムルの人生観」かな。

百年と一日 柴崎友香
面白いことは面白いがオッサンが読む本ではないかな。
私が読書その他の趣味に求めていることは「遠くに行くこと」らしいが、あまり遠くと感じない。それこそが真の距離なのかも知れないけれど。
題名はガルシア=マルケスにちょっと似ているね。そんな運命の大河みたいな風情は感じられないが。

史記列伝 魏公子列伝 第十七 無忌 野口定男訳
史記列伝も三冊ある。少しずつ読もう。資治通鑑や淮南子もある。いつでも遠い国の遠い時間に行かれることを考えるとちょいと愉快だね。

アルテリ十六号 渡辺京二追悼
熊本で発行されている雑誌。渡辺京二の名に惹かれ、松本のカフェで購入。
怖い人だろうなと思っていたが、怖い人だったようだ。さもなければ、世の中に逆らうような本など書けまい。
こういう方があることは大変ありがたいが、身内にこういう方がないのも大変ありがたい、などと思ってしまう。

最後にして最初の人類、鉄の暴風、アナーキストの銀行家、などなど読まねばならん本が多い。ありがたいことである。

ゲルツェン『過去と思索』全7巻。うーむ長い。頑張るかどうか。でも買っておかないと欲しくなった時には入手難だろうなあ。
https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/8062
なぜかゲルツェンをヴィッサリオン・ベリンスキーと勘違いしていた。まあ、人とこの話をすることがなかったので無問題。
ちなみに、クロポトキン自伝「ある革命家の手記」は岩波文庫中でも屈指の面白さ。冒険活劇の類。

雑誌「東京人」に好きな小川真二郎氏の絵が出ているらしい。が、この「東京人」という書名が恥ずかしくて買えない。
自分が東京人なのか、あるいは、東京人になりたいのか、考え込んでしまう。

●雑感
津軽弁の「指揮棒」が「すけぼー」に聴こえる。たいへん楽しい。
https://www.youtube.com/watch?v=hI-6dcqM5pc
おじいさん・おばあさんに電話をするのも、クレームを入れるのも、全て相手の顔が思い浮かんでニッコリしてしまう。
1985年頃、青森の観光バスに乗り、バスガイドさんが我々に話す事は全て聞き取れた(当たり前)が、バスガイドさんと運転手さんがしている会話は一言も聞き取ることができなかった。そういうのを思い出す。そしてまた、井上ひさし「國語元年」。

一方沖縄語は「沖縄方言で歌ってみた」を愛好。「きたたに」が「ちゃたん」になった解説など、女王様が良い人のように見えるのもなんだか楽しい。

ゴヤ「むしり取られて追い出され」
あまり見覚えのない変わった作品。Wikipediaの記事で紹介されなければ見ることもなかったろう。
ジャック・カロなどの「暗い絵」はあまり日本で紹介されない傾向があるね。社会批評が嫌われるのか、歴史的背景を考慮せずに見られる絵だけが「売れる」のか。さて。

電車の2人がけ座席に3人で座る若者あり。記念写真など撮って楽しそうで良かった。

とある選挙の期日前投票に行ってきました。
きじつ「ぜん」が正しいと最近知りましたが、投票所の係の方も、「まえ」と言ってから「ぜん」と言い直したので、一般的には「まえ」で良いのである(と勝手に納得)。
投票箱は期日前投票全期間を通じて開けないらしく、私は投票3日めの1番乗りでしたが、投票箱が空である確認はしませんでした。時報で投票開始なのは、例によって例のごとし。
投票所からの帰路、街角で投票促進ボランティアを見かけるので、投票済ませた旨お知らせしたところ、なかなか意外にも「ありがとうございました」と言われてしまう。私は返す言葉がでなかったのだけれど、私の方こそ大いに感謝すべきと思い、ペットボトルの水一本進呈させていただきました。

選挙結果はいささか不本意なものでしたが、そもそも私は「らくらく当選しそうな方」に投票したことがなく、「ぎりぎりだが当選してほしい方」に投票したり、批判票として投票することが多いので、そーゆーものと言えば、そーゆーものである。
それでも百万票以上投ぜられた候補者がいるのだから、一位の方の公約だけが守られるだけでなく、他の候補者の公約も重んじて頂きたいものだ。

すわ「6世紀双龍文環頭大刀柄頭」かと思ったが、レプリカとのこと。
https://x.com/fuuraibooo/status/1807959175659659323
でも、楽しかった。わくわくした。十二分に「浪漫」。

Flow my tears - John Dowland - Ensemble Soranza
https://www.youtube.com/watch?v=8rWQHf3A3j8
衣装や演出は少々凝りすぎ。お歌は素敵なのに。
自分が演奏者であるせいか、音響空間(誰がどこで発音し、どこに反響して聴こえているのか)が気になる。それがため、画像と音が空間的に不一致だと大変気持ち悪い。おそらくよく反響する閉鎖的空間で録音しているのに、屋外を歩いている映像がついている場面があるが、こういうのアカン。
ふつうに舞台で歌い、その姿を客席側から撮影して頂ければ良い。

Shores of the Belt
https://www.youtube.com/watch?v=qv1T67-1_N4
Kenti Rahayu Wati さんの曲らしい。インドネシアの方らしい。なかなか好きな曲だが、どこかで聴いたような気もする。とりとめもないところが良いが、それがため、覚えていられないようにも思う。

Symphony for eight - Philip Glass - Cello Octet Amsterdam
https://www.youtube.com/watch?v=DWsp-XG31C4 フィリップ・グラスのチェロ八重奏の曲。格好良い!とっても難しいだろうけれど。

GoYa四重奏団のブラームスを聴きなおす。
https://www.youtube.com/watch?v=_sZFNAd-lMA&t=1002s
全員身長 2m82cm くらいはあるな(誤った直感)。演奏中の私の身長はその1/10くらいだ。もっと大きくものを見なければ!

グルジエフの不思議な、でも懐かしいような音楽
https://www.youtube.com/watch?v=740PhEOdx1M
神秘家とでも言うのだろう。弟子にウスペンスキーがいるが、もちろんチェブラーシカの作者とは別な方。
「聖母昇天祭の」という意味なのだそうだ。

ポーランドの音楽大学オーケストラ(私の中でシリーズ)
https://www.youtube.com/watch?v=BPRBLL_iLVA
Penderecki Academy of Music Orchestra
以前聴いたシマノフスキよりも楽団として「引き締まった」音がする。学生さんだけではないのかな?おそらくは。
どの奏者もオーケストラとしての奏法に自信をもって弾いているように見える。
で、〆はスターウォーズ第1作の「王座の間とエンド・タイトル」。この曲は本当に管弦楽曲として一般化した。欧州歌劇・管弦楽表現の正統的な末裔なんだね。

旧海軍に「鳴海」なる砲艦があったとのこと。まったく知らなかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B4%E6%B5%B7_(%E7%A0%B2%E8%89%A6)
元鳴海町民としてはなんだか嬉しい(隣町有松との対抗意識?)。

スタートレック:ローワー・デッキって、面白そう。
でも、ロワー・デッキって、「下層階」ではなく「下層甲板」くらいが良いのでは?軍艦なんだから。
たとえば、下記のは、「lower gun deck」だけどね。
https://sakhalianet.x10.mx/shippictures/image_viewer.php?url=&img=art_anatomy_of_the_ship_of_the_line/three_deck_ship_of_the_line_mid_18th_century.jpg
ふと思いついて、映画「タイタニック」の解説等を見ると、「下層デッキ」と言っている。「甲板」より「デッキ」の方が一般的な語なのね。現代。何かゲームの影響のような気もする。。。

関水金属の蒸気機関車製品化はすべて動態保存機なのね。まあ、営業上当然でもあろうけれど。C11は大井川、東武、北海道など。C12は真岡、C56は西日本、8620は九州などなど。一時代を代表し、両数も多かったC51やD50が製品化されることはないのだろうなあ。

もうすぐパリ五輪。
山下泰裕会長はJOC会長ながら、頸椎損傷のため公式の場に現れることができない。
公式の場に現れなくても「会長」職が務まるのは不思議ね。また、優れた柔道選手だった方が、首の怪我というのも(陰謀論的には)物凄い暗殺者にヤラれた感があるっす。もう少し深刻に考えると、自死されようとしたのか、とも思える。
まあ、JOC自体が「闇の組織」みたいなところと感じてしまうし、そこに巻き込まれて身動きもならない元運動選手というのも悲劇(場合によっては喜劇だが、ほとんどの場合悲劇)である。。。スポーツの方々セカンドキャリアはよくよく考えられよ。
(同じようなことお前にも書いているね)。

「テレスコ式」
テレスコピック式の略。海賊船長が使っている「望遠鏡」のように伸縮式ということだろう。
だが、「てれすこ」と略すと、落語の演目みたいだね。
落語では、「てれすこ」に対し、「すてれんきょう」ということになるが、実はこれらが「テレスコープ」と「ステーレン(星々)鏡」に対応する意味のあるオランダ語であるらしい。もちろん、海の生き物ではないよ。
これは福島第一発電所の放射性物質デブリの取り出しに関して見かけた語。もちろん巫山戯ているのではないが、落語と・・・。

スラブ語系4言語の共通と相違
https://www.youtube.com/watch?v=YpRHf9nQkts
似てはいるけど、時々違う。ともあれ、「ナイフ」のような具体的でおそらくは近隣で同じような道具を指す場合と、「Air」のように、そもそも何を指しているかが曖昧なものもあるなど、似そうなものとそうでなさそうなものがそもそもあるなあ、と思ったり。それも含めて面白い動画であった。

信頼獲得プロセス ~若い教授のベストプラクティス~
http://stanfordmba.blog108.fc2.com/blog-entry-85.html
「人は心を100%解放した時こそ、最も個性を輝かせる」という名言が忘れられず、何度か検索したが、近年の検索エンジン劣化のため探し出すことができなかった。なんとか見つけたので、ここで記録。
しかし、Googleの劣化は公害レベル。MS-Bingもなかなか酷いが、サイト指定検索が効く部分だけはMSが少しだけマシ。

私が学問に目覚めた時 法学部教授・蒲島郁夫
https://park.itc.u-tokyo.ac.jp/agc/news/31/hougaku.html
こちらも最近の検索エンジンでは出てこない貴重な証言。この方は「くまモン」の上司であったというが、それ以上に知られるべき方。退職時、くまモンが転ぶまで走って追ったというのも宜なるかな。

誠実で怜悧そうな乙女の残像 私たちは20世紀に生まれた
https://numabe.exblog.jp/242177634/
昔のネットは、こういう落ち着いた記事、広告のない記事、賢い方の書いた記事を読むものだった。どちらかと言うと読書ができる人間、文章を書くことができる人間の場所であった。それらもまた今は昔になってしまった。
ここで紹介されている尾崎喜八の「冠着」は素晴らしい。私も自分の好む書を読んでいる方には大いなる親近感を覚える。そしてまた、旅の途上であればなおのこと。
http://www.ozaki.mann1952.com/bun/aoienpou.html

某書店で「もらったプチトマトのおいしさ」を語る店員さんが居られた。他の店員さんにお勧めしたりして楽しそう。何か、よく書かれた戯曲を演じているかのようでもあった。
で、ご本人らに、その楽しさをお伝えしたところ、私もプチトマトを頂いてしまった。とても美味しかった。ごちそうさま。
どのお店か書くとご迷惑な気がするので、それは秘匿。

ドビュッシー: 歌劇「ペレアスとメリザンド」(1963年3月12日 シャンゼリゼ劇場ステレオ・ライヴ)
https://tower.jp/item/6292141/
とても興味深いが、誤字がちょっと格好悪い。
 誤:そして、<ペレアス>を演奏する幼帝を次のように語ります。
 正:そして、<ペレアス>を演奏する要諦を次のように語ります。
聴いてはみたいが、お値段も高く、SACDの再生環境は手元にないので、止めておこう。

ドイツ文学者高橋健二の戦中と戦後について少し読む。
https://numabe.exblog.jp/240330393/
https://core.ac.uk/download/pdf/236039139.pdf
後者には「知の変動」なる言葉が出てくる。ふと、昔読んだ東京大学編「知の技法」を思い出す。あれは、私には詰まらない書物だった。知の暴力性に対し無批判・無反省であったからだと記憶する。調べると、三部作で、1.技法、2.論理、3.モラル、となっている。これらを読むと、私のつまらなさは払拭されるのかも知れぬ。が、もいちど読む気にはならんなあ。(出発点からは完全に脱線)
ともあれ、昨今の営業批評家の類も、無批判無反省に適当な営業的言辞を弄しているなあ、と思ったりする。

大阪に梅田駅が複数ある問題に対し、一時は、九州にも梅田駅があったとのこと。
1915年(大正3年)から1943年(昭和18年)。小倉鉄道梅田駅が戦時買収されるまで。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BB%BB%E9%A7%85

原作改変問題に関連して。
テレビ版サザエさんで、冷蔵庫が白色から緑色にかわった時、出資者が東芝だからかな、と思った。
昔は「しろもの家電」と言っていたが、バブル期頃から他の色の冷蔵庫も売られるようになった。サザエさんの事例も同様の時期だったと思う。
電話はいつまでも黒電話であるようだが。

定年退職まで指折り数えるほど。子らも成人、親は物故。定年再雇用で汲々とするのは性に合わないが、突然生活を変えるのもよろしくないだろうから、許されるなら週に3日ばかり働くようにしてみようか。もしかすると、急に勤労意欲が湧く可能性も皆無ではないだろう。それはその時考えよう。でも、全日を労働に捧げる気持ちにはなれない。楽隠居としてやりたいことをゴソゴソ始めるのが良いだろう。さほどの「やりたいこと」もないのだけれど。

昔のブログ記事を読み直すと、何度も書いているネタがある。記憶力の減退が少々悲しいが、既に二十年近く書いているブログである以上、仕方がないであろう。気にしないことにする。

NHKで立川談志の「化け物屋敷」を見る。
私は談志は好きでなかった。理屈屋で捻て繊細で。私が落語に求めるのは、もっと下らなくてバカバカしくて大らかで突拍子もなく野放図なものだ。
でも、こうやって見なおすと、当たり前だが談志は良い。
円楽が借金して建てたことで有名な「若竹」で演じているのだが、なんのかんのと若竹や円楽を引き合いに出す。
それもクサしているようで、決してそうではない。談志って優しい男なんだな、談志って良い男だな、と思う。だが、あまりに繊細でその優しさがまっすぐに出ないから捻てしまう。
だから、私は談志には好きなところが一杯あるし、いい男だと思いつつ、ちょっと距離を置きたくなるのである。
(談志の捻ているところだけ真似ている弟子がいるが、この男は繊細でもなく優しさもないので救いようがない、と感じる。おそらくは、田中啓文の小説で描かれる笑酔亭梅雨のような男であろう)。

笑福亭松鶴 後引酒。動画を見る。本当に酔っているように見えるが、もちろん芸。虚実皮膜である。楽しい。

昼下がりにテレビで放映しているB級映画「ROHNIN」を録画して見てしまった。
高速でわかりやすい映画。昼下がりダラダラしながら見るには最高(見たのは昼下がりではないけれど)。
奪い合っている「ケース」の中身がまったく明かされないなど、いくつかご都合主義だが、そんなことが問題になる映画でもない。

ルービック・キューブは3次元上の正6面体で1面を3×3に分割。N次元上の正M面体をP×Pに分割したキューブで同じような遊びができるだろうか。以前、Excel上にルービック・キューブを実装しようとしたことがある。平面に投影すればこのように何次元であっても問題ないはずだ・・・が、N次元上の「回転」が直感的には理解できない。

スペイン放送協会による El Quijote ドン・キホーテの連続ドラマ。
https://www.youtube.com/watch?v=VZ1geIOE5T8
スペインの乾燥した風景が懐かしい。原作が読みたくなった。
この映像を見ていると、ドン・キホーテの憧れる「騎士道時代」とドン・キホーテが現実に生きる「現代」の違いが私にはよくわからない。おそらく、江戸と室町のように、「どちらも自分にとっては遠い昔」でしかないからだろう。そしてまた、騎士道時代の錯誤とドン・キホーテの現代の錯誤が異なるようにも見えない。だが、よくよく考えると、それは、江戸の錯誤、明治以降の錯誤、戦後から現代までの錯誤もまた異ならないのだろう。

遠い昔に読んだはずのドン・キホーテ原作。なかなかに読みにくかった記憶がある。饒舌すぎるというかなんというか。この映像を眺めつつ読むとより楽しく読めそうに思う。そして、ティラン・ロブラン(岩波文庫)も買っておかねば。さらに、読みかけで放り出している「ラ・セレスティーナ」もまた。

スェーデン放送のネットラジオで、シマノフスキの演奏会用序曲を耳にする。R.シュトラウスみたいな格好良い序曲 もっと演奏されて良いように思うが。・・・クラシック界によくある話としては、著作権が切れ、楽譜の入手が容易になって、初めて取り上げられるというもの(データがあるわけではないので、そーゆー気がするレベルだが)。

みわぞうsings三文オペラ
https://www.youtube.com/watch?v=Fo60tncK2Gw
私がクルト・ワイルに求める、フガフガして定かならぬ音作りがされていて嬉しい。

White Voice 東欧の伝統的歌唱法。
https://www.youtube.com/watch?v=wLntE4v6VNo
https://en.wikipedia.org/wiki/White_voice
https://www.youtube.com/watch?v=Vc54taQsLxA
オペラ的な、いわゆる「ベル・カント」と対照的な歌唱法(であるように私は感じている)。
私はベル・カントには軽やかさを、ホワイト・ヴォイスには力強さを感じるが、単純にそうとは言い切れないそれぞれに複雑な味わいを感じる。で、私は(たいへん幸せなことに)どっちも好きなのよ。(他の歌唱法も)。
なお、youtubeのチャンネルは、スラブの共通性を強調し、ロシアを「スラブ国家」としているようだが、シベリアをスラブにしてしまうのはどうかと思うのと、ウクライナからあれほど厭われてなおロシアをスラブの盟主と思うのは勘違いも甚だしいと思う。

チェコの喜劇ドラマ。ちょっと見ている時間がないのでメモ。
https://www.youtube.com/watch?v=3u_UvebAF-c&list=PLoTYYc0WPf5BXxE-rdidj_vFhAJG7OAtI

ベートーヴェン Op.131 自分が弾くための参考資料として: ボロメオSQ 色々なアイデアがあって参考になる。アジア人率が高い。
https://www.youtube.com/watch?v=stbnbu0aPGI
電子譜面なのね。

東京都美術館でデ・キリコ展を見る。
有名なマヌカンの絵以外にも、初期作品や舞台芸術などもある。
遠近法が狂っているのは有名だが、平行で一点に消失するはずの床材がいい加減に描かれていたり、人物像の骨格が歪んでいたり、手抜きな顔だったり(剣闘士達の戦い)、遠景か近景か判らなかったり(Bagnante coricataの背景の海など)、色調も「赤」なら「赤」で押し通すなど、どれも仕事が「丁寧でない」ように見える。絵葉書や教科書などの印刷媒体で適度に劣化させると、割と見やすいのだが、実物はとても「荒っぽい」。
この人は、絵を描くのが好きではなかったのではないか、特にふつうの絵かきが喜んで描く「顔」とか「模様」とか「色彩」などを憎んでいたのではないか、と思ったりもした。
初期の自画像もふつうに写実的だが、衣服の模様はごにゃごにゃさせているだけであり、色調も荒っぽいので、そう思った。
そして細かく描くのが嫌さに、あの平板な顔「マヌカン」に至ったのではないか・・・と。
(素人の愚論としてお読み流し下さい。もちっと考えてみます)。

PERCY FAITH - A SUMMER PLACE ALBUM などを聴く。母が好きであったろう映画音楽、という感じ。
懐かしくも優雅だ。おそらくは、若き日の母にとって、米国映画は憧れの象徴であり、明るい未来への希望でもあったのだろう。
私は思う、当時の米国の最大の輸出物は「自由」と「希望」であった、と。
今なお、諸外国の優秀な留学生・移民を惹きつけるのは、これらではないのか。これらを投げ出す米国には亡国しかないのではないか。

アドルフ・ホフマイステル Adolf Hoffmeister(1902~1973)
https://en.wikipedia.org/wiki/Adolf_Hoffmeister
チェコの画家。チャペックのカリカチュアで馴染んでいたが、Wikipediaにある多彩な作品を見ると様々な技法・画風のいずれも卓越していると感じる。上手い。
illustration Made in Japan, 1958 だけは、現実の日本とあまりにも関係ないけれど。でも、この絵の幻想性には惹かれるね!

Giuseppina (1959)
https://www.youtube.com/watch?v=EIbQSLI6FjE
英国石油が出資した短編映画らしい。なかなかというより非常に良かった。ガソリンスタンドに現れる各国人の様相、そして最後のお客。
主人公父娘が(そして母と赤子も)素敵。1961年のアカデミー賞をとっているのも宜なるかな。

ネットの天気予報サイトを眺めていたら、過去に検索した地域の天気が小さく表示されているのに気づく。
新十津川町、中札内村、士別市。行ったのは昨年3月。どの町も雪の中だった(中札内では地面が見えていたけれど)。懐かしい。

CD店で、バッハの宗教曲について店員さんに解説してもらっている人がいた。 ガーディナーのマタイ受難曲を聴いたが次は異なる演奏を聴きたいということだった。お店の物知り店員さんは、いくつかの指揮者を挙げた上で、カール・リヒターを薦めていた。そして、さらに重い方が良ければクレンペラーを、軽い方がよければヘレヴェッヘを、と言っていたようだ。 なかなかに我が意を得たりの感がある。私がこれらのマタイを全て聴いているわけではないけれど、なんとなう話について行かれるのは、年の功であろう。
一方、ショパンのピアノ三重奏のヴィオラ・チェロ・ピアノ版をBGMにかけつつ「地味だ」と宣う方もあり。私はヴィオラが実にいい音で感心しましたが。

己の書いた過去のブログを読み返していてモンサラットをモンラサット誤っていたことに気づく。
モンサラットは、モン・セラート「星の山」と音韻が似ている。スペインの修道院にそんなのがあったっけ。

「酒田戦争」なる言葉を知る。
住友化学対住友金属。結局住友金属が酒田に無理やり作った住軽アルミニウム工業はオイルショックもあり5年で解散。
そう言えば、鳴海には住友金属系の社宅があり、ここのご一家で酒田に転勤になったお父さんがいた記憶がある。
今にして思うと、酒田戦争関係だったのね。

島根朋史氏の無伴奏チェロ組曲全曲演奏会に行く。
一日で全曲弾くのも困難だと思うが、さらに無伴奏フルート・パルティータ(トレブル・ガンバによる)を入れ、アンコールに無伴奏ヴァイオリン・ソナタの第2番からアンダンテを弾くという偉業。
にこやかに高ぶらず、種々の説明を行ないながら、美しい音で演奏を積み上げる。唖然とする他ない。
一番印象に残ったのは第五番。サラバンドを中心に前後の対称性があることを活かした盛り上げがたいへん楽しかった。

我々の世代は、「クラシック音楽」の最初の者であるかのようにバッハを考え、バッハ・ベートーヴェン・ブラームスくらいの視野でバッハを考えたりするあ、この方はヴィオラ・ダ・ガンバも達者であるし、バロック・古典派の豊かな世界でのバッハを見ているように思われる。
このこと自体は、師匠筋であるビルスマや鈴木秀美が切り開いてきたことであろうけれど、理屈を踏まえつつもそれを超えた豊かな実りとして提示されることの凄さよ。

良い方の演奏を聴くことができる良い時期に生きられるありがたさよ。

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