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読書の記録(2024年8月)

浴槽で発見された手記 スタニスワフ・レム
いつもの難解で饒舌なレム節。
カフカの「城」との類似性が指摘されているようだが、「城」においては、「城」の内部構造が一切見えず、K対城の1:1構造になっているが、レムは当然そんな過去踏襲はせず、1:NでありN:Nであり、さらに再帰的構造や群:群の対応があったり、システムそのものが複雑奇怪になっていく印象がある。
「城」もまた私達の日常だが、「浴槽で発見された手記」もまた、私の日常である。

たくさんのふしぎ おいしさつながる 昆布の本
昆布に関係するおいしいものとして、「鱈の昆布〆」が出てくるのが嬉しい。 昔、私が北海道人に「北海道でおいしいものは?」と問うた第一声がこれであった。 「どこで食べられるのか?」と問うと、「近所の漁師にもらった鱈をおふくろが昆布〆にしてくれた・・・」ということで、結局私は食べられなかった。 こうした思い出があってもなくても楽しい昆布の本だった。羅臼と富山の歴史的な関係も述べられていて、例のごとく行き届いた本だった。 (色々な種類の昆布の違いについてももっと知りたい。なぜ地域によって異なる食味の昆布ができるのか、また、食味の違いは生物としてどのような違いなのか、など)。

独裁者の学校 エーリッヒ・ケストナー
簡素にして皮肉の効いた戯曲。独裁政権下で迫害されつつも生き抜いたケストナーだけに終幕もまた悲劇。

思いもよらない日本の見かた モーガン、ルネ
編集部が中国ヘイトをかましたり、不愉快な本。
モーガンさんもルネさんも、日本において外国人として様々な苦労をされていると私は想像するけれど、そういう方が、ヘイトを内在するこういう本にお出になっていて、私は悲しい。
この本を見て腹が立って来たので、「それはわたしが外国人だから?――日本の入管で起こっていること」(安田菜津紀)を読もうと思う。 前提として、ヨイショは社会の潤滑油で必要不可欠と私は考えている。だが、ヨイショも過ぎると身に毒(これ重要)。
購入前に出版社名をよくよく確認するべきだった。

ブルーノ・タウト「日本美の再発見」に書かれた日本礼賛も、行く宛なき亡命者タウトが自分の居場所を作るために行った説を耳にしたことがある。タウトを(ちょいと)読んでみたが、建築物の美は書かれているが、日本の日常をボロクソに書いている部分もあり、まあまあ正直な偏屈爺さんだなと思った。だからと言って、奴さんがヨイショをしていないとは限らないが。
そう言えば、谷崎の「陰影礼賛」もちらっと読んだことがあるが、日本の便所を褒めてたりして、エログロ風味というか、嗜虐/被虐的というか、まっとうな趣味で書いたとは思われない、冗談半分・韜晦全開の文章なので、あれをもって日本文化の正当な評価のひとつとして扱うのは賛成できない、と思った。まあ、そうしたヒネ味こそが日本文化であるという主張には賛同するけれど。

アーキビストという仕事を知る。
チャペックの戯曲「ロボット」には「アルクイスト建築士 Alquist: Clerk of works」なる重要登場人物がある。
この方の名はアーキビストとは関係ないのだろうけれど、ちょっと気になった。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001236/files/46345_23174.html

キリスト教美術をたのしむ 旧約聖書篇 金沢百枝
少しずつ読んできたもの。一点悲しい感想は「(老眼の者にとっては)絵が小さい」。価格、判型から言って仕方がないのであるけれど。
本文と絵がどうしても離れるのも(寝転がって読む者には)読みづらい。
とは言え、中身は非常に楽しい。欧州・キリスト教の歴史の長さを思いつつ、美術として様々な技法・画風を楽しむことができるし、キリスト教の考え方や欧州の歴史の中での重点の変化などにも触れることができる。

天幕のジャドゥーガル 第4巻 トマトスープ
登場人物は、それぞれに、それなりに「善意の人たち」なのだが、あまりにも根深い対立。これからどうなるのか気になる。
なかなか登場人物とその関係が覚えられないので、紙の本が絶対に必要。
そして、早く第5巻出てくれ!気になる。

編集長敬白 名取紀之
もともとブロク(的ネット記事)だったもの。凄い人は若い時から凄かったのだなあ、と恐れ入る。
まあ、自分のごとき微温い趣味者ももちろんいて良いと思うけれど。

小林信夫の模型世界 小林信夫
鉄道模型界で、有名な小林氏の鉄道模型趣味誌掲載記事の抜粋集。
昭和の頃に読んで懐かしい記事もあり、最近古書として買って見つけた記事もあり、さらには未見のものもあり、大変楽しく読むことができた。 小林氏の思い出や思想が端々に語られており、なにか「全人像」を見られる心地がする。私も愛知県出身であり、小工場の思い出など共通するものがあるようにも思った。勝手な思い入れにしか過ぎないのはよくわかっているけどね。

古書店で「部落の女医」を買う。非常に面白そう。「気違い部落周游紀行」と同じような、文化人類学の香りを感ずる。
「日中15年戦争」を買う。ちくま文庫の戦争関連書は買わざるべからず(買うべき)。文庫本が2000円近くするようになったことを嘆きつつ。とはいえ、本書は相当の大部であるが。

海と毒薬(遠藤周作)、キャラメル工場から(佐多稲子)、太陽の季節(石原慎太郎)などを少しめくる。どうするかのう。

以下は買い忘れ防止の覚書:
女ひとり、インドのヒマラヤでバイクに乗る。2024/9/26 里中 はるか (著)
ごはんが楽しみ 2024/10/7 井田 千秋
線路沿い街歩き 小川真二郎作品集 2024/10/11 小川真二郎
(女性の執筆した本ばかり買うのも悪い気がするが、この世の半分は女性なので、そーなるのも当然であろうよ。)

●雑感

ちょっと不思議なアニメーション
SUNDOWN - Animation Short Film 2020 - GOBELINS
https://www.youtube.com/watch?v=jKh-DP89FPY

Wikipediaを眺めて遊んでいたら「酒田戦争」なる言葉を知った。
住軽アルミニウム工業は5年で会社解散。
鳴海小学校の同級生で住友軽金属の社宅に住む者がおり、親が酒田に転勤になった後、数年経って名古屋に戻った・・・というのは今思えばこれだ。会社の盛衰は様々な人生に影響を与えるのだね。

平成のはじめ頃、伯父に呼ばれて食事をした。
「自分が就職した昭和三十年代、人気業種は『三白(さんぱく。砂糖、セメント、肥料原料である硫化アンモニウム)』だった。自動車産業は不人気で、自分のような『落ちこぼれ』の就職先だった。だから、今、人気業種に行っても良いが、不人気業種に行くのも良いかも知れない」と言われた。
平成のはじめ頃、電機メーカー、自動車メーカーなどが人気であったろうか。大学の優秀な人々はそれら産業に数多く就職した。
近年、それらの産業が傾き始めている。あれだけ優秀な人々を集めたのにと本当に驚くしかない。
(自分はそうした優良産業・優良企業には採用されないといささか僻んでいたのだが。。。)

国立音楽大学の所在地が立川市であり、国立駅から徒歩1時間を要することを知った。
うむむ。立川音楽大学か、(最寄りの駅名をとって)玉川上水音楽大学になるしかないのか・・・。まあ、旧立地名を使っている学校はいっぱいあるから、もちろん無問題だけど。

ピクシブ大百科にある「メイツ星人」の解説。「暴徒ぼうと」とあるべきところ、「暴従ぼうじゅう?」となっている。直したもんだか。
ヤフーオークションで、「上野鉄道」の仮名を「こうげつ」と振って模型の機関車を売っている人がいる。箱には「こうづけ」と正しく書いてあるのだが。。。
同様に名鉄電車にある行き先表示を「黒谷 野汲」と読み解いている方がいた。「黒野⇔谷汲」なんだがなあ。
三省堂書店の在庫で「レイアウトの留意線とその実例」というのがあった。正しくは「レイアウトの留置線とその実例」だね。
アニメである「キャシャーン」は「新造人間」なんだ。落語なんかで「ご新造さん」が出てくる(無関係)。

乗ったことのある在来線特急(国鉄JR)
しらさぎ、ひだ、あさま、北斗星、
北斗、オホーツク、踊り子、かいじ、
あずさ、南紀、すずらん、スーパーカムイ、とかち?(おおぞら?) 
新幹線での移動が多かったので、在来線特急とは縁が薄くなりがち。北海道には縁があったので、意外とここで乗っている。山陽・九州方面は壊滅的だね。

HPVワクチンを巡る集団訴訟の鈴木エイト氏によるご報告を読む。
原告の女性達が健康でなく幸福でないことに、まことにご同情申し上げたいが、一方で、裁判というものの厳正さにも心打たれる。
HPVワクチンについては、名古屋コホート研究でも、危険性は見出されないことが報告されていたように思う。
https://x.com/cult_and_fraud/status/1821159033992310855
https://x.com/bar1star/status/1821469563458113850
「科学的見地から妥当な判決が出て欲しいと思うし、何より原告側女性たちが正しい形で救われて欲しいと思う。」という方のお言葉に全面的に賛同する。

ロシアではボールベアリングが払底しつつあり鉄道運行に支障が出ているとか。
ベアリングやピストンリングは高精度な消耗品なので、こういうことになりがちだろう。
飛行機のタービンブレードなんかもその仲間か?

オリンピックで唯一見ようと思ったサッカー(フランス対スペイン)見逃しちゃった。正確には録画忘れ。
まあ、無問題。他は見ていない。ニュースで流れているのを見た程度。
昔は「アマチュアの祭典」であり「参加することに意義がある」だった。それが、商業主義、プロフェショナル参加、国の争いとなり、さらには、汚職の温床となるにつけ、運動家諸氏諸姉を見てはあわれを催すになり、見る価値を感じなくなった。

AppleLossLess でUbuntu上で再生できないファイルがいくつかある。どこかに報告すると喜ばれたりしないのか?
そのうち調べよう。

「不思議遊星歯車機構」について調べてみる。
大きな減速比をとれるようだ。
で、小型モーターと組み合わせた製品もある。
安価ではなさそうだが、一度遊んでみたいものだ。
https://www.icomes.co.jp/custom/microactuator/
もちろん、価格以外の事情もあって模型用になっていないと思うけれど、こーゆーことを考えるのが楽しいのだ。
(口だけ番長)
続けて、サイクロ減速機についても調べる。『歯車』でなく波型なのにきちんと噛み合い、波型だからこそ歯が欠けたりしない(おそらく、特定箇所のみに力がかからない)のが格好良い。 ただし、鉄道車両などに興味があるものとしては、可変速でないのが残念(不思議遊星歯車もだが)。

サイクロ減速機、波波型なので、ゆるい結合かと思いきや、しっかり力が伝わり、かつ、尖った部分がないので、そこが欠けるということもないとは、まさにアンサンブルの理想。
よってして「サイクロ弦楽四重奏団」を旗揚げしようか。
https://www.zokeisha.com/zahs/cy.html
でも、サイクロイド曲線かと思ったら、エピトロコイド平行曲線なのね(意味はわからん)。
サイクロ弦楽四重奏団あらためエピトロコイド弦楽四重奏団
まあ、サイクロ減速機は商標で、一般名詞は cycloidal drive あるいは cycloidal speed reducer というそうだ。

トマトソースパスタを作る際、料理酒のつもりで味醂を入れてしまった。そんなに変ではなかった!
玉葱のみじん切りを炒め、豚こま切れを細かに切ってそこに入れ、塩胡椒少々。
火通りをよくしようと、酒(というか味醂)。
人参細切れ。
茄子の乱切り(あく抜き少々)
オリーブオイル追加
缶詰トマトと生トマト乱切り、昆布茶を投入。
茹で上がったパスタを投入して混ぜる。しばし経ったら皿に盛る。
「パスタなんて『焼きそば』」という言葉を聞いたことがあるが、私が作るパスタに関して言えばそのとおり。

さらにその後のトマトパスタは、茹でた麺に、生トマト、鯖の水煮(レモン風味)、塩昆布(細切れ)、オリーブオイル、バジルを和えてみた。まあ、ふつうの食べ物。ルッコラなどを入れるときっとハイソな食べ物になるだろう。
もうひと品は、長葱、梅干しの汁、赤紫蘇のふりかけ、長芋の刻んだのを和えたパスタ。
あまり火を使わない、というのをしてみた。

『大提琴&鋼琴經典歌曲串燒(工作、通車、日常、放鬆)』なるプログラムをyoutubeで見かける。
大提琴はチェロ、鋼琴はピアノ、経典歌曲はクラシック歌曲。ここまでは良い。「串焼」は「メドレー」らしい。
もちろん「串焼」だけだとまさに串焼らしいが、「歌曲串焼」はメドレーになるようだ。ちょっと美味しそう。
カッコ内の4つは「仕事、交通、日常生活、リラクゼーション」。
最後の「放鬆」がなかなか良い。髭ではないのですよ。

戦車と自走砲の違いがいつまで経っても分からない。分からないままに最近考えたこと。
まず、戦車は戦車兵が自走砲は砲兵が扱う、という説明を読んだが、これは戦車兵と砲兵の違いが分からない私には理解できる説明になっていない。
現在も続くロシアによるウクライナ侵攻・ウクライナによる防衛を見ていると、「大砲」というのは、観測システムや照準システムとともに機能して「見えない遠くの敵」を撃つもののようだ。観測・照準や砲弾供給も含めた大規模システムの末端の一つが「大砲」であって、大砲だけ闇雲に撃つものではない。一方、戦車はそれ自体が動き回って「見える敵」を探して撃つ(映画表現でしか知らないからこう思うが、おそらくシステム化を進めているのだろうけれど)。
話は飛んで、ナポレオンは砲兵出身だったから、皇帝となってからも科学者を重用したという。
ナポレオン戦争の時代においてすでに、観測・照準が数理的に行われていた(あるいは、その萌芽があった)から、ナポレオンには科学への親近感や信頼感があったと思われる。
ということで、「見えない遠くの敵」を数理的に撃つために砲兵が運用する車両が自走砲、「見える敵」を撃つために機動性を重視しているのが戦車、と私は考えている。もちろん、物事にはグレーゾーンがあることも多いし、技術上の問題で別れていたものが、技術上の問題解決によって収斂していくこともあるし、「縄張り争い」も世の常だから、平射する(見える敵を撃つ)自走砲もあるかも、とは思う。
(まあ、私がどう考えようが、誤っていようが、どうでも良いのだが)。

30年ほど前、韓国映画「反則王」を見た。いろいろな国の映画を見てみようくらいの気軽な気持ちだった。
喜劇であり当然面白かったし、多少泥臭い演出も印象的だった。主人公が突然アイドル衣装で出てきて、「演歌」を歌って、好きな彼女にアタックする妄想を描くのなど、なんてわかりやすいのだろう、という感じ。
韓国映画は今もよく話題になり、反則王の主演ソン・ガンホ氏もSNS上でよく見かける。ふふふ、私は30年前から知っておるのだよ、と(まったく意味はないが)嬉しい気分になるのであった。

韓国ドラマ Don't Worry, I'm a Ghost | 걱정마세요, 귀신입니다
役者さんが日本人ぽい。主役男性は野間口氏、女性は上白石氏などなど

ウルトラマンに出ていた女優 小川涼さん。セリフ回しも達者で、コミカルな芸。大した役者さんだと思った。
銅金カナオという派手でいささか均衡を欠いた研究者を演じておられたが、たいへん好演。

祖母は名前に変体仮名を使っていた。
明治生まれの「ふさ」の「さ」
https://cid.ninjal.ac.jp/kana/detail/110030010/
「しづ」の「し」
https://cid.ninjal.ac.jp/kana/detail/120050010/

愛知県の「愛知」は律令制の「愛知郡」から来ているのはおそらく間違いなく、その「愛知郡」は「年魚市潟」から来ているのも間違いないであろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E9%AD%9A%E5%B8%82%E6%BD%9F
年魚市潟の一部が鳴海潟であるが、歌枕としては鳴海潟も有名だったのだから、「愛知」に代わって「鳴海」が使われていても良かった気がする(元鳴海町民として)。
神奈川だって、神奈川郷が神奈川県なんだから、鳴海が県になっても良いのだ(暴論)。

愚息が幼かった頃、「あやかちゃん」を「あやちゃかん」と言っていた。
「あやかちゃん」ママがそれを気に入り、メールアドレスを「あやちゃかん」にして下さっていた。

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読書の記録(2024年7月)

暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ 堀川 惠子
読了。読んでよかった。日本の歴史に興味があるならば、読むべき書である。 大井篤「海上護衛戦」は名著であるが、「海軍が海上輸送を護衛する」観点で書かれたものであり、もう一方の「海上輸送がどのような有様であったか」で書かれたものが本書であり、双方読んでひとつの枠がやっと閉じそうである。さらに(小説であることを大前提に)光岡明「機雷」は、これら海上輸送に関わる現場の状況を理解するのに有用だと考える。
一点だけ苦言めいたものを申し上げると「暁の宇品」という題名が若干小説(創作)らしく見えるのが気になる。部隊名が「暁部隊」であったので、そのことを言いたいのであろうが。また、「ヒロシマ」と名付けるのも分からないではないが、それだけがこの書の本質ではないだろう。(と言って良い題名を思いつくわけでなし)。
結局のところ、先の大戦は、作戦レベルの参謀たちが表舞台で大活躍しつつも、成果が見えにくい兵站システムや系統だった技術開発は有能かつ誠意ある現場担当者任せで、戦略レベルでは放置されていたということだろう。すなわち「プロジェクトX」状態。それを今なお反省しないのが、番組としての「プロジェクトX」。残念である。
なお、江戸家猫八、丸山眞男も、陸軍船舶司令部勤務であった。

中国戦線従軍記 歴史家の体験した戦場 藤原 彰
「暁の宇品」の少なくとも前半は中国戦線の上陸作戦・補給作戦であり、ふと思い出して再読してみた。
確かに度々「宇品」の地名がさらりと出てくる。
どちらかというと激戦とは縁が薄かった著者。そういう戦史は表に出にくい面もある。

暁の宇品にちらりと登場する、今村均(非薩長・リベラル軍人)について少々調べると、大杉栄と同年代であり、新潟県新発田で同時期を過ごした云々とある。
http://kunyon.com/shucho/100705.html
「「坊っちゃん」の時代」(関川夏央、谷口ジロー)でも、同時代を生きた様々な人々の意図せぬ出会いが描かれ、私がごとき無知な者は何度も驚かされるのだが、この出会いも関川・谷口に描いて欲しかったと思うたり。

壮年茂吉 北杜夫
読了。時代が現在に近づいてくるせいか、茂吉の歌も読みやすくなってきたようだ。もしかすると北杜夫(斎藤宗吉)氏の記憶や思いが多くなってきたから、私にとって読みやすくなってきた、ということかも知れない。
私にとって、北杜夫は気づけば身近にあった本である。両親が好きだったのだろう。あまり本を買わないようにしていた我が家でも、「白きたおやかな峰」「船乗りクプクプの冒険」「高みの見物」などあった記憶がある(しかも文庫本ではない単行本だ)。 この後、茂吉晩年を読もうとして気づいたが、その前に茂吉彷徨があるのに気づいた。それを入手してまで読まないか、それとも、息子北杜夫との関係がますます繁くなりそうだから買って読むか。悩ましい。

百年の孤独 ガルシア=マルケス
南米小説らしく、呪術や土俗が身近にある「マジックリアリズム」的面白い本。
非常に面白かった。圧倒的。だが、粗筋など書く意味もないし、読む意味もない。本文を読むしかない。

訳もよくこなれている。稀に修飾関係がわかりにくい場合があるが、意味を考えれば一意な解が得られる。もしかするとこの晦渋は原作が求めているものかも知れぬ、と思ってみる。
最近、翻訳書ではちくま文庫・岩波文庫の調子が良いので、当然それらだろうと思って探してしまった。新潮だった。おやまあ失礼。30年位昔であると、岩波は訳が古く、新潮の方が訳が新しくて読みやすいのがふつうだった(ニーチェは例外)。だが、新潮は新しい売れ筋を追求するようになって、面白みが減じ、あまり読まなくなった。売れ筋っぽいのなら、ハヤカワの方が私の性に合う。というわけで久しぶりの新潮。「戦う操縦士」(サン=テグジュペリ)、「ドクトル・ジバゴ」(パステルナーク)、「我が思い出と冒険」(コナン・ドイル)を絶版にしているのは、いささか疑問であるが・・・。
ついでに角川の惜しい絶版としては「牡猫ムルの人生観」かな。

百年と一日 柴崎友香
面白いことは面白いがオッサンが読む本ではないかな。
私が読書その他の趣味に求めていることは「遠くに行くこと」らしいが、あまり遠くと感じない。それこそが真の距離なのかも知れないけれど。
題名はガルシア=マルケスにちょっと似ているね。そんな運命の大河みたいな風情は感じられないが。

史記列伝 魏公子列伝 第十七 無忌 野口定男訳
史記列伝も三冊ある。少しずつ読もう。資治通鑑や淮南子もある。いつでも遠い国の遠い時間に行かれることを考えるとちょいと愉快だね。

アルテリ十六号 渡辺京二追悼
熊本で発行されている雑誌。渡辺京二の名に惹かれ、松本のカフェで購入。
怖い人だろうなと思っていたが、怖い人だったようだ。さもなければ、世の中に逆らうような本など書けまい。
こういう方があることは大変ありがたいが、身内にこういう方がないのも大変ありがたい、などと思ってしまう。

最後にして最初の人類、鉄の暴風、アナーキストの銀行家、などなど読まねばならん本が多い。ありがたいことである。

ゲルツェン『過去と思索』全7巻。うーむ長い。頑張るかどうか。でも買っておかないと欲しくなった時には入手難だろうなあ。
https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/8062
なぜかゲルツェンをヴィッサリオン・ベリンスキーと勘違いしていた。まあ、人とこの話をすることがなかったので無問題。
ちなみに、クロポトキン自伝「ある革命家の手記」は岩波文庫中でも屈指の面白さ。冒険活劇の類。

雑誌「東京人」に好きな小川真二郎氏の絵が出ているらしい。が、この「東京人」という書名が恥ずかしくて買えない。
自分が東京人なのか、あるいは、東京人になりたいのか、考え込んでしまう。

●雑感
津軽弁の「指揮棒」が「すけぼー」に聴こえる。たいへん楽しい。
https://www.youtube.com/watch?v=hI-6dcqM5pc
おじいさん・おばあさんに電話をするのも、クレームを入れるのも、全て相手の顔が思い浮かんでニッコリしてしまう。
1985年頃、青森の観光バスに乗り、バスガイドさんが我々に話す事は全て聞き取れた(当たり前)が、バスガイドさんと運転手さんがしている会話は一言も聞き取ることができなかった。そういうのを思い出す。そしてまた、井上ひさし「國語元年」。

一方沖縄語は「沖縄方言で歌ってみた」を愛好。「きたたに」が「ちゃたん」になった解説など、女王様が良い人のように見えるのもなんだか楽しい。

ゴヤ「むしり取られて追い出され」
あまり見覚えのない変わった作品。Wikipediaの記事で紹介されなければ見ることもなかったろう。
ジャック・カロなどの「暗い絵」はあまり日本で紹介されない傾向があるね。社会批評が嫌われるのか、歴史的背景を考慮せずに見られる絵だけが「売れる」のか。さて。

電車の2人がけ座席に3人で座る若者あり。記念写真など撮って楽しそうで良かった。

とある選挙の期日前投票に行ってきました。
きじつ「ぜん」が正しいと最近知りましたが、投票所の係の方も、「まえ」と言ってから「ぜん」と言い直したので、一般的には「まえ」で良いのである(と勝手に納得)。
投票箱は期日前投票全期間を通じて開けないらしく、私は投票3日めの1番乗りでしたが、投票箱が空である確認はしませんでした。時報で投票開始なのは、例によって例のごとし。
投票所からの帰路、街角で投票促進ボランティアを見かけるので、投票済ませた旨お知らせしたところ、なかなか意外にも「ありがとうございました」と言われてしまう。私は返す言葉がでなかったのだけれど、私の方こそ大いに感謝すべきと思い、ペットボトルの水一本進呈させていただきました。

選挙結果はいささか不本意なものでしたが、そもそも私は「らくらく当選しそうな方」に投票したことがなく、「ぎりぎりだが当選してほしい方」に投票したり、批判票として投票することが多いので、そーゆーものと言えば、そーゆーものである。
それでも百万票以上投ぜられた候補者がいるのだから、一位の方の公約だけが守られるだけでなく、他の候補者の公約も重んじて頂きたいものだ。

すわ「6世紀双龍文環頭大刀柄頭」かと思ったが、レプリカとのこと。
https://x.com/fuuraibooo/status/1807959175659659323
でも、楽しかった。わくわくした。十二分に「浪漫」。

Flow my tears - John Dowland - Ensemble Soranza
https://www.youtube.com/watch?v=8rWQHf3A3j8
衣装や演出は少々凝りすぎ。お歌は素敵なのに。
自分が演奏者であるせいか、音響空間(誰がどこで発音し、どこに反響して聴こえているのか)が気になる。それがため、画像と音が空間的に不一致だと大変気持ち悪い。おそらくよく反響する閉鎖的空間で録音しているのに、屋外を歩いている映像がついている場面があるが、こういうのアカン。
ふつうに舞台で歌い、その姿を客席側から撮影して頂ければ良い。

Shores of the Belt
https://www.youtube.com/watch?v=qv1T67-1_N4
Kenti Rahayu Wati さんの曲らしい。インドネシアの方らしい。なかなか好きな曲だが、どこかで聴いたような気もする。とりとめもないところが良いが、それがため、覚えていられないようにも思う。

Symphony for eight - Philip Glass - Cello Octet Amsterdam
https://www.youtube.com/watch?v=DWsp-XG31C4 フィリップ・グラスのチェロ八重奏の曲。格好良い!とっても難しいだろうけれど。

GoYa四重奏団のブラームスを聴きなおす。
https://www.youtube.com/watch?v=_sZFNAd-lMA&t=1002s
全員身長 2m82cm くらいはあるな(誤った直感)。演奏中の私の身長はその1/10くらいだ。もっと大きくものを見なければ!

グルジエフの不思議な、でも懐かしいような音楽
https://www.youtube.com/watch?v=740PhEOdx1M
神秘家とでも言うのだろう。弟子にウスペンスキーがいるが、もちろんチェブラーシカの作者とは別な方。
「聖母昇天祭の」という意味なのだそうだ。

ポーランドの音楽大学オーケストラ(私の中でシリーズ)
https://www.youtube.com/watch?v=BPRBLL_iLVA
Penderecki Academy of Music Orchestra
以前聴いたシマノフスキよりも楽団として「引き締まった」音がする。学生さんだけではないのかな?おそらくは。
どの奏者もオーケストラとしての奏法に自信をもって弾いているように見える。
で、〆はスターウォーズ第1作の「王座の間とエンド・タイトル」。この曲は本当に管弦楽曲として一般化した。欧州歌劇・管弦楽表現の正統的な末裔なんだね。

旧海軍に「鳴海」なる砲艦があったとのこと。まったく知らなかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B4%E6%B5%B7_(%E7%A0%B2%E8%89%A6)
元鳴海町民としてはなんだか嬉しい(隣町有松との対抗意識?)。

スタートレック:ローワー・デッキって、面白そう。
でも、ロワー・デッキって、「下層階」ではなく「下層甲板」くらいが良いのでは?軍艦なんだから。
たとえば、下記のは、「lower gun deck」だけどね。
https://sakhalianet.x10.mx/shippictures/image_viewer.php?url=&img=art_anatomy_of_the_ship_of_the_line/three_deck_ship_of_the_line_mid_18th_century.jpg
ふと思いついて、映画「タイタニック」の解説等を見ると、「下層デッキ」と言っている。「甲板」より「デッキ」の方が一般的な語なのね。現代。何かゲームの影響のような気もする。。。

関水金属の蒸気機関車製品化はすべて動態保存機なのね。まあ、営業上当然でもあろうけれど。C11は大井川、東武、北海道など。C12は真岡、C56は西日本、8620は九州などなど。一時代を代表し、両数も多かったC51やD50が製品化されることはないのだろうなあ。

もうすぐパリ五輪。
山下泰裕会長はJOC会長ながら、頸椎損傷のため公式の場に現れることができない。
公式の場に現れなくても「会長」職が務まるのは不思議ね。また、優れた柔道選手だった方が、首の怪我というのも(陰謀論的には)物凄い暗殺者にヤラれた感があるっす。もう少し深刻に考えると、自死されようとしたのか、とも思える。
まあ、JOC自体が「闇の組織」みたいなところと感じてしまうし、そこに巻き込まれて身動きもならない元運動選手というのも悲劇(場合によっては喜劇だが、ほとんどの場合悲劇)である。。。スポーツの方々セカンドキャリアはよくよく考えられよ。
(同じようなことお前にも書いているね)。

「テレスコ式」
テレスコピック式の略。海賊船長が使っている「望遠鏡」のように伸縮式ということだろう。
だが、「てれすこ」と略すと、落語の演目みたいだね。
落語では、「てれすこ」に対し、「すてれんきょう」ということになるが、実はこれらが「テレスコープ」と「ステーレン(星々)鏡」に対応する意味のあるオランダ語であるらしい。もちろん、海の生き物ではないよ。
これは福島第一発電所の放射性物質デブリの取り出しに関して見かけた語。もちろん巫山戯ているのではないが、落語と・・・。

スラブ語系4言語の共通と相違
https://www.youtube.com/watch?v=YpRHf9nQkts
似てはいるけど、時々違う。ともあれ、「ナイフ」のような具体的でおそらくは近隣で同じような道具を指す場合と、「Air」のように、そもそも何を指しているかが曖昧なものもあるなど、似そうなものとそうでなさそうなものがそもそもあるなあ、と思ったり。それも含めて面白い動画であった。

信頼獲得プロセス ~若い教授のベストプラクティス~
http://stanfordmba.blog108.fc2.com/blog-entry-85.html
「人は心を100%解放した時こそ、最も個性を輝かせる」という名言が忘れられず、何度か検索したが、近年の検索エンジン劣化のため探し出すことができなかった。なんとか見つけたので、ここで記録。
しかし、Googleの劣化は公害レベル。MS-Bingもなかなか酷いが、サイト指定検索が効く部分だけはMSが少しだけマシ。

私が学問に目覚めた時 法学部教授・蒲島郁夫
https://park.itc.u-tokyo.ac.jp/agc/news/31/hougaku.html
こちらも最近の検索エンジンでは出てこない貴重な証言。この方は「くまモン」の上司であったというが、それ以上に知られるべき方。退職時、くまモンが転ぶまで走って追ったというのも宜なるかな。

誠実で怜悧そうな乙女の残像 私たちは20世紀に生まれた
https://numabe.exblog.jp/242177634/
昔のネットは、こういう落ち着いた記事、広告のない記事、賢い方の書いた記事を読むものだった。どちらかと言うと読書ができる人間、文章を書くことができる人間の場所であった。それらもまた今は昔になってしまった。
ここで紹介されている尾崎喜八の「冠着」は素晴らしい。私も自分の好む書を読んでいる方には大いなる親近感を覚える。そしてまた、旅の途上であればなおのこと。
http://www.ozaki.mann1952.com/bun/aoienpou.html

某書店で「もらったプチトマトのおいしさ」を語る店員さんが居られた。他の店員さんにお勧めしたりして楽しそう。何か、よく書かれた戯曲を演じているかのようでもあった。
で、ご本人らに、その楽しさをお伝えしたところ、私もプチトマトを頂いてしまった。とても美味しかった。ごちそうさま。
どのお店か書くとご迷惑な気がするので、それは秘匿。

ドビュッシー: 歌劇「ペレアスとメリザンド」(1963年3月12日 シャンゼリゼ劇場ステレオ・ライヴ)
https://tower.jp/item/6292141/
とても興味深いが、誤字がちょっと格好悪い。
 誤:そして、<ペレアス>を演奏する幼帝を次のように語ります。
 正:そして、<ペレアス>を演奏する要諦を次のように語ります。
聴いてはみたいが、お値段も高く、SACDの再生環境は手元にないので、止めておこう。

ドイツ文学者高橋健二の戦中と戦後について少し読む。
https://numabe.exblog.jp/240330393/
https://core.ac.uk/download/pdf/236039139.pdf
後者には「知の変動」なる言葉が出てくる。ふと、昔読んだ東京大学編「知の技法」を思い出す。あれは、私には詰まらない書物だった。知の暴力性に対し無批判・無反省であったからだと記憶する。調べると、三部作で、1.技法、2.論理、3.モラル、となっている。これらを読むと、私のつまらなさは払拭されるのかも知れぬ。が、もいちど読む気にはならんなあ。(出発点からは完全に脱線)
ともあれ、昨今の営業批評家の類も、無批判無反省に適当な営業的言辞を弄しているなあ、と思ったりする。

大阪に梅田駅が複数ある問題に対し、一時は、九州にも梅田駅があったとのこと。
1915年(大正3年)から1943年(昭和18年)。小倉鉄道梅田駅が戦時買収されるまで。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BB%BB%E9%A7%85

原作改変問題に関連して。
テレビ版サザエさんで、冷蔵庫が白色から緑色にかわった時、出資者が東芝だからかな、と思った。
昔は「しろもの家電」と言っていたが、バブル期頃から他の色の冷蔵庫も売られるようになった。サザエさんの事例も同様の時期だったと思う。
電話はいつまでも黒電話であるようだが。

定年退職まで指折り数えるほど。子らも成人、親は物故。定年再雇用で汲々とするのは性に合わないが、突然生活を変えるのもよろしくないだろうから、許されるなら週に3日ばかり働くようにしてみようか。もしかすると、急に勤労意欲が湧く可能性も皆無ではないだろう。それはその時考えよう。でも、全日を労働に捧げる気持ちにはなれない。楽隠居としてやりたいことをゴソゴソ始めるのが良いだろう。さほどの「やりたいこと」もないのだけれど。

昔のブログ記事を読み直すと、何度も書いているネタがある。記憶力の減退が少々悲しいが、既に二十年近く書いているブログである以上、仕方がないであろう。気にしないことにする。

NHKで立川談志の「化け物屋敷」を見る。
私は談志は好きでなかった。理屈屋で捻て繊細で。私が落語に求めるのは、もっと下らなくてバカバカしくて大らかで突拍子もなく野放図なものだ。
でも、こうやって見なおすと、当たり前だが談志は良い。
円楽が借金して建てたことで有名な「若竹」で演じているのだが、なんのかんのと若竹や円楽を引き合いに出す。
それもクサしているようで、決してそうではない。談志って優しい男なんだな、談志って良い男だな、と思う。だが、あまりに繊細でその優しさがまっすぐに出ないから捻てしまう。
だから、私は談志には好きなところが一杯あるし、いい男だと思いつつ、ちょっと距離を置きたくなるのである。
(談志の捻ているところだけ真似ている弟子がいるが、この男は繊細でもなく優しさもないので救いようがない、と感じる。おそらくは、田中啓文の小説で描かれる笑酔亭梅雨のような男であろう)。

笑福亭松鶴 後引酒。動画を見る。本当に酔っているように見えるが、もちろん芸。虚実皮膜である。楽しい。

昼下がりにテレビで放映しているB級映画「ROHNIN」を録画して見てしまった。
高速でわかりやすい映画。昼下がりダラダラしながら見るには最高(見たのは昼下がりではないけれど)。
奪い合っている「ケース」の中身がまったく明かされないなど、いくつかご都合主義だが、そんなことが問題になる映画でもない。

ルービック・キューブは3次元上の正6面体で1面を3×3に分割。N次元上の正M面体をP×Pに分割したキューブで同じような遊びができるだろうか。以前、Excel上にルービック・キューブを実装しようとしたことがある。平面に投影すればこのように何次元であっても問題ないはずだ・・・が、N次元上の「回転」が直感的には理解できない。

スペイン放送協会による El Quijote ドン・キホーテの連続ドラマ。
https://www.youtube.com/watch?v=VZ1geIOE5T8
スペインの乾燥した風景が懐かしい。原作が読みたくなった。
この映像を見ていると、ドン・キホーテの憧れる「騎士道時代」とドン・キホーテが現実に生きる「現代」の違いが私にはよくわからない。おそらく、江戸と室町のように、「どちらも自分にとっては遠い昔」でしかないからだろう。そしてまた、騎士道時代の錯誤とドン・キホーテの現代の錯誤が異なるようにも見えない。だが、よくよく考えると、それは、江戸の錯誤、明治以降の錯誤、戦後から現代までの錯誤もまた異ならないのだろう。

遠い昔に読んだはずのドン・キホーテ原作。なかなかに読みにくかった記憶がある。饒舌すぎるというかなんというか。この映像を眺めつつ読むとより楽しく読めそうに思う。そして、ティラン・ロブラン(岩波文庫)も買っておかねば。さらに、読みかけで放り出している「ラ・セレスティーナ」もまた。

スェーデン放送のネットラジオで、シマノフスキの演奏会用序曲を耳にする。R.シュトラウスみたいな格好良い序曲 もっと演奏されて良いように思うが。・・・クラシック界によくある話としては、著作権が切れ、楽譜の入手が容易になって、初めて取り上げられるというもの(データがあるわけではないので、そーゆー気がするレベルだが)。

みわぞうsings三文オペラ
https://www.youtube.com/watch?v=Fo60tncK2Gw
私がクルト・ワイルに求める、フガフガして定かならぬ音作りがされていて嬉しい。

White Voice 東欧の伝統的歌唱法。
https://www.youtube.com/watch?v=wLntE4v6VNo
https://en.wikipedia.org/wiki/White_voice
https://www.youtube.com/watch?v=Vc54taQsLxA
オペラ的な、いわゆる「ベル・カント」と対照的な歌唱法(であるように私は感じている)。
私はベル・カントには軽やかさを、ホワイト・ヴォイスには力強さを感じるが、単純にそうとは言い切れないそれぞれに複雑な味わいを感じる。で、私は(たいへん幸せなことに)どっちも好きなのよ。(他の歌唱法も)。
なお、youtubeのチャンネルは、スラブの共通性を強調し、ロシアを「スラブ国家」としているようだが、シベリアをスラブにしてしまうのはどうかと思うのと、ウクライナからあれほど厭われてなおロシアをスラブの盟主と思うのは勘違いも甚だしいと思う。

チェコの喜劇ドラマ。ちょっと見ている時間がないのでメモ。
https://www.youtube.com/watch?v=3u_UvebAF-c&list=PLoTYYc0WPf5BXxE-rdidj_vFhAJG7OAtI

ベートーヴェン Op.131 自分が弾くための参考資料として: ボロメオSQ 色々なアイデアがあって参考になる。アジア人率が高い。
https://www.youtube.com/watch?v=stbnbu0aPGI
電子譜面なのね。

東京都美術館でデ・キリコ展を見る。
有名なマヌカンの絵以外にも、初期作品や舞台芸術などもある。
遠近法が狂っているのは有名だが、平行で一点に消失するはずの床材がいい加減に描かれていたり、人物像の骨格が歪んでいたり、手抜きな顔だったり(剣闘士達の戦い)、遠景か近景か判らなかったり(Bagnante coricataの背景の海など)、色調も「赤」なら「赤」で押し通すなど、どれも仕事が「丁寧でない」ように見える。絵葉書や教科書などの印刷媒体で適度に劣化させると、割と見やすいのだが、実物はとても「荒っぽい」。
この人は、絵を描くのが好きではなかったのではないか、特にふつうの絵かきが喜んで描く「顔」とか「模様」とか「色彩」などを憎んでいたのではないか、と思ったりもした。
初期の自画像もふつうに写実的だが、衣服の模様はごにゃごにゃさせているだけであり、色調も荒っぽいので、そう思った。
そして細かく描くのが嫌さに、あの平板な顔「マヌカン」に至ったのではないか・・・と。
(素人の愚論としてお読み流し下さい。もちっと考えてみます)。

PERCY FAITH - A SUMMER PLACE ALBUM などを聴く。母が好きであったろう映画音楽、という感じ。
懐かしくも優雅だ。おそらくは、若き日の母にとって、米国映画は憧れの象徴であり、明るい未来への希望でもあったのだろう。
私は思う、当時の米国の最大の輸出物は「自由」と「希望」であった、と。
今なお、諸外国の優秀な留学生・移民を惹きつけるのは、これらではないのか。これらを投げ出す米国には亡国しかないのではないか。

アドルフ・ホフマイステル Adolf Hoffmeister(1902~1973)
https://en.wikipedia.org/wiki/Adolf_Hoffmeister
チェコの画家。チャペックのカリカチュアで馴染んでいたが、Wikipediaにある多彩な作品を見ると様々な技法・画風のいずれも卓越していると感じる。上手い。
illustration Made in Japan, 1958 だけは、現実の日本とあまりにも関係ないけれど。でも、この絵の幻想性には惹かれるね!

Giuseppina (1959)
https://www.youtube.com/watch?v=EIbQSLI6FjE
英国石油が出資した短編映画らしい。なかなかというより非常に良かった。ガソリンスタンドに現れる各国人の様相、そして最後のお客。
主人公父娘が(そして母と赤子も)素敵。1961年のアカデミー賞をとっているのも宜なるかな。

ネットの天気予報サイトを眺めていたら、過去に検索した地域の天気が小さく表示されているのに気づく。
新十津川町、中札内村、士別市。行ったのは昨年3月。どの町も雪の中だった(中札内では地面が見えていたけれど)。懐かしい。

CD店で、バッハの宗教曲について店員さんに解説してもらっている人がいた。 ガーディナーのマタイ受難曲を聴いたが次は異なる演奏を聴きたいということだった。お店の物知り店員さんは、いくつかの指揮者を挙げた上で、カール・リヒターを薦めていた。そして、さらに重い方が良ければクレンペラーを、軽い方がよければヘレヴェッヘを、と言っていたようだ。 なかなかに我が意を得たりの感がある。私がこれらのマタイを全て聴いているわけではないけれど、なんとなう話について行かれるのは、年の功であろう。
一方、ショパンのピアノ三重奏のヴィオラ・チェロ・ピアノ版をBGMにかけつつ「地味だ」と宣う方もあり。私はヴィオラが実にいい音で感心しましたが。

己の書いた過去のブログを読み返していてモンサラットをモンラサット誤っていたことに気づく。
モンサラットは、モン・セラート「星の山」と音韻が似ている。スペインの修道院にそんなのがあったっけ。

「酒田戦争」なる言葉を知る。
住友化学対住友金属。結局住友金属が酒田に無理やり作った住軽アルミニウム工業はオイルショックもあり5年で解散。
そう言えば、鳴海には住友金属系の社宅があり、ここのご一家で酒田に転勤になったお父さんがいた記憶がある。
今にして思うと、酒田戦争関係だったのね。

島根朋史氏の無伴奏チェロ組曲全曲演奏会に行く。
一日で全曲弾くのも困難だと思うが、さらに無伴奏フルート・パルティータ(トレブル・ガンバによる)を入れ、アンコールに無伴奏ヴァイオリン・ソナタの第2番からアンダンテを弾くという偉業。
にこやかに高ぶらず、種々の説明を行ないながら、美しい音で演奏を積み上げる。唖然とする他ない。
一番印象に残ったのは第五番。サラバンドを中心に前後の対称性があることを活かした盛り上げがたいへん楽しかった。

我々の世代は、「クラシック音楽」の最初の者であるかのようにバッハを考え、バッハ・ベートーヴェン・ブラームスくらいの視野でバッハを考えたりするあ、この方はヴィオラ・ダ・ガンバも達者であるし、バロック・古典派の豊かな世界でのバッハを見ているように思われる。
このこと自体は、師匠筋であるビルスマや鈴木秀美が切り開いてきたことであろうけれど、理屈を踏まえつつもそれを超えた豊かな実りとして提示されることの凄さよ。

良い方の演奏を聴くことができる良い時期に生きられるありがたさよ。

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