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読書の記録(2024年9月)

二十六人の男と一人の女 ゴーリキー 中村唯史
短編集。掲題もまことにロシア小説らしい社会的対比と幕切れ。「女」も良かった。
ロシアも国家としては尊敬できないが、国民は・・・。まあどの国でも同じといえば同じなのが悲しい。

佐多稲子短編集
冒頭にある小説などは少々読みにくかった。この時代に書かれたものは現代人にはいささかひっかかるものがある。昭和半ば生まれの私がそう思うのだから、より若い人には更にそうかも知れない(あるいは新鮮で魅力的かも知れない)。
「虚偽」は良かった。この時・この人にしか書けないものだと思う。
ここでも「宇品」からの出港がさらりと出てくる。「暁の宇品」の重要性を思う。

新アラビア夜話
最初の二話を読む。まあまあ面白いが、物凄く面白いというほどではない。
イギリス人の書く小説という感じ。

バーナム博物館
最初の二話を読む。まあまあ面白いが、。物凄く面白いというほどではない。
アメリカ人の書く小説という感じ。

女の園の星
凄い漫画。
だが、この漫画も凄いが、漫画中に出てくる漫画「エターナル カオル」(いや、エタ〜ナル カオルかも)。これが凄い。しりあがり寿先生を彷彿とさせる展開。こうして二重の漫画を描ける和山やま先生の才能は凄い。

部落の女医 小林綾
冷静な観察の記録であって、感想を書きにくい。
また、ご本人の経歴も戦後の変動に大きく影響を受けたのだなあ、と思わするものである。
文化人類学の参与観察に似ている。

鉄道模型趣味 1973-1975
古書として購入。私が鉄道模型を始めた頃の入門書といえば、保育社の「鉄道模型」(山崎喜陽著)であるが、この「鉄道模型」に写真が掲載されているレイアウト作品の多くが、今回入手した鉄道模型趣味誌に掲載されている。まあ、「鉄道模型」の執筆年を考えれば当たり前であるのだが。
ともあれ、今まで「鉄道模型」の写真一枚でしか見たことがない作品を、記事として読むことができ、さらにまとまった数の写真で見られるのは喜ばしい限りである。
「剣山鉄道」が「つるぎやまてつどう」であるとは初めて知った。これまで45年間「けんざんてつどう」だと思っていた。
また、この当時すでにNゲージで架線集電レイアウトがあったのも驚き。

これら剣山鉄道、河内鉄道、武蔵野鉄道は、私が子供の頃の「憧れの模型鉄道」である(もっとたくさんあるけれど)。

唐宋伝奇集
読了。読了を誇るような本ではないけれど。短編で役人が耳にしたうわさ話っぽいのが多いので、すずろに読むには良いが、それ以上のものではなかろう。不足する部分を補いたいと思うと二次創作に走る。芥川龍之介然り、中島敦然り。

史記 列伝
少しずつ読んでいます。資治通鑑も読まねばなのだが。

歌集 点の記 平林 静代
長い間知るような知らないような方の歌を拝読するのは特別なものだ。

オリヴァー・サックスの「音楽嗜好症」もちらと見た。「音楽の立体性」について(私が思っているのとは異なる形で)言及があった。真面目に読もうと思う(などと虚言を弄して幾星霜)。

覚え書(買いたい近刊):
 すべての月、すべての年 ――ルシア・ベルリン作品集 講談社文庫 2024/9/13
 クイックオバケの動かない漫画 クイックオバケ 2024/9/25
 女ひとり、インドのヒマラヤでバイクに乗る。 里中はるか 2024/9/26 無事購入!
 写本で楽しむ奇妙な中世ヨーロッパ: 写本が教えてくれる 2024/9/27
 ごはんが楽しみ 井田千秋 2024/10/7
 線路沿い街歩き 小川真二郎作品集 小川真二郎 2024/10/11
 エティオピア物語 岩波文庫 2024/10/16
 Y字路はなぜ生まれるのか? 重永瞬 2024/10/25
 牡猫ムルの人生観 E・T・A・ホフマン 酒寄進一 東京創元社 2024/11/29
 ネコのムル君の人生観 E・T・A・ホフマン 鈴木芳子 光文社古典新訳文庫 2024/9/11

ホフマンの「牡猫ムル」は好みの作品だが、全ての訳を揃えるか悩ましい。角川の石丸静雄訳で特に不満はないのだよね。
ともあれ、長年題名については「牡猫ムルの人生観」が定着しているところに、「ネコのムル君」とはぶちかましたね。こういう訳を作りたい気持ちも判るが、こういう「柔らかい」言葉は古びやすいようにも思う。また、「ネコのムル君」に対し「人生観」と固く受けるのが良いのか。「ネコのムル君人生を語る」くらいが良いのではないか?(訳文を読んでいないので、無責任な提案)。
ルシア・ベルリンは「掃除婦のための手引き書」を読んで、初めの方はあまり気に入らなかったが、読み進むうちに興に乗って来て楽しめた。こちらも読んでみたい。

●雑感

朝日新聞購読中止まであと4ヶ月。
我が家ではどうやら関東大震災前から購読していたらしいが、下らない新聞に成り下がり、年間六万円もの大枚を費やすに足らないので、止めることにした。一番良くないのは、読者を馬鹿にしてせせら笑っていること。庶民の意地としては批判などという面倒な親切ごかしをせずに購読を止めることだろう。
本当は8月末に止めたかったが、販売店にゴネられたので、仕方なく12月末を待っている。でも、次にヤラカシたら我慢できないだろうなあ。

東京駅ー茨城空港間のバス料金、コロナ前は500円(茨城県が補助)だったのに、今や1650円。まあそれが普通の価格だろう。だが、残念。

韓国映画「還魂」に出ている女優コ・ユンジョン (韓国語: 고윤정)さん。たいへん素敵。
日本映画「地獄の花園」に出ている女優永野芽郁さん。大変な演技力。細っちくてとてもケンカをなさるように見えないが、目つきやら、あるいは、ケンカのあとによろよろと歩くお姿が本当にそれらしい。こういう、破天荒でコミカルながら嫌味なく演技できるのが役者の役者たる所以であろうか。
他の女優の皆さんもそれぞれ活き活きと「ヤンキーOL」を演じて居られるように見る。

鉄道車両の車輪が急曲線で鳴るのは、フランジがこすられる音ではないとのこと。
https://dda40x.blog.jp/archives/2006-10.html
世の中知らないことが多すぎる。まあ、知らなくても困りはしないのだが。
この方は、非常に工学的に・芸術的に模型趣味をされている。(機芸というのはこういうことを目指しているのかも知れぬ)。
もちろん、趣味はさまざまで、私のようにだらけて自分では何もしないが、こういう文章を読むのは好き、という行き方も許されて良いとは思っている。が、少々居住まいを正さねば、とも思う。
「奈良時代の仏像もロストワックスでできている」なんてのも面白かった。

エタ・ハーリヒ=シュナイダー 偶然見かけた。全く知らなかった。 https://numabe.exblog.jp/23462350/
ローゼンシュトック回想録には、軽井沢で蟄居していた時分のことが語られる。戦中の西洋人音楽家のことはそれくらいしか知らなかった。

https://www.youtube.com/watch?v=oNLDJp83YAQ

Twitter (X) で「性欲が馬並み」というフォロワーが続けてつく。
呆れて全てブロックするのだが、どいつもこいつも「馬」なのが気に入らない。
もっといろいろな生物について興味を持たないような輩に、私は興味が持てない。
もちろん実在だけでなく、想像上の動物でもよい。棘皮動物やケートス、臘虎膃肭獣などを挙げられないようでは大したことはない。
いずれにせよ、言語能力の低さにがつかりする。

ドゥダメルのマーラー。なかなか良い。
https://www.youtube.com/watch?v=htGOqQDS4ug
鋭角的で、対位法的で。歌うところをもっと歌って欲しいけれど。この基盤の上で、破滅的な歌謡性があれば。。。
近年のきれいなマーラーに飽きたらない私には、こういうのが良い。
ただし、この映像のカメラワークは最低。観光客がスマホを振り回したみたい。

『坂道のアポロン』──聴こえないはずの音楽を鳴らす
https://artsandculture.google.com/story/AQXRA-bzXIFHJA
作者小玉ユキさんのインタビュー。演奏に熱中すると擬音語が消える、というのがなかなか良い。自分が楽器弾きとして思うのは、音が聞こえているうちは、演奏に熱中しているとは言えず、音楽そのものの中に入り込んでいると、音と自分が不可分であって「聞こえてくる」という感覚ではないということだ。

昔、海べりのある町で、鰯を買った。ひと箱(おそらく五十匹くらい)二百円だった。
鰯の手開きは母から教わっていたが、久しぶりだったので、最初は不調。
で、きれいに出来たのは酢洗のお刺し身。崩れたのは葱生姜と混ぜて「つみれ」にして味噌汁に。中くらいのは蒲焼に。
また、鰯を食べたいものだ。
人様が作って下さるなら、梅肉を巻き込んだ天ぷらを食べたいな。

私の長年の経験から言って、
『「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えないのは人間ではない』。
こういう人間とは是非にも距離を置くべきだ。
某県知事がまさにこれだろうし、彼奴の属する某政党の輩は皆これだ。

LibreOfficeを使うと、古いアップルワークスのファイル(拡張子cwk)を開くことができる。
これは大変ありがたい事だが、日本語が時々文字化けする。
「時々」というのが中々曲者だ。
同じ文字が同じように化けるわけでもない。コンピューターを使っていてこのような傾向性のない誤りが生じたのを見たことがない。そしてまた、テストをするのも中々大変そうだ(アップルワークスが動く環境があることはあるけれど・・・)。
昔、職場の先輩が「全てのデータはテキストファイルにせよ」と叫んでいた正当性が三十年後に証された。

神奈川県警のキャラクターが崎陽軒と合従と聞く。
かなピーポ君?
となると、うれピーポ君、うまピーポ君がもれなくついてくる?

ご近所のご老人から「仙川の山水中学校」について伺う。
軍関係学校のひとつだったとか。桐朋学園の前身であるが、あまり耳にしないと思った。調べると1940年開校であって、軍関係で目立った卒業生がいなかったからだろう。Wikipediaによれば『「山」は陸、「水」は海を意味しており、当時は転勤の多い陸海軍の子弟の教育を目的とする学校であった。』とのこと。

Wikipediaの誤字『浮沈艦を誇った「武蔵」』は『不沈艦』だろう。

弦楽四重奏団の写真で印象が強いのはカペー四重奏団(Quatour Capet)。
ファーストヴァイオリンが落ち込んでいるのを、皆が心配しているように見える図像。
http://salondesocrates.com/capet/capet_photo3.jpg
実際には、私の理解が誤っているのだろうけれど。

英国の作曲家 Howard Blake による A MONTH IN THE COUNTRY もなかなか格好良い。
https://www.youtube.com/watch?v=FtK5JJ3D-8w (組曲より行進曲)
譜面もネットで買える。
https://www.howardblake.com/music/Film-TV-Scores/608/A-MONTH-IN-THE-COUNTRY.htm
が、「ひと月の夏」の映画や小説を知らんとつまらん。

この方、「スノーマン」の音楽が有名かも。
https://www.youtube.com/watch?v=f0CLyDPY_U0
なんでこなな憂鬱な音楽をつけるんじゃ。

品川の「日本音楽高等学校」は昨年「品川学藝高等学校」になったとか。
新幹線で上京してくると、列車の速度が落ち、線路は右に左に曲がりくねり、車掌さんの車内放送からも何がしか安堵の調子が聞き取れる。 そんな時、この学校の大きな文字の看板が見えてくる。
私にとってある種「東京」そのものだった。

品川近辺の地図を眺めていると、「光学通り」「ジャーマン通り」「ゼームス坂通り」など、なかなか興味深い通りの名が連なっている。
杉並にある「岩通通り」もなかなか良かったが、これらの通りも覗いてみたいものだ。

セクタープレート
ターンテーブル(転車台)とトラバーサー(遷車台)の中間。
Fallerが模型を売っているが、ターンテーブルという名前のようだ。前方後円墳っぽい堀がちょいと愛嬌があるね。
実物にも存在するようだが、なんとなう帯に短し襷に流しの趣があるように感じる(だから、例が少ない)。
https://www.osbornsmodels.com/faller-120275-segment-turntable-3-way-kit-with-servo-ii-39402-p.asp
http://www.belfieldhall.co.uk/belfield/ngr/belfieldquay_01.html

低温ハンダを買ってやれ、と思って amazon を覗くと、錫・鉛合金であるふつうのハンダの中で、比較的低融点のものを低温ハンダと言って売っている。ビミョー。蒼鉛などを入れて、ハンダより融点を低くしたものを「低温ハンダ」と言っている・・・と思っていたので。
融点が100℃以下の金属って、ちょっと興味深い。これで作った器にお湯を入れて・・・という犯罪(ミステリ)を考えるが、低融点の金属は普通柔らかいので、なんとなく気づく気がする。まあ、そういう事に興味がない人間も多いのであろうけれど。

飯田線沿線をGoogleMapで眺めるのが趣味。
田切駅の近くに井上井月の句碑を発見。井月に興味があったので、なかなかうれしい。
池田邦彦氏の作品「カレチ」に田切駅らしい描写があったように記憶する。
(皆が好きな田切駅である。)

映画 Kelly's Heroes (邦題は「戦略大作戦」だが、そんな内容ではない)に、AEG製凸型電機機関車らしいのが少し映る。
シャーマン戦車の 75mm 砲の餌食になったと思われるのが悲しい。。。
(これらを作ったり壊したりするほどの予算をかけた映画とも思えず、まあ有りものが偶写っただけで壊してもいないとは思いますが)。

La Music Collana(10周年記念演奏会)
本当に若いのに達者で活き活きして素晴らしい音楽。
オーボエが「2本」というのが非常に楽しかった。
音質も歌い口も同じようで違い、違うようで同じ。
こーゆー音楽をして欲しくて作曲家は同一楽器2本で書いたのだなあ、と。
「2本」のための音楽。良い。

チェンバロ、オルガン、ハープ、ギター、テオルボ、ヴィオローネ、チェロと、豪華な通奏低音が印象的。
緩徐楽章と速い楽章での使い分けもあり、また、ハープの方がいないと思いきや鍵盤楽器2名体制だったり。
特にギターのジャカジャカが格好良い。
(諸般の事情により低音部に耳が行きがち)。

ふだん一人で低音を弾いているので、今回の豪華な通奏低音陣を見ていると、「良好な職場環境」という言葉が浮かんでしまう。
「全員がそれぞれの個性を活かして大活躍する職場です」なんて。
私がベートーヴェンの四重奏を無理やり弾いている時、誰か助っ人がいたらなあ(それはそれで困る)。
ちなみに私が「最低の労働環境」と思うのはウルトラマン(ら)。死にそうになるまで上司は助けに来ない。宇宙には労働基準監督署は・・・(以下略)。

CD「Fioritura」を買う。
このところ追いかけている La Music Collana の記念盤。
ヴィヴァルディの協奏曲なんて「四季」以外に知っている曲あったっけ。と思いきや。音の出始めで驚く。そういやこの曲・・・。
「鈴木鎮一チェロ指導曲集」に入っていた。私が如き野良奏者は冒頭どう弾くべきなのか、全然わからずたいへん困ったものだった。
「納得のいく演奏方法が思い当たらない」のである。まあ、紆余曲折はあるにせよ大人になったから、「こうやって弾くよなあ」とも「いい曲のいい演奏だなあ」とも思うのである。
(他に「どう弾くべきか全然わからないで困った曲」と言えば、ニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」やレスピーギの「古代舞曲とアリア」の「パッサカリア」等がそうだ)。

すごく爽やかで晴れやかな演奏で、日曜の昼下がり、好みのお茶とともに楽しむのも良い。
だがしかし、これは委曲を尽くした演奏でもあって、スコア片手に演奏の妙を解剖するのも楽しそうだ。

RV417の3楽章なんかすごく良い!ヴァイオリン協奏曲だっけ、と思いきや、熱いチェロが飛び込んでくる。
して、このチェロ奏者の弓使いがニュアンスに富んでいて惹きつけられる。スピード感のあるキレのある演奏も素敵だが、一方で遅い部分で、気を持たせるような表現が非常にうまい(こういう方は異性を口説くのもウマいのではないか、と私の邪念が申す)。
で、この楽章の次に、安らかなシンフォニアが来るのも素敵。

お気持ちだけの音楽も詰まらないが、頭で考えただけの音楽も詰まらない。情意を尽くしつつ、それを超える何かがある演奏だけが繰り返し聴かれる。そしてその「超え方」にも色々あって、これまでの我々は熱誠の故を以て由とすることが多かったように思う(「爆演」のようなのもある種超え方の一つなのかも知れぬ)。その中にあって、自然であること、たおやかであることに価値を見出されているように見受けられる。まこと貴重である。
そう言えば、私の師匠杉浦薫が言っていた「道端にいる猫を見て、『かわいい』と思う、そういう気持ちが音楽にならなければおかしい」という言葉にも通じるように思う。

こんにゃく座「リア王」
自分、ブリテン王でなくって良かった。ウチのカミさんが鈴木茜さんでなくて良かった。「悪女と書いて『ワル』と読む」。鈴木さんがこんな悪い女(ひと)だったなんて。。。と言う恐ろしくも楽しい劇。道化の二人がまた良かった。彼らが出てくるとその雰囲気に完全に切り替わる。でも、悪女も善女も皆そんなことになってしまうなんて。シェークスピアひどい!
も少し違うことを述べるならば、老いにつれて愚かさの勝るリア王、ちょいとした地位にあってウヌボレている私の姿でもあろう。そしてまた、今の世の日本の権力者どもも同様。耳に快い言葉に取り憑かれぬよう気をつけよう気をつけよう気をつけよう。
一点、衣装はなんとなう中途半端でわかりにくかった。衣装が良いとオペラに集中できるが、中途半端であると、そこにメッセージを読み取ろうとして余計なことを考えてしまう。

弦楽六重奏について少し調べる。 もちろんブラームスの2曲が有名。浄夜、バッハの6声のリチェルカーレ、R.シュトラウス「カプリチオ」くらいが普通のレパートリーか。
ベートーヴェンの田園交響曲の六重奏番を見つけた。物凄く室内楽的という音楽ではないが、楽しそうではある。(そもそも6重奏に室内楽を求めるか問題。逆に室内楽的な交響曲もあるのだが。。。)まだ全部聴いていないが、「嵐」はVcふたりで5連符と4連符を分け合うのだろうか。
後は、バスを入れてR.シュトラウスの「メタモルフォーゼン」?

「下持ち協会」でふたたびヴィオラ・ダ・ガンバ体験をさせて頂く。
ガンバは、初めての人が弾いても不快な音が出にくい気がする。基本的に和する音が出るから、アンサンブルをすると、一本ずつが聞こえ、しかも和するように感じる。
一方、ヴァイオリン属はゴツい音を出せるから、後期ロマン派に展開し、さらにスター・ウォーズなどの映画音楽に繋がったのだろう。
(どっちが良いとか言う問題ではまったくない。どちらも愉しめば良い)。

カバヤ児童文庫が岡山県立図書館で公開されている。
アルセーヌ・ルパン(原典)ファンは、
 23少年探偵トルレ
 24少年探偵トルレの追跡
(特に後者)をお読みになると楽しいのではないか?
https://digioka.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/kabaya/bunko/index.htm

元々上で創ったが、いつのまにか下で思い出していた。まあ、決めないで両方残すのが、野良うた詠みである私らしかろう。
 亡き友を思へ只佳き酒を注げ涙はいつか枯れ果てるとも
 亡き友を偲べただ佳き酒を注げたとへ涙は枯れ果てるとも

發瓜(一文字)、胡瓜(一文字)の二文字で「からすうり」だとか。
癸瓜の間違いとも。
烏瓜愛好家としては瞠目せざるべからず。

雑誌「蒸気機関車EX Vol.58」の目次を見た。「えっ、空母の空母の飛行甲板に蒸機?」
「空母の」はひとつで良いのだろうなあ。きっと。
タワーレコードのアンゲルブレシュトのCDは相変わらず「要諦」とすべきを「幼帝」となっている。悲しい。

スラブ語の共通性についての動画
https://www.youtube.com/watch?v=Av6bVGFRme8
犬を「ペス」というそうだが、そういう名付けを見たことがある気がする(サザエさんだったか?)。
英人が犬に「カメ、カメ come, come」と言うので、犬の名を「亀」だと思ったというのと同じか?(違うだろうけれど)。
川は「Rzeka」。RとZと続くのは、ドボルジャークもそうだよねと思うが、さて。
これって漢語圏でも成り立つ遊びなのだろうか。

月末に風邪を引いた。夏のお疲れ、演奏会のお疲れが出たのだろう(公式見解)。また、マスクをしないで夜の電車に乗ったのも悪かろう。これからも気をつけよう。なお、病院での診断結果として、コロナでなく・インフルエンザではない、とされている(えっへん)。

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ある演奏会のための3つの雑文

 先日の演奏会のパンフレットに空きページが出来たので、雑文を書くことにした。
 思えば中学生だった頃、生徒会新聞の埋め草担当だった。「30分以内に120字。内容不問」といった命令を受けて実装していたことを思い出した。
 当時と変わらぬ無内容でっち上げ作文。再度使うかもだが、備忘のためにもここに置こう。

(勝手な駄弁)

 クラシック音楽は素晴らしい。でも、クラシック音楽だけが素晴らしいわけでもない。他にもたくさん素晴らしい音楽はたくさんある。
 コロナ禍の外出自粛だった時、インターネット上にある様々な音楽を聴いてみた。せっかくだから、できるだけクラシックでないのを。
 で、自分が好む音楽が少しわかってきた。

1. 自然音が好き。電子音はあまり好きでない。  
2. 『立体的』な音楽が好き。  
   旋律+伴奏の音楽でもいい音楽はたくさんあるが、  
   何度も聴いたり何度も弾いたりする気にはなれない。  
   『立体的』であるからこそ、「もう一回聴いてみて、違う面を見つけよう」と思う。  

これら「私にとって面白い音楽」を少しばかり紹介しよう。
いずれも、米国のラジオ番組制作会社(であるらしい)NPRの「Tiny Desk Concert」。著作権上も問題ないので、安心して聴いてほしい。

 まずは、ラヒム・アルハジ氏のウード。これはリュートや琵琶の仲間だが、「音程が楽しい」。そしてまた、2曲目から打楽器氏が登場するが、この打楽器がまた「歌う打楽器」で素晴らしい。
• Rahim AlHaj: https://www.youtube.com/watch?v=osf1gckzf70

 次はコロンビアの楽団。調べるとラテンとヨーロッパ風味がどうこうと書かれているが、それは知らず、いろいろな楽器が錯綜しかかるのがなかなか良い。打楽器もうるさすぎない。
• Monsieur Perine: https://www.youtube.com/watch?v=JGL-eQAAxGs

これもまた四重奏。調子っぱずれのヴァイオリンやラッパがとっても素敵。
• Mariachi Flor De Toloache: https://www.youtube.com/watch?v=-rl26QKPHtE&t=78s

 今日演奏する二曲も、何が一番おもしろいかと言えば、『音楽が立体的』で四人の存在が常に輝き続けるところだ。ベートーヴェンもハイドンも、「お前、伴奏だからまあノンビリ弾いておってええぞ」という曲ではない。
 こんな曲を弾かせて頂くのは奏者冥利に尽きるというものだ。小学生だった私は、モーツァルトやハイドンを通じて室内楽の一端を覗き、いつかこうした「立体的な音楽」に参加したいと思った。以来、幾星霜。今回「名前のある四人」の一翼を担う機会を頂いた。勿体なくも忝なくも、石に齧りついてでもこの機会は逃すべからず。そしてまた、あわよくばこの機会を二度にし、三度にしたいものである。
 本日のお客様諸氏諸姉におかれましても、旗揚げに付き合った因果と諦めて、今後ともご支援・ご鞭撻をば御よろしくお願い申し上げ候。(あなかしこ)

(埋め草)

 以前、中央線沿線を徘徊した折、阿佐ヶ谷駅の近くで素晴らしい彫刻作品を見つけた。
 黄金の林檎を背中に隠し持った少年と、少年に声をかけられて振り返ったであろう少女のお二人。嬉しそうに少女を見つめてすらりと立つ少年、少年に声をかけられて、驚き喜びつつ振り返り、まだスカートが遠心力に翻っている少女。
 誰の心にもある(いい年齢である私の心にもわづかに残る)青春の憧れと輝きを思い起こさせるような素晴らしい作品。津田裕子氏の『お誕生日おめでとう』だそうだ。

 今どきの徘徊者はこうした景物を見るにつけスマートフォンで撮影して備忘とする。私もまた例の如く撮影を試みるものの、どのような画角を試してもこのお二人をうまく画面に収めることができなかった。お二人が私のことを気にされないのを良いことに、お二人の身近で立ったり座ったり、周りをぐるぐる廻ったり、遠ざかったり近づいたり。でも、どうやったところで満足のいく画面は得られなかった。
 これをよくよく考えるに、そもそも二次元平面に収まるような作品ならば、苦労して「彫刻」など作る必要はないのであろう。空間上の様々な位置から熱意を以て見た者の脳内にだけ立ち上がる立体作品。その立体作品を作り上げるための媒介物としての「彫刻」。

 そんなことを考えてみた。

 私達は今日の演奏会に向けてベートーヴェンの弦楽四重奏曲を一年以上も練習してきた。もしこれが単純な旋律と伴奏だけの音楽であったならば、そんなにも長い間弾き続けることはできなかっただろう。おそらくは『お誕生日おめでとう』以上にこれは立体作品である。しかも、彫刻は時間的に動かぬ三次元作品だが、弦楽四重奏曲は時間の流れの中で動き続ける四次元作品である。我々四人は各々の脳内に完全に一致する四次元作品のモデルを作り上げ、それを時間軸に沿って躍動させなければならない。

 という理念はさておき、幅広い音程・甘いリズム・揺れ動く豊かな解釈、奮闘努力の甲斐もなく阿鼻叫喚と右往左往の素人弦楽四重奏の世界へ、皆様はよくぞお出で下さいました。思い通りにならぬは世の常。まして我ら相当程度に真面目なる勤め人であるならば、平日は会社に行って勤労に励んでおるのであります(勤労の程度は人それぞれな気がしますが、それもまた世の常でござる)。

 さて、このような事情はありつつも「常設の弦楽四重奏団」の一翼を担うことは、私の子供の頃からの漠とした希望であって、私としては折角の演奏会を唯この一回で終わらせることは到底容認できないのであります。本日起こし下さったお客様諸氏諸姉におかれましても、本日の後悔や反省はあるにせよこれまた何かの因果と諦めて、今後とも演奏会にお出で頂きたく御よろしくお願い申し上げ候(あなかしこ)。
 
 

(おまけの駄弁)

 最近、どんな曲でもインターネット上に転がっている。だから、ある曲を弾くというと、我が家のCD棚を探すより先に、ネットで検索する。  すると、様々な演奏に行き当たり、中には演奏とともに譜面が進んでゆく動画がある。若い頃、中古レコード屋さんでLPレコードを漁り、楽譜屋で譜面を少しずつ買い揃えていた自分にとっては、まことに隔世の感しかない。

 さて、このようにして行き遭う動画の中には、単に演奏風景が流れるものだけでなく、映画の一場面があったりする。
 ベートーヴェンの弦楽四重奏第14番について調べると、テレビシリーズ「Band of Brothers」の一場面が出てくる。

 黒い画面に浮かぶ白字「1945年4月11日 ドイツ ターレ」が消えると、ヴァイオリンが大写しになっている。このヴァイオリンを初老の男性奏者が構えると、演奏が始まる。曲とも音楽とも言えないような長くたなびくため息のような音。
 徐々に周囲が写りこむと、そこは、見渡す限りの廃墟の中である。
 廃墟を片付ける人々は着のみ着のままで疲れ切って無表情だ。そして「MP」の腕章を付けた軍警察が素っ気なく行き交う。

 こうした異常な風景の中で、静かに演奏する弦楽器の四人。椅子に座っている者もいれば、崩れた煉瓦に腰掛けている者もいる。
 少し離れた廃墟の二階から米兵たちが煙草を吸いつつ、演奏を眺めながら投げやりに話す。
 「ドイツ人は真面目に働く」
 「モーツァルトの効き目だろ」
そこで後ろからやって来た米兵が口を挟む。
 「ベートーヴェン」「モーツァルトではない。ベートーヴェンだ」

 「Band of Brothers」はノルマンディーからドイツに至る戦闘を続ける米兵の物語であり、この動画は全10話のうちの第9話「なぜ戦うのか Why We Fight」の一場面であるという。
 登場人物には明確なモデルがいることから、おそらく、廃墟でベートーヴェンを演奏したのも現実なのだろう。だが、なぜ彼らはここでベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番を演奏したのか。そしてまた、なぜ怒涛と慟哭の終楽章に入る直前で演奏を止めてしまったのか。
 それに対し、おそらく単純な答えはなく、あるべきでもないと思う。そしてまた、我々が生きるのは様々な演奏に気軽に接することが可能な時代ではあるけれど、ベートーヴェンの後期作品を演奏するにあたって、個々の技術的な難しさを超えた精神性の前に、粛然たらざるを得ないと私は感じる。

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今週の戯れ歌

佳き花の植わりし庭ぞ忘れがたし花の名前はなほ知らねども

酒飲めば父の供養になるならむ母の目つきはきつくなれども

父母の諍ひは何時も酒ならむ酒飲む我の今も悲しむ

酒飲めば楽しくあれと父の言ふ父とて何時もさうはあらざり

老後には如何に過ごすと問はれても何ひとつだに思ひつかざる

ひたすらに仕事と楽器に生きるならば他にするなる事も思はず

酒飲みて默し座れる一時の考えざるは死を待つ一時

昔昔流行れる歌の流るれば洟垂らしたる頃も思はむ

難しき曲をさらへるこの頃は酒も控えむ無駄であるとも

焼鳥の煙慕はし夕暮の赤提灯の我を呼ぶなる

父ならばより多く飲む宵なれど不肖の息子は出来上りたり

早く焼けよ我が頼みたるマルチョウの煙はあれど出来は未だなる

香り良き焼鳥我の目の前で他所の人なる前に飛びゆく

愚にもつかぬ三十一文字の並び行く我が人生の意味なきやうに

焼鳥に「ねぎま」は欠かすべからざる子供の頃の夢の食べ物

「人生」を「腎性」なると変換すそんな言葉は見たこともなし

「こんにちは世界の国から」と歌の流るあまりに昔の歌に驚き

少しばかり酒の足らざる今のうちに切り上げるほど賢くありたし

ありたしと思ふ我とはまた別に尻長くする我も我なる

異なれる我を認める余裕あるは歳を長けたる功と思はむ

ほんたうの歌詠む人に褒めらるる素人貶さぬ優しさなるべし

ありがたや真の歌詠む人なれば素人相手に文句は言はざる

焼鳥の焼ける間に間に暇つぶす三十一文字の無駄に並ばむ

次のあらば唐揚げ食べたき気持ちあり次なる時の何時かあるらむ

酔ひ醒めて三十一文字を見返して恥ずかしきとも思はぬ我かは

煙満つ焼鳥屋良し今日は飲まむ明日のことは明日考ふ

最近はうた詠むことも遠ざかり偶に酒飲む時の酔狂

酔狂に三十一文字を並ぶるはまさに酔ひたる時の酔狂

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今週の戯れ歌

我ながら酷い父とは思ふらむ妻子無視してアイス食べなむ

独り食べるアイスクリームの後ろめたし妻子を捨てる没義道なるらむ

ほんものの歌詠みに見せる歌のなきただ落ちているのを拾い上げたる

上達の余念なきのを宣すれど不可能を意図と言ひかへたるらし

次の五輪で我は定年なるならむ運動家では我はあらねど

双子乗る電車にまたも双子来て振り返ればまた双子あるの楽しき

車中にて三十一文字を並べるは他にする事を思ひつかざる

定年の本当に来るか疑わし我らの人参は常に遠ざかる

いつもいつも我らの世代は軽んぜられその他大勢を脱せざらまし

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