佐多稲子短編集
読了。初期作品は独特の語法・省略が読みづらいが、だんだんに読みやすくなってくる。
なんとなう、小林秀雄や川端康成も読みづらいのを誇っているようなところがあったような気がする。あれは、読者を試していたのだろうか。
そういう「味」も大切なのかも知れないが、私は特定の言語に依存しない抽象的かつ普遍的な物語により惹かれる。
しかして、これもまた「戦闘行為以外の戦争」の書という部分もある。戦争の影の重きこと幾許。
百年と一日 柴崎友香
こちらも読了。本短編集は、抽象的な物語を志向しているようにも思ったのだが、必ずそう決めているわけでもなさそうで、読んでいて少々戸惑う。
なんとなう、女性読者が好む作品という気がするが、確信はない。
とは言え、私自身、女性のクリエーターが好きなようでいて、物書きに関しては例外かも。シュペルヴィエル「海に住む少女」永田千奈訳は、私には馴れなかった。
私が堀口大學病の末期重症患者であるから仕方がないのだが。
駄目も目である ――木山捷平小説集 木山捷平
とても有名とは言えぬ作家であるけれど、読んでみてとても良かった。
「苦いお茶」、「軽石」などが良いというのは、編者 岡崎武志氏とおおむね意見を同じうするものである。
また、「太宰治」なども、行方も定まらぬ書き出しながら、徐々に調子が出てくるとさすがの木山節。読者もつい引き込まれてしまう語り口だ。
木山の名を知ったのはおそらく蟲文庫氏が倉敷・岡山つながりで紹介していたから・・・だったように思う。
こういうので潜在的に刷り込まれたものは後々思い出すと面白いことが起こるね!
しかして、これもまた「戦闘行為以外の戦争」の書という部分もある。この時代を生きた人々の人生を通して見るに、戦争が無関係であるはずもない。
エティオピア物語
楽しい古代活劇。。。ではあるのだが、主人公たちの自我は薄いし、運命に弄ばれているだけで、自ら解決するために考え/行動しているとも言い難い。まあ、自我の獲得は歴史的なものであって、ホメロスの登場人物たちに自我がある様子はない、という説もあるくらいだから。
楽しいんだけどね。
迷宮歴史倶楽部 戦時下日本の事物画報 モリナガ・ヨウ
ある程度昔のことを知っている者には面白いけれど、無知な人々に勧められるか、つい考えてしまう。真に無知な者には何を与えても同じとも言えるだろうし。
●雑感
最近、雑感が長すぎる。さりとて何かを変えようという気もしない。
ジャニベコフ効果。物理現象の名。剛体の回転ごときありふれた物理現象が、20世紀にもなって発表されるなんて、と驚く。
鎌倉交響楽団。マーラーの交響曲第九番。
自分が大いなる思い入れを以て弾いたことがある曲だけに冷静には聴けない。
指揮者安平氏は安定的な音楽運びを進めていた。そもそもこの曲の第一楽章は andante 指定なのだが、そういう交響曲を私は他に知らない。速からず遅からず不思議なテンポなんだよね。ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番第一楽章を「オーケストラはアンダンテ、ピアノはプレスト」と言うのを聞いたことがあるが、もしかすると、ひとつのテンポの中でこのようは複合テンポをしてみたかったのかも知れない。
さて、お子さん数人が1階前方でグダグダしていた。この曲に限らず「交響曲」を子供に聴かせるのはムリがある。
誰も幸せにならないので止めるべきだと思う。
ご自分の子供が世間に迷惑をかけ、白眼視されているのを平らかな心で見ていられる親御さんは、器が大きいというか肝が太いというか。。。
合唱曲「海はなかった」を聴いてみる。
合唱曲の中でもコンクール課題曲はシンプルに書かれているからか、それとも私が日本語話者だからか、どんな演奏を聴いても必ず「なにかもっとこうして欲しい」と感じる。オペラ風ビブラートの良し悪し、声質、言い回し、発音、音量バランスなどなど。
自分が合唱をしていたら(続けていたら)相当に「嫌な奴」なのは間違いない。まあ、カルテットマンとしては自分のやることで忙しいからそこまで考えられていないだけでやはり「嫌な奴」であるかもなあ。
野球の話にまったくついていけない。ルールくらいは知っているし、日本国内のプロ野球チームはひととおり言える(ような気がする)。オータニさんが大人気なのも知っている。でも、そこまで。それで困らないから良いや。会社で「昔の人みたい」と言われたことがあるが、私の理念は縄文にあるので、それくらい言われても気にならない。
一方、先日NHKのクラシック音楽番組で、ゲスト出演者からシベリウスの「フィンランディア」を知らないような発言を聞いた時には少々耳を疑った。
私もまあまあ酷い趣味者の洞穴で暮らしているのね。
とある喫茶店で、虎ノ門の喫茶店「草枕」が良い、という話を聞いた。
だが、私はあちこちの喫茶店に行く趣味はない。この「とある喫茶店」以外に二度行っている喫茶店は西荻窪の「どんぐり舎」くらいではないか。
「『草枕』を忘れ、勘違いして『三四郎』を探すかも」と言うと、「『こころ』という店名は辛そう」などきちんと会話が成立して嬉しかった。お店の方は文学フリマに出没するらしいので、ある程度当然かも。
草枕と対になるべき作品として三四郎が適当とも思わないが、さりとて他は思いつかず、『鉱夫』などと言っても通じるとは思えず。
マケラ指揮のリュリ
https://www.youtube.com/watch?v=Wy2yNJkOxj0
リュリ同様、丸太棒式指揮棒?を使用。ご安全に。
ドボラック法(Dvorak method)で知られる気象学者Dvorak氏はアイオワ州Cedar Rapidsご出身。チェコ系でもあり、ここにあるCzech Villageに縁がありそう。
一方、キーボードのDvorak配列で知られるDvorak氏はミネソタ州Glencoe生まれ。こちらもチェコ系とのこと。
Wichita Grand Opera のメンバーでDvorak姓の方が居られたと思ったが調べると出てこない。あれ?
「自閉」の語の提案者。たいへん啓示に富んだ文章。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/shinshumedj/66/5/66_305/_pdf/-char/ja
トランプ氏大統領再任。
うーん。非理性的・差別主義的な人間をトップに据えるか。米国は。
米国の最大の輸出品は、自由と民主主義だと思っていたが、ひょっとすると「理性」こそが最大の輸出品目であったかも知れぬ。
そこからすると、米国の国際的価値の低下があるのか、あるいは、理性はもう世界では必要とされていない物品、売れない物品に成り下がってしまったのかも知れず、そうなると、米国の価値云々は別なところで決まるのだろうか。
トランプ氏、安倍氏(以降の日本の政治家諸氏)は「分断」で成功を得てきた。日本に関して言えば、石原慎太郎氏がその嚆矢と思っている。
私のような旧弊な人間には、こうした「他人の悪口を言う者」は、ぜったいに誰か他人を重んじるという気持ちはなく、信用すべきでないと感じられるのだが、多くの人々がこうした人間を「正直者だ」と素直に信じるらしいのは悲しい。私が過度に道徳的だとは思わないのだが。
私は多くの場所・多くの時において「よそ者」であったので、『最初に分断されるのは自分である』という意識が強いのかも知れぬ。そういう意識を持たずに生きる人の実感は私にはわからない。
クララ・シューマンのピアノ協奏曲
https://www.youtube.com/watch?v=z8RNtCK5XsA
長く、チェロとピアノの二重奏が繰り広げられる。となると、ブラームスのピアノ協奏曲第二番との関係が気になる。
この曲とブラームスのピアノ協奏曲第二番を並べて見れば、クララの協奏曲は1835年完成。ブラームスの協奏曲は1878年着手。ちょいと隔たりが大きく、あまり直接的な連関を考えることはできないだろう。音楽的なテーマとしても類似性を見出しにくい。
自分はほとんど見たこともない鉄道車両ナハ10系を好む。小学校に上がるかどうかという頃、家族で北陸小浜に行った際に撮影した写真に、ナハフ11とともに自分が写ったものがあり、これのためだと思っていた。
だがもうひとつ理由がありそうだ。科学教材社の「Nゲージ」なる書には、様々な自作模型の図面や製作記事が掲載されていたが、この中にナハ10があり、小学生だった自分はそれらのうち、もっともお金がかからず簡単そうなナハ10の製作に取り組んだのだった。
ボール紙に窓を抜き、バルサ材で屋根を削り、組み立てた後、ラッカーで車体は茶色、屋根は銀に塗った。おそらく透明プラ板で窓ガラスをつけたところで断念したような気がする。あの頃の製品が現代のものほど精密ではなかったとしても、小学生の粗い工作で、製品と同等のものができるわけもなく、完成しても無意味だと感じたからだろう。あのナハ10の車体はしばらく工作箱の片隅で眠っていたと思う。
長い間このことは忘れていた。
机。
昔、家族で住んでいたアパートの1階倉庫にあった大きな木の机をもらってきて、自分の勉強机としていた時期がある。良い机だったと思うのだが、何故か解体・廃棄することになり、鏡板一枚だけを工作台として手元に残していた。
一度、この板で車掌車を作ろうとして、窓だけ抜いたが、スケールを誤っていることに気づき、そこで放棄した。
今でも車掌車というと感じるところがあるのはこの記憶によるのだろうか。
急行「大社」について調べる(ナハフ11つながり。とは言え、客車列車時代の大社についての情報は発見できず、以下は気動車時代のお話)。
名古屋発(出雲)大社行き。ただし、名古屋→(東海道線)→米原→(北陸本線)→敦賀→(小浜線)→東舞鶴→(舞鶴線)→綾部→(宮津線)→豊岡→(山陰本線)→出雲市駅→(大社線)→大社、であったらしい。
約11時間とのこと。全線乗る方がおられたのだろうか。まあ、夜行は早すぎる時間に到着しても困るので、むしろちょうど良かったのかも知れない。と思ったら、昼行だったのが驚き。
TMAF 台北の音楽祭の教員・学生混成オーケストラらしい。
https://www.youtube.com/watch?v=YN5A1IJnpwg
主席奏者(主に西洋人のようだ。きっと教える側かしら?)も上手だが、後ろの奏者の粒も結構揃っていて、オーケストラとしての味わいが十分生まれている。素晴らしい
ドヴォルザークの7番は結構複雑で弾きにくく、響かせにくい曲だと思うが、スマートな美しさから、音響の塊的な凄みまで十全の演奏と感じる。
ホールも良い。台北あなどれん(侮っていたわけではないが)。以前から上海四重奏団は「推し」だったが、台北も良い。アジア圏に様々な味わいをもったオーケストラがあるのはとても素晴らしい(私も日本国内のオーケストラももっと聴かねば。広島、山形あたりかな?)。
自分のパートが休みのとき、他のパートの音を聞いて「にこ」と笑むのがなかなかに良い。ヴァイオリンの方、オーボエの方など。
ファゴットの後ろに透明アクリル板。難聴防止かな?
もひとつ、ケント・ナガノ指揮の2022年のマーラーも見た。こちらの演奏が少々神経質に聞こえるのは、曲のせいか、指揮者のせいか。あるいは、オーケストラとしてこなれきっていないからか。さらに言えば、そういう表現を行っているのか。
(Flの王芙紀女史がお綺麗でいらっしゃる。この方カーチス出身なのね。皆さん米国留学の方が多いように思える)。
亡父は広島カープのファンだった。
もともと東京住まいの通例で巨人ファンだった。広島出張の折、訪問先からの帰途乗ったタクシーで「巨人勝っているか?」と聞いたところ、運転手さんの機嫌が悪くなり「お客さん、巨人ファンならここで降りてくれ」と。
「分かった。今から広島ファンになる。」と誓って駅まで送り届けてもらった。
うちの親父の良いところは、これが言い逃れでなく、実際に広島ファンになったこと。この話も広島人の郷土愛として、また、その郷土愛に絆された自分自身の話として、懐かしく楽しそうに話していた。
もしかすると、父は「広島カープファン」というより「『広島カープファン』のファン」だったかも知れない。
私の従弟の細君は縁あって広島の学校に奉職し、やはり熱心なカープファンになった。若くして亡くなったが、葬儀の際、ひと部屋真っ赤だった。
アルルの女に「王の行進」から取られた曲があるが、Internatonl Music Score Library Project に書いてあるには、リュリの「Marche du Régiment de Turenne テュレンヌ連隊の行進」なんだそうだ。確かにこの曲を探して聞くと、そう聴こえる。
一方、Wikipediaの方はプロヴァンス民謡『3人の王の行列』としている。私が過去に見た解説は「3人の王の行進」だったように思う。行列と行進はおそらく同じ単語の訳の違いだろう。
もちろん、プロヴァンス民謡をもとにリュリが曲を書いている可能性もあるし、逆の可能性もある。さて、真実は如何?
ChatGPTとのやりとりをつけておくのが現代風だろう。例によって、適当な嘘を言ってくる部分もあるので、気づいた限りツッコむ必要はある。
https://chatgpt.com/share/6731a02d-b320-800b-8466-96911d357691
京都(奥丹後)のお酒「伊根満開」の記事
https://dancyu.jp/read/2022_00006339.html
(私は、Dancyuを始めとするプレジデント社に「成金趣味」っぽいところがあると思いこんでおり、これを好まないのであるけれど、この記事は努力をする人に敬意を払って書かれているように思う)。
このあたりを読んでいると、日本酒とは本来すべて純米酒であるべきものが、戦争と税金のためにアルコール添加が当たり前になってしまったということ。
昔読んだ「吟醸酒への招待: 百年に一つの酒質を求めて」(篠田次郎)にも批判的にこそ書かれていなかったが、「吟醸酒」という特別で効果なお酒がなおアルコール添加が当然であるように述べており、読んだ当時も不思議な気がしていた。
ワインにも腐敗防止等でアルコール添加したものはあるけれど、それはそれで「酒精強化ワイン」と特別扱いしている。そういうところはワインの世界は偉いよね(アルコールと言わず、『酒精』と書いているのはいささか商業的かも知れぬ)。まあ「赤玉ポートワイン」なんてものは「ポートワイン」の名が許されず「赤玉スイートワイン」になったけれど、世界的圧力がなければなかなか改善されないのが、日本の製造業ではある。(その意味でもハム、ベーコンも国際レベルになって欲しいものだ。値段が倍くらいになりそうだけれど・・)。
こういうのを読んでいると日本酒が飲みたくなる。酒屋がもっとも美味なるように日にちを数えて塩梅してもらった樽酒も忘れられないが、一方で、雪の舞い踊る北国の冬、焼鳥屋さんが直火で薬缶を炙り、そこからコップに注いでくれる熱燗もまた忘れがたい。どちらも佳き日本酒だと私は思う。
北国の雪舞い踊る冬の日に直火薬缶の日本酒や好し
ひまわり9号故障。調べると、昔私が使っていたのはひまわり4号。その際に参考にしていたのはひまわり3号の本。
amazon の商品評価がだんだん機能しなくなっている。「ユーティリキー」なんてそのよき実例。
もともとの商品「スイステック」の出来のほどは知らないけれど、コピー商品がたくさん出回り、それらの評価は最低と最高の二極。
おそらくは最低の評価は実際の購入・利用者によるもの。「値段相応」「安物買いの銭失い」。
おそらくは最高の評価は営業的なもの。AIや自動翻訳を用いて安価な人件費で書き込んでいるかも知れない。
昔のインターネットは「賢く・余裕のある人だけが接続できる場所」であり、それらの人々の賢さを無料で利用できた。
だが、近年は、お金さえあれば良く倫理観の低い者が跋扈する世界になってしまった。誠に残念。
この手の携帯用小道具にはたいへん購入意欲をそそられるが、実際の機能や利用頻度を考えると、ほとんど「無駄」である。
昔、東急ハンズで買った50円の栓抜き・缶切り。10年くらい持って歩いていたが、使ったのは一度きり。
そもそも栓抜きは使う機会がなくなったし、稀に栓抜きが必要なときは、栓抜きがあった。
缶切りだけは、出張時の東北新幹線で缶ビールのプルタブのタブをねじ切ってしまった方がおられ、使ってみたが「穴が小さいのでビールを飲むには不適」という結果だった。まあ、飲めないより良かったのかも知れないが、「道具を持っていて良かった」という場面ではなかった(車内販売員は缶切り等持って居られない由)。
というわけで、携帯用小道具。見るのは大好きです。偶には買っています。が、買って満足するために買っていることを肝に銘じています。
ちなみに、飛び出しナイフ式ドライバーセットはぐらぐらするので、ネジ回しで〆たいが、自分自身のネジが〆られないのが悲しかった。
飛び出しナイフ式六角レンチは、悪くはなかった。そもそも六角レンチは輪っかにじゃらじゃらぶら下げていて使いにくかったり収納が面倒だったりするのでこの形式は良いと思った。
蒸気機関車の製造
https://www.youtube.com/watch?v=Zbnxpn-kk5I
再見。なんというか、規模こそ大きいが、工作方法は手工業的だと感じる。ロッドの長さが車軸間隔と合致している必要があるはずだが、「合致させる」ための方法がよくわからない。まあ、最終的に軸受に入れる楔などで微調整するのだろう(私がそれしか思いつかない、ということだが)。
また、この映像では4シリンダー機関車を作っている。
結局日本では3シリンダー機もものにならなかったが、本来多シリンダー機の方が回転が円滑で機関車の振動も少なく、(少なくとも理念的には)優秀であったはず。オートバイでは「単気筒」の愛好者も多く、独特の振動を好む向きもあるけれど当然、4気筒の方が滑らかなのは間違いない。
また、機関車トーマスなどでは内側シリンダー機が多く見られるが、外側シリンダー機より振動が小さいらしい。
こういう映像を見て(無責任に)いろいろ考えるのは面白い。
横浜シティフィルハーモニック
だったん人の踊り、眠りの森の美女、ベートーヴェンの交響曲第七番。勢いのある凄いプログラム。
若者のオーケストラだね。羨ましい。
木心トリオ。知った曲がひとつもない久しぶりの音楽会。
サロン形式で演奏者と近いこともあり、「部活動」っぽい。
「こんな楽譜みつけた」という先輩が腕達者な仲間と試演しているのをわくわくしながら眺める後輩の気分。
「皆もこんな良い曲知ったら嬉しいよね」という気分がビシビシ伝わって、嬉しくなってくる。
※演奏レベルが「部活動の試演」という意味ではないです。
こんなピアノの仲間、ヴァイオリンの仲間がいて、そんな「部室」があったらなあ、という夢のような演奏。
(チェロの達者がいると私の地位が相対的に下がるので、100km圏内は遠慮したい)。
若い頃、献血でもらったネクタイピンのクリップ部が金属疲労で折れた。
もう30年以上になる。母が町内会の保健委員だった。で、赤十字の献血車が来るからと『動員』されてしていた献血。
若かったので苦にならなかった。
一方、母は「あまりに貧血だから」と採血できず、さらに看護師さんに「医者に行った方が良い」と言われて行った医者で筋腫を見つけてもらった。早期発見だったこともあり、万事都合の良い手術日を選ぶこともできた。偶然、上皇后陛下も同じ病気で同じ日に手術をされたことを記憶している。
今となってはネクタイなど年に数回するくらい。最近はむしろ「趣味でネクタイを〆ている」ような状態。
ネクタイピンの土台(クリップ部)は東急ハンズなどで売られているし、修理して使いたいものだ。あまりに長く持っているので、これが使えないことが考えられない。まあ、天賞堂の機関車ネクタイピンなど持っているけれどね。
ついでに言うと、美術大学のフリーマーケットでも種々女性用アクセサリーを作って売っていらっしゃるが、ネクタイピンなど男性向けはほとんど見ない。ちょっと残念ではある。
サンシティアンサンブル
弦楽器、木管楽器、キーボード、ピアノなどのアンサンブル。もともと大規模マンションの住人のその時の楽器構成で発足したアンサンブルとのこと。
私にとっては、弦楽器・アコーディオン等混成の小学校器楽部が懐かしい。しかもアコーディオンとは異なり、キーボードは様々な楽器の音が出せる。時々、「あれ、この音はどこからするのだろ」と目で楽器を探してしまう(楽器奏者の習性)。
曲目もまた、器楽部と通じるものがある。皆が知っているクラシック小編、映画音楽などの編曲もの。
こういう音楽の楽しみ方がもっと広く行われて良いと思うのだが、編曲も含めて考えると大変だよね。
私自身、チェロ四重奏用に譜面を作ろうとしているが、移調・写譜程度でもなかなか面倒である。
兵庫県知事に斎藤氏再選。
庶民の「底意地の悪さ」を感じる。「公務員さんは旨いことやってらっしゃる」という前提があって、「そんな公務員さんをやっつけてくれる」のが痛快と思うよう心根。それは愚かさでもある。
保守政治家にも同じような「底意地の悪さ」を感じることが多い。「国民は税金払わないように誤魔化すんでしょ」、「日本にやって来る外国人は全部ワルモノでしょ」「先進国と言っても羊の皮をかぶった帝国主義なんでしょ」等など。
それをリアリスムと言ってしまえばそれまでなのだが。
インテリ的理想主義が敗北しつつある、と見るべきだろうか。
加藤陽子氏の「不幸の均霑」ということばを同時並行で知った。この理屈は私の体験・実感として日本人社会のと特質として首肯できる。(海外の社会について私は何も知らない)。さて。
昔、機関車トーマスを磁石のついた棒で撫でると、運転/停止できるおもちゃがあった。
で、息子がこの磁石でMacintoshの画面を撫でたせいで画面が斑に。昔のブラウン管式テレビは、電子銃からの電子放射を電圧で曲げていたが、磁力でも電子が曲がるため、画面(金属製のマスク)が磁化してしまうとさらに意図せぬ曲がり方をしてしまう・・・ということだったと思う。
テレビで映画「沈黙の戦艦」を見た。わかりやすい。
砲撃は一発で命中するなどたいへん効率がよろしい。スピルバーグ映画では、わざと気を持たせる展開があったりするが、そういう思わせぶりなところは全くない。たいへん「男らしい」映画。
戦艦を制圧する犯罪者集団のひとりをトミー・リー・ジョーンズ氏が演じていた。この方、サントリーの宣伝で頻用されているが、こういうB級映画の方なんだよね。MIB(Men In Black)だって所詮B級だろうし。ともあれ、どんな映画でも悲哀と可笑しみを感じさせるところが美点で息の長い役者になったのだろう。
第一次大戦後のプラハの有様。
<引用>
チェコ人は国民劇場だけを、ドイツ人はドイツ人劇場だけを訪れていたが、ツェムリンスキーは 1919 年にチェコ人によって組織されたオーケストラに指揮者として招かれて以来(これが、そもそもチェコ人のオーケストラをドイツ人が指揮した最初の例だった)、しばしばチェコ・フィルや国民劇場のオーケストラに招かれて指揮をした。
</引用>
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/23101/0201200401.pdf
井上 征剛氏の博士論文「アレクサンダー・ツェムリンスキーの《夢見るゲルゲ》 ---現実ともうひとつの世界をめぐる歌劇」
ドイツ人社会とチェコ人社会が相応に分離していたのね。ドヴォルザークがドイツ語を学んだり、スメタナがチェコ語を学ぶ、という文脈からもある程度知れることではあろうけれど。そしてまた、プラハのユダヤ人街のカフカ、辺境ブルノにはヤナーチェク。我々が思う以上にチェコ一国でも広かったのだ(特に時間的・文化的に)。
今月の誤読(シリーズ化しそうだ)
ヒストリカル・ヴァイオリン弾き
ヒステリカル・ヴァイオリン弾き
ワレカラ(海の生き物。海老や蝦蛄みたいなの)
カレワラ(フィンランドの神話。シベリウスがこれを題材に色々作曲している)
なんか末期的だな
また、今月の誤字
Wikipedia「夕日のガンマン」の登場人物の説明で「他社を圧倒する威圧感」
もちろん「他者」だろうね。
昔、インターネットは接続が難しいものの有用な/面白い情報が無料で入手出来る場所だった。
今、ごく簡単に接続できるようになり、有害な/不愉快な情報が大量にあふれかえる場所になってしまった。
あれは gated community だったから成立したのだろうか(同じ感想が繰り返される)。
ネットでコンソメの作り方を見る。たいへん面倒。
以前、漫画「おいしんぼう」で蕎麦つゆの作り方を題材にした回があった。明らかに有名老舗の主をモデルにしたと思われる初老男性が、つゆの作り方を解説する。これも結構面倒なのだが、よくこの作り方が公開されたなと思っていたら、柴田書店の「そばの基本技術」により詳しい作り方が写真とともに掲載されていた。正直に言って、滅茶苦茶に面倒。解説をぜんぶ読むことすら苦痛。半地下の保存場所を始めとして施設・道具を揃えるだけだけでも相当の投資と知識が必要というもの。
これを公開しているということは、真似できるものなら真似してみよ、と言う心意気を感じた。
おそらくは「おいしんぼう」はこの教科書等をもとに書かれたのであろう(それでもこのネタを拾い上げ、話として展開するのは非常な腕である)。
そしてまた、もちろん多くのお蕎麦屋さんはも少し簡易な方法を使っているだろう。(昔読んだ、辻調理師学校の創立者辻静雄を題にとった小説でも、フランス料理のコック養成課程では、出汁のとり方は、本式・ふつう・簡易法の3つを教えるとあった。そうでなければ、様々な就業先に対応できない、と)。
以来、蕎麦屋さん、そしてまた世の中の調理店のやっていることに文句を言う気がなくなった。私が払っている程度の小さな金額でどこまでを要求できるだろうか、と思うのだ。
まあ、私は気に入らない料理店には行かなければ良い、という気軽な立場でもあるので。
トヨタ自動車が「ルーミー」なる車を販売している。
凄いな、イスラム神秘詩人の名を冠している(んなわけない)。
某社のとある自動車は、ある地方の言葉で、ちょっとここでは書けないような意味であるそうだ。恐ろしいね。
オブローモフ(北大人文学カフェ)
https://www.let.hokudai.ac.jp/cafe/15577
そういえば、サン=テグジュペリ「夜間飛行」のオペラがあったと思って調べると、まとまった情報があった(感謝)。
https://opera.tosei-showa-music.ac.jp/search/Record/WORK-00325
ファビアン(夫)は登場しないんだ。まあ、作劇上そうなるか。
1966年にすでに日本で演奏されているんだ!
仏題「Vol de nuit」も書いておいて欲しいところだが。
ある資料をみていたら「両軌鉄道」という語があった。見慣れぬ言葉だと思いネットで調べたが出てこなかった。
英語版を見ると、two-railとある。モノレールと並べて書かれているので、私が訳すならば「一般鉄道」くらいかな?
ちなみにある資料とは、ICD-10(国際疾病分類)。こういう語が出てくるのは外因死の理由のコードのところ。
chatGptに尋ねると、中国語の「双軌鉄路」等から作られた語ではないか、とのこと。言われてみればそうかも。
レトロニムってやつだね。
ネットで「肘折」なる語を見てあれ?と思う。
そう言えば、ここのアメダスのデータを見たことがあったっけ。ついでに、GoogleMapで周辺を見回したことがあったっけ。
あれは何年前?
サリクス カンマーコア バッハ教会カンタータ
これから100年かけて全曲を演奏するというシリーズ。第1回なれば逃すべからず。
100年云々はさておいても、行って良かった、聴いて良かった。
演奏会終了後、隣席の(見知らぬ方と)「よかった」「よかった」「昨日も来ればよかった」「(公開)リハーサルも来たかった」とやりとりするほどだった。
聴いている時・そのあと考えても良かった。
まず、バッハの曲が良い(相当当たり前)。
歌手・奏者みんな旨い(すごく旨い)。
曲の並べが良い。
最初の出だしがイタリアっぽくてびつくりしたが、やはりバッハ。
3曲目でオーボエが入り、4曲目でオーボエ・ダ・モーレ(?)に変わるのも凄く良い。
独唱歌手のパレット=音色感をうまく出してくる。渋み・温かみ、爽やかさ・若々しさ、輝き、悲痛さ。
そして、最後にこの歌い手を出すのかよ(大喜び)。パントマイム芸の「が~まるちょば」っぽく見える方が大トリ。
どんな声でどんな歌をうたうのか、と一瞬でも思った私が大間違い(懺悔)。
ものすごく繊細で、ものすごく心を捉える歌唱。激ギャップ萌え。
今回、この人のこの歌を最後にした人は天才(プロデューサー的才覚として)。
そうそう、弦楽器陣は安全・安心の La Musica Corrana の方々。LMCのメンツが出ているということは、他の方々もそれだけの品質と見識があると見て良い、と私は考えつつある。
私は、マタイ受難曲とロ短調ミサだけそこそこ聴いているが、そもそも、バッハの教会カンタータをきちんと聴いたことがない。これからもっと聴きたいが、サリクスを聴きたい気持ちが強い。他もよかろうが、ちょっと怖くて聴けない。
私はカール・リヒターのバッハも好きだし、クレンペラーのバッハも好きだ。でも、これら「グランドオーケストラ」のバッハの持つ圧倒的構造感も良いけれど、サリクスの繊細で活き活きとした構造感が今は聴きたい。聴きたいよお。(はよCD出して下さい。それから2年に1回と言わず・・・とは思うのです)。
今まで、バッハの宗教曲を「楽しく」聴いてはいけないように思っていたのかも知れない。
もちろん、宗教的に真面目に聴くのが本道かも知れないが、美しさを喜び、生き生きとした表情に惹かれ、そういう聴き方も許されるのではないかと、今回の演奏を聴いて思った。
知人から楽器を買うかも、とお知らせを頂く。ルーマニア製のチェロ。
昔、東欧製(チェコだった気がする)のチェロを気に入ったことがあるので、気になる。
昔、楽器を作った方から、「自分の楽器の音が知りたいから演奏せよ」と言われて何人か集まったことがある。あれは面白かった。それぞれの「持ち音」があり、それが楽器とどう響き合うか。そんな課題だった。
今年の演奏会はすべて終わった。現在の持ち曲は以下のとおり:
ブラームス 弦楽六重奏第一番第一楽章:練習が始まった。
ベートーヴェン 弦楽四重奏 Op.18-5:練習が始まった。
ベートーベン 弦楽四重奏 Op.132:年明けから練習
選曲中:2コマ
調整中:弦楽五重奏(Va2本)
なかなかいいではないか。