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読書の記録(2025年1月)

誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論 松本俊彦
「エッセイ」ということであるが、私如きがテキトーに書いた「ずいひつ」ではなく、様々経験と考察に基づく深い「試論」とでも言うべきもの。
読まざるべからずの書。と言いながらあまり進んでいないな。

ジャン・クリストフ ロマン・ロラン
最近なかなかその名を聞かない作品・作家。ともあれ、ベートーヴェンを弾く機会が多いこともあり。一読を試みているところ。
西洋小説の子供の描写に違和感を覚えることがある。「失われた時を求めて」でも、主人公が寝る際、母が来てくれないと言って嘆き、でも意外に幼くはない年齢だったりした。ジャンにもそういうところがある。また、ジャンの不幸を上積みし、不幸表現を上積みするのを読むのが辛い(私もついにタイパ人生発動か?)。内容の話ではなく表現・演出の話でしかないが、ちょと気にはなる。

資治通鑑
この題名「統治に資する」の意味なのね。世界史では名前だけ習って、資料名の意味すら習わなかったような気がするが、自分の学びが浅いせいかも知れぬ。
こういう中国の史書を読むのは楽しい。「虎に翼」の例えも出てきた(私はドラマを見ていないが、いい意味の言葉ではないのね)。
翻訳や注も行き届いており、大変良い。さすがちくま学芸文庫。

灯台へ ヴァージニア・ウルフ  鴻巣友季子
少々読みにくい。もともと冗長に書かれた「意識の流れ」をひらがな多めの日本語にしているせいだろうか。
ひらがな多用の英文和訳は丸谷才一氏あたりが発祥なのだろうか。たいへん申し訳ないが、漢語に置換しつつ読んでいる。
とは言えなんとか読んだ(次に読みたい本があるから意地で・・・という面なきにしもあらず)。
繊細で面白いところがあるので、いずれ他の訳で再読したい。河出書房2009年出版を文庫化とのこと。
繊細で現実と密着しつつも幻想性があって、もっと面白い書物なのではないか・・・と思うところ。
おそらくは、英語の問題ではなく、日本語の問題。(私が良いと思う翻訳が、堀口大學や井伏鱒二なので。。。)。
岩波=御輿哲也が2004年、グーテンベルク21=中村佐喜子が2013年(元は新潮1956年)、みすず=伊吹知勢が1999年。開明書院=伊東只正が1977年。などと、種々情報をつないだが、wikipediaに一覧があるではないか。さて。
出版社(すなわち編集者)で選ばないとどうしようもない・・・のか。河出の翻訳・日本語品質ってこんなもんだっけ。
新潮は、(少なくとも昔は)良かったはず。百年の孤独も訳は古いし(でも古びていない)、堀口大學も訳は古い(でも古びていない)。。。

たとえば115ページ:
「しかし言ったとたん、言った自分に苛立った。いまのは誰が言ったの? わたしじゃない。なんだかまんまと引っかかって、心にもないことを言わされた気分だった。」
 「とたん」と使いたいなら「途端」と漢字を当てた方が文章が引き締まって見えるだろう。
 「いま」「わたし」も同様。
 「引っかかって」は多義的なので、口語としては問題がないが、文章語としては読みにくい。「どういう『引っかかって』なのだろう?」とそれこそ読者が「引っかかる」。
 「騙されて」あるいは「唆されて」とした方が読みよい。
たとえば「しかし、そう言ってからすぐに自分自身に苛立ちを覚えた。今の言葉は誰が言ったのか?私ではない誰かに促されて思ってもいない言葉を言わされたように感じた。」の方が少しは良いと私は思う。
p-150 「入ることも出ることも自由な渦巻き」ってなんだろう?人生でそういうものに出会ったことがないのでわからないぞ。
p-175 「彼もこの果物皿で目を愉しませ、その中に入りこんでは、こっちで花を摘み・・・」は、「皿の中で花を摘む」に驚いていると、前段の「広い果物皿の中を人が歩きまわっているな気がしてくる」を比喩として受けているのか。。。相当程度集中して読まないとアカンな。この本。
まあ、私の「意識の流れ」も大概テキトーで人様にご理解頂くのは難しいと思うが、この書もなかなかだ。(なんだか良い部分もあるように思うのだが、通読は苦しいなあ)。

面白いは面白いのだが、読みやすさへの配慮がも少しあると嬉しい(私の年齢的問題・年度末繁忙期問題もあるとは思う)。

わたしのゆたんぽ きたむら さとし
絵本。思いのほか壮大で驚いた。湯たんぽ。最近見ないなあ。

メアリー・スミス
絵本。結構好きなんです。この絵本は、特に可愛らしくもないけれど、家に時計を持たない昔の人々が活き活きとしている。
おそらくは、産業革命初期であって、多くの人々は時計を持たないが、社会は時計で動き始めているのだろう。
時計がまったく存在しないのであれば、それはそれでメアリー・スミスは存在しないし、時計が遍在していても同様なのだから。
ドリトル先生に登場する「猫肉屋」もいささか似ているように思う。それまでならば貴族などの富裕層だけが猫を飼い、使用人に猫の世話をさせればよかっただろう。現代であれば猫用の肉などその辺でキャットフードを買ってくれば良いだろう。そうなるまでの端境において、「猫肉屋」が存在し得たのでないか、と想像する。
(ここまで書いて南條竹則氏の書籍を購入して未読なのを思い出した。)

アラブ音楽入門 飯野りさ
以前買って少し読んだが、譜面を読んでも音にならない人間なので、その時は面白くなかった(私が全面的に悪い)。で、実際弾いてみた。
とてもとても楽しいっすね。ほんとはアラブ音楽を耳コピしようと思っていたのだが、なかなか難しくて挫折しておりました。
ちょっとそれらしい節をいくつか覚えてどこかで披露してやろうなどと(にやにや)。
で「横棒つき♭=1/4低い」というのが出てくるわけで、これをどの程度の音程にするのが良いかを考えるのも楽しい。
そこではっと気づく。私は、音程自由なチェロを弾くのでそういう「お楽しみ」がふつうに可能だが、この書を入手した多くの方々はどうされるのだろう?(ヴァイオリン属、コントラバス、トロンボーンは自由な仲間!ヴィオラ・ダ・ガンバはフレットがあるので、この仲間ではない!等など。多くの管楽器や鍵盤楽器の方は不自由なはず。。。)
そういえば、グリーンスリーブズにもふつうの半音では処理したくない場所があるのだが・・・。
おまけ:著者名で検索すると、博士号取得審査結果など出てくる。なかなか厳しいコメントがついていて、博士号取得の大変さ(この方の、ということではなく広く一般的に)が知れる。この博士論文と思われる「アラブ古典音楽の旋法体系 〜アレッポの歌謡の伝統に基づく旋法名称の記号論的解釈」が出版されている。これを読みこなせるくらいの知識・根気があれば良いのだが。。。

晩年茂吉 北杜夫
放置していたのを再開。某所で「ゴキブリ小説」が話題になる→北杜夫「高みの見物」を紹介→放置を思い出す→今ここ。
青年茂吉等で見られた堅さがとれ、北杜夫らしい文章になってきた気がする。そして、そうしたことを喜んでいる自分は、実は昔から北杜夫ファンなのだなあ、と思い返す。思えば、両親が買って手元に置き続けた少数の本が北杜夫であったし、それを勝手に読んだ記憶もある。「船乗りクプクプのぼうけん」もあれば「どくとるマンボウ航海記」「高みの見物」「白きたおやかな峰」もあった。
疎開時代の茂吉は相変わらずの独善的愛嬌があるのだが、北杜夫的ユーモアがここに通じていると思うと、北杜夫ファンとしては、この書を読んで良かったと思うのである。
どうも茂吉彷徨を未読のまま晩年を読み出していたので、彷徨に戻る。北杜夫らしい、という印象に変わりはなく、それを楽しんでいる。茂吉の頑迷さには辟易しつつ。

うろおぼえ一家のおみせや 出口かずみ
素晴らしい「うろおぼえ一家」シリーズ最新作。
本当に素晴らしいうろ覚えが続出・頻出・噴出。これ比べれば、私の少々の物忘れくらい無問題!と思えるくらいの素晴らしさ。
それでいて話は(何らかのかたちで)きちんと楽しく進んでいく。
出口氏はよくこういう話を作れるものだと感心。
シリーズをすべて買っている。

ペルシア逸話集、ホスローとシーリーンを購入。平凡社東洋文庫。トマトスープ先生のニザーミーの漫画を見たから。
https://x.com/Tsoup2/status/1871190283003838792
楽しみ。ペルシア逸話集で知っていそうなのは、オマル・ハイヤームだけかな?

紀伊國屋書店サイトの在庫検索に「基隆」と入れると、なぜか「スコット」の文字が題名に入った書籍が返ってくる。
「スコット探検隊」「リドリー・スコット」「スコットランド」「マスコット」。台湾関係の書物も返ってくるのだが。
問題はないが、不思議ではある。
和書で「基隆」セイフサーチだと全3292件
和書で「スコット」セイフサーチだと全5917件
よってして、「スコット」がすべて「基隆」に当たっているわけでもない。。。

ジョン・アレンのG&D鉄道写真集を買った。ネットオークションで多少競ったものの、安価と言って良い価格。
なにせ高価だったのでなかなかまとまった写真を見ることができなかった。
Gorre & Daphetid で検索すると日本語Wikipediaにも立項されているし、動画にも行き着く。凄い時代だ。
私以上にアウトプットの多い方に見て頂くべき本だとは思うが、私自身子供の頃から見たかったGDということで興奮して落札してしまった。多謝。

J Train DD54特集をしぶとく読んでいる。私がいいと思う写真は西尾克三郎氏撮影が多い。
いわゆる形式写真の類であって、側線などに機関車が佇んでいるだけで、特段活気が感じられるはずもない写真なのだが、何か量感を始めとする機関車の良さが伝わってくる写真である。
鉄道員の写真でも、作業中の写真も良いが、作業の合間にある種の記念写真として撮ると、作業の活気はありつつも、長く残るであろう写真に撮られる緊張やはにかみがあってそうした複合的な良さが出たりするのであるけれど、機関車にもそういうのがあるように感じられる。
(他の写真がアカンと言っているわけではまったくないが、おそらくは子供の頃から見慣れている写真の系譜に連なる西尾写真に惹きつけられるのであろう、ということ)。

●雑感
La Musica Collana 演奏会(2025/1/8)
ぜんぶ知らない作曲家の知らない曲だった。活き活きとしたいい音・いい歌い口・いいアンサンブルで聴くとみんないい曲。
ついでに、私、カデンツァ全般を好まなかったけれど、いい音でその人の持ち味のあるカデンツァならいつまでも聴いていたいと思った。
ピリオド楽器の団体だが、ピリオドのためのピリオドではない(そういう学究的なのも時には面白いが)。

東映映画「二発目は地獄行きだぜ」1960年
最初は、高倉健(キッドの謙)が主人公かと思ってしまうが、若い高倉はまだ脇役。片岡千恵蔵(月の輪熊次)が主人公。
どうやらシリーズもの(物語としての関連性はない)で、進藤英太郎が半悪役というのも相場が決まっている模様。
あんまり変装しない多羅尾伴内くらいの昔の娯楽作らしいゆるい作りだが、セリフ周りなどが格好良く面白い。
新年初めて見る映画がこれというのも、ちょいと面白い。
題名の意味はあまり良くわからない。「自分は一発目を先に撃つような者ではないが、お前が一発目を撃つならば自分は撃ち返すし、その二発目は必ずお前を地獄送りにする。お前らごとき悪者の一発目が愛と正義の使徒である自分に命中するはずはない。」とまあこんな意味なのであろう。決め台詞を解説するの愚を犯してしまった。

我が家のチャーハンは真っ黒い「ソースチャーハン」だった。
父が作る時は、具はキャベツだけ。フライパンから直接食べたりした。
父が台所から鍋敷きとともにフライパンを持ってくる。「おい、スプーンを(人数分)持ってこい」と。
世の中のチャーハンが白いのを「何か変だな」あるいは「そういうものもあっていいよね」「中華だから仕方がない」などと思っていた。

白ご飯、キャベツ、ソース、(お好みで胡椒)だけでできて、なかなか美味しいので、お試しあれ。
肉類や他の野菜を入れても良いが、キャベツの甘みとソースの味わいを楽しむのがよいので、キャベツは相当程度火を通すをもって良しとする云々と愚考する。
なお、スーパーマーケットで売っている焼きそば用の蒸し麺についてくる粉ソースが余っているなら、あれで作るのが簡単である。

貰い物のカレンダーは、どれも「日曜〜土曜」形式だ。土曜・日曜の休みで色々組み立てを考えるのだから、土曜と日曜を並べるのが「ふつう」だと強硬に主張したい。カレンダーは「月曜〜日曜」形式にすべき。
と、思ったけれど、Googleカレンダーなどのデジタルカレンダーには、両形式を選択できるのがふつうだろう。ということは、システム側では、どの形式がよく使われているかのデータがあるということだ。見たい。

眼鏡を変えたい。私に丸眼鏡はとてつもなく似合う。まるで大正時代のご先祖様が蘇ったように似合う。だが、視野が狭まるので不可。いつものウェリントンorボストンだろうなあ。ともあれ、近眼と老眼があわさって眼鏡不要な距離もあったりする。難しい。

スイスのお気に入りの電車(青白塗装)。すぐ忘れるのでメモ。
Leuk–Leukerbad-Bahn ABFe 4/4
https://www.triebzug.ch/tpcasd.php
https://www.rail-pictures.com/bild/switzerland~heritage-railways-and-museums~blonay-chamby-bc/50346/the-llb-abfe-24-n176-10.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%AF-%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E9%89%84%E9%81%93ABDeh4/4%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A

年末年始の暇に古いスピーカー(Tannnoy Mercury M2)を使ってみる。
ピアノはソフトペダルを踏みっぱなしみたいに、ヴァイオリンは弱音器をつけたように聴こえる。女声はそれなりに聴こえるのだが。
フルレンジはそれなりに生きているが、ツィターが耄碌してきたのだろう。あるいはネットワーク回路のコンデンサーが抜けてきたか。もう30年近くになるのだね。Wharfedaleの方は、一度コンデンサー替えているからな。。。

並行して年末年始は真空管アンプ(Tu-870)を使ってみる。 なかなかいい音がするのだよね。ふだん使っているデジタルアンプは、音量音域に関わらず歪みなく平板だが少し曇りガラスの音がする。真空管アンプは色々な部分で大いに歪んでいるが美しい色が見える。そんな感じ。まあ、あくまでも少数例による「卑見」に過ぎないが。
しかし、我が家のデジタルアンプだと音像が見えないが、真空管アンプ(安物)は、弦楽四重奏の4本の楽器の位置が明確だ。うーん。真空管アンプを常用というのはちょっとなあ。環境に優しくないのもひとつ。また、消耗品である真空管が値上がりしているのでお財布に優しくない。

と思って、TA2020-020キット(若松通商)のデジタルアンプに戻そうとしたら音が出ない。むむ。
結局同じTA2020-020で作られたRSDA202を使っている。が、これはキットより音が良いようだ。何故に?
RSDA202に替えた最初はちょっと音色が悪かったが、だんだんに慣れたようだ。これくらいの音が出れば充分な気がする。
キットの方はおそらく電源側の問題と思っているが、直さねば(このキットは2台作っている)。ついでに、コンデンサなど交換して、せめてRSDA202に負けない音質にしたいものだ。。。

伝説のアンプ「クリスキット」のことを、久しぶりに調べる。 テムズ氏(https://www.haruka-tm.jp/index.html)と、らかす氏(http://racas2.com/)を若干混同していたことに気づく。まあ、例によって大きな問題はない。なお、お名前は勝手に私がつけた。これで混同の恐れがない。
お二人の語る桝谷氏(クリスキット主宰者)像が同じ、語られる言葉、語り口が同じなので、混同していた。まあ、同一人物を描いている以上同じないし類似して当然なのだが、それにしても桝谷氏の言動にブレがないのでもあろう。
また、お二人とも桝谷氏の「弟子」とも言える合理性を身に着けておられ、それぞれ社会の非合理性(反合理性)に疑問を呈して生きておられる点も似ていると私は感じる。
後者は新聞社におられた方のようだ。新聞の凋落を内部から語っている。私は昨年12/31で長年の新聞購読を止めたけれど、外からでも、「まともに取材し、分析した記事は皆無だ」と感じる程度には凋落している。
私も人並みにジャーナリズムに憧れたことがあるけれど、これらの文章を読む限り、まあふつうの日本の大企業のひとつ、だろう。
電機メーカーも自動車メーカーも凋落が明らかになったり囁かれたりしていうが、無批判無思考が社会全体の趨勢なのだろう。
昔々、大企業出身の上司から、私に対し「あなたは大企業では三日保たない(三日以内に怒って辞める)」と指摘されたことがある。まあ、そういう人間の自覚が今はあるし、そういう意味でもこうした大企業に入らずに済んだのは人生の幸運だろう。

ちなみに、私の考えとして「究極のオーディオシステム一式」を揃える気はない。オーケストラひとつをとっても発音原理が異なる様々な楽器があり、その音をすべて的確に再現できるシステムの構築は困難だろうし、また、人間は同じ環境にあると感性が鈍化していくので、「究極」が移ろうて行くと考えている。よってして、複数のシステムを聴いて、そこでの差異検出を楽しむのが良いように思う。まあ、白飯・冷奴のように「飽きない味」を求めるのもそれはそれで面白そうだけれど。

お正月の朝、日本酒を飲んだら常にないほど酔って驚いた。翌日夕刻飲むと平常どおりの酔い。
確かに食事からの時間が朝のほうが長い。単に「空腹だと酔う」という既知の事象を確認しただけだった。
少々深刻な事態を想像してしまったので、お気楽な結果になり安心。

「孤独のグルメ」にアキラ100%氏が出演していた。この方の明るさには癒やされる。ドラマ内でも「アキラ」「100%」のセリフが出てきている。というセリフを書く脚本家の配慮に相応しいアキラ氏の演技がよかった。

シェヘラザード
https://www.youtube.com/watch?v=LNwXxIm-7jI&t=1s
なんども聴いているポーランドの学生オーケストラ。オーケストラの「ひとつの生き物としての機能」について大変考えさせられる。 個々の奏者は優秀で音も綺麗、音程も良い。でも、なにかごしゃごしゃ・もごもごしていて「オーケストラの音」にはなりきっていないと感じる。どうしたら「オーケストラの音」が出るのか。面白い。

昨年(積年)の反省として、初めて組む奏者とあまり難しい曲を合わせるべきではないと思う。
あったり前ではあるのだが、つい魔が差すことが多いので改めて文字にしてみた。
色々な曲を弾きたいというのは自然な感情だけれど、我々は困難に陥って悲しむことを目指しているのではないので、少しずつステップアップするということも大切だと思う。

ベーム指揮,ウィーンフィルのブルックナー交響曲第8番のCDの音質が気に入らないが、ネットで見るとSHM-SACD版(GRAMMOPHON UCGG-9023)も同じ音質とのこと。残念。

フランス王アンリ一世の二番目の妻アンヌ・ド・キエフはウクライナ出身とのこと。フランス王家にウクライナの血が入っていたとは知らなんだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%83%8A
当時はキーウの方が先進的で、パリはみすぼらしかった・・・なども面白い。

「布団キック」は、最近の韓国語でその日にあった恥ずかしいことを寝る前に思い出すことをいう、らしい。
とてもおもしろい。
中国語の「事後孔明」(もともとは「事後諸葛亮」)も好き。下司の知恵は後からの類だね。

「第二次大戦のシュベイク」(ベルトルト・ブレヒト)なんてものがある。大滝秀治がシュベイク役。
https://db.epad.jp/s/3787
戯曲を読んでみたいが、ちょいと手に入るものでもなさそう。
(探した経緯:1.Twitterでオルタネイトチェロ奏者成田七海氏を知った。2.彼女のアイルランド音楽のライブを聴きに行こうと思った。3.ライブにバロウン奏者が参加すると知った。3.兵士シュベイクにバウロンという登場人物がいた事を思い出した。4.バウロンでネット検索した。5.その結果、多くは現存のガラス工芸家を指し、2番めに「兵士シュベイク」が当たるが、その検索結果に劇団民芸による「第二次大戦のシュベイク」の配役表も含まれていた。なかなか長い連想の繋がり。小栗蟲太郎の小説のようだ。)
「ブレヒト戯曲全集 (6)」として未来社から刊行(1999/6/1)されているね。うむむ。
ニザーミーの「ホスローとシーリーン」「ペルシア逸話集」を買ったばかりだからなあ。

指揮者 城谷正博氏
http://www.shinkyo.com/concert/p268-2.html
昔々、佐藤功太郎氏に指揮をお願いした際、下振りとして来て下さったことがある(ような気がする)。その後もご活躍とのことで喜ばしい。
アマチュア団体の指揮が面白いのかどうかはわからないが、音楽界の裾野として、若手の実技の機会としては有用な部分があるかも知れないと思った。

私が学生だった頃、愛知県立芸術大学の指揮科の大学院生にトレーナーとして来て頂いていた。ある時、「指揮科の学生でも、滅多にオーケストラを指揮する機会がない。ついては、彼らに機会を与えてはくれまいか」というお話を頂いた。で、我々としてはどうせ通し演奏の練習などするのだから、それを振ってもらえば別に無駄でもあるまいと、数人の学生さんに来てもらったことがある。
結局のところ、「練習」以前の「通し」を振ってもらい、相応には「通った」のだが、彼ら自身は思ったようにオーケストラドライブが出来なかったらしく、見るからに意気消沈してお帰りになった。
きちんと指揮棒に反応できなかった我々オーケストラがアカンということもあろうけれど、指揮棒一本振っただけでオーケストラがちょいとついて来るという幻想をきちんと打ち砕いて挙げた・・・と思うべきなのかも知れない。大学院生から明確にそう言っていただいたわけではないが、大いなる感謝を示して頂いたので、今になってそう推察するのである。
(なお、これは、二十世紀のお話なので、現在に当てはめて良いのかはわからない。)
この「大学院生」はふつうに指揮し、我々をトレーニングしていたので、音楽科の学生はそれくらいできるものだと思っていたけれど、どうやらそうでもない、と気づいた瞬間でもあった。この有能な「大学院生」氏は今もミュージカルでご活躍。メロディーラインを美しく描くセンスの良い方だったので、ミュージカル界でのご活躍は大変嬉しい。

垂直カルダン駆動。並行でも直角でもない第三のカルダン駆動。
https://hibiki.sinfo-t.jp/100th/story_railroad.html
どないなこっちゃと思うのだが、上記URLの写真を見るとはじめて納得される。

エンダーのゲームは中国語で安德的游戏(安徳の遊戯)なのね。安徳天皇(平家物語)を思い出しておどろく。が、若い人の不幸を思うと通じるものが少しありそうと思うたり。

孫文護衛の映画で「Kidnap in London」なる本が問題になっており、なんだこれと疑問に感じていた。
調べると孫文の著書『倫敦被難記』らしい。kidnap というと、児童誘拐と思いがちな私。「kid」が入っているからね。
映画は主演の大人(たいじん)振りがとても格好良いものの、(大変失礼ながら)アクションシーンを撮影するために孫文を引き合いにしているだけで、いささか中途半端であると感じた。まあ、カンフーのアクションを私は大変好むのだが、人の生き死にに関わり、政治に関わる大事としてみると不安になる。

国語辞典で「隠逸」について調べると、隣に同音の「淫佚」がある。意味が極端に異なる。
「隠逸」はなかなか好みにあう言葉だが、「自分はインイツを旨としている」などと発言して後者だと思われると大変よろしくない。
気をつけよう。
さすが、新明解第三版。「真冥界」というのもなかなか凄い変換だ。大陸書房っぽい。

Ditta Rohmann女史のCD。こういうタイプの演奏家写真は珍しい。空駆けるチェロ奏者?
https://www.hungarotonmusic.com/en/albums/9951-kodaly-kurtag-ligeti-eotvos-dukay-cello-works-solo-cello-portrait?category=643

ローラーコースター?も珍しい。
https://www.hungarotonmusic.com/en/artists/2118-rohmann-ditta

だが、そもそもフンガロトンのページを見たのはペレーニのCDを見たかったから。
https://www.hungarotonmusic.com/en/artists/20612-perenyi-miklos

能登で一年遅れの成人式のニュース。
美容院で前髪を気にしているお嬢さん。たいへん微笑ましい。お嬢さんが前髪を気にしていられる平和が続くことを祈る。
(我が国の政治家諸氏は万民の平安を考えて行動されているのだろうか?)

成人式。行ったといえば行ったし、行かないと言えば行っていない。
成人式当日、特段式に行く必要性も面白みも感じなかったので、家にいた。友人が行かないか?と誘いに来たので、行くことにした。
会場である小学校の講堂に行くとすでに式は始まっているようだった。面白くもなさそうな講話をちょっと外から覗いて、面倒だから昔遊んだ運動場を歩いてみた。式が終わって講堂から出てきた人々に知った顔を見つけ、何人かと挨拶を交わしてから帰宅した。
これを成人式に行ったというのか、行かなかったというのか。
なお、服装はふだん来ていたコーデュロイのジャケットだった。ジャンパーで行こうとして母に悲しそうな顔をされた記憶がある。

今月の誤字
 「法人作曲家」。おそらく「邦人作曲家」だろう。でも、法人作曲家があっても良いかも知れない。
 漫画の「さいとうたかおプロ」みたいなの。

 「粘菅目昆虫の細胞培養」
 「粘管目昆虫の細胞培養」 「管(くだ)」が「菅(すげ)」になっている。
落語家立川小春志氏のWikipedia。まあ、間違っているのも落語家らしいから良いや(すまん。無責任で)。

極めてどうでも良いことであるが、大阪市立東洋陶磁美術館 館長は出川哲朗氏。
お笑い芸人さんと同姓同名なようだ。
高野秀行氏ら(将棋指しと探検家)のように対談してほしい。

庭の木が茂りすぎたので、大枝を切り倒した。
街灯を覆っているとちょと夜道が暗いだろう。
作業していると道行く人やご近所が声をかけてくださる。
この後、家族総出で片付け。片付けのほうが大変。
充実した一日だったが全身痛い。

大枝を切り倒したところで、ご近所が電動鋸を貸してくださる。感謝。
体を動かしたおかげで食べ物・飲み物が異様にウマい。
お昼ご飯のマフィンに塗ったバター、休憩時のりんごジュースはふだんの五倍ウマい。脳が痺れるようだ。

「ノコギリ体験300円」の商売も考えたが大人の常識として止めておいた。
たしか、ハックルベリー・フィンにペンキ塗り商売の話があったように記憶する。

大枝を倒した際、枝葉が当たって眼鏡が飛んだが、壊れなかった。
以前、月桂樹の上から眼鏡を落とし、一ヶ月見つからなかったことがある。が、見つかった時、少々汚れていたものの、洗えば無問題であった。
不撓不屈の眼鏡。

とは言え、こんな大枝(幹)を素人がいい加減な道具で切り倒すのは危険なのである。
どんな危険があるかあまり想像できないのだが、そのこと自体が危険なのである。
まあ、植木屋さんに頼むにも相応のお金がかかるようなので、ある程度自分でやることは考えたいのだが。。。
高枝用電鋸を買いたいが、その前に、洗濯機、掃除機(ロボット?)、パン焼き機等必要品が目白押し。

NHKドキュメンタリー「72時間」が好きでよく見る。
詰まらない脚本・詰まらない演技を超えたなにかがある。
別府温泉の「貸間」は、長寿老人、病気でおそらくは余命を数えている夫婦、病気から戻ってきた男(そして見知らぬ人を交えた宴会)、貸間で結婚を申し込んだ夫婦ものと、『生きる』諸断面を構成する結果となった。編集の妙もあるけれど、湯治場とは昔からそういう場ではあるようにも思う。
(海辺のお墓は前に見たので飛ばす。)
安いガソリンスタンドも良い。「安い」のは地域全体でも同様らしいので、安いことよりも、深夜・早朝に取材していることで、ふだん(勤め人であるような私が)あまり見かけない人々を映し出しているように感じる。
高野山に雲海を見に行くご家族。交通事故死されたお子さんを偲んでの高野山行きとのこと。お子さんを亡くされた悲しみを思うと、思わず手を合わせる。

世田谷美術館「東急 暮らしと街の文化――100年の時を拓く」をちらりと覗く。
まあ、真面目なまともな催しなので、『ゴートー慶太』なんて下世話な言葉は見られないようだった。
ともあれ、五島慶太氏の書が見られたのは面白かった。素人目にはなかなかの能筆。書画骨董を集めていただけのことはある。
1970年代らしい動画に見入る方々も多く、沿線ならではの催しと思わせるものだった。
長年の鉄道ファン・鉄道史ファンとしては、言わずもがなの情報も多いが、「実物」などを見せてもらえるのは嬉しい。また、田園都市を始めとする東京郊外に「文化人」が多く住んでいたことなども面白い。これら文化的な家々は、私の子供時代の「素敵な住宅」であったりするのが懐かしい。
亡父は、百貨店にアルバイトしていた時分、「グッドデザインコーナー」関係のお使いで岡本太郎氏のお宅に訪れたことがあるというが、さてどの家だったのだろうか。

女優原田知世氏主演の映画「私をスキーに連れてって」(1987年)の舞台は『安宅物産』なのね。
で、『安宅産業』が潰れた(吸収合併になった)時期を見ると1977年。もちろん、わかっていてこの名を使ったのだろうけれど、誰のどういう意図であるのかが、まったく想像できない。
安宅産業の破綻については、Wikipedia等に詳しい。勤め人はいちど読んでおいた方が良いと思う。
個人的には、昔いた会社の実質的な創業者が安宅出身だったので、そういう興味もある。また、立原正秋氏の小説でも安宅をモデルとしたものがあり、昔々読んだ記憶がある(「春の鐘」)。
Wikipedia「安宅産業」に映画「私をスキーに連れてって」へのリンクとともに実在の商社「アタカコーポレーション」のページへのリンクもある。アタカは安宅産業の流れを組み、1990年創業とのこと。

ナポレオン時代に行われていた「腕木通信」について調べる過程で、シャルル=ルイ・アヴァスの通信社について知る。今なお通信社として知られるロイターもここから発祥したとは。

ナポレオン麾下の元帥のうちでも有能で知られたダヴーの子孫は日本人女性と結婚しているのね。なかなか驚く。

柿胃石。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jnms1923/19/3/19_3_452/_pdf
柿の食べすぎなどで起こる病気(?)。びつくり。ただし、体質・既往症など複合的な原因で生じるらしくもあり、詳細不明とか。
この論文は、N=2で書かれている。ふつうの自然科学ではN=2では論文が書けない(査読を通らない)が、医学に関しては「症例研究」みたいなのがあるらしい。そらまあ、命がかかっているし、お医者さんはたくさんいるから、こうして早め早めに情報共有することは大変意義深いよね、と思う。

指揮者ヘレヴェッヘへのインタビューを日本語訳して下さった方がいる。
そうか、フランドル人はポリフォニーに興味があるのか(少々早とちり)。
http://classic.music.coocan.jp/cond/org/herreweghe-int.htm
バロック演奏のリズミックについての言及も興味深い。
たしかに、ヘレヴェッヘのバッハは滑らかで、特に重唱が美しい。

そう言えば、昨年秋冬頃、東京大学での「ファッション」関係の講義だかが話題になっていた。まあそれはそれで良いが、東京大学たるもの、世界平和であるとか、日本の生存戦略であるとかをもっと考えて頂きたいものである。なんとなう、東京大学出身者から利己主義が香ってくるように思われることがしばしばある。誠に残念。

「WDRファンクハウス管弦楽団」なる語を見かけたが「WDR放送管弦楽団」だった。「放送」くらい訳して欲しい(自動翻訳だろうけど)。
WDRは西部ドイツ放送。演奏録音(録画)のネット公開に積極的なのでありがたい。
ウテ・レンパーさんの一人舞台。ウテ・レンパーさんは、昔、ロッテ・レーニャさんと名前を並べているのを見たことがあるので、ものすごく昔の人だと思っていた。失礼ながらご存命とは知らなんだ。
https://www.youtube.com/watch?v=GkpWgiJQnHM&t=391s
チェロの独奏も素敵(15分30秒)。
それを聴きながら微笑んでいるヴィオラの東洋人女性はMari Fukazawaさん。その前の方も東洋人ぽいがホームページにはお名前がない。

神戸の震災からもうそんなに経つのか。
当時、北海道在住でもあり、朝からテレビを見る習慣もなかったので、話を聞いたのは、職場近くの交差点だった。
信号待ちをしていると、後ろから来た同僚に「神戸の地震、知っている?」と聞かれた。
(当時はインターネットも一般的でなく、携帯電話すら持っていなかった)。
職場のとある部署では、業務上の必要があり全放送局のテレビ画面を写し出しているのを知っていたので、それを見に行った。
すると、10台ほど積み上げてあるテレビ(当時テレビはブラウン管式しかなかった)のすべてが「燃えて」いた。
長田の火災、高速道路の倒壊を知っただけでも驚いてめまいがする思いだった。
職場に神戸出身者がいたが、本当に顔色が悪かった。ご実家と連絡がつかないということで当然である。

仕事が終わり帰宅し、新聞・テレビを見つつ、パソコン通信(Nifty)に接続した(当時はアナログ電話経由で接続。おそらく9600bpsもあれば良い方)。
神戸大学からインターネットで状況を発信している方がおられ、それをパソコン通信に転載している方がおられた(発信者も拡散を望まれた由)。
Macintosh(Color Classic II)の画面上に一文字ずつ現れてゆく現地の状況を見て震撼した北海道の冬が忘れがたい。

そう言えば、神戸ご出身の方から聞いた話を思い出した。
「親父が国鉄鷹取工場に技術者として勤務していた。工場で蒸気機関車の図面を廃棄するというので貰い受けて神戸の自宅に保管していた。震災後の火災で皆燃えてなくなった」。
もしかすると、いわゆる国鉄制式機だけでなく、「弁慶」などの復元にも関係していたのではないか、と後々思ったが、もはや確かめる術もない。

40年来のチェロ友人と合奏参加。覗きに来た方に「一緒にやる?」と誘うと「ふたりがラブラブ過ぎて中に入れない」。
なるほど。そうかも知れぬ。
類例として、大人になって、幼馴染と一緒にオーケストラに参加して、飲み会などで驚かれたことがある。
「互いの物言いに遠慮がなさすぎる」
確かに「バカじゃないの」くらい言っているかも知れないし、そんなこと大人同士でふつうは言わないよね。
親戚・家族の類に近いと言われればそのとおり。
でまた、親戚ではないが、永年つきあっていて親戚みたいになったそういう人たちというのがあるのは大変大変ありがたいことである。
(親戚のお葬式でそういう方が来てくださると、私は嬉しく感じる)。

玉屋柳勢氏のその後を調べる。
神田連雀亭で見た二つ目のうちでも、最高に面白かった柳亭市楽が真打ちになった際、玉屋柳勢を襲名したとは調べて知っていたが、その後それきりになっていた。
ホームページにある言葉「不器用な自分が『本物』になろうと思ったら『本物』に習わなくてはなれない、と思ったからです。」は良い言葉だなあ。
たしか、連雀亭で噺以前の説明ですでにお客さんを笑わせていたし、その際、落語の知識がなければ笑えないようなところでも「こんなところで笑っている方はすでに落語漬けになっているので、ロクなもんじゃない」と笑えない人を救ったり、実に大したものだった。こういう大きな心を持った方に笑わせてもらいたいと思うのだ。
福島までこの方を聞きに行くのもよいかも知れない。
連雀亭で聞いたのが2019年。確かにその後個人的にも様々なドタバタがあった。落語家を追い続けられなかったのも仕方がない(と自らを顧みて無くもがなの言い訳)。
柳勢氏、『円紫さんとわたし』を読んで落語家を志されたのね。このシリーズは「ひたむきさ」をうちに秘めた人々が登場されるものであって、いかにも真面目でひたむきな柳勢氏に似つかわしい。私も好きなシリーズであり、こうしてつながることが(私は無関係な人間なのだが)とても嬉しい。

昔、家にあったビーチャム指揮のフランクの交響曲。フランス国立放送交響楽団。これか。
https://www.discogs.com/release/16712811-Sir-Thomas-Beecham-Franck-Orchestre-National-De-La-Radiodiffusion-Fran%C3%A7aise-Symphony-in-D-Minor

昔々、大学オーケストラにいた頃、OBから「使っていないチェロがあるから進呈する」と言われ、OBの勤務先に楽器を取りにいったことがある。
それから何十年後、出張で名古屋城の近くを通った。「この広い交差点に見覚えがある」と思いきや、この「勤務先」が目の前にあった。
現在の名古屋医療センター。当時は国立名古屋病院。
旧名「国立名古屋病院」を調べるためにWikipediaを読んだが、その昔、陸軍が名古屋城内にあり、隣接する家老の屋敷後に陸軍病院を作った、その後身なのね。
道理で名古屋城近くにあるわけだ。
我々が生きている世の中が江戸や明治と繋がっていることをよくよく感じることができた。
さて、あの楽器は大学オーケストラの若手に使ってもらっていたが、その後どうなったのだろう。
(送り主に礼状を出せ、演奏会に招待せよなどと言ってみたものの、その後どうなったことやら)。
まあ、私が使っていた7/8の楽器も、名古屋市立向陽高校の弦楽合奏部に貸し出して、その後行方不明と聞く。(向陽OGが調べてくれたことがあるが、行方不明という結果が返ってきた。どこかで元気にしているとありがたいのだが・・・)。

ブラームスのクラリネット五重奏曲のヴィオラ演奏版を探していてみつけた。
https://www.youtube.com/watch?v=PjQifgZL23U
なんというか「反室内楽」と感じる。「非」でも「無」でもなく、「反」。たいへん興味深くはあるのだが。。。
これよりは、たとえばバルビローリが指揮したウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が演奏するブラームスの交響曲第三番の方が、「室内楽」だよね、と感じる。

「田舎でも自転車だけでじゅうぶん暮らせる」論(愚論)をネットで見かける。
私が札幌で暮らし始めた際、札幌を「田舎」だと感じた。当時、札幌には弦楽器専門店がなかったことが一つの典型だろう。
複数の楽器店があったが、どの店も、ピアノもピアニカもヴァイオリンもバラライカも商っているイメージであって、ヴァイオリン3台にチェロ1台を並べてあるが、とても弦楽器の知識のある店員がいるとは言えなかった。
(積雪・凍結を除外すれば)札幌ならば自転車で暮らせるかも知れぬ。でも、積雪・凍結を考えると無理筋だね。

一方、北海道の地元民に言わせれば、札幌は「都会も都会、物凄い大都会」であると言う。何故と問うとあまり要領を得た答えは返って来なかった。例えば以下のごとし。
 札幌には地下鉄が走っている。
 知らない人が住んでいる(田舎はみんな顔見知り)。
でもって、自分が道東に行った際、自動車で走っていると本当に「ぽつんと一軒家」を見かけた。自動車で相応の速度で走ってさえ、隣家と30分以上もあるような家。冬、雪に閉ざされたらどのように生きていくのか心配になる家。そんなのがちょいちょいある。
こういう家は相当程度大きいし、自立して生活できるよう、燃料その他の貯蔵にも充分意が払われているようだった(当然である)。
こういう家を見た時、しみじみと「札幌は都会である」という意味が腑に落ちたように思う。
こういう田舎で自転車で暮らせというのは、積雪があることと合わせて完全に無理筋だろう。
さて、今様に言えばテレビ番組「ぽつんと一軒家」(テレビ東京だと思ったら朝日放送だった)や「ドキュメント72時間」(NHK)の積雪地の回を見れば、「田舎でも自転車だけで・・・」と言えないことがわかるかも、と自分は思う。

「比較で読みとく スラヴ語のしくみ」を読んではみたい。が、お値段も相応だ。
いい加減な多言語愛好者である私。おそらくは読み通せないような私が買って良い本だろうか。
youtubeで、スラブ語話者が集まって「各国のスラブ語がどの程度理解されうるか」を試みる動画があった。あれは楽しかったので、その延長でで考える私。

『「Yahoo! BB ADSL」が2024年3月31日をもって、22年間の歴史に幕を下ろした』とのこと。
昔、YahooBBのADSLサービスに申し込んだが接続できず、問い合わせ窓口にメールを書いた。
返答ないまま3ヶ月ほど経過したので、解約。解約後1ヶ月ほど経ってから「解約しているのに問い合わせするな」とメールが来た。
問い合わせが解約以前であることを知らせたら沈黙。お詫びの一言もなかった。あれはあれでひどい商売だった。
勢い任せのベンチャー企業ってば良いところだけ宣伝してアカンところはなかったことにするのね、と感じた。

雑誌「鉄道ジャーナル」休刊とのこと。あまり読んだことがない雑誌。
鉄道模型趣味、鉄道ピクトリアルが自分の「本道」。本道ですら毎月購読をしたことがない。
思えば母の教育「できるだけ固定費を作るな」は、現在のネットにおける「解約しづらい問題」を看破している。
雑誌に関しても、「結果的に12ヶ月買っても良いが、個々の紙面を見た上で判断せよ」は、子供のお金の使い方として正しいように思う。

チェロ椅子
https://ameblo.jp/iphone-fan/entry-12759614298.html
2022年に書かれたこのページのamazonでは、2,200〜2,387円となっているが、リンク先に飛ぶと4,828円。
諸物価が倍になっている証拠のひとつ。
物価上昇に対し政権が安穏としているように感じるが、そんなものなのか?

と調べたりしたのは、我が家でする室内楽練習用。結局、IKEAで椅子を買った。
PINNTORP ピントルプ(4,000円)が安くて良いなと思ったが、よくよく見ると、ÖSTANÖ オスタノ(2,000円)はさらに安い。
通販だと送料がかかるが、椅子4本・往復の電車代と思うとさほど高い送料ではない。本当であれば、椅子は座り心地を試して買うべきだと思うけれど、まあ安いし買ってやれと思って買ってみた。
宣伝文句としては「心地よくて頑丈なチェア。金属フレームに柔らかなシート、快適な背もたれ、カーブした形が特徴です。 モダンな印象の、飽きの来ないこじんまりとしたデザインは場所をあまりとりません。しかも、驚くほどお手ごろ!」とのこと。
大体において正解だったと思う。高さ・座り心地・堅牢性など楽器練習にはよさそう。組み立ても簡単であり、重くもないのは利点。
(最低な椅子は、前下りで、前後左右の中央が凹んでいて尻が挟まり腿にパイプがあたる椅子。さらに低すぎたり音がしたり。。。)
耐久性はわからないが、我が家でそんなに頻繁には練習しないので、さほど問題になることはないだろう。おそらく、床との接点がプラスチックなので、いずれ割れるだろうけれど、その頃には、布の座面がボロくなって買い替え時になっていそうだ。バラせばゴミ収集にも出せそう。
積み重ねはおおむね可能。よってして折り畳めはしないが収納的にも悪くはない。
で、IKEAとしては配送・組立はお客が自分でするのが標準。配送を頼むと、サービス関連のアンケートが飛んでくる。このアンケートは、配送と組立の双方について淀みなく聞いてくる。「私は配送だけで組立は頼んでいないのですが・・・」というスキを与えない。さあ、どうやって答えたら良いのか。結局途中で止めた。

数年前、父がグループホームに入居した時、「時々母がホームに行って一緒にお茶を飲んだりするかも知れない」と思い、父の個室に置く机と椅子のセットを探したのだった。IKEAか、無印良品か、ニトリか。結局コロナ禍で家族と言えどもホームには入れず、そうしているうちに母が亡くなり、父が亡くなりして、机も椅子も一場の夢となった。だから、改めて椅子を買ったりする事にはいささか情緒的にならざるを得ない。
そうやって父母を思い出すのもまた供養と思っておこう。

中世欧州を舞台にした映画「冬のライオン」。「風とライオン」(リフ戦争を主題にした映画)でもなければ、「魔女とライオン」(ナルニア国)でもないし、さらには「白いたてがみのライオン」(ヤナーチェクの伝記映画)でもない。済みません、ただそれだけです。

我が家の前を、保育園児たちが歩いてゆく。数人の先生方が歌をうたい、園児たちは歌とも言えぬ不思議な掛け声を各々勝手気ままなリズムで挙げている。
私の中のマーラー先生がおっしゃる「これこそまさにポリフォニーだよ。クレンペラー君」。
素晴らしいポリフォニーにしてポリリズムであった。

4弦のヴィオラ・ダ・ガンバ。ネットの質問コーナーで話題になっていて、「そんなもの本当にあるのだろうか?」と思ったらebayにあった。   https://www.ebay.com/itm/254379722135
河北省衡水市の業者さんらしい。6弦ガンバも売っているが、こうした謎楽器の仲間でないか、なかなかコワい。ネック先端の装飾を女神像にしている商品もあるが、あまり西洋的でないお顔に見える。また、ガンバは背中上方が斜めになっているのが普通と思われるが、ここの製品の一部は斜めになっておらずチェロっぽい。「チェロ風ガンバが存在する」という噂はこれのことだろうか?
また、ガンバを売っているもうひとつの業者IESTA社は、本社はドイツで工場は中国(北京?)。中国の人、ガンバ好きなのかしら?
自分の中のアジア人的感性としては、剛直なチェロの音より、典雅ではんなりとしたガンバの音の方が良いかも、と思う。

タラス・ブーリバ
https://www.youtube.com/watch?v=D3zsZ2XG-1w
相変わらずのヤナーチェク節。冷静なんだか熱しているんだかわからない。
非常に高貴で美しく、でも野蛮で魁夷。何か全体像が見えていない巨大なものの極く一部だけに触れているかのような謎めいた感触がある。

NHKクラシックTV つんく氏の回を見る。なかなか良かった。
つんく氏は「アーティスト」だ、と思った。また、女性を姓で呼ぶのも好感が持てる。
私はカルテット弾きとして、1個の四分音符を見た時、時間・空間の枠組みの中でこの1個にどんな色を塗るか(場合によっては何色に塗り分けるか)を考える。四分音符を十六分に割って演奏するか、もっと鈍重にするか考えることもしばしばある。これらは、つんく氏が歌唱・ダンスに要求していることと同じだ(と勝手に感じた)。
そこまで歌唱やダンスを追い込んでいないと「パンツのゴムが緩い」ことになる。つんく氏の方法によって、パンツがぴちっとジャストサイズに決まる。
今回に限らず、清崎氏も悪くはない(大体においてはとてもいい)のだが「あいりチャン」呼びは『時代遅れのオッサン』に見える。昭和の昔が再現されたみたいだ。

16ビートと直接関係がないけれど、昔、ある市民オーケストラに出してもらった時のことを思い出した。
リハーサルでの演奏はさほど悪くなかったけれど、やはり最後の最後で「パンツのゴムが緩かった」のだろう(私見)。
指揮者横島氏は「皆さんきちんと演奏しているのだが、演奏で埋めなければならない枠のぎりぎりまでしかない。そうではなく枠からはみ出して枠内が完全に埋め尽くされているようにすべき」風のことをおっしゃった(私理解)。
その言い方があまりにもしみじみとしていてオーケストラ諸氏の胸を打つものがあったからか、以降の演奏はキリッと引き締まり、ひときわ格が高くなったように思う。
一言でオーケストラを変える「ことば」についても考えさせられるが、そうした言葉を発するまでの作り込み・タイミングもまた考える必要があるだろう。魔法の言葉はいつでもテキトーに発すれば良いのではない。魔法の言葉は魔法の手順・魔法のタイミングで発した時のみ有効になるのであって、そうでなければ空疎なのだ。そして、横島氏はそうした魔法を体現できる素晴らしい指揮者である、と感じた。
「枠いっぱい」を見切るためには16ビート等のように正確に間合いをとる必要がある。表現は異なるけれど、おそらくは同じ心であると、私は感じる。

NHKに香取慎吾氏が出演しておられる。と知って驚いたのだが、よくよく考えると性犯罪に関わりがあるのは、中居正広氏だった。
お二人の識別が出来ていないことがわかった。
ともあれ、性犯罪をする者らは罰せられるべきと思った。
これまで民放4局の区別がつかないのでフジテレビのチャンネルボタンを押したことがないが、この度はじめて「CMがどうなっているか」を見るために、番号ボタンを押した。

ネットでちらりとみた「立原正秋氏の朝食」。板海苔を炙って、塩と油で食べる。今様の知識でいえば「それは韓国料理である」。昭和に氏の書を読んだ頃、韓国料理のことは何も知らなかった。かろうじて、焼肉とキムチ(当時は朝鮮漬という言葉が書かれていることも多かったと記憶する)だけが知れていた。そしてまた、彼自身は日韓混血を自称していたが、実際には両親とも半島出身者だったと後に知った。そうした事々をすっ飛ばして、板海苔のこの記事を楽しむことは、私にはしにくい。
同じ記事にレバーの生姜煮、ステーキ(塩とタバスコで食べる)なども並んでいるが、これらもまた朝鮮半島出身だった彼の好みを暗示しているのかも知れない。同じように半島出身者が読めば、当時であっても「彼も半島と縁が深いにちがいない」と感じたのだろうか。

片野正巳氏没
30年間鉄道趣味から離れていた間も、『陸蒸気からひかりまで』と『私鉄電車プロファイル』は手に届く書棚にあった。
これら書物から多くの良い夢をみさせてもらった。深く感謝。

Vivid Consort のリコーダー奏者 Sheng-Fang Chiu 氏は台湾ご出身。やはり台湾は「笛」の国であろうか。
他のお二人と違ってうたは歌われないが、笛に関しては一番むつかしいところを楽々と吹いておられるように見える。

ストリンガーズ(Vn+Vcのデュエット。ケルト音楽が主?)のライブに行けなかった。残念。
私は、島根朋史氏、成田七海氏らに興味があり、アラブ音楽入門を読み、なんとか室内楽でクラシック音楽に引っかかっているが、何か日本のふつうの管弦楽団にあまり興味がない・・・のだろうか。自分にはおそらく大きな欠落があるのだが、あまりにも大きい欠落はむしろ気がつくことができない体のものかも知れぬ。(RとLの区別がない我々には、自力ではRとLの区別を発見することができないように)。

いくつかの日本企業に勤務して思ったのは、「人数がある程度増えると、その組織は日本人の統計的平均に近づく」ことであった。日本のオーケストラが日本人の統計的平均に近いのはおそらく真実でもあろうけれど、そうした状況下でプロフェショナルなオーケストラはどうやって商品性を高めるのだろうか。
『地の利』はもちろんあるだろうし、演奏会の企画・選曲などもそうだろう。だが、「音色」とか「演奏様式」といったオーケストラの本質に根ざす部分はどのように制御されているのだろう。まあ、「指揮者として誰を呼ぶか」あるいは「新しい奏者としてどんな人を採用するか」という見えにくくも、制御しにくい部分に依存しているのだろうと愚考するところ。
(いわゆるピリオド系以外で演奏様式を強く打ち出している団体はないだろうなあ)。

弦楽四重奏のレッスンを受ける。
自分自身には強固にして莫大な無知があり、その無知を見過ごして居るような気がしてきた。
レンブラントの「夜警」の塗り絵を買ってきたは良いが、塗るべき色鉛筆が三色しかない。そんな感じ。
とは言え、自分自身が「夜警」を三色であると認識しているならば、そのように塗り分けてもよいだろう(少なくとも、素人が己の楽しみとして塗る限りにおいて)。

一方で「和声理論」は、「物理理論」と違って宇宙普遍なものではない。「こういう響きを皆が良いというんです」というのをある時代・ある地域で切り取ったものであり、ベートーヴェン時代の和声を理論面から切り取ることにいささかの心理的抵抗もないでもない。一方で、人間なんて数百年でそんなに変わらないという発想からは、まあ、音楽理論も少し踏まえておけば良いのでは?と思う。(と言いながら、演奏・練習の中で理論を使いこなすだけの訓練コストは馬鹿にならないなあ・・・まあ「臨時記号は『事件』」「変な響きがあったらどんな音を積んでいるか確認」くらいが現実的であろうか。)

同じ主題の異なる変奏曲。たとえば、ラ・フォリア。変奏を混ぜて演奏することも可能・・・だろうね。面白いか、意味があるかは別だけれど。
以前、「難しい変奏はトバす」というのを思いついた。が、誰も実行していないので、安心する(思いついたわりには)。

西大井をローマ字で書くと Nishi-Oi 。漢字とローマ字の字数がアンバランス。西はローマ字5文字なのに、大と井はそれぞれ一文字。

Den älskande 恋人(スウェーデン語)。シベリウスはRakastava(フィンランド語)の題名を付けているが、恋人ならば、Rakastajaになるらしい。Rakastavaでは「愛する」。むむむ。
ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの「O dulcis electe」の後にこれを流すスウェーデン放送。
その後は、フランシスコ・タレガの「アラビア風奇想曲」
それから、サミュエル・ドゥシュキンの「マリア・テレジア・フォン・パラディスのシチリアーナ」。 Wikipediaを見るとなかなか興味深い。パラディスもドゥシュキンも始めてその名を見る。

「クレージーの大冒険」日本各地の有様が懐かしい。蒸気機関車が走っているのは東野鉄道だろうか? 六角形の金属的な廊下から脱出するのは、スターウォーズのネタ元か?

今年、どこに旅行に行こうか?
行ったことがない都道府県?
 徳島県、愛媛県、佐賀県、大分県、宮崎県、沖縄県は行ったことがない。
 山口県、広島県、鳥取県は宿泊したことがない。
 鹿児島県は奄美大島のみで内地は行ったことがない。
 熊本県訪問は幼い頃で記憶がない。
離島?
 行ったことがあるのは、奄美大島、伊豆大島、直島くらい。  名前が浮かぶのは、対馬、隠岐、五島、江田島、小豆島、淡路島、佐渡ヶ島、八丈島、利尻、礼文、奥尻・・・。 海外?
 台湾、フィンランド?
それとも昔行ったきりの場所や、近くを通っただけの場所?
 知多半島、渥美半島。飯田線沿線、滋賀、金沢・高岡?
一日、田舎を電車かバスに揺られて、その隙間で知らない町を少々うろつけば良いので、どこに行っても同じといえば同じ。以前行った八木・新宮のバスもそうだし、東京・名古屋の移動に二俣線を入れるのも同じ。

庄田耕峯の新版画なかなか良い。覚えておこう。
まあ、新版画は「わかりやすさ」が結構はっきりしていて、それがため情緒に不足すると思うこともあるけれど。

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