みんなバーに帰る パトリック・デウィット 茂木健
本当にダメな人たちのお話。これを読んでいると自分の肝臓が腫れていないのが意外になってくる。
「シスター・ブラザーズ」の作者の最初の作品とのこと。読みやすく助かる。先月のヴァージニア・ウルフは辛かった。
悪漢文学でもあり貧困文学でもある。米国は文学輸出国であるが、その中に結構貧困文学があるように思う。
怒りの葡萄、欲望という名の電車、ザ・ロード(ジャック・ロンドン)なども貧困文学ではないか?
(大学の英語の授業で読んだ短編(題名失念)がまさにプア・ホワイトの出てくるやつだった。横丁で逢瀬を重ねる若い男女だが、富裕な男の家の大掃除で殺鼠剤を撒いたその日、貧しさを隠していた女が男の眼の前で倒れる・・・てふのだった)。
コーヒー哲学序説 寺田寅彦
青空文庫。ディー・レスタリ「珈琲の哲学」について調べた時に出てきた。
相変わらずの達意の文章。こういう文章を読むと、自分の頭が良くなったかのような錯覚が得られる。
(それに比べると、1月のヴァージニア・ウルフは現実を突きつけてくる辛さがある)。
禁酒宣言 上林暁・酒場小説集
ちくま文庫の「昭和シリーズ」(と、今私が名付けた)。
この方もまた私にとっては未知の作家。なんとなう蟲文庫店主がこの方を称揚していたような気がするが、誤った記憶かも知れぬ。
昭和の佳品を書く方々の例に漏れず、面白うてやがて切なき物語哉。
「みんなバーに帰る」とともに、酒飲みの悲しさを描いて余すところがない。また、この書もまた「戦闘以外の戦争」の一面を(あからさまではないにせよ)持っているように感じる。
皆人が戦争によって頭がおかしくなっていなければこんなにも酒を飲むはずがない、と私は思ってしまう。正しいか否かはわからないけれど。
ともあれ、これらの短編が実話ではないにせよ、ダメな酒飲みのダメな話が多く、読んでいて少々悲しくなる。そうなると、木山捷平の方が良かった、と思ってしまうよね。
また、上林は織田作之助を批判していたようだ。昔の作家同士の批判にいちいち意見を持っても仕方がないが、私としては織田の方が良いかな。
暗黒公使 夢野久作
「暗黒公使」と書いて「ダーク・ミニスター」とカナを振る。禍々しくて格好良いね。これなむ中二病。
初出1933年(昭和8年)とのことで、冒頭割合勇ましい排外的言辞もまぶしてあるけれど、読んでいくと特段思想小説ではないので、読める。
なかなかおもしろく読めた。偶々時間があったこともあるが、久しぶりに一日で一冊読んだ。
初めての夢野がこれになったのも可笑しいかも。書店で台車に積まれた書のひとつだった。動いている書には動いているものの魅力がある。
万載狂歌集 太田南畝
私ごとき浅学の者には楽しむ事が難しかった。なかなか辛い。もちっと立ち読みすべきだったね。残念。
おせち 内田有美ほか
きれいで楽しいおせちの絵本(写真のように見えるが「絵」であることよ)。
それぞれの料理にそれぞれの縁起が書かれているが、また別な情報では、こうした「現代おせち」は昭和の豊かさの中で出てきたものも多く、決して古来からのものではないとも聞く。そういう意味では、我が家がそうしているように、好きな食べ物をおせちに取り入れて、好きな縁起を創ることも許されよう。
高慢と偏見 オースティン 中野 康司
なかなか面白い。イギリスのユーモア小説(冗談小説ではなく人情小説)の系譜に連なるものと思って読んで良いのではないか。
女性の登場人物が多めで性格づけもしっかりしているが、男性側は若干類型的。それが面白さを損なうものではないが、「女性作家ならでは」かも知れぬ。
また、作家本人は、たとえば五人姉妹の誰に自己投影しているか、少し気になる。おそらくは次女エリザベスであろうとは思うけれど。
翻訳もユーモア小説らしさを活かしており、冒頭で「取らぬ狸の皮算用」なんて書いているが、英原文をチラ見した限り、なかなかこのようには訳せない。私はこうした翻訳を好むのでたいへんよろしい。
昔々、「ジェーン・エア」を読んだりして、英国小説の「暗さ」を予想していたが、まったく其の方面ではない。
「カンターヴィルの幽霊」(オスカー・ワイルド)、「ウェイクフィールドの牧師(むだばなし)」(ゴールドスミス)、などの暖かさ・人情味を感じる。
ツンデレ系恋愛小説としては「続 あしながおじさん My dear enemy」に通じるかな?(五人姉妹として有名な若草物語は未読)。
描写が簡潔で、各章も短く、お話がサクサク進むので、読みやすい。なんとなう新聞小説ではないように思うが、新聞小説的において読者を惹きつけ続けるために、山を散りばめ続けるのに似ているように感じる。
老人的に言えば、若い人が恋愛も含めた人間の何を知っているつもりになっているのか、というところ。老人としては、若くして無知であり、老いてなお無知であり、かろうじて無知の知を多少味わったと感じる。妄動なくして小説なし。もちろん小説作品としてはこれで良く、私は実に楽しく読んでいるのである。
訳もたいへん良いが、下巻の274ページの「ケチ」は「狭量」くらいの方が良いかも。。。。なかなか重大な単語なので、軽いカナ文字でないと良いなというのと、ケチの語は、吝嗇・卑小などの意味も同程度に持つということで、趣味嗜好の類であるけれど。もひとつ、「保証」とすべきところを「保障」と書いてある2箇所は直した方が良いと思う。
茂吉彷徨 北杜夫
晩年茂吉以前に読んでいなかったことに気づき、こちらを先に。北杜夫自身が実感を持って書いているので、読みやすく面白い。
茂吉の恋、我儘さ、頑迷さ、フモール、これら多くの面を描くのは、家族であり、茂吉のフモールを継ぐ小説家であった北杜夫だけが出来たことだ。
弟子筋であればはばかることをも「人間茂吉」として余さず描いている。むしろ家族こそ影の面を描かなかったりするが、そこを踏み越えたのは、北杜夫の自覚として、自分自身が茂吉に多くを負っていることによるのかも知れぬ。青年茂吉を読み出した時はいささか面白みが少ないようにも思ったが、ここに来て俄然面白くなった。青年茂吉・壮年茂吉・晩年茂吉に挟まれて、この巻のみ茂吉彷徨と逆順にしている意味もなんとなうわかるように思う。
旧青山脳病院松澤本院跡にある茂吉の歌碑「茂吉われ院長となりいそしむを 世のもろびとよ知りてくだされよ」を見てからやっとここまで。
この歌にも、北杜夫が強調している茂吉のフモールが感じられる。
井月句集
伊那谷を徘徊していた脱俗の俳人井上井月の俳句集。少々めくり見たるのみだが、平易にして高雅、慕わしう思われるもの。
伝記類も付されていて、行き届いた書である。
伊那谷を旅したことがある者にはまた思い入れ深いものがある。「松島」というのは「伊那松島」(静岡鉄道管理局伊那松島機関支区があった)ではないかと思ったりもする。最近、鉄道趣味の延長で伊那谷の伝統的家屋の形式を調べたりした(ネットで画像を探すだけだが)をしていたこともあり、なかなかな驚きであった。シンクロニシティ。
フランクを始末するには アントニー・マン
ちょいと刺のあるユーモア小説。悪漢小説・貧困小説と言って良い短編もある。そして、欧米(に限らないだろうが)の貧困小説には時々薬物中毒が描かれるように思う。「誰がために医者はいる」をなかなか読めないでいるが、依存症は現代社会の大きな病としてもっと考えるべきなのかも知れぬ。
表題作「フランクを始末するには」がなかなか出てこないので、「早くフランクを始末しろよ」と思ったりするけれど、
おだまり、ローズ 子爵夫人付きメイドの回想 The Lady's Maid : My Life in Service ロジーナ・ハリソン
実録だけに面白い。翻訳も行き届いたものと思われる。
近代と現代の間でもあるような時代。第一次世界大戦で男子徴兵のため、屋敷内の使用人がほぼ全て女性になったことを「ウーマン・リブ」と表現するなど、「エマ ヴィクトリアンガイド」でも示された「総力戦によって、大量の兵士を動員するために階級差が消えていった(消えざるを得なかった)」を思い出させる。そう言えば、中世欧州においても、「軍旗を三回頭の上で振ると自由民になれる」的表現があったように思う。(ここで勝手な演繹を行うと、戦争を称揚している保守層は女性開放を目指しているのか?)
相当に高慢で奇矯な子爵夫人とのやりとりも面白いが、貴族と警察の関係、宴会などではトランプを二晩で廃棄してしまうなど、現代からは思いもよらぬ話がたくさんある。
そう言えば、宝石サンシーはこの家にあったのね。ルパンが発見し、フランス共和国に寄贈した(と、小説「ウネルヴィル城館の謎」にあったはずの)あの宝石が!。
表紙カバーにもあるように、ジョン・シンガー・サージェントが肖像画を描いた、ということからも富裕のほどが知れる。
サージェントの絵をGoogle Art&Cultureで探すと、肖像画(一種の美人画)以外に、戦争画もある。確かにそういう時代だった(おだまり、ローズもそうであるように)。
https://artsandculture.google.com/asset/gassed-0000/2AHwiYWpCD8WQw
https://artsandculture.google.com/asset/studies-for-gassed-0001/tAF-xObnUTNdbA
誰がために医者はいる 松本俊彦
依存症の原因にトラウマ。そう言われれば(素人目にも)それが正しいように思われるが、精神医学はなかなかそれを認めてこなかったようだ。
医者というのも世のため人のためという以前に、己のためだったり権威に従属したり、ということではある(この方はそれを批判しておられるわけだ)。
我が父も、軽度のアルコール依存症だったのではないか、と思うにつけ(暴力を振るうこともなかったし、理性的行動が出来ていたとは思うものの)、他人事としてではなく、悲痛な思いで読んでいる部分がある。
薬物依存症が変化しているのに、精神科医療も社会もそれにまったく追随できていない、ということに衝撃を受けた。
私はほとんど薬を飲まず、医者通いもしていない生活をしているので、思い当たらなかったが、現代社会の深い問題がここに現れている。
松本氏は、親が医者というわけでもなく、様々な社会階層の人々と直接に接する事があったからこそ見えているものがあるのだろう。医者の子が医者になったからとて、自らの恵まれた境遇に気づかず、病者もまた自己責任と思うことがあるのではないかと想像する。
ベンゾ処方激減と大腿頚部骨折増加の関係なども丁寧に解説してあり、素人にもたいへん行き届いた文章になっている点、「流石はみすず書房」と思わせるものである。
近所の書店の「みすず書房まつり」(?)にもこの書が並んでいた。良いことである。
鉄道ピクトリアル 国鉄輸入電機の系譜(2025年)
最新号。明治・大正期において、鉄道は当時世界的に最新技術であった。西欧諸国に遅れて近代化を進めた我が国では、多くの技術を導入し、そこから学び(雑にいえば「コピー」し)、その後の発展に至った。
電気機関車技術が発達していた米国機・スイス機は優秀だったが、英国機はアカンかったなど、面白い。まあ、そうした技術的面白さとは別に、外見としての格好良さを云々して良いのも愛好家の権利ではあるのだが。
原子力発電所も電気自動車もすべてそうだが、大きなエネルギー(密度なのか規模なのかちゃんぽんに理解しいるが)を使うには様々な困難が伴うよね。様々な技術入門書があるけれど「こういうところがキツいからこういう技術でカバーした」的解説がされていると嬉しい(が、素人に噛み砕いて説明するのは難しかろう)。
鉄道ピクトリアル 2Bテンダ特集(1968年)
古い雑誌を読むのは好き。「2Bタイプじゃまるで鉛筆みたい だから よん・よん・れいと人は呼ぶ」という蒸気機関車。
本題も面白いけれど、写真展の入賞者に鳴海町下郷氏が入っているのを見つけた(当時のこととて住所が全て入っている。私が知っている下郷家ではない方だ)。
下郷氏は庄屋かつ鳴海宿本陣。下郷(下里)知足氏は松尾芭蕉と交流があるなど、鳴海で知らない人はいない一族。
また、数学者一松信氏が連載記事への感想を投稿されている。当時の肩書が立教大学教授というのもWikipediaの履歴と合致(京都大学の印象が強方ので、つい確認してしまった)。
うだうだWeblog(https://na-inet.jp/weblog/archives/000843.html)によれば「コンピュータへの応用も広く視野に入れ,(たぶん)60年以上も縦横に活躍し,今も現役であり続けている一松」。数学雑誌への投稿はよく知られているようだが、こういう投稿もマメにされていたのね。
などというのはさておき、梅小路蒸気機関車館で蒸気機関車を動態保存する方法の模索(技術伝承が可能かどうかも含めた本当の模索)について書かれていたり、非常に面白い号であった。
面白そうな本のメモ:
呉明益 『複眼人』(小栗山智 訳 / 角川文庫)
ディー・レスタリ「珈琲の哲学」
年度末なので本が読みたくなる・買いたくなる。すでに買って・積んである本があるにも関わらずそれらを顧みず、以下を買う。
高慢と偏見 オースティン、ちくま文庫
フランクを始末するには アントニー・マン(始末する、という雅な訳語がたいへんよろしい)。
暗黒公使 夢野久作(暗黒大使で検索すると仮面ライダーの悪役が。書店でカートに山積みになっているなかでも光彩を放っていた!)。
イギリス人の患者 オンダーチェ(まったく知らない作者。似たような名前の映画があるが、それとの関係もわからない!それが素敵)。
井月句集 (伊那谷のびんぼう俳句詠み。それだけしか知らないが、それだけでもなんとなう他人という気がしない。)
おだまり、ローズ ロジーナ・ハリソン(子爵夫人付きのメイドの回想録。以前、漫画「エマ」のためのメイド文化入門(?)的書物を読んだが、大変興味深くも勉強になったのだった。メイドや執事に興味のある者はぜひ読むべき!「エマ ヴィクトリアンガイド」森薫と村上リコという其界最高の二人組!)
紀伊国屋ウェブサイトで「カラスウリ」を検索すると「基礎からの数理統計」が2冊当たる。
「きそカラのスウリとうけい」となるからか!
基隆とスコットの関係は不分明だがこの類だろうか?
「患者の眼 コナン・ドイルの事件簿」(デイヴィッド・ピリー)を読んでみたい。というか、2011年3月に読んだメモがあるが、記憶がまったくない。続篇が訳されていないのが悲しい。
原書は、The Patient's Eyes (David Pirie)
続篇は、The Dark Water: The Strange Beginnings of Sherlock Holmes
ランペドゥーサ「山猫」(岩波文庫)を買い忘れていることに気づく。まあ、岩波は古本もきちんと流れるので、いつか・どこかで出会うであろう。と自らを慰める。
「タンクレディ」は「よく考えられた助言をする者」なのね by Wikipedia。決して「戦車の淑女」ではない。
九四歩
織田作之助「聴雨」で「坂田の青春」と言われた奇手。おそらくは望みのない奇手だが、そう言えば、これにつながるような話を聞いたことがある。
アマチュアの相当な将棋指し、ゲームセンターのコンピューター将棋を指す際、種々相手の出方を探るうち、初手を定石にない手を打つと、コンピューターが長考に入り、結果的に自分自身の考える時間が増えることを発見。その際の「奇手」として「端歩突き」すなわち「九四歩」を使った、とのこと。
関東名人と関西名人の大一番で放たれた「奇手」が流れ流れてとある地方都市のスーパーマーケットのゲームセンターで打たれることの不思議さよ。
その方は、コンピューター将棋ゲーム機の上位十位をすべて自分の名前に書き換えてその場を去ったという。
キーボード「H」が入力できなくなったため、表を引っ剥がし、中身をグリグリ。
その結果、入力できるようになったが、画面に「hhhhhhhhhhhhh」と並ぶ。小説「HHhH」を思い出し慄然とする。
東京創元社の「HHhH」のページからサントリーへのリンクがあるので踏んで見るが、中身はない。そのくせ年齢確認が出てくる虚しさよ。
このあたり、雑感と読書の記録(書物に関係あること)の境界だね。Bookish な人間なのだろう。
●雑感
演奏会2つ。
ひとつは、ブラームスの弦楽六重奏第一番(Op.18。第一楽章のみ)。
もひとつは、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第五番(Op.18-5)。
どちらもOp.18(ということに深い意味なはいけれど)。
ベートーヴェンのOp.18は「昔ながらの6曲組」。
でもって、枝番1-6は作曲順ではないとのこと。まあ一連の作品としての並べ方があるべきだよね。
ピアノ・ソナタはOp.13「悲愴」を含む第10番まで、ピアノ協奏曲は第1番Op.15、第2番Op.19。
ヴァイオリン・ソナタは第3番Op.12-3まで。チェロ・ソナタは第2番Op.5-2まで。
交響曲は第一番がOp.21なので、まだない。
ブラームスは、「講演を聴いて、その後の休憩後」という「あちらさんのタイミング」で弾かねばならなかった。
ふだんは「演奏のためのタイミング」であり、そういう意味では恵まれておるのだな、と思った。
まあ、全面的にアカンわけではなかったが、少々緊張したし、最低限をしようとする演奏になっちまったなあ。いちおう義理は果たしたということで。
講演自体は「コーポレート・ガバナンス」てふ私には縁の薄いものかと思いきや、キリスト教会(法王)と世俗権力(王)と大学自治などから言及されるもので、阿部謹也の読者たる私にはたいへんおもしろかった。
ベートーヴェンは初期作品としての弾きにくさもあったけれど、一緒に演奏した方が様々な実験につきあって下さることもあって、柔軟な演奏が出来たように思う。私自身も練習終盤に明確に「楽しもう」と意図することができたのも良かった。良き縁に恵まれてありがたいことである。
「安定が安定している」という感想をもらった。安定が安定してなかったら困るんでねえのと思うのだが、「音程が(正確な方向で)安定している」と理解しておこう。「音程が安定して狂っている」という可能性も排除できないが、それはそれ。 "ALWAYS look on the bright side of life!" ということで。
日本大学が引き取った「カザルスホール」は2026年6月に復活とのことだが、理念ある企画運営がないならば、「仏作って魂入れず」だと思う。
ホールとして使って来なかったことの反省も込め、せめてカザルスの名をお返ししてほしいものだ。
名前をお預かりすることによって当然生じる責務があると私は思うのだが、日本大学経営陣は代々こうしたことに無感覚・無責任であると私は感じる。千載の醜名を世界(の一部かも知れないが)に垂れ流しにしている、と言っても良い。
そういえば、ウィーン・フィルハーモニーの「ニューイヤー演奏会」の中継をしていたNHK林田アナウンサー(東京藝術大学楽理科卒)が活き活きしていた、という話。クラシックTVも林田さんで良いのではないか。清崎氏は悪くないが、この番組もまた、オッサンが若いお嬢さんを教えるの体になっちまっているので、林田さんと鈴木さんで良い。
今月の誤字:
効果覿面を効果的面。「覿」なんて文字は「覿面」以外で使わないなあ。
調べると、「覿武」「覿実」「良覿」なんて熟語がある。うむむ。全く知らなかった。
他には「孫覿」なる人物が当たる程度。後は、OCRの誤読っぽいのもあった。。。
Wikipedia「ダース・モール」(映画スターウォーズに出てくる悪役)の項を読む。
ダース・モールとオビ・ワンが「一騎打ち」。馬に乗っていない者でも「一騎」で良いのか、少々悩む。「一騎当千のつわもの」も騎乗してこそと思ったりする。なかなか悩ましいものだ。
アラブ音楽。ふつうに鍵盤楽器がいて、ふつうにアラブ風音階を奏でているようだ。
https://www.youtube.com/watch?v=Q_HoGYhk4x8
先月、自由音程楽器(造語)でなければアラブ音楽が演奏できないかのように思ったが、鍵盤楽器でも改造しちまえば良いのか。
ハーモニカやハルモニウムのようなリード系ならリードを削ってフラットの音程を上げれば良い。簡単(原理的には)。ただし不可逆改造ではあるけれど。
"Consolação" - Rosinha de Valença, 1966
https://www.youtube.com/watch?v=hxi_qliU3DE
すごく格好良いギター。サポートの打楽器奏者もいい仕事をしている。笛が出てくると興味が薄れるけど。
ホジーニャ・デ・ヴァレンサ。ブラジルの方。
Lucie Horsch, Fuse - Parker: Ornithology (Arr. Horsting for Recorder and Ensemble)
https://www.youtube.com/watch?v=5zzCYFL9zfw
このリコーダー奏者、何でも吹ける。雰囲気を創るのが非常にうまい。
ルーシー・ホルシュ。オランダの方らしい。
昔の名鉄は深緑色もあったと記憶するが、どんな色だったか。
https://moha90.livedoor.blog/archives/24809712.html
https://www.filmscan-print-s.com/0519-15V-01.html
http://scarlet7000.net/04_kaminari_mei_0800_04.html
https://www.n-sharyo.co.jp/company/toyokawa/memorial_square/toyo-me-mei.htm
現代では「こういう色にしたい」という欲求側から色を決められるのかも知れないが、おそらく当時は「こういう色が作れる」という供給側の都合で色が決まっていたように思う。
模型を作っておられる方は「暗緑色・三菱系」をお使いで、これは海軍航空隊で飛行機の上面に塗っていた色である。名古屋には、三菱重工の航空機工場があったことから、仮説として、同じ供給元から得られる同じ色を名鉄でも使うようになったというのは十分なりたつように感じる。
wikipedia「緑」の項には、種々顔料がその歴史とともに記されている。これを出発点に三菱、名鉄の緑色顔料にたどり着くことができるだろうか・・・。同じ海軍の暗緑色でも、三菱系・中島系で異なるのは、①そもそもの顔料成分が異なる、②顔料成分は同じだが、不純物や樹脂が異なる、③顔料成分は同じだが、不純物や樹脂が異なることから褪色状況が異なる、などの理由が考えられる(考えたところで止まるけれど)。。。
私が記憶する名鉄は昭和50年ごろ、深緑、クリーム色に赤帯、赤の3パターンの塗りがあり、これら3パターンの車両が混結するという不統一さだった。
その後、名鉄は赤(スカーレット)で統一され、後に優等列車の白色に赤帯が加わったところで、私の名鉄沿線生活が終わる。
30年ほども経って、名鉄に青系の色が走っているのをみて驚くまいことか。「名鉄と言えば赤」と思っていたので。
だが、歴史を遡れば、深緑とともに、薄紫、クリーム色に臙脂のツートンなどもあり、必ずしも「赤」だけではなかったのだと知る。
ところで、地元名古屋大学ではスクールカラーを「濃緑」と定義しているが、この色と「暗緑色・三菱系」の関係は少し気になる。
名古屋大学は日中戦争遂行のために作られた「最後の帝国大学」の面を有しているはずであり、地元の有力軍事企業とのつながりもあったに違いないと思うのだが。。。
私が長く使ってきた楽器は、ブーベンロイトの産だった。第二次大戦後、共産化したチェコスロバキアの町ルビから多くの楽器製造者がブーベンロイトに移住したという。
私が最近使っている楽器は、マルクノイキルヘン出身者が作ったものだ。本人はベルリンに工房を構えていたというが、マルクノイキルヘンの流儀でもあろうし、あるいは、下工作をマルクノイキルヘンでしてベルリンで仕上げていたかも知れぬ。して、マルクノイキルヘンはルビと国境こそ隔てているものの目の鼻の先。自動車で15分、歩いて2時間。
そう言う意味では同じ傾向の楽器を、そうとは知らずに選んだのかも知れない。私が欲しいと思った楽器は少ないが、昔昔、チェコの楽器を欲しいと思ったことがある。あれは、チェコのどこの楽器だったのか。とても面白い。
https://rearpond.mystrikingly.com/blog/0b29dfb7972
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12645825691.html
https://www.chopin.co.jp/media/Encyclopedia_The_VIOLIN/a3712?srsltid=AfmBOorBBIiTYLMxP-x-bd1OJ5biQAB82uYxXueS5fQcpvXUZNnbNgpE
まあ、高価な楽器を自分の目と耳だけで選ぶなどという博打はなかなかできるものではないし、他人様にそうした方法はお薦めはしないのだが。とは言え、自分自身が楽器を選ぶ際、それ以外の方法は思いつかなかった。
福音館「ぐりとぐら」は200刷を超えているとか
私が幼かった数十年前すでに存在し、楽しく読んだ(読んでもらった)記憶があり、今なお普遍的に見かけるのだから当然かも知れぬ。
私が知っている200刷超は、K&R(プログラミング言語C)だけかも。
2024年2月25日に353刷。私が買った時は230刷くらいだった気がする。
https://blog.kamikura.com/archives/5131
品川駅のプラットホームにある電気機関車の動輪、もとの機関車はなんだったのだろう。
13本スポークだが、内側軸受だったようにみえる。
EF53、EF56の先輪とも思ったが、これらは8本スポークの写真があった。
http://home.a00.itscom.net/yosan/denki-1/denki-1.html
EF58の台車の模型。13本スポーク
http://traincglib.web.fc2.com/traindir/ef58/ef58_003.html
EF58などの動輪はおそらく1200mm程度。品川駅のはそれより小さく感じたが、この感覚はあてにならない。
https://www.flickr.com/photos/121928043@N07/44207747584
そうなるとEF58等の動輪で、軸端を削ったのか?
という過程で見つけた3DCGによる鉄道車両
http://traincglib.web.fc2.com/index.html
構造も再現しているようで凄い。人力だけでこれを作り上げたのだろうか?
稀に印象と異なる形態が見られるが、図面が完全でないのか、私の記憶が歪んでいるのか?
EH10やDF50の前頭部がわずかにそういう異なった感じを受ける。
パネンカ。サッカー技術のひとつらしい。チェコソロバキアのサッカー選手アントニーン・パネンカ氏由来とのこと。
音楽系ではヤン・パネンカ氏が有名。スメタナ四重奏団との素晴らしい共演で知られる。私も大好き。
乾電池を何に使っているか?
リモコン(テレビ(単4×2)、冷暖房(単3×2)×2)
無線マウス(単3)、無線キーボード(単4×2)
メトロノーム(006P)、録音機(単4)
これ以外に懐中電灯(非常用)があるか。充電式にしたくもあり、なかなかな本数でもありどうしたものか。
そういう意味では、ひげ剃り・バリカンのような内蔵式は楽だが、AC/DCアダプターが増えるのも感心しない。みなUSB充電にしてくれ、と思う。
紀伊国屋書店Webページの検索における「基隆・スコット問題」。
「基隆 スコット」でGoogle検索すると、米国の駆逐艦スコットが、台湾に譲渡され「基隆」と名乗るようになった、と。これは無関係だと思うのだが。
トムとジェリーの音楽は非常に優秀。
ワルツ回でのピアノ演奏はどういう版によるものだろう?オリジナルなのか、あるいは、ゴドフスキーなどのピアノの名演奏家によるパラフレーズなどなのか?ちょいと気になる。また、オーケストラ演奏をしている者の中には、ナチスから逃れたユダヤ人演奏家で、ウィーン風の音楽を本当に知っていた者もいたのではないか。などなど、大人になると色々気になる。
いにしえの高山線の写真
https://kiyosuqudzilla.sakura.ne.jp/gallery/?ca=9
素晴らしい。Tomixも名鉄キハ8000系を発売するならば、C58も高山線仕様(国鉄仕様)を作ってくれないかしら?
Faye Webster: Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=1ul9aWg0AQo
Laufey: Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=avjI3_GIZBw
久しぶりにTinyDeskConcertを覗く。やはり自然音が良い。
レイヴェイ(林冰)さんは母上中国ご出身。なんとなうアジア人として親しみ深い。
米国の主要輸出品目は「理性」だったと思っている。
さて、その理性を失った米国はほとんど鎖国を目指しているようだ。
経済に疎い私ではあり、米国は多くの資源を持っている国なので、鎖国してもやっていけるのかも知れない。
おそらく、国際的に通用する商品開発ができなくなり、多くの市場を失うのではないだろうか。
サン=テグジュペリの子供時代の遊び「騎士アクランごっこ」
雨が降り出すと、子どもたちは外に飛び出す。
雨粒に打たれた子どもは「やられた」と言って次々に倒れる。
最後まで雨粒に打たれなかった者は、次の雨まで「騎士アクラン」の名乗りを許される。
英国BBCによるベートーヴェンの映画「Eroica」(2003)
オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティックが演奏。チェロの人がボリス・ジョンソンぽい。
ロプコヴィッツ侯を演じている役者さんは Jack Davenport 氏。Davenport って機関車メーカーがあったっけ。
しかしこの映画、相当程度演奏に時間を割いている。私が如きそういうのが大好きな人間はそれも「ドラマ」としてみるが、そうでもない人には苦痛かも。まあ、自分の好みからは素晴らしくもありがたい英断である。
これらの演奏音響はどうやって作っているのだろう。「本番」に関しては、映像の人数より音響の人数の方が多いように思う。
最初のうまく行かない演奏は映像と音響で同じ人数な気もする。
おそらくは絵と演奏は別撮りなのだろう・・・。なかなか複雑だが。
こうした演奏の周りで会話しながらぐるぐるって、楽しそう。なんだか卒業生が部活を覗きに来たみたい。演奏者には邪魔っけに違いないけれど。
会社でFaundryの紙袋を見かける。洋菓子屋さんだそうだ。
機関車好きはもちろん蒸気機関車メーカー Valcan Foundry を思い起こす。火の神ヴァルカンの鍛冶場といったところか。
Davenport 共々機関車に興味がある方限定。
二十年ほども冷蔵庫で放置していた「苦丁茶」を淹れて飲む。
とても苦いが苦いながらに旨味があり、なかなか良い。父母を偲んで飲むべきものだろう。
Kuruluş Osman オスマン帝国建国(ドラマ)180話
なんと、オスマンの第一夫人バラ・ハトゥンがあっけなく死亡。ええーそんなぁ。
第二夫人マルハン・ハトゥンが120話あたりから現れない理由も私は把握してないし。
バラ・ハトゥンは第一話からオスマンを助けたり大活躍。彼女の死は偽装したものに違いない!(と言いたい私)。
ふふふ。「偽装したもの」ではなく「偽装されたもの」だったけれど、バラ存命。もちろん、そのうちオスマンが助けるに違いないが、早く早くバラ・ハトゥンを助けて!(と駐日トルコ大使館の電話番号をしらべようと思う私)。
本作品を「楽しい時代劇」「勧善懲悪」「異国の水戸黄門」として消費する私。色々考えないではないものの。中韓でも相応に時代劇が作られている。日本では?いわゆる娯楽時代劇はあまり作られなくなったが、大河ドラマでは歴史ものは多いし、相応にあるよね。まあ、海外販売が見込めるような連続ドラマが定期的に供給されると良いのかも、などとは思うけれど。
近代戦は総力戦である。前線だけでなく、兵器の開発・生産・運輸・消費まで全ての国力が問われる。
そうした発想から、社会への女性参加をより多くすることを論じても良さそうだが、あまり聞かないね。
GooglMapを見ていて、雉本朗造氏について知る。「鳴海小作争議」なんてあったのね。ちっとも知らなかった。
旧東海道沿いにキジモトふとん店があり、ふとん屋さんらしい色白でふっくらしたお嬢さんが居られた記憶がある。
その隣が太田薬局でこれまたおきれいなお嬢さんが居られたような。。。。
日本酒「鳴海」を発見した。が、読みは「なるか」だった。
千葉県勝浦市の東灘醸造株式会社。元鳴海町民としてはいつか飲んでみたい。
タブレット譜面の利用を時々考える。譜面として利用しながら演奏の録画・録音を行うことも可能だろう。意味があるのかわからんけど。
「目が泳いでいる。ここで落ちたな」とかわかってもねえ。
スマホ用マイクを探していたら「京都大人女子ピアノサークル」を見かける「京都大学の女子だけのサークル」と見間違えたが、「京都の大人の女子のピアノサークル」だった。でも「おとな」なのか「たいじん」なのかは見極めていない(無問題)。
Nagasaki (Harry Warren & Mort Dixon)てえ曲があるのね。そんなに長崎でもないけれど。
ジーヴズのドラマ中に出てきたので、つい調べてしまった(調べものに困らないいい時代だ)。
ネットで福地桜痴「奮友福澤諭吉君を哭す」を探していたら、慶應義塾大学出版会のページが当たった。桜痴を悪しざまに書くにためらいはない一方、福沢へのヨイショ多く甚だ苦笑い。
島原藩邸払い下げの件など(もし書くとするならば)どう書かれるものやら。
昔、福沢諭吉批判(学問的な批判)を一生懸命されている大学教員がおり、なんでそんな昔の人を?と疑問に思ったが、確かにヨイショしすぎ面を警戒すべきかも、と感じる。福沢だけのことではないが、為政者に都合の良い学者を『天才』などと言って過剰にもてはやす風潮はアカンと思う。
座椅子が壊れた。
母が長く使い、コロナ禍で在宅勤務になった私が使ったので、随分になる。
壊れてみてよくよく見ると、外の布地も草臥れ果てている。寿命であろう。
廃棄のために分解すると、やはり鉄製の枠が破断していた。その割にはそれなりに座っていられたが、全体がしっかりしているので、左側が破損しても右側で支えられうるということだったのだろう。破断箇所は、関節部の少し上。関節付近は、関節と枠を継ぐために二重になっているが、その二重部が終わり、一重になったところ。梃子の応用その他から考えても妥当な破断箇所であることよ。
繊維ものと鉄枠に分ける。前者は燃えるごみ。後者はパイプカッターで切断の上、不燃ごみに出す予定。パイプカッターは役立つが、現時点ではものを捨てるのに使うことが多い。それ以外では、譜面台の寸法縮小かな?
も一つ小さい座椅子があるので、当面は困らないが、新しい座椅子を探す。
室内楽練習用に椅子を買い、洗濯機を買い、座椅子を買う。
他にも、電子レンジがそろそろ壊れそうだとか、パン焼き機があると良い・・・などお買い物の楽しみは尽きない。
弦楽器雑誌の特集が「チェロでバッハ」。まあ、無伴奏組曲と小曲らしい。ふつうそうだろう。
マタイ受難曲を弾きたいとか、音楽の捧げものやトリオ・ソナタを弾こうというのは、いささか正気の他の行為なのだろう。
これまでも音楽雑誌を読んだことがほとんどないが、これからもないだろうなあ。
「あなたも弾ける通奏低音」あるいは「弦楽四重奏の音程を考える」なんて特集なら読むかも知れないが。
奈良茶飯は川崎の名物。大阪の「とん蝶」とも似ている。
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/35_20_kanagawa.html
食欲不振の方と話した⇒苦丁茶はどうか調べた(食欲不振にはあまり良くないみたい)⇒Wipkipediaで他の茶文化について飛んだ⇒茶粥は粥として米から炊くのでなく、冷や飯から作ると知る⇒奈良茶飯(今ここ)。
川崎の旧東海道沿いにある菓寮「東照」で奈良茶飯風おこわが食べられるらしい。中華街に歩いて行くのもよいが、旧東海道歩きも面白そうだ。覚えておこう。
一方、とん蝶はあいかわらず関東では買えないのね。「鶴見店」が横浜市鶴見区と思いきや、大阪市鶴見区だった(無念の歯ぎしり)。
Nissen hut(ニッセン式小屋あるいは改良版のクォンセット・ハット、かまぼこ兵舎)について調べたところ、英オークニー諸島にあるキリスト教会の記事に当たる。
https://serai.jp/tour/1145767
いい話だ。
模型も入手可能(1/76)
https://peco-uk.com/collections/4mm-oo/products/nissen-hut?variant=7435691622434
これと関連して「Pill Box」も売られている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Pillbox_(military)
日本語ではロシア語由来の「トーチカ」がふつうだが、「特火点」という語もあるそうだ。
Putin, Putout 辞めろプーチンの動画
https://www.youtube.com/watch?v=t-wFKNy0MZQ
すごく面白いというわけでもないが。日本語字幕も工夫されている気がした。
若くして亡くなったヤネチコヴァ女史の動画
https://www.youtube.com/watch?v=icBJoBkvg70
私も悲しい。
https://de.wikipedia.org/wiki/LAG_Nr._895
ミュンヘンの「地方鉄道」Lokalbahn Aktien-Gesellschaftの貨物電車。素敵。
なんというか、鉄道車両には「文法」があり、電車(旅客車)と貨車の文法は異なる。で、その異なるあわいにある貨物電車の奇異な感じがまた良い。
北大路魯山人についてネットで検索していたところ、「テレビ番組なんでも鑑定団で高額評価」という肩書で書いている方が。
ふふふ。金額評価なんて、魯山人が泣き出しそうだ。
ついでにイサムノグチのこともWikipediaで見てみたが、確かに家族関係が複雑。親御さんが原因。
明治日本の『ルバイヤート』杉田英明氏の論考
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/39077
様々な明治訳に触れることが出来て嬉しい。我らはルバイヤートを愛する者。それぞれに翻訳てふ二次創作を為し・楽しむ者である。