読書の記録(2025年3月)
イギリス人の患者 オンダーチェ
同名の映画の予告編から想像していた物語から相当に大きく違っていた。
まあ、勝手に想像するのが(仕方ないとはいえ)アカンのだし、また、映画は映画で原作と同じではないからね。
半分ほど読んだところでは、これらの登場人物が本当に必要なのか、まだ全くわからない。
少し判りにくく書いているところがあるように感じるが、充分制御されていて、落ち着いて読めば判るようになっていると感じる。
とは言え、非常に変わった小説ではある。一体誰が主人公であるのか。一巻ごとに主人公が転じていくアレクサンドリア四重奏のように、この本も主人公が変わっていくのかも知れないが、何か安定した構造になっていないように感じる。それこそが筆者の工夫であり主張であるのかも知れないが。
西洋人の描く砂漠小説あるいは植民地小説としては、サン=テグジュペリ(人間の土地、南方郵便機など)、ブッツァーティ(タタール人の砂漠)、ダレル(アレクサンドリア四重奏)、カミュ(ペスト)などと並べてみるのも面白いかも知れない。
ジャン・クリストフ ロマン・ロラン
まだ第一巻前半。ジャン・クリストフが苦しい運命と闘いつつ成長していく物語・・・なのであるが、その苦しさが過剰かつ冗長に酷い。
まえがきを読むと、「ドイツのダメさのために苦しんで、フランスで云々」と書いてある。おお。ロマン・ロランのフランス中華主義で書かれているのね。そう思って相当割り引いて読まないと読みづらいところである。早いとこフランスに移動してほしい。まあ、フランスの中でも土地柄によってロマン・ロランの好き嫌いがあるみたいで。昔は人気があったようだけれど、最近あまり聞かないのはこういうところかもね。
で、第一巻読了。後半は少し人間関係が広がり、話が動き出す。ともあれ、若き日の出会いと別れ。仮初の関係は長くは続かない。
(申し訳ない言いようだが少々くどいので)精緻に読むことはしていない。第2卷冒頭もあまり読みやすいとは言えない。無念。
Nゲージで始める鉄道模型 成美堂出版
今更な書かも知れぬ。そしてなぜ買ったかを忘れて後ろの方からめくり見ていたが、最初の方の片野正巳氏の記事を見て気づく。このために買ったのだった。片野氏の京浜急行作品はなんどか鉄道模型趣味誌でお目にかかっているが、おそらくはこれが線路風景も含めた総集編らしいとのこと。
古くからのTMS執筆陣でもNゲージを扱っているのは片野氏だけだったように思う。ご自身のレイアウト作成の目標があったためとは知らなかった。
半七捕物帳 01 お文の魂
青空文庫。なかなか面白かった。これが日本の「捕物帳」の出発点であり、シャーロック・ホームズに触発されて書かれたとのこと。これからちょいちょい読んで見よう。
晩年茂吉 北杜夫
北杜夫=斎藤宗吉氏が物心つく年齢になり、文学に開眼し、茂吉と葛藤しながら、一方は成長し、一方は衰えてゆく。己が記憶するその様を描くために北杜夫がこの書を書き始めたのではないかという充実感。確かに、「どくとるマンボウ青春記」にもわづかに斉藤茂吉の苦吟の有様が触れられているけれど、ここにはさらにさらに直截的な表現が見られるように思う。読んで良かったと思う書。私が子供の頃から家には北杜夫の小説・随筆があり、慣れ親しんだ北の書のたどり着く先が見られたのが大変感慨深い(まだ読み終わってはいないけれど)。
彼は、「青春記」などでは、文学者となったきっかけをトーマス・マンに置いていた。そして、これら茂吉シリーズにおいてマンの影に実は茂吉もあったことを述べている。そして晩年茂吉を見ていると、老文学者とそれに反発しつつも畏敬の念を懐き、自身も文学を志す息子の姿が、(そういう作品があるということではないものの)何かしらトーマス・マンの小説のように感ぜられる。いわば人間はひとりひとりの歴史があるばかりでなく、一族の積み重なった歴史の中で生きているという。前者は若書きのトニオ・クレーゲルやヴェニスに死す。後者は魔の山やブッテンブローグ家の人々。さらに、一族を超え歴史と国家そしてまた文化という中での運命がファウスト博士。そういう解釈もしてみたくなる。
井上井月が始めて出版されるにあたり、芥川龍之介が関わっていたとは。驚く。
関川夏央・谷口ジロー氏の漱石シリーズでも、思わぬ人々の出会いと別れを描いていて驚くことは多かった。しかし、確かに言われてみれば同時代を生きた人々が出会っていたと考えた方が妥当なことも多かったし、そうでなくとも出会ったと思ったほうが面白いことも多かった。ともあれ、幕末から明治二十年までを生きた極貧俳人が間接的とはいえ芥川龍之介につながるとは。
忘れられた日本人 宮本常一
井月が伊那松島周辺で生活しており、私が昔々飯田線に乗って訪れた土地である・・・というのと関連して、「名倉談義」を読むために読み始める。
名倉は鳴海小学校器楽部・OB/OG連合で演奏旅行に訪れた土地。その後もOB/OGによるヴェガ・アンサンブルでなんどか訪れたことがある。
若い頃の三村先生は広島県山間部の小学校で音楽教育に血道を上げていたと聞くけれど、稲武・名倉への訪問はそれら若き日の反照という気持ちがあったのだろうか。
また、私の中学時代足助に遠足に行った折、地元の「金田」氏のお話を伺った記憶が有る。名倉談義でも金田氏が登場する。おそらくは足助・名倉で同族ではないだろうか、と思いつつ懐かしんで読む。
私の記憶では、名倉幼稚園で演奏の折、庭で餅つきをしてくださった記憶がある。私が朧気に記憶する暖かい名倉の人々の様が「名蔵談義」にも見られ、私にはたいへんうれしい。一方、地図で見ると、名倉の幼稚園・小学校は昔と似たような形で存続しているけれど中学校は廃校。悲しい日本の現実である。
例によって古い建築物を探してGoogleMapをさまよう。種々紆余曲折の末、鳴海に昔「万菊」なる酒造会社があったことが知れる。まったく記憶にない。鳴海と言っても広いし、子供は酒造メーカーには興味はないし。近所の古い酒屋に出ていた看板は大高の「鷹の夢」であった。これは大人になって認識し、友人の結婚披露宴にこの酒を樽に入れてもらって持ち込んだりしたので、忘れられないけれど。そうでもなければ覚えてはいまい。
調べると、住所「境松」は最寄り駅が鳴海駅から3つ先の中京競馬場になるようだ。それならば、いわゆる鳴海町の住民としては大高の方が近いと感じる。
レイアウト全書
古い鉄道模型レイアウトの本。我が国最初期のトロリーラインにして高い完成度で知られる瑞穂軌道。ものすごく苦労して路面軌道を作っている。曲線半径150mmとのこと(1/80)。Nゲージ(1/150)なら80mm。
きょう日のNゲージであれば、安価な製品がある(隔日の感あり)。
で、KATOとTOMIXのカタログページを見てみる。KATOは曲線半径180mmらしく、TOMIXは140mmと177mm。
瑞穂軌道に比べるといずれもずいぶん大きな曲線半径だ。TOMIXは異なる半径で単線でも複線でも対応可能。KATOは複線ながら同一曲線半径で、曲線の中心点をずらすという、瑞穂軌道にも採用されている「本格」仕様。考え方の違いが面白い。
戦争中の暮らしの記録 暮しの手帖
古書店で購入。長く存在を知りつつも買わなかったことを反省するレベルの書。
ガルシア=マルケス「族長の秋」購入。文庫で入手できるうちに買っておこう。いつ読めるかはわからないが。
ランペドゥーサ「山猫」も買い忘れたもんね。
「族長の秋」は新潮文庫を先日買ったが、2015年5月に言及している。つまり河出文庫が家にあるのだろう。ううん記憶ないぞ。
読んでない本に限って重ね買い
映画「山猫」Le Guépard はリメイクされたのね。
予告編を見ると、タンクレディと結婚するアンジェリカ(カルディナーレ)はヴィスコンティ版の方がそれらしく見える(単なる刷り込みだろうけれど)。それ以外はまあまあヴィスコンティ版と遜色ないか?
教文館にゆく機会があり、「幻の朱い実」(石井桃子)を発見したので購入。カラスウリ趣味の一環でしかないのだが、口実はともかくも良い本を見つけて読めればそれで良いのだ。そしてまた月刊たくさんのふしぎ「ヒキガエルとくらす」も。我が家のガマさんは先日路上で横死してしまったので、追悼のために読もう。
「安曇野」(臼井 吉見)復刊とのこと。昨年、碌山美術館に行ったりしたこともあり、読んでみたい。安曇野もウロウロしたかったが、雨のため諦めた。再訪もしたい。
復刊にあたっては安曇野市が一部費用を負担されているらしい。市がこういうことをされるのは嬉しい。
が、これを買うのに安曇野市文書館に行く必要があるとはなんと禁欲的な!なかなか行けそうもないので、悲しい。
「カルミネさんのイタリア料理」2013年8月に借りて読んだ記録があるね。昨年古本で買ったけれど、昔読んだことを記憶していなかった。学習能力のない我。
Google Arts & Culture に高浜寛さんの漫画が。
https://artsandculture.google.com/story/QgUxDpw5vYGOKg
税金の使い方として賛成だけれど、(1)英語他各国語版があるのかな?、(2)文部科学省(文化庁)ではなく経済産業省なんだ、(3)さらりとした書き方だが、創作家の実感がこもっていて感慨深い。海外の方にも読みやすいのではないか、(4)高浜寛さんの絵はいつもながら「量感」がある、平面的な「漫画」ではなく、フランス風「バンド・デシネ」に近いのだろうか、(5)きちんと、編集・監修・制作がついているのね、とっても良いこと、などと思う。
バンド・デシネについてWikipediaを見ると、古い雑誌に「アラキリ」(Harakiri)がある。日本で雑誌「ギヨタン」とかあるのかも。。。
●雑感
2月は短かった。あっという間に3月。こうして地獄行きの超特急列車は爆走する。
2月のブラームスは「山の上アンサンブル」という名であるイベントで演奏した。
主宰者から菊廻舎のお菓子(吹寄せ)を頂いたのだが、缶を開けると、楽しい吹寄せの上にお菓子の黄金色の扇(雲平というらしい)があり「山の上アンサブル讃江」と書かれている。凄い気の使いよう。うむむ。主宰者人柄よく味方多い方とお見受けしたがここまでされるか。
こんにゃく座「明日のオペラへの誘い」
《宮澤賢治歌劇場Ⅵ》ということで、『タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった』『鹿踊りのはじまり』
私は宮澤賢治のこれらの作品を文章で読んでみたがもものすごく面白いとは思えなかった。だが、こうしてオペラにすると、賢治の面白さが際立つ。
いずれのオペラも賢治の作品の中では目立たないものであり、現代生活からは失われた「過去のリアリズム」的なところがあるのだが、こうしてオペラにして頂くと、場面場面・各々の台詞をゆつくり味わうために、賢治のポエジーが目の当りに立ち上がってくる。
これらの作品において、主人公は確かに日常にいたはずだが、知らず知らずのうちに、木々が話をし、鹿が踊る非日常の世界に立っている。その不思議さたるや、黙読ではなかなか味わいにくいのかも知れぬ。
(前回「リア王」で悪女の中の悪女を演じた鈴木あかねさんが、裏方としてふつうに立ってらっしゃった。あの『悪女』の印象が強いがため、ついつい見てしまう私。怖いもの見たさとはこれがことだ)。
デュポールを読み聴く会 vol.2
チェロ二重奏は楽しい。
なんて言っている場合ではなく、デュポールを初めとする歴史的なチェロ技術を学ばねばなのだが、やはりチェロ二重奏を聴くのは楽しい。
先日弾いたベートーヴェンOp.18-5の変奏曲はまさにバッテリーなのだが、「オン・ザ・ストリング」の情報がなかったからかアップダウンで出来なかった(悔しい)。情報があれば出来るわけではないけれど、こういうことをたくさん聞いて・読んで・音に接して少しでも出来るようになりたいものだ。
いや、楽しい。
なんとなう、昔習った事々が実はデュポール由来の情報が多かったようにも思う。おそらく、師匠はデュポールの内容として知っていて、だが弟子(私)がその域に達していないので、デュポールを教材にはせず、ただしヒントとして有効なものは個別に与えられたということかと推測している。
GoogleMapで世界中の地図が見られるが、ふだん日本国内以外見ない。
ふと思いついて南米を見てみた。コンモドロ・リバタヴィア。サン=テグジュペリ「夜間飛行」に出てくる土地。
砂っぽい風景。
空港を探して見る。拡大すると周辺に「エスタンシア」のつく地名がたくさん表示される。それぞれが所有者の異なる農場(日本と比べると非常な大規模なのだろう)のようだ。
夜間飛行の時代、どこで山脈を越えていたのだろうと考える。当時の航空機の性能を考えると、最も山が低い場所(鞍部)を通ったと考えるのがふつうだろう。そういう場所にはもともと道路があって、情報があるし、事故の際の救援もしやすい。そう考えると、「クリスト・レデントール・デ・ロス・アンデス」を通ったのかなと思う。峠にはオートバイがいっぱいいて、なんだか楽しそう。
メンドーサの地名も「人間の土地」で出てくるし、おそらくこの付近で山越えだったのではないか。
庭仕事をしていると、幼児お二人とママさん通る。
先日まで、庭の木の枝に鳥さん用蜜柑を刺していた。お子さんは「蜜柑は何であったの」と尋ねる。
目ざとくも賢いなあ。ママさんがお子さんときちんとお話をされている感じがあり、それがためお子さんもきちんとお話ができる。
お子さんを賢く育てたいなら、学習塾に放り込む以前に、家族できちんとお話する習慣が大切なのだなあ、と感じる。
(お子さん自身が「きちんと話すと良い利得がある」実感を日常持つことが重要。「利得」は「きちんと返してもらえる」が第一であって、行動してもらえる、物質的利得があるというのは、時々あれば充分でしょう)。
そういえば、先月食べた麻婆豆腐は美味しかった。諏訪の「麻婆豆腐 どんどん」。
諏訪に行ったのではなく、先方が東京某所に出張っておられた。で、出張り先の定食の一部として麻婆豆腐。
定食のお刺し身、小鉢(煮付けの類)と麻婆豆腐が喧嘩しないか、ちょっと心配していたが、そんな懸念ない美味しさ。
ほんのり辛いけれど、辛すぎず、豆腐の甘み、油の良い香り。味は複雑でちょいと表現しにくい。
でもって(蕎麦つゆなんかそうだけれど)、醤油の味、味醂の味、出汁の味がしているうちは、美味のうちに入らない。どれがどれと分析出来ない一体感があって初めて美味と言える(なんかカルテットみたいだよね)。
諏訪交響楽団は日本最古のアマチュア楽団を名乗っているが、確かにそうらしい。
1925年創立ならば、今年100周年ではないか。
こういう方々が居られたゆえに、今の我々があることは(若い人たちはともかくも、老人である私どもは)忘れてはならないと思う。
技術系雑談サイト slashdot.jp が終了ないし移転とのこと。久しぶりにアクセスして知った。
2010年頃には日々閲覧していたようだ。こういう「選ばれた者のサイト」「選ばれた者のネット」の時代が終わったのだろう。残念。
というのも、昔書いたブログを読み直しているのが発端。
2008年にはカサドの「愛の言葉」をさらい始めていたのね。今も手元においてちょくちょく弾いてみているが。まだまだ『弾ける』とは感じない。
全ての曲は永遠に未完成なままに過ぎゆくというこれもまた典型なのかも知れぬ。
研究者漫画ハカセといふ生物、2025年にも続いているのね。ご家族が増えているようでなにより。
横笛。左構えは珍しいのでは。右構えもされているが、どのような使い分けなのか。
https://www.youtube.com/watch?v=OGKheeIpXSI
様々な調律法による演奏
https://www.youtube.com/watch?v=sOcq0SwKaZI
なかなか面白い。時々素っ頓狂で「これは使いたくない」という調律もあるが、「まあまあ行けるんでない」が複数有るように感じるのが、私の音程感覚(安定した安定)というものであろう。
C. P. E. Bach - Solfeggio in C minor H. 220, Wq. 117/2 (1766)
https://www.youtube.com/watch?v=znPxf7ukcIw
激しい!音楽的挙動と感情が結びついており、遠くショパンの祖先であることが伺われる。
シュトルム・ウント・ドランク。
日本語では、疾風怒濤(運動)と称することが多いが、中国語では狂飙突进运动。「飙」が特に凄い字だ。
日本では「飆」を「ヒョウ」と読むらしい。つむじ風、暴風、疾風の意。
犬を右側に書いたり、火に置き換えた異体字もある。
ハイドン時代のヴァイオリン奏者であり商人(実業家)であったトストの織物工場がこれらしい。
https://jam.jihlava.cz/en/object/91-johann-tost-textile-factory
チェコのイフラヴァにあるとのこと。マーラーはイフラヴァの近所で生まれた。
ミヒャエル・ハイドンの作品にキリシタン大名高山右近を題材にした「ゆるぎないキリスト教徒 ティトス・ウコンドン」なる音楽劇があるそうだ。
https://www.youtube.com/watch?v=KkPYmDmFXNU
「みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記」(星野博美)を読むと、日本におけるキリスト教宣教・キリシタン殉教は欧州に相当程度詳しく伝えられていたようであるし、大きなニュースでもあり、カトリックの宣伝材料でもあったようである。よって、こうした日本を舞台にした作品も相当数あった・・・ということのようだ。
上記のご演奏はなかなかに興味深い。よくぞ蘇演せられたと感謝したい。
「福田陽電子音楽作品集」を見かける。「陽電子音楽」とはなんぞや、などとふざけてみる。
「電子音楽」は別に電子レベルで音楽を考えているわけではなく、電子楽器を使った音楽てふことですな。
様々な調律による演奏
https://www.youtube.com/channel/UCe3p_obvnODjBjkHgHLmpZA?gclid=CjwKCAiA5pq-BhBuEiwAvkzVZd38XTz4nmcd2RH67iJcnb0oc1FNfiqG29bteBlYk3VMwkmz3Kff4xoCLCMQAvD_BwE
それぞれの調律方法の特徴を明確に感じるほどの能力は私にはないが、それでも時々「この曲にこの調律はアカン。気持ち悪くなる」というのはある。たいへん貴重な情報提供には感謝あるのみ。
我々が通常使っている音階は12音であり、その調律(微調整)のひとつに平均律がある。
一オクターブ(周波数倍・半分)を12音に分けるのではなく、他の数で分ける方法は提唱されているんだ!
19平均律、31平均律、34平均律、41平均律、53平均律。いきなり平均律に飛びつかなくても、と思ったり、まずは平均律から発想し、和音のための微修正をすれば良いのかも、とも思い。
映画スター・ウォーズの星々で演奏される音楽が平凡なアメリカ音楽なのには少々がっかりだったが、まあスペース・オペラ(というか宇宙西部劇)としてはその品質は妥当なのだろう。私としては、ちょっとこういう奇妙な音楽にして欲しかったわけだが。
また、物理的鍵盤楽器ならば、「平均律」など固定的調律法が必要になるだろうが、現在のソフトウェアでならば、全ての音をそれぞれの和音和声似適した調律にすることも可能であろう(ほんとかな?)。
また、1平均律から11平均律を試みている方もあり。
https://www.youtube.com/watch?v=a9qSlscGgVQ&list=PLlUo3WY-fW6rPN9fEw5GL7dq8pgeg3LBe
「ふつう1オクターブは12音だけどなんで?」「他の分割も試そう!」というのは物理屋の感覚っぽい。
ヴォルフ=フェラーリ ピアノ五重奏 についてネットで検索する。
こうした少々珍しい音楽について調べると同好の士に行き当たることが多いように思う。
しかも、関西の年長の方が多いようにも感じる。昔「大フィルと文楽は(関西人として)意地でも潰さない」などと言ったようだが、関東人の素っ気なさ冷たさと異なり、関西人の方が、音楽・文化を味わうにしても一段階濃厚なのではないか。
チェロのワークショップを京都で覗いた際にも、五弦チェロの会話をふつうにしていたり・・・。
名古屋ももとより芸事が盛んで、お茶と和菓子が親しまれていて、鈴木ヴァイオリンが成り立つような土地で、だから弦楽器奏者も天然自然の上手が数多いたように思う。こういうのきちんとデータ化できたら面白いだろうね。音楽教室の数?オーケストラの定期会員数?
Abel Selaocoe: Tiny Desk Concert チェロを使った音楽表現。おもしろい。
https://www.youtube.com/watch?v=GhY31ngpnWg
どういう伝統・潮流に属するものか。あるいはそれらとは大きく隔たったものなのか。渋い唸り声はモンゴル風にも思えるのだが。
南アフリカの音楽を融合と説明されている。
旅行用のチェロ
https://travelcello.net/
https://jasonclarkeantiques.co.uk/products/victorian-military-campaign-collapsible-cello-attributed-to-jules-grandjon
現在も売っているようだが、古い方は、ヴィクトリア女王時代の「塹壕用チェロ」。「キャンペーン」とあるのは、現代に生きる我々が想像するような商業的なものではなく「軍事的遠征(シーザーやハンニバルなんかが行ったヤツ)」である。
バス歌手ネステレンコについて検索してみる。
非常に有名だったように思うが、Wikipedia日本語版には記事がないのね。
陸上競技選手の記事はあるが、ラテン文字綴を見ると「ネステレンカ」とカナ表記した方が良いのでは、と思ってしまう。
BERSAGLIERI OF BEDIZZOLE
https://www.youtube.com/watch?v=w7qNsz78gaE
https://fanfara-bersaglieri-bedizzole-1.jimdosite.com/about
イタリアの軍楽隊だろうか。吹きようは全般に荒っぽいのだが、最後に「走る」のがすごい。そらウケるだろうよ。
エジプトの女性歌手Amal Maherアマル・マーハー
https://www.youtube.com/watch?v=xatN8pY16SY
Alf Leyla Wa Leyla とは「千の夜と、一つの夜」だそうだ。
ヴァイオリン奏者は毛を生やさない伝統があったりする?
蝦蟇が路上で横死。先日、庭にいるのを見たばかり。近所の池のあるお家に行く途中、車に踏まれでもしたろうか。家の裏に埋めた。
と思いつつ Youtube を覗くと、候補に the frogge galiard (蛙のガリアルド)がお薦めに。何たる偶然。何たる皮肉。
料理研究家のタサン志麻さんを「サタン志麻」と誤読。疲れているだ。
デーモン小暮氏と共演される際はサタン志摩さんでお願いしたい。
某所で「譲る ゆずる」が「護る まもる」になっているのに気づく。
黙っているのも不人情だが、こっそりお知らせする手段もないので、こういうところに書いてウサ晴らし。
「混同水栓」。そりゃ「混合水栓」。みなボケちまったのか心配になる。
いつもながら、京唄子と京マチ子がちゃんぽんなことに気づく。
鳳啓助とコンビで漫才をしていあのは京唄子。鳳啓助と大鳥圭介(幕臣)は同音だ!。
偏頭痛の予防注射「ガルカネズマブ」。「ネブカドネザル」っぽいぜ。
「IT企業ニューラリンクの取締役しヴォん」は「シヴォン」という名字にひらがなが入ってしまった模様。「トイザらス」みたいなのかと思ったよ。
「新美の巨人たち」(にいみのきょじんたち)。
『DF90形は、車両メーカーが国鉄および海外への売り込みのために、独自の機関車を設計・試作した。』
『DF90形は、車両メーカーが国鉄および海外への売り込みのために、独自の機関車を設計・試作したもののひとつである。』だろうな。
ちょっと職場の作文教室で使いたくなる。
鉄道模型サイトでみた文章。「片方の妻が」。
妻が2人以上いる男性!なのではなく、鉄道車両の前端・後端の「妻板」のこと。そら前後ふたつ妻板がありますな。
哲学者土屋賢二氏の随筆でもそんなのがあった。
「茨城」は「いばらぎ」ではなく「いばらき」だそうだ。
だが、私には茨城県人の発音が「ぎ」に聴こえることがある。
私には「ぎ」と認識され、現地では「き」と認識される「き゜」音があるのかも知れない。
「仏訳された仏教教典」
少ない文字数で書くためには仕方がないが、同じ文字をまったく異なる概念で近接して使うのはわかりにくいという良い例。
この用例採取ができたのは(何の役にも立たないけれど)ちょっと嬉しい。
「静かなドン」について調べると、作家名を「シェローホフ」としているのを見つけた。「ショーロホフ」なんすけど。
ガロアムシを発見したのは Gallois (フランスの外交官)。
20歳で亡くなった有名な数学者ガロアは、 Galois 。
米国のオルガニスト Ethel Smith は、英国の作曲家 エセル・メアリー・スマイス(Ethel Mary Smyth DBE) とは別人。
横浜にも大阪にも鶴見(地名)が有る、と思っていたが、もひとつ見つけた。
広島県広島市中区鶴見町
鳥の名を含む地名はどれくらいあるのだろう。我々の祖先はどんな鳥を地名と結びつけて考えたのだろう。
鷺沼(千葉、川崎)、鷹匠(静岡ほか)などをすぐに思い出す。連雀は鳥だと思って良いのだろうか?
Legging (Canals) 19世紀英国で運河のトンネルを足で蹴って進む方法。
https://www.youtube.com/watch?v=3ZRj1KqFZR4
英国の海洋小説ホーンブロワーにこの場面が出てくるが、今ひとつわかりにくかった。この絵面と完全一致であるかはわからないが、概ねこのイメージで良いのだろう。
おそらくホーンブロワーで登場しているのは、船の両側に乗り台が突き出す「つばさ」式だったと記憶する。
運河で遡行する際、通常匹き馬で船を牽引するが、狭小トンネルではLeggingするわけ。流れに沿って順行するならば無論動力は必要ない。
こうした歴史的な事柄も絵で見られる時代が来た。素晴らしいことだ。(それにつけても歴史に逆行するような奴原には困ったものだ。)
Leggingはともかくも、英国の運河を旅してみたくはなる。ちょうどパスポートを切らしてしまったところだけれど。
英国BBCの政治コメディ Yes, Prime Minister 字幕で見ても面白いぞ。
米国の女優アリ・マッグロー(Ali MacGraw)さん。
ウクライナ出身の女優 Mariya Andreeva さんとちょっと似ている。
昔撮影した上田交通の電車5253。おそらく1994年だと思う。2023年に別所温泉訪問時に見た電車は5252。
http://folia.txt-nifty.com/musik/2014/05/post-43bc.html
2023年の5252は屋根上全てが明灰色一色だが、1994年の5253は地が濃灰色で部品は白緑色。昔の方がおしゃれだったか。
この2両は番号が1番違いだけあって、同じ形式であったようだ。
2005年からは鉄道部門は上田電鉄となって独立したのね。
5253も長野計器株式会社が長野計器丸窓電車資料館として保管してくださっているとのこと。偉い!
ミルウォーキー鉄道EP-2型電気機関車(通称「バイポーラ」)から派生してモーターについて調べる。楽しい。
https://hr-inoue.net/zscience/topics/motor/motor.html
子供の頃、二極モーターを持っていた。おそらく航空機・船舶の模型・玩具用だったと思う。外部から最初の回転を与えないと動かないので、鉄道模型用には使えなかった。ミニモーターだかベビーモーターといった商品名だった記憶がある。
が、そういうことを書いて下さる方があり「ミニベビーモーター」だろうと思われる。
https://minkara.carview.co.jp/userid/240223/blog/22642914/
https://ki84.web.fc2.com/motor.html
懐かしい。これを指でつまんで回しながら「鉄道模型には使えないなあ」と嘆いていた。
ミニベビーの二極は電機子、EP-2に二極は界磁。まぎらわしい。
かご型三相誘導電動機を手作りしている動画を見かける。
意外とラフに作っても動くのね。
金属かご(というほど緻密でもない枠)がぐるぐる回るのは不思議だが、磁石が回っているのと同じように電磁石への電流の流し方を変えているので・・というのは直感的に分かりやすい。電車基礎講座を読んでいてここでひっかかって止まっていたので、再読しようかな。
鉄道模型 真鍮製キットの製造販売で有名なワールド工芸廃業
いつかこの会社で売っている蒸気機関車C51のキットを作ろう、と思ってはんだ付け練習を(ほんの少し)していたのだが。
「Nゲージ蒸気機関車」サイトでなんどもイメージトレーニングをしたのは、実は2000年ごろだったように記憶する。
30年経ってもそこに行き着かないのだから、会社も畳んでしまうよね、という感想。うむむ。
同じようにキットを謳っていても3Dプリンタ製品が出てきており、これらの方が簡易に組み立てられて売れるだろうか。。。
飯田線の写真を見て楽しむ。
https://www.kanorail.com/kyuukoku/senzengata.htm
飯田線から旧型国電がいなくなったのが1983年。
当時の急行伊那1号は、大垣6:38発・上諏訪14:09着とのこと。むむ。それなら、鳴海・豊橋を名鉄で移動せず、大高まで歩き、大高から乗車すれば一本だったのに。などと今更言っても詮無いことであるなあ。大高駅は「遠い」という認識であって、名鉄の終電を逃した際、一度だけ大高下車で鳴海まで歩いたことがあるきりだろう。
手元にあるバッハの無伴奏チェロ組曲の譜面が1983年発刊になっている。私の幸福な子供時代が終わりを告げ、人生の紆余曲折が始まった年だったのだね。
1982年12月に友人と飯田線に乗りに行った。父が泊まったことがあるという飯田の宿を予約してくれた。
飯田線車中で、鉄道関係の方が声をかけてくださった。たぶん、一旦北上しきった辰野から宿泊地である飯田に戻る夕刻過ぎの車中だったろう。「来年2月にイベントがある」だったと記憶する。今思うと80系廃止だろうか。
種々のブログなどで鉄道関係者の優しさに触れた文章が有るけれど、私にもそういう暖かい記憶がある。
写真の説明に「飯田線を走るスカ色のクモハ60形」とあるが、飯田線にはほとんどクモハ60はいなかったのでは?また、短期間いた時もぶどう色だたようだが?さて。
https://toyokeizai.net/articles/-/864708?page=3
国鉄高慎線という名の鉄道模型レイアウトの名を始めて聞く。私の休眠時代に有名になったもののようだ。
ネット時代のありがたさで、公開されている動画を見ることができる。嬉しいな。
また、公益財団法人 統計情報研究開発センター『統計と情報の専⾨誌「エストレーラ」』に「寄稿 統計家の道楽--国鉄高慎線を訪ねて」なる記事が掲載されているとのこと。こういうのを読むのが好きなのよね、私。編集が整えていないだけに、筆者本人の感想がまっすぐに放射されて面白いのだ。もちろん、一般的には編集者がはいって整えた文章を読むほうが良いのだが、こういうのも好きなのだ。動画と合わせて見るに、この筆者=統計研究者がレイアウトの製作者でもあるのだね(私の仕事と無関係ではない書物も書いておられる・・・)。
ディーゼル特急 キハ81「はつかり」
https://www.youtube.com/watch?v=ymmGJx6M2I0
私どもが小学生であった昭和の頃、年に1回、学校で映画館紹介があったように記憶する。
学校の講堂(体育館)に、見慣れぬ映写機器が持ち込まれ、植物の成長であるとか、交通事故の痛ましさであるとかのドキュメンタリーを見せてもらう。ちょっとした非日常感が味わえる楽しいもよおしだった。
この映像はそのことを思い起こさせる(そういう使い方をされたものではないようにも思うが、いずれにせよ何の確信もない)。
今更ながら多摩美術大学の卒業制作優秀作品集を見る(2023)。
https://www.tamabi.ac.jp/works/filters/?works_category=graduation-works-2023
私が知らないことも多く、多くを教えられる。「鴨居玲の酔っ払い作品」なんてまったく知らなかった。こうした新しい窓が開くことに感謝しつつ。
Door ふしぎな世界。魅力的。
夏生まれの私と温室育ちのあなたの折衷案 細かく丁寧な表現に惹かれる。人間、こういうのに魅力を感じるのだよね。
死の舞踏 音楽系。「交響曲」ではないけれど。
こころの救急箱 calmind やさしい世界。でも、こういう作品を志向する方ご自身が辛くないのかちょと気になる。
絵画における酔っぱらい表現 これは面白そう。オランダの風俗画くらいしか思いつかないけれど、きっと多くの絵があるのだろう。
何も考えずに、Google Arts & Culture で「drinker」と検索すると、582件返って来る。
https://artsandculture.google.com/search/asset?q=drinker
これを見ているだけで頭痛がしそう。分析なんてとんでもない。
米国のアニメーション作品「アバター」予告編を見る。
ドラゴンボールとナウシカ(とトトロに出てくる猫バスと一休さん)をくっつけたような感じか?
ともあれ、作品の出来は良さそうだが。
中国が市場になると見ているせいか、米国製品(コンテンツも含め)が結構中国風味を入れてきているように思う。
そうそう、ドラゴンボールは孫悟空由来だし、ナウシカはギリシア由来。一休さん的禅問答は、釈迦・維摩・達磨・黄檗ということで、印中由来。人間には地域性が必要不可欠。私ももちろんその嗜好を相当程度激しく持っている。
私事ながら(ここに書いている雑感など全て私事だが)、鼠径ヘルニアの手術をすることになりそう。人生初めての入院・手術。
カントンにさえならなければ問題ないが、カントンになると緊急手術になるのでとお薦めを受けた。
カントンは「嵌頓」。「広東麺」のカントンではないよ。韓国語では「空き缶」の意になるようだ。紋章学にもそんな用語が。
今まで、巻爪で爪を引っこ抜いてもらったことや、親知らずを抜いてもらったことがあるけれど、あれらはいちおう手術という気がしないので。
Google で「ヴィオラ・ダ・ガンバ 販売」で検索したところ、Google系の広告はヴィオラ・ダ・ガンバ一辺倒になった。
これは良い。なんでも肥満・禿頭・口臭などの不愉快宣伝を出しやがるよりずっと良い。
ついでにあるサイトでヴァイオリンの説明を見ていたら、「ドイツ製チェロの良さが感じられる作風です。」と来たもんだ。
おそらくメーカーの名前からたどった褒め言葉をコピペしたのだろうが、それにしても雑だ。
我が家の庭に何本か生えているのはトウネズミモチ(唐鼠黐)らしい。
「手をかけて育てるような木ではなく、放置しても元気に育つ。」(https://www.uekipedia.jp/%E5%B8%B8%E7%B7%91%E5%BA%83%E8%91%89%E6%A8%B9-%E3%82%BF%E8%A1%8C/%E3%83%88%E3%82%A6%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%83%9F%E3%83%A2%E3%83%81/)というのはまさにそのとおり。
樹木らしい大きさになっているのが「何本か」であって、スプラウト状態のものは「数知れず」。放置しても・・・がよく実感せらるる。
我が家近くの飲食店。メディアが取り上げると行列が出来る。よってして老地元民は行列を避けて、行列が去ったのち暫くして落ち着いた店に行く。
ネットで「●●駅近くのお薦めの店10」みたいなのをみたが、ありがたいことに老地元民が行く店を避けていてくださった。よかった。
ミニディスクMDが生産中止になったとのこと。
かれこれ30年前に売り出され話題になった記憶が有る。
当時のウワサとしては、デジタル化・圧縮するために信号を捨てているので音質が低下すること、また、ファイルシステムっぽくなっているけれどもあまり質が高いものではない(貧乏くさい)ことなどだったと記憶する。
結局、自分では一度も買わずにしまった。割合すぐにUSB録音機が使えるようになり、PCで音源を扱えるようにもなり、私にとっては「なんのためのMD?」となってしまった。
大学における学部リスト Wikipedia国立大学では「旧帝国大学群に準ずる法医工文理農経」なんてある。
うむむ「文教法経 理医農工」だと思っておったぞよ。医学部の人は「医理農工」とおっしゃるけれどね。
wikipediaの順序は、東大的法科優越思想なのではないか?
皆吉司氏の俳句「夢の中で燃えてゐるチェロ西行忌」
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