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読書の記録(2025年10月)

続 小林信夫の模型世界 ~貴方も電鉄経営者~
楽しい模型鉄道のお話。少しずつケチって読む。
私はグリーンマックスカタログで小林氏の文章に馴染み初め、そこから鉄道模型趣味誌に小林氏が登場した最初の頃しか知らなかったので、これら正編・続編で知れたことが多い。
そのうち、小林氏が美術大学卒業とのこと。身内に美大出身者がいる感想として、「制作もそうだが、コンセプトをよく練り込むところが美大っぽい」。学科や指導教員によって同じではないだろうけれど、美大において一定数は「コンセプト重視」があるし、作品の説明を求められることも多いようである。小林氏の文言にそうした「美大らしさ」を感じることがある。とは言え、その中身はすべて「小林節」であって、美大がどうこう言うものでは全くない。(自分がちょっと気づいたと思っていい気になっている、ということ)。
私も長年放置している「石畑地方鉄道」をなんとかせねば。とはいえ「石畑」は他の方が使っておられるので、違う名前にしよう。私自身は自分が住んでいた土地の名前から、昭和の末頃に付けた名なので、それはそれで「由緒ある」のであるけれど。同じような地名繋がりで「善照寺電気軌道」とでもしようか。この名の寺は複数あるので、あまりご迷惑にもなるまい。(東京都西多摩郡瑞穂町、愛知県犬山市、滋賀県犬上郡豊郷町にあるのは今知った。)

幕末百話
少し読む。殺伐たる話が多い。現世もあまり感心しないことは多いが、意見が違うからとかんたんに殺す・殺されることがない(少ない)現世はありがたい。
とは言え、ロシアがウクライナに攻め込み、イスラエルがガザで虐殺をなしているのは幕末と変わりない。あるいは、幕末以前である。
大火災の後、小倉百人一首の替え歌を作るのは何か災害に対する強靭さを感じる。疫病も多く「いつ死ぬかわからない」時代と現代で同じであるはずもなかろうけれど。

わた史発掘 戦争を知ってる子どもたち 小沢昭一
昔から何をする人か分からないところがあったが、Wikipediaによれば「俳優、タレント、俳人、漫談師、エッセイスト、芸能研究者」とのこと。
確かにそんな風だったと記憶する。
前半は調べるのとその結果が混交して(よくあるけれど)進みが鈍い。
海軍兵学校進学あたりから明晰になってくる。この方が海軍兵学校におられたとは知らなかった。

「教育勅語もイイこと言ってる」説は福田赳夫あたりも言っていたのかと驚く。
そしてそれに対する小沢の反論も。「家族仲良くは良いが、結局天皇のために死ね、という『地ならし』で言ってるからアカン」と、当然の理屈。

「赳」の字が思い出せず「福田赳夫」Wikipediaを見る→フィクサー「大谷貴義」に飛ぶ→外部リンク「日美」に飛ぶ→「アクセス」を見る→1階に喫茶草枕。
そう言えば、「喫茶草枕は良いですよ」と聞いたことがあるので驚く。上の流れからは怖くて行けないや(一般庶民にはなんら関係ないけれど)。
「日美」に用事があって行くと、喫茶草枕のコーヒーが出たりするのかな?(一般庶民にはなんら関係ないけれど)

フランス中世史夜話
あまり中世っぽくない話(小説家スティーヴンソン)も出てきて驚く。まあ、そんなに正確性を期するような書でもないけれど、「中世史」と付けなければよかったのに、とは思った。
とは言え、こういう歴史エピソード集のようなのは好き。もちろん歴史の「メカニズム」も好き。中間的な「事実連呼型」はキライ。
スペインの異端審問官トルケマダ。ドストエフスキーなどで馴染みがあると思いつつ、他にもなにかある、と思ったならば。
ブラジル音楽マシュケナダ(Mas Que Nada)。なだいなだ Nada y Nada 。そもそも語尾は「なだ」と「まだ」で子音が違うぞ。
紋章の話もスッキリまとまっていて読みやすい。以前ちくま文庫の紋章学の本を買ってみたが、基礎的な知識がないので読みにくく途中で投げ出してしまった。こちらの本で読んだ基礎知識をベースに読むか・・・というと、基礎知識だけで十分という気もするね。

ノルマン騎士の地中海興亡史 山辺 規子
ノルマン人がシチリアに居たことを何かで読んだ(か、見た)。何だっけ?で、ノルマン人と言えば、「ノルマン・コンクエスト」で英国を征服したフランス人・・・と思っていたが、北方から来たヴァイキングだったのね。
このノルマン人による征服のせいで、「豚も牛も生きている間は英語だが、食べ物になるとフランス語(世話をするのは征服されたイギリス人だが、食べるのは征服したフランス人)」という自虐ネタが生まれた。
首領「ロロ」なんてのは、アルセーヌ・ルパン「奇岩城」にも出てきて雰囲気を盛り上げてくれるけれど、このあたりの人なのね。。。などと大変面白い。ちょっと事実の羅列が多いので、図表を作りたくなってくるのではあるけれど。

うんこ虫を追え 舘野鴻
良い本!笑いあり涙あり、科学のロマンを感じさせる。ファーブルへの言及も良い!
センチコガネとオオセンチコガネがこんなにも違っていたなんて!
(この絵本の内容、論文にされたのだろうか?と要らぬ心配)。

黄色い本 高野文子
出先の喫茶店にあり、つい読んでしまう。
詩的であり、引き込まれる。また、少々わかりにくい話回しなのだが、それだけに読むごとに発見があるように思う。
この本を買って読み始めてすぐ「『黄色い本』を先に読まねばならない」と思い、読んだのが2009年。
http://folia.txt-nifty.com/musik/2009/06/post-74a1.html
コロナより前、父母が身罷るより前、随分前のことだ。

長崎聞見記を読む
江戸時代長崎遊学をした医師の見聞記(聞見記)ゆるゆる眺めるにはちょうど良い。
マツカサウオの項に見られるように、現代の情報を差し挟むのも、博物学的で良い。
日本に輸入されている漢方薬は、大陸から見て二流品か?と疑うなどなかなか面白い。
カッテンディーケの回想も少し読んでいるけれど、近い時代・近い場所を複数の目で眺めるのも面白い。

サンキューピッチ
漫画。漫画らしい荒唐無稽さが楽しい。野球のルールを余り知らないので、これらが妥当なのか夢物語なのかも全くわからない。ルールも解釈もなんとなくそれらしいな、程度の理解。

鉄道ピクトリアル 平成元年7月号No.514 特集/列車編成の記録
昔の列車がどんな車両を連ねていたかの記録。
昨今は「固定編成」がふつうで、常に同じ車両が同じように連なっていると思って良い。しかし、昔々はそうと言うわけではなかった。
一般貨物列車は完全に偶然と言っても良かったし、客車列車も相当程度自由度が高かった。しかも、これらの公的な記録が整備されているわけでもないので、現場観察が趣味になり得た。
私が中学生だった頃日々名古屋鉄道に乗っていた。鉄道ファンだった教員が、電車の編成表をコピーしてくださり。日々どんな編成に乗ったか記録するのも大事なファンの楽しみと言っていることを理解できずにいた。当時の名鉄で言えば、おおむね固定編成ではあったけれど、途中で解結する列車は日々組み合わせが変わるし、時々、事故や故障などで編成が崩れるし、そういう意味では記録の楽しみもあったのだろう。
今回この雑誌を読んだのは、東北本線の急行「青葉」の編成記録を見たかったから。同志社大学鉄道研究会による「デジタル青信号」にも相当程度の詳細が記されているが、紙でも持っておこうという心がけ。もちろん楽しい。戦後の急行にまだ17m級のオハニ30が繋がっていたのだと驚く(C51ともども急行青葉がKATOで製品化されないものだろうか…)。

1980年代の鉄道模型趣味誌
思い出の記事の数々。こんなにも影響を受けているとは思わなかった。

『白井昭鉄道著作集』表紙写真に惹かれて買ってみようと思ったが、専門家向けとて断念。

風とともに去りぬ Gone With the Wind (1936) のパロディー作品 The Wind Done Gone (2001) (風はすでに去った かな?)というのがあるのね。

村上春樹氏。遠い昔に借りて読んだことがある。貸してくれた方は相応の感激を期待していたようだが、私のような粗野な人間には合わない繊細な話だった。
で、10年ほど前、中国に行った折、飛行機の中で、細身でお洒落なお嬢さんが「●●之森 村上春樹」なるお洒落な装丁の本を読んでいた。どうやら●●はノルウェーに当たる中国語らしいと知れた。
そうか中国の若い方にも村上春樹は受容されているのだ、と感心した。村上春樹がノーベル賞にふさわしいのかどうか私は知らないし、程度は知れないけれど、中国の方々にも一定程度読まれているのは確かである。

海洋小説ホーンブロワーシリーズに出てくる「爆弾ケッチ(砲艦)」
https://en.wikipedia.org/wiki/Bomb_vessel
描写に誤りあることも指摘されておる。まあ、ストーリーに障るようなことではないと思うが。

終着駅を題材にした本を持っている人を見かけた。
他路線に接続していない「真の終着駅」を考えてみると、自分はほとんど行ったことがないだろう。
適当に列挙すると、武豊線の武豊駅、名鉄谷汲駅(廃止)、伊豆急行下田駅、京急本線三崎口駅、伊豆箱根鉄道大雄山駅、松本電鉄新島々駅、叡山電鉄八瀬比叡山口駅・鞍馬駅、京福北野線北野白梅町駅、阪急千里線北千里駅、かな?思ったよりあるが、JR/国鉄はほとんどないなあ。
また、路面電車であれば、岡山、長崎は終点すべてを乗りつぶしているはず。
幾寅駅も根室本線の「終点」だった期間に利用したものの、鉄道連絡バスが走っていたし、ふつうの意味での「終点」ではなさそうだ。
東室蘭駅までは行っているが、後少し室蘭駅までは行っていない。所用のため仕方がないとは言え、根性の問題かも知れぬ(鉄道趣味休眠期だったのが大きい)。
強羅駅はケーブルカーに接続しているがどう考えるべきだろう。さらにケーブルカーの終点早雲山駅はロープウェイ(索道)に接続している?
何をもって「鉄道」とし、何をもって「接続」とするかで答えが変わるけれど、それはそれで面白い。暇つぶしに持って来いである。そしてまた、次なる旅行は「終点」にこだわるのも面白いかも知れない。

「とろりいぽうるの詩」高松吉太郎
昔の鉄道ピクトリアル誌に連載されていた写真集。当時であってもすでに古い写真だったのではないかと思われる。
私が見たのは、京阪電鉄石山坂本線のみだが他の号も見たいものだ。
あの頃「京阪」も「石山」「坂本」もどこであるか全く知らず、遠い遠い日本の遠い遠い僻遠の地だと思っていた。
当時の自分にとってはまぎれもない僻遠の地であり、それはそれで間違いではなかった。
そもそも「石山坂本線」が読めず「いしやまざか ほんせん」だと思っていた。
Wikipedia高松吉太郎の項からリンクされている「「鉄道趣味」を旅する」は鉄道趣味の概観としてよくまとまっている。
https://www.ikkyo-tekken.org/studies/2010/2010_all.pdf
私の興味は「考古学・史学」っぽい部分もあるが、「鉄道システム」「鉄道システム技術開発史」っぽく少々ふつうの趣味者からは歪んでいるようだ(例によって例のごとし)。
ところで宮脇俊三は理学部から文学部に転部しているのね。ひとつの理想である。

あめのひのえんそく 間瀬なおかた
あっさりしていながら読み進めると味わいがある絵本。

演奏会をひとつ終え、ふたつ準備し、もうひとつの準備に取り掛かった。
多忙に付きあまり本が読めていない。断片的に読んで済むような本だけを読んでいる。それはそれで構わないのだが、小説を読めていないと自分でちょっと悲しいね。まあ、一段落したらまたゆつくり読もうではないか。

読みたいと思いつつ忘れそうな本の名を列挙しておこう。だんだん忘れているものも多いし、忘れたら忘れたら仕方がないと思っているけれど。
 子どもがほしい! セルゲイ・トレチヤコフ
 来福の家 温又柔
 李良枝セレクション
 台北人 白先勇
 台湾、あるいは孤立無援の島の思想 呉叡人
 台北プライベートアイ 紀 蔚然

パピヨン本田 コンセプチャル・ガール第9話
「良い場所でする展示が良い展示」という一文に一瞬反感を覚えるけれど、「良い場所」を「多くの人々に見てもらえる場所」であると考えると、端的で間違ってはいない。だが、その時代に「見てもらえる」だけでなく、「未来の聴衆」に向かって書かれる音楽があっても良い(と、芸術家ではないので安直に書く)。今、目の前にいる人間だけが「人間」なのか。

この他、ギリシア哲学者列伝、史記(列伝)、古い鉄道模型趣味誌などを読む。

●雑感
モーツァルト K.428の本番
録音を聴く。なんというか、弾いている私の心の裡がよくわかるよね。
「真面目に弾いているか、そうでないか」は録音であってもよくわかる。
違う言い方をすると、「その音楽を正しく理解しているか、自分の音を正しく聴いて、音楽像の中に定位させているか(正しく修正しているか)」はすぐにわかるし、それをひっくるめた「心ばえ」はすべて録音から聞き取れる。
真面目に弾いている一瞬もあるようなので、それを救いにこれからも頑張ろう。
とは言え、チェロ(多くの場合、根音担当)が真面目に弾いていないのにヴィオラがまともに弾けるわけないよね。

スメタナ「わが祖国」
非常に難しい曲。オーケストラの団員になるとこんなに難しい曲を弾かなければならないのか、と絶望と尊敬の念が已まない。
オーケストラ入団も考えないでもないが、こんなにも難しい曲を毎週合奏しなければならないのはとても考えられない。
申し訳ないが、時々どうしても弾きたい曲だけ弾かせていただくような立場しか取れない。

ドヴォルザークの弦楽五重奏曲 Op.97
面白い。伴奏的伴奏も結構あるのだが、リズムパターンに富んでいて、旋律を(いい意味で)煽り立てることができる。
そしてまた、伴奏的伴奏をしている間も、他で旋律だけでない対旋律が動いていたりするので、いい気分である。
若干 2nd Va が独奏っぽいのは、ここをドヴォルザーク本人が(楽しく)弾くためであったろうかと思いたくなる。

ショパンコンクール。優勝者は米国人。彼も含め上位入賞は東アジア系が多い。
「我々東アジア人は真面目に練習するから」と誇るか?(誇ってどうする)。
欧米の管弦楽団のヴァイオリンは(楽団によるが)半分東アジアというところも珍しくないように思う。
低弦に行くほど東アジア割合は下がり、管打楽器にはほぼ不在と私は見ている。
もう東アジアで喧嘩するのではなく、この「優秀性」で全世界の平和と安寧をなんとかしたいものだ(そんなにも優秀な東アジア人同士で喧嘩させるというのこそ国際的邪悪組織の陰謀なのでは?)。
さて、様々な奏者の様々な演奏を居ながらにして聴ける素晴らしい時代。優勝者のYoutube演奏動画にも、たくさんの人々が書き込みをしているが、どなたもコンクールとしての熱狂ではなく、音楽としての良さを褒め称えているのが良い!(一部外国語は自動翻訳で読ませて頂きました)。

チェロの弦を交換した。
ダダリオのカプランは最初は暴れすぎ、しばらく悪くはなかったが、その後急速に黙り込んだ。私には合わない。
次はたいへん迷うしガットも張りたいが、当面オーケストラもあるため金属弦。
昔懐かしい、ヤーガー2本+スピロコア2本。これを嫌う人がいるのも知っているが、原点に戻るのもよかろうし、弦全般が値上がりしている中では比較的安価。3万円台前半。
D線が大人しすぎて、D線ーA線の切り替えが明確なのと、C線が適当に(いい加減に)ブーブー鳴るのがアカンが、使えないことはない。
一緒に弾いているヴァイオリン・ヴィオラの人々からは「聞こえる」と言われる。うーん。カプラン鳴ってそうなのに飛ばないのか。
これが弦の特性マップにおける Focus なのかな。ガットだと unForcus の極みみたいになるのよね。
とりあえずオーケストラの本番をこれで乗り越え、その後ガットに行こうかな。でも、次はR.シュトラウスのメタモルフォーゼンなんだよね。
相当程度 Focus が求められそうな気もする。

昭和における輸出ブラスモデル(鉄道模型)の話
https://ameblo.jp/kiyomori0928/theme-10109971151.html
山崎喜陽氏の「ミキスト」などで漏れ伝わっていたことがまとまって読める。貧しい戦後日本で輸出できるもの、米国で喜んで買ってもらえるものは、真鍮製の蒸気機関車模型だったのだなあ、と。確かに、古い鉄道模型趣味誌を見ていても、米国型模型が多いし、日本型を作ろうとしていても部品は米国型だったりした。それがコスト安や品質向上によって韓国製に置き換わって行く・・・などの歴史。
これから日本が何を作り・何を売っていくかを考える際のヒントになる部分があるかも知れない。ともあれ、ゲームやアニメーションなどのソフトウェア「コンテンツ」がひとつ、そしてまた、その場に行かなければ味わえない「(モノではない)コト」であるとかがひとつなのだろうか。
人類は「パンと見世物」が必要として、我々の時代に「見世物」として、自動車、オートバイ、カメラ、音響製品などがあり、それらはすべて「コンピュータ」に収まってしまいつつあるのが現実なのだろうか。そして、たまに「コンピュータ」の外に出たい時に「ある場所に結びついたコト」が生じれば良いのかも知れない。それでアカンとも思わないが、如何にも如実な「見世物」なので人類には進歩も発展もないものと少々暗澹とするものである。CO2排出量が少ないのは、もしかすると人類のそういう自衛策なのかも知れない。

メルクリンについて考える。
UX(ユーザーエクスペリエンス)なる語は、1990年代Apple社で使い出したらしいが、メルクリンこそUXの先駆け(のひとつ)であるように感じる。
重量感があって安定して走行する車両、しっかりした道床付き線路、多彩な分岐器、信号・踏切・鉄橋・駅・信号所などの鉄道施設。
そしてこれらを魅力的に見せるカタログ。
「次は何を買って何をしよう」という夢が趣味者向け商売には大切だと思うけれど、その夢をどこまでも広げてゆくカタログ。
鉄道模型の趣味は雑誌「鉄道模型趣味」のように「機芸」(機械芸術あるいは機構芸術)的な工作志向もあるけれど、それとは少し異なるメルクリンの方向性も面白くはある。
日本のNゲージ鉄道模型を普及して来た関水金属KATOもTOMIXもメルクリン的UXの充実を目指しているのは間違いないと思うけれど、車両他の商品数が爆発的に多くなることで、UX的な統一感やイメージを持つことが難しくなっているようにも思う。
(一方、昔のグリーンマックスは「作る楽しみいっぱい」と別な方向の「UX」で勝負していた)。

安楽マニア。
鉄道模型の世界には、「安楽マニア」という言葉があり、工作その他自ら行動しない(そして口だけ動かす)者をいう。
私もほとんど安楽マニアであるけれど、この言葉随分居心地が良い。もう安楽マニアでも良いかも、と思わせる。
そういう意味でも「工作もしないクセに文句ばっかり言いやがって」のニュアンスが見えにくい雅な言葉使いだなあ、と感心する。
「安楽椅子探偵」にも憧れるところがあるから、「安楽」の語感が良いと思うのかも知れぬ。

講談・落語に「西武家の一族」とあるのを、つい、堤康次郎らのシリアスな話だと思いきや。
「堤家の一族」ではないもんね。ああ、ヒヤヒヤして損した。

ピタゴラスイッチ
「ピタゴラ装置を作る装置」を見た。『メタ装置!』素晴らしい。
また、水中(液中)ピタゴラ装置も。ゆっくり動作が楽しい。惜しむらくはせっかくの浮力を活かす動作がなかったこと。他にも液圧を活かすなど、液体らしいピタゴラ装置を望む!(勝手な望み)。

小学生だった私が初めて買った(買ってもらった)レコードはカザルスのホワイトハウスコンサートだった。
私が初めて全楽章取り組んだ室内楽曲はシューベルトの弦楽五重奏。その時はカザルスとヴェーグ四重奏団のCDを繰り返し繰り返し聴いた。
私はカザルスから生きる勇気を教えられた。
すべてのチェロ奏者はカザルスに通じている。私がごとき素人チェロ奏者の末流のような者でも師匠筋を指折り数えればカザルスにたどり着く。
(すべての数学者がエルデシュに通じるように?)

というようなことをNHK「クラシックTV」を見ながら考えたが、この時期にカザルスを取り上げたのは、カザルスホール再開と連動しているのだろうか?
戦争反対ということであれば、ウクライナへのロシアの侵略が始まった頃に放映されて良いようにも思うし。

国勢調査
職場の事業内容、個人の業務内容を具体的に詳しく書けとのこと。
それはそれで良いのだが、これを集計するならば、AI(的なもの)を使って、予め用意したカテゴリにふるい分けするのだろうか。
それとも地域担当者などが手でちまちまと。。。
仕組みをちょいと知りたい。カテゴリごとに頻出単語を紐付けておいて、「この単語が出てきたらこのカテゴリ」とするのは単純だが、稀なケースをどう処理するのか?機械的処理を最初に行い、漏れたのを機械的処理できるよう新たな単語登録をしたり、人手で分類したり・・・が現実的ではあろうけれど、これらを大規模に・安全に行う手立てを私は知らない。
例えば「殴られ屋」「レンタルなんにもしない人」などはどんなカテゴリに入れるのが良いのだろうか?
(日本標準産業分類を少し見たことがあるが、「その他のサービス業」という気がする)。

乾電池006P。
他の「乾電池」と全く異なる形・接続方法なのはなぜか?
Wikipediaによれば、ソニーがトランジスタラジオ用に開発を求めたものだそうだ。「なぜ」までは分からないが、たしかに昔のラジオに使われていた記憶はある。
「ふつうの乾電池」のようなバネ接点より接触面積を稼げるような気がするのと、湿気などによるバネ劣化による接触不良が生じにくい気がする。そういう意味で、「ポケットなどに入れて使うラジオ」を志向して作られた電池としては適正でると感じる(真実は知らないよ)。
我が家では、電子メトロノームで現役。こればかりは充電式電池はなさそう(9V充電器が専用になる)と思ったが、専用充電器式およびUSB-Cを尻に指す製品の双方があった。うむむ。
他の乾電池と異なる形・接続方法である理由は結局定かでないけれど、最近のデジカメに見られる「専用電池」に近いものだったとも考えられる。たまたまそれが一般化した、と。

「ポジティブフィードバック」は人材育成では良いことだが、信号系では禁忌。
というのはおそらく正しいが、ジュール・シーフにおいては正帰還をしているとのこと。
あれは「電力系」であって「信号系」ではないからな。波形が汚いのは問題にしていないし。

Youtubeのお勧めに "The Flying Nun" (邦題:いたずら天使)が出てくる。
確かに英米の喜劇作品を好んで見ているからと思いつつ、なにゆえこの無名作品とも思う。
Wikipediaに日本語解説があって助かる。

KATOが南海電鉄6000系を発売。
関西私鉄を知らない私にはとにかく驚き。これまでJR西日本、阪急、近鉄と関西方面への目配りも忘れぬKATOであったから、当然つぎは南海だったのかも知れないが。また、この車両が60年間現役というのも知らなかった。
私の中の年表に合わせると、名鉄5500系と7000系の間に走り始めた車両が、まだ本線走行している、と。それは確かに驚きである。
名鉄5500系と8200系の模型は手元にほしいけれど、毎日見ていたような電車は、細かな印象がありすぎてどんな模型であっても結局気に入らないので、まあ持たぬが花であろう。

ED18の台車は、DD10の設計を引き継いでいると知った。
A-1-A+A-1-Aなる動輪-遊輪-動輪の構造は国内ではこの2形式のみであったし、どちらも電動台車だったのだから共通していてもおかしくはないけれど。
ED18の模型は売られているから、車体だけ作ればDD10を作り出すのも夢ではない(そこに価値を見出すかは人それぞれ)。

名鉄鳴海工場・鳴海検車区
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E9%89%84%E9%81%93%E9%B3%B4%E6%B5%B7%E5%B7%A5%E5%A0%B4
今はもうない施設。私が子供の頃、よく外側から眺めていた。黒地に黄色いポイントを入れた電気機関車(デキ370)が控車を従えて往復していた。
手前にある検車区はまだしも、奥にある工場で何が行われているか全く解らなかった。それを何十年も経ってこうして読めることの不思議さよ。
私が住んだ土地は4つあるが、そのうち3つは車庫(工場・検車区等)がある・あったのはなかなかおかしい。
地価が高い都心には住めず、地価が安い郊外に住む、という外来都市生活者の一族として仕方がないことではあろう。

鉄道模型Tomixの製品化予定。名鉄ワム6000とは渋い。ということは、名鉄の電気機関車も製品化していただけるのでしょうか?
デキ400とか。12m級動力を発売するが、11mのデキ400より長いか・・・。ま、そんなことないよね。

キンボー・イシイという指揮者がいる。物理屋・数学屋はどうしても「近傍」という文字列を思い浮かべるのではないだろうか。
曲線と直線が接するところとか、そういうε-δっぽいの。

ズーラシアンブラス等々の動画を見る。楽しい。
クラシック管弦楽入門のひとつの良きありかたのような気がする。
演奏もきちんとしている。入門向けの楽しい曲を、クラシックらしくキチッと演奏していることに好感が持てる。
私自身は演奏に構築性と感傷性のせめぎ合いみたいなものを作ろうとしがちだが、そもそも選曲自体がそーゆー「濃い曲」ではないしね。
演奏する立場からすると、前方の限られた視界しかないのが苦にならないかな?等は気になる。そのあたりを明かさないのがスマートで良いとは思うけれどね。もしかすると、全員ヘッドセット付きでメトロノーム音を聴きながら演奏している可能性もなくはないが、指揮と演奏のコミュニケーションを感じさせる場面も少数ながらある。
宇宿允人氏は「譜面台は一人一本」としていた。彼の場合、おそらくは「俺の指揮棒以外見るな」思想だったのだろう。そうした演奏形態もあるのだから、ズーラシアンのように視界が限られていても大きな問題は生じないのかも知れない。
(ズーラシアンの曲自体もいわゆる「管弦楽曲」で精緻な合わせが問題になるような曲ではない)。

ワルシャワ蜂起の展示を見た。歴史を知ることを重んじているので見させていただいて良かったと思っているが、なぜ、今日本でこの展示がされるのか。ワルシャワ蜂起については過去にWikipediaなどで見ており、また、ポーランド亡命政府などについても一応最低限の知識はあったので、見るのに困難を覚えはしなかったが、それでも細かい事実の積み重ねには圧倒される。
昨今の情勢から考えると、プーチンの軍拡へのヨーロッパの危惧がひとつあるのだろう。ポーランドとしてネタニヤフのイスラエルを考えているのかどうか。

“Ddiddiroo Diroo Diroo” Pansori Version
https://www.youtube.com/watch?v=KU5jtaWyUho
韓国の古風な女声合唱。力強くて野太い。そして濁らせる風がある。宮廷風なのだろうけれど、力強い。日本の宮廷女官たちはもっと弱々しいように思っているけれど。どんなもんだろ。

ギリシア スミルナ風の歌
https://www.youtube.com/watch?v=_hUlp13jpF4

そういえば、トルコのハンバーグ「キョフテ」。
この語は、ペルシア語の「叩く」が本で、トルコ語としては借用語らしい。
もっと東の国で「コフテ」表記をするのを見たことがあるが、同じ語だろう。

ビリヤード。孔に落とす以外のゲームもあると知った。
だがその勝敗の基準を知らず、出ている玉全てに当てることに価値があるらしい、とだけ知った。
そもそも孔のないビリヤード台もあるとのこと。

物理学者ホーキングは"気候変動は、我々が直面する最大の脅威の一つであるが、我々が回避しうるものでもある。"と言ったそうだ。
一方、愚かさは、我々が直面する最大の脅威の一つであるが、我々が回避しうるものであろうか?
賢い人間に理解できないのは愚かな人間の存在、愚かな人間の行動かも知れない。

留萠本線はすっかり廃線になったと思っていたが、深川から石狩沼田までは存続していた。が、Wikipediaを見ると2026年4月1日廃止予定。
まあそうだろう。留萌市の人口が18,000人程度であることを考えても。
GoogleMapで廃線跡を辿ると、線路(道床、枕木含めた軌道?)はすべてそのまま。撤去する費用も惜しいということか。恐ろしいことである。
日本国を担う皆さんは、日々地図を見て、廃線や人口減少地域に思いを馳せて頂きたいものだ。

ユニフロー蒸気機関
通常の蒸気機関車に見られるような往復動蒸気機関は、気筒内への蒸気の注入・排出の際、同じ弁を通り、蒸気が行ったり来たりする。
ユニフロー式の場合、入口と出口が別で、吸気(?)・排気は一方通行となる。種々メリット・デメリットがあるようだが、蒸気機関車としては習熟した機関士が必要であり、成功しなかったらしい。
複式の蒸気機関車(関西鉄道早風型など)があまり成功しなかったのも同じ理由だろう。当時の蒸気機関は、「操作しやすさ」に配慮することはできず、全て「機関士の感覚的習熟」に依存していたから仕方がないのだろう。
複式の早風は1898年導入・1925年全廃、単式の追風は1906年導入・1950年全廃。

「回るお菓子売り場」Gram 浜松の遠鉄百貨店にある!
https://www.endepa.com/floor/8jx21rjcz_4
昨年浜松乗り換えをした時に行くべきだった!己の愚かさに泣きたくなる。
昔々、関東にある母の実家に行く時、新幹線に乗る前の楽しみとして連れて行ってもらったものだ。おそらくは名鉄百貨店。
母が設けた値段上限をもう覚えていないけれど、百円だったか二百円だったか。
いつも「豆板」を必ず買っていた。豆の味、べっ甲飴の味が好きだったから。
その他、ゴムにくるまれた球状の「羊羹」。これは爪楊枝を刺すとゴムが脱げて中の羊羹が現れるのだが、思いの外静かに弾ける。もっとプリンと言いそうなものだが。
そんなのを三つ四つ買ってもらったのを新幹線の中で食べていた。できるだけ食べ伸ばして、東京につく直前、多摩川を渡る頃に最後のひとつを食べた。
買って良い量に制限を設けることで自分たちは一生懸命考えたし、それが楽しかった。そういう楽しみを作るのがうまい母だった。

「キャナリーナ歯磨900pw」終売
愛用していたのに。ネットで見つけて、歯痛時に使って良い効果を得ていたと記憶する。

韓国のバンド Ssing Ssing 解散してたんだ。。。
https://note.com/kid_dic/n/n9ad780a94fbe
凄い衝撃だった。何か知っているような不思議な懐かしさがある一方で、かっ飛んでいるので。ただ変なことをしても驚かない。何か知っている根があるものから飛んでいるから驚くのだ。
で、なんか似た人がいる、と思ってみていた 이희문 오방神과 (OBSG) はSsingSsingの縁戚なんだ。
https://www.youtube.com/watch?v=Bdmm1O9iVXc
遠い遠い宇宙の果の惑星でおふくろの作ったキムチを食べるような不思議な感覚。
バンドの人たちも控えめだが上手い。特にギターの女性が良い!
日本において芸能者を「かわらもの」などと言って、常民の外にあって畏怖すべきものとしていた時代があるようだが、なにかそうした畏怖を思い出させるような異常性が素晴らしい。
私は、音楽解説をあまり読まないにようにしているけれど、上記Noteは丁寧で頭が下がる。この人たちが「中性的」である意味のひとつに、日本の帝国主義が関係していることにも驚かされる。私には知らないことがたくさんたくさんある。

FACEBOOKの自動翻訳。サン=サーンスの「カーニバル・オブ・ザ・アニマルズ」。
この曲は「動物の謝肉祭」が定訳だよね。カーニバルはそのまま訳さないことが多いけれど。
引用符で囲われたものはカナに置き換える、という処理なのかな?

料理研究家星澤幸子先生
北海道在住時代に初めて知った。ウニひと箱とか鮭一匹を料理するような、北海道らしい豪快な料理本も買った。
いま関東でも「どさんこワイド」の料理コーナーをテレビで見られる。
先日は「サツマイモの昆布・バター煮」を紹介しておられた。
私が北海道にいた二十世紀末ごろ、まだ北海道ではサツマイモは余り見かけず、見かけても美味しいとは思わなかった。要するに、北海道では栽培できなかったのだろう。「わかさいも」なんてお菓子は、白豆にわざわざ切昆布までいれて筋っぽさを表現した「最大限の努力でさつまいもを模した和菓子」である。そんなことを思い出していたら、流石星澤先生。「お母さんが子供の頃はサツマイモはあまり食べられなかったのよ、とお子さんにお話しながら料理して下さい」的なことを仰る。良いな。星澤先生。
あの頃、北海道は大抵のものが美味しかったが、他に劣るものも少しはあった。冬の青菜っ葉、サツマイモ、里芋、青魚(鰯、鯖、鯵)。その後関東に移り住んで、これらのものが美味だが、北海道で美味しかったものがそうでもないことを知った。土地と風土。それが面白い。

石破首相の「所感」。良かったと思う。一方、共産党山添氏らの批判も正当だと思う。
双方が「言論」であることのありがたさ。
何か「思ったこと」を叫び続ける連呼への強い嫌悪が私にはある。
日本を「戦争に負けない国」にしたいのならば、「願望」と「現実」を明確に分ける必要があり、その点だけ考えても石破首相の所感・山添氏の批判双方に理があると私は考える。

一方、公明党はついに自民との連立を解消した。
この数年、公明党はもはや存在意義もなく自民党の一部になっていると感じていた。いわゆる「平和の党」としての役割も果たさず、「政治と金(自民党と金)」についても何らの行動も見られなかったから。随分遅くなったけれどやっと元の正気に返ったか、と思う。こちらについても、20年以上与党として行動してきた事(あるいは行動しなかった事々)について反省をして頂きたいものだ。

公明党サブチャンネルにおける石破首相と斎藤代表
https://www.youtube.com/watch?v=hTvLmES2A7Y
趣味の鉄道の話だが、石破首相は聞くことに徹している。斎藤代表はちょっと嬉しそう。
どちらも知性を感じさせる趣味。趣味をきちんと楽しんでいるから知性的なのだろうか?そして最後(おそらく偶然であり、必然でもあるが)交通政策の話になる。東北大震災時の鉄道物流の話がさらりとできるところ、やはり石破首相は(趣味半分としても)非常に勉強していると感じる。
趣味とは個人が個人であるために重要なのだと感じさせる対話だった。
「高級料亭」で親分子分で集まって酒食に耽る・・・前近代的な人々とは異なるのだなあ、などと思った。

という流れで「【緊急】公明党斉藤代表が“連立離脱の真相”をすべて激白!」も見てしまった。
https://www.youtube.com/watch?v=GIgch0dGKR4
きちんとした言葉使いで説明されており、沁みる人には沁みるはず。
公明党は長く安倍政権を支えた負の歴史があり、それをきちんと反省して頂きたいが、まずは「政治(自民党)とカネ」問題の対策を進めようという行動には賛成したい。

Ce matin-là - Barbara (cover by Louise)
https://www.youtube.com/watch?v=69LiGPXhbjk
ヴィオラ・ダ・ガンバ と歌。カバーらしいが、ヴィオラ・ダ・ガンバらしい優しいピチカートと切ないオブリガートが素敵。
多重録音であろうけれど、一人三役のようだ。

休日。でかい西洋人が電車の長手座席の対面同士で足を組んで座っている。30cmほどの隙間はあるけれど。
さて、このようなとき、なんと言えば良いのでしょうか?
Please make your legs compact. ではなさそうだね。

スウェーデンとスイスの違い。
https://www.youtube.com/watch?v=0oNX_BHgi3c
これを見ていると知性を感じさせ、ユーモアを感じさせる。

学生オーケストラの合宿の飲み会で、打楽器パートの人たちが遊び始める。
そんな雰囲気の高度版。やっぱり凄い!楽しい。
https://www.youtube.com/watch?v=pBFUFDh1XX0

たこさんウィンナーの発明者尚道子さん。沖縄の方。これからたこさんウィンナーを見たら沖縄の歴史を振り返ろう。

こんにゃく座の次回オペラは「比羅夫丸」。
北海道絡みで比羅夫の名を聞く。倶知安町字比羅夫にある「比羅夫駅」。北海道最初の鉄道である官営幌内鉄道で使っていた蒸気機関車「義經」「辨慶」「比羅夫」「光圀」「信廣」「しづか」。
阿倍比羅夫の北海道(蝦夷)征伐から来るのだろうけれど、それってば激しく和人の見方だね。時代的にはそうなるのだろうけれど、現代的ではないね。
また、「チャペック」なる再来年の題も気になる。
この題ならば、当然、兄ヨセフと弟カレルの双方が出てくるし、「ロボット」命名の逸話、ナチスが関わる二人の死についても出てくるだろう。
そしてまた、二人の合作戯曲「島」についても出てくると良いな!日本語情報がほぼないし、英語情報も少ないので、おそらくは傑作でないのだろうけれど、そうは言っても二人の名が並んだ時には気になるよね。
ついでに言うならば、田尻宗昭の生涯は面白いオペラになりそうだし、こんにゃく座が追求している(と私が勝手に思っている)「今、我々日本人(ら)がここにこのようにある理由」シリーズとしても好適だと思うのである。

仕事の会議で「・・・ってすると頭良さそうじゃない?」と言う。きわめて頭の悪そうな発言。
練習の時にも「・・・ってすると上手そうじゃない?」と言っている気がしてきた。きわめて下手くそ野郎の発言。

「文学は役に立つのか」なる書物があるらしい。
そこから連想するに「お前が生きていることは何かの役に立つのか?」と言われて、私には答えられる気がしない。
家のローンが残っているとか、仕事の〆切があるとか、そういう「役に立つ」がないとは言わないけれど。
それを考える(あるいは考えない)ために文学を読んでいるような気がする。
これで文学すら読まないとなると、私は人糞製造機あるいは二酸化炭素発生機ではないか?

沖縄方言 すぎる 白雪姫
元の禍々しい話より良いかも。王子が「ユンタク」するために沖縄弁を学んでいるのも素敵だし、王子の舌足らず沖縄弁を否定しないところも素敵。
安次嶺栄純なる名前も気になる。苗字も沖縄風だが、文字ひとつひとつも沖縄風味があるように感じる。

いつものNPR
https://www.youtube.com/watch?v=o9PoZ0Vcb_s
失礼ながらお歌に興味があるのではなく、チェロ・ダ・スパッラ(肩掛けチェロ)で参加している方がおられる。
奏者・楽器のお名前も明記されている Owen Pallett: cello da spalla 。
自分のような20世紀のクラシック音楽的発想だと「本当にこのような楽器があったのか。本当にバッハはこのような楽器を想定して作曲していたのか」と言った疑問が先行して、これらの楽器の演奏を(演奏者としても・聴衆としても)楽しむところになかなか進めない。
こういう点は、ポップス系の方の方が先に進みやすいのかも知れない。

ドラマ「孤独のグルメ」をよく見る。
誰にでも何時でもありそうな小さな葛藤と小さな不幸。見たことがあるような街角。身の丈にあった「ごちそう」。
創作物であり虚構であるのは当たり前の前提として、「嘘のない物語」として愛されるのではないか。
嘘くさい美男美女が嘘くさいセットの中で嘘くさい演技をするのに耐えられないとしてもこのドラマは見ていられそうだ。
主演松重豊は高身長ゆえに役がつかないことを恐れていたというが、一人芝居が多いこのドラマではその事はあまり気にならない。
松重豊は脇役も多かったそうだから、「邪魔にならない演技」が様になっている。これらの点も良かったのだろう。
これを「(嘘くさい)美女」に置き換えると途端に虚構性が鼻について見られなくなるように想像する。

「蛸足大学」なる語の存在を知る。
が、「きちんとした用語ではない」らしくWikipediaの記事いい加減(いい加減の見本みたいでそれはそれで価値がある)。
なぜ日本大学等の私立大学は「蛸足大学」と言わないのか何の説明もないあたりが極めていい加減。

ブレゲ(時計)の広告を見て「ブレゲと言えば飛行機に決まっとるだろう」とWikipediaを見ると、時計の玄孫が飛行機だった。あなや。
あまり迂闊に怒ってはいけないね。

健康診断が精密検査行きになる年齢に。
とは言え、運動して痩せろ、水を飲め、くらいで終わった。相変わらず何の薬も飲まずに生きられるありがたさよ(薬といえば正露丸)。

そう言えば、トーマス・マンの小説「ファウスト博士」で話者を務めるエルネスト・ツァイトブロームは素人ながらヴィオラ・ダ・ガンバを演奏する設定だったような気がしていたが、ヴィオラ・ダ・モーレのようだ。
ネットで見ると、そのあたりを掘り下げた研究をされている方がいらっしゃる。
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/81495/mra_053_A055.pdf
私は主人公の名を「レーヴェルキューン」で親しんで来たが、ここでは「レーヴァーキューン」。ただし、一箇所だけ「レーバーキューン」。おそらく誤字(表記ゆれの不統一)。

これに関連するようなしないような、ブゾーニの「ファウスト博士」。
https://www.youtube.com/watch?v=xrFwfeKzRuE
居ながらにしてすぐさま演奏を聴ける凄い時代。譜面付き動画があるのも驚き。

R.シュトラウス「メタモルフォーゼン」に着手。
ふだん楽天的なR.にも似ず深刻な音楽。
ドイツ第三帝国の破滅

ワグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」のモチーフ辞典があった。
https://www.laits.utexas.edu/tristan/motives.php
メタモルフォーゼンに「マルケ王」のテーマが出てくるらしいので。

ショパンコンクール。
アメリカ、カナダ、中国、日本などが上位。
と言いながら、米加の方々も東アジア系。
東アジアの紐帯で嬉しいな、と思ってもいいし、所詮縁なき人よということもできる。
東アジア人は真面目でこつこつ努力する(タイプが一部にいる)と感じる。そして近年の経済発展もあって、ピアノやヴァイオリンでは優秀者を輩出しているようだ。そしてまた、チェロやコントラバスも徐々に。マーケットが追随すると良いのだが。。。

いい絵。本当の彼岸花がこの形か確信はないが、何か音楽性・弾力性を感じさせるこの絵が好き。
https://note.com/monokakiko/n/nb81f0c3974ae

問寒別の「しょぼいゲストハウス」について調べるついでに、GoogleMapを見ていたら、中川町に斉藤茂吉の歌碑があるのを見つける。
不思議に思うと、茂吉の次兄守谷富太郎が医師として中川町に住んでいたと。
https://www.town.nakagawa.hokkaido.jp/section/kyouikuiinkai/b02d3l0000000pdg.html
当時の北海道の生活・環境をうたった歌がたくさん紹介されており非常に目新しい。北杜夫の斉藤茂吉シリーズではこれらは扱われていなかったように感じる(記憶に自信がないが)。
世田谷区内に中川町のアンテナショップがあったように思うけれど、茂吉をもっと宣伝しても良いのでは?(とは言え、それで中川町に行くのは相当の奇人かも知れぬ)。
問寒別は、昔の職場の同僚がここにいた事があるとかで、なんとなう親しみを持っている。
茂吉を通じた世田谷と中川町の交流があるらしい。良かった。
https://setagaya-matsuri.com/oldsite/pdf/jichitai33/01.pdf

金魚酒。唐辛子と大葉を入れた焼酎らしい。
焼酎を金魚に見立てるとか。
金魚を入れても泳ぎだすようなアルコールが薄いお酒を金魚酒と言わなかったっけ?

ネットオークションを覗く。
出典数でみて、ヴァイオリン3千、チェロ300、ヴィオラ150、コントラバス150くらい。これがおおむね定常的に出ているっぽい。
ただし、楽器本体だけでなく、弓・ケース・部品・消耗品を含んだ数である。
相対的な数としては「生活実感」に合っているように感じる。
一方、ヴィオラ・ダ・ガンバは、1年に2本くらいだろうか。
まあ、楽器を通信販売を買うことは、私には怖くて出来ないけれど。
しかし、楽器本体はこのうちの1/3としても相当程度の楽器が日本国内で動いており、それ以上の楽器が使われたり眠っていたりするというのはすごいことだ。
おぼろげな記憶であるが、2000年ごろ、ヤマハがサイレント楽器としてヴァイオリン、チェロを発売した後、ヴィオラがどうなるか・・・と言う時、「ヴィオラサイズヴァイオリン」の形で発売した。その際のヴィオラ国内市場(奏者数?)を「7,000」と見積もっていた。
(あまり大きな市場ではないが、需要があるからサイレントヴァイオリン部品を用いてヴィオラが練習できるようにするという、「さすがトップメーカー」というご判断だったと当時感じた。また、そのことを誠意を持って公表するのが偉いよね。)
楽器人口はおそらく経済成長で拡大し、他の遊びとも取り合いになり、少子化によって縮小するのだろうなと思ったり、あるいは中国・インドなどにうまく売り込めれば・・・といったところであろう。

映画「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」(1968) が公開されている。
https://www.youtube.com/watch?v=aCfy4hLlfJs
高校生の時、見に行こうとしてしくじって、大人になってからDVDを買ってやっと見たのだった。そういう意味で「思い出の映画」。
撮影当時の「古楽」の再現レベルにならったものになっているけれど、レオンハルトやアーノンクールの若き日の姿が見られるのも良いと思う。
なお、原作の書物「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」はそれ自体が創作であって、バッハ夫人の書いたものではない。
このチャンネルは、他にもK.ラッセル「マーラー」など公開している。著作権は大丈夫だと思うけれど、確信がない。

大井川鐵道社長 鳥塚亮氏「都市伝説」
https://www.torizuka.club/2017/12/16/%e4%ba%a4%e9%80%9a%e9%83%bd%e5%b8%82%e4%bc%9d%e8%aa%ac/
成田空港の「都市伝説」というより「虚偽説明」。こういう組織は「民間の悪いところ」と「役所の悪いところ」を両方持ってたりするのが怖いよね。多少身に覚えが無くはない。。。やはり羽田が国際便を入れるようになって、成田の地位は低下しているのね。高市首相絡みでも話題になった、横田基地はじめとする東京上空の米軍空域が返還されると何か変わるのかどうか。

なぜ中国人が騒いだか。
https://www.torizuka.club/2016/12/28/%e3%81%aa%e3%81%9c%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e4%ba%ba%e3%81%8c%e9%a8%92%e3%81%84%e3%81%a0%e3%81%8b%e3%80%82/
この記事も(新千歳という現場にいたわけではないけれど)様々な現場を見てきた人の目が活きていて良い記事と感じる。

航空会社のサイトはどうして乗り方を説明してないのか
https://necomesi.jp/blog/securecat/posts/304
鳥塚氏のページから飛んだ記事。良い記事だ。飛行機の人たち、乗るのも・飛ばすのも昔の「特権階級」っぽい。
乗機方法を知らん奴・常識のない貧乏人は乗らんで宜しいの気分が見える気がする。LCCの隆盛によってそれは相当程度減じたけれどね。

ともあれ、識者のブログを読むこと、また、読む価値のあるブログで紹介されている他のブログへと飛ぶことなど、「昔のインターネット」だね。

ある文脈において「オケコン」は「(ゲーム音楽など、もともとはオーケストラでない音楽の)オーケストラ版コンサート」なのね。
自分には「管弦楽のための協奏曲」を「オケコン」という方のみ馴染みがあった。

知らない間に、弓がクジラの髭巻に変わっている夢を見た。
試し弾きの感じもよろしく、なんとなう現実だと思っていたが、絶対にそんなことはない。
現実は、銀の巻線(正確には銅線の銀メッキ)が切れ、熱収縮チューブで覆ってあるままである。
2008年から使っている弓であり、17年で巻線が切れるならば「そんなもの」かも知れぬ。
http://folia.txt-nifty.com/musik/2008/02/post_0884.html
これまで外見を見る範囲では「クジラ巻は上等な弓」と感じてきたので、自分もクジラ巻に行きたくなっていたのであるけれど、もともとの弓の作りを崩して良いのかどうか、全くわからないね。

「私達は20世紀に生まれた」を読み、アーサー・ランサムがジャーナリストであったことを知る。
https://numabe.exblog.jp/page/2/
さらに、Wikipediaを読むと、ランサムが英国秘密情報部 MI6 所属であったと知る。
この秘密情報部は、サマセット・モーム、イアン・フレミング、ジョン・ル・カレ、H・G・ウエルズなど有名作家を輩出しているのに驚く。
まあ、モームの作品を見ていても「作家」は情報収集者の隠れ蓑には適しているのだろう。そもそも、英国の知識階級(上流階級に近い)の中で定型業務でない臨機応変な者を探すと作家適性が高いものに行き当たるのかも知れない。

自分の演奏履歴を見直すと、ブラームスの弦楽六重奏第2番を弾いたのは、もう10年前(2015年)なのだと驚く。
なんとなうコロナ禍で時間を停止させていたような気もする。そして身内の不幸もあったり。若い家人も時間が止まっていて、ようやく少し時間が動き出したのかも知れない。
我が家の周辺を見ていても、この数年、「建築ラッシュ」である。コロナ禍で止まっていた建築工事が揺り戻すようにラッシュになり、しかし、職人さんの高齢化・不足、円安による建築資材の高騰により、やはり工事が止まったり。とは言え、結局時間だけは等しく過ぎていったのであろう。

ある方が「亡くなった方の楽器」の行き先を探していると聞いた。
なかなか悲しいことであるけれど、楽器が生き物であり、世の中の財産であるのだから、使われた方が良いというご判断には敬意を評したい。
良い楽器だけに良い人と巡り合って欲しいものだ。

「私、音楽大嫌い」
バーンスタインの歌曲。思ったよりも衝撃ではないふつうの歌だった。もっと滅茶苦茶だと予想していたのだが。
翻訳して下った方がある。
http://naokofujii.blog104.fc2.com/blog-entry-470.html

ウクライナの女性二重唱とギター
https://www.instagram.com/reel/DQJ4Fx6juP9/?utm_source=ig_web_copy_link
民族っぽくもあり、ボサノヴァっぽくもあり。ジャンルはよくわからないが、とても良い。

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カザルスホール運用再開(協議開始)

カザルスホール運用再開(協議開始)の報を受け、素人ながら少し考えてみた。

かんたんなおさらい:
1987年 開設
Wikipediaによれば「本格的な室内楽を日本に届けたいという思いをプロデューサー萩元晴彦が込め、カザルスの没後、音楽の重要な拠点として後世のために末永く守ってくれることを条件にカザルス夫人からその名の使用許諾を受け、その名を冠してきた。」とのこと
2002年 主婦の友社から日本大学に譲渡(有償)
 この時点で企画室がなくなり、自主企画が行われなくなったのだから、この時点で「事実上の閉館」と言っても良い。
2010年 2002年以降貸しホールとしてのみ機能していたが、それも含めた休止。事実上の閉館
2025年 千代田区がカザルスホール運用再開に向け協議開始
https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/kuse/koho/pressrelease/r7/r709/20250917-1.html

私の意見は、カザルスの名の前に、数々の不祥事で名を汚した大学の名前を付けていることが不愉快であるし、そもそも使用許諾条件を満たしていないのだから「名前をお返しすべき」というものである。

さて、とは言いながら運用再開されるならば、使用許諾条件から考えても以下のような条件を満たす必要があるだろう(素人の想像を含む)。

●施設劣化対応
少なくとも15年間使われていない音楽ホールであり、電気、空調、水回り、放送・音響設備、椅子、内装、什器などの更新・改修に相当程度の資金投下をすべきであろう。
建築時期からするとデジタル・ネットワーク対応も現在の目で見て十分ではないだろう。

●企画運営
「本格的な室内楽についての音楽の重要な拠点」であるためには、相当程度の企画運営を行う必要がある。
たとえば、その昔(1988年)、アマチュア室内楽フェスティバルはカザルスホールで始まった(企画・運営された)ものである。今ではサントリーホールでの開催が続いている。これを「取り戻す」などという没義道が許されるはずはない。
ヴィオラスペースも、1992年カザルスホールで始まった(企画・運営された)ものである。今ではあいおいニッセイ同和損保 ザ・フェニックスホールで開催しているようだ。もちろん、これも「取り戻す」なんて没義道で許されない。
他にもカザルスホールが出発点だった企画があろうと思うけれど、まずは今なお続く二大企画として挙げておく。

こうした新しく、意義があり、皆が集まる企画を打ち出せるような、企画室(人員)を集め、自主企画・運営を進められる資金を継続的に投下すべきであろう。
そしてまた、一度は閉館騒ぎなどでこれら企画の移転で世間にご迷惑をかけているのだから、今後は「継続・安定して企画を続け、謹んで音楽界に貢献する」という保証をしなければ、誰もカザルスホールに「戻りたい」と思わないだろう。そもそも、昨今の若い音楽家たちにとって「カザルスホール」のネームバリューなど皆無であろうから、その点も含め、相当程度に演奏家・企画運営者・聴衆に対して安心感を届けなければ、早晩「元の木阿弥」「ただの貸しホール」「やっぱり『カザルス』の名を返せばよかったのに」と言われることは間違いない。

企画人員については無知につきまったく思いつくところはないが、自主企画を進める上では、ぜひともレジテント団体を複数(少なくとも弦楽四重奏、ピアノ三重奏、弦楽およびバロック合奏団程度)は置くべきだろう。それらが核になり「皆がその舞台に立ちたいと憧れるホール」「カザルスの名を名乗ることが正当であると皆が認めるホール」になって頂くことを望んで已まない。

●雑感
日本大学譲渡以降、様々なホールが新たに建設され、新たな企画も行われている。これらとの競合・協力についてももちろん十分意を用いる必要があるだろうし、そこまでの目配りのできるような高い力量を持った人員が企画運営者として必要であるが、そんな能力のある人員はすでにしてどこかでそういう仕事をしている、という「リクルートの矛盾」はどうやったら解消できるのだろうか?千代田区くらいの自治体になるとそういう人員を探し出せる人脈があるのだろうか?日本大学にはないであろうことはこれまでの実績から断言しても良いだろう。

それにつけても日本大学譲渡時に主婦の友社が「カザルス」の名を返すべきだったと感じるし、日本大学もまた同様である。それが借りたものの最低限の仁義だと思う。
さらに言えば、こうした「撤退の判断ができない」「自らは価値を見定められないにも関わらず、手放すことをせず飼い殺しにする」「それらによって結局自分の身を卑しめる」といった日本社会の悪癖を世界に晒す顕著な事例のひとつであるようにも思われる。

そうそう。「カザルス」の名を名乗る以上、世界に対し、社会に対して反ファシズム・反戦など高い理念を掲げていく必要があるのは言うまでもない。

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読書の記録(2025年9月)

鶴 長谷川四郎
この方、「デルスウ・ウザーラ」の翻訳者でもあり、ロシア語がふつうにできる方なのね。
それでいて、目立たない透明人間的なところがあるのが不思議。
そしてデルスウ翻訳の経緯や翻訳時の雰囲気がわかるのが嬉しい。
「シベリア物語」も良かったが、「極光のかげに シベリア俘虜記」(高杉一郎)と併読しないと、シベリア抑留の辛さがわからないし、そのために長谷川の特殊性もわからないのでぜひぜひ併読すべきと思う。
そうそう、四郎の長兄が谷譲次(踊る地平線、めりけんじゃっぷ、丹下左膳を執筆)とのこと。驚き。
亡父もそうだったが、兄弟も四人目となると、自主性を発揮すると言うより、他の兄弟がワイワイ騒いでいるのについて行ったり、あるいは逸れていたり、「勝手気まま」になるのかも知れない。他の人間が騒いでいても自分が関係ないと思えばそうやって過ごせるというか、そうした「透明性」があるのかも。

薬草の博物誌──森野旧薬園と江戸の植物図譜
表紙がカラスウリであるのに惹かれて買った本。
なんというか非常にマニアックで批評しづらい本。カラスウリの実と花と蔓がきちんと描かれているだけで余は満足である。が。

鉄道ピクトリアル アーカイブセレクション 気動車1950
何度も読んでいる本。何度読んでも楽しい。
千葉県庁・千葉市役所から総武線にグリーン車を連結して欲しいと陳情があるが、連結すると誰も乗らない・・・などなかなか面白い話もある。

たくさんのふしぎ 名前のチカラ
終売とのこととて急いで注文。「真の名前」に力があるという発想は、ゲド戦記の底流にあったりして面白い。
途中で登場するゲストも面白かったし、自分で名前をつけるのも面白かった。
昔、体操服の短パンが赤かったので「赤パン」の名を広めた。また、「三竹均(ひとし)」なる教員を「ミタケのキンさん」と呼ぶのも一定程度広まった。さらに同級生「山崎」氏を「陰険である」として「インケン山崎」と広めた。まあ碌なことをしない中学生であったことよ。
でも、名前を付けて、それが広まるのはなかなか楽しい。

子猫のモー チェ・ヨンジュ
絵本というか絵物語。温かく静かなお話。
モーが「のらくろ」のように見えるのは、私がのらくろを読みすぎているせいだろう。「四つ白」ではあるものの。

島まみれ帳 ミロコマチコ
西荻窪ウレシカで購入。私もミロコさん在住の島に行ったことがあるけれど、島民の日々の生活を見ることはなかったので、そういう興味でたいへん面白い。もっと、島民が訪れる酒場にも行ってみるべきだった(これはミロコさんとはあまり関係ないオッサンの述懐)。
IターンUターンにも成功失敗色々あるように聞くけれど、もともと「絵描きさん」という(失礼ながら)「浮世離れした」職業・生活であるのも良かったのかも知れない。私がごときコチコチの会社人(社畜ともいう)が、島に暮らしてみたとてそれまでも「社会生活」からの乖離によって茫然自失になり、おかしなことをしそうな気がする。

関西大衆食堂の社会史: 「餅系食堂」からみた都市移動と立身出世 奥井 亜紗子
バリバリの社会学の本なので、一行ごとに一生懸命読む必要がある。
が、それが面白い。序章の研究背景からして面白い。私が育った家庭は、転勤者のサラリーマン核家族。小学生時代、母はいつも家にいた(学校などに出かけることもあったが、それは「特別」)。友人に八百屋の息子があり、家に遊びに行くと本人しかいない静かな家だった。ご両親とも、自宅から離れた(遠くはないが)店頭に出て働いている。私からすると少し「ふしぎ」に感じた。すべての子供にとって、自分の育った環境が「ふつう」だからね。
そういう事を思い出したりするのも楽しい読書の一部である。

以下さまざまな(自分にとっての)発見のメモ
 戦前、大阪は日本第一の規模だったんだ。「進取の気風」も大阪にあった、と。
 関東大震災もあって、多くの文化人・産業が大阪に移ったように聞いたこともあるが、それ以前に相当大規模だったようだ。
 大阪の政治はずいぶんおかしいように思うが、なぜだろう。
 また、戦間期に大阪は日本内外からの人口流入があり、朝鮮半島出身者が餅を多食することから餅系食堂の発展にも寄与している(!)

 「力餅ローン」!創業の資金繰りの大変さはよく知られているが、組合を組織し、組合がこのような再生産システムを持つ意義は(少なくとも高度成長期において)大きかったのだろうと感じる。
何にせよ知らないことが多い。日本近代史を(興味本位で良いから)深く掘り下げるのは現代の知識人の努めだね!(私はそもそも「世界史選択」。世界史であればせめてメカニズムっぽいものが感じられる。日本史の教え方にメカニズムっぽいものを感じたことがなく、そこが気に入らなかった。違う言い方をするなら、日本史教育の抽象性が低い。)。
そしてまた、この書は「力餅」という具体を通じての、「田舎から都会に出てきて立身出世」のひとつのパターンを示しており、「抽象度が高い」ことで、少なくとも私のような者には価値あるものと思う。

読了。読んでよかった。私がごとき素人には、学問的抽象性より具体的エピソードの方が面白いのだが、双方あっての社会学なのはまことそのとおり。
そもそもは東京で行けなかったデュポールの読聴会を覗きに行った京都で「三高餅」や「力餅」の看板を見かけ、通りすがりに「力餅」(大和大路)でうどんを食べた後に、書店でこの本を見つけたという偶然の連鎖で読んだものだが、思わぬ発見・広がりがあって楽しめた。デュポールも頑張ろう。

鰐 ドストエフスキー
「ファンタスチカ」。確かにSF(科学物語)と言えなくもない。そして幻想的でもあり、現実的でもある。
以前読んだ時よりも思いの外面白かった。
ところで、「チェブラーシカ」の元々の表題は「ワニのゲーナ」であったらしい。まさかこの鰐とは関係あるまいけれど。
この後、カフカ「変身」のオペラを見に行き、「鰐」は「変身」の先行作品である説を思いつく(思いつくのは誰でもできる)。

ガルシア=マルケス中短篇傑作選 野谷文昭
「大佐に手紙は来ない」に始まる南米小説らしい短編・中編小説集。
出張時に読むにはたいへんよろしい。そうでなくてもたいへんよろしいであろう。
この所あまり外出しないようにしていたが、出張とてそうも行かず、そこそこ暑い場にも出ていたこともあり、この南米小説読書には良かった。

フランス中世史夜話 渡邊昌美
白水社の中世シリーズ。実は「中世への旅」三部作がそんなには楽しめなかった私。「中世への秋」に入れ込み過ぎているせいかも知れない、と思い恐る恐るこちらを読み始めた。面白い!自分が思う中世はフランク王国以降なのだが、それ以前なのねという驚きはあり。また、ブルトン人はブリテン島から大陸に来たということであり、なんとなう逆だと思っていたのでそれも驚く。このあたり、学校の「世界史」ではやらないからね。まあ「世界史」と言うことば自体が「今ある世界と繋がる歴史」という観点であり、「世界史に登場する」という言い回しが示すように地域で勝手にやっている歴史は取り上げない・・・のだろうと思ったりする(素人考え)。
エピソード集としてたいへん面白い。
カザルスの曲で知られる「カニグーの聖マルタン」、セヴラックのピアノ曲で知られる「セルダーニュ(セルダーニャ)」など見覚えのある地名が出てくるのも私には楽しい。

台湾生まれ 日本語育ち 温又柔
以前読もうと思って買う以前に忘れていたが、出先の時間つぶしで書店に入って発見。これと「来福の家」とセルゲイ・トレチヤコフ「子どもがほしい!」で迷ったが、結局こちらを購入。若干近年の排外主義反対の心も込めて。
読んで良かったと思えるもの。
「国籍」あるいは「選挙権」と言った話は時々耳にするけれど、ご本人の実感としてどうなのか、ということは貴重である。
また、最近少し読み始めた台湾文学(アジア文学)のひとつの切り口としても、この随筆は貴重である。

(amazonで温又柔のお名前で検索しても、検索汚染としか思えない結果がたくさん返ってくる。amazonは買うと決めたものだけを見るところになりつつあるけれど、これと決めたものでさえ探し出せない場所になってしまったのかも知れない)。

雨が降るとは聞いてなかった 山川直人
文芸的漫画(と私が思うもの)。こういう漫画も商業誌に掲載され、私のような者の手元に届くのってなかなか凄いようにも思う。
もともと山川直人(そして高野文子)は、ちくま文庫で読んでから探すようになった。ちくま文庫は偉大だ!
私の考えでは、漫画と映画には強い相似性があり、どちらかというと漫画が映画を追いかけている面がある。アクション場面でのカメラワークなどに漫画の「映画っぽさ」が現れやすいが、こうした文芸映画・文芸漫画のようなジャンルの存在もまた相似性のうちに思われる。
(どちらが偉いなどとも思っていないが、多人数で作る映画の方が難しいかも知れないし、少人数で作る漫画の方が難しいかも知れない、というように、この点は非対称な難しさがあるかも知れないと思う。また、技術の進歩などもあって、少人数で作る映画と大人数で作る漫画もありそうで、それはそれで考えてみるのはちょっと面白そうである)。

RM MODELS 2023年8月号
KATOの製品企画を行っていた関良太郎氏の記事を読むために購入。
企画していた飯田線17m級がクモル23050などの事業用車(牽引車)であったと知る。まあそうでしょう。
クモハ14(旧モハ32、モハ66、モハ10の2扉化)や三信鉄道ではないのは当然。いつかこれらを3Dプリンタで作ってみたい(言うだけ)。
その他、クロハ改造平妻クハ68が出なかったのも残念だが仕方がない。などと悲しみつつ読む。
EF10(角丸)への言及はなし。ED18には言及。

鉄道ピクトリアル 国鉄形車両の記録 鋼製在来型寝台客車
ゆっくり読みましょう。なかなか楽しそう。
寝台車など両数も少なく、戦前・戦後で一旦断絶していたり、様々な歴史が感じられて意外と面白い。
今どきの国内旅行は、新幹線and/or飛行機(and/orバス)で昼間移動が原則であるけれど、かつては国内であっても夜間も含めた移動時間を要した。私自身は、北斗星(仙台ー札幌、札幌ー上野)の乗車経験しかないけれど。あれだけでも乗っておいて良かった。

他人様に本を薦めることは基本的にしない。
本は高度の嗜好品だからね。どうしてもという際は、無難な「大人でも読める絵本」くらいにしておく。

「人間・菊池寛」(佐藤 碧子)を古書店で見た。思ったより安かったが買って読むかどうか。北村薫が紹介している部分くらいで十分か。
買って読むことにはためらいがないが、貴重な書を自分の手元において良いかが気になる。もっと読むべき人がいるのではないか?

英国の俳優 Robert Lindsay。ホーンブロワーの良き上官ペリュー艦長を演じている方だが、BBC のコメディ My Faily ではまったく違う人物を演じている。俳優というのは凄いものだ。(だから広告宣伝で「うまい!」と言っているのを信じてはいけない)。

先月読んだ「大日本帝国最後の四か月」(迫水久常)について考えている。
日本人は自分に与えられた役割は(それなりに)無難にこなすけれど、それ以上のことをしたがらない。
社会全体を考えて自分の職業的にはこうあるべきと言った倫理性・社会性には残念ながら乏しい。
「極光の影に」などを読むと、そうした点は「背広を着た(軍人ではない)市民の常識」が最後の足がかりになっているように感じる。
でもねえ、そういうのって、現世では、「コスパもタイパも良くない」のだろうね。我が一族(親兄弟)はどうやらそういう「貧乏くじでも多少は引き受ける」の気概を持って生きてきたように思うけれど。子々孫々まで迷惑をかけたくはないしね。などと思ったりする。

「乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ」
スメタナ「わが祖国」を演奏するし、1巻無料とて読んでみた。が、続けては読めない。作品のせいではなく、現実の醜悪さに。
同じような現実が今なお続いていることも含めて。
世界的にも女子どもを平和にしておけないのは、男として不甲斐ない、というのが私の男尊女卑的価値観であるのだが。
「乙女戦争」より「女の平和」の方がずっと良い。

世の中で小泉八雲が話題になっていると思ったら、ドラマになるのか。
テレビの人たちは話題作りが上手いね。
私の「推し」は「停車場にて」。役者さんならこれらの役を演じてみたいと思うのではないだろうか。
若い役者さんには難しそうだが、こういう難しい役こそみなさんやりたがるような気がする。

●雑感

大学航空部のグライダー墜落で学生さんが死亡されたとのこと。ご冥福を祈る。
以前、グライダー趣味の方に聞いた話を思い出す(20世紀末の話なので、今と同じであるかはわからない)。
 仮にグライダーが400m急降下しても、高度1,000m、2,000mからの降下なら問題はない。
 しかし、高度300mから400m降下すれば死亡する。だから低空ほど危険。
 万一墜落した場合、両親死亡では子供に申し訳ないので、夫婦で同じグライダーに乗ることはしない。
 だから、以前、配偶者がグライダー体験を希望した際は、2人乗りグライダーで自分ではない操縦者に同乗させてもらった。
 グライダーで飛翔する際、地図を見て予め航路を決めておく。上昇気流があって高度を稼げそうな場所、万一の際不時着できそうな場所を探し、それらを繋いで、常に不時着できるような航路を飛ぶ。
 基本的に旋回すると高度が下がる。ひとつの上昇気流で何度も高度を稼げるのが「うまい人」。そのためには旋回も必要なので、旋回による高度低下を最小限に押さえつつ、高度を稼ぐ。このように高度や滞空時間を競うのが競技グライダー。
 お金持ち大学のグライダーは高価な優秀機で競技でも上位になりやすいと感じる。
 防衛大学校の生徒は授業でも航空機訓練があるので、皆操縦がうまいが、お金持ちではなく機体が鈍重なので、競技の結果はそれなり。  

 グライダーの趣味者にはジャンボジェットの操縦士も相応にいる。航空法など関係法令に詳しいので頼りになる。飛行機の大小で操縦性は大きく異なるので、小型機の操縦は楽しいらしい。


初めてのタイタニック映画は1943年、ナチス・ドイツのプロパガンダとして作成されたとのこと。驚く。
架空のドイツ人船員(立派)がイギリス人船長(怠慢)と対立する・・・という構図らしい。
なお、タイタニック映画は10本以上あるらしい。
ウィスキー「ジョニー・ウォーカー」についてWikipediaを読んでいてたどり着く。

茨城は「いばらき」と発音すべきだそうだが、茨城の方の発音を聞くと「いばらぎ」と「いばらき」の間くらいに少し濁音がかって聞こえる(いささか失礼な個人の感想)。
なるほど東北で「k」が「g」になりがちで、北関東も同じと解釈できそうだ。
https://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2024/08/post-3ea932.html

ルーミー
自動車の名前だったり、集合住宅の名前だったり。
ペルシャの神秘主義詩人ジャラール・ウッディーン・ルーミーに因んでいる訳がない(おそらく何度も同じ感想を持っている)。

サントリー新浪会長辞任
なんとなうすっきりしない急な辞任。知人女性から送られたサプリメントに大麻由来成分があるかも・・・と言いつつ、「購入」とも言われ、家宅捜索・簡易尿検査ではそれらしい結果は出ていないとか。
送られてきたものを事後的に「購入」するのもありえないことではないが、相手との信頼関係がすでにあっての場合に限られるだろう。
サントリーでも相当程度の「サプリメント」を販売しているのに、わざわざ他のサプリメントを購入するのも若干不可解。もちろん、他社製品調査などもあるかも知れないが、そんなことは社員にやらせれば良いので、わざわざ会長が買うほどのものではないだろう。
辞任したことも含め「黒に近いグレー」の自覚があるのだろう、と思ってしまう。
日本の司法は権力に阿るようなので、結果として「黒」ではなく「白」と言いそうにも思われるが、そうであってもある種社会的制裁として辞任し、辞任したからこれ以上の制裁は必要ない、だから「白」扱いにしてくれ、という論理展開になりそうに想像してしまう。
この方は怖い顔をして保険証廃止を言い募ったりして、甚だ印象が良くないので、私はサントリー製品不買運動をしている。
本件のサントリー社長による記者会見でも「桜を見る会への酒類の無料提供」についてまともに答えていなかったので、やっぱり不買運動はやめられないなあ。
(私のこうした考えは「政治的信念」のような高尚なものではなく「庶民の意地」くらいの感情的なものである。だが、庶民なのだから庶民らしく感情で判断してもよかろうものなのだ。)

Autocoach オートコーチ
機関車が客車列車を牽引する場合、通常機関車を先頭にし、その後に客車が連なる。前方監視のためでもあるし、長い編成を推進運転すると安定しないためでもあろう。終点駅では「機回し」をして機関車を進行方向最前部に付け替える。そのための分岐器が必要であったり、なかなか施設の維持なども含め煩雑。
よってして、短編成で短区間を往復する場合、客車に前方監視する「運転台」を設けて、機回しを省略する。そのための運転台付き客車が「オートコーチ」。「運転台」とは言うものの、非常に簡素なもので、ブザーで「本当の運転台」に連絡する程度のものだったようだ。
英国などでは実例がたくさんあったらしい。
日本では実例はないはず(上野駅頭端式ホームへの推進運転で「ラッパ屋」が乗ったケースがあるが、車両そのものは改造されていない)。
キハ45形(キハ09形)は客車改造気動車なので、「運転台付き客車」の実例として参考になる(参考になりすぎてツマラナイか?)。
キハ45の車体を用いて、機関車と組み合わせればはい出来上がり。英国のオートコーチに倣い(視認性向上のため、などの理屈で)ツートンカラーにするのが良いだろうか?気動車色とも異なる新しい塗り分けを発明するか?
もっと英国風に、流線型・デカ窓で運転台があることを強調したい気もする。
機関車はC12が適当か?機関車とオートコーチの塗りを揃えるようなことはできないか?
この際、「ポンパ号」塗装のオートコーチ編成なども考えられるか?
まあ、考えるのが楽しくてそれでおしまいかな?(いわゆる「安楽マニア」)

日本のNゲージ大手製品。特ロはまだいくつかあるが、並ロはオロ30だけでは。
特ロとしては、スロ60、スロ54、スロ61、スロ62、オロ11(以上KATO)。Tomixが該当なし。スロ53/54(GM)。
並ロで見ると、ハセガワ/Modemoがオロ35、オロ36。アルモデル/キングズホビーはオロ35、オロ36、オロ40等など。IORI工房がナロ20600。・・・すべてキット(ないしキット組み立て完成品)。

打楽器奏者 島崎氏の「吹奏楽コンクールにおける打楽器の誤り50」
https://www.youtube.com/watch?v=7on_XeVG8bY
たいへん良い動画。私はアマチュアの音楽コンクールには否定的・批判的であるけれど、その根拠のひとつとして「当日の講評がさらりとあるだけで、日々の活動に結びつかないんじゃない?」というのがある。その点も、この動画は良きフィードバックであると思う。また、団体や奏者の様々な特性にもよく配慮がされており、決して独善的なものでないところ、たいへん好感が持てる。
で。「50」の表題と異なり「60」紹介しているが、どれも無駄がない。いずれも真正の知識である。

長谷川四郎「鶴」(ちくま文庫)で「芽香」とあったが、おそらく「芳香」だろう。
「人事コンサルタント」が「人妻コンサルタント」に見えた。心が汚れている。
くるぶしが出るというユニクロの「アンクルパンツ」を買ったが、くるぶしが出なかった。不当表示で訴えたい。

ロシア製三銃士。ほぼ原作通り。従者たちはいない。
https://www.youtube.com/watch?v=lrR27ERV9Jk

百人一首。「小倉」しか扱われないのが悲しい。
『烈女百人一首』なんて興味深いね。
それともひと思いに「凊唱千首」(塚本邦雄)でカルタ取りをしてみるか。
愛国百人一首について調べていると、講談社版(異種愛国百人一首)における勝の歌が目につく。
勝安芳 国守る大臣は知るや知らざらむ民のかまどのほそき煙を
さすが勝安房。庶民目線。名より実。「大臣」は「おとど」と読むのであろう。

ベラスケスの描いた肖像画「修道女ヘロニマ・デ・ラ・フエンテ」
この方、この後、布教のためフィリピンに行っているのね。正確な年代は分からないけれど、肖像画が1620年なので、江戸幕府が禁教しているが、まだ布教が続いている頃。フェレイラ神父の捕縛が1633年。フィリピンはアジア方面布教の拠点だったのだから、この方も日本に来ていた可能性がある・・・などと思う。ベラスケス=江戸初期と覚えておこう。

漫画家高橋留美子が用いる「だっちゃ」の語尾は井上ひさし「青葉繁れる」における仙台弁が源流とのこと。
少しうれしい。

I'm A Yiddish Cowboy
https://www.youtube.com/watch?v=RIlaz77rpqM
古いアメリカの楽曲。「アメリカン・パトロール」と同時代らしい。ティン・パン・アレー(ドンチャン横丁)繋がり。
動画を見ても何やら分からないが、おそらくは「カウボーイ」の勇ましさと「ユダヤ人」の臆病さ(偏見に基づく)の矛盾が面白いということなのだろう。

東京藝術大学の大学祭に行った。
9月初旬のこととて「暑い」のだが、行かなければ1年間悔やむと思い。多少無理やり。
例年と違い、家を出る時間が遅かったので根津で昼食。でもそういうのも悪くない。
が、藝大は混雑していた。そこは自分が悪い。
ともあれ、この所ご無沙汰している美術系の遊び(見るだけ)ができたので吉としよう。
ギャラリーストーカー禁止の貼紙が目についた。気をつけよう。

The Goes Wrong Show
英国の(よくある)コメディー。あまり成功しなかったようだ。残念。

中国人は片手で10まで数えられる。中国系スタンダップ。
https://www.youtube.com/watch?v=_MJERTr8gfU
「付き合った彼氏の数は?」「片手くらい」
日本のお笑いの現状を知らないけれど。スタンダップ系(漫談)は流行らないね。社会批判を忌避しているからか?
中国式手数字 手勢(ショウシー)
https://www.ccctok.com/pickup/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%BC%8F%E6%89%8B%E6%95%B0%E5%AD%97/
手勢ってば、日本語だと、his men「言うことを聞く手下共」の意味になるが、中国語ではこういう意味にならないのかな?(ならないのだろうな)。
でもって、手勢だけだとさほどの面白みもないけれど、「付き合った彼氏の数」と合わせることで出る強烈な面白さ。さすがスタンダップ。

こんにゃく座「変身」
カフカ原作、こんにゃく座のオペラが多くそうであるように、ユーモアもあり深刻さもあり。また、カフカとグレゴール・ザムザの話が複層している。
先日ドストエフスキー「鰐」を読んでいたので、「変身」との関係を考えてしまう。もしかして、「鰐」は「変身」の先行作品?
どちらも、社会から離れ、それによって周囲の人間を巻き込み・疲弊させる個人を描いている点は共通(!)。
ドストエフスキーの諧調とカフカの悲しみを同一視することはできないけれど。
そしてまた、「変身」は「鬱」や「引きこもり」の物語を予兆しているとも言える。自分は、老親の介護を垣間見た経験から、「介護疲れ」を思ったりもしたけれど、そうした「鬱」「引きこもり」「老人」とそれを介護する家族友人の社会的孤立や、昨今の社会的弱者切り捨て、そしてまた排外主義にも思い至ったりした。
終幕が、ライヒの「different trains」っぽいのもそういう連想につながる(と思ったが、そんなに似てないか)などと考えているところ。
2027年には新作「チャペック」が出るとのこと。チャペックファンとしては感激!
「四日市・死の海と闘う」を中心とした田尻宗昭のオペラも書いてもらいたい(勝手な願望)。「海の男」がなにゆえ環境行政に身を投じるようになったのか。

ヨセフ・チャペック、カレル・チャペック共著「島」の存在は、ここでも確認できる。
https://www.isfdb.org/cgi-bin/ea.cgi?228375
英語版もあるようだが、翻訳時期を考えると入手は困難だろう。

高関健指揮・仙台フィルハーモニーの「わが祖国」をネットで見る。
耳慣れないパッセージがあったように思うが、高関が原典版(など)から掘り起こして来たものだろうか。
比較的小編成であることを活かし、無理のない軽快な響きで全曲をよくまとめていたように思う。
仙台POのホームページの団員紹介を見たが、特段解説もないもの。そういう意味では東京都交響楽団が異様に手間と時間をかけて作られているかも。
東京都SOの団員紹介を再読したが、やはりコントラバスパートは写真も良いし、記事も良い。多くの奏者が「コントラバスなんてとんでもない」と思いつつ巻き込まれていった様を正直に告白されている。これぞ人生そのもの?
また、東京都SOの外国人ヴィオラ奏者の方、なぜ日本で弾いておられるかの素朴な疑問に答えてくださるのも良い。そしてまた、この方、ヴァイオリン経由でない「純粋なるヴィオラ奏者」なんだ。なかなかそういう方がおられないので、そういう方の思考や特性についてつい考えてしまうのだ。
で、今更な「高関シフト」。1Vn+Va+Vc+2Vn 解説記事を見ても「対抗配置」とのみ書かれており、Vaを左奥に置くことに言及していない。あまり触れてほしくないのかな?と感じるがどうだろう。世紀の大発明だと思うのだが。

名古屋二泊三日の旅。
最近、暑熱のため出歩かないようにしている。仕事・練習など最低限の外出はしているけれど、「目的地に行く・自宅に帰る」ことに専念して、それ以外の発見を閉ざしている。よってして久しぶりの遠出は思ったより刺激的であった。
昔長く過ごした名古屋の変貌を見るのも楽しい、と言いたいところだが、別に名古屋の名古屋らしさがあるわけでもなく、「その辺」と変わらないので、まあそんなものか、と。昔通った大学に用事があったが、多くの校舎は改築されているし、古くからあるものは三十年を経過してまさにボロボロになっていて驚く以上のものではなかった。
言ってみれば、もう懐かしくさえ感じない町・学校。まあそれで良いのだろう。そうした感懐を確かめることが私の「終活」(終焉活動?)のひとつであるのだろう。

dry those eyes
偶々耳にしたパーセルの曲。昔独奏(通奏低音)を弾いた「ディドとエネアス」のアリア(曲名不詳)に似ている。
「ディドとエネアス」を弾いた「名古屋弦楽ゾリステン」第1回は、勢いとノリで始まった企画であったし、大学の講堂であくまでも「身内の演奏会」だったから、この命名も「冗談半分」として受け取っていた。
ところで、この題は「汝の涙を拭い去れ」らしい。「涙が乾く」というのは、それはそれで深刻さの日本語表現ではあるけれどちょいと意味が異なるようだ。

バッハ・コレギウム・ジャパンが初めての中国公演とのこと。
以前、中国のミステリ小説を読んでいたら、インテリ登場人物がチェリビダッケのCDを聞いていた。また、数年前シェーンベルクの大曲「グレの歌」の中国初演を行う、欧米の楽団でも弦楽器奏者の半数が日中韓出身であるなど、中国におけるクラシック市場の存在を、私のような者もなんとなう感じていたところ。
大きな市場である可能性もあり、日本より(少なくとも貨幣的には)豊かであり、日本の音楽関係者としては大きな期待をしているのではないだろうか。これに限らず中国・他国と商取引をするためには、平和的関係を維持することが絶対的に必要であり、排外主義や歴史捏造は(「飯を食う」という卑近な視点だけから見ても)絶対すべきではないと私は理解している。

パンデイロ
https://www.youtube.com/watch?v=nwH4cyaW0Xw
色々出来て格好良い!奏者の自信溢れるお姿も格好良い!
でもって、太鼓を様々な方法で叩くのは、中東でもそうだし南米でも東アジアでも皆していると言えば皆している。でも、それぞれにお国柄があったりするのがまた面白い。

アマチュア室内楽の演奏を5曲聴く。
みんな頑張るな凄いな自分も頑張ろうのココロ。
一方で、ある方々の演奏(達者)を聴いていた折、昔自宅にあった「ステレオ」で聴いた音を思い出した。
1970年代の「カラヤン」とか「イ・ムジチ」を思わせるような音質。
この方は、子供の頃、これらの演奏を聴き、これらの演奏を理想として楽器演奏に励んできたのだろうか。
そこからすると、私は子供の頃から「歌い口」に執着し、どちらかというと「変態ミュージック」を磨いてきたということだろうか。
何人かのチェロの方の奏法を見ていると、デュポールの言いたいことが改めて感じられたように思う。私も10年前・20年前・30年前にデュポールに出会っていたら・・・と思わぬでもない。ともあれ、当時の師匠から言われたこと(のうち覚えていること)の数々はデュポールにあったりするので、そういう情報収集を怠ってきた己を恨むしか無い。

映画「ダイナマイトどんどん」
岡本喜八らしく痛快で楽しく安心して見られる映画。まあ、女性の胸部を露出するのは昭和のこととてお許しください。
菅原文太・北大路欣也は「狂言回し」というが、たしかにそうかも。これらお二人は、私の目からは「大御所」であるが、年齢的にも(特に北大路は)若手だったようだ。同じように後年の名優田中邦衛もチョイ役で終わってしまうウラミは残る。本当に酔いどれにしか見えず、それでいて愛嬌があって憎めないところが田中の役者として恐ろしいところ。

チェロアンサンブルの手伝い。近所のチェロ教室のおさらい会。
アンサンブルの参加者は楽器経験数年程度の初心者が多いので、ここでは私は大層な「大御所」ではある(時代劇の悪役中の「先生」株?)。
チェロ歴40余年ともあらば当然といえば当然。そしてまた、私の考えとしては「40年弾いてもこの程度か」と落胆させることがないようにするのが、経験者の務めだと思っているので、少々頑張る。まあ、相応にウケたので良しとしよう。
レイトスターターの皆さんも着実に上達している。凄いことである。私も頑張ろう!(もしかしてヴィオラ・ダ・ガンバ?)

NHKで羅臼の海べりに住む女性の話を見る。
平坦地がほとんどなく、女性の背景に斜面があり、そこに鹿の群れが歩くなど良い情景になっている。
翻って、ジブリ作品では坂が多く出てくるが、最も平坦地に乏しいのは?と議論になる。
おそらくは「もののけ姫」。平坦地は手のひらほど。明らかに斜面にも緩急様々ある。
「耳をすませば」でも斜面は印象的であるし、「コクリコ坂」も「坂」が多い。
「ゲド戦記」が平板だったかもな、と地形だけではない印象として思い出したりする。

ラ・ムジカ・コッラーナのCD「フィオリトゥーラ」から、ヴィヴァルディのチェロ協奏曲RV417をあらためて聴く。
第3楽章冒頭のヴァイオリン2本が呼応するところ、1stも結構なテンションで飛び込むが、2ndが負けない勢いで来るのが凄く良い。
こういうの大事。

台風で被害を受けた台湾の花蓮県光復郷の地図を見ていたら「馬富」なる地名を見つける。
昔「馬富商会」なるアートユニットをしていたことがあるので。
こんな語呂の悪い単語が存在するわけがないと思っていたが、中国語(あるいは台湾語)としては悪くない発音になるのだろうか。

ミズノの折りたたみ式日傘。骨が折れる。関節部の横のバネを引っ掛ける穴からねじ切れたような感じ。
確か2000円くらいで買って、2年位は使ったので仕方ないとは思うが、ちょっと嬉しくはない。
要望(愚痴)を申せば:
 表が黒、裏が銀だが、表を銀にして反射した方が暑くないのでは?
 2層なのは断熱には良さそう。
 でも、バサバサして折りたたみにくいのは悲しい。
 畳んだ時まとめる「帯」がゴツい。
 全体にゴツい割に壊れるのね。仕方がないけれど。
まあ、直そうと試みたがあまりうまく行く気もしないし、暑さも終わりつつあるので、スーパーの投げ売りでも探してみよう。
楽器用には折りたたみでない日傘(雨傘兼用)を持っている。こちらは今のところ健在。

習金平氏。病気説。動画を見ると、左手・左足が動き辛そう。脳卒中…ということだろうか?
大国の首長であり、過去には厳しい権力闘争も聞こえてくる国である。隣国としては常に平和な国家運営であってほしい。

寝ぼけて皿を割る。なかなか珍しいと思うけれど。机の端においたがために、座る時引っ掛けて・・・。
机の真ん中にあったクッキー缶を恨みたいところだ。
そもそも昔は寝ぼけなんてなかった。それも含めて老化したということだ。気をつけよう。
昔から使っている大事な皿だったのだが。

モーツァルトK.428の練習録音を聴く。
少しハーモニー感があるのではないか。それが再現されると非常に嬉しい。
刻みにもっと水平感があった方が良いか考え中。「ふつう」の刻みでも「悪」ではないだろうけれど。
音型に関する表情づけについてはまだまだ至らないところが大きいが、その事を考えられるだけでもありがたい。
特段「修辞学」に依る必要があるとは思っていないが、そういうものもある、あるいは、良いヒントになるという程度の認識は持っていた方が良さそう。とは言え、「修辞学ありき」で考えると碌なことにならないので、あくまでも自然なニュアンスを感じつつ、「それを強調しても良いのだ」(強調してはならないという心理的障害は不要ですよ)というために使えば良いと私は思っている。

デュポールの練習曲について校訂者に情報提供してみた。私の情報が間違っておらず役に立つと良いのだが。

鉄道雑誌の刊行元「エリエイ」
https://keuka.hatenablog.com/entry/20250101/1735716049#fn-e0618c70
変わった社名だと子供心に思っていたが、呉服商「ゑり栄」だったとは。
「ゑり栄」でも意味が完全にわかるわけではないけれど、呉服の部分品である「襟」と目出度い「栄」をくっつけた、屋号として「よくありそう」と我々以上の世代には思わするものだろう。

長崎放送の旧キャラクター「南蛮くん」
3人の名前はナンナン・バンバン・ジンジン。
南蛮・北狄・東夷・西胡。いずれも中華思想っぽい呼び方であるけれど、まあそういう意図がなけれな良いのか。。。

「千代田区と日本大学 カザルスホール運用再開に向け協議開始」
https://city.chiyoda.lg.jp/koho/kuse/koho/pressrelease/r7/r709/20250917-1.html
20年間使われなかった「室内楽」ホールが再興できるのだろうか。
ハード・ソフトとも相当のお金を費やす必要があると思うが、そこは折り合いがつくのだろうか。
私見では、「カザルス」の名はマルタ夫人ご存命のうちにお返しするべきだし、運用するならカザルスの名と関係なくいちから努力すべき。
高い理念で知られたカザルスの名の前に、数々の不祥事で有名になり、何の理念も感じられない大学名がついていることを、私は悲しむ。

 

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