読書の記録(2025年11月)
台湾生まれ 日本語育ち 温又柔
私にとっては機微な物語であり、少しずつ読んでいる。
この方は完全に異なる3言語(台湾語、中国語、日本語)と国籍の間で悩んでおられる。
私も幼い頃覚えた「家の言葉」と「学校の言葉」は同じでなかったし、言葉が変わることを驚くことすら許されない窮屈な観念の中で生きていた。そういう意味で、言語の話は私にとって「機微」である。それを笑わば笑うが良い。
まあ、私はもはや老いに近づいており、「昔そういうことがあった」という気持ちが残っているだけではあるけれど。
甲子夜話 第1巻 松浦静山
東洋文庫。高いのでなかなか買えない。古書店でバラを見つけるたびに買うがだんだんどの巻を持っているか解らなくなる。
さて、葡萄は実が成り下がることから「武道が成り下がる」と武家に忌まれるのは最近の話だよという記事がある。これって、杉浦日向子の漫画「とんでもねえ野郎」で主人公(とんでもねえ野郎)がこねくり出す屁理屈だ。出典が甲子夜話か他であるかはともかくも、さすが杉浦先生よと嬉しい気持ちになる。
甲子夜話は「管狐」も含め楽しい発見がある。これからも機会があれば買って読もう。
江戸の〈長崎〉ものしり帖 松尾 龍之介
楽しく読了。
ノルマン騎士の地中海興亡史
ノルマン人、こんなにも南下していたとは。また、イタリア半島内だけでなく地中海にも出張っていたとか驚きの連続。
「両シチリア王国」の『両』の意味もやっと分かった。昔々、中学生だった頃、ホーンブロワーシリーズでこの国名が出てきた時以来の疑問が解けた。
一時はカトリック、ギリシア正教、イスラムも含めた多宗教国であったこともあるなど、蒙を啓かれること夥しいものがある。
イタリアの丘の町 たくさんのふしぎ
ノルマン騎士の副読本っぽいかも。
風車と水車 たくさんのふしぎ
長い歴史を持ち、世界史とともに風車と水車があったことが知れる。
この本だと「技術史」だが、「中世のパン」においては社会史が語られる。両方読んでよかった。
中世のパン
少しずつ読む。「スペルト小麦」などの用語解説があると良いのだが、そこはまあネット時代ということで。
とは言え、何故古い方の「スペルト小麦」が「小麦」より長い名を持っているのかは、この本でもネットでも解らず。
風車・水車の社会的扱われ方が「たくさんのふしぎ」との対照で面白かった。
ソリちゃんのチュソク イオクベ みせけい
韓国におけるお盆(のような日々)を描いた絵本。
素晴らしい。近くて遠い国の日常・非日常が垣間見えて実に楽しい。町の有様、田舎の有様(田んぼや農作物、裏庭の柿の木、お祭りなど)、道路が渋滞すると道端で商売をする人がいるなど。
これらとて、現在の有様ではなく、少し古い(私の想像では2000年前後)のだと思う。その時代の日常が残されているのが貴重。
日本でも「さんねんごい」(菊池 日出夫)や「ぼくらの地図旅行」(那須正幹、西村繁男)などがこれに該当するだろう。
私の趣味は「遠くに行くこと」だが、この書は、行くことのできない時代・行ったことがない場所への旅ということで、私の趣味を豊かに満たす。
女人渇仰 岸田國士
岸田國士の文章を初めて読んだ(青空文庫)。暖かい文体でよろしい。
加藤大介「南の島に雪が降る」において小説・映画「暖流」の話題が出てくる。
戦地で設けられた演芸分隊では、手元に脚本がないことから記憶から再現できるものは再現して演ずるようになる。「暖流」についても、希望があるなか、映画のほぼ全てを記憶した兵士が現れるなど、当時の「暖流」の人気を語るものであった。
弁天小僧 川口松太郎
ペンクラブで公開されているもの。実話のように濃厚で流麗な語り口。余情のあるいい文章。
●雑感
ドヴォルザーク 弦楽五重奏曲 Op.97 の本番
弦楽五重奏の中で、私自身が弾きやすそうだと思って選んだ曲ではあるけれど、まあまあなんとかなった部分と、アカン部分があった。
下のポジションから上に上がるのがアカンね(そう明言した方がおられる)。
とりあえず、そういう練習をするのだろうなあ。まずは上の方で様々な音量で弾く練習が不足しているのだと思う。
耳で弾こうとするのもアカンのだろうけれど。まずは、デュポールの上に上がる(でも下にも下がる)曲を練習しよう。練習しよう練習しよう。
ともあれ、数年前に買った楽器は「良い音」と言われる。自分の耳だけで買った楽器なので、「ハズレ」だったら目も当てられないが、「アタリ」だったのだろう。ありがたいことである。楽器屋さんには感謝。30台くらい弾いて最後に出てきた楽器なので、まあそれなりの本気だったのであろうけれど。
そしてまた、複数の方から「バッハの通奏低音弾くべし」と言われたのは不思議。私が弾いたのはドヴォルザークなんですけど。
バッハの通奏低音を弾く機会などほとんどないので、お言葉はありがたく受け取って置けば良いのだろう。
あ、もひとつは、「『いい音』を出しすぎ」というのもあった。うん。こないだのブラームスもそうだけれど、ちょっと目立とうと思ってフラを入れているんだよね。そういう色気づいているのが良くないのだろう。なんだかなんもないのは寂しいかなと思っているのだが、そういうアホの所業はやはりバレるのであった。気をつけよう。
とは言え、次のお誘いがないのはやはり反省すべき点が多々あるということだろう。精進しよう。
スメタナ「わが祖国」
ほぼクーベリック・チェコPOの演奏しか聴いたことがない。
1990年、チェコが自由化し、亡命していたクーベリックの久々のチェコ復帰ということで、たいへん熱気のある演奏。
チェコPOの人々はこの曲を全て暗譜しているのではないか、というノリで、冒頭の吟遊詩人のハープから、最終楽章までを熱狂的に弾き抜いてしまう。
もともと私は細かな演奏の違いが気にならないらしく、いい演奏の録音をひとつ持っているとそればかりを聴いて他を聴かない。
そしてまた、ひとつの演奏が気に入ると、繰り返し聴くのだが、その結果他を聴いても受け入れられないことになったりする。
これはそういう演奏のひとつ。
そう言えば、「高い城」という言葉は、ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの小説にある。また、カフカの「城」も高さに対する言及はないものの、入ることが出来ない、永遠の拒否権を持つ「城」はある種の心理的な高さを持っているように感じられる。
欧州の都市のある典型は、町中に川が流れており、川沿いにある高い丘の上に「城」が聳え、丘の周囲や川向うに町が広がっているようだ。レムの例を見ると、こうした都市を見下ろす城を「高い城」と言っているようだ。
(アメリカのSF作家P.K.ディックに「高い城の男」なる小説もあるが、未読。この「高い城」が何を指すのかは知らない)
オーケストラ。好きな曲を弾かせてもらえるのは楽しい、ありがたい。
とは言え「団員」になるのは辛い。私は我儘な人間なのである。曲目、演奏会日程、練習日程、練習時間、練習方法など縛られるのが苦しい。
そしてまた色々考えるに、自分は「室内楽」への憧れが強すぎる。
小学五年生でモーツァルトのクラリネット五重奏を聴いた時にかかった魔法がおそらくはこの世から去るまで解けないのであろう。
あるいは成人する前に出会ったバッハやハイドンの魔法もまた。
そう言えば、今月の本番で使った弦は、上2本がヤーガー、下2本がスピロコアという「昭和の標準」。
欠点がないとは言わないが、「そんなに悪くない」「使える」という感じ。
標準たるものそうでなくては、なのだが。音は出しやすい。出てくる音が全て好みかと言われるとなかなか難しいが、相応の音はする。
A線とD線の連続性があまりないのが、少し辛いが、多くの弦セットで生じる問題であって、ヤーガーが特に悪いとも思わない。
まあ、適当に弾いても適当な音がするようでは上達しないので、ガットを張って苦労するか、メタモルフォーゼンの本番まではこれで保たせるか?
R.シュトラウス メタモルフォーゼンの録音について
https://chatgpt.com/share/6912891c-b8ac-800b-884e-dc0a41386304
フルトヴェングラー指揮ベルリンPO 1947年があるのは知らなかった。
楽団員全員がナチスドイツの崩壊を(おそらくはドイツ国内にあって)知っていたのはまずまず間違いないだろう。
フルトヴェングラーとカラヤンのメタモルフォーゼンを聴いてみた。
フルトヴェングラーの演奏を再現しようとするのは「危険」だが、カラヤンの演奏は自分にはほとんど意味がないと感じる。
磨き抜かれた流麗さが溢れているがそれ以上の「意味」が感じられない。もちろん全ての音楽に「意味」を求めるつもりもなく流麗さが身の上の音楽もあると思っているが、こういう曲でも流麗さだけを磨くのはちょっと行き過ぎと感じる。これなら「何を演奏しても一緒」なのではないか。このような曲から「意味」を取り去るとそこに残るのは「逆説的空疎」でしかないのではないか、と思う。
カラヤンは私がクラシック音楽を聞き始めた頃の人気指揮者であり「いつでも聴ける」気軽さからカラヤン以外を優先して聴き、結果としてあまり聴いたことのある指揮者ではないが、改めて聴いてみると「聴かなくて良かったとまでは言わないが、優先しなくて良かった」と思わするもの。
記憶にある範囲だと、LP時代にマーラーの交響曲第5番、CD初期にベートーヴェンの運命・田園を聴いているが、それらがあまり面白いとは思えなかったのが私の「カラヤン体験」だろう。そうそう、アグネス・バルツァの「カルメン」は気に入っていたけれど、バルツァの歌だけを繰り返し聴いていたっけ。
そして、どこかで一回見た白黒の映像作品。ベートーヴェンの交響曲第三番の葬送行進曲。オーケストラ録音とは別に映像撮影だけしたようで、チェロが極端に高いひな壇の上に3人だけならんで、ノロいヴィヴラートをかけている情景をよく覚えている。こんなに変なことをさせられて、オーケストラの人も可哀相だなと思った記憶がある。
世阿弥は「花なければしほれどころ無益なり」みたいなことを言っているようだけれど、カラヤンは「花」だけ追求したように思ってしまう。
ムラヴィンスキーも、直接的・個別的な「意味」を感じさせないものの、強固に隠蔽された奥の奥に大きな「意味」があるのだと思わせる強い音楽だった。
カラヤンからはそういう「隠された意味」も感じにくい。
いずれにせよ、空気の粗密波を様々に構成したに過ぎない「音響」から「意味」を読み取ろうとする人類の面白さよ、というところ。
で、楽器並び順問題も考える。
North York Moors Festival Ensemble (2013)
Vn,Vn,Vc,Cb,Vc,Va,Va かな?
https://www.youtube.com/watch?v=PBy9z0pdeJY
Sol Gabetta ら(と私には見える)。
Vn,Vn,Va,Va,Cb,Vc,Vc 。向かって左側が全楽器1番だろうと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=RyeVRMjfRJE
23楽器なので今回の対象外だが、「歌劇『変身』」になっている。
https://www.youtube.com/watch?v=ud8L3eLT4LA
カフカを思い起こさせて考えさせられてしまう。
カフカの原題(独語)は「Die Verwandlung」
この語は演劇における「場面転換」の意味も持つとか。これは驚き。カフカ「変身」は、本人にとっては限りない悲劇であるけれど、周囲・社会にとっては「場面転換」ていどの意味・・・と含意していると想像するだけで身の毛がよだつ。
「死と変容」は「Tod und Verklärung」。
Verklärung は「晴れやかな表情〈姿〉」の意味が出てくる。そうなると「死と浄化」と訳したくもなろう。
Metamorphosen は複数形で、変形、変身、(岩石の)変成、
アナリーゼというほどではない情報。
https://www.youtube.com/watch?v=UDwd70kPfTY
最も気になるのは「アルプス交響曲」に「反キリスト」の意味があったとか。R.も大概適当な気がするので、あまり深刻に捉えるべきではないのだろうけれど。
指揮者山田和樹氏がNHKの朝の番組に出演。
ベルリン・フィルハーモニーの説明でカラヤンは出てくるが フルトヴェングラーは出てこない。小沢征爾と佐渡裕は出てくるが、朝比奈隆は出てこない。
若い頃、アマチュア楽団80を指揮し、経験を積んだとのこと。
アマチュアを指揮しても経験できないこともあろうし、アマチュアを指揮するからこそ得られるものもあろう。
ともあれ、日本の指揮者を養成するのにアマチュアが一定の役割を果たしているのだろうなあ、と(少しうれしく)想像する。
まあ、指揮棒の分からないところ、指揮者の言葉の分からないところを、プロの音楽家/オーケストラなら「ごまかす」能力があるかも知れないが、アマチュアにはちょっと期待できないよね。等など。
(ベルリンPOに対し、「花が開くように云々」とやっているのを見た。私も昔、大学オーケストラに対してそういう話をしたことがある気がするが「わからん」と大勢には不評だった。世の中が進んだのか、あのオーケストラがおかしかったのか・・・。センター試験の害悪を種々見るが「そーゆーこと」だったのかも知れぬ)。
20世紀の偉大なる指揮者メンゲルベルクの録音が公開されている!
https://willemmengelberg.nl/discografie/
メンゲルベルクの自在なアゴーギグ、流麗なポルタメントを楽しもう!
(もちろんそれだけではないけれど、まずはそこから!)
ブラームスの交響曲の緩徐楽章なんかがこれらの至芸を味わえて楽しいかな?
(と言いつつ、ベタベタのポルタメントをかけている曲はさほど多くない)。
Orontea by Antonio Cesti 面白そうなオペラ。
https://www.youtube.com/watch?v=lgx8sQhOWGg
聴いている場合ではなさそうなのでメモ。
Rut Alonso - Llaqui Cusi (Video Oficial)
https://www.youtube.com/watch?v=_CjnBnqjlbY
南米の方?簡素だが心惹かれる。音が少ないとそう感じるが、音が増えると「ふつうのポップ音楽」に聴こえてちょっと閉口。
音が少ない方が繊細で複雑な音楽に感じられる。音が増えると平板に聴こえる。我ながら嫌な聞き方ではある。
ヴィクター・ボーグ。何を弾かせても様になる。音楽的知性を感じさせる。
https://www.youtube.com/watch?v=R9UN3xFBCcw
ここで言う「知性」は、紙に書かれた知識ではなく、現場で培われた感覚に基づき、それらを抽象化したものとでも言おうか。非常に現実的な感覚として瞬時に作用する「知」。
ポール・マッカートニー バッハ。 Blackbird って良い曲。
https://www.youtube.com/shorts/OamF7VVbnC8
東京芸術大学の「アルルの女」終わってから知る。
子供の頃から好きな曲でもあり、ホグウッドの劇場版も面白く聴けたのだから、行きたかった。無念。
チェロ奏者ズラトミル・ファン氏 Zlatomir Fung The Freedom of Fantasies
https://www.youtube.com/watch?v=Bw0Wlz6jUEQ
中国・ブルガリア系アメリカ人(ということは本来どうでも良いのだが、記憶する手がかりとしてメモ)。
オペラ幻想曲として、音の作り方が多様で面白い。
我々ごときへっぽこ素人とは弓の使い方がまったく違う。
種々多忙のせいもあり、多摩美術大学の芸祭、東京芸術大学取手の取手芸祭など見送る。残念だが仕方がない。
そう思うと、演奏系音楽系は結構しぶとく、自分のなかでそちらが優先だったのね、と改めて感じる。
AppleLossLessをUbuntuで再生すると「針飛び」が起こることがある。
それらの曲のメモを作ろうと思っていたのだった。
今回はBISレーベル、小川典子のドビュッシーBallade
画家おおば比呂司氏の画業
https://www.oba-hiroshi.com/index.html
つい「ほていの焼鳥」など食べ物に目が行きがち。なんというか、美術館に行ってお金を払って見る崇高な「芸術」というより、独り寝の宿屋の晩酌に静かに付き合ってくれる気のおけない「友」という感じがするのは、「ほていの焼鳥」のせいだけではないだろう。
飛行機の絵が多かったのはまったく知らなかった。このウェブサイト、とっても良いけれど、絵がも少し大きければなおなお良かったのに。
「黒はんぺん」。
我が家は静岡に縁があるので、黒はんぺんを食べる習慣がある。
白はんぺんも食べないことはないが、できれば黒でお願いしたいと私は思っている。
近所のスーパーマーケットで「黒はんぺん」が売られていたので喜んで買ってきた。
正しい商品名(おそらくは農林規格)では「ゆでかまぼこ」だそうだ。少々がっかり。まあ、実態が変わるものではないので気分だけの問題ではある。
材料の第一はもちろんすり身(鰯)だが、第二にすり身(鱈)が入っている。まあそういうものだろう。
鰯だけだとツミレになってしまいハンペンにならないのかも。さて。
(昔、鰯数十匹200円に行き当たった時は、手開きしていって成功したのは刺し身、少々失敗は蒲焼、完全なる失敗はツミレにした。もちろんどれも美味しいし、身の崩れ方が活きるので「手開きは失敗だが料理は成功」といったところだ)。
映画「Un de la légion(軍団の一人)」
フランス外人部隊を題材にした映画。まあ、大したことない。外人部隊礼賛映画とも言えないお気楽物語。
「外人部隊」への憧れが私にはよくわからない。まあ、「最後の騎士道」ないし「最後の冒険者」ということなのかも知れないが。
毎日を世知辛く生きていると、命を捨ててでも一発逆転を狙う破天荒に憧れるのだろうか。
映画「北京の55日」をちらりと見る。
どこに組んだセットだろうと思い、Wikipediaを見るとスペイン。「ドクトル・ジバゴ」も同じ。
フランコ総統が映画好きでスペイン軍を無料で使わせた、など。どんな独裁政権にもどこか不思議でおかしみのある出来事があるものだが、これもそのひとつかも知れない。
映画「名誉と栄光のためでなく」..
インドシナといいアルジェリアと言い、フランスは良いことをしていないし、その結果良いことにもなっていない、というのがまずもっての感想。
自動翻訳字幕で見るとアラン・ドロンの「歴史家」と出てくるが「記録係」程度なのだろう。
兵士シュヴェイクに出てくる一年志願兵(たしか「マレク二等兵」)がそんな役割だった。彼は不良学生だったが要領は良いので、軍隊に来ても学問を活かして名誉ある連隊の歴史編纂係になる、というもの。ただし、彼が書く歴史は全てデタラメ。本人を目の前にして、「次の戦闘でカクカクシカジカ英雄的な死を遂げる」くらいのことを言ってのける。シュベイクの登場人物の多くがそうであるように真面目に戦争をする気がまったくない。ある種の反戦活動家。
そもそもシュベイクを書いたハシェクが破天荒な人物であり、動物関係の雑誌の投稿記事のほとんどがデタラメ(というか創作)だったという曰く付き。その意味では、不条理演劇の人別役実が書いた「鳥づくし」「虫づくし」などは『おとなしい』と言うべきものだろう。
映画「ニコライとアレクサンドラ」も少し。
多くの錯誤の積み重ねが彼ら自身の悲劇に至るのだが、では錯誤がなければこうはならなかったと言えるかというとそうも思えない。
あまりにも多くの不幸の上に築かれた帝国は悲劇なしに終焉を迎えることはできない、などと感じる。
多くの権力者はそれを恐れるが故に、多かれ少なかれ民草に斟酌するし、あるいはまかりまちがって暴政を敷いたりする。
ロマノフ王家殺害・遺体隠蔽についてはさらりと触れる程度だが、Wikipediaを読んでしまったので、遺体隠蔽の話が頭に残っていたらしい。映画・Wikipediaを見た晩の夢で「自宅に遺体・人骨があるがどのように隠蔽しようか・・・」と悩んでしまった。意外とこういうおぞましいことは心の底に残るのだな、と思った。
The Sea Wolves
戦争映画。ふつうの戦場ではなく中立国の港に停泊中のドイツ船(こういう映画であるから当然の如く諜報工作をしている)を老兵が爆破するてふもの。
出ている役者はすごいが、まあだらだら見るのにちょうど良いくらいのお話。
老いたグレゴリー・ペックってこんな役をやっていたのね。
ロジャー・ムーアは何に出てもジェームズ・ボンドを演じることになるのね。
デヴィッド・ニーヴンはお年を召されても格好いい(北京の55日にも出ておられた)。
だらだら映画を見るのは、お疲れの故だろう。まあそれも良し。
しかしよくまあこうした無名どころの歴史映画がお薦めに現れるもんだね。
「ローゼンクランツとギルデンスターン」
Wikipedia にこの項がある。もちろんハムレットの(主人公ではない)登場人物である。
ローゼンクランツ(薔薇十字)は創作された名だと思っていたが、デンマーク人には「よくある名前」だそうだ。
そしてまた、天文学者ティコ・ブラーエの従兄弟にこれら苗字の者がいたとか。驚くようなことがあるものだ。
「ニコラ・ル・フロック」も見たが、なかなか理解が及ばない。無念。
フランスのルイ15世時代の貴族・探偵ということになるが、自動翻訳字幕では追いきれない情報があるのだろうか。
時代や内容としては、楽しめそうに思うのだが。もう少し追いかけてみよう。
女優ヴィマラ・ポンスさん。色々話の筋に現れそう。マリー・ド・ラングルモン / ラ・サテン / ラ・ビシュリエールと3つの名前を持つ女。覚えておこう。(シリーズ3では交代されるのね)。
Montalbano, les premières enquêtes シチリアの人情刑事だそうだ。
女優さん(サラ・フェルバーバウムさん)が素敵。
Montalbano だけで検索すると怖い禿頭中年男性の写真が返ってくるが、「les premières enquêtes」をつけると、「やんぐ」の意味になるらしい。若き日ののモンタルバーノ。
こんなに若くて「警察署長」。ニコラ・ル・フロックもそうだが、ラテン諸国は学歴格差が大きいっぽく、現場の泥臭いオジサンたちと若く優秀な管理職みたいになるっぽい。まあ、日本でも警察署長といえば叩き上げのオジサンかキャリアー(国家公務員一種)の若者かと相場が決まっているけれど。
して、警察官僚(副署長?)がふつうに既婚者女性をナンパしておる。恋愛は個人の自由という社会観。
ドイツアニメ1970年代くらいか?
https://www.youtube.com/watch?v=EkaVxywY9Vw
独特の表情・表現。良質なガソリン燃料の宣伝らしい。
お薦めに出てきた映画『Rogue Male』。独裁者暗殺するのかしないのか・・・変な映画。
映画「ランボー」に影響を与えているとは。
ランボーも、第一作もそれ以降とのつながりも変な映画だ、と思うのだが。
BBCドラマ「Normal People」(2020)
映像が気に入ったので、あらすじを見てみたがちょっと耐えられる気がしない。アイルランドの若者の話。
Forbidden (1954) 原題は Proibito 。ニノ・ロータの音楽ということになっているが、動画についた音楽のほとんどはブラームスの交響曲第4番。なんか変なの。音楽の音質は激悪。
謎の円盤UFO
「娯楽SF」。SFっぽさもあるが、どちらかというと探偵・冒険小説っぽさが勝るか?
「エリス中尉」を始めとするお色気路線でも有名。ツルっとした衣装は今となっては気恥ずかしいが、もしかすると機密保持のための策かも知れないと思い当たる(設定がどうなっているかは知らぬ)。先日見た「菱刈鉱山」でも、鉱夫は坑道から出た後入浴した(させられた)と言われており、似たようなことである(ほんとかな?)
夏の蒸気機関車の詩 保存版 さよなら蒸気機関車 3(TBS)
https://www.youtube.com/watch?v=8hVe2tZocx4
蒸気機関車終焉期に作られた(おそらく多数の)番組のひとつ。最初にC58を取り上げるなど渋い。C58は生産台数はC62の5倍くらいあると思うが、特急用として目立ったC62とは知名度が桁違いに低いように感じる。
駅や機関区での低速走行時の足回りに相応な時間を割き、ターンテーブルで車体を各方向から味わい、などなどなかなか良い。機関車の「機械美」を味わうことができる。船底型テンダー、門デフなどの解説も素敵。「貴婦人」のような紋切り型とは無縁のものだ。
相当の好き者が作った番組!ナレーションも落ち着きがあり、なぜか音楽が若干不安を煽るのが不思議。この担当者はおそらくC55(およびスポーク動輪の機関車)が好きなのね。
この後の「4」はよくある情緒的ナレーション。かなり気持ちが悪い。また、「しーごじゅうなな」と「でぃーごぉまる」という異なる読み方を平然と混ぜるのもおかしい。変なの。実験作品か?
鎌倉のラーメン「ひら乃」。2020年頃閉店と聞く。
自分が最初に鎌倉を訪れた1990年頃に入った記憶がある。その後、鎌倉をしばしば訪れるようになったけれど、その際には楽器を持っていることが多く、狭いこの店にはとても入店できなかった。表の電信柱に楽器を括り付けて・・・と思ったこともないでもないけれど。
その後2度くらい入れただろうか。人が並んでいるのをよく見たけれど、ある時並ばずに入れた。満員一歩手前の最後の1席だった。隣席のご婦人から、「この店はたいてい並んで入ることになるので、並ばずに入れたあなたは運が良い」とお言葉を頂いた。
そう何度も入ったお店ではないが、こういう雅なやりとりのある雅な町の雅な店として「思い出の店」である。
何でも変わっていく。万物が流転するくらいだから、人の為すことが変わっていくくらいは当たり前であるのだろう。
某所定食屋さん。そこはかとなく九州風のものが出る。亡き母も九州に縁があり、私には懐かしい味で気に入って何度か通っている。なおいい店は営業中につき名を秘す。
開店前に店先の「本日の献立」を眺めていると、女性二人連れがやって来て脇から一緒に眺めだす。
「おいしいか」と聞かれるので「おいしかった」と応える。
開店まで30分あるので、二人連れも私もそれぞれ時間を潰しに店を離れる。が、開店10分前に店の前に戻ると全員集合してしまう。
さらに他にお二人が現れ、「どれが美味しいか」の話題になる。結局「どれも美味しい」のだけれど。
たとえば、私はいつも刺身定食を食べてしまうのだが、鶏の焼いたのもうんと美味しいらしい(まあそうだろう)。
私は例によって刺身定食を食べてしまったが、次回(できるだけ間をおかずに訪問して)鶏を食べよう。
と思っても、献立が変わるのだよね。それはそれでとても良いことなのだが。ほんと間近に訪れないと!
涼しいとこうして出歩くのも楽しい。あの酷暑はなんとかならんのか?(世界中が温暖化対策に立ち上がるべき。戦争を始める輩は馬鹿野郎である)。
スーパーマーケットで安売りのミックスナッツを買ったら、シケっていた。悲しい。
一国が貧しくなるってこういうことね。前ならば、先進国日本の貨幣価値が他国を圧倒していて、少しの日本国貨幣で高級なナッツを買うことができたけれど、今どきの日本円はそんなに強くない、と。
今週の誤字
「歩蛸」「歩哨」。
Wikipediaの「アレクセイ・ニコラエヴィチ_(ロシア皇太子)」の項。
どうやったら「歩蛸」という文字を出すことができるのだろう。
この文字を入力した人は「あるく・たこ」と入力したのだろうか。
印刷資料を光学読み取りするとこうなることがあるけれど、最近であればスペルチェックにかかるような気がする。。。
「投球改正」→「等級改正」
日本国鉄の3等制から2等制への移行のことである。「改正」としている用例は他に見なかったが、間違いではないだろう。投球の方はもちろん誤り。
「管弦楽楽版」→「管弦楽版」
そんなにガクガクせんでも。J.S.バッハ『フランス風序曲』の管弦楽版があるのはなかなか嬉しいが、およそ演奏機会があるとは思えぬ。
「自動軽量機能はございません。」→「自動計量機能はございません。」
パン焼き機の説明文。
仕事上の会議で「●●にも目くばせお願いします」と言われた。きっと「目配り」のことなのだろう。
「目くばせ」は「目でする合図」。そんなわかりにくいことしていないで口で言え!
とまあ思うわけだが、誰か身内が気づいて教えてやれよ、って奴ですね。
先般の「げっぱもく」(齧歯目げっしもく)もそうだが、私は遠慮しておく。
まあ、本当に相手を尊敬し、相手を信頼しているならば伝えるのだろうけれど、赤の他人にさほど親切にする謂れはない、と思う。
フランス語「私は一人ではない」「Je ne suis pas seul」は「すいません!」に聞こえる。
直訳では「私は一人ではない」だが、意訳を考えると「すいません!(お話いいですか?)」となるのかな?
「私は一人ではない」→「あなたも存在する」→「存在するなら私と話くらいしてくれろ」的論理展開?
路上喫煙者の一定数がポイ捨て常習者でもあり、彼らには常々憎しみを覚えるばかりである。
で、ある朝、家の周りを掃除していたところ、きつい煙が漂ったので、立ち上がって見た所、路上喫煙者の後ろ姿が見えた。
下水口に煙草を落としているのがえらいのかえらくないのかと言ったところ。
して、ふたたび掃除をしていると、戻ってきた路上喫煙者がスマホを見せて「〇〇5丁目はどこか?」と問う。
近隣ながら知らない住所であったせいもあるが、「路上喫煙をしている人に親切にする気になれない」と伝える。
「スミマセン」とは言っていたけれど。路上喫煙者がこれで心を入れ替えるとは思えない。私には。
「スターリンソート」もひどいが「アベソート」がまたひどい。
アルゴリズムで政治批判をする方がおられるとは思わなかった。
スターリンソートは抹殺ソート。都合の悪いデータを削除する。
アベソートは捏造ソート。都合の悪いデータを書き換える。
ともあれ、そういう指導者の尻馬に乗った連中も大概だよね。
公明党が政権・自民党から剥がれた。
特に最近、私は公明党は自民党と一体化しており、別な党として成り立つ意味がないのだから吸収合併されるべきだと考えていた。
なんとなうだが、公明党・支持母体はそのことを逆に危機感として捉えていたということだろうか。
公明党の離脱はその意味では公明党としても必要であったろうし、政権批判者である私としても好意的に考えている。
一方、自民党と維新の連立(ではなく閣外協力らしいが)には暗澹たる思い。
私としては維新は「大阪のならず者」という印象が強い。
昔の自民党はタカ派もいればハト派もおり、いずれの派にあっても「戦争だけはしまい」と思っていたように感じる(一定程度戦前回帰を目指してはいつつも)。それが外れてしまったのかどうかが最大の興味(というか恐怖)。
高市首相が韓国・中国に就任早々に訪れたのはその点では好情報。少なくとも国交を重んじる、というメッセージではある。韓国・中国側もそのようなメッセージを相応に評価しているように感じる。その点も好情報。国と国、言いたいこと、利害が一致しないことがあるのは仕方がない(「当然」とまでは言うまい)が、仲良くしなければ互いの国民が不幸になるのも明確な事実と信じる。
とは言え、維新との連合(と言っておこう)も含め、排外主義の拡散を続ける危険性もあり、心配ではある。
https://note.com/miraisyakai/n/n1187883b0b01
ガソリンの暫定税率廃止に私は賛成だが、自動車を持っていない関東民として受ける恩恵は少ない。
一方、関東民としてはいわゆる「一票の重みの差」をなんとかして欲しい。私の人権は●●県民の1/2だ、と言われていると感じる。
天下の裁判所がこうした人権蹂躙を放置・是認しているのにはたいへん腹が立つ。
その後の高市政権の動向には不安を覚えるばかり。
「大阪の与太者」と組んでどうするのか。そしてまた対中国の間抜けな答弁・国際会議への遅刻・夕食会欠席など。
高市氏ご本人が「威勢のよい与太者」。戦略性もなにもない。私は中国の政権を賛美するものではないが、彼らの方が遥かに国際社会における現実をよく見据えて行動しており、日本は国際社会での信頼を大きく失墜しつつある。手短に言えば国難である。
朱戸アオ『リウーを待ちながら』について検索したところ、公明党に紹介・評論のページがあたった。
https://www.komei.or.jp/review/m024-2/
「マンガ de 社会問題」の一項目(題そのものはまったく好きになれない。 de ってなんだよ)。
社会問題を扱ったマンガがこんなにもあるのかという驚き。そしてまた、それをこれだけの数批評できる方の存在。
日本のマンガ(およびそれを追いかけ・追い越そうとしているマンガ)は「映画」と似て、様々な表現を開拓する優れた手段になっているように感じる。これら社会問題の摘出もまたそうだろう。(米国のマンガは進歩も発展もない、と身も蓋もなく書かれている。実情を知らないのでなんとも言えないが、ちょっと面白い。日本マンガも読むのに相応の能力(リテラシー)を要求されると思うけれど、それとの相関があるのかないのかなど)。
そうそう。「リウーを待ちながら」はコロナ禍中に読みたいと思って読まずに来たもの。あの頃読んだのは、カミュ「ペスト」、チャペック「白疫病」、ボッカチオ「デカメロン」なんかだった。
乗車経験がある(ありそうな)ディーゼルカーを指折り数えてみた。概ね乗った順。
キハ30系(国鉄武豊線)小学2年
キハ20系(国鉄二俣線)小学3年
キハ58系急行かすが(JR西日本・東海関西本線)高校生
キハ82系特急ひだ(JR東海高山本線)大学生
キハ183(JR北海道、札幌ー釧路)就職して出張で
キハ120(JR東日本小海線)家族と
キハ120(JR西日本姫新線)一人で旅行
キハ283(JR北海道、札幌ー帯広など)出張
キハ40系(JR西日本城端線)出張
キハ110(JR東日本小海線)一人で旅行
キハ85系特急南紀(JR東海紀勢本線・関西本線)一人で旅行
TH2100(天竜浜名湖鉄道)法事で名古屋に移動するついで
キハ30から特急ひだまでは父に連れられて乗ったものだ。
多くは記録もなくおぼろげな記憶に基づいて最近調べたものなので、間違いがあるに違いない。
関東の鉄道趣味者に言わせると、「国鉄時代の名古屋駅はさまざまなディーゼルカーが入線していて羨ましかった」とか。確かに私達の同年代で東京近辺であると、電車が主で、ディーゼル特急/急行などはあまり見られないかも(総武線、日光線が電化されていなければ、まだディーゼル急行が東京駅・上野駅あたりにいたかも知れない。おそらく相模線、久留里線、小海線あたりが最も近いディーゼル路線であったのだろう)。
確かに、私が知っている短い時代であっても、武豊線、高山線、関西線のディーゼルカーが、様々な列車種別(普通、急行、特急)として名古屋駅に入っていたし、さらには名鉄の新名古屋にも高山行き「北アルプス」が入っていた。
私としては、東岡崎駅で発車前にエンジンを空吹かししているのを毎日のように眺めていた名鉄のディーゼル特急に乗車しなかったのが最大の痛恨時だろうか(と言うほど悔やんでいないけれど)。
そういえば、キハ40系がまだ古びていなかった頃、乗車して「こんなに低加速で実用になるのか?」と驚いた記憶があるのだが、あれは、いつ・どこだったのだろう?大型フェリーに乗ると、細かな振動が伝わってきたなと思っていると陸の風景が水平移動していてそうか出港したかと思うことがあるけれど、キハ40の加速からは大型フェリーと同じような慣性質量があるように感じられる。
川崎造船凸型電気機関車
https://arumo.a.la9.jp/rn0179.html
子供の頃、図書館で借りた「私鉄電気機関車ガイドブック 東日本編」(誠文堂新光社)で実物写真を見て、「こんな変な機関車があるんだ」と印象に残ったもの。
機関車前後にボンネットがあるのは「ごくふつう」であるが、このボンネットが左右に分かれており、中央に通路があるのは「たいへん不思議」。
当時名鉄鳴海工場を行き来していたデキ370はボンネットが左側に寄っており、右側に通路があった。多くの場合は、左右どちらか外側に通路を設けるのだが、なぜか真ん中。
鈍重で眠たげな表情といい、設計者の考えを聞いてみたくなるお姿。
アルモデルの模型は台車がDT33(類似形式)になってしまうのが少々残念だが、この機関車の力点はやはりボンネットであり表情であるのだから、作ってみようか。
「西武ゆうえんち」のポスターにある電車の姿が妙だと思っていた。
このポスターにはゴジラに食われている電車が描かれている。これが客車のような電車のような「変なやつ」。
車両の両端に扉があるのは、どちらかというと客車風であるけれど、客車であるならば「デッキ」になっているのがふつう。ポスターでは、平面的な構造で扉があるので、電車っぽく、かように、電車と客車の文法を混在させているのが、鉄道趣味者には「気持ちが悪い」。
相模鉄道(後の相模線)では、後々電車にするつもりで作った客車があり、こいつらは、西武ゆうえんち的な「電車型客車」であったようだ。この写真が、西武ゆうえんちポスターにちょっと似ている。まあ、だから気持ち悪くないかというとそれはまた別。
ポスターを描いた方がそこまで考えていたならすごいが、まあそうでもないだろう。
(「漱石の時代」シリーズにおける谷口ジローの画業は素晴らしいものだが、明治期には存在しなかったボックス動輪の蒸気機関車のヒトコマがあったと記憶する。アニメ「風立ちぬ」でも、蒸気機関車の機種選定に微妙に疑問を感じるところがあった。私の無知である可能性はまったく否定できないけれど。。。)
聖ザビエル四百年祭 長崎
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009182598_00000
昭和24年(1949年)に長崎で開催された聖ザビエル四百年祭の映像。
古い鉄道輸送の話を読んでいると、聖ザビエル四百年祭に向けての列車準備に種々苦労したように書かれている。
そんなに多くの人々が訪れるのかと思いきやこの映像を見ると相当の人数がおられる。外国からも相当お越しになるような文章を読んだが、そのとおりなのだろう。戦後、海外・国内で観光的な大移動が起こる最初のケースだったのかも、とも思う。
スイス国鉄RAe TEE II形電車について調べる過程で、電気式ガスタービン機関車に飛び、フリーピストンエンジンに飛ぶ。
ピストンのないエンジンってなんだ、と思いきや、そういうことなのね。
確かに往復動機関の欠点のひとつは相応に頑丈に作る必要のあるピストン・ロッド・クランクシャフトがどうしても重くなり、エンジン効率を下げることにある。だからピストンその他がなければ・・・と思うのは自然なことだろう。
そしてまた「マルリーの機械」。ヴェルサイユ宮殿への揚水に使われていたもの、と。
・・・と書いていたが、再度調べてみると、「ピストンその他がなければ・・・と思うのは自然」は正しいが、結局「ピストンそのものがないばあい・ある場合双方があり、ロッド・クランクシャフトがない」くらいの感じかも知れぬ。
「ロッド・クランクシャフトに拘束されるピストンがない=『フリーピストン』がある」形式も見られるようだ。
とは言え、往復動を回転力に変えずそのまま発電するなどは私の好みに合う。
関水金属KATOのDD13を買う。
子供の頃買ってもらったDD13も良い模型だったが、新しい方も素晴らしい出来映。
模型屋さんで試走してくれたが、「この機関車は遅い走りも大事ですね」と低速走行させてくれたのも嬉しかった。
店員さんよくわかってらっしゃる(嬉しい)!
結局子供の頃、ディーゼル機関車といえばこれしか持っていなかった。また、入れ替えごっこをするのに適当な機関車はこれしかなかった。
終着駅風に機回り線と、貨物側線をいくつか付けた仮のレイアウトセクションを作り、バルサ材を積み重ねたプラットフォームを線路脇に付け、そこにDD13と客車1両と貨車を2・3両ぶら下げて遊んだものだった。
(本当は小型蒸気機関車で遊びたかったがどうしても前部の連結器が使いにくいのだよね。それは今でも変わらないけれど)。
難解プログラミング言語 Malbolge
私ごとき素人は仕様を読んですら意味がわからない。さすが「難解」を謳うだけのことはある。
2024年7月の記事すらネット検索にかからない。
http://folia.txt-nifty.com/musik/2024/07/post-c8adc6.html
イタリアのガソリンスタンドを舞台にした短編映画 "Giuseppina" (1959) について己の書いたものを見返そうとして、たいへん困った。
ところで、ガソリンスタンドのご主人は、米人にもらった葉巻を、耳のそばに持っていって「弾ぜ」させているのね。
この行為の真の意味を知らないが、葉巻の質を知るためにするらしい、とアルセーヌ・ルパンに出てくるガニマールの所作から知った。
ソニー社史 トランジスタを数えるのに「石」を使うと決めたこと。
https://www.sony.com/ja/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/1-06.html
時計における「石」とは、軸受の宝石を指すようだ。
物品税を考慮してダイオードは数えないと決めた、など非常に貴重な情報(まあ使いみちのある情報ではないけれど)。
後に社長となる大賀典雄についてもさらりと書かれているが、たしかにこのように知識もあり「親分肌」というか、現実の知識と高い理想を持って現場に入れる人間であるなら採用されるだろう(それが当然だろう)と思ってしまう。Wikipediaで見られるその後の経歴も納得。
ちょっと違う想像をすると、大賀がソニーでこれだけの大役を果たし得た一方で、日本は貴重な音楽プロデューサーを失ったのかも知れない。とは言え、ひとつの音楽ホール・音楽祭のプロデューサーは失ったかも知れないが、テープ・CD・音楽配信というメディアの成立、その中でのコンテンツの流通を考えると、ひとつの会社の取締役である以上の仕事をなし、かつ、一人の音楽プロデューサー以上の貢献を音楽界にしたのかも知れない。
東通工初期に使った "銀座ネッスル(熱する)商会" 。昔、赤塚不二夫のギャグで「コーヒーはアイス?ホット?熱する?」というのがあったが、赤塚独自考案でなく、一般的によく知られたものだったのかも(確かめようもない)。
さらに「赤塚不二夫 (音響技術者)」なる方もおられたとか。
NHK漫勉。羽海野チカさんの回。
この方は大変絵がうまい。一般的にうまい絵を模写だけしている人、手癖で記号的に書いている人もいるが、こういう人は特定構図ではうまいが、それ以外の構図が破綻する。
一方、本当にうまい方はどんな構図でもこなすし、一番良い構図を発見して使いこなす。すなわち手も動くが、目も良い。で、羽海野チカさんは恐ろしいほど「使いこなす」。
描かれる女性が美しい・可愛らしいのはもちろんだが、泣いている少女の絵図が衝撃的にうまい。羽海野チカさん描くところの少女が泣いている絵を見ると、「元少年」である私としても本当にやるせない気持ちになる(それくらい素晴らしい)。
NHKの朝ドラマを少し見た。
英人ヘルンの「Beer ビアが欲しい」に対し、日本人方が「これは何を言っているのか」を衆議しつつ結局誤って「琵琶」「枇杷」を用意しようとする回だった。
これを見るに、私が中学2年の時、月に1回いらっしゃったアニカ中村先生を思い出した。
この方は、様々な英米文化について教えて下さった。しかもただ話すのではなく、(本当は日本語をお話になれるのに)必ず英語しか話さず、しかも我々が相談しつつ大意を理解するまで根気強く待ち、繰り返しお話して下さるのだった。
昭和の中学生にとって外国は遠く、外国の若者の日常など知る由もない。そんな我々に、米国では高校生が中古自動車を買って運転すること、州によって飲酒年齢が違うので、州境を超えて飲酒しに行く高校生があることなどを教えて下さった。
最も良く覚えているのは「結婚式」。
中学生を指導して、教室内で教会風に椅子を並べさせ、新郎新婦が「ベスト・フレンド」とともに祭壇に向かって入場することを説明し、生徒から新郎新婦とベストフレンドを指名し、自分が牧師になって結婚式を(さらりと)演じて見せた。
また、挙式後、教会の外で持ち寄りパーティーをし、ダンスをすることなどを教えて下さった。
そんなアニカ先生の授業はとても楽しく、強く記憶に残っている。
アニカ先生が教えて下さったのは「外国のことを知るのは楽しい」あるいは「片言であれ外国の人と話をするのは楽しい」だった。
これって、「外国」を「今自分が知らないこと」と置き換えると、即最大最強の教えであり、教育の根本義ではないか。
そうそう、「AIDS」の発音が「エイズ」ではなく「エイツ」であることも先生に習ったのであった。これについては、某氏が友人を指差し「こいつはエイズなんです」と言った流れで出てきた。
あの頃、全ての外国は遠く、「AIDS」(今様にはHIV)は「我々には無関係の遠い遠い外国の病気」であり、冗談でそんな事を言うことがあったである。
非接触レコードプレーヤー。今尚製造・販売されている。ちょっとうれしい。
https://laserturntable.co.jp/turntable/master.html
私のような「原理マニア」は、秋月電子に行って部品を買い、自作を試みたくなるのだけれど。
庭の枯れた月桂樹。多くの枝を落としたものの、幹が残っている。枝を落とした後、雨風に晒し、風化させたものを切ってみた。手動ノコギリで切れる程度には少々柔くなってきたようだ。幹も少し切ってみた。こちらもキノコが生えているし柔くなってきた。切って転げた幹が植木鉢を割ったのは、己の愚かさを強く実証していて悲しい。老齢とともにこうしたオマヌケが増えているのだろう。
黐の木が大きくなりすぎ、楢も大きいので涼しくなって時間が出来たら切ろうと思っていた。ところが、庭で枝落としなどしていたところ、近所の奥様から「緑があって良い!森のようでステキだから切らないで」と言われてしまう。京都の方の「良い時計してはりますな」とか「お嬢さんのピアノ上手にならはりましたな」のようにイヤミだったら・・・とも思うが関東民は正直だと信じたい。とは言えまったく切らないわけにもいかないのが困りどころである。
また、同じように庭にいたところ、「家からチェロが聞こえるが誰が弾いているか」と通りがかりの老婦人に訊かれる。「カザルスの『鳥の歌』は弾かないか」とも。
「私がごとき者が弾いて良い曲ではない」と言うと「スペイン内戦と関係あるのか」と。
関東民はイヤミを言ったりしないとしても、油断も隙もあったものではない。
この前の「NHKミュージックTV」の影響もあろうか。
親を亡くされた方と少し話す。
お悔やみとともに、私から亡くして五年経つ親がまだ夢に現れる旨を申し上げると、夢に出て欲しいと仰る。さなりさなり。
そして墓参りに訪れた晩、母が夢に現れた。まだ皆が寝静まっている時間とて、私を身振りで呼ぶ。部屋の隅に置かれた包みを指して、誕生日プレゼントのシャツだという。包みを開けるところで目が覚めた。律儀なる母。そういう母だった。
それもあって母の誕生祝いに、好きだった「でん六豆」を買ってきた。
先般、閉店したお蕎麦屋さんの「ご自由にお持ちください」の会で、ウィスキーのミニチュア瓶をもらってきた。
「だるま」と「ジョニ黒」。前者は父が飲んでいた酒。後者は父の時代の憧れの酒。
どちらも「特級」の表記があり、1989年の酒税法改正以前の販売であろう。中身も二割ほど減っている。まあ、父の仏前に備えるにはこれでも問題なかろう。
秋はマーラーの交響曲第九番
秋の夕暮れ、風にそよぐ薄野原の情景がなぜかこの曲の第一楽章と結びついている。
あの時、自分は何を思い何を考えてマーラーを聴いていたのだろう。
大分市の火災。何百軒も焼けることに驚くが、空き家が多いというのにも驚く。また、地図を見ると道路らしい道路がないのに家が混み合って建っている。これでは消防車が入ることもできないし、現代的な消火活動ができるとも思えない。海べりで風も吹き込みやすいであろうし、すなわち酸素を送り込んで燃やそうとしているのと同様の状況。そしてまた、斜面の下から上に火が上っていったとの記載も見かける。恐ろしいことである。
香港の高層住宅火災。こちらも恐ろしい。巨大高層住宅に住むことを私は恐れてきたけれど、現実のものとなってしまうとは。
(それとは別に武蔵小杉タワマンの水害→停電も恐ろしかった)。
