今週の戯れ歌
あの人の我を見つめる眼差しは忘れ難かり夢に未だ見ゆ
空疎なる夢のやうなる夢にありてあの人だけは忘れられざる
朧なる昔昔の教室であの人は我に言の葉をかけ
「もしかすると」さう言ひたるを覚へをれどどうなることか覚えてはをらず
いつか我この世の外の思ひ出にこの記憶だけを抱きて罷らむ
楽器弾きて少し思ひを傾けば溢るるまでの限り重ねむ
我ありて独り楽器を弾きてありその余の事は忘れ去るべし
あの人の我を見つめる眼差しは忘れ難かり夢に未だ見ゆ
空疎なる夢のやうなる夢にありてあの人だけは忘れられざる
朧なる昔昔の教室であの人は我に言の葉をかけ
「もしかすると」さう言ひたるを覚へをれどどうなることか覚えてはをらず
いつか我この世の外の思ひ出にこの記憶だけを抱きて罷らむ
楽器弾きて少し思ひを傾けば溢るるまでの限り重ねむ
我ありて独り楽器を弾きてありその余の事は忘れ去るべし
ようこそ、ヒュナム洞書店へ ファン・ボルム 牧野 美加
旅と暮らしの書店アンダンテで見つけて予備知識なく買ったもの。
軽やかでさっぱりした文章の中にほのかな寂しさと孤独感が漂っている。
あまり例を見ない文章と感じる。韓国の(私よりは)若い作家さん。
以前、韓国小説が流行った時、(私がいつもそうしているあるように)流行が一段落したら読もうと思ってその後忘れていた。
良い機会を頂いた。
若い人の社会への問題意識が日本と似ているように感じる。こういう本をいっぱい読んで次なる日本社会・東アジア社会を考えるというのも大切なことだと思うが、タイパ・コスパ流行りの昨今、難しいことであるかもしれぬ。
問題がサラリと解決するところは、美しいファンタジーと思える。問題意識も含めた社会的情景が共感を呼び、解決の安心が読者に癒やしをもたらすということで人気になったのであろうか。
高雄港の娘 陳柔縉 田中美帆
これまたアンダンテで購入したもの。ヒュナム洞の淡さ・軽さとは異なり「戦争の時代・侵略の時代」の重苦しさがつきまとう。
やはりここでも日本語・中国語の重なり合いが重苦しい。台湾の人々にとって、日本・中国(清朝あるいは国民党政府)いずれも全面的に肯定できるものではない。
主人公(おそらくは少数固有のモデルがある)は、その中では年齢・年代もあって幸運に恵まれた方であるようにも感じるが、身辺では不幸に巻き込まれる人々が多い。
(本題と無関係だが、田中美帆/美穂という方を私はしばしば見かける。田中宏和運動=タナカヒロカズ運動の先に、田中ヒロカズ・ミホの組み合わせ(夫婦・兄弟姉妹等)についても気になる私だ。Wikipediaでタナカヒロカズ運動を見ていると「世界の同姓同名運動団体と交流し世界平和をめざすNGO「国際同姓同名連盟(International Same Name Association、ISNA)」が立ち上げられた」とのこと。素晴らしい!)。
で、読んでいくとそう言えば先日偶然訪れた台湾料理店は主人公とつながりがあることが分かった。さらに読み進むとあまり良い縁ではななかったが。偶然に驚かされる。
実話をなぞる創作というところで、興味深くもあり、あるいは「物語のように派手ではない」安心感もあり。面白い読書であった。
どちらかというと日本と縁が深い人々が多く、それだけに「支配国の横暴」や「戦後の無責任さ」を浮き出させない内容だが、それで良いのか少し心配になる(自転車泥棒などと対比)。
星の古記録 斎藤国治
久しぶりの岩波新書。復刊のお知らせがX(Twitter)にあったのを見て買ってみた。
面白い。そういえば藤原定家「明月記」に超新星の記載があることは、子供の頃読んだ科学漫画にも描かれており印象に残っている。
(これら漫画は幅広い話題を網羅し、当時の雰囲気が感じられるような絵も添えて、良い漫画である)。
私自身も日食・月食を見たことがあるが、いずれも深い感銘を受けるものであって、古代の人々の様を想像しながら読むのが楽しい。
用語集(読み方つき)があると嬉しいが、ネット時代なのだから自分でさっさと調べよということでよかろう。
ところで、明月記は「見たもの」を書いているのではなく「読んだもの」(記録)の引用である、と。漫画のシーンは正しくなかったのだが、創作的解釈によりわかりやすく・印象的になってヨシ!。
そしてまた、藤原定家も含め公家が細かな記録を取っていたのは、ある種「判例(前例)主義」であったため。規範が明確でなかった時代、さまざまな政策判断について状況その他を記録し蓄積していくことで、後々の政策判断の際、自分(とその一族・一派)に有利な前例を持ち出せるようにする・・・と(何で読んだか思い出せないが)。
古本乙女、母になる カラサキ・アユミ
私自身はそんなに凄い古本ファンではない。あくまでも読みたい本が古本屋にしかないから。古本屋の方が読みたい本を見つけやすいから。古本屋の方が安価に済むことがあるから。という消極的古本派である。
とは言え、好きな人は好きなのね、古本。まあ、何事も「好きな事を語る」のを聞くのが好きなのでそういう視点で楽しく読む。
そしてまた、「私はここまでスゴくない」という慰藉を得つつ。
ところで、「バッタを倒しにアフリカへ」(2017)などを読んでも思ったのは、「イタい」自分をさらすのが流行しているのだろうか。自分はこんなにダメな人間ですが、どうしようもないのです、というタイプの文章を若い人の書いたものによく見かけるように思う。
悪人正機的に、あるいは、常識をはみ出している凄さや悪印象を緩和したい、親しみが持てるということかも知れないけれど、露悪的と言えなくもないし、(本人ないし社会が)坂道を転がり落ちないか心配ではある。
踊り候え 鴨居玲
スペイン在住の絵描きさんの随筆。絵は深刻であるように見えるのだが、随筆はいささか頓狂。スペインの所為なのか鴨居氏の二面性なのか。
絵の方は今のところネットでちょいと見ただけなので、改めきちんと見たいものである。
量子力学の百年 佐藤文隆
面白そうではあるが少々読みにくい。ある機会に即して書かれた原稿らしく、その機会の文脈にいない者には読みにくいのが一点、さらに、様々な時制で研究経緯が語られ、その問題点が語られるため、物理現象とその解明の一本道をたどることが困難である。
超賢い佐藤先生をしてこの文章なのか、喋ったことを書き起こしたのか、あるいは、超賢く並列的にものを考えるのが容易であるために記述が散乱しがちなのか…凡夫の知れるところではないね。
そういう意味でも朝永振一郎編「物理学読本」は私にとっては読みやすい良い本であったなあ。
おそらくは制作の目的が異なっており、佐藤がその時に感じたことを文章にするのか、朝永一派が(私のような愚劣な者を含めた)学生どもに読ませるために書いたのか、その差異でしかないのであろうけれど。
バッハ・古楽・チェロ アンナー・ビルスマは語る アンナー・ビルスマ、渡邊順生
なんだか今更の購入。ビルスマのユーモアあふれる話し振りにはつい引き込まれる。
「歌う」でなく「語る」。どこまでを「歌う」と言い、何をもって「語る」というのか。私自身が「歌い口」と表現している状況との違いはなにか。探りようがあるのかないのか。ビルスマの弟子である島根朋史氏を、「歌い口」という私自身の価値観において高く評価している。よってして「語る」と「歌い口」には非常に重なる部分があるであろうけれど。
こうした本を読んでいると、「書かれていることは出来ているように勘違いしつつ共感して」しまう。
共感するのと出来ているのは全然違う!(人生は悲劇の連続である)。
私的な書店ーたったひとりのための本屋ー チョン ジヘン 原田里美
書店アンダンテで見つけた本。「ヒュナム洞書店」の隣に置いてあったので、二度目の訪問で購入。
以前、中国の若い人々が村上春樹や漫画ナルトを読んで/見ているのを眺めた際、「もしかすると日中の違いよりも、世代間の違いの方が大きいのではないか」と感じ、以降、中国のオッサンに親近感を抱くようになった。
ヒュナム洞書店も私的な書店についても、有能だがやさしく繊細で、少々贅沢な若者が顔を覗かせているように感じる。
ここで言う「贅沢」とは、金銭的には「喰うに困らない」ということであり、また、高い倫理や理想を持つということでもある。
我々世代(韓国はいざ知らず、日本では)は、教育においても就業においても、そうした倫理・理想は贅沢品であって許されなかったように思う。
私は、そうした「贅沢」を少々楽しむために、就業上の不利を飲んできたとも言えるし、今なお同じように自ら工夫しなければそうした「贅沢」には到達し得ないのだと悲しくも感じたりする。ともあれ、こうした事々が書かれ・読まれることで皆が贅沢を楽しめるようになるのかも知れないことに希望を持ちたい。(私には若い日本作家の書くものをほとんど読んでいないのだが、こうした点についてはどうなのだろう。例外的に柚木麻子氏は少し読んでいるけれど、ヒュナム洞書店や私的な書店と同様に「贅沢」志向であるように思った。また、そうした点が評価されて国際的に翻訳されることになったのではないだろうか。この点もヒュナム洞書店・私的な書店と通じるのではないか)。
ラ・カテドラルでの対話
少しずつ読み進める。単文はおおむね読みにくくはない。ところが、別々に行われた複数の会話を同時進行させているので、集中して読まないとどちらかわからなくなる。
大変酷薄な書き方をすると、若き日の学生運動の挫折というよくある出来事を凝った書法で書いた小説、ということもできる。一方、政権幹部・下っ端などの話も錯綜していて、一時代を切り取る重厚な文学であると言うのも確かだと思う。自分としては書法より歴史的中身に興味があるので、も少し整理してもらいたかったなあ。でも、同時に様々なことが進行していたことを表現したい気持ちからはこうなるのだろうなあ。
黒部の山賊 伊藤正一
私には「山賊」の正しい知識がない。黒髭で戦国の野武士のような風貌・・・という「山賊」ではなく、少し看板に偽りありとも思うけれど、内容は面白い。
山に生きる人々、そして、山を楽しみに来る人々。そして山にいるという妖怪やかっぱ。様々な事件。とは言え、それらを淡々と描いているところが怖くもある。昭和20年代食料や装備が満足でなくとも、趣味として山に登る人々がいたことにも驚かないではない(我が父も黒部ではないものの、昭和30年前後には山登りをしていたようであるし)。
淡々としているけれど面白い本である。
マンガ 書の歴史 殷~唐 王羲之と顔真卿 魚住和晃, 櫻あお
東京国立博物館で購入。あの博物館の売店は端倪すべきにあらず。私が買うのは基本的には「入門書中の入門書」であるけれど、それとて一般の書店では他の分野に惹かれて、つい見ないでしまうような分野のものをあの売店で興味を持ってみることになる(良い)。
「曲水の宴」。王羲之の時代にふつうにしているのね。なんとなく和歌の遊び=日本のものと思っていたけれど、これまた中国由来。(私自身は、中国趣味の者であるので、そういうものがひとつ見つかったとて、「これもそうだったのか」と思うだけだが。寝殿造り・和歌・十二単・糸竹の遊び、曲水の宴、日中(あるいは韓)がどれくらいのブレンドなのだろうか)。
私もたいへんつまらない「習字」に通ったことがあるけれど、教育指導要領以前の日本の教育のダメさが凝集したような学びのない場だった。
古代中国の人々が書いた「漢字」が遠く時代を隔て、国も異なる自分が相当程度読めるのに感動する。文字の意味も変わったもの変わらないもの双方あるだろうけれど、なんというか人間の感情や生活の基本は同じなのだということにも感動する。そしてまた、歴史を通じて様々な形で文字が変化していく。そこに理想を込めた人々が居る、というのも凄い。こういう書体がコンピューターで使えたら、とも思うが、我々日本人が使うには、漢字ひらがなカタカタが揃ったフォントセットが必要だよね。。。
また、墨で書かれた当時の紙・竹・木だけでなく、石碑にしたことで残った墨痕も多いようだが、「石碑」の再現度ってどの程度なのだろう。そもそもどんな方法で石碑を起こしたのだろう。その点の記述があると私のような素人には嬉しい。とは言え、さすがトーハクに置いてある良書!
偶然見つけた書店アンダンテ(巣鴨というか千石)は大変気に入ったが、どちらかというと会社の企画ものであって、個人書店ではないのね(ちょっとトーンを落とす)。
買った本をメモしておこう。
ヒュナム洞書店へ:平積み。「世界の様々な書店」コーナーなのかな?
私的な書店:同上
高尾港の娘:台湾の棚
私のものではない国で:中国の棚。でもホントは台湾の棚にあるべきだよね。
黒部の山賊:富山県の棚
逃亡くそたわけ:愛知県の棚
ということで、こうした創作の類も地域と縁付けるのはなかなか面白い。
私からもこんな本がこんな地域と(大喜利的に)楽しませてもらうと。
クッキングパパ:福岡県
松本清張「点と線」:福岡県
星澤幸子先生の料理の本:北海道
青函連絡船ものがたり (たくさんのふしぎ):北海道
チャンネルはそのまま:北海道
獅子文六「やっさもっさ」:神奈川県
都市プランナー田村明の闘い―横浜“市民の政府”をめざして:神奈川県
愛知の教育 愛知の教師(風媒社):愛知県
豊田穣「長良川」:岐阜県
滝田ゆう落語劇場:東京都
てるりん自伝:沖縄県
岡本太郎「沖縄文化論 忘れられた日本」:沖縄県
井上ひさし「青葉繁れる」:宮城県
有明夏夫「俺達の行進曲」:福井県
芦原すなお「青春デンデケデケデケ」:香川県
室生犀星の金沢もの、内田百閒の岡山・各地旅行もの(もちろん棚にあったが)
風媒社で思い出したが、地方出版を取り扱う書店が以前神保町にあった(が、なくなった)。そういうのも扱うならばさらに素敵なのである(が、商売的にはウマくないだろう…)。
木村肥佐生氏(チベット潜行10年)の事を調べていて、妹尾隆彦氏(カチン族の首かご)に行き当たる。
https://ktymtskz.my.coocan.jp/S/kouro/hmry0.htm
まさかと思うようなことがあるのが世界であり歴史である、ということだろうか。
とは言え、こういう方を重用しないのはいつもの日本仕草か。
●雑感
年末12/28は「デュポール読聴会」、年始1/4は「バッハ x 下持ち弓 バロック・ボウどっちで持つ?!」
どちらも面白かった。ついでに、巣鴨(千石)で「旅と暮らしの本屋 アンダンテ」を見つけていい気分。
ビルスマの著書「フェンシングマスター」をamazon.co.jpで探すが、出てくるのはアレクサンドル・デュマの小説だったりする。
それはそれで気になるが。
ChtGPTと弦楽器の音色を支配する物理因子について対話
音は「摩擦振動」ではなく「制御された破壊」
金属弦と比較しても、
ガットは「特定の音楽的軸」において明確に優位です。
ただし、それは“性能”ではなく“意味”の優位です。
もともと釣り糸をガット弦代用にできるか、と対話を始めたのだが、だんだんガット弦の金属弦に対する優位性の話になったのであった。
また、物理因子の話が、微妙に心理学にずれ込んでいくのもなかなか興味深い。確かに音は受け取り手の受け取り方があって意味を発生させるので、そうあるべきなのだが、
しかし、ChatGPTは微妙にヨイショを交えつつ、平然とウソをつくのがやりきれない。まあ話半分に聞いておくのが大人の嗜みであろう。
ギター奏者山下和仁氏亡くなる。
少なくとも一時期において、私が最も頻繁に聴いたバッハの無伴奏チェロ組曲はこの人の演奏である。
楽器を変えた編曲はしばしば落胆を誘うが、山下版チェロ組曲にはそれはない。むしろ、チェロには弾けない重要な音を「ぽん」と入れて我々を悔しがらせる。
全国数十のオーケストラ奏者を集めたオーケストラの演奏会。
お祭りとしては楽しいのだろうなあ。でも、自分はもっと凝集した「そのオーケストラの音」を聴きたいと思う。
昔のドレスデン・シュターツカペレやベルリン交響楽団なんかの。そういう意味では私には合わない催しである。が、私の趣味は偏向しすぎていて、私が評価するものは世の中の大勢にはならない。
Alice in wonderland
「不思議の国のアリス」の方が良い。私の語感で「in」だと、wonderlandという境界がはっきりした「国」があり、「その中」に居るように感じられる。「の」方が、国の境がなく広がりがあるように思われる。とは言え、「in the」でないのは、多少緩和されるかも。英語に詳しいわけではないので、こんな語感役にも立たないが。
「龍と柳」第十五回。一龍斎貞寿の講談と柳亭こみちの落語。
楽しかった。講談の話の聴き方が少し分かってきた気がする。落語にも面白い噺と人情噺があり、噺によって「聴き方」が同じでないような気がするけれど、それを少々外延したようなイメージで良いようだ(この書き方は伝わる言語化であるとは思わないが)。目を瞑って聞くのも良さそう。ともあれ、「楽しい」と思ったのだから人生の得が増えた(徳ではないね)。
「寿限無」は真打ちがするような噺か?と思いきや、こみち流の寿限無。これは真打ちがトリの前でするには意外性もあって良い噺だった。前の「植木屋」と少しく重ねるところも上手い!
さすがに最近は女性落語家を意外に思う論評はないと思う。鈴々舎馬風が女性を演じて面白いのだから、女性が植木屋(男性)や和尚(男性)を演じて面白くなることはありうるし、こみち師匠によって実現されている。
『三方目出鯛』は、武家の話ながら少々落語っぽさもある。とは言え、話を貫く「清廉」はやはり講談ならではか。ともあれ、最近の政治・社会は「言った者勝ち」「権力には阿り、弱者はいじめ抜く」と言った濁世の感が強く、清廉であることを良しとすることに強いあこがれを覚えた。そうした現実的感興とは別に、話としても聞いていて面白かった。
東京国立博物館に行く。
昨年、美術館・博物館・科学館に行かず、バカになって来たので。心して行く。
前回行けなかった東洋館(常設展)狙い。面白かった。行って良かった。
ガンダーラ仏像が特に良かった。美術史においてギリシア・ローマ彫刻は出来が良いし、「ルネサンス」だって「遅れている欧州がやっとギリシア・ローマ並に追いついた」観があるのだけれど、ガンダーラ仏像はギリシア・ローマ水準と感じる。
石で出来ているのに、ふくよかで突付いたら凹みそうな頬、ざっくばらんに組んだばかりの脚、聡明さと深い悩みが感じられる表情。どれも最高の彫刻ではないだろうか。
それに比べると、東に来るほどコピーが甘くなって来て、生命感が失われ、規範的・説明的になって行くように感じる。もちろん、それはそれで醸し出される詩情があり香気があって面白いのだけれど、ガンダーラの古代仏の凄さには言葉もないというくらい。
売店で買ったのは、『マンガ 「書」の歴史と名作手本―王羲之と顔真卿 』、『マンガ 「書」の黄金時代と名作手本―宋から民国の名書家たち』、オリジナル手拭い二本、ドレミはにわ。
根津で昼食、東博、秋葉原まで歩いてコンデンサーを買い、岩本町から下高井戸に電車で移動、コーヒーを飲んで帰宅。なかなか良いコースだった。
NHKドキュメンタリー「72時間」を見る。
これを見ていると、人間が頭で考えて作った「ドラマ」の浅薄さが改めて思われる。様々な場所に様々な悩みを持った人々がいる。
そう思うと、公助ももっとしてほしいし、共助にももっと参加せねば、と感じる。残念ながら現在の権力者にそういう方はごく少ないようだけれど。
大病院移転の回は、以前見ているのだが、もいちど見てしまった。この移動の線表を書くと思うだけで胃がよじれる思いがする。「病院移転」なんてそうそうあることではないだろうし、そうした知識・経験を持った「ベテラン」がこの世の中にそうそういるとも思えぬ。この病院の責任ある者が、(たださえ通常業務があるのに)頭を絞ってあらゆる知識経験を使い、想像力を広げていくしかない。そしてまた現場の人々。常時勤務者も、おそらくは移動のための短期勤務者も居るであろうけれど。勝手のわからぬ中で責任を持って働く人々に頭が下がる(もちろん移動で全てが終わるわけでなく、その前後の切れ目のない医療活動もたいへんである)。
微笑ましいと思ったことふたつ。
一つは、子供の付添で長期病院にいるという女性。移転の機会に「1日外出」。外出後「髪を切りましたね」とNHK取材班に言われている。
そう言えば、私の家族が長期入院していた際も、「前髪がとても長い付添女性」が病院におられた。後々近所のスーパーマーケットで会った時は「髪を切って」いた。病院に長く居る不自由さを自分は分かっていなかったのだなあ、と。
も一つは、老タクシー運転手さん。「今日、娘と彼女が来る」と小指を立てて見せる。以前見た、沖縄のローカルヒーロー「獣神マブヤー」の登場人物に「おばあ」がいて、相応の年齢の女性なのだが、「おばあ」には若く(あまり働きがなさそうな)「彼氏」がいた。沖縄という土地のこれが真実なのだろう。
バレエ「バフチサライの泉」における長いチェロ独奏
https://www.youtube.com/watch?v=Z1g5jmxe23I
https://imslp.eu/files/imglnks/euimg/d/db/IMSLP386533-PMLP624979-Asafiev_Fountain.pdf
バレエ音楽といえば基本的には派手めで楽しい。その中でこれをチェロ独奏でやらせる意味があるのかないのかは疑問が残るけれど。
シュットックハウゼン「光の日曜日」チラ見。凄いものだ。高橋美千子さんという凄いパフォーマー。
ルイ・ド・フュネスの喜劇映画「ラビ・ヤコブの冒険」(ニューヨーク ⇔ パリ大冒険)のダンスについてChatGPT先生に教えていただく。
ダンス自体はユダヤ風の映画用創作。
が、映画の立ち位置や評価を読むと、単なる喜劇ではない様相もあり、勉強になる。
差別主義で排外的で偏屈なブルジョワ親父が、
ユダヤ人ラビに成り代わり、
アラブ人革命家と追われながらドタバタする
という差別そのものを笑い飛ばす映画ということで。
日本における類似作品は、映画にはなかなかないらしい。残念。
お正月休みのオーディオ遊びとCDリッピングについては長くなったので別稿。
ラステームRSDA202なる小型デジタルアンプ。
見かけは安っぽいがそれなりに音質は良い。外付け電源が4Aあるのもデカイ(音質への寄与も、専有空間も)。
裏のゴム足ひとつがいつの間にか失せている。ゴム足は粘着性のある両面テープで貼られていて、基本的には置きっぱなしなのになぜ失われるか。不思議。
代わりのゴム足を買おうと思っていた。が、昨年夏、商店街のお祭りの際に拾ったスマホデコレーション用のシールを思い出した。
雑踏の中で使いかけの1枚ペラリを拾ってはみたものの、警察に持って行ってもと思い、そのまま手元にあったもの。0.5mmくらいガタがあるが、結構これで良さそう。なんなら全ての足を代えるだけのシールはある。星とハートになってしまうけれど。
手回し発電機を作って遊ぼうと思うのだが、ハンドルをモーターに直結したくないので、スプリングジョイントを使いたい。
が、Amazonで見てもスプリングジョイントは長く売り切れである。一方、ユニバーサル・ジョイントはふつうに多種類売られている。
うーん。ユニバーサル・・ジョイントなんて激しく憧れの的であり、簡単に入手できると思っていなかったのだが(良い世の中だ)。
とは言え、衝撃吸収などの面からのスプリングジョイントの利はあるし。。。「その辺にあるスプリング」をジョイントにするのも一手かも知れぬ。
手回し発電機の用途は大型鉄道模型(LGB)を動かすためである。庭に線路を敷いて、子供(道行く子供)に遊ばせると面白いかも、と思ったのである。
スプリングジョイントを使いたいのは、昔々初めて使った時の喜びが忘れられないからであって、上記の理屈はまあつけたりである。
ジュール・シーフ Joule Thief について調べる。
回路そのものは「武蔵野電気のブレッドボーダーズ」で読んだことがある。電圧低下した電池の残りを「搾り取る」ことで、LEDを光らせるもの。
簡単な昇圧回路だが、最近は専用ICがあるとか(たとえばYX805)。正式名称としては「昇圧DCDCコンバーター」と言ったところか。
外付け部品は必要で、最小のものだとインダクタ1つで済むらしい。お値段は一個数十円。主な用途は、庭用の太陽電池つきLEDランプだとか。
と思っていたら、昔秋月電子で買った似たようなキットが出てきた。
庭の月桂樹の枯れた幹からパイプを作ってみたい。形式的には喫煙パイプ。
とは言えタバコを吸うつもりはないので、薄荷草でも入れようかと。
ネットで調べると、鉄鋼業における鋼管づくり、ビジネスマンの人脈づくりが出てくる。もちろん喫煙用も出てくるけれど。
スマートフォンの「NFC」は Near Field Communication。
古式ゆかしい Network File System とは違うのであった。
スイスとスウェーデンは違うシリーズ。
https://www.youtube.com/watch?v=6pKHV0mh_ws
なかなか楽しい。外交メッセージっぽいのも良かったがロックもいいぜ!
早野凡平氏の「帽子芸」は、昔テレビなどで見たものだが、フランスに起源があるとは。
https://en.wikipedia.org/wiki/Chapeaugraphy
Chapeaugraphyを名乗る帽子屋さんもある(いろいろ変形できる帽子でないのは当然だろう)。
吉良吉田あたりの宿泊施設を調べる。
「シャインズ三河湾」。安くていいではないかと思いつつ、立地に記憶がある。
そうか、企業の厚生施設。昔、チェロパートにこの企業の家族がおり、パート合宿をここでした記憶がある。
言っては何だが、つまらないメンツのつまらない合宿だった。私は音楽的理想のない者を尊敬できない悲しい人間である。
そう言えば、その後もう少しマシなチェロ合宿をしたことがあるが、その時も別な企業の厚生施設を使ったのだった。
ファゴットは「兵器に見える」ネタにされがち。
空港の荷物検査で「楽器だ」と申告しても「兵器だ」と言われ、吹いて見せても「兵器を偽装している」と言われたと聞く(おそらくは都市伝説)。
と思っていたら、対戦車ミサイル 9M111 ファゴット なんてものがあるのね。
フォネティックコード。
最初に制定されたITU(1927年)は、おそらく当時の無線常用者である船舶系に意を用いて、多くは港湾名を使っているようだ。
アムステルダム、ボルチモア、カサブランカ等など。我がヨコハマが出てくるのは嬉しい。
例外は「X」。クサンティッペ(ソクラテスの嫁さん)。男性社会であったろう船舶関係者・無線関係者の冗談でもあるように思われる。
もちろん「全体として聞いた時、他の単語と紛れることがない」条件で仕方なく選んだ(ことになっている)のだろう。
チェコの芸術映画(としか言いようがない)「悪魔の発明」
https://www.youtube.com/watch?v=uuhO1aJDxws
スペース・オペラ映画 STAR CRASH。
なんというか、「スペース・オペラ」と言えば何をやっても良いという側面はあるものの、いかにもB級な映像表現。
これを見ると、スター・ウォーズが如何に素晴らしい映像表現であるかが理解される(SWであっても当時の限界を感じさせる部分があるけれど、SCに比べると遥かに高品質でよく考えられている)。お姉さんが薄着なのがまたB級。トレーラーだけで充分かな。
映画 A Song Is Born
当時一番面白い音楽家を集めて作っているらしく、どの場面でも面白い音楽が展開するようだ。
GoldenGateQuartetの実力たるや!(後年よりもこの時の歌唱の方が良いように感じる)。
クラリネットを登場させたいためか、冒頭はブラームスのクラリネット五重奏の第2楽章、38分のところでは、ベートーヴェンの「街の歌」。
クラリネットの男、クラシックもジャズも達者に吹く。と思ったら、ベニー・グッドマン。そらそーだ。うまいに決まっておる。メガネがいつもと違うのでわからんかった。
まあ、本人自身が「ベニー・グッドマンなんて知らない」「楽譜がないと吹けない」などと言って初心なクラリネット奏者の演技をしているのでしかたがないw。
話の筋自体は、アメリカの喜劇によくあるドタバタで顧みるほどのものでもない。最後のオチもまあこんなものかと言うところ。
ダニー・ケイの歌った歌に「チャイコフスキー(およびその他のロシア人)」なる珍曲があるらしい。
映画 Wild Target
イギリスの喜劇映画。まあこんなもの。ハリー・ポッターのロン役の役者さんが出ている。主要脇役とでも言おうか。似たような役柄。
トルコ時代劇 Kuruluş Orhan
いつの間にか、Kuruluş Osman が終わり、息子オルハンの時代になっている。しかもブルサ城包囲のまま9年が経っているとか。
多少失礼な言い方だが、「水戸黄門」と同じように「時代劇」なので、全体としての脈絡も特に必要はないのであろう。敵と戦い続ける男たち(と女たち)の物語ということで。
チェルクタイ(オスマン部下)、ボラン(同じく)、丸顔の部下、アラエディン(オスマン次男)、ゴンチャ(その妻)役のみ不変。他はオスマン含め全て代替わり。
第一話でいきなりボランが敵に捕まって地下牢で拷問されているが、おそらく大丈夫。そのうち助けが来る。
でも、あの格好良かったオスマンは老い、バラハトゥンは傍らにおらず、マルハンハトゥンも老いて、私は悲しくなってしまう。
麿赤兒(b1943)と赤星昇一郎(b1955)を混同しているね。
坊主頭の怖い顔というだけの共通点だが。ウルトラマンオーブにカフェの店長として出演しているのは後者。
北九州空港 (初代)
1997年ごろ一度着陸したことがある。北九州市に所用あり、通常は福岡空港便を利用していたが、その日に限って羽田空港に行くバスが遅れたために、次の北九州便に振替になったもの。よってして、着陸はしたが離陸はしていない。
「山の中」に降りるようなイメージだったが、それがため欠航も多く、滑走路延伸も難しいため、現在の海上に場所を移すことになったとのこと。
Wikipediaを見ると「1983年に定期便が廃止」とあり驚くが、その後を読むと、滑走路をわずかに延伸し、再就航した後に私が着陸、その後二代目に移行と知れる。無くなった空港や駅を利用したことがあるというのは本当に老人だね。
今月の誤字脱字:
対射砲:高射砲がふつう。あるいは対空砲。晶文社さんともあろうものが。
「新しい本の帯にはアリアさんの笑顔のアリアさんが載っています。」も編集途中っぽいな。
「新しい本の帯にはアリアさんの笑顔が載っています。」とするか、
「新しい本の帯には笑顔のアリアさんが載っています。」とするのが常道だろう。
https://www.shobunsha.co.jp/?p=1894
折りたたみ自転車を買ってから、面白そうな使い方を考える。
たとえば、鉄道路線がそれなりに近接しているが、通常は「乗換」の対象にならないところがある。そうした「ヒミツの近接駅」を自転車で結ぶのは楽しくはないか?(楽しくない、と言われれば返す言葉もございませんが)。
で、久留里線久留里駅と小湊鉄道月崎駅あるいは上総大久保駅を見てみる。Google先生によれば徒歩3時間。自転車移動にもちょうど良さそう。
と思いきや、県道32号線は意地でも通さない経路案内になる。調べると、「県道大多喜君津線(市原市国本)については、令和6年6月18日の大雨により土砂崩れが発生し、現在も全面通行止めを実施しております。」とのこと。なかなか賢い経路案内ではないか。
一方、真岡鉄道茂木駅から水郡線玉川駅が徒歩5時間。青梅線青梅駅から西武鉄道池袋線飯能駅までが2.5時間。信越本線磯部駅から上信電鉄上州七日市駅までは1.5時間。
などなど、考えるだけでも楽しいが、冬の寒さ・夏の暑さを思うと行動できる期間はごく短い。
米国がベネズエラ侵攻。ベネズエラは独裁政権だとか麻薬だとか言うけれど、侵攻する理由にはならない。
それで侵攻するならば、プーチンと一緒。
ところでこういう政治首班だけとっ捕まえるのを「斬首作戦」と言うらしい。
中国が台湾で斬首作戦をして成功する、という予想は私はしない。
台湾の人々は、中国政権に従うには自由な民主主義を味わいすぎているから、というのがその理由。
中国の長期戦略的には、香港人の自由を奪わなかった方が良かったのではないかな。
日本人の対中感情にも少々悪影響があったかも、と思う(日本の排外主義の勢いが大きくて、この悪影響は評価に値しないほど小さい気もする)。
ともあれ、殺伐とした世の中になってしまった。
自民党政権。滅茶苦茶。庶民として真面目に生きる気になれない。
我々が額に汗して真面目に働いているから日本社会は成り立っているのだ、と少々の誇張も含めて思うのだが、こんな輩が威張りくさって税金の無駄遣いをしていると思うと呆れて働く気にならない。悪事をなすならこっそり日陰でして欲しいなどというささやかな願いもお聞きいただけないのか。
米国トランプ大統領は、グリーンランドを併合しようなどと聞くも愚かなことを言っている。
かの国の人々は、 make Amerika go away. と言っている。なかなか良い。 make America great again. なんて言っている輩にはそういうべきだ。我が国も米軍基地にいる連中が不法をなすに対しては同じことを言うべきではないか?
ネットで見ていると、こうした揶揄も含めて、多くの政治批判戯画が海外で作られているようだ。昨今の日本ではそういうのは流行らないのだろうか?いわく「戯画が足りない」(通信回線の宣伝「ギガが足りない」に擬えて)。
昨今の急激な円安により諸物価上昇。
「静かな給与低下」と書いている方がおられ、大意は賛同するが、実感としては「音を立てて」と言いたくなる。
年末年始は呆然と過ごした。大掃除はもともと5月の連休・11月の連休にして年末にはしない派である。今年は10月・11月の本番ラッシュで大掃除をしなかったが、年末もしなかった(ひどい)。
とは言え、本を読み、少しはんだ付けをして楽しかった。老後は「楽しく」がテーマであるな。海外旅行など大きなお金がかかる趣味はないので老後は安心、と思っていたが、円安による物価の急上昇もあり、働くのを止められないかも知れない。それは気がかり。出来る範囲で働き、出来る範囲で「楽しく」生きていこう。「笑って死ぬる」のが私の人生の目標なのである。
成人式。
私が二十歳だった頃。成人式に行くつもりもなかったが、当日、家でゴロゴロしていたところ、友人に誘われたので、普段着ていた緑色のジャンパーを着て行こうとした。親に止められて、コーデュロイのジャケットに着替えた記憶がある。まあこれも普段着だが。
すでに式典が始まっており、会場(小学校の講堂)の中を覗いたがつまらなさそうな方がつまらなさそうな話をしていたので、かつて遊んだ運動場をブラブラしてみた。
そのうち式典が終了し、会場から出てきた同級生と立ち話をして帰宅した。
さて、これは成人式に行ったと言えるのか、行かなかったと言うべきなのか?
(そもそも成人式って何?綺麗なお着物を着て祝い・祝われることであるのはまったく素晴らしいことであり、皆さんぜひぜひすれば良いと思う。私とて、毎年、そうした若者を町で見かけると微笑ましいと思う。だが、他人がそうするのと、私がそうするかどうかは全く別なことである。)
やっていることは社会的不適合者そのものだね。
庭の棕櫚の実を野鳥が食べている。おそらくはヒヨドリ。人が食べるには向かないらしいが。
ネズミモチの実も食べている。こちらも人が食べるには向かない。そして、ネズミモチの木の芽はそこらじゅうから生え出てくる。
ネットでネズミモチの木の栽培方法を調べると「強健で放置しておいても伸びる」まさにその状況。
●鉄道模型趣味DB
鉄道模型趣味DBは面白い。記事そのものは入っておらず、題名や執筆者等の書誌情報しかないけれど、それでも充分に遊べる。
DBの基礎的な操作を学んでおいてよかった。
で、執筆者ごとの記事数を計算してみる。上位10位。
順位.執筆者 記事数
1.TMS 16,265
2.山崎 喜陽 732
3.小林 信夫 347
4.なかお・ゆたか 258
5.赤井 哲朗 200
6.片野 正巳 175
7.根津 達也 136
8.橋本 真 118
9.河村 かずふさ 102
10.いのうえ・こーいち 101
11.井上 武 84
1位はTMS(編集部)。製品の紹介など定期的・複数の執筆があるので当然だろう。
2位は創業者かつ初代編集長やま氏。これまた当然。
小林信夫氏は執筆数が多いだろうとも思っていたがここまで上位だとは知らなかった。ファンが多く、個人名で編纂された別冊が出るのも当然。
他はおおむね「そうだよね」という感じ。少々思いつきにくい根津氏は①車両製作等、②デジタルシステムの紹介、③ドイツの玩具メッセ等海外レポートを定期的に投稿、と言った形で多分野展開。井上氏は四国の方で公開運転会の開催レポートが主。1位が編集部なので、個人名として11位まで取ってみた。
執筆時期と私の購読時期の偏りなどもあるがこれら上位の方々は「よく知っている〜そういえば」のレンジである。
一方、私にとって忘れがたい「自由型ローカル電車のバラエティー 鯨川地方鉄道の車輌たち」(1978年6月号)の執筆者松井久明氏は執筆数1のようだ。1報でも忘れられない印象を残す方もある。
●鉄コレで名鉄5200系。
5200系は名鉄の名車中の名車だと思っている。スマートで実用性も高い。
(850, 3400, 5000, 7000 などは流線型でスマートだが、貫通しないので、実用性がちょいと劣る。まあ、4両+4両になった時、全車両貫通させる必要があるかどうかは別だけど)。
もちろん、大衆冷房車と言われた5500系の方が「優秀」ではあるのだが、デザインで見れば5500系の凸凹屋上より5200系のすっきりした屋上の方がスマートに決まっておる。一方、5000系は丸顔過ぎてスマートとは言い難い。
だがしかし、5200系最大の弱点は、「中間車がない」。そのため、5200系先頭車の間に断面形状が全く異なる5000系中間車を挟むことになる。
5000系の方が「太って」いるので、5200系から5000系が「はみ出し」た状態で走ってくるのが結構格好悪い。鳴海駅(地上時代)の緩やかな曲線で車体を傾げて入線してくると、この「はみ出し」が強調されるのだな。見ていると「うーん。なんでこんな車体断面の異なる車両を連結しているのか」と悲しくなる。
鉄コレ5200系は、高価なわりに、鉄コレ品質でプラ地肌丸出しなんだろうなあ。
名鉄は毎日乗って見ていただけに、印象が違うとがっかりの度合いが大きく、それがため模型を買ったことがない。
国鉄50系電車(クモハ11)の2扉・広窓・張上げ屋根のフリーを考える方がしばしば見られる(TMS旧号や河村かずふさ氏等)
私もそうした電車を多いに好む者であるが、よくよく考えると、名鉄3900系、3850系がほぼほぼ該当するのではないか。
これら系統の電車は、なんとなう新性能電車前夜、最後の旧型ロマンスカーの輝きとも言えるものかも知れない。が、特に名鉄のこれらは世の中に知られておらずもったいない気もする。
●名鉄パノラマカーの「ミュージックホーン」
https://www.meitetsu.co.jp/library/panorama_car/music/index.html
昔聴いていたのより、音が軽く澄んで聴こえる。特に最後の「ゔぉぉぉーー」。
昔の再生装置との違いなのか、屋外で使用されている各車両の装置が経年劣化であんな音になってしまったものなのか。
●「或る電車」デハ43200系
日本で最初の長距離電車となるはずだったが、関東大震災の影響で頓挫したもの。郵便荷物三等合造車デハユニ43850など格好良いではないか。
この辺りの木造国電の車内構造を見ていると、二等・三等ともロングシートになっている。最近のJR車両はグリーン車以外全てロングシートになってしまい、国鉄のクロスシートやセミクロスシートへの愛着から残念に思ったのだが、先祖返りしたとも言えるのかも知れない。
模型にしてみたいと思いつつ、なかなか(結局何もしていないので)。
●準急摩周
鉄道ピクトリアル「思い出のキハ20系」を読んでいたら、キハ22単行の準急があるばかりでなく、キハ22+キハ05というありえないような編成で準急摩周が走っていた話があった。
ARC資料館にも記載があり、Wikipediaにも『国鉄機械式気動車としては唯一の有料優等列車運用のケースである。』なる記載がある。
https://betsunoka.web.fc2.com/m/masyu8.html
面白い編成だ!これって、総括制御できないはずだが、2人の運転士でそれぞれ制御していたのか、それともキハ22がキハ05を牽引していたのか。機械的構造があまりに異なるから、後者な気がするが、さて。
●緑色の電車
昔の名鉄など緑色の電車があった。ChatGPT先生に教えてもらうと、以下のとおり。
軍用塗料との直接の関係はない。
とは言え、酸化クロム塗料というのは共通。あの頃の緑はそれしかない。
名鉄、南海、近鉄の違いは、黄鉛(クロム酸鉛)とカーボンブラックの添加量の差。
名鉄、南海、近鉄の順に暗いのが明るくなる。
ほとんど同じとも言えるが、人間の視覚は緑色の感度が高いので違って見える。
概ね納得できる回答であった。出典までは見ていないが、最初の方では、戦前の国鉄にモスグリーンがあったとか、山手線103系の「うぐいす色」の話をしてきたので、少々怒りのツッコミを入れた。いつもウソをつきやがる。
●病院の専用鉄道
英国の大病院が所有・運営していた「ヘリングリー病院鉄道」。最寄り幹線からひと駅。貨物と旅客を運んだとのこと。
凸型電気機関車の製造会社は不明だが、ドイツ製らしい、とも。
https://en.wikipedia.org/wiki/Hellingly_Hospital_Railway
http://www.pagenumberone.co.uk/layouts/Hospital/index.htm