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今週の戯れ歌

面白くなき飲み会に出るならばうたのタネでもはつか拾はむ

我の知らぬ原理の世にはあると知れ知りたきことも無かるなれども

理を知らざるままに政を為せる輩ぞ世を乱しをる

世のなべて滅び滅びよ滅びたれ滅び滅びよ我も滅びむ

嘘ついて平気な輩の憎くあり嘘の報ひの早く来るべし

暑き日を過ごせし一日を省みれば「暑し」の他に何もあらざる

なんじやもんじや咲き入る様ぞをかしかり一年一度の大盤振る舞ひ

忙しき仕事の間にはうたを詠み暇なる時にうたの出でざる

生きる為にうた詠むならばうたの為生きるにあらず下手なうたなれ

暖かき一日なれば糠味噌の早く漬かりて早夏来たる

休みとて行く宛とてもなかりけり練習あればもつけの幸ひ

鬱とした気持ちを晴らす術を無み明るきうちより盞を傾く

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今週の戯れ歌

空に浮かぶパンダバルーンを見上げてはスマホを向ける人々数多

愚かなる首相パンダは不要とてイキれど庶民はパンダ愛せる

歴史ある日中友誼の証とてパンダ来たる五十年前

パンダ送られ喜ぶ日々の歴史あり歴史を見ぬは「保守」であらざり

様々な歴史を無視し踏み躙る「保守」とは何ぞ

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読書の記録(2026年3月)

ヒゲのガハクごはん帖 梅村由美、山口晃
この方々は知人の知人の知人の知人…であるので、他人様の生活を覗き見るようでいささか後ろめたい気持ちで読む。
ともあれ同世代の人間として「町の駄菓子屋」のちからの入ったイラストには共感する。
添加物嫌いも同世代としてなんとなうわからぬではない。我々が幼かった頃、添加物を使いすぎていたし、添加物を使った食品は粗雑に作られてためにあまり美味しくはなかった。そして我々の母たちはそうした添加物に強い疑念を持ちつつ我々を育ててきた。そういう背景があるのだ、と私は思っている。
まあ、気軽に書かれたものとして気軽に見るのが良かろう。長野編、お蕎麦編などは特に自分も知るところであり「奴蕎麦を自宅に常備すべき」などと思ってしまったが、知人の知人の知人の知人…であるとしても他人は他人、私は私。

中世のパン デポルト
少しずつ読もうと努力しているが、進まない。なぜだろう。麦やパンの知識・経験が少なすぎるからだろうか。
中世ものは読める本と読めない本が極端に分かれる。ホイジンガ「中世の秋」や阿部謹也などは読みたいし読める。この本はどうも進まない。事実列挙が多く、その際様々な都市に言及するけれど、それぞれの都市を知らないことから読んでいて意味がわからないから、だろうか。

複眼人 呉明益 小栗山智
私の「台湾シリーズ」。ではあるのだが、登場人物が得体の知れぬ海民であったりするので、奇異の感情を免れない。そしてまた、おそらくは実景に根ざしている「歩道橋の魔術師」の濃厚な雰囲気と異なり、淡く朧な筆致が私を不安にさせる。地に足がついていないというか。
ある種の幻想文学として読まねばならないのだろう(歩道橋の魔術師はまぎれもなく幻想文学だが、それとも異なる)。
ともあれ、読むうちに少しずつ風景が見えてきたようにも思う。作者本人も書いているごとく、苦労して書かれたものであるらしいので。
と思ったが、やはり訳がわからないうちに終わった。様々な風景・登場人物が収斂もなく登場し去っていくように思われる。ちょっと残念。
訳は概ね良い。気になったのは以下程度。
 旧時の捕鯨 → 旧来の捕鯨、あるいは、過去の捕鯨?
 漬けの魚 → 酢漬けの魚、あるいは、油漬けの魚、醤油漬けの魚?
いずれも一般的には見慣れない日本語である。

第三軍団 張之路 高野素子
文化大革命から10年後の中国の学校(高校レベル)のお話。
学校予算が不足するので、校内で営業活動をしていたり、校舎を賃貸ししていたり、興味深い。隣国のことでありながらこうしたことも全く知らずに来た。小説が必ずしも真なりとは言えないにせよ、日々の生活感情の一端を味わえる点で端倪すべからず。
爽やかにしてよく読ませ考えさせるプロットも良い。
して、終段いささか我が井上ひさし「青葉繁れる」を彷彿。
そしてまた、尿の実験は、我が祖父の農学校の話としても伝わるもの。こんなところで出会うとはいささか懐かしくも嬉しい。
(プチ・ニコラでも、フランスの学校の雰囲気を味わえたのは面白かった。カトリック的な厳し目の教育だが、子供たちは自由奔放。小学校で男女別学らしいしいし、授業中におやつを食べていても何も言われない。などなど)。

訳は悪くないがカナ語が多いと気が散るので、漢語があるならばそうして欲しい(趣味の問題)。
 メロディ → 旋律、節など
 チャリティ関連、チャリティ団体 → 慈善関連、慈善団体
 レベル → 水準
 リーダー → これは難しいが 指導者、統率者?が却って良くないか?
 イケメン → 美男子、眉目秀麗 くらいで良いのでは?折角のご訳業の寿命を縮めるだけでは?
 バースデーカード → これはこの文言が良いように思った。「特別なもの」としての輝きがある。そしてまた読み慣れてきていることもあろう。

私のものではない国で 温又柔
この国にある方として並々ならぬ決意でこの国が誤たないように記されているように思う。けれど、結局この国は同じ過ちを繰り返しつつあるのかもしれない。あるいは、なんとか踏みとどまれるのかも知れないけれど。

日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実 吉田裕
日本軍は兵士を大切にしない。徹頭徹尾大切にしない。強い意志があって大切にしないこととしている。そう感じられる。
兵士の死亡の多くが飢餓であり、水没であり、そしてまた最終的に行き着く先が特攻(自殺攻撃)であることを思うとそう結論せざるを得ない。
あれは、今はなき大日本帝国がしたことであり、帝国陸海軍がしたことである。と思考を停止させない方が良い。
戦死賛美・特攻賛美が今なお行われているが、あれは「国家に対してもの言わぬ死者」が「国家に反抗せず国家の言うがままに死んだ」ことを賛美しているのであって、生きているあなたを尊重するものではない、と言いたくなる。(個人の思想信条はもちろん自由だが、国家・公人がそれを行うことはまた別である)。
「旧軍的なもの」は私の知る限り今なお日本の様々な場で吹き出している。空襲被害者への補償無視然り、公害患者差別然り、(過去のものとなっているはずの)管理教育然り。
「旧軍的なもの」は、旧軍とともに消え去ったのではなく、それ以前・それ以降にも通底する「真の日本文化」であるのかも知れぬ。
いわばずる賢い為政者とずる賢い庶民の騙し合いのような。
この本に書かれていることの部分部分は垣間見たことがあるけれど、「兵士=国民」の立場でその不幸の一断面を総覧している非常に優れた書物であると感じる。序章における略史も非常に意義深い。若い方の「戦争入門」としても良いように思う。
我々サラリーマンは「Culture eats strategy for breakfast」などと習い、「戦略だなんだと格好つけて見ても、時々刻々の行いにしみついた『文化』の前では無力だ」と骨身に染みて知っている。それ故、いち作戦の成功や失敗を超えて通底する「旧軍文化」をまざまざと見せつけるこの書は非常に重要と感じる。
最近のSNSにおける言葉遣いの悪さを見ると「内務班的」であると感じる。それもまた、そういうCultureが通底している現れなのだろう。
ともあれ、本書は「大日本帝国入門」として良書であると感じる。全方位を包括するものではないのはもちろんであるが、大日本帝国において結局のところ最大の重きを為したのは軍隊・戦争であったし、当時、軍隊・戦争と無縁であった日本人は考えられないのだから。
戦時に罹患した水虫がやっと平成に入って治癒したとの話も、それ自体はたかが水虫と思ってしまいがちだが、マラリアや精神疾患(PTSD)などの長期罹患を合わせて考えると、戦争の傷跡が癒えるまでに何十年もかかることは忘れてはならないと思う。

夜間飛行 サン=テグジュペリ 野崎歓
岩波の新訳。なかなか読めずにいたが、意を決して読み始める。
香り高い「文学」を楽しめる。楽しめることは楽しめるが、例によって訳語が気になり始める。
日本語があるものは日本語にしておくれよ。英語になったりするとどうしても英米臭がしてきて仏文の香りが飛ぶ。
メモ、テーブルクロス、スイッチ、ランプ、ジャイロスコープ、エンジン、サイクロンは(いちおう)許容範囲。
メッセージ、エリア、メンバー、ベテランあたりはなんとかならんか。
連絡、区域、人員、熟練工など。
サイクロンを「颶風」とした堀口大學の偉さよ。と(堀口教信者である私は)思うのだ。
ランプは灯火、ジャイロスコープは羅針盤、エンジンは発動機にしても良いと私は思うのだが(若い読者がどう思うかは知らず)。
この際、テーブルクロスは卓布、スイッチは開閉器、かな?

家守奇譚 梨木香歩 近藤ようこ
西荻ウレシカで購入。
「カラスウリ」なる章があるからという単純にして短絡的な購入理由であるものの、梨木香歩氏は「僕は、そして僕たちはどう生きるか」で拝見しており、信頼できる売り手・信頼できる筆者ということで。
空白の多い漫画(と言っていいのか)が快くも空気感を感じさせて良い。

『しなのんちのいくる』 仲曽良ハミ
ネット漫画。「少しだけ大人になった夏」が心に残る。
私の小学生時代の同級生、入学してすぐに仲良くなったナリタ君。2年の夏休みに心臓手術で亡くなった。どんな病気のどんな手術であったか知らないけれど。そんなことも思い出す。それ故、病気だったナッちゃんが元気になり学校にも通われているのがとても嬉しい(創作だということは解っているけれど)。
で、斯くの如くメッチャ良い漫画なんだが誤字を見つけてしまった。
「教師の鏡」→「教師の鑑」。だよね。もひとつ「孟特訓」ってなんだよ。「猛特訓」w。

さんてつ 吉本 浩二
ドキュメンタリ漫画。吉本氏の暖かい絵が救い。「ブラックジャック創作秘話」もそうであったが、これがリアル画風であったなら、あまりの怖さに読むことができまいと思う。
暖かい絵ではあるけれど決して現実の辛さを枉げていない。こうした作品を読み直すにつけ日本は戦争ができる国ではないし、戦争をしてはならないと思う。

レイアウト全書
或るレイアウトの一日 真空管による高周波発生回路の図が出ている。ここにある6L6なる真空管、そういえば我が家にあるぞ。。。
エレキット Tu-879S なる真空管アンプで使っている。
真空管による整流回路というのをそう言えばまともに見るのは初めてだ。半導体の場合、ダイオードを4つブリッジにして「全波整流」をするのがふつう。昔はダイオードを4使っていたが、今やブリッジダイオードのパッケージがある。
で、真空管の場合素子数を増やしたくない。真空管は大きいし、ヒーター電流を流すのでエネルギー(電力)を相当量使うし、発熱もする。 だから、トランスの二次側で、プラス側とマイナス側両方を出して、それぞれの半波が整流されるようにしている。なるほど!
と、そこまではわかったが、高周波の発信原理がわからん。私は、二極・三極の真空管の動作原理は読んで相応に理解した記憶があるが、五極管の動作原理で挫折したのだった。四極管は使いみちがないので、たしか存在しないのだった。あの本は友人から借りたのだろうか。「動作原理は真空管の方がわかりやすいから」「真空管と半導体の回路の基本は同じだから」と友人が父上の本を貸してくれたのではないだろうか。。。賢い友人であった。
彼からは同様に「半田づけ」の本を借りた覚えがある。もしかすると「電子工作」の本で、半田づけも真空管も同じ本に書いてあったのかもしれない。
半田づけも父上の古い本で、「半田ごてを炭火で真っ赤になるまで炙る」絵が付いていた。火鉢風の円い器に複数の半田こてが活けられており、取り替えながら使う・・・というのであったように思う。なお、私は電気式半田ごてしか使ったことがない。炭火はひと世代前であろう。

名古屋鉄道の貨物輸送 清水武ら
再読。私鉄・国鉄における貨物輸送についても触れているし、日本車両で製造された国内外向け鉄道車両の回送もあったりと多様で面白い書。
もちろん、私ごとき者が読んだとて何一つ役立てるところがないのだが、それこそが「究極のファンタジー」とも言える至高の価値を持つものである。
私が知る名鉄は貨物輸送を終えてからだけれど、そこここに貨車が残り、電気機関車がいた。そういう時代を懐かしむのも一興。貴重な写真が満載でそれを見るだけでもこの書を買う価値がある(価値があると思う人には!)。

古い鉄道模型趣味誌
某所で少々入手。古くからこういう雑誌を読み、きちんと保管している人が住んでいる土地なのね、と感慨。おそらくはきちんと工作して素晴らしい作品を作った方だったのではないかと想像。お亡くなりになったのか「終活」なのか。

英語で読もうとして挫折した Cambridge Quintet 和訳が出ているのね。
まあ、QuartetとかQuintetと名が付いた本を読もうという以上の情熱ではないとも言えるのだが、アレクサンドリア四重奏が文学であるのに対し、ケンブリッジ五重奏は科学哲学。

自分が買った最初の岩波文庫は「ツァラトゥストラはこう語った」。
サン=テグジュペリに「君が好きだったニィチェのことば」なる一文があり、それならニィチェを読もうではないかと思った。
サン=テグジュペリが新潮文庫だったので、ニーチェも新潮で見たけれど翻訳が古く読みにくそうだったので、岩波を買った記憶がある。
鳴海駅前の書店「家庭文庫」は新潮はよく置いてあったが、岩波はなかった。
中学生だった自分が岩波を買うならば、岡崎正文館、名古屋駅星野書店、同じく名古屋駅三省堂、栄の丸善、そして鳴海(と言っても北外れの)三洋堂のいずれか。残念ながらどこで買ったかの記憶がない。どの書店も中学生くらいで行っていた覚えがあるので、さてどれだろう。
一方、山家集や「こころ」を買ったのは、おそらくは杁中の三洋堂。

●雑感
川口成彦氏とLa Musica Collana によるベートーヴェン
「皇帝」七重奏版がやはり面白かった。室内楽的書法で書かれてはいないので、そうした緻密さとは無縁だが、構造が透けて見えて面白い。
繊細な音色とともに、アンティークのような、ガラス細工のような印象。古いオルゴールを回して寝入っているうちに、夢の中でガラスの国に入り込んでしまったような。。。。骨太ベートーヴェンとは全く異なる。
フルオケっぽさはやはり内声が頑張ってこそ。そしてまた、弾いて一番楽しいのはヴィオラではないか。VnVnVaのバスを弾いたり、VnVaやVaVcでデュエットしたり、なんかニクいw。
第二楽章のピアノが極美。そこから第三楽章にブリッジしていくところが素晴らしかった。
幻想曲は、びっくりな冒頭。ベートーヴェンが凝って書いたらしいことがよくわかる。
この人たちにベートーヴェンを弾かせようと思った企画者は偉い!(あるいはこの企画を許したホールの偉い人。お客さんも相当入っていたのが嬉しかった)。

RVW Song of Travel
管弦楽伴奏版があるんだ。でもピアノ版の方が良いかも。ちょっと大げさ。
特にクレッシェンドで入るスネアはやりすぎでは?もっと室内楽っぽく緻密に演奏してくれるなら良いのかも。
室内オーケストラで伴奏すると良いような気がする。
ジョージ・セル指揮、フィシャー=ディースカウが歌っていたなら…などと考えるもわろし。

古いブロクを読んでいると、カサド「愛の言葉 Requiebros」は2008年から取り組んでいるらしい。おそろしや。もう18年。
それでいて弾けるようになった気がしない。酷いものだ。
世間に公言しているわけでもないが、ここで恥を忍んでこうした「弾こうとしていて弾けていない曲」を指折り数えてみよう。
 バッハ無伴奏チェロ組曲 中学3年くらいで譜面を買って、いつも出してあるけれど45年弾けていない。おそろしや。
 モーツァルトのクラリネット五重奏、ブラームスのクラリネット五重奏、クラリネット三重奏もずっと譜面を見ている。
 レーガーの無伴奏組曲は2番だけ見ている。これも30年以上。
 ベートーヴェン、ブラームス、ドヴォルザークはまあさほどではないとしておこう。
凄い!こんなに弾けていない曲を、こんなにも延々と見続けているなんて。最大のムダ。最大の贅沢!精神の王侯貴族!

マレは Les Voix Humaines(複数形)
プーランクは La Voix humaine
プーランクはコクトーの戯曲によるそうだが、マレを想定したものではなさそう(根拠なし)。

音源を聴かずに楽譜をゼロから読むかどうか。
平成のはじめ頃、レーガーの無伴奏組曲の譜面を買った当時、音源が簡単には入手できそうもなかったこともあり、ゼロから読んで弾いた。
とても面白かった。でも、ふつうはやる必要はないだろう。あるいは非常に限定した状況で試してみる程度か。
私は無伴奏曲で実験しているし、人前での演奏機会もないので、誰にも迷惑がかからないのでそういう意味でも良かった。
ちなみに、一度だけ実演を聴いたことがある。取り組み始めて10年以内であったと思う。まあ、ドイツ系・バッハ風近代ということで想像しやすい曲であるからということもあるが、私の解釈はさほど間違っていなかったようだ。ただし、一箇所弾けないところをゴマカシていることに気づいた。わはは。解釈以前の問題だ!。素人だから仕方がないよね(莞爾)。
職業音楽家は、初演の依頼があるまでは音源前提で自分の演奏を確立するのが良いのだろう。我々素人に関しては、仲間内で誹られない程度に音源前提としつつ、遊び(実験)でゼロ読みもすればそれはそれで面白いと思う。

知人の演奏会で、ロザムンデとショーソンの三重奏を聴く。
ショーソンは初めて聴く曲だったが、いい演奏で聴けて良かった。
ロザムンデも冥く歌い続けるシューベルトの感じが出ていて良かった。
トリオは弾いたこともほぼないし、聴くことも少ない。つい「自分だったらどんな音色で弾くのだろう」と考えてしまうが、簡単な結論は「わからん」であった。困るわけではないが、我ながら阿呆で悲しい。とは言え、身近に室内楽志向のピアノ弾きがいるわけでもなく。

パリ管弦楽団の「小さな火の鳥」
https://philharmoniedeparis.fr/fr/live/concert/1133487-le-petit-oiseau-de-feu
抜粋しか聴けないが、音色感が「フランス風」であると感じる。
ドイツ風の骨太的とも異なる。ヴァイオリン奏者は日仏の教育を受けた方のよう。旧来日本人音楽家には妙な硬さがあったけれど、若い音楽家を見ると、留学経験のある方も多く、当たり前のように欧米最新の技術・音楽観と接続しているように思われる。これは素晴らしい良いことであるのだが、経済不調が顕在化する昨今、留学経験(だけでなく音楽活動層)の持続はできるのか心配ではある。
して、この編曲はチェロに過度の負担を強いておらず好感が持てる(私利私欲による判断)。忙しいのはピアノとヴァイオリンとクラリネットの分担。まあそういう楽器編成だよね。
私はオーケストラの団員紹介を見るのを楽しみにしているが、パリ管も高弦にアジア人率が高い。
そして「変わった写真」をつい探すのだが、フルートのオジサンが笛に噛み付いているのが一等!。
そして弦楽器ではコントラバスの皆さんが最も個性的。ティンパニの方も面白い。
こうした楽器ごとの傾向は世界的に同じなのだろうか。きちんとデータを集めて論証し論文化すべきだろうか?(一体何学会がそんな研究を受け付けるのやら。そしてまた関連する既往研究があるのか?)

シューベルトのピアノソナタをいくつか聴いてみる。
 Paul Badura-Skoda 「肩が凝らない」という評を見かけたが、たしかに磊落。生き生きとして悪くないが、デモーニッシュではない。シューベルトはもっと闇が深い方が良いなあ。
 Walter Klien 悪くないが。闇を欲する向きには物足りないか。
 Grigory Sokolov ちょっと響かせすぎるのと、粒が揃わない感じがあるかも。悪くないが。
 András Schiff もちょっと遅くて神秘的でも良いのでは。悪くないし、むしろ好きなのだが。
どうもすべてこの人!というのはなかなか得がたいようだ。今好んで聴いている田部京子を聴き直し、好きな小川典子やメジューエワが出てくるのを待つのが良いかも。
reddit.com でも話題になりつつ途切れているのがなんとなう皆が興味を持つことではないのねという感じ。
ともあれ、海外人士の議論を日本語で読むことができ、ネット動画で各種演奏者の録音を即座に見られるなど、王侯貴族以上の贅沢であるが、そこまで豊かになってもなお世界の戦争は終わらないのね。
田部京子様のD960。しんしんと雪降る冬の夜、闇の中にほの明かりを見出すような冷たさと暖かさを感じる。そう言えば田部様は北海道のご出身であった。
そう言えば、我が家にアファナシエフがあった。これも落ち着いていて悪くない。

世界中の弦楽器、左手で押弦、右手で発音(撥音または弓奏)が標準なのは変わらない気がする。
インドあたりが発祥ですべてその子孫なのかも知れぬ。そしてまた、撥で叩くダルシマー/ツィター系だけが例外…でもその子孫たるピアノ他鍵盤楽器の隆盛を見ればこちらが大道とも言えるのか。

Bach BWV270 オランダバッハ協会による演奏 Bach - Chorale Befiehl du deine Wege BWV 270
https://www.youtube.com/watch?v=VWEyNdu6IOw
https://www.bach-chorales.com/BWV0270.htm
マタイ受難曲で繰り返し登場する「ハスラーのコラール」。単独のカンタータになっているとは知らなかった。
この演奏、ソロとバス声部、合唱ソプラノとバス、後から内声と増やしているか?
この工夫もたいへん良い。マタイでもシンプルな和声からだんだんに複雑化していく(それがキリスト受難を見ている我々の葛藤となって伝わってくる)のが良いが、ここでもそれを再現せられているように思う。

NPR Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=sdaOtnuw-Ew
韓国のバンド。SsingSsingの衝撃には負けるかな。でも、韓国バンドは土俗性と現代性のバランスで一頭地を抜いているような気がする。
我が国でこの感じがあるのって、(私が無知なんだけれど)有名バンドではなさそう。てるりん(周辺)や高橋竹山は凄いと思っているけれど。
私が奇矯なものを追いすぎているのかも知れないけれど。
https://www.youtube.com/watch?v=QLRxO9AmNNo
SsingSsing の音楽って温度感がないのよね。色々表現してくるけれど常に乾いているし。それが不気味でもあり面白くもある。民謡風の演奏で無理に楽しそうにしているのって、聴いている方はいたたまれないのだが、そういうことがない。知的というかなんというか乾いている。
そしてまた、簡素な伴奏に、多層的な声表現。アニメ声の「あん・あん」に、女装男子?の「はぁ?」「はははは(乾いた笑い)」。
私は音楽に立体感を求めるものだが、これらの声表現だけでも「立体的」と言える気がする。
SsingSsingで検索すると、私のように中毒化してしまった日本人幾ばくかを見かける。みな同好の士だ!

我が家に録音があるスターバト・マーテル
ペルゴレージ、ボッケリーニ、シューベルト、ドヴォルザーク、ロッシーニ、プーランク、シマノフスキ

映画「ヨーロッパの開放」
R.シュトラウスを演奏する関係で最終章を見直す。
焼け野原のベルリン。地下壕では現実逃避でワルツを踊り乱痴気騒ぎをしている。ドイツ必敗は明らかであり、もはや何のための戦闘であるかわからぬ。それでも戦闘を止めさせぬヒトラーおよびナチス幹部。
現政権も同じ。中東からの石油が途絶すれば、エネルギーもプラスチック製品も作れず、医療が止まる。イランと交渉すれば石油が入手できるのに、交渉しない。緊急事態だからと改憲する布石、と読むのが正しいだろう。
私は改憲反対派ではないのだが、こんな現政権に改憲を任せて良いとは全く思えない。
ソ連とともに東部戦線で戦った自由フランス空軍があることを初めて知った。「ノルマンディ・ニーメン」。私の自由フランス空軍への興味は、サン=テグジュペリ関連でしかないのだが。

トルコ時代劇オルハンドラマ。
主人公オルハンの奥さんは Nilüfer Hatun 。あれ?ホロフィラではなかったっけ、と思いきや、ホロフィラが改宗/結婚で名を変えたという理解で良いらしい。
Wikipediaには Nilüfer Hatun の項があり、キリスト教徒だったことや、ホロフィラがビザンチン貴族の娘だったかなどにも言及がある(素晴らしい)。ドラマも相応に史実に沿いつつ若干適当に都合の良い説をとっているみたいね。
ドラマではビザンチン貴族の女性アスポルチャと鞘当てをバリバリしているが、それも歴史上あり得たかも・・・というのも興味深い。正直チャンチャンバラバラにも飽きてきたのだが、こういうのがあるとちょっと見てしまうよね。
記憶喪失のビザンチン帝国騎士フラビウスとトルコ人王族子女ファトマの許されざる恋とか、正体不明のドゥルスンとファトマの妹ハリメのツンデレ恋愛など胸熱展開でイイ!今回は恋愛要素で攻めて来るのね。
なおなお、この辺りを調べるとトルコのニュースサイトに繋がり、それも日本語翻訳して読めてしまうので驚く。
第16話。いつもながらにトルコの素敵な風景である。が、59分のところで、森の外を自動車らしき白い影が通り過ぎていく。
https://www.youtube.com/watch?v=Bp2BKofVuVk
イスラム教徒のカッコいい男性(または女性)にキリスト教徒がホレて改宗・結婚するというのはアラビアンナイトにも出てくるパターン。その際のキリスト教徒全般の描かれ方はなかなかヒドい。まあ、十字軍のやったことを思うと印象が悪いのも仕方がないかな、と。
第17話。みんな大変!(そうでないとドラマにならないが)。まさかフラヴィウスが死んでしまうのか!「神はない」と発言して驚いたが「アラーの他に」の字幕を私が見落としたな。
第18話。フラヴィウス存命。まあそうだよね。そうでないと困る(誰が)。フラヴィウスが意識を取り戻した時の音楽が、いつもの「イスラム教の動機」。荘重でなかなか良い。で、フラヴィウスの上司でもあったアスポルチャも感動しておる(イスラム教帰依のきっかけであろう)。
アスポルチャとオルハンもツンデレ系だね。請うご期待。

Jeeves & Wooster の動画、もうちょっとジーヴズが年長でも良い、と思っていたけれど、そもそも Fry & Laurie という喜劇コンビでやっているのか。それならそうなる。

世界最小の自動車P50.
https://www.youtube.com/watch?v=dJfSS0ZXYdo
BBCの自動車番組TopGearを見つけたのはこの動画からか。一般的な自動車に興味がない私なので、こういうきっかけでもないと自動車番組には行き当たらない。
TopGear "Mum Run" 。一般市民のための一般車両の試験ということで、いつもの車好き三人衆ではなく、その母達が競争。
と言っても、「エンジンをかけ、ラジオを調整して発車」のような「一般向け」試験なのが面白い。
Mum Runと言う言葉も一般的らしい。「ママさんランナー」みたいなのか(いささか陳腐な表現と感じるけれど)。
”Rover James” がまたヒドい。「イギリスの晴天」もヒドい。

孤独のグルメ
古い回。脇役が喋るが台詞棒読みの大根役者で微笑ましい。それが問題になるようなドラマでもないけれど。
一方、松重豊、田中要次、大杉漣、志賀廣太郎、角野卓造らは至芸といって良い自然さ。それ以上の有名役者は「濃い」。
この演技の「濃さ・薄さ」を役者同士でどのように合わせに行くのか全くわからない。

超音波カッター。工作用のものが1万円以下で買えるとか。
ミルフィーユを切るのに使えると嬉しいな(それは別だろうけれど)。
なんとなく動作原理は簡単そうなので、価格はもっと下がるのではないか?こういうのは普及すると安くなるからね。

MS-Excel でグラフを作成すると、縦7.62cm、横12.7cmが初期設定で作られるらしい。
この数値の並び記憶にある、と思うと、7.62mm, 12.7mmという機関銃の標準的口径だ。
(昭和の頃小学生だった者は、7.7, 12.7, 20mmが第二次大戦期の日本の戦闘機等の機関銃口径だったと諳んじている)。
すなわち、3インチ(0.3インチ)と5インチ(0.5インチ)のようである。
そもそも未だにポンド・ヤード法を使っていること自体「野蛮国」の象徴と思われるが、こんなところにもポンド・ヤードがあるとは!恐るべしMS。そしてまた、ポンド・ヤード法は、12インチ1フィートのように分数的扱いが多いと思っていたが、こんなふうに十進的小数点も併用なのね(こんなふうに不統一だからさらに野蛮だと感じるのだ)。

台湾の「借問站」(案内所)
借問てば詩語乃至禅語だと思っていたよ。で、無意味にちょっと嬉しくなる。
李白が流鶯に「こころみに問う」んじゃなかったっけ。

ロケット打ち上げ失敗。落ちながら回転している(タンブリング)をダンプリング(すいとん)と読み違う。愚かな私。
タンブリングはトランポリンや体操の技の方が一般的で、きちんとした説明は防衛省の用語集に。

ネットで「ベニヤのステーキ」なる語を見る。「ベニヤ合板」かと思いきや「紅屋」という屋号だった。

小説の題になっている「四維街」をネット地図で検索する。
台湾にはあちこちにある。もしかして「四丁目」みたいなのかな?それぞれの地のストリートビューを見たりする。
面白い。「鉄板焼」「涮涮鍋(しゃぶしゃぶ)」といった文字列も愉快。
「夜総会」はナイトクラブだそうだ。

飯田線周辺をネット地図でうろつく。
伊那地方における典型的な民家(昭和以前のもの)を探す遊び。そしてまた、井上井月の句碑なども。
改めて見るに、飯田線は曲線が多い。資金力に乏しい民間による敷設だったため、トンネルを掘らないため、あるいは、鉄橋をできるだけ短くするため、山を迂回し、谷を遡るため曲線が多くなったと聞くが、まさにそのとおり。紙の地図ではなかなか確かめられなかったが、ネット地図であればいくらでも拡大できるし、画像(衛星・地上)も見られるので、曲線や地理条件の有様もよく分かる。面白い。結局典型的民家はなかなか見つからないが楽しい。

アメリカとイスラエルがイラン(その他の国々)を攻撃
驚く。酷いことだ。イラン政府が人民を苛めてアカンとしても、武力攻撃はアカンだろう。しかも非戦闘員(小学生女子)を殺している。
そんなことが許されるはずもない。アメリカもイスラエルも権力者の権力維持のためだけに戦争をしていると感じる。
ウクライナを侵攻するロシアも同じ。人殺し国家。
「現実主義」の名の下にそんな国々の後追いをするのは庶民として悲しい。
高官を粛清している中国習政権の方が遥かにまともに見えてきた(香港の脱民主化で酷かったのは忘れないが)。
でもって、そんな国際的難事が起こっているのに石川県知事選挙の応援に行く首相って。国事の放棄ですか。 この方には早々にお辞め頂きたい。こういう人を辞めさせない「自由民主党」の諸氏も無責任極まりない(そもそも総裁に選んだのがアカン)。
しかし、アメリカは世界を不可逆な時代に引きずり込んでしまった。
これまでは露中が「反民主主義」で「独裁者の国」であり、米欧が「民主主義」で対抗してきたが、単純に力で対応しているに過ぎないことになってしまった。仮に米国の次の大統領が(オバマのように)まともな人物だったとしてどのように過去を精算できるのか。そしてまた、民主主義と独裁という軸のある世界に戻ることももちろんできない。
日本は最大限曖昧化してとにもかくにも「敵を作らない」戦略しかないと私は思うのだが、このまま扈従的対米追従を続けるのだろうか。
私は政治的主張をしているのではなく、庶民感情に基づく義理人情を述べているに過ぎないと思う。

詩人パブロ・ネルーダのWikipedia記事を読み、「ニクソンサイド」なる言葉を知る。
Nixon+genocide で、ベトナム戦争における虐殺批判の意とのこと。
ストラヴィンスキー>>文化自由会議(CIAの反共文化機関でネルーダへの対抗キャンペーン実施)>>ネルーダ、と連想。

私は自分のことを右翼(たぶん極右)だと思っている。
若い頃アジア人留学生と付き合うことができ、国は違っても人情は同じであると感じることができたし、それぞれの国に成り立ちがあることも感じた。
よってして日本の成り立ちも大切にしなければと思ったからであり、以来、万葉を初めとする日本の古典に触れたり、縄文以来の歴史を学び、近代の失敗についても悲しみつつ学ぶようにしている。そしてまた、我々の先祖がそうして来たように、日本以外の東アジアについても多くを学ばねばならないと信じている。
それ故、排外的「日本だけが素晴らしく他はアカン」という考え方には一切与しない。
小学生の時、町を隔てる川に行って「隣町の奴、バヤカロー」と石を投げ(どうせ届かない)以来、そういうのは卒業した。
そしてまた、日本のアカンところはアカンと言うことも愛であり、大切だと思っている。
とは言え、残念ながら現代の流行りの人間ではないね。

と思っていたら、収益性の低い博物館・美術館は閉鎖するという文化庁方針の報道があった。
もう我が国は文明国であることを止めるのか、と悲しむ。「貧乏なので文明国であることをやめます」と言うならばまだ「正直」と思うけれど、軍事費を倍増しておいてそれはなかろうと思う。今後人口減少下にあっておそらく戦争はどんどんしにくくなるだろう。「するならば今のウチ」という心もあるのかないのか。
そして貧乏国であっても教育に投資するのが将来のためと言うものではないか。そこに博物館・美術館は必要ないのか?
私見では、昭和生まれの我々より平成生まれの若い人たちの方が画力は格段に高い。子供の頃からきれいな絵を見慣れている(絵本然り、アニメ然り)。そういう豊かさのひとつとして美術館があるべきではないか。もちろん博物館・科学館も同様。こうしたものを大事にする社会であるから、美術家や研究者が育ち、新しいものが作られていく活気ある社会ができる。それが大人の知恵というものではないのか。

ネットの占い(もちょっとそれらしいが)が、私に似た人と言ってくる人々。
 レオナルド・ダ・ヴィンチ=アイデア倒れですべてが未完成
 マリー・キュリー=放射線防護せず実験し癌で死亡
 シャルル・ド・ゴール=フランスの高慢な軍人
 ナイチンゲール=臨床看護師に見える統計家。この中では一番まとも?結構ブリブリ怒っていたような気がする。
 ファーブル=私の好きなタイプだが、常に貧乏。貧乏を脱して学究生活に入ることを夢見つつ生涯貧乏。
まあどれも好き好きはともかく、どなたも平衡を欠いていて幸せには程遠い。「似ている」と言われたくないタイプかも。
https://work-personalities.com/results?type_code=INTP_INFJ
この占い(ではなくて)仕事診断の「似た人」には東洋人は出さないのだろうか。そもそも英米辺りで作ったシステムを日本語化しただけなのだろうか?
ところで、「方丈」というのは、「理性が認識できるごく狭い範囲」の比喩と聞いたことがある。そして「方丈」の外には理性を超えた森羅万象があることを含意しているとも。
東洋思想の徒であるならば、認識の範囲はごく狭いという態度はむしろ常識的とも思う。私としては「老荘」や青蓮居士謫仙人李太白に似てると言われたいのだが(孔子は好かん)。これら思想家・詩人は「仕事」ではなく「生き方」であるかも知れず。
マップで最も近そうなのが「政府規制関連準専門職」だったのは笑った。

「時定数」
一般には「じていすう」だが、JISでは「ときじょうすう」だと初めて知った!
「天満効果」。吉松隆の交響曲などに言及する優れたサイトを見つけたが、時々誤字が。
「天馬効果」のことですね。「天満効果」だと、なんとなう大阪風に思える。
そういう自分も「北海道大学低音研究所」としていたね(楽しい)。

もしかして、AIに「●●国を攻撃し、政府に敗北を認めさせる最善手は?なお、当方の現有戦力としては●●国軍相当とする」と尋ねると答えてくるのだろうか?
なんとなくではあるが、民生AIは「答えられない」と答え、軍事用・研究用にそれっぽいデータを食わせたAIならふつうに答えて来るだろう。
もちろん、答えを求める以前に食わせるデータが十分であるかによって、有意義な答えかは決まる。
おそらくはあまりに多くの因子が絡み合った社会動向に関してAIが学習するに足るデータ(あるいはパターン)が得られていないので、あまり意味のある答えが出てくるとは思い難い。が、その確信があるわけではない。

Cocologのアカンところ:
スマートフォンで見ると広告だらけ。しかも見たくないようなタイプの広告。
Google検索・Being検索にかからない。自分の備忘として困る(美貌じゃないよ)。
Markdownが使えるのは良いが、デフォルトとして固定したい。毎回ボタン押すのは面倒。

で、Noteへの移行を検討すると:
Cocologからのエクスポート・インポートをこまめに繰り返せばできそう。一括はできない。エラーメッセージが不親切だが、何らかの容量制限であろう。
文字列主体なのであまり困らないが写真の移行は面倒。
行間に空白が大きく入るタイプのデザイン。Cocologであえて空行を入れていると開きすぎる。
インポートされたデータの日付が2014年4月7日12:00以前の日付の場合、2014年4月7日12:00の日付でインポートされる。2004年からBlogを書いている身には困る。
Bloggerやはてなについても調べるか。まあ、暇になってからで良いし、暇になった頃には移行する意欲も減退している可能性があるね。

Tomix C55を買う。
スポーク車輪が良いと思って買おうか迷っていたが、密閉式キャブや火の粉止めがない方が良いし、と思って見送っていた。
一方、好きなC51の上回りを3Dプリントで供給してくれそうな方がおられ、下回り用として1台を中古で確保した。
走行性能、プロポーションは良い。密閉式キャブや火の粉止めは、走行させている分にはあまり気にならない。
ただし、スポークが抜けていないのが残念。走らせた部屋があまり明るくないこともあるが、繊細なモールドのスポーク車輪は、ほとんど平盤同様に見える。KATOの8620で「向こうが透けるスポーク車輪」を見てしまうと贅沢になるね。
しかもC51に改造したところで、スポーク車輪はそのままだ。塗装タッチアップでスポークを強調することも考えてみるか(考えるだけで終わる気がするが)。ドイツ国鉄のように、赤スポークなら・・・と言ったところか。

米デスヴァレーで10年ぶりの「スーパーブルーム」
トランプ政権の聖性を寿ぐもの…という言説に結びつかねばよいが、と思いつつ見る。
笹の花は不作の年にこそ現れるのではなかったかな?
私は一度笹の花を見たことがある。小学校の裏手の日陰で。昭和50年ごろ。

ジュール・フェラ 科学イラストレーター、ジュール・ヴェルヌなどの挿絵でも知られる。
たまたま甘汞について調べていて出てきた。非常に見やすいイラスト。
子供の頃、社会科読み物で「チーズ製造方法」など読んだ。あの頃、写真掲載が難しかったので、イラストが掲載されていたが、フェラの繊細さに比べると大変簡単なものだった。そう言えば、甘汞の話は小学校の同級生から聞いたのだ。賢く物知りの友人。どうしているやら。
フェラが寄稿していた「ジュルナル・デ・ヴォヤージュ」も素敵。現実と空想の双方を記した雑誌!
ヴェルヌ「皇帝の密使ミハイル・ストロゴフ」もこの方の挿絵。熱血愛国冒険小説てな感じでSFではないのだが、スピード感もあって、昔々楽しく読んだ。シベリアにおいては積雪・結氷期の方が高速で移動できるというのもこの書で知った。そう言えば、昔の「社会科読み物」には、林業説明ページもあって、山間地では積雪時の方が下草を気にせずに済み作業しやすいなどとあった気もする。そしてまた「木馬」は「きんま」だ。
2019年の林野庁パンフレットを見ると「修羅(しゅら)、木馬運材及び雪そり運材は、現在、林業の現場でほとんど使用されていないことから、修羅による集材又は運材作業、木馬運材及び雪そり運材に係る規定を廃止します。」と出てくる。「修羅」てのも凄い名前であるな。

藤森商会 (帯広市)がWikipediaトップページに現れる。
そうか。帯広の「インディアンカレー」も駅前の食堂「ふじもり」も同じ会社の経営か。
つまり、私の帯広訪問では、結局、昼食・夕食とも藤森だったのか(後悔はない)。
どちらも、なにか温順で善良なお店だった。気軽で親しみもある一方、少しの贅沢・特別な感じもあって非常によろしい。また、帯広に行きたいものである。どうせなら冬がよかろうか。
ついでにエスタ帯広についてWikipediaで読んだが、殺伐とした記事であった。無念。

Wikipediaを見ていて、K、C、F以外にも温度指標があることを知る。
ランキン、ドリール、ニュートン、レオミュール、レーマー。なるほど。

チュルリョーニス展(上野)、ラダ展(伊丹)がある。行きたい。
チュルリョーニスは演奏会がある日もある!ラダは伊丹以外ないのだろうか?

爪やすり、紛失して数ヶ月。岩波文庫に挟まっていた。読まずに放置していたのね。
昔、空港の手荷物検査で「細い棒状の金属製品」が探し出せず手間取った(手間取らせてしまった)が、この時も爪用に使っていた金属やすりが文庫本に挟まっていたのを失念していたため。
今回は、再読し始めて、出先で「なんか紙の栞でもないものが挟まっておるな」と見つける。

三夕のうた
「心なき」はすぐ思い出せるとして、「見渡せば」が次に浮かぶ。で、三つ目がわからん、と思い。いつもの「あ・い・う」法を試みるに、「みわたせば」の次の「む」、と思ったところで「むらさめの」が即出てくる。なかなか素早い!。
 心なき身にもあはれは知られけり鴫たつ沢の秋の夕暮
 見渡せば花ももみじもなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮
 村雨の露もまだ干ぬ槇の葉に霧たちのぼる秋の夕暮
まあ西行のうたの、特に上の句から下の句に向かって深まる強い寂寥感に比べると「花ももみじも」とか「霧たちのぼる」とか穏やかなうただよね。

で、ボケ防止にと「あ・い・う」と始まるうたを思い返すが、「え」で詰まる。悲しい。
「あひみての後の思ひにくらぶれば」あるいは「あまのはらふりさけ見れば春日なる」「あはれわれあまたの春の花を見て」「あはれ見し乳房も今は忘れけり」「雨混じり雪降る夜の」(長歌)、「いのちあれば今年の秋も月はみつ」、「うれしきは君に逢ふべき契りありて」あるいは「うれしきは常に好める焼き豆腐」。
なお、多少の誤りは気にしないことにしているが、上の句と下の句が実は食い違っているほどの大きな過ちがあるかもと思わぬでもない。
もちろん、調べれば「え」で始まるうたなどすぐ出てくるだろうけれど、ここは不効率を尊ぼう。

桜餅
時々行く和菓子屋さん。桜餅かおはぎか迷う。
家族で食べるのは夕食後だから、夕食前にひとりでもう一個食べるという悪いことを思いついた。
ゆえに、おはぎ4つと桜餅1つ。おはぎだけ包んでもらって、桜餅は「なかったことにする」から「そのまま」で。
悪いことは楽しい。こんな「悪いこと」は特段他の迷惑にならぬのだからよかろう。
もちろん甘いものを自由に食べられない方もあるから「こっそり」行う前提ではあるけれど。
若い頃、愛好していた「みどり園」に似ているのが良い。
こういう好みはなかなか難しく、高級すぎてもアカンし、庶民的すぎてもアカン。
和菓子屋さんは世の中にたくさんあるが、なかなか好みに合うところはない。まことに仕方がない。(が、先様のご商売を考えると「難しい」のだろうなと思ってしまう。私の好みが狭いこともあろうけれど、世の中の様々な好みに合っていなければやっていけないだろうし、私の狭い趣味に合ってしまうと世間から遊離しそうにも思えるし)。

若くして亡くなった方の話を聞く。
理由もなにも知らないけれど、悲しいことである。
(後に感染症であると聞く。若いのに。若いのに)。

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