読書の記録(2026年4月)
人間の大地 サン=テグジュペリ 野崎歓
私は堀口大學教の狂信者なので、おそるおそる読んでいる。ヒドいことを言えば、堀口・野口両訳のどちらを読んでも感じられる詩情はサン=テックスのもの、堀口から感じられるのは堀口の訳業、などと思ったりしている(それが不正確であることはいちおう分かっている)。
とは言え、堀口時代に情報不足で訳しきれなかったところもあろう。そういう意味で、野崎を参照しながら堀口を鑑賞する、という態度が私には良いのかも知れぬ。
と言いつつも、気になる点を書いてしまおう。
「機械が人間をだめにする」。口語ではこのように言うけれど、サン=テックスの文章をこのように訳しては欲しくない。
せめて「機械が人間を堕落させる」とか。「機械が人間を無能/無気力にする」とか。言い様はないのかな?
題名についてもTerreを大地とすべきだろうか。堀口はおそらく聖書的解釈で「土地」としているように私は感じている。
人間の土地・神の土地として分画的に。人間の領分を含意しているとも思う。
大地とすると、何か区画・限度があるようにあまり思えず、この点でサン=テックスの意図を表現しきれていないように感じる。
もちろん「土地」として、我々が日常生活で見て・売り買いしているような印象を与える危惧は持つけれど。
とは言え、野崎訳としては「人間の大地」の方が「夜間飛行」より読みやすかった。訳がこなれたのか、私が訳に慣れたのか。あるいは、サン=テックスの文章において、飛行機操縦の専門語などカタカナ語にしたい単語量に違いがあるのか。
とは言え、堀口訳の詩情を懐かしく慕わしく思いつつ、最後まで無理やり読んだ。申し訳ないけれど。
そう言えば、阿部謹也「ドイツの歴史」冒頭で、欧州の国籍差別の話が出てくるが、「人間の土地」末尾のポーランド人移送問題も直接ではないにせよ、そういうところに繋がる。「人間の土地」を読み始めた頃知らなかった事々が少しずつつながる。そういう読書は良い読書だ。
ネットで「人間の土地」と検索すると、検索候補に「人間の土地 あらすじ」と出てくる。これほどまでに「あらすじ」を見て意味のない書も少ないと思うけれど、それでも「あらすじ」を見たい人がいるのだろうか。
同じ様に、ルバイヤートや牡猫ムルも異訳を買ってあるので、読まねばだね。
家守奇譚 梨木梨香 近藤ようこ
相変わらず淡々と面白い。それぞれの話は薄味だが味わいの違いははっきりしている。
近藤ようこさんの絵は繊細で素敵。
(だが、鉄道趣味で鉄道風景などを研究してきた者から見ると、家屋の建ち様、田畑、鉄道などはも少しそれらしいと嬉しい。作品の本質には関係なくはあるのだけれど。特に田畑は難しいよね。地形の自然さとの兼ね合いがあるから)。
京大マガジン0号 失敗
こういう軽い雑誌は好き。見知らぬ世界を覗けて楽しい。一方で、「内輪ネタ」があると興醒め。この雑誌はその点気を使われているようだ。
湯川秀樹の「先生ではなく『さん』付け」論も京大らしくて良いな、と思う。そしてそれをそのまま受け取るだけでなく、軽くではあるが分析しているところも。
スペイン人料理人=歴史研究者による「狸汁」随筆も凄い!こういう「変な研究」(超褒め言葉!)があるのも京都大学らしく良いと思う。
うったて
岡山の文芸無料雑誌。表紙の天川栄人氏のお姿に惹かれてもらってくる。そもそもこういう軽い雑誌が好きだからというのももちろんあるけれど。
知らないことがたくさんたくさんあることが知れて面白い。
なお、北九州の「雲のうえ」も好きだったが、2025年に廃刊決定とか。残念。
葬送コンチェルト
台湾の漫画。絵がうまい。一方、漫画表現のぎこちなさが少し見えると感じるのは私日本人が漫画を見すぎているからか。
日本の葬祭習慣についても自分がよく知っているとは思わないが、台湾の葬儀について知ることになろうとはまさか思わなかった。仏教ベースだが(日本がそうであるように)土着的習慣も多くあり、また現代化も進んでいるといったところ。この所種々読んでいる台湾もののひとつとして、台湾を(ほんの気の所為だが)多角的に見られるようになったかも。
面白い話なので、も少し数を読んでみたい。紙幅の関係もあろうが、話は速い。そこもじっくり描いていただきたくもある。
天幕のジャドゥーガル トマトスープ
お気軽に遠い時代の遠い世界に行かれ楽しい。酸鼻を極める宮廷陰謀劇ではあるのだが、かわいい絵にごまかされてつい読んでしまう。
私ごとき者には理解及ばぬ時代・世界のことながら、だんだん主人公の活動の根源が分からなくなる。大きな「歴史の流れ」からすると、そんな感情は些細なことにしか過ぎないのかも知れない、とも思ってしまう。
カラスウリ 藤丸篤夫 有澤重雄
写真絵本。カラスウリ愛好家として買わねば。
花と実を中心した描写。ふつうそうなるだろうけれど、そうなると「たくさんのふしぎ」の春夏秋冬をあつかった「カラスウリ」の工夫が際立って来る(失礼な感想ですが)。
古い鉄道模型趣味
61号。鉄道模型社の広告。「金矢」を使っているのね。「金失」忌避はもっと後の話だと思っていた。「金或」(正確には異なるけれど)を使うのもある。発煙装置はこの頃からO番等で既にあったのか。蒸気機関車B20実物に「使いみちがない」と明記。自分は子供向け図鑑が出発点であるし、「公式」っぽいのはこういうマイナスポイントはあまり書かなかったから大人になるまで私はこうした悲しい事実を知らなかった。
298号。大船のBookOffで見つける。リバース線を「回帰線」と訳すの賛意を表するなど面白い。「南回帰線・北回帰線」とは無関係の「回帰線」。
G&D鉄道「最後の写真」は、「関水金属が販売したC62」だとか。不鮮明な白黒写真を見て「あれ、日本型かドイツ・オランダあたりかな?」と思って、ミキスト本文を読んで驚いた。正確に言えば、G&D鉄道の線路上を走る機関車ではなく、線路脇でライブスチーム模型として走らせているアクセサリ。そしてC62は「ネクタイどめ」というタネ。とは言え、それはそれで面白い。確認すると「G&D鉄道の写真集」にもこの写真は収まっている。なかなかよく見ないと見逃してしまうね(この写真集も素晴らしい)。
300号。表紙の走行写真は当時としては非常に努力して撮影された記念碑的映像だったのね。1000号でも登場する久保田氏。内閣に所属する写真家。鉄道趣味人にもいろいろな人がいるものだ。
コンセプチャルガール パピヨン本田
1ページめからツッコミどころ満載で楽しい。
文化部に「強豪」って不思議だな、と前から思っていた。吹奏楽部もまた然り。
自分が大学生時代、オーケストラをやっていて良かったのは、こうした「強豪」概念が希薄だったこと。
私の価値観では、「裕福で頭の良い学生たちが良い先生に見てもらってきちんと演奏している」オーケストラよりも「地面から生え出てきたような学生たちが自分たちで考え、苦闘しながら演奏する」オーケストラの方が数段面白かった。
私は、部活動の「強豪」の無思考性が嫌いなのだと思う。「勝つ」という目先の小さな価値観に振り回され、思考がコンクールでの判定基準にだけ収斂するような。
宇宙は広大無辺であり、自分が今此処に於いてどのように生きるか。それを考えることが生きるということであって、それを放り出して重箱の隅を美しく塗り上げてもねえ、とつい思ってしまう。
というようなことまでも考えさせられるところが「コンセプチャル」なのではないかな、と愚考。
シベリアに憑かれた人々(加藤九祚 かとう きゅうぞう)、劇場(ブルガーコフ)を読み始める。
シベリア研究にスウェーデン人捕虜たちが関わっていたのも全く知らず。
また、九祚が読めず調べると、シベリア抑留者でもあった、と。
ブルガーコフはドストエフスキー的ドタバタで始まり面白い。どいつもこいつもロクデナシ。主人公も脇役も。
それでいてどこかに聖性を帯びているような気がするのもロシア的。
書店アンダンテで「送別の餃子: 中国・都市と農村肖像画」(井口淳子)、「ゲは言語学のゲ」(吉岡 乾)を購入。
特に前者はなかなか自分が他の書店で見つけられる気がしない。そう思って他の本に先んじて買ってみたが、読み始めてなかなかに関心していることろ。灯光舎、忘れないようにしよう。
雑談サイトreddit
「恐れながらご報告いたします。ヤロスラフ・ハシェク著の「兵士シュヴェイクの冒険」を読んでおります。」
https://www.reddit.com/r/books/comments/18mtx4x/humbly_report_sir_that_im_reading_the_good/?tl=ja
日本語翻訳の精度が高い。岩波文庫のように(日本の)軍隊調に訳されてるように見える。
なぜかSumoLogicなる言葉に行き当たる。
https://www.sumologic.com/
なんだこれ。日本相撲協会が怒りそう。私が知っているSumoではなく、別なSuperUltraMovingOrganizationみたいなのかも知れんし。
某所にて、ある作家全集を見る。なかなか高い。もちろん高い理由があることなので、その値に文句を言うつもりはないが、ならば買うか買えるかというとそれもまた違う。
そもそも値段が書いてないので店主に尋ねる。ネット価格がいくら、持ち帰りなら値引き。半年経って売れなければさらに値引き。私が目をつけた本は結構な割合で売れてしまうのだが、半年間値引きを待って買った、となると私も寝覚めが悪い。表を歩けなくなる気がする。さて。
とは言え、ひとりの作家を固め読みするのは、なかなか良い。ひとりでもそういう作家があるのは幸せなことだ。
中学に上がった頃、サン=テグジュペリで同じようなことをしたかったが、文庫以外買うお金がなかったので、戦う操縦士、南方郵便機、夜間飛行、人間の土地、星の王子さまで終わってしまった。評伝・評論も少し買って読んだりはしたけれど。大人になって城塞を買ったが読めないままどこかにあるはず。死ぬまでには読まねばだね。私も城塞の「族長」くらいの年齢ではないのかな?
大学に入った頃、夏目漱石で同じようなことをした。岩波文庫を踏破し、岩波にない分を新潮文庫(坑夫)、ちくま文庫(薤露行)で補充した記憶がある。文明論集や日記(抄)などは息切れしてあまり読んでいないけれど、それでも相応に目を通すというのは良いものだ。
その後、社会人になってドストエフスキーを相応に読んだ。なぜか賭博者のように投げ出したものもあるし、「作家の日記」も拾い読みだけれど、一応そこまで行ったのは自慢してもよかろう。
宮沢賢治「そもそも拙者ほんものの清教徒ならば」から菊芋について調べ始める。
すると一般社団法人日本菊芋協会なる団体があることを知る。なかなかに驚く。
しかし、賢治のこの文章からはなかなかの諧謔味を感じるし、言葉としての面白さ、調子のよさが感じられる。そうした意味でも、賢治の作品は黙読だけでなく、音読・朗読そしてまた演劇・歌劇など「音」としての楽しみを多いにしたいものだ。
中学生の頃、合唱指揮の本を読んだことがある。西洋人が書いたまったく参考にならないやつ。
「教会などで管弦楽と一緒に演奏することもあると思う。チェロは意外と面積を必要とするから気をつけろ」と書いてあった。
当時、合唱部員だったけれど、教会でも演奏しないし、管弦楽と一緒にすることもないしで、「本当に役に立たん本だ」と思った記憶が。
中学生ながら背景となる社会的・文化的事情が、日欧で大きう違うことを痛感した。
●雑感
R.シュトラウス「メタモルフォーゼン」本番。
まあ、いつものように「ヨレ」て演奏している。もっともっと基礎から練習しなければ、だね。
デュポールに取り組んでハイポジションの怖さが少し減じたけれど、それとても得意なポジションと不得意なポジションが歴然としてあるし、美しい飛び方が確実にできているわけでもない。もっと練習しよう。
曲自体は面白かったし、楽しく演奏できたのではあるけれど。
(本番前に急に多忙になったのもあるけれど、それは言い訳だよね)。
現在の持ち曲
Beethoven Op.132 (7/11)
Mozart K.421 (7/11)
Tchaikovski Symphony No.6 (7/4) お遊び
Mozart Symphony No.41 (7/4) お遊び
選曲中 (10/17)
Beethoven Symphony No.9 (11/1) ほんとかな?
デュポール読聴会第4回
前回細かく見るのを諦めた。今回は最初からぼやっと全体を見るつもりで行っている。全体を見た印象が残れば、自分が演奏(練習)する際のイメージになるであろうから、という魂胆。ただし、自分が特に苦手とする弓(弦との接点を中心)と、左手の型を変えないままのポジション移動はつい見てしまう。まあ、細かな指使いとしてではなく、体全体の体勢っぽく見ているということにしておこう。
練習曲が音楽的であることから、デュポールの後進に対する愛情を感じる。21の練習曲もそうであるし、試論内に記された練習曲・断片もそうである。
今回の話で忘れたくないのは、フレーズの行き着く先を安定して弾くための逆算的フィンガリング。確かに、昔々(30年以上前)追い詰められるまで移動しないフィンガリングを見た記憶があり、「そこまでポジション移動が嫌いなのか」と驚いたのを思い出す。
お誕生日に聴くCD。
推しの島根・丸山どっちが良いか、と思いつつ、自分のチェロ演奏に凹んでいるので、ここは丸山(伴奏は島根だけれど)。
ヴァラチーニのソナタ。沁みる。長調の6番から短調の7番への推移が殊に良い。
普段使わない真空管アンプで聴くにふさわしい。己のへなちょこ録音を「良い音」で聴くと、自我崩壊の危機に瀕するけれど、丸山・島根の美音を訊いていると、いい気分である(結局島根CDも聴いた)。
次回演奏会のため様々な曲を聴く。
バッハのゴルトベルク変奏曲。1時間もかかるのだから弾く気にならない。
30も変奏するからで、勝手に弾けない変奏を間引けば・・・。
メシアン「鳥のカタログ」全曲
たいへん申し訳ないが、この曲はほぼ初めて聴いた。本当であれば何らかの予備知識を持って聴くべきもののようにも思うが、何も知らず聴く実験をさせて頂いた。武蔵野市民文化会館の値段設定にほだされたとでも言っておこうか。
一回聴いて何か見通せたり語ったりできるような曲ではないことがよく分かった、というのが正直なところ(阿呆の感想)。
そして、日本人(私)は「鳥は可愛い」と思っているところがあるが、フランス人(メシアン)は必ずしもそうでなさそう。
私が思い浮かべる鳥は日常町中で見る雀や目白などの「可愛い鳥」とドバトやカラスなどの「困った鳥」。
メシアンはどうやら猛禽から小鳥まで、フランスの原野を飛んでいるのを見ているように思われる。
なんとなう「荒野に生きる猛禽・野鳥を追った動物ドキュメンタリー」の音楽のように思われた。
ピアノの音は非常な美音。でかい音もうるさくない。ピアノ自体もよかろうが、奏者も相当の達者。
谷口知聡氏。覚えておきたい。終演後ご本人は「休憩ごとに人が減るかも・・・」とおっしゃっていたが、そういう意味でも修行プログラムだったのは否めない(私は修行が嫌いではない)。
私自身の勝手な希望を申し上げると、セヴラックやモンポウもありメシアンもありの演奏会にして頂くと学びもありつつ楽しい演奏会になりそうな気がする。まあ、メシアン全曲のような衝撃に欠けるので、谷口氏の志向に合うかは不明だけれど。
フォーレ「ドリー組曲」
ピアノ二重奏版。ティッサン=ヴァランタンとピュイグ=ロジェの演奏をLP時代に聴いていた。
少々のんびりした、こもった音(よく言えば温かい音)。同じCDを買った。LPの方が音が良かったような気がする。若干キンキンする。
とは言え、お洒落だが優しい良い演奏。
ORTF弦楽四重奏団
こんにゃく座の歌役者は「沖まどか」さん、指揮者は「沖澤のどか」さん。
どちらも素晴らしい音楽家。だが、私はつい「沖のどか」さん「沖澤まどか」さん等と混同しがち。
ご本人に呼びかける機会がないので無問題ではあるが、家人からは当然怒られる。
ご両人が共演することはあまりなさそうだが、「ピーターと狼」の朗読を沖まどかさんがされたりすると私は喜ぶ(欣喜雀躍)。
しかし、こんにゃく座を続けてみていると、役者というのは本当に様々な役柄をこなすし、しかも、それがご本人の普段の表情と大きく異なる「恐い」役であることもしばしばである。この「恐さ」というのは、本人が恐いと思っている場合もあれば、舞台上の他の役を恐がらせるものでもあり、また、もっと大きく観客に危うさを感じさせるものであったり様々なのだが、そうした様々な「恐さ」を表現しうること自体が、私には「恐い」。
役者恐るべし、としか言い様がない。
Haydn 2032 なるプロジェクトがあるらしい。ハイドンは1732年生誕であるからして2032年すなわち生誕300年に向けた取り組み。
そう言えば、ハイドン生誕10万日だったかの演奏会が以前あった気がする。
計算すると2006/1/14。もう10年以上前ですか。
2032年は6年後。自分は生きてはいそうですね。そろそろそういうことを考える年齢。
アラビア音楽は良い!
https://www.youtube.com/watch?v=7psxruQ0EeQ
Alf Leila We Leila 千夜一夜物語
https://www.youtube.com/watch?v=IxJQQ20zdjg
エジプトの超有名曲。ここで演奏している方々がどういう方なのか知れないが、堂々として「様になっている」。
良いな。有名歌手が歌われているのもいいけれど。
このような「エジプト・中東風ヴァイオリン」ってどんな歴史があって、どんな曲があり、どんな教育システムがあるのだろう。非常に気になる。
以前、中国旅行の際、中国風ヴァイオリン二重奏曲の本を買ったことがあり、中国でもヴァイオリンの中国化(あるいは中国音楽のヴァイオリン化)の動きが多少なりともあると思ったけれど。我が日本においても、ポップス系の伴奏でもふつうにヴァイオリン(属)が使われている。こちらは、日本風の音律で弾いているとも思えず、なかなか独立した分野となっていないものの、同じ流れと言えなくもない。
このような、各国・各地域のヴァイオリン属楽器の受容と変容を見るのも面白そうだ(鶏卵的同時多発なのは間違いないだろうけれど)。
シャンカール(子)を久しぶりに聴く
https://www.youtube.com/watch?v=1h4dI2pW8vg
前に聴いた時より良い!真空管アンプ+DALIスピーカーというのもあるかも。
ピアノ+女声あたりは平凡かも。私が新規性を求めすぎているのやもだけど。と思ったら、バスが変なことをし始めたので、少しいい感じに。
しかし女声合唱は平凡に感じる。新規性を・・・。
Isata Kanneh-Mason ピアノ奏者
https://www.youtube.com/watch?v=QFGWCRXkWns
活き活きとして良い!TinyDeskConcert はアップライトピアノなのがちょいと可哀想だが。箱庭的音色の中でよく歌っている。
学校の音楽室でものすごく上手な人がピアノを弾いているように聴こえるよね。
大きな歌がある時はそれに従っていて良いが、緻密なところはちょっとバラバラして聴こえる。アップライトだからか。若さの限界か。
Facebookで「プロコフィエフに温暖化なし」なる翻訳が見えるのが謎。No warming in for Prokofiev
Google翻訳だと「プロコフィエフにはウォーミングアップは不要」。
ChatGPTに10通りに訳せと言っても概ねその方向。そういうことらしい。ウォームアップが必要ないという意味が分からんが、いつでも準備ができているほど日々生活そのものがプロコフィエフです、と言った所なのだろうか。
兄貴Shekuのチェロも凄く達者。「楽譜」を見て弾いている人間ではない(ニクい!)。
https://www.youtube.com/watch?v=o3h6i2GXUhg
録音の仕方にもよろうけれど、ピアノとチェロの響きが団子にならないのも素敵。
ところで「時には母のない子のように」(Sometimes I Feel Like a Motherless Child)は伝承曲なのね。知らなんだ。
なんとなうカルメン・マキが歌っているとだけ知っており。
スウェーデンの「セカンドハンド・オーケストラ」
https://www.youtube.com/watch?v=6pKHV0mh_ws
楽器がセカンドハンドなのか、楽曲がセカンドハンドなのか・・・ということか。Wikipediaにも項目があった。
スウェーデンはスイスではないシリーズ。
Amaia: Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=6tCjflXY9CM
若干癖が強く聴こうか止めようか迷うけれど、相応に面白い。「音づくり」に興味があるらしいところが良い。皆さん複数の楽器をこなされているのも「音づくり」への興味のゆえと思われる。
BBCのドラマ The Other Bennet Sister ちょっと見たい。
オースティンの小説「高慢と偏見」に登場するベネット五姉妹のうち、最も地味で雑に描かれているメアリーの物語。
俳優さんも、メアリーの愛嬌がなかったり、あったりする様をうまく演じているように見える。
田辺聖子「私本源氏」には、「本編では不幸になってしまう女性たちへの田辺の最大限の愛情」が見られて素晴らしいと私は思っているが、この作品にも同様の良さがあると期待させられる。
客車が逸走しちゃったのね。
https://www.youtube.com/watch?v=VPmm5rVVsvA
機関車走行シーンは明らかに早回し。だが、なぜそう思うのか。なんとなうわかるんだけれど。背景のざわめきみたいなのかな?
「作り物」であるのは明白でおそらくハッピーエンドになるのも明らかだけれど、古い時代の展望車・機関車が見られて嬉しい。
ひき肉を食べ続ける日々
ある日、お昼ご飯にキーマカレーを食べた。そう言えば昨日のお昼ご飯はガパオライスだった。
と思うと、一昨日の夕食はミートソース、昨日の夕食はミートソース流用のグラタン、この日朝食はミートソース入りオムレツ。
もしかして、晩ご飯は麻婆豆腐ではないかと思っていたら、家人もそう考えていたとのこと。でも豆腐を買い忘れて野菜炒めに。
とは言え、翌日は麻婆豆腐であろう。我がひき肉の日々は続く。
(ひき肉好きなので、特段気にならない)。
高級はちみつ。
もらいものの「菩提樹はちみつ」を食べる。香り高く美味。贅沢に馴れると生活が苦しくなるので、高級品には接しないように生きているけれど、たまにはこういうのも良いなあ。
近所の家の塀に自動車がぶつかったことがあり、家の持ち主に写真を撮って連絡したお礼に頂いたもの。ありがたや。
今月の誤字
低音調理 → 低温調理 そもそも見つけたのが、録音テープの乾燥処理。「低音」になってしまいそうな場面だ。でも、カセットテープなんか熱で歪みそうだが。
「スタイリッシュなルッキングも沙流ことながら」。久々の大ネタ。
元北海道民としては「沙流川」に言及してもらって嬉しい。靴屋さんの宣伝文句。
「1986年JR末期」→「1986年国鉄末期」または「1986年JR化直前」だろうな。JRは2026年になってもまだ存在するぞよ。
鉄道ピクトリアル「事業用車特集」。まあ、この本を読む人にとってはこの程度の知識は常識中の常識であるからして問題はない。
以前「戦災」を「繊細」と誤っている例もあった。大量出版ではない専門誌はそういうものと思って読むべきだろう。
「ギンリョウソウ(銀龍草)」を「ギョリンソウ(魚鱗草)」だと思っていた!発話の機会がなかったのがもっけの幸い。
「貴重な 管 弦楽器の弓」→「貴重な弦楽器の弓」。「管弦楽器」という言葉もあまり見ない。「管弦楽」あるいは「管楽器・弦楽器」だろう。
ストローヴァイオリンみたいなのを思い出して期待した私が愚かだった。
大鍋飯
ネット(X)が自動翻訳前提で動き始め、各国の人々の発言が見られ面白い。
で、韓国語話者の日本語訳に「大鍋飯」が出てくる。元は中国語で、大鍋で飯を炊いて皆で食べる「(働かなくとも他の人と同じ様にご飯が食べられるという意味で悪しき)平等主義」を言うらしい。
食で例えることさすが中国人と思うたり。
一方、「大鍋飯」で検索すると「西班牙風大鍋飯」が多数当たる。どうやら「パエリア」のことらしい。これも面白い。
昔の録音媒体に懐かしさを感じはするし、独特の音質に惹かれもするけれど、安定性・利便性・多数の音源・新しい音源と考えると今更LPレコードやカセットテープに戻れる気はしない。
MDも導入しなくて良かった(俺賢い)と思う。CDもチェックサムすら入ってないのは今となっては欠陥規格だが、時期を考えるとまあまあ仕方がないとも思うもの。でも、その規格を途中で一切変えなかったのもなんだかな。変えられない規格だったのが命取りとも言えようか。
初めて買ったCDは、ワルター指揮マーラー交響曲第1番、インバル指揮マーラー交響曲第5番、クレンペラー大地の歌、の3枚だったと記憶する。1枚3,500円時代。
おそらく名古屋駅の松坂屋百貨店にあったヤマギワで購入。
昔々、集合住宅に住んでいた頃、父の古い下着を表に干しておいたところ、風で飛んでいった。
見つけた人が住宅の階段の上がり端にかけておいて下さったが、みすぼらしくて恥ずかしいということで、母はその下着を持ってゆくことができず、長くそのままにしていたという(暗くなってから帰宅する父は気が付かなかったかも知れない)。
私は、ある時七階で執務中、向かいの集合住宅のベランダで布団を干そうとして、風で煽られた布団が飛んでいくのを見たことがある。布団は飛んでいったけれど、干そうとした人が落ちたりせず安心した。
四月の朝。
新しい通学路に惑う人もあり初々しい。
そして資源ごみ回収の朝、昨年度の教科書がもう紐で括られて置かれている。そんなに勉強が嫌いなのかな?
あるいは完璧に履修したからなのか?
そしてまた、ランドセルが入っていたと思しいボール箱。中身のランドセルは今頃新入生の小さな背で踊ってもいようか。
四月の朝は楽しい。
乗車の際、車内で「ピ」が必要な電車に乗った。
本当は一番前の車両で「ピ」をせねばならない車両だが、後ろの降り口から乗ってしまった老婦人がおられた。
ご婦人は、乗ってから「ピ」をせねばと車内で前に移動していく。
事情を知らぬ人々が「ここに座れ」「席を譲る」と立ち上がること私から見えた範囲でも数名。
ご婦人はそれらを断りつつ、前に向かって進んで行った。
なかなかに美しい風景。「ピ」をせねばのご婦人。席を譲る人々。
ネットで同性愛の方の話をみかける。
なんというか「ふつうだ」と感じる。
私は異性愛の人間だが、「異性ならなんでも良い」というわけではなく、種々様々な条件による「好きなタイプ」がある。
そしてまた同性愛の方も「同性ならなんでも良い」というわけではなく、「好きなタイプ」があるようだ。
考えてみるとそれはそうだよねと思う。愛の対象として見るスコープがどこを向いているかだけの違いではないか、と私は感じる。
細顔と丸顔のスコープが違うように、異性と同性のスコープが違う。そんな風に私は感じている。
(スコープなく「異性ならなんでも良い」「同性ならなんでも良い」という方も居られるかも知れないが、あまり思いつかない、というだけのことではある)。
1990年頃、最後の手書き卒論の方がおられたように記憶する。
シベリウスで卒論を書く文学部生と、卒論がないので清書を手伝う法学部生がよくツルんでいた。
大学オケの木管と弦楽器の人たちだったが、弦の人は卒論の内容に文句を言ったりしなかったのか気になる。
日本人(男性)の悪事自慢みたいなのは何だろう。
万葉和歌にも「酒飲んでダメにならない奴はほんとダメ!」なんてあるし、東アジア的親交の深め方に一緒に泥酔するというのがある気がするけれど。
「道徳を踏み越えられるオレ格好良い!」漫画も多かった。
日本は長い歴史において常に技術と倫理を輸入してきたので、こうした輸入コンプレックスから輸入品を否定すると倫理も否定されるということかも知れない。
私自身、「倫理」より「人情」と解釈しようとする部分があるが、これもまた、輸入品否定の気持ちではある。
だがさらに「不幸の均霑」(オレより幸せな奴は許せない)は人情にすら優越しているのだろうか?
そしてまた、そういう「不幸の均霑」は日本だけでないようにも思われる。
燃料費高騰につき、海外の演奏団体が来日を断念するかも、と聞く。
確かに生半可な燃料費高騰ではない上に、大幅な減便が予定されているのだからな、と納得。
今現在、外来音楽家のチケットはレオンコロ四重奏団の一枚だけだ(過去数年ほとんど聞いていない)。さてどうなるか。
機会があって少しばかりご馳走を食べてはみたけれど、もしかするとこれが最後のお魚かもと思わぬでもない。
石油がなければ漁船は動かず、トラックも動かない。料理屋さんからは「コースのみ」と言われたが、できうる限り在庫を減らしているのやも知れぬ。肉についても同じであろうから、豆を買っておくくらいしかないだろう。
斉諧生先生がTwitter上におられるのを発見。浮月斎先生らとともに、一時は毎日(以上の頻度で)読んだ音楽批評ブロクたち。
お元気そうでなにより。今にして思えば「我が国で一般化途中の黎明期のネット」だったのだ。
あの頃のネットには「凄い人」がいた。凄くない人もいたのだろうし、凄い人でネットにいない人もたくさんいたに違いないが、ネットのお陰でお会いすることができた凄い人々も幾人もある。今更ネットでそうした「出会い」はないかも知れぬ。まあ、仕方ないよね。
当時はネット接続できるのは、それだけのお金と技術と時間的余裕がある人々だった。そう思う私は立派なインターネット老人。
TA2020デジタルアンプ修理。
と言っても、電源が壊れたのを入れ替えただけ。12V3Aの電源が通販で850円。
本当は電源が壊れた理由を調べて対応すべきだが、経年劣化であろうと決めつけて何も考えずに交換。
よく見ると、電解コンデンサのひとつが破裂している。以前使っていたPCも電解コンデンサ破裂で止まったのだった。
さて、電源交換により、前より音が少し細くなったような気がするが、気の所為だろう。そもそも、40年前のS-X7なるスピーカーをテストで鳴らしても携帯ラジオ以下の音質。
その後繋いだ Tannoy Mercury2 とても、コンデンサが寿命(寿命でないコンデンサだけ交換した)で、高音が出ていないので、何がなにやらではある。
ネット広告で「ゴルフバックの宅配」。オラには関係ねぇ。まあ世の中の大勢と行き方(生き方)が違うのである。私は。
古くから使っているNiftyのメールアドレス。スパムばかりが来る。
しかもスパム分類力はGoogleに劣る。まあ、仕方がないけれど。
昔は知人友人とはこちらを使っていて、一部どうでも良い広告をGmailで受けていたが、完全に逆転した。
さてどうしたものか。NiftyにはCocologで依存しているけれど。
朝、家の前で掃除をする。お子さんを乗せた自転車が何台か走ってゆく。
ある一台が通った直後、何か白いものが道を横切ったようだ。
お子さんが「消しゴムを落とした」と一言。自転車を止めて戻ってくるママさん。
見回すが見つからず、諦めるように言いつつ走り出す。
私が見た軌跡を元に心当たりを少し探すと、草の葉影にペンギンのような白黒に塗り分けたラグビーボール型の消しゴムを発見した。
家の門柱の上に載せておいたが、さてなくならぬところを見るとまだお気づきでないのか。明日もっと目立つようにせねば。
というので、目立つようにしたところ、日曜朝、ご一家で通りかかって発見・回収されました。良かったよかった。
家の周りを掃除する。子供連れ・犬連れには簡単に声をかける。治安向上運動とも言えるし、いい歳のオッサンが率先して挨拶もしないのは浮世の義理に反すると思うから。
家の周りにいる時、楽器のことを問われることがある。
だが、私が弾いているのが本当に「チェロ」であるか私には確信がない。
楽器そのものはおそらくチェロであろう。しかし、演奏方法はどうだろうか。
小学校の部活動で楽器を初め、長く長く独学で来た。もしかすると根本的に間違っていて、あまりにも間違っているがために、誰もそれを告げられずにしまったという可能性はどうしても否定できない。
あるいは、外見的には間違っていないとしても内部的な力学の根本原理が誤っていて、外部から観察する人々は「なんか変だがそういう奏法もあるかも知れない」と緩慢な善意で解釈している可能性もある。
PCのBluetoothが不安定(というかダメダメ)。
悲しい。
小型キーボードで、キートップには日本語印字がなく、できればUS配列で、無線のもの。って少ないのよね。
ぎりぎりBluetoothならあるが、Logicoolはない。Logiの無線マウス・キーボードは、OSが立ち上がる前から接続されるので便利なんだよね。それに安定もしているし。ChatGPTに聞いても「そんなもん」という結論になるのが悲しい。
Linuxでは、USBのBlueToothアダプターで安定して使えるものがないらしい。悲しい。

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