鉄道と模型の雑談(夜行列車と客車列車)
KATOから「大垣夜行345M」製品化とのこと。
私が大垣夜行に乗車したのは、製品化対象より少し後。東京→名古屋間。
東京での大学受験を終え、従兄弟達に東京ディズニーランドに連れて行ってもらったその日の夜、名古屋に帰るために乗車した。
雪吹きすさぶディズニーランドは空いていた。どの乗り物もほとんど待たずに乗れた。
ディズニーランドは混雑するのがふつうだから、後年その話をすると、誰もが「それは違う遊園地では?」「ほんとうにミッキーマウスはいたのか?」と問われる。さあ、従兄弟任せだったから勘違いしているかも知れない。浦安から小型バスに乗って、夢の国に向かうとは思えないような雑然とした下町商店街を通り抜けていったような記憶がある(この頃、京葉線は貨物線であって舞浜駅はなかったのです)。
さて、昼間も雪が吹きすさんでいたけれど、夜になっても雪は止まなかった。
遅くに東京駅地下街で夕食を摂ってから、乗車したのだろう。どの駅でも闇の中で赤黒い炎が点々と揺らめいていたのを覚えている。分岐器が凍りつかないよう、分岐器の関節部分で灯油を焚いて温めていたのだろう。たくさんの分岐器がある大駅であればまさに「見渡す限り」であり幻想的だった。
静岡駅で長時間停車し何本もの貨物列車が通過していったこと、夜明け頃刈谷駅で通勤・通学客が乗ってきたことを覚えている。
髭の伸びかかった眠い顔で、運動部らしい女子高生と顔を合わせるのが恥ずかしかった記憶がある。
大学受験をしていた私と女子高生。今にして思えば、年齢はひとつふたつしか違わない。だが、当時は大きな差があるように感じていた。
あの列車は、愛知県に入る頃から早朝の一番列車になっていたのだろう。
今は昔。どこにでもいて珍しくもなかった165系もほとんどなくなってしまった。あれから40年も経つのだから当然だ。
さて、KATO製品。12両もの長い電車を買う元気は私にはない。
飯田線は好きだったから、「みすず」「伊那」のような4両編成で十分である。
クハ+モハ+モハ+クハの「伊那」は持っているからそれでよろしい。(とは言いながら、クハ+クハ+モハ+クモハにも色気はあるし、クハ+サハ+モハ+クモハはどうなのか、あるいはクハ164低窓(クハ153改)だったらなどと思わなくはない)。
自分が乗ったことがある客車列車は急行「ちくま」と特急「北斗星」、大井川鉄道「川根路」だけかな?
おそらく「ちくま」は名古屋から長野へのスキー旅行で往路のみ2回。どちらも座席車。リクライニングではないボックス席だったので、12系時代。
編成前端の20系寝台車もちらりと見に行ったが鉄道趣味休眠時代だったので写真も取らず(銀塩時代でカメラも持っていかなかった)、機関車もよくは見なかった。中央西線の電気機関車といえばEF64で名鉄の車窓からもしばしば見ていたから珍しくもなんともなかった
「北斗星」は大学院時代11月の学会が仙台であり、そこから初任地予定の札幌まで移動し、帰路は札幌から上野まで。
たぶん「B寝台」であったろう。固定式の上下二段別途で、往路は4人ボックスに3人(全員20代程度の男性)だったと記憶している。
往路の二人連れが「東京のディスコの女性は皆薄着でまるで『ストリップ小屋』だべ」と言っているのが微笑ましかった。おそらくは照れ隠しに方言を用いていたように思う。
「川根路」は小学生の頃、父に連れられて乗った。国鉄型客車以外に電車改造客車も連結されており、小学生であっても「怪しい客車だ」と思った記憶がある。
そしてまた、当時の名鉄は内装が木製である電車がふつうに走っていたので、戦前型の客車(だったろうと思う)でもさほどの感激がなかったのが今となっては申し訳ない。
かくもわずかではあるけれど、客車列車(座席・寝台双方)に乗れて良かった。
夜行列車としては「ちくま」「北斗星」「大垣夜行」ということになる。僅少なれど貴重。

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