室内楽のレッスン

私は、室内楽の練習をする際、明確に「仕切る」わけではないけれど、ちょいちょい発言する。

そういう教育/レッスンを受けたのか?と聞かれたことがあり、そう言われれば教育を受けた明確な記憶があるわけではない。そんな人間が発言していて良いのかなと少々悩んだが、個人史的経緯も踏まえて書いてみると大体以下の感じなのだろう。

  • 子供の頃から小編成アンサンブルの中で生きてきた。
    よってして合奏の中での演奏を主体的どのように行うかが自分の音楽人生の出発点から重きをなしてきた。
  • この時の三村明先生の指導は「気づかせる」ものであって、「気づかないことは出来ない」という前提があったように思う。
  • 中学時代合唱指揮を経験した。合唱部、クラス合唱など。
    「誰かが何かを言うとどこかで何かが起こる」体験はしている(体験させてもらった)。
    しかも、思ったことが思ったとおりに起こることはなく、異なる個人の異なる理解によって生じる「何か」が起こることを強く体験した。
  • 大学時代、杉浦薫師のレッスンに就いていた。
    1対1レッスンも見て頂いたが、仲間の1対1レッスンの傍聴もさせてもらい、パート練習、弦分奏なども見てもらった。
    さらには、杉浦先生ご自身の室内楽練習を継続して見せてもらったことがある。
    この経験は非常に大きく、音楽家が何を考えて演奏しているかを見せて頂く貴重な機会であった。
    (杉浦師やピアニスト武本氏の個性に強く依拠している可能性はあるが、そうだとしても私にとって非常に「使いみち」のある技術を学ぶことができた)。
    杉浦師のレッスン・室内楽練習においても「気づいていないことは出来ない」という大原則があったように思う。
  • そしまた、大人になってから間欠的ながら室内楽レッスンをして頂いた際の様々なコメントは上記のようなベースの上で大いに役に立っていると感じる(成果が出ていないのは自責でござる)。
  • 音楽に限らず人生全般何かと「自分でやりたい病」の実験小僧なので、「こうやったらどうなるか(何か起こるかも)」レベルのアイデアは自動的に生成される。
    練習の際も「いろいろやってみる」ことが大切だと思っている。その時、「何か素晴らしい完成形」があって、一直線にそこを目指すことは全く考えていない。「何か素晴らしい完成形」はあるのかも知れないが、その周辺をうろうろと徘徊しながら完成形に至る細道を探して登っては降りてを繰り返すようなイメージである。そしてまた、「完成形」は常に同一ではなく常に揺れ動きその場その時で異なっているとも思っている。

ということもあって、基本的には練習時の発言は「自分たちがより多く気づくための何か」である。
「自分たちがより多く気づくため」に時には「非音楽」もしてみる。「非音楽的演奏」をしてみることで、そこに付与されるべき「音楽」が何かを見出すことができると思っている。

まあ、まともな音楽教育を受けておらず、和声理論は解らず、そんな自分がしていることは、子供の「塗り絵」みたいだなと思うことがある。
本当はレンブラントの「夜警」の繊細な塗り分けが必要なのに、12色の色鉛筆で塗ろうとしているような。しかも不完全なる「ことば」を介して練習している以上、隔靴掻痒隣室のトランプをカードを見ずにしているような具合にもなろうものだ。
だからと言って人生をやりなおすことはできず、和声理論を急に身につけることもできないので、今の有り様で突き進んでいる。
関係各位には本当に申し訳ない。

Continue reading "室内楽のレッスン"

| | Comments (0)

カザルスホール運用再開(協議開始)

カザルスホール運用再開(協議開始)の報を受け、素人ながら少し考えてみた。

かんたんなおさらい:
1987年 開設
Wikipediaによれば「本格的な室内楽を日本に届けたいという思いをプロデューサー萩元晴彦が込め、カザルスの没後、音楽の重要な拠点として後世のために末永く守ってくれることを条件にカザルス夫人からその名の使用許諾を受け、その名を冠してきた。」とのこと
2002年 主婦の友社から日本大学に譲渡(有償)
 この時点で企画室がなくなり、自主企画が行われなくなったのだから、この時点で「事実上の閉館」と言っても良い。
2010年 2002年以降貸しホールとしてのみ機能していたが、それも含めた休止。事実上の閉館
2025年 千代田区がカザルスホール運用再開に向け協議開始
https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/kuse/koho/pressrelease/r7/r709/20250917-1.html

私の意見は、カザルスの名の前に、数々の不祥事で名を汚した大学の名前を付けていることが不愉快であるし、そもそも使用許諾条件を満たしていないのだから「名前をお返しすべき」というものである。

さて、とは言いながら運用再開されるならば、使用許諾条件から考えても以下のような条件を満たす必要があるだろう(素人の想像を含む)。

●施設劣化対応
少なくとも15年間使われていない音楽ホールであり、電気、空調、水回り、放送・音響設備、椅子、内装、什器などの更新・改修に相当程度の資金投下をすべきであろう。
建築時期からするとデジタル・ネットワーク対応も現在の目で見て十分ではないだろう。

●企画運営
「本格的な室内楽についての音楽の重要な拠点」であるためには、相当程度の企画運営を行う必要がある。
たとえば、その昔(1988年)、アマチュア室内楽フェスティバルはカザルスホールで始まった(企画・運営された)ものである。今ではサントリーホールでの開催が続いている。これを「取り戻す」などという没義道が許されるはずはない。
ヴィオラスペースも、1992年カザルスホールで始まった(企画・運営された)ものである。今ではあいおいニッセイ同和損保 ザ・フェニックスホールで開催しているようだ。もちろん、これも「取り戻す」なんて没義道で許されない。
他にもカザルスホールが出発点だった企画があろうと思うけれど、まずは今なお続く二大企画として挙げておく。

こうした新しく、意義があり、皆が集まる企画を打ち出せるような、企画室(人員)を集め、自主企画・運営を進められる資金を継続的に投下すべきであろう。
そしてまた、一度は閉館騒ぎなどでこれら企画の移転で世間にご迷惑をかけているのだから、今後は「継続・安定して企画を続け、謹んで音楽界に貢献する」という保証をしなければ、誰もカザルスホールに「戻りたい」と思わないだろう。そもそも、昨今の若い音楽家たちにとって「カザルスホール」のネームバリューなど皆無であろうから、その点も含め、相当程度に演奏家・企画運営者・聴衆に対して安心感を届けなければ、早晩「元の木阿弥」「ただの貸しホール」「やっぱり『カザルス』の名を返せばよかったのに」と言われることは間違いない。

企画人員については無知につきまったく思いつくところはないが、自主企画を進める上では、ぜひともレジテント団体を複数(少なくとも弦楽四重奏、ピアノ三重奏、弦楽およびバロック合奏団程度)は置くべきだろう。それらが核になり「皆がその舞台に立ちたいと憧れるホール」「カザルスの名を名乗ることが正当であると皆が認めるホール」になって頂くことを望んで已まない。

●雑感
日本大学譲渡以降、様々なホールが新たに建設され、新たな企画も行われている。これらとの競合・協力についてももちろん十分意を用いる必要があるだろうし、そこまでの目配りのできるような高い力量を持った人員が企画運営者として必要であるが、そんな能力のある人員はすでにしてどこかでそういう仕事をしている、という「リクルートの矛盾」はどうやったら解消できるのだろうか?千代田区くらいの自治体になるとそういう人員を探し出せる人脈があるのだろうか?日本大学にはないであろうことはこれまでの実績から断言しても良いだろう。

それにつけても日本大学譲渡時に主婦の友社が「カザルス」の名を返すべきだったと感じるし、日本大学もまた同様である。それが借りたものの最低限の仁義だと思う。
さらに言えば、こうした「撤退の判断ができない」「自らは価値を見定められないにも関わらず、手放すことをせず飼い殺しにする」「それらによって結局自分の身を卑しめる」といった日本社会の悪癖を世界に晒す顕著な事例のひとつであるようにも思われる。

そうそう。「カザルス」の名を名乗る以上、世界に対し、社会に対して反ファシズム・反戦など高い理念を掲げていく必要があるのは言うまでもない。

Continue reading "カザルスホール運用再開(協議開始)"

| | Comments (0)

電子楽譜試論

電子楽譜には紙の楽譜にはない機能を求めたい。

●紙イメージからの脱却
 ページの概念は必要ない。
 演奏を聞いて勝手に一段ずつ移動して欲しい。というか段概念も必要ない。無限巻物方式。
 一方で、全体で見た「現在位置」も知りたい。
 「位置」は小節数でもあるが、「第2主題再現部」のような構造としての「位置」でも見たい。
 繰り返しの「ありあり」「ありなし」などは発話を拾って対応してくれる。

 楽譜自体が「構造」を理解しているので、「このパターン最初に出てくるのは?」、「再現部と提示部の違いは?」くらいのことは即参照可能。

●総譜との連携
 紙楽譜のパート譜にはしばしば「ガイド」が書かれている。
 あらゆる面で「ガイド」を充実させて欲しい。
 自分が誰の音を聞きながら弾くべきか、今弾いている旋律線がどこに向かっているか見ながら弾きたい。
 また、一緒に和音を作る他パートとの関係。バスなど重要ポイントも見たい。和音が分かるようになっているのも吉。
 パートと総譜のアーティキュレーションの違いも見たいよね。

●異版との連携
 今見ているのはヘンレだが、ペータースはどう書いてあるかな?が分かる。
 なんなら手稿譜面との比較対照も可能(今見ている小節レベルで参照可能)。

●書き込み共有  首席奏者の書いた弓使いなどは即共有したい。
 演奏上の注意も。
 一方、指番号などは基本的には個人用。
 で、古い時代のウィーンPOの譜面の書き込みなんかは見てみたいよね。

 自分は音階進行の半音全音の区別を2つの音符の間に書く。半音を「冂」全音を「×」。こういう一般にない記号もサポートして欲しいぞ。
 きっとバロックの人ならば装飾音の実装も見たかったり・消したかったりするだろう。

●練習サポート
 難しいパターンがある場合、練習の仕方ガイドや練習用パターンの紹介などして頂けると嬉しい。
 音程の可否も(あまり見たくはないが)つけられるだろう。
 リアルタイムでは「もっと高めにせよ」で黒玉が赤くなる、など。
 バッチとしては、ある練習番号の総合得点など。
 自分はこれらの機能を真面目に使わない気がするが、売り物として良いのではないか、と涙目になって想像する。
 例えば、ゆっくり練習に対して、重要他パートを(ちょろい電子音で良いので)流してくれる。
 変拍子であってもメトロノームが対応してくれる。
 練習モードと本番モードで表示を変えるようなことも必要だろう(もっとモードが必要かも)。

という情報処理の実装を誰か研究していないかしら?「音楽情報学」みたいな分野かな?

Continue reading "電子楽譜試論"

| | Comments (0)

合宿に行く日

(今後種々追記するつもりだが、一旦ここに置く)。

弾けもしないし、そもそも楽器を所有していないヴィオラ・ダ・ガンバとバロック・チェロの合宿に行くなど無謀かつ傍迷惑この上ないのではあるものの、主宰者のご厚意で混ぜてもらいました。
主宰者/講師陣/参加者/支援者の皆様に感謝しつつ、以下雑なメモを書く。
私のためのメモなので事実と雑感が混ざっている。よってしてメモのアカンところは皆私のせいである。

●特に大切な情報
Shapeとmessa di voceと修辞学で音楽を作る。
 旋律というよりも「ことば」に近い(?)
 私が「歌いくち」ということばで表現してきたものと相当程度重複する。
 Shapeは、左手(リズム)は崩さず、右手(音量)でつくる。

和音が大切なところは和音に語らせる
 ヴィヴラートはかけない(控える)

18世紀フィンガリングは飛ばない(大きなポジション移動を避ける)。
19世紀は飛ぶ
 ベートーヴェンの四重奏をどちらで弾いても良いが、ベートーヴェンの前提は当然18世紀
 ベートーヴェンは意外と親切
 ベートーヴェンは様々な奏者から影響を受けている。時期によって書法が異なるのもこれが理由

バッハ当時のドイツのチェロ奏者は弓を「下持ち」していた(上持ちがいなかったということではないが)。
 無伴奏も「下持ち」を想定している可能性がある。

●教えて頂いた諸情報
昔の欧州では都市によって音程が異なった。
 音程の違いはパイプオルガンや管楽器に依存。
 弦楽器はそれに合わせる。
 400未満〜466とか480とか!

移動する音楽家は必要に応じ音程を変える。
 弦楽器はかんたんに変えられる。
 声楽は上限↑・下限↓が大変。
 音程が高い都市で弦が切れた・・・というのはしばしばあった。

よってして弦楽器は「ある程度変動する様々なチューニングに耐えうる」と思って良い。
 国際会議で440Hzと決めているが、パイプオルガン等では気温による変化もあり、それも国際会議で決めてある。

たまたま見つけた解説
https://note.com/kagefumimaru/n/n22cc9c00a2dd
 パイプオルガンの「調整」の基本は「削る=高音側に合わせる」。  調整頻度が高いオルガンは高音化しがち。昔の音程を知るためには調整していない(貧乏な町の)オルガンを探す。

なお、チューニングの国際規格は ISO 16 らしい。今どきのISOは一万いくつなので、二桁ISOってば凄い。

●合宿での設定
合宿で採用されたチューニングはA=415Hz。ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェロ共通。
チェロはエンドピンなし、弓は下持ち推奨、少なくともバロック弓が良い。
(私だけ金属弦、上持ちの現代弓という申し訳無さ。エンドピンなしで弾くのはおそらく高校生くらいでフザケて始めた気がする。正しい奏法であるかはわからないが、エンドピンなしでもほとんど無問題で弾ける。ついでに言うなら、以前、あまり楽器を練習しやすくない環境で暮らしていた頃、エンドピンを出さずに日々の練習をしていたこともあるので、エンドピンがなくてもなんだかふつうなのである)。

●レッスン
自分が出来ないところに助言を頂く式でお願いした。安直でアカンとは思うものの、初レッスンでもありお許し頂いた。
(非常に後ろ暗いことを書くと、「ある種のレッスンにおける教師の実力を見る」にもこういう方式は有効かも知れぬ。後ろ暗いけど。でも、今回はそういう意図はなく、単にこちらの準備ができていないからこの形式にして頂いたのである。でも、後ろ暗い見方をしたところで結果的に「先生の実力」は「圧倒的」すなわち「愚問賢答」の類であったことよ)。

モーツァルトのクラリネット五重奏曲第一楽章のいくつか
・アルペジオ
 強弱のShapeを考えるべき。全ての16分音符を等しく弾くのではない。
 強弱であるから右手で表現すべき。
 左手(リズム・テンポ)は歪めず、強弱のみ
 16分音符ごとに「強中弱弱」などとすることで、左手も最後まで強く押さえす必要が減じてポジション移動が楽になる利点もある。
 (これらの点はガット弦における「左手より右手で表現することが多い」を前提にしているように感じる)。
 (このパッセージはA=442Hz調弦だと弓が弦を噛みにくく演奏しにくいが、A=415Hzだと演奏しやすい。ただし、ずっと415にしている時と変化させた時で同じであるかは分からない。楽器および演奏者奏法のヒステリシスの問題)。

・旋律
 各Shapeの末尾が半音か全音かは重要であり強調すべき。
 (先生ご自身なら)第一ポジション周辺で弾く。

・最後の音階
 Shape重要。当然であるけれど。
 大きな山(これも含めた4小節をMessa di Voceの対象と捉えるべきだろう)が重要。先生ご自身はアップ弓から入る。
 高いポジションに行くより、低いポジションで移弦する(任意)。

(以上、私の文章では「当たり前」の内容に堕ちるけれど、模範演奏がシビれる良さであったことも特筆しておきたい)。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番のいくつか
 最初のテーマ(繰り返し出てくる)はヴィヴラートを大きくかけるべきではない。
 音型そのものに意味がある。Shapeが重要。
 pでは4小節ひと弓でも良い。遅い弓にする際、前の小節の後半から遅くする方法もある。
 ひとつの楽器でも役割は激しく入れ替わる。バスの役割はティンパニ風に短く。

●チェロアンサンブル
4Vc でモーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスを弾いた。
以前も弾いたことがある(調性は異なる)。
が、その時は、「わけのわからん変な曲(チェロで弾く価値を見いだせない)」と思って終わった。今回もどうなることやらと思っていたが、完全に覆った。この曲はやることをきちんとやれば音楽になる。
とは言え、こんなかんたんな事がわかっていなかった私(チェロ歴数十年)って悲しい。
前回は初心者の大人数合奏だったから、できることが少ないことは仕方がないのだが。己(チェロ歴数十年)の感受性の問題として、そういう状況下であっても(そういう状況下であるからこそ)愚鈍であったなあと己の非才を悲しむ。

でもって、「やること」を知るのに学問も必要かも知れない部分はあるかも知れないが、私自身が考えてきた延長線上にそういうのがあるらしいと思うとなおさらではある。

Messa di voce とか shape というのは、私が年来のテーマとしてきた「歌いくち」や「言い回し」と相当程度重なるように思う(希望的観測)。
文字面で例えるならば、「にんじゃ」「ニンジャ」「忍者」「Ninja」は概ね同音かつ本質的には同義だとしても、やはりニュアンスは異なって見える。
アンサンブルで同じパターンを受け渡す時「言い回し」が異なると同じ音楽に聞こえない。「あなた達本当に集まってお互いの音に耳を傾けて練習したの?」と聴き手は感じるだろう。これは「にんじゃ」と「Ninja」の違いと相似であると思う。
これは、もちろんぴったり同一の言い回しにせよということではなく、相手の言い回しを受け取りつつも、全体を見渡した上でそこにさらに己のニュアンスを付け加えて弾くということと考えている。

帰宅後、この件を考えつつ、古楽器ブルックナーのCDを聴いてみた。
仮説にしか過ぎないけれど、古楽的な「ことば」とワーグナーに至る「大旋律」。「どちらかひとつ」の二者択一ではなく、そのバランス・たゆたい(揺蕩い)を大切にするのが面白そうだ。以前、構造と歌謡性の相克こそが面白いと思っていたが、「ことば」はこうした構造とも歌謡とも少し異なる。うむむ。もっと考えてみようではないか。
仕事でも「レンガを作る作業」「レンガを使って大教会を作る仕事」を分けて考えることを提唱することがある。ちょっと近くてちょっと違うな。
少なくとも現時点においてこの辺りのバランスはよくよく考えておかないと阿呆の音楽になるな。先々、自然にバランスがとれるようになると良いのだが。

また、バッハのマタイ受難曲第49曲(アリア Aus Liebe)のチェロ四重奏版(新編曲)も弾いてみた。
よくぞこの曲をチェロ四重奏に持ってきたな!の驚き。ハスラーのコラールや、第50曲ならばさもありなん、だけれど。
でも、このアリアこそ「Shape」や「Messa di voce」を考える好例かも知れない。。。(ちょっと考えてみよう。そして弾いてみよう)。

●ヴィオラ・ダ・ガンバ
ガンバに触るのは人生三回目。少し慣れてきた。が、まだまだ慣れない。
(ほんとは四回目。三十年前に三分間触らせてもらったことがある)。
弦の数が多く、1〜4弦まではチェロと同じく左手が届くが、5弦・6弦は「えらい遠くにある」感じ。
また、いざという時チェロのつもりで違う弦の違う場所を押さえてしまう。阿呆だが仕方がない。

初心者向き合奏として用意された「Canon」は非常によく考えられた譜面。バス+かんたんな旋律の繰り返し。
これが、バスは移弦のときは指はあまり変わらず、旋律は音階的なので、弾きやすくしかも変化に富んでいて楽しい。
こういう練習曲を考えられるのって天才。素晴らしい。

現状、私にとって一番よろしくない右手の練習を考え・実行してみた。
 楽譜を見たりするとそちらに意識が行くので、とりあえず、譜面なしにする。  左手があるとそちらに意識が行くので、なしが好ましいが、同音反復は飽きるので、単純な反復音型・移弦なしにしてみた。  「聖ジュヌヴィエーヴ教会の鐘」なら弦1本の開放と指2本。短いレファミ・レファミの執拗な繰り返し。
 これを様々な弦で試み続ける。
と、少しらしくはなってきた。が、まだまだ慣れない。弓のいろいろな場所を使う、長く使うなどをもっともっとせねば。
でも、こうした練習方法を考えるのは昔々の杉浦師に教えられたやり方でもあり、その試行錯誤自体が楽しかった。
(旧師と新師の教えが組み合わさって役に立つのはとても嬉しい)。

また、他のガンバ初心者(楽器所有者)とお話したが、「右手=弓が難しい」とのこと。
この問題提起は私のチェロにとってもガンバにとっても非常に切実かつ重要なので、いろいろ考えたりした。
これも非常にありがたくも良いことで、またお話させて頂けると、また、私自身の実験に付き合って頂いたりすると私には大きな学びがありそうである(学生オーケストラ時代もそうだったが、人に教えてみるのが最も良い学習の機会なのである。私から教わる方には大変申し訳ないけれど)。

●その他
公共交通機関のみで行くのが難しい場所であったため、自動車運転をされる方に種々ご支援を頂いた。感謝。
長時間自動車を運転し続ける才覚は私にないが、鉄道で長距離移動&近場のみレンタカーなら可能かも知れない。
次回はそれも検討してみよう。また、前泊・後泊のいずれか/双方を入れた方が余裕があって良いのは間違いない。
また、楽器以外の荷物を宅急便で送ることも考えよう。

他の方と自動車内で話したことも大変価値があったけれど、列車内で話したことも同様であった。
その意味でも特急(指定席)ではなく、空いている普通列車で移動する良さがあった。
特急列車は満席に近い状況であるようだから、楽器のように大きな荷物を持ち込むのは難しい面もあるだろう。

●おまけ 日野春駅の「給水塔」。
蒸気機関車時代、峠越えのために機関車(炭水車)に大量の水を補給するために駅横に設けられたもの。
私が子供だった頃、父と共に飯田線・身延線一周をした際、見た記憶がある。
当時であっても蒸気機関車廃止から約十年が経過しており、無用の長物であったに違いないのだが、田舎であって土地にも困らぬこととて、今なお残っているようだ。
特急で通過する時、駅名も確かめられずにきたけれど、この度普通列車で往復することで目出度く駅名も確認できた。

初狩、笹子なども、おそらくは蒸気機関車運転以来のスイッチバック施設が残っており珍しいものと思う。
これも特急で通過していては気づかなかったもののひとつ。
下記記事を読むと、施設として(近年まで?)現役であるものの、列車のスイッチバック目的というより操車場としての機能面が大きいらしい。
https://www5f.biglobe.ne.jp/~switchback/hatsukari.htm

なお、四方津(しおつ)の斜行エレベーター「コモアブリッジ」は廃止になったと思っていたが、まだ稼働しているみたいね。

Continue reading "合宿に行く日"

| | Comments (0)

モーツァルト 弦楽五重奏曲第6番変ホ長調K.614

以下は、先日モーツァルトの弦楽五重奏曲第6番変ホ長調K.614を演奏した際の駄文である。

======

同声の二重唱には独特の魅力がある。サイモン&ガーファンクルも、あみんも。 これら同声の二重唱は、三重唱以上の多声とも異なり、大人数の合唱とも全く異なる。どうやら三人以上の人間の歌を聴くと、人間ひとりひとりの見えない「社会」や「組織」を遠望しているように感じる。二人の歌っているのを聴くと、人間と人間の原初的な関係性を拡大鏡で微細に眺めているように思われる。二つの似ているようでわづかに異なる声がひとつになったり別れたり遠ざかったり近づいたりする時に、親密さや疎外感をないまぜにした独特の風合いや肌理の細かさまでを感じさせるように思われる。

さて、モーツァルトの弦楽五重奏第6番(K.614)は、ヴァイオリン奏者でもあり、実業家としても成功したトストの依頼により書かれたという。しかしながら、モーツァルトほどの天才がただ言われたように弦楽五重奏を書いたとも思えぬ。弦楽五重奏がよくある弦楽四重奏とどのように異なるのか深く見抜いた上で書いているのではないか。

ふつうの弦楽四重奏で同声と言えるのはヴァイオリン2本であって、あまりにも当たり前の組み合わせである。弦楽五重奏は、ここにヴィオラが一本加わった「だけ」の編成である。ヴァイオリン二重唱にヴィオラ二重唱が加わった「だけ」である。 ところがところが、ヴィオラにはそれぞれの楽器個体の音はあるけれど、共通した一定の「ヴィオラの音」が存在しない。二本のヴィオラが鳴る時、サイモンとガーファンクルの声音の違い、岡村孝子と加藤晴子の歌い回しの違いを私は想起する。それに比べると、ヴァイオリン二重唱は、ザ・ピーナッツやマナカナのような双子の二重唱っぽい整った同質性があるように感じる。弦楽四重奏ではヴァイオリンだけが二重奏をするけれど、弦楽四重奏では見られなかった異質性による陶酔感がヴィオラ二重唱に現れるのではないか。また、その同質性と異質性による陶酔の実現をモーツァルトは考えたのではないか。この弦楽五重奏曲を弾いていると、ついそんなことを考えてしまう。

モーツァルト最晩年三十五歳に作られたのは、この弦楽五重奏曲、ピアノ協奏曲第二十七番、歌劇「魔笛」、歌劇「皇帝ティトスの慈悲」、クラリネット協奏曲、そして未完のレクイエム。 これら様々な曲の中にあってもひときわ天空海闊、なんら屈託することのない筆でさらりと書かれた五重奏曲であるけれど、弾いてみると上述のような二重唱っぽさを含め様々な工夫があらゆる箇所にされており、弾けば弾くほど楽しくなるてふ音楽である。お聴きいただく皆さんにも少しなりともこうした楽しさを感じて頂ければ幸いである。

第1楽章 Allegro di molto 冒頭いきなりヴィオラ二重唱。ヴァイオリン二重奏とヴィオラ二重唱の違いがあるのかないのか、まずは興味を持って聴いて頂ければ。

第2楽章 Andante アイネ・クライネ・ナハトムジークの第2楽章に似た主題が繰り返される。ヴァイオリンのお洒落な装飾!

第3楽章 Menuetto: Allegretto 簡素だが明朗なメヌエット。ちょっと穏やかなトリオとの対比が素敵。

第4楽章 Allegro 可愛らしいお嬢さんの歩みについて行くと、振り返りざまアッカンベーをされるような、意外感あふれるロンド。何度見ても可愛らしいんだけどな。

======

蛇足:私の中学に教えに来ていた音楽の非常勤講師はおっかないオバちゃんだったが、「藤山一郎の弟子筋で岡村孝子の師匠」であったらしい。 私が中学生だった当時、「あみん」の「待つわ」が流行しており、同級生女子がきれいな二重唱でカバーしていた。だがしかし、当時の私そしてまた同級生男子には、あの歌は、年上女性の若干意味不明の恋愛感情に思われたのだった。今、改めて聞き直すと女性二重唱としての良さとわづかに舌足らずな初々しい歌い回しが魅力的なのだと感じる。

Continue reading "モーツァルト 弦楽五重奏曲第6番変ホ長調K.614"

| | Comments (0)

良い楽器に触らせてもらう日

昔、楽器屋で高価なチェロ・高価な弓に触らせてもらったことがある。

当時学生だった私は、50万円くらいの量産品のチェロを使っていた。良く鳴る良い楽器だったから、各大学で同じメーカーの楽器を1台ずつは使っていたと記憶する。
それ以外の学生も概ね同程度の楽器を使っていたと思う。おそらくは30〜80万円程度。
そして、わづかに楽器に理解のある親族があるなど特別な事情があると、100〜200万円あるいはそれ以上の楽器を使っていたのではないだろうか。

そして、大学に長くいた私は、下級生の楽器選びを手伝うことが多かった。

実は当時楽器選びをする際、特定の楽器屋とのみ付き合わないようにしていた。
まあ、その地域のアマチュア奏者の多くは、学生か学生OBだったから、学生に変な楽器を売りつければ、その楽器屋は商売が立ち行かなくなるだろう、とも思ったが、そうであっても、「この楽器屋で買わねばならない」という状況を作らないようにしていた。
もちろん、無限に多くの選択肢があったわけではないけれど、数軒は付き合うようにしていた。

で、どの店も学生に親切だったけれど、ある楽器屋は、経営者が大学オーケストラのチェロ出身だったらしく、割合にチェロ学生を構ってくれることがあった。

ある時は、背板が斜めに継いである楽器を見せて、「こういう楽器を買うのは慎重にした方が良い」などと言い、またある時は、「ドイツ、イギリス、日本の楽器は、同じメーカーで同価格なら同じ性能の楽器と考えて良いが、フランスやイタリアは個体差が激しい」といったことを教えて下さった。

さて、とある平日の昼間たまたまその楽器屋に行った際、待ち時間を過ごしていると、その経営者が「良い楽器と良い弓があるから弾いてみるか」と言って、古い楽器を出して下さった。楽器屋の値付けがどれくらい正当か?という話はあるにしても、きちんとした健康かつ古い楽器で、音もしっかり出るのだから、一定以上高価なのは当然、という楽器だったと記憶する。

私の弓でこの良い楽器を弾くと、非常に良い音がする。己はこんなにも上手かったのか、と思う。
また、言われて見て、良い弓で私の楽器を弾くと、これまた非常に良い音がする。良い弓は短く使えば短くなり、長く使えば長くなるようで、まるで孫悟空が使う「如意棒」のようだった。
こうして感心していると、「良い弓で良い楽器を弾いてご覧」とおっしゃる。
で、折角の良い弓と良い楽器であるのに、これが意外といい音がしない。
不思議に思っていると、「それがあなたの持っている音だ」と。
「良い弓も良い楽器も、『あなたがやっている事』を反映する。だから、良い弓・良い楽器を使うと、『良い弾き方』をせざるを得ない。だから、良い弓・良い楽器を使うと上達するのだ」と。

この言葉にはすこぶる感心し今なお記憶している。

その後も機会があれば楽器屋で様々な楽器に触らせてもらうようにしているが、自分としては数十万円から三百万円くらいまでの楽器は、評価できるような気がしてきた。これらの楽器はおおむね、価格と性能が比例するように感じることが出来る(好みはまた別だが)。
だが、ここから上の楽器は皆同じように感じる。雲の中に入ってしまったようでもあり、価格に対する感度が対数的に下がっているようにも感じる。

まあ、魯山人先生が「わさびの味がわかっては身代は持てぬ」ので、身代は持っていないけれど、わさびの味がわからない方が幸せであると思っておこう。

そうそう、「良い弓・良い楽器」はとても買える値段ではなかろうと思ったけれど、一応値段を訪ねてみた。

「値段はつけられない。若くていい人がいたら貸したい」とのことであった。

すなわち、眼の前に居る私は「若くていい人」には該当しないということであった(残念)。

私に良い弓・良い楽器を触らせて下さったのは、長期的には「営業」に他ならないのだろうけれど、そこで何か要らないものやダメなものを売りつけられたわけではなく、私としてはあれを若くものを知らない人間に対する親切の一つだったと解釈している。そしてまた、あれから何十年も経って楽器を買うかもという際、この楽器屋にも行って楽器を複数触らせてもらっており、ご縁がなかったのは残念だと思っている。

注:ここでの楽器の価格は二十世紀のものも二十一世紀のものも、また、地域についても特段区別せず適当に書いているので、あまり参考にならないでしょう。お気をつけください。

Continue reading "良い楽器に触らせてもらう日"

| | Comments (0)

ブラームス弦楽四重奏曲第二番の難所

ブラームス弦楽四重奏曲第二番の難所、第3楽章メヌエットの中間部。ヴァイオリンとヴィオラの16部音符の「1拍目」がわからなくなる。
「わかるように弾いてくれ」と言うのも可能だが、言ったからそう弾けるのか、あるいは、そのように弾くのが正しいかは別な話。
こういうのはさらっと流すべきで「わかるように弾く」のは不正解と私は思う。

で、「覚える」。そのためにヴァイオリン・ヴィオラ奏者を酷使するわけにも行かないが、私の記憶力は乏しい。

だから、MuseScoreで最小の骨子を楽譜化し、音にして、ごくごくゆっくりからはやめまで繰り返し聴く。そしてこれに合わせて体を動かす。などなどした。本番はまあまあ通ったので良しとしよう。

クラリネット五重奏でもへんな「ズレ」の箇所があるので、同様の手立てをするつもりである。

はやめのテンポ

ダウンロード - brahmssq2.mp3

ゆっくりのテンポ

ダウンロード - brahmssq2slow.mp3

いちおうMuseScoreファイルも置いておこう。これを落として、MuseScore(たぶん4.0以降)で開けば自由なテンポでループ再生ができる。

ダウンロード - brahmssq2.mscz

Brahmssq21

Continue reading "ブラームス弦楽四重奏曲第二番の難所"

| | Comments (0)

チェロを選ぶ

2020年頃チェロを買った経験を整理し、さらにチェロを選ぶ方法について論じてみました。
チェロを弾いて何十年のアマチュア。チェロのレッスンに就いていないので、先生に見てもらうわけにもいかない、転居などによりふだん付き合いのある楽器屋さんがいない、というのが前提でしょうか。異論歓迎。

●結論
複数の楽器屋さんを訪れ、たくさんの楽器を弾かせてもらい、気に入った楽器を選んだ。

楽器を買おうと思う以前から(数十年前の学生時代から)それなりの数の楽器に触れており、自分が気に入る楽器など滅多にないと感じていた。
だから、楽器を買おうと思った際も、とにかく数を稼ぎ、自分が気に入りそうな楽器の相場を知ろうと考えていたら、偶然、気に入って、かつ、納得できる価格の楽器があったので、購入した。

より正確に言うならば、自分が気に入り、かつ、納得できる価格の楽器がなければ、「縁がない」と楽器購入を諦める(あるいは、長期的に考える)つもりだった。

※なお、今まで様々な機会に触れた楽器の多くは素晴らしい楽器だった。だが、自分が気に入るかどうかはまた別な問題である。
 ここで言う「気に入る」は、いわば人生を共にするレベルであるので、相当程度特殊な感情である。

●種々の情報を合わせた結論
今回の経験、および、ネット上の情報などからチェロを選ぶ際の目安は、以下の通りと考える。

(1)100万円以下なら新作・量産品から選ぶ。
 数量があるので、探すのは比較的楽。
 身近な奏者にメーカーを訊いて回るのも良いかも。

(2)300万円以上なら新作・ハンドメイドから選ぶ。
 ハンドメイドの新作チェロは200万円以下では作れない。
  チェロはヴァイオリンの2から2.5倍のコストがかかるらしい。
  ヴァイオリンほど売れないので、職人としても作り甲斐がない。商売でも旨味がない。
  それにより、出数が小さくなり、選択肢が少なくなる。探すのは少々大変。
  大人の嗜みとしての「システム開発などの見積もり作成」感覚から言って、ヴァイオリンの値段は適正。チェロは若干利益が薄いと想像する。
(誰かが弾いている新作の作者に作ってもらう、という選択肢もありうる)。

(3)100〜300万円の間のレンジがある意味もっとも面倒。
 オールドを探す。完全に一期一会の世界。探すのはかなり大変。運次第。
 量産品でもハンドメイドでも気に入れば無問題(と思うしかない)。

(4)とてもたくさんお金があるなら、高級オールドでもなんでも選び放題。
 この世界は知らない。楽器屋さんが門前に列をなすことと思います。
 まあ、騙されないように気をつけて、としか言えないでしょう。

自分が楽器を買ってから、今更、楽器職人さんのページを読んでいる。職人さんならではの単刀直入な文章である。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12726514019.html
自分が楽器を買う際に考えたことが概ね間違っていなかった、と感じる。

●前の楽器
自分がこれまで使ってきた楽器は、1987年大学入学時に買った楽器です。
1986年 Erich Werner, Bubenreuth(ドイツ)。1987年当時 49.5万円。

当時の名古屋では、各大学オーケストラに1〜2人この楽器を弾く人がいました。楽器屋さんが大量輸入したのでしょう。
製作者は個人名になっていますが、まあ「工房製」くらいの意味の半量産品でしょう。

●それから
毛替えなどで楽器屋に行くたびに、楽器に触らせてもらってきました。ずっと、何十年も。

一度はフレンチのオールドを知人から借りて弾いていました。約半年。
値段は訊きませんでしたが、おそらく200万円くらいでしょう。
先方も売れたら良いなと思っていたと思いまし、私もたいへん勉強させてもらったと思っていますが、そこまで惚れる楽器ではありませんでした。
おとなしくハイドンやモーツァルトを弾くには楽しいけれど、ベートヴェンでギラギラしようと思うと不足。そんな楽器でした。

楽器屋で弾き馴らした感覚からすると、一般的に10万円から300万円位までは価格と音が正比例と自分は感じる。
それ以上の価格の楽器は音が良いのか悪いのか判らなくなる。だから300万円位あれば自分が納得できる楽器が買えるだろうと思っていた。
もちろん、好みは別。

私が、楽器を選んだ時も、暗黙のうちに結局このフローに乗っていたと感じます。
まあ、楽器屋で楽器を弾かせてもらう時も、「50万円スタートで値段を上げていく」と言うと、そういう順番で楽器を持ってきてくれるようです。

結局、私は(3)。もっとも面倒な一期一会のレンジ。
修理痕があるため多少安価になっていたと想像される楽器。
修理が音質に悪影響を与えていないと思われた。
すごく大した楽器ではないだろうが、相応に枯れていて、かと言って音量もあってちょうど良かった。

この楽器はベルリンのErnst Kessler 1877年。どうやら独立前の21歳で作った楽器らしい。
https://www.bayfinestrings.com/product-page/ernst-kessler-cello-berlin-germany-1883
https://info.shimamura.co.jp/violin/catalog/past/369
偽ラベルを貼るほどの有名作家ではないと思うし、真作であろう、と判断している。

以上2020年ごろの情報と思って読んで頂きたい。
その後、円安・各国の価格上昇があるので、最大1.5倍程度掛け算して読むのが良いかも知れない。
さらに、円が弱いので、良い楽器が外国からは入ってきにくい(買い負ける)という話もあります。
ほんとは弓も買いたかったのだがなあ。

Continue reading "チェロを選ぶ"

| | Comments (0)

インターネット上の音楽

この数年インターネット上の音楽を聴いている。
様々な音楽を聴けるのがよいところで、特段のこだわりなく、できるだけ幅広く聴くというのを心掛けている。

特に、米国の放送会社(への番組配信を行っている)らしい「NPR」の「Tiny Desk Concert」はめっけもんである。
もともと、Blue Manの演奏を探していて見つけたのだが、非常に面白い。

以下、自分が気に入った音楽のメモである。

Rahim AlHaj NPR Music Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=osf1gckzf70
 リュートや琵琶の仲間ウード。楽しい音程。

Monsieur Perine: NPR Music Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=JGL-eQAAxGs
 コロンビアの楽団。好きだね。

DakhaBrakha: NPR Music Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=hsNKSbTNd5I
 非標準なチェロ奏法。

Mariachi Flor De Toloache: NPR Music Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=-rl26QKPHtE&t=78s
 調子っぱずれのラッパが素敵。

Khruangbin: NPR Music Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=vWLJeqLPfSU
 「60~70年代のタイ音楽や東南アジアのポップ・ミュージックに影響を受けたソウル~ファンク」らしいっす。
 私には1970年代の刑事ドラマっぽく聞こえるのです。
 Gパン刑事(デカ)が港の倉庫の前、照り付ける日差しを浴びて走ってゆく。
 これが気に入ったら、https://www.youtube.com/watch?v=QcD_YXCxxZM も見て欲しい。

Red Baraat: NPR Music Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=lgmw41CY1Fo
 楽しいブラスバンド

My Bubba: NPR Music Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=uzzVdi3HOfU
 きれいなお姉さんの音楽

Rodrigo y Gabriela: NPR Music Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=wKd0HNg1kFQ
 恰好良いギターデュオ。

Danish String Quartet: NPR Music Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=cfuEIHEZobc
 珍しくクラシック系

SsingSsing: NPR Music Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=QLRxO9AmNNo
 一種異様。冷たいバックバンドも良い。アジアの共感。

A-WA: NPR Music Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=nbt-fm5DcQ0
 よくある民族合唱ともいえるけれど。ファンクでポップとでも言うのかな?

Blue Man Group: NPR Music Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=qTJfITfbYNA
 NPRを発見したのは、ブルーマンを探していた時だった。

おまけ:
Jean Philippe Rameau. Forets Paisibles HD
https://www.youtube.com/watch?v=y6eEl6rEhuI
 ラモー「優雅な異国の人々」から。しゃれておる。

https://www.youtube.com/watch?v=bD9fLIBP13k
 同じくラモー。やりすぎ。アメリカのイメージなのか?

W.A. Mozart: ≪Divertimento≫ KV 563 / Veronika Eberle / Amihai Grosz / Sol Gabetta
https://www.youtube.com/watch?v=E8c83bpOVXo
 ガベッタ姐さん。強そう。

Menotti Help Help the Globolinks
https://www.youtube.com/watch?v=Te-XVgq0sb4
 メノッティのオペラ「助けて!助けて! 宇宙人がやってきた!」
 宇宙人は旋律的な器楽に弱いが、歌には不感症らしい。オペラの中で「うた」は歌ではないことになっているからね。
 下記の解説は貴重。
 http://blog.livedoor.jp/kzfj0409/archives/68071276.html

メルボルン・スカ・オーケストラ
https://www.youtube.com/watch?v=CVyJkKKfRFs
 おじさん率が高いが、おばさんも良い味出している。
 ウクレレの存在意義は理解できないが。
 He's A Tripper は盆踊りみたいだぞ。

| | Comments (0)

クラリネット五重奏(モーツァルト)

モーツァルト クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581

私がモーツァルトのクラリネット五重奏を知ったのは遠い遠い昔。

小学生であった私は、町の弦楽アンサンブルになんとか入れてもらって、末席でチェロを弾いていた。木祖の山の中の合宿にも着いて行き、弾けない曲があれば、練習場である大広間を後に、疎林の中を下って清流に足を浸して遊んでいた。その年、クラリネット奏者がやってきた。アンサンブルの中でも年長の人たちが五人だけ集まって、この曲を弾いていた。それまでアンコールピースのような名曲しか知らなかった自分の目の前に立ち上がる大人の音楽。

それまで、音楽とは旋律だと思っていた。自分ひとりで歌として歌えれば良いと思っていた。あのとき、それが簡単にうち壊された。五つの音が鳴っていて、ひとつの音楽が成り立っている。そんなことがあり得るとはとても思えなかったけれど、今、そこで現にそうした音楽が鳴っている。まるで、頭と足を固定されたまま、お腹の中がざわめいているような具合だった。

それから幾星霜。モーツァルトのクラリネット五重奏は、私の中で木祖の疎林と清流と分かち難く結びついている。嗚呼何をか謂わんや。

第1楽章 Allegro
第2楽章 Larghetto
第3楽章 Menuetto – Trio I – Trio II
第4楽章  Allegretto con Variazioni

クラリネットの名手シュタードラーあって始めてモーツァルトはクラリネット曲を書く気になったという。その後、ブラームス、ロベルト・フックス、マックス・レーガー、アンドレアス・ロンベルグ、スタンフォードらがこの編成で曲を書いている。これら多くの名曲佳曲の源流となったこの曲を弾くことができ、大変嬉しく思っています。

水茎の書き流すべき方ぞなき心の裡は汲みて知らなむ 西行

| | Comments (0) | TrackBack (0)

より以前の記事一覧