2025年の記録

なんとか無事一年が終わった。

初めての入院・初めての手術・初めての全身麻酔をした。
大した病気ではないから気楽なものだが、これから衰えゆく人生の発端でもあろうし、種々覚悟せねばならないと感じている。
短い入院、実績の多数ある手術とは言え、医療関係の皆さんには大変おせわになった。

●音楽(演奏する方)
音程の良い・響きの良い演奏をしたいという思いが少し叶うことがある。たいへんありがたい。が、この路線をあまり厳しく追求すると自分も周囲も幸福にならない気がするので気をつけよう。まあ言うほど堅固な精神ではないので、「厳しく追求」することなど出来はしないのだが。
一方でオーケストラは私には過重である。私が演奏したい曲で、私を必要として下さる場合に限って(仕事が忙しくない場合などに限って)演奏させて頂くことはあろうけれど、それ以上はとても無理。たいへん我がままにて申し訳ないと思っている。

2025年も良い曲を良い方々と弾かせて頂いた。
 Brahms Sextet Op.18(1楽章のみ) 2/16
 Beethoven Op.18-5 2/22
 J.S.Bach Orchestral Suite No.2 他 4/5
 Mozart Quintet K.614 5/10
 Mozart Quartet K.428 10/4
 Dvorak Quintet Op.97 11/9
 Smetana Ma Vlast 11/16

2026年の予定も少しずつ入っている。ありがたいことである。
 R.Strauss Metamorforzen 2026/4/11
 Beethoven Quartet Op.132 2026/7/11
 Mozart Quartet K.421 2026/7/11

引き続きデュポールを練習している。杉浦師から習った事々のいくつかはおそらくデュポール流。とは言え、自分はデュポールを練習するレベルではなかったし、当時のレッスン頻度からはデュポールの譜面を買ったとて意味ある練習ができなかっただろうとも思える(ということで現実を肯定しようではないか)。
「下持ち協会」の合宿にも参加させて頂いた。種々蒙を啓かれる体験であった。2026年も行かれると良いな。ともあれ、自分がほとんど何も知らない音楽があるのだ、という点ですでに蒙を啓かれている。。
バロック弓(古典寄り?)を購入。種々実験しているところ。

●音楽(聴く方)
La Musica Corrana とこんにゃく座は常連として楽しんでいる。
On verra 5e 「バスタイユ・カンタータの愉悦」はLMC繋がりで行った。すごく楽しい演奏会だった。
「夜の帳に舞う鳥たちは」もLMC繋がり。よくぞこれだけの幅広いプログラムを組めるものだと感嘆する。
ともあれ、最近本家LMC成分が不足している。摂取したい。

こんにゃく座はカフカ「変身」。この話も、若い頃は単なる「怖い話」と思っていたけれど、この年齢になると、引きこもりや介護などで社会から切り離された孤独な個人と孤立する家族の「よくある物語」のようにも思われる。こうした「考えるオペラ」も良い。

●読書
面白かった本を記しておこう。ノンフィクションが多い。

 砂糖の世界史 川北稔
 関西大衆食堂の社会史: 「餅系食堂」からみた都市移動と立身出世 奥井 亜紗子
 台湾生まれ 日本語育ち 温又柔
 誰がために医者はいる 松本俊彦

 高慢と偏見 オースティン 中野 康司
 旅に出るときほほえみを ナターリヤ・ソコローワ
 やっさもっさ 獅子文六

●美術など
美術館、博物館、関連イベントには行けていない。
美術大学の大学祭も、東京芸術大学にかろうじて行ったのみ、行こうと思っていたいくつかも多忙・酷暑等で見送った。
どうしても行かなければではないからね。でも、もう少し美術体験などしないと自分としては不満足であるな。

そういう意味では、映画館にもほとんど行けていない。「ロボット・ドリームズ」のみ(これは行って良かった)。

●旅行
旅行らしい旅行には行っていない。下持ち協会の原村合宿のみ。
でも、昔々小学生だった頃に行ったヴェガアンサンブルの合宿を思い出したりして楽しかった。
地方の交通はどんどん不便になる。よってしてレンタカーの運転くらいしなければならないと感じることもある。なかなか。

●その他
定年まで指折り数えるほどになってきた。再雇用もありうるとは言え。
会社では種々「若返り」を予定しているが、結局のところ上層部は居座るらしい。なるほど、という感想。
コロナ禍の外出自粛で在宅勤務を初めて以来、庭を眺めてお茶をすする機会が増え、隠居の気分が抜けない。
もうそれで良いのではないか。人は何のために働くのだろう。子どもたちもそれぞれに収入を得ており、「親として為すべき」は終わったように思う。それならば「自分の人生」に立ち返れば良い。だが、「自分の人生」は長く「子どもたちのための人生」であったので、今更「立ち返る」などと言っても帰るべき場所などないように思う。そしてまたそれを特段不幸な人生とも思わない。一生懸命楽しく集中して生きることができたのだから、それで楽しかったと思うばかりである。さて。

パスポートは切れてしまったし、円安は厳しいし、二度と海外に出ることはないだろう。
国内でも海外からの旅行者が多く「おーばーつーりずむ」になっている場所は、宿泊費も高価であり、行くことはないだろう。

老後どうするかという問の答えはまだ見つけていない。
しかし、キナ臭い話ばかりが聞こえてくる。平和主義・善隣外交の本旨に戻っていただきたいものだ。
政治も司法もメディアもきわめて無責任であると感じる。

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名古屋弁の話

私は名古屋弁話者ではないが、名古屋に縁があり名古屋弁に翻弄されたことも多かった。その体験を述べて名古屋弁話者と標準語話者の相互理解に役立てたいと思って以下を書いてみた。
(ということは、名古屋弁話者と標準語話者に相互理解が成立していない(部分がある)と認識していると言うことではある)。

●危険な名古屋弁「えらい」
「えらい」は、「疲れた」「(病気や体調不良、繁忙等で)心身がつらい」「(組織や物などが)大変な・危機的な状況にある」といった意味。 名古屋に限らず西日本に共通する語彙であろうが。この言葉の危険性を示す逸話を聴いたことがある。

「なにえらそうにしとんの」は、「辛そうにしていらっしゃいますが、どうしたのですか?(お助けしましょうか?)」という大変あたたかい言葉であるはずだが、名古屋弁イントネーションとともに標準語話者には「このサンピンが何エラそうにしとんじゃ!」と喧嘩を売っているように聞こえるという。名古屋(周辺)の方は、標準語話者にこの言葉を言わないように気をつけよう。

私が幼かった頃、「かけっこ」をすると、友人たちが皆「えらい」「えらい」と言い出して「えらくなってしまう」のを奇異に感じていた。当時の私にとって「えらい」のは「総理大臣」というイメージがあったことから、なぜ幼い友人たちがにわかに「えらく」なるのか不思議だった。
今も啄木の「友がみなわれよりえらく見ゆる日」を読むと、幼かった頃を思い出す。

なお、「(組織や物などが)大変な・危機的な状況にある」用例として、駐車場で非常に出しにくい位置に止められた自動車を見て「この車えらいわ」「ほんとえらいわ」などと言うのを聞いたことがある。標準語の「偉い」は基本的に人間だけがなれるものだが、名古屋の(おそらくは西日本の)「えらい」は物でもなんでもなれるのである。

●危険な名古屋弁「なぶる」
「なぶる」は単に「さわる」程度の意味。
例えば、毛虫を指で軽くつついても「なぶったらいかんがね」(さわってはいけないよ)と言われる。
標準語の「嬲る」は「嬲り殺し」など心身に対する非常に暴力的な状況でのみ使うが名古屋弁の「なぶる」は軽い意味の日常語。とは言え、「なぶったらいかんがね」のように否定的にしか使われたのを聞いたことがないようにも思う。標準語ほど強いものではないにせよ、否定的なニュアンスがあるのかも知れない。

●尊敬表現「みえる」
名古屋弁における尊敬表現。
標準語の「おみえになる」に似ている。標準語では「存在する」「来る」の尊敬表現である一方、名古屋弁「みえる」は「する」の尊敬表現になる。
「勉強してみえる」は「勉強していらっしゃる」の意味であり、他を含意しないが、標準語話者の理解は「勉強をしているように外部からは観察される(が、実態は明らかではないし、勉強をしていない可能性が感じられることを強調したい)」ではないだろうか。
そういう意味ではこれもまた危険な名古屋弁になりうる。名古屋の人々はこの表現を名古屋弁であると思っていないのでなおさら標準語話者と齟齬を来すかも知れない。

●「ばりかく」
「ばりかく」は、単に「掻く」程度の意味。「ひっ掻く」ですらないようだ。
蚊に刺されて腕をなでていると「バリかいたらいかんがね」(掻いてはいけないよ)と言われる。
標準語話者の語感として「バリかく」は、鉄の爪で皮膚を引き裂くくらい強く掻いていそうだが、そういうのではない。爪を立てて掻いているのを「バリかいたらいかんがね」と咎められ、 やさしく指で撫でていてもさらに「バリかいたらいかんがね」と言われるように記憶する。

●「いざる」
「いざる」は「立ち上がらず座ったまま移動すること」を言う。
おそらく移動方法は厳密に定まっておらず手を使っても使わなくても「いざる」になるらしい。
「いざり」が差別語とされる例もあるようだが、「いざる」は小学校で体操座りをしている子どもたちに、あるいは、町内会の集まりで座っている大人たちに、「こっちが狭いでちょっといざって」(こちらが狭いので少し移動してください)などと言うように使う。

●「つる」
「つる」は机などを「ひきづることなく持ち上げて運ぶ」。
名古屋の方は「つる」を標準語と信じて已まないので、「机をつって!机をつって!」と連呼し、意味がわからず机をひきづっていると「つってって言っとるがね(怒)」と怒り出す。
標準語話者にとって「つる」は「細い紐状のものを使い上方から張力で持ち上げる」イメージが強いので、どんなかたちであっても、机を持ち上げていれば「つる」になるのは意外に感じる。

●「まっと」
「まっと」は「もっと」。
引っ越しのアルバイトをした関東出身者が「まっとまっとまってこやあ」(家具の傷つき防止マットをもっと持ってきて)と言われてわからず、怒られたそうだ。

●「これば」
名古屋弁では「来れば」と書いて「これば」と読む。標準語の「来れば」と同じ意味。
「はよこればいいのに」(はやく来ればいいのに)
ハリー・ポッターを名古屋人が音読しているのを聞いたことがあるが、ハーマイオニーが「ハリーも早くこれば良いのに」と言っていたw。

同様に「きなさい」は「こやあ」。「早く来なさい」は「はよこやあ」。

●勧誘の「まい」
国語の時間、否定意志・予想の助動詞「まい」を習うと名古屋の少年少女は動揺する。
名古屋弁では勧誘の助動詞として使われているから。
「いこまい」「しよまい」は「行きましょう」「しましょう」。
頻用されるのは「はよいこまい」(早く行こうぜ!)。大阪に行って「生駒」という地名を聞く、名古屋人はつい「いこまい!」を言ってしまい通じずにがっかりするとか。

標準語の否定意志は「行くまい」「しまい」で動詞の活用形が異なる。これを混同する者が後を絶たない。

●「でゃーがく」
有名な「えびふりゃー」(エビフライ)と同様「大学」は「でゃーがく」になる。
よく「めいだい」は明治大学か名古屋大学かという問題が言われているが、「明治大学はめいだい」に対し、名古屋弁では「名古屋大学はめぇでゃー」なので問題ない。
むしろ「三重大学 みぇでゃー」と「名古屋大学 めぇでゃー」の区別を聞き分けるのが標準語話者には難しかろう。
(様々な問題をなかば意図的に混同していますが詰まらない冗談だと思って笑って許してください)。

実際のところ聞く機会は少ない。私は「えびふりゃー」も「でゃーがく」も一度ずつしか聞いたことがない。
「おめぇあさん、でゃーがくせいか?」(お前さんは大学生ですか?)という用例を一回のみ経験した。

●「ご無礼します」
標準語でいう「失礼します」に相当する別れの挨拶らしい。
が、中高年男性からしか聞いたことがない。中高年男性だけが使うものなのか、たまたま私の周囲がそうだったのかサンプル数が少なく判断できない。
こういう人物を敵に回すと「無礼者!」と言って斬られそうな気がするのだが、名古屋人は特にそうは思わないようだ。

●「でら」
「でら」は「どえりゃあ」の略。「とても」の意。
「とても疲れた」は「どえりゃあえりゃあ」。略して「でらえら」。
一時「地元ビール」として「でらうま」が売られていた。もちろん「とてもおいしい」の意味。

●「たわけ」「たーけ」
標準語でいう「馬鹿者」「ばーか」あたりか。
子供同士が喧嘩時に叫んだり、言うことを聞かない子どもたちに学校教員が怒りながら発するイメージ。
「たーけー。何やっとるだ」

標準語話者にとっては織田信長のような武将が「たわけ者!」と言って蹴飛ばすイメージがあるが、それはそれで間違っていないように思う。

「バカの大足、間抜けの小足、ちょうど良いのはくそたわけ」なる格言?を聞いたことがある。
なんというか悪人正機の説のようで好きだが、どんな人間もろくでなしということか。名古屋でも特定の方からしか聞いたことがないので、よく知られた格言というわけではないだろう。

●「横着い」
標準語の「横着」「横着者」はものぐさ・怠惰なイメージがあるが、名古屋弁の「おうちゃくい」は「落ち着きのないいたずら者」のニュアンスが強いように思う。
「●●君は横着いでいかん」(●●君はいたずら者である・いたずら者で困る)などが用例。
「そんな横着い事したらいかんがね」(そんなにいたずらなことをしてはいけないよ)のように、「横着い」は「(してはならないこと・しない方が良いことを)する」方を向いており、標準語の「横着」のように「(すべきこと・した方が良いことを)しない」方ではない。

漢語に語尾「い」をつければ形容詞になるというのも標準語話者にはなかなか新鮮であるが、標準語でも「黄色い」「横着な」のような例があるので、皆無というわけではなさそう。
一方、名古屋弁話者は「ピンクい」のようにカタカナ外来語であっても形容詞化できる。

「ヘボい」「藪い」などもこの仲間だろう(これらを私は三河で聞いたが尾張・名古屋では聞かなかった。また福岡人が「ヘボい」というのを聞いたこともある)。
「ヘボい」「藪い」とも「やり方が低劣である・技術が低い」意味。後者は「藪医者」の「ヤブ」と同じだろうと見ている。

●「いかん」「かん」
上述のように文章として書くと「●●君は横着いでいかん」となるが、実際の発音は「●●君は横着いでかん」になっていた。
「遺憾」と当てるほどの強い意味ではなく、非常に軽い意味だと理解している。「●●君はいたずら者である」と訳しても主意は同じだと思うし、あえて否定的ニュアンスをつけるとしても「いたずら者で困る」くらいだと感じる。

●「怒れてくる」(おこれてくる)
名古屋弁のうちでも標準語化しにくい言葉 。
「怒りが湧いてくる」「怒ってしまう」などと訳すのがふつうであろうけれど、自分の意志と関係なく「怒り」がどこからかやって来て湧き出す標準語と異なり、自分自身が変質するような主体性の強さに特徴があるように思う。
「まーちょっと怒れてきた」などと弱める表現とともに使われることが多いように思うが、こんなことを発話する時点で相当「怒れてきている」ので周囲は気をつけたほうが良い。

●「やぶける」
標準語「破れる」を名古屋弁話者は「やぶける」と言うようだ。「やぶれる」と言わないこともないが、日常語としては「やぶける」。
私の感じとしては、「やぶれる」は自発性があるが、「やぶける」は受動的に感じる。「怒れてくる」は自発性があるよに思うが、標準語との関係は逆のようだ。

●注意事項
あくまでも私が子供だった1980年前後のお話が中心であり、2000年以降の名古屋弁の実態を反映してはいないだろう。
また、子供だった私に対して、周囲の「オバさん」たちが発した名古屋弁、あるいは、友人たちが話していた名古屋弁が主なサンプルであり、大人同士の名古屋弁については「みえる」「ご無礼します」以外無知である。そうした点にご注意いただきたい(という程の文章でもないけれど)。

ちなみに、三河弁は非常に異なる言葉で名古屋弁との共通性は少ないように思う。(語尾「い」による形容詞化は共通しているが、語彙は必ずしも共通しないようだ)。

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米国式マネジメント資質見分け方法

「宴会道心得」内田樹を見た。面白い文章だ。
http://blog.tatsuru.com/2007/12/23_1016.html

「宴会というのも厳しい言い方をすれば、いわばある種の「共同的身体運用」である。」
私がふだんしている室内楽など「共同的身体運用」以外の何ものでもない。
それは演奏・練習の時間もそうであるけれど、それ以前の「この人とこの曲を演奏してみよう」と思う瞬間すでに「共同的身体運用」であるように思う。
また、別しては会社の勉強会でも「共同的」だなあと思ったことがある。

ある時、職場で勉強会をすることになった。私が担当であったのだが、ある程度身内だけの勉強会と思い、ズボラ準備しかしていなかったので、勉強会直前になって、「いやいやきちんと準備せねば」という人たちが猛然と動き出し、たちまちのうちにそれぞれが様々な役割を担って準備が進んでしまった。

それについて思い出したのは、米国の「部下のマネジメント資質見分け法」に、「ホームパーティご招待」があるという話。
上司は「週末、私の家でパーティをするから●時に来て。準備は要らない。」と部下に伝える。部下がやってくると「ごめんなさい。午前中、子供の●●があってまだ準備ができていないの。座ってワインを飲んでいて。」などという。
すると、最初は言われたとおりワインを飲んで座っている部下たちであるけれど、それぞれの気づきに応じて買い物に行ったり、パスタを茹で始めたり、子供の面倒を見たり、と徐々に動き出す。
で、ここで「動くのは当たり前」で、「他者の動きを見極めた上で、誰も手をつけていない『穴』があったら埋めに行く」のがマネジメント資質として有効らしい。

私のズボラ準備勉強会でもまさに米国式「部下のマネジメント資質見分け法」のとおりになった。
動く者、動きながら他者を動かす者、それらをひと通り眺めてから最後に「穴」を埋めに行く者。たしかにはっきり分かれて見えた。それまで思っていたマネジメント資質と全く同じではなかったけれど、この結果を見ると「地味だがマネジメントもできる」人が「派手めのマネジメント志向」の人よりも「資質がある」と見えた。

というわけで、意図したわけではなかったけれど、「マネジメント資質見分け法」の実践ができてしまった。
そして、勉強会の準備が終わってやれやれと皆が思っている頃、勉強会開始5分前に会場にやってくる者が一人あった。「マネジメント資質見分け法」にこういう人の話が書いてあった記憶がないが、おそらくは『問題外』ということなのだろう。それはそれで指示通りに動いたということであって非難される謂れはないのだけれどね。

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2024年の記録

なんと言っても『名前のあるカルテットの一員』になったのが人生最大の転換。
これからも真面目に楽しく音楽をやろう。

●音楽を演奏する
というわけで、今年の演奏曲は以下の如し。
 ドヴォルザーク Op.105
 ハイドン Op.77-1
 ベートーヴェン Op.131
 ハイドン Op.76-5
 ブラームス Op.51-2
 モーツァルト d-moll K.421 (417b)

人生、こんなにも良い曲をこれだけ演奏できれば相当程度上出来と言えるのではないか。

ほそぼそと続けてきた室内楽活動が少し大きくなった。ある方の言われるように「復活」かも知れぬ(ラザロのように)。

2025年度の予定も記しておこう(自慢)。ベートーヴェン:Op.18-5とOp.132、バッハ:管弦楽組曲第3番、モーツァルトK614、ブラームスの弦楽六重奏Op.18(第1楽章のみ)。弦楽五重奏1曲。これに最低でも四重奏1曲が加わる。素晴らしいではないか。

先般、同学の若い方から、「R氏に次いで達者」の旨言って頂いた(R氏は周知の超絶達者)。その翌々日、チェロ教室のアンサンブルでご一緒した方から「教室内で一番好きな音だった」と言って頂く。こういう事が続くと、「もうすぐ自分は死ぬのかな?(神様が私に地上最後の幸いを与えて下さったのかな?)」と思ったりする。嬉しいことではあるが、気をつけよう。そして、真面目にさらおう。

●音楽を聴く
La Musica Collana(LMC)の追っかけをしている。この人たちの音楽は活き活きとして自然で、可憐で勇気があって素敵だ。
私も相応の年寄りなのだから、若くて良い人々を応援したいという部分もある。
でも、自分も演奏者としてこの人たちの持つ知識・技術を盗み取ろうという大変サモシイ気持ちもある。
まあ、そんなに簡単に盗み取れるものでもなく、盗んだところで彼らが失うものはないのだから一生懸命盗もうではないか(盗めるものであるならば)。

この流れで行った合唱団サリクス・カンマーコアのバッハのカンタータ全集第1回もたいへん良かった。
管弦楽は安定と信頼のLMC。うたの人々は合唱としても良かったが、ソロも様々な声質のカードを切ってきて、非常に面白かった。 特に最後のがーまるちょば風の方の繊細な歌い振りには魅入られた。2025年にヴォーン・ウィリアムス「旅の歌」を歌われるようなので、ぜひ行きたい。

8月に本番前とて行けなかったデュポールを読み聴く会(京都・12月)にも行かれた。
あんな風には弾けはしないが、自分の出来るところで頑張ろう。

オーケストラはほとんど行かず。
でも、マーラーの交響曲第九番は2度聴いたのね。カーチュンウォンと鎌倉交響楽団。そういう年もある。
他には横浜シティーフィルハーモニックのベートーヴェンの交響曲第七番。名曲揃いの楽しい演奏会だった。

恒例のこんにゃく座は「神々の国の首都」「リア王」。
どちらも音楽劇として楽しくも、また考えさせられる。自分の「レパートリー」ではないところに音楽と内容があるので、いつも新しい発見がある。また行こう。

●文化的な催し(美術館・博物館・映画館などに行く)
月に1度はと思いつつ、あまり行けていない。音楽活動が忙しく、夏は暑すぎ、まあ仕方ないよねと思うが、もちょっと行かねばだね(自分が詰まらないから、というだけ。)

唯一、来年休館予定のDIC川村記念美術館に行った。
これまで物凄い個人コレクションを見すぎているからか、意外とあっさり見てしまったが、ピカソのシルヴィアに初めて接するなど面白い発見もあった。

そのついでに、佐倉で烏瓜をたくさん見たのが嬉しかった。少々人里離れたところを通り怖くもあったけれど、楽しくもあった。

映画館には行けていないが、自宅で見た下記の映画は思いの他良かった。

Giuseppina (1959)
https://www.youtube.com/watch?v=EIbQSLI6FjE
英国石油が出資した短編映画。映画らしさを楽しめた。
お祭りに行かせてもらえず退屈する少女Gioseppinaがお父さんの職場であり、自宅に隣接するガソリンスタンドで頬杖ついてぼんやりしていると、様々な国の人々がガソリンスタンドを訪れ、様々なかたちでGioseppinaや家族に接していく。
実際の我々の生活でも、様々な人々が様々な形で現れ、それぞれの劇を演じて去っていくように思われる時がある。それを濃縮したようなGioseppinaの一日。

見たいと思った映画を並べておこう。『私にふさわしいホテル』「敵」「ロボットドリームズ」「エストニアの聖なるカンフー・マスター」「怪獣ヤロウ!」。「ホテル」は予告編からものんさんの活発な役者魂を感じる。この方、本当に演じるのが好きなんだろうと思わするものがある。

●読書
(後で書き足すかも)。
ちくま文庫の戦争関連書は良かった。
「南の島に雪が降る」、「虜人日記」、「真珠湾収容所の捕虜たち」、「シベリヤ物語」
そしてまた、『暁の宇品』も。
いずれも「戦闘行為や兵器以外の戦争」についての書である。 斯くも日本と日本人について執着する私こそ右翼(極右)である気がする。

ちくま文庫は「駄目も目である」(木山捷平)、「キャラメル工場から」(佐田稲子)など、昭和の味わい深い書を出版し続けている。

●旅行
6月に訪れた松本平、信濃大町は残念ながら雨だった。雨に濡れそぼる碌山美術館は素敵だったけれど。
安積野を折りたたみ自転車で走り回る計画は丸つぶれ。そもそも自転車を持たずに出発した。翌日、晴れたけれど、暑さであまり行動できず、中途半端ではあった。自分の計画・実行力がヌケサクだったのがいけないのだが。
とはいえ、お風呂屋さんや素敵カフェ、縣の森、松本民芸館など面白い発見がいくつもあったし、久方の身延線も嬉しかった。

松本のように、行きやすく、行けば楽しい場所も大切だが、もっと自分が見たことがないもの・感じたことがないことに触れなければならないようにも思う。さて、どうしたら良いのだろう。私がごとき無計画な人間はオートバイや自転車で全国一周のようなことがしたくなる。だが、暑寒いずれも甚だしい時期しかなく、かつ、運動神経や疲労のことも考えるとオートバイ・自転車というのも避けたくなる。
一方、公共交通機関で行けるところは徐々に減りつつある。などなど。

京都も一泊二日。ぶらぶら歩いて楽しかったから良し。古い民家を見て歩き、古いうどん屋さんでうどんを食べれば満足する。

●鉄道趣味
楽しく軽工作をしたり、買ってきた模型車両を走らせたりしている。
そしてまた、「小林信夫の模型世界」や古い鉄道模型趣味誌を読んで想を練る(妄想を繰り広げる、ともいう)のが楽しい。
そのくらいでちょうど良い。

現在世の中に走っている鉄道車両にあまり魅力を感じない。乗って車窓を楽しむのはたいへんよろしいが。
故に、鉄道車両の写真を撮影するための努力はまったくしていない。乗ったついでに記録としてちょいと撮っておく程度。

長らく読んできた鉄道系ネット記事の筆者、なんとなう生活圏が被るな・・・と気づいた。
種々情報を考え合わせるになんだ時々顔を合わせる昔ながらのご近所さんではないか、ということで、イベントの際ご本人にご挨拶した。
長くそんなことには気づいていなかったので、ちょっと面白かった。
我が家があのまま東京にいたら・・・とも思うが、名古屋転勤のお陰で、「イモムシ」「なまず」「パノラマカー」などに出会えたのだから、良しとしよう。
(名古屋駅は、大幹線、山岳線、交流電化区間、非電化区間に連なっているので、大きな駅の中でも特に様々な鉄道車両が見られて良いという見方を教えてもらったことがある。確かにそうかも。その流れを敷衍すると、自分がもっともよく見た気動車は、名鉄キハ8000系かも知れぬ。毎朝東岡崎の駅で発車を待っている姿を見ていた時期があるので)。

●その他
我が家で烏瓜が実を結んだ。ここまで来るのに十年以上かかっているではないか。
まあ、努力らしい努力をしているわけではないのだが。
実がふたつ実った。2025年はもっと出来るかな?

夏、暑すぎてほとんど行動できない。
旅行にも行けず、歩き回ることもできない。これからより暑くなるというし、恐ろしいね。
それを放置している政治家共もほんとうに信用できない。たいへん悲しい。

長年購読していた朝日新聞を年末で止めた。年間6万円を投じる価値は見いだせない。
特に政治報道はプレスリリースの垂れ流し、意味のない政局報道。
全般に取材とは人の話を聞いて無批判な感想を一行書くことだと思っている節がある。

大学の同級生で優秀な人々は自動車メーカーや電機メーカーに就職した。また、自分はジャーナリズムに憧れて、そういう職業の採用試験を受けたこともある(半分シャレだけど)。でも、これらの業界がたいへんアカンことになっている。そう思うと、私の職業人生は上出来だったのかも知れない。大金をもらうような職業ではないが、仕事にはやりがいを感じ、多少遊びつつ暮らしていけるだけのお金はもらっていたのだから。
昭和三十年前後に就職した伯父は「あの頃の人気業種は『三白』(砂糖、硫安、セメント)だった」と語っていたが、私が就職活動する頃、それらが人気業種として話題に出ることは一切なかった。私が就職した頃の人気業種が、「自動車、電機、メディア」(ついでに、金融証券もか?)だったのだろう。

定年退職まで指折り数えるほどとなった。定年再雇用をどうするか、得られるかも知れない自由な日々をどう送るか考えるのは初めてだ。これまでは「しなければならないこと」が構えられており、その「しなければならない」がどのような社会的要請によるものかはさておき、それなりに抜き差しならぬものであると思って生きてきたし、それはそれで良いのだが、今にして思うとより自由な考えがあっても良かったのかも知れない。等など。

(2023年のまとめが掲載されていなかった。原稿を見つけたので、掲載した。掲載日は2024年の最初にしておいた)。

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楽器用鞄を買おうと考えて楽しむ

楽器とともにお出かけするための鞄。プラスチックフレームのビジネス鞄を長年愛用してきた。
おそらく3代目で、どの鞄も各々10年以上使ってきた。だいたい新橋駅の地下で買ったと思う。
あそこはオジサンのための鞄を夜店風に売っており、価格と性能のバランスがすこぶる良い。

今使っているのも20年近く使っているように思う。次の鞄を買いたいが、もうプラフレームの鞄を見かけない。
検討のため形式や収納物を考え直す。

●形式は肩掛けに限る。
 楽器を背負っているので、リュックは不可。
 手が空いていないと危険なので、手提げは不可。
 傘を左手・鞄を右手となると財布も出せない。
 肩掛けとは言いながら、場合によっては「首掛け」(前垂らし・斜めがけ)もする。
 同じ理由で、下記の物品が全部入る。
 これらを「他の入れ物に入れて持つ」のは不可。

●楽譜(パート譜・総譜。最大B4版)
 譜面が折れないようにしたい。
 書類入れの場所があると便利
●スマートフォン、文庫本
 こいつらも書類入れの仲間だ。
 もしかすると、これにチューナー、メトロノーム、録音機が加わる可能性もある。
 だいたいにおいてスマートフォンのアプリケーションで事足りているけれど
●折りたたみ傘、水筒・ペットボトル、譜面台
 こいつらは結構デカい。重い。
 譜面台は毎回ではないが、入れる時もある。
 譜面台だけ別な入れ物というのは不可。
●小物袋(松脂、エンドピンストッパー、鉛筆などを入れている)
 どうせ小袋に入れるので、さほど区分されている必要はない。
●小物(腕時計、財布、エコバッグ、ティッシュペーパー、予備弦)
 腕時計と財布は練習中外して入れたりする。
 他はオトナの嗜みでござる。
●お八つ・お昼ご飯など(手に持つものが増えると面倒だ)
●衣服(寒暖調整のため。手袋、マフラー、チョッキなど)

以上のように相応の収容力が必要なのだから、結局ビジネス手提げ・肩紐付きになるのかなあ。

信三郎帆布で言えば、H-26が今のプラフレームと同じ大きさ(ほぼぴったり)。
H-27は今よりも少しマチが大きい。いずれの場合も肩紐が必要。
肩紐は現在3cmなので、A-03 +30cm でよいか? それとも4cm幅にして、A-04 +30cmか?
個人のオトナとしての見栄を考えると、これに限らず鞄の大半を信三郎帆布にしちまおうかな、とも思っている。
すでに信三郎帆布の鞄を4つ持っている。リュック1、肩掛け3(大中小だが、中はボロボロだ)。
この肩掛け大で練習に行ったこともあるが、上記のごとくモロモロ入れるにはちょっと不足だった。

Amazonでも見てみたが、昔風の「プラフレーム」は見かけない。 似たようなのはみなリュックに移行している。さもなければソフトっぽいの。
PC鞄が近いが緩衝のためモコモコしているのが気に入らない。

とかなんとか言って、新しい帆布鞄がほしい人だね、これは。今買うと、おそらく死ぬまで使うので、気に入ったものを買うのが良いのではないか、とは思っている。
(お金を使うのは万能感があって楽しいね)。

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2023年のまとめ

(2023年のまとめを掲載していないことに、2024/12/31に気づき、改めてファイルを探し出した。)

●音楽(演奏)
ベートーヴェンOp.59-3 ラズモフスキー第3番
ドメニコ・ガロのトリオ・ソナタと、チェロアンサンブル3曲
それなりの楽しさもあれど、後悔が大きいね。根本でつまづくと復元はできないのだ、と反省。

ドヴォルザーク Op.105(本番は2024/1/8だが、練習の大半は2023年中だったので)
なかなか楽しい。やはりある程度ソリスティックに「歌う」のを当然にすべきだね。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番(Op.131)とハイドンのOp.76-4に着手。来年9/14の演奏会に向けて練習しているところ。長く楽章数が多くわかりにくい曲ではあるが、だんだんに解ってきて楽しい。
他に、ブラームスの弦楽四重奏曲第2番とモーツァルトの第15番が10/20、ハイドンOp.77-1が5/25である。2024年度は室内楽祭り。望むところだ!

今年はオーケストラには出なかった。一昨年はブラームスの交響曲第1番、昨年はブラームスの交響曲第2番で出させて頂き、今年はブラームスの交響曲第3番にお誘い頂いたが、年度末の練習はちょっと保証できかねる、ということで。2024年は四重奏の演奏会が決まっているので、これ以上積み増しするのは止めようと思っている。

●音楽(聞いたり楽しんだり)
「下持ち会」でヴィオラ・ダ・ガンバに触らせて頂き、その流れで la musica collana の演奏会に行った。島根朋史氏のVc/Gamba芸には敬服。しばらく追いかけよう。

こんにゃく座「アイツは賢い女のキツネ」(2月)、「さようならドン・キホーテ」(7月)、「浮かれひょう六の機織唄」(9月)
いずれも、「面白うてやがて悲しき物語」。

宝塚歌劇団は、楽しく見に行けたが、その後非人道的行いが漏れ伝わる。小林一三翁が「朗らかに、清く正しく美しく」と言ったのを、愚かなる後裔たち(若い人たちもそうだが、若い人たちを守り育てるべき年長者は特に)は、翁の教えを守らなかったのね。
昔は、阪急の鉄道経営こそ一流で、多くの私鉄が見習うところであったけれど、その末日を目の当たりにしているのかも知れないと思うのは、歌劇団のことを含めても残念至極。

●読書
少々本が読めるようになった。有り難いことである。

「ちいさなトガリネズミ」 みやこしあきこ
 静謐に満ちた美しい絵物語。
 私はこういう雰囲気をたいへん好むのだが、世の中にもそういう方々が一定数おられ、であるがゆえに受賞されているのだと思う。
 そのことが私には嬉しい。

おそろしくも楽しいうろおぼえシリーズ:「うろおぼえ一家のお買い物」、「うろおぼえ一家のパーティー」、「うろおぼえ一家のお出かけ」
うろおぼえでありながらも常に楽しく前向きなうろおぼえ一家。

「歌に私は泣くだらう」(永田和宏)ほか
本書を始めとする河野裕子・永田和宏のうたの本は、切実に読むことが出来た。
私の母が九州に縁があることや、癌で亡くなったということもあろう。

バウドリーノ(ウンベルト・エーコ)やサラゴサ手稿(ポトツキ)を読めたのも良かった。
「戦争における「人殺し」の心理学」(グロスマン)、「ノモンハンの夏」(半藤一利)、「南の島に雪が降る」(加東大介)など、戦争もの。
戦争ものは、中学生くらいから、意識的に読んでいる。これら戦争における負の側面を読まずに趣味として軍事知識を身につけるのは、私には片手落ちだと思われる。
私如き年齢の者が今更学ぶ意味はないかもしれないが、こうした書籍が廃れないためのボランティア(篤志・義勇)であると思っておこうか。

●その他
東京藝術大学(上野、取手)、多摩美術大学の大学祭に行けた。さらに気に入った絵をギャラリーで再見。
コミティアも行ってみた。

折りたたみ自転車で少し旅行らしきものもする。

映画は、チャップリン「モダン・タイムス」、「東京夫婦善哉」を見た。
それぞれの遠さ・近さが様々でびつくりする。

それなりに文化的に暮らすことができ、大変ありがたい。
ところが、日本は政治的・経済的にどんどん後進性が露わになり、衰退が進むばかりであり、若い人にはほんとうに申し訳ない。私は自分が格別の成功者であるとも思わないが、食うに困らない程度には実入りがあって、これはこれからを生きる若い人々から見るとたいへん恵まれているとも言えよう。

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仕事用のノート

仕事用に使っていた古いノートが押入から十数冊出てきたので捨てることにした。
あの頃、こんなふうに真面目にノートを取って仕事をしていたのか、あの頃も一生懸命であったのだ、と我ながら微笑ましくも思い、また、あの頃はペリカンの千円万年筆にターコイズ色のインクを使っていたのかなどと、気恥ずかしくも思ったりした。
そんな色のインクを使っているのは、お洒落というよりも、何でも良いから目先を変えたかった、というのが正直なところだろう。

1ページくらい画像で保存しておきたいところであるが、まあ仕事のことでもあり、やめておこう。

2008年頃はA5サイズ、5mm方眼罫のワイヤー綴、マルマン社の「Philosophos」を使っていた。このノートは愛用者がいたと見えて、時々ネットでも懐旧の情を述べる方がいらっしゃる。
Life社のCripperも良いが、philosophosと比べると紙が白く滑らかすぎる。
どうやら私が求めるのは以下らしい。

●A5サイズ
 少し小ぶりでちょうどよい。
●5mm方眼罫が全面に描かれていること。
 周囲を余白にしたり、「日付欄」など設けない。
 すべての空間は私が自由に使う。
 罫線が濃すぎる・太すぎるのは好かない。
 罫線がないと困るが、罫線は補助的なものであって、主張せんで欲しい。
 方眼罫は無視しても、しなくても良いのが良い。
 横罫は「それに従って書くべきもの」なので、嫌い。
 白紙は何の参考にもならないので使いにくい。
 ドット罫は考えすぎで使いにくいので嫌い。
 また、5mmがちょうどよい。これより広くとも狭くとも好かない。
●紙は少し色付きで少しざらりとしている方が良い。
 その方が書いている気がする。
●ワイヤー綴がより良いが、開きやすければ雑誌綴でも許す。
 ワイヤー綴だとA5サイズに開き、膝の上でメモを取ることができる。
 だが、コクヨの「システミック」なるノートカバーを使うと膝の上のメモ取りは苦にならない。
 さらに、会議傍聴で膝の上でメモを取る、ということがコロナ禍以降なくなった。
●枚数は50枚程度。80枚だと多い。
 多いと重くなるのと、「新しいノートだ」という楽しさが間遠になる。
 ワイヤー綴で80枚だと段差が出来たりして書きにくい。
●高級文具系はあんまり・・・。
 Rhodia、Rollbahn等は時々使いたくなるが、「モノとしての主張が強い」と思うことがあり、続けて使う気にはならない。
 偶に飲みたいフレーバーティーみたいなものかな?

ということで、Philosophosが最良であったのだが、Philosophos亡き後は、概ね無印良品の100円ノートに依存して暮らしている。
以前ダイソーの5mm方眼罫を買ってみた。特に不満はなかったが、繰り返し探す程の魅力でもなかった。

もちろん、私の勝手な好みであって、他人に押し付けられるものではない。だが、こうして書いていると、つい、「5mm罫方眼をひと様にも押し付けたくなる」のではある。

ワイヤー綴のノートは、ワイヤーと紙で分別して捨てることにした。最初はラジオペンチでちまちまとワイヤーを引っ張っていたが、途中で気づいて<うまい具合に>ワイヤーを一息で引っ張り出せるようになった。引っ張られてグニャグニャになったワイヤーを団子にして、不燃物回収に備えることにした。

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雪合戦の思い出

雪が降ると思い出す。

数十年前の某中学にて。

その日は、稀に見る大雪で、登校できない教員・生徒がいるため、一時間目は「全校雪合戦」ということになった。
運動場で生徒数百人が楽しく入り乱れ、教員もジャージに着替えて一緒に雪合戦に興じる。
嫌われ者の某教員。恐る恐る職員室から出るたびに、生徒たちに雪玉で狙われ、職員室に引っ込んでしまう。

で、知恵者が伝言を回す。「運動場の真ん中まで誘き出せ。合図するまで攻撃するな」。
こういう伝言は生徒数百人であっても的確に伝わる(笑)。
生徒たちは恐る恐る運動場に出てくる某教員を視界の端に捉えつつ、故意に無視し、それぞれの雪投げに興ずる。

よくよく用心していれば、この無視され具合はキケンだと分かりそうなものだが、人の気持ちのわからない人間はそういうことができない。
こうして、某教員が運動場の真ん中まで出て行ったところで、かねて取り決めの合図あり、生徒たち一斉に襲いかかった。

ふつうに敬意を払われている教員であるならば、雪玉をお腹に当てるとか、足に当てるとか、生徒も斟酌するんです。
あくまでも「先生にぶつけた(てへ)」という体で。あるいは、教員の味方をする生徒もいる。
でもね、普段の行いがアレだと、そういうことにはならないのですね。

まことに情け容赦もない、という風情でした。
あ、私は遠巻きにして見つつ、「自分が嫌っているだけでなく、それ以上に、多くの生徒たちがこんなにも某氏を憎んでいたのか」と感嘆していました。
人間、人に嫌われても已むを得ない事もあるでしょう。でもね、人間はそういうのを許すんですね。

某氏はその限界を超えてなお、自分では気づかなかった。教員という立場に馴れて、生徒たちの声が聞こえず生徒たちの様子を見ていない・見えていないことにまったく気づいていなかった。
聞く所によると、親も教員で「その道のえらい人」であるとか。世襲って宛にならないですね。

さて、卒業後随分経ってから、大きな同窓会がありましたが、某教員は来ていませんでした。
「某教員来てないね」と言うと、誰かが「呼んだのか?」と言い、誰かは「まさか。仮に呼んだとしても恐くて来れないよ」と言う。
呼んで来なかったのか、呼ばなかったのかは判りませんが、今さら姿を見たいとも思えず、話題にもせず、ただそれだけでした。

あ、うちの担任はその同窓会にお呼びしましたし、来て下さいました。今でも(コロナさえなければ)一年に一度はお会いしています。
担任は立派な方です。この方は今なお私の「先生」です。お腹に雪玉をぶつけましたけど。笑って投げ返されました。そういう方ですから。

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2022年の記録

2022年。個人的にはほどほどの歳であった。だが、世界では戦争があり、日本も少子高齢化と不景気と軍拡が一度に押し寄せており、後々振り返ると、2022年はもっとも良き日々の最後の一年であった、とならないかいささか心配している。

●読書
少し本が読めた。平家物語を読み、アレクサンドリア四重奏を読んだのだから良しとしよう。
スタニスワフ・レム初期作品「マゼラン雲」が読めたのも良かった(和訳には少々難癖をつけてしまったが)。
西行物語は解説も含め楽しめた。二次創作、あるいは、ファン同士の語らいと言ったところか。
虜人日記(小松真一)も読んで良かった。愛国者を気取るのであれば、こうした書を読み、過去を反省し、未来に活かすことを考えるべきだと思っている。
もう少し本を読めると良かったが、これ以上の大きな進展はないね。残念。

●音楽
演奏会を2回。3回目は急遽中止に(延期)そういう事もあるのかという驚きと、これまでそういう事がなかったことに感謝。
ハイドンの弦楽四重奏Op.77-2。シューマンの交響曲第2番、ブラームスの交響曲第2番。 ベートーヴェンの弦楽四重奏Op59-3が延期。

2021年12月にベートーヴェンOp59-2を弾いた事も遠い思い出だが、2020年5月のハイドンも思い出せない。歳長けて日々が過ぎるのを速いと感じるが、それら日々が手の届かない遠くにある感は、さらに強くある。 現時点で、ベートーヴェンのOp.59-3(9番)が延期だが、他に、12番と14番を弾いている。私はどれだけベートーヴェンが好きなのだろう!
若い頃は、ベートーヴェンの音楽に不自然さ・作為性を感じていたが、それがあまり気にならなくなった。味覚が衰えてピーマンが食べられるようになるの類だろうか。

2023年の演奏会が5月20日に決まった(Op.59-3)。「2023ふくしまチェロ・コンサート」にも出たかったが、残念。
このほか、3月11日もある(12番)。今決まっているのは、この2回。14番は先行き未定。

楽器仲間の病気の報があった。今後おそらく楽器を演奏することは叶わないであろう。
昔、砺波平野の田んぼの真ん中の小学校に、学生オーケストラで訪れたことがある。そこで小学校教諭に「自分もチェロを弾きたいがどうしたら良いか」と尋ねられたことがある。大人しそうな真面目そうな方であった。私は簡単に、金沢にはオーケストラがあり、職業演奏家がいるので、そこに相談すると良い、と答えた覚えがある。
楽器を演奏できる、ということは、大変大変恵まれたことであり、願っても楽器に触ることも難しい人もいるという事を切実に感じる機会であった。
私ごときが楽器をぶーぶー鳴らすことに社会的意義があるとはあまり思っていないが、楽器を弾く以上最低限の礼儀というものがあると思っている。
また、甚だ僭越であるけれど、若く華々しい経歴を持つ職業演奏家の方々にもそうした思いを少しく分かって頂きたいと思うことがある。

●旅と鉄道
日本最長路線バスの旅を楽しむことができた。また、そこに至るまでに、昔住んだ町に訪れたり、昔なじみの料理店に行ったり、あるいは、亡くなった知人の出身地を見ることができたりした。
また、高岡で路地裏のおでん屋さんに入り、美味しいものを食べ、面白いお話を伺う事ができた。 これからどうやって老いてゆくのか考えることが多くなったが、これからも旅に出たい。私は隣駅まで歩いてゆくのも、そこに発見があるならば旅だと思っており、必ずしも大きな鞄を持って飛行機や船に乗る必要を感じてはいない。知らない人と出会い、見知らぬ土地の見知らぬ物語を聞きたい。

鉄道模型遊びをしている。雑誌を読み、ネット記事を読み、好みの車両・懐かしい車両の模型を買ってきて走らせる。こういう事は生きていく上で「必要」であるとは思わない。おそらく人生の一大事があるならば、こうしたことは省みることがなく一大事に邁進するだろう。とはいえ、余暇閑暇を楽しく過ごし、多忙時への備えとしてもこういうことをしているのは大変良いことだろう。

●その他
コロナの第三年。
コロナ第一年(2020年)に母が亡くなった。最後に救急車を呼んだ時、乗車を断られた。理由は様々だが、結局のところコロナのためであろう。コロナ感染防止のため病院にもあまり行けなかったが、最期に立ち会わせて頂いた事には感謝しかない。
コロナ第二年(2021年)に父が亡くなった。病院への立ち入り制限は、コロナの実態がだんだん分かってきたからか、少し緩和されていた。とはいえ、入院時に「コロナに感染していないか、濃厚接触者ではないか?」のやりとりが濃密にあった。
第三年である今年、家人が感染・発症した。三十八度程度の発熱が三日四日ということで、インフルエンザ程度の症状でもあり、後遺症もなさそうなのが幸いであった。なお、ワクチンについては三回接種済みだった。その後、家人および私は四回目を接種。さあ、どうなるか。

美術館は太田・五島と小さなところばかり行った。古書店にも少し行けた。寄席に行かれた。
音楽会としては、マーラーの交響曲第七番を聴けたのは良かった。高関健の指揮も良かったし、ヴィオラの独奏が滅茶滅茶良かった。
月に1・2回は「文化的な活動」をしようと思っていたが、おおむね目標達成であろうか。

総じて、ウクライナ情勢が気になり、その他のことが考えにくかった。ウクライナの平和を願って已まない。

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2021年のまとめ

●演奏活動
久方に演奏活動をすることができた。本当にありがたいことである(サントリーの缶コーヒーBOSSの宣伝にも久方の演奏活動の物語があり、共感した)。
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲Op.59-2、交響曲第一番、ブラームスの交響曲第一番。新しいオーケストラを創るからとお誘いを受けて弾くことができた。近年若干暇を持て余し、オーケストラにも参加してみたいと思っていたところであり、渡りに船。既存のオーケストラに入ると、すでにある人間関係に入ってゆくことになりなかなか難しい。そういう意味でも新しいオーケストラは良い。皆一緒(とも限らないが)。
オーケストラに行っていつも思うのは、周りが自分より上手でも不幸であるし、自分が周りよりも上手であっても同様である。そういう意味で「平均人」でありたい、ということだ。それは「阿部礼司」幻想であって、そうした平均人など存在しないのはよく分かっているけれど。
久方のオーケストラ・久方の演奏でうまく行かないことの方が多かった。年齢による衰え・多忙による衰えがあるのだから、積極的に自分を鍛えることをせねば、と思うのであった。ともあれ、楽器をかついで歩き回って腰を抜かさなかっただけでもよしとせずばなるまい。

近所にお住まいの方(複数)から「最近楽器の音が聴こえない」と言われる。楽器を弾く部屋が変わったからかと思うが、先方の耳が遠くなったのではないか・・・とも思う。練習量が減っているというのあるのかと少々不安であるけれど。

●読書
本をたくさん読んでいるわけではないが、面白い本に出会うことが出来た。以下が特によろしかった。良い本に出会うことが出来、幸いである。

歩道橋の魔術師 呉明益、天野健太郎
白い病気 カレル・チャペック、阿部賢一
シリーズ小さな喫茶店 山川直人
地図で見る日本ハンドブック レミ・スコシマロ

国書刊行会からスタニスワフ・レムの第二期が始まったのも嬉しい(これを書いていて、「地球の平和」が年末に出版されたことを知る。早く甲斐に行かねば)。
歳長けて、もう面白い本との出会いは二度とないと思ったこともあるけれど、知らざる多くの書があり、また、昔読んだ本の再読もまた面白い。ドストエフスキーをもいちど読んでみようかと思っている。いつか「失われた時を求めて」再読もしたいが、まだまだ先であろう。

●鉄道遊び
好きな車両・懐かしい車両の模型(Nゲージ)を買って・並べて・走らせて、楽しく遊んでいる。
先日、小学生時代からの電車仲間が我が家に16番ゲージ(いわゆるHOゲージ)を持ってやってきた。彼としてはHOゲージの仲間を増やしたいのだそうだ。でもね、HOゲージは高価でもあり、この大きさに全く見慣れないので、私はそこに行く気がないのだよ(と言いつつ、ネットで調べ物をする私)。
とはいえ、我が家の押入れにさらに大きなGゲージが隠してあることは言い出せなかった。そのうちびつくりしてもらおう。

思えば、小学三年生の春先、百貨店で母に買ってもらったのが私の鉄道模型ことはじめである。その時に買ってもらったディーゼルカー(関水金属製キハユニ26)は今も手元にあり、私の宝である。鉄道や模型を通じて、技術・システム・歴史・経済等多くのことを学んだ。理系進学することになったのも鉄道趣味が発端のひとつであろう。今また暇にあかして電車遊びができるというのもなかなか良いことだと思っている。

私が幼い頃見たはずだ、と、父が言っていた「蒸気機関車D51が牽引し、C11が後押しする中央西線の貨物列車」についても、ネット上で貴重な情報を頂くことができた。こういうことが知れるのもネットの有難さであり、ネットにつながっている人々の有り難さである。(https://shinano7gou.at.webry.info/201901/article_4.html)

●外出と街歩き
音楽会に行かず、美術館に行かず、映画館に行かない。私の基準ではこれ非文明人である。オミクロン株の行方が気になるが、来年はなんとかこれら三者に行きたいものだ。
歩いての中華街行きではできていない。その他あまり遠くには行けていない。そういう時もある、としておこう。

時々珈琲屋に行くようになった。隣町に夕食のおかずを買いにゆくついでであるけれど。その店の珈琲が特別においしいということではない。店の人が特別親切ということでもない。だが、この店に行って以来、どこで珈琲を飲んでも不味さを感じたり、居心地の悪さを感じることが多くなった。まして、自分で淹れたそれに至っては泥水の類である。自分で色々な努力をして出てくるものが泥水であるならば、その努力は甲斐がない以上に悲惨である。よって自分で珈琲を入れるのは止め、人が淹れた珈琲のみを飲む、と決めた。それはそれでちっとも困らない。お茶の類は珈琲に比べて雑に入れても味が大きくは変わらない。自分で淹れるならばこれに限る。

●その他
2020年・2021年と身内の不幸が続いた。人の生き方が様々であるように、人の死に方も様々である。そしてまた、いかにそれが当然の自然現象であると知っていても、やはり死にゆく人に接することは人間に深く大きな影響を与えるのだと思った。それは悲しいという感情もあるが、それ以上に深く身体の奥底から揺り動かされているように感じる。それは、あまりにも当たり前のことであるけれど、正直な感懐である。

GoogleStreetViewで見るに、鳴海駅前の大きな松の木。父が愛した大きな大きな松の木は浅間神社や山車の蔵と共になくなったようだ。あの町はもう私の知っている町ではない。それはそれで良いのかも知れない。私は、かつて日々利用していた東岡崎駅と金山橋駅が大きく変化を遂げた際、なにか大きな安らぎを覚えたことがある。それは、犯行現場の消滅に安堵する犯罪者の気分なのかも知れぬ。それらの駅で私が為したのは犯罪ではないけれど、人様に語れるようなことではなかった、ということだろう。
そして鳴海駅と鳴海の町自体が変わるならば、私はそこに戻りたいと思うこともなく、安らかに今の場所で生きてゆけば良いことになる。私は様々な土地で様々な恥ずべき行いを為してきたが、それらは全て雲散霧消し塵芥灰燼の如くに成り果てた。大変気安いことではある。

2020年の半ばから、我が家では毎週木曜日は「テイクアウト夕食」の日にしている。自分たちの気分転換と経済貢献になるからであるが、これもまた種々の条件を考えねばならず手間は手間である。まず「このイベントを何曜日にするか」という議論もしたけれど、「週末に近づいて後一日頑張ろうという木曜日が良い」という私の意見で木曜日にしてもらっている。
お店やメニューに関して、家族の意見があまりにも合わなければ、「各自勝手次第」とする。
ある意味在宅時代以前以上に外食しているとも言えよう。どのお店も一生懸命やっておられると思うが、繰り返し利用する、というのはなかなか厳しい条件であるなあ、というのが感想。年に一度・二度の利用と、月一回程度の利用では格段に敷居の高さが変わる。あるいは、私一人の利用と家族四人の利用でも同様である。そういう意味でどのお店も悪くはないが、完全なる信頼感を獲得している店まではないなあ、ということである。

在宅勤務が主になっておおよそ二年が経過。かつての自分は「会社」という場で「仕事」だけを考えるという人間だった。 現在、自分はそこから大きく逸脱しているのではないか、と感じる。もともと逸脱していた気もしないではないのだが、少なくとも会社で仕事をする時間においては仕事に専念し、仕事に専念する精神構造を作っていた。ところが、二十四時間自宅にいて、庭を眺めたり、街路を行く人々の音を聴いていると、それらが日常であって、「仕事」はどこか遠くに霞んでいるように思われてくる。 これは多分私だけの感懐ではなく、こうした変化によって、実は社会自体が大きく変化しうると思っている。それが良き方に向くのか否か、それはどちらとも言えないだろう。 私自身はそもそも出不精な人間であり、毎日家にいるのも、隠居ないし出家遁世の夢が思ったより早く叶ったという程度の感懐であるけれど、多くの活動を制限せられている若い人々にこの状態は可哀想だ、と思う。

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