2024年の記録

なんと言っても『名前のあるカルテットの一員』になったのが人生最大の転換。
これからも真面目に楽しく音楽をやろう。

●音楽を演奏する
というわけで、今年の演奏曲は以下の如し。
 ドヴォルザーク Op.105
 ハイドン Op.77-1
 ベートーヴェン Op.131
 ハイドン Op.76-5
 ブラームス Op.51-2
 モーツァルト d-moll K.421 (417b)

人生、こんなにも良い曲をこれだけ演奏できれば相当程度上出来と言えるのではないか。

ほそぼそと続けてきた室内楽活動が少し大きくなった。ある方の言われるように「復活」かも知れぬ(ラザロのように)。

2025年度の予定も記しておこう(自慢)。ベートーヴェン:Op.18-5とOp.132、バッハ:管弦楽組曲第3番、モーツァルトK614、ブラームスの弦楽六重奏Op.18(第1楽章のみ)。弦楽五重奏1曲。これに最低でも四重奏1曲が加わる。素晴らしいではないか。

先般、同学の若い方から、「R氏に次いで達者」の旨言って頂いた(R氏は周知の超絶達者)。その翌々日、チェロ教室のアンサンブルでご一緒した方から「教室内で一番好きな音だった」と言って頂く。こういう事が続くと、「もうすぐ自分は死ぬのかな?(神様が私に地上最後の幸いを与えて下さったのかな?)」と思ったりする。嬉しいことではあるが、気をつけよう。そして、真面目にさらおう。

●音楽を聴く
La Musica Collana(LMC)の追っかけをしている。この人たちの音楽は活き活きとして自然で、可憐で勇気があって素敵だ。
私も相応の年寄りなのだから、若くて良い人々を応援したいという部分もある。
でも、自分も演奏者としてこの人たちの持つ知識・技術を盗み取ろうという大変サモシイ気持ちもある。
まあ、そんなに簡単に盗み取れるものでもなく、盗んだところで彼らが失うものはないのだから一生懸命盗もうではないか(盗めるものであるならば)。

この流れで行った合唱団サリクス・カンマーコアのバッハのカンタータ全集第1回もたいへん良かった。
管弦楽は安定と信頼のLMC。うたの人々は合唱としても良かったが、ソロも様々な声質のカードを切ってきて、非常に面白かった。 特に最後のがーまるちょば風の方の繊細な歌い振りには魅入られた。2025年にヴォーン・ウィリアムス「旅の歌」を歌われるようなので、ぜひ行きたい。

8月に本番前とて行けなかったデュポールを読み聴く会(京都・12月)にも行かれた。
あんな風には弾けはしないが、自分の出来るところで頑張ろう。

オーケストラはほとんど行かず。
でも、マーラーの交響曲第九番は2度聴いたのね。カーチュンウォンと鎌倉交響楽団。そういう年もある。
他には横浜シティーフィルハーモニックのベートーヴェンの交響曲第七番。名曲揃いの楽しい演奏会だった。

恒例のこんにゃく座は「神々の国の首都」「リア王」。
どちらも音楽劇として楽しくも、また考えさせられる。自分の「レパートリー」ではないところに音楽と内容があるので、いつも新しい発見がある。また行こう。

●文化的な催し(美術館・博物館・映画館などに行く)
月に1度はと思いつつ、あまり行けていない。音楽活動が忙しく、夏は暑すぎ、まあ仕方ないよねと思うが、もちょっと行かねばだね(自分が詰まらないから、というだけ。)

唯一、来年休館予定のDIC川村記念美術館に行った。
これまで物凄い個人コレクションを見すぎているからか、意外とあっさり見てしまったが、ピカソのシルヴィアに初めて接するなど面白い発見もあった。

そのついでに、佐倉で烏瓜をたくさん見たのが嬉しかった。少々人里離れたところを通り怖くもあったけれど、楽しくもあった。

映画館には行けていないが、自宅で見た下記の映画は思いの他良かった。

Giuseppina (1959)
https://www.youtube.com/watch?v=EIbQSLI6FjE
英国石油が出資した短編映画。映画らしさを楽しめた。
お祭りに行かせてもらえず退屈する少女Gioseppinaがお父さんの職場であり、自宅に隣接するガソリンスタンドで頬杖ついてぼんやりしていると、様々な国の人々がガソリンスタンドを訪れ、様々なかたちでGioseppinaや家族に接していく。
実際の我々の生活でも、様々な人々が様々な形で現れ、それぞれの劇を演じて去っていくように思われる時がある。それを濃縮したようなGioseppinaの一日。

見たいと思った映画を並べておこう。『私にふさわしいホテル』「敵」「ロボットドリームズ」「エストニアの聖なるカンフー・マスター」「怪獣ヤロウ!」。「ホテル」は予告編からものんさんの活発な役者魂を感じる。この方、本当に演じるのが好きなんだろうと思わするものがある。

●読書
(後で書き足すかも)。
ちくま文庫の戦争関連書は良かった。
「南の島に雪が降る」、「虜人日記」、「真珠湾収容所の捕虜たち」、「シベリヤ物語」
そしてまた、『暁の宇品』も。
いずれも「戦闘行為や兵器以外の戦争」についての書である。 斯くも日本と日本人について執着する私こそ右翼(極右)である気がする。

ちくま文庫は「駄目も目である」(木山捷平)、「キャラメル工場から」(佐田稲子)など、昭和の味わい深い書を出版し続けている。

●旅行
6月に訪れた松本平、信濃大町は残念ながら雨だった。雨に濡れそぼる碌山美術館は素敵だったけれど。
安積野を折りたたみ自転車で走り回る計画は丸つぶれ。そもそも自転車を持たずに出発した。翌日、晴れたけれど、暑さであまり行動できず、中途半端ではあった。自分の計画・実行力がヌケサクだったのがいけないのだが。
とはいえ、お風呂屋さんや素敵カフェ、縣の森、松本民芸館など面白い発見がいくつもあったし、久方の身延線も嬉しかった。

松本のように、行きやすく、行けば楽しい場所も大切だが、もっと自分が見たことがないもの・感じたことがないことに触れなければならないようにも思う。さて、どうしたら良いのだろう。私がごとき無計画な人間はオートバイや自転車で全国一周のようなことがしたくなる。だが、暑寒いずれも甚だしい時期しかなく、かつ、運動神経や疲労のことも考えるとオートバイ・自転車というのも避けたくなる。
一方、公共交通機関で行けるところは徐々に減りつつある。などなど。

京都も一泊二日。ぶらぶら歩いて楽しかったから良し。古い民家を見て歩き、古いうどん屋さんでうどんを食べれば満足する。

●鉄道趣味
楽しく軽工作をしたり、買ってきた模型車両を走らせたりしている。
そしてまた、「小林信夫の模型世界」や古い鉄道模型趣味誌を読んで想を練る(妄想を繰り広げる、ともいう)のが楽しい。
そのくらいでちょうど良い。

現在世の中に走っている鉄道車両にあまり魅力を感じない。乗って車窓を楽しむのはたいへんよろしいが。
故に、鉄道車両の写真を撮影するための努力はまったくしていない。乗ったついでに記録としてちょいと撮っておく程度。

長らく読んできた鉄道系ネット記事の筆者、なんとなう生活圏が被るな・・・と気づいた。
種々情報を考え合わせるになんだ時々顔を合わせる昔ながらのご近所さんではないか、ということで、イベントの際ご本人にご挨拶した。
長くそんなことには気づいていなかったので、ちょっと面白かった。
我が家があのまま東京にいたら・・・とも思うが、名古屋転勤のお陰で、「イモムシ」「なまず」「パノラマカー」などに出会えたのだから、良しとしよう。
(名古屋駅は、大幹線、山岳線、交流電化区間、非電化区間に連なっているので、大きな駅の中でも特に様々な鉄道車両が見られて良いという見方を教えてもらったことがある。確かにそうかも。その流れを敷衍すると、自分がもっともよく見た気動車は、名鉄キハ8000系かも知れぬ。毎朝東岡崎の駅で発車を待っている姿を見ていた時期があるので)。

●その他
我が家で烏瓜が実を結んだ。ここまで来るのに十年以上かかっているではないか。
まあ、努力らしい努力をしているわけではないのだが。
実がふたつ実った。2025年はもっと出来るかな?

夏、暑すぎてほとんど行動できない。
旅行にも行けず、歩き回ることもできない。これからより暑くなるというし、恐ろしいね。
それを放置している政治家共もほんとうに信用できない。たいへん悲しい。

長年購読していた朝日新聞を年末で止めた。年間6万円を投じる価値は見いだせない。
特に政治報道はプレスリリースの垂れ流し、意味のない政局報道。
全般に取材とは人の話を聞いて無批判な感想を一行書くことだと思っている節がある。

大学の同級生で優秀な人々は自動車メーカーや電機メーカーに就職した。また、自分はジャーナリズムに憧れて、そういう職業の採用試験を受けたこともある(半分シャレだけど)。でも、これらの業界がたいへんアカンことになっている。そう思うと、私の職業人生は上出来だったのかも知れない。大金をもらうような職業ではないが、仕事にはやりがいを感じ、多少遊びつつ暮らしていけるだけのお金はもらっていたのだから。
昭和三十年前後に就職した伯父は「あの頃の人気業種は『三白』(砂糖、硫安、セメント)だった」と語っていたが、私が就職活動する頃、それらが人気業種として話題に出ることは一切なかった。私が就職した頃の人気業種が、「自動車、電機、メディア」(ついでに、金融証券もか?)だったのだろう。

定年退職まで指折り数えるほどとなった。定年再雇用をどうするか、得られるかも知れない自由な日々をどう送るか考えるのは初めてだ。これまでは「しなければならないこと」が構えられており、その「しなければならない」がどのような社会的要請によるものかはさておき、それなりに抜き差しならぬものであると思って生きてきたし、それはそれで良いのだが、今にして思うとより自由な考えがあっても良かったのかも知れない。等など。

(2023年のまとめが掲載されていなかった。原稿を見つけたので、掲載した。掲載日は2024年の最初にしておいた)。

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楽器用鞄を買おうと考えて楽しむ

楽器とともにお出かけするための鞄。プラスチックフレームのビジネス鞄を長年愛用してきた。
おそらく3代目で、どの鞄も各々10年以上使ってきた。だいたい新橋駅の地下で買ったと思う。
あそこはオジサンのための鞄を夜店風に売っており、価格と性能のバランスがすこぶる良い。

今使っているのも20年近く使っているように思う。次の鞄を買いたいが、もうプラフレームの鞄を見かけない。
検討のため形式や収納物を考え直す。

●形式は肩掛けに限る。
 楽器を背負っているので、リュックは不可。
 手が空いていないと危険なので、手提げは不可。
 傘を左手・鞄を右手となると財布も出せない。
 肩掛けとは言いながら、場合によっては「首掛け」(前垂らし・斜めがけ)もする。
 同じ理由で、下記の物品が全部入る。
 これらを「他の入れ物に入れて持つ」のは不可。

●楽譜(パート譜・総譜。最大B4版)
 譜面が折れないようにしたい。
 書類入れの場所があると便利
●スマートフォン、文庫本
 こいつらも書類入れの仲間だ。
 もしかすると、これにチューナー、メトロノーム、録音機が加わる可能性もある。
 だいたいにおいてスマートフォンのアプリケーションで事足りているけれど
●折りたたみ傘、水筒・ペットボトル、譜面台
 こいつらは結構デカい。重い。
 譜面台は毎回ではないが、入れる時もある。
 譜面台だけ別な入れ物というのは不可。
●小物袋(松脂、エンドピンストッパー、鉛筆などを入れている)
 どうせ小袋に入れるので、さほど区分されている必要はない。
●小物(腕時計、財布、エコバッグ、ティッシュペーパー、予備弦)
 腕時計と財布は練習中外して入れたりする。
 他はオトナの嗜みでござる。
●お八つ・お昼ご飯など(手に持つものが増えると面倒だ)
●衣服(寒暖調整のため。手袋、マフラー、チョッキなど)

以上のように相応の収容力が必要なのだから、結局ビジネス手提げ・肩紐付きになるのかなあ。

信三郎帆布で言えば、H-26が今のプラフレームと同じ大きさ(ほぼぴったり)。
H-27は今よりも少しマチが大きい。いずれの場合も肩紐が必要。
肩紐は現在3cmなので、A-03 +30cm でよいか? それとも4cm幅にして、A-04 +30cmか?
個人のオトナとしての見栄を考えると、これに限らず鞄の大半を信三郎帆布にしちまおうかな、とも思っている。
すでに信三郎帆布の鞄を4つ持っている。リュック1、肩掛け3(大中小だが、中はボロボロだ)。
この肩掛け大で練習に行ったこともあるが、上記のごとくモロモロ入れるにはちょっと不足だった。

Amazonでも見てみたが、昔風の「プラフレーム」は見かけない。 似たようなのはみなリュックに移行している。さもなければソフトっぽいの。
PC鞄が近いが緩衝のためモコモコしているのが気に入らない。

とかなんとか言って、新しい帆布鞄がほしい人だね、これは。今買うと、おそらく死ぬまで使うので、気に入ったものを買うのが良いのではないか、とは思っている。
(お金を使うのは万能感があって楽しいね)。

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2023年のまとめ

(2023年のまとめを掲載していないことに、2024/12/31に気づき、改めてファイルを探し出した。)

●音楽(演奏)
ベートーヴェンOp.59-3 ラズモフスキー第3番
ドメニコ・ガロのトリオ・ソナタと、チェロアンサンブル3曲
それなりの楽しさもあれど、後悔が大きいね。根本でつまづくと復元はできないのだ、と反省。

ドヴォルザーク Op.105(本番は2024/1/8だが、練習の大半は2023年中だったので)
なかなか楽しい。やはりある程度ソリスティックに「歌う」のを当然にすべきだね。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番(Op.131)とハイドンのOp.76-4に着手。来年9/14の演奏会に向けて練習しているところ。長く楽章数が多くわかりにくい曲ではあるが、だんだんに解ってきて楽しい。
他に、ブラームスの弦楽四重奏曲第2番とモーツァルトの第15番が10/20、ハイドンOp.77-1が5/25である。2024年度は室内楽祭り。望むところだ!

今年はオーケストラには出なかった。一昨年はブラームスの交響曲第1番、昨年はブラームスの交響曲第2番で出させて頂き、今年はブラームスの交響曲第3番にお誘い頂いたが、年度末の練習はちょっと保証できかねる、ということで。2024年は四重奏の演奏会が決まっているので、これ以上積み増しするのは止めようと思っている。

●音楽(聞いたり楽しんだり)
「下持ち会」でヴィオラ・ダ・ガンバに触らせて頂き、その流れで la musica collana の演奏会に行った。島根朋史氏のVc/Gamba芸には敬服。しばらく追いかけよう。

こんにゃく座「アイツは賢い女のキツネ」(2月)、「さようならドン・キホーテ」(7月)、「浮かれひょう六の機織唄」(9月)
いずれも、「面白うてやがて悲しき物語」。

宝塚歌劇団は、楽しく見に行けたが、その後非人道的行いが漏れ伝わる。小林一三翁が「朗らかに、清く正しく美しく」と言ったのを、愚かなる後裔たち(若い人たちもそうだが、若い人たちを守り育てるべき年長者は特に)は、翁の教えを守らなかったのね。
昔は、阪急の鉄道経営こそ一流で、多くの私鉄が見習うところであったけれど、その末日を目の当たりにしているのかも知れないと思うのは、歌劇団のことを含めても残念至極。

●読書
少々本が読めるようになった。有り難いことである。

「ちいさなトガリネズミ」 みやこしあきこ
 静謐に満ちた美しい絵物語。
 私はこういう雰囲気をたいへん好むのだが、世の中にもそういう方々が一定数おられ、であるがゆえに受賞されているのだと思う。
 そのことが私には嬉しい。

おそろしくも楽しいうろおぼえシリーズ:「うろおぼえ一家のお買い物」、「うろおぼえ一家のパーティー」、「うろおぼえ一家のお出かけ」
うろおぼえでありながらも常に楽しく前向きなうろおぼえ一家。

「歌に私は泣くだらう」(永田和宏)ほか
本書を始めとする河野裕子・永田和宏のうたの本は、切実に読むことが出来た。
私の母が九州に縁があることや、癌で亡くなったということもあろう。

バウドリーノ(ウンベルト・エーコ)やサラゴサ手稿(ポトツキ)を読めたのも良かった。
「戦争における「人殺し」の心理学」(グロスマン)、「ノモンハンの夏」(半藤一利)、「南の島に雪が降る」(加東大介)など、戦争もの。
戦争ものは、中学生くらいから、意識的に読んでいる。これら戦争における負の側面を読まずに趣味として軍事知識を身につけるのは、私には片手落ちだと思われる。
私如き年齢の者が今更学ぶ意味はないかもしれないが、こうした書籍が廃れないためのボランティア(篤志・義勇)であると思っておこうか。

●その他
東京藝術大学(上野、取手)、多摩美術大学の大学祭に行けた。さらに気に入った絵をギャラリーで再見。
コミティアも行ってみた。

折りたたみ自転車で少し旅行らしきものもする。

映画は、チャップリン「モダン・タイムス」、「東京夫婦善哉」を見た。
それぞれの遠さ・近さが様々でびつくりする。

それなりに文化的に暮らすことができ、大変ありがたい。
ところが、日本は政治的・経済的にどんどん後進性が露わになり、衰退が進むばかりであり、若い人にはほんとうに申し訳ない。私は自分が格別の成功者であるとも思わないが、食うに困らない程度には実入りがあって、これはこれからを生きる若い人々から見るとたいへん恵まれているとも言えよう。

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仕事用のノート

仕事用に使っていた古いノートが押入から十数冊出てきたので捨てることにした。
あの頃、こんなふうに真面目にノートを取って仕事をしていたのか、あの頃も一生懸命であったのだ、と我ながら微笑ましくも思い、また、あの頃はペリカンの千円万年筆にターコイズ色のインクを使っていたのかなどと、気恥ずかしくも思ったりした。
そんな色のインクを使っているのは、お洒落というよりも、何でも良いから目先を変えたかった、というのが正直なところだろう。

1ページくらい画像で保存しておきたいところであるが、まあ仕事のことでもあり、やめておこう。

2008年頃はA5サイズ、5mm方眼罫のワイヤー綴、マルマン社の「Philosophos」を使っていた。このノートは愛用者がいたと見えて、時々ネットでも懐旧の情を述べる方がいらっしゃる。
Life社のCripperも良いが、philosophosと比べると紙が白く滑らかすぎる。
どうやら私が求めるのは以下らしい。

●A5サイズ
 少し小ぶりでちょうどよい。
●5mm方眼罫が全面に描かれていること。
 周囲を余白にしたり、「日付欄」など設けない。
 すべての空間は私が自由に使う。
 罫線が濃すぎる・太すぎるのは好かない。
 罫線がないと困るが、罫線は補助的なものであって、主張せんで欲しい。
 方眼罫は無視しても、しなくても良いのが良い。
 横罫は「それに従って書くべきもの」なので、嫌い。
 白紙は何の参考にもならないので使いにくい。
 ドット罫は考えすぎで使いにくいので嫌い。
 また、5mmがちょうどよい。これより広くとも狭くとも好かない。
●紙は少し色付きで少しざらりとしている方が良い。
 その方が書いている気がする。
●ワイヤー綴がより良いが、開きやすければ雑誌綴でも許す。
 ワイヤー綴だとA5サイズに開き、膝の上でメモを取ることができる。
 だが、コクヨの「システミック」なるノートカバーを使うと膝の上のメモ取りは苦にならない。
 さらに、会議傍聴で膝の上でメモを取る、ということがコロナ禍以降なくなった。
●枚数は50枚程度。80枚だと多い。
 多いと重くなるのと、「新しいノートだ」という楽しさが間遠になる。
 ワイヤー綴で80枚だと段差が出来たりして書きにくい。
●高級文具系はあんまり・・・。
 Rhodia、Rollbahn等は時々使いたくなるが、「モノとしての主張が強い」と思うことがあり、続けて使う気にはならない。
 偶に飲みたいフレーバーティーみたいなものかな?

ということで、Philosophosが最良であったのだが、Philosophos亡き後は、概ね無印良品の100円ノートに依存して暮らしている。
以前ダイソーの5mm方眼罫を買ってみた。特に不満はなかったが、繰り返し探す程の魅力でもなかった。

もちろん、私の勝手な好みであって、他人に押し付けられるものではない。だが、こうして書いていると、つい、「5mm罫方眼をひと様にも押し付けたくなる」のではある。

ワイヤー綴のノートは、ワイヤーと紙で分別して捨てることにした。最初はラジオペンチでちまちまとワイヤーを引っ張っていたが、途中で気づいて<うまい具合に>ワイヤーを一息で引っ張り出せるようになった。引っ張られてグニャグニャになったワイヤーを団子にして、不燃物回収に備えることにした。

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雪合戦の思い出

雪が降ると思い出す。

数十年前の某中学にて。

その日は、稀に見る大雪で、登校できない教員・生徒がいるため、一時間目は「全校雪合戦」ということになった。
運動場で生徒数百人が楽しく入り乱れ、教員もジャージに着替えて一緒に雪合戦に興じる。
嫌われ者の某教員。恐る恐る職員室から出るたびに、生徒たちに雪玉で狙われ、職員室に引っ込んでしまう。

で、知恵者が伝言を回す。「運動場の真ん中まで誘き出せ。合図するまで攻撃するな」。
こういう伝言は生徒数百人であっても的確に伝わる(笑)。
生徒たちは恐る恐る運動場に出てくる某教員を視界の端に捉えつつ、故意に無視し、それぞれの雪投げに興ずる。

よくよく用心していれば、この無視され具合はキケンだと分かりそうなものだが、人の気持ちのわからない人間はそういうことができない。
こうして、某教員が運動場の真ん中まで出て行ったところで、かねて取り決めの合図あり、生徒たち一斉に襲いかかった。

ふつうに敬意を払われている教員であるならば、雪玉をお腹に当てるとか、足に当てるとか、生徒も斟酌するんです。
あくまでも「先生にぶつけた(てへ)」という体で。あるいは、教員の味方をする生徒もいる。
でもね、普段の行いがアレだと、そういうことにはならないのですね。

まことに情け容赦もない、という風情でした。
あ、私は遠巻きにして見つつ、「自分が嫌っているだけでなく、それ以上に、多くの生徒たちがこんなにも某氏を憎んでいたのか」と感嘆していました。
人間、人に嫌われても已むを得ない事もあるでしょう。でもね、人間はそういうのを許すんですね。

某氏はその限界を超えてなお、自分では気づかなかった。教員という立場に馴れて、生徒たちの声が聞こえず生徒たちの様子を見ていない・見えていないことにまったく気づいていなかった。
聞く所によると、親も教員で「その道のえらい人」であるとか。世襲って宛にならないですね。

さて、卒業後随分経ってから、大きな同窓会がありましたが、某教員は来ていませんでした。
「某教員来てないね」と言うと、誰かが「呼んだのか?」と言い、誰かは「まさか。仮に呼んだとしても恐くて来れないよ」と言う。
呼んで来なかったのか、呼ばなかったのかは判りませんが、今さら姿を見たいとも思えず、話題にもせず、ただそれだけでした。

あ、うちの担任はその同窓会にお呼びしましたし、来て下さいました。今でも(コロナさえなければ)一年に一度はお会いしています。
担任は立派な方です。この方は今なお私の「先生」です。お腹に雪玉をぶつけましたけど。笑って投げ返されました。そういう方ですから。

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2022年の記録

2022年。個人的にはほどほどの歳であった。だが、世界では戦争があり、日本も少子高齢化と不景気と軍拡が一度に押し寄せており、後々振り返ると、2022年はもっとも良き日々の最後の一年であった、とならないかいささか心配している。

●読書
少し本が読めた。平家物語を読み、アレクサンドリア四重奏を読んだのだから良しとしよう。
スタニスワフ・レム初期作品「マゼラン雲」が読めたのも良かった(和訳には少々難癖をつけてしまったが)。
西行物語は解説も含め楽しめた。二次創作、あるいは、ファン同士の語らいと言ったところか。
虜人日記(小松真一)も読んで良かった。愛国者を気取るのであれば、こうした書を読み、過去を反省し、未来に活かすことを考えるべきだと思っている。
もう少し本を読めると良かったが、これ以上の大きな進展はないね。残念。

●音楽
演奏会を2回。3回目は急遽中止に(延期)そういう事もあるのかという驚きと、これまでそういう事がなかったことに感謝。
ハイドンの弦楽四重奏Op.77-2。シューマンの交響曲第2番、ブラームスの交響曲第2番。 ベートーヴェンの弦楽四重奏Op59-3が延期。

2021年12月にベートーヴェンOp59-2を弾いた事も遠い思い出だが、2020年5月のハイドンも思い出せない。歳長けて日々が過ぎるのを速いと感じるが、それら日々が手の届かない遠くにある感は、さらに強くある。 現時点で、ベートーヴェンのOp.59-3(9番)が延期だが、他に、12番と14番を弾いている。私はどれだけベートーヴェンが好きなのだろう!
若い頃は、ベートーヴェンの音楽に不自然さ・作為性を感じていたが、それがあまり気にならなくなった。味覚が衰えてピーマンが食べられるようになるの類だろうか。

2023年の演奏会が5月20日に決まった(Op.59-3)。「2023ふくしまチェロ・コンサート」にも出たかったが、残念。
このほか、3月11日もある(12番)。今決まっているのは、この2回。14番は先行き未定。

楽器仲間の病気の報があった。今後おそらく楽器を演奏することは叶わないであろう。
昔、砺波平野の田んぼの真ん中の小学校に、学生オーケストラで訪れたことがある。そこで小学校教諭に「自分もチェロを弾きたいがどうしたら良いか」と尋ねられたことがある。大人しそうな真面目そうな方であった。私は簡単に、金沢にはオーケストラがあり、職業演奏家がいるので、そこに相談すると良い、と答えた覚えがある。
楽器を演奏できる、ということは、大変大変恵まれたことであり、願っても楽器に触ることも難しい人もいるという事を切実に感じる機会であった。
私ごときが楽器をぶーぶー鳴らすことに社会的意義があるとはあまり思っていないが、楽器を弾く以上最低限の礼儀というものがあると思っている。
また、甚だ僭越であるけれど、若く華々しい経歴を持つ職業演奏家の方々にもそうした思いを少しく分かって頂きたいと思うことがある。

●旅と鉄道
日本最長路線バスの旅を楽しむことができた。また、そこに至るまでに、昔住んだ町に訪れたり、昔なじみの料理店に行ったり、あるいは、亡くなった知人の出身地を見ることができたりした。
また、高岡で路地裏のおでん屋さんに入り、美味しいものを食べ、面白いお話を伺う事ができた。 これからどうやって老いてゆくのか考えることが多くなったが、これからも旅に出たい。私は隣駅まで歩いてゆくのも、そこに発見があるならば旅だと思っており、必ずしも大きな鞄を持って飛行機や船に乗る必要を感じてはいない。知らない人と出会い、見知らぬ土地の見知らぬ物語を聞きたい。

鉄道模型遊びをしている。雑誌を読み、ネット記事を読み、好みの車両・懐かしい車両の模型を買ってきて走らせる。こういう事は生きていく上で「必要」であるとは思わない。おそらく人生の一大事があるならば、こうしたことは省みることがなく一大事に邁進するだろう。とはいえ、余暇閑暇を楽しく過ごし、多忙時への備えとしてもこういうことをしているのは大変良いことだろう。

●その他
コロナの第三年。
コロナ第一年(2020年)に母が亡くなった。最後に救急車を呼んだ時、乗車を断られた。理由は様々だが、結局のところコロナのためであろう。コロナ感染防止のため病院にもあまり行けなかったが、最期に立ち会わせて頂いた事には感謝しかない。
コロナ第二年(2021年)に父が亡くなった。病院への立ち入り制限は、コロナの実態がだんだん分かってきたからか、少し緩和されていた。とはいえ、入院時に「コロナに感染していないか、濃厚接触者ではないか?」のやりとりが濃密にあった。
第三年である今年、家人が感染・発症した。三十八度程度の発熱が三日四日ということで、インフルエンザ程度の症状でもあり、後遺症もなさそうなのが幸いであった。なお、ワクチンについては三回接種済みだった。その後、家人および私は四回目を接種。さあ、どうなるか。

美術館は太田・五島と小さなところばかり行った。古書店にも少し行けた。寄席に行かれた。
音楽会としては、マーラーの交響曲第七番を聴けたのは良かった。高関健の指揮も良かったし、ヴィオラの独奏が滅茶滅茶良かった。
月に1・2回は「文化的な活動」をしようと思っていたが、おおむね目標達成であろうか。

総じて、ウクライナ情勢が気になり、その他のことが考えにくかった。ウクライナの平和を願って已まない。

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2021年のまとめ

●演奏活動
久方に演奏活動をすることができた。本当にありがたいことである(サントリーの缶コーヒーBOSSの宣伝にも久方の演奏活動の物語があり、共感した)。
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲Op.59-2、交響曲第一番、ブラームスの交響曲第一番。新しいオーケストラを創るからとお誘いを受けて弾くことができた。近年若干暇を持て余し、オーケストラにも参加してみたいと思っていたところであり、渡りに船。既存のオーケストラに入ると、すでにある人間関係に入ってゆくことになりなかなか難しい。そういう意味でも新しいオーケストラは良い。皆一緒(とも限らないが)。
オーケストラに行っていつも思うのは、周りが自分より上手でも不幸であるし、自分が周りよりも上手であっても同様である。そういう意味で「平均人」でありたい、ということだ。それは「阿部礼司」幻想であって、そうした平均人など存在しないのはよく分かっているけれど。
久方のオーケストラ・久方の演奏でうまく行かないことの方が多かった。年齢による衰え・多忙による衰えがあるのだから、積極的に自分を鍛えることをせねば、と思うのであった。ともあれ、楽器をかついで歩き回って腰を抜かさなかっただけでもよしとせずばなるまい。

近所にお住まいの方(複数)から「最近楽器の音が聴こえない」と言われる。楽器を弾く部屋が変わったからかと思うが、先方の耳が遠くなったのではないか・・・とも思う。練習量が減っているというのあるのかと少々不安であるけれど。

●読書
本をたくさん読んでいるわけではないが、面白い本に出会うことが出来た。以下が特によろしかった。良い本に出会うことが出来、幸いである。

歩道橋の魔術師 呉明益、天野健太郎
白い病気 カレル・チャペック、阿部賢一
シリーズ小さな喫茶店 山川直人
地図で見る日本ハンドブック レミ・スコシマロ

国書刊行会からスタニスワフ・レムの第二期が始まったのも嬉しい(これを書いていて、「地球の平和」が年末に出版されたことを知る。早く甲斐に行かねば)。
歳長けて、もう面白い本との出会いは二度とないと思ったこともあるけれど、知らざる多くの書があり、また、昔読んだ本の再読もまた面白い。ドストエフスキーをもいちど読んでみようかと思っている。いつか「失われた時を求めて」再読もしたいが、まだまだ先であろう。

●鉄道遊び
好きな車両・懐かしい車両の模型(Nゲージ)を買って・並べて・走らせて、楽しく遊んでいる。
先日、小学生時代からの電車仲間が我が家に16番ゲージ(いわゆるHOゲージ)を持ってやってきた。彼としてはHOゲージの仲間を増やしたいのだそうだ。でもね、HOゲージは高価でもあり、この大きさに全く見慣れないので、私はそこに行く気がないのだよ(と言いつつ、ネットで調べ物をする私)。
とはいえ、我が家の押入れにさらに大きなGゲージが隠してあることは言い出せなかった。そのうちびつくりしてもらおう。

思えば、小学三年生の春先、百貨店で母に買ってもらったのが私の鉄道模型ことはじめである。その時に買ってもらったディーゼルカー(関水金属製キハユニ26)は今も手元にあり、私の宝である。鉄道や模型を通じて、技術・システム・歴史・経済等多くのことを学んだ。理系進学することになったのも鉄道趣味が発端のひとつであろう。今また暇にあかして電車遊びができるというのもなかなか良いことだと思っている。

私が幼い頃見たはずだ、と、父が言っていた「蒸気機関車D51が牽引し、C11が後押しする中央西線の貨物列車」についても、ネット上で貴重な情報を頂くことができた。こういうことが知れるのもネットの有難さであり、ネットにつながっている人々の有り難さである。(https://shinano7gou.at.webry.info/201901/article_4.html)

●外出と街歩き
音楽会に行かず、美術館に行かず、映画館に行かない。私の基準ではこれ非文明人である。オミクロン株の行方が気になるが、来年はなんとかこれら三者に行きたいものだ。
歩いての中華街行きではできていない。その他あまり遠くには行けていない。そういう時もある、としておこう。

時々珈琲屋に行くようになった。隣町に夕食のおかずを買いにゆくついでであるけれど。その店の珈琲が特別においしいということではない。店の人が特別親切ということでもない。だが、この店に行って以来、どこで珈琲を飲んでも不味さを感じたり、居心地の悪さを感じることが多くなった。まして、自分で淹れたそれに至っては泥水の類である。自分で色々な努力をして出てくるものが泥水であるならば、その努力は甲斐がない以上に悲惨である。よって自分で珈琲を入れるのは止め、人が淹れた珈琲のみを飲む、と決めた。それはそれでちっとも困らない。お茶の類は珈琲に比べて雑に入れても味が大きくは変わらない。自分で淹れるならばこれに限る。

●その他
2020年・2021年と身内の不幸が続いた。人の生き方が様々であるように、人の死に方も様々である。そしてまた、いかにそれが当然の自然現象であると知っていても、やはり死にゆく人に接することは人間に深く大きな影響を与えるのだと思った。それは悲しいという感情もあるが、それ以上に深く身体の奥底から揺り動かされているように感じる。それは、あまりにも当たり前のことであるけれど、正直な感懐である。

GoogleStreetViewで見るに、鳴海駅前の大きな松の木。父が愛した大きな大きな松の木は浅間神社や山車の蔵と共になくなったようだ。あの町はもう私の知っている町ではない。それはそれで良いのかも知れない。私は、かつて日々利用していた東岡崎駅と金山橋駅が大きく変化を遂げた際、なにか大きな安らぎを覚えたことがある。それは、犯行現場の消滅に安堵する犯罪者の気分なのかも知れぬ。それらの駅で私が為したのは犯罪ではないけれど、人様に語れるようなことではなかった、ということだろう。
そして鳴海駅と鳴海の町自体が変わるならば、私はそこに戻りたいと思うこともなく、安らかに今の場所で生きてゆけば良いことになる。私は様々な土地で様々な恥ずべき行いを為してきたが、それらは全て雲散霧消し塵芥灰燼の如くに成り果てた。大変気安いことではある。

2020年の半ばから、我が家では毎週木曜日は「テイクアウト夕食」の日にしている。自分たちの気分転換と経済貢献になるからであるが、これもまた種々の条件を考えねばならず手間は手間である。まず「このイベントを何曜日にするか」という議論もしたけれど、「週末に近づいて後一日頑張ろうという木曜日が良い」という私の意見で木曜日にしてもらっている。
お店やメニューに関して、家族の意見があまりにも合わなければ、「各自勝手次第」とする。
ある意味在宅時代以前以上に外食しているとも言えよう。どのお店も一生懸命やっておられると思うが、繰り返し利用する、というのはなかなか厳しい条件であるなあ、というのが感想。年に一度・二度の利用と、月一回程度の利用では格段に敷居の高さが変わる。あるいは、私一人の利用と家族四人の利用でも同様である。そういう意味でどのお店も悪くはないが、完全なる信頼感を獲得している店まではないなあ、ということである。

在宅勤務が主になっておおよそ二年が経過。かつての自分は「会社」という場で「仕事」だけを考えるという人間だった。 現在、自分はそこから大きく逸脱しているのではないか、と感じる。もともと逸脱していた気もしないではないのだが、少なくとも会社で仕事をする時間においては仕事に専念し、仕事に専念する精神構造を作っていた。ところが、二十四時間自宅にいて、庭を眺めたり、街路を行く人々の音を聴いていると、それらが日常であって、「仕事」はどこか遠くに霞んでいるように思われてくる。 これは多分私だけの感懐ではなく、こうした変化によって、実は社会自体が大きく変化しうると思っている。それが良き方に向くのか否か、それはどちらとも言えないだろう。 私自身はそもそも出不精な人間であり、毎日家にいるのも、隠居ないし出家遁世の夢が思ったより早く叶ったという程度の感懐であるけれど、多くの活動を制限せられている若い人々にこの状態は可哀想だ、と思う。

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社長の子ども

まずは、「社長の子ども」について、あるソフト販売会社の営業所長から聞いた話から。

営業所で中小ソフトハウスの「社長の御曹司」を預かることがある。その時、こんな話をする。

「あなたにこれからやってもらう営業職は、あなたにとっては数年間の仕事に過ぎないかも知れないが、多くの人にとっては一生やり続けなければならない仕事である。多くの人が経験する苦労をしないままに、親の会社に戻り、親の跡を次いで社長になっても、一般の社員は誰もついて来ないであろう。だから、あなたには営業職のうちでも最も過酷な『飛び込み営業』をしてもらう。」

多くの場合、こう言われた「御曹司」は「わかりました」と言って、それから数年、その過酷な仕事をやり遂げるという。そして、退社して「親の会社」の戻る際、泣きながら「本当にありがとうございました」と言って帰ってゆくという。 さらに、何年か経ち、親の跡を継いだ後などに会うと、「あの時は本当に大変だったが、その苦労が本当に役に立った」と言って感謝されるとも。

さらに、こうやって「息子を鍛えてくれ」と言ってくる会社は継承されるが、そうでない会社は衰微してゆく、とも語っていた。なかなかに恐ろしいことではある。

会社を支えているのは、現場であれ経営陣であれ「本当に苦労をしたことがある人」であるように思う。この人たちは、他人について「苦労をしたことがあるかどうか」について大変鋭い目を持っていて、「苦労したことがない人間の言うことを聞く必要がない」という信念を持っているから(そしてそれは往々にして絶対的正義であるから)、「苦労していない社長の御曹司」なんぞが現れた場合、本当に相手にしないのである。

私が在職したとある某社(特に名を秘す)で、出来の悪い課長級の御曹司に向かって、会議室でスタッフが怒鳴り散らしているのを聞いたことがある。会議室周辺の社員は全員が仕事をしているフリをしながら、耳をそばだてている。後々それらの人々同士で話をしても、御曹司に同情的な人は一人も居ない。皆が怒鳴っていたスタッフに同情的であった。パパが社長だからと入社して課長になどなってしまうと、こういう目に遭うのね、という好事例であった。

料理人の世界では「他人の釜の飯を食ったことがない奴はダメ」というらしい。 私が聞いた例では、親の急死で予定していた修行に出られず、自家以外で仕事をしたことがないままに親の跡を継いだ料理人は、雇いで使っている料理人からそこはかとなく蔑まれて辛い思いをした、とのこと。

こうしたエピソードは、どれもこれもスポ根の香り高い昭和の残滓であって、令和の現代においては大きく異なるのかも知れない。社長の子も一般人の子もすべからく同格であり同格であるべきなのかも知れない。ただ、一方で、中小企業に経営的野心を持って入社する者は少なく、なかなか経営適格者が現れないことから、中小企業の経営権継承が身内で行われざるを得なくなるのもよくよく生じるのではないかと思う。

「他人の釜の飯を食う」苦労をあえてしている人物に接した私の経験やその他あれこれを考えあわせてみるに、私は「自分の親が社長(経営者)でなくてよかった」と思うものである。私は「苦労をしてない上司」に頭を下げる気にならないのだが、私が上述のような厳しい経営者教育を受けた者であるならば、「どんな人間であれ尊重して使いこなすべし」という前提に基づいて、こうした「苦労をしてない上司」にも頭を下げられるのであるかも知れない。

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2020年のまとめ

例年書いている各年のまとめ。2020年、さして書くこともないと思うけれど、例年のことであれば、いちおうの記録を残しておこう。

■音楽
コロナ故、一旦途切れていた室内楽を、ほそぼそと練習再開。とはいえ、この先どうなることやら。ベートーヴェンのOp.59-2を練習したのだけが音楽活動だね。

家にあるCDをPCに取り込みなおした。以前mp3で取り込んでいたものを、AppleLossLessにした。HDDが安価になった現在、圧縮フォーマットである必要はあまり感じないが、タグをきちんと覚えていてくれる必要はある。可逆圧縮のうち、多くの機械で再生できるもの、ということを考え(あまり深く考えずに)、行ったフォーマット選択である。大いなる暇つぶしである。CD屋にもほとんど行かず、もうCDは買わないのではないか・・とも思っているが、ライセンスの紐付きファイルも嫌だな、と思っている。(今この瞬間、Linux上のRhythmboxでAppleLossLessのファイルを再生している)。

■読書
あまり本を読んだとは言えない。そういう年もある、という言い訳を毎年書いているようにも思う。

久しぶりに鉄道の本をたくさん買って読んだ。多くは子供時代に借りて読んだ古い本である。昔書かれたさらに昔を見る、というのは、非常に啓示に富んでいるように思われる。これらが役に立つか、というと、そもそも役に立たないことを追求しているのであって、役に立たないからこそ素晴らしい、という感覚である。

音楽もそうだが、私は、趣味を通して多くを学んだと思う。趣味でもなければこんなにも熱意を持って学ぶことはなかったであろう。小学校時代の友人を思い出すにつけ、学業優秀だった者の多くは趣味人でもあって、趣味で学ぶことに比べれば、学校の勉強など苦にもならない、という人々であった。

■文化的な活動
映画に行かず、音楽会に行かず、書店に行かず。それもまた仕方がないことではあったが。

鉄道模型を再開し、少しずつ工作もしている。工作の緊張にもあまり耐えられず、気が向いた時にごそごそしている、という程度。

■しごと
4月から在宅勤務。今まで一生懸命混雑する満員電車の苦痛を味わいながら会社に通っていたのは一体何であったのだろう。自分の人生の貴重な時間をどれだけ無駄にしてきたかと思うと、虚しいばかりである。

ともあれ、人生そのものが無駄であると考えるならば(そう考えない鞏固な根拠を思いつくだろうか?)、満員電車の苦痛も含め、特段無駄の総量を増やしてはいないと言うことになるだろう。

■その他
ここまで書いてきたように、特段ここに書くようなことをしていない。身内に不幸があったのと、コロナですべてが覆い尽くされている。ともあれ、職に困るわけではないのは恵まれていると言えよう。

自分の人生(少なくとも職業人生)は残り少なになってきた。地上の富は天国に持って行けないそうである。私は金銭財貨あるいは名誉の類を地上の富であると考えていたが、多忙と加齢によって多くの記憶や技芸を失っている私は、これら記憶や技芸もまた地上の富であるのだと、痛切に感じているところである。

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2019年のまとめ

◆音楽
ハイドンの四重奏曲第74番ト短調 『騎士』 、ベートーヴェンの七重奏を弾くことができた。日々あまりに多忙につけ、まるで遠い昔であるように感じる。ともあれ、しばらく遠ざかっており、忘れかけていた演奏活動を少々思い出しつつあるように思う。

若くして亡くなった友人を偲ぶ音楽会で、久しぶりのオーケストラ。私が彼と一緒に弾いた曲ばかりではなかったが、私が愛して止まない曲を彼が弾いていたということや、演奏を通じて彼が多くの人々に愛されたことに、幾分の慰めを感じることができた。

◆読書
それなりに本が読めたように思う。歳長けて、まだ読むに足る書物があるのはありがたいこてだ。これまで読まなかった愚というよりも、読むに相応する齢もあるだろう。

面白かった三冊を挙げておく。
みんな彗星を見ていた 星野博美
未知の次元 カルロス・カスタネダ
KATO Nゲージ生誕50周年記念誌

◆文化的な活動。
月に一度は文化的な活動をしようと思っていたが、後半失速。演奏活動が忙しかったからではある。

こんにゃく座「遠野物語」。
映画。ホフマニアーダ、芳華、山猫。
絵画。トレチャコフ美術館所蔵品展、五美大卒業制作展。藝大・武蔵美・多摩美の学祭に行く。
落語。連雀亭に三度。中でも感心していた柳亭市楽は、2020年3月から真打に昇進し、六代目 玉屋柳勢(たまやりゅうせい)を襲名されるとのこと。確かに他の噺家とは一段二段格が違っていたと思う。良いと思った方がそれを認められているということで、大変嬉しい。

◆しごと
自分で手を動かすよりも、若い人に動いてもらうことが増えた。オーケストラで若い人を教え、就職して営業職をした経験が大きく役に立っている。
人生は不思議だ。
オーケストラをやらず、営業をしたことがない人は、どうやって「上司」の立場を演じるのだろう。

◆その他
工作も料理も必要に迫られ。最低限をなすのみ。仕方がないね。

鉄道ファンの真似事を少々。本気にはなれないけれど、他に暇潰しもなく。倉敷・新見・津山・姫路周遊。姫新線完乗。鉄道模型を引っ張り出して運転したり。

しばらく会っていなかった友人に会う機会がしばしばあった。やはり嬉しいものである。
以前、一つのマンションに、小学校の同級生と大学の同級生が住んでいるということがあった。後者は遠地に移ったが、出張先が彼の任地(というか職場)であった偶然で、しばし歓談の機会を得た。また、前者とも会う機会を作ることができ、嬉しかった。

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