読書の記録(2026年7月)
Butter 柚木麻子
電車内でButterを読んでいて、下車した駅前に柚木先生らしき方が長椅子に座っておられた。驚き。
私、「生きている物書き」を目の当たりにしたのは、ドナルド・キーンくらいだね。キーンは大学に講演会に来て、サインももらったのだが、あまり上手ではないカタカナで「ドナルド・キーン」とお書きになるせいで、友人に見せたら「お前が書いたのか」と。
(よく考えると、絵本系の山田美津子さんや、美術史家の金沢百枝先生は「見て」はいるなあ。子供の頃、こういう「くりえいたー」という人々を見たことがなく、想像もできなかったことからすると、大人になり・都会に住むと色々なことがあると知れる。小説家については柚木氏以外知らないから嘘ではないね)。
夜明けと音楽 イ・ジェニ、橋本智保訳
希望通り少しずつ読む。何かたいへん明晰で眼前に情景が浮かぶような文章がある。だが、「麻田」に行ったことのない私の思い浮かべる情景は「正しい」ものではないだろう。そしてまた、筆者が苦労して綴りつつ、文意がたいへん取りにくいところもあり、最も伝わってくるのは「苦労」であったりする。ゆっくり読もう。
時々、掌を指すように己がことのように思われる文章があり、また、異国の異人が語る異言がある。この距離の行き来がまことに不思議。
こういう意外な書に出会えるのは、普段行かない書店に足を踏み入れる面白さである。
(北九州のナガリ書店をここで懐かしんでも許されよう)。
「本を作るのも楽しいですが、売るのはもっと楽しいです。」(金承福)
買わなければ、と思っていたら家の積み本から出てきた。
なかなか、なかなかだな、自分。気をつけよう。で、読み始めたら、(失礼ながら)想像以上に面白い。運が良い。私。
尹錫悦大統領の弾劾など、我々日本人が韓国の人々からもっと学ぶべきことがたくさんたくさんある。
菊池寛と馬海松の逸話のように、わずかな救いもなくはない。北村薫が菊池寛の作品・人間性双方を高く評価していると私は思うのだが、それに通じるやも。
「父、馬海松と菊池寛先生」https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h7484
この本の末尾に日本語で読める韓国書籍のリストがある(私の誤解でなければ)らしいので楽しみ。
私としては「絵本」がみたい。以前読んだ「ソリちゃんのチュソク」(イ オクベ、みせけい)が非常によろしく、韓国と日本が違ってもいるが似てもいることがよくよく知れて、もっとこういう絵本が読みたいものだと思った。
「孤独のグルメ」の韓国訪問回も私はなかなか好きで「大文学」も重要だが、こうした地道で日常生活に根ざした情報が知れることは、楽しくもあり、また互いの理解・友好のためにも良いのだと思う。
金承福氏の性別について特段気にせず読んでいたが、途中でそれと知れる記載が出てきて、「お」と思う。
で、この本に紹介されている「菜食主義者」(ハンガン、きむふな)がどうしても読みたくなる。そしてまた、どうせなら神田神保町チェッコリで買いたい。そういうわけで、暑い中走って(当社比)行って参りました。汗かきオジさんが突然現れたので店の方々が「もっと冷やしましょうか?」と。結局、「菜食主義者」と「とにかく、デモ!」(チョン・ボラ、吉良佳奈江)と購入。「楽器たちの図書館」は品切れ(悲しい)。『マテニ10号』は次回。などと仕分けをせざるを得ないのであった。
どうやら、冷房を強めるか訊いて下さったのが金承福氏だった模様。そんな気がしつつも、昨日の今日のファン心理で興奮して押しかけたので、恥ずかしくてご挨拶はせなんだ。
訪問帰路の車中で「おわりに」を読んだが、良いなあ、この方の志。ちょっと涙した。私は単なる「本読み」にしか過ぎないけれど、こういう方はとにもかくにも応援したい(私の応援ごとき屁の突っ張りとわかってはいるけれど)。
そうそう。「菜食主義者」の名が分からなくなり「草食動物」「いや人間だった!」「植物人間」「もうちょっとやる気がありそうだった!」というやりとりを一人でしてしまいました。「菜食主義者」ですね。
他に、「鉄道員三代」「尹東柱詩集」にも興味がある!
尹錫悦大統領弾劾時の判決要旨。日本語で読むことができる。感謝。
https://justice.skr.jp/koreaconst/impeachment.pdf
「国民すべての大統領として自分を支持する国民を超越して社会共同体を統合させるべき責務に違反しました。」
韓国の司法が正当であることに尊敬の念を覚える。
「弾劾事件ですので、宣告時刻を確認します。現在時刻は午前11時22分です。」
法治主義というのはかくも厳正なものであるか。法律とは人々の血で書かれたものであり、厳正なものであるべきである。
それに引き替え我が国は、と悲しくなる。
日本国憲法は、日本人310万人、中国を始めとするアジア諸国2000万人、さらに米英蘭らの人々の血で書かれたものではなかったか。
岡山文庫319.内山完造の世界
神保町内山書店にて購入。かねて内山完造氏の業績については耳にするところもあったが、概説があるならば買わざるべからず。
買って良かった。岡山文庫は都内で買える場所があるかを知らず。入手しておかねばと思って買ったが。
こういう立派な先人がいたのだから、今後も世間は見習ってほしい。だが、世間が汚濁しているから、当然のことが立派に見えるとも言えよう(いささか無念)。
そういえば、岡山文庫「288.カバヤ児童文庫の世界」を蟲文庫で買ったはずと思って調べると、「327.棟田博の作品世界」なんてのもある。読みたい。「338.イギリス連邦占領軍と岡山 敗戦直後の〈幻の国際社会〉」もすごい。
鉄道模型趣味
968号。伊藤剛氏の「瀬戸電」単車を失敗とする言及は貴重。私は400号を高校生くらいでこの製作記事を読んで「口あんぐり」だった。
あれを作るのも高度な技術的発想と実装技術が必要なのだが、それを失敗と断ずるのも高度な技術的判断である。私ごとき素人には「作るのもすごいが、失敗と判断するのもすごい」としか言いようがない。そうした「凄さ」を若い頃垣間見できたのは実社会で生きるうえで有用だったと思う。
97号。坂本衛氏のお名前が見える。吹田市とある処、たしかに氏は国鉄の(おそらく貨物列車の)車掌であり、吹田操車場のお近くに住んでおられたのだろう。
54号。広田尚敬氏の名が見える。東京都電「エ1」。子供だった頃買ってもらった子供向け蒸気機関車写真集は広田氏の写真になるものであり、なんとなう「こういうことが仕事になるのだ」と驚いたような覚えがある。
須津谷急行鉄道。「すずや」と読むことを確認。昔「すつがや」だと思っていたので。鈴木さんが屋号として「すず屋」を名乗っていて、それを鉄道名に転用する際、地名らしく漢字をあてたと理解すれば良さそう(違うかも)。
80号。赤穂線開通を巻頭で祝う。当時は、山陽線の改良バイパス路線として期待されていたのか…と
塩水による「抵抗器」。理科実験ならともかくも、この時代これが実用になりうるという感覚があったのか。私の知る昭和から見てもおかしくはないのだが。そしてまた、ジャガイモを使った電気の極性判定。今どきテスターなら1,000円くらいで買え、我が家にも3台あったりする。昭和は遠く成りにけり。
SNSは読んでも面白くなくなってきたので、電車内の暇つぶしに(本を持っていない時は)青空文庫を読むことにした。
中谷宇吉郎は安定の面白さ。
或る牛乳工場の思い出 アルゼンチンのインフレーション おにぎりの味 湯川秀樹さんのこと 離婚とダイヤモンド 「天災は忘れた頃にやってくる」など。
森鴎外は翻訳ものもあり多彩。例えば:十三時(エドガー・アラン・ポー、森林太郎訳)
他にも面白くて読みやすそうな作家を探しておこう。
「メーニェイン」は「メニューヒン」(ヴァイオリン奏者)ではなかった!
中里介山「大菩薩峠」を読み始めた。殺伐たる話だが、読みやすく、つい読んでしまう。車中で少しずつ読むには良いね!。
SNSのつまらなさは異常。どこからお金がでているか知らないが、非科学政党の投稿が非常に多い。ブロックするのも面倒になってきた。
自分が「愛読書」と思っている書の登場人物を諳んじているかを、電車内の暇つぶしにしてみた。
サン=テグジュペリ「戦う操縦士」でやってみると、アリアス少佐、デュテルトル中尉・アザムブル中尉(少し時間がかかった)、ペニコ、イスラエル、T曹長までは出てくる。これ以降はあかん。他の作品だと、ジャック・ベルニス、アンリ・ギヨメくらい。星の王子さまなら、飛行士、バラ、フェネック狐、酔っぱらい、天文学者、点灯夫、ヘビ、うわばみと象、羊。どこまでが「人物」であるのか。王子様と対話するのが「人物」と見ても良いけれど。
誰がために医師はいる・続 松本俊彦
https://magazine.msz.co.jp/series/tagatameniishiwairu-zoku/9/
『その意味で、私が治療と称してやっていたことは、「ブラック企業におけるマインドフルネス研修」と本質的に変わらないものだった。』
以前、自分が会った産業医もほとんどそんな風。「言論の自由」って感じ。
ガルシア=マルケスの記事を「こんな人だったっけ?」と思い、調べると、「バルガス=リョサ」と混同していた。悲しい。
https://imidas.jp/insight/d-40-172-26-07-g998/2/
同じように、高木惣吉と小沢治三郎を混同していた。
どちらも発話していないのが救いである。
武田一義『ペリリュー-楽園のゲルニカ-』。
以前、少し読んだ。かわいらしい絵であり、戦争の悲惨を矮小化しているのではないか、と危惧していたが、おそらくは事実であろうことを矮小も拡大もせず悲惨なままに誠実に提示していらしゃると感じる。むしろこの絵だから読んでいて耐えられる面もある。まこと読むべき書である。
私がごとき「戦闘以外の戦争」興味者にとっても。
大谷 敬二郎「捕虜」
何か煮えきらない文章。不思議に思い経歴を見ると憲兵だった方。
歴史の研究者というわけでもなく、自己の体験を語るでもなく、なにゆえこの人がこの文章を書いたのか、と改めて不思議。
ご自身は前線での戦闘に身を晒したこともなく、一方で相応の顕職にありながらご自身の戦争責任については文章からは感じ取れない。「あとがき」において、戦闘員に「生きて虜囚の辱めを受けず」と言っていた統帥の責任について触れているが救いといえば救いであるけれど。何か学問ある者の冷たい第三者視点であるように感じられる。
大菩薩峠 中里介山
青空文庫で読んでいる。車中で読むのにちょうど良い。大衆小説らしく、読みやすくわかりやすい。
間があいたから読むのに難渋するということもない。いつもの机龍之介。そして過去経緯も地の文・台詞でちょいちょい説明されて親切。
有害なSNSを読んで気分を悪くするより百倍よろしい。
ところで、机龍之介と眠狂四郎を混同していたかも。音なしの構えと円月殺法だったかな?まあ無問題。
北西鉄道事件 シャーロック・ホームズの未公開事件記録 池田邦彦
なかなか面白かった。偶然にもWater Troughsについて調べていたのでなおさら。
Home Before Morning: The Story of an Army Nurse in Vietnam
読んでみたい。ヴェトナム戦争で米軍看護師として従軍した女性のドキュメンタリ。これもまた戦闘以外の戦争であろうか。
「悪魔との舞踏」(ギュンター・シュワブ、1958)。国会図書館の検索システムを試用する際、検索語に「宇井純」と放り込むとリファレンスの結果が出てきた。そこでの言及。邦訳・英訳はないらしい。ドイツ語版Wikipediaに筆者の項があり、「舞踏」についても言及がある。ともあれ、歴史的調べもの以外で参照しても仕方がない体の著作物みたいだね。靴底をすり減らすことなく簡単にそういうことが分かるのは有り難いものだ。
地元自治体の図書館の蔵書検索システムで「将軍の都の客人」を検索してみる。15冊あってすべて貸出中。
もちろん読者分だけ全部売れればなお良いのだが、とは言え、良い本を買っている図書館にも、借りている人々にも尊敬。
借りて読めなかったという方もあろう(私の経験)。で、それならば「買うしかない」と(私の経験)。
4月に書いた「某作家全集」。古書店で見なくなりました。無事売れたのでしょう。お陰で私が町内で排斥されることもなく、胸を張って道を歩くことができます(買いそうな雰囲気を出していて結局買わなかった、と排斥されるかもですが)。
と言いながら、今になって「自分が買っておけばよかった」と思うのも人情(私の)。
ともあれ、こういう本が売れること自体は朗報であります。
ある喫茶店で「うろおぼえ一家のおかいもの」を見つけ拝読。
すると、お店の方が「こういうのがお好きなら」と出して下さったのが、出口かずみの小人の豆本。
眠りに誘われる町のお話でたいへん面白かった。
「おかいもの」の方はいつもの無計画(ほんとは計画があったはずなのだが)・無軌道振りが物凄く、たいへん楽しいものだった。
うろおぼえ一家を友人一家に差し上げたいと思うが、どれが第一巻だっけ・・・ま、いっか(うろおぼえ効果絶大!)。
「1膳から作る割ばし輪ゴム鉄砲」
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784910214788
読みたい。著者の経歴がすごい。税務署長だったりした方。輪ゴム鉄砲との関係のなさがすごい。そしてまた税法その他の法律上輪ゴム鉄砲は問題ないのね、などと思ったり(もちろん殺傷能力があるレベルだとまずいでしょうな。まあ「輪ゴム」が殺傷能力のあるレベルで飛んでいくとは思えず…どの程度の質量・バネ定数であるとヤバいかちょっと計算してみたくはあるものの)。
●雑感
7/11本番(雑感の一部として書くのか、と思いつつ)
何事にも終わりがある。この曲の練習にも終わりが来、この曲の演奏にも終わりが来た。
予期せぬ繁忙・体調不良を挟み、なんとか元気に本番が出来たことは有り難いものの。長く取り組んでいるベートーヴェン(弦楽四重奏第15番)の方が苦戦。
モーツァルト(弦楽四重奏第15番)は、比較的最近本番を弾いているせいもあって少し見通しがあったかという感じ。
「自分の考える完成度」をもっと上げないとあかんのだ(と過去百万回した反省に新たな一回を加える)。
右手が難しいと左手がナオザリに、左手が短いと右手がナオザリに。音楽的に何か(無理に)することよりも、良い音程で弾こうとしている方が、音楽的に正しく機能しているような気がする。もっと音程に意識を払って練習をしよう。
パスカルの「賭け」の話と演奏趣味を重ねて考える。
賭けをする者に、賭けで得られる最大利得を与えると言っても興味を持つまい、という話。
弾けるか弾けないかという曲の実現可能性にこそ興味があって、弾けるに決まっている曲にはあまり興味は持てない、等考える。
ここでいう「弾ける」は「単独の奏者として弾ける」ではなく、「アンサンブルとして成立する」という意味と考えている。
弦楽四重奏は、オーケストラの人数を減らしていったものでもないし、独奏者を四人集めたものでもない。オーケストラも独奏も弦楽四重奏もそれぞれ別な音楽である、と思った。
(その点、以前の「ニューイヤー・コンサート」でハイドンの「告別」のウィーンフィルハーモニーの演奏は、人数が減っても音楽が細らない点や、だからと言って目に見えた形では演奏を変化させていない点はさすがだと思った)。
現時点での持ちネタ:
Dvorak Sextet (10/17)
チェロアンサンブル(2件)
一気に減った。11/1は諸般の事情により見直し検討中。他に室内楽の楽曲検討中が3曲(程度)。
室内楽のメンツ検討中が1件(Vn2名確保が必要)。
本番が切れないのは幸せである。
7/8『UNDER-HUNDRED アンダーハンドレット Vol.2』
たいへん面白かった。昨年よりさらにパワーアップした気がする。
響きの面白さ・美しさが卓越している。そしてまた「弓が語る」も横溢。
バスガンバを弾く折原氏がまた最高に格好良い。少しく物憂げで気怠げな体の使い方が、美音をもたらしていると感じる。
そして、時に弓の速度がすっと速まるのだが、その時の弓の軌跡が美しい。
様々な時代の曲を並べるのも楽しい。同じ編成・同じ奏者とは思えぬくらい音楽が違って驚く。
古い音楽は温順なので、現代音楽で刺激を入れるのは良い。いずれかばかりではつまらない。お汁粉と塩昆布の関係。
ただし、塩昆布なら何でも良いということではない。よくよく吟味すべし(吟味されていると感じた。)
「王水」。他の酸でも溶かすことができない「金」を溶かすことができる唯一の(と言ってよい)酸。
昔聞いた話。某女子大化学科で「王水を作って金を溶かしてみよう!」と盛り上がったものの「金はどこにある?」と盛り下がる。
で、話を聞きつけた先輩が「元カレのくれた金の耳飾りを溶かしてもいいよ!」と。化学科恐るべし。
実際に溶かしたのかどうかは聞いていないが、この手の廃液(もちろん危険な物質)を回収・処理する業者さんがいるはずで、業者さんはこの溶液から金を回収できて儲かるのかも知れない。
なんとなうだが、室内楽弾きたらんとする者は、声楽・合唱の素養があったほうが良いと思っていたが、コンソートの素養もないとちょっと困るかも(と、自分が今今困っていることからの実感)。
そしてまた、良い奏者・良い団体に出会った時の常として、「この人たちに何を弾いてもらうと自分が楽しいか」思考。
料理店で美味しい食事を楽しみ、食後のコーヒーを楽しみつつ、「次に来店したら何を食べようか」考えるたいへんイヤしい思考。
最近、自分が弾いていて「ここはコンソート風味で」と思った曲は皆弾いてほしい(完全なる個人的欲望)。
R.シュトラウスの「メタモルフォーゼン」も、ベートーヴェンの弦楽四重奏(少なくとも緩徐楽章)も聴いてみたい。
シベリウス等北欧系弦楽合奏曲。ケクラン「牧歌」。など爽やか系は良い気がする。
ヘレヴェッヘのインタビューを和訳して下さった方がおられる(感謝)。
https://classic.music.coocan.jp/cond/org/herreweghe-int.htm
「わたしはポリフォニーに関心があるんです。録音に選ぷのも、バッハ、シュッツ、シャイン、ブルックナー、シェーンベルク、それにヴェーベルンといった、ポリフォニックな音楽が中心ですね。」
『UNDER-HUNDRED アンダーハンドレット』の興味と重なる。当然と言えば当然なのが、いわば「理の当然」であって、どちらにも「理」があるからこそであろう。
7/4 学生時代のオーケストラの集まり
遠隔地からの参加も含め、結構な人数。嬉しくも有り難いことである。
ともあれ、自分はオケ弾きに慣れないなあ。昔、自分が学生オーケストラで日々活動していた頃、「楽器が弾けます」という新入生を合奏に入れて弾かせると、多くが「しまった」と言う表情をするものだった。結局のところ、大管弦楽ならではの演奏方法があり、またその団体ならではの演奏習慣があり、そうしたことに気働きが出来なければ、合奏には参加できないのだ。若い頃の彼らについて言えば、そのことに気づけるのは、それなりの蓄積があるからで立派と言うべき。今の私について言えば、今更何を気づいているのか、と。
ここからも、オーケストラと室内楽と独奏は別な音楽として扱った方が良い、と発想される。
そういえば、独奏者が集まったオーケストラの演奏をテレビで見た時もそう思ったのだった。
アイヴズ/答えのない質問
https://note.com/akato/n/nbbb08bd6591b
調べていて、なかなかいい解説だ、と思ったら古い知人が書いたものだった。そういうこともある。
そもそもこの曲について調べ始めたのは、古い知人がモンペリエの楽団にいる>モンペリエの悲愴の録音が公開されていると告知>そこに行ったら、オープニングがアイヴズだった>いい曲だ!>調べる、の過程。古い友人たちから様々に教えられて嬉しい。一方、なぜか悲愴には行き着かなかった。なぜ?
「世界のオーケストラで活躍する日本人演奏家たち」日本オーケストラ連盟によるまとめを見た。
私は各国の演奏団体による動画で東アジア人らしき顔を見かけると、団体のホームページでどんな人か見てしまう。
あくまでも私の感覚だが、東アジア人割合が最大なのは、米国の都会のオーケストラのヴァイオリンで、おそらく5割弱。3割日本人・1割韓国人・1割中国人と思っている。
東アジア人割合を地域別に見ると、米国>西欧>中欧・南欧>東欧くらいの印象。楽器は、高弦>中弦>低弦>木管>金管>打楽器。
東アジア人内の内訳は概ねどこでも変わらないが、団体によっては、日本人のみ・韓国人のみらしいところも見かける。
とかなんとか言いながら、さらにご経歴を拝見すると、ご両親とも、あるいは片親が日本人(韓国人然り、中国人然り)だが、ご本人の出生・教育などはすべて米国・欧州と言った方もおられ、「日本人演奏家」とは何ぞやという気持ちにもなる。
「東アジア人は真面目だからオーケストラ内での楽器演奏に向いている」と無根拠・無責任に思う面もあるけれど、すごく深刻にこのデータを見るならば、「欧米のクラシック音楽・楽器教育は退潮している」「日本国内(東アジア各国内)の演奏家雇用が十分でない」「日本人(東アジア各国人)演奏家の供給過多」と言った見方もできるかも知れない。
また一方で、各国オーケストラの均質化の問題もあり、「地域としての個性をどのように維持・発展させていくか」問題も思いついてしまう。
いずれにせよ、それぞれの団体や個人ごとの状況の違いが大きそうなので、問題を思いつくのは仕方がない(私の勝手)だが、これをきちんと論じるのは大変難しそうである。まあ、論じる以前にデータ整備がきちんとされていることが重要なので、この仕事は(特に経年変化が分かるようになっていると)たいへん価値があると感じる。
また、このような名簿は「いろいろな名字が見られる」点でも楽しめる。
パリ管におられる千々岩氏が、私的には「最強」。天正遣欧少年使節団を思わせるではないか(あちらは「千々石」。小栗蟲太郎「黒死館殺人事件」でも少年使節がちらりと顔を出していなかったっけ?)。
神戸市室内管弦楽団(プロフェショナル)の補助金打ち切りの話題の中でも、地域にオーケストラがある意味が問われている部分があると私は感じている。
で、たまたま神戸市民交響弦楽団(アマチュア)のホームページを見ると「義理と人情のオーケストラ」とある。なかなか良い。
外野の勝手な意見としては、神戸市室内管弦楽団と神戸市民交響楽団が仲良くすることで、お互いにとってとても良いことがありそうに思う(が、具体性を欠いてそう思うだけである)。たとえば、自分が札幌(のような地方都市)に根付いていた場合、プロアマの架け橋も含め、様々な役割を果たし得たかも知れないと想像するのは楽しい(甚だ無責任)。が、現実は巨大都市の one of them としてお気軽に暮らしています。
円安で著名音楽家の来日中止。
国際的にみた日本人の支払い能力が下がれば当然だろう。あるいは、中国・韓国ツアーのついでに日本にも来て頂くとか。
日本人が上海公演・ソウル公演を聴きに行くとか。
日本が国際的に買ってもらえる商品を作り出さない限り、この円安傾向は強まる。
昭和の教育では「日本は加工貿易」と習った。資源がない国である以上、基本的にこの構造は不変。
もちろん「売り物」が必ずしもハードウェアである必要はないが、例えばソフトウェア・コンテンツでどこまで人を養えるかはまた別(インカムの問題と雇用の広がりの問題が少なくともある)。
その意味で、日本はかつて売れ筋だった自動車一本槍になりすぎて、他を作り出せなかった時点でこうなるに決まっていた。それを座視していた政治・経済の指導層は反省して頂きたいものだ(私は私の日々の生業で多忙な庶民でござる。庶民としての反省のみさせて頂く)。
勝った勝ったと調子に乗って戦線を広げ、敵の反撃を食らって完膚なきまでの敗北に至るのがこの国の伝統なのだろうか?
ズーラシアンブラス。上手い。
演奏として、私が希求する精神性や手の切れるようなアンサンブルという方向性ではまったくない。
でも、音楽の「楽しさ」を非常によく表している気がする。
ダッタン人の踊りと阿波おどりをくっつけて楽しむのは、音楽の基本的精神のひとつとして正しい。
演奏者のレベルは高い(管楽器・打楽器)。アンサンブルレベルは、おそらく「敢えて」最高を目指していない。それで良い。
この様式でそこを目指しても詰まらなくなるだけ。「いろいろな楽器が楽しく鳴っている」ように聞こえるのが良い。
奏者の顔が見えないのも不思議だが、なんだか意外と馴染んで聴こえる。演奏上の困難はあるだろうけれど(そこは都合よく考えない)。
金管、打楽器、サックスが中心になるのも、被り物のためであろう。趣旨からしてそれで良いと思う。
子供の頃、繰り返し繰り返し楽しく見た「トムとジェリー」を思い出す味付け。
「海はなかった」
廣瀬量平の合唱曲。
昔々聴いて以来好きな曲なのだが、今のところどのような演奏録音を聴いても満足できない。どうやら、私は、言葉の言い回しに強いこだわりがあるらしく、冒頭の「さびれた」でかなり脱落。「さぁび・れ・た」となる「ぁ」が長い・大きいとそれだけでやる気がなくなる。「しろいはねを」で、男性(テノール)が上書きして来るのを好むのだが、なんとなう不安定に入ってくると苛立たしい。不安定を表現しているのか、単に技術的不安定なのかを弁別したいところ。
長い音の伸びが生きないのもいや。女声のヴィヴラートが大きいのも嫌。冒頭のピアノの独奏を指揮者が振るのも嫌。
ここまで好き嫌いがあると、おそらく合唱活動はできないだろう(まあ、自分が歌うのに気をとられて嫌嫌をしている場合ではないだろうけれど)。私には器楽奏者が向いている。
私は合唱曲をほとんど知らないけれど、「海はなかった」は非常に歌いにくい曲だろうと感じる。冒頭のピアノ独奏も、声楽冒頭との対比で大きく演奏するように書かれているのだろうが、大げさなフォルテでは却って雰囲気を壊す。歌いやすさとのバランスで小さめに弾かせて良いのかも。
「海はなかった」に比べれば佐藤眞「行こうふたたび」などは歌いやすさが行き届いているように感じる(これもまた、女声のヴィヴラートが大きいのは嫌だけど)。
CDで佐藤の「早春」を聞くと、最初の「朝」が「あぁさ」と時間差で濁るのが嫌。「行こうふたたび」冒頭は良いが「うぅつくしぃい」と女声の体重ヴィヴラートが卓越してくるのが嫌。「声楽アンサンブル」という言葉はこうした演奏への反感から生まれたのかな?と思ったりする。日本の声楽界は一時オペラ風大げさ歌唱に支配されてしまったのだなあ、と思ったり。それに限らず、海外から入ってくる限られた情報に振り回されていたことは多いと感じる。その意味で昨今、多くの奏者が海外への留学経験・海外での演奏経験を持っていることはたいへん喜ばしい。
ある演奏会で見かけたチェロ奏者(アマチュア)。
左手の指が1本ずつ完全独立で弦を押さえる。左手を「スケール(ものさし)」として使う基本思想を全面排除(時々そういう方を見る)。
また、1指・2指を多用し、3指はあまり出てこず、4指はほぼ使わない。半音・全音問わず1指・2指。
1指・2指を使う際、当然、3指・4指は「押さえる場所の上空」にはいない。特に4指は丸めている。
そしてまた、各指の「押さえるポイント」があまり美味しい場所でないし、使う指によって、手の形が大きく変わる。
1指・2指多用のため、ポジション移動も多いが、あまり合理的なポジション移動ではなく、精度は低い。
人には人のやり方があるのではあるが、なにゆえそのような指使いをされるのか知りたくはある。
昔々、学生時代にこういう人を見たことがあるのだが、その人は信じられないほど向上心がない人だった。
他には、何か他の楽器が出来てチェロもやってみようという方でこのパターンもある。技術は滅茶苦茶だが音質が非常に良かったりして、そうなると私としては勿体ないと思ったり惑乱したりするのである。
自分も(自分こそ)気をつけよう。
モイーズについてのサイト
https://marcel-moyse.amebaownd.com/
なんとなう、チェロ界におけるカザルスと似たイメージをモイーズに対して持っている。トスカニーニが「儂はトスカニーニだ!」と言って怒った時、「儂はモイーズだ!」と言って立ち上がった・・・と聞いたことがある気がするがほんとかな。
「音楽家占い」みたいなのをやってみた。
叙情性と論理性みたいな感じで選択させるもの。まあ、単純にはそうなるだろうけれど、それら矛盾しかねないものを両立させる、平衡させる、あるいは対立的に昇華・止揚させることを考えている(つもり)ならば、選択しようもない。ほとんどすべて「中立」で答えると「ブラームス」と出てきた。理屈の上ではそうなるのかもね。穏当と言うかなんとまあな結論でした。
ホルンの軽い響きが素敵。マンボ。
https://www.youtube.com/watch?v=m1FSR3wKgrk
聖枝祭で総主教を護衛する正教会の楽団
https://www.youtube.com/watch?v=hHGGEq28khE
https://www.youtube.com/watch?v=02-8MUM5FR0
パレスチナのキリスト教(正教)の楽団らしい。中東世界のキリスト教とて、我々が知っている(ような気がしている)欧米のキリスト教と雰囲気が異なる。
音楽的にはあまりスコットランド風とも思えぬが、衣装はタータンチェックのキルトということでスコットランド風に見える。どういうことかよくわからない。
chatgpt先生によれば、伝統的正教の音楽ではなく、19世紀・20世紀にスコットランド連隊を通じてこの地域にバグパイプやチェックのキルトが広まったとのこと。なるほど。そんなことがあるのね。驚き。なんというか、札幌のよさこいソーラン祭くらいで驚いていてはいけないと学びました。
そういえば米国のマーチングバンドを見ていても、バンドは国籍不明で素敵なスマート軍服・軍帽風だったりするし、我が邦におけるそれも言うに及ばず。
2番目の動画は最後に「三本締め」みたいなのをする。面白い。
イスラエル国旗を掲げていることもあり、2026年にも同様の動画がある。彼らはイスラエル国家の中で生きているのだろう、と推測。兵隊らしき人物が見物しているが、小銃をぶら下げている。
今まで見た中でもっとも酷い弓は「水害で水に浸った弓」。
まあ、仕方がないであろう。
「洪水の時、救助ボートで避難することになった。その際、ヴァイオリンは持って逃げられたが、チェロは家に置いていくことになった。チェロを屋根裏に上げたが、屋根とともにチェロは水に浸った。我が家で水に浸らなかったのはテレビアンテナだけだった。楽器は処分せざるを得かなかったけれど、弓だけは『記念』にとってある」とのこと。
もっとも酷い楽器は、サークルで管理者不在だったもの。横から見ると駒がS字型に湾曲。雨の中、傘をさしてはいるものの、むき出しの楽器を抱えて歩いている姿を見たことがある。それでも壊れてはいなかったのはそういう使い方を想定した高品質の楽器だったと言えよう。
弦はいつ交換したかも分からぬものだった。弦交換をある程度の頻度でする者らに声をかけ、「中古ではあるが、交換時期がわかっている弦」を供出してもらい、それらの弦を張るようにしていた。最低限の仁義とでも言うべきもの。平成の初め頃だったから、今の若い人たちよりも「貧しい」考え方だったのかも知れぬ。
Armstrong and Miller 英国のお笑いコンビ
彼らも「フットライツ」出身らしい。英国らしい「いやらしさ」を醸し出していて良い。
英国俳優ドナルド・プレザンス氏。007で悪役の親玉を演じる一方、「大脱走」では印象的な善人役。役者というのはすごいものだ。
(だから、役者が広告で「うまい!」などと叫んでいても本気で受け取るべきではない。へへへ、演技が上手だね、と笑って見るべき)。
ドラマシリーズ Stargate で、赤い女神と白い女神が火の玉になって戦う。
落語「悋気の火の玉」を思い出すのは失礼だろうか。
スペインのトマト祭は起源不明なのか。第二次大戦後に始まったことはわかっているのに。
Wikipedia連鎖。マーラー>アルマ・マーラー>ワルター・グロピウス>山口文象>林芙美子邸および龍海院(岡崎市)。
先日、林芙美子記念館の前を通ったばかりなので、少々驚く。
そしてまた、龍海院から名を取ったであろう竜海中学校と隣接した学校に通っていた身としてはさらに驚く。
英国の郵便車・郵便列車
https://www.youtube.com/watch?v=U3v8kT6G_kM
おそらくは、私が子供の頃に子供向け教材で見たであろう、昭和の日本の郵便列車とも異なるところはないであろう(日本の鉄道関連システムの多くはイギリスに範を取っていたし)。
そしてまた、かつての私の印象に強かったのは、車内での届け先別の仕分けであるけれど、この動画に置いては、システム全体に目配りがなされており、車内仕分けの紹介もあるけれど、それ以外のところもよく描かれている。さすがというべきか、なんと言うか。
デンマークの鉄道電化工事
https://www.youtube.com/watch?v=RwDaSgWf6oQ
古い型の電車が良い。
行田市の旧街道沿いの元商家と思われる家は、グリーンマックス「商家 切妻」にそっくりだった。
川越にある商家を模したと聞いたことがあるが、まあ同じ地方ではあろうか。
行田市駅から川越市駅まで、自動車で1時間。なかなか遠くはあるけれど。
「Nゲージ蒸気機関車」のページ。更新がほぼ止まる。
20年以上楽しませていただいた。最初の頃は、ワールド工芸のC51を作れるかどうか考えるために読んでいた。
そのうち、工作どころではなくなって、単に読んで楽しむだけになった。最近鉄道模型を再開して、再度C51製作を考えた。その際、鉄道模型工作としてのはんだ付け経験が不足しているので、まずその経験を積もうと考えるようになった。その時点でワールド工芸が廃業。キット組み立ての機会も失われた。
Nゲージ完成品各社はおそらく動態保存機程度しか製品化するつもりがなく、それらをベースとした3Dプリントの個人製作が今後(ほそぼそとした)主流になっていくであろう。そうなると「Nゲージ蒸気機関車」の「こうやって真鍮工作をする」と普及する意義も薄れてしまう。そんな背景や制作者のご年齢などもあって更新停止に至ったのだろうと思う。
長い間のご執筆に感謝する。私はKATO製8620の炭水車後部連結器交換について一度ご連絡したことがあるのみ。記事の一部にもして頂いて嬉しかった。
「日本の蒸気機関車」のページ(アーカイブ)
https://geo.d51498.com/kigiken/jp_steam.html
これを読みこなす知識も知恵も私にはないけれど。
職場の業務反省。上司が他責・自責かを探るのが私の中での第一歩になっていると気づく。
きちんと自責な人間ならばこちらもざっくばらんに。他責な者ならばそのように。
もちろん、「第三者的立場」もある。まあこういう機会に人間性(リーダー適性)が見えるのではないかなどと意地悪なことを思ったりもする。ふだんは格好良いことを言っていてもね、とか。貴重な機会ではある。
未来少年コナン
海の風景が多く、また、島もインダストリアも砂漠もハイハーバーも、水平な土地があまり出てこない。
以前、家族で道東を舞台にした動物番組を見た際、「斜面ばかりで平地がない」→「『もののけ姫』も斜面ばかりで平地は猫の額ほど」という話になったことがある。
宮崎駿一派は、平地を好まないのか?確かに「耳をすませば」や「コクリコ坂から」でもそうであるように、斜面ならではの情動というものがあるかも知れない。
一方、サザエさんは平地ばかり。ドラえもんは平地の日常と、斜面の非日常の切り替えが生きている。
この作品の「ジュヴナイル」としての輝きが眩しい。自分は、インダストリアと運命をともにする委員連中と同じくらいの歳になりつつあろうか。
アーミッシュについてYoutubeで見る(Youtubeで学ぶ危険は認識しつつも)。
「すべてのアーミッシュが一体に同じルールで行動しているのではなく、集団ごとに判断して行動している」らしい。
なるほど。その方がアーミッシュらしいようにも感じられる。私の中に、彼らのような生活への憧れはある。とは言え、現在の生活の多くを捨てなければそこに行き着くことができないこともよくわかっており、そこに行ける・行こうとは思っていない。今の生活の中で、少し彼らに近づけると良いな、とは思う。たとえば、糠漬けを作るとか。そんなことでも。
鰯で梅干しを巻き込んだ天ぷらが食べたい。
鰯の柔らかさと脂っ気を梅干しの酸味と塩辛さが制するような美味。梅雨時のじめじめした時期にぴったりなのだが。
昔々、府中で勤務していた頃、天ぷら屋さんで見つけ、その店に行く時は必ず食べていた。食べたいが、こういうものを出す店を探すのはなかなか難しい。「いわし料理」で探すことは可能であるものの。府中の店もなくなったのか探し出せない。
府中は「キッチン パズル」なんてのも良かったのだが。これは働いているうちになくなってしまった。
お魚屋さんも懐かしい。「魚弁当」を時々買っていた。ご飯の上に焼き魚(ぶりの照焼など)を載せたもの。安価で美味だが、魚以外におかずがなく、「逃げ場がない」故、覚悟して買わねばならなかった。
勤め人として各地で食べ慣れたものを列挙するのも面白そうだ。
都道府県と同じ名字。秋田・宮城・福島・千葉・山梨・長野・石川・福井・奈良・岡山・島根・香川・山口・福岡・宮崎・長崎。
以上、私が見た・お会いしたもの。名前に「大」などとつけると大学名と紛らわしい。
お会いしたお一人は「●●県出身の■■です」という自己紹介でウケていた。
市町村名となると切りがなさそう。むしろ「地名になっていない名字」はないのではないか?気になる。
私の知人を思い浮かべると、県名名字のみで弦楽四重奏が成立することに気づいた。
その後、「兵庫」と言う名(名字ではなく)の方を見つけた。少々古いけれど。
牛ハラミ焼き定食。元気をつけようと思って食べる。2,200円。ネットで見る少し古い値段は1,800円。さもありなん。円安を勧める輩が呪わしい。
水力製材所
https://www.youtube.com/watch?v=B5lgDSgrAeY
動くのを見るのは初めて。鉄道模型趣味誌では昔のアメリカ型を見たことがある。
現在なら、動力を必要とする箇所ごとにモーターを分散して使うが、アメリカ型模型の作例では、水車というたった一つの動力源を製材所中で使いまわすため、回転軸が天井にめぐらされており、使う時は、軸についているプーリーにベルトをひっかけて使うようだった。その後、動力源が蒸気機関になり、モーターになっても、しばらくは単一動力源でまかなうようにしていたようだ。
船舶のプロペラ修理。多くは付着生物とともに取れてしまったように見えるが、港湾内が廃液などによって強酸性化していないかは少し気になる。
https://www.youtube.com/watch?v=-Jc4sHf01H4
しかして、このように行われる「修理」はどの程度の強度を期待できるものやら。
GoogeMapを見て遊んでいたら「たまごパック誕生の地」なるものを見つけた。
なるほど、何事にも始まりがあり、たまごパックにも始まりがあるのだ。
私が子供だったころ、母は「買い物かご」を持って買い物に行き、そこに買ったものを入れていた。八百屋さん、肉屋さんなどがひとつ屋根の下に集まった「鳴海ストア」「鳴海中央市場」が主だった。
たまごパック以前のたまごの売り方を記憶していないが、「鳴海ストア」に卵専門の店があったような気もする。
あの頃の包装の有様を考えると茶色い紙袋に卵を入れてくれたものでもあろうか。あるいは、買い物かごに布巾をおいて、そこに並べて置いたものか。おそらくあの頃は卵10個を購入などとしていなかっただろう。冷蔵庫も小さかった。そしてまた、柳家小三治の「まくら」には、卵は一個ずつ太陽に透かして傷んでいないか確かめて買った、とあったかと思う。
「たまごパック誕生の地」は、町名としては猪名川町なのだが、付近のゴルフ場は堂々と「宝塚」を名乗る。こうした地名僭称の最大離隔距離ってなんだろうね。
Why Dönitz Couldn't Explain Who Kept Inventing The Tactics That Killed His U-Boats
デーニッツはなぜ、自分のUボートを撃沈する戦術を誰が考案し続けていたのか説明できなかったのか
https://www.youtube.com/watch?v=REm_fK70Sj0
えらい凝った題名だが、ドイツの海軍提督デーニッツ麾下の潜水艦隊による米英輸送船団破壊対策の成功談。
年間600万トンの沈没数を2年間で60万トンにまで減らした。肺病病みの海軍士官(元)とWREN(英国海軍婦人部隊員 Women's Royal Naval Service、あるいは、ミソサザイ)。
英国の強さについて、本人の経歴などにこだわらず、問題を解決できる人間に解決の任を与えること、ならびに、19歳の女性下士官の言うことであってもベテラン士官が耳を傾けて聴くこと、と言っている。私も大いに賛同する。人治・世襲・縁故主義に戻りつつあるかのような我が国だが、「強い国」であるために「自由な議論ができる国」であるべきと思う私。
Coastal Command
https://www.youtube.com/watch?v=gEE2nsxlKDU
ヴォーン=ウィリアムズが作曲していることで有名(?)な映画。
映画自体も実録風の淡々としたものであり、音楽も無用に盛り上げるタイプではない。よってして印象に薄い。
RVWの音楽も一般に「薄味」であり、それでいて後々反照があるような不思議さを愛好しているので、当然そうなるかの結論。
あるいは飛行艇が離水・着水するのを興奮して見ているから音楽が聞けていないのかも知れぬ。
サッカー・ワールドカップ。アルゼンチンがイングランドを下す。
ここでフォークランド紛争を思い出すのは老人だけか。
終戦1年くらいで、英国BBCが双方の軍人にインタビューしていたことには驚いた。
インタビューする方もする方だが、旧敵国の放送局のインタビューに答えるんだ、と思った。
純軍事的なインタビューであって、政治的側面を扱っていなかったようにも記憶するが、それはそれで非常に意義深いものと感じた。
(と思っていたら、やはりアルゼンチンチームが「マルビナス諸島」の横断幕を出したりしてFIFAとモメているとか。老人の回顧も無用ではないのかも知れぬ。)
以前、「クレクレタコラ」のTシャツを着て歩いている男性がいた。細君・娘と思しき同行者もそれぞれに目立った装束だった。
「クレクレタコラ」を褒めておけばよかった。無念。
お気に入りカレー屋さん。何を食べても美味しいが、行き過ぎると飽きてしまうかも知れないし、他の店に行く能力がなくなってしまうかも知れないので、控えめに行くようにしている。で、先日も美味だった。その日のカレーは梅チキンカレーと野菜カレー。それぞれが全く違っていつもながら両方頼む甲斐がある。で、店を出ると看板を覗いて迷っている方を見る。
思わず「本日のカレー」をお伝えするとともに、美味を渾身の身振りでお伝えした。さてどうされただろうか。
隣席の女性が、カレーが冷めるのも構わずスマートフォンを弄っているので、カレーを取り上げて食べてしまおうかと思った。世の中のスマートフォン中毒者は、隣席でイライラしているオッサンに気をつけるべし。
誤字
RM LIBRARY (アールエムライブラリー) 258 昭和40年代 奥羽沿線私鉄散歩
「余談を許さない」→「予断を許さない」
そりゃ「余談」なんかしている場合ではないのはそのとおりだが、慣用句としては「予断」です。
エヌ外道ジャーナル1: Nゲージ鉄道模型専門個人誌 N外道ジャーナル
EF51がED51になっている。結構な数。
Nゲージ小型レイアウトプラン集: 9つのプランをイラストで解説
15ページ「ゆうなぎ鉄道」となっているのは「剣山鉄道」の誤り。
作者にご連絡したかったが、Twitterでダイレクトメールの仕方が分からなかったので、これにて失礼。
「気象庁の人々:社内恋愛は予測不能?!」なる韓国ドラマがあるようだ。
気象庁の内部での恋愛なら「庁内恋愛」あるいは「職場恋愛」だろう。気象情報会社なら「社内恋愛」だろう。もちろん「職場恋愛」でも良い。
細かいことだが気になる。翻訳者にはこうした言葉の整合性を気にしてほしい。
天気予報の地図を見ていて、埼玉県と長野県が接していることに気づく。
地図を見ると、接してはいるが、道路一本通っていない。
埼玉県秩父市から群馬県南牧村を経て長野県佐久穂町に通じる道が最短になる。
西武鉄道・秩父鉄道秩父駅から小海線佐久穂駅まで徒歩19時間であるとか。自動車なら2時間。興味はあるが歩くには遠い。
群馬県南牧村(なんもくむら)は高齢化率日本一。
長野県南牧村(みなみまきむら)と群馬県南牧村(なんもくむら)は、近くはあるが隣接はしておらず、平面としては北相木村・南相木村・川上村のいずれかを通らねば行き来できず、現実の道路を見ると、北相木村と南相木村を通らずには行き来できないようだ。
日航機墜落で有名になった御巣鷹山は群馬県南牧村にあり、この長野県南牧村に行く道から入ることになるようだ。
日本で一番海から遠い地点もこの近く。
サン=テグジュペリ乗機の発見
https://www.youtube.com/watch?v=jKpJSLre29s
彼を撃ったドイツ人は、サン=テグジュペリの読者であった、と。感慨深い。
寝台特急「はつゆき」
非実在。ドラマのために設定された昭和末期(たぶん)の寝台特急。きちんとEF65が牽引する24系寝台。
車両内部は保存車両を使い、外部はCG。鉄道ファンが作ったCGなので、「ほんもの」。たいへんよろしい。
鉄道ファンの端くれとして、次に見たくなるのは、松本清張「点と線」の寝台特急「あさかぜ」。もちろん20系以前。保存されていないので、内部撮影ができないだろう。
そしてまた、(サスペンスではないが)内田百閒の阿房列車もの。ダブルルーフ客車の御殿場線の走行風景など見たいものである(内部撮影はどうするのか?)。
「ロクサン客車」なる語を見かける。「ロクサンといえば電車だろ」と思ってしまうのが素人(私)のアサハカさ。
三井三池のホハ200は「ロクサン電車」の客車版。まさに「ロクサン客車」。
子供だった頃、グリーンマックスのクモハ73組み立てキットを1両だけ買って組んだのを思い出した。
いちおう組めた(ことにしておこう)。けれど、1両で動力もない電車は「作る」以上の先がない。相方のクハを買うでもなく、動力を入れるでもなく放置。そのうちTMSで配給電車クモルを作る記事を見かけ、その気になって切り刻んだ。さて、それ以降の記憶がない。半無蓋電車を完成させたのか、刻んだだけで終わったのか。世の中の配給電車好きを悟って、その後グリーンマックスはクモルを作れるキットを発売した。それを買って、クモル23050を作ったような気もするが、さて。
かつて武豊駅にあったという「ルーブル側線」は、「日本ルーブリゾール工業(有)」への引込線だったとのこと。
Water Troughs
https://www.youtube.com/watch?v=5yXJYAMybjI
蒸気機関車が無停車で給水するためのシステム、ウォーター・スルー(トラフと読んだ方が良さそう。池田邦彦氏の漫画より)。英国に100箇所ほどあったとか。
1860年発明らしいので、我が国の鉄道システムより古い。我が国の特急燕には水槽車を連結していたそうだが、Water Trough は検討されたのだろうか。
なお、侵入速度や操作ミスなどにより、水流が吹き上がることもあるし、機関車に直結された客車内が水浸しになることもあったようだ。
Slip Coarch
https://www.youtube.com/watch?v=Bq0aA9RZ1ls
英国無停車シリーズ(?)。運転中の急行列車が編成末尾の1両だけを通過駅手前で切り離す。切り離された1両は駅で停車。場合によっては支線列車に連結。
客車は簡易運転台を持っており、走行中解結操作できるような連結器、ブレーキ、非常用ベルなどを装備。
無停車で連結する方法はないため、急行列車の復路では、ふつうに停車・連結操作を実施。
1914年には1日100便が運行されていた。
英国の私鉄が運行速度競争をしていたからこそのスリップコーチであり、統合・電化で廃れた模様。
我が国では思いつきにくいが、たとえば、東北本線の急行が院内駅に停車しているケースに適用するのが良さそうか。
院内は山間の小駅に過ぎないが、近くに鉱山があり、東京発の急行が停車して、相応の乗降客があったと聞く。相応とは言いながら「1両」の定員ほど乗降があったとも思い難いので、院内行きスリップコーチが1両あれば良い・・・と想像する(楽しい)。
ところで、こうした歴史説明もの動画で背景的に使われている動画は「いめーじ」的であって「ほんもの」でない場合が多くあるね。そうなると説明自体も眉唾に思われてくるが、ある意味最初からそう思って見るべきものだろう。現代と違って動画撮影のコストは高く、希少だったのだから。
「つかめるニッパー」(掴めるニッパー)が、「つるかめニッパー」(鶴亀ニッパー)に見えた。おめでたい。誤字ではなく誤読。
「象印」と漢字で書かれているのをぱっと見ると「印象」と読むね。
鉄道模型のポイント切り替え。電磁石でスパッと切り替わる式と、モーターでゆっくり切り替わる式がある。
実物の手動ポイント(転轍てこによるもの)は比較的スパッと切り替わり、モーター式はゆっくりだった記憶がある。手動は「ガッ、チャン」くらいの感じ。モーター式の「ガウガウガウガウ・シャッ・・キーン」よりは速かったと。
鉄道模型で電磁石式が多かったのも、転轍てこを模するためではなかったのかしら?
日本の転轍てこ操作から分岐器の変換までを写した画像は見つからない。構造が若干異なるが、セルビアでの動画。
https://www.youtube.com/watch?v=nhFVQFnOltY
分岐器の切り替え速度は日本でもこんなものだったと思う。日本では鎖でなく、ロッドで動作を伝達していたので、もう少しスパッと切り替わっていた気がする。
英国の連続ドラマ ダウントン・アビーを少し見る。
演じているのはもちろん現代の役者さんであるけれど、本当に当時の貴族・使用人に見える。
まあ、私が実際に当時・現地のことを知っているわけではないのだが。
自信を持って人々を支配する貴族と、不安に置かれながら支配される使用人。
なんとなう、我々の受けてきた教育は「不安に置かれるよう」導かれていた気がするよね。
ベンヤメンタ学院(未読)の主題もそんなんだった気がするが。。。
オーディオ環境
スメタナ四重奏団が弾くドヴォルザークの六重奏(DENON 1988録音)を再生するとシャカシャカしてやりきれない。
ChatGPTによれば、イコライザーで7kHz, 10kHzあたりを落とせば良いと言い、たしかにおおむねそのとおり。
PC→DAC→TU870→DALI Royal Menuet II だと落とさずにはいられない。
PC→DAC→TU870→Tannoy Mercury M2 だと落とさずに結構行ける。これで良いか。
これが休日用だとして、そうなると平日は、
PC→DAC→Tripath TA2020-020→DALI Royal Menuet II
になるが、はて、こちらはどんな音なのか。
Mercuryのコンデンサー交換が作業中だ。なんとかせねば。
でも、しばらく鳴らしていたせいか、あるいはDENONのシャカシャカ録音とは相性が良いのか、これはこれで使いみちがある気がしてきてもいる。
ぺるけ式DACをもう一台作る部品を集めつつあった。なんとかせねば。
生き生きした音質はTu870の方が上。歪みないフラットさはTripathが上。
今まで感じてきた通りでそこは変わらない。
美濃国。
郡上市も美濃。岐阜県のうち飛騨が山、平地が美濃、と思っていたが、郡上は美濃なのか。
Wikipediaを見るといろいろ書いてあり、要約するもわろし。
ともあれ、木曽は美濃だったが信濃と取り合った・・・など「さもありなん」。平成の大合併でも県境越え合併(長野県木曽郡山口村が岐阜県中津川市に編入)の舞台になったものね。
郡上市で気温が40度以上になったとか。温暖化対策(緩和と適応の双方)が必須である。
テレビのニュース・天気予報の人々は「熱中症対策にご注意を!」と目先のことだけ「注意した」ことにしてそれ以上踏み込まないのがアカンよね。無責任。
Variant は「変異体」。Valiant は「勇敢な」。
只見線。会津若松から小出(魚沼市)まで乗ろうと思ったが、小出まで行く列車は会津若松608発のあとは1305発までない。
途中の会津川口行きも1本あるのみ。むむむ。公共交通機関である鉄道として機能する限界であろうか。
日本はもう一度「軽便鉄道」「簡易軌道」を思い出す必要があるのだろうか。
自動運転バスに活路を見出すのか。
1305発のあとは、1700発が全通の最後。1日三本の通し運転。観光客がふつうに景色を楽しもうと思うと、1305発に乗るしかないのか。
元々は野岩鉄道に乗ってみようと思い、新宿から東武特急に乗って、野岩鉄道で会津若松行きを考えていた。これは割合に簡単。
で、会津若松から郡山に出てもつまらないし、米沢には行きようがない(バスもないらしい)。
ひとつは磐越西線で新潟へ、ひとつは只見線で小出(魚沼)と思い、より閑散であろう後者を考えた。
テレビで稲毛海岸を見る。
隣接区に住み、時々お邪魔していたので懐かしい。
プール。家族で訪れた際、駐車場から入口に向かうと、目つき鋭くあたりを見回す中年女性に小声で呼び止められる。
「割引券持ってる?」「いいえ」「じゃ、これ持っていきなさい」「あ、ありがとうございます」的やりとりをした記憶がある。
千葉の海岸沿いにはそうした庶民的優しさが溢れていて暮らしやすかった。スーパーのフードコートでも、ドーナツ屋さんのポイントカードをもらったり上げたりしていたっけ。
もひとつはお寿司屋さん。入院していた身内の退院祝いでお寿司屋さんに行った。
お手洗いに行こうと階段を降りた時、下から上がってくる女性のお顔に見覚えが・・・もこもこしたセーター姿には慣れないけれど、と考えるとそうだ病院の看護師さん!。
大広間で病院の宴会だった(もちろん当直の方は欠席なのだろう)。お医者さん・看護師さんに改めてご挨拶させて頂いた。彼らは白衣でないとちょっと気づきにくい。
そういえば、当時、このお寿司屋さんの近くに、なんとなう「浜茶屋」風のおおらかな建てようの料理店があり一度行ってみたいと常々思っていたものだった。「ちどり別館」かな?
ソニーのポータブルCDプレーヤーを買ったのもたぶん稲毛。通勤用自転車を買ったのも稲毛。稲毛のお魚屋さんで私と同姓の方を見つけたこともある。たしか、佐賀ご出身だったかと。
ドリームハイツ。
以前「ドリームハイツ」行きのバスを見てなんだか驚いたことがあるが、地図で調べると横浜薬科大学の近く。
そういえば、ここに「横浜ドリームランド」ってあった。そして、大船からモノレールがあった。などと思い出す。
このモノレールはあれやこれやがあって短期間で廃線。しかも裁判沙汰。ドリームランドは相応に営業していたが廃業。などとネットに書いてあったのを思い出す。モノレール廃線もあり、道路交通の渋滞が大変だったような記憶も・・・。都市開発の大変さを思う。
「ドリーム交通モノレール大船線」とでもいうのだな。
まあ「モノレール」は「普通鉄道はレールが2本も必要であるが、俺達は1本で済むんだもんね」と言っている割に、レールがものすごく太くて、「え、これは2本分より太くないですか?」と思わするなど、なんだか未完成技術っぽい感じがする。あれやこれやで、結局完成度程度にしか普及しないのが現実であると感じる。いわゆる「新交通システム」の類も同様。
気象観測が「涼しい」場所で行われている問題。
観測の統計接続を考えると地点変更は好ましくない。
https://www.data.jma.go.jp/nagoya/100years/100past.html
一方、測定条件の設定は、昔々の「アスファルト・コンクリート舗装は限られた場所の『特殊な環境』であって、広い領域での代表性を考えると芝生露場が良い」といった考えによっているのではないか?舗装がこれだけ行き渡ったのなら、気象の測定も「現代の一般的な環境」に移行すべきかも知れない。一方、人の感じる「暑さ」を評価するならば、過去の気象測定にこだわらず、WBGT(湿球黒球温度)で測定・評価を行うべきかも知れぬ。
気象庁「グロースベッター」が電子化・公開されている。
https://www.metsoc.jp/about/research-groups/longforc/back_number
Growth better だろうと思うが、特に意味を説明している場所はない。
気象庁/気象学会の長期予報研究会が出していたことも知らず、2007で終わったことも知らなかった。
なんとなく「気象庁内部の研究会の会誌」くらいの認識でいた(平成のはじめ頃断片的に触れただけなので仕方がないのだが)。
トレンドマイクロ(ウィルスバスター)。
契約が切れるのに、クレジットカードの請求だけはちゃっかりしてくる。90日以内なら返金に応じる・・・らしいが、「返金請求するページ」に行き着くのが不条理小説並に難しい。しかも、ネットでログオンしていない契約がもう一本あるとか滅茶苦茶だ。ChatGPTに相談してなんとか乗り切った。なんとかして「中の人」に連絡をとるしかない。また、要求事項は端的に(ChatGPT作文を)投げつけるのが良い。
これに限らず「解約させないための万全の対策」が怖いからサブスクリプションは嫌なのよね。これからも気をつけよう。
これまでクレジットカードの請求で変なのはなかったから請求書を見るモチベーション下がっていて、惰性で見ていたけれど、見ていて良かった。気づかなかったら、払って90日が経過して、先方の「逃げ得」だったよね。そういうケースも多いかも。知らんけど。
秋葉原でEF55を見てたまげたのは、2006年3月。
http://folia.txt-nifty.com/musik/2006/03/post_f913.html
あの時はほんとうにびつくりした。そして、古い電気機関車の量感に圧倒された。
英国のドラマ、ダウントン・アビーのセット
https://www.youtube.com/watch?v=QXIUiaG6abI
こうしたよく出来たセット・衣装・演技に基づく重厚なドラマ。なかなかない。我が国では?映画はともかくも。
どうやら、部屋だけ使えば良い時は本物の屋敷を使い、火を使う(ように見せる)場所、召使いがばたばたと行き交う場所、現代と異なる施設を使う場所は、セットにしたのだろう。セットの出来もすこぶる良い。
以前見た国内ドラマ(オリエント急行殺人事件の焼き直し)、セットも演技(役者個々は良いとしても演技に統一性がなかった)も撮影も今ひとつだった。ありていに言えば「子供だまし」。
ダウランドの素敵なうたと英国鉄道の旅
https://www.youtube.com/watch?v=5l6jF8v_Wus
いいね!(脳が退化気味)
リヴィウでもダウランド(かつては波蘭領ルヴフ)
https://www.youtube.com/watch?v=1bYi7TY4bNE
このあたりの音楽は即興ができないと面白くないのかも。即興を今から学んで楽しくできるようになるまでどれくらい?
そもそも、現在「楽しく」弾いているのか?(演奏後の記憶/疑似記憶としては「楽しい」と思っていることがあるのは確か)。
OSINT(オシント)と似ていると思ったが似ていない。
ハシント(ヤシント)・オルファーネル。
パスポートが切れてもあまり気にしていないが、自分が「行きたい場所」に乏しい気がしてきた。
確かにこの数年長い休みをとってどこかに行こうと思っても、「どこ」に行くべきか迷うことが多かった。
行きたい場所(地名でも施設でもなんでも良い)を列挙してみよう。無理やりであっても。
民俗博物館(大阪)、明治村(愛知)、沖縄、広島、奄美、倉敷、山形(冷たい鶏そば・鶏中華)、瀬戸・三河山中、南三陸。
大糸線乗りつぶし、野岩鉄道・只見線・磐越東線・磐越西線、飯田線など。
各地の独立系書店・古書店めぐり。
どれも、無理やり考えたのに等しく、行かなくても困らないし、飛行機代は上がったし、と思いがち。
どこかに行ってすごく食べたいもの、見たいものというのもあまりない。
首都圏に住んで、それはそれで刺激が多いからそれで済んでいるとも思うし、本来行動的であった夏が暑すぎて何もしたくないというのも大きいけれど。
やはりゆつくり休んで、まずは「行きたい場所探し」でもするべきか。
英国鉄道1944-1945
https://www.youtube.com/watch?v=bdxzDb8TrNo
英国が列車砲を持っていたとは知らなかった。なんとなう大陸国ではないので、列車砲があっても使いみちがない(国境まで砲を移動させるには鉄道だけでは不足)だと思っていた。
ボーア戦争とか第一次世界大戦関係らしい。南アフリカやヨーロッパ大陸で使うつもりだったと理解して良いのだろうか。
ドイツの有名なパリ砲は、射程100km以上だったし、射撃地点には予めターンテーブルを作っておく必要があった(と記憶する)。
「どこからでも自由に撃てる」ではなく「予め準備した数地点のうち、どこからでも自由に撃てる」という思想。
英国の列車砲はそれよりは遥かに小型であり、「予め準備」はパリ砲より軽微であろうものの、「どこからでも」ではなさそう。
貨物列車通過後に射撃(訓練)をしているが、地盤が揺さぶられており、なかなか影響が大きそう。
また、より大型の砲ボッシュバスターは、射撃の反動で車両ごと後退する。
(列車砲が射撃後反動で走行する話は父がしていたが、単なる冗談だと思っていた。まあ、父の話は、その後何キロも山越え川越え自走するということであり、「大ボラ」の類ではあるのだが)。
曲線区間で射撃しているのは、おそらく砲自体には左右に振る能力がなく、曲線を利用して左右に振っているのだろう。そんな方法で精密な射撃ができるか心配だが、そういうものでもないのだろう(と想像)。
昨年11月に書いた九州風定食屋さんに行く。今度こそ刺身定食を外すという鋼鉄の意志。
「鶏とピーマンの炒めもの」。美味しかった。肉厚もちもち鶏と肉厚あまあまピーマンがあっさりした味噌とよく合う。
お客さんの多くはお刺身定食を食べており、それはそれで美味なので、これからも迷い続けることであろう。
宇宙飛行士詐欺について注意喚起を見かける。
以前あったのは「宇宙船の酸素が足りないから、そのためにお金を出してくれ」というの。
そんな無計画な飛行をしないでほしい(するわけがない)と思ったが「攻撃を受けて」という理由づけがあったらしい。
宇宙での戦闘は今のところないはず。また、あまりにも極端環境過ぎてこれまでの兵器は使えなさそうだし、使うと自滅もしそうだし、あるいは宇宙での距離は我々が想像するより遠いようだし、と簡単に戦闘ができるようには思えない。
まあ、この「酸素不足」は聞いただけで息苦しい気持ちになるので、詐欺としては秀逸かも。
私は「クヒオ大佐」のお話も嫌いではなくて、なんというか「夢」があるな、と。
ローマ帝国の終焉
https://www.youtube.com/watch?v=L24-eE-ik_w
当然「諸説ある」「複合要因」なので、簡単に信じて良いとは思わないが、楽しく視聴できるもの。
棒人間がなかなか良い!
Dinner with the robot-in-law went badly wrong - BBC
https://www.youtube.com/watch?v=EdWS4uUpnL8
「robot-in-law」って何?と思うわけだが、もちろん、「mother/father-in-law」のようなロボットを想定しているのであろう。
九州に「沈堕の滝」なる変わった名の滝がある。「沈堕発電所」があり、中二病的文字面であるな、と。
「出口王仁三郎『霊界物語』とキリスト教 ─キリスト教土着の一事例として ─」川島堅二
https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2019/pdf/humanities16_01.pdf
以前(2022年6月)、メモだけしていて読んでいなかったのを読む。面白い。どこまで信じて良いものか分からぬが。
大本教は、第二次大戦前、二度に渡る弾圧を国家から受けることになるが、「弾圧されるほど世間的な影響力があった宗教なのか?」等、疑問は多いし、教えについても知れるところが少ない。キリスト教土着という要旨とは別に、簡潔な大本教略史として読んでも面白い。
スナック研究会
https://snaken.jp/
ドメイン名「スナ研」もユーモアがあって良い。研究代表者がスナックでお酒を飲んでいる写真を置くのも当然のこと。
でも「山崎」みたいな高い酒がスナックに合うかな?と思っていたところ、サントリー文化財団から資金提供を受けているとのことで「それなら当然か…(良いなあ)」という極めて合理的納得をしたのであった。
ブログ「学者が本気でやるバカに戦慄せよ」も良い。現政権は文系ダウンサイジング(お取り潰し)などと言っているが、文化消滅させたいのか、と私は憤慨する。スナ研もまた、それぞれの研究者が「バカでないこと」をやった上での「バカ」であり、その双方が日本文化を涵養するのだから。
ところで自分は「スナック」にほとんど行ったことがない(残念)。
高田と京都で一回ずつ。いずれも楽しかったし、地域性があるし、旅先などでもっと行ってみても良いかも知れぬ。一定程度の「入りにくさ」があるのも仕方がないことではある。
母の墓参に行く道すがら、駅の階段下で幼子を乳母車から下ろそうという若い母親を見かける。
乳母車を運ぼうとすると、旅行者らしい白人男性も歩み寄り、二人で乳母車を支えて階段を上った。
「吾輩が乳母車ひとつ運べん細腕と思うたか!日本男児を甘く見るでない!」と言いたくもあったが、きっと「コイツ一人では運べん。やばい。」と思ったに違いなくもあり、感謝。
ついで、墓参の帰途、駅の喫茶店で親子3人に席を譲って帰ろうとしたところ、ごみ捨て経由で出口に行った私をパパさんがにこやかに待っていてくださる。日傘を席に忘れた私であった。パパさんありがとう。情けは人のためならずとはこれがことである。
この1年ほどミスタイプが多い。使いにくいキーボードを使っているからだと思う。Linux上のBlueToothサポートがヘボく、以前愛用していたキーボード(小型だがタイプしやすい。JIS配列だが日本語印字なしBlueTooth)がまったく繋がらなくなってしまった。今、有線の小型キーボードを使っているが、変形であり、かつ反応が悪い。よってしてミスタイプが増える(残念)。
このブログを読んでいる人の話を聞いた。奇特な方があるのだなと、改めて世界(日本語の世界)の広さに驚き入る。
