読書の記録(2026年7月)

Butter 柚木麻子
電車内でButterを読んでいて、下車した駅前に柚木先生らしき方が長椅子に座っておられた。驚き。
私、「生きている物書き」を目の当たりにしたのは、ドナルド・キーンくらいだね。キーンは大学に講演会に来て、サインももらったのだが、あまり上手ではないカタカナで「ドナルド・キーン」とお書きになるせいで、友人に見せたら「お前が書いたのか」と。
(よく考えると、絵本系の山田美津子さんや、美術史家の金沢百枝先生は「見て」はいるなあ。子供の頃、こういう「くりえいたー」という人々を見たことがなく、想像もできなかったことからすると、大人になり・都会に住むと色々なことがあると知れる。小説家については柚木氏以外知らないから嘘ではないね)。

夜明けと音楽 イ・ジェニ、橋本智保訳
希望通り少しずつ読む。何かたいへん明晰で眼前に情景が浮かぶような文章がある。だが、「麻田」に行ったことのない私の思い浮かべる情景は「正しい」ものではないだろう。そしてまた、筆者が苦労して綴りつつ、文意がたいへん取りにくいところもあり、最も伝わってくるのは「苦労」であったりする。ゆっくり読もう。
時々、掌を指すように己がことのように思われる文章があり、また、異国の異人が語る異言がある。この距離の行き来がまことに不思議。
こういう意外な書に出会えるのは、普段行かない書店に足を踏み入れる面白さである。
(北九州のナガリ書店をここで懐かしんでも許されよう)。

「本を作るのも楽しいですが、売るのはもっと楽しいです。」(金承福)
買わなければ、と思っていたら家の積み本から出てきた。
なかなか、なかなかだな、自分。気をつけよう。で、読み始めたら、(失礼ながら)想像以上に面白い。運が良い。私。
尹錫悦大統領の弾劾など、我々日本人が韓国の人々からもっと学ぶべきことがたくさんたくさんある。
菊池寛と馬海松の逸話のように、わずかな救いもなくはない。北村薫が菊池寛の作品・人間性双方を高く評価していると私は思うのだが、それに通じるやも。
「父、馬海松と菊池寛先生」https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h7484
この本の末尾に日本語で読める韓国書籍のリストがある(私の誤解でなければ)らしいので楽しみ。
私としては「絵本」がみたい。以前読んだ「ソリちゃんのチュソク」(イ オクベ、みせけい)が非常によろしく、韓国と日本が違ってもいるが似てもいることがよくよく知れて、もっとこういう絵本が読みたいものだと思った。
「孤独のグルメ」の韓国訪問回も私はなかなか好きで「大文学」も重要だが、こうした地道で日常生活に根ざした情報が知れることは、楽しくもあり、また互いの理解・友好のためにも良いのだと思う。
金承福氏の性別について特段気にせず読んでいたが、途中でそれと知れる記載が出てきて、「お」と思う。
で、この本に紹介されている「菜食主義者」(ハンガン、きむふな)がどうしても読みたくなる。そしてまた、どうせなら神田神保町チェッコリで買いたい。そういうわけで、暑い中走って(当社比)行って参りました。汗かきオジさんが突然現れたので店の方々が「もっと冷やしましょうか?」と。結局、「菜食主義者」と「とにかく、デモ!」(チョン・ボラ、吉良佳奈江)と購入。「楽器たちの図書館」は品切れ(悲しい)。『マテニ10号』は次回。などと仕分けをせざるを得ないのであった。
どうやら、冷房を強めるか訊いて下さったのが金承福氏だった模様。そんな気がしつつも、昨日の今日のファン心理で興奮して押しかけたので、恥ずかしくてご挨拶はせなんだ。
訪問帰路の車中で「おわりに」を読んだが、良いなあ、この方の志。ちょっと涙した。私は単なる「本読み」にしか過ぎないけれど、こういう方はとにもかくにも応援したい(私の応援ごとき屁の突っ張りとわかってはいるけれど)。
そうそう。「菜食主義者」の名が分からなくなり「草食動物」「いや人間だった!」「植物人間」「もうちょっとやる気がありそうだった!」というやりとりを一人でしてしまいました。「菜食主義者」ですね。
他に、「鉄道員三代」「尹東柱詩集」にも興味がある!

尹錫悦大統領弾劾時の判決要旨。日本語で読むことができる。感謝。
https://justice.skr.jp/koreaconst/impeachment.pdf
「国民すべての大統領として自分を支持する国民を超越して社会共同体を統合させるべき責務に違反しました。」
韓国の司法が正当であることに尊敬の念を覚える。
「弾劾事件ですので、宣告時刻を確認します。現在時刻は午前11時22分です。」
法治主義というのはかくも厳正なものであるか。法律とは人々の血で書かれたものであり、厳正なものであるべきである。
それに引き替え我が国は、と悲しくなる。
日本国憲法は、日本人310万人、中国を始めとするアジア諸国2000万人、さらに米英蘭らの人々の血で書かれたものではなかったか。

岡山文庫319.内山完造の世界
神保町内山書店にて購入。かねて内山完造氏の業績については耳にするところもあったが、概説があるならば買わざるべからず。
買って良かった。岡山文庫は都内で買える場所があるかを知らず。入手しておかねばと思って買ったが。
こういう立派な先人がいたのだから、今後も世間は見習ってほしい。だが、世間が汚濁しているから、当然のことが立派に見えるとも言えよう(いささか無念)。
そういえば、岡山文庫「288.カバヤ児童文庫の世界」を蟲文庫で買ったはずと思って調べると、「327.棟田博の作品世界」なんてのもある。読みたい。「338.イギリス連邦占領軍と岡山 敗戦直後の〈幻の国際社会〉」もすごい。

鉄道模型趣味
968号。伊藤剛氏の「瀬戸電」単車を失敗とする言及は貴重。私は400号を高校生くらいでこの製作記事を読んで「口あんぐり」だった。
あれを作るのも高度な技術的発想と実装技術が必要なのだが、それを失敗と断ずるのも高度な技術的判断である。私ごとき素人には「作るのもすごいが、失敗と判断するのもすごい」としか言いようがない。そうした「凄さ」を若い頃垣間見できたのは実社会で生きるうえで有用だったと思う。
97号。坂本衛氏のお名前が見える。吹田市とある処、たしかに氏は国鉄の(おそらく貨物列車の)車掌であり、吹田操車場のお近くに住んでおられたのだろう。
54号。広田尚敬氏の名が見える。東京都電「エ1」。子供だった頃買ってもらった子供向け蒸気機関車写真集は広田氏の写真になるものであり、なんとなう「こういうことが仕事になるのだ」と驚いたような覚えがある。
須津谷急行鉄道。「すずや」と読むことを確認。昔「すつがや」だと思っていたので。鈴木さんが屋号として「すず屋」を名乗っていて、それを鉄道名に転用する際、地名らしく漢字をあてたと理解すれば良さそう(違うかも)。
80号。赤穂線開通を巻頭で祝う。当時は、山陽線の改良バイパス路線として期待されていたのか…と
塩水による「抵抗器」。理科実験ならともかくも、この時代これが実用になりうるという感覚があったのか。私の知る昭和から見てもおかしくはないのだが。そしてまた、ジャガイモを使った電気の極性判定。今どきテスターなら1,000円くらいで買え、我が家にも3台あったりする。昭和は遠く成りにけり。

SNSは読んでも面白くなくなってきたので、電車内の暇つぶしに(本を持っていない時は)青空文庫を読むことにした。
中谷宇吉郎は安定の面白さ。
或る牛乳工場の思い出 アルゼンチンのインフレーション おにぎりの味 湯川秀樹さんのこと 離婚とダイヤモンド 「天災は忘れた頃にやってくる」など。
森鴎外は翻訳ものもあり多彩。例えば:十三時(エドガー・アラン・ポー、森林太郎訳)
他にも面白くて読みやすそうな作家を探しておこう。
「メーニェイン」は「メニューヒン」(ヴァイオリン奏者)ではなかった!
中里介山「大菩薩峠」を読み始めた。殺伐たる話だが、読みやすく、つい読んでしまう。車中で少しずつ読むには良いね!。
SNSのつまらなさは異常。どこからお金がでているか知らないが、非科学政党の投稿が非常に多い。ブロックするのも面倒になってきた。

自分が「愛読書」と思っている書の登場人物を諳んじているかを、電車内の暇つぶしにしてみた。
サン=テグジュペリ「戦う操縦士」でやってみると、アリアス少佐、デュテルトル中尉・アザムブル中尉(少し時間がかかった)、ペニコ、イスラエル、T曹長までは出てくる。これ以降はあかん。他の作品だと、ジャック・ベルニス、アンリ・ギヨメくらい。星の王子さまなら、飛行士、バラ、フェネック狐、酔っぱらい、天文学者、点灯夫、ヘビ、うわばみと象、羊。どこまでが「人物」であるのか。王子様と対話するのが「人物」と見ても良いけれど。

誰がために医師はいる・続 松本俊彦
https://magazine.msz.co.jp/series/tagatameniishiwairu-zoku/9/
『その意味で、私が治療と称してやっていたことは、「ブラック企業におけるマインドフルネス研修」と本質的に変わらないものだった。』
以前、自分が会った産業医もほとんどそんな風。「言論の自由」って感じ。

ガルシア=マルケスの記事を「こんな人だったっけ?」と思い、調べると、「バルガス=リョサ」と混同していた。悲しい。
https://imidas.jp/insight/d-40-172-26-07-g998/2/
同じように、高木惣吉と小沢治三郎を混同していた。
どちらも発話していないのが救いである。

武田一義『ペリリュー-楽園のゲルニカ-』。
以前、少し読んだ。かわいらしい絵であり、戦争の悲惨を矮小化しているのではないか、と危惧していたが、おそらくは事実であろうことを矮小も拡大もせず悲惨なままに誠実に提示していらしゃると感じる。むしろこの絵だから読んでいて耐えられる面もある。まこと読むべき書である。
私がごとき「戦闘以外の戦争」興味者にとっても。

大谷 敬二郎「捕虜」
何か煮えきらない文章。不思議に思い経歴を見ると憲兵だった方。
歴史の研究者というわけでもなく、自己の体験を語るでもなく、なにゆえこの人がこの文章を書いたのか、と改めて不思議。
ご自身は前線での戦闘に身を晒したこともなく、一方で相応の顕職にありながらご自身の戦争責任については文章からは感じ取れない。「あとがき」において、戦闘員に「生きて虜囚の辱めを受けず」と言っていた統帥の責任について触れているが救いといえば救いであるけれど。何か学問ある者の冷たい第三者視点であるように感じられる。

大菩薩峠 中里介山
青空文庫で読んでいる。車中で読むのにちょうど良い。大衆小説らしく、読みやすくわかりやすい。
間があいたから読むのに難渋するということもない。いつもの机龍之介。そして過去経緯も地の文・台詞でちょいちょい説明されて親切。
有害なSNSを読んで気分を悪くするより百倍よろしい。
ところで、机龍之介と眠狂四郎を混同していたかも。音なしの構えと円月殺法だったかな?まあ無問題。

北西鉄道事件 シャーロック・ホームズの未公開事件記録 池田邦彦
なかなか面白かった。偶然にもWater Troughsについて調べていたのでなおさら。

Home Before Morning: The Story of an Army Nurse in Vietnam
読んでみたい。ヴェトナム戦争で米軍看護師として従軍した女性のドキュメンタリ。これもまた戦闘以外の戦争であろうか。

「悪魔との舞踏」(ギュンター・シュワブ、1958)。国会図書館の検索システムを試用する際、検索語に「宇井純」と放り込むとリファレンスの結果が出てきた。そこでの言及。邦訳・英訳はないらしい。ドイツ語版Wikipediaに筆者の項があり、「舞踏」についても言及がある。ともあれ、歴史的調べもの以外で参照しても仕方がない体の著作物みたいだね。靴底をすり減らすことなく簡単にそういうことが分かるのは有り難いものだ。

地元自治体の図書館の蔵書検索システムで「将軍の都の客人」を検索してみる。15冊あってすべて貸出中。
もちろん読者分だけ全部売れればなお良いのだが、とは言え、良い本を買っている図書館にも、借りている人々にも尊敬。
借りて読めなかったという方もあろう(私の経験)。で、それならば「買うしかない」と(私の経験)。

4月に書いた「某作家全集」。古書店で見なくなりました。無事売れたのでしょう。お陰で私が町内で排斥されることもなく、胸を張って道を歩くことができます(買いそうな雰囲気を出していて結局買わなかった、と排斥されるかもですが)。
と言いながら、今になって「自分が買っておけばよかった」と思うのも人情(私の)。
ともあれ、こういう本が売れること自体は朗報であります。

ある喫茶店で「うろおぼえ一家のおかいもの」を見つけ拝読。
すると、お店の方が「こういうのがお好きなら」と出して下さったのが、出口かずみの小人の豆本。
眠りに誘われる町のお話でたいへん面白かった。
「おかいもの」の方はいつもの無計画(ほんとは計画があったはずなのだが)・無軌道振りが物凄く、たいへん楽しいものだった。
うろおぼえ一家を友人一家に差し上げたいと思うが、どれが第一巻だっけ・・・ま、いっか(うろおぼえ効果絶大!)。

「1膳から作る割ばし輪ゴム鉄砲」
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784910214788
読みたい。著者の経歴がすごい。税務署長だったりした方。輪ゴム鉄砲との関係のなさがすごい。そしてまた税法その他の法律上輪ゴム鉄砲は問題ないのね、などと思ったり(もちろん殺傷能力があるレベルだとまずいでしょうな。まあ「輪ゴム」が殺傷能力のあるレベルで飛んでいくとは思えず…どの程度の質量・バネ定数であるとヤバいかちょっと計算してみたくはあるものの)。

●雑感
7/11本番(雑感の一部として書くのか、と思いつつ)
何事にも終わりがある。この曲の練習にも終わりが来、この曲の演奏にも終わりが来た。
予期せぬ繁忙・体調不良を挟み、なんとか元気に本番が出来たことは有り難いものの。長く取り組んでいるベートーヴェン(弦楽四重奏第15番)の方が苦戦。
モーツァルト(弦楽四重奏第15番)は、比較的最近本番を弾いているせいもあって少し見通しがあったかという感じ。
「自分の考える完成度」をもっと上げないとあかんのだ(と過去百万回した反省に新たな一回を加える)。
右手が難しいと左手がナオザリに、左手が短いと右手がナオザリに。音楽的に何か(無理に)することよりも、良い音程で弾こうとしている方が、音楽的に正しく機能しているような気がする。もっと音程に意識を払って練習をしよう。

パスカルの「賭け」の話と演奏趣味を重ねて考える。
賭けをする者に、賭けで得られる最大利得を与えると言っても興味を持つまい、という話。
弾けるか弾けないかという曲の実現可能性にこそ興味があって、弾けるに決まっている曲にはあまり興味は持てない、等考える。
ここでいう「弾ける」は「単独の奏者として弾ける」ではなく、「アンサンブルとして成立する」という意味と考えている。
弦楽四重奏は、オーケストラの人数を減らしていったものでもないし、独奏者を四人集めたものでもない。オーケストラも独奏も弦楽四重奏もそれぞれ別な音楽である、と思った。
(その点、以前の「ニューイヤー・コンサート」でハイドンの「告別」のウィーンフィルハーモニーの演奏は、人数が減っても音楽が細らない点や、だからと言って目に見えた形では演奏を変化させていない点はさすがだと思った)。

現時点での持ちネタ:
 Dvorak Sextet (10/17)
 チェロアンサンブル(2件)
一気に減った。11/1は諸般の事情により見直し検討中。他に室内楽の楽曲検討中が3曲(程度)。
室内楽のメンツ検討中が1件(Vn2名確保が必要)。
本番が切れないのは幸せである。

7/8『UNDER-HUNDRED アンダーハンドレット Vol.2』
たいへん面白かった。昨年よりさらにパワーアップした気がする。
響きの面白さ・美しさが卓越している。そしてまた「弓が語る」も横溢。
バスガンバを弾く折原氏がまた最高に格好良い。少しく物憂げで気怠げな体の使い方が、美音をもたらしていると感じる。
そして、時に弓の速度がすっと速まるのだが、その時の弓の軌跡が美しい。
様々な時代の曲を並べるのも楽しい。同じ編成・同じ奏者とは思えぬくらい音楽が違って驚く。
古い音楽は温順なので、現代音楽で刺激を入れるのは良い。いずれかばかりではつまらない。お汁粉と塩昆布の関係。
ただし、塩昆布なら何でも良いということではない。よくよく吟味すべし(吟味されていると感じた。)

「王水」。他の酸でも溶かすことができない「金」を溶かすことができる唯一の(と言ってよい)酸。
昔聞いた話。某女子大化学科で「王水を作って金を溶かしてみよう!」と盛り上がったものの「金はどこにある?」と盛り下がる。
で、話を聞きつけた先輩が「元カレのくれた金の耳飾りを溶かしてもいいよ!」と。化学科恐るべし。
実際に溶かしたのかどうかは聞いていないが、この手の廃液(もちろん危険な物質)を回収・処理する業者さんがいるはずで、業者さんはこの溶液から金を回収できて儲かるのかも知れない。

なんとなうだが、室内楽弾きたらんとする者は、声楽・合唱の素養があったほうが良いと思っていたが、コンソートの素養もないとちょっと困るかも(と、自分が今今困っていることからの実感)。
そしてまた、良い奏者・良い団体に出会った時の常として、「この人たちに何を弾いてもらうと自分が楽しいか」思考。
料理店で美味しい食事を楽しみ、食後のコーヒーを楽しみつつ、「次に来店したら何を食べようか」考えるたいへんイヤしい思考。
最近、自分が弾いていて「ここはコンソート風味で」と思った曲は皆弾いてほしい(完全なる個人的欲望)。
R.シュトラウスの「メタモルフォーゼン」も、ベートーヴェンの弦楽四重奏(少なくとも緩徐楽章)も聴いてみたい。
シベリウス等北欧系弦楽合奏曲。ケクラン「牧歌」。など爽やか系は良い気がする。

ヘレヴェッヘのインタビューを和訳して下さった方がおられる(感謝)。
https://classic.music.coocan.jp/cond/org/herreweghe-int.htm
「わたしはポリフォニーに関心があるんです。録音に選ぷのも、バッハ、シュッツ、シャイン、ブルックナー、シェーンベルク、それにヴェーベルンといった、ポリフォニックな音楽が中心ですね。」
『UNDER-HUNDRED アンダーハンドレット』の興味と重なる。当然と言えば当然なのが、いわば「理の当然」であって、どちらにも「理」があるからこそであろう。

7/4 学生時代のオーケストラの集まり
遠隔地からの参加も含め、結構な人数。嬉しくも有り難いことである。
ともあれ、自分はオケ弾きに慣れないなあ。昔、自分が学生オーケストラで日々活動していた頃、「楽器が弾けます」という新入生を合奏に入れて弾かせると、多くが「しまった」と言う表情をするものだった。結局のところ、大管弦楽ならではの演奏方法があり、またその団体ならではの演奏習慣があり、そうしたことに気働きが出来なければ、合奏には参加できないのだ。若い頃の彼らについて言えば、そのことに気づけるのは、それなりの蓄積があるからで立派と言うべき。今の私について言えば、今更何を気づいているのか、と。
ここからも、オーケストラと室内楽と独奏は別な音楽として扱った方が良い、と発想される。
そういえば、独奏者が集まったオーケストラの演奏をテレビで見た時もそう思ったのだった。

アイヴズ/答えのない質問
https://note.com/akato/n/nbbb08bd6591b
調べていて、なかなかいい解説だ、と思ったら古い知人が書いたものだった。そういうこともある。
そもそもこの曲について調べ始めたのは、古い知人がモンペリエの楽団にいる>モンペリエの悲愴の録音が公開されていると告知>そこに行ったら、オープニングがアイヴズだった>いい曲だ!>調べる、の過程。古い友人たちから様々に教えられて嬉しい。一方、なぜか悲愴には行き着かなかった。なぜ?

「世界のオーケストラで活躍する日本人演奏家たち」日本オーケストラ連盟によるまとめを見た。
私は各国の演奏団体による動画で東アジア人らしき顔を見かけると、団体のホームページでどんな人か見てしまう。
あくまでも私の感覚だが、東アジア人割合が最大なのは、米国の都会のオーケストラのヴァイオリンで、おそらく5割弱。3割日本人・1割韓国人・1割中国人と思っている。
東アジア人割合を地域別に見ると、米国>西欧>中欧・南欧>東欧くらいの印象。楽器は、高弦>中弦>低弦>木管>金管>打楽器。
東アジア人内の内訳は概ねどこでも変わらないが、団体によっては、日本人のみ・韓国人のみらしいところも見かける。
とかなんとか言いながら、さらにご経歴を拝見すると、ご両親とも、あるいは片親が日本人(韓国人然り、中国人然り)だが、ご本人の出生・教育などはすべて米国・欧州と言った方もおられ、「日本人演奏家」とは何ぞやという気持ちにもなる。

「東アジア人は真面目だからオーケストラ内での楽器演奏に向いている」と無根拠・無責任に思う面もあるけれど、すごく深刻にこのデータを見るならば、「欧米のクラシック音楽・楽器教育は退潮している」「日本国内(東アジア各国内)の演奏家雇用が十分でない」「日本人(東アジア各国人)演奏家の供給過多」と言った見方もできるかも知れない。
また一方で、各国オーケストラの均質化の問題もあり、「地域としての個性をどのように維持・発展させていくか」問題も思いついてしまう。
いずれにせよ、それぞれの団体や個人ごとの状況の違いが大きそうなので、問題を思いつくのは仕方がない(私の勝手)だが、これをきちんと論じるのは大変難しそうである。まあ、論じる以前にデータ整備がきちんとされていることが重要なので、この仕事は(特に経年変化が分かるようになっていると)たいへん価値があると感じる。
また、このような名簿は「いろいろな名字が見られる」点でも楽しめる。
パリ管におられる千々岩氏が、私的には「最強」。天正遣欧少年使節団を思わせるではないか(あちらは「千々石」。小栗蟲太郎「黒死館殺人事件」でも少年使節がちらりと顔を出していなかったっけ?)。

神戸市室内管弦楽団(プロフェショナル)の補助金打ち切りの話題の中でも、地域にオーケストラがある意味が問われている部分があると私は感じている。
で、たまたま神戸市民交響弦楽団(アマチュア)のホームページを見ると「義理と人情のオーケストラ」とある。なかなか良い。
外野の勝手な意見としては、神戸市室内管弦楽団と神戸市民交響楽団が仲良くすることで、お互いにとってとても良いことがありそうに思う(が、具体性を欠いてそう思うだけである)。たとえば、自分が札幌(のような地方都市)に根付いていた場合、プロアマの架け橋も含め、様々な役割を果たし得たかも知れないと想像するのは楽しい(甚だ無責任)。が、現実は巨大都市の one of them としてお気軽に暮らしています。

円安で著名音楽家の来日中止。
国際的にみた日本人の支払い能力が下がれば当然だろう。あるいは、中国・韓国ツアーのついでに日本にも来て頂くとか。
日本人が上海公演・ソウル公演を聴きに行くとか。
日本が国際的に買ってもらえる商品を作り出さない限り、この円安傾向は強まる。
昭和の教育では「日本は加工貿易」と習った。資源がない国である以上、基本的にこの構造は不変。
もちろん「売り物」が必ずしもハードウェアである必要はないが、例えばソフトウェア・コンテンツでどこまで人を養えるかはまた別(インカムの問題と雇用の広がりの問題が少なくともある)。
その意味で、日本はかつて売れ筋だった自動車一本槍になりすぎて、他を作り出せなかった時点でこうなるに決まっていた。それを座視していた政治・経済の指導層は反省して頂きたいものだ(私は私の日々の生業で多忙な庶民でござる。庶民としての反省のみさせて頂く)。
勝った勝ったと調子に乗って戦線を広げ、敵の反撃を食らって完膚なきまでの敗北に至るのがこの国の伝統なのだろうか?

ズーラシアンブラス。上手い。
演奏として、私が希求する精神性や手の切れるようなアンサンブルという方向性ではまったくない。
でも、音楽の「楽しさ」を非常によく表している気がする。
ダッタン人の踊りと阿波おどりをくっつけて楽しむのは、音楽の基本的精神のひとつとして正しい。
演奏者のレベルは高い(管楽器・打楽器)。アンサンブルレベルは、おそらく「敢えて」最高を目指していない。それで良い。
この様式でそこを目指しても詰まらなくなるだけ。「いろいろな楽器が楽しく鳴っている」ように聞こえるのが良い。
奏者の顔が見えないのも不思議だが、なんだか意外と馴染んで聴こえる。演奏上の困難はあるだろうけれど(そこは都合よく考えない)。
金管、打楽器、サックスが中心になるのも、被り物のためであろう。趣旨からしてそれで良いと思う。
子供の頃、繰り返し繰り返し楽しく見た「トムとジェリー」を思い出す味付け。

「海はなかった」
廣瀬量平の合唱曲。
昔々聴いて以来好きな曲なのだが、今のところどのような演奏録音を聴いても満足できない。どうやら、私は、言葉の言い回しに強いこだわりがあるらしく、冒頭の「さびれた」でかなり脱落。「さぁび・れ・た」となる「ぁ」が長い・大きいとそれだけでやる気がなくなる。「しろいはねを」で、男性(テノール)が上書きして来るのを好むのだが、なんとなう不安定に入ってくると苛立たしい。不安定を表現しているのか、単に技術的不安定なのかを弁別したいところ。
長い音の伸びが生きないのもいや。女声のヴィヴラートが大きいのも嫌。冒頭のピアノの独奏を指揮者が振るのも嫌。
ここまで好き嫌いがあると、おそらく合唱活動はできないだろう(まあ、自分が歌うのに気をとられて嫌嫌をしている場合ではないだろうけれど)。私には器楽奏者が向いている。
私は合唱曲をほとんど知らないけれど、「海はなかった」は非常に歌いにくい曲だろうと感じる。冒頭のピアノ独奏も、声楽冒頭との対比で大きく演奏するように書かれているのだろうが、大げさなフォルテでは却って雰囲気を壊す。歌いやすさとのバランスで小さめに弾かせて良いのかも。
「海はなかった」に比べれば佐藤眞「行こうふたたび」などは歌いやすさが行き届いているように感じる(これもまた、女声のヴィヴラートが大きいのは嫌だけど)。
CDで佐藤の「早春」を聞くと、最初の「朝」が「あぁさ」と時間差で濁るのが嫌。「行こうふたたび」冒頭は良いが「うぅつくしぃい」と女声の体重ヴィヴラートが卓越してくるのが嫌。「声楽アンサンブル」という言葉はこうした演奏への反感から生まれたのかな?と思ったりする。日本の声楽界は一時オペラ風大げさ歌唱に支配されてしまったのだなあ、と思ったり。それに限らず、海外から入ってくる限られた情報に振り回されていたことは多いと感じる。その意味で昨今、多くの奏者が海外への留学経験・海外での演奏経験を持っていることはたいへん喜ばしい。

ある演奏会で見かけたチェロ奏者(アマチュア)。
左手の指が1本ずつ完全独立で弦を押さえる。左手を「スケール(ものさし)」として使う基本思想を全面排除(時々そういう方を見る)。
また、1指・2指を多用し、3指はあまり出てこず、4指はほぼ使わない。半音・全音問わず1指・2指。
1指・2指を使う際、当然、3指・4指は「押さえる場所の上空」にはいない。特に4指は丸めている。
そしてまた、各指の「押さえるポイント」があまり美味しい場所でないし、使う指によって、手の形が大きく変わる。
1指・2指多用のため、ポジション移動も多いが、あまり合理的なポジション移動ではなく、精度は低い。
人には人のやり方があるのではあるが、なにゆえそのような指使いをされるのか知りたくはある。
昔々、学生時代にこういう人を見たことがあるのだが、その人は信じられないほど向上心がない人だった。
他には、何か他の楽器が出来てチェロもやってみようという方でこのパターンもある。技術は滅茶苦茶だが音質が非常に良かったりして、そうなると私としては勿体ないと思ったり惑乱したりするのである。
自分も(自分こそ)気をつけよう。

モイーズについてのサイト
https://marcel-moyse.amebaownd.com/
なんとなう、チェロ界におけるカザルスと似たイメージをモイーズに対して持っている。トスカニーニが「儂はトスカニーニだ!」と言って怒った時、「儂はモイーズだ!」と言って立ち上がった・・・と聞いたことがある気がするがほんとかな。

「音楽家占い」みたいなのをやってみた。
叙情性と論理性みたいな感じで選択させるもの。まあ、単純にはそうなるだろうけれど、それら矛盾しかねないものを両立させる、平衡させる、あるいは対立的に昇華・止揚させることを考えている(つもり)ならば、選択しようもない。ほとんどすべて「中立」で答えると「ブラームス」と出てきた。理屈の上ではそうなるのかもね。穏当と言うかなんとまあな結論でした。

ホルンの軽い響きが素敵。マンボ。
https://www.youtube.com/watch?v=m1FSR3wKgrk

聖枝祭で総主教を護衛する正教会の楽団
https://www.youtube.com/watch?v=hHGGEq28khE
https://www.youtube.com/watch?v=02-8MUM5FR0
パレスチナのキリスト教(正教)の楽団らしい。中東世界のキリスト教とて、我々が知っている(ような気がしている)欧米のキリスト教と雰囲気が異なる。
音楽的にはあまりスコットランド風とも思えぬが、衣装はタータンチェックのキルトということでスコットランド風に見える。どういうことかよくわからない。
chatgpt先生によれば、伝統的正教の音楽ではなく、19世紀・20世紀にスコットランド連隊を通じてこの地域にバグパイプやチェックのキルトが広まったとのこと。なるほど。そんなことがあるのね。驚き。なんというか、札幌のよさこいソーラン祭くらいで驚いていてはいけないと学びました。
そういえば米国のマーチングバンドを見ていても、バンドは国籍不明で素敵なスマート軍服・軍帽風だったりするし、我が邦におけるそれも言うに及ばず。
2番目の動画は最後に「三本締め」みたいなのをする。面白い。
イスラエル国旗を掲げていることもあり、2026年にも同様の動画がある。彼らはイスラエル国家の中で生きているのだろう、と推測。兵隊らしき人物が見物しているが、小銃をぶら下げている。

今まで見た中でもっとも酷い弓は「水害で水に浸った弓」。
まあ、仕方がないであろう。
「洪水の時、救助ボートで避難することになった。その際、ヴァイオリンは持って逃げられたが、チェロは家に置いていくことになった。チェロを屋根裏に上げたが、屋根とともにチェロは水に浸った。我が家で水に浸らなかったのはテレビアンテナだけだった。楽器は処分せざるを得かなかったけれど、弓だけは『記念』にとってある」とのこと。
もっとも酷い楽器は、サークルで管理者不在だったもの。横から見ると駒がS字型に湾曲。雨の中、傘をさしてはいるものの、むき出しの楽器を抱えて歩いている姿を見たことがある。それでも壊れてはいなかったのはそういう使い方を想定した高品質の楽器だったと言えよう。
弦はいつ交換したかも分からぬものだった。弦交換をある程度の頻度でする者らに声をかけ、「中古ではあるが、交換時期がわかっている弦」を供出してもらい、それらの弦を張るようにしていた。最低限の仁義とでも言うべきもの。平成の初め頃だったから、今の若い人たちよりも「貧しい」考え方だったのかも知れぬ。

Armstrong and Miller 英国のお笑いコンビ
彼らも「フットライツ」出身らしい。英国らしい「いやらしさ」を醸し出していて良い。

英国俳優ドナルド・プレザンス氏。007で悪役の親玉を演じる一方、「大脱走」では印象的な善人役。役者というのはすごいものだ。
(だから、役者が広告で「うまい!」などと叫んでいても本気で受け取るべきではない。へへへ、演技が上手だね、と笑って見るべき)。

ドラマシリーズ Stargate で、赤い女神と白い女神が火の玉になって戦う。
落語「悋気の火の玉」を思い出すのは失礼だろうか。

スペインのトマト祭は起源不明なのか。第二次大戦後に始まったことはわかっているのに。

Wikipedia連鎖。マーラー>アルマ・マーラー>ワルター・グロピウス>山口文象>林芙美子邸および龍海院(岡崎市)。
先日、林芙美子記念館の前を通ったばかりなので、少々驚く。
そしてまた、龍海院から名を取ったであろう竜海中学校と隣接した学校に通っていた身としてはさらに驚く。

英国の郵便車・郵便列車
https://www.youtube.com/watch?v=U3v8kT6G_kM
おそらくは、私が子供の頃に子供向け教材で見たであろう、昭和の日本の郵便列車とも異なるところはないであろう(日本の鉄道関連システムの多くはイギリスに範を取っていたし)。
そしてまた、かつての私の印象に強かったのは、車内での届け先別の仕分けであるけれど、この動画に置いては、システム全体に目配りがなされており、車内仕分けの紹介もあるけれど、それ以外のところもよく描かれている。さすがというべきか、なんと言うか。

デンマークの鉄道電化工事
https://www.youtube.com/watch?v=RwDaSgWf6oQ
古い型の電車が良い。

行田市の旧街道沿いの元商家と思われる家は、グリーンマックス「商家 切妻」にそっくりだった。
川越にある商家を模したと聞いたことがあるが、まあ同じ地方ではあろうか。
行田市駅から川越市駅まで、自動車で1時間。なかなか遠くはあるけれど。

「Nゲージ蒸気機関車」のページ。更新がほぼ止まる。
20年以上楽しませていただいた。最初の頃は、ワールド工芸のC51を作れるかどうか考えるために読んでいた。
そのうち、工作どころではなくなって、単に読んで楽しむだけになった。最近鉄道模型を再開して、再度C51製作を考えた。その際、鉄道模型工作としてのはんだ付け経験が不足しているので、まずその経験を積もうと考えるようになった。その時点でワールド工芸が廃業。キット組み立ての機会も失われた。
Nゲージ完成品各社はおそらく動態保存機程度しか製品化するつもりがなく、それらをベースとした3Dプリントの個人製作が今後(ほそぼそとした)主流になっていくであろう。そうなると「Nゲージ蒸気機関車」の「こうやって真鍮工作をする」と普及する意義も薄れてしまう。そんな背景や制作者のご年齢などもあって更新停止に至ったのだろうと思う。
長い間のご執筆に感謝する。私はKATO製8620の炭水車後部連結器交換について一度ご連絡したことがあるのみ。記事の一部にもして頂いて嬉しかった。

「日本の蒸気機関車」のページ(アーカイブ)
https://geo.d51498.com/kigiken/jp_steam.html
これを読みこなす知識も知恵も私にはないけれど。

職場の業務反省。上司が他責・自責かを探るのが私の中での第一歩になっていると気づく。
きちんと自責な人間ならばこちらもざっくばらんに。他責な者ならばそのように。
もちろん、「第三者的立場」もある。まあこういう機会に人間性(リーダー適性)が見えるのではないかなどと意地悪なことを思ったりもする。ふだんは格好良いことを言っていてもね、とか。貴重な機会ではある。

未来少年コナン
海の風景が多く、また、島もインダストリアも砂漠もハイハーバーも、水平な土地があまり出てこない。
以前、家族で道東を舞台にした動物番組を見た際、「斜面ばかりで平地がない」→「『もののけ姫』も斜面ばかりで平地は猫の額ほど」という話になったことがある。
宮崎駿一派は、平地を好まないのか?確かに「耳をすませば」や「コクリコ坂から」でもそうであるように、斜面ならではの情動というものがあるかも知れない。
一方、サザエさんは平地ばかり。ドラえもんは平地の日常と、斜面の非日常の切り替えが生きている。
この作品の「ジュヴナイル」としての輝きが眩しい。自分は、インダストリアと運命をともにする委員連中と同じくらいの歳になりつつあろうか。

アーミッシュについてYoutubeで見る(Youtubeで学ぶ危険は認識しつつも)。
「すべてのアーミッシュが一体に同じルールで行動しているのではなく、集団ごとに判断して行動している」らしい。
なるほど。その方がアーミッシュらしいようにも感じられる。私の中に、彼らのような生活への憧れはある。とは言え、現在の生活の多くを捨てなければそこに行き着くことができないこともよくわかっており、そこに行ける・行こうとは思っていない。今の生活の中で、少し彼らに近づけると良いな、とは思う。たとえば、糠漬けを作るとか。そんなことでも。

鰯で梅干しを巻き込んだ天ぷらが食べたい。
鰯の柔らかさと脂っ気を梅干しの酸味と塩辛さが制するような美味。梅雨時のじめじめした時期にぴったりなのだが。
昔々、府中で勤務していた頃、天ぷら屋さんで見つけ、その店に行く時は必ず食べていた。食べたいが、こういうものを出す店を探すのはなかなか難しい。「いわし料理」で探すことは可能であるものの。府中の店もなくなったのか探し出せない。
府中は「キッチン パズル」なんてのも良かったのだが。これは働いているうちになくなってしまった。
お魚屋さんも懐かしい。「魚弁当」を時々買っていた。ご飯の上に焼き魚(ぶりの照焼など)を載せたもの。安価で美味だが、魚以外におかずがなく、「逃げ場がない」故、覚悟して買わねばならなかった。
勤め人として各地で食べ慣れたものを列挙するのも面白そうだ。

都道府県と同じ名字。秋田・宮城・福島・千葉・山梨・長野・石川・福井・奈良・岡山・島根・香川・山口・福岡・宮崎・長崎。
以上、私が見た・お会いしたもの。名前に「大」などとつけると大学名と紛らわしい。
お会いしたお一人は「●●県出身の■■です」という自己紹介でウケていた。
市町村名となると切りがなさそう。むしろ「地名になっていない名字」はないのではないか?気になる。
私の知人を思い浮かべると、県名名字のみで弦楽四重奏が成立することに気づいた。
その後、「兵庫」と言う名(名字ではなく)の方を見つけた。少々古いけれど。

牛ハラミ焼き定食。元気をつけようと思って食べる。2,200円。ネットで見る少し古い値段は1,800円。さもありなん。円安を勧める輩が呪わしい。

水力製材所
https://www.youtube.com/watch?v=B5lgDSgrAeY
動くのを見るのは初めて。鉄道模型趣味誌では昔のアメリカ型を見たことがある。
現在なら、動力を必要とする箇所ごとにモーターを分散して使うが、アメリカ型模型の作例では、水車というたった一つの動力源を製材所中で使いまわすため、回転軸が天井にめぐらされており、使う時は、軸についているプーリーにベルトをひっかけて使うようだった。その後、動力源が蒸気機関になり、モーターになっても、しばらくは単一動力源でまかなうようにしていたようだ。

船舶のプロペラ修理。多くは付着生物とともに取れてしまったように見えるが、港湾内が廃液などによって強酸性化していないかは少し気になる。
https://www.youtube.com/watch?v=-Jc4sHf01H4
しかして、このように行われる「修理」はどの程度の強度を期待できるものやら。

GoogeMapを見て遊んでいたら「たまごパック誕生の地」なるものを見つけた。
なるほど、何事にも始まりがあり、たまごパックにも始まりがあるのだ。
私が子供だったころ、母は「買い物かご」を持って買い物に行き、そこに買ったものを入れていた。八百屋さん、肉屋さんなどがひとつ屋根の下に集まった「鳴海ストア」「鳴海中央市場」が主だった。
たまごパック以前のたまごの売り方を記憶していないが、「鳴海ストア」に卵専門の店があったような気もする。
あの頃の包装の有様を考えると茶色い紙袋に卵を入れてくれたものでもあろうか。あるいは、買い物かごに布巾をおいて、そこに並べて置いたものか。おそらくあの頃は卵10個を購入などとしていなかっただろう。冷蔵庫も小さかった。そしてまた、柳家小三治の「まくら」には、卵は一個ずつ太陽に透かして傷んでいないか確かめて買った、とあったかと思う。
「たまごパック誕生の地」は、町名としては猪名川町なのだが、付近のゴルフ場は堂々と「宝塚」を名乗る。こうした地名僭称の最大離隔距離ってなんだろうね。

Why Dönitz Couldn't Explain Who Kept Inventing The Tactics That Killed His U-Boats
デーニッツはなぜ、自分のUボートを撃沈する戦術を誰が考案し続けていたのか説明できなかったのか
https://www.youtube.com/watch?v=REm_fK70Sj0
えらい凝った題名だが、ドイツの海軍提督デーニッツ麾下の潜水艦隊による米英輸送船団破壊対策の成功談。
年間600万トンの沈没数を2年間で60万トンにまで減らした。肺病病みの海軍士官(元)とWREN(英国海軍婦人部隊員 Women's Royal Naval Service、あるいは、ミソサザイ)。
英国の強さについて、本人の経歴などにこだわらず、問題を解決できる人間に解決の任を与えること、ならびに、19歳の女性下士官の言うことであってもベテラン士官が耳を傾けて聴くこと、と言っている。私も大いに賛同する。人治・世襲・縁故主義に戻りつつあるかのような我が国だが、「強い国」であるために「自由な議論ができる国」であるべきと思う私。

Coastal Command
https://www.youtube.com/watch?v=gEE2nsxlKDU
ヴォーン=ウィリアムズが作曲していることで有名(?)な映画。
映画自体も実録風の淡々としたものであり、音楽も無用に盛り上げるタイプではない。よってして印象に薄い。
RVWの音楽も一般に「薄味」であり、それでいて後々反照があるような不思議さを愛好しているので、当然そうなるかの結論。
あるいは飛行艇が離水・着水するのを興奮して見ているから音楽が聞けていないのかも知れぬ。

サッカー・ワールドカップ。アルゼンチンがイングランドを下す。
ここでフォークランド紛争を思い出すのは老人だけか。
終戦1年くらいで、英国BBCが双方の軍人にインタビューしていたことには驚いた。
インタビューする方もする方だが、旧敵国の放送局のインタビューに答えるんだ、と思った。
純軍事的なインタビューであって、政治的側面を扱っていなかったようにも記憶するが、それはそれで非常に意義深いものと感じた。
(と思っていたら、やはりアルゼンチンチームが「マルビナス諸島」の横断幕を出したりしてFIFAとモメているとか。老人の回顧も無用ではないのかも知れぬ。)

以前、「クレクレタコラ」のTシャツを着て歩いている男性がいた。細君・娘と思しき同行者もそれぞれに目立った装束だった。
「クレクレタコラ」を褒めておけばよかった。無念。

お気に入りカレー屋さん。何を食べても美味しいが、行き過ぎると飽きてしまうかも知れないし、他の店に行く能力がなくなってしまうかも知れないので、控えめに行くようにしている。で、先日も美味だった。その日のカレーは梅チキンカレーと野菜カレー。それぞれが全く違っていつもながら両方頼む甲斐がある。で、店を出ると看板を覗いて迷っている方を見る。
思わず「本日のカレー」をお伝えするとともに、美味を渾身の身振りでお伝えした。さてどうされただろうか。
隣席の女性が、カレーが冷めるのも構わずスマートフォンを弄っているので、カレーを取り上げて食べてしまおうかと思った。世の中のスマートフォン中毒者は、隣席でイライラしているオッサンに気をつけるべし。

誤字
RM LIBRARY (アールエムライブラリー) 258 昭和40年代 奥羽沿線私鉄散歩
 「余談を許さない」→「予断を許さない」
 そりゃ「余談」なんかしている場合ではないのはそのとおりだが、慣用句としては「予断」です。
エヌ外道ジャーナル1: Nゲージ鉄道模型専門個人誌 N外道ジャーナル
 EF51がED51になっている。結構な数。
Nゲージ小型レイアウトプラン集: 9つのプランをイラストで解説
15ページ「ゆうなぎ鉄道」となっているのは「剣山鉄道」の誤り。
作者にご連絡したかったが、Twitterでダイレクトメールの仕方が分からなかったので、これにて失礼。

「気象庁の人々:社内恋愛は予測不能?!」なる韓国ドラマがあるようだ。
気象庁の内部での恋愛なら「庁内恋愛」あるいは「職場恋愛」だろう。気象情報会社なら「社内恋愛」だろう。もちろん「職場恋愛」でも良い。
細かいことだが気になる。翻訳者にはこうした言葉の整合性を気にしてほしい。

天気予報の地図を見ていて、埼玉県と長野県が接していることに気づく。
地図を見ると、接してはいるが、道路一本通っていない。
埼玉県秩父市から群馬県南牧村を経て長野県佐久穂町に通じる道が最短になる。
西武鉄道・秩父鉄道秩父駅から小海線佐久穂駅まで徒歩19時間であるとか。自動車なら2時間。興味はあるが歩くには遠い。
群馬県南牧村(なんもくむら)は高齢化率日本一。
長野県南牧村(みなみまきむら)と群馬県南牧村(なんもくむら)は、近くはあるが隣接はしておらず、平面としては北相木村・南相木村・川上村のいずれかを通らねば行き来できず、現実の道路を見ると、北相木村と南相木村を通らずには行き来できないようだ。
日航機墜落で有名になった御巣鷹山は群馬県南牧村にあり、この長野県南牧村に行く道から入ることになるようだ。
日本で一番海から遠い地点もこの近く。

サン=テグジュペリ乗機の発見
https://www.youtube.com/watch?v=jKpJSLre29s
彼を撃ったドイツ人は、サン=テグジュペリの読者であった、と。感慨深い。

寝台特急「はつゆき」
非実在。ドラマのために設定された昭和末期(たぶん)の寝台特急。きちんとEF65が牽引する24系寝台。
車両内部は保存車両を使い、外部はCG。鉄道ファンが作ったCGなので、「ほんもの」。たいへんよろしい。
鉄道ファンの端くれとして、次に見たくなるのは、松本清張「点と線」の寝台特急「あさかぜ」。もちろん20系以前。保存されていないので、内部撮影ができないだろう。
そしてまた、(サスペンスではないが)内田百閒の阿房列車もの。ダブルルーフ客車の御殿場線の走行風景など見たいものである(内部撮影はどうするのか?)。

「ロクサン客車」なる語を見かける。「ロクサンといえば電車だろ」と思ってしまうのが素人(私)のアサハカさ。
三井三池のホハ200は「ロクサン電車」の客車版。まさに「ロクサン客車」。
子供だった頃、グリーンマックスのクモハ73組み立てキットを1両だけ買って組んだのを思い出した。
いちおう組めた(ことにしておこう)。けれど、1両で動力もない電車は「作る」以上の先がない。相方のクハを買うでもなく、動力を入れるでもなく放置。そのうちTMSで配給電車クモルを作る記事を見かけ、その気になって切り刻んだ。さて、それ以降の記憶がない。半無蓋電車を完成させたのか、刻んだだけで終わったのか。世の中の配給電車好きを悟って、その後グリーンマックスはクモルを作れるキットを発売した。それを買って、クモル23050を作ったような気もするが、さて。

かつて武豊駅にあったという「ルーブル側線」は、「日本ルーブリゾール工業(有)」への引込線だったとのこと。

Water Troughs
https://www.youtube.com/watch?v=5yXJYAMybjI
蒸気機関車が無停車で給水するためのシステム、ウォーター・スルー(トラフと読んだ方が良さそう。池田邦彦氏の漫画より)。英国に100箇所ほどあったとか。
1860年発明らしいので、我が国の鉄道システムより古い。我が国の特急燕には水槽車を連結していたそうだが、Water Trough は検討されたのだろうか。
なお、侵入速度や操作ミスなどにより、水流が吹き上がることもあるし、機関車に直結された客車内が水浸しになることもあったようだ。

Slip Coarch
https://www.youtube.com/watch?v=Bq0aA9RZ1ls
英国無停車シリーズ(?)。運転中の急行列車が編成末尾の1両だけを通過駅手前で切り離す。切り離された1両は駅で停車。場合によっては支線列車に連結。
客車は簡易運転台を持っており、走行中解結操作できるような連結器、ブレーキ、非常用ベルなどを装備。
無停車で連結する方法はないため、急行列車の復路では、ふつうに停車・連結操作を実施。 1914年には1日100便が運行されていた。
英国の私鉄が運行速度競争をしていたからこそのスリップコーチであり、統合・電化で廃れた模様。
我が国では思いつきにくいが、たとえば、東北本線の急行が院内駅に停車しているケースに適用するのが良さそうか。
院内は山間の小駅に過ぎないが、近くに鉱山があり、東京発の急行が停車して、相応の乗降客があったと聞く。相応とは言いながら「1両」の定員ほど乗降があったとも思い難いので、院内行きスリップコーチが1両あれば良い・・・と想像する(楽しい)。
ところで、こうした歴史説明もの動画で背景的に使われている動画は「いめーじ」的であって「ほんもの」でない場合が多くあるね。そうなると説明自体も眉唾に思われてくるが、ある意味最初からそう思って見るべきものだろう。現代と違って動画撮影のコストは高く、希少だったのだから。

「つかめるニッパー」(掴めるニッパー)が、「つるかめニッパー」(鶴亀ニッパー)に見えた。おめでたい。誤字ではなく誤読。
「象印」と漢字で書かれているのをぱっと見ると「印象」と読むね。

鉄道模型のポイント切り替え。電磁石でスパッと切り替わる式と、モーターでゆっくり切り替わる式がある。
実物の手動ポイント(転轍てこによるもの)は比較的スパッと切り替わり、モーター式はゆっくりだった記憶がある。手動は「ガッ、チャン」くらいの感じ。モーター式の「ガウガウガウガウ・シャッ・・キーン」よりは速かったと。
鉄道模型で電磁石式が多かったのも、転轍てこを模するためではなかったのかしら?
日本の転轍てこ操作から分岐器の変換までを写した画像は見つからない。構造が若干異なるが、セルビアでの動画。
https://www.youtube.com/watch?v=nhFVQFnOltY
分岐器の切り替え速度は日本でもこんなものだったと思う。日本では鎖でなく、ロッドで動作を伝達していたので、もう少しスパッと切り替わっていた気がする。

英国の連続ドラマ ダウントン・アビーを少し見る。
演じているのはもちろん現代の役者さんであるけれど、本当に当時の貴族・使用人に見える。
まあ、私が実際に当時・現地のことを知っているわけではないのだが。
自信を持って人々を支配する貴族と、不安に置かれながら支配される使用人。
なんとなう、我々の受けてきた教育は「不安に置かれるよう」導かれていた気がするよね。
ベンヤメンタ学院(未読)の主題もそんなんだった気がするが。。。

オーディオ環境
スメタナ四重奏団が弾くドヴォルザークの六重奏(DENON 1988録音)を再生するとシャカシャカしてやりきれない。
ChatGPTによれば、イコライザーで7kHz, 10kHzあたりを落とせば良いと言い、たしかにおおむねそのとおり。
PC→DAC→TU870→DALI Royal Menuet II だと落とさずにはいられない。
PC→DAC→TU870→Tannoy Mercury M2 だと落とさずに結構行ける。これで良いか。
これが休日用だとして、そうなると平日は、
 PC→DAC→Tripath TA2020-020→DALI Royal Menuet II
になるが、はて、こちらはどんな音なのか。
Mercuryのコンデンサー交換が作業中だ。なんとかせねば。
でも、しばらく鳴らしていたせいか、あるいはDENONのシャカシャカ録音とは相性が良いのか、これはこれで使いみちがある気がしてきてもいる。
ぺるけ式DACをもう一台作る部品を集めつつあった。なんとかせねば。
生き生きした音質はTu870の方が上。歪みないフラットさはTripathが上。
今まで感じてきた通りでそこは変わらない。

美濃国。
郡上市も美濃。岐阜県のうち飛騨が山、平地が美濃、と思っていたが、郡上は美濃なのか。
Wikipediaを見るといろいろ書いてあり、要約するもわろし。
ともあれ、木曽は美濃だったが信濃と取り合った・・・など「さもありなん」。平成の大合併でも県境越え合併(長野県木曽郡山口村が岐阜県中津川市に編入)の舞台になったものね。
郡上市で気温が40度以上になったとか。温暖化対策(緩和と適応の双方)が必須である。
テレビのニュース・天気予報の人々は「熱中症対策にご注意を!」と目先のことだけ「注意した」ことにしてそれ以上踏み込まないのがアカンよね。無責任。

Variant は「変異体」。Valiant は「勇敢な」。

只見線。会津若松から小出(魚沼市)まで乗ろうと思ったが、小出まで行く列車は会津若松608発のあとは1305発までない。
途中の会津川口行きも1本あるのみ。むむむ。公共交通機関である鉄道として機能する限界であろうか。
日本はもう一度「軽便鉄道」「簡易軌道」を思い出す必要があるのだろうか。
自動運転バスに活路を見出すのか。
1305発のあとは、1700発が全通の最後。1日三本の通し運転。観光客がふつうに景色を楽しもうと思うと、1305発に乗るしかないのか。
元々は野岩鉄道に乗ってみようと思い、新宿から東武特急に乗って、野岩鉄道で会津若松行きを考えていた。これは割合に簡単。
で、会津若松から郡山に出てもつまらないし、米沢には行きようがない(バスもないらしい)。
ひとつは磐越西線で新潟へ、ひとつは只見線で小出(魚沼)と思い、より閑散であろう後者を考えた。

テレビで稲毛海岸を見る。
隣接区に住み、時々お邪魔していたので懐かしい。
プール。家族で訪れた際、駐車場から入口に向かうと、目つき鋭くあたりを見回す中年女性に小声で呼び止められる。
「割引券持ってる?」「いいえ」「じゃ、これ持っていきなさい」「あ、ありがとうございます」的やりとりをした記憶がある。
千葉の海岸沿いにはそうした庶民的優しさが溢れていて暮らしやすかった。スーパーのフードコートでも、ドーナツ屋さんのポイントカードをもらったり上げたりしていたっけ。
もひとつはお寿司屋さん。入院していた身内の退院祝いでお寿司屋さんに行った。
お手洗いに行こうと階段を降りた時、下から上がってくる女性のお顔に見覚えが・・・もこもこしたセーター姿には慣れないけれど、と考えるとそうだ病院の看護師さん!。
大広間で病院の宴会だった(もちろん当直の方は欠席なのだろう)。お医者さん・看護師さんに改めてご挨拶させて頂いた。彼らは白衣でないとちょっと気づきにくい。
そういえば、当時、このお寿司屋さんの近くに、なんとなう「浜茶屋」風のおおらかな建てようの料理店があり一度行ってみたいと常々思っていたものだった。「ちどり別館」かな?
ソニーのポータブルCDプレーヤーを買ったのもたぶん稲毛。通勤用自転車を買ったのも稲毛。稲毛のお魚屋さんで私と同姓の方を見つけたこともある。たしか、佐賀ご出身だったかと。

ドリームハイツ。
以前「ドリームハイツ」行きのバスを見てなんだか驚いたことがあるが、地図で調べると横浜薬科大学の近く。
そういえば、ここに「横浜ドリームランド」ってあった。そして、大船からモノレールがあった。などと思い出す。
このモノレールはあれやこれやがあって短期間で廃線。しかも裁判沙汰。ドリームランドは相応に営業していたが廃業。などとネットに書いてあったのを思い出す。モノレール廃線もあり、道路交通の渋滞が大変だったような記憶も・・・。都市開発の大変さを思う。
「ドリーム交通モノレール大船線」とでもいうのだな。
まあ「モノレール」は「普通鉄道はレールが2本も必要であるが、俺達は1本で済むんだもんね」と言っている割に、レールがものすごく太くて、「え、これは2本分より太くないですか?」と思わするなど、なんだか未完成技術っぽい感じがする。あれやこれやで、結局完成度程度にしか普及しないのが現実であると感じる。いわゆる「新交通システム」の類も同様。

気象観測が「涼しい」場所で行われている問題。
観測の統計接続を考えると地点変更は好ましくない。
https://www.data.jma.go.jp/nagoya/100years/100past.html
一方、測定条件の設定は、昔々の「アスファルト・コンクリート舗装は限られた場所の『特殊な環境』であって、広い領域での代表性を考えると芝生露場が良い」といった考えによっているのではないか?舗装がこれだけ行き渡ったのなら、気象の測定も「現代の一般的な環境」に移行すべきかも知れない。一方、人の感じる「暑さ」を評価するならば、過去の気象測定にこだわらず、WBGT(湿球黒球温度)で測定・評価を行うべきかも知れぬ。

気象庁「グロースベッター」が電子化・公開されている。
https://www.metsoc.jp/about/research-groups/longforc/back_number
Growth better だろうと思うが、特に意味を説明している場所はない。
気象庁/気象学会の長期予報研究会が出していたことも知らず、2007で終わったことも知らなかった。
なんとなく「気象庁内部の研究会の会誌」くらいの認識でいた(平成のはじめ頃断片的に触れただけなので仕方がないのだが)。

トレンドマイクロ(ウィルスバスター)。
契約が切れるのに、クレジットカードの請求だけはちゃっかりしてくる。90日以内なら返金に応じる・・・らしいが、「返金請求するページ」に行き着くのが不条理小説並に難しい。しかも、ネットでログオンしていない契約がもう一本あるとか滅茶苦茶だ。ChatGPTに相談してなんとか乗り切った。なんとかして「中の人」に連絡をとるしかない。また、要求事項は端的に(ChatGPT作文を)投げつけるのが良い。
これに限らず「解約させないための万全の対策」が怖いからサブスクリプションは嫌なのよね。これからも気をつけよう。
これまでクレジットカードの請求で変なのはなかったから請求書を見るモチベーション下がっていて、惰性で見ていたけれど、見ていて良かった。気づかなかったら、払って90日が経過して、先方の「逃げ得」だったよね。そういうケースも多いかも。知らんけど。

秋葉原でEF55を見てたまげたのは、2006年3月。
http://folia.txt-nifty.com/musik/2006/03/post_f913.html
あの時はほんとうにびつくりした。そして、古い電気機関車の量感に圧倒された。

英国のドラマ、ダウントン・アビーのセット
https://www.youtube.com/watch?v=QXIUiaG6abI
こうしたよく出来たセット・衣装・演技に基づく重厚なドラマ。なかなかない。我が国では?映画はともかくも。
どうやら、部屋だけ使えば良い時は本物の屋敷を使い、火を使う(ように見せる)場所、召使いがばたばたと行き交う場所、現代と異なる施設を使う場所は、セットにしたのだろう。セットの出来もすこぶる良い。
以前見た国内ドラマ(オリエント急行殺人事件の焼き直し)、セットも演技(役者個々は良いとしても演技に統一性がなかった)も撮影も今ひとつだった。ありていに言えば「子供だまし」。

ダウランドの素敵なうたと英国鉄道の旅
https://www.youtube.com/watch?v=5l6jF8v_Wus
いいね!(脳が退化気味)
リヴィウでもダウランド(かつては波蘭領ルヴフ)
https://www.youtube.com/watch?v=1bYi7TY4bNE
このあたりの音楽は即興ができないと面白くないのかも。即興を今から学んで楽しくできるようになるまでどれくらい?
そもそも、現在「楽しく」弾いているのか?(演奏後の記憶/疑似記憶としては「楽しい」と思っていることがあるのは確か)。

OSINT(オシント)と似ていると思ったが似ていない。
ハシント(ヤシント)・オルファーネル。

パスポートが切れてもあまり気にしていないが、自分が「行きたい場所」に乏しい気がしてきた。
確かにこの数年長い休みをとってどこかに行こうと思っても、「どこ」に行くべきか迷うことが多かった。
行きたい場所(地名でも施設でもなんでも良い)を列挙してみよう。無理やりであっても。
 民俗博物館(大阪)、明治村(愛知)、沖縄、広島、奄美、倉敷、山形(冷たい鶏そば・鶏中華)、瀬戸・三河山中、南三陸。
 大糸線乗りつぶし、野岩鉄道・只見線・磐越東線・磐越西線、飯田線など。
 各地の独立系書店・古書店めぐり。
どれも、無理やり考えたのに等しく、行かなくても困らないし、飛行機代は上がったし、と思いがち。
どこかに行ってすごく食べたいもの、見たいものというのもあまりない。
首都圏に住んで、それはそれで刺激が多いからそれで済んでいるとも思うし、本来行動的であった夏が暑すぎて何もしたくないというのも大きいけれど。
やはりゆつくり休んで、まずは「行きたい場所探し」でもするべきか。

英国鉄道1944-1945
https://www.youtube.com/watch?v=bdxzDb8TrNo
英国が列車砲を持っていたとは知らなかった。なんとなう大陸国ではないので、列車砲があっても使いみちがない(国境まで砲を移動させるには鉄道だけでは不足)だと思っていた。
ボーア戦争とか第一次世界大戦関係らしい。南アフリカやヨーロッパ大陸で使うつもりだったと理解して良いのだろうか。
ドイツの有名なパリ砲は、射程100km以上だったし、射撃地点には予めターンテーブルを作っておく必要があった(と記憶する)。
「どこからでも自由に撃てる」ではなく「予め準備した数地点のうち、どこからでも自由に撃てる」という思想。
英国の列車砲はそれよりは遥かに小型であり、「予め準備」はパリ砲より軽微であろうものの、「どこからでも」ではなさそう。
貨物列車通過後に射撃(訓練)をしているが、地盤が揺さぶられており、なかなか影響が大きそう。
また、より大型の砲ボッシュバスターは、射撃の反動で車両ごと後退する。
(列車砲が射撃後反動で走行する話は父がしていたが、単なる冗談だと思っていた。まあ、父の話は、その後何キロも山越え川越え自走するということであり、「大ボラ」の類ではあるのだが)。
曲線区間で射撃しているのは、おそらく砲自体には左右に振る能力がなく、曲線を利用して左右に振っているのだろう。そんな方法で精密な射撃ができるか心配だが、そういうものでもないのだろう(と想像)。

昨年11月に書いた九州風定食屋さんに行く。今度こそ刺身定食を外すという鋼鉄の意志。
「鶏とピーマンの炒めもの」。美味しかった。肉厚もちもち鶏と肉厚あまあまピーマンがあっさりした味噌とよく合う。
お客さんの多くはお刺身定食を食べており、それはそれで美味なので、これからも迷い続けることであろう。

宇宙飛行士詐欺について注意喚起を見かける。
以前あったのは「宇宙船の酸素が足りないから、そのためにお金を出してくれ」というの。
そんな無計画な飛行をしないでほしい(するわけがない)と思ったが「攻撃を受けて」という理由づけがあったらしい。
宇宙での戦闘は今のところないはず。また、あまりにも極端環境過ぎてこれまでの兵器は使えなさそうだし、使うと自滅もしそうだし、あるいは宇宙での距離は我々が想像するより遠いようだし、と簡単に戦闘ができるようには思えない。
まあ、この「酸素不足」は聞いただけで息苦しい気持ちになるので、詐欺としては秀逸かも。
私は「クヒオ大佐」のお話も嫌いではなくて、なんというか「夢」があるな、と。

ローマ帝国の終焉
https://www.youtube.com/watch?v=L24-eE-ik_w
当然「諸説ある」「複合要因」なので、簡単に信じて良いとは思わないが、楽しく視聴できるもの。
棒人間がなかなか良い!

Dinner with the robot-in-law went badly wrong - BBC
https://www.youtube.com/watch?v=EdWS4uUpnL8
「robot-in-law」って何?と思うわけだが、もちろん、「mother/father-in-law」のようなロボットを想定しているのであろう。

九州に「沈堕の滝」なる変わった名の滝がある。「沈堕発電所」があり、中二病的文字面であるな、と。

「出口王仁三郎『霊界物語』とキリスト教 ─キリスト教土着の一事例として ─」川島堅二
https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2019/pdf/humanities16_01.pdf
以前(2022年6月)、メモだけしていて読んでいなかったのを読む。面白い。どこまで信じて良いものか分からぬが。
大本教は、第二次大戦前、二度に渡る弾圧を国家から受けることになるが、「弾圧されるほど世間的な影響力があった宗教なのか?」等、疑問は多いし、教えについても知れるところが少ない。キリスト教土着という要旨とは別に、簡潔な大本教略史として読んでも面白い。

スナック研究会
https://snaken.jp/
ドメイン名「スナ研」もユーモアがあって良い。研究代表者がスナックでお酒を飲んでいる写真を置くのも当然のこと。
でも「山崎」みたいな高い酒がスナックに合うかな?と思っていたところ、サントリー文化財団から資金提供を受けているとのことで「それなら当然か…(良いなあ)」という極めて合理的納得をしたのであった。
ブログ「学者が本気でやるバカに戦慄せよ」も良い。現政権は文系ダウンサイジング(お取り潰し)などと言っているが、文化消滅させたいのか、と私は憤慨する。スナ研もまた、それぞれの研究者が「バカでないこと」をやった上での「バカ」であり、その双方が日本文化を涵養するのだから。
ところで自分は「スナック」にほとんど行ったことがない(残念)。
高田と京都で一回ずつ。いずれも楽しかったし、地域性があるし、旅先などでもっと行ってみても良いかも知れぬ。一定程度の「入りにくさ」があるのも仕方がないことではある。

母の墓参に行く道すがら、駅の階段下で幼子を乳母車から下ろそうという若い母親を見かける。
乳母車を運ぼうとすると、旅行者らしい白人男性も歩み寄り、二人で乳母車を支えて階段を上った。
「吾輩が乳母車ひとつ運べん細腕と思うたか!日本男児を甘く見るでない!」と言いたくもあったが、きっと「コイツ一人では運べん。やばい。」と思ったに違いなくもあり、感謝。
ついで、墓参の帰途、駅の喫茶店で親子3人に席を譲って帰ろうとしたところ、ごみ捨て経由で出口に行った私をパパさんがにこやかに待っていてくださる。日傘を席に忘れた私であった。パパさんありがとう。情けは人のためならずとはこれがことである。

この1年ほどミスタイプが多い。使いにくいキーボードを使っているからだと思う。Linux上のBlueToothサポートがヘボく、以前愛用していたキーボード(小型だがタイプしやすい。JIS配列だが日本語印字なしBlueTooth)がまったく繋がらなくなってしまった。今、有線の小型キーボードを使っているが、変形であり、かつ反応が悪い。よってしてミスタイプが増える(残念)。

このブログを読んでいる人の話を聞いた。奇特な方があるのだなと、改めて世界(日本語の世界)の広さに驚き入る。

Continue reading "読書の記録(2026年7月)"

| | Comments (0)

読書の記録(2026年6月)

夜明けと音楽 イ・ジェニ、橋本智保訳
偶然見つけた書店で偶然目に入って買った本。良い!
泣きそうだ(電車で読むには適さない。また、急いで読んではならない。頭が冴えている時間に、集中して少しずつ読むべき本)。
自分は詩文を読むにはせっかち過ぎると自覚している。一方無味乾燥な散文も好きではない。
自分が文学を読み始めたのが、サン=テグジュペリ(堀口大學訳)であったりするとそうなるのかも知れぬ。そうした、流れの良い詩的散文。なかなかない。
(墨東奇譚、井伏訳ドリトル先生などなど)。

玉電余話 軌道逍遥
玉電(東急電鉄世田谷線)開通以前にあった様々な計画線についての小誌。
東急電鉄社史でも扱われなかったというが、まあ東急あるいは玉電そのものではない、滅び去った他社の歴史ではあり、それはそれで仕方がないとも言える。ともあれ、こうしてまとまったかたちで読めるのは大変おもしろくも有り難い。
現在の世田谷区は、東急田園都市線・小田急小田原本線・京王電鉄八王子本線(?)の3本が東西に走り、南北移動はあまり盛んではない。
こうした現在の有様以外が少しでもあり得たのかどうか等、この小冊子を読んで思い描くのも一興である。
我々が土地に対して抱くイメージは現状の交通体系に強く依存しがちだが、そのことを知れるだけでも面白い。

アグニの神 芥川龍之介
「文芸誌ムゼイオン」(https://museion2003.web.fc2.com/m2/akaitoridaiitiji.html)からたどり着く。
ムゼイオンは「三銃士の息子」(カミ)を調べていて飛んだのだった。
いつもながら、マイナーな書物・楽曲について調べると、昔ながらの面白いページに行き着く。
芥川は「杜子春」などもそうだが、こうした翻案もの・異国ものが多いのだね。
私小説的でない創作を目指していたのだろうか。なにか創作者としての行き詰まりを予想させるところがあるのは、彼の自死を知っているからではあろうけれど。
「宇宙探偵マグナス・リドルフ」はトレジャリーが書いたので、カミではないのだね。荒唐無稽な題名から混同していたよ。
『機械探偵クリク・ロボット』の方がカミだね。

砂の本 ボルヘス 篠田一士
好きな本。基本的にどの編もわけがわからないのだが、そのわからなさが面白いと思える程度に収まっている。これが長編だったら苦しいのだろうけれど。
昔、私が考えた「世界シミュレーター」は、世界中の全粒子を再現するというもの。要は「世界の再創造」であり、実現不可能であるという結論。よし全粒子を準備したとて、「初期状態」を同じにするというのは、まさに天地創造そのものであろう。
忠臣蔵理解の適当さ。誰がこの適当あらすじを考えた!と言いたい。篠田氏はこれに注をつけないのは、「もちろんわかってますよね」という大人の態度なのだろう。嗚呼大人。そういう時代もあった、と言いたくもなる。

五月 その他の短編 アリ・スミス 岸本佐知子
相当変わった短編。岸本佐知子さんは、ルシア・ベルリンでも良い訳だったので、安心して購入。
少しばかり奇をてらった作品が多い。面白いことは面白いが、私が求める方向でもないかな。
バイオニック・ジェミーは注がなくてもわかるぞ(私の年代の者に限られると思うので、注はあるべき)。

マンガ 「書」の黄金時代と名作手本―宋から民国の名書家たち 魚住和晃、栗田みよこ(まんが)
面白く読めた。文字に関しては、読解できるものは鑑賞できるが、読解できないものは鑑賞できない、と気づく。
文字とは美術的造形だけでなく、実用性も兼ね備えていなければならないという一例か(我が身の事例を勝手に展開)。
こうした書物で書の奥義がわかるはずもないが、中国において歴史的に書が重んじられ、様々な工夫が重ねられてきたこと、その影響は日本にも及んでいること、これくらいは実感することができて良かった。
もちろん、造形を見て「好き・嫌い」と思う遊びも少々楽しんだ。
元はといえば、Google Art&Cultureで見かけた書の由来を知りたいこともあったが、なんとなう時代的位置づけがわかった気がする、という程度。ま、そんなもの。
https://artsandculture.google.com/asset/couplet-in-seal-script-0002/TwGA8BFCGDC2VA

鉄道模型趣味
風邪で伏せりつつめくり見る。
16番ライブ蒸気の話題は時々あるが、電動両用の作品があるのに驚く。モーターは炭水車に搭載。ライブ時にはギアを解除するとか。
国鉄香春線。やさしい色調で、私はなんとなく好きな作品なのだが、あまり話題にならない。
そもそも私自身が押出の強い居丈高な作品を好まず、多少弱いところのある佳品を好むからとも思うけれど。
このレイアウトは保育社「鉄道模型」に出ていて、詳しく知りたいと思い、古いTMSを買ったもの。
同じ様に千曲鉄道も「鉄道模型」などで見て断片的にしか知らず、この度古いTMSで読めて良かった。
 1973年6月号 着工以来6年目を迎えた 7800x2850mmの大レイアウト千曲鉄道! 千曲鉄道建設譜
 1973年7月号 千曲鉄道に架かる橋
「鉄道模型」では、レイアウト全景ではなくスイッチバック駅周辺のみを上方から撮影した写真のみを掲載しているので、なんというかレイアウトのコンセプトがわかりにくかったように思う。これらを見て、古典蒸気機関車が牽引する古典列車が活躍する舞台としての千曲鉄道というものが理解できたように思う。山岳線が主であることもあって、「精密な建造物」はあまり入れず、だからこそ車両がのびのびと活躍できると、解釈した。
本当は書籍「千曲鉄道」を購入すべきだったのだが、買い逃したのである(残念)。
Playmodel2のきさらぎ鉄道。失礼ながら簡素で素朴な出来。でも、色彩の統一感など非常に好感が持てる。これもまた佳品。
で、ふだん「でかい」と私が不満に思っているアーノルトカプラーであるけれど、こうした落ち着いた風景の中では特段目立たない。その他ディテールも同じだろう。こうしたレイアウトで安定的に運転(入換含む)を行うには、アーノルトカプラーは良いかも知れない、と思った。

鉄道車輛401集 復刻版
鉄道模型視点で、かつ、古い本。私が「古い車両」として知っている鉄道車両が新車だった頃の情報であり、その点でも目新しい。

Dispatch
https://micromodelrailwaydispatch.com/
ネットで教えてもらった小型レイアウト雑誌。面白そう。ともあれ、「ディスパッチ」って、ディスパッチャーとかの「指示出し・指示を出す人」の印象があった。調べてみた意味もちょっとこの雑誌とどのように対応するのかちょっと分からない。

風琴と魚の町 シベリヤの三等列車 多摩川 林芙美子
青空文庫。あまり長いのは読みにくいが、古い有名作家の短編を居ながらにして読めるのはありがたい。
貧しさが悲しいもの。また、現代の視点からは「人権がないとはこういうことか」と驚かされるもの。
人権大事。
小説としては多摩川が面白い。シベリヤは随筆。風琴は自伝的作品であり小説とも言いにくいもの。

世界は五反田から始まった 星野博美
とてもおもしろい部分があるけれど、ちょいちょいツマラン。
「ゲンロン」誌連載だから仕方がないが「ゲンロンカフェ」への言及がウルサイ。また、共産主義・組合活動への忌避感を持つのも、経緯を含めて理解できるが、話の筋の中に何度も書かれると嫌気がさしてくる。筆者はもっと透明で、過去の事実に注力して欲しい。
(私が名作と思う「みんな彗星を見ていた」でも、一箇所「金縛り」か何かの話題があり、私の求める透明感を損なっていた)。
文章的には前半はグダグダで読むのが辛い。小林多喜二・宮本百合子パートまでがグダグダ。満州開拓団、空襲から文章がしっかりして読めるようになる。不思議。
父上が疎開先から戦後すぐ東京に戻らなかったのは、「都会地転入抑制緊急措置令」(昭和21年3月9日勅令第126号)の直接・間接の影響もあるかも。
我が家でも同年代の伯父を始め、高校までは疎開先で出ておいて、大学・就職で東京回帰というパターンがある。
自分は五反田文化センターに行くことがあり、またこの近くに住む友人に連れられて周辺をうろうろしたことがあるので、そこで触れた部分とそうでない部分の落差があるのが、読者としてあかんのだね。
そう言えば、子供の頃から見慣れている「写真でみる 鉄道車両100年」に、戦前の目黒川を渡る山手線(木製の電車)と山手貨物線(当然蒸気機関車牽引)の写真があった。たしかに「木密かつ工場地帯」と言えるような写真だったと記憶する。

スミルノ博士の日記 アウグスト・ドゥーセ
なかなか面白かった。が、本当にこの犯罪と隠匿が成立しうるか、ちょっと分からない。
そして、帯文はネタバレなのではないだろうか。なんとなうそんな気がしつつ読んでいた。
まあ、それでも楽しめるミステリではあるのだが。ホームズものは読むのに手頃な長さと、数量も良いよな…などと思うたり。

ドストエフスキー短編集 米川正夫
何か妙な「注」(日本語訳の説明)がついているのだが、どうやら米川の古い訳が現代読者に通じない・・・と判断して、日本語訳の説明をしている、らしい。
そんなんだったら新訳を出すべきでは、と思うのだが。森鴎外が訳した「ファウスト」とか「絵なき絵本」のような古典性があるのであればまた話は別だが。
まあ、私自身は米川訳の日本語を理解する程度には昔の人なので、この変な蛇足は無視すれば良いのであるけれど。

アリ・スミス「五月 その他の短編」、ドストエフスキー短編集(上・下)を買う。本屋さんで本を買うのは楽しい。
アリ・スミスは見つけて買ったもの。ドストエフスキーは以前ネットの発売予告を見ていたもの。ある程度短編は読んでいるが、このようなアンソロジーならではの面白さもあろうと思い購入。以前、「ボボーク」を読もうと思い、「ボボーク」が入っている「作家の日記」(という名の随筆・評論集と言ってよかろうか。たしか全6巻)を買ったのだが、「ボボーク」に行き着かなかった記憶がある。ドストエフスキーを一生懸命読んでいたのは三十歳から四十歳にかけてだったと思う。できれば短編集のボボークを読み、日記のボボークをも読みたいものだ。
「フーコーの振り子」の文庫が書店にあった。「薔薇の名前」すら読んでいないので、ちょっと気後れがするね。
後、西洋人が読んで面白いものと、日本人である私が読んで面白いと思うものが必ずしも重なるとは限らないし。

仕事の打ち上げっぽい感じで大金を使おうと思ったが、本を買うのと、お酒を飲むくらいしか宛もない。
下北沢B&Bで「食で巡るトルコ」と「わたしの白水社」を書い、なぜか神保町に行き、魯迅「阿Q正伝」(愛書館中川書房)、大谷敬二郎「捕虜」(永森書店)、「内山完造の世界」(内山書店)など買う。
特徴ある書店があって嬉しい。愛書館では、ちくま文庫のバルザックがあって欲しかったが、値段との兼ね合いで今回は諦め。どうして買える時に買って置かなかったのか後悔。値が下がらないのは人気あるから、と店の方の弁。そらそうだ。
永森書店は店先の300円均一光人社文庫。ほとんどが「戦闘」関係だが、唯一「戦闘以外の戦争」という私の興味に合うものだったので購入。
店内に入ると、戦前の絵葉書・地図等たくさんあって時代も空間も飛ばされたかのような感慨が。
内山書店には中国語漫画・台湾漫画を見に行ったが買いたいものがなく、それならと買ったもの。岡山文庫ということは、内山は岡山出身なのね。
それと、内山の店先にあった200円の中古CD。モンテベルディ「タンクレディとクロリンダ」。なにゆえ内山書店に?というものだが。

国書刊行会のレムシリーズ
最終巻「レムかく語りき スタニスワフ・ベレシとの対話」が出たとのこと。買いに行こう(買った)。

妙蓮寺でうろうろしていたら「本屋・生活綴方」を偶然に発見。古めかしい看板にてっきり閉店かと思いきや、現役の書店であった。
目についた「夜明けと音楽」(イ・ジェニ、橋本智保訳)を買った。非常によろしい。急いで読むべき本ではないので、少しずつ読んでいる。
最近、台湾・韓国文学を読んでいるが、そうしていて良かった、と思わするもの。 良い本を置いている良い本屋にめぐりあえて大変うれしい。妙蓮寺、次にいつ行くかは分からないけれど。

ジェイン・オースティン「高慢と偏見」を以前読んだ。大変良かった。中野康司訳・ちくま文庫では他のオースティンも相当ある。探して読もうではないか。
なんとなう、ゾラのちくま文庫のように高値がついている気がしないでもない。
それならそれで、ちくま文庫をもっと常時監視して、出たらすぐ買うを実践せねば(それならば、まずはつげ義春か?)。

●雑感
今月のテーマは「人間性の恢復」
本が読める人間、音楽を聴ける人間でありたい。
せめてもの願い。
仕事もそうだし、政治もまた。

Beethoven: "Andante" from String Quartet No. 15 in A minor, Op. 132 - Amsterdam Sinfonietta
https://www.youtube.com/watch?v=0epdCIGkZy4
カルテットから遠く隔たったところにあるように聴こえる。
企画も演奏も良いのだが。カルテット的ではない。
そしてこの人々にしても、カルテットでこの曲を弾く機会がそうそうあるようには思えない(勝手な想像)。
それだけ考えても、自分はいかばかり恵まれた人間であろう。望外の喜び、筆紙に尽くしがたい喜び。

Ilva Eigusのヴァイオリン
https://www.youtube.com/watch?v=POaPRTL7fuM
少しく地味で質実な音づくりが好感。今さら派手派手モーツァルトを聴きたいとは思わない私にはちょうど良い。
和声展開をきっちり見せるところも、ソリストというより「音楽家」。
指揮者(Kevin Griffiths)、オーケストラ(Empyrean Orchestra)も好演。派手がましさはないが、理知的論理的にすべきことを美しく表現している。
この人のブラームスも聞いてみたが、「ヴァイオリン・ソナタ」ではなく、正しく「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」であるな、と感じた(褒めことば)。

Marie Jacquot指揮 ブルックナー交響曲第6番
https://www.youtube.com/watch?v=6j_Z9sf7Pig
堅実で美しいブルックナー。この方の指揮振りは派手さがまったくないもの。歌劇場の職人指揮者の系譜とでも言おうか。
あるいは室内楽風ブルックナーとでも言うべきか。
ハイティンク、ロンドン交響楽団の第4番を見てみたが、第1楽章最後の音はコンサートマスターが字余りにしていないか?これで良いのか?

ブルックナー交響曲第8番
https://www.youtube.com/watch?v=jhlURSacwXo
ホルンの1番はHaeree Yooさん。ソウル出身の女性。良いソロだ!
15歳で学校の吹奏楽部で楽器を始めたとか。私も「小学校の器楽部出身」と言い訳しているのが恥ずかしいね!。
この人が吹くブラームスの交響曲第3番を聴いてみたい。
このオーケストラは、韓国人が多いが、日本人・中国人はいないようだ。同国人がいた方が色々便利でそういう関係なのかな?
オーボエ、クラリネットもアジア人顔だが、オーケストラの楽員紹介には記載がない。お試しなのかしら?

ロッテルダムのオーケストラ。皆で楽器を交代。それでもこれだけ弾けるのがすごい。
https://www.youtube.com/watch?v=K8mYM-4hQ2E

そもそも、私がドストエフスキーを読み始めたのは、ヤナーチェクへの興味からで、よってして「死者の家から」から読み始めたのだった。
ヤナーチェク「死者の家から」は、結局序曲以外聴いていないが、このネット時代、全曲聴くのも簡単ではないか!
今まで、(実現していないが)、指輪四夜とか「モーゼとアロン」を聴こうとしてきたが、まずもって「死者の家から」を聴くべきだ!と思った。
頑張ろう(結論はいつもこれ)。
アバドがザルツブルグ音楽祭を指揮した録音・録画がYoutubeにあった。アバドは有名曲だけでなく、意外と「隠れた名曲」をきちんと指揮している印象がある。ペルゴレージの「スターバト・マーテル」など。ペルゴレージは古楽の方が演奏しやすいように思うけれど、現代弦楽器と現代唱法で、良い演奏をしていた(1990年ごろCDを買って、以来繰り返し聴いている)。

バラキレフ
https://www.youtube.com/watch?v=cxlf-ZmE8JI
名のみ知れる方だが、繊細なピアノ曲が「ロシア・ピアニズム」というにふさわしい。繊細な前奏に比べて主題がふつうに始まるとふつうの曲だ。と思ったら、グリンカの主題をバラキレフがピアノ独奏化したのね。なかなか良い小品だ。

BIG BIKE ORCHESTRA
https://www.youtube.com/watch?v=eUK9fQK7xHk
コントラバス、自転車いけるんだな。
一生懸命自転車に乗って、それが「個性」であり「売り」ではあろうけれど、私への訴求効果にはなっていない。まあ、音楽は楽しそうで良いんだけど。

ヴァイオリン属の弦(金属弦)の概史
https://rearpond.mystrikingly.com/blog/9ea417fb084
ここに書かれているくらいのことは知っていてもいいかな、というもの。

「千代田区と日本大学(仮称)千代田区立神田駿河台ホール(日本大学カザルスホールちよだ)整備等に向けた基本方針を共同で策定(令和8年6月19日配信)」
https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/kuse/koho/pressrelease/r8/r806/20260619.html さて、カザルスホールについて、期待はしていないものの、進展あり。まあ、浮世の目で見れば進展ありだが、「カザルス」という名に意味を置くと「特段何も」と感じるところ。

映画「回転木馬」の「六月は一斉に花開く」は、その昔、NHKの5分間音楽番組「名曲アルバム」で聴いて気に入っていた曲だ。
だが、映画サウンドトラックを始めとして、どの演奏を聴いても今ひとつ気に入らない。
なんとなう、田舎臭くもっさりしているように聞こる。もっと颯爽と晴れやかに演奏してもらいたいものだが。映画に合わせるともっさりなのだろう。

バッハのマタイ受難曲から、歌・チェロ・チェンバロで取り出している演奏動画を見た。
チェロの人が「通奏低音」的でなく気持ち悪い。まあ平たく言えば「音程が悪い」。要所要所でチェンバロと音程が違うので大変気持ちが悪い。
他にも若干見逃し難い傷があり、これを音楽大学の名で公開していていいのかな?と思った。

ヌレーエフ(ソ連のバレエダンサー)の名字は、アラビア語起源。
バージルは「Vergilius ヴェルギリウス」から来ていると。

アメリカのアニメーション学校の卒業制作展のオープニング(らしい)
https://www.youtube.com/watch?v=HsmuwHqcC6I
多くのクリエーターの苦しみを簡潔に辿ったもの。宮崎駿や草間彌生がダヴィンチやミケランジェロに並ぶというのもアニメーター視点なのかも知れぬ。ともあれ、各人が各人らしい場に置かれているのが楽しい。

『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』
ううん。まあこんなものか。日本と絡める必要もさほど感じられない。第二次大戦直後である必然性もあまりない。
ホームズの贋作にはもっと良いものがいっぱいある。

MONSIGNOR QUIXOTE (1985)
https://www.youtube.com/watch?v=uO4XWTYrFQU
現代(と言っても40年ほども前だが)のドン・キホーテとサンチョ。(まだぜんぶ見ていない)。なかなか良さそう。
「トルケマダの下で苦しんだ者の数は、スターリンの下で苦しんだ者の数より少なかった」。なかなか。使う機会はなさそうだが。

独海軍のUボートや英国海軍のVictoryの説明をYoutubeで見る。
https://www.youtube.com/watch?v=FctRpaleRFc
https://www.youtube.com/watch?v=4Nr1AgIfajI
年寄りはYoutube解説など見ると、アカン思想に洗脳される・・・と聞くが、技術解説でもあるし、これらの解説がまあまあ間違っているとしても、私が誰かに解説することもなさそうだし、まあよかろうなのだ。
英和自動翻訳で字幕を出してみているが、英語は銃と砲の区別なく Gun なので、ヴィクトリーに搭載されているのも、皆「銃」と訳されて少し悲しい。
Uボートは金属製かつ電気を利用しているので、方位磁石は使えず、ジャイロを使っているが、ヴィクトリーは(時代としてジャイロが実用化されていなくもあり)木造船なので、方位磁石を使っている。これらを続けてみた発見がこんなだというのも情けないな。。。
ランチ、カッター、ピナクルボート、バージの違いも、ホーンブロワーを読んでいる時適当理解だったから、私には新発見だ。

蒸気機関車も面白いが、単位系がポンド/ヤードなのが悲しい。
https://www.youtube.com/watch?v=Hszu80NJ438

68の車輪
https://www.youtube.com/watch?v=H7A9nC03Ypo 変電所用変圧器の輸送。昭和30年前後か?風景としては「となりのトトロ」に似ているかも。関東平野の農村地帯だからね。
しかし、ろくな道路もない場所に変電所を作る(作らざるを得なかった)のか、と「貧しい日本」を思う。今またそこに帰りつつあるようにも思う。

ねこのしっぽ研究所
https://plankton.image.coocan.jp/index.html どうやら在野の研究者らしい。すごい!(中身についてぜんぜん理解できていないけれど)。

Why Aliens Would NEVER Invade Africa
https://www.youtube.com/watch?v=5oOjMKt1P6k
エイリアンはなぜアフリカを侵略しないか。非常に機知に富んだ面白いお話。この手の話題は飲み会のバカ話でちょいちょい出るけれど、これはまた面白かった。アフリカを舞台にエイリアンが登場する「第9地区」についてもきちんと扱っており、論理的かつ面白かった。エイリアン映画を息子と一緒に見てあげるお母さん、やさしい。
南アフリカ出身のトレヴァー・ノアTrevor Noah氏のスタンドアップコメディ。

ヒジャブ和服にケチをつける人間がいるらしい。狭量な。
それを言ったら、褌必須(女性はまた別)とか、現在の足長男は禁止wとか変な理屈はいくつでも出てくる。
私がごとき日本人古来の体型(胴長短足)以外は和服を着ちゃいかん、貴様の足は長すぎるからケシカラン!なんておかしいでしょ?

エコーモデルの「よろず日誌」を読む。
映画「三丁目の夕日」との関わりが書かれている。なんか関係あるんだなと思っていたが、同好の士の繋がりであったこととてちょっと嬉しい。
しかし、第二次城新鉄道は断念されたのだろうか。勝手ながら感慨がある。
また、「ステーション型ハンダごて」。昔の炭火焼きハンダごての再来みたいでこれも少しうれしい。
自分は炭火焼きを実見したことすらないが、小学生だった頃、友人から借りた電気工作の本は、彼の父上の書だったらしく、炭火で真っ赤に焼くようなことが書いてあったと記憶する。複数のコテを用意して、交互に焼きながら使う、といった説明であった。もちろん現代のステーションはハンダごて1本で即熱してくれるのが素敵。

髙木宏之氏の「日本の蒸気機関車データ集」。https://web.archive.org/では見られるが、本家はなくなったのか。。。
多くの貴重な情報がサーバー閉鎖のためになくなっていく。 私はこのデータ集を見て論評できるだけの知識はまったくないのだが、日本の蒸気機関車開発が手放しで褒められるようなものではなかった(後世から見て種々反省すべき点があった)のは事実だろうと思うし、こうした誠実な態度というものに敬意を覚えるので、これらの記事を読むのが好きだった。
私ごとき者の表面的理解であっても、8620型の改良であるはずのC50が目立った活躍ができず入れ替え用がほとんどで(それはそれで有用なのだが)、8620よりも先に廃止されてしまったのを見ると、「当初目指していた『改良』は失敗したのでは?」などと思うのである。

ある鉄道模型中古店で、KATOのクハニ67を3両ほどみかける。クモハ61だけ使ってクハニを放出したのだろうか?
まあそれ以外考えようもないか。クモハ61は茶色くしたのか、オレンジ色にしたのか。他の色があるのか、私は知らない。
(Tomixの半流クモハ40とならべる平妻クモハ40にはなりうるか。それでも茶色かオレンジだろうが。)
名鉄キハ8000には惹かれるが、かといって動力を入れる加工をするのもな。の気分。動力入のセットを(中古であっても)買うのが良さそう。

また別な中古店でマイクロエースのナハネフ10を買ってみる。茶色に塗り替えようと思って、非冷房を探していた。安価だった。
台車の転がりが悪いことは格別。ブレーキ付きの趣。台車は交換した方が良いかも。
また、床下のおそらく冷房用エンジンと燃料槽だっと思われる部分がもぎ取られマジックで塗られている。
安価だったしこれで良いのだが、「もぎ取る」ではない丁寧な工作だったらなと思わするもの。 九州観光号っぽい客車も見かけたが購入は見送り。
蒸気機関車(C56小海線)など、余り高価ではなかったので、買うのは良いかも。「そのうちシールドビームでないC56も売られるだろう」と思って買わなかったの愚。

塗料ファレホ。「主要成分の60%が水と同じ成分」って、「水」では?
水に水以外の成分ってあるか?(厳密に考えるとある場合があるが、普通無視している)。
まあ、売り物の60%が水であるは書きにくいのだろうが、塗装性能を維持するのに必要な水なのだから。。。と思う私。

Wikipediaでイブリン・ウォーの映像化作品「おとぼけハレハレ学園」を見つける。
なんという滅茶苦茶題名。1970年代を思い出す(制作は1968年なので、おおむね相当)。

「Cape Horners」
希望峰を越えた船乗りの尊称のようだ。もちろん帆船時代の。

「着弾」
「新商品がとても欲しくなった」→「心に刺さる=着弾」なるネットスラングは楽しくて良いが、ウクライナ在住の方の記事だった。
ロシアの爆弾(かミサイルかドローン)がご自宅に着弾したとのこと。些少の寄付を行う。ロシアが憎くなるよね。

無印良品では「財布」と「ウォレット」を区別している!
どっちがどっちだ!

レゴ「交差付きレールセット」と言っているが、それは「分岐」だ。「交差」ではない。

映画「グレイハウンド」は、C.S.フォレスター「駆逐艦キーリング」が原作。
アメリカからソ連への支援物資輸送船団の護衛なわけだが、同じ様な話は、「英国軍艦ユリシーズ」や「非情の海」もある。
なぜ、トム・ハンクスがキーリングを選んだのか少し考えたが、「少なくとも主人公視点で相当程度ハッピーエンドだから」か「米人が主人公だから」かだと言っても良いかも。もちろん、主演をトム・ハンクスがすることを考えると、ユリシーズも非情も映画として作りにくそうではあるけれどね。
援ソ輸送船団の小説が(私が知るだけでも)3つあるのか、と思いつつ、我が国の護送ものとしては「機雷」(光岡明)しか知らない。もちょっと探してみるとしても、さてそもそもあるのかどうか。

Youtubeめ「WDRファンクハウスオーケストラ」はやめてくれ。「WDR放送管弦楽団」
なんだか全く違うジャンルの音楽を想像させる。
「e string」を「電子ストリング」と訳すのもあかん。定訳は「E線」だね。
「四国お遍路バイブル」なる書名を見る。仏教関係の本に「バイブル」はあかんだろ。

Terrible Adult Chamber Orchestra - Silicon Valley
私と志を近うする者のように見える。略称TACOが良い!

合気道の動画を見てしまう。
体重56kgで100kg超のプロレスラーと落ち着いて相対できるだけでも恐ろしい実力があると見える。
基本的には関節を決めて、相手を振り回す。相手がボケカス(例えば私)だと、投げられる以前に骨が折れる。相手が鋭敏であるほど、自分から「飛ぶ」。弟子衆は技をかけられ慣れており、痛みを感じる以前に「飛ぶ」条件反射が出来上がっているようにも見える。
だからといって、これらがヤラセだということではなく、「大変危険な技」であると思う。
以前、駅で暴漢を取り押さえていたのは擒拿(チンナ)術だったかも、と思う。絵に描いたような完全制圧で、「暴漢ではないのでは?」と思って見ていると、「ちょっと緩めます?」と言って緩めると暴れだし「ダメですね」ときつめると簡単に収まるのを見て「やはり暴漢だったのだ」と思った。制圧者は大人しそうな男性お二人だったが、それぞれ優れた技ものだったのだろう。

以前、映画「13日の金曜日」をテレビで見た。
恐怖映画ではあるのだが、見ているうちに、恐怖よりも苛立ちが募ってくる。
まず、逃げ惑う女性がウルサイ。米国映画にありがちな「ヒステリー女」そのもの(苛立つ)。
で、だんだんジェイソンに感情移入する。が、この男は本当にツメが甘く、動作もノロいので、イライラする(苛立つ)。
私のようなセッカチ男はついジェイソンを叱咤してしまう。
「右だ!左だ!」「行け!今だ!」(ボクシング観戦か?)
でも、女を逃し続けるので、叱咤が罵声に変わる。
「何やっているんだ!」「おらおら、走れ!走れ!」
というわけで見ているとイライラし、かつ、疲れるので、もう二度とは見ないだろうなあ、と思ったのでした。
まあ、人気があるようなので、好きな人は好きなのでしょう。

ローワン・アトキンソンの真面目なインタビュー(でも、Mr.ビーンのそれで始まる)。
https://www.youtube.com/watch?v=liOaxogiLIA

Gangubai Kathiawadi | Netflix India
インドの女性実業家のお話の予告編を見る(予告編マニア)。と書くと情報が落ちている気がするが。たいへん面白そう。
日本ものの広告を見る範囲ではNetflix見ても仕方ない・・と思うが、こうした他国のものが見られるなら・・・と思ったり。

デジタルアンプがふたたび鳴らなくなる。
12v電源を交換したアンプが鳴らない。電源投入直後は鳴る。電源スイッチのつまみをグラグラすると鳴ることがあったが、一瞬鳴って止まる。そのうち、グラグラでもグリグリでも鳴らなくなる。
よってしてスイッチそのものを疑う。パチン・パチンと切り替わる昔ながらの電源スイッチ。
テスタで調べるとたしかに一瞬(目で見てわかる程度だから0.1秒オーダー)導通するが、その後、不導通・完全絶縁と言っていいもの。
で、スイッチをバラす。金属板の爪で絶縁性樹脂を抱き込む構造。爪をドライバーで起こせば良い。
構造的には、シーソーと待受棒。どちらも接触する点が凸になっていたのが摩耗(アーク?)で減った痕跡がある。
シーソーを凸の減った分(と思われる程度)「への字」に曲げる。とりあえず導通するようになったので良し。
接点が磨かれたからかアンプの音がきれいになったような気がするが、デジタルアンプでそんな現象はないだろう。
また、今回は直ったような気がしているが、全体として経年劣化しているのは確かだから交換部品を買っておこう。
秋月電子に遊びに行く口実ができて良かった、というものだ。

飯田橋に行く機会があり、ヒサールで食事をしてみる。
どうやら、ケバブ系以外のトルコ料理は以前出していたが止めてしまったようだ。
チキンバターカレーを食べてみて、悪くはなかったけれど、私が求めるトルコ料理ではない。残念無念。
インドのカレーとも違う、ちょっと風変わりな甘めのカレー。ご飯の左にケバブ、右にカレー。あまり仲良しという感じでもない。野菜のような「逃げ場」が無いのも辛い。
大久保ヒサールの背の高いご長男の姿がなかったから推して知るべしなのだろう。

落合バルシュも悪くない。ちょっと胡椒辛いか。また、メニューは狭め。
あれこれあって、西新宿チャンカヤで落ち着きそう。ヒサールと完全一致ではないが、メニューも感じもよく似たところがある。少しずついろいろなメニューを試してみよう。東新宿パムッカレはなんか縁がなさそう。またいつか行ってみよう。
(チャンカヤ。スープとメインがとても塩辛い日があった。心配)。

国内で梅毒感染者が増加中とのこと。
歴史上の病気だと思っていたのだが。
シューベルト、シューマン、スメタナあたりの天才性と錯乱と狂気はたしかこれ。
そしてまた、アードリアン・レーベルキューン(ドクトル・ファウスト)も。

Wikipedia でドミニコ会について読む。
末尾、関連項目において、「異端審問」は仙台市の聖ドミニコ学院に包含されているように見える。
箇条書きのレベル設定ミス(おそらく「閉じ」ミス)だが、どうしたものか。
私はこれらについて至って浅薄な知識しかないので、編集するのも憚られる。

ドミニク・アングルの絵画「ド・ブロイ公爵夫人の肖像」。
物理学者ド・ブロイのご先祖なのね。
触ると機械が壊れるから理論物理学者になったとかいうのはパウリか。。。
ド・ブロイから菊池正士を通じて箕作阮甫までつながるのはなかなかおもしろい。

サッカーのワールドカップ。ネットでハイライトだけ少し見る。Zlatan Ibrahimovicはすごいね。
2018年のドイツ韓国戦もすごかった。この話はちっとも知らなかった(きちんと報道しているのかしら?)。
あの強豪ドイツと2−0でやり合う韓国!。
2019年女子の英米戦も良い!もう昔の試合だけ見ていれば私は満足だ。
もともと、どこが勝ち上がるとかそういうの興味なく、「眼の前の戦い」が面白ければ良い派だしな。
(そういう極近視眼的サッカーファンなので、戦争についてものを読むときは逆に「戦闘以外」に着目して見ようとおもったのかも)。
スコットランドのサッカー応援団は「タータンアーミー」。キルトを履いてバグパイプを吹いたり踊ったり。
レポートしている女性は「ミトロプーロス」。昔そんな指揮者がいたね。ギリシア系。
そういえば、以前、新宿駅で緑地のタータンのキルトを履いた男が歩いていて格好良かった。「正装」って感じだった。
ドイツはパラグアイにPK戦で負けちゃった。すごい!

北の鉄路をひらく【JRTT鉄道・運輸機構】
https://www.youtube.com/watch?v=nUYZI5WJbG4
こういうドキュメンタリは勉強にもなり楽しい。が、この頃一生懸命開拓していた地域でも、もう当然のように廃線が出ている。
先見の明がなかったと思うのか、それとも人口の拡張・収縮や交通手段の変化に合わせた当然の行いと見るのか。

京王電鉄バスの自動車車掌作業基準(1965年)
https://www.youtube.com/watch?v=zxpaS0okPtQ
亡き母の最も辛かった時期は、大学進学を断念しバスガイドとして勤務していた頃という。
この動画は路線バスの車掌向け教育動画であって、母が乗っていた観光・修学旅行ではないけれど。そしてまた、母はその後の職業で、広告代理店・映像制作の会社の事務方を選び、そこで「企業研修用映画撮影」にも少し関係していたとか。テレビドラマの年長の脇役女優を見て、「生命保険の研修用映画に一緒に出たことがある」と。女優さんはセリフがあって顔が映し出される役、母は、背中だけ映るとか、手だけ映るとか、そんなだったらしい。
で、作業基準。踏切ひとつ渡るのにも下車確認・誘導が必要だったのか。たいへんだ。
そしてまた現金のやりとり。車掌本人には個人の現金、拾得金を持たせないのも、なんというか厳しい世界ではある(そのあたりの厳しさを描いた書籍があったと記憶する)。また、動画中言及がないようだが、トイレ・食事の休憩などはどうしていたのか。

パキスタンの歯車工場
https://www.youtube.com/watch?v=HVSOBqIxKpY
歯車ってこう作るのか。まあ他に考えにくいが、鋳物はともかく金属の切削加工って実見する機会に乏しいので、こうして動画で見られて嬉しい。
この規模の歯車は何に使うのだろう。発電所?巨大な土木機械?
続いて、鉄道用車輪を材料に鉄の「筒」を作っているのを見たが、こちらはどうやら小麦製粉用のローラーみたいだ。
このあたりの動画は、見ている分にはたいへん楽しいのだが、金属を溶融する際の排ガスや、メッキ処理等での排水処理のいい加減さは正直言って目に余る。大きな健康被害が出ないうちに改善されると良いのだが。

ルシタニア号の沈没なのに、日本語解説にタイタニックが。ううん。
https://www.youtube.com/watch?v=fffbTHRoLZU

Materclass de viola con Tabea Zimmermann マタークラスってなんだろうと思ったが、マスタークラスの綴間違いみたい。

庭の紫陽花がきれいに咲いた。濃い青紫と、少し淡いピンク。なかなかよろしい。
道行く人々も眺めたり写真を撮ったりされている。
殊に、母と幼い子が花を眺めて語らっているのは微笑ましい。
そしてまた、我が家に「蔓延」していた琉球朝顔の苗を、請われた方がおり、お分けした。
適度に根付き、適度に生長すると良いな、と思う。あんまり爆発的に伸びて「おばけ朝顔」などと言われるのも悲しかろう。
その他、山芋による「グリーンカーテン」もまあまあうまく行っている。そもそも山芋の葉はさほど密ではないので、その効果は限定的であろうけれど。
その隣には、桑とカラスウリと謎の蔓草1(5葉で地味な花が咲く)、謎の蔓草2(羊歯に見える蔓草)による「グリーンウォール」がある。なかなかだ。蔓草1はアケビらしいが、なぜそんなものが生えているかが謎。アケビを食べた後、種を植えたりしただろうか。なお、実までならないので、アケビである確信がない。蔓草2はカニクサ(蟹草)らしい。もっと調べてみよう。

最近、個人ブログ記事を読んでいると「更新をお知らせしますよ」のうるさいポップアップが出る。
それだけならまだ許容範囲だが、書き手が亡くなったことを知っていると、虚無感に襲われる。
死者の書いた貴重な資産を使ってなお商売しようという商業主義の行き着く先を思い暗澹たる気持ちになる。

SNS。どこも見ていると、排外主義記事が挟まれる。X、FACEBOOK、Instagram。まともに思えるのはBlueSkyか。
イヤになる。こういう記事が「お金」になるのね、きっと。お金の出所がどこかは別にしても。

人間性の恢復と関係あるのか無いのか。仕事が一段落したので、一人飲み会。
お酒をたくさん飲みたいが、空腹なのもアカン。
そういう時、ちょうど良く小腹を満たすのはなかなか難しい。
まずは、某駅前「凧」へ。安くて軽い和食おつまみでお酒が飲める。
メヒカリ唐揚げ、豚と茄子の大葉味噌炒め、お刺身盛り合わせ。ほんとはお刺し身が最初に出るのが良かったかも知れないが、ビールと唐揚げ・炒めを楽しんだ後、日本酒(朝日山)とお刺し身が同時になったのは幸福。
料理はどれも美味しいが、「美味しすぎない」。お酒を楽しむための絶妙な軽さがありがたい。
その後、バーへ。 ラフロイグ(トワイスアップ)、グレンフィディック(ウィスキーソーダ)、タリスカー(トワイスアップ)、最後はアグリコールラム「ラ ファボリット ブラン オーセンティック」。これまで飲んだことがないラムだったが、草の香りが良かった。マルティニーク島産ということで、トロワ・リヴィエールとちょっと似ていて嬉しい。
さて、お酒を好きなだけ飲んで、人間性は恢復したのだろうか。

その後、大風邪を引いて、粛々として人間の弱さを再確認した。これからも堅実に生きていこう。

庭に火鉢を出してある。水を張って睡蓮を活け、メダカを入れている。
ここに時々トカゲが浮いている。
なぜだろうと思っていたが、火鉢の縁にトカゲが佇んでいるのを見た。おそらくは、水面を好んで蚊がやってくるのを狙って火鉢の縁におり、蚊に釣られて水面に落ちるらしい。
で、壁は垂直で滑らかだからいつまでも水面にいる。死にはしないが、水の冷たさもあり衰弱しているところを私に(二度ばかり)見つかるということらしい。

たまたま学童疎開の事例を見る。渋谷区富谷から、静岡県相良に疎開。米軍の御前崎上陸をおそれて、青森県に。
戦争なんてやってはいけない。そうに決まっている。
https://www.daitakuji.jp/%E5%AF%8C%E8%B0%B7%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E9%9B%86%E5%9B%A3%E7%96%8E%E9%96%8B/

GoogleMap 樺太の南の方のストリートビューを見ていたら、偶然、写生をしているらしい子どもたちを見つける。
が、手が滑って二度と探し出せない。一期一会。

Continue reading "読書の記録(2026年6月)"

| | Comments (0)

読書の記録(2026年5月)

さばのゆの須田さん 岡部敬史
私も須田さんに触れられたひとりとして、読んでよかった。買ってよかった。良い本を編んでいただいてよかった(感謝)。
そしてまた、須田さんありがとう。あらためてさようなら。
ネットで見て須田さんもスコットランドの癖が強いウィスキーLaphroaigが好きだったことを知る。私も好きだ。ちょっとした偶然。

劇場 ブルガーコフ 水野忠夫
ブルガーコフの絶筆とのこと。「巨匠とマルガリータ」「犬の心臓」などの幻想性を期待すると少々外すかも。
そういう奇態というよりは、ドストエフスキーのような日常に近い異常な群像劇。ドストエフスキーが流刑地で群像劇に目覚めたように、ブルガーコフは劇場で群像劇に目覚めたのだろうか。
「ブルガーコフの自伝的作品」等の付加情報がないと読みにくくはある。それもあって未完の大作の趣がないでもない。

たくさんのふしぎ 森に咲く銀色の花 ギンリョウソウ 末次健司 安斉俊
光合成をしない、見るからに不思議な植物ギンリョウソウ(銀龍草)の概説絵本。
貴重な写真も満載だが、丁寧なイラストがまたいい!不思議なギンリョウソウの有様がよく理解できる。
「種」とはなにか、「分類」とはなにかについての説明も簡潔にして要を得たものと感じる。
私はギンリョウソウのことを「ギョリンソウ魚鱗草」だと勘違いしていた。
フラヌール書店で購入。良い書店には良い本がある。

送別の餃子: 中国・都市と農村肖像画 井口淳子
最近見かけるのは、若い学者が「自分はこんなヤバいことしています」自慢のような本。まあ若者はなべて危なっかしいし、出版するにはそういう方が売れるのだろう。
この本にも若干そんな危惧を持ちつつ読み進める。現実のこととてひとつひとつはさっぱり記述されているが、その積み重なりが大きい。中国という国の大きさ・多様さ、そこに住む人々のおおらかさ・暖かさ。そんなことを思いながら読み進めた。自由な都市と旧弊な農村。中国において制度的にそうなっていたとして、そもそも制度以前にどんな風だったのだろう。そしてまた、日本に於いても同様に地方から都会に脱出する若い女性が跡を絶たないのはどういうことか。「都市は自由にする」は中世ドイツのスローガンだったように思うが、それは歴史上普遍的なことだったのか、などなど。
「秧歌」なる単語が出てきた。以前、中国出張時に見た連続ドラマ「大秧歌」を思い出し、ちょっと驚く。中国の農村を舞台にしていれば、当然出てくるものではあろうけれど。

世界は五反田から始まった 星野博美
同じ著者の『みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記』が面白かったのと、折角五反田で見つけたので。
(ところで「ゲンロン」てカタカナで書くのが格好いいのだろうか。なにか如何わしいニセモノ感があるように思うのだが。私がネットで見かけるのが、ゲンロン及び主催者の悪口が主であるからだろうか。「ゲンロン」とカナで書くと「ゲロ」みたいだが)。

ゲは言語学のゲ 吉岡乾
これも若い学者が無理に面白そうに書いているようにも見える。もとが雑誌の連載とて仕方がないが、話題が飛び、読んでいて集中しにくい。
私の最近の随筆(非創作)はなかなか当たらない。まあ仕方がないだろう。

温又柔「台湾生まれ日本育ち」と「私のものではない国で」をちゃんぽんに読み、なんか既読感があるな、と思ったりする。
作者が悪いのではなく、訳のわからない読書方法をとっている私が全面的に悪い。
ともあれ、私は国内転居(等)で言葉の違いに苦しめられたけれど、まして外国語たるや、と暗澹たる気持ちになる。
優しくない人間がどこにでもいるのだろうか。優しい人間も様々な場所にいるけれど。

古い鉄道模型趣味誌
33号。湘南型二等食堂附随車。台車やブレーキにも言及していて驚くが、筆者は国鉄大井工場勤務とのこと。さもありなむ。
この頃、鉄道ピクトリアル誌が始まったかどうかという時期で、TMSには実物ファンも多かったのだろう。
この記事も、模型としてのフリーというよりも、実物としてのコンセプトカーのような感じである。
1000号(古くない)。片野正巳、小林信夫など読み慣れて懐かしい人々の記事が読めるのが嬉しい。そしてそれぞれが沼尻であり単端であるのも。
小林氏はこの時点で亡くなっていたのではないか、と思うと、文末にさらりと「託された原稿」とある。さもありなむ

連休中、不動前のフラヌール書店に行けた。今回はきちんと開店時。
日本国憲法(岩波文庫)、たくさんのふしぎ(森に咲く銀色の花 ギンリョウソウ)、世界は五反田から始まった(星野博美)。
「モスクワの伯爵」等他にも面白そうな本があったけれど、時宜にかない、かつまた、五反田ならではの書を選んだ。
此処には良い本がたくさんある。こういう良い書店を見つけると、「ここに布団を敷きたい」(寝転がって書棚に手を伸ばしたい)と思うのである。
四月末書店アンダンテで買った「送別の餃子: 中国・都市と農村肖像画」(井口淳子)も棚にあって、ついにっこりしてしまう。
古書店で自分の持っているのと同じ本があると、「自分の本を家人が勝手に売ったのではないか」あるいは「こんな良い本を手元に置かずに古書店に売ったのだ」といちいち疑ったり怒ったりするのだが、新刊書店ではそういう悩みがないのが良い。「うむ。良き本を売っておる。たいへんよろしい」的寛厚で接せられる。
もちろん新刊書店でも「こんな愚かな書を売るのか!」と怒りを感じることはしばしばあるけれど。

米川正夫訳『ドストエフスキー全短篇』全2巻が中公文庫から!忘れずに買わねば!
その流れで「スミルノ博士の日記」も発見。これも良さそう。
プーチンの蛮行を見ているとロシアは好きになれない(憎むべきである)、が。

●雑感

映画「耳をすませば」
封切り時に映画館で三度見た。札幌で二度、名古屋で一度だったと記憶する。
もしかすると、名古屋は納屋橋あたりではなかったか。そしてまた、映画の後に「びっくりドンキー」でハンバーグを食べたのではなかったか? 近藤喜文監督が唯一無二の才能で、宮崎駿・高畑勲両氏に愛されたというのもよくわかる気がする。
丁寧で無理のない話・絵づくり。現実と幻想の不可分性がまことに麗しい。
この作品を見返すに、つくづく惜しい人を亡くした、と感じる。

現在の持ち曲
 Beethoven Op.132 (7/11)
 Mozart K.421 (7/11)
 Tchaikovski Symphony No.6 (7/4) お遊び
 Mozart Symphony No.41 (7/4) お遊び
 Dvorak Sextet (10/17) 昨年のQuintetから進歩がない気もするが。これはこれで楽しいから良い。
  2ndVcなので、全体を見渡したバスの役割ができると良いな、と思っている。
 Beethoven Symphony No.9 (11/1) ほんとかな?

レオンコロ弦楽四重奏団
良かった。七楽章休みなく続く長いベートーヴェンの四重奏曲第14番が体感三分だった。
軽やかに歌い和するベートーヴェン。二十世紀の苦闘し続けるベートーヴェンとは異なる。
(私にとってはどちらのベートーヴェンも大切)。
アンコールのパーセルに彼らの弦楽四重奏に対する考え方が詰まっていたように思う。
四声の独立を示すフーガで始まり、四声の調和を示す(ノンビブラートの)コラールで〆る。
自分としてはセカンドヴァイオリンの仕事振りに惚れる。彼女が馬力をかけるとき、大きく音楽が展開する。そうした役割を確実に果たしていく。良いセカンド弾き。
(ひとりならばヴァイオリンをそれなりに弾けても、セカンドの役割を果たせない奏者も一杯いるかも)。

レオンコロの表情豊かな弓使いを見ていると、我々がごとき20世紀の弓使いと大きく違うのではないか、と思ってしまう。
より正確には、20世紀日本の貧しい教育システム(そもそも私は音楽に関してはそうした教育システムの外側にいたのであるけれど)の貧しい弓使いとの違いと言うべきかもしれない。
私が考える20世紀の代表例は斎藤秀雄が指揮する桐朋音楽大学の合奏団によるヴィヴァルディ(動画)。
そしてまた、レオンコロの音作りの標準は、ソフトトーンであって、互いの音を邪魔しない、戦わない。

今回はトッパンホールだったが、レオンコロは第一生命ホールで弾いているのね。トッパンも第一生命もおおむね25周年。カザルスホールが独自公演を止めた頃に始まったのかな。そうなると、仮にカザルスホールが再開するとしても(以前整理したように)カザルスホールの立ち位置を作るのは非常に難しいだろうね。どうするのかな?千代田区・日本大学。林真理子学長は一期でお辞めになるそうだが、「カザルス」の名を返すという本来的にすべきことをする気があるのかないのか。困ったものだね。

トッパンホールで隣席になった方、メシアンもお聴きになったとのこと。すごい偶然。

Marilyne Naaman - Hallelujah
https://www.youtube.com/watch?v=tiBF9n_ZuqQ
マリリン・ナーマンは、レバノンの女優・歌手とのこと。歌っている歌が、なんというかふつうで驚く。

ブラームスのクラリネット五重奏にピアノ編曲版がある!
https://www.youtube.com/watch?v=tbAsSXeOWhw
結構それらしい。チェロ曲で有名なクレンゲルの兄弟が編曲したとのこと。

アカデミア実店舗閉店。
昔「楽しい弦楽四重奏曲」の札が刺さった棚の楽譜を順次見ていったら、鉄条網の描かれた表紙が出てきた。
テレジエンシュタット収容所でウルマンらが書いた曲集だった。
「楽しい」からの「強制収容所」に震撼した記憶がある。
また、ヤナーチェクJanacekの譜面を「Y」で探している若者たちに出会ったことも。

Naughty Bits「難所集」
https://www.sjmusicpublications.co.uk/product/excerpts-beethoven-cello
https://www.sjmusicpublications.co.uk/product/excerpts-haydn-cello
https://www.sjmusicpublications.co.uk/product/excerpts-quintets-sextets-cello
室内楽におけるチェロの「難所」を集め、指使い等整理したものらしい。
こんなものあるのね。ベートーヴェンの四重奏、ハイドンの四重奏、五重奏・六重奏
ちょうど私が弾いている曲が表紙になっているが、指使いが全く違う。これで弾く気になるかと言われると困るが、これはこれで参考になるのはそのとおり。困ったものだ。

同じ出版社から出ている「Chamber Music Repertoire for Amateur Players: A Guide to choosing works matching Players' Abilities. Harold Haynes」を買おうかどうか迷う。
https://plaza.rakuten.co.jp/morton05/diary/202604190000/
なんとなう弾きたい曲は視界に入っているし、ネットで音源も譜面も見られるし。自分だけでなく、仲間の情報収集も併せて、切迫して自分が情報を集めなければという気持ちは薄い。
例えば、以前集めた音源として、ツェムリンスキー、レーガー、オンスロウなどを弾きたいか?というとまあそこまでの気持ちになるし。

フィッシャー=ディースカウ(Br)、バレンボイム(Pf)によるマーラー歌曲集
随分前から手元にあったがちっとも聞いていなかったもの。
とても良い。この二人で悪かろうはずはないよね。それぞれに向き不向きはあるにしても、なんでもできる人たちなのは間違いない。

合唱組曲「旅」終曲「行こう再び」
忘れがたい曲であるけれど、前奏ありなしの2つがあるのね。
前奏がなく(一音だけあるとも言える)、いきなり始まる方が私には良い

アルカンの「海辺の狂女のうた Chanson de la folle au bord de la mer」。imslpでリコーダー五重奏版を見つけダウンロードする。
が、すでにダウンロードしていたことを発見。しかも、今回と同じチェロアンサンブルでの演奏を考えていた形跡が。が。が。
まあ、タイトルが物凄いし、アンサンブルとして面白い曲ではないから、演奏機会はないだろうけれど。練習はしてみたいね。

P.クレンゲルによるブラームスのクラリネット五重奏曲ピアノ版
https://www.youtube.com/watch?v=tbAsSXeOWhw
ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番のチェロ版もこの方の編曲。
チェロ奏者にとっては、ヴァイオリン奏者のP.よりも、J.チェロ奏者の弟の方がよく知られている。

"働く我に希望あれ" って何だっけ?
「秋の色はさらに深し」も分からなかったけれど。困る(困らない)。
美しく働く我に希望あれ、だった気がするが、語調はそうだとして具体的内容には自信がない。
秋の色は更に深し、もわからん。白楽天あたりを源氏で引用したとかな気がするのだが。

昔中華街にあったという「海勝昌」。なんとなう勝海舟と丁汝昌を思わする。まさかとは思うけれど。

孤独のグルメ。やはり名バイプレーヤーが出ている回が面白い。
主役級が出てくると、それら役者の雰囲気になってしまい、味が濃すぎる。
殊に野間口徹氏の回は良い。頼りなくも非常識でちょっと憎たらしい(優しく美人のヨメはんに甘やかされている)アンちゃんを描いて余すところがない。
笑福亭鶴瓶による「スジナシ」でも野間口徹氏は大活躍だった。
主役級は「本人」が期待されている以外のあり方ができないけれど、野間口氏は一般人に擬態しつつ、そこから理不尽な猛反撃を天然自然に繰り出して来るところがコワい。いい役者だ。

中国の連続ドラマ「大秧歌」。昔、中国訪問時テレビで見て印象深かったもの。ネットでたくさん見てしまう。
勧善懲悪の時代劇。悪役「三浦」を演じる役者の日本人風演技がなかなか面白い。おそらくは日本映画を相当程度見て、日本の知的選良の悪役の演技を移しているのではないかと思うのだが、具体的に誰のどの演技と思い当たるほどの知識はない(まったくない)。
勧善懲悪の時代劇を細かに分析しても仕方が無いが、「三浦」は日本的悪であるが、三浦が悪なのであって、その他日本人は「モブ」としてしか登場しない。(藁人形でも代用可能と言っていいレベル。鉄砲を持って走り回ればよく、なんなら顔・表情は必要ない)。

USB DAC をもう一つ作ろうと思う。
そんなものは既に持っているので、必要性皆無。とは言え、秋月DACもトランス2個も買ってしまったので、これらを使いたい。
手段のためには目的を選ばないのが趣味というもの。
秋月DACにトランスを組み合わせたいわゆるぺるけ式。とは言え、600Ω:2kΩなるもので、おそらく増幅度が低く人気がないので、多少安価に入手できたものと思われる。
秋月電子の通販で素子を買おうとする。抵抗は数百円くらいで思ったより高いと思うと、これが100個入。物凄く安い。
こんな安価なものを作って・売って儲けが出るのか心配になるほど。
安価なカーボン抵抗に比して高級と言われる金属皮膜でも2倍。1コ1円が2円。大量に使うならもちろん製造原価にハネるが、ひとつ・ふたつ使うばかりなので(というか、我が家に少々ある素子を探せばありそうな気がしてきた!)

連休が終わる午後。
我が家の前を「ごろごろ」が何台も通り過ぎていく。
そもそも早朝・深夜構わず住宅街を「ごろごろ」していくのはケシカランと思っているが、それ以上に連休の終わりが身に迫る。

泉岳寺と増上寺を勘違いしていることに気づいた。
今まで「泉岳寺」と言われるたびに、「増上寺」を思い浮かべていた。頭脳外部に映写できるわけではないので、誤りに気づかなかった(気づかれなかった)。
近いと言えば近くにあるのだが。そしてまた、これらの寺で待ち合わせをしたわけでもなく、行ったことすらない(増上寺の近くを通ったことがあるくらい)なので、問題はないのであるけれど。

昔読んだ電子回路の本。「インピーダンス」の説明の近くに、信号増幅の説明があり、電子回路がダンスを踊っているイラストがあったように記憶する。小さな信号(ダンス)も増幅すれば大きな信号(ダンス)になる、というような。
おかげでインピーダンスが踊り(ダンス)と関係があるかのような理解をしている(間違ってもいないが正しくもない)。
以降、アフォーダンス(阿呆踊り)、社交ダンス(そのまま)などが皆仲間であるかのような誤解を…

獅子唐は甘辛あってのお楽しみ時には辛きものとてもよし

アンティクーチョは南米の串焼き
アーティチョークはヨーロッパの春野菜(花菜類)
前者はキドニーパイ→日本畜産副産物協会によるレシピ→アンティクーチョのレシピと飛んできた。

晴雨兼用の傘を買った。 ものは良い。ブランド名「ハレとケ」は恐ろしい。なんとなう民俗学っぽくもあり。
ハレは晴れ、晴れやかだが、ケは日常、そしてその先に「ケガレ」があったりしなかったっけ?

「クマの出没情報と出会わない対策」政府広報の変な作文
正確には「クマの出没情報とクマに出会わない対策」。助詞「に」がどこにもない。
「出没情報と(出没情報に)出会わない」と読める。
まるで「悪い知らせを避ければ悪い事実を避けられる」という愚かな王様の寓話みたいだ。
もしかすると、現在の政権を批判する高度な寓意が込められているのかも知れぬ。

いただきものの菩提樹の蜂蜜。たいへん美味しかった。
菩提樹といえば、仏陀の悟りを思うか、あるいは、シューベルトを思うか。
と思って調べると、仏陀の方はインドボダイジュなる別種。シューベルトもまた近縁ながら別種のセイヨウシナノキ。
ちょっと安堵する。同じ地球上の樹種なのだから、仏陀もシューベルトも同じ樹の下にいて良いのだが。
あえて言えば、仏陀は暑いインドの人と思っており、シューベルトは凍てつくドイツの人と思っているので、その点で同じ樹種だと少々気持ちが乗らない。
さらに「恋のマイアヒ」原題"Dragostea Din Tei"(ルーマニア語)は『セイヨウシナノキの恋』の意味だそうだ。
この曲「のまねこ」が生じてから耳にしたので、特段内容や出自に注意を払ったことがなかったが、こういう(まじめな)曲ではあるのね。
調べていると「ギコネコ」など出てきて懐かしい。ちなみに、私は2chはROM専。たまに読む程度で書き込んだことは一度もない。言葉使いが悪いので用心していた、というところ。もっともよく読んでいたのは、以前いた職場の内部事情板かも。

船員口入れ業と船内高利貸制 篠原陽一
http://koekisi.web.fc2.com/ronbun1/page002.html
たいへん貴重な情報。まあ、戦前の船員の労務環境を私のような者が聞いても仕方がないとも思うが、「基本的人権ということばが知られていなかった時代」について学ぶことは現代においても大きな意義があると思う。
江戸川乱歩や徳富蘆花などの文章を読んでいると現代であればふつうに職業差別と取れる文言が見えたりするけれど、これらにしても「(たとえば船員のように)多くの柵があって、一般人から恐怖されるに足る労務環境が存在した」のを垣間見るという点では貴重であったりする。
平水夫の悲惨もなかなかだが、船長職を買えば能力に関わらず船長になるのも恐い。パスカルは「船長は家柄でなく能力で選ばれる」と言っていたが、単なる比喩なのか、英仏・時代の違いなのか???
http://koekisi.web.fc2.com/hansen/page006.html

サラハッディン・アイユーブの時代劇
Kudüs Fatihi Selahaddin Eyyubi
第一話冒頭から強い印象を残したスレイヤが23話?で死亡。矢一本でケリを付けるなんてひどい。
時々こういうのがあるけれど、まあ、斬殺されるより美しいままで亡くなってドラマ的に良いのかも。
それと、俳優さんのスケジュールや、役柄的有効性みたいなので強制退場させている気もする。
若手女優さんだったので、オッサンであるアイユーブとあまり絡むと販売路線としてアカンとか。
後、時代背景から仕方がないのであろうけれど、オスマンやオルハンと比べて、話が複雑。
トルコ人ならある程度「わかって」いるのではないか、とも思えるもの。

こうしたイスラム側のドラマをたくさん見ているせいか、「十字軍」への私の評価は著しく低い。
そもそも欧州観点で見ても、エルサレムに行かず、東ローマ帝国治下のコンスタンチノープルで暴れたり乱暴極まりない。
ましてイスラム側においてをや。してまた「子供十字軍」に悲惨な末路。
「草刈り十字軍」なる語を見て震撼する私だった。そういう意味では「新撰組」も新興武士階級の理念と欲望の混交ですよね。
まあ、小説ダルタニャンと史実のダルタニャンと偽自伝のダルタニャンでは皆違うし、小説以外は人物に少々問題無しとせずなのは仕方がないのであるけれど。

中國哲學書電子化計劃 なるもの発見
https://ctext.org/zh
これを読みこなすほど賢くはないが、覗き見するのは楽しそう。繁体や英訳があるのも嬉しい。
遠大な外国文明の書を半解ながら読めるのだから「漢文」というのは面白いと思うのだ。
和歌の嫋嫋たる面も大いに楽しいが、漢文のゴツゴツした面も楽しい。

「スノーボールアース」の漫画/アニメがあるらしい。
スノーボール・アースと言えば、ブディコだよな、な、な、な。

映画「プレッシャー」
https://www.youtube.com/watch?v=zdM4tdLQBg0
ノルマンディー上陸作戦時の気象予測の話らしい。「気圧」と正しい予測を行うのに感じるプレッシャーの双方を掛けているのだろう。
で、邦題はどうするのか。

朝、家の前を掃除していると、通りがかりの中学生が「俵万智って生きているんだ」と友人に話しているのを耳にする。
SNSでこれをつぶやくと、ご本人が「生きています」とツッコむと言う。
ともあれ現実にこの発言を聞くことができて面白かった。
とは言え、私も歌人にお会いしたことは殆どない。

「もくめん屋」なる語をネットで見る。「木毛」と書くらしい。木質緩衝材。
私が子供の頃に聞いたのは「きわた」。完全に同じであるか確信がないが、同じような木質緩衝材。
母の実家の道を隔てた向かい側は広い空き地だったが、「こうば」と呼ばれ子どもたちの遊び場になっていた。
この「こうば(工場)」は「きわた」を作っていたが、ある日火災でなくなってしまったという。
燃えやすい「きわた」だけにあっという間に全焼してしまった、と。

我が家の琺瑯の薬缶。穴が空いた。三十年も使えばそうなるか。
小さなピンホール。ポタポタと垂れる滴。
土鍋が割れたのは、お粥を炊いて塞ぐけれど、鉄に琺瑯ではどうしようもなかろう。
この薬缶は専ら家人がコーヒーを淹れる用。
私はコーヒーを淹れるのを止めた。七転八倒する割に出来上がるのが泥水以下だったら淹れない方が良い(淹れる努力をしない方が良い)。
というわけで、私は他人様が淹れたコーヒーだけを飲むのである。
(昔書いた小説に「赤い琺瑯の薬缶」を登場させてみたりしたのもあり、ちょっと琺瑯の薬缶には感情移入しがち。なお我が家のは「白」。赤いのは、その昔(五十年ほど前)、お隣さんだった川崎さんのお宅にあったのだ)。

マキタの18V充電式掃除機を買ってみる。
我が家には1台コード式があるのだが、安いのをもう一台と思っていた。が、1万円以下ではなかなかないようだし、数万円などというものすらある。モーターがついてて「吸う」以外に機能なんかないのに。
で、2台目なので、充電式に。ほんとは3年ほど前に買った山善の充電式高枝切と同じ10.8Vを探したが、そういうものはない。
手元に掃除機があるのはなかなか便利。充電池も2つ買ったので、これでマキタの電動工具を気軽に買える!
小さいながらLEDランプが点灯するのも良い。工事現場などで隅っこ掃除に役立つのだろう。我が家でも同じである。
ちなみに、排気は本体横に吹き出す。通常使用では全く問題ないが、寝ながら使おうとすると、風が顔を直撃するかも知れぬ。まあ、絶対にマキタが想定せず・推奨もしない阿呆な使い方なので、ふつうの人間が気にするには当たらない。

wikipediaでホイッスラーについて読んでいたらMr.Beanの話題が。
こないだYoutubeでMr.Beanが滅茶滅茶にしていたのは『灰色と黒のアレンジメント-母の肖像』だったのか。
なかなかなめぐり合わせ。楽しい。

マウス(ポインティングデバイス)はエンゲルバートが1960年代に発明。QUERTYキーボードはタイプライター由来。
もっと気が利いたものはできないのか。ハードよりソフト寄りに考えるべきで、フリッカ入力などが答え(実装され・普及した)なのだろう。
そういう意味では、増井俊之はエンゲルバート級の業績といえるのか(そう考えなくても尊敬しているけれど)。
まあ、ヴァイオリン属弦楽器の奏法など何百年(あるいはもっと)基本的には変化していないのだから。。。

鉄道模型の販売ページで、EF15と書かれた写真にEF57が。
おそらくは鉄道があるていどわかるデザイナーさんが作っているのだろうけれど、古い車両の見分けがつかないのではないか。
わかる人はすぐわかるし、そうでない人はわからないままであろうし、それで誰かが困るような場でもないけれど。

熊谷駅で列車を待っていたら優等列車らしいのが通過。
新幹線と並走するこのあたりに在来線特急は走っているのだろうか?と思うと、ヘッドマークには「Party」の文字。
通過した後を見送るとヘッドーマーク(テールサイン)には「団体」の文字。
そうか、Partyとは団体の意味。そこから宴会とも政党とも意味が広がったのだ。

反歌・急行大和篇(藤井貞和、書肆山田)
気になる題名。しかし、急行大和なんて、JR化以前の列車ではないのかな?

UbuntuでBluetoothを使うのは難しいらしい。
前は使えていたキーボードが使えなくなってしまった。瞬時に接続・切断を繰り返すようになった。
使いにくい小型USBキーボードを使っている。ううん。

トルコ料理レストラン バルシュに行ってみる。
大久保ヒサールがなくなり、トルコ料理成分が絶対的に不足しているため、満足できるトルコ料理店を探している。
バルシュは悪くないが、ヒサールのような煮込み料理や茄子クリームの牛肉煮込み掛けなんかは無いようだ。
キョフテとメゼを食べに行けるのは良さそう。
煮込みと茄子クリームを探す旅を続けよう。

5月にしては寒く、かといって多くの冬物はしまい込んでしまったので、カーディガンを羽織る。
そんなカーディガン姿を見た息子から「お父さんみたいに見える」と言われる。ショック。I'm your farther.
以前、帽子をかぶって練習に行ったところ「チェロが上手い人に見えます」と言われて以来のショック(笑)。

多忙につき練習1回断念。来月の楽しい合宿も断念。何のために生きているのやら。
昔々、多忙であったおり、「ロデオドライブ」の名で書かれた室内楽評論のネット記事をよく読んでいた。
ユーモアと余裕があり、優しさを感じさせる文章だった。ヴァイオリンとヴィオラを弾く方のようだったが、「上手い」ことに価値を見出さず、何かまったく違う味わいを賛嘆されている方だった。この方に教えられた演奏も多い。同じアマチュア奏者でもあり、メールも少々交わしたことがあり、いつかお会いすることもあるだろうと思っていたけれど、どうやら若くして病没されたらしい。
残業しながらモーツァルトのクラリネット五重奏を聴くと、彼の文章を思い出す。否、彼を思い出したからモーツァルトを聴いているのだろうか。
大田区ハイドン管弦楽団の平瀬さんという方だったように思う。お会いしたことこそないけれど忘れ得ぬ人のおひとりである。

多忙というのはそもそも計画の破綻であり、リスク予見を含む計画性の欠如であるわけだが。
反省をしようとすると、反省以前に「アイツが悪い」などと思うわけだが、もう少し冷静になると「アイツを信用したオレが馬鹿だった」と思うわけだ。
前者よりも後者の方が酷いことを言っているような気もする。
もちろん、こんなことは、反省する時のものの見方の違いであって、相反する結果というわけでもない。

忙しくて個人練習ができない中での室内楽練習。
アカンところは一杯あったが楽しい。ありがたいことである。
お仕事はいい加減飽きてきたから、もちょっと自分の時間を使いたい。体が動くうちにできることをしておきたい。

一山越えた休日。「人間性の恢復」などと思ってみる。
とは言え、休みに遊ぶためにも、心の準備が必要らしく何もできない。
それこそが人間性の毀損であると感じるところ。

Continue reading "読書の記録(2026年5月)"

| | Comments (0)

読書の記録(2026年4月)

人間の大地 サン=テグジュペリ 野崎歓
私は堀口大學教の狂信者なので、おそるおそる読んでいる。ヒドいことを言えば、堀口・野口両訳のどちらを読んでも感じられる詩情はサン=テックスのもの、堀口から感じられるのは堀口の訳業、などと思ったりしている(それが不正確であることはいちおう分かっている)。
とは言え、堀口時代に情報不足で訳しきれなかったところもあろう。そういう意味で、野崎を参照しながら堀口を鑑賞する、という態度が私には良いのかも知れぬ。
と言いつつも、気になる点を書いてしまおう。
 「機械が人間をだめにする」。口語ではこのように言うけれど、サン=テックスの文章をこのように訳しては欲しくない。
 せめて「機械が人間を堕落させる」とか。「機械が人間を無能/無気力にする」とか。言い様はないのかな?
題名についてもTerreを大地とすべきだろうか。堀口はおそらく聖書的解釈で「土地」としているように私は感じている。
人間の土地・神の土地として分画的に。人間の領分を含意しているとも思う。
大地とすると、何か区画・限度があるようにあまり思えず、この点でサン=テックスの意図を表現しきれていないように感じる。
もちろん「土地」として、我々が日常生活で見て・売り買いしているような印象を与える危惧は持つけれど。
とは言え、野崎訳としては「人間の大地」の方が「夜間飛行」より読みやすかった。訳がこなれたのか、私が訳に慣れたのか。あるいは、サン=テックスの文章において、飛行機操縦の専門語などカタカナ語にしたい単語量に違いがあるのか。
とは言え、堀口訳の詩情を懐かしく慕わしく思いつつ、最後まで無理やり読んだ。申し訳ないけれど。
そう言えば、阿部謹也「ドイツの歴史」冒頭で、欧州の国籍差別の話が出てくるが、「人間の土地」末尾のポーランド人移送問題も直接ではないにせよ、そういうところに繋がる。「人間の土地」を読み始めた頃知らなかった事々が少しずつつながる。そういう読書は良い読書だ。

ネットで「人間の土地」と検索すると、検索候補に「人間の土地 あらすじ」と出てくる。これほどまでに「あらすじ」を見て意味のない書も少ないと思うけれど、それでも「あらすじ」を見たい人がいるのだろうか。
同じ様に、ルバイヤートや牡猫ムルも異訳を買ってあるので、読まねばだね。

家守奇譚 梨木梨香 近藤ようこ
相変わらず淡々と面白い。それぞれの話は薄味だが味わいの違いははっきりしている。
近藤ようこさんの絵は繊細で素敵。
(だが、鉄道趣味で鉄道風景などを研究してきた者から見ると、家屋の建ち様、田畑、鉄道などはも少しそれらしいと嬉しい。作品の本質には関係なくはあるのだけれど。特に田畑は難しいよね。地形の自然さとの兼ね合いがあるから)。

京大マガジン0号 失敗
こういう軽い雑誌は好き。見知らぬ世界を覗けて楽しい。一方で、「内輪ネタ」があると興醒め。この雑誌はその点気を使われているようだ。
湯川秀樹の「先生ではなく『さん』付け」論も京大らしくて良いな、と思う。そしてそれをそのまま受け取るだけでなく、軽くではあるが分析しているところも。
スペイン人料理人=歴史研究者による「狸汁」随筆も凄い!こういう「変な研究」(超褒め言葉!)があるのも京都大学らしく良いと思う。

うったて
岡山の文芸無料雑誌。表紙の天川栄人氏のお姿に惹かれてもらってくる。そもそもこういう軽い雑誌が好きだからというのももちろんあるけれど。
知らないことがたくさんたくさんあることが知れて面白い。
なお、北九州の「雲のうえ」も好きだったが、2025年に廃刊決定とか。残念。

葬送コンチェルト
台湾の漫画。絵がうまい。一方、漫画表現のぎこちなさが少し見えると感じるのは私日本人が漫画を見すぎているからか。
日本の葬祭習慣についても自分がよく知っているとは思わないが、台湾の葬儀について知ることになろうとはまさか思わなかった。仏教ベースだが(日本がそうであるように)土着的習慣も多くあり、また現代化も進んでいるといったところ。この所種々読んでいる台湾もののひとつとして、台湾を(ほんの気の所為だが)多角的に見られるようになったかも。
面白い話なので、も少し数を読んでみたい。紙幅の関係もあろうが、話は速い。そこもじっくり描いていただきたくもある。

天幕のジャドゥーガル トマトスープ
お気軽に遠い時代の遠い世界に行かれ楽しい。酸鼻を極める宮廷陰謀劇ではあるのだが、かわいい絵にごまかされてつい読んでしまう。
私ごとき者には理解及ばぬ時代・世界のことながら、だんだん主人公の活動の根源が分からなくなる。大きな「歴史の流れ」からすると、そんな感情は些細なことにしか過ぎないのかも知れない、とも思ってしまう。

カラスウリ 藤丸篤夫 有澤重雄
写真絵本。カラスウリ愛好家として買わねば。
花と実を中心した描写。ふつうそうなるだろうけれど、そうなると「たくさんのふしぎ」の春夏秋冬をあつかった「カラスウリ」の工夫が際立って来る(失礼な感想ですが)。

古い鉄道模型趣味
61号。鉄道模型社の広告。「金矢」を使っているのね。「金失」忌避はもっと後の話だと思っていた。「金或」(正確には異なるけれど)を使うのもある。発煙装置はこの頃からO番等で既にあったのか。蒸気機関車B20実物に「使いみちがない」と明記。自分は子供向け図鑑が出発点であるし、「公式」っぽいのはこういうマイナスポイントはあまり書かなかったから大人になるまで私はこうした悲しい事実を知らなかった。
298号。大船のBookOffで見つける。リバース線を「回帰線」と訳すの賛意を表するなど面白い。「南回帰線・北回帰線」とは無関係の「回帰線」。
G&D鉄道「最後の写真」は、「関水金属が販売したC62」だとか。不鮮明な白黒写真を見て「あれ、日本型かドイツ・オランダあたりかな?」と思って、ミキスト本文を読んで驚いた。正確に言えば、G&D鉄道の線路上を走る機関車ではなく、線路脇でライブスチーム模型として走らせているアクセサリ。そしてC62は「ネクタイどめ」というタネ。とは言え、それはそれで面白い。確認すると「G&D鉄道の写真集」にもこの写真は収まっている。なかなかよく見ないと見逃してしまうね(この写真集も素晴らしい)。
300号。表紙の走行写真は当時としては非常に努力して撮影された記念碑的映像だったのね。1000号でも登場する久保田氏。内閣に所属する写真家。鉄道趣味人にもいろいろな人がいるものだ。

コンセプチャルガール パピヨン本田
1ページめからツッコミどころ満載で楽しい。
文化部に「強豪」って不思議だな、と前から思っていた。吹奏楽部もまた然り。
自分が大学生時代、オーケストラをやっていて良かったのは、こうした「強豪」概念が希薄だったこと。
私の価値観では、「裕福で頭の良い学生たちが良い先生に見てもらってきちんと演奏している」オーケストラよりも「地面から生え出てきたような学生たちが自分たちで考え、苦闘しながら演奏する」オーケストラの方が数段面白かった。
私は、部活動の「強豪」の無思考性が嫌いなのだと思う。「勝つ」という目先の小さな価値観に振り回され、思考がコンクールでの判定基準にだけ収斂するような。
宇宙は広大無辺であり、自分が今此処に於いてどのように生きるか。それを考えることが生きるということであって、それを放り出して重箱の隅を美しく塗り上げてもねえ、とつい思ってしまう。
というようなことまでも考えさせられるところが「コンセプチャル」なのではないかな、と愚考。

シベリアに憑かれた人々(加藤九祚 かとう きゅうぞう)、劇場(ブルガーコフ)を読み始める。
シベリア研究にスウェーデン人捕虜たちが関わっていたのも全く知らず。
また、九祚が読めず調べると、シベリア抑留者でもあった、と。
ブルガーコフはドストエフスキー的ドタバタで始まり面白い。どいつもこいつもロクデナシ。主人公も脇役も。
それでいてどこかに聖性を帯びているような気がするのもロシア的。

書店アンダンテで「送別の餃子: 中国・都市と農村肖像画」(井口淳子)、「ゲは言語学のゲ」(吉岡 乾)を購入。
特に前者はなかなか自分が他の書店で見つけられる気がしない。そう思って他の本に先んじて買ってみたが、読み始めてなかなかに関心していることろ。灯光舎、忘れないようにしよう。

雑談サイトreddit
「恐れながらご報告いたします。ヤロスラフ・ハシェク著の「兵士シュヴェイクの冒険」を読んでおります。」
https://www.reddit.com/r/books/comments/18mtx4x/humbly_report_sir_that_im_reading_the_good/?tl=ja
日本語翻訳の精度が高い。岩波文庫のように(日本の)軍隊調に訳されてるように見える。

なぜかSumoLogicなる言葉に行き当たる。
https://www.sumologic.com/
なんだこれ。日本相撲協会が怒りそう。私が知っているSumoではなく、別なSuperUltraMovingOrganizationみたいなのかも知れんし。

某所にて、ある作家全集を見る。なかなか高い。もちろん高い理由があることなので、その値に文句を言うつもりはないが、ならば買うか買えるかというとそれもまた違う。
そもそも値段が書いてないので店主に尋ねる。ネット価格がいくら、持ち帰りなら値引き。半年経って売れなければさらに値引き。私が目をつけた本は結構な割合で売れてしまうのだが、半年間値引きを待って買った、となると私も寝覚めが悪い。表を歩けなくなる気がする。さて。
とは言え、ひとりの作家を固め読みするのは、なかなか良い。ひとりでもそういう作家があるのは幸せなことだ。
中学に上がった頃、サン=テグジュペリで同じようなことをしたかったが、文庫以外買うお金がなかったので、戦う操縦士、南方郵便機、夜間飛行、人間の土地、星の王子さまで終わってしまった。評伝・評論も少し買って読んだりはしたけれど。大人になって城塞を買ったが読めないままどこかにあるはず。死ぬまでには読まねばだね。私も城塞の「族長」くらいの年齢ではないのかな?
大学に入った頃、夏目漱石で同じようなことをした。岩波文庫を踏破し、岩波にない分を新潮文庫(坑夫)、ちくま文庫(薤露行)で補充した記憶がある。文明論集や日記(抄)などは息切れしてあまり読んでいないけれど、それでも相応に目を通すというのは良いものだ。
その後、社会人になってドストエフスキーを相応に読んだ。なぜか賭博者のように投げ出したものもあるし、「作家の日記」も拾い読みだけれど、一応そこまで行ったのは自慢してもよかろう。

宮沢賢治「そもそも拙者ほんものの清教徒ならば」から菊芋について調べ始める。
すると一般社団法人日本菊芋協会なる団体があることを知る。なかなかに驚く。
しかし、賢治のこの文章からはなかなかの諧謔味を感じるし、言葉としての面白さ、調子のよさが感じられる。そうした意味でも、賢治の作品は黙読だけでなく、音読・朗読そしてまた演劇・歌劇など「音」としての楽しみを多いにしたいものだ。

中学生の頃、合唱指揮の本を読んだことがある。西洋人が書いたまったく参考にならないやつ。
「教会などで管弦楽と一緒に演奏することもあると思う。チェロは意外と面積を必要とするから気をつけろ」と書いてあった。
当時、合唱部員だったけれど、教会でも演奏しないし、管弦楽と一緒にすることもないしで、「本当に役に立たん本だ」と思った記憶が。
中学生ながら背景となる社会的・文化的事情が、日欧で大きう違うことを痛感した。

●雑感
R.シュトラウス「メタモルフォーゼン」本番。
まあ、いつものように「ヨレ」て演奏している。もっともっと基礎から練習しなければ、だね。
デュポールに取り組んでハイポジションの怖さが少し減じたけれど、それとても得意なポジションと不得意なポジションが歴然としてあるし、美しい飛び方が確実にできているわけでもない。もっと練習しよう。
曲自体は面白かったし、楽しく演奏できたのではあるけれど。
(本番前に急に多忙になったのもあるけれど、それは言い訳だよね)。

現在の持ち曲
 Beethoven Op.132 (7/11)
 Mozart K.421 (7/11)
 Tchaikovski Symphony No.6 (7/4) お遊び
 Mozart Symphony No.41 (7/4) お遊び
 選曲中 (10/17)
 Beethoven Symphony No.9 (11/1) ほんとかな?

デュポール読聴会第4回
前回細かく見るのを諦めた。今回は最初からぼやっと全体を見るつもりで行っている。全体を見た印象が残れば、自分が演奏(練習)する際のイメージになるであろうから、という魂胆。ただし、自分が特に苦手とする弓(弦との接点を中心)と、左手の型を変えないままのポジション移動はつい見てしまう。まあ、細かな指使いとしてではなく、体全体の体勢っぽく見ているということにしておこう。
練習曲が音楽的であることから、デュポールの後進に対する愛情を感じる。21の練習曲もそうであるし、試論内に記された練習曲・断片もそうである。
今回の話で忘れたくないのは、フレーズの行き着く先を安定して弾くための逆算的フィンガリング。確かに、昔々(30年以上前)追い詰められるまで移動しないフィンガリングを見た記憶があり、「そこまでポジション移動が嫌いなのか」と驚いたのを思い出す。

お誕生日に聴くCD。
推しの島根・丸山どっちが良いか、と思いつつ、自分のチェロ演奏に凹んでいるので、ここは丸山(伴奏は島根だけれど)。
ヴァラチーニのソナタ。沁みる。長調の6番から短調の7番への推移が殊に良い。
普段使わない真空管アンプで聴くにふさわしい。己のへなちょこ録音を「良い音」で聴くと、自我崩壊の危機に瀕するけれど、丸山・島根の美音を訊いていると、いい気分である(結局島根CDも聴いた)。

次回演奏会のため様々な曲を聴く。
バッハのゴルトベルク変奏曲。1時間もかかるのだから弾く気にならない。
30も変奏するからで、勝手に弾けない変奏を間引けば・・・。

メシアン「鳥のカタログ」全曲
たいへん申し訳ないが、この曲はほぼ初めて聴いた。本当であれば何らかの予備知識を持って聴くべきもののようにも思うが、何も知らず聴く実験をさせて頂いた。武蔵野市民文化会館の値段設定にほだされたとでも言っておこうか。
一回聴いて何か見通せたり語ったりできるような曲ではないことがよく分かった、というのが正直なところ(阿呆の感想)。
そして、日本人(私)は「鳥は可愛い」と思っているところがあるが、フランス人(メシアン)は必ずしもそうでなさそう。
私が思い浮かべる鳥は日常町中で見る雀や目白などの「可愛い鳥」とドバトやカラスなどの「困った鳥」。
メシアンはどうやら猛禽から小鳥まで、フランスの原野を飛んでいるのを見ているように思われる。
なんとなう「荒野に生きる猛禽・野鳥を追った動物ドキュメンタリー」の音楽のように思われた。
ピアノの音は非常な美音。でかい音もうるさくない。ピアノ自体もよかろうが、奏者も相当の達者。
谷口知聡氏。覚えておきたい。終演後ご本人は「休憩ごとに人が減るかも・・・」とおっしゃっていたが、そういう意味でも修行プログラムだったのは否めない(私は修行が嫌いではない)。
私自身の勝手な希望を申し上げると、セヴラックやモンポウもありメシアンもありの演奏会にして頂くと学びもありつつ楽しい演奏会になりそうな気がする。まあ、メシアン全曲のような衝撃に欠けるので、谷口氏の志向に合うかは不明だけれど。

フォーレ「ドリー組曲」
ピアノ二重奏版。ティッサン=ヴァランタンとピュイグ=ロジェの演奏をLP時代に聴いていた。
少々のんびりした、こもった音(よく言えば温かい音)。同じCDを買った。LPの方が音が良かったような気がする。若干キンキンする。
とは言え、お洒落だが優しい良い演奏。
ORTF弦楽四重奏団

こんにゃく座の歌役者は「沖まどか」さん、指揮者は「沖澤のどか」さん。
どちらも素晴らしい音楽家。だが、私はつい「沖のどか」さん「沖澤まどか」さん等と混同しがち。
ご本人に呼びかける機会がないので無問題ではあるが、家人からは当然怒られる。
ご両人が共演することはあまりなさそうだが、「ピーターと狼」の朗読を沖まどかさんがされたりすると私は喜ぶ(欣喜雀躍)。
しかし、こんにゃく座を続けてみていると、役者というのは本当に様々な役柄をこなすし、しかも、それがご本人の普段の表情と大きく異なる「恐い」役であることもしばしばである。この「恐さ」というのは、本人が恐いと思っている場合もあれば、舞台上の他の役を恐がらせるものでもあり、また、もっと大きく観客に危うさを感じさせるものであったり様々なのだが、そうした様々な「恐さ」を表現しうること自体が、私には「恐い」。
役者恐るべし、としか言い様がない。

Haydn 2032 なるプロジェクトがあるらしい。ハイドンは1732年生誕であるからして2032年すなわち生誕300年に向けた取り組み。
そう言えば、ハイドン生誕10万日だったかの演奏会が以前あった気がする。
計算すると2006/1/14。もう10年以上前ですか。
2032年は6年後。自分は生きてはいそうですね。そろそろそういうことを考える年齢。

アラビア音楽は良い!
https://www.youtube.com/watch?v=7psxruQ0EeQ

Alf Leila We Leila 千夜一夜物語
https://www.youtube.com/watch?v=IxJQQ20zdjg
エジプトの超有名曲。ここで演奏している方々がどういう方なのか知れないが、堂々として「様になっている」。
良いな。有名歌手が歌われているのもいいけれど。
このような「エジプト・中東風ヴァイオリン」ってどんな歴史があって、どんな曲があり、どんな教育システムがあるのだろう。非常に気になる。
以前、中国旅行の際、中国風ヴァイオリン二重奏曲の本を買ったことがあり、中国でもヴァイオリンの中国化(あるいは中国音楽のヴァイオリン化)の動きが多少なりともあると思ったけれど。我が日本においても、ポップス系の伴奏でもふつうにヴァイオリン(属)が使われている。こちらは、日本風の音律で弾いているとも思えず、なかなか独立した分野となっていないものの、同じ流れと言えなくもない。
このような、各国・各地域のヴァイオリン属楽器の受容と変容を見るのも面白そうだ(鶏卵的同時多発なのは間違いないだろうけれど)。

シャンカール(子)を久しぶりに聴く
https://www.youtube.com/watch?v=1h4dI2pW8vg
前に聴いた時より良い!真空管アンプ+DALIスピーカーというのもあるかも。
ピアノ+女声あたりは平凡かも。私が新規性を求めすぎているのやもだけど。と思ったら、バスが変なことをし始めたので、少しいい感じに。
しかし女声合唱は平凡に感じる。新規性を・・・。

Isata Kanneh-Mason ピアノ奏者
https://www.youtube.com/watch?v=QFGWCRXkWns
活き活きとして良い!TinyDeskConcert はアップライトピアノなのがちょいと可哀想だが。箱庭的音色の中でよく歌っている。
学校の音楽室でものすごく上手な人がピアノを弾いているように聴こえるよね。
大きな歌がある時はそれに従っていて良いが、緻密なところはちょっとバラバラして聴こえる。アップライトだからか。若さの限界か。
Facebookで「プロコフィエフに温暖化なし」なる翻訳が見えるのが謎。No warming in for Prokofiev
Google翻訳だと「プロコフィエフにはウォーミングアップは不要」。
ChatGPTに10通りに訳せと言っても概ねその方向。そういうことらしい。ウォームアップが必要ないという意味が分からんが、いつでも準備ができているほど日々生活そのものがプロコフィエフです、と言った所なのだろうか。

兄貴Shekuのチェロも凄く達者。「楽譜」を見て弾いている人間ではない(ニクい!)。
https://www.youtube.com/watch?v=o3h6i2GXUhg
録音の仕方にもよろうけれど、ピアノとチェロの響きが団子にならないのも素敵。

ところで「時には母のない子のように」(Sometimes I Feel Like a Motherless Child)は伝承曲なのね。知らなんだ。
なんとなうカルメン・マキが歌っているとだけ知っており。

スウェーデンの「セカンドハンド・オーケストラ」
https://www.youtube.com/watch?v=6pKHV0mh_ws
楽器がセカンドハンドなのか、楽曲がセカンドハンドなのか・・・ということか。Wikipediaにも項目があった。
スウェーデンはスイスではないシリーズ。

Amaia: Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=6tCjflXY9CM
若干癖が強く聴こうか止めようか迷うけれど、相応に面白い。「音づくり」に興味があるらしいところが良い。皆さん複数の楽器をこなされているのも「音づくり」への興味のゆえと思われる。

BBCのドラマ The Other Bennet Sister ちょっと見たい。
オースティンの小説「高慢と偏見」に登場するベネット五姉妹のうち、最も地味で雑に描かれているメアリーの物語。
俳優さんも、メアリーの愛嬌がなかったり、あったりする様をうまく演じているように見える。
田辺聖子「私本源氏」には、「本編では不幸になってしまう女性たちへの田辺の最大限の愛情」が見られて素晴らしいと私は思っているが、この作品にも同様の良さがあると期待させられる。

客車が逸走しちゃったのね。
https://www.youtube.com/watch?v=VPmm5rVVsvA
機関車走行シーンは明らかに早回し。だが、なぜそう思うのか。なんとなうわかるんだけれど。背景のざわめきみたいなのかな?
「作り物」であるのは明白でおそらくハッピーエンドになるのも明らかだけれど、古い時代の展望車・機関車が見られて嬉しい。

ひき肉を食べ続ける日々
ある日、お昼ご飯にキーマカレーを食べた。そう言えば昨日のお昼ご飯はガパオライスだった。
と思うと、一昨日の夕食はミートソース、昨日の夕食はミートソース流用のグラタン、この日朝食はミートソース入りオムレツ。
もしかして、晩ご飯は麻婆豆腐ではないかと思っていたら、家人もそう考えていたとのこと。でも豆腐を買い忘れて野菜炒めに。
とは言え、翌日は麻婆豆腐であろう。我がひき肉の日々は続く。
(ひき肉好きなので、特段気にならない)。

高級はちみつ。
もらいものの「菩提樹はちみつ」を食べる。香り高く美味。贅沢に馴れると生活が苦しくなるので、高級品には接しないように生きているけれど、たまにはこういうのも良いなあ。
近所の家の塀に自動車がぶつかったことがあり、家の持ち主に写真を撮って連絡したお礼に頂いたもの。ありがたや。

今月の誤字
 低音調理 → 低温調理 そもそも見つけたのが、録音テープの乾燥処理。「低音」になってしまいそうな場面だ。でも、カセットテープなんか熱で歪みそうだが。
 「スタイリッシュなルッキングも沙流ことながら」。久々の大ネタ。
 元北海道民としては「沙流川」に言及してもらって嬉しい。靴屋さんの宣伝文句。
 「1986年JR末期」→「1986年国鉄末期」または「1986年JR化直前」だろうな。JRは2026年になってもまだ存在するぞよ。
 鉄道ピクトリアル「事業用車特集」。まあ、この本を読む人にとってはこの程度の知識は常識中の常識であるからして問題はない。
 以前「戦災」を「繊細」と誤っている例もあった。大量出版ではない専門誌はそういうものと思って読むべきだろう。
 「ギンリョウソウ(銀龍草)」を「ギョリンソウ(魚鱗草)」だと思っていた!発話の機会がなかったのがもっけの幸い。
 「貴重な 弦楽器の弓」→「貴重な弦楽器の弓」。「管弦楽器」という言葉もあまり見ない。「管弦楽」あるいは「管楽器・弦楽器」だろう。
 ストローヴァイオリンみたいなのを思い出して期待した私が愚かだった。

大鍋飯
ネット(X)が自動翻訳前提で動き始め、各国の人々の発言が見られ面白い。
で、韓国語話者の日本語訳に「大鍋飯」が出てくる。元は中国語で、大鍋で飯を炊いて皆で食べる「(働かなくとも他の人と同じ様にご飯が食べられるという意味で悪しき)平等主義」を言うらしい。
食で例えることさすが中国人と思うたり。
一方、「大鍋飯」で検索すると「西班牙風大鍋飯」が多数当たる。どうやら「パエリア」のことらしい。これも面白い。

昔の録音媒体に懐かしさを感じはするし、独特の音質に惹かれもするけれど、安定性・利便性・多数の音源・新しい音源と考えると今更LPレコードやカセットテープに戻れる気はしない。
MDも導入しなくて良かった(俺賢い)と思う。CDもチェックサムすら入ってないのは今となっては欠陥規格だが、時期を考えるとまあまあ仕方がないとも思うもの。でも、その規格を途中で一切変えなかったのもなんだかな。変えられない規格だったのが命取りとも言えようか。
初めて買ったCDは、ワルター指揮マーラー交響曲第1番、インバル指揮マーラー交響曲第5番、クレンペラー大地の歌、の3枚だったと記憶する。1枚3,500円時代。
おそらく名古屋駅の松坂屋百貨店にあったヤマギワで購入。

昔々、集合住宅に住んでいた頃、父の古い下着を表に干しておいたところ、風で飛んでいった。
見つけた人が住宅の階段の上がり端にかけておいて下さったが、みすぼらしくて恥ずかしいということで、母はその下着を持ってゆくことができず、長くそのままにしていたという(暗くなってから帰宅する父は気が付かなかったかも知れない)。
私は、ある時七階で執務中、向かいの集合住宅のベランダで布団を干そうとして、風で煽られた布団が飛んでいくのを見たことがある。布団は飛んでいったけれど、干そうとした人が落ちたりせず安心した。

四月の朝。 新しい通学路に惑う人もあり初々しい。
そして資源ごみ回収の朝、昨年度の教科書がもう紐で括られて置かれている。そんなに勉強が嫌いなのかな?
あるいは完璧に履修したからなのか?
そしてまた、ランドセルが入っていたと思しいボール箱。中身のランドセルは今頃新入生の小さな背で踊ってもいようか。
四月の朝は楽しい。

乗車の際、車内で「ピ」が必要な電車に乗った。
本当は一番前の車両で「ピ」をせねばならない車両だが、後ろの降り口から乗ってしまった老婦人がおられた。
ご婦人は、乗ってから「ピ」をせねばと車内で前に移動していく。
事情を知らぬ人々が「ここに座れ」「席を譲る」と立ち上がること私から見えた範囲でも数名。
ご婦人はそれらを断りつつ、前に向かって進んで行った。
なかなかに美しい風景。「ピ」をせねばのご婦人。席を譲る人々。

ネットで同性愛の方の話をみかける。
なんというか「ふつうだ」と感じる。
私は異性愛の人間だが、「異性ならなんでも良い」というわけではなく、種々様々な条件による「好きなタイプ」がある。
そしてまた同性愛の方も「同性ならなんでも良い」というわけではなく、「好きなタイプ」があるようだ。
考えてみるとそれはそうだよねと思う。愛の対象として見るスコープがどこを向いているかだけの違いではないか、と私は感じる。
細顔と丸顔のスコープが違うように、異性と同性のスコープが違う。そんな風に私は感じている。
(スコープなく「異性ならなんでも良い」「同性ならなんでも良い」という方も居られるかも知れないが、あまり思いつかない、というだけのことではある)。

1990年頃、最後の手書き卒論の方がおられたように記憶する。
シベリウスで卒論を書く文学部生と、卒論がないので清書を手伝う法学部生がよくツルんでいた。
大学オケの木管と弦楽器の人たちだったが、弦の人は卒論の内容に文句を言ったりしなかったのか気になる。

日本人(男性)の悪事自慢みたいなのは何だろう。
万葉和歌にも「酒飲んでダメにならない奴はほんとダメ!」なんてあるし、東アジア的親交の深め方に一緒に泥酔するというのがある気がするけれど。
「道徳を踏み越えられるオレ格好良い!」漫画も多かった。
日本は長い歴史において常に技術と倫理を輸入してきたので、こうした輸入コンプレックスから輸入品を否定すると倫理も否定されるということかも知れない。
私自身、「倫理」より「人情」と解釈しようとする部分があるが、これもまた、輸入品否定の気持ちではある。
だがさらに「不幸の均霑」(オレより幸せな奴は許せない)は人情にすら優越しているのだろうか?
そしてまた、そういう「不幸の均霑」は日本だけでないようにも思われる。

燃料費高騰につき、海外の演奏団体が来日を断念するかも、と聞く。
確かに生半可な燃料費高騰ではない上に、大幅な減便が予定されているのだからな、と納得。
今現在、外来音楽家のチケットはレオンコロ四重奏団の一枚だけだ(過去数年ほとんど聞いていない)。さてどうなるか。
機会があって少しばかりご馳走を食べてはみたけれど、もしかするとこれが最後のお魚かもと思わぬでもない。
石油がなければ漁船は動かず、トラックも動かない。料理屋さんからは「コースのみ」と言われたが、できうる限り在庫を減らしているのやも知れぬ。肉についても同じであろうから、豆を買っておくくらいしかないだろう。

斉諧生先生がTwitter上におられるのを発見。浮月斎先生らとともに、一時は毎日(以上の頻度で)読んだ音楽批評ブロクたち。
お元気そうでなにより。今にして思えば「我が国で一般化途中の黎明期のネット」だったのだ。
あの頃のネットには「凄い人」がいた。凄くない人もいたのだろうし、凄い人でネットにいない人もたくさんいたに違いないが、ネットのお陰でお会いすることができた凄い人々も幾人もある。今更ネットでそうした「出会い」はないかも知れぬ。まあ、仕方ないよね。
当時はネット接続できるのは、それだけのお金と技術と時間的余裕がある人々だった。そう思う私は立派なインターネット老人。

TA2020デジタルアンプ修理。
と言っても、電源が壊れたのを入れ替えただけ。12V3Aの電源が通販で850円。
本当は電源が壊れた理由を調べて対応すべきだが、経年劣化であろうと決めつけて何も考えずに交換。
よく見ると、電解コンデンサのひとつが破裂している。以前使っていたPCも電解コンデンサ破裂で止まったのだった。
さて、電源交換により、前より音が少し細くなったような気がするが、気の所為だろう。そもそも、40年前のS-X7なるスピーカーをテストで鳴らしても携帯ラジオ以下の音質。
その後繋いだ Tannoy Mercury2 とても、コンデンサが寿命(寿命でないコンデンサだけ交換した)で、高音が出ていないので、何がなにやらではある。

ネット広告で「ゴルフバックの宅配」。オラには関係ねぇ。まあ世の中の大勢と行き方(生き方)が違うのである。私は。

古くから使っているNiftyのメールアドレス。スパムばかりが来る。
しかもスパム分類力はGoogleに劣る。まあ、仕方がないけれど。
昔は知人友人とはこちらを使っていて、一部どうでも良い広告をGmailで受けていたが、完全に逆転した。
さてどうしたものか。NiftyにはCocologで依存しているけれど。

朝、家の前で掃除をする。お子さんを乗せた自転車が何台か走ってゆく。
ある一台が通った直後、何か白いものが道を横切ったようだ。
お子さんが「消しゴムを落とした」と一言。自転車を止めて戻ってくるママさん。
見回すが見つからず、諦めるように言いつつ走り出す。
私が見た軌跡を元に心当たりを少し探すと、草の葉影にペンギンのような白黒に塗り分けたラグビーボール型の消しゴムを発見した。
家の門柱の上に載せておいたが、さてなくならぬところを見るとまだお気づきでないのか。明日もっと目立つようにせねば。
というので、目立つようにしたところ、日曜朝、ご一家で通りかかって発見・回収されました。良かったよかった。

家の周りを掃除する。子供連れ・犬連れには簡単に声をかける。治安向上運動とも言えるし、いい歳のオッサンが率先して挨拶もしないのは浮世の義理に反すると思うから。

家の周りにいる時、楽器のことを問われることがある。
だが、私が弾いているのが本当に「チェロ」であるか私には確信がない。
楽器そのものはおそらくチェロであろう。しかし、演奏方法はどうだろうか。
小学校の部活動で楽器を初め、長く長く独学で来た。もしかすると根本的に間違っていて、あまりにも間違っているがために、誰もそれを告げられずにしまったという可能性はどうしても否定できない。
あるいは、外見的には間違っていないとしても内部的な力学の根本原理が誤っていて、外部から観察する人々は「なんか変だがそういう奏法もあるかも知れない」と緩慢な善意で解釈している可能性もある。

PCのBluetoothが不安定(というかダメダメ)。
悲しい。
小型キーボードで、キートップには日本語印字がなく、できればUS配列で、無線のもの。って少ないのよね。
ぎりぎりBluetoothならあるが、Logicoolはない。Logiの無線マウス・キーボードは、OSが立ち上がる前から接続されるので便利なんだよね。それに安定もしているし。ChatGPTに聞いても「そんなもん」という結論になるのが悲しい。
Linuxでは、USBのBlueToothアダプターで安定して使えるものがないらしい。悲しい。

Continue reading "読書の記録(2026年4月)"

| | Comments (0)

読書の記録(2026年3月)

ヒゲのガハクごはん帖 梅村由美、山口晃
この方々は知人の知人の知人の知人…であるので、他人様の生活を覗き見るようでいささか後ろめたい気持ちで読む。
ともあれ同世代の人間として「町の駄菓子屋」のちからの入ったイラストには共感する。
添加物嫌いも同世代としてなんとなうわからぬではない。我々が幼かった頃、添加物を使いすぎていたし、添加物を使った食品は粗雑に作られてためにあまり美味しくはなかった。そして我々の母たちはそうした添加物に強い疑念を持ちつつ我々を育ててきた。そういう背景があるのだ、と私は思っている。
まあ、気軽に書かれたものとして気軽に見るのが良かろう。長野編、お蕎麦編などは特に自分も知るところであり「奴蕎麦を自宅に常備すべき」などと思ってしまったが、知人の知人の知人の知人…であるとしても他人は他人、私は私。

中世のパン デポルト
少しずつ読もうと努力しているが、進まない。なぜだろう。麦やパンの知識・経験が少なすぎるからだろうか。
中世ものは読める本と読めない本が極端に分かれる。ホイジンガ「中世の秋」や阿部謹也などは読みたいし読める。この本はどうも進まない。事実列挙が多く、その際様々な都市に言及するけれど、それぞれの都市を知らないことから読んでいて意味がわからないから、だろうか。

複眼人 呉明益 小栗山智
私の「台湾シリーズ」。ではあるのだが、登場人物が得体の知れぬ海民であったりするので、奇異の感情を免れない。そしてまた、おそらくは実景に根ざしている「歩道橋の魔術師」の濃厚な雰囲気と異なり、淡く朧な筆致が私を不安にさせる。地に足がついていないというか。
ある種の幻想文学として読まねばならないのだろう(歩道橋の魔術師はまぎれもなく幻想文学だが、それとも異なる)。
ともあれ、読むうちに少しずつ風景が見えてきたようにも思う。作者本人も書いているごとく、苦労して書かれたものであるらしいので。
と思ったが、やはり訳がわからないうちに終わった。様々な風景・登場人物が収斂もなく登場し去っていくように思われる。ちょっと残念。
訳は概ね良い。気になったのは以下程度。
 旧時の捕鯨 → 旧来の捕鯨、あるいは、過去の捕鯨?
 漬けの魚 → 酢漬けの魚、あるいは、油漬けの魚、醤油漬けの魚?
いずれも一般的には見慣れない日本語である。

第三軍団 張之路 高野素子
文化大革命から10年後の中国の学校(高校レベル)のお話。
学校予算が不足するので、校内で営業活動をしていたり、校舎を賃貸ししていたり、興味深い。隣国のことでありながらこうしたことも全く知らずに来た。小説が必ずしも真なりとは言えないにせよ、日々の生活感情の一端を味わえる点で端倪すべからず。
爽やかにしてよく読ませ考えさせるプロットも良い。
して、終段いささか我が井上ひさし「青葉繁れる」を彷彿。
そしてまた、尿の実験は、我が祖父の農学校の話としても伝わるもの。こんなところで出会うとはいささか懐かしくも嬉しい。
(プチ・ニコラでも、フランスの学校の雰囲気を味わえたのは面白かった。カトリック的な厳し目の教育だが、子供たちは自由奔放。小学校で男女別学らしいしいし、授業中におやつを食べていても何も言われない。などなど)。

訳は悪くないがカナ語が多いと気が散るので、漢語があるならばそうして欲しい(趣味の問題)。
 メロディ → 旋律、節など
 チャリティ関連、チャリティ団体 → 慈善関連、慈善団体
 レベル → 水準
 リーダー → これは難しいが 指導者、統率者?が却って良くないか?
 イケメン → 美男子、眉目秀麗 くらいで良いのでは?折角のご訳業の寿命を縮めるだけでは?
 バースデーカード → これはこの文言が良いように思った。「特別なもの」としての輝きがある。そしてまた読み慣れてきていることもあろう。

私のものではない国で 温又柔
この国にある方として並々ならぬ決意でこの国が誤たないように記されているように思う。けれど、結局この国は同じ過ちを繰り返しつつあるのかもしれない。あるいは、なんとか踏みとどまれるのかも知れないけれど。

日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実 吉田裕
日本軍は兵士を大切にしない。徹頭徹尾大切にしない。強い意志があって大切にしないこととしている。そう感じられる。
兵士の死亡の多くが飢餓であり、水没であり、そしてまた最終的に行き着く先が特攻(自殺攻撃)であることを思うとそう結論せざるを得ない。
あれは、今はなき大日本帝国がしたことであり、帝国陸海軍がしたことである。と思考を停止させない方が良い。
戦死賛美・特攻賛美が今なお行われているが、あれは「国家に対してもの言わぬ死者」が「国家に反抗せず国家の言うがままに死んだ」ことを賛美しているのであって、生きているあなたを尊重するものではない、と言いたくなる。(個人の思想信条はもちろん自由だが、国家・公人がそれを行うことはまた別である)。
「旧軍的なもの」は私の知る限り今なお日本の様々な場で吹き出している。空襲被害者への補償無視然り、公害患者差別然り、(過去のものとなっているはずの)管理教育然り。
「旧軍的なもの」は、旧軍とともに消え去ったのではなく、それ以前・それ以降にも通底する「真の日本文化」であるのかも知れぬ。
いわばずる賢い為政者とずる賢い庶民の騙し合いのような。
この本に書かれていることの部分部分は垣間見たことがあるけれど、「兵士=国民」の立場でその不幸の一断面を総覧している非常に優れた書物であると感じる。序章における略史も非常に意義深い。若い方の「戦争入門」としても良いように思う。
我々サラリーマンは「Culture eats strategy for breakfast」などと習い、「戦略だなんだと格好つけて見ても、時々刻々の行いにしみついた『文化』の前では無力だ」と骨身に染みて知っている。それ故、いち作戦の成功や失敗を超えて通底する「旧軍文化」をまざまざと見せつけるこの書は非常に重要と感じる。
最近のSNSにおける言葉遣いの悪さを見ると「内務班的」であると感じる。それもまた、そういうCultureが通底している現れなのだろう。
ともあれ、本書は「大日本帝国入門」として良書であると感じる。全方位を包括するものではないのはもちろんであるが、大日本帝国において結局のところ最大の重きを為したのは軍隊・戦争であったし、当時、軍隊・戦争と無縁であった日本人は考えられないのだから。
戦時に罹患した水虫がやっと平成に入って治癒したとの話も、それ自体はたかが水虫と思ってしまいがちだが、マラリアや精神疾患(PTSD)などの長期罹患を合わせて考えると、戦争の傷跡が癒えるまでに何十年もかかることは忘れてはならないと思う。

夜間飛行 サン=テグジュペリ 野崎歓
岩波の新訳。なかなか読めずにいたが、意を決して読み始める。
香り高い「文学」を楽しめる。楽しめることは楽しめるが、例によって訳語が気になり始める。
日本語があるものは日本語にしておくれよ。英語になったりするとどうしても英米臭がしてきて仏文の香りが飛ぶ。
メモ、テーブルクロス、スイッチ、ランプ、ジャイロスコープ、エンジン、サイクロンは(いちおう)許容範囲。
メッセージ、エリア、メンバー、ベテランあたりはなんとかならんか。
連絡、区域、人員、熟練工など。
サイクロンを「颶風」とした堀口大學の偉さよ。と(堀口教信者である私は)思うのだ。
ランプは灯火、ジャイロスコープは羅針盤、エンジンは発動機にしても良いと私は思うのだが(若い読者がどう思うかは知らず)。
この際、テーブルクロスは卓布、スイッチは開閉器、かな?

家守奇譚 梨木香歩 近藤ようこ
西荻ウレシカで購入。
「カラスウリ」なる章があるからという単純にして短絡的な購入理由であるものの、梨木香歩氏は「僕は、そして僕たちはどう生きるか」で拝見しており、信頼できる売り手・信頼できる筆者ということで。
空白の多い漫画(と言っていいのか)が快くも空気感を感じさせて良い。

『しなのんちのいくる』 仲曽良ハミ
ネット漫画。「少しだけ大人になった夏」が心に残る。
私の小学生時代の同級生、入学してすぐに仲良くなったナリタ君。2年の夏休みに心臓手術で亡くなった。どんな病気のどんな手術であったか知らないけれど。そんなことも思い出す。それ故、病気だったナッちゃんが元気になり学校にも通われているのがとても嬉しい(創作だということは解っているけれど)。
で、斯くの如くメッチャ良い漫画なんだが誤字を見つけてしまった。
「教師の鏡」→「教師の鑑」。だよね。もひとつ「孟特訓」ってなんだよ。「猛特訓」w。

さんてつ 吉本 浩二
ドキュメンタリ漫画。吉本氏の暖かい絵が救い。「ブラックジャック創作秘話」もそうであったが、これがリアル画風であったなら、あまりの怖さに読むことができまいと思う。
暖かい絵ではあるけれど決して現実の辛さを枉げていない。こうした作品を読み直すにつけ日本は戦争ができる国ではないし、戦争をしてはならないと思う。

レイアウト全書
或るレイアウトの一日 真空管による高周波発生回路の図が出ている。ここにある6L6なる真空管、そういえば我が家にあるぞ。。。
エレキット Tu-879S なる真空管アンプで使っている。
真空管による整流回路というのをそう言えばまともに見るのは初めてだ。半導体の場合、ダイオードを4つブリッジにして「全波整流」をするのがふつう。昔はダイオードを4使っていたが、今やブリッジダイオードのパッケージがある。
で、真空管の場合素子数を増やしたくない。真空管は大きいし、ヒーター電流を流すのでエネルギー(電力)を相当量使うし、発熱もする。 だから、トランスの二次側で、プラス側とマイナス側両方を出して、それぞれの半波が整流されるようにしている。なるほど!
と、そこまではわかったが、高周波の発信原理がわからん。私は、二極・三極の真空管の動作原理は読んで相応に理解した記憶があるが、五極管の動作原理で挫折したのだった。四極管は使いみちがないので、たしか存在しないのだった。あの本は友人から借りたのだろうか。「動作原理は真空管の方がわかりやすいから」「真空管と半導体の回路の基本は同じだから」と友人が父上の本を貸してくれたのではないだろうか。。。賢い友人であった。
彼からは同様に「半田づけ」の本を借りた覚えがある。もしかすると「電子工作」の本で、半田づけも真空管も同じ本に書いてあったのかもしれない。
半田づけも父上の古い本で、「半田ごてを炭火で真っ赤になるまで炙る」絵が付いていた。火鉢風の円い器に複数の半田こてが活けられており、取り替えながら使う・・・というのであったように思う。なお、私は電気式半田ごてしか使ったことがない。炭火はひと世代前であろう。

名古屋鉄道の貨物輸送 清水武ら
再読。私鉄・国鉄における貨物輸送についても触れているし、日本車両で製造された国内外向け鉄道車両の回送もあったりと多様で面白い書。
もちろん、私ごとき者が読んだとて何一つ役立てるところがないのだが、それこそが「究極のファンタジー」とも言える至高の価値を持つものである。
私が知る名鉄は貨物輸送を終えてからだけれど、そこここに貨車が残り、電気機関車がいた。そういう時代を懐かしむのも一興。貴重な写真が満載でそれを見るだけでもこの書を買う価値がある(価値があると思う人には!)。

古い鉄道模型趣味誌
某所で少々入手。古くからこういう雑誌を読み、きちんと保管している人が住んでいる土地なのね、と感慨。おそらくはきちんと工作して素晴らしい作品を作った方だったのではないかと想像。お亡くなりになったのか「終活」なのか。

英語で読もうとして挫折した Cambridge Quintet 和訳が出ているのね。
まあ、QuartetとかQuintetと名が付いた本を読もうという以上の情熱ではないとも言えるのだが、アレクサンドリア四重奏が文学であるのに対し、ケンブリッジ五重奏は科学哲学。

自分が買った最初の岩波文庫は「ツァラトゥストラはこう語った」。
サン=テグジュペリに「君が好きだったニィチェのことば」なる一文があり、それならニィチェを読もうではないかと思った。
サン=テグジュペリが新潮文庫だったので、ニーチェも新潮で見たけれど翻訳が古く読みにくそうだったので、岩波を買った記憶がある。
鳴海駅前の書店「家庭文庫」は新潮はよく置いてあったが、岩波はなかった。
中学生だった自分が岩波を買うならば、岡崎正文館、名古屋駅星野書店、同じく名古屋駅三省堂、栄の丸善、そして鳴海(と言っても北外れの)三洋堂のいずれか。残念ながらどこで買ったかの記憶がない。どの書店も中学生くらいで行っていた覚えがあるので、さてどれだろう。
一方、山家集や「こころ」を買ったのは、おそらくは杁中の三洋堂。

●雑感
川口成彦氏とLa Musica Collana によるベートーヴェン
「皇帝」七重奏版がやはり面白かった。室内楽的書法で書かれてはいないので、そうした緻密さとは無縁だが、構造が透けて見えて面白い。
繊細な音色とともに、アンティークのような、ガラス細工のような印象。古いオルゴールを回して寝入っているうちに、夢の中でガラスの国に入り込んでしまったような。。。。骨太ベートーヴェンとは全く異なる。
フルオケっぽさはやはり内声が頑張ってこそ。そしてまた、弾いて一番楽しいのはヴィオラではないか。VnVnVaのバスを弾いたり、VnVaやVaVcでデュエットしたり、なんかニクいw。
第二楽章のピアノが極美。そこから第三楽章にブリッジしていくところが素晴らしかった。
幻想曲は、びっくりな冒頭。ベートーヴェンが凝って書いたらしいことがよくわかる。
この人たちにベートーヴェンを弾かせようと思った企画者は偉い!(あるいはこの企画を許したホールの偉い人。お客さんも相当入っていたのが嬉しかった)。

RVW Song of Travel
管弦楽伴奏版があるんだ。でもピアノ版の方が良いかも。ちょっと大げさ。
特にクレッシェンドで入るスネアはやりすぎでは?もっと室内楽っぽく緻密に演奏してくれるなら良いのかも。
室内オーケストラで伴奏すると良いような気がする。
ジョージ・セル指揮、フィシャー=ディースカウが歌っていたなら…などと考えるもわろし。

古いブロクを読んでいると、カサド「愛の言葉 Requiebros」は2008年から取り組んでいるらしい。おそろしや。もう18年。
それでいて弾けるようになった気がしない。酷いものだ。
世間に公言しているわけでもないが、ここで恥を忍んでこうした「弾こうとしていて弾けていない曲」を指折り数えてみよう。
 バッハ無伴奏チェロ組曲 中学3年くらいで譜面を買って、いつも出してあるけれど45年弾けていない。おそろしや。
 モーツァルトのクラリネット五重奏、ブラームスのクラリネット五重奏、クラリネット三重奏もずっと譜面を見ている。
 レーガーの無伴奏組曲は2番だけ見ている。これも30年以上。
 ベートーヴェン、ブラームス、ドヴォルザークはまあさほどではないとしておこう。
凄い!こんなに弾けていない曲を、こんなにも延々と見続けているなんて。最大のムダ。最大の贅沢!精神の王侯貴族!

マレは Les Voix Humaines(複数形)
プーランクは La Voix humaine
プーランクはコクトーの戯曲によるそうだが、マレを想定したものではなさそう(根拠なし)。

音源を聴かずに楽譜をゼロから読むかどうか。
平成のはじめ頃、レーガーの無伴奏組曲の譜面を買った当時、音源が簡単には入手できそうもなかったこともあり、ゼロから読んで弾いた。
とても面白かった。でも、ふつうはやる必要はないだろう。あるいは非常に限定した状況で試してみる程度か。
私は無伴奏曲で実験しているし、人前での演奏機会もないので、誰にも迷惑がかからないのでそういう意味でも良かった。
ちなみに、一度だけ実演を聴いたことがある。取り組み始めて10年以内であったと思う。まあ、ドイツ系・バッハ風近代ということで想像しやすい曲であるからということもあるが、私の解釈はさほど間違っていなかったようだ。ただし、一箇所弾けないところをゴマカシていることに気づいた。わはは。解釈以前の問題だ!。素人だから仕方がないよね(莞爾)。
職業音楽家は、初演の依頼があるまでは音源前提で自分の演奏を確立するのが良いのだろう。我々素人に関しては、仲間内で誹られない程度に音源前提としつつ、遊び(実験)でゼロ読みもすればそれはそれで面白いと思う。

知人の演奏会で、ロザムンデとショーソンの三重奏を聴く。
ショーソンは初めて聴く曲だったが、いい演奏で聴けて良かった。
ロザムンデも冥く歌い続けるシューベルトの感じが出ていて良かった。
トリオは弾いたこともほぼないし、聴くことも少ない。つい「自分だったらどんな音色で弾くのだろう」と考えてしまうが、簡単な結論は「わからん」であった。困るわけではないが、我ながら阿呆で悲しい。とは言え、身近に室内楽志向のピアノ弾きがいるわけでもなく。

パリ管弦楽団の「小さな火の鳥」
https://philharmoniedeparis.fr/fr/live/concert/1133487-le-petit-oiseau-de-feu
抜粋しか聴けないが、音色感が「フランス風」であると感じる。
ドイツ風の骨太的とも異なる。ヴァイオリン奏者は日仏の教育を受けた方のよう。旧来日本人音楽家には妙な硬さがあったけれど、若い音楽家を見ると、留学経験のある方も多く、当たり前のように欧米最新の技術・音楽観と接続しているように思われる。これは素晴らしい良いことであるのだが、経済不調が顕在化する昨今、留学経験(だけでなく音楽活動層)の持続はできるのか心配ではある。
して、この編曲はチェロに過度の負担を強いておらず好感が持てる(私利私欲による判断)。忙しいのはピアノとヴァイオリンとクラリネットの分担。まあそういう楽器編成だよね。
私はオーケストラの団員紹介を見るのを楽しみにしているが、パリ管も高弦にアジア人率が高い。
そして「変わった写真」をつい探すのだが、フルートのオジサンが笛に噛み付いているのが一等!。
そして弦楽器ではコントラバスの皆さんが最も個性的。ティンパニの方も面白い。
こうした楽器ごとの傾向は世界的に同じなのだろうか。きちんとデータを集めて論証し論文化すべきだろうか?(一体何学会がそんな研究を受け付けるのやら。そしてまた関連する既往研究があるのか?)

シューベルトのピアノソナタをいくつか聴いてみる。
 Paul Badura-Skoda 「肩が凝らない」という評を見かけたが、たしかに磊落。生き生きとして悪くないが、デモーニッシュではない。シューベルトはもっと闇が深い方が良いなあ。
 Walter Klien 悪くないが。闇を欲する向きには物足りないか。
 Grigory Sokolov ちょっと響かせすぎるのと、粒が揃わない感じがあるかも。悪くないが。
 András Schiff もちょっと遅くて神秘的でも良いのでは。悪くないし、むしろ好きなのだが。
どうもすべてこの人!というのはなかなか得がたいようだ。今好んで聴いている田部京子を聴き直し、好きな小川典子やメジューエワが出てくるのを待つのが良いかも。
reddit.com でも話題になりつつ途切れているのがなんとなう皆が興味を持つことではないのねという感じ。
ともあれ、海外人士の議論を日本語で読むことができ、ネット動画で各種演奏者の録音を即座に見られるなど、王侯貴族以上の贅沢であるが、そこまで豊かになってもなお世界の戦争は終わらないのね。
田部京子様のD960。しんしんと雪降る冬の夜、闇の中にほの明かりを見出すような冷たさと暖かさを感じる。そう言えば田部様は北海道のご出身であった。
そう言えば、我が家にアファナシエフがあった。これも落ち着いていて悪くない。

世界中の弦楽器、左手で押弦、右手で発音(撥音または弓奏)が標準なのは変わらない気がする。
インドあたりが発祥ですべてその子孫なのかも知れぬ。そしてまた、撥で叩くダルシマー/ツィター系だけが例外…でもその子孫たるピアノ他鍵盤楽器の隆盛を見ればこちらが大道とも言えるのか。

Bach BWV270 オランダバッハ協会による演奏 Bach - Chorale Befiehl du deine Wege BWV 270
https://www.youtube.com/watch?v=VWEyNdu6IOw
https://www.bach-chorales.com/BWV0270.htm
マタイ受難曲で繰り返し登場する「ハスラーのコラール」。単独のカンタータになっているとは知らなかった。
この演奏、ソロとバス声部、合唱ソプラノとバス、後から内声と増やしているか?
この工夫もたいへん良い。マタイでもシンプルな和声からだんだんに複雑化していく(それがキリスト受難を見ている我々の葛藤となって伝わってくる)のが良いが、ここでもそれを再現せられているように思う。

NPR Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=sdaOtnuw-Ew
韓国のバンド。SsingSsingの衝撃には負けるかな。でも、韓国バンドは土俗性と現代性のバランスで一頭地を抜いているような気がする。
我が国でこの感じがあるのって、(私が無知なんだけれど)有名バンドではなさそう。てるりん(周辺)や高橋竹山は凄いと思っているけれど。
私が奇矯なものを追いすぎているのかも知れないけれど。
https://www.youtube.com/watch?v=QLRxO9AmNNo
SsingSsing の音楽って温度感がないのよね。色々表現してくるけれど常に乾いているし。それが不気味でもあり面白くもある。民謡風の演奏で無理に楽しそうにしているのって、聴いている方はいたたまれないのだが、そういうことがない。知的というかなんというか乾いている。
そしてまた、簡素な伴奏に、多層的な声表現。アニメ声の「あん・あん」に、女装男子?の「はぁ?」「はははは(乾いた笑い)」。
私は音楽に立体感を求めるものだが、これらの声表現だけでも「立体的」と言える気がする。
SsingSsingで検索すると、私のように中毒化してしまった日本人幾ばくかを見かける。みな同好の士だ!

我が家に録音があるスターバト・マーテル
ペルゴレージ、ボッケリーニ、シューベルト、ドヴォルザーク、ロッシーニ、プーランク、シマノフスキ

映画「ヨーロッパの開放」
R.シュトラウスを演奏する関係で最終章を見直す。
焼け野原のベルリン。地下壕では現実逃避でワルツを踊り乱痴気騒ぎをしている。ドイツ必敗は明らかであり、もはや何のための戦闘であるかわからぬ。それでも戦闘を止めさせぬヒトラーおよびナチス幹部。
現政権も同じ。中東からの石油が途絶すれば、エネルギーもプラスチック製品も作れず、医療が止まる。イランと交渉すれば石油が入手できるのに、交渉しない。緊急事態だからと改憲する布石、と読むのが正しいだろう。
私は改憲反対派ではないのだが、こんな現政権に改憲を任せて良いとは全く思えない。
ソ連とともに東部戦線で戦った自由フランス空軍があることを初めて知った。「ノルマンディ・ニーメン」。私の自由フランス空軍への興味は、サン=テグジュペリ関連でしかないのだが。

トルコ時代劇オルハンドラマ。
主人公オルハンの奥さんは Nilüfer Hatun 。あれ?ホロフィラではなかったっけ、と思いきや、ホロフィラが改宗/結婚で名を変えたという理解で良いらしい。
Wikipediaには Nilüfer Hatun の項があり、キリスト教徒だったことや、ホロフィラがビザンチン貴族の娘だったかなどにも言及がある(素晴らしい)。ドラマも相応に史実に沿いつつ若干適当に都合の良い説をとっているみたいね。
ドラマではビザンチン貴族の女性アスポルチャと鞘当てをバリバリしているが、それも歴史上あり得たかも・・・というのも興味深い。正直チャンチャンバラバラにも飽きてきたのだが、こういうのがあるとちょっと見てしまうよね。
記憶喪失のビザンチン帝国騎士フラビウスとトルコ人王族子女ファトマの許されざる恋とか、正体不明のドゥルスンとファトマの妹ハリメのツンデレ恋愛など胸熱展開でイイ!今回は恋愛要素で攻めて来るのね。
なおなお、この辺りを調べるとトルコのニュースサイトに繋がり、それも日本語翻訳して読めてしまうので驚く。
第16話。いつもながらにトルコの素敵な風景である。が、59分のところで、森の外を自動車らしき白い影が通り過ぎていく。
https://www.youtube.com/watch?v=Bp2BKofVuVk
イスラム教徒のカッコいい男性(または女性)にキリスト教徒がホレて改宗・結婚するというのはアラビアンナイトにも出てくるパターン。その際のキリスト教徒全般の描かれ方はなかなかヒドい。まあ、十字軍のやったことを思うと印象が悪いのも仕方がないかな、と。
第17話。みんな大変!(そうでないとドラマにならないが)。まさかフラヴィウスが死んでしまうのか!「神はない」と発言して驚いたが「アラーの他に」の字幕を私が見落としたな。
第18話。フラヴィウス存命。まあそうだよね。そうでないと困る(誰が)。フラヴィウスが意識を取り戻した時の音楽が、いつもの「イスラム教の動機」。荘重でなかなか良い。で、フラヴィウスの上司でもあったアスポルチャも感動しておる(イスラム教帰依のきっかけであろう)。
アスポルチャとオルハンもツンデレ系だね。請うご期待。

Jeeves & Wooster の動画、もうちょっとジーヴズが年長でも良い、と思っていたけれど、そもそも Fry & Laurie という喜劇コンビでやっているのか。それならそうなる。

世界最小の自動車P50.
https://www.youtube.com/watch?v=dJfSS0ZXYdo
BBCの自動車番組TopGearを見つけたのはこの動画からか。一般的な自動車に興味がない私なので、こういうきっかけでもないと自動車番組には行き当たらない。
TopGear "Mum Run" 。一般市民のための一般車両の試験ということで、いつもの車好き三人衆ではなく、その母達が競争。
と言っても、「エンジンをかけ、ラジオを調整して発車」のような「一般向け」試験なのが面白い。
Mum Runと言う言葉も一般的らしい。「ママさんランナー」みたいなのか(いささか陳腐な表現と感じるけれど)。
”Rover James” がまたヒドい。「イギリスの晴天」もヒドい。

孤独のグルメ
古い回。脇役が喋るが台詞棒読みの大根役者で微笑ましい。それが問題になるようなドラマでもないけれど。
一方、松重豊、田中要次、大杉漣、志賀廣太郎、角野卓造らは至芸といって良い自然さ。それ以上の有名役者は「濃い」。
この演技の「濃さ・薄さ」を役者同士でどのように合わせに行くのか全くわからない。

超音波カッター。工作用のものが1万円以下で買えるとか。
ミルフィーユを切るのに使えると嬉しいな(それは別だろうけれど)。
なんとなく動作原理は簡単そうなので、価格はもっと下がるのではないか?こういうのは普及すると安くなるからね。

MS-Excel でグラフを作成すると、縦7.62cm、横12.7cmが初期設定で作られるらしい。
この数値の並び記憶にある、と思うと、7.62mm, 12.7mmという機関銃の標準的口径だ。
(昭和の頃小学生だった者は、7.7, 12.7, 20mmが第二次大戦期の日本の戦闘機等の機関銃口径だったと諳んじている)。
すなわち、3インチ(0.3インチ)と5インチ(0.5インチ)のようである。
そもそも未だにポンド・ヤード法を使っていること自体「野蛮国」の象徴と思われるが、こんなところにもポンド・ヤードがあるとは!恐るべしMS。そしてまた、ポンド・ヤード法は、12インチ1フィートのように分数的扱いが多いと思っていたが、こんなふうに十進的小数点も併用なのね(こんなふうに不統一だからさらに野蛮だと感じるのだ)。

台湾の「借問站」(案内所)
借問てば詩語乃至禅語だと思っていたよ。で、無意味にちょっと嬉しくなる。
李白が流鶯に「こころみに問う」んじゃなかったっけ。

ロケット打ち上げ失敗。落ちながら回転している(タンブリング)をダンプリング(すいとん)と読み違う。愚かな私。
タンブリングはトランポリンや体操の技の方が一般的で、きちんとした説明は防衛省の用語集に。

ネットで「ベニヤのステーキ」なる語を見る。「ベニヤ合板」かと思いきや「紅屋」という屋号だった。

小説の題になっている「四維街」をネット地図で検索する。
台湾にはあちこちにある。もしかして「四丁目」みたいなのかな?それぞれの地のストリートビューを見たりする。
面白い。「鉄板焼」「涮涮鍋(しゃぶしゃぶ)」といった文字列も愉快。
「夜総会」はナイトクラブだそうだ。

飯田線周辺をネット地図でうろつく。
伊那地方における典型的な民家(昭和以前のもの)を探す遊び。そしてまた、井上井月の句碑なども。
改めて見るに、飯田線は曲線が多い。資金力に乏しい民間による敷設だったため、トンネルを掘らないため、あるいは、鉄橋をできるだけ短くするため、山を迂回し、谷を遡るため曲線が多くなったと聞くが、まさにそのとおり。紙の地図ではなかなか確かめられなかったが、ネット地図であればいくらでも拡大できるし、画像(衛星・地上)も見られるので、曲線や地理条件の有様もよく分かる。面白い。結局典型的民家はなかなか見つからないが楽しい。

アメリカとイスラエルがイラン(その他の国々)を攻撃
驚く。酷いことだ。イラン政府が人民を苛めてアカンとしても、武力攻撃はアカンだろう。しかも非戦闘員(小学生女子)を殺している。
そんなことが許されるはずもない。アメリカもイスラエルも権力者の権力維持のためだけに戦争をしていると感じる。
ウクライナを侵攻するロシアも同じ。人殺し国家。
「現実主義」の名の下にそんな国々の後追いをするのは庶民として悲しい。
高官を粛清している中国習政権の方が遥かにまともに見えてきた(香港の脱民主化で酷かったのは忘れないが)。
でもって、そんな国際的難事が起こっているのに石川県知事選挙の応援に行く首相って。国事の放棄ですか。 この方には早々にお辞め頂きたい。こういう人を辞めさせない「自由民主党」の諸氏も無責任極まりない(そもそも総裁に選んだのがアカン)。
しかし、アメリカは世界を不可逆な時代に引きずり込んでしまった。
これまでは露中が「反民主主義」で「独裁者の国」であり、米欧が「民主主義」で対抗してきたが、単純に力で対応しているに過ぎないことになってしまった。仮に米国の次の大統領が(オバマのように)まともな人物だったとしてどのように過去を精算できるのか。そしてまた、民主主義と独裁という軸のある世界に戻ることももちろんできない。
日本は最大限曖昧化してとにもかくにも「敵を作らない」戦略しかないと私は思うのだが、このまま扈従的対米追従を続けるのだろうか。
私は政治的主張をしているのではなく、庶民感情に基づく義理人情を述べているに過ぎないと思う。

詩人パブロ・ネルーダのWikipedia記事を読み、「ニクソンサイド」なる言葉を知る。
Nixon+genocide で、ベトナム戦争における虐殺批判の意とのこと。
ストラヴィンスキー>>文化自由会議(CIAの反共文化機関でネルーダへの対抗キャンペーン実施)>>ネルーダ、と連想。

私は自分のことを右翼(たぶん極右)だと思っている。
若い頃アジア人留学生と付き合うことができ、国は違っても人情は同じであると感じることができたし、それぞれの国に成り立ちがあることも感じた。
よってして日本の成り立ちも大切にしなければと思ったからであり、以来、万葉を初めとする日本の古典に触れたり、縄文以来の歴史を学び、近代の失敗についても悲しみつつ学ぶようにしている。そしてまた、我々の先祖がそうして来たように、日本以外の東アジアについても多くを学ばねばならないと信じている。
それ故、排外的「日本だけが素晴らしく他はアカン」という考え方には一切与しない。
小学生の時、町を隔てる川に行って「隣町の奴、バヤカロー」と石を投げ(どうせ届かない)以来、そういうのは卒業した。
そしてまた、日本のアカンところはアカンと言うことも愛であり、大切だと思っている。
とは言え、残念ながら現代の流行りの人間ではないね。

と思っていたら、収益性の低い博物館・美術館は閉鎖するという文化庁方針の報道があった。
もう我が国は文明国であることを止めるのか、と悲しむ。「貧乏なので文明国であることをやめます」と言うならばまだ「正直」と思うけれど、軍事費を倍増しておいてそれはなかろうと思う。今後人口減少下にあっておそらく戦争はどんどんしにくくなるだろう。「するならば今のウチ」という心もあるのかないのか。
そして貧乏国であっても教育に投資するのが将来のためと言うものではないか。そこに博物館・美術館は必要ないのか?
私見では、昭和生まれの我々より平成生まれの若い人たちの方が画力は格段に高い。子供の頃からきれいな絵を見慣れている(絵本然り、アニメ然り)。そういう豊かさのひとつとして美術館があるべきではないか。もちろん博物館・科学館も同様。こうしたものを大事にする社会であるから、美術家や研究者が育ち、新しいものが作られていく活気ある社会ができる。それが大人の知恵というものではないのか。

ネットの占い(もちょっとそれらしいが)が、私に似た人と言ってくる人々。
 レオナルド・ダ・ヴィンチ=アイデア倒れですべてが未完成
 マリー・キュリー=放射線防護せず実験し癌で死亡
 シャルル・ド・ゴール=フランスの高慢な軍人
 ナイチンゲール=臨床看護師に見える統計家。この中では一番まとも?結構ブリブリ怒っていたような気がする。
 ファーブル=私の好きなタイプだが、常に貧乏。貧乏を脱して学究生活に入ることを夢見つつ生涯貧乏。
まあどれも好き好きはともかく、どなたも平衡を欠いていて幸せには程遠い。「似ている」と言われたくないタイプかも。
https://work-personalities.com/results?type_code=INTP_INFJ
この占い(ではなくて)仕事診断の「似た人」には東洋人は出さないのだろうか。そもそも英米辺りで作ったシステムを日本語化しただけなのだろうか?
ところで、「方丈」というのは、「理性が認識できるごく狭い範囲」の比喩と聞いたことがある。そして「方丈」の外には理性を超えた森羅万象があることを含意しているとも。
東洋思想の徒であるならば、認識の範囲はごく狭いという態度はむしろ常識的とも思う。私としては「老荘」や青蓮居士謫仙人李太白に似てると言われたいのだが(孔子は好かん)。これら思想家・詩人は「仕事」ではなく「生き方」であるかも知れず。
マップで最も近そうなのが「政府規制関連準専門職」だったのは笑った。

「時定数」
一般には「じていすう」だが、JISでは「ときじょうすう」だと初めて知った!
「天満効果」。吉松隆の交響曲などに言及する優れたサイトを見つけたが、時々誤字が。
「天馬効果」のことですね。「天満効果」だと、なんとなう大阪風に思える。
そういう自分も「北海道大学低音研究所」としていたね(楽しい)。

もしかして、AIに「●●国を攻撃し、政府に敗北を認めさせる最善手は?なお、当方の現有戦力としては●●国軍相当とする」と尋ねると答えてくるのだろうか?
なんとなくではあるが、民生AIは「答えられない」と答え、軍事用・研究用にそれっぽいデータを食わせたAIならふつうに答えて来るだろう。
もちろん、答えを求める以前に食わせるデータが十分であるかによって、有意義な答えかは決まる。
おそらくはあまりに多くの因子が絡み合った社会動向に関してAIが学習するに足るデータ(あるいはパターン)が得られていないので、あまり意味のある答えが出てくるとは思い難い。が、その確信があるわけではない。

Cocologのアカンところ:
スマートフォンで見ると広告だらけ。しかも見たくないようなタイプの広告。
Google検索・Being検索にかからない。自分の備忘として困る(美貌じゃないよ)。
Markdownが使えるのは良いが、デフォルトとして固定したい。毎回ボタン押すのは面倒。

で、Noteへの移行を検討すると:
Cocologからのエクスポート・インポートをこまめに繰り返せばできそう。一括はできない。エラーメッセージが不親切だが、何らかの容量制限であろう。
文字列主体なのであまり困らないが写真の移行は面倒。
行間に空白が大きく入るタイプのデザイン。Cocologであえて空行を入れていると開きすぎる。
インポートされたデータの日付が2014年4月7日12:00以前の日付の場合、2014年4月7日12:00の日付でインポートされる。2004年からBlogを書いている身には困る。
Bloggerやはてなについても調べるか。まあ、暇になってからで良いし、暇になった頃には移行する意欲も減退している可能性があるね。

Tomix C55を買う。
スポーク車輪が良いと思って買おうか迷っていたが、密閉式キャブや火の粉止めがない方が良いし、と思って見送っていた。
一方、好きなC51の上回りを3Dプリントで供給してくれそうな方がおられ、下回り用として1台を中古で確保した。
走行性能、プロポーションは良い。密閉式キャブや火の粉止めは、走行させている分にはあまり気にならない。
ただし、スポークが抜けていないのが残念。走らせた部屋があまり明るくないこともあるが、繊細なモールドのスポーク車輪は、ほとんど平盤同様に見える。KATOの8620で「向こうが透けるスポーク車輪」を見てしまうと贅沢になるね。
しかもC51に改造したところで、スポーク車輪はそのままだ。塗装タッチアップでスポークを強調することも考えてみるか(考えるだけで終わる気がするが)。ドイツ国鉄のように、赤スポークなら・・・と言ったところか。

米デスヴァレーで10年ぶりの「スーパーブルーム」
トランプ政権の聖性を寿ぐもの…という言説に結びつかねばよいが、と思いつつ見る。
笹の花は不作の年にこそ現れるのではなかったかな?
私は一度笹の花を見たことがある。小学校の裏手の日陰で。昭和50年ごろ。

ジュール・フェラ 科学イラストレーター、ジュール・ヴェルヌなどの挿絵でも知られる。
たまたま甘汞について調べていて出てきた。非常に見やすいイラスト。
子供の頃、社会科読み物で「チーズ製造方法」など読んだ。あの頃、写真掲載が難しかったので、イラストが掲載されていたが、フェラの繊細さに比べると大変簡単なものだった。そう言えば、甘汞の話は小学校の同級生から聞いたのだ。賢く物知りの友人。どうしているやら。
フェラが寄稿していた「ジュルナル・デ・ヴォヤージュ」も素敵。現実と空想の双方を記した雑誌!
ヴェルヌ「皇帝の密使ミハイル・ストロゴフ」もこの方の挿絵。熱血愛国冒険小説てな感じでSFではないのだが、スピード感もあって、昔々楽しく読んだ。シベリアにおいては積雪・結氷期の方が高速で移動できるというのもこの書で知った。そう言えば、昔の「社会科読み物」には、林業説明ページもあって、山間地では積雪時の方が下草を気にせずに済み作業しやすいなどとあった気もする。そしてまた「木馬」は「きんま」だ。
2019年の林野庁パンフレットを見ると「修羅(しゅら)、木馬運材及び雪そり運材は、現在、林業の現場でほとんど使用されていないことから、修羅による集材又は運材作業、木馬運材及び雪そり運材に係る規定を廃止します。」と出てくる。「修羅」てのも凄い名前であるな。

藤森商会 (帯広市)がWikipediaトップページに現れる。
そうか。帯広の「インディアンカレー」も駅前の食堂「ふじもり」も同じ会社の経営か。
つまり、私の帯広訪問では、結局、昼食・夕食とも藤森だったのか(後悔はない)。
どちらも、なにか温順で善良なお店だった。気軽で親しみもある一方、少しの贅沢・特別な感じもあって非常によろしい。また、帯広に行きたいものである。どうせなら冬がよかろうか。
ついでにエスタ帯広についてWikipediaで読んだが、殺伐とした記事であった。無念。

Wikipediaを見ていて、K、C、F以外にも温度指標があることを知る。
ランキン、ドリール、ニュートン、レオミュール、レーマー。なるほど。

チュルリョーニス展(上野)、ラダ展(伊丹)がある。行きたい。
チュルリョーニスは演奏会がある日もある!ラダは伊丹以外ないのだろうか?

爪やすり、紛失して数ヶ月。岩波文庫に挟まっていた。読まずに放置していたのね。
昔、空港の手荷物検査で「細い棒状の金属製品」が探し出せず手間取った(手間取らせてしまった)が、この時も爪用に使っていた金属やすりが文庫本に挟まっていたのを失念していたため。
今回は、再読し始めて、出先で「なんか紙の栞でもないものが挟まっておるな」と見つける。

三夕のうた
「心なき」はすぐ思い出せるとして、「見渡せば」が次に浮かぶ。で、三つ目がわからん、と思い。いつもの「あ・い・う」法を試みるに、「みわたせば」の次の「む」、と思ったところで「むらさめの」が即出てくる。なかなか素早い!。
 心なき身にもあはれは知られけり鴫たつ沢の秋の夕暮
 見渡せば花ももみじもなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮
 村雨の露もまだ干ぬ槇の葉に霧たちのぼる秋の夕暮
まあ西行のうたの、特に上の句から下の句に向かって深まる強い寂寥感に比べると「花ももみじも」とか「霧たちのぼる」とか穏やかなうただよね。

で、ボケ防止にと「あ・い・う」と始まるうたを思い返すが、「え」で詰まる。悲しい。
「あひみての後の思ひにくらぶれば」あるいは「あまのはらふりさけ見れば春日なる」「あはれわれあまたの春の花を見て」「あはれ見し乳房も今は忘れけり」「雨混じり雪降る夜の」(長歌)、「いのちあれば今年の秋も月はみつ」、「うれしきは君に逢ふべき契りありて」あるいは「うれしきは常に好める焼き豆腐」。
なお、多少の誤りは気にしないことにしているが、上の句と下の句が実は食い違っているほどの大きな過ちがあるかもと思わぬでもない。
もちろん、調べれば「え」で始まるうたなどすぐ出てくるだろうけれど、ここは不効率を尊ぼう。

桜餅
時々行く和菓子屋さん。桜餅かおはぎか迷う。
家族で食べるのは夕食後だから、夕食前にひとりでもう一個食べるという悪いことを思いついた。
ゆえに、おはぎ4つと桜餅1つ。おはぎだけ包んでもらって、桜餅は「なかったことにする」から「そのまま」で。
悪いことは楽しい。こんな「悪いこと」は特段他の迷惑にならぬのだからよかろう。
もちろん甘いものを自由に食べられない方もあるから「こっそり」行う前提ではあるけれど。
若い頃、愛好していた「みどり園」に似ているのが良い。
こういう好みはなかなか難しく、高級すぎてもアカンし、庶民的すぎてもアカン。
和菓子屋さんは世の中にたくさんあるが、なかなか好みに合うところはない。まことに仕方がない。(が、先様のご商売を考えると「難しい」のだろうなと思ってしまう。私の好みが狭いこともあろうけれど、世の中の様々な好みに合っていなければやっていけないだろうし、私の狭い趣味に合ってしまうと世間から遊離しそうにも思えるし)。

若くして亡くなった方の話を聞く。
理由もなにも知らないけれど、悲しいことである。
(後に感染症であると聞く。若いのに。若いのに)。

Continue reading "読書の記録(2026年3月)"

| | Comments (0)

読書の記録(2026年2月)

四維街一号に暮らす五人 楊双子、三浦裕子
私の中で最近流行している台湾小説のひとつ。思った以上に面白かった。
偶々柏市の「ハックルベリーブックス」に行って、偶々買った本であるけれど、寝ずに読んでしまった。
キャラクターが際立っていて日常生活でありながら話自体が面白い。そしてまた謎解き。全体の流れとして少し無理はあろうけれど、読ませる小説と思う。
台湾人とひとくちに言っても様々な来歴の人々がいるということ。民族的にも台湾原住民も複数あり、中国から来た人々も(広い中国のこととて)様々な文化・言葉を持った人々がある。それらについても言及されていて面白いものであった。
例によって日本が植民地支配していた話は出てくるが、さらりとした扱いではある。
少々不思議な筆名についてもあとがきで説明があった。なるほど。
三浦裕子氏の翻訳は注も含めまったく違和感のないもの。一点だけ要望するならば、人名だけでも漢字と読み仮名の一覧を作っておいて欲しいところか(翻訳の問題ではなく編集の問題であろう)。人名のルビもうるさくない程度に繰り返しつけているのは本当にありがたいが、私の記憶力では不足するのである。本文の内容に触れない一覧も作れるのではないだろうか。
(深夜二時これを記す。年度末の繁忙期に困ったものである。が、そういう読みたい本があって読めることの有り難さには筆舌を尽くし難い)。

ラカテドラルでの対話 バルガス=リョサ
上巻末尾あたりから物語が動き出し、記述の単位が少し長くなって読みやすくなった。
それでもしばしば「画面の話者が誰かわからない」「現実なのか想像なのかわからない」ところがある。映画的と言えば映画的。
私のように明晰を好む者には少々凝り過ぎと思われるが、これはこれでペルーのひとつの世代の断面を総観していて興味深い。
「ラクロニカ」というのもおそらくは「年代記」を想起させる装置なのだろう。
となると「カテドラル」も気になる。堀口大學であれば漢語「大伽藍」を当てそうだ。
政治的権力者、行政内部の影の実力者、その部下たち(実行部隊)、実力者の愛人、その女中、経済的実力者、運転手、息子たちなどなど。多様な人々の織りなす「年代記」。
「緑の家」「ラカテドラルでの対話」と来て、「世界終末戦争」も手元にある。「フリアとシナリオライター」も読んでみたい。南米ものはボルヘス、カルペンティエールあたりを読んできた。最近、台湾・韓国文学に興味があるから、南米はそろそろお休みかな?

黒部の山賊 伊藤正一
先月「少し看板に偽りあり」と書いたけれど、最後まで読んで、書いている伊藤正一氏も含め、登場する人々は「山賊」と言うに(言われるに)ふさわしいのではないか、と思った。
それぞれの記述は比較的淡々としているが、その積み重ねを読んでいくと想像外のことがたくさん起きていることに気づく。何度も読み返したい書である。
そしてまた、松本出身であるとはいえ航空機技術者であった伊藤氏がなぜ山小屋経営にここまで貢献されるようになったか、もう少し理解したいと思った。

はじめてのボローニャ スズキトモコ
国際絵本祭り(?)参加報告だが、お洒落できれいな絵本調なので、楽しく読める。
そういう『出版』とか『売り込み』に無縁な私にとって、この書はSFと同じではあるのだが。

北恵那鉄道・東濃鉄道 清水武
東海地方の廃線。なんとなう買ってしまう。これらの鉄道は見たこともなく乗ったこともない。
小学生だった頃、木祖に行く高速道路を走るバスの中から、鉄道廃線跡を見かけたことがあり、当時そんなことを調べることは出来なかったので、長年気にしつつも忘れかけていた。あれがこれら鉄道のどちらかではなかったか、と思うのだが、それまた確かめる術もない。
北恵那・東濃ともに高速道路と交差する側に向かっていないので、おそらくこれらではないだろう。結構な急曲線だったように思うけれど、軽便鉄道っぽさはなかったように記憶する。あまりにも昔のこととて定かではないけれど。
地域社会が投資してでも鉄道を敷設し、土地の産物を出荷しようとしていた時代があった。その後、流通は自動車に移り、世界的な流通の拡大・競争の激化もあり、地域の高齢化・過疎化が進んでいる…ということか。私は鉄道を通じて近代社会史のイメージを持っている(ような気がしている)。さて、世間の人々はどうなのだろうか。
しかしながら、名鉄を始めとする東海地方の鉄道情報について多く書いている清水氏が名鉄関係者であったことは存じていたけれど、名鉄グループである北恵那鉄道にもご関係されていて、だからこそのご著書なのね。それもまた感慨。

逃亡くそたわけ 絲山 秋子
私は日本の現代小説をあまり読まないが、書店アンダンテで地域別の棚にあったので。また、私は名古屋に縁があったので、名古屋弁風の表題に興味を持って購入。
この書は九州が舞台。「くそたわけ」はおそらく名古屋弁。さて、どちらの棚にあったやら。名古屋(東海地方)であったように思う。
現実世界(らしき舞台)が登場すると、つい「これは正確なのか」を考えてしまう。あまり素敵な読書の仕方ではないね。
軽く読むには悪くなかった。また近年の小説というものが少しわかった気がする。この小説は映画化されたとのことだが、九州各地を舞台とする「ロードムービー」とでも言えよう。
そういえば現代日本小説は柚木麻子氏の「らんたん」以来かも。

僕は、そして僕たちはどう生きるか 梨木香歩
岩波のウェブ漫画から。読んでよかった。いわゆる物語性のある小説としてというよりも、小説の形を借りた文学的エッセイに近いかも知れない。
テーマ、記述双方に非常な誠意を感じる。参考文献を明確に上げている点も。
私も自分の人生について考えざるを得ないことがしばしばあり「小説もどき」に筆を染めることなきにしもあらずだが、梨木氏の誠意があれば、私の半端な愚痴などなくもがなとも思う。
漫画もきちんとした出来であり、読む価値が十分にあると思うが、私自身の一般的方針として「原作があるなら先に読むべし」としているので、原作があると(遅まきながら)気づいた時点で小説を読んだ。
現代日本小説を自分が続けて読むとはなかなかおもしろい。基本的に私の趣味は「遠くに行くこと」にあり、読書においても同様なので。

侍女の物語 マーガレット・アトウッド
トランプ政権への抗議でこの小説の「赤い衣装」を着る人々がいるということで読んで見る。
冷え冷えと乾いた文体がそれらしい。SFというよりはディストピア小説。私がお楽しみで読む種類の本ではなく、義務感で読む本でもない。少々不思議な感覚であるが、読めることは読めるので読み進めている(詰まらない、とは感じない)。
私は「遠くへ行く」を小説に求めており、不可思議と解明は大切である。一方、不快を小説のテーマにするのは好まない。不快は日常生活で十分味わってきたし味わっているのだから。そういう個人的嗜好はもちろん作品の本質には関係しない。
そしてアトウッド自身はカナダ人なのね。だからといって舞台がカナダであるということではないにせよ。
ところで、なんとなう主人公の造形をジャクリーヌ・デュプレで考えてしまう私。私の「白人女性」像はほとんどジャクリーヌとバイオニック・ジェミー(地上最強の美女)くらい。(「地上最強の美女たち!」と複数形かつエクスクラメーション・マークが付くのは「チャーリーズ・エンジェル」。強い女性が人気だったのかしら)。
終わり方が続編を強く意識させてすごい!これで「逃げた」で終わっても続編は書けないし、「処刑されました」でも成り立たない。相当色々あるので、そうに違いない!ということだろう。
この書を読んでいて最も感じるのは「視界の狭さ」「情報の少なさ」。読者に与えられる情報は限定されているが、それは話者=主人公の持っている情報の少なさによる。そして、この世界において、主人公たち「侍女」が持っている情報が非常に少ないのは、意図的に行われている。
我々の自由・民主主義において「情報=知る権利」がいかばかり大切であるか(個人の意思決定・社会の意思決定の両面で)を思い知らされる。だからこそ、トランプ政権への批判に「赤い侍女の衣装」が使われているのだ、と思う。さて、我が国では?
続編「誓願」を読むかどうかは考え中。
偶々柏市に行く機会があり、後半は往復の車中で読んだ。それがため、私の脳内ではこの物語の後半部の風景が柏市になっているかも知れぬ。

私のものではない国で 温又柔
この方の本として2冊め。1冊めは、私自身に無関係な外国籍の方の「お話」として共感はありつつも「他人事」としての軽さで読んだ。
こちらは、私にも大いに関係のある「国」の話として悲しみつつ・驚きつつ・共感しつつ読んでいる。
2023年刊行とのこと。私は2026年現在の排外主義の猛威に驚いていることから、この書の指摘にもうなずくことが多いが、2023年時点でこれを読んでいたら意外だと思ったかも知れない。あの頃はまだ排外言説を「言論の自由の一部」「大人がわかってやっている言葉遊び」くらいに甘く見ていた。

数理のめがね 坪井忠二
昔昔の物理の教科書・読み物を眺めたことがある人間には懐かしい坪井忠二の書。彼の専門は地震学であって、どちらかというと物理のような普遍学よりも個別的知識に寄りそうな気もするが、情報が少なかった時代でもあって、非常に抽象的推論に基づく物理っぽい感触がある。
全ての話題に追随できるわけではないので、自分に関心のあるところのみ拾い読み。まあ、「こういう格好良い本を読んでいる自分」でありたいので、難しすぎない叙述がありがたい。「平均速度」の話など、統計流行りの世の中(もっと進んでAI流行りか?)にあって啓示に富んでいるように思う。
世の中の統計・AIは「中身の難しいのをすっ飛ばして相関関係だけで済ませる」風情がある。そういうので行くとどこかで必ず行き詰まりますよ、と言っておくのが正しいだろう。どこでどう行き詰まるかはわからないけれど。

日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実 吉田裕
前書きからして興味深い。そしてまた、こうした書を見る都度思う大日本帝国(陸海軍)の粗雑さ。国力の認識に著しく欠けた状態であり、「これで戦争に勝てるつもりだったのだろうか」と思わざるを得ない。
最初の20ページほどがアジア・太平洋戦争の略史になっており、たいへんありがたい。そしてこの部分だけ読んでも、アジアの死者1900万人という数に慄然とする。この人数を見ただけでアジアの各国が忘れようはずもないと感じる。

イグアノドンの唄、球皮事件 中谷 宇吉郎
青空文庫にあるもの。いつもながら中谷の随筆は読まざるべからず。面白いものであった。
中谷宇吉郎が北海道大学低温研究所を退職して作った中谷研究室プロダクションが岩波映画製作所の前身と知る(1951年設立らしい)。
私が好んで見る科学映画「雪にいどむ」(1961年)は、日映科学作品ということで、まるで中谷とは無関係であるな(一瞬、関係があるかと思って確認してみた)。
球皮事件は師匠寺田寅彦の飄々としつつも信念と能力を感じさせるスケッチ。イグアノドンの唄は敗戦日本の一情景。私が最近提唱している「敗戦文学」の入門向け短編として重要。

めんそーれ!化学 盛口満
軽い題名だが、沖縄の夜間中学について書かれた冒頭から度肝を抜かれる。
以前から読みたいと思いつつ、なんとなう買わずにいたが、某書店で長居して何も買わずに出るのはアカンと思い購入した。
が購入して良かった。古い生活の知恵・戦争をくぐり抜けた先人たちの苦労が端々に溢れ、感動した。
文章はこなれていて読みやすいものの、も少し編集がツッコんだ方が良い所もあると思った。
 p-vii:カギカッコの中の動詞を修飾する語がカギカッコの外にあると、カギカッコ外の動詞を修飾しているように見える。
 p132:デンプンの「分解」。後段で説明されるが、人体内で行われる分解と人体外で微生物により行われる分解があまり説明なく併記されるので、読んでいて戸惑う。
 p167:TNTとトリニトロトルエンの関係(この2つの単語が同じものを意味していること)が明記されていない。
ともあれ、こうした「サバイバル科学」のような授業を意図的に構築する必要があるのではないか。学校教員が学校教育のみの再生産(劣化コピー)をし続けている状況になってはいないか?などとこの書からはみ出して世間一般のことを考えてしまう。
同日、BookOffで見つけた「免疫学の巨人イェルネ」買わなんだ。ううん。少し後悔。でもねえ、己の専門性で読める気がしないので。こういう専門っぽいけれど専門の中心的でない書物はつい読めそうな気がするし読みたくなるよね。

世界の食卓から社会がみえる 岡根谷実里
以前からTwitterで見かける方。世界の様々な人々の「食」を軽やかに書いており、軽く読める。のではあるが、堅いデータをさらりと挟み、宗教にも言及し、非常に考えさせられる。書き振りこそ「軽く」書いているように見せつつも、誠意あるものと感じる。良い本ではあるが問題点があるよと軽く書いて繰り返していくのがだんだん苦痛になる。
「僕は、そして僕たちは何を食べて生きるか」と書きたくもなる。今この瞬間は、「昨日と同じ食事」で良いかも知れないが、円の価値の低下、温暖化、国内農業の衰退、漁業資源の枯渇等様々な社会事情を考えると、「昨日と同じ食事」が今後も食べられる保証はない。
関連情報:私がジャイナ教について初めて触れたのは、妹尾河童氏の「河童の覗いたインド」。この本で、インドの列車中で提供される食事は、チキンとベジタブルの2種選択だと読んだ気がする。
野菜だけなんて・・・と思うところだが、以前、日本国内のカレー屋さん(インドの天才料理人(と私が思う方)が経営)で野菜カレーを食べて以来、全面賛成に鞍替えした。じゃがいも、人参などもそうだが、季節により冬瓜、苦瓜、オクラ、蓮根等が入ったカレー・・・(書いているだに食べたくなってきたぞ)。
また、トルコ料理の「メゼ」は、多くが野菜(加えてチーズとヨーグルト)だと思う。と言って、単調な食べ物ではなく、多彩で濃厚な味わいが楽しめ、初めて食べた時に感動した(その後何度食べても感心する)。禅寺の料理が胡麻を多用して油のコクを補うのとも通じるかも知れない。これらを「将来の食事」の出発点として考えていく必要があるだろう、と思っている。
ちなみに、私は、「ふだん食べている食材がとてつもなく美味しく料理されている」ことに非常な驚きと尊敬を感じる人間だ。
特別な食材から特別な味がするのは当たり前である。ふつうの食材から思いもよらぬ超越的な味がすることこそが驚きであり、そこに料理人(あるいは民族)への尊敬が沸き起こる!(とこういう話を書いているとコーフンしてくる。)
アフリカのパン食について書かれているが、以前、アフリカでパスタ依存になった国が新聞で紹介されていた記憶がある。やはり外貨不足になっていた。どこだっけ?

たくさんのふしぎ 青函連絡船ものがたり 宮脇俊三、黒岩保美
こんにゃく座「歌え!比羅夫丸」に行ってから我が家にあったのを思い出して読み直す。
青函連絡船終焉期に描かれた本なので、車載前提であったりするけれど、歴史にもきちんと言及していて、比羅夫丸の絵もあるし、米軍による青函連絡船壊滅についても描かれている。
黒岩の絵はもちろん正確無比にして美しく格好良い。あえて好みを述べるならば、戦前の函館発稚内行きの連絡列車を黒岩に描いてほしかった。まあ、「御殿場線ものがたり」でC51、D50、EF10等が描かれているので、それ以上を望むべくもないのだけれど。

たくさんのふしぎ 世界でくらすクルドの人たち 金井真紀
国なき民として知られるクルドの人々。新春ネウロズ。私はオマル・ハイヤームのペルシャ語方面から入っているので、ノールーズの音に親しみがある。が、似たようなもの。そしてまた葡萄の葉で巻いたドルマもちょいちょい食べるもの。親しみがある。
川口市にいるクルド人はおよそ2,000人とのこと。思ったより少ない。これくらいで騒いでいるのはちょっとなんだかな。

ヒゲの画伯ごはん帖 梅村由美・山口晃
同年代の者なれど、自分と大きく生活が異なって驚く。まあ、引きこもりのような私と仕事で全国を飛び回る著名人の生活が同じはずもない。
ある種SFとして読んで面白い。まあ、他人様の生活を覗く趣味が良いとはあまり思えないので、こそこそ読む感じにはなる。
お二人には一度もお会いしたことがないながら、昔から絵を見たりしているので、なんとなう他人という気がしない(失礼)。

話題になっている週刊文春を買ってみた。
短い話題が切れ切れに書かれているのに慣れておらず、読みにくかった(記事の内容はなかなかだが)。
「収監分旬」という変換も面白い。

面白そうな本のメモ
 ゲは言語学のゲ 吉岡 乾
 ある言語学者の事件簿 ジョイ・谷
 「暮し」のファシズム ――戦争は「新しい生活様式」の顔をしてやってきた 大塚英志
「きちんとお金を払ってまともな本を読む」が私のできる数少ない義勇かも知れぬ。とは言え、先日誤って買ってしまったヘイト出版社のヘイト風味が隠された「日本スゴイ本」をどうすべきか(焚書坑儒が頭をよぎる)。

「吉田初三郎 日本全国鳥瞰図集成」国書刊行会
さすが、「鈍器」を超えて「重機」本だね。重機のように重いとも、重機がないと動かせないとも。
1巻が9万円。あと2冊来るらしい。

古書店の店頭百円棚にて「森亮訳詩集 晩国仙果 Ⅰ イスラム世界」を見つける。ルバイヤートも入っているので、当然購入。素晴らしい。
我が家にはどれだけルバイヤートがあるのか?(そしてどれだけ読んだのか?)フィッツジェラルド英訳があって読めていないのは当然としても。

古い鉄道模型趣味誌
25号。「函館ボーニデパート」の文字がある。懐かしい!30年前函館に行った時、「ボーニモリヤ」という百貨店があった。
「モリヤ」はらく「森屋」。「ボーニ」は、家紋や旗印の類で、縦棒「|」の横に「二」を書いた「|二」を「ボーニ」と読ませるものだった。
「金森森屋洋物店」と「棒二荻野呉服店」の合併で誕生。2019年1月31日閉店とのこと。去る者は日々に疎し。

意識的に本を読むようにしているが、そうすると面白い本がやってきて、つい寝不足になりがちである。まあ、仕方がなくはある。
このメモで記している順序は、読んだ順ではない。かと言って面白い順のようなものでもない。なんとなう「人様に自慢したい順」ではあるかも知れぬ。

●雑感
下持ちしか弾かん
下持ち弓による演奏会。良かった。
私の最大の興味は、バッハ無伴奏チェロ組曲。非常に良かった。これを聴くとバッハが下持ちを(も)想定していた可能性を受け入れたくなる。
無伴奏第3番のクーラントやジーグがどうなるかと思ったけれど、むしろこの方が正解に聴こえる。
上持ちであっても、これからはこうした下持ちの可能性・下持ち風の表現を踏まえて弾いていく新しい時代が来るのではないかと感じた。
上持ちはドライ、下持ちはウェットと感じる。弓が弦と離れやすいかどうかということであろう。
これは上下持ち方の物理的問題もあるが、音を切断する・切断しないの文化的問題でもある。
そしてまた、下持ちだからこの表現というのもあれば、成り行きボウイングだから、島根氏だから、というのが重なっているのも事実。
なぜならば、私が弾いてみて「ここ弾きにくいやん(音が出にくい)」という箇所を島根氏は軽々と響かせているのだが、それなら私が下持ちにして同じ結果が得られるかと言えば(技量の上下は別にしても)「わからない」。
そしてまた、バッハの頭の中のことは直接的な記述が出てくるまで分からないし、当時のバッハ周辺の演奏者の分布が知れても「状況証拠」にしかならない。
トール・ヘイエルダールが「コン・ティキ号」で「古代人はペルーからイースター島に移動できた」可能性を証しているけれど、それは「移動した」ではないし「必ず移動できた」でもない。でもね、そういうの良いよね!
とまあ、私はバッハばかり取り上げてしまうが、キャントンの切ない音色、ガンバの暖かい音色、どれも良かった。島根氏は「色々な楽器を弾ける」のも確かだが、「それぞれの楽器の美質を輝かせる」のも凄いし、レパートリーも極大な気がする。奏者のレパートリー数を比べても意味がないけれど、ここまで多いのは「他人様の情報に依存せず、自らレパートリー開発に邁進しているから」だろう。

こんにゃく座「歌え!比羅夫丸」
人間に様々な人生がある如く、船にもまた様々な生涯がある。そしてまた人間が思う様生きられぬように、船にもまた思わぬ日々が待ち受けている。
最初の青函連絡船であった比羅夫丸の生涯を通じて楽しんだり・悲しんだりしているうちに、日本の時代の肌触りを知るオペラ。
船自体が人格を持ち、内省するのは、機関車トーマスと同じく(機関車トーマスはもっと内省した方が良い気がするが)。
こんにゃく座のこの数年のオペラは「日本とは何か」を考えさせるものが多かった。宮沢賢治、ラフカディオ・ハーン、柳田国男/佐々木喜善等など。これもまたその系譜なるもの。今回もまた日本とは何かについて深く考えさせられた。
そう言えば、無動力の「車運丸」。他の船舶はそれなりに目出度い名前がついているのに、これだけ用途が船名。ちょっと可哀想
無動力なのは、おそらく鉄道車両を乗せる機能と動力機能を当時の技術(あるいは資金など)で両立できなかったからだろう、と推測。
他の船とは違った「変な声」で受け答えするのが、なんとなう船の特性を表していて愉快。桜島丸とのやりとりも楽しい。
そして車両搭載式の新鋭船、戦時標準船など個性豊かな面々。
沖まどかさんはスコットランド出身でもなんでもイケる!これまでも、ワニ、茶坊主、ドン・キホーテなどが心に残るが、本当になんでも心を込めてできる方(指揮者沖澤のどかさんとお名前が似ていて混同してしまう)。 見た目がちょっと怖い島田さんが「キラッ」とやるから面白い。
金村さん怖い声を出すとほんと怖い。怖い蛟龍丸だけでなく、穏やかな第五青函丸で役を終えられてほんとよかった。
入江さんいつも危うい役がうまい。本人は良心的な普通の人のつもりだけれどいつのまにか闇落ちする普遍的な危うさ。誰の人生にも潜むこの危うさが傍らにあってこそ沖まどかさん演じる比羅夫丸の一貫性が光る。

してまた「連絡船」を始めとする様々な用語・概念についてもすんなり頭に入ってくるのが凄い。
(私自身は古い鉄道ファンなので、ある程度予備知識はあるんだけれど、改めて教えられることも多い。)
ちなみに、亡父によれば、ご近所の「クマベ」氏は、洞爺丸に乗船予定だったが、予定が変わって乗船せず。沈没の報道があり、家族が諦めていたところ、生還して驚かれたと聞く。これは日本結核病学会会長だった隈部英雄氏のことらしい。
また、植木等の回想録によれば、戦時、東洋大学在学中だった植木は、援農学生として北海道の農家で農作業の手伝いをしており、終戦時「もう本州には帰れないかも」と思ったという。植木のところに青函連絡船全滅の報があったのかどうかはわからないが、当時北海道は本州から簡単に行ける場所ではなかった、ということではある。

「踟蹰」ちちゅう。
青函連絡船について調べるうちに知った語。用例が「みみずのたはこと」。読んだはずなのだが記憶がない。
「余は上ろうか上るまいかと踟蹰した」なら熟語の意味がわからなくとも文意は分かるから良いのか。。。
「鉄軌」と書いて「れえる」と仮名を振るなど、昔の人は学があった。千歳村の名は、千歳船橋、千歳烏山、ふたつの駅になっている。武蔵野の麦畑や今いずこ。

J.S.Bach Trio Sonata BWV1038
https://www.youtube.com/watch?v=jcpQhFVSZ-g なかなかいい曲なのだが、演奏があまりない。そもそも偽作であり、バッハにしては「親しみやすい」というか「緩い」出来なので仕方がないが。
(バスはBWV1021と同一なので、バスだけは「真作」?)
大学1年生の時、偶然オーケストラの練習室でこの楽譜を見つけた。東海学生オーケストラ連盟の室内楽大会に弦楽器の同級生で出よう、ということになり、ヴィオラが初心者で弦楽四重奏が組めなかったので、ヴァイオリンの達者なふたりと、私のチェロと、ピアノ1人の4人で出た覚えがある。
大会当日は、プロ音楽家の講評もあって、「もっと音色を揃える」ことを指摘された記憶がある。今にして思うと、ものすごくたくさんのツッコミどころから、最も我々を傷つけず、しかも長きに渡って考えていくべき最重要な題材をよくぞ選んで下さったことと思う。名フィルの「青ちゃん」がサングラスにインディー・ジョーンズみたいな黒革のジャケットだった記憶がある(誤った記憶かも知れないが)。同級生の木管五重奏も出ていて、こちらは「より多彩な音色を」と言われていたような気がする。
今にして思うと、私もそれまで弦楽四重奏なんて弾いたこともなかったので、四重奏が組めなくて良かったような気がする。もちろん組めれば組めただけの展開はあり得たかも知れないが。一方、バッハは管弦楽組曲に取り組んだことがあったので、その点少し気軽だった(アカン気軽さかも知れないが)。
オーケストラに入る前に、わずかではあったが、バッハ(管弦楽組曲)、ハイドン(皇帝の変奏だけ)、モーツァルト(アイネクライネナハトムジーク)に触れていたのは本当に良かった。そして、オーケストラでも、ベートーヴェン、ブルックナー、マーラーと無理やりではあったが、それなりの段階を積めたのは良かったと言えるだろう。

ゴヤ「砂に埋もれる犬」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%82%E3%81%AB%E5%9F%8B%E3%82%82%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%8A%AC
非常に風変わりな絵。
パニアグワのCD「Folia」のジャケットに使われており印象的だったが、ゴヤの絵であったとは知らなかった。

カザルス指揮マタイ受難曲
そろそろ受難節とて受難曲を聴く。そしてまた、そういえばカザルス指揮があると先日知ったので。
まさかこんな録音が残されているとは思わなかった。
そして、独奏がおそらくカザルスであると言われている。全体の編成とはしては、オリジナルではなく現代楽器で現代風(と言ってもいささか古い二十世紀半ば風の)弦楽合奏+木管楽器のようだ。自分の耳で聴く限り、ヴィオラ・ダ・ガンバは入っておらず特徴的な独奏もチェロで演奏している。カザルスが主催するプエルトリコ音楽祭において、ブランデンブルク協奏曲でソプラノサックスを使っている例があり、この時代、いわゆる古楽器は使えなかったし、「使える楽器は使う」のが普通だったのだろう。私自身も町の合奏団では、バッハの管弦楽組曲第3番をクラリネットで演奏したり、モーツァルトのクラリネット五重奏をB-dur で演奏するのを聴いたりしたものだ。
さてこの演奏の低音部独奏はおそらくカザルスで間違いない(さもなくば指揮者カザルスから強い強い影響を受けた奏者であるか)。
少々変な音響効果がかけられており、チェロ独奏時と人声が出てくるところで音響が異なる。録音テープの品質悪化か、それとも音響圧縮(コンプ)の類なのか。とは言え、本当に聴けるとは思っても見なかった貴重な演奏であって、これを聴けることに感謝したい。
https://www.youtube.com/watch?v=0wwIhnmsqfc
この動画の画像もゴヤである。なぜゴヤなのか。ChatGPT先生に訊くと、先方からはこれを見てどう思うか的質問が来る。妙なやりとりで面白くもあったが、無意味ではある。

レオンハルト指揮マタイ受難曲
優しさを感じるマタイ。オーボエの吹き口も優しく懐かしい。いい演奏だ。リヒター1958年も大好きで Wenn Ich Einmal Soll Schiden (我いつか去りゆく日)の思い深さはリヒターならで忘れがたいが、こういうのも良い。
こんなにも巨大で多面的な音楽と長年付き合うことができる有り難さよ。
思えば人生に行き詰まっていたある日、友人から演奏会があるから来いと言われて行ったあの日から始まる。
ハンス・ヨアヒム・ロッチュ指揮だったと思う。その後、シュライヤー指揮、クイケン指揮Vnを聴いていると思う。
対してヨハネはローザンヌを一度聴いただけだが、演奏中に主宰者がカメラのシャッター音を響かせる極悪な演奏会の記憶しかない。
しかして、マタイの後に登川誠仁「ハウリング・ウルフ」を流してくる Lollypop の恐ろしさよ。
「勝ってぇカマボコ食べたいなぁ」

先月来のオーディオごっこのおかげで楽しくCDを聴けて良い。が、電源コンデンサ一本くらいでこんなにも音質が変わるのであれば、オーディオメーカーとしては、基礎設計はしっかりするとして、こうした「色付け部」を研究してイロイロな製品群(価格帯もイロイロ)を作るのがコスト的にも良いのかも。
とは言え、筐体を開けて中を確認するような数奇者もいるから簡単にそんなことはできないであろうけれど。
個人としては、数百円(あるいは数十円)のコンデンサひとつで楽しく遊べて大変よろしかった。
モーツァルトのクラリネット協奏曲(プリンツ/ベーム/ウィーンPO)は以前平板で聞くに値しない音質だと思っていたが、なかなか悪くないようになった気がする(TU870使用時)。とは言え、このCDの音質は「ヴァイオリン以外遠くにいる」のに近い気がする。
一方、せっかく「いい音」で聞けるよう種々工夫した機材で聞くのが、「己が演奏している変な音」だったりするのは悲しいね。

友人が出演するオーケストラの演奏会を聞きに行く。
自分はオーケストラに合わないことを改めて思うけれど、他者の演奏を見・聴くのは楽しい。

Schumann「詩人の恋」を久しぶりに聴く。どの曲も多彩で短くて飽きない。
ふと思いついて、Schubertの「冬の旅」を聴く。どの曲も暗くて長いが飽きはしない。
Schubertに比べるとSchumannのなんと楽天的なことか。もちろんそうでないSchumannもありはするのだけれど。基本的に闇の中に座っているようなSchubertとは一段異なる。

映画「眼下の敵」を見る。
自動翻訳字幕「次の時計は誰だ?」「当直=ワッチ」だろう。単語をそのまま置き換えており、文脈を読めていない。

「特殊清掃員モーガンの事件簿」を見る。
その音楽をそういう事に使うのか。後、若干ご都合主義シナリオと思った。

最高裁判官の国民審査のため、NHKが行ったアンケートを見る。
質問に
「現状の国民審査は事実上審査を受ける機会は各判事一度だけで、
 就任間もない場合には国民は十分な材料のないまま判断を求められるなど、
 国民審査が形骸化しているとの指摘について」
があるのは、良いな、と思う。
まあ、ご両名ともこの点については実質回答されていないけれど。それはそれで良識の範囲内と思うが、できれば回答しない理由をもう少し詳しく説明いただけた方が良いように感じる。
そしてまた、今回のご両名は最高裁での判決に一度も関わっていないようでその情報がない。「関わっていないよ」という情報をきちんと書くことも(報道機関として)重要だと思うが、そういう書き方がないのはちょっとアカン気がする。まあ、上記の質問でそれに代えているのかも知れんが。
ともあれ、ざっと見た限り反対すべき方には見えなんだ。投票券は来ていないが、これで選挙に行ける。
そしてまた、国民審査は一度だけでなくやはり複数回にした方が良いと思う。

「牛痘」は牛痘にあらず。
https://igakushitosyakai.jp/article/post-269/
紅茶キノコも株分けするうち実体となる菌が変化していたという。が、こちらはそもそも牛痘ではななかった、と。
私は医学・生物の知識が乏しいので、読むのに苦労するが、この「医学史と社会の対話」なるページは良質で興味深い。

千秋庵「宇宙菓 月の石」を食べる。
包装の表に描かれた地球。月から見た「地球の出」(そのものあるいは、それを模した画像)が洒落ている。
当然、「上が北」というわけではない。陸地はよく見えないが、雲の感じからすると、上下がほぼ東西。詳しくは渦の方向など見なければである。なかなかおもしろい。

「ミスター・ワッフル」と言おうとしつつ「ミスター・マックス」を思い出し、出てきた言葉は「ミスター・ワックス」。
ネット上の誤字「改良が続けた結果」。正しいのは「改良を続けた結果」または「改良が続けられた結果」。面白くない誤字である。
コンデンサマイクについて調べている時に見つけた。秋月電子でコンデンサマイク(裸)を買うと、50円からある。
audiotechnicaで回路・外装が付いていると数万円。ノイマンなどの高級品だと中古でも数十万円らしい。もちろんそれぞれの適価だろうと思っているが、値段差・比をみるとびっくらこくのは仕方あるまい。

カチューシャとガネーシャは似ている。そう思ったのは「カチューシャ」の文字列を見た時。
女性が頭につけるカチューシャではなく、旧ソビエト連邦の連装ロケット砲装備トラック。

トルコ語「Hatun ハトゥン」は、モンゴル語の「カトゥン」由来だと知る。
現代語としては「女性」特に「自分の配偶者としての女性」、古い言葉としては「貴婦人」。オスマンドラマではオスマン夫人などが「バラ・ハトゥン」「マルハン・ハトゥン」などと呼ばれており、「バラ奥様」「マルハン奥様」と言ったところか。
「カトゥン」の方は、天幕のジャドゥーガルで見ているのに共通単語であることに気づかなかった!
トルコ語男性尊称は「ベイ」みたい。「オスマン・ベイ」とか「チェルクタイ・ベイ」。カユ族の長であるオスマンは基本的にチュルクからは常に「オスマン・ベイ」と呼ばれ、部下である「チェルクタイ」は常ではない。そういうところも、我々の尊称の使い方と似ている。
「ハトゥン」について質問している英語?掲示板では、自分の奥さん以外に使うとナンパみたい、とのこと。言葉は難しい。気をつけよう。

動画のお薦めに「オスマン帝国外伝」が出た。随分長くトルコドラマを見ているが、それにしては出てくるのが遅い。
スレイマン1世の王妃ロクセラーヌについてWikipediaを読む。面白い(なんとなくオスマン帝国の画像が脳内に出てくるからね)。
そこから派生して、ハイドンの交響曲第63番「ロクサーヌ」。成立過程も面白い。急造のため、作曲家本人が旧作を利用した模造品とか。
Wikipediaを見ていると本当に時間が過ぎてゆく(楽しい)。
我が家にはハイドンの交響曲CD全集などというものはないのだが、昔々、アダム・フィッシャーによるCD全集にミスがあったとかで、CD屋で「無料で持っていけ」箱に2種類(18枚目と27枚目)が大量に入れられていた。
お店の人によればフィッシャー全集を買っていなくても持っていって構わない(それくらい大量にある)とのことで頂いた。その「18枚目」が61−53番、「27枚目」が88−90番。お陰でロクサーヌを聴くことができる。聴いていたのだろうけれどたくさんあって印象に残りにくかった。
第1楽章はオペラ「月の世界」序曲の転用。楽しいいい曲。オペラの筋も楽しそう。
第2楽章がロクサーヌ。ハイドンらしいのんびりしたいい曲。若い頃だったらタルいと感じたであろう曲。

The Great Century が英題。「オスマン帝国外伝」までは良いとして、その後につなげている副題は下世話だね。
俳優紹介でもトルコ国籍ではない人々(トルコ系ドイツ人などが多い)の紹介があったりする。
https://www.youtube.com/watch?v=_enONQc2Gjs

車両革命の旗手たち 昭和35年制作
https://www.youtube.com/watch?v=OpXN_yEIkGE
鉄道車両が面白いけれど、乗客もまた面白い。中年以上の女性は和服が多い。男性はロイド眼鏡?に茶系のスーツ。そして喫煙。大多数の男性が喫煙者であり、どこでも喫煙が出来た時代。
オレンジ色の中央線と並走しているのが、茶色の山手線・京浜東北線。当然ながら両方が存在している時期があったのだ。どうしても、「ぜんぶ茶色」「ぜんぶ色付き」と思いがちではあるし、急速に置き換えが進んだのではあるが。

THE PRIMEVAL FATHER
https://www.youtube.com/watch?v=9ZVwuinTSR4&list=PLFSIhARySgjOXRgAf9HqgXRWvUfXgIjjQ
原始人オヤジとでも訳そうか。言語非依存系アニメ。

Mortice は「ほぞ穴」。Mortice Kern Systems (MKS) の Toolkit を使っていたのは30年前。
バロック弓のフログをはめ込む穴の用語として初めて知った。

唐辛子を言う沖縄のことば「コーレーグス」は「高麗胡椒」らしい。
九州の柚子・唐辛子も「柚子胡椒」。唐辛子伝来が16世紀頃。胡椒は8世紀!で正倉院にも胡椒があったとか。
(庶民が食べていたかどうかはもちろん別。そういう物があったか、そういう物にどんな語を与えていたか、という観点)。
南米原産の唐辛子が、地球を一周して、インド・中国・日本・朝鮮で愛好されている!
(馬鈴薯や瓢箪も!)

エプスティーン問題。「写真」の効能について考える。
以前、中国で見た歴史ドラマでも「写真」が使われていた。
中華民国統治下で、共産党は地下活動している。共産党の地域の指導者(正義の味方、カッコよく叡智を湛えた男性)の下に、警察署長(小悪党)が拳銃で脅されつつ連れてこられる。穏やかに微笑む指導者は、警察署長に酒食を振舞う。にこやかに話しつつ食事が終わると、「それでは記念に」と写真師を呼び入れて、指導者と警察署長で記念写真。警察署長はさすがに顔を歪めて拒否しようとするが、冷徹に微笑む指導者に抗しきれず、握手しているところにフラッシュ。写真は「時の政権に歯向かう我々共産党員と警察署長の仲が良くしている証拠」であり、警察署長への脅しの材料ですよと言外に語るところに面白さがあった。
現在の共産党下で作られた映画であり、もちろん共産党員は「正義の味方」として格好良く描かれているのだが、その正義の味方が、中国古来からの「大人(たいじん、たーれん)」風の落ち着いた中年男性に描かれているところに興を覚えた。私にもそうした大人へのあこがれが確かにある(東アジアはひとつ!説)。
で、写真に話を戻すと、カルトと一緒に写真を撮られている政治家も少なくともまあそういうことだよね。

LED照明のフリッカー。
駅の照明のうち、特に工事などで仮設照明は「瞬き」が激しくあるように思う。
歩いている人の全身像はともかくも、早く動く手の先など見ていると、昔の映画のようにパタパタしている。
少々気持ち悪いのだが、皆さんそうお思いにならないのだろうか。
まあ、全ての柱・全ての壁が同じ動画広告で覆い尽くされているのは「でぃすとぴあ」感が強く、照明のフリッカーなんて大したことがないとも言えよう。

ある鉄道模型メーカーに牛久保さんという方がおられるらしい。
我々老鉄道ファンにとっては、飯田線の流線型電車が留置されていた牛久保駅を思い出さざるを得ない。
ご本名なのか、あるいは、牛久保駅から取られたビジネスネームなのか。後者を期待してしまう。

腹話術師 Nina Conti ちょっとおもしろい。もっと英語がわかったならばと思う。
腹話術は、腹話術とわかった上での遊びが面白い。以前読んだ「太郎がオレを憎む」も、取材の約束を忘れた記者に対し、腹話術師は優しく「記者さんも大変だから」と言っているのに「太郎(腹話術人形)」は「こいつはオレたちのことなんかどうでも良いと思っているんだ」のように毒を吐き、腹話術師が「そんなこと言ったらダメよ」などと反論するのが面白いのであった。
Nina Conti のは、例えば、お猿(腹話術人形)が、Ninaに催眠術をかけ、Ninaが眠るとお猿も動けはするものの、声が出なくなって困る、というもの。非常に洒落が効いていて良い!。
落語でも、話中の人物が落語家のようにふた役を演じる噺がある(餅つき、番台の2つを記憶する)。それと同じではないものの、そうした自己言及性の面白さでは共通かも。

驚きの選挙結果。「不幸の均霑」を思う。
私自身は逃げ切れる世代ではあるので、若い人たちが自主的に己の不幸を選択することにあまり口を差し挟むまいとも思うたりする。
口を挟んでも挟まなくても「上から目線」に変わりはないかも知れぬ。年長けて騙される人間を多く見過ぎて来たのだろう。
同年齢・年長者でもそんなトンデモ知識に飛びついてしまうのだと驚かされることもある。自分が騙されていない(あるいは、少々マシな方に騙されることを選択しているかも知れない)と思い込むことができる幸運を感謝しよう。
しかし、安倍氏もカルト教団との付き合いを甘く見ていて、それがため暴力的に殺害されてしまった。高市氏(初めとする自民党の人々)は自分が安全に不安はないのだろうか。権力が自分を守ってくれるという思いがあるのだろうか。何か「この程度は良いだろう」の線が随分大胆だなと思ってしまう。

雑誌が日本のウィスキー特集をしているらしい広告を見る。
ニッカウィスキー創業者をモデルにしたドラマの人気でウィスキーも人気になったと聞く。それがそろそろ翳って来たのだろうか。
ウィスキー人気以前に飲み屋で聞いた話では、ウィスキー不人気で原酒が余り、安いウィスキーにも相応に良質な原酒を入れている・・・と。
言われてみればそうかも(!)と思った私。割合に日本製ウィスキーを喜んで飲んでいた(!)。
ウィスキー人気になり、価格上昇。ウィスキーを買うのを控えたりして。でもまた不人気ならばと思ったり。でも良い原酒が出来るまで時間がかかるのがウィスキーの辛いところ。だから、ウィスキーメーカーはウィスキー人気の時、ジンを売ろうとしていた。「くらふとじん」なんて言って。
私はジンは割合好き(メーカーにもよるけれど)なのだが、ウィスキーのように長期熟成する酒でない以上、ウィスキーほどの値付けは少々信じられない思いがする。よってして以前から好きな(安価な)ジンしか飲まないまま。
蒸留酒としては、ピスコも飲みたいが、日本ではあまり安価でないようだ。そしてまたラム。これも好きなのもあれば、さほどでないのがある。
バルガス=リョサの小説にはピスコを飲む人々が出てくる。上流階級・富裕層が飲んでいるようだ。

Linux 7.0
技術的にはバージョン番号は無意味。とは言え、2.0あたりから使っている身には感慨深い
最初に触ったのは、Linusが毛布を咥えている「Linus本」(1995年,ISBN4-7952-9652-9)。と言うことは、断続的ながら30年お世話になっているのね。Windows3.1、MS−DOS5.0、漢字Talk7、HP-UXあたりとともにこの頃が私の「OS事始め」であるなあ。少しだけFreeBSDやBeOSを試みたこともあるけれど。
Linuxのパッケージとしては、VINE、RedHat、Debian、産総研、Ubuntuと渡り歩き、Ubuntuが一番長いかも。
Debianまではカーネルの再構築をしていた記憶がある。マシンは遅く、メモリは少なく、(あやふやな記憶によれば)カーネルモジュールが静的にロードされていたので、カーネルを小さくする意義は当時大きかったのだ
昔のLinuxのことをネットで調べると藤原博文氏の名が出てくる。そう言えば、若い頃この方の著書・ウェブページには大変お世話になった。私がC言語を(辛うじて)使えるようになったのもこの方のお陰。プログラム書きで「Cを使えるか(メモリ操作を理解しているか)」は一線があると思うが、辛うじてここを超えられて良かった。一方、再帰初めとする関数型にまた一線があり、ここは超えられていない自覚がある。悲しい。

最近、昆虫の分類方法が大きく変わったらしい。
子供の頃、図鑑に書いてあった「節足動物昆虫綱鱗翅目蝶亜目アゲハチョウ科パピリオ属アゲハチョウ」を覚えたのもムダであるか。
と言って、この一行だけを覚えて他は見たこともないので、ほとんど「寿限無」と変わらない。

私が好きな Monty Python のスケッチ「スパルタ病院」。
包帯だらけの怪我人たちにマラソンを強いる恐ろしい病院。医師・看護師はものすごく威張っている。
「こいつを見ろ、全身骨折でも文句ひとつ言わん。それはこいつが『男』だからだ!」と医師がやると、全身包帯で性別もわからぬ人物は首を横に振る。
「いや、『女』だからだ!」と平然と言い直す。
まあ「男らしい」とか「女らしい」なんてこういう適当なセリフにしか過ぎないよね、と言う意味で面白いと思っている。
なお、「スパルタ病院」と命名したのは私なので、それで調べても出てこないと思う。

オリンピック。
いつもそうだが、特段の興味なく始まり特段の興味なく終わる。
スノーボード競技の放送を少し見る。中国・韓国の選手が相当数出場している。
まちがいなく彼らの経済力が上がってきた証左であろう。欧米のオーケストラの弦楽器奏者も同様の傾向が見られる。
そのうち、中韓のオーケストラが実力をつけて来そうにも思うが、個人より集団力の向上には時間を要するし、一方でクラシック音楽全体の退潮もあろうから結果的にはどうなるか。
ハリウッド映画なども明らかに中国市場を意識して作品を作っていると思う(スターウォーズにアジア系を出演させるまではポリコレかも知れないが、そこで中国系を選ぶのは市場での売れ筋を考えてのことだろう)。
日本国はインド市場を目指すとのことだが、折角近隣の大市場があるのは見なかったことにするのか。経済界もそんな舵取りで良いと思っているのだろうか(勝海舟もそう言っているぞ)。
そうそう。オリンピック。ロシアもそうだがイスラエルが普通に参加しているような「平和の祭典」にはむしろ忌避の気持ちが沸き起こる。潔癖に過ぎるのかも知れないが、そもそもスポーツを国威発揚に利用するのは好まないので、まあそうなるだろうというだけのこと。
自分が見るスポーツはサッカーのワールドカップの、欧州や南米戦くらいだろう。それも特定の国を愛好しているわけでもない(アイルランド、メキシコ、ウルグアイなんかは割と好きだが毎回出てくるとも限らず)。
そう言えばと思いウルグアイのレコバについて調べると、父ラウルは「息子や孫に、地に足の着いた生き方をしていることを示すために」タクシー運転手の仕事を続けている、と。ううん。私にはそういう生き方は難しそうだな。日本で組織に属していると組織から求められる忠誠が随分高いように思う。
メキシコは「カニばさみ」のクアウテモク・ブランコ。

昔々、ワールドカップ時に、近所から歓声が聞こえてきたことがあり、また試合後に焼肉の香りが漂って来たこともある。「この国の人々が近所に住んでいたのか」と意外な思いでもあった。もう少し年長けて世慣れていたならば、ビールの差し入れくらいしたものを。
それはそれで楽しくも懐かしい思い出。家人によれば、階下の住人が叫んでいた、とも。こちらは日本戦のシュートが決まった際なので、さほどの意外もなけれども。

そうそう、オリンピックでは「国別メダル数」を数えてはいけないのだそうだ。知らなかった。

八田與一。台湾開発に貢献した水利技術者(植民地時代とて功罪あるとしても)。
同姓同名の警察庁指定重要指名手配被疑者がいる。死者は文句を言わないとしてもなかなかなかなかだ。
被疑者は相変わらず逃走中?自分がホテルなどに宿泊する際、宿帳など安直に書いている。事実を書いているので、安直でよいが、そうした不特定多数が行き来する場所では、「こいつ被疑者じゃないよね」視点で見ているのだろうと思う。

パントマイム TOM THE MIME (Tom Munson氏)
米国のどこかの水族館の海獣ショーのパントマイムの方らしい。
愛嬌あり皮肉も少しありとても素敵。

石榑峠、もう三重県側からは近づけない。石榑トンネル開通したからか。
青崩峠もトンネル貫通。もうすぐ開通するのだろう。一度行ってみたかった。
大和八木ー新宮も相当道が良くなってきていたから行っておいて良かっただろう。

大場栄氏(フォックスと呼ばれた男)は、小説家平野啓一郎氏の大叔父。平野氏も蒲郡市生まれ。知らなかった。

暖かい休みの日に散歩した。どこも人出が多い。
街角から葬式らしき黒衣の人々が表れ出たと思った所、それに混ざるようにして、眩い黄色いワンピースを着たチアガール三人組が歩いて来るので、たいへん驚いた。
たまたま、葬式帰りの人々と、近所の学校(あるいは公園)に行くチアガールが重なったのであろうけれど。
まるで、マーラーやカフカが好みそうな対比ではある。
そう言えば、マーラーはドストエフスキーの聖俗対比を好んだように聞くけれど、長編作品の「俗」はマーラーのような突拍子もない浮かれた感じはなくて、そういうのは初期短編にあるような気がする(「鰐」とか)。マーラーが読んだドストエフスキーはどのあたりなのだろうか?

「Why We Fight」。第二次大戦時米国のプロパガンダ映画の題名。
映画 Band of Brothers のある回の題名でもある。ベートーヴェンの弦楽四重奏第14番を使っていることで見つけたが、プロパガンダ映画にその根があったとは。

中国の春節を祝うロボットの動画を見る。
ロボカップは2050年に人間チームに勝てる(が人間を傷つけない・ルールを守る)サッカーロボットの実装が目標。
1990年代にこの目標を聞いた時、「いくらなんでも野心的すぎないか」と思った。その頃は、フリーキックをしようとして転ぶ程度の機械や、小学生並の団子サッカーになるソフトウェアチームだったりした。
とは言え、わかりやすい競技の形で目標設定することで、研究は進んだように感じる(おそらくは予算も取りやすくなったのではないだろうか)。
春節ロボットを見ると、ロボカップ目標も夢ではないように感じる。

お薦めに現れたダンスの動画。
https://www.youtube.com/watch?v=O1K8UeNVn60
どこの誰とも知れぬが無限に続く音楽・無限に続く踊り。素晴らしい。
完全に定まった定型があるのではなく、いくつかのダンスパターンがあって、それを二人の踊り手が刺激しあって作り上げる踊りらしい。
音楽はサルタレロらしい。ケルトの踊りのようなところもあるし、時々の掛け声が沖縄舞踊に通じるようにも思う。

日本の国際的地位。
ウィーン・フィルハーモニーの新年演奏会で諸国語で新年に祝が述べられる。日本語が最初に述べられたのは、1990年頃でもあったろうか。嬉しかったものだ。
バブルの頃、ゴッホ「ひまわり」を買うのは少々成金臭いと思ったけれど、以降様々な良い絵(高価な絵)が日本にやってきた。
そんなのももう終わりだろうか。経済的没落。貧すれば鈍す。貧乏してても高楊枝でいられたら良かったのだが。

様々なハムレット
https://www.youtube.com/watch?v=iQULEW2JwHE

ジョージ・チャキリス氏
ウェストサイド・ストーリーでの舞踊が印象に残る同氏だが、山田太一脚本「日本の面影」でラフカディオ・ハーンを演じているのね。

岡山の両備グループが「西大寺鐡道記念館」を開館したとのこと。
GoogleMapで見てみたが、「西大寺バスセンター(両備 西大寺バスターミナル)」ということになるらしい。
この土地にある「范曽美術館」は年に3日しか開かない!2026年はこれを書いている本日2/20〜2/22。
これを見て急に岡山に行ったりしない(行けたりはしない)けれど。
GoogleStreetViewで見るバスセンターは、ほぼバス車庫に待合室付き停留所があるだけにも見える。まあそんなものと言えばそんなもの。
子供の頃、母の実家近くに、バス車庫があった。広い空地にバスが並んでいるだけだったように思う。当時はまだ洗車機もなく、人力で洗っていたのだろう。ボンネットバスも数台混じっていたような遠い記憶。京成バスの大和田車庫とでも言うのだろう。車庫はなくなり、転回場だけ残っていたように思うが、それもどうなったのやら。そもそもあのバスはどこに行くバスだったのだろう。相当程度の台数があったけれど、京成大和田駅の側にはさほどの大道はなかったし。八千代台や海浜方面にまで出張っていくバスだったのだろうか。

お世話になっているトルコ料理店が閉店とのこと。
マスター夫妻の高齢化「疲れちゃった」が理由ではあるけれど、この時期に店を畳むのは、おそらくは住みづらさが増してきたのではないか、と憶測している。また、近所の専門学校にあふれていた中国人学生の姿をめっきり見なくなったのも関係あるだろう。
お国に帰って楽しい老後を過ごせるのは、余所ながら嬉しいけれど、寂しくもある。
あれだけの腕のあるトルコ料理店を新たに探さねば。後にはウズベキスタン料理店が入るらしい。それはそれで楽しみである。

左足の裏。何かがひっついているような気がするが特にそんなことはない。数日続く。運動不足の肉離れでもあろうか。

柏市。知人の個展に行ってみる。
ハックルベリーブックス。児童書店は昔から好む所であるので、たいへんよろしい。色々買いたいと思いつつ、結局のところ、「四維街一号に暮らす五人」と「お話迷路」1枚のみ。遠い出先であるならばこんなものであろう。
結構飲食店が多いのは、工場がある(あった)からでもあろうか。人が集まる地方都市ではよくあることだが。昔馴染んだ岡崎市とも少し似ているように思われる。まあ、そんなことを思ってみても仕方がないけれど。「制服屋さん」があったりするのが「昭和の地方都市」っぽいのだろうか。

「なんとなう」。いつからか愛用しているが、ネットで検索すると用例は平家物語だったりするのね。
そんなに平家に傾倒していたつもりもないのであるけれど。
「木曾の最後」における木曾義仲の最後は落魄の気味があるけれど、木曾の乳母兄弟である今井四郎の最後は「日本一の剛の者」というにふさわしいように思われ印象的である。

「今日は木曜日 明日は金曜日」なる唄が口を衝く。
どこで聞き知ったのか、あるいは本当に唄なのかもわからない。だが、同様の唄を「学校の先生が口ずさんでいた」と言う証言もあり、もしかすると本当に存在するのかも知れない。
似たような「今日は空にはアドバルーン」は父がふざけて歌っていた。しかもインチキ英語版「Today in the Sky Adbaroon」をも。こちらは「あゝそれなのに」ということがわかっている。
他には「驚き桃の木山椒の木あらまちょいちょい茹で小豆南京お豆の綱渡り」なんてのも。昔子供相手する人が教えてくれたものには古いコミックソングのようなのがあったりして来歴が不明である。「MMK=モテてモテて困る」は海軍用語らしいし、「ちぎっては投げちぎっては投げ」は講談・落語由来らしいし。「米よ安くなれ、鼻よ高くなれ」は不明。「ミンガラドン飛行場」は我が一族固有の用語らしい。

今月の誤字脱字
誤「年収300円を得るためにどれくらい売れば?」
正「年収300万円を得るためにどれくらい売れば?」
年収300円なんて昭和初期のサラリーマン?貫一お宮のダイヤモンドは100円だったっけ?
と他人を論っている割に己も間違っていた。こっそり修正。

自分は音楽等趣味の世界で「公的な立場」がまったくない。
恐ろしいほど自由にものを感じ、行動することができる。もちろん、自分自身の感性・知識・技術の限界はすぐ近くにあるので、真に自由であるはずもないが。ふと、古い音楽学校の創設に関わった財界人の話を読むにつけ、「この人は勝手な好みをおおっぴらに主張することはしなかっただろうな」と思った。
まあ、「もしも10億円あったなら」と考えた時、「若い四重奏団を支援する」と思いついた。その時は「己の阿呆な知識・欲望で彼らを制限してはならないよね」とも思った。そもそも10億円があるわけないので、この思考は時間つぶし以上のものではないのだけれど。

Continue reading "読書の記録(2026年2月)"

| | Comments (0)

読書の記録(2026年1月)

ようこそ、ヒュナム洞書店へ ファン・ボルム 牧野 美加
旅と暮らしの書店アンダンテで見つけて予備知識なく買ったもの。
軽やかでさっぱりした文章の中にほのかな寂しさと孤独感が漂っている。
あまり例を見ない文章と感じる。韓国の(私よりは)若い作家さん。
以前、韓国小説が流行った時、(私がいつもそうしているあるように)流行が一段落したら読もうと思ってその後忘れていた。
良い機会を頂いた。
若い人の社会への問題意識が日本と似ているように感じる。こういう本をいっぱい読んで次なる日本社会・東アジア社会を考えるというのも大切なことだと思うが、タイパ・コスパ流行りの昨今、難しいことであるかもしれぬ。
問題がサラリと解決するところは、美しいファンタジーと思える。問題意識も含めた社会的情景が共感を呼び、解決の安心が読者に癒やしをもたらすということで人気になったのであろうか。

高雄港の娘 陳柔縉 田中美帆
これまたアンダンテで購入したもの。ヒュナム洞の淡さ・軽さとは異なり「戦争の時代・侵略の時代」の重苦しさがつきまとう。
やはりここでも日本語・中国語の重なり合いが重苦しい。台湾の人々にとって、日本・中国(清朝あるいは国民党政府)いずれも全面的に肯定できるものではない。
主人公(おそらくは少数固有のモデルがある)は、その中では年齢・年代もあって幸運に恵まれた方であるようにも感じるが、身辺では不幸に巻き込まれる人々が多い。
(本題と無関係だが、田中美帆/美穂という方を私はしばしば見かける。田中宏和運動=タナカヒロカズ運動の先に、田中ヒロカズ・ミホの組み合わせ(夫婦・兄弟姉妹等)についても気になる私だ。Wikipediaでタナカヒロカズ運動を見ていると「世界の同姓同名運動団体と交流し世界平和をめざすNGO「国際同姓同名連盟(International Same Name Association、ISNA)」が立ち上げられた」とのこと。素晴らしい!)。
で、読んでいくとそう言えば先日偶然訪れた台湾料理店は主人公とつながりがあることが分かった。さらに読み進むとあまり良い縁ではななかったが。偶然に驚かされる。
実話をなぞる創作というところで、興味深くもあり、あるいは「物語のように派手ではない」安心感もあり。面白い読書であった。
どちらかというと日本と縁が深い人々が多く、それだけに「支配国の横暴」や「戦後の無責任さ」を浮き出させない内容だが、それで良いのか少し心配になる(自転車泥棒などと対比)。

星の古記録 斎藤国治
久しぶりの岩波新書。復刊のお知らせがX(Twitter)にあったのを見て買ってみた。
面白い。そういえば藤原定家「明月記」に超新星の記載があることは、子供の頃読んだ科学漫画にも描かれており印象に残っている。
(これら漫画は幅広い話題を網羅し、当時の雰囲気が感じられるような絵も添えて、良い漫画である)。
私自身も日食・月食を見たことがあるが、いずれも深い感銘を受けるものであって、古代の人々の様を想像しながら読むのが楽しい。
用語集(読み方つき)があると嬉しいが、ネット時代なのだから自分でさっさと調べよということでよかろう。
ところで、明月記は「見たもの」を書いているのではなく「読んだもの」(記録)の引用である、と。漫画のシーンは正しくなかったのだが、創作的解釈によりわかりやすく・印象的になってヨシ!。
そしてまた、藤原定家も含め公家が細かな記録を取っていたのは、ある種「判例(前例)主義」であったため。規範が明確でなかった時代、さまざまな政策判断について状況その他を記録し蓄積していくことで、後々の政策判断の際、自分(とその一族・一派)に有利な前例を持ち出せるようにする・・・と(何で読んだか思い出せないが)。

古本乙女、母になる カラサキ・アユミ
私自身はそんなに凄い古本ファンではない。あくまでも読みたい本が古本屋にしかないから。古本屋の方が読みたい本を見つけやすいから。古本屋の方が安価に済むことがあるから。という消極的古本派である。
とは言え、好きな人は好きなのね、古本。まあ、何事も「好きな事を語る」のを聞くのが好きなのでそういう視点で楽しく読む。
そしてまた、「私はここまでスゴくない」という慰藉を得つつ。
ところで、「バッタを倒しにアフリカへ」(2017)などを読んでも思ったのは、「イタい」自分をさらすのが流行しているのだろうか。自分はこんなにダメな人間ですが、どうしようもないのです、というタイプの文章を若い人の書いたものによく見かけるように思う。
悪人正機的に、あるいは、常識をはみ出している凄さや悪印象を緩和したい、親しみが持てるということかも知れないけれど、露悪的と言えなくもないし、(本人ないし社会が)坂道を転がり落ちないか心配ではある。

踊り候え 鴨居玲
スペイン在住の絵描きさんの随筆。絵は深刻であるように見えるのだが、随筆はいささか頓狂。スペインの所為なのか鴨居氏の二面性なのか。
絵の方は今のところネットでちょいと見ただけなので、改めきちんと見たいものである。

量子力学の百年 佐藤文隆
面白そうではあるが少々読みにくい。ある機会に即して書かれた原稿らしく、その機会の文脈にいない者には読みにくいのが一点、さらに、様々な時制で研究経緯が語られ、その問題点が語られるため、物理現象とその解明の一本道をたどることが困難である。
超賢い佐藤先生をしてこの文章なのか、喋ったことを書き起こしたのか、あるいは、超賢く並列的にものを考えるのが容易であるために記述が散乱しがちなのか…凡夫の知れるところではないね。
そういう意味でも朝永振一郎編「物理学読本」は私にとっては読みやすい良い本であったなあ。
おそらくは制作の目的が異なっており、佐藤がその時に感じたことを文章にするのか、朝永一派が(私のような愚劣な者を含めた)学生どもに読ませるために書いたのか、その差異でしかないのであろうけれど。

バッハ・古楽・チェロ アンナー・ビルスマは語る アンナー・ビルスマ、渡邊順生
なんだか今更の購入。ビルスマのユーモアあふれる話し振りにはつい引き込まれる。
「歌う」でなく「語る」。どこまでを「歌う」と言い、何をもって「語る」というのか。私自身が「歌い口」と表現している状況との違いはなにか。探りようがあるのかないのか。ビルスマの弟子である島根朋史氏を、「歌い口」という私自身の価値観において高く評価している。よってして「語る」と「歌い口」には非常に重なる部分があるであろうけれど。
こうした本を読んでいると、「書かれていることは出来ているように勘違いしつつ共感して」しまう。
共感するのと出来ているのは全然違う!(人生は悲劇の連続である)。

私的な書店ーたったひとりのための本屋ー チョン ジヘン 原田里美
書店アンダンテで見つけた本。「ヒュナム洞書店」の隣に置いてあったので、二度目の訪問で購入。
以前、中国の若い人々が村上春樹や漫画ナルトを読んで/見ているのを眺めた際、「もしかすると日中の違いよりも、世代間の違いの方が大きいのではないか」と感じ、以降、中国のオッサンに親近感を抱くようになった。
ヒュナム洞書店も私的な書店についても、有能だがやさしく繊細で、少々贅沢な若者が顔を覗かせているように感じる。
ここで言う「贅沢」とは、金銭的には「喰うに困らない」ということであり、また、高い倫理や理想を持つということでもある。
我々世代(韓国はいざ知らず、日本では)は、教育においても就業においても、そうした倫理・理想は贅沢品であって許されなかったように思う。
私は、そうした「贅沢」を少々楽しむために、就業上の不利を飲んできたとも言えるし、今なお同じように自ら工夫しなければそうした「贅沢」には到達し得ないのだと悲しくも感じたりする。ともあれ、こうした事々が書かれ・読まれることで皆が贅沢を楽しめるようになるのかも知れないことに希望を持ちたい。(私には若い日本作家の書くものをほとんど読んでいないのだが、こうした点についてはどうなのだろう。例外的に柚木麻子氏は少し読んでいるけれど、ヒュナム洞書店や私的な書店と同様に「贅沢」志向であるように思った。また、そうした点が評価されて国際的に翻訳されることになったのではないだろうか。この点もヒュナム洞書店・私的な書店と通じるのではないか)。

ラ・カテドラルでの対話
少しずつ読み進める。単文はおおむね読みにくくはない。ところが、別々に行われた複数の会話を同時進行させているので、集中して読まないとどちらかわからなくなる。
大変酷薄な書き方をすると、若き日の学生運動の挫折というよくある出来事を凝った書法で書いた小説、ということもできる。一方、政権幹部・下っ端などの話も錯綜していて、一時代を切り取る重厚な文学であると言うのも確かだと思う。自分としては書法より歴史的中身に興味があるので、も少し整理してもらいたかったなあ。でも、同時に様々なことが進行していたことを表現したい気持ちからはこうなるのだろうなあ。

黒部の山賊 伊藤正一
私には「山賊」の正しい知識がない。黒髭で戦国の野武士のような風貌・・・という「山賊」ではなく、少し看板に偽りありとも思うけれど、内容は面白い。
山に生きる人々、そして、山を楽しみに来る人々。そして山にいるという妖怪やかっぱ。様々な事件。とは言え、それらを淡々と描いているところが怖くもある。昭和20年代食料や装備が満足でなくとも、趣味として山に登る人々がいたことにも驚かないではない(我が父も黒部ではないものの、昭和30年前後には山登りをしていたようであるし)。
淡々としているけれど面白い本である。

マンガ 書の歴史 殷~唐 王羲之と顔真卿 魚住和晃, 櫻あお
東京国立博物館で購入。あの博物館の売店は端倪すべきにあらず。私が買うのは基本的には「入門書中の入門書」であるけれど、それとて一般の書店では他の分野に惹かれて、つい見ないでしまうような分野のものをあの売店で興味を持ってみることになる(良い)。
「曲水の宴」。王羲之の時代にふつうにしているのね。なんとなく和歌の遊び=日本のものと思っていたけれど、これまた中国由来。(私自身は、中国趣味の者であるので、そういうものがひとつ見つかったとて、「これもそうだったのか」と思うだけだが。寝殿造り・和歌・十二単・糸竹の遊び、曲水の宴、日中(あるいは韓)がどれくらいのブレンドなのだろうか)。
私もたいへんつまらない「習字」に通ったことがあるけれど、教育指導要領以前の日本の教育のダメさが凝集したような学びのない場だった。
古代中国の人々が書いた「漢字」が遠く時代を隔て、国も異なる自分が相当程度読めるのに感動する。文字の意味も変わったもの変わらないもの双方あるだろうけれど、なんというか人間の感情や生活の基本は同じなのだということにも感動する。そしてまた、歴史を通じて様々な形で文字が変化していく。そこに理想を込めた人々が居る、というのも凄い。こういう書体がコンピューターで使えたら、とも思うが、我々日本人が使うには、漢字ひらがなカタカタが揃ったフォントセットが必要だよね。。。
また、墨で書かれた当時の紙・竹・木だけでなく、石碑にしたことで残った墨痕も多いようだが、「石碑」の再現度ってどの程度なのだろう。そもそもどんな方法で石碑を起こしたのだろう。その点の記述があると私のような素人には嬉しい。とは言え、さすがトーハクに置いてある良書!

偶然見つけた書店アンダンテ(巣鴨というか千石)は大変気に入ったが、どちらかというと会社の企画ものであって、個人書店ではないのね(ちょっとトーンを落とす)。
買った本をメモしておこう。
 ヒュナム洞書店へ:平積み。「世界の様々な書店」コーナーなのかな?
 私的な書店:同上
 高尾港の娘:台湾の棚
 私のものではない国で:中国の棚。でもホントは台湾の棚にあるべきだよね。
 黒部の山賊:富山県の棚
 逃亡くそたわけ:愛知県の棚
ということで、こうした創作の類も地域と縁付けるのはなかなか面白い。
私からもこんな本がこんな地域と(大喜利的に)楽しませてもらうと。
 クッキングパパ:福岡県
 松本清張「点と線」:福岡県
 星澤幸子先生の料理の本:北海道
 青函連絡船ものがたり (たくさんのふしぎ):北海道
 チャンネルはそのまま:北海道
 獅子文六「やっさもっさ」:神奈川県
 都市プランナー田村明の闘い―横浜“市民の政府”をめざして:神奈川県
 愛知の教育 愛知の教師(風媒社):愛知県
 豊田穣「長良川」:岐阜県
 滝田ゆう落語劇場:東京都
 てるりん自伝:沖縄県
 岡本太郎「沖縄文化論 忘れられた日本」:沖縄県
 井上ひさし「青葉繁れる」:宮城県
 有明夏夫「俺達の行進曲」:福井県
 芦原すなお「青春デンデケデケデケ」:香川県
室生犀星の金沢もの、内田百閒の岡山・各地旅行もの(もちろん棚にあったが)

風媒社で思い出したが、地方出版を取り扱う書店が以前神保町にあった(が、なくなった)。そういうのも扱うならばさらに素敵なのである(が、商売的にはウマくないだろう…)。

木村肥佐生氏(チベット潜行10年)の事を調べていて、妹尾隆彦氏(カチン族の首かご)に行き当たる。
https://ktymtskz.my.coocan.jp/S/kouro/hmry0.htm
まさかと思うようなことがあるのが世界であり歴史である、ということだろうか。
とは言え、こういう方を重用しないのはいつもの日本仕草か。

●雑感
年末12/28は「デュポール読聴会」、年始1/4は「バッハ x 下持ち弓 バロック・ボウどっちで持つ?!」
どちらも面白かった。ついでに、巣鴨(千石)で「旅と暮らしの本屋 アンダンテ」を見つけていい気分。

ビルスマの著書「フェンシングマスター」をamazon.co.jpで探すが、出てくるのはアレクサンドル・デュマの小説だったりする。
それはそれで気になるが。

ChtGPTと弦楽器の音色を支配する物理因子について対話
 音は「摩擦振動」ではなく「制御された破壊」

 金属弦と比較しても、
 ガットは「特定の音楽的軸」において明確に優位です。
 ただし、それは“性能”ではなく“意味”の優位です。

もともと釣り糸をガット弦代用にできるか、と対話を始めたのだが、だんだんガット弦の金属弦に対する優位性の話になったのであった。
また、物理因子の話が、微妙に心理学にずれ込んでいくのもなかなか興味深い。確かに音は受け取り手の受け取り方があって意味を発生させるので、そうあるべきなのだが、 しかし、ChatGPTは微妙にヨイショを交えつつ、平然とウソをつくのがやりきれない。まあ話半分に聞いておくのが大人の嗜みであろう。

ギター奏者山下和仁氏亡くなる。
少なくとも一時期において、私が最も頻繁に聴いたバッハの無伴奏チェロ組曲はこの人の演奏である。
楽器を変えた編曲はしばしば落胆を誘うが、山下版チェロ組曲にはそれはない。むしろ、チェロには弾けない重要な音を「ぽん」と入れて我々を悔しがらせる。

全国数十のオーケストラ奏者を集めたオーケストラの演奏会。
お祭りとしては楽しいのだろうなあ。でも、自分はもっと凝集した「そのオーケストラの音」を聴きたいと思う。
昔のドレスデン・シュターツカペレやベルリン交響楽団なんかの。そういう意味では私には合わない催しである。が、私の趣味は偏向しすぎていて、私が評価するものは世の中の大勢にはならない。

Alice in wonderland
「不思議の国のアリス」の方が良い。私の語感で「in」だと、wonderlandという境界がはっきりした「国」があり、「その中」に居るように感じられる。「の」方が、国の境がなく広がりがあるように思われる。とは言え、「in the」でないのは、多少緩和されるかも。英語に詳しいわけではないので、こんな語感役にも立たないが。

「龍と柳」第十五回。一龍斎貞寿の講談と柳亭こみちの落語。
楽しかった。講談の話の聴き方が少し分かってきた気がする。落語にも面白い噺と人情噺があり、噺によって「聴き方」が同じでないような気がするけれど、それを少々外延したようなイメージで良いようだ(この書き方は伝わる言語化であるとは思わないが)。目を瞑って聞くのも良さそう。ともあれ、「楽しい」と思ったのだから人生の得が増えた(徳ではないね)。
「寿限無」は真打ちがするような噺か?と思いきや、こみち流の寿限無。これは真打ちがトリの前でするには意外性もあって良い噺だった。前の「植木屋」と少しく重ねるところも上手い!
さすがに最近は女性落語家を意外に思う論評はないと思う。鈴々舎馬風が女性を演じて面白いのだから、女性が植木屋(男性)や和尚(男性)を演じて面白くなることはありうるし、こみち師匠によって実現されている。
『三方目出鯛』は、武家の話ながら少々落語っぽさもある。とは言え、話を貫く「清廉」はやはり講談ならではか。ともあれ、最近の政治・社会は「言った者勝ち」「権力には阿り、弱者はいじめ抜く」と言った濁世の感が強く、清廉であることを良しとすることに強いあこがれを覚えた。そうした現実的感興とは別に、話としても聞いていて面白かった。

東京国立博物館に行く。
昨年、美術館・博物館・科学館に行かず、バカになって来たので。心して行く。
前回行けなかった東洋館(常設展)狙い。面白かった。行って良かった。 ガンダーラ仏像が特に良かった。美術史においてギリシア・ローマ彫刻は出来が良いし、「ルネサンス」だって「遅れている欧州がやっとギリシア・ローマ並に追いついた」観があるのだけれど、ガンダーラ仏像はギリシア・ローマ水準と感じる。
石で出来ているのに、ふくよかで突付いたら凹みそうな頬、ざっくばらんに組んだばかりの脚、聡明さと深い悩みが感じられる表情。どれも最高の彫刻ではないだろうか。
それに比べると、東に来るほどコピーが甘くなって来て、生命感が失われ、規範的・説明的になって行くように感じる。もちろん、それはそれで醸し出される詩情があり香気があって面白いのだけれど、ガンダーラの古代仏の凄さには言葉もないというくらい。
売店で買ったのは、『マンガ 「書」の歴史と名作手本―王羲之と顔真卿 』、『マンガ 「書」の黄金時代と名作手本―宋から民国の名書家たち』、オリジナル手拭い二本、ドレミはにわ。
根津で昼食、東博、秋葉原まで歩いてコンデンサーを買い、岩本町から下高井戸に電車で移動、コーヒーを飲んで帰宅。なかなか良いコースだった。

NHKドキュメンタリー「72時間」を見る。
これを見ていると、人間が頭で考えて作った「ドラマ」の浅薄さが改めて思われる。様々な場所に様々な悩みを持った人々がいる。
そう思うと、公助ももっとしてほしいし、共助にももっと参加せねば、と感じる。残念ながら現在の権力者にそういう方はごく少ないようだけれど。
大病院移転の回は、以前見ているのだが、もいちど見てしまった。この移動の線表を書くと思うだけで胃がよじれる思いがする。「病院移転」なんてそうそうあることではないだろうし、そうした知識・経験を持った「ベテラン」がこの世の中にそうそういるとも思えぬ。この病院の責任ある者が、(たださえ通常業務があるのに)頭を絞ってあらゆる知識経験を使い、想像力を広げていくしかない。そしてまた現場の人々。常時勤務者も、おそらくは移動のための短期勤務者も居るであろうけれど。勝手のわからぬ中で責任を持って働く人々に頭が下がる(もちろん移動で全てが終わるわけでなく、その前後の切れ目のない医療活動もたいへんである)。
微笑ましいと思ったことふたつ。
一つは、子供の付添で長期病院にいるという女性。移転の機会に「1日外出」。外出後「髪を切りましたね」とNHK取材班に言われている。
そう言えば、私の家族が長期入院していた際も、「前髪がとても長い付添女性」が病院におられた。後々近所のスーパーマーケットで会った時は「髪を切って」いた。病院に長く居る不自由さを自分は分かっていなかったのだなあ、と。
も一つは、老タクシー運転手さん。「今日、娘と彼女が来る」と小指を立てて見せる。以前見た、沖縄のローカルヒーロー「獣神マブヤー」の登場人物に「おばあ」がいて、相応の年齢の女性なのだが、「おばあ」には若く(あまり働きがなさそうな)「彼氏」がいた。沖縄という土地のこれが真実なのだろう。

バレエ「バフチサライの泉」における長いチェロ独奏
https://www.youtube.com/watch?v=Z1g5jmxe23I
https://imslp.eu/files/imglnks/euimg/d/db/IMSLP386533-PMLP624979-Asafiev_Fountain.pdf
バレエ音楽といえば基本的には派手めで楽しい。その中でこれをチェロ独奏でやらせる意味があるのかないのかは疑問が残るけれど。

シュットックハウゼン「光の日曜日」チラ見。凄いものだ。高橋美千子さんという凄いパフォーマー。

ルイ・ド・フュネスの喜劇映画「ラビ・ヤコブの冒険」(ニューヨーク ⇔ パリ大冒険)のダンスについてChatGPT先生に教えていただく。
ダンス自体はユダヤ風の映画用創作。
が、映画の立ち位置や評価を読むと、単なる喜劇ではない様相もあり、勉強になる。
 差別主義で排外的で偏屈なブルジョワ親父が、
 ユダヤ人ラビに成り代わり、
 アラブ人革命家と追われながらドタバタする
という差別そのものを笑い飛ばす映画ということで。
日本における類似作品は、映画にはなかなかないらしい。残念。

お正月休みのオーディオ遊びとCDリッピングについては長くなったので別稿。

ラステームRSDA202なる小型デジタルアンプ。
見かけは安っぽいがそれなりに音質は良い。外付け電源が4Aあるのもデカイ(音質への寄与も、専有空間も)。
裏のゴム足ひとつがいつの間にか失せている。ゴム足は粘着性のある両面テープで貼られていて、基本的には置きっぱなしなのになぜ失われるか。不思議。
代わりのゴム足を買おうと思っていた。が、昨年夏、商店街のお祭りの際に拾ったスマホデコレーション用のシールを思い出した。
雑踏の中で使いかけの1枚ペラリを拾ってはみたものの、警察に持って行ってもと思い、そのまま手元にあったもの。0.5mmくらいガタがあるが、結構これで良さそう。なんなら全ての足を代えるだけのシールはある。星とハートになってしまうけれど。

手回し発電機を作って遊ぼうと思うのだが、ハンドルをモーターに直結したくないので、スプリングジョイントを使いたい。
が、Amazonで見てもスプリングジョイントは長く売り切れである。一方、ユニバーサル・ジョイントはふつうに多種類売られている。
うーん。ユニバーサル・・ジョイントなんて激しく憧れの的であり、簡単に入手できると思っていなかったのだが(良い世の中だ)。
とは言え、衝撃吸収などの面からのスプリングジョイントの利はあるし。。。「その辺にあるスプリング」をジョイントにするのも一手かも知れぬ。
手回し発電機の用途は大型鉄道模型(LGB)を動かすためである。庭に線路を敷いて、子供(道行く子供)に遊ばせると面白いかも、と思ったのである。
スプリングジョイントを使いたいのは、昔々初めて使った時の喜びが忘れられないからであって、上記の理屈はまあつけたりである。

ジュール・シーフ Joule Thief について調べる。
回路そのものは「武蔵野電気のブレッドボーダーズ」で読んだことがある。電圧低下した電池の残りを「搾り取る」ことで、LEDを光らせるもの。
簡単な昇圧回路だが、最近は専用ICがあるとか(たとえばYX805)。正式名称としては「昇圧DCDCコンバーター」と言ったところか。
外付け部品は必要で、最小のものだとインダクタ1つで済むらしい。お値段は一個数十円。主な用途は、庭用の太陽電池つきLEDランプだとか。
と思っていたら、昔秋月電子で買った似たようなキットが出てきた。

庭の月桂樹の枯れた幹からパイプを作ってみたい。形式的には喫煙パイプ。
とは言えタバコを吸うつもりはないので、薄荷草でも入れようかと。
ネットで調べると、鉄鋼業における鋼管づくり、ビジネスマンの人脈づくりが出てくる。もちろん喫煙用も出てくるけれど。

スマートフォンの「NFC」は Near Field Communication。
古式ゆかしい Network File System とは違うのであった。

スイスとスウェーデンは違うシリーズ。
https://www.youtube.com/watch?v=6pKHV0mh_ws
なかなか楽しい。外交メッセージっぽいのも良かったがロックもいいぜ!

早野凡平氏の「帽子芸」は、昔テレビなどで見たものだが、フランスに起源があるとは。
https://en.wikipedia.org/wiki/Chapeaugraphy
Chapeaugraphyを名乗る帽子屋さんもある(いろいろ変形できる帽子でないのは当然だろう)。

吉良吉田あたりの宿泊施設を調べる。
「シャインズ三河湾」。安くていいではないかと思いつつ、立地に記憶がある。
そうか、企業の厚生施設。昔、チェロパートにこの企業の家族がおり、パート合宿をここでした記憶がある。
言っては何だが、つまらないメンツのつまらない合宿だった。私は音楽的理想のない者を尊敬できない悲しい人間である。
そう言えば、その後もう少しマシなチェロ合宿をしたことがあるが、その時も別な企業の厚生施設を使ったのだった。

ファゴットは「兵器に見える」ネタにされがち。
空港の荷物検査で「楽器だ」と申告しても「兵器だ」と言われ、吹いて見せても「兵器を偽装している」と言われたと聞く(おそらくは都市伝説)。
と思っていたら、対戦車ミサイル 9M111 ファゴット なんてものがあるのね。

フォネティックコード。
最初に制定されたITU(1927年)は、おそらく当時の無線常用者である船舶系に意を用いて、多くは港湾名を使っているようだ。
アムステルダム、ボルチモア、カサブランカ等など。我がヨコハマが出てくるのは嬉しい。
例外は「X」。クサンティッペ(ソクラテスの嫁さん)。男性社会であったろう船舶関係者・無線関係者の冗談でもあるように思われる。
もちろん「全体として聞いた時、他の単語と紛れることがない」条件で仕方なく選んだ(ことになっている)のだろう。

チェコの芸術映画(としか言いようがない)「悪魔の発明」
https://www.youtube.com/watch?v=uuhO1aJDxws

スペース・オペラ映画 STAR CRASH。
なんというか、「スペース・オペラ」と言えば何をやっても良いという側面はあるものの、いかにもB級な映像表現。
これを見ると、スター・ウォーズが如何に素晴らしい映像表現であるかが理解される(SWであっても当時の限界を感じさせる部分があるけれど、SCに比べると遥かに高品質でよく考えられている)。お姉さんが薄着なのがまたB級。トレーラーだけで充分かな。

映画 A Song Is Born
当時一番面白い音楽家を集めて作っているらしく、どの場面でも面白い音楽が展開するようだ。
GoldenGateQuartetの実力たるや!(後年よりもこの時の歌唱の方が良いように感じる)。
クラリネットを登場させたいためか、冒頭はブラームスのクラリネット五重奏の第2楽章、38分のところでは、ベートーヴェンの「街の歌」。
クラリネットの男、クラシックもジャズも達者に吹く。と思ったら、ベニー・グッドマン。そらそーだ。うまいに決まっておる。メガネがいつもと違うのでわからんかった。
まあ、本人自身が「ベニー・グッドマンなんて知らない」「楽譜がないと吹けない」などと言って初心なクラリネット奏者の演技をしているのでしかたがないw。
話の筋自体は、アメリカの喜劇によくあるドタバタで顧みるほどのものでもない。最後のオチもまあこんなものかと言うところ。
ダニー・ケイの歌った歌に「チャイコフスキー(およびその他のロシア人)」なる珍曲があるらしい。

映画 Wild Target
イギリスの喜劇映画。まあこんなもの。ハリー・ポッターのロン役の役者さんが出ている。主要脇役とでも言おうか。似たような役柄。

トルコ時代劇 Kuruluş Orhan
いつの間にか、Kuruluş Osman が終わり、息子オルハンの時代になっている。しかもブルサ城包囲のまま9年が経っているとか。
多少失礼な言い方だが、「水戸黄門」と同じように「時代劇」なので、全体としての脈絡も特に必要はないのであろう。敵と戦い続ける男たち(と女たち)の物語ということで。
チェルクタイ(オスマン部下)、ボラン(同じく)、丸顔の部下、アラエディン(オスマン次男)、ゴンチャ(その妻)役のみ不変。他はオスマン含め全て代替わり。
第一話でいきなりボランが敵に捕まって地下牢で拷問されているが、おそらく大丈夫。そのうち助けが来る。
でも、あの格好良かったオスマンは老い、バラハトゥンは傍らにおらず、マルハンハトゥンも老いて、私は悲しくなってしまう。

麿赤兒(b1943)と赤星昇一郎(b1955)を混同しているね。
坊主頭の怖い顔というだけの共通点だが。ウルトラマンオーブにカフェの店長として出演しているのは後者。

北九州空港 (初代)
1997年ごろ一度着陸したことがある。北九州市に所用あり、通常は福岡空港便を利用していたが、その日に限って羽田空港に行くバスが遅れたために、次の北九州便に振替になったもの。よってして、着陸はしたが離陸はしていない。
「山の中」に降りるようなイメージだったが、それがため欠航も多く、滑走路延伸も難しいため、現在の海上に場所を移すことになったとのこと。
Wikipediaを見ると「1983年に定期便が廃止」とあり驚くが、その後を読むと、滑走路をわずかに延伸し、再就航した後に私が着陸、その後二代目に移行と知れる。無くなった空港や駅を利用したことがあるというのは本当に老人だね。

今月の誤字脱字:
 対射砲:高射砲がふつう。あるいは対空砲。晶文社さんともあろうものが。
 「新しい本の帯にはアリアさんの笑顔のアリアさんが載っています。」も編集途中っぽいな。
 「新しい本の帯にはアリアさんの笑顔が載っています。」とするか、
 「新しい本の帯には笑顔のアリアさんが載っています。」とするのが常道だろう。
https://www.shobunsha.co.jp/?p=1894

折りたたみ自転車を買ってから、面白そうな使い方を考える。
たとえば、鉄道路線がそれなりに近接しているが、通常は「乗換」の対象にならないところがある。そうした「ヒミツの近接駅」を自転車で結ぶのは楽しくはないか?(楽しくない、と言われれば返す言葉もございませんが)。
で、久留里線久留里駅と小湊鉄道月崎駅あるいは上総大久保駅を見てみる。Google先生によれば徒歩3時間。自転車移動にもちょうど良さそう。
と思いきや、県道32号線は意地でも通さない経路案内になる。調べると、「県道大多喜君津線(市原市国本)については、令和6年6月18日の大雨により土砂崩れが発生し、現在も全面通行止めを実施しております。」とのこと。なかなか賢い経路案内ではないか。
一方、真岡鉄道茂木駅から水郡線玉川駅が徒歩5時間。青梅線青梅駅から西武鉄道池袋線飯能駅までが2.5時間。信越本線磯部駅から上信電鉄上州七日市駅までは1.5時間。
などなど、考えるだけでも楽しいが、冬の寒さ・夏の暑さを思うと行動できる期間はごく短い。

米国がベネズエラ侵攻。ベネズエラは独裁政権だとか麻薬だとか言うけれど、侵攻する理由にはならない。
それで侵攻するならば、プーチンと一緒。
ところでこういう政治首班だけとっ捕まえるのを「斬首作戦」と言うらしい。
中国が台湾で斬首作戦をして成功する、という予想は私はしない。
台湾の人々は、中国政権に従うには自由な民主主義を味わいすぎているから、というのがその理由。
中国の長期戦略的には、香港人の自由を奪わなかった方が良かったのではないかな。
日本人の対中感情にも少々悪影響があったかも、と思う(日本の排外主義の勢いが大きくて、この悪影響は評価に値しないほど小さい気もする)。
ともあれ、殺伐とした世の中になってしまった。

自民党政権。滅茶苦茶。庶民として真面目に生きる気になれない。
我々が額に汗して真面目に働いているから日本社会は成り立っているのだ、と少々の誇張も含めて思うのだが、こんな輩が威張りくさって税金の無駄遣いをしていると思うと呆れて働く気にならない。悪事をなすならこっそり日陰でして欲しいなどというささやかな願いもお聞きいただけないのか。
米国トランプ大統領は、グリーンランドを併合しようなどと聞くも愚かなことを言っている。
かの国の人々は、 make Amerika go away. と言っている。なかなか良い。 make America great again. なんて言っている輩にはそういうべきだ。我が国も米軍基地にいる連中が不法をなすに対しては同じことを言うべきではないか?
ネットで見ていると、こうした揶揄も含めて、多くの政治批判戯画が海外で作られているようだ。昨今の日本ではそういうのは流行らないのだろうか?いわく「戯画が足りない」(通信回線の宣伝「ギガが足りない」に擬えて)。

昨今の急激な円安により諸物価上昇。
「静かな給与低下」と書いている方がおられ、大意は賛同するが、実感としては「音を立てて」と言いたくなる。

年末年始は呆然と過ごした。大掃除はもともと5月の連休・11月の連休にして年末にはしない派である。今年は10月・11月の本番ラッシュで大掃除をしなかったが、年末もしなかった(ひどい)。
とは言え、本を読み、少しはんだ付けをして楽しかった。老後は「楽しく」がテーマであるな。海外旅行など大きなお金がかかる趣味はないので老後は安心、と思っていたが、円安による物価の急上昇もあり、働くのを止められないかも知れない。それは気がかり。出来る範囲で働き、出来る範囲で「楽しく」生きていこう。「笑って死ぬる」のが私の人生の目標なのである。

成人式。
私が二十歳だった頃。成人式に行くつもりもなかったが、当日、家でゴロゴロしていたところ、友人に誘われたので、普段着ていた緑色のジャンパーを着て行こうとした。親に止められて、コーデュロイのジャケットに着替えた記憶がある。まあこれも普段着だが。
すでに式典が始まっており、会場(小学校の講堂)の中を覗いたがつまらなさそうな方がつまらなさそうな話をしていたので、かつて遊んだ運動場をブラブラしてみた。
そのうち式典が終了し、会場から出てきた同級生と立ち話をして帰宅した。
さて、これは成人式に行ったと言えるのか、行かなかったと言うべきなのか?
(そもそも成人式って何?綺麗なお着物を着て祝い・祝われることであるのはまったく素晴らしいことであり、皆さんぜひぜひすれば良いと思う。私とて、毎年、そうした若者を町で見かけると微笑ましいと思う。だが、他人がそうするのと、私がそうするかどうかは全く別なことである。)
やっていることは社会的不適合者そのものだね。

庭の棕櫚の実を野鳥が食べている。おそらくはヒヨドリ。人が食べるには向かないらしいが。
ネズミモチの実も食べている。こちらも人が食べるには向かない。そして、ネズミモチの木の芽はそこらじゅうから生え出てくる。
ネットでネズミモチの木の栽培方法を調べると「強健で放置しておいても伸びる」まさにその状況。

Continue reading "読書の記録(2026年1月)"

| | Comments (0)

読書の記録(2025年12月)

台湾生まれ 日本語育ち 温又柔
読了。
私自身も学校語と家庭語の使い分けをしていた。学校語は小中高で異なった。
家庭ではいわゆる「標準語」。おそらくは静岡方言が少し入っていたかも知れない。
小学校では、ほぼ標準語だったが、「ざら板」「放課」など学校用語は名古屋式だった。
中学では三河弁。標準語に近いので話しやすく感染りやすい。「じゃん・だら・りん」の語尾程度だが。
高校では意図的に名古屋弁を使っていた。世知に染まって来たということだろう。良い思い出ではない。
台湾語・中国語・日本語の折り重なる歴史を思う。そこに日本帝国主義の影響は当然あり、それを知らぬままでいることは私には無責任だと思われる。
個人としての共感もありつつ、国民としての歴史的責任をも感じつつの読書であった。

ノルマン騎士の地中海興亡史
ノルマン人の移動。北欧からフランス北部に。そこから1066年英国征服したのが有名。南下してイタリアに入った人々もあり、シチリア島も含めたイタリア半島をほぼ制圧したようだ。また、イタリアは地中海なる「海の国」の縁辺でもあって、そこからアフリカとも商業・軍事的につながる。そしてまた、「十字軍」の名の下にエルサレムを目指しつつ、途中コンスタンチノープルの東ローマ帝国にも訪れて(穏やかな言い方)いる。
平たく言えば「滅茶苦茶」。何この軍事民族。人類史には時々そういう「勢いのついちゃった人々」が現れるように思う。チンギスハンらモンゴル勢もそうだし。
トノサマバッタも高密度になってくると「移動型」が出てくるというが、少し似ているように感じる。
(この類似は、日高敏隆「動物にとって社会とはなにか」ですでに指摘していたと記憶する)。
「世界史」を学ぶならこういうメタな学びも含めて考えたいものだ。

やっさもっさ 獅子文六
獅子文六は読みやすく引き込まれる。
戦後の雰囲気、横浜の意地などがよく描写されているのも良い。
私は以前から石川達三「望みなきにあらず」が好きで、ある種「敗戦文学」の虜である。この獅子文六もまた「敗戦文学」の趣がある。
もちろん創作であり登場人物などは獅子文六の都合の良いように創られているに決まっているが、ここに描かれた横浜の風景は如何にもそうだったと思わせるもの。私は、田村明「都市プランナー田村明の闘い 横浜〈市民の政府〉をめざして」を高く評価し、今の横浜の姿を読み解く教科書だと持っているが、田村明以前の横浜の姿を活写している点で、「やっさもっさ」は田村の副読本たりうると感じる。
「恋文横丁」(渋谷)にも似た、代筆業の話が出てくる。これもまた、「敗戦文学」として重要。

アゲハ蝶の白地図 知られざる怪蝶の謎を追う 五十嵐邁
基本的にはアマチュアの立場ながら蝶の愛好家・研究者として長く活動してきた五十嵐氏の本。
割合にあっさり書かれているが、海外に出ることが難しく、ネットで簡単に情報が得られるわけではない時代を考えると大変な難行苦行であったと推察される。
蝶の基本分類などは書かれていないので、その点はネットで補うと良いと思うが、あまりそういうことは気にせずざっと読んだ。面白かった。
私の身辺にも多少音楽狂人がいるが、ここまでの人はあまり見ない。まあふつうそうだろう。

古い鉄道模型趣味誌(1975年)
楽しい。私が小学生だった頃、鉄道模型を始めるにあたり、保育社から刊行されていた「鉄道模型」(山崎喜陽)を先に買って読んだ。
まあ、その後もブツ以前に情報を最低限集めておく最初の記憶ではある。
そして、1975年の鉄道模型趣味誌は、私が模型を始める前であり、最近になってネットで揃いを安く買ったもの。
これらを読むと、「鉄道模型」は1975年ごろの作品を多く紹介していることに気づく。ひとつは「最新」であろうとするため、またひとつはNゲージ勃興期であり、これらに配慮するためには、古い作品は存在しないという事情もあったのだろう。
ということで、「鉄道模型」で写真一枚しかないにも関わらず、大いに憧れ・刷り込まれてきた作品を多面的に見られるのはたいへん楽しい。
Nゲージレイアウトとしては「武蔵野鉄道」「剣山鉄道」など。HOゲージでは「城新鉄道」
そしてまた、現在鉄道模型趣味誌の編集長を務めておられる名取氏と思われる方が高校の鉄道研究会員として名を連ねている記事もある。そういうのを見つけてなんとなう嬉しい。

サンキューピッチ 第4巻(漫画)
まともな登場人物が一人もいない(ことはないが、ほぼいない)。狂気の登場人物たち。しかし、こうした「思考の読み合い」が成立するのは、野球というゲームにおいては、基本的に状況を完全に把握でき、思考に相応に時間をかけることが可能だからだろう。サッカー、バスケットボールなど、「ふつう」のスポーツにおいては、ゲームは勝手に進み、「時間」を操作する、あるいは、集団で思考し思考を伝達するなどの時間はなく、流動的な状況の中、不完全な情報に基づく瞬間の判断でさらに状況が流動していく。
米国でテレビ観戦のために作られたスポーツだけがこうした断続的時間性を持つような気がする。

へうげもの(漫画)
古田織部を主人公とした漫画。よくもまあこんなにも地味な素材を、と思ったり。日本漫画の幅の広さよ。
で、面白い。冒頭数ページで、織部が武将でもあり(どちらかというとシガナイという感じ)、茶道具に取り憑かれていることがよくわかる表現。
茶道具などの表現も「ムニュっとした」などと「わけがわからない」ふうに書かれているが、ここは長口を弄したところで同じことなので、このような表現圧縮が面白くも読みやすい。
利休を始めとする茶の宗匠がなぜあそこまで重んじられたか、よくわからなかったし、本書を読んでも明快にわかったわけではないけれど、その一端を覗き見たような気もする。
そもそも、カフェイン慣れしていなかった当時の人々にとって、抹茶は「相当程度強い薬物」であって、飲めばたちまちラリっていたのではないか。そうした陶酔の中でこそ、「新しい美」「新しい社会」について立ち入った話がなされていたという可能性はないか。
松本俊彦「誰がために医師はいる」や川北稔「砂糖の世界史」などを少し見てみた者としてそうした仮説を思い描いてみていた。
ということも含め面白かった。絵は巧すぎないけれど、この表現には似つかわしいのではないか。

温又柔を読んで、改めて台湾について読み進めたいと思った。
これまで台湾もので読んで良かったもの。
「歩道橋の魔術師』『自転車泥棒』(呉明益)、『緑の歌 - 収集群風 -』(高妍)、『台湾生まれ 日本語育ち』(温又柔)

台湾もので読んでみたいもの(漫画)
こちらに台湾漫画が紹介されており、読みたいと思えるものがいくつもあった。
https://jp.taiwan.culture.tw/News3.aspx?n=370&sms=10661&page=4&PageSize=20
 『芭蕉的芽』(左萱)
 旧制台北高校が舞台。台湾出身者と内地出身者が主人公。このように書いているだに「侵略者」としての我が国の歴史を思い出し身が縮まる。
 『最軟!東京人夫日記』(米奇鰻、原動力文化)
 台湾女性が日本赴任することになり(東京人)、その夫君の描いた漫画。我々が何事もないつもりで過ごしている日常も見方を変えれば。。
 『送葬協奏曲』(韋蘺若明)
 台湾の葬儀会社・納棺師・特殊清掃のお仕事。絵がうまい。
漫画でないもの
 『複眼人』呉明益:近未来SFだそうだ。それならば、これまでの魔術師とも泥棒ともまた異なって読んでみたい。
 『台湾の若者を知りたい』岩波ジュニア新書。これも面白そう。物語を通して知れることも面白いが、事実もまた面白いはず。
 『台湾男子がこっそり教える! 秘密の京都スポットガイド』なんてのも面白そう。
 『来福の家』温又柔:当然のごとく。

こちらもたいへんおもしろかった。
無能戀愛諮商中心(無駄な恋愛相談室)/米宗子
ゲイとストレート女が贈る最も無駄な恋愛処方箋!
https://jp.taiwan.culture.tw/News_Content.aspx?n=370&s=6510
性的話題に開放的な気がするのは南国人だからか(偏見)。あるいは我々の世代とは異なるということか。まあ、赤面するほどのものでもないけれど。
「別れて正解!失恋最高!男なんか全部死ね!」といったわかりやすい(笑)セリフも面白い。

日本による植民地化の歴史があり、また、国民党政府による厳しい政治の歴史もあった。それらの実相と現在を改めて追いかけてみたい。
(中国、韓国、ベトナム等のアジアについても同様)。

近所の古書店の棚だし情報で「ドストエフスキー人物事典」が出たと知った当日書店に行ってみたが、もうなかった。
早耳早足のライバルが近所にいる!仲良くなるか、喧嘩になるかどちらかしかない!

昔々、星新一の短編で、地球が宇宙人に侵略されたので、各国政府が核ミサイルを宇宙に向かって発射するお話があった。
宇宙人の侵略自体が各国政府による欺瞞であり、軍縮を良しとしない各国民を騙してでも核兵器廃絶を行う「賢い政府首脳たち」というまさに「科学的にはあり得うると考えて良いがなぜか現実化していない」という「SF的設定」であった。たいへん残念。
人類は「共通の敵」に向かってのみ結束しうるのだろうか。

僕は、そして僕たちはどう生きるか
https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/9334
たいへん真面目で透き通ったお話。齢長けたる者にとってもヒリヒリした感覚がよく伝わってくる。 子どもに 筆者の誠実と優しさ厳しさが伝わってくる。こういう良いものを読むと、自分が阿呆な文章を公刊して世間を汚さなかったことを誇りたくもなる。
ということで、本を買った。

「かいけつゾロリ」
なかなかいい本だと思っている。子どもによって読みやすく、大人もまた読んで楽しいし、おそらくは大人になって読み返しても楽しかろう。
中身がある「すごい本」でないのはそのとおりだが、何でもかんでも「すごい」であるのは疲れる。そうした意味で軽くはあっても、でも悪は罰され小さいなりに正義が達成されるこの書は良い。そしてまた他者を貶めない点も素晴らしいのではないか。

書名「ことばの宇宙への旅立ち」
ことばが宇宙に旅立つのかと思った。
ことばの宇宙に(読者が)旅立つ、というのが正しいのだろう。
だが、前者もまた含意していると見るべきだろうか。それこそことばの宇宙…

「旅と暮らしの本屋 アンダンテ」を偶然発見。
良い書店。地域別に本が並べてあるのが非常に面白い。創作とドキュメントが並ぶのも良い。
同じ呉明益の「歩道橋の魔術師」と「自転車泥棒」が並べてあるのには痺れた。出版社が異なる文庫は多くの書店で遠くに置かれるから。
昔、「地理学至上主義者」が「全ての学問は地理学の一分野である」説を唱えていたが、ある種その実装。地理的現実があってそこに人間の理解が様々に分化していく。これらの書棚はその実装として美しい。
種々迷った末に「高雄港の娘」「ようこそ、ヒュナム洞書店へ」を購入。
最近、台湾づいているので前者を、次は韓国をと思っているので後者を購入。前者は書評で見たことがあるが、後者はまったくない。まったくないけれどこの書店が推すならばの心意気。
(歩道橋と自転車は既読。複眼人は買ったばかり、ということで)。

都内気に入る書店リストが増えた。
教文館(銀座)、タイトル(荻窪)、ウレシカ(西荻)、フラヌール(不動前)、盛林堂書房(西荻)、〇〇(自宅近所なのでヒミツ)などが「応援したい気に入る書店・古書店」。
記憶に残る殿堂入りは、ナガリ書店(北九州)、白樺書房(名古屋)、メルヘンハウス(名古屋)、蟲文庫(倉敷)。
紀伊國屋書店(新宿)も便利ではあるが、阿呆な本を平積みにする辺りが好きになれない。結構良い本も多いのだけれど。

●雑感
バロック弓を買ってみる。思ったより安価であるのと、様々な弓に触れることで自分の弓技術を伸ばせるのではないかと思うから(特段根拠のないおもしろ仮説)。
で、バロック弓を試してみるために2週間前にガットを張り、一週間は(その週末ブラームスの予定があったので)A=442Hzで過ごし、一週間はA=430Hzとした。
で、楽器屋さんでバロック弓3種を試奏させてもらう。
いずれもスネークウッド(たぶん)、ネジなし、長・短・短。
短いのはさすがに短い。バロック専業ならこれでも行けるだろうが、古典派でも使ってみたいので、長いのを中心に試す。
種々試行錯誤したが、音質に関係する順番は、(1)エンドピンを使うかどうか、(2)チューニングA=442/430、(3)弓、(4)弦種類、で、圧倒的にエンドピンの有無が効くように思う。
弓の違いは、現在の私の使い方では大きく2点。
ひとつめは発音性。3音・4音の和音はバロック弓が断然良い。バッハである「響かせにくい音」もバロック弓が良い。ただし、エンドピンを使わないことでどちらも相当有利になると感じる。
もひとつは、低音をしぶとく鳴らすのは現代弓が断然良い。ベートーヴェンの四重奏で勝負をかけるなら現代弓(ただし、私の場合、私の趣味においてという意味である。チェロだけでなく、4人全員がバロック弓の弦楽四重奏によるベートーヴェンなど大変興味深いと思う)。
ということで、弓1本お買い上げ。久しぶりに弓2本持ちになりました。

弓屋さんを出て、食事をし、駅で電車を待っていると、対面のホームにチェロを背負っている人を見つけた。
手を動かして挨拶すると、先方も同様。行き来する電車の合間に少しだけお話。そういうのも面白かった。
楽器弾き同志(プロアマ問わず)「なかま」であると私は思いたい。

今年の練習も全終了。やるべきことはたくさんあるけれど、その階段を上っていくことが希望できる人生であることに感謝しよう。

Cristiano Vecchi, Simple Counterpoint for String Quartet
https://www.sheetmusicplus.com/en/product/simple-counterpoint-1-for-string-quartet-mp3-23177149.html
いい曲。室内楽の練習曲としても良いかも。Viola da Gamba の「コンソート」との違いがあるように感じるが、それが何故なのかはわからない。

オロンテーア Orontea by Antonio Cesti 先月から気にしていたオペラ。
https://www.youtube.com/watch?v=lgx8sQhOWGg
なかなか良い!Wikipediaを読みつつ聞くと、赤が「愛」、黒が「哲学」。舞台袖でふたりの歌い手が歌いつつ、舞台上でふたりの道化が踊る。
現代的衣装もさほど違和感がない。作曲当時から見て『古代』のエジプトやフェニキアの考証など無いに等しかっただろうし、そういう「おとぎ話」でもあり、「愛と哲学の優劣」という抽象的物語なのだから、ということだろう。
演奏も適度に騒音性があって活き活きとしたもの。(でも、性的演出がだんだん嫌になって離脱しちゃった)。

Chet Atkins の弾く The Entertainer は良い。
https://www.youtube.com/watch?v=kHtwF-gpluc
しずかで味がある。テンポの深い動かし方も興味深い(この所フルトヴェングラーを聴いているからか?)
"Yankee Doodle Dixie"
https://www.youtube.com/watch?v=H7edaYtRTrw
こちらも超絶技巧なのだろうけれど、余裕と愛嬌のある弾きっぷりが素敵。
Mr. Sandman E.T.A.ホフマンで「砂男」を知った人間には意外なほど温和。
https://www.youtube.com/watch?v=n-c66SJPuUI
密やかで素敵な音楽。こんな砂男なら来て欲しい。しかし、この人、超絶技巧で難曲を弾きつつつねにしずかで落ち着いた音楽をなすのがまたすごい。

中国杭州市でのマーラー交響曲第8番
https://www.youtube.com/watch?v=lVjjr6v2Zj4
「グレの歌」の中国初演もそうだったけれど、極めて高い緊張感で、それが私の思うマーラー、私の若き日とともにあったマーラーに近しいように感じる。
朝比奈隆時代にも上海のオーケストラが優秀だったと聞く。杭州と上海。近いながらもこれだけのことができるのね、と感じる。

Ego flos campi 私は野の花
ヴォーン=ウィリアムズの flos campi ってばこれと同意なのね。人名だと思っていた(愚か)。
flosは英語のflowerと関係ありそう。Egoは「私」だね。
Jacob Clemens non Papa の曲が素敵。

DIC川村記念美術館所蔵の絵画、NYで高額落札…モネ「睡蓮」は70億円超、シャガール「ダビデ王の夢」は41億円 落札総額は164億円
https://artexhibition.jp/topics/news/20251120-AEJ2786338/
これまでの経済的余裕で我が国が買ってきた美術品(骨董、楽器などの高額品)は今後の経済縮小に伴い、こうやってふたたび海外へと戻っていくのだろう。これら作品の購入価格は知らないが、それなりに高額に売れて良かった、というべきなのだろう。
ゴッホの「ひまわり」を日本の保険会社が高額で競り落とした時のニュースを記憶している。
なにか誇らしいようなニュースとして伝えられていたが、聞いているこちらとしては「浅薄な成金趣味ではないのか」との疑念を拭うことができなかった。「売り家と唐様で書く三代目」の如く、ご立派な三代目が育つのに貢献したと言えば良いのかも知れない。

甲斐荘楠音(かいのしょう・ただおと)なる画家の名を、ブログ「私たちは20世紀に生まれた」(https://numabe.exblog.jp/5795424/)にて知る。
ひと目見たら忘れられない印象的な絵。
また、指揮者ウィレム・ファン・オッテルローについても。

ポーランド映画「第二次世界大戦をいかにして引き起こしたか」
ポーランド共産党政府としては、第二次大戦をそれなりに喜劇にまとめることが可能なのだ、と「ワルシャワ蜂起展」を見た立場からは震撼しながら思う。
主人公フランチェスコ(フランク)・ドラスの旅のおおよそのルートがWikipediaにある。もちろん「ほんまかいな」の限りを尽くす映画なので。
https://pl.wikipedia.org/wiki/Jak_rozp%C4%99ta%C5%82em_drug%C4%85_wojn%C4%99_%C5%9Bwiatow%C4%85#/media/Plik:Przybli%C5%BCona_trasa_Franciszka_Dolasa_w_serialu_Jak_rozp%C4%99ta%C5%82em_II_wojn%C4%99_%C5%9Bwiatow%C4%85.png
ポーランドの喜劇映画を見るのも、ポーランド人の知人と会う機会があったから程度のお粗末。
その他ポーランド映画のプレイリスト。いつか見よう。
https://www.youtube.com/watch?v=onBOsPXhtTc&list=PLbRJ6VxmTVY2Cqr39OXk9X1k8BfaZyo7K&index=2

The Mouse That Roared (1959)
ピーター・セラーズの喜劇映画。お薦めに出てきた。主演男優、助演男優、助演女優がセラーズ。こういうの好き。
「米国に敗北すると、資金も食料も得られ繁栄する」とは一体どの国のことを言っているのか・・・?
ハッピーエンドの楽しい良い映画。ツッコミどころはたくさんあるけれど、それを言うのは野暮でしょうとも思う。
「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」もセラーズが三役(元は四役)だったのね。

映画 The Prime of Miss Jean Brodie
後年ハリー・ポッターやダウントンアビーで素晴らしい演技を披露するマギー・スミスが主役とて少し見てみる。
冒頭は希望に満ちているが、徐々に欲望と嫉妬が入り交じり、全員が不幸になっていくものすごいお話だった。
女優パメラ・フランクリンさんが素敵だが、役柄としては結構怖い。この方、出ている映画が大体怖いし役柄も怖い。

マイナー映画の情報を探していると、Wikipedia英語版を日本語翻訳して見ることも多い。
ヴィスコンティーの映画「山猫」を「豹」とか「ヒョウ」を訳すのは止めて欲しい。英題「The Leopard」の直訳で仕方がないが。
ちなみにイタリア語では「Il gattopardo」。ランペドゥーサが伊語で書いたのだからこれが原題だろう。で、Amazonなどで伊語版小説の表紙を見るとそれなりに「豹」ですな。真実の「豹」というより多少想像の入った歴史的「豹」かも知れないけれど。
Chrome翻訳は文脈までは見ないのね。手元で使うことも多い日本語返還ソフトも結構そうだからなあ。

アニメ・漫画 BLAKE & MORTIMER
タンタンっぽいと思いきや、縁があるようだ。
アニメを見たがよく言えばテンポが速く、悪く言えばストーリーが雑。

Geri's game
Pixer社の有名な作品らしい。これをなぞった動画がたくさん現れる。
下衆の勘繰りとしては、当時のCGでは「人間」を表現することがひとつの目標であって、そのための作品だったのではないか。
そしてまた、二人以上の人間を作成するだけの工数がなかったのか、あるいは、一人の人間の表現を限界まで様々に極めたかったのか、そのいずれかあるいは双方があってのこの作品ではないか。と思いつつも、ある種の「ジキルとハイド」でもあって面白い作品である。
これをなぞりたくなる気持ちもわかる。

チェコ映画「生命の泉」ナチス・ドイツによる子ども誘拐レーベンスボルン。
生命の泉で検索するとカリブ海賊映画(お気楽映画)が返ってくる。うむむ。
皆川博子の小説にもつながるようだ。皆川博子「風配図」を本日買おうか迷ったので、驚く。
そもそも風配図などという言葉もあまり見ない(その道の人間としてはさすがに知っているけれど)。

柳家喬太郎 純情日記横浜篇、午後の保健室
落語は「人間のダメなところを肯定する」ものだと思っているが、喬太郎の新作はまさにそれ。素晴らしい。
そしてまた、そのつながりで見た柳家さん喬。とてつもない名人。落ち着いた声色ひとつでフィルム・ノワールの最高の絵が出てくる。
これは「どっちが良い」という話ではまったくない。どっちも良いし、両方あるからさらに良いという話と思っている。

ポーランドの映画ポスター
https://www.youtube.com/watch?v=KpPBQvjesQ8
独裁国家でしばしば見られるように、当局が気が付かぬところに体制批判が忍び込む。まさか映画ポスターに。

1963年のメルクリン広告動画
https://www.youtube.com/watch?v=dPGkfQ4fPkw
TV用には長いし、当時上映も簡単ではなかったであろうから、販売店向け説明会などで上映したものであろうか。
ともあれ、メルクリンで遊ぶ子どもたちが今尚羨ましく感じる。私は1970年代に350円貨車を買うかどうか悩んでいたのだが、これら車両はその10倍以上の値段がしたのではないか。
後年、TOMIXがこのような「鉄道模型システム化路線」を追求したと聞くが、正直に言うと、世界観の提示という意味でメルクリンの方が完成度が高いと感じる。TOMIXは「親しみやすい」とも言えるが、「中途半端」とも言える。ともあれ、これは思想や対象市場の違いなどによるものであって、優劣ではない。

Paget Locomotive パジェット氏が開発した蒸気機関車。小型ユニフローエンジンによって各動輪を動かすもの。
https://en.wikipedia.org/wiki/Midland_Railway_Paget_locomotive
https://www.youtube.com/watch?v=SaYdgST1RlE
ここにもユニフローエンジンが(定義を明確にできていない気がする)。
内燃機関では直線的なクランクシャフトだが、ここでは斜行させているのも、見慣れないものだ。

ネットで中古Nゲージ客車4両を買う。
スハ44+スハ44+スロ60+マイテ49 戦後の特急燕の一等・二等・三等車。
我が家には古いスハニ35があり、40年ぶりに後続を買ったことになる。スハニ35だけだと「川正線の一日」ごっこができるが、それとて10年前にC12を買ってからで、それまではC11やDD13で「川正線ごっこ」をしていた(別に問題はない)。
後はどこかで食堂車(マシ35)を買おう。食堂車を買うのは、小学生の頃ナシ20を買って以来だね。こちらは50年ぶり。
「正しい編成」を再現する気はないので、機関車はC62(東海道)、EF55, EF56あたりで自分としては充分。そらC51があれば嬉しいけれど(そしたら戦前の特急燕ですね)。

Konstal ポーランドの路面電車の製造会社
角ばっているが無骨ではなくどちらかというと繊細。KATOから発売されている「マイトラムClassic」はこの会社のN20(でいいのかな?)あたりのモデルと見える。
https://shift.org.pl/zabytkowe-pojazdy/tramwaje/zv020/
紹介記事もかわいくて良い!
https://x.com/um_an_/status/1998017620575158656

ニュージランドの機関車交代(蒸気機関車の終焉)
https://www.youtube.com/watch?v=oBYpftiRzVk
絵が暗くいろいろ分かり難いが、日本と同じように英国起源の鉄道はなんとなう親しみがある。

ドイツ?の山岳鉄道。凸電が素敵。古い方は少ししか映らず残念。
https://www.youtube.com/watch?v=2OrAzWHd-hI

オーストリア 車両も見たい。
https://www.youtube.com/watch?v=Bo2sUj7jxuA

Youtubeの解説動画で、サンフランシスコのケーブルカーについて「モーターなし、ディーゼルなし」と書いてあるのを見かけた。
うーん。「モーターなし、エンジンなし」と書くのがふつうだし、そう書くべきだろう。
これくらいの知識でものを言うのだな、と少し悲しい。
「電動機なし、内燃機関なし」だと、外燃式(往復動蒸気機関、蒸気タービン機関)の可能性が残るのか。なかなか。

ムーミンの登場人物モラン。
スウェーデン語の本名は、Mårran。日本語版もそれに倣っている。英語では Groke としているようだ。
トーヴェ・ヤンソンがフィンランド人なので、ムーミン原作はフィン語で書かれていると思っていたが、ヤンソンがスウェーデン語話者であり、スウェーデン語で書かれているのね。Linux を作った Linus Torvalds も、作曲家シベリウスもスウェーデン語話者であった。
ついでに、ニョロニョロは元のスウェーデン語でHattifnattars。英語もスウェーデン語と同じ。スナフキンはSnusmumriken。英語がスナフキンWikipediaによれば「スヌス(北欧のかぎタバコ)」、「ムムリク」は親しみを込めて言う「あいつ、野郎」なのだそうだ。イスラム世界の「マムリーク」に似ているので類縁を疑っていたがそういうものではないようだ。

Chemical Brothers の Eve of Destruction で歌っているのは、スウェーデンのAuroraさんであると初めてしった。
https://www.youtube.com/watch?v=3U7C_JlzvqU
中国ツアーをされている。以前、中国の経済発展を知り、「そのうち、海外アーチストは中国公演が主になり、日本公演は減ったり・無くなったりするだろう」と思っていたが、そういう事例かも。その時は、茨城空港から上海に飛ぶ便があり、1万円以下で行けるようだったので、「そうか、上海に行って、美味しいご飯を食べて、ついでに中国公演を聴くのも良いね」と思っていたけれど、それは相当の円安になり、全般的な日本の購買力が低下している前提であるのだから、航空運賃も美味しいご飯も中国公演もオサラバであるということを知らぬ愚か者の戯言だったわけだ。
そしてまた政治家の敵対的言動で日本人アーチストが中国市場に入れなくなるの愚よ。

英国国鉄 Class 13 ディーゼル機関車。
Wikipedia英語版を自動翻訳で見ると「家の庭から離れなかった」になる「Home Yard 本拠地としていた操車場から離れなかった」だろうなあ。これ以外にもWikipedia英語版を見ることが多い(マイナー映画の情報など)ので、こういう文脈を考慮しない直訳の誤りには慣れてきたぞ。
重入替用にでかい機関車を作ると、操車場のハンプで腹をこするので、小型の Class08 を2両連結とし、1両の運転室をとっぱらったというもの。 Class 16 と言いたくなる気持ちもわかる。

ダイキャストの「シーズンクラック」から馬の尿による銃弾(薬莢)のひび割れに至る。どうやってこの結論にたどり着いたのか知りたい。
http://works-k.cocolog-nifty.com/page1/2005/02/post-5a43.html

直流直巻(ちょっけん)電動機。「ちょくまき」だと思っていた。あなや。
端梁(はしばり)も「たんりょう」だと思っていたからなあ。漢字の読みとして間違いではないとも思うが、用語なのだから決まった読み方がある。中には双方の読み方が正しいものもあるし、架線のように一般語としては「かせん」、用語としては「がせん」(河川などと区別するためらしい)などと異なる場合もある。とは言え「定められた者」を「テイめられたシャ」と読むような排他的?読み方は嫌だね。

「クラブ」に行ったことがない。
ネットで見ると「変に格好つけた会員制高級飲み屋」。で、若干気持ちが悪い。まあ行きたくないタイプではあるし、行っていないのが適正と感じる。
シャーロック・ホームズ小説に出てくる「ディオゲネス・クラブ」みたいなのなら行ってみたい。ヘイエルダールの描くところの「冒険家クラブ」も面白そう。どちらも紹介者がいないと入ることすらできないけれど。
「会員制」に意味があるという意味では、神戸商船大学のクラブを神戸で見かけたことがある。外壁に舵輪が飾ってあってそれらしい。これもちょっと覗いてみたい。
その他有名私立大学の「クラブ」もあるらしいが、なんとなう私ごとき庶民が行くべきでない感がある。ま、そらそーだ。

「日本」という国号について
https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/series/37/pdf/kokugo_series_037_05.pdf
紫式部や清少納言は「日本」の語を使ったのかな、と思い調べた結果のひとつ。
「紫式部は「日本」という言葉を使ったか」なんてGoogleに聞いてみるのも面白い。

温泉卵。
昔々、「やぶはら」で初めて食べて美味しかった記憶がある。
「やぶはら」の食事は何でも美味しかったが、朝食の卵料理も毎日違うかたちで出して下さったように記憶する。
ある日は、目玉焼き、ある日は温泉卵。
あれは、醤油出汁風の汁に浮かしたような冷たい温泉卵で、これをご飯にかけると特に良かった。
で、自分で温泉卵を作ろうとしたこともあるが、せっかち者にはなかなかうまく行かず諦めていた。
ふと思いついて「どんぶりを使って簡単に作る方法」をネットで探してみた。
簡単に言えば、どんぶりに卵を置き、熱湯を注いで15分てふもの。
実はその時お蕎麦を茹でていたので、どんぶり(正確にはココット皿の大きいの)に卵を2つ並べ、上に笊を置き、上から茹で汁を注ぐだけ。
冷めにくいよう蓋をして、下にコルクの鍋敷き。
で、15分待つのがせっかち者にはツラいのだが、そこはお蕎麦を食べながら鷹揚に。
食べるの10分、片付け5分の後、冷水で冷やし、殻を割って食べてみました。思ったより少し硬めにはなっていたけれど、黄身はとろりと濃厚で大変おいしかった。
さて、試食用のひとつは食べてしまったが、もうひとつがあるので、こちらは後の楽しみにとっておきましょう。

ハンバーグ。子供の頃から「子供じみた食べ物」という偏見があり、母が作ってくれる「少しご馳走」としては好きなのだが、飲食店に行って自ら進んで食べることは少なかった。
とは言え、塊の肉を食べるほどお金持ちだったこともないので、肉を食べたければトンカツが優勢。洋食屋ならばクリームコロッケやチキンカツ、メンチカツが優勢だった。五十を超える頃から、ちょいとハンバーグを食べるようになった。塊肉を食べるほどのお金持ちでは相変わらずないし、また、塊肉ほどの当たりハズレはなさそうだ(食べないからわからないが)。切り分けるのも簡単であり、肉汁にご飯を混ぜて食べても良いし。というわけで今は結構なハンバーグ好きになりました。
まあ、貧しい昭和の「ハンバーグ」にはいささか貧しさがつきまとっていたかも知れない。

寒かったので、掛布団を増やした。たいそう重くなった結果、ダンプカーにのしかかられそうになる夢を見た。

ウィットナー(Wittener)の譜面台の修繕に使えるネジ。K&M / 03-07-120-29
https://www.soundhouse.co.jp/products/detail/item/47500/

15年ほど昔、職場(様々な事務所が入居している建物)の洗面所に入ったところ、サンタクロースとトナカイの扮装をした人物2名がいた。
ふだん見かけない顔だったので、どの会社なのか尋ねたところ、回答を固辞された。サンタクロースは正体を隠しがちなのだろう。

ニュースサイトで米国大統領トランプ氏の記事を見ていた。
例によって種々様々な(うざい)広告を見せられるが、その中で「トランプ包装」の求人広告が。
思わず押して見ると、遊戯用トランプやUNOなどを包装する作業であった。現在の米国大統領を袋詰にしたい…と

古文の「必要性」論争。
古文とは「一番身近で手軽な外国語」と思う。
そしてまた自国の歴史・文化に親しむためにも欠かせないと思う(私はかなり国粋主義者らしい)。

入試科目とする優先度は低かろうし、今後AIを通じ、AIに教えられながら読む方法が卓越してゆくだろうから、今とは全く異なるアプローチで再構築すべきだろう(たぶん全ての教科がそうすべき)。

新宿ルミネエスト。いつも地下一階の前を通っていたが、上も下もあるとは知らなかった。
知らないことがたくさんあるものだ。

長い休みとて、真空管アンプを出す。ElekitのTU870なる安価なキットを組み立てたものだが、普段のデジタルアンプとはバランスも異なり、面白く聞ける。
音像の分離はこちらの方が良い。また、音の立ち上がりが自然なので、音色感が味わえる。また、帯域の問題であろうが、ヴィオラがよく聞こえ、チェロも真面目に仕事をしているように聴こえる。いわゆる「重心が低い音」とでも言うのだろうか。
デジタルアンプでは平板に聴こえる合唱曲も人の息吹があって聴く気になる。
とはいえ、立ち上がり時に右チャンネルから雑音がするのは、真空管の寿命であろうか。真空管は随分高くなった。特にロシア管は入ってこなくなった(入ってきても買いたくはないが)。AliExpressで買ってみるか。。。
自分は根気がないので、こうして時々感覚を変えないと、長く練習している曲を聴く気が失せてしまうようだ。

Continue reading "読書の記録(2025年12月)"

| | Comments (0)

読書の記録(2025年11月)

台湾生まれ 日本語育ち 温又柔
私にとっては機微な物語であり、少しずつ読んでいる。
この方は完全に異なる3言語(台湾語、中国語、日本語)と国籍の間で悩んでおられる。
私も幼い頃覚えた「家の言葉」と「学校の言葉」は同じでなかったし、言葉が変わることを驚くことすら許されない窮屈な観念の中で生きていた。そういう意味で、言語の話は私にとって「機微」である。それを笑わば笑うが良い。
まあ、私はもはや老いに近づいており、「昔そういうことがあった」という気持ちが残っているだけではあるけれど。

甲子夜話 第1巻 松浦静山
東洋文庫。高いのでなかなか買えない。古書店でバラを見つけるたびに買うがだんだんどの巻を持っているか解らなくなる。
さて、葡萄は実が成り下がることから「武道が成り下がる」と武家に忌まれるのは最近の話だよという記事がある。これって、杉浦日向子の漫画「とんでもねえ野郎」で主人公(とんでもねえ野郎)がこねくり出す屁理屈だ。出典が甲子夜話か他であるかはともかくも、さすが杉浦先生よと嬉しい気持ちになる。
甲子夜話は「管狐」も含め楽しい発見がある。これからも機会があれば買って読もう。

江戸の〈長崎〉ものしり帖 松尾 龍之介
楽しく読了。

ノルマン騎士の地中海興亡史
ノルマン人、こんなにも南下していたとは。また、イタリア半島内だけでなく地中海にも出張っていたとか驚きの連続。
「両シチリア王国」の『両』の意味もやっと分かった。昔々、中学生だった頃、ホーンブロワーシリーズでこの国名が出てきた時以来の疑問が解けた。
一時はカトリック、ギリシア正教、イスラムも含めた多宗教国であったこともあるなど、蒙を啓かれること夥しいものがある。

イタリアの丘の町 たくさんのふしぎ
ノルマン騎士の副読本っぽいかも。

風車と水車 たくさんのふしぎ
長い歴史を持ち、世界史とともに風車と水車があったことが知れる。
この本だと「技術史」だが、「中世のパン」においては社会史が語られる。両方読んでよかった。

中世のパン
少しずつ読む。「スペルト小麦」などの用語解説があると良いのだが、そこはまあネット時代ということで。
とは言え、何故古い方の「スペルト小麦」が「小麦」より長い名を持っているのかは、この本でもネットでも解らず。
風車・水車の社会的扱われ方が「たくさんのふしぎ」との対照で面白かった。

ソリちゃんのチュソク イオクベ みせけい
韓国におけるお盆(のような日々)を描いた絵本。
素晴らしい。近くて遠い国の日常・非日常が垣間見えて実に楽しい。町の有様、田舎の有様(田んぼや農作物、裏庭の柿の木、お祭りなど)、道路が渋滞すると道端で商売をする人がいるなど。
これらとて、現在の有様ではなく、少し古い(私の想像では2000年前後)のだと思う。その時代の日常が残されているのが貴重。
日本でも「さんねんごい」(菊池 日出夫)や「ぼくらの地図旅行」(那須正幹、西村繁男)などがこれに該当するだろう。
私の趣味は「遠くに行くこと」だが、この書は、行くことのできない時代・行ったことがない場所への旅ということで、私の趣味を豊かに満たす。

女人渇仰 岸田國士
岸田國士の文章を初めて読んだ(青空文庫)。暖かい文体でよろしい。
加藤大介「南の島に雪が降る」において小説・映画「暖流」の話題が出てくる。
戦地で設けられた演芸分隊では、手元に脚本がないことから記憶から再現できるものは再現して演ずるようになる。「暖流」についても、希望があるなか、映画のほぼ全てを記憶した兵士が現れるなど、当時の「暖流」の人気を語るものであった。

弁天小僧 川口松太郎
ペンクラブで公開されているもの。実話のように濃厚で流麗な語り口。余情のあるいい文章。

●雑感
ドヴォルザーク 弦楽五重奏曲 Op.97 の本番
弦楽五重奏の中で、私自身が弾きやすそうだと思って選んだ曲ではあるけれど、まあまあなんとかなった部分と、アカン部分があった。
下のポジションから上に上がるのがアカンね(そう明言した方がおられる)。
とりあえず、そういう練習をするのだろうなあ。まずは上の方で様々な音量で弾く練習が不足しているのだと思う。
耳で弾こうとするのもアカンのだろうけれど。まずは、デュポールの上に上がる(でも下にも下がる)曲を練習しよう。練習しよう練習しよう。
ともあれ、数年前に買った楽器は「良い音」と言われる。自分の耳だけで買った楽器なので、「ハズレ」だったら目も当てられないが、「アタリ」だったのだろう。ありがたいことである。楽器屋さんには感謝。30台くらい弾いて最後に出てきた楽器なので、まあそれなりの本気だったのであろうけれど。
そしてまた、複数の方から「バッハの通奏低音弾くべし」と言われたのは不思議。私が弾いたのはドヴォルザークなんですけど。
バッハの通奏低音を弾く機会などほとんどないので、お言葉はありがたく受け取って置けば良いのだろう。
あ、もひとつは、「『いい音』を出しすぎ」というのもあった。うん。こないだのブラームスもそうだけれど、ちょっと目立とうと思ってフラを入れているんだよね。そういう色気づいているのが良くないのだろう。なんだかなんもないのは寂しいかなと思っているのだが、そういうアホの所業はやはりバレるのであった。気をつけよう。
とは言え、次のお誘いがないのはやはり反省すべき点が多々あるということだろう。精進しよう。

スメタナ「わが祖国」
ほぼクーベリック・チェコPOの演奏しか聴いたことがない。
1990年、チェコが自由化し、亡命していたクーベリックの久々のチェコ復帰ということで、たいへん熱気のある演奏。
チェコPOの人々はこの曲を全て暗譜しているのではないか、というノリで、冒頭の吟遊詩人のハープから、最終楽章までを熱狂的に弾き抜いてしまう。
もともと私は細かな演奏の違いが気にならないらしく、いい演奏の録音をひとつ持っているとそればかりを聴いて他を聴かない。
そしてまた、ひとつの演奏が気に入ると、繰り返し聴くのだが、その結果他を聴いても受け入れられないことになったりする。
これはそういう演奏のひとつ。

そう言えば、「高い城」という言葉は、ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの小説にある。また、カフカの「城」も高さに対する言及はないものの、入ることが出来ない、永遠の拒否権を持つ「城」はある種の心理的な高さを持っているように感じられる。
欧州の都市のある典型は、町中に川が流れており、川沿いにある高い丘の上に「城」が聳え、丘の周囲や川向うに町が広がっているようだ。レムの例を見ると、こうした都市を見下ろす城を「高い城」と言っているようだ。
(アメリカのSF作家P.K.ディックに「高い城の男」なる小説もあるが、未読。この「高い城」が何を指すのかは知らない)

オーケストラ。好きな曲を弾かせてもらえるのは楽しい、ありがたい。
とは言え「団員」になるのは辛い。私は我儘な人間なのである。曲目、演奏会日程、練習日程、練習時間、練習方法など縛られるのが苦しい。
そしてまた色々考えるに、自分は「室内楽」への憧れが強すぎる。
小学五年生でモーツァルトのクラリネット五重奏を聴いた時にかかった魔法がおそらくはこの世から去るまで解けないのであろう。
あるいは成人する前に出会ったバッハやハイドンの魔法もまた。

そう言えば、今月の本番で使った弦は、上2本がヤーガー、下2本がスピロコアという「昭和の標準」。
欠点がないとは言わないが、「そんなに悪くない」「使える」という感じ。
標準たるものそうでなくては、なのだが。音は出しやすい。出てくる音が全て好みかと言われるとなかなか難しいが、相応の音はする。
A線とD線の連続性があまりないのが、少し辛いが、多くの弦セットで生じる問題であって、ヤーガーが特に悪いとも思わない。
まあ、適当に弾いても適当な音がするようでは上達しないので、ガットを張って苦労するか、メタモルフォーゼンの本番まではこれで保たせるか?

R.シュトラウス メタモルフォーゼンの録音について
https://chatgpt.com/share/6912891c-b8ac-800b-884e-dc0a41386304
フルトヴェングラー指揮ベルリンPO 1947年があるのは知らなかった。
楽団員全員がナチスドイツの崩壊を(おそらくはドイツ国内にあって)知っていたのはまずまず間違いないだろう。

フルトヴェングラーとカラヤンのメタモルフォーゼンを聴いてみた。
フルトヴェングラーの演奏を再現しようとするのは「危険」だが、カラヤンの演奏は自分にはほとんど意味がないと感じる。
磨き抜かれた流麗さが溢れているがそれ以上の「意味」が感じられない。もちろん全ての音楽に「意味」を求めるつもりもなく流麗さが身の上の音楽もあると思っているが、こういう曲でも流麗さだけを磨くのはちょっと行き過ぎと感じる。これなら「何を演奏しても一緒」なのではないか。このような曲から「意味」を取り去るとそこに残るのは「逆説的空疎」でしかないのではないか、と思う。
カラヤンは私がクラシック音楽を聞き始めた頃の人気指揮者であり「いつでも聴ける」気軽さからカラヤン以外を優先して聴き、結果としてあまり聴いたことのある指揮者ではないが、改めて聴いてみると「聴かなくて良かったとまでは言わないが、優先しなくて良かった」と思わするもの。
記憶にある範囲だと、LP時代にマーラーの交響曲第5番、CD初期にベートーヴェンの運命・田園を聴いているが、それらがあまり面白いとは思えなかったのが私の「カラヤン体験」だろう。そうそう、アグネス・バルツァの「カルメン」は気に入っていたけれど、バルツァの歌だけを繰り返し聴いていたっけ。
そして、どこかで一回見た白黒の映像作品。ベートーヴェンの交響曲第三番の葬送行進曲。オーケストラ録音とは別に映像撮影だけしたようで、チェロが極端に高いひな壇の上に3人だけならんで、ノロいヴィヴラートをかけている情景をよく覚えている。こんなに変なことをさせられて、オーケストラの人も可哀相だなと思った記憶がある。
世阿弥は「花なければしほれどころ無益なり」みたいなことを言っているようだけれど、カラヤンは「花」だけ追求したように思ってしまう。

ムラヴィンスキーも、直接的・個別的な「意味」を感じさせないものの、強固に隠蔽された奥の奥に大きな「意味」があるのだと思わせる強い音楽だった。
カラヤンからはそういう「隠された意味」も感じにくい。
いずれにせよ、空気の粗密波を様々に構成したに過ぎない「音響」から「意味」を読み取ろうとする人類の面白さよ、というところ。

で、楽器並び順問題も考える。
North York Moors Festival Ensemble (2013)
Vn,Vn,Vc,Cb,Vc,Va,Va かな?
https://www.youtube.com/watch?v=PBy9z0pdeJY

Sol Gabetta ら(と私には見える)。
Vn,Vn,Va,Va,Cb,Vc,Vc 。向かって左側が全楽器1番だろうと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=RyeVRMjfRJE

23楽器なので今回の対象外だが、「歌劇『変身』」になっている。
https://www.youtube.com/watch?v=ud8L3eLT4LA
カフカを思い起こさせて考えさせられてしまう。
カフカの原題(独語)は「Die Verwandlung」
この語は演劇における「場面転換」の意味も持つとか。これは驚き。カフカ「変身」は、本人にとっては限りない悲劇であるけれど、周囲・社会にとっては「場面転換」ていどの意味・・・と含意していると想像するだけで身の毛がよだつ。

「死と変容」は「Tod und Verklärung」。
Verklärung は「晴れやかな表情〈姿〉」の意味が出てくる。そうなると「死と浄化」と訳したくもなろう。

Metamorphosen は複数形で、変形、変身、(岩石の)変成、

アナリーゼというほどではない情報。
https://www.youtube.com/watch?v=UDwd70kPfTY
最も気になるのは「アルプス交響曲」に「反キリスト」の意味があったとか。R.も大概適当な気がするので、あまり深刻に捉えるべきではないのだろうけれど。

指揮者山田和樹氏がNHKの朝の番組に出演。
ベルリン・フィルハーモニーの説明でカラヤンは出てくるが フルトヴェングラーは出てこない。小沢征爾と佐渡裕は出てくるが、朝比奈隆は出てこない。
若い頃、アマチュア楽団80を指揮し、経験を積んだとのこと。
アマチュアを指揮しても経験できないこともあろうし、アマチュアを指揮するからこそ得られるものもあろう。
ともあれ、日本の指揮者を養成するのにアマチュアが一定の役割を果たしているのだろうなあ、と(少しうれしく)想像する。
まあ、指揮棒の分からないところ、指揮者の言葉の分からないところを、プロの音楽家/オーケストラなら「ごまかす」能力があるかも知れないが、アマチュアにはちょっと期待できないよね。等など。
(ベルリンPOに対し、「花が開くように云々」とやっているのを見た。私も昔、大学オーケストラに対してそういう話をしたことがある気がするが「わからん」と大勢には不評だった。世の中が進んだのか、あのオーケストラがおかしかったのか・・・。センター試験の害悪を種々見るが「そーゆーこと」だったのかも知れぬ)。

20世紀の偉大なる指揮者メンゲルベルクの録音が公開されている!
https://willemmengelberg.nl/discografie/
メンゲルベルクの自在なアゴーギグ、流麗なポルタメントを楽しもう!
(もちろんそれだけではないけれど、まずはそこから!)
ブラームスの交響曲の緩徐楽章なんかがこれらの至芸を味わえて楽しいかな?
(と言いつつ、ベタベタのポルタメントをかけている曲はさほど多くない)。

Orontea by Antonio Cesti 面白そうなオペラ。
https://www.youtube.com/watch?v=lgx8sQhOWGg
聴いている場合ではなさそうなのでメモ。

Rut Alonso - Llaqui Cusi (Video Oficial)
https://www.youtube.com/watch?v=_CjnBnqjlbY
南米の方?簡素だが心惹かれる。音が少ないとそう感じるが、音が増えると「ふつうのポップ音楽」に聴こえてちょっと閉口。
音が少ない方が繊細で複雑な音楽に感じられる。音が増えると平板に聴こえる。我ながら嫌な聞き方ではある。

ヴィクター・ボーグ。何を弾かせても様になる。音楽的知性を感じさせる。
https://www.youtube.com/watch?v=R9UN3xFBCcw
ここで言う「知性」は、紙に書かれた知識ではなく、現場で培われた感覚に基づき、それらを抽象化したものとでも言おうか。非常に現実的な感覚として瞬時に作用する「知」。

ポール・マッカートニー バッハ。 Blackbird って良い曲。
https://www.youtube.com/shorts/OamF7VVbnC8

東京芸術大学の「アルルの女」終わってから知る。
子供の頃から好きな曲でもあり、ホグウッドの劇場版も面白く聴けたのだから、行きたかった。無念。

チェロ奏者ズラトミル・ファン氏 Zlatomir Fung The Freedom of Fantasies
https://www.youtube.com/watch?v=Bw0Wlz6jUEQ
中国・ブルガリア系アメリカ人(ということは本来どうでも良いのだが、記憶する手がかりとしてメモ)。
オペラ幻想曲として、音の作り方が多様で面白い。
我々ごときへっぽこ素人とは弓の使い方がまったく違う。

種々多忙のせいもあり、多摩美術大学の芸祭、東京芸術大学取手の取手芸祭など見送る。残念だが仕方がない。
そう思うと、演奏系音楽系は結構しぶとく、自分のなかでそちらが優先だったのね、と改めて感じる。

AppleLossLessをUbuntuで再生すると「針飛び」が起こることがある。
それらの曲のメモを作ろうと思っていたのだった。
今回はBISレーベル、小川典子のドビュッシーBallade

画家おおば比呂司氏の画業
https://www.oba-hiroshi.com/index.html
つい「ほていの焼鳥」など食べ物に目が行きがち。なんというか、美術館に行ってお金を払って見る崇高な「芸術」というより、独り寝の宿屋の晩酌に静かに付き合ってくれる気のおけない「友」という感じがするのは、「ほていの焼鳥」のせいだけではないだろう。
飛行機の絵が多かったのはまったく知らなかった。このウェブサイト、とっても良いけれど、絵がも少し大きければなおなお良かったのに。

「黒はんぺん」。
我が家は静岡に縁があるので、黒はんぺんを食べる習慣がある。
白はんぺんも食べないことはないが、できれば黒でお願いしたいと私は思っている。
近所のスーパーマーケットで「黒はんぺん」が売られていたので喜んで買ってきた。
正しい商品名(おそらくは農林規格)では「ゆでかまぼこ」だそうだ。少々がっかり。まあ、実態が変わるものではないので気分だけの問題ではある。
材料の第一はもちろんすり身(鰯)だが、第二にすり身(鱈)が入っている。まあそういうものだろう。
鰯だけだとツミレになってしまいハンペンにならないのかも。さて。
(昔、鰯数十匹200円に行き当たった時は、手開きしていって成功したのは刺し身、少々失敗は蒲焼、完全なる失敗はツミレにした。もちろんどれも美味しいし、身の崩れ方が活きるので「手開きは失敗だが料理は成功」といったところだ)。

映画「Un de la légion(軍団の一人)」
フランス外人部隊を題材にした映画。まあ、大したことない。外人部隊礼賛映画とも言えないお気楽物語。
「外人部隊」への憧れが私にはよくわからない。まあ、「最後の騎士道」ないし「最後の冒険者」ということなのかも知れないが。
毎日を世知辛く生きていると、命を捨ててでも一発逆転を狙う破天荒に憧れるのだろうか。

映画「北京の55日」をちらりと見る。
どこに組んだセットだろうと思い、Wikipediaを見るとスペイン。「ドクトル・ジバゴ」も同じ。
フランコ総統が映画好きでスペイン軍を無料で使わせた、など。どんな独裁政権にもどこか不思議でおかしみのある出来事があるものだが、これもそのひとつかも知れない。

映画「名誉と栄光のためでなく」.. インドシナといいアルジェリアと言い、フランスは良いことをしていないし、その結果良いことにもなっていない、というのがまずもっての感想。
自動翻訳字幕で見るとアラン・ドロンの「歴史家」と出てくるが「記録係」程度なのだろう。
兵士シュヴェイクに出てくる一年志願兵(たしか「マレク二等兵」)がそんな役割だった。彼は不良学生だったが要領は良いので、軍隊に来ても学問を活かして名誉ある連隊の歴史編纂係になる、というもの。ただし、彼が書く歴史は全てデタラメ。本人を目の前にして、「次の戦闘でカクカクシカジカ英雄的な死を遂げる」くらいのことを言ってのける。シュベイクの登場人物の多くがそうであるように真面目に戦争をする気がまったくない。ある種の反戦活動家。
そもそもシュベイクを書いたハシェクが破天荒な人物であり、動物関係の雑誌の投稿記事のほとんどがデタラメ(というか創作)だったという曰く付き。その意味では、不条理演劇の人別役実が書いた「鳥づくし」「虫づくし」などは『おとなしい』と言うべきものだろう。

映画「ニコライとアレクサンドラ」も少し。
多くの錯誤の積み重ねが彼ら自身の悲劇に至るのだが、では錯誤がなければこうはならなかったと言えるかというとそうも思えない。
あまりにも多くの不幸の上に築かれた帝国は悲劇なしに終焉を迎えることはできない、などと感じる。
多くの権力者はそれを恐れるが故に、多かれ少なかれ民草に斟酌するし、あるいはまかりまちがって暴政を敷いたりする。
ロマノフ王家殺害・遺体隠蔽についてはさらりと触れる程度だが、Wikipediaを読んでしまったので、遺体隠蔽の話が頭に残っていたらしい。映画・Wikipediaを見た晩の夢で「自宅に遺体・人骨があるがどのように隠蔽しようか・・・」と悩んでしまった。意外とこういうおぞましいことは心の底に残るのだな、と思った。

The Sea Wolves
戦争映画。ふつうの戦場ではなく中立国の港に停泊中のドイツ船(こういう映画であるから当然の如く諜報工作をしている)を老兵が爆破するてふもの。
出ている役者はすごいが、まあだらだら見るのにちょうど良いくらいのお話。
老いたグレゴリー・ペックってこんな役をやっていたのね。
ロジャー・ムーアは何に出てもジェームズ・ボンドを演じることになるのね。
デヴィッド・ニーヴンはお年を召されても格好いい(北京の55日にも出ておられた)。

だらだら映画を見るのは、お疲れの故だろう。まあそれも良し。
しかしよくまあこうした無名どころの歴史映画がお薦めに現れるもんだね。

「ローゼンクランツとギルデンスターン」
Wikipedia にこの項がある。もちろんハムレットの(主人公ではない)登場人物である。
ローゼンクランツ(薔薇十字)は創作された名だと思っていたが、デンマーク人には「よくある名前」だそうだ。
そしてまた、天文学者ティコ・ブラーエの従兄弟にこれら苗字の者がいたとか。驚くようなことがあるものだ。

「ニコラ・ル・フロック」も見たが、なかなか理解が及ばない。無念。
フランスのルイ15世時代の貴族・探偵ということになるが、自動翻訳字幕では追いきれない情報があるのだろうか。
時代や内容としては、楽しめそうに思うのだが。もう少し追いかけてみよう。
女優ヴィマラ・ポンスさん。色々話の筋に現れそう。マリー・ド・ラングルモン / ラ・サテン / ラ・ビシュリエールと3つの名前を持つ女。覚えておこう。(シリーズ3では交代されるのね)。

Montalbano, les premières enquêtes シチリアの人情刑事だそうだ。
女優さん(サラ・フェルバーバウムさん)が素敵。
Montalbano だけで検索すると怖い禿頭中年男性の写真が返ってくるが、「les premières enquêtes」をつけると、「やんぐ」の意味になるらしい。若き日ののモンタルバーノ。
こんなに若くて「警察署長」。ニコラ・ル・フロックもそうだが、ラテン諸国は学歴格差が大きいっぽく、現場の泥臭いオジサンたちと若く優秀な管理職みたいになるっぽい。まあ、日本でも警察署長といえば叩き上げのオジサンかキャリアー(国家公務員一種)の若者かと相場が決まっているけれど。
して、警察官僚(副署長?)がふつうに既婚者女性をナンパしておる。恋愛は個人の自由という社会観。

ドイツアニメ1970年代くらいか?
https://www.youtube.com/watch?v=EkaVxywY9Vw
独特の表情・表現。良質なガソリン燃料の宣伝らしい。

お薦めに出てきた映画『Rogue Male』。独裁者暗殺するのかしないのか・・・変な映画。
映画「ランボー」に影響を与えているとは。
ランボーも、第一作もそれ以降とのつながりも変な映画だ、と思うのだが。

BBCドラマ「Normal People」(2020)
映像が気に入ったので、あらすじを見てみたがちょっと耐えられる気がしない。アイルランドの若者の話。

Forbidden (1954) 原題は Proibito 。ニノ・ロータの音楽ということになっているが、動画についた音楽のほとんどはブラームスの交響曲第4番。なんか変なの。音楽の音質は激悪。

謎の円盤UFO
「娯楽SF」。SFっぽさもあるが、どちらかというと探偵・冒険小説っぽさが勝るか?
「エリス中尉」を始めとするお色気路線でも有名。ツルっとした衣装は今となっては気恥ずかしいが、もしかすると機密保持のための策かも知れないと思い当たる(設定がどうなっているかは知らぬ)。先日見た「菱刈鉱山」でも、鉱夫は坑道から出た後入浴した(させられた)と言われており、似たようなことである(ほんとかな?)

夏の蒸気機関車の詩 保存版 さよなら蒸気機関車 3(TBS)
https://www.youtube.com/watch?v=8hVe2tZocx4
蒸気機関車終焉期に作られた(おそらく多数の)番組のひとつ。最初にC58を取り上げるなど渋い。C58は生産台数はC62の5倍くらいあると思うが、特急用として目立ったC62とは知名度が桁違いに低いように感じる。
駅や機関区での低速走行時の足回りに相応な時間を割き、ターンテーブルで車体を各方向から味わい、などなどなかなか良い。機関車の「機械美」を味わうことができる。船底型テンダー、門デフなどの解説も素敵。「貴婦人」のような紋切り型とは無縁のものだ。
相当の好き者が作った番組!ナレーションも落ち着きがあり、なぜか音楽が若干不安を煽るのが不思議。この担当者はおそらくC55(およびスポーク動輪の機関車)が好きなのね。
この後の「4」はよくある情緒的ナレーション。かなり気持ちが悪い。また、「しーごじゅうなな」と「でぃーごぉまる」という異なる読み方を平然と混ぜるのもおかしい。変なの。実験作品か?

鎌倉のラーメン「ひら乃」。2020年頃閉店と聞く。
自分が最初に鎌倉を訪れた1990年頃に入った記憶がある。その後、鎌倉をしばしば訪れるようになったけれど、その際には楽器を持っていることが多く、狭いこの店にはとても入店できなかった。表の電信柱に楽器を括り付けて・・・と思ったこともないでもないけれど。
その後2度くらい入れただろうか。人が並んでいるのをよく見たけれど、ある時並ばずに入れた。満員一歩手前の最後の1席だった。隣席のご婦人から、「この店はたいてい並んで入ることになるので、並ばずに入れたあなたは運が良い」とお言葉を頂いた。
そう何度も入ったお店ではないが、こういう雅なやりとりのある雅な町の雅な店として「思い出の店」である。
何でも変わっていく。万物が流転するくらいだから、人の為すことが変わっていくくらいは当たり前であるのだろう。

某所定食屋さん。そこはかとなく九州風のものが出る。亡き母も九州に縁があり、私には懐かしい味で気に入って何度か通っている。なおいい店は営業中につき名を秘す。
開店前に店先の「本日の献立」を眺めていると、女性二人連れがやって来て脇から一緒に眺めだす。
「おいしいか」と聞かれるので「おいしかった」と応える。
開店まで30分あるので、二人連れも私もそれぞれ時間を潰しに店を離れる。が、開店10分前に店の前に戻ると全員集合してしまう。
さらに他にお二人が現れ、「どれが美味しいか」の話題になる。結局「どれも美味しい」のだけれど。
たとえば、私はいつも刺身定食を食べてしまうのだが、鶏の焼いたのもうんと美味しいらしい(まあそうだろう)。
私は例によって刺身定食を食べてしまったが、次回(できるだけ間をおかずに訪問して)鶏を食べよう。
と思っても、献立が変わるのだよね。それはそれでとても良いことなのだが。ほんと間近に訪れないと!
涼しいとこうして出歩くのも楽しい。あの酷暑はなんとかならんのか?(世界中が温暖化対策に立ち上がるべき。戦争を始める輩は馬鹿野郎である)。

スーパーマーケットで安売りのミックスナッツを買ったら、シケっていた。悲しい。
一国が貧しくなるってこういうことね。前ならば、先進国日本の貨幣価値が他国を圧倒していて、少しの日本国貨幣で高級なナッツを買うことができたけれど、今どきの日本円はそんなに強くない、と。

今週の誤字
 「歩蛸」「歩哨」。
 Wikipediaの「アレクセイ・ニコラエヴィチ_(ロシア皇太子)」の項。
 どうやったら「歩蛸」という文字を出すことができるのだろう。
 この文字を入力した人は「あるく・たこ」と入力したのだろうか。
 印刷資料を光学読み取りするとこうなることがあるけれど、最近であればスペルチェックにかかるような気がする。。。

 「投球改正」→「等級改正」
 日本国鉄の3等制から2等制への移行のことである。「改正」としている用例は他に見なかったが、間違いではないだろう。投球の方はもちろん誤り。

 「管弦楽楽版」→「管弦楽版」
 そんなにガクガクせんでも。J.S.バッハ『フランス風序曲』の管弦楽版があるのはなかなか嬉しいが、およそ演奏機会があるとは思えぬ。

 「自動軽量機能はございません。」→「自動計量機能はございません。」
 パン焼き機の説明文。

 仕事上の会議で「●●にも目くばせお願いします」と言われた。きっと「目配り」のことなのだろう。
 「目くばせ」は「目でする合図」。そんなわかりにくいことしていないで口で言え!
 とまあ思うわけだが、誰か身内が気づいて教えてやれよ、って奴ですね。
 先般の「げっぱもく」(齧歯目げっしもく)もそうだが、私は遠慮しておく。
 まあ、本当に相手を尊敬し、相手を信頼しているならば伝えるのだろうけれど、赤の他人にさほど親切にする謂れはない、と思う。

フランス語「私は一人ではない」「Je ne suis pas seul」は「すいません!」に聞こえる。
直訳では「私は一人ではない」だが、意訳を考えると「すいません!(お話いいですか?)」となるのかな?
「私は一人ではない」→「あなたも存在する」→「存在するなら私と話くらいしてくれろ」的論理展開?

路上喫煙者の一定数がポイ捨て常習者でもあり、彼らには常々憎しみを覚えるばかりである。
で、ある朝、家の周りを掃除していたところ、きつい煙が漂ったので、立ち上がって見た所、路上喫煙者の後ろ姿が見えた。
下水口に煙草を落としているのがえらいのかえらくないのかと言ったところ。
して、ふたたび掃除をしていると、戻ってきた路上喫煙者がスマホを見せて「〇〇5丁目はどこか?」と問う。
近隣ながら知らない住所であったせいもあるが、「路上喫煙をしている人に親切にする気になれない」と伝える。
「スミマセン」とは言っていたけれど。路上喫煙者がこれで心を入れ替えるとは思えない。私には。

「スターリンソート」もひどいが「アベソート」がまたひどい。
アルゴリズムで政治批判をする方がおられるとは思わなかった。
スターリンソートは抹殺ソート。都合の悪いデータを削除する。
アベソートは捏造ソート。都合の悪いデータを書き換える。
ともあれ、そういう指導者の尻馬に乗った連中も大概だよね。

公明党が政権・自民党から剥がれた。
特に最近、私は公明党は自民党と一体化しており、別な党として成り立つ意味がないのだから吸収合併されるべきだと考えていた。
なんとなうだが、公明党・支持母体はそのことを逆に危機感として捉えていたということだろうか。
公明党の離脱はその意味では公明党としても必要であったろうし、政権批判者である私としても好意的に考えている。
一方、自民党と維新の連立(ではなく閣外協力らしいが)には暗澹たる思い。
私としては維新は「大阪のならず者」という印象が強い。
昔の自民党はタカ派もいればハト派もおり、いずれの派にあっても「戦争だけはしまい」と思っていたように感じる(一定程度戦前回帰を目指してはいつつも)。それが外れてしまったのかどうかが最大の興味(というか恐怖)。
高市首相が韓国・中国に就任早々に訪れたのはその点では好情報。少なくとも国交を重んじる、というメッセージではある。韓国・中国側もそのようなメッセージを相応に評価しているように感じる。その点も好情報。国と国、言いたいこと、利害が一致しないことがあるのは仕方がない(「当然」とまでは言うまい)が、仲良くしなければ互いの国民が不幸になるのも明確な事実と信じる。
とは言え、維新との連合(と言っておこう)も含め、排外主義の拡散を続ける危険性もあり、心配ではある。
https://note.com/miraisyakai/n/n1187883b0b01

ガソリンの暫定税率廃止に私は賛成だが、自動車を持っていない関東民として受ける恩恵は少ない。
一方、関東民としてはいわゆる「一票の重みの差」をなんとかして欲しい。私の人権は●●県民の1/2だ、と言われていると感じる。
天下の裁判所がこうした人権蹂躙を放置・是認しているのにはたいへん腹が立つ。

その後の高市政権の動向には不安を覚えるばかり。
「大阪の与太者」と組んでどうするのか。そしてまた対中国の間抜けな答弁・国際会議への遅刻・夕食会欠席など。
高市氏ご本人が「威勢のよい与太者」。戦略性もなにもない。私は中国の政権を賛美するものではないが、彼らの方が遥かに国際社会における現実をよく見据えて行動しており、日本は国際社会での信頼を大きく失墜しつつある。手短に言えば国難である。

朱戸アオ『リウーを待ちながら』について検索したところ、公明党に紹介・評論のページがあたった。
https://www.komei.or.jp/review/m024-2/
「マンガ de 社会問題」の一項目(題そのものはまったく好きになれない。 de ってなんだよ)。
社会問題を扱ったマンガがこんなにもあるのかという驚き。そしてまた、それをこれだけの数批評できる方の存在。
日本のマンガ(およびそれを追いかけ・追い越そうとしているマンガ)は「映画」と似て、様々な表現を開拓する優れた手段になっているように感じる。これら社会問題の摘出もまたそうだろう。(米国のマンガは進歩も発展もない、と身も蓋もなく書かれている。実情を知らないのでなんとも言えないが、ちょっと面白い。日本マンガも読むのに相応の能力(リテラシー)を要求されると思うけれど、それとの相関があるのかないのかなど)。
そうそう。「リウーを待ちながら」はコロナ禍中に読みたいと思って読まずに来たもの。あの頃読んだのは、カミュ「ペスト」、チャペック「白疫病」、ボッカチオ「デカメロン」なんかだった。

乗車経験がある(ありそうな)ディーゼルカーを指折り数えてみた。概ね乗った順。
 キハ30系(国鉄武豊線)小学2年
 キハ20系(国鉄二俣線)小学3年
 キハ58系急行かすが(JR西日本・東海関西本線)高校生
 キハ82系特急ひだ(JR東海高山本線)大学生
 キハ183(JR北海道、札幌ー釧路)就職して出張で
 キハ120(JR東日本小海線)家族と
 キハ120(JR西日本姫新線)一人で旅行
 キハ283(JR北海道、札幌ー帯広など)出張
 キハ40系(JR西日本城端線)出張
 キハ110(JR東日本小海線)一人で旅行
 キハ85系特急南紀(JR東海紀勢本線・関西本線)一人で旅行
 TH2100(天竜浜名湖鉄道)法事で名古屋に移動するついで
キハ30から特急ひだまでは父に連れられて乗ったものだ。
多くは記録もなくおぼろげな記憶に基づいて最近調べたものなので、間違いがあるに違いない。
関東の鉄道趣味者に言わせると、「国鉄時代の名古屋駅はさまざまなディーゼルカーが入線していて羨ましかった」とか。確かに私達の同年代で東京近辺であると、電車が主で、ディーゼル特急/急行などはあまり見られないかも(総武線、日光線が電化されていなければ、まだディーゼル急行が東京駅・上野駅あたりにいたかも知れない。おそらく相模線、久留里線、小海線あたりが最も近いディーゼル路線であったのだろう)。
確かに、私が知っている短い時代であっても、武豊線、高山線、関西線のディーゼルカーが、様々な列車種別(普通、急行、特急)として名古屋駅に入っていたし、さらには名鉄の新名古屋にも高山行き「北アルプス」が入っていた。
私としては、東岡崎駅で発車前にエンジンを空吹かししているのを毎日のように眺めていた名鉄のディーゼル特急に乗車しなかったのが最大の痛恨時だろうか(と言うほど悔やんでいないけれど)。
そういえば、キハ40系がまだ古びていなかった頃、乗車して「こんなに低加速で実用になるのか?」と驚いた記憶があるのだが、あれは、いつ・どこだったのだろう?大型フェリーに乗ると、細かな振動が伝わってきたなと思っていると陸の風景が水平移動していてそうか出港したかと思うことがあるけれど、キハ40の加速からは大型フェリーと同じような慣性質量があるように感じられる。

川崎造船凸型電気機関車
https://arumo.a.la9.jp/rn0179.html
子供の頃、図書館で借りた「私鉄電気機関車ガイドブック 東日本編」(誠文堂新光社)で実物写真を見て、「こんな変な機関車があるんだ」と印象に残ったもの。
機関車前後にボンネットがあるのは「ごくふつう」であるが、このボンネットが左右に分かれており、中央に通路があるのは「たいへん不思議」。
当時名鉄鳴海工場を行き来していたデキ370はボンネットが左側に寄っており、右側に通路があった。多くの場合は、左右どちらか外側に通路を設けるのだが、なぜか真ん中。
鈍重で眠たげな表情といい、設計者の考えを聞いてみたくなるお姿。
アルモデルの模型は台車がDT33(類似形式)になってしまうのが少々残念だが、この機関車の力点はやはりボンネットであり表情であるのだから、作ってみようか。

「西武ゆうえんち」のポスターにある電車の姿が妙だと思っていた。
このポスターにはゴジラに食われている電車が描かれている。これが客車のような電車のような「変なやつ」。
車両の両端に扉があるのは、どちらかというと客車風であるけれど、客車であるならば「デッキ」になっているのがふつう。ポスターでは、平面的な構造で扉があるので、電車っぽく、かように、電車と客車の文法を混在させているのが、鉄道趣味者には「気持ちが悪い」。
相模鉄道(後の相模線)では、後々電車にするつもりで作った客車があり、こいつらは、西武ゆうえんち的な「電車型客車」であったようだ。この写真が、西武ゆうえんちポスターにちょっと似ている。まあ、だから気持ち悪くないかというとそれはまた別。
ポスターを描いた方がそこまで考えていたならすごいが、まあそうでもないだろう。
(「漱石の時代」シリーズにおける谷口ジローの画業は素晴らしいものだが、明治期には存在しなかったボックス動輪の蒸気機関車のヒトコマがあったと記憶する。アニメ「風立ちぬ」でも、蒸気機関車の機種選定に微妙に疑問を感じるところがあった。私の無知である可能性はまったく否定できないけれど。。。)

聖ザビエル四百年祭 長崎
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009182598_00000
昭和24年(1949年)に長崎で開催された聖ザビエル四百年祭の映像。
古い鉄道輸送の話を読んでいると、聖ザビエル四百年祭に向けての列車準備に種々苦労したように書かれている。
そんなに多くの人々が訪れるのかと思いきやこの映像を見ると相当の人数がおられる。外国からも相当お越しになるような文章を読んだが、そのとおりなのだろう。戦後、海外・国内で観光的な大移動が起こる最初のケースだったのかも、とも思う。

スイス国鉄RAe TEE II形電車について調べる過程で、電気式ガスタービン機関車に飛び、フリーピストンエンジンに飛ぶ。
ピストンのないエンジンってなんだ、と思いきや、そういうことなのね。
確かに往復動機関の欠点のひとつは相応に頑丈に作る必要のあるピストン・ロッド・クランクシャフトがどうしても重くなり、エンジン効率を下げることにある。だからピストンその他がなければ・・・と思うのは自然なことだろう。
そしてまた「マルリーの機械」。ヴェルサイユ宮殿への揚水に使われていたもの、と。
・・・と書いていたが、再度調べてみると、「ピストンその他がなければ・・・と思うのは自然」は正しいが、結局「ピストンそのものがないばあい・ある場合双方があり、ロッド・クランクシャフトがない」くらいの感じかも知れぬ。
「ロッド・クランクシャフトに拘束されるピストンがない=『フリーピストン』がある」形式も見られるようだ。
とは言え、往復動を回転力に変えずそのまま発電するなどは私の好みに合う。

関水金属KATOのDD13を買う。
子供の頃買ってもらったDD13も良い模型だったが、新しい方も素晴らしい出来映。
模型屋さんで試走してくれたが、「この機関車は遅い走りも大事ですね」と低速走行させてくれたのも嬉しかった。
店員さんよくわかってらっしゃる(嬉しい)!
結局子供の頃、ディーゼル機関車といえばこれしか持っていなかった。また、入れ替えごっこをするのに適当な機関車はこれしかなかった。
終着駅風に機回り線と、貨物側線をいくつか付けた仮のレイアウトセクションを作り、バルサ材を積み重ねたプラットフォームを線路脇に付け、そこにDD13と客車1両と貨車を2・3両ぶら下げて遊んだものだった。
(本当は小型蒸気機関車で遊びたかったがどうしても前部の連結器が使いにくいのだよね。それは今でも変わらないけれど)。

難解プログラミング言語 Malbolge
私ごとき素人は仕様を読んですら意味がわからない。さすが「難解」を謳うだけのことはある。

2024年7月の記事すらネット検索にかからない。
http://folia.txt-nifty.com/musik/2024/07/post-c8adc6.html
イタリアのガソリンスタンドを舞台にした短編映画 "Giuseppina" (1959) について己の書いたものを見返そうとして、たいへん困った。
ところで、ガソリンスタンドのご主人は、米人にもらった葉巻を、耳のそばに持っていって「弾ぜ」させているのね。
この行為の真の意味を知らないが、葉巻の質を知るためにするらしい、とアルセーヌ・ルパンに出てくるガニマールの所作から知った。

ソニー社史 トランジスタを数えるのに「石」を使うと決めたこと。
https://www.sony.com/ja/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/1-06.html
時計における「石」とは、軸受の宝石を指すようだ。
物品税を考慮してダイオードは数えないと決めた、など非常に貴重な情報(まあ使いみちのある情報ではないけれど)。
後に社長となる大賀典雄についてもさらりと書かれているが、たしかにこのように知識もあり「親分肌」というか、現実の知識と高い理想を持って現場に入れる人間であるなら採用されるだろう(それが当然だろう)と思ってしまう。Wikipediaで見られるその後の経歴も納得。
ちょっと違う想像をすると、大賀がソニーでこれだけの大役を果たし得た一方で、日本は貴重な音楽プロデューサーを失ったのかも知れない。とは言え、ひとつの音楽ホール・音楽祭のプロデューサーは失ったかも知れないが、テープ・CD・音楽配信というメディアの成立、その中でのコンテンツの流通を考えると、ひとつの会社の取締役である以上の仕事をなし、かつ、一人の音楽プロデューサー以上の貢献を音楽界にしたのかも知れない。
東通工初期に使った "銀座ネッスル(熱する)商会" 。昔、赤塚不二夫のギャグで「コーヒーはアイス?ホット?熱する?」というのがあったが、赤塚独自考案でなく、一般的によく知られたものだったのかも(確かめようもない)。
さらに「赤塚不二夫 (音響技術者)」なる方もおられたとか。

NHK漫勉。羽海野チカさんの回。
この方は大変絵がうまい。一般的にうまい絵を模写だけしている人、手癖で記号的に書いている人もいるが、こういう人は特定構図ではうまいが、それ以外の構図が破綻する。
一方、本当にうまい方はどんな構図でもこなすし、一番良い構図を発見して使いこなす。すなわち手も動くが、目も良い。で、羽海野チカさんは恐ろしいほど「使いこなす」。
描かれる女性が美しい・可愛らしいのはもちろんだが、泣いている少女の絵図が衝撃的にうまい。羽海野チカさん描くところの少女が泣いている絵を見ると、「元少年」である私としても本当にやるせない気持ちになる(それくらい素晴らしい)。

NHKの朝ドラマを少し見た。
英人ヘルンの「Beer ビアが欲しい」に対し、日本人方が「これは何を言っているのか」を衆議しつつ結局誤って「琵琶」「枇杷」を用意しようとする回だった。
これを見るに、私が中学2年の時、月に1回いらっしゃったアニカ中村先生を思い出した。
この方は、様々な英米文化について教えて下さった。しかもただ話すのではなく、(本当は日本語をお話になれるのに)必ず英語しか話さず、しかも我々が相談しつつ大意を理解するまで根気強く待ち、繰り返しお話して下さるのだった。
昭和の中学生にとって外国は遠く、外国の若者の日常など知る由もない。そんな我々に、米国では高校生が中古自動車を買って運転すること、州によって飲酒年齢が違うので、州境を超えて飲酒しに行く高校生があることなどを教えて下さった。
最も良く覚えているのは「結婚式」。
中学生を指導して、教室内で教会風に椅子を並べさせ、新郎新婦が「ベスト・フレンド」とともに祭壇に向かって入場することを説明し、生徒から新郎新婦とベストフレンドを指名し、自分が牧師になって結婚式を(さらりと)演じて見せた。
また、挙式後、教会の外で持ち寄りパーティーをし、ダンスをすることなどを教えて下さった。
そんなアニカ先生の授業はとても楽しく、強く記憶に残っている。
アニカ先生が教えて下さったのは「外国のことを知るのは楽しい」あるいは「片言であれ外国の人と話をするのは楽しい」だった。
これって、「外国」を「今自分が知らないこと」と置き換えると、即最大最強の教えであり、教育の根本義ではないか。
そうそう、「AIDS」の発音が「エイズ」ではなく「エイツ」であることも先生に習ったのであった。これについては、某氏が友人を指差し「こいつはエイズなんです」と言った流れで出てきた。
あの頃、全ての外国は遠く、「AIDS」(今様にはHIV)は「我々には無関係の遠い遠い外国の病気」であり、冗談でそんな事を言うことがあったである。

非接触レコードプレーヤー。今尚製造・販売されている。ちょっとうれしい。
https://laserturntable.co.jp/turntable/master.html
私のような「原理マニア」は、秋月電子に行って部品を買い、自作を試みたくなるのだけれど。

庭の枯れた月桂樹。多くの枝を落としたものの、幹が残っている。枝を落とした後、雨風に晒し、風化させたものを切ってみた。手動ノコギリで切れる程度には少々柔くなってきたようだ。幹も少し切ってみた。こちらもキノコが生えているし柔くなってきた。切って転げた幹が植木鉢を割ったのは、己の愚かさを強く実証していて悲しい。老齢とともにこうしたオマヌケが増えているのだろう。
黐の木が大きくなりすぎ、楢も大きいので涼しくなって時間が出来たら切ろうと思っていた。ところが、庭で枝落としなどしていたところ、近所の奥様から「緑があって良い!森のようでステキだから切らないで」と言われてしまう。京都の方の「良い時計してはりますな」とか「お嬢さんのピアノ上手にならはりましたな」のようにイヤミだったら・・・とも思うが関東民は正直だと信じたい。とは言えまったく切らないわけにもいかないのが困りどころである。
また、同じように庭にいたところ、「家からチェロが聞こえるが誰が弾いているか」と通りがかりの老婦人に訊かれる。「カザルスの『鳥の歌』は弾かないか」とも。
「私がごとき者が弾いて良い曲ではない」と言うと「スペイン内戦と関係あるのか」と。
関東民はイヤミを言ったりしないとしても、油断も隙もあったものではない。
この前の「NHKミュージックTV」の影響もあろうか。

親を亡くされた方と少し話す。
お悔やみとともに、私から亡くして五年経つ親がまだ夢に現れる旨を申し上げると、夢に出て欲しいと仰る。さなりさなり。
そして墓参りに訪れた晩、母が夢に現れた。まだ皆が寝静まっている時間とて、私を身振りで呼ぶ。部屋の隅に置かれた包みを指して、誕生日プレゼントのシャツだという。包みを開けるところで目が覚めた。律儀なる母。そういう母だった。
それもあって母の誕生祝いに、好きだった「でん六豆」を買ってきた。

先般、閉店したお蕎麦屋さんの「ご自由にお持ちください」の会で、ウィスキーのミニチュア瓶をもらってきた。
「だるま」と「ジョニ黒」。前者は父が飲んでいた酒。後者は父の時代の憧れの酒。
どちらも「特級」の表記があり、1989年の酒税法改正以前の販売であろう。中身も二割ほど減っている。まあ、父の仏前に備えるにはこれでも問題なかろう。

秋はマーラーの交響曲第九番
秋の夕暮れ、風にそよぐ薄野原の情景がなぜかこの曲の第一楽章と結びついている。
あの時、自分は何を思い何を考えてマーラーを聴いていたのだろう。

大分市の火災。何百軒も焼けることに驚くが、空き家が多いというのにも驚く。また、地図を見ると道路らしい道路がないのに家が混み合って建っている。これでは消防車が入ることもできないし、現代的な消火活動ができるとも思えない。海べりで風も吹き込みやすいであろうし、すなわち酸素を送り込んで燃やそうとしているのと同様の状況。そしてまた、斜面の下から上に火が上っていったとの記載も見かける。恐ろしいことである。

香港の高層住宅火災。こちらも恐ろしい。巨大高層住宅に住むことを私は恐れてきたけれど、現実のものとなってしまうとは。
(それとは別に武蔵小杉タワマンの水害→停電も恐ろしかった)。

Continue reading "読書の記録(2025年11月)"

| | Comments (0)

読書の記録(2025年10月)

続 小林信夫の模型世界 ~貴方も電鉄経営者~
楽しい模型鉄道のお話。少しずつケチって読む。
私はグリーンマックスカタログで小林氏の文章に馴染み初め、そこから鉄道模型趣味誌に小林氏が登場した最初の頃しか知らなかったので、これら正編・続編で知れたことが多い。
そのうち、小林氏が美術大学卒業とのこと。身内に美大出身者がいる感想として、「制作もそうだが、コンセプトをよく練り込むところが美大っぽい」。学科や指導教員によって同じではないだろうけれど、美大において一定数は「コンセプト重視」があるし、作品の説明を求められることも多いようである。小林氏の文言にそうした「美大らしさ」を感じることがある。とは言え、その中身はすべて「小林節」であって、美大がどうこう言うものでは全くない。(自分がちょっと気づいたと思っていい気になっている、ということ)。
私も長年放置している「石畑地方鉄道」をなんとかせねば。とはいえ「石畑」は他の方が使っておられるので、違う名前にしよう。私自身は自分が住んでいた土地の名前から、昭和の末頃に付けた名なので、それはそれで「由緒ある」のであるけれど。同じような地名繋がりで「善照寺電気軌道」とでもしようか。この名の寺は複数あるので、あまりご迷惑にもなるまい。(東京都西多摩郡瑞穂町、愛知県犬山市、滋賀県犬上郡豊郷町にあるのは今知った。)

幕末百話
少し読む。殺伐たる話が多い。現世もあまり感心しないことは多いが、意見が違うからとかんたんに殺す・殺されることがない(少ない)現世はありがたい。
とは言え、ロシアがウクライナに攻め込み、イスラエルがガザで虐殺をなしているのは幕末と変わりない。あるいは、幕末以前である。
大火災の後、小倉百人一首の替え歌を作るのは何か災害に対する強靭さを感じる。疫病も多く「いつ死ぬかわからない」時代と現代で同じであるはずもなかろうけれど。

わた史発掘 戦争を知ってる子どもたち 小沢昭一
昔から何をする人か分からないところがあったが、Wikipediaによれば「俳優、タレント、俳人、漫談師、エッセイスト、芸能研究者」とのこと。
確かにそんな風だったと記憶する。
前半は調べるのとその結果が混交して(よくあるけれど)進みが鈍い。
海軍兵学校進学あたりから明晰になってくる。この方が海軍兵学校におられたとは知らなかった。

「教育勅語もイイこと言ってる」説は福田赳夫あたりも言っていたのかと驚く。
そしてそれに対する小沢の反論も。「家族仲良くは良いが、結局天皇のために死ね、という『地ならし』で言ってるからアカン」と、当然の理屈。

「赳」の字が思い出せず「福田赳夫」Wikipediaを見る→フィクサー「大谷貴義」に飛ぶ→外部リンク「日美」に飛ぶ→「アクセス」を見る→1階に喫茶草枕。
そう言えば、「喫茶草枕は良いですよ」と聞いたことがあるので驚く。上の流れからは怖くて行けないや(一般庶民にはなんら関係ないけれど)。
「日美」に用事があって行くと、喫茶草枕のコーヒーが出たりするのかな?(一般庶民にはなんら関係ないけれど)

フランス中世史夜話
あまり中世っぽくない話(小説家スティーヴンソン)も出てきて驚く。まあ、そんなに正確性を期するような書でもないけれど、「中世史」と付けなければよかったのに、とは思った。
とは言え、こういう歴史エピソード集のようなのは好き。もちろん歴史の「メカニズム」も好き。中間的な「事実連呼型」はキライ。
スペインの異端審問官トルケマダ。ドストエフスキーなどで馴染みがあると思いつつ、他にもなにかある、と思ったならば。
ブラジル音楽マシュケナダ(Mas Que Nada)。なだいなだ Nada y Nada 。そもそも語尾は「なだ」と「まだ」で子音が違うぞ。
紋章の話もスッキリまとまっていて読みやすい。以前ちくま文庫の紋章学の本を買ってみたが、基礎的な知識がないので読みにくく途中で投げ出してしまった。こちらの本で読んだ基礎知識をベースに読むか・・・というと、基礎知識だけで十分という気もするね。

ノルマン騎士の地中海興亡史 山辺 規子
ノルマン人がシチリアに居たことを何かで読んだ(か、見た)。何だっけ?で、ノルマン人と言えば、「ノルマン・コンクエスト」で英国を征服したフランス人・・・と思っていたが、北方から来たヴァイキングだったのね。
このノルマン人による征服のせいで、「豚も牛も生きている間は英語だが、食べ物になるとフランス語(世話をするのは征服されたイギリス人だが、食べるのは征服したフランス人)」という自虐ネタが生まれた。
首領「ロロ」なんてのは、アルセーヌ・ルパン「奇岩城」にも出てきて雰囲気を盛り上げてくれるけれど、このあたりの人なのね。。。などと大変面白い。ちょっと事実の羅列が多いので、図表を作りたくなってくるのではあるけれど。

うんこ虫を追え 舘野鴻
良い本!笑いあり涙あり、科学のロマンを感じさせる。ファーブルへの言及も良い!
センチコガネとオオセンチコガネがこんなにも違っていたなんて!
(この絵本の内容、論文にされたのだろうか?と要らぬ心配)。

黄色い本 高野文子
出先の喫茶店にあり、つい読んでしまう。
詩的であり、引き込まれる。また、少々わかりにくい話回しなのだが、それだけに読むごとに発見があるように思う。
この本を買って読み始めてすぐ「『黄色い本』を先に読まねばならない」と思い、読んだのが2009年。
http://folia.txt-nifty.com/musik/2009/06/post-74a1.html
コロナより前、父母が身罷るより前、随分前のことだ。

長崎聞見記を読む
江戸時代長崎遊学をした医師の見聞記(聞見記)ゆるゆる眺めるにはちょうど良い。
マツカサウオの項に見られるように、現代の情報を差し挟むのも、博物学的で良い。
日本に輸入されている漢方薬は、大陸から見て二流品か?と疑うなどなかなか面白い。
カッテンディーケの回想も少し読んでいるけれど、近い時代・近い場所を複数の目で眺めるのも面白い。

サンキューピッチ
漫画。漫画らしい荒唐無稽さが楽しい。野球のルールを余り知らないので、これらが妥当なのか夢物語なのかも全くわからない。ルールも解釈もなんとなくそれらしいな、程度の理解。

鉄道ピクトリアル 平成元年7月号No.514 特集/列車編成の記録
昔の列車がどんな車両を連ねていたかの記録。
昨今は「固定編成」がふつうで、常に同じ車両が同じように連なっていると思って良い。しかし、昔々はそうと言うわけではなかった。
一般貨物列車は完全に偶然と言っても良かったし、客車列車も相当程度自由度が高かった。しかも、これらの公的な記録が整備されているわけでもないので、現場観察が趣味になり得た。
私が中学生だった頃日々名古屋鉄道に乗っていた。鉄道ファンだった教員が、電車の編成表をコピーしてくださり。日々どんな編成に乗ったか記録するのも大事なファンの楽しみと言っていることを理解できずにいた。当時の名鉄で言えば、おおむね固定編成ではあったけれど、途中で解結する列車は日々組み合わせが変わるし、時々、事故や故障などで編成が崩れるし、そういう意味では記録の楽しみもあったのだろう。
今回この雑誌を読んだのは、東北本線の急行「青葉」の編成記録を見たかったから。同志社大学鉄道研究会による「デジタル青信号」にも相当程度の詳細が記されているが、紙でも持っておこうという心がけ。もちろん楽しい。戦後の急行にまだ17m級のオハニ30が繋がっていたのだと驚く(C51ともども急行青葉がKATOで製品化されないものだろうか…)。

1980年代の鉄道模型趣味誌
思い出の記事の数々。こんなにも影響を受けているとは思わなかった。

『白井昭鉄道著作集』表紙写真に惹かれて買ってみようと思ったが、専門家向けとて断念。

風とともに去りぬ Gone With the Wind (1936) のパロディー作品 The Wind Done Gone (2001) (風はすでに去った かな?)というのがあるのね。

村上春樹氏。遠い昔に借りて読んだことがある。貸してくれた方は相応の感激を期待していたようだが、私のような粗野な人間には合わない繊細な話だった。
で、10年ほど前、中国に行った折、飛行機の中で、細身でお洒落なお嬢さんが「●●之森 村上春樹」なるお洒落な装丁の本を読んでいた。どうやら●●はノルウェーに当たる中国語らしいと知れた。
そうか中国の若い方にも村上春樹は受容されているのだ、と感心した。村上春樹がノーベル賞にふさわしいのかどうか私は知らないし、程度は知れないけれど、中国の方々にも一定程度読まれているのは確かである。

海洋小説ホーンブロワーシリーズに出てくる「爆弾ケッチ(砲艦)」
https://en.wikipedia.org/wiki/Bomb_vessel
描写に誤りあることも指摘されておる。まあ、ストーリーに障るようなことではないと思うが。

終着駅を題材にした本を持っている人を見かけた。
他路線に接続していない「真の終着駅」を考えてみると、自分はほとんど行ったことがないだろう。
適当に列挙すると、武豊線の武豊駅、名鉄谷汲駅(廃止)、伊豆急行下田駅、京急本線三崎口駅、伊豆箱根鉄道大雄山駅、松本電鉄新島々駅、叡山電鉄八瀬比叡山口駅・鞍馬駅、京福北野線北野白梅町駅、阪急千里線北千里駅、かな?思ったよりあるが、JR/国鉄はほとんどないなあ。
また、路面電車であれば、岡山、長崎は終点すべてを乗りつぶしているはず。
幾寅駅も根室本線の「終点」だった期間に利用したものの、鉄道連絡バスが走っていたし、ふつうの意味での「終点」ではなさそうだ。
東室蘭駅までは行っているが、後少し室蘭駅までは行っていない。所用のため仕方がないとは言え、根性の問題かも知れぬ(鉄道趣味休眠期だったのが大きい)。
強羅駅はケーブルカーに接続しているがどう考えるべきだろう。さらにケーブルカーの終点早雲山駅はロープウェイ(索道)に接続している?
何をもって「鉄道」とし、何をもって「接続」とするかで答えが変わるけれど、それはそれで面白い。暇つぶしに持って来いである。そしてまた、次なる旅行は「終点」にこだわるのも面白いかも知れない。

「とろりいぽうるの詩」高松吉太郎
昔の鉄道ピクトリアル誌に連載されていた写真集。当時であってもすでに古い写真だったのではないかと思われる。
私が見たのは、京阪電鉄石山坂本線のみだが他の号も見たいものだ。
あの頃「京阪」も「石山」「坂本」もどこであるか全く知らず、遠い遠い日本の遠い遠い僻遠の地だと思っていた。
当時の自分にとってはまぎれもない僻遠の地であり、それはそれで間違いではなかった。
そもそも「石山坂本線」が読めず「いしやまざか ほんせん」だと思っていた。
Wikipedia高松吉太郎の項からリンクされている「「鉄道趣味」を旅する」は鉄道趣味の概観としてよくまとまっている。
https://www.ikkyo-tekken.org/studies/2010/2010_all.pdf
私の興味は「考古学・史学」っぽい部分もあるが、「鉄道システム」「鉄道システム技術開発史」っぽく少々ふつうの趣味者からは歪んでいるようだ(例によって例のごとし)。
ところで宮脇俊三は理学部から文学部に転部しているのね。ひとつの理想である。

あめのひのえんそく 間瀬なおかた
あっさりしていながら読み進めると味わいがある絵本。

演奏会をひとつ終え、ふたつ準備し、もうひとつの準備に取り掛かった。
多忙に付きあまり本が読めていない。断片的に読んで済むような本だけを読んでいる。それはそれで構わないのだが、小説を読めていないと自分でちょっと悲しいね。まあ、一段落したらまたゆつくり読もうではないか。

読みたいと思いつつ忘れそうな本の名を列挙しておこう。だんだん忘れているものも多いし、忘れたら忘れたら仕方がないと思っているけれど。
 子どもがほしい! セルゲイ・トレチヤコフ
 来福の家 温又柔
 李良枝セレクション
 台北人 白先勇
 台湾、あるいは孤立無援の島の思想 呉叡人
 台北プライベートアイ 紀 蔚然

パピヨン本田 コンセプチャル・ガール第9話
「良い場所でする展示が良い展示」という一文に一瞬反感を覚えるけれど、「良い場所」を「多くの人々に見てもらえる場所」であると考えると、端的で間違ってはいない。だが、その時代に「見てもらえる」だけでなく、「未来の聴衆」に向かって書かれる音楽があっても良い(と、芸術家ではないので安直に書く)。今、目の前にいる人間だけが「人間」なのか。

この他、ギリシア哲学者列伝、史記(列伝)、古い鉄道模型趣味誌などを読む。

●雑感
モーツァルト K.428の本番
録音を聴く。なんというか、弾いている私の心の裡がよくわかるよね。
「真面目に弾いているか、そうでないか」は録音であってもよくわかる。
違う言い方をすると、「その音楽を正しく理解しているか、自分の音を正しく聴いて、音楽像の中に定位させているか(正しく修正しているか)」はすぐにわかるし、それをひっくるめた「心ばえ」はすべて録音から聞き取れる。
真面目に弾いている一瞬もあるようなので、それを救いにこれからも頑張ろう。
とは言え、チェロ(多くの場合、根音担当)が真面目に弾いていないのにヴィオラがまともに弾けるわけないよね。

スメタナ「わが祖国」
非常に難しい曲。オーケストラの団員になるとこんなに難しい曲を弾かなければならないのか、と絶望と尊敬の念が已まない。
オーケストラ入団も考えないでもないが、こんなにも難しい曲を毎週合奏しなければならないのはとても考えられない。
申し訳ないが、時々どうしても弾きたい曲だけ弾かせていただくような立場しか取れない。

ドヴォルザークの弦楽五重奏曲 Op.97
面白い。伴奏的伴奏も結構あるのだが、リズムパターンに富んでいて、旋律を(いい意味で)煽り立てることができる。
そしてまた、伴奏的伴奏をしている間も、他で旋律だけでない対旋律が動いていたりするので、いい気分である。
若干 2nd Va が独奏っぽいのは、ここをドヴォルザーク本人が(楽しく)弾くためであったろうかと思いたくなる。

ショパンコンクール。優勝者は米国人。彼も含め上位入賞は東アジア系が多い。
「我々東アジア人は真面目に練習するから」と誇るか?(誇ってどうする)。
欧米の管弦楽団のヴァイオリンは(楽団によるが)半分東アジアというところも珍しくないように思う。
低弦に行くほど東アジア割合は下がり、管打楽器にはほぼ不在と私は見ている。
もう東アジアで喧嘩するのではなく、この「優秀性」で全世界の平和と安寧をなんとかしたいものだ(そんなにも優秀な東アジア人同士で喧嘩させるというのこそ国際的邪悪組織の陰謀なのでは?)。
さて、様々な奏者の様々な演奏を居ながらにして聴ける素晴らしい時代。優勝者のYoutube演奏動画にも、たくさんの人々が書き込みをしているが、どなたもコンクールとしての熱狂ではなく、音楽としての良さを褒め称えているのが良い!(一部外国語は自動翻訳で読ませて頂きました)。

チェロの弦を交換した。
ダダリオのカプランは最初は暴れすぎ、しばらく悪くはなかったが、その後急速に黙り込んだ。私には合わない。
次はたいへん迷うしガットも張りたいが、当面オーケストラもあるため金属弦。
昔懐かしい、ヤーガー2本+スピロコア2本。これを嫌う人がいるのも知っているが、原点に戻るのもよかろうし、弦全般が値上がりしている中では比較的安価。3万円台前半。
D線が大人しすぎて、D線ーA線の切り替えが明確なのと、C線が適当に(いい加減に)ブーブー鳴るのがアカンが、使えないことはない。
一緒に弾いているヴァイオリン・ヴィオラの人々からは「聞こえる」と言われる。うーん。カプラン鳴ってそうなのに飛ばないのか。
これが弦の特性マップにおける Focus なのかな。ガットだと unForcus の極みみたいになるのよね。
とりあえずオーケストラの本番をこれで乗り越え、その後ガットに行こうかな。でも、次はR.シュトラウスのメタモルフォーゼンなんだよね。
相当程度 Focus が求められそうな気もする。

昭和における輸出ブラスモデル(鉄道模型)の話
https://ameblo.jp/kiyomori0928/theme-10109971151.html
山崎喜陽氏の「ミキスト」などで漏れ伝わっていたことがまとまって読める。貧しい戦後日本で輸出できるもの、米国で喜んで買ってもらえるものは、真鍮製の蒸気機関車模型だったのだなあ、と。確かに、古い鉄道模型趣味誌を見ていても、米国型模型が多いし、日本型を作ろうとしていても部品は米国型だったりした。それがコスト安や品質向上によって韓国製に置き換わって行く・・・などの歴史。
これから日本が何を作り・何を売っていくかを考える際のヒントになる部分があるかも知れない。ともあれ、ゲームやアニメーションなどのソフトウェア「コンテンツ」がひとつ、そしてまた、その場に行かなければ味わえない「(モノではない)コト」であるとかがひとつなのだろうか。
人類は「パンと見世物」が必要として、我々の時代に「見世物」として、自動車、オートバイ、カメラ、音響製品などがあり、それらはすべて「コンピュータ」に収まってしまいつつあるのが現実なのだろうか。そして、たまに「コンピュータ」の外に出たい時に「ある場所に結びついたコト」が生じれば良いのかも知れない。それでアカンとも思わないが、如何にも如実な「見世物」なので人類には進歩も発展もないものと少々暗澹とするものである。CO2排出量が少ないのは、もしかすると人類のそういう自衛策なのかも知れない。

メルクリンについて考える。
UX(ユーザーエクスペリエンス)なる語は、1990年代Apple社で使い出したらしいが、メルクリンこそUXの先駆け(のひとつ)であるように感じる。
重量感があって安定して走行する車両、しっかりした道床付き線路、多彩な分岐器、信号・踏切・鉄橋・駅・信号所などの鉄道施設。
そしてこれらを魅力的に見せるカタログ。
「次は何を買って何をしよう」という夢が趣味者向け商売には大切だと思うけれど、その夢をどこまでも広げてゆくカタログ。
鉄道模型の趣味は雑誌「鉄道模型趣味」のように「機芸」(機械芸術あるいは機構芸術)的な工作志向もあるけれど、それとは少し異なるメルクリンの方向性も面白くはある。
日本のNゲージ鉄道模型を普及して来た関水金属KATOもTOMIXもメルクリン的UXの充実を目指しているのは間違いないと思うけれど、車両他の商品数が爆発的に多くなることで、UX的な統一感やイメージを持つことが難しくなっているようにも思う。
(一方、昔のグリーンマックスは「作る楽しみいっぱい」と別な方向の「UX」で勝負していた)。

安楽マニア。
鉄道模型の世界には、「安楽マニア」という言葉があり、工作その他自ら行動しない(そして口だけ動かす)者をいう。
私もほとんど安楽マニアであるけれど、この言葉随分居心地が良い。もう安楽マニアでも良いかも、と思わせる。
そういう意味でも「工作もしないクセに文句ばっかり言いやがって」のニュアンスが見えにくい雅な言葉使いだなあ、と感心する。
「安楽椅子探偵」にも憧れるところがあるから、「安楽」の語感が良いと思うのかも知れぬ。

講談・落語に「西武家の一族」とあるのを、つい、堤康次郎らのシリアスな話だと思いきや。
「堤家の一族」ではないもんね。ああ、ヒヤヒヤして損した。

ピタゴラスイッチ
「ピタゴラ装置を作る装置」を見た。『メタ装置!』素晴らしい。
また、水中(液中)ピタゴラ装置も。ゆっくり動作が楽しい。惜しむらくはせっかくの浮力を活かす動作がなかったこと。他にも液圧を活かすなど、液体らしいピタゴラ装置を望む!(勝手な望み)。

小学生だった私が初めて買った(買ってもらった)レコードはカザルスのホワイトハウスコンサートだった。
私が初めて全楽章取り組んだ室内楽曲はシューベルトの弦楽五重奏。その時はカザルスとヴェーグ四重奏団のCDを繰り返し繰り返し聴いた。
私はカザルスから生きる勇気を教えられた。
すべてのチェロ奏者はカザルスに通じている。私がごとき素人チェロ奏者の末流のような者でも師匠筋を指折り数えればカザルスにたどり着く。
(すべての数学者がエルデシュに通じるように?)

というようなことをNHK「クラシックTV」を見ながら考えたが、この時期にカザルスを取り上げたのは、カザルスホール再開と連動しているのだろうか?
戦争反対ということであれば、ウクライナへのロシアの侵略が始まった頃に放映されて良いようにも思うし。

国勢調査
職場の事業内容、個人の業務内容を具体的に詳しく書けとのこと。
それはそれで良いのだが、これを集計するならば、AI(的なもの)を使って、予め用意したカテゴリにふるい分けするのだろうか。
それとも地域担当者などが手でちまちまと。。。
仕組みをちょいと知りたい。カテゴリごとに頻出単語を紐付けておいて、「この単語が出てきたらこのカテゴリ」とするのは単純だが、稀なケースをどう処理するのか?機械的処理を最初に行い、漏れたのを機械的処理できるよう新たな単語登録をしたり、人手で分類したり・・・が現実的ではあろうけれど、これらを大規模に・安全に行う手立てを私は知らない。
例えば「殴られ屋」「レンタルなんにもしない人」などはどんなカテゴリに入れるのが良いのだろうか?
(日本標準産業分類を少し見たことがあるが、「その他のサービス業」という気がする)。

乾電池006P。
他の「乾電池」と全く異なる形・接続方法なのはなぜか?
Wikipediaによれば、ソニーがトランジスタラジオ用に開発を求めたものだそうだ。「なぜ」までは分からないが、たしかに昔のラジオに使われていた記憶はある。
「ふつうの乾電池」のようなバネ接点より接触面積を稼げるような気がするのと、湿気などによるバネ劣化による接触不良が生じにくい気がする。そういう意味で、「ポケットなどに入れて使うラジオ」を志向して作られた電池としては適正でると感じる(真実は知らないよ)。
我が家では、電子メトロノームで現役。こればかりは充電式電池はなさそう(9V充電器が専用になる)と思ったが、専用充電器式およびUSB-Cを尻に指す製品の双方があった。うむむ。
他の乾電池と異なる形・接続方法である理由は結局定かでないけれど、最近のデジカメに見られる「専用電池」に近いものだったとも考えられる。たまたまそれが一般化した、と。

「ポジティブフィードバック」は人材育成では良いことだが、信号系では禁忌。
というのはおそらく正しいが、ジュール・シーフにおいては正帰還をしているとのこと。
あれは「電力系」であって「信号系」ではないからな。波形が汚いのは問題にしていないし。

Youtubeのお勧めに "The Flying Nun" (邦題:いたずら天使)が出てくる。
確かに英米の喜劇作品を好んで見ているからと思いつつ、なにゆえこの無名作品とも思う。
Wikipediaに日本語解説があって助かる。

KATOが南海電鉄6000系を発売。
関西私鉄を知らない私にはとにかく驚き。これまでJR西日本、阪急、近鉄と関西方面への目配りも忘れぬKATOであったから、当然つぎは南海だったのかも知れないが。また、この車両が60年間現役というのも知らなかった。
私の中の年表に合わせると、名鉄5500系と7000系の間に走り始めた車両が、まだ本線走行している、と。それは確かに驚きである。
名鉄5500系と8200系の模型は手元にほしいけれど、毎日見ていたような電車は、細かな印象がありすぎてどんな模型であっても結局気に入らないので、まあ持たぬが花であろう。

ED18の台車は、DD10の設計を引き継いでいると知った。
A-1-A+A-1-Aなる動輪-遊輪-動輪の構造は国内ではこの2形式のみであったし、どちらも電動台車だったのだから共通していてもおかしくはないけれど。
ED18の模型は売られているから、車体だけ作ればDD10を作り出すのも夢ではない(そこに価値を見出すかは人それぞれ)。

名鉄鳴海工場・鳴海検車区
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E9%89%84%E9%81%93%E9%B3%B4%E6%B5%B7%E5%B7%A5%E5%A0%B4
今はもうない施設。私が子供の頃、よく外側から眺めていた。黒地に黄色いポイントを入れた電気機関車(デキ370)が控車を従えて往復していた。
手前にある検車区はまだしも、奥にある工場で何が行われているか全く解らなかった。それを何十年も経ってこうして読めることの不思議さよ。
私が住んだ土地は4つあるが、そのうち3つは車庫(工場・検車区等)がある・あったのはなかなかおかしい。
地価が高い都心には住めず、地価が安い郊外に住む、という外来都市生活者の一族として仕方がないことではあろう。

鉄道模型Tomixの製品化予定。名鉄ワム6000とは渋い。ということは、名鉄の電気機関車も製品化していただけるのでしょうか?
デキ400とか。12m級動力を発売するが、11mのデキ400より長いか・・・。ま、そんなことないよね。

キンボー・イシイという指揮者がいる。物理屋・数学屋はどうしても「近傍」という文字列を思い浮かべるのではないだろうか。
曲線と直線が接するところとか、そういうε-δっぽいの。

ズーラシアンブラス等々の動画を見る。楽しい。
クラシック管弦楽入門のひとつの良きありかたのような気がする。
演奏もきちんとしている。入門向けの楽しい曲を、クラシックらしくキチッと演奏していることに好感が持てる。
私自身は演奏に構築性と感傷性のせめぎ合いみたいなものを作ろうとしがちだが、そもそも選曲自体がそーゆー「濃い曲」ではないしね。
演奏する立場からすると、前方の限られた視界しかないのが苦にならないかな?等は気になる。そのあたりを明かさないのがスマートで良いとは思うけれどね。もしかすると、全員ヘッドセット付きでメトロノーム音を聴きながら演奏している可能性もなくはないが、指揮と演奏のコミュニケーションを感じさせる場面も少数ながらある。
宇宿允人氏は「譜面台は一人一本」としていた。彼の場合、おそらくは「俺の指揮棒以外見るな」思想だったのだろう。そうした演奏形態もあるのだから、ズーラシアンのように視界が限られていても大きな問題は生じないのかも知れない。
(ズーラシアンの曲自体もいわゆる「管弦楽曲」で精緻な合わせが問題になるような曲ではない)。

ワルシャワ蜂起の展示を見た。歴史を知ることを重んじているので見させていただいて良かったと思っているが、なぜ、今日本でこの展示がされるのか。ワルシャワ蜂起については過去にWikipediaなどで見ており、また、ポーランド亡命政府などについても一応最低限の知識はあったので、見るのに困難を覚えはしなかったが、それでも細かい事実の積み重ねには圧倒される。
昨今の情勢から考えると、プーチンの軍拡へのヨーロッパの危惧がひとつあるのだろう。ポーランドとしてネタニヤフのイスラエルを考えているのかどうか。

“Ddiddiroo Diroo Diroo” Pansori Version
https://www.youtube.com/watch?v=KU5jtaWyUho
韓国の古風な女声合唱。力強くて野太い。そして濁らせる風がある。宮廷風なのだろうけれど、力強い。日本の宮廷女官たちはもっと弱々しいように思っているけれど。どんなもんだろ。

ギリシア スミルナ風の歌
https://www.youtube.com/watch?v=_hUlp13jpF4

そういえば、トルコのハンバーグ「キョフテ」。
この語は、ペルシア語の「叩く」が本で、トルコ語としては借用語らしい。
もっと東の国で「コフテ」表記をするのを見たことがあるが、同じ語だろう。

ビリヤード。孔に落とす以外のゲームもあると知った。
だがその勝敗の基準を知らず、出ている玉全てに当てることに価値があるらしい、とだけ知った。
そもそも孔のないビリヤード台もあるとのこと。

物理学者ホーキングは"気候変動は、我々が直面する最大の脅威の一つであるが、我々が回避しうるものでもある。"と言ったそうだ。
一方、愚かさは、我々が直面する最大の脅威の一つであるが、我々が回避しうるものであろうか?
賢い人間に理解できないのは愚かな人間の存在、愚かな人間の行動かも知れない。

留萠本線はすっかり廃線になったと思っていたが、深川から石狩沼田までは存続していた。が、Wikipediaを見ると2026年4月1日廃止予定。
まあそうだろう。留萌市の人口が18,000人程度であることを考えても。
GoogleMapで廃線跡を辿ると、線路(道床、枕木含めた軌道?)はすべてそのまま。撤去する費用も惜しいということか。恐ろしいことである。
日本国を担う皆さんは、日々地図を見て、廃線や人口減少地域に思いを馳せて頂きたいものだ。

ユニフロー蒸気機関
通常の蒸気機関車に見られるような往復動蒸気機関は、気筒内への蒸気の注入・排出の際、同じ弁を通り、蒸気が行ったり来たりする。
ユニフロー式の場合、入口と出口が別で、吸気(?)・排気は一方通行となる。種々メリット・デメリットがあるようだが、蒸気機関車としては習熟した機関士が必要であり、成功しなかったらしい。
複式の蒸気機関車(関西鉄道早風型など)があまり成功しなかったのも同じ理由だろう。当時の蒸気機関は、「操作しやすさ」に配慮することはできず、全て「機関士の感覚的習熟」に依存していたから仕方がないのだろう。
複式の早風は1898年導入・1925年全廃、単式の追風は1906年導入・1950年全廃。

「回るお菓子売り場」Gram 浜松の遠鉄百貨店にある!
https://www.endepa.com/floor/8jx21rjcz_4
昨年浜松乗り換えをした時に行くべきだった!己の愚かさに泣きたくなる。
昔々、関東にある母の実家に行く時、新幹線に乗る前の楽しみとして連れて行ってもらったものだ。おそらくは名鉄百貨店。
母が設けた値段上限をもう覚えていないけれど、百円だったか二百円だったか。
いつも「豆板」を必ず買っていた。豆の味、べっ甲飴の味が好きだったから。
その他、ゴムにくるまれた球状の「羊羹」。これは爪楊枝を刺すとゴムが脱げて中の羊羹が現れるのだが、思いの外静かに弾ける。もっとプリンと言いそうなものだが。
そんなのを三つ四つ買ってもらったのを新幹線の中で食べていた。できるだけ食べ伸ばして、東京につく直前、多摩川を渡る頃に最後のひとつを食べた。
買って良い量に制限を設けることで自分たちは一生懸命考えたし、それが楽しかった。そういう楽しみを作るのがうまい母だった。

「キャナリーナ歯磨900pw」終売
愛用していたのに。ネットで見つけて、歯痛時に使って良い効果を得ていたと記憶する。

韓国のバンド Ssing Ssing 解散してたんだ。。。
https://note.com/kid_dic/n/n9ad780a94fbe
凄い衝撃だった。何か知っているような不思議な懐かしさがある一方で、かっ飛んでいるので。ただ変なことをしても驚かない。何か知っている根があるものから飛んでいるから驚くのだ。
で、なんか似た人がいる、と思ってみていた 이희문 오방神과 (OBSG) はSsingSsingの縁戚なんだ。
https://www.youtube.com/watch?v=Bdmm1O9iVXc
遠い遠い宇宙の果の惑星でおふくろの作ったキムチを食べるような不思議な感覚。
バンドの人たちも控えめだが上手い。特にギターの女性が良い!
日本において芸能者を「かわらもの」などと言って、常民の外にあって畏怖すべきものとしていた時代があるようだが、なにかそうした畏怖を思い出させるような異常性が素晴らしい。
私は、音楽解説をあまり読まないにようにしているけれど、上記Noteは丁寧で頭が下がる。この人たちが「中性的」である意味のひとつに、日本の帝国主義が関係していることにも驚かされる。私には知らないことがたくさんたくさんある。

FACEBOOKの自動翻訳。サン=サーンスの「カーニバル・オブ・ザ・アニマルズ」。
この曲は「動物の謝肉祭」が定訳だよね。カーニバルはそのまま訳さないことが多いけれど。
引用符で囲われたものはカナに置き換える、という処理なのかな?

料理研究家星澤幸子先生
北海道在住時代に初めて知った。ウニひと箱とか鮭一匹を料理するような、北海道らしい豪快な料理本も買った。
いま関東でも「どさんこワイド」の料理コーナーをテレビで見られる。
先日は「サツマイモの昆布・バター煮」を紹介しておられた。
私が北海道にいた二十世紀末ごろ、まだ北海道ではサツマイモは余り見かけず、見かけても美味しいとは思わなかった。要するに、北海道では栽培できなかったのだろう。「わかさいも」なんてお菓子は、白豆にわざわざ切昆布までいれて筋っぽさを表現した「最大限の努力でさつまいもを模した和菓子」である。そんなことを思い出していたら、流石星澤先生。「お母さんが子供の頃はサツマイモはあまり食べられなかったのよ、とお子さんにお話しながら料理して下さい」的なことを仰る。良いな。星澤先生。
あの頃、北海道は大抵のものが美味しかったが、他に劣るものも少しはあった。冬の青菜っ葉、サツマイモ、里芋、青魚(鰯、鯖、鯵)。その後関東に移り住んで、これらのものが美味だが、北海道で美味しかったものがそうでもないことを知った。土地と風土。それが面白い。

石破首相の「所感」。良かったと思う。一方、共産党山添氏らの批判も正当だと思う。
双方が「言論」であることのありがたさ。
何か「思ったこと」を叫び続ける連呼への強い嫌悪が私にはある。
日本を「戦争に負けない国」にしたいのならば、「願望」と「現実」を明確に分ける必要があり、その点だけ考えても石破首相の所感・山添氏の批判双方に理があると私は考える。

一方、公明党はついに自民との連立を解消した。
この数年、公明党はもはや存在意義もなく自民党の一部になっていると感じていた。いわゆる「平和の党」としての役割も果たさず、「政治と金(自民党と金)」についても何らの行動も見られなかったから。随分遅くなったけれどやっと元の正気に返ったか、と思う。こちらについても、20年以上与党として行動してきた事(あるいは行動しなかった事々)について反省をして頂きたいものだ。

公明党サブチャンネルにおける石破首相と斎藤代表
https://www.youtube.com/watch?v=hTvLmES2A7Y
趣味の鉄道の話だが、石破首相は聞くことに徹している。斎藤代表はちょっと嬉しそう。
どちらも知性を感じさせる趣味。趣味をきちんと楽しんでいるから知性的なのだろうか?そして最後(おそらく偶然であり、必然でもあるが)交通政策の話になる。東北大震災時の鉄道物流の話がさらりとできるところ、やはり石破首相は(趣味半分としても)非常に勉強していると感じる。
趣味とは個人が個人であるために重要なのだと感じさせる対話だった。
「高級料亭」で親分子分で集まって酒食に耽る・・・前近代的な人々とは異なるのだなあ、などと思った。

という流れで「【緊急】公明党斉藤代表が“連立離脱の真相”をすべて激白!」も見てしまった。
https://www.youtube.com/watch?v=GIgch0dGKR4
きちんとした言葉使いで説明されており、沁みる人には沁みるはず。
公明党は長く安倍政権を支えた負の歴史があり、それをきちんと反省して頂きたいが、まずは「政治(自民党)とカネ」問題の対策を進めようという行動には賛成したい。

Ce matin-là - Barbara (cover by Louise)
https://www.youtube.com/watch?v=69LiGPXhbjk
ヴィオラ・ダ・ガンバ と歌。カバーらしいが、ヴィオラ・ダ・ガンバらしい優しいピチカートと切ないオブリガートが素敵。
多重録音であろうけれど、一人三役のようだ。

休日。でかい西洋人が電車の長手座席の対面同士で足を組んで座っている。30cmほどの隙間はあるけれど。
さて、このようなとき、なんと言えば良いのでしょうか?
Please make your legs compact. ではなさそうだね。

スウェーデンとスイスの違い。
https://www.youtube.com/watch?v=0oNX_BHgi3c
これを見ていると知性を感じさせ、ユーモアを感じさせる。

学生オーケストラの合宿の飲み会で、打楽器パートの人たちが遊び始める。
そんな雰囲気の高度版。やっぱり凄い!楽しい。
https://www.youtube.com/watch?v=pBFUFDh1XX0

たこさんウィンナーの発明者尚道子さん。沖縄の方。これからたこさんウィンナーを見たら沖縄の歴史を振り返ろう。

こんにゃく座の次回オペラは「比羅夫丸」。
北海道絡みで比羅夫の名を聞く。倶知安町字比羅夫にある「比羅夫駅」。北海道最初の鉄道である官営幌内鉄道で使っていた蒸気機関車「義經」「辨慶」「比羅夫」「光圀」「信廣」「しづか」。
阿倍比羅夫の北海道(蝦夷)征伐から来るのだろうけれど、それってば激しく和人の見方だね。時代的にはそうなるのだろうけれど、現代的ではないね。
また、「チャペック」なる再来年の題も気になる。
この題ならば、当然、兄ヨセフと弟カレルの双方が出てくるし、「ロボット」命名の逸話、ナチスが関わる二人の死についても出てくるだろう。
そしてまた、二人の合作戯曲「島」についても出てくると良いな!日本語情報がほぼないし、英語情報も少ないので、おそらくは傑作でないのだろうけれど、そうは言っても二人の名が並んだ時には気になるよね。
ついでに言うならば、田尻宗昭の生涯は面白いオペラになりそうだし、こんにゃく座が追求している(と私が勝手に思っている)「今、我々日本人(ら)がここにこのようにある理由」シリーズとしても好適だと思うのである。

仕事の会議で「・・・ってすると頭良さそうじゃない?」と言う。きわめて頭の悪そうな発言。
練習の時にも「・・・ってすると上手そうじゃない?」と言っている気がしてきた。きわめて下手くそ野郎の発言。

「文学は役に立つのか」なる書物があるらしい。
そこから連想するに「お前が生きていることは何かの役に立つのか?」と言われて、私には答えられる気がしない。
家のローンが残っているとか、仕事の〆切があるとか、そういう「役に立つ」がないとは言わないけれど。
それを考える(あるいは考えない)ために文学を読んでいるような気がする。
これで文学すら読まないとなると、私は人糞製造機あるいは二酸化炭素発生機ではないか?

沖縄方言 すぎる 白雪姫
元の禍々しい話より良いかも。王子が「ユンタク」するために沖縄弁を学んでいるのも素敵だし、王子の舌足らず沖縄弁を否定しないところも素敵。
安次嶺栄純なる名前も気になる。苗字も沖縄風だが、文字ひとつひとつも沖縄風味があるように感じる。

いつものNPR
https://www.youtube.com/watch?v=o9PoZ0Vcb_s
失礼ながらお歌に興味があるのではなく、チェロ・ダ・スパッラ(肩掛けチェロ)で参加している方がおられる。
奏者・楽器のお名前も明記されている Owen Pallett: cello da spalla 。
自分のような20世紀のクラシック音楽的発想だと「本当にこのような楽器があったのか。本当にバッハはこのような楽器を想定して作曲していたのか」と言った疑問が先行して、これらの楽器の演奏を(演奏者としても・聴衆としても)楽しむところになかなか進めない。
こういう点は、ポップス系の方の方が先に進みやすいのかも知れない。

ドラマ「孤独のグルメ」をよく見る。
誰にでも何時でもありそうな小さな葛藤と小さな不幸。見たことがあるような街角。身の丈にあった「ごちそう」。
創作物であり虚構であるのは当たり前の前提として、「嘘のない物語」として愛されるのではないか。
嘘くさい美男美女が嘘くさいセットの中で嘘くさい演技をするのに耐えられないとしてもこのドラマは見ていられそうだ。
主演松重豊は高身長ゆえに役がつかないことを恐れていたというが、一人芝居が多いこのドラマではその事はあまり気にならない。
松重豊は脇役も多かったそうだから、「邪魔にならない演技」が様になっている。これらの点も良かったのだろう。
これを「(嘘くさい)美女」に置き換えると途端に虚構性が鼻について見られなくなるように想像する。

「蛸足大学」なる語の存在を知る。
が、「きちんとした用語ではない」らしくWikipediaの記事いい加減(いい加減の見本みたいでそれはそれで価値がある)。
なぜ日本大学等の私立大学は「蛸足大学」と言わないのか何の説明もないあたりが極めていい加減。

ブレゲ(時計)の広告を見て「ブレゲと言えば飛行機に決まっとるだろう」とWikipediaを見ると、時計の玄孫が飛行機だった。あなや。
あまり迂闊に怒ってはいけないね。

健康診断が精密検査行きになる年齢に。
とは言え、運動して痩せろ、水を飲め、くらいで終わった。相変わらず何の薬も飲まずに生きられるありがたさよ(薬といえば正露丸)。

そう言えば、トーマス・マンの小説「ファウスト博士」で話者を務めるエルネスト・ツァイトブロームは素人ながらヴィオラ・ダ・ガンバを演奏する設定だったような気がしていたが、ヴィオラ・ダ・モーレのようだ。
ネットで見ると、そのあたりを掘り下げた研究をされている方がいらっしゃる。
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/81495/mra_053_A055.pdf
私は主人公の名を「レーヴェルキューン」で親しんで来たが、ここでは「レーヴァーキューン」。ただし、一箇所だけ「レーバーキューン」。おそらく誤字(表記ゆれの不統一)。

これに関連するようなしないような、ブゾーニの「ファウスト博士」。
https://www.youtube.com/watch?v=xrFwfeKzRuE
居ながらにしてすぐさま演奏を聴ける凄い時代。譜面付き動画があるのも驚き。

R.シュトラウス「メタモルフォーゼン」に着手。
ふだん楽天的なR.にも似ず深刻な音楽。
ドイツ第三帝国の破滅

ワグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」のモチーフ辞典があった。
https://www.laits.utexas.edu/tristan/motives.php
メタモルフォーゼンに「マルケ王」のテーマが出てくるらしいので。

ショパンコンクール。
アメリカ、カナダ、中国、日本などが上位。
と言いながら、米加の方々も東アジア系。
東アジアの紐帯で嬉しいな、と思ってもいいし、所詮縁なき人よということもできる。
東アジア人は真面目でこつこつ努力する(タイプが一部にいる)と感じる。そして近年の経済発展もあって、ピアノやヴァイオリンでは優秀者を輩出しているようだ。そしてまた、チェロやコントラバスも徐々に。マーケットが追随すると良いのだが。。。

いい絵。本当の彼岸花がこの形か確信はないが、何か音楽性・弾力性を感じさせるこの絵が好き。
https://note.com/monokakiko/n/nb81f0c3974ae

問寒別の「しょぼいゲストハウス」について調べるついでに、GoogleMapを見ていたら、中川町に斉藤茂吉の歌碑があるのを見つける。
不思議に思うと、茂吉の次兄守谷富太郎が医師として中川町に住んでいたと。
https://www.town.nakagawa.hokkaido.jp/section/kyouikuiinkai/b02d3l0000000pdg.html
当時の北海道の生活・環境をうたった歌がたくさん紹介されており非常に目新しい。北杜夫の斉藤茂吉シリーズではこれらは扱われていなかったように感じる(記憶に自信がないが)。
世田谷区内に中川町のアンテナショップがあったように思うけれど、茂吉をもっと宣伝しても良いのでは?(とは言え、それで中川町に行くのは相当の奇人かも知れぬ)。
問寒別は、昔の職場の同僚がここにいた事があるとかで、なんとなう親しみを持っている。
茂吉を通じた世田谷と中川町の交流があるらしい。良かった。
https://setagaya-matsuri.com/oldsite/pdf/jichitai33/01.pdf

金魚酒。唐辛子と大葉を入れた焼酎らしい。
焼酎を金魚に見立てるとか。
金魚を入れても泳ぎだすようなアルコールが薄いお酒を金魚酒と言わなかったっけ?

ネットオークションを覗く。
出典数でみて、ヴァイオリン3千、チェロ300、ヴィオラ150、コントラバス150くらい。これがおおむね定常的に出ているっぽい。
ただし、楽器本体だけでなく、弓・ケース・部品・消耗品を含んだ数である。
相対的な数としては「生活実感」に合っているように感じる。
一方、ヴィオラ・ダ・ガンバは、1年に2本くらいだろうか。
まあ、楽器を通信販売を買うことは、私には怖くて出来ないけれど。
しかし、楽器本体はこのうちの1/3としても相当程度の楽器が日本国内で動いており、それ以上の楽器が使われたり眠っていたりするというのはすごいことだ。
おぼろげな記憶であるが、2000年ごろ、ヤマハがサイレント楽器としてヴァイオリン、チェロを発売した後、ヴィオラがどうなるか・・・と言う時、「ヴィオラサイズヴァイオリン」の形で発売した。その際のヴィオラ国内市場(奏者数?)を「7,000」と見積もっていた。
(あまり大きな市場ではないが、需要があるからサイレントヴァイオリン部品を用いてヴィオラが練習できるようにするという、「さすがトップメーカー」というご判断だったと当時感じた。また、そのことを誠意を持って公表するのが偉いよね。)
楽器人口はおそらく経済成長で拡大し、他の遊びとも取り合いになり、少子化によって縮小するのだろうなと思ったり、あるいは中国・インドなどにうまく売り込めれば・・・といったところであろう。

映画「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」(1968) が公開されている。
https://www.youtube.com/watch?v=aCfy4hLlfJs
高校生の時、見に行こうとしてしくじって、大人になってからDVDを買ってやっと見たのだった。そういう意味で「思い出の映画」。
撮影当時の「古楽」の再現レベルにならったものになっているけれど、レオンハルトやアーノンクールの若き日の姿が見られるのも良いと思う。
なお、原作の書物「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」はそれ自体が創作であって、バッハ夫人の書いたものではない。
このチャンネルは、他にもK.ラッセル「マーラー」など公開している。著作権は大丈夫だと思うけれど、確信がない。

大井川鐵道社長 鳥塚亮氏「都市伝説」
https://www.torizuka.club/2017/12/16/%e4%ba%a4%e9%80%9a%e9%83%bd%e5%b8%82%e4%bc%9d%e8%aa%ac/
成田空港の「都市伝説」というより「虚偽説明」。こういう組織は「民間の悪いところ」と「役所の悪いところ」を両方持ってたりするのが怖いよね。多少身に覚えが無くはない。。。やはり羽田が国際便を入れるようになって、成田の地位は低下しているのね。高市首相絡みでも話題になった、横田基地はじめとする東京上空の米軍空域が返還されると何か変わるのかどうか。

なぜ中国人が騒いだか。
https://www.torizuka.club/2016/12/28/%e3%81%aa%e3%81%9c%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e4%ba%ba%e3%81%8c%e9%a8%92%e3%81%84%e3%81%a0%e3%81%8b%e3%80%82/
この記事も(新千歳という現場にいたわけではないけれど)様々な現場を見てきた人の目が活きていて良い記事と感じる。

航空会社のサイトはどうして乗り方を説明してないのか
https://necomesi.jp/blog/securecat/posts/304
鳥塚氏のページから飛んだ記事。良い記事だ。飛行機の人たち、乗るのも・飛ばすのも昔の「特権階級」っぽい。
乗機方法を知らん奴・常識のない貧乏人は乗らんで宜しいの気分が見える気がする。LCCの隆盛によってそれは相当程度減じたけれどね。

ともあれ、識者のブログを読むこと、また、読む価値のあるブログで紹介されている他のブログへと飛ぶことなど、「昔のインターネット」だね。

ある文脈において「オケコン」は「(ゲーム音楽など、もともとはオーケストラでない音楽の)オーケストラ版コンサート」なのね。
自分には「管弦楽のための協奏曲」を「オケコン」という方のみ馴染みがあった。

知らない間に、弓がクジラの髭巻に変わっている夢を見た。
試し弾きの感じもよろしく、なんとなう現実だと思っていたが、絶対にそんなことはない。
現実は、銀の巻線(正確には銅線の銀メッキ)が切れ、熱収縮チューブで覆ってあるままである。
2008年から使っている弓であり、17年で巻線が切れるならば「そんなもの」かも知れぬ。
http://folia.txt-nifty.com/musik/2008/02/post_0884.html
これまで外見を見る範囲では「クジラ巻は上等な弓」と感じてきたので、自分もクジラ巻に行きたくなっていたのであるけれど、もともとの弓の作りを崩して良いのかどうか、全くわからないね。

「私達は20世紀に生まれた」を読み、アーサー・ランサムがジャーナリストであったことを知る。
https://numabe.exblog.jp/page/2/
さらに、Wikipediaを読むと、ランサムが英国秘密情報部 MI6 所属であったと知る。
この秘密情報部は、サマセット・モーム、イアン・フレミング、ジョン・ル・カレ、H・G・ウエルズなど有名作家を輩出しているのに驚く。
まあ、モームの作品を見ていても「作家」は情報収集者の隠れ蓑には適しているのだろう。そもそも、英国の知識階級(上流階級に近い)の中で定型業務でない臨機応変な者を探すと作家適性が高いものに行き当たるのかも知れない。

自分の演奏履歴を見直すと、ブラームスの弦楽六重奏第2番を弾いたのは、もう10年前(2015年)なのだと驚く。
なんとなうコロナ禍で時間を停止させていたような気もする。そして身内の不幸もあったり。若い家人も時間が止まっていて、ようやく少し時間が動き出したのかも知れない。
我が家の周辺を見ていても、この数年、「建築ラッシュ」である。コロナ禍で止まっていた建築工事が揺り戻すようにラッシュになり、しかし、職人さんの高齢化・不足、円安による建築資材の高騰により、やはり工事が止まったり。とは言え、結局時間だけは等しく過ぎていったのであろう。

ある方が「亡くなった方の楽器」の行き先を探していると聞いた。
なかなか悲しいことであるけれど、楽器が生き物であり、世の中の財産であるのだから、使われた方が良いというご判断には敬意を評したい。
良い楽器だけに良い人と巡り合って欲しいものだ。

「私、音楽大嫌い」
バーンスタインの歌曲。思ったよりも衝撃ではないふつうの歌だった。もっと滅茶苦茶だと予想していたのだが。
翻訳して下った方がある。
http://naokofujii.blog104.fc2.com/blog-entry-470.html

ウクライナの女性二重唱とギター
https://www.instagram.com/reel/DQJ4Fx6juP9/?utm_source=ig_web_copy_link
民族っぽくもあり、ボサノヴァっぽくもあり。ジャンルはよくわからないが、とても良い。

Continue reading "読書の記録(2025年10月)"

| | Comments (0)

より以前の記事一覧