読書の記録(2024年9月)

二十六人の男と一人の女 ゴーリキー 中村唯史
短編集。掲題もまことにロシア小説らしい社会的対比と幕切れ。「女」も良かった。
ロシアも国家としては尊敬できないが、国民は・・・。まあどの国でも同じといえば同じなのが悲しい。

佐多稲子短編集
冒頭にある小説などは少々読みにくかった。この時代に書かれたものは現代人にはいささかひっかかるものがある。昭和半ば生まれの私がそう思うのだから、より若い人には更にそうかも知れない(あるいは新鮮で魅力的かも知れない)。
「虚偽」は良かった。この時・この人にしか書けないものだと思う。
ここでも「宇品」からの出港がさらりと出てくる。「暁の宇品」の重要性を思う。

新アラビア夜話
最初の二話を読む。まあまあ面白いが、物凄く面白いというほどではない。
イギリス人の書く小説という感じ。

バーナム博物館
最初の二話を読む。まあまあ面白いが、。物凄く面白いというほどではない。
アメリカ人の書く小説という感じ。

女の園の星
凄い漫画。
だが、この漫画も凄いが、漫画中に出てくる漫画「エターナル カオル」(いや、エタ〜ナル カオルかも)。これが凄い。しりあがり寿先生を彷彿とさせる展開。こうして二重の漫画を描ける和山やま先生の才能は凄い。

部落の女医 小林綾
冷静な観察の記録であって、感想を書きにくい。
また、ご本人の経歴も戦後の変動に大きく影響を受けたのだなあ、と思わするものである。
文化人類学の参与観察に似ている。

鉄道模型趣味 1973-1975
古書として購入。私が鉄道模型を始めた頃の入門書といえば、保育社の「鉄道模型」(山崎喜陽著)であるが、この「鉄道模型」に写真が掲載されているレイアウト作品の多くが、今回入手した鉄道模型趣味誌に掲載されている。まあ、「鉄道模型」の執筆年を考えれば当たり前であるのだが。
ともあれ、今まで「鉄道模型」の写真一枚でしか見たことがない作品を、記事として読むことができ、さらにまとまった数の写真で見られるのは喜ばしい限りである。
「剣山鉄道」が「つるぎやまてつどう」であるとは初めて知った。これまで45年間「けんざんてつどう」だと思っていた。
また、この当時すでにNゲージで架線集電レイアウトがあったのも驚き。

これら剣山鉄道、河内鉄道、武蔵野鉄道は、私が子供の頃の「憧れの模型鉄道」である(もっとたくさんあるけれど)。

唐宋伝奇集
読了。読了を誇るような本ではないけれど。短編で役人が耳にしたうわさ話っぽいのが多いので、すずろに読むには良いが、それ以上のものではなかろう。不足する部分を補いたいと思うと二次創作に走る。芥川龍之介然り、中島敦然り。

史記 列伝
少しずつ読んでいます。資治通鑑も読まねばなのだが。

歌集 点の記 平林 静代
長い間知るような知らないような方の歌を拝読するのは特別なものだ。

オリヴァー・サックスの「音楽嗜好症」もちらと見た。「音楽の立体性」について(私が思っているのとは異なる形で)言及があった。真面目に読もうと思う(などと虚言を弄して幾星霜)。

覚え書(買いたい近刊):
 すべての月、すべての年 ――ルシア・ベルリン作品集 講談社文庫 2024/9/13
 クイックオバケの動かない漫画 クイックオバケ 2024/9/25
 女ひとり、インドのヒマラヤでバイクに乗る。 里中はるか 2024/9/26 無事購入!
 写本で楽しむ奇妙な中世ヨーロッパ: 写本が教えてくれる 2024/9/27
 ごはんが楽しみ 井田千秋 2024/10/7
 線路沿い街歩き 小川真二郎作品集 小川真二郎 2024/10/11
 エティオピア物語 岩波文庫 2024/10/16
 Y字路はなぜ生まれるのか? 重永瞬 2024/10/25
 牡猫ムルの人生観 E・T・A・ホフマン 酒寄進一 東京創元社 2024/11/29
 ネコのムル君の人生観 E・T・A・ホフマン 鈴木芳子 光文社古典新訳文庫 2024/9/11

ホフマンの「牡猫ムル」は好みの作品だが、全ての訳を揃えるか悩ましい。角川の石丸静雄訳で特に不満はないのだよね。
ともあれ、長年題名については「牡猫ムルの人生観」が定着しているところに、「ネコのムル君」とはぶちかましたね。こういう訳を作りたい気持ちも判るが、こういう「柔らかい」言葉は古びやすいようにも思う。また、「ネコのムル君」に対し「人生観」と固く受けるのが良いのか。「ネコのムル君人生を語る」くらいが良いのではないか?(訳文を読んでいないので、無責任な提案)。
ルシア・ベルリンは「掃除婦のための手引き書」を読んで、初めの方はあまり気に入らなかったが、読み進むうちに興に乗って来て楽しめた。こちらも読んでみたい。

●雑感

朝日新聞購読中止まであと4ヶ月。
我が家ではどうやら関東大震災前から購読していたらしいが、下らない新聞に成り下がり、年間六万円もの大枚を費やすに足らないので、止めることにした。一番良くないのは、読者を馬鹿にしてせせら笑っていること。庶民の意地としては批判などという面倒な親切ごかしをせずに購読を止めることだろう。
本当は8月末に止めたかったが、販売店にゴネられたので、仕方なく12月末を待っている。でも、次にヤラカシたら我慢できないだろうなあ。

東京駅ー茨城空港間のバス料金、コロナ前は500円(茨城県が補助)だったのに、今や1650円。まあそれが普通の価格だろう。だが、残念。

韓国映画「還魂」に出ている女優コ・ユンジョン (韓国語: 고윤정)さん。たいへん素敵。
日本映画「地獄の花園」に出ている女優永野芽郁さん。大変な演技力。細っちくてとてもケンカをなさるように見えないが、目つきやら、あるいは、ケンカのあとによろよろと歩くお姿が本当にそれらしい。こういう、破天荒でコミカルながら嫌味なく演技できるのが役者の役者たる所以であろうか。
他の女優の皆さんもそれぞれ活き活きと「ヤンキーOL」を演じて居られるように見る。

鉄道車両の車輪が急曲線で鳴るのは、フランジがこすられる音ではないとのこと。
https://dda40x.blog.jp/archives/2006-10.html
世の中知らないことが多すぎる。まあ、知らなくても困りはしないのだが。
この方は、非常に工学的に・芸術的に模型趣味をされている。(機芸というのはこういうことを目指しているのかも知れぬ)。
もちろん、趣味はさまざまで、私のようにだらけて自分では何もしないが、こういう文章を読むのは好き、という行き方も許されて良いとは思っている。が、少々居住まいを正さねば、とも思う。
「奈良時代の仏像もロストワックスでできている」なんてのも面白かった。

エタ・ハーリヒ=シュナイダー 偶然見かけた。全く知らなかった。 https://numabe.exblog.jp/23462350/
ローゼンシュトック回想録には、軽井沢で蟄居していた時分のことが語られる。戦中の西洋人音楽家のことはそれくらいしか知らなかった。

https://www.youtube.com/watch?v=oNLDJp83YAQ

Twitter (X) で「性欲が馬並み」というフォロワーが続けてつく。
呆れて全てブロックするのだが、どいつもこいつも「馬」なのが気に入らない。
もっといろいろな生物について興味を持たないような輩に、私は興味が持てない。
もちろん実在だけでなく、想像上の動物でもよい。棘皮動物やケートス、臘虎膃肭獣などを挙げられないようでは大したことはない。
いずれにせよ、言語能力の低さにがつかりする。

ドゥダメルのマーラー。なかなか良い。
https://www.youtube.com/watch?v=htGOqQDS4ug
鋭角的で、対位法的で。歌うところをもっと歌って欲しいけれど。この基盤の上で、破滅的な歌謡性があれば。。。
近年のきれいなマーラーに飽きたらない私には、こういうのが良い。
ただし、この映像のカメラワークは最低。観光客がスマホを振り回したみたい。

『坂道のアポロン』──聴こえないはずの音楽を鳴らす
https://artsandculture.google.com/story/AQXRA-bzXIFHJA
作者小玉ユキさんのインタビュー。演奏に熱中すると擬音語が消える、というのがなかなか良い。自分が楽器弾きとして思うのは、音が聞こえているうちは、演奏に熱中しているとは言えず、音楽そのものの中に入り込んでいると、音と自分が不可分であって「聞こえてくる」という感覚ではないということだ。

昔、海べりのある町で、鰯を買った。ひと箱(おそらく五十匹くらい)二百円だった。
鰯の手開きは母から教わっていたが、久しぶりだったので、最初は不調。
で、きれいに出来たのは酢洗のお刺し身。崩れたのは葱生姜と混ぜて「つみれ」にして味噌汁に。中くらいのは蒲焼に。
また、鰯を食べたいものだ。
人様が作って下さるなら、梅肉を巻き込んだ天ぷらを食べたいな。

私の長年の経験から言って、
『「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えないのは人間ではない』。
こういう人間とは是非にも距離を置くべきだ。
某県知事がまさにこれだろうし、彼奴の属する某政党の輩は皆これだ。

LibreOfficeを使うと、古いアップルワークスのファイル(拡張子cwk)を開くことができる。
これは大変ありがたい事だが、日本語が時々文字化けする。
「時々」というのが中々曲者だ。
同じ文字が同じように化けるわけでもない。コンピューターを使っていてこのような傾向性のない誤りが生じたのを見たことがない。そしてまた、テストをするのも中々大変そうだ(アップルワークスが動く環境があることはあるけれど・・・)。
昔、職場の先輩が「全てのデータはテキストファイルにせよ」と叫んでいた正当性が三十年後に証された。

神奈川県警のキャラクターが崎陽軒と合従と聞く。
かなピーポ君?
となると、うれピーポ君、うまピーポ君がもれなくついてくる?

ご近所のご老人から「仙川の山水中学校」について伺う。
軍関係学校のひとつだったとか。桐朋学園の前身であるが、あまり耳にしないと思った。調べると1940年開校であって、軍関係で目立った卒業生がいなかったからだろう。Wikipediaによれば『「山」は陸、「水」は海を意味しており、当時は転勤の多い陸海軍の子弟の教育を目的とする学校であった。』とのこと。

Wikipediaの誤字『浮沈艦を誇った「武蔵」』は『不沈艦』だろう。

弦楽四重奏団の写真で印象が強いのはカペー四重奏団(Quatour Capet)。
ファーストヴァイオリンが落ち込んでいるのを、皆が心配しているように見える図像。
http://salondesocrates.com/capet/capet_photo3.jpg
実際には、私の理解が誤っているのだろうけれど。

英国の作曲家 Howard Blake による A MONTH IN THE COUNTRY もなかなか格好良い。
https://www.youtube.com/watch?v=FtK5JJ3D-8w (組曲より行進曲)
譜面もネットで買える。
https://www.howardblake.com/music/Film-TV-Scores/608/A-MONTH-IN-THE-COUNTRY.htm
が、「ひと月の夏」の映画や小説を知らんとつまらん。

この方、「スノーマン」の音楽が有名かも。
https://www.youtube.com/watch?v=f0CLyDPY_U0
なんでこなな憂鬱な音楽をつけるんじゃ。

品川の「日本音楽高等学校」は昨年「品川学藝高等学校」になったとか。
新幹線で上京してくると、列車の速度が落ち、線路は右に左に曲がりくねり、車掌さんの車内放送からも何がしか安堵の調子が聞き取れる。 そんな時、この学校の大きな文字の看板が見えてくる。
私にとってある種「東京」そのものだった。

品川近辺の地図を眺めていると、「光学通り」「ジャーマン通り」「ゼームス坂通り」など、なかなか興味深い通りの名が連なっている。
杉並にある「岩通通り」もなかなか良かったが、これらの通りも覗いてみたいものだ。

セクタープレート
ターンテーブル(転車台)とトラバーサー(遷車台)の中間。
Fallerが模型を売っているが、ターンテーブルという名前のようだ。前方後円墳っぽい堀がちょいと愛嬌があるね。
実物にも存在するようだが、なんとなう帯に短し襷に流しの趣があるように感じる(だから、例が少ない)。
https://www.osbornsmodels.com/faller-120275-segment-turntable-3-way-kit-with-servo-ii-39402-p.asp
http://www.belfieldhall.co.uk/belfield/ngr/belfieldquay_01.html

低温ハンダを買ってやれ、と思って amazon を覗くと、錫・鉛合金であるふつうのハンダの中で、比較的低融点のものを低温ハンダと言って売っている。ビミョー。蒼鉛などを入れて、ハンダより融点を低くしたものを「低温ハンダ」と言っている・・・と思っていたので。
融点が100℃以下の金属って、ちょっと興味深い。これで作った器にお湯を入れて・・・という犯罪(ミステリ)を考えるが、低融点の金属は普通柔らかいので、なんとなく気づく気がする。まあ、そういう事に興味がない人間も多いのであろうけれど。

飯田線沿線をGoogleMapで眺めるのが趣味。
田切駅の近くに井上井月の句碑を発見。井月に興味があったので、なかなかうれしい。
池田邦彦氏の作品「カレチ」に田切駅らしい描写があったように記憶する。
(皆が好きな田切駅である。)

映画 Kelly's Heroes (邦題は「戦略大作戦」だが、そんな内容ではない)に、AEG製凸型電機機関車らしいのが少し映る。
シャーマン戦車の 75mm 砲の餌食になったと思われるのが悲しい。。。
(これらを作ったり壊したりするほどの予算をかけた映画とも思えず、まあ有りものが偶写っただけで壊してもいないとは思いますが)。

La Music Collana(10周年記念演奏会)
本当に若いのに達者で活き活きして素晴らしい音楽。
オーボエが「2本」というのが非常に楽しかった。
音質も歌い口も同じようで違い、違うようで同じ。
こーゆー音楽をして欲しくて作曲家は同一楽器2本で書いたのだなあ、と。
「2本」のための音楽。良い。

チェンバロ、オルガン、ハープ、ギター、テオルボ、ヴィオローネ、チェロと、豪華な通奏低音が印象的。
緩徐楽章と速い楽章での使い分けもあり、また、ハープの方がいないと思いきや鍵盤楽器2名体制だったり。
特にギターのジャカジャカが格好良い。
(諸般の事情により低音部に耳が行きがち)。

ふだん一人で低音を弾いているので、今回の豪華な通奏低音陣を見ていると、「良好な職場環境」という言葉が浮かんでしまう。
「全員がそれぞれの個性を活かして大活躍する職場です」なんて。
私がベートーヴェンの四重奏を無理やり弾いている時、誰か助っ人がいたらなあ(それはそれで困る)。
ちなみに私が「最低の労働環境」と思うのはウルトラマン(ら)。死にそうになるまで上司は助けに来ない。宇宙には労働基準監督署は・・・(以下略)。

CD「Fioritura」を買う。
このところ追いかけている La Music Collana の記念盤。
ヴィヴァルディの協奏曲なんて「四季」以外に知っている曲あったっけ。と思いきや。音の出始めで驚く。そういやこの曲・・・。
「鈴木鎮一チェロ指導曲集」に入っていた。私が如き野良奏者は冒頭どう弾くべきなのか、全然わからずたいへん困ったものだった。
「納得のいく演奏方法が思い当たらない」のである。まあ、紆余曲折はあるにせよ大人になったから、「こうやって弾くよなあ」とも「いい曲のいい演奏だなあ」とも思うのである。
(他に「どう弾くべきか全然わからないで困った曲」と言えば、ニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」やレスピーギの「古代舞曲とアリア」の「パッサカリア」等がそうだ)。

すごく爽やかで晴れやかな演奏で、日曜の昼下がり、好みのお茶とともに楽しむのも良い。
だがしかし、これは委曲を尽くした演奏でもあって、スコア片手に演奏の妙を解剖するのも楽しそうだ。

RV417の3楽章なんかすごく良い!ヴァイオリン協奏曲だっけ、と思いきや、熱いチェロが飛び込んでくる。
して、このチェロ奏者の弓使いがニュアンスに富んでいて惹きつけられる。スピード感のあるキレのある演奏も素敵だが、一方で遅い部分で、気を持たせるような表現が非常にうまい(こういう方は異性を口説くのもウマいのではないか、と私の邪念が申す)。
で、この楽章の次に、安らかなシンフォニアが来るのも素敵。

お気持ちだけの音楽も詰まらないが、頭で考えただけの音楽も詰まらない。情意を尽くしつつ、それを超える何かがある演奏だけが繰り返し聴かれる。そしてその「超え方」にも色々あって、これまでの我々は熱誠の故を以て由とすることが多かったように思う(「爆演」のようなのもある種超え方の一つなのかも知れぬ)。その中にあって、自然であること、たおやかであることに価値を見出されているように見受けられる。まこと貴重である。
そう言えば、私の師匠杉浦薫が言っていた「道端にいる猫を見て、『かわいい』と思う、そういう気持ちが音楽にならなければおかしい」という言葉にも通じるように思う。

こんにゃく座「リア王」
自分、ブリテン王でなくって良かった。ウチのカミさんが鈴木茜さんでなくて良かった。「悪女と書いて『ワル』と読む」。鈴木さんがこんな悪い女(ひと)だったなんて。。。と言う恐ろしくも楽しい劇。道化の二人がまた良かった。彼らが出てくるとその雰囲気に完全に切り替わる。でも、悪女も善女も皆そんなことになってしまうなんて。シェークスピアひどい!
も少し違うことを述べるならば、老いにつれて愚かさの勝るリア王、ちょいとした地位にあってウヌボレている私の姿でもあろう。そしてまた、今の世の日本の権力者どもも同様。耳に快い言葉に取り憑かれぬよう気をつけよう気をつけよう気をつけよう。
一点、衣装はなんとなう中途半端でわかりにくかった。衣装が良いとオペラに集中できるが、中途半端であると、そこにメッセージを読み取ろうとして余計なことを考えてしまう。

弦楽六重奏について少し調べる。 もちろんブラームスの2曲が有名。浄夜、バッハの6声のリチェルカーレ、R.シュトラウス「カプリチオ」くらいが普通のレパートリーか。
ベートーヴェンの田園交響曲の六重奏番を見つけた。物凄く室内楽的という音楽ではないが、楽しそうではある。(そもそも6重奏に室内楽を求めるか問題。逆に室内楽的な交響曲もあるのだが。。。)まだ全部聴いていないが、「嵐」はVcふたりで5連符と4連符を分け合うのだろうか。
後は、バスを入れてR.シュトラウスの「メタモルフォーゼン」?

「下持ち協会」でふたたびヴィオラ・ダ・ガンバ体験をさせて頂く。
ガンバは、初めての人が弾いても不快な音が出にくい気がする。基本的に和する音が出るから、アンサンブルをすると、一本ずつが聞こえ、しかも和するように感じる。
一方、ヴァイオリン属はゴツい音を出せるから、後期ロマン派に展開し、さらにスター・ウォーズなどの映画音楽に繋がったのだろう。
(どっちが良いとか言う問題ではまったくない。どちらも愉しめば良い)。

カバヤ児童文庫が岡山県立図書館で公開されている。
アルセーヌ・ルパン(原典)ファンは、
 23少年探偵トルレ
 24少年探偵トルレの追跡
(特に後者)をお読みになると楽しいのではないか?
https://digioka.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/kabaya/bunko/index.htm

元々上で創ったが、いつのまにか下で思い出していた。まあ、決めないで両方残すのが、野良うた詠みである私らしかろう。
 亡き友を思へ只佳き酒を注げ涙はいつか枯れ果てるとも
 亡き友を偲べただ佳き酒を注げたとへ涙は枯れ果てるとも

發瓜(一文字)、胡瓜(一文字)の二文字で「からすうり」だとか。
癸瓜の間違いとも。
烏瓜愛好家としては瞠目せざるべからず。

雑誌「蒸気機関車EX Vol.58」の目次を見た。「えっ、空母の空母の飛行甲板に蒸機?」
「空母の」はひとつで良いのだろうなあ。きっと。
タワーレコードのアンゲルブレシュトのCDは相変わらず「要諦」とすべきを「幼帝」となっている。悲しい。

スラブ語の共通性についての動画
https://www.youtube.com/watch?v=Av6bVGFRme8
犬を「ペス」というそうだが、そういう名付けを見たことがある気がする(サザエさんだったか?)。
英人が犬に「カメ、カメ come, come」と言うので、犬の名を「亀」だと思ったというのと同じか?(違うだろうけれど)。
川は「Rzeka」。RとZと続くのは、ドボルジャークもそうだよねと思うが、さて。
これって漢語圏でも成り立つ遊びなのだろうか。

月末に風邪を引いた。夏のお疲れ、演奏会のお疲れが出たのだろう(公式見解)。また、マスクをしないで夜の電車に乗ったのも悪かろう。これからも気をつけよう。なお、病院での診断結果として、コロナでなく・インフルエンザではない、とされている(えっへん)。

Continue reading "読書の記録(2024年9月)"

| | Comments (0)

読書の記録(2024年8月)

浴槽で発見された手記 スタニスワフ・レム
いつもの難解で饒舌なレム節。
カフカの「城」との類似性が指摘されているようだが、「城」においては、「城」の内部構造が一切見えず、K対城の1:1構造になっているが、レムは当然そんな過去踏襲はせず、1:NでありN:Nであり、さらに再帰的構造や群:群の対応があったり、システムそのものが複雑奇怪になっていく印象がある。
「城」もまた私達の日常だが、「浴槽で発見された手記」もまた、私の日常である。

たくさんのふしぎ おいしさつながる 昆布の本
昆布に関係するおいしいものとして、「鱈の昆布〆」が出てくるのが嬉しい。 昔、私が北海道人に「北海道でおいしいものは?」と問うた第一声がこれであった。 「どこで食べられるのか?」と問うと、「近所の漁師にもらった鱈をおふくろが昆布〆にしてくれた・・・」ということで、結局私は食べられなかった。 こうした思い出があってもなくても楽しい昆布の本だった。羅臼と富山の歴史的な関係も述べられていて、例のごとく行き届いた本だった。 (色々な種類の昆布の違いについてももっと知りたい。なぜ地域によって異なる食味の昆布ができるのか、また、食味の違いは生物としてどのような違いなのか、など)。

独裁者の学校 エーリッヒ・ケストナー
簡素にして皮肉の効いた戯曲。独裁政権下で迫害されつつも生き抜いたケストナーだけに終幕もまた悲劇。

思いもよらない日本の見かた モーガン、ルネ
編集部が中国ヘイトをかましたり、不愉快な本。
モーガンさんもルネさんも、日本において外国人として様々な苦労をされていると私は想像するけれど、そういう方が、ヘイトを内在するこういう本にお出になっていて、私は悲しい。
この本を見て腹が立って来たので、「それはわたしが外国人だから?――日本の入管で起こっていること」(安田菜津紀)を読もうと思う。 前提として、ヨイショは社会の潤滑油で必要不可欠と私は考えている。だが、ヨイショも過ぎると身に毒(これ重要)。
購入前に出版社名をよくよく確認するべきだった。

ブルーノ・タウト「日本美の再発見」に書かれた日本礼賛も、行く宛なき亡命者タウトが自分の居場所を作るために行った説を耳にしたことがある。タウトを(ちょいと)読んでみたが、建築物の美は書かれているが、日本の日常をボロクソに書いている部分もあり、まあまあ正直な偏屈爺さんだなと思った。だからと言って、奴さんがヨイショをしていないとは限らないが。
そう言えば、谷崎の「陰影礼賛」もちらっと読んだことがあるが、日本の便所を褒めてたりして、エログロ風味というか、嗜虐/被虐的というか、まっとうな趣味で書いたとは思われない、冗談半分・韜晦全開の文章なので、あれをもって日本文化の正当な評価のひとつとして扱うのは賛成できない、と思った。まあ、そうしたヒネ味こそが日本文化であるという主張には賛同するけれど。

アーキビストという仕事を知る。
チャペックの戯曲「ロボット」には「アルクイスト建築士 Alquist: Clerk of works」なる重要登場人物がある。
この方の名はアーキビストとは関係ないのだろうけれど、ちょっと気になった。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001236/files/46345_23174.html

キリスト教美術をたのしむ 旧約聖書篇 金沢百枝
少しずつ読んできたもの。一点悲しい感想は「(老眼の者にとっては)絵が小さい」。価格、判型から言って仕方がないのであるけれど。
本文と絵がどうしても離れるのも(寝転がって読む者には)読みづらい。
とは言え、中身は非常に楽しい。欧州・キリスト教の歴史の長さを思いつつ、美術として様々な技法・画風を楽しむことができるし、キリスト教の考え方や欧州の歴史の中での重点の変化などにも触れることができる。

天幕のジャドゥーガル 第4巻 トマトスープ
登場人物は、それぞれに、それなりに「善意の人たち」なのだが、あまりにも根深い対立。これからどうなるのか気になる。
なかなか登場人物とその関係が覚えられないので、紙の本が絶対に必要。
そして、早く第5巻出てくれ!気になる。

編集長敬白 名取紀之
もともとブロク(的ネット記事)だったもの。凄い人は若い時から凄かったのだなあ、と恐れ入る。
まあ、自分のごとき微温い趣味者ももちろんいて良いと思うけれど。

小林信夫の模型世界 小林信夫
鉄道模型界で、有名な小林氏の鉄道模型趣味誌掲載記事の抜粋集。
昭和の頃に読んで懐かしい記事もあり、最近古書として買って見つけた記事もあり、さらには未見のものもあり、大変楽しく読むことができた。 小林氏の思い出や思想が端々に語られており、なにか「全人像」を見られる心地がする。私も愛知県出身であり、小工場の思い出など共通するものがあるようにも思った。勝手な思い入れにしか過ぎないのはよくわかっているけどね。

古書店で「部落の女医」を買う。非常に面白そう。「気違い部落周游紀行」と同じような、文化人類学の香りを感ずる。
「日中15年戦争」を買う。ちくま文庫の戦争関連書は買わざるべからず(買うべき)。文庫本が2000円近くするようになったことを嘆きつつ。とはいえ、本書は相当の大部であるが。

海と毒薬(遠藤周作)、キャラメル工場から(佐多稲子)、太陽の季節(石原慎太郎)などを少しめくる。どうするかのう。

以下は買い忘れ防止の覚書:
女ひとり、インドのヒマラヤでバイクに乗る。2024/9/26 里中 はるか (著)
ごはんが楽しみ 2024/10/7 井田 千秋
線路沿い街歩き 小川真二郎作品集 2024/10/11 小川真二郎
(女性の執筆した本ばかり買うのも悪い気がするが、この世の半分は女性なので、そーなるのも当然であろうよ。)

●雑感

ちょっと不思議なアニメーション
SUNDOWN - Animation Short Film 2020 - GOBELINS
https://www.youtube.com/watch?v=jKh-DP89FPY

Wikipediaを眺めて遊んでいたら「酒田戦争」なる言葉を知った。
住軽アルミニウム工業は5年で会社解散。
鳴海小学校の同級生で住友軽金属の社宅に住む者がおり、親が酒田に転勤になった後、数年経って名古屋に戻った・・・というのは今思えばこれだ。会社の盛衰は様々な人生に影響を与えるのだね。

平成のはじめ頃、伯父に呼ばれて食事をした。
「自分が就職した昭和三十年代、人気業種は『三白(さんぱく。砂糖、セメント、肥料原料である硫化アンモニウム)』だった。自動車産業は不人気で、自分のような『落ちこぼれ』の就職先だった。だから、今、人気業種に行っても良いが、不人気業種に行くのも良いかも知れない」と言われた。
平成のはじめ頃、電機メーカー、自動車メーカーなどが人気であったろうか。大学の優秀な人々はそれら産業に数多く就職した。
近年、それらの産業が傾き始めている。あれだけ優秀な人々を集めたのにと本当に驚くしかない。
(自分はそうした優良産業・優良企業には採用されないといささか僻んでいたのだが。。。)

国立音楽大学の所在地が立川市であり、国立駅から徒歩1時間を要することを知った。
うむむ。立川音楽大学か、(最寄りの駅名をとって)玉川上水音楽大学になるしかないのか・・・。まあ、旧立地名を使っている学校はいっぱいあるから、もちろん無問題だけど。

ピクシブ大百科にある「メイツ星人」の解説。「暴徒ぼうと」とあるべきところ、「暴従ぼうじゅう?」となっている。直したもんだか。
ヤフーオークションで、「上野鉄道」の仮名を「こうげつ」と振って模型の機関車を売っている人がいる。箱には「こうづけ」と正しく書いてあるのだが。。。
同様に名鉄電車にある行き先表示を「黒谷 野汲」と読み解いている方がいた。「黒野⇔谷汲」なんだがなあ。
三省堂書店の在庫で「レイアウトの留意線とその実例」というのがあった。正しくは「レイアウトの留置線とその実例」だね。
アニメである「キャシャーン」は「新造人間」なんだ。落語なんかで「ご新造さん」が出てくる(無関係)。

乗ったことのある在来線特急(国鉄JR)
しらさぎ、ひだ、あさま、北斗星、
北斗、オホーツク、踊り子、かいじ、
あずさ、南紀、すずらん、スーパーカムイ、とかち?(おおぞら?) 
新幹線での移動が多かったので、在来線特急とは縁が薄くなりがち。北海道には縁があったので、意外とここで乗っている。山陽・九州方面は壊滅的だね。

HPVワクチンを巡る集団訴訟の鈴木エイト氏によるご報告を読む。
原告の女性達が健康でなく幸福でないことに、まことにご同情申し上げたいが、一方で、裁判というものの厳正さにも心打たれる。
HPVワクチンについては、名古屋コホート研究でも、危険性は見出されないことが報告されていたように思う。
https://x.com/cult_and_fraud/status/1821159033992310855
https://x.com/bar1star/status/1821469563458113850
「科学的見地から妥当な判決が出て欲しいと思うし、何より原告側女性たちが正しい形で救われて欲しいと思う。」という方のお言葉に全面的に賛同する。

ロシアではボールベアリングが払底しつつあり鉄道運行に支障が出ているとか。
ベアリングやピストンリングは高精度な消耗品なので、こういうことになりがちだろう。
飛行機のタービンブレードなんかもその仲間か?

オリンピックで唯一見ようと思ったサッカー(フランス対スペイン)見逃しちゃった。正確には録画忘れ。
まあ、無問題。他は見ていない。ニュースで流れているのを見た程度。
昔は「アマチュアの祭典」であり「参加することに意義がある」だった。それが、商業主義、プロフェショナル参加、国の争いとなり、さらには、汚職の温床となるにつけ、運動家諸氏諸姉を見てはあわれを催すになり、見る価値を感じなくなった。

AppleLossLess でUbuntu上で再生できないファイルがいくつかある。どこかに報告すると喜ばれたりしないのか?
そのうち調べよう。

「不思議遊星歯車機構」について調べてみる。
大きな減速比をとれるようだ。
で、小型モーターと組み合わせた製品もある。
安価ではなさそうだが、一度遊んでみたいものだ。
https://www.icomes.co.jp/custom/microactuator/
もちろん、価格以外の事情もあって模型用になっていないと思うけれど、こーゆーことを考えるのが楽しいのだ。
(口だけ番長)
続けて、サイクロ減速機についても調べる。『歯車』でなく波型なのにきちんと噛み合い、波型だからこそ歯が欠けたりしない(おそらく、特定箇所のみに力がかからない)のが格好良い。 ただし、鉄道車両などに興味があるものとしては、可変速でないのが残念(不思議遊星歯車もだが)。

サイクロ減速機、波波型なので、ゆるい結合かと思いきや、しっかり力が伝わり、かつ、尖った部分がないので、そこが欠けるということもないとは、まさにアンサンブルの理想。
よってして「サイクロ弦楽四重奏団」を旗揚げしようか。
https://www.zokeisha.com/zahs/cy.html
でも、サイクロイド曲線かと思ったら、エピトロコイド平行曲線なのね(意味はわからん)。
サイクロ弦楽四重奏団あらためエピトロコイド弦楽四重奏団
まあ、サイクロ減速機は商標で、一般名詞は cycloidal drive あるいは cycloidal speed reducer というそうだ。

トマトソースパスタを作る際、料理酒のつもりで味醂を入れてしまった。そんなに変ではなかった!
玉葱のみじん切りを炒め、豚こま切れを細かに切ってそこに入れ、塩胡椒少々。
火通りをよくしようと、酒(というか味醂)。
人参細切れ。
茄子の乱切り(あく抜き少々)
オリーブオイル追加
缶詰トマトと生トマト乱切り、昆布茶を投入。
茹で上がったパスタを投入して混ぜる。しばし経ったら皿に盛る。
「パスタなんて『焼きそば』」という言葉を聞いたことがあるが、私が作るパスタに関して言えばそのとおり。

さらにその後のトマトパスタは、茹でた麺に、生トマト、鯖の水煮(レモン風味)、塩昆布(細切れ)、オリーブオイル、バジルを和えてみた。まあ、ふつうの食べ物。ルッコラなどを入れるときっとハイソな食べ物になるだろう。
もうひと品は、長葱、梅干しの汁、赤紫蘇のふりかけ、長芋の刻んだのを和えたパスタ。
あまり火を使わない、というのをしてみた。

『大提琴&鋼琴經典歌曲串燒(工作、通車、日常、放鬆)』なるプログラムをyoutubeで見かける。
大提琴はチェロ、鋼琴はピアノ、経典歌曲はクラシック歌曲。ここまでは良い。「串焼」は「メドレー」らしい。
もちろん「串焼」だけだとまさに串焼らしいが、「歌曲串焼」はメドレーになるようだ。ちょっと美味しそう。
カッコ内の4つは「仕事、交通、日常生活、リラクゼーション」。
最後の「放鬆」がなかなか良い。髭ではないのですよ。

戦車と自走砲の違いがいつまで経っても分からない。分からないままに最近考えたこと。
まず、戦車は戦車兵が自走砲は砲兵が扱う、という説明を読んだが、これは戦車兵と砲兵の違いが分からない私には理解できる説明になっていない。
現在も続くロシアによるウクライナ侵攻・ウクライナによる防衛を見ていると、「大砲」というのは、観測システムや照準システムとともに機能して「見えない遠くの敵」を撃つもののようだ。観測・照準や砲弾供給も含めた大規模システムの末端の一つが「大砲」であって、大砲だけ闇雲に撃つものではない。一方、戦車はそれ自体が動き回って「見える敵」を探して撃つ(映画表現でしか知らないからこう思うが、おそらくシステム化を進めているのだろうけれど)。
話は飛んで、ナポレオンは砲兵出身だったから、皇帝となってからも科学者を重用したという。
ナポレオン戦争の時代においてすでに、観測・照準が数理的に行われていた(あるいは、その萌芽があった)から、ナポレオンには科学への親近感や信頼感があったと思われる。
ということで、「見えない遠くの敵」を数理的に撃つために砲兵が運用する車両が自走砲、「見える敵」を撃つために機動性を重視しているのが戦車、と私は考えている。もちろん、物事にはグレーゾーンがあることも多いし、技術上の問題で別れていたものが、技術上の問題解決によって収斂していくこともあるし、「縄張り争い」も世の常だから、平射する(見える敵を撃つ)自走砲もあるかも、とは思う。
(まあ、私がどう考えようが、誤っていようが、どうでも良いのだが)。

30年ほど前、韓国映画「反則王」を見た。いろいろな国の映画を見てみようくらいの気軽な気持ちだった。
喜劇であり当然面白かったし、多少泥臭い演出も印象的だった。主人公が突然アイドル衣装で出てきて、「演歌」を歌って、好きな彼女にアタックする妄想を描くのなど、なんてわかりやすいのだろう、という感じ。
韓国映画は今もよく話題になり、反則王の主演ソン・ガンホ氏もSNS上でよく見かける。ふふふ、私は30年前から知っておるのだよ、と(まったく意味はないが)嬉しい気分になるのであった。

韓国ドラマ Don't Worry, I'm a Ghost | 걱정마세요, 귀신입니다
役者さんが日本人ぽい。主役男性は野間口氏、女性は上白石氏などなど

ウルトラマンに出ていた女優 小川涼さん。セリフ回しも達者で、コミカルな芸。大した役者さんだと思った。
銅金カナオという派手でいささか均衡を欠いた研究者を演じておられたが、たいへん好演。

祖母は名前に変体仮名を使っていた。
明治生まれの「ふさ」の「さ」
https://cid.ninjal.ac.jp/kana/detail/110030010/
「しづ」の「し」
https://cid.ninjal.ac.jp/kana/detail/120050010/

愛知県の「愛知」は律令制の「愛知郡」から来ているのはおそらく間違いなく、その「愛知郡」は「年魚市潟」から来ているのも間違いないであろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E9%AD%9A%E5%B8%82%E6%BD%9F
年魚市潟の一部が鳴海潟であるが、歌枕としては鳴海潟も有名だったのだから、「愛知」に代わって「鳴海」が使われていても良かった気がする(元鳴海町民として)。
神奈川だって、神奈川郷が神奈川県なんだから、鳴海が県になっても良いのだ(暴論)。

愚息が幼かった頃、「あやかちゃん」を「あやちゃかん」と言っていた。
「あやかちゃん」ママがそれを気に入り、メールアドレスを「あやちゃかん」にして下さっていた。

Continue reading "読書の記録(2024年8月)"

| | Comments (0)

読書の記録(2024年7月)

暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ 堀川 惠子
読了。読んでよかった。日本の歴史に興味があるならば、読むべき書である。 大井篤「海上護衛戦」は名著であるが、「海軍が海上輸送を護衛する」観点で書かれたものであり、もう一方の「海上輸送がどのような有様であったか」で書かれたものが本書であり、双方読んでひとつの枠がやっと閉じそうである。さらに(小説であることを大前提に)光岡明「機雷」は、これら海上輸送に関わる現場の状況を理解するのに有用だと考える。
一点だけ苦言めいたものを申し上げると「暁の宇品」という題名が若干小説(創作)らしく見えるのが気になる。部隊名が「暁部隊」であったので、そのことを言いたいのであろうが。また、「ヒロシマ」と名付けるのも分からないではないが、それだけがこの書の本質ではないだろう。(と言って良い題名を思いつくわけでなし)。
結局のところ、先の大戦は、作戦レベルの参謀たちが表舞台で大活躍しつつも、成果が見えにくい兵站システムや系統だった技術開発は有能かつ誠意ある現場担当者任せで、戦略レベルでは放置されていたということだろう。すなわち「プロジェクトX」状態。それを今なお反省しないのが、番組としての「プロジェクトX」。残念である。
なお、江戸家猫八、丸山眞男も、陸軍船舶司令部勤務であった。

中国戦線従軍記 歴史家の体験した戦場 藤原 彰
「暁の宇品」の少なくとも前半は中国戦線の上陸作戦・補給作戦であり、ふと思い出して再読してみた。
確かに度々「宇品」の地名がさらりと出てくる。
どちらかというと激戦とは縁が薄かった著者。そういう戦史は表に出にくい面もある。

暁の宇品にちらりと登場する、今村均(非薩長・リベラル軍人)について少々調べると、大杉栄と同年代であり、新潟県新発田で同時期を過ごした云々とある。
http://kunyon.com/shucho/100705.html
「「坊っちゃん」の時代」(関川夏央、谷口ジロー)でも、同時代を生きた様々な人々の意図せぬ出会いが描かれ、私がごとき無知な者は何度も驚かされるのだが、この出会いも関川・谷口に描いて欲しかったと思うたり。

壮年茂吉 北杜夫
読了。時代が現在に近づいてくるせいか、茂吉の歌も読みやすくなってきたようだ。もしかすると北杜夫(斎藤宗吉)氏の記憶や思いが多くなってきたから、私にとって読みやすくなってきた、ということかも知れない。
私にとって、北杜夫は気づけば身近にあった本である。両親が好きだったのだろう。あまり本を買わないようにしていた我が家でも、「白きたおやかな峰」「船乗りクプクプの冒険」「高みの見物」などあった記憶がある(しかも文庫本ではない単行本だ)。 この後、茂吉晩年を読もうとして気づいたが、その前に茂吉彷徨があるのに気づいた。それを入手してまで読まないか、それとも、息子北杜夫との関係がますます繁くなりそうだから買って読むか。悩ましい。

百年の孤独 ガルシア=マルケス
南米小説らしく、呪術や土俗が身近にある「マジックリアリズム」的面白い本。
非常に面白かった。圧倒的。だが、粗筋など書く意味もないし、読む意味もない。本文を読むしかない。

訳もよくこなれている。稀に修飾関係がわかりにくい場合があるが、意味を考えれば一意な解が得られる。もしかするとこの晦渋は原作が求めているものかも知れぬ、と思ってみる。
最近、翻訳書ではちくま文庫・岩波文庫の調子が良いので、当然それらだろうと思って探してしまった。新潮だった。おやまあ失礼。30年位昔であると、岩波は訳が古く、新潮の方が訳が新しくて読みやすいのがふつうだった(ニーチェは例外)。だが、新潮は新しい売れ筋を追求するようになって、面白みが減じ、あまり読まなくなった。売れ筋っぽいのなら、ハヤカワの方が私の性に合う。というわけで久しぶりの新潮。「戦う操縦士」(サン=テグジュペリ)、「ドクトル・ジバゴ」(パステルナーク)、「我が思い出と冒険」(コナン・ドイル)を絶版にしているのは、いささか疑問であるが・・・。
ついでに角川の惜しい絶版としては「牡猫ムルの人生観」かな。

百年と一日 柴崎友香
面白いことは面白いがオッサンが読む本ではないかな。
私が読書その他の趣味に求めていることは「遠くに行くこと」らしいが、あまり遠くと感じない。それこそが真の距離なのかも知れないけれど。
題名はガルシア=マルケスにちょっと似ているね。そんな運命の大河みたいな風情は感じられないが。

史記列伝 魏公子列伝 第十七 無忌 野口定男訳
史記列伝も三冊ある。少しずつ読もう。資治通鑑や淮南子もある。いつでも遠い国の遠い時間に行かれることを考えるとちょいと愉快だね。

アルテリ十六号 渡辺京二追悼
熊本で発行されている雑誌。渡辺京二の名に惹かれ、松本のカフェで購入。
怖い人だろうなと思っていたが、怖い人だったようだ。さもなければ、世の中に逆らうような本など書けまい。
こういう方があることは大変ありがたいが、身内にこういう方がないのも大変ありがたい、などと思ってしまう。

最後にして最初の人類、鉄の暴風、アナーキストの銀行家、などなど読まねばならん本が多い。ありがたいことである。

ゲルツェン『過去と思索』全7巻。うーむ長い。頑張るかどうか。でも買っておかないと欲しくなった時には入手難だろうなあ。
https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/8062
なぜかゲルツェンをヴィッサリオン・ベリンスキーと勘違いしていた。まあ、人とこの話をすることがなかったので無問題。
ちなみに、クロポトキン自伝「ある革命家の手記」は岩波文庫中でも屈指の面白さ。冒険活劇の類。

雑誌「東京人」に好きな小川真二郎氏の絵が出ているらしい。が、この「東京人」という書名が恥ずかしくて買えない。
自分が東京人なのか、あるいは、東京人になりたいのか、考え込んでしまう。

●雑感
津軽弁の「指揮棒」が「すけぼー」に聴こえる。たいへん楽しい。
https://www.youtube.com/watch?v=hI-6dcqM5pc
おじいさん・おばあさんに電話をするのも、クレームを入れるのも、全て相手の顔が思い浮かんでニッコリしてしまう。
1985年頃、青森の観光バスに乗り、バスガイドさんが我々に話す事は全て聞き取れた(当たり前)が、バスガイドさんと運転手さんがしている会話は一言も聞き取ることができなかった。そういうのを思い出す。そしてまた、井上ひさし「國語元年」。

一方沖縄語は「沖縄方言で歌ってみた」を愛好。「きたたに」が「ちゃたん」になった解説など、女王様が良い人のように見えるのもなんだか楽しい。

ゴヤ「むしり取られて追い出され」
あまり見覚えのない変わった作品。Wikipediaの記事で紹介されなければ見ることもなかったろう。
ジャック・カロなどの「暗い絵」はあまり日本で紹介されない傾向があるね。社会批評が嫌われるのか、歴史的背景を考慮せずに見られる絵だけが「売れる」のか。さて。

電車の2人がけ座席に3人で座る若者あり。記念写真など撮って楽しそうで良かった。

とある選挙の期日前投票に行ってきました。
きじつ「ぜん」が正しいと最近知りましたが、投票所の係の方も、「まえ」と言ってから「ぜん」と言い直したので、一般的には「まえ」で良いのである(と勝手に納得)。
投票箱は期日前投票全期間を通じて開けないらしく、私は投票3日めの1番乗りでしたが、投票箱が空である確認はしませんでした。時報で投票開始なのは、例によって例のごとし。
投票所からの帰路、街角で投票促進ボランティアを見かけるので、投票済ませた旨お知らせしたところ、なかなか意外にも「ありがとうございました」と言われてしまう。私は返す言葉がでなかったのだけれど、私の方こそ大いに感謝すべきと思い、ペットボトルの水一本進呈させていただきました。

選挙結果はいささか不本意なものでしたが、そもそも私は「らくらく当選しそうな方」に投票したことがなく、「ぎりぎりだが当選してほしい方」に投票したり、批判票として投票することが多いので、そーゆーものと言えば、そーゆーものである。
それでも百万票以上投ぜられた候補者がいるのだから、一位の方の公約だけが守られるだけでなく、他の候補者の公約も重んじて頂きたいものだ。

すわ「6世紀双龍文環頭大刀柄頭」かと思ったが、レプリカとのこと。
https://x.com/fuuraibooo/status/1807959175659659323
でも、楽しかった。わくわくした。十二分に「浪漫」。

Flow my tears - John Dowland - Ensemble Soranza
https://www.youtube.com/watch?v=8rWQHf3A3j8
衣装や演出は少々凝りすぎ。お歌は素敵なのに。
自分が演奏者であるせいか、音響空間(誰がどこで発音し、どこに反響して聴こえているのか)が気になる。それがため、画像と音が空間的に不一致だと大変気持ち悪い。おそらくよく反響する閉鎖的空間で録音しているのに、屋外を歩いている映像がついている場面があるが、こういうのアカン。
ふつうに舞台で歌い、その姿を客席側から撮影して頂ければ良い。

Shores of the Belt
https://www.youtube.com/watch?v=qv1T67-1_N4
Kenti Rahayu Wati さんの曲らしい。インドネシアの方らしい。なかなか好きな曲だが、どこかで聴いたような気もする。とりとめもないところが良いが、それがため、覚えていられないようにも思う。

Symphony for eight - Philip Glass - Cello Octet Amsterdam
https://www.youtube.com/watch?v=DWsp-XG31C4 フィリップ・グラスのチェロ八重奏の曲。格好良い!とっても難しいだろうけれど。

GoYa四重奏団のブラームスを聴きなおす。
https://www.youtube.com/watch?v=_sZFNAd-lMA&t=1002s
全員身長 2m82cm くらいはあるな(誤った直感)。演奏中の私の身長はその1/10くらいだ。もっと大きくものを見なければ!

グルジエフの不思議な、でも懐かしいような音楽
https://www.youtube.com/watch?v=740PhEOdx1M
神秘家とでも言うのだろう。弟子にウスペンスキーがいるが、もちろんチェブラーシカの作者とは別な方。
「聖母昇天祭の」という意味なのだそうだ。

ポーランドの音楽大学オーケストラ(私の中でシリーズ)
https://www.youtube.com/watch?v=BPRBLL_iLVA
Penderecki Academy of Music Orchestra
以前聴いたシマノフスキよりも楽団として「引き締まった」音がする。学生さんだけではないのかな?おそらくは。
どの奏者もオーケストラとしての奏法に自信をもって弾いているように見える。
で、〆はスターウォーズ第1作の「王座の間とエンド・タイトル」。この曲は本当に管弦楽曲として一般化した。欧州歌劇・管弦楽表現の正統的な末裔なんだね。

旧海軍に「鳴海」なる砲艦があったとのこと。まったく知らなかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B4%E6%B5%B7_(%E7%A0%B2%E8%89%A6)
元鳴海町民としてはなんだか嬉しい(隣町有松との対抗意識?)。

スタートレック:ローワー・デッキって、面白そう。
でも、ロワー・デッキって、「下層階」ではなく「下層甲板」くらいが良いのでは?軍艦なんだから。
たとえば、下記のは、「lower gun deck」だけどね。
https://sakhalianet.x10.mx/shippictures/image_viewer.php?url=&img=art_anatomy_of_the_ship_of_the_line/three_deck_ship_of_the_line_mid_18th_century.jpg
ふと思いついて、映画「タイタニック」の解説等を見ると、「下層デッキ」と言っている。「甲板」より「デッキ」の方が一般的な語なのね。現代。何かゲームの影響のような気もする。。。

関水金属の蒸気機関車製品化はすべて動態保存機なのね。まあ、営業上当然でもあろうけれど。C11は大井川、東武、北海道など。C12は真岡、C56は西日本、8620は九州などなど。一時代を代表し、両数も多かったC51やD50が製品化されることはないのだろうなあ。

もうすぐパリ五輪。
山下泰裕会長はJOC会長ながら、頸椎損傷のため公式の場に現れることができない。
公式の場に現れなくても「会長」職が務まるのは不思議ね。また、優れた柔道選手だった方が、首の怪我というのも(陰謀論的には)物凄い暗殺者にヤラれた感があるっす。もう少し深刻に考えると、自死されようとしたのか、とも思える。
まあ、JOC自体が「闇の組織」みたいなところと感じてしまうし、そこに巻き込まれて身動きもならない元運動選手というのも悲劇(場合によっては喜劇だが、ほとんどの場合悲劇)である。。。スポーツの方々セカンドキャリアはよくよく考えられよ。
(同じようなことお前にも書いているね)。

「テレスコ式」
テレスコピック式の略。海賊船長が使っている「望遠鏡」のように伸縮式ということだろう。
だが、「てれすこ」と略すと、落語の演目みたいだね。
落語では、「てれすこ」に対し、「すてれんきょう」ということになるが、実はこれらが「テレスコープ」と「ステーレン(星々)鏡」に対応する意味のあるオランダ語であるらしい。もちろん、海の生き物ではないよ。
これは福島第一発電所の放射性物質デブリの取り出しに関して見かけた語。もちろん巫山戯ているのではないが、落語と・・・。

スラブ語系4言語の共通と相違
https://www.youtube.com/watch?v=YpRHf9nQkts
似てはいるけど、時々違う。ともあれ、「ナイフ」のような具体的でおそらくは近隣で同じような道具を指す場合と、「Air」のように、そもそも何を指しているかが曖昧なものもあるなど、似そうなものとそうでなさそうなものがそもそもあるなあ、と思ったり。それも含めて面白い動画であった。

信頼獲得プロセス ~若い教授のベストプラクティス~
http://stanfordmba.blog108.fc2.com/blog-entry-85.html
「人は心を100%解放した時こそ、最も個性を輝かせる」という名言が忘れられず、何度か検索したが、近年の検索エンジン劣化のため探し出すことができなかった。なんとか見つけたので、ここで記録。
しかし、Googleの劣化は公害レベル。MS-Bingもなかなか酷いが、サイト指定検索が効く部分だけはMSが少しだけマシ。

私が学問に目覚めた時 法学部教授・蒲島郁夫
https://park.itc.u-tokyo.ac.jp/agc/news/31/hougaku.html
こちらも最近の検索エンジンでは出てこない貴重な証言。この方は「くまモン」の上司であったというが、それ以上に知られるべき方。退職時、くまモンが転ぶまで走って追ったというのも宜なるかな。

誠実で怜悧そうな乙女の残像 私たちは20世紀に生まれた
https://numabe.exblog.jp/242177634/
昔のネットは、こういう落ち着いた記事、広告のない記事、賢い方の書いた記事を読むものだった。どちらかと言うと読書ができる人間、文章を書くことができる人間の場所であった。それらもまた今は昔になってしまった。
ここで紹介されている尾崎喜八の「冠着」は素晴らしい。私も自分の好む書を読んでいる方には大いなる親近感を覚える。そしてまた、旅の途上であればなおのこと。
http://www.ozaki.mann1952.com/bun/aoienpou.html

某書店で「もらったプチトマトのおいしさ」を語る店員さんが居られた。他の店員さんにお勧めしたりして楽しそう。何か、よく書かれた戯曲を演じているかのようでもあった。
で、ご本人らに、その楽しさをお伝えしたところ、私もプチトマトを頂いてしまった。とても美味しかった。ごちそうさま。
どのお店か書くとご迷惑な気がするので、それは秘匿。

ドビュッシー: 歌劇「ペレアスとメリザンド」(1963年3月12日 シャンゼリゼ劇場ステレオ・ライヴ)
https://tower.jp/item/6292141/
とても興味深いが、誤字がちょっと格好悪い。
 誤:そして、<ペレアス>を演奏する幼帝を次のように語ります。
 正:そして、<ペレアス>を演奏する要諦を次のように語ります。
聴いてはみたいが、お値段も高く、SACDの再生環境は手元にないので、止めておこう。

ドイツ文学者高橋健二の戦中と戦後について少し読む。
https://numabe.exblog.jp/240330393/
https://core.ac.uk/download/pdf/236039139.pdf
後者には「知の変動」なる言葉が出てくる。ふと、昔読んだ東京大学編「知の技法」を思い出す。あれは、私には詰まらない書物だった。知の暴力性に対し無批判・無反省であったからだと記憶する。調べると、三部作で、1.技法、2.論理、3.モラル、となっている。これらを読むと、私のつまらなさは払拭されるのかも知れぬ。が、もいちど読む気にはならんなあ。(出発点からは完全に脱線)
ともあれ、昨今の営業批評家の類も、無批判無反省に適当な営業的言辞を弄しているなあ、と思ったりする。

大阪に梅田駅が複数ある問題に対し、一時は、九州にも梅田駅があったとのこと。
1915年(大正3年)から1943年(昭和18年)。小倉鉄道梅田駅が戦時買収されるまで。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BB%BB%E9%A7%85

原作改変問題に関連して。
テレビ版サザエさんで、冷蔵庫が白色から緑色にかわった時、出資者が東芝だからかな、と思った。
昔は「しろもの家電」と言っていたが、バブル期頃から他の色の冷蔵庫も売られるようになった。サザエさんの事例も同様の時期だったと思う。
電話はいつまでも黒電話であるようだが。

定年退職まで指折り数えるほど。子らも成人、親は物故。定年再雇用で汲々とするのは性に合わないが、突然生活を変えるのもよろしくないだろうから、許されるなら週に3日ばかり働くようにしてみようか。もしかすると、急に勤労意欲が湧く可能性も皆無ではないだろう。それはその時考えよう。でも、全日を労働に捧げる気持ちにはなれない。楽隠居としてやりたいことをゴソゴソ始めるのが良いだろう。さほどの「やりたいこと」もないのだけれど。

昔のブログ記事を読み直すと、何度も書いているネタがある。記憶力の減退が少々悲しいが、既に二十年近く書いているブログである以上、仕方がないであろう。気にしないことにする。

NHKで立川談志の「化け物屋敷」を見る。
私は談志は好きでなかった。理屈屋で捻て繊細で。私が落語に求めるのは、もっと下らなくてバカバカしくて大らかで突拍子もなく野放図なものだ。
でも、こうやって見なおすと、当たり前だが談志は良い。
円楽が借金して建てたことで有名な「若竹」で演じているのだが、なんのかんのと若竹や円楽を引き合いに出す。
それもクサしているようで、決してそうではない。談志って優しい男なんだな、談志って良い男だな、と思う。だが、あまりに繊細でその優しさがまっすぐに出ないから捻てしまう。
だから、私は談志には好きなところが一杯あるし、いい男だと思いつつ、ちょっと距離を置きたくなるのである。
(談志の捻ているところだけ真似ている弟子がいるが、この男は繊細でもなく優しさもないので救いようがない、と感じる。おそらくは、田中啓文の小説で描かれる笑酔亭梅雨のような男であろう)。

笑福亭松鶴 後引酒。動画を見る。本当に酔っているように見えるが、もちろん芸。虚実皮膜である。楽しい。

昼下がりにテレビで放映しているB級映画「ROHNIN」を録画して見てしまった。
高速でわかりやすい映画。昼下がりダラダラしながら見るには最高(見たのは昼下がりではないけれど)。
奪い合っている「ケース」の中身がまったく明かされないなど、いくつかご都合主義だが、そんなことが問題になる映画でもない。

ルービック・キューブは3次元上の正6面体で1面を3×3に分割。N次元上の正M面体をP×Pに分割したキューブで同じような遊びができるだろうか。以前、Excel上にルービック・キューブを実装しようとしたことがある。平面に投影すればこのように何次元であっても問題ないはずだ・・・が、N次元上の「回転」が直感的には理解できない。

スペイン放送協会による El Quijote ドン・キホーテの連続ドラマ。
https://www.youtube.com/watch?v=VZ1geIOE5T8
スペインの乾燥した風景が懐かしい。原作が読みたくなった。
この映像を見ていると、ドン・キホーテの憧れる「騎士道時代」とドン・キホーテが現実に生きる「現代」の違いが私にはよくわからない。おそらく、江戸と室町のように、「どちらも自分にとっては遠い昔」でしかないからだろう。そしてまた、騎士道時代の錯誤とドン・キホーテの現代の錯誤が異なるようにも見えない。だが、よくよく考えると、それは、江戸の錯誤、明治以降の錯誤、戦後から現代までの錯誤もまた異ならないのだろう。

遠い昔に読んだはずのドン・キホーテ原作。なかなかに読みにくかった記憶がある。饒舌すぎるというかなんというか。この映像を眺めつつ読むとより楽しく読めそうに思う。そして、ティラン・ロブラン(岩波文庫)も買っておかねば。さらに、読みかけで放り出している「ラ・セレスティーナ」もまた。

スェーデン放送のネットラジオで、シマノフスキの演奏会用序曲を耳にする。R.シュトラウスみたいな格好良い序曲 もっと演奏されて良いように思うが。・・・クラシック界によくある話としては、著作権が切れ、楽譜の入手が容易になって、初めて取り上げられるというもの(データがあるわけではないので、そーゆー気がするレベルだが)。

みわぞうsings三文オペラ
https://www.youtube.com/watch?v=Fo60tncK2Gw
私がクルト・ワイルに求める、フガフガして定かならぬ音作りがされていて嬉しい。

White Voice 東欧の伝統的歌唱法。
https://www.youtube.com/watch?v=wLntE4v6VNo
https://en.wikipedia.org/wiki/White_voice
https://www.youtube.com/watch?v=Vc54taQsLxA
オペラ的な、いわゆる「ベル・カント」と対照的な歌唱法(であるように私は感じている)。
私はベル・カントには軽やかさを、ホワイト・ヴォイスには力強さを感じるが、単純にそうとは言い切れないそれぞれに複雑な味わいを感じる。で、私は(たいへん幸せなことに)どっちも好きなのよ。(他の歌唱法も)。
なお、youtubeのチャンネルは、スラブの共通性を強調し、ロシアを「スラブ国家」としているようだが、シベリアをスラブにしてしまうのはどうかと思うのと、ウクライナからあれほど厭われてなおロシアをスラブの盟主と思うのは勘違いも甚だしいと思う。

チェコの喜劇ドラマ。ちょっと見ている時間がないのでメモ。
https://www.youtube.com/watch?v=3u_UvebAF-c&list=PLoTYYc0WPf5BXxE-rdidj_vFhAJG7OAtI

ベートーヴェン Op.131 自分が弾くための参考資料として: ボロメオSQ 色々なアイデアがあって参考になる。アジア人率が高い。
https://www.youtube.com/watch?v=stbnbu0aPGI
電子譜面なのね。

東京都美術館でデ・キリコ展を見る。
有名なマヌカンの絵以外にも、初期作品や舞台芸術などもある。
遠近法が狂っているのは有名だが、平行で一点に消失するはずの床材がいい加減に描かれていたり、人物像の骨格が歪んでいたり、手抜きな顔だったり(剣闘士達の戦い)、遠景か近景か判らなかったり(Bagnante coricataの背景の海など)、色調も「赤」なら「赤」で押し通すなど、どれも仕事が「丁寧でない」ように見える。絵葉書や教科書などの印刷媒体で適度に劣化させると、割と見やすいのだが、実物はとても「荒っぽい」。
この人は、絵を描くのが好きではなかったのではないか、特にふつうの絵かきが喜んで描く「顔」とか「模様」とか「色彩」などを憎んでいたのではないか、と思ったりもした。
初期の自画像もふつうに写実的だが、衣服の模様はごにゃごにゃさせているだけであり、色調も荒っぽいので、そう思った。
そして細かく描くのが嫌さに、あの平板な顔「マヌカン」に至ったのではないか・・・と。
(素人の愚論としてお読み流し下さい。もちっと考えてみます)。

PERCY FAITH - A SUMMER PLACE ALBUM などを聴く。母が好きであったろう映画音楽、という感じ。
懐かしくも優雅だ。おそらくは、若き日の母にとって、米国映画は憧れの象徴であり、明るい未来への希望でもあったのだろう。
私は思う、当時の米国の最大の輸出物は「自由」と「希望」であった、と。
今なお、諸外国の優秀な留学生・移民を惹きつけるのは、これらではないのか。これらを投げ出す米国には亡国しかないのではないか。

アドルフ・ホフマイステル Adolf Hoffmeister(1902~1973)
https://en.wikipedia.org/wiki/Adolf_Hoffmeister
チェコの画家。チャペックのカリカチュアで馴染んでいたが、Wikipediaにある多彩な作品を見ると様々な技法・画風のいずれも卓越していると感じる。上手い。
illustration Made in Japan, 1958 だけは、現実の日本とあまりにも関係ないけれど。でも、この絵の幻想性には惹かれるね!

Giuseppina (1959)
https://www.youtube.com/watch?v=EIbQSLI6FjE
英国石油が出資した短編映画らしい。なかなかというより非常に良かった。ガソリンスタンドに現れる各国人の様相、そして最後のお客。
主人公父娘が(そして母と赤子も)素敵。1961年のアカデミー賞をとっているのも宜なるかな。

ネットの天気予報サイトを眺めていたら、過去に検索した地域の天気が小さく表示されているのに気づく。
新十津川町、中札内村、士別市。行ったのは昨年3月。どの町も雪の中だった(中札内では地面が見えていたけれど)。懐かしい。

CD店で、バッハの宗教曲について店員さんに解説してもらっている人がいた。 ガーディナーのマタイ受難曲を聴いたが次は異なる演奏を聴きたいということだった。お店の物知り店員さんは、いくつかの指揮者を挙げた上で、カール・リヒターを薦めていた。そして、さらに重い方が良ければクレンペラーを、軽い方がよければヘレヴェッヘを、と言っていたようだ。 なかなかに我が意を得たりの感がある。私がこれらのマタイを全て聴いているわけではないけれど、なんとなう話について行かれるのは、年の功であろう。
一方、ショパンのピアノ三重奏のヴィオラ・チェロ・ピアノ版をBGMにかけつつ「地味だ」と宣う方もあり。私はヴィオラが実にいい音で感心しましたが。

己の書いた過去のブログを読み返していてモンサラットをモンラサット誤っていたことに気づく。
モンサラットは、モン・セラート「星の山」と音韻が似ている。スペインの修道院にそんなのがあったっけ。

「酒田戦争」なる言葉を知る。
住友化学対住友金属。結局住友金属が酒田に無理やり作った住軽アルミニウム工業はオイルショックもあり5年で解散。
そう言えば、鳴海には住友金属系の社宅があり、ここのご一家で酒田に転勤になったお父さんがいた記憶がある。
今にして思うと、酒田戦争関係だったのね。

島根朋史氏の無伴奏チェロ組曲全曲演奏会に行く。
一日で全曲弾くのも困難だと思うが、さらに無伴奏フルート・パルティータ(トレブル・ガンバによる)を入れ、アンコールに無伴奏ヴァイオリン・ソナタの第2番からアンダンテを弾くという偉業。
にこやかに高ぶらず、種々の説明を行ないながら、美しい音で演奏を積み上げる。唖然とする他ない。
一番印象に残ったのは第五番。サラバンドを中心に前後の対称性があることを活かした盛り上げがたいへん楽しかった。

我々の世代は、「クラシック音楽」の最初の者であるかのようにバッハを考え、バッハ・ベートーヴェン・ブラームスくらいの視野でバッハを考えたりするあ、この方はヴィオラ・ダ・ガンバも達者であるし、バロック・古典派の豊かな世界でのバッハを見ているように思われる。
このこと自体は、師匠筋であるビルスマや鈴木秀美が切り開いてきたことであろうけれど、理屈を踏まえつつもそれを超えた豊かな実りとして提示されることの凄さよ。

良い方の演奏を聴くことができる良い時期に生きられるありがたさよ。

Continue reading "読書の記録(2024年7月)"

| | Comments (0)

読書の記録(2024年6月)

チェロ・レポート: 社会人になってからチェロを習い始めて、 いったいどこまで上達できるのか? 竹内千寿
社会人になってから楽器を初めた方のレポート。なかなか参考になる。が、参考にならない部分ももちろんある。
時間がない社会人としての練習方法や、理系(特に物理系)としての考え方は参考になる。あるいは、自分が考えてきたことの確認になる。
一方、ものすごいエネルギーを投じてチェロに取組んでいることについて、現在の私には(今さら)参考にはならない。これは筆者の咎ではなく、単なる時期の問題である。
とは言え、同じアマチュアとしてこんなにも凄い仲間が居るのだ、と楽しむのに良い本である。

壮年茂吉 北杜夫
北杜夫はトーマス・マンへの愛好から始まっている、と永年信じてきたが、父茂吉へのあこがれも大きかったことが知れる。
本来、「仮説」であろうところが、繰り返し「仮設」になっている。岩波ともあろうものが。。。
また、「ソップ」がオランダ語であることから、オランダへの接点を探されるが、明治・大正期の方は「ソップ」なる語をオランダ語と意識せず、一般に使っていたように思う。池波正太郎などにも用例があったと記憶する。ちゃんこ鍋などでも「そっぷ」という言い方をしたのではないかな?まあ、今更な感懐ではあるものの。
そんな詰まらないことを書いても仕方がないが、私は自分が散文的な人間であることを再発見しているようだ。茂吉より杜夫の方に興味があるのもそういうことであろう。

空軍大戦略 リチャード・コリヤー
早川書房の古い本。実は今を遡る四十年以上以前、小学生だった私は、この本(ハヤカワ文庫版)を、ほぼ立ち読みで読了してしまった。その罪滅ぼしでもないけれど、今回古書店で購入。そんな高値がつく本でもないが。
古い訳であり、訳語について文句を言うとキリがない。昔は様々な情報が乏しいなかで翻訳していたのだなあ、と感じる。

人が亡くなるところはさらりと書き、生存者バイアスに満ち満ちた書、ということができるかも知れない。
あるいは、実際の戦争を経験した当時の人々には、こうした多数の死の有様は当たり前のことであって、わざわざ詳述するまでもなかったのであろうか。(あるいは出版営業上の事情もあろう)。

英国の努力が大きかったのはもちろんだが、ドイツの戦術的錯誤によって英国独立は保たれたと言えるのだろうか。また、記載の仕方を見ていると、戦闘員同士の戦闘はある種「騎士道」作法であるかのように記述されているように読める。この点、独露戦、日中戦、日米戦とも雰囲気が異なるように思われる。「戦争」への見方さまざま。

どんな軍隊でも自国を守る戦いは他とは異なるのだろう。だが、二度の欧州大戦に参加した米軍は?不思議である。
逆説的には、戦争こそ米国の基盤であると言う説はこの辺りから出るのだろうか?

イシ 北米最後の野生インディアン シオドーラ・クローバー 著、行方昭夫
たいへん貴重な書。
白人(アングロサクソン)の行ったインディアン虐殺について、時代的言い訳が長いな、と思ったが、その後の虐殺の様子を(白人読者に)読ませるための伏線であったかと思ったりする。インディアン虐殺の記述については、相当程度気分が悪くなる。しかし、これは世界中で起こったことでもあり、日本人にも無縁でない。そう思いつつ耐えて読む。(日本人が大日本帝国の名の下に行ったことごとをも私は考える。粗雑なる精神を持つ者は民族人種を問わず何処にでも居るのであろうか、と。)
スペイン人はある程度現地住民と和したが、アングロサクソンは虐殺に走ったというがなぜだろう。ゴールドラッシュなど「ならず者」が大手を振って生きる時代であったとも言えるのだが。
ともあれ、イシと友人たちの交流には少し心慰むるように想う。
西洋人が出会ったアメリカ原住民への感想を、東洋人が読むと違和感なきにしもあらずであるが、それを考えることが考えると言うことではないかと思う。
様々に思うところの有り、一定の言では言い表せない。即ち良い読書であった。

暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ 堀川 惠子
なんだか読みにくそうと思ってしばらく積んでいたが、読み始めると速い。文章が非常に読み易く、たいへん助かる。
例によって例のごとく旧軍の悪弊が頻出。その中で奮闘された有為の人々を思う。どうしてもそうした人々に肩入れしたくなるけれど、戦争そのものが断罪される時、その戦争に対して有為も無為もないではないか、とも思う。ともあれ、「失敗の本質」がそうであるように、無為が有為に卓越している場合に、「必要のない戦争」が起こるとも言える。(必ずそうなるという蓋然性があるとは言えないとしても)。
「きけ わだつみのこえ」においても、科学的議論の不在が敗戦をもたらした、という感想があり、私は技術論だけで見ても、これは非常に重要な指摘だと思っている。

東野鉄道・上武鉄道
数十年前に廃止になった鉄道の本。楽しい読書。多士済済興味深い車両があの頃の風景の中を走っていたのかと感興。

陛下のお書きになった「テムズとともに」。調べると、私は2014年に読んでいる。あの頃、まだ町にあった古書店の店頭で贖ったのであった。
移動の自由をお持ちではない方だからこそ「道」あるいは「運河」に興味をお持ちになったとか。
野原などに自然にできる「踏み分け道」を、以前見たことがある。「これこそ道の道たるものだ」と思った。すなわち始原の道。
陛下はそんな道をご覧になったことがあるだろうか。

先日、古書店で「ソ連に幽霊は存在しない」を見つけた。買おうかと思ったが、思いとどまった。2012年8月に読んだではないか。
忘れているのだから再読しても良いが、この程度の感想しか書かないのであれば、再読するほどのものでもないのだろう。
http://folia.txt-nifty.com/musik/2012/09/20128-fa69.html

「太陽の季節」。短いのに読む気にならない。所詮金持ち学生の遊興生活を描いたものであって、通俗小説の域を出ないからだろう。

●雑感
小旅行。直前まで行き先定まらず、結局松本周辺。折りたたみ自転車は、雨のため断念。
大糸線で信濃大町に行く。立山黒部アルペンルートの一端ということに、行くまで気づかず。迂闊。

お昼は蕎麦屋さんで、信州の食べ物セット。塩烏賊の酢の物、エゴ、野沢菜。そしてキノコ蕎麦(冷)、日本酒常温。塩烏賊が特に美味しかった。

穂高の碌山美術館。碌山氏出身地。館の建て様、初夏の若葉が雨に濡れるの有様もよろしく楽しめた。
文覚は西行伝説でも聞いていたが、たしかに西行に限らず気に入らぬ輩を殴りつけそう。

ほんとは、折りたたみ自転車で安曇野を走り回るはずだったのだが。。。

松本に戻り、雨の中ぶらつく。格好良い画材店の隣、電気屋さんの古い看板をかけたまま営業しているカフェ。本も売っているのが良い。
向かいに銭湯があるのが目につく。カフェにも銭湯の楽しいパンフレットがある。
カフェの女性に、銭湯は百年ほども歴史があるなど聞いて楽しい。もともとは材木屋さんだったのが、木っ端を燃やしたのが始まりらしい。
銭湯最高。
湯上がりに番台の女性と少し話す。雲がなければ常念岳が見えるなど。松本の方は皆親切だ。
その後、パン屋さんでクリームパンを購入後、なかなかよろしい居酒屋を発見し沈潜。野菜のおばんざいを特に称揚したい(わざわざ一人用にしてくださった)。
こうして、雨ながらも蕎麦屋・彫刻・カフェ・銭湯・居酒屋となかなか良い一日であった。

二日目は大変晴れた。宿でクリームパンを食した後、ウロウロしていると、昨日のカフェを再度発見。朝からやっている。そういえば、そんなことを聞いたような気もする。酔って忘れた愚。
朝のコーヒーを飲んでいなかったので、もいちど入る。後から入ってきた客人ドウグヤタサキ氏(ヴィオラ弾きの友人に似ている)としばしお話。
昨日もらいそびれたパンフを見ると、カフェの主は市議会議員でもあるようだ。そう言えば、銭湯の脇に出ている看板を昨日から見ているはずなのに、気づかない愚。
客人ドウグヤタサキ氏は芸術家で展示のため松本に度々来ているとか。
その後、宛もなく歩き出し、大きな木が生えているのに向かって歩くと。旧制松本高校の遺構。
北杜夫「どくとるマンボウ青春記」の舞台であり、先日、松高教授であった蛭川幸茂氏の著書も読んだばかり。感慨深い。

さて、松高の後、地図を見ると、松本民芸館が近いので、行ってみる。道が少々わかりにくく、偶然行きあった近所の方にわかりやすいところまでご案内いただく。まこと松本の方は親切である。
松本民芸館は、非常によかった。先般、世田谷区美術館での民芸展も良かったが、松本の風景の中にある民芸やまた良し。

バスで松本城に移動。その後、ドウグヤタサキ氏の展示を見る。軽妙で楽しい。買わないのは申し訳ない。

松本→甲府→富士→熱海→小田原なる経路で帰途。身延線全線は本当に久しぶり。富士・富士宮間のみは仕事で2往復(以上)しているが、全線は小学生だった頃、父に連れられて以来。あの時も甲府から富士に向かった。

直前まで松本に行くと決めていなかったし、松本でどうするかも考えていなかったし、その割には楽しめた。そういう自分にとって行きやすく、行けば楽しい土地がひとつふたつあると良いものだ。松本の皆さんには感謝するばかりである。

神秘主義者グルジェフやその弟子ハルトマンの音楽らしい。
https://www.youtube.com/watch?v=rlq3a2JfMRc
相当不思議。ふつうの調性音楽ではあると思うのだが。 仮名表記でハルトマンになる作曲家は複数いるが、この方は、露人 Thomas Alexandrovich de Hartmann 。

素敵な歌、ガンバの素敵な伴奏と素敵なオブリガート
https://www.youtube.com/watch?v=UwfPKcTNv-4
もともとは、歌手 Barbara が歌った「 Ce matin-là 今朝」のカバーらしい。
特にオブリガートが良い。譜面が欲しい(同じ雰囲気で弾けるかどうかは別問題)。 訳詞はこちらにあった。有り難い。
http://chantefable2.blog.fc2.com/blog-entry-313.html

道楽亭橋本氏逝去
道楽亭には、数度行っただけのご縁だが。最初は、行けなくなった同僚の切符を引き取って代わりに行ったものだった。うんと狭い、膝を抱えるような客席で、でも楽しかった。
そして、記憶に残るのは舞台に上がるはおふた方、お客に来たのは私ひとり「演っても良いですが、キツいですよ」と言われ、止めにしてもらったもの。今思えば、一生に一度のこととて、演って貰えばよかった。で、ご祝儀の一つも出せば「イイ男」だったんではないかな。私は往々にして判断を過つが、思い出に残るひとつがこれだ。
道楽亭。いい名前の良い席だった。

インテル入ってる、という宣伝文句があった。Intel inside の和訳だろう。英和とも韻を踏んでいるのが良い。
メンタル参ってる、という一文を思いついた。使いどころが見つからない。言葉の軽さに比して内容が重すぎる。
バザールでござーる、という宣伝文句があった。マジャールでごじゃーる、という一文を思いついた。やはり使いどころが見つからない。
いつかバルトークを演奏する時に唱えてみようか。

鉄道模型製造会社ホーンビー
https://uk.hornby.com/hornbytt120
日本ではあまり見かけない。1/120模型が結構作られている。この模型は英国型1/120なので、模型の軌間は12mmのようだ。日本型1/120だと9mmになるので、ちっとも互換性などない。自分には関係ないが、残念だと思った。
機関車も思いの他様々な種類が作られている。
機関車トーマスで、いじわるな「ディーゼル」と呼ばれていた機関車も。 https://uk.hornby.com/products/br-class-08-0-6-0-d3986-era-5-tt3028m 調べると、このディーゼル機関車 BR Class 08 は、「1010両が製造され、イギリス国鉄の 各形式の中でも最多数のディーゼル機」だそうだ。だからこそ、蒸気機関車愛好家に憎まれたのかも知れない、と思った。最高速度は32km/h というのも、ものすごい割り切りである。

鉄道の人たち  昭和27年制作
https://www.youtube.com/watch?v=3K_ttsioHTQ&t=126s
途中、除雪車出動時のBGMが「パシフィック231」。厳密には「場違い」だろう。電気機関車で雪が多いのは、上越線か?

youtubeで海戦の解説を見てみる。
米国人が作成したものは、艦長が主人公で人間サイズの物語、日本人が作成したものは、艦が主人公で人影は皆無。
偶然そうなっただけなのかも知れないが、日本人の行う種々の「擬人化」とも合わせ、何か戦争観・人間観の違いがあるようにも思える

偶々「響け! ユーフォニアム」(宝島社文庫)の表紙絵を見た。コントラバスのお嬢さんはフレンチ弓なのね。高校生ながら天晴!
あと、バスにパフリングがないみたい。
(まあ、そういうことではないのだろうけれど)。

「慶応大学は慶應年間に始まり、明治になって始まった東京大学より古い」理論がある。
で、緒方洪庵は適塾。適塾は大阪大学医学部の前身。福沢諭吉は適塾出身で慶應義塾を作った。だから、慶應大学は大阪大学の分家説。
だが、仏教系大学がより古い説もある。
Wikipedia「カレッジ」の項目より引用
学寮を起源とする仏教系大学としては、駒澤大学(1592年創立・曹洞宗)、龍谷大学(1639年創立・浄土真宗本願寺派)、大谷大学(1665年創立・真宗大谷派)、花園大学(1872年創立・臨済宗)などがある。
さらに「四天王寺大学は推古天皇の元年に聖徳太子により、仏の教えを学ぶ場、そして人間教育の場として創建された四天王寺敬田院(きょうでんいん)が起源である。」とも(Wikipedia)。だんだん面白くなってきた!

クイックおばけさん。大好き。
https://www.instagram.com/p/C8FEqVpyyNd/
どじょう星人も素敵だが、私の音楽にどじょう星人の宇宙船を動かすほどの感情があるだろうか。
感情的ではない理知の音楽も面白いが、私としては、理知と感情のたゆたい・混淆・混沌こそが音楽ではないか、という気持ちがある。

ウテ・レンパーほか
https://www.youtube.com/watch?v=GkpWgiJQnHM
レンパーさんご存命だったのね。というか、私とさほど変わらんやん。そうだっけ?

煙がある風景 峠を超えるD51 関西本線と中在家信号場
https://www.youtube.com/watch?v=Yuw0BcuW2RU
素晴らしい蒸気機関車の風景(現実にこんな煙に燻されたいというのではないけれど)。
コメントの中に「複数の蒸気機関車はどのように協調運転していたか?」とある。「汽笛で合図しあい、あとは乗務員の技倆・努力によっていた」くらいが現代的正解であろうか。
私世代の者は、親父から、あるいは身近な書物からそうした話を見聞きしていたけれど、もうそういう時代ではないのだ、と改めて感じる。

ポーランドの音楽学生オーケストラ(らしい)
https://www.youtube.com/watch?v=qxy_cftk0ho&t=2288s
ハイドンなどを聴いても音色が冷ややかであると感じるのは、ポーランドに対する先入観のせいか?

以前「通奏低音を弾いたことがあるか?」と訊かれた。適当に応えてしまったが、これって、通奏低音の例のアルファベット/数値を見て解釈できるか?という問いかも、と最近になって思ったので、テレマンの通奏低音教本をまずは買ってみる。(が、私の目的にはあまりそぐわないようなのを買って見て気づく。)
ともあれ、自分で解釈したのではないにせよ、若い頃、バッハ、ヘンデル、パーセルなどを弾いたことがあり、これらは今になっても大きな財産かも知れない、と思った。

モーツァルト協会例会、市川市文化会館(6/29)で、島根氏の演奏を聴く。
失礼な褒め方だが、音程感が非常によく、音作りも非常に良い。「歌い口」に惹かれる。

丸山韶氏のCD「Frenesia」を買ってみた。「熱狂」という掲題を軽んじるわけではないけれど、風の声・雲の流れ・暮方の光のような軽やかで繊細な音楽であるように感じる。こういうのが好きだ。この方のモーツァルトのヴァイオリン・ソナタを聴いた後、Youtubeで他の演奏を聴いた。現代ヴァイオリンは味付けが濃すぎて私には胃もたれするようだ。
活気ある通奏低音も素晴らしい。

Viola da Gamba 三兄弟(嘘)
treble viola da gamba
terrible viola da gamba
trouble viola da gamba
私は天与の才によって下ふたつは達人になれそう。

ついでに、Oboe 三兄弟(嘘)
Oboe da caccia
Oboe Focaccia
oboe d'amore

モーツァルトの弦楽四重奏第15番を練習:
1楽章:死人のように無表情に弾いておるな>>儂。
4楽章:時々変態ヴィヴラートが炸裂する。まあ強調したいお気持ちはわかるのだが>>儂。
臨時記号があるような音は「事件」なのだが、「事件」として求められている程度を超えて「大事件」になっておる>>儂。
最後のコラールはヴィオラが紙一枚音量大な方が嬉しいかも。

ブラームスの弦楽四重奏第2番を練習: 1楽章: 冒頭しばらくチェロが死んでいる。音程極悪。拍の70%くらいで意識喪失。ブラームスを弾くならば、白玉(全音符)は102%以上弾く気持ちでないとアカンよね。
皆で音程整理しないとアカンね(自分ができないのは連帯責任)。

ハイドンOp76-5:
1度は真面目に弾いた曲であり、おおむね形になってはいるけれど、第1楽章が思いの外やることが多そう。
「表情」を作る意識はオーケストラ奏者にはあまり要求されないし、モーツァルトやベートーヴェンでもさほどは必要ないだろう。
でも、ハイドンは表情を作らないと、まったく音楽にならない。そんな感じ。
後、細かい音符で急ぐ癖を是正しよう。十分弾けるテンポであることをよくよく理解しよう。

ベートーヴェンOp.131:
少し先が見えてきたかも。通せば通る。落ちるが戻れるの程度だが。
ベートーヴェンの話ではないが、「人間が覚えていられるのは7つ8つ。」という話がある。で、多くの場合、生活で2つくらい、趣味で2つくらい記憶領域を使っていて、仕事に3つ4つ割いていれば大したもの、と聞いた。仕事が忙しくなれば、一時的に趣味や生活を削ってしのぐ等など。その意味でも、この曲の7楽章は多いのよね。しかも、途中長い変奏曲(変奏の度合いが大きくて別な曲に聴こえる)が入る。
ともあれ、もっと「考えないで弾ける」ようにする必要がある。頑張ろう。
ブラームスはもっと「考えて弾ける」方が良さそうに思うのだが、この「考える」とは何を言っているのだ?>>私

とは言え、先日から取り組んでいるデュポールのお陰で左手は矯正されつつあり、様々なパッセージに活きているように思う。 デュポールは、第1番が弾けそうになかったので、8番、9番に取組み、これらもちっとも上達しないので、1番に戻って見た。どれも弾けないのだが、弾けないなりに楽しく練習している。

Continue reading "読書の記録(2024年6月)"

| | Comments (0)

読書の記録(2024年5月)

国鉄輸入電機の系譜
古い時代の電気機関車の本。こういうの読むの、私にとってはほんと気楽で良い。あまり写真を見たことがなかったEF50もたくさん出ている。
戦前戦後、東海道線にいたのならば、亡父が乗った車両もこういうのが牽引していたのだろうなあ、と思ったりする。
(父から聞いた電気機関車の話はEF57、EF13(戦時型)とED42くらいだったろうか)。

クァルテットの技法 ディヴィッド・ブルーム
現在取組んでいる、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番が取り上げられていると聞いて書棚から引っ張り出すの迂闊。
(アマゾンで現在の販売状況を調べようとしたところ、韓国ドラマ「漆黒の四重奏<カルテット>」も結果として出てくる。でも、私の期待には違って、弦楽の四重奏あるいは楽器の四重奏ではないようだ。残念。)
チェロの譜例で、誤ってテナー記号になっている場所(2箇所)を発見。へ音記号として見れば正しい。

唐宋伝奇集
上巻読了。ぼちぼち読むには良い。
以前、・・・を読んで、中国の鬼は閻魔庁の役人であることを発見したが、今回も大木の虚に住む蟻が官僚性でもありそうな王国であることを発見。中国は社会化が早かったので、人外の怪異であっても、明確な社会を構成していることがしばしばあるようだ。我が国の「鬼」など人外の存在が素朴な族長社会程度であるのとはちょいと違う(だからどっちがどうとも言う話ではないよ)。
下巻もぼちおち読もう。

タタール人の砂漠 ディーノ・ブッツァーティ
読み始めた。読み始めるのに時間がかかった。最近、そういう本が多い。入手困難を予想して買ってはみるものの、「詰まらなかったらどうしよう」とか、「読みにくかったらどうしよう」という恐れが先行して、着手できない。永年の読書で読めない本は(少なくともその時は)読めないし、読めなかった本も、その後の経験や気分や季節や天気で読めたりすることもあるとわかっているのだから、気軽に読み始めて気軽に投げ捨てれば(比喩表現)良いのだが。 だが、本書なかなか良い。平易な文章表現で読みやすいが、徐々に不思議がこみ上げてくる。良い。最後まで充実して読み切った。
ディーノ・ブッツァーティ氏は「シチリアを征服したクマ王国の物語」の方なのね。面白うてやがて悲しき物語を書ける方。
訳は良いが、「兵曹長」は「曹長」のほうが良さそう。何故か一箇所だけ「曹長」になっている。私の浅薄な知識では、兵曹長は海軍の、曹長は陸軍の下士官のおおむね最上のもの、と感じる。海軍は兵曹長・一等兵曹・二等兵曹、陸軍は曹長・軍曹・伍長。将校は陸海で同じなのに、下士官兵は異なる。なぜだ?

石原慎太郎の「太陽の季節」も怖いもの見たさで少々読んだのだが、ブッツァーティの「詩的文学」に比べるとうんと小さい。卑小である。今どき誰も石原慎太郎など読まないということがそれを示している。まあ、頑張って最後まで読もう。いつか。

落伍教師 蛭川幸茂
旧制松本高等学校の数学教員として、北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」でも異彩を放つ人物であり、北の想像力の産物ではないか、とすら思われる蛭川氏の自伝。いやいや、あの北が控えめに書いていたことが漏れ伝わる。楽しい本ではあるが、時代背景の判らぬ方が読むのはよろしくないかも。少なくとも「青春記」を読んで楽しい方にのみお薦めだろう。
ところで、この本は松本市の古書店で買ったものである。他で見かけたことはない。やはり、旧制松本高校への愛着なり憧憬なりがあの町にはあるのだろう。

そこらじゅうにて 日本どこでも紀行 宮田 珠己
これも買ってしばらく放置していた。読み初めはよくある雑文かと思って侮っていたが、徹頭徹尾脱力しきった雑文はこれはこれで至芸だと思った。
毎日こればかり読んでいると、自分自身が宮田氏の劣化コピーになりそうで止めたほうが良いが、自分が嵩にかかって硬調な時など、これでもって解すのは大人の知恵であると思う。そーゆー意味でなかなかよろしい。で、自分も力まずどこか行こうかな。取材費で落ちるのがちょっと羨ましいが、何があっても何がなくても原稿に結実する必要がないのこそ『旅』なのだ、と主張しておこう。

サン=テグジュペリを題材にした漫画があるといい、少し覗く。登場人物は皆さん女性として描かれるのね。どうしよう。ドーラの名にびつくりするが、そうか小説である「夜間飛行」でリヴィエールに擬せられているのは、献辞に書かれたディディエ・ドーラになるのか。まあ、私はサン=テグジュペリの文学を好みすぎているので、漫画を読むことはできないだろう。
そう言えば、新潮文庫は、夜間飛行(南方郵便機を併録)、人間の土地、戦う操縦士の3冊を出していたが、最近(と言っても30年ほど)見ないのは、戦う操縦士だったっけ。なかなかケシカラン。出せ出せ。これを機会に。
この漫画がこのまま進むと、主人公はアラスへの偵察飛行をするし、渡米後アフリカに移動した自由フランス軍に合流して、P-38を操縦して地中海方面に出撃するぞ!(と新潮社を脅してみるの図)。
でもなあ、ブレゲーとか飛んでる絵は見たいなあ。
大人として理性的に別人格の別作品と思って冷静に見られる自信がない。なんと言っても四十年以上前からの愛読書だからね。
少し読んじまったが、まだドーラは「規則とは馬鹿げたものだが、人間を鍛えてくれる」とは言っていない。もっと後で言うのかな。私はこの言葉に支えられていた時期があるからなあ。
長く生きるといろいろなことがあるものだ。

●雑感
sophie yates女史について調べる。 昔、彼女のチェンバロをCDで聴いて感銘を受けたことを思い出して。顔も髪型もとんでもなく変化した、と思ったらどうやら別人。そら違うわな。
シモーヌ・ヴェイユでも同じ轍を踏んだっけ。

ギターの曲:
https://www.youtube.com/watch?v=JDNa9ELGox0

弦の値段3年間でおよそ倍増。
注文日 2021-09-15でアマゾンから買った領収書を見直す。
Dominant ドミナント チェロ弦セット 147 | B0002F6XX6 1 ¥15,015(税抜き)、¥16,517(税込み)
5月6日時点のアマゾンが¥32,454。すなわち倍額とみて良い。
円は安くなったものだ。しかも、世界各国の人々が買いたいと思う日本製品が今どれだけあるのだろう(ない)。よって、円安が止まる要素は ない。そして、国家も企業も研究・開発を軽んじ、予算投入を行っていない。ならば、新しい製品が出てくることはなく、円安は止まらない。

Tiny Desk Korea
https://www.youtube.com/watch?v=4BrChsxR9uw
奇を衒ったところのないジャズ。安心してのんびり聴くのに良いぞ。韓国のジャズの人

Tiny Desk Concert
https://www.youtube.com/watch?v=RyWGBoU6dc8
こちらは相当凝ったジャズ(と私は感じる)。米国在住中国系豪州人のベーシスト。

昔、仕事上の日中宴会で、中国の方が詩を作って下さった。ノートの切れ端にボールペンで書いた即興詩。
東の国から友人たちがやってきて云々・・・だった記憶がある。なかなか格好良い。
だから、中国理解のためにも漢詩を知っておくのは良いし、知れば楽しい。

カーチュン・ウォン指揮日本フィルハーモニー管弦楽団によるマーラーの交響曲第九番を聴く。
第1楽章はもともとわかりにくい混乱したイメージがあるが、そこから抜けきれなかった(私が)。
第2楽章・第3楽章の「狂気」は明確に伝わってきた。
第4楽章はこれまでの3つの楽章であった様々を包容し、美しい静寂に結びつけることが出来たように思う。
第4楽章開始前に積極的に時間を取るのは大変良いと思った。演奏上の実利もあろうし、聴く側にも明確なメッセージとなる。こういうところが、この人イイね。

私の座っていた場所の問題かもしれないが、弦楽器がもう少し明瞭に聞こえると嬉しい。1階奥で、2階が庇状にかぶっている場所だったので、上に音が出るVnやVaが聞こえにくかったかも知れない。
右側にいるはずのコントラバスの音が左から聴こえたように思うが、どうやら、反射音を聴いていたみたい。そういう場所がサントリーホールにはあるのだろう。ちょと不思議。

ところで、高関シフト(左から順に、1stVn、Va、Vc、2ndVn、Cb、の変則対向配置)は、2ndVnやVaが相当独立したこの曲でも有効かも。
観客の立場として、高関シフトでは、2ndVnは「見える」、Vaは「聞こえる」効果が高い。2ndVnは中にいても外にいてもおそらくは「聞こえる」し、「見える」ことで、聴こえが良くなる効果もある。もちろん、平常運転ではないので、アンサンブルの難しさ等生じるとは思うものの、マーラーの交響曲第七番での効果を同じ後期である第九番でも期待したくなる。

サントリーホールからの帰り道、氷川の旧勝海舟邸前に、勝海舟と坂本龍馬の像がある。外国人の方がこれを眺めてたが「カワイイ!」と仰る。私は「カワイイか?」と疑問の抑揚で訊くと、「カワイイ」と繰り返される。ほんとは英語でお伝えするべきだったと、後に反省。「They were famus samrai, that did never use their swards.」。でも、龍馬は拳銃をぶっ放しておるな。ま、護身のためということで、幕末に跋扈した殺人者たちとは一線を画する、と考えて良いだろう。

夢に出てきた茶道キット。
携帯茶筅。棒状の竹に見えるが、スライドスイッチを滑らせると茶筅になる。
これと茶碗と抹茶が格納器から出てくる。
お湯だけ貰えばどこでも抹茶。
現実だったのかも知れないが、夢だったと思う。

音楽系動画のメモ:もちょっと書いておかないと、後で探すのが困難だろうけれど・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=oPQ5X4rhEnY

https://www.youtube.com/watch?v=7y3KbUHnee8

https://www.youtube.com/watch?v=DXddIB5v1nc&t=508s

古い時代のディーゼル機関車(電気式)。下回りの発想はまさに蒸気機関車。
https://www.jernbanen.dk/motor_solo.php?s=173&lokid=719

なぜか蒸気動車の総括制御について考え始める。
まずは、総括制御まで行かないとしても、付随車(制御車)からの遠隔運転について調べる。
まず、横文字での表記から。米国では「Steam motor car」、英国では「Steam Railmotor」で調べるのが良いらしい。
ほんとはハンガリーのガンツ式について調べたいが、ハンガリー語もドイツ語もアカンので、英語。
このあたりを見ると、蒸気動車本体でも、機関室の反対側に運転室を設けて、そちらから遠隔操作(と言っても、1ベルで発車、2ベルで停止、程度)していたようだ。ベルは電動式。で、制御車ともケーブルでつないで、同様にベルで連絡していたようだ。
https://www.didcotrailwaycentre.org.uk/zrailmotor93/features/features.html#walkover
「ケーブルがバッファの下に垂れ下がったままになっており、「そよ風に揺れている」」なんて表記があるのも面白い。
いちおう、二両編成はしていたのだ、と思う。

https://www.victorianrailways.net/motive%20power/kerr/kerr.html

内燃機関であっても総括制御はなかなか難しく、日本国内の初期は全車両に運転士が乗って、ブザー連絡だったし、似たようなものではある。
そうやって、考えると、比較的最初期から総括制御ができていた電車の(基礎原理の)素晴らしいこと!
初期内燃機関動力車を電気式にしたのも、これがためである(はず)。

古い時代から遠隔操作が実装されたのは、パイプオルガンであるが、遠隔操作方法も、1.機械式、2.空気式、3.電気式、とあったはず。鉄道の分岐器操作も大体同じだね。

偶然、音楽番組の収録演奏を聴く。
まずは、職業音楽家であっても、プロコフィエフ、ドヴォルザーク、ラヴェル、ブルックナーを一晩で弾く経験はなかなかできないだろうな、と思う。 選曲も面白いし、放映時間に合わせて短時間で多様な曲が聞けるので楽しい。合間の豆知識や感想は私には無用だが、別に聞きたくないほどのものではない。プロコフィエフ、ドヴォルザーク、ラヴェルは、ディズニー映画と重複する曲だったが、大きく異なる。ディズニー映画が明快でお子様向きなのに対し、プロコフィエフ等は複雑な「大人の味わい」。新興国米国と長い歴史を持つ欧州の違いであり、20世紀の大衆文化と19世紀の貴族文化の残滓の中での民族楽派の違いでもあろう。
プロコフィエフは、冒頭ちょっとR.シュトラウスっぽいが、すぐにソ連ぽい音楽になる。
ドヴォルザークはさすが地味天才。ヴィオラとか和声的にめちゃめちゃに楽しそう。
長大な曲の「聞き所」だけ演奏するパターンも、なかなかそういうのを聞かないので、興味深い。やはり、長大な作品の文脈の中で演奏し、聴取されるのと、同じ意味・同じ重さ・同じ熱量を持つわけではないことを確認できた。演奏側もいささかとまどいの気味を感じさせる。
私にとっては、文脈も熱量も大切なので、こういう形式の演奏会に積極的に行くことはないだろう、と確認することができた。これは収穫。
まあ、こうした音楽番組を見なくなって久しいので、考えてみれば当然であるが。
なお、私自身、子供の頃からこうした音楽番組(名曲アルバム、音楽の広場、題名のない音楽会など)に馴染んできたし、大恩を感じてもいる。私の趣味嗜好からはすでに外れているけれど、今後も引き続きこうした取り組みを続けて頂きたいものである。

越智萌先生と大庭三枝先生を混同していた。法学者で女性というのだけが共通点。まあ、read onlyなので無問題。よかった。越智先生に「食いしん坊党党首」などとTweetしなくて。以前、夏目雅子氏と和泉雅子氏を混同していたこともある。まあ、無問題。

父は、子供の頃、「達っちゃんに背負われて、よく線路際に電車を見に行った」という/ 後の小田急社長利光達三氏のことらしい。
達っちゃんの背で小水を漏らしてしまったこともあるとか(大変申し訳ありません)。
大学進学後、成城駅でアルバイト駅員として集札口にいたところ、切符を出さない背広姿の男性がいたので、「きっぷ・きっぷ」と連呼したところ、お付きの社員が「君ぃ、この方を・・・」と言ったところで、「あ、達っちゃん」「なんだ、イサオちゃん」。
幹部社員だった利光達三氏の視察だったという。

時々見ているポーランドの学生オーケストラ。
https://www.youtube.com/watch?v=Fc68YK9L5fM
ビゼーのカルメン。南国の情熱とも異なる冷え冷えとした冷涼感(笑)。
人間(私)はなぜ音楽に「温度感」を感じるのだろうねえ。

昔話
大学の同級生に留学生がいた。ふだんジーパンに白Tシャツで過ごしていた。いかにも「ふつうの若者」であった。
卒業式の際、それはそれは美しい民族衣装で現れた。華美ではなくモノトーンであるけれど、明らかな輝きがあった。
その気品あふれるお姿を拝見した瞬間、彼が「大貴族」であることがわかった。
後々、日本人同級生と彼の話になった時、自分の国ではお湯一つ沸かすことが出来ない地位であって、日本では一時の自由を楽しみ、インスタントラーメンを自分で茹でるのですら喜んでいた、と聞いた。

演奏会。ハイドンの77-1を弾いた。なかなか音程感のある面子で良かった。もうひと声、発声が制御できると良いのだが。
己が阿呆なせいで飛び出しや暴走などなしているが、理性の他の出来事はなんとも言えぬ。まあ、鉄道などで「酔っても暴力は許さん」と書いてあり、理性外は言い訳にならんのだが。来てくださるお客様には感謝しかない。

Continue reading "読書の記録(2024年5月)"

| | Comments (0)

読書の記録(2024年4月)

絶対製造工場 カレル・チャペック 飯島周
読んでよかった。冒頭のいささかファンタジー調から話が重くなっていく様に引き込まれる。前半と後半で話の進み方が大きく異なるが、執筆事情によるものと、「前書き」にある(後書き部分に置かれているが、これが適正であろう)。
「絶対子」でなく「絶対」とすべきとのことだが、おおむね賛成。一方「工場」でなく「装置」でも良いのではないか、と思った。
クラカチットも早く読みたい。また、山椒魚戦争は後に書かれた作品らしい、これらを読んだ後に再読したい(どこにしまったかな?)。
「グルメっぽく」は「食通らしく」の方が良いな。それ以外、特に気になる訳語はなかった。

ちゃんと描いてますからっ! 星里もちる
漫画。漫画家の父の代筆を娘がするお話。楽しいホラー?。楽しく読めたが、ほんとホラー。毎回、主人公は逃げた父の代わりに〆切に追われている。漫画なんで良いけど、親として務めは果たしましょうね(笑)。
私のKindleは、これと「さんてつ」(吉本浩二)くらいしか入っていない。

家の歴史を書く 朴沙羅
在日韓国人三世による家族史。まぎれもなく日本の現代史の一角をなす在日韓国人の歴史について、私は非常に無知だ。本一冊読んで急に様々なことが解るようになる訳ではないが、とは言え、自分が想像もしなかったことがこんなにもある、と言うだけでも貴重な学びである。
著者がご親族から聞き書きを行ったものであり、発言の臨場感もある一方、必ずしも説明が万全でなかったり、私が大阪方言に疎いこともあり、「自分は完全には理解できていないな」と思いつつの読書だったが、どんなに説明されたからと言って「完全なる理解」ができるものでもなく、こうした自覚自体に意味があるように思う。
日本の敗戦から、南北朝鮮に分かれるまで、安穏ならざる日々が済州島にあり、日本との往復が多くなされており、そのルートが確立していたことなども、新しい気づきであった。
書中、最も感銘を受けたのは、「字が読めない恐怖」であった。このこと自体は直接的には本書の本題ではないが、今、現に書物を読んでいる身として恐怖せずにはいられなかった。自分とて外国に行くと、これに近い恐怖を覚えるが、あらゆる文字を読めず・書けずであれば恐怖の度合いは大きいだろう。
読んで良かった。

真珠湾捕虜収容所の捕虜たち オーティス・ケーリ
最近の私の興味は、「戦闘以外の戦争の諸相」であるようだ。「家の歴史を書く」もある種そうした興味で読んだ(第二次世界大戦の戦後処理のひとつ)。
この本は読んでよかった。今年最高の読書かも知れぬ。そしてまた、私が求めてきた日本人論としても。 これまで、伊藤整や網野善彦を双璧としてきたが、この書は読まざるべからず。そしてまた、日本で育ち、日本を愛するケーリという、最高の観察者には感謝してもしきれないと感じた。

青年茂吉 北杜夫
北杜夫は、自伝において、トーマス・マンへの憧れを語り、筆名も「トニオ・クレーゲル」に倣ったものと書いているが、もうひとつ歌人である父斎藤茂吉への憧れも強くあったとのこと、少々意外の感あり。
いわゆる北の叙情的フモールが抑制的ではあるが、北杜夫を好む私には面白く読める。が、私があまり詩歌読みとして集中力のないだらし無い人間であるのを発見し少々残念(自分が自分に残念)。

ザ・ロード アメリカ放浪記 ジャック・ロンドン、川本三郎
「ホーボー」なる語を知ったのは1970年代の鉄道模型趣味誌のコラム欄「ミキスト」。ついで、映画「北国の帝王」をテレビ放映で見た。
鉄道が舞台になる映画だから、というので見たが、ホーボーと車掌(ブレーキ手)の血みどろの闘いであって、子供が見るような映画ではなかった。
本書は 訳も基本的に良いが、「操作場」は「操車場」の誤りだろう。 また、blined car の解説がロンドンにより本文中にされているが、いささかわかりにくい。下記ウェブページで確認すると、車両間を移動するための貫通扉がない車両、客車列車において手荷物を運ぶための荷物車をいうらしい。で、荷物が積み上がっていて、車両内を移動できないことから、貫通扉を施錠閉鎖しているらしい。
https://www.hobonickels.org/insearch/rails.htm

最近のちくま文庫は面白い本が多い。岩波の翻訳系も意欲的で良い。ちょいと幸せ。

「ゲーデル・エッシャー・バッハ」を久しぶりに繙いた。「はしゃ蟻塚伯母さん」の用字を確認するためであった。すっきりわかりやすい語ではないが、おそらくは苦衷の訳語であろう。AI時代にあって、本書はふたたび顧みられても良いと思うが、そういう話は耳にしない。

「トムは真夜中の庭で」の翻訳者と「極北のかげに」の著者が同じであることに気づいた。
英語とロシア語に通暁していることに驚き。と思ったら、エスペランティストなのね。

古い鉄道模型趣味誌を引っ張り出して読む。 その時、そうは思っていなくとも、長い時間の中で、私はこの雑誌に大きな影響を受けたのだと、振り返る。
古い機関車、古い列車への愛好は、これらの記事を通して、長い時間の中で育まれたものだ。

●雑感
4月初め、東京で電車に乗ると、日本各地から集められた新入社員を見かける。どうやら入社式と新人研修を東京本社で行うようだ。
そこそこ空いている電車に乗ってきても「わっ。混んでる」などと言って微笑ましい。賢しい若者だと「自分たち(各地から集められた新入社員)が乗るから混むんだよ」と、己の客観視できている。あるいは「これはきっと混んでいるうちに入らないんだよ」などと言うも微笑ましい。
通りすがりの他人でしかない私だが、諸氏諸姉らの健康と多幸を祈っておるぞよ。

昔、息子が入院した。毎食保護者が面会室で食事を受け取る方式だったが、ある時、急患があった夕食だけ「部屋に届けます」と告知があった。何がどうとは言えないけれど、空気が厳しくなったようだった。何かが起こった予感がした。
私は病院から帰宅するためであったろうか。偶然面会室を通った。そこで、テーブルに突っ伏して泣き崩れる女性の後ろ姿と、女性に向き合い声をかけるともなく静かに慰めようとする男性の姿を遠目に見た。
私は、あんなにも悲しい風景は見たことがないし、これからも見ることはないだろう。
その理由を聞くことも見ることもなかったけれど、小児科病棟で生起する事柄であるから、事情は察するに余りある。 あれから三十年近く経つけれどあの風景は忘れられない。あの悲しみが癒えることがあるのだろうか。

閉店した百貨店が大きな割引率で通信販売をしている広告をネットで見かけ、サイトを覗いてみる。
何百万円もする時計が何十万円になったところで自分には関係ない、ということを確認できてよかった。 西郷隆盛は人見寧に天下を問われ、「たった十六文で腹を養う自分になにがわかろうか」と言っているが、衣服の量販店でさえ安売りの棚を漁る自分に何がわかろうか、ということであろう。
と思っていたが、これらサイトはどうやら「なりすまし」であるらしい。
問い合わせ先のメールアドレスが「hotmail.com」であるので、推して知るべし。
複数の百貨店について、同一らしいサイトが表示される(百貨店名は入れ替わる)ので、要注意。

ファインマンの回想録には、トリニティ実験成功に喜ぶマンハッタン計画参加者の中で、オッペンハイマーだけがすでに被害を考えて暗澹としていた・・・とあったような記憶がある(が確信がない)。
映画「オッペンハイマー」を見に行く前に確認しなければ・・・と思いつつ。

ヒナステラのピアノ曲「ミロンガ」なかなか良い曲。

動画。サルマン・カーンあるいはDhoomなどヒンドゥー系を見ている。
いずれも安心して見ていられる。水戸黄門(大好き)と同レベル。わかりやすい表現も良い。
たとえば:
https://www.youtube.com/watch?v=cC8mYfFKeGE

私は、有名な女性アイドル柏木由紀さんの写真の入った名刺を持っている。柏木さんご自身の名刺ではない。「鹿児島県の観光大使としての柏木さんの写真が入った、鹿児島県職員の方の名刺」だ。名刺を下さった方が、柏木さんとは似ても似つかぬ中年男性(いや、眼が大きいところは似ていたかも)だったのも記憶に残る。

ちょっとおもしろかったので、メモ。私は対旋律・対位法に非常な興味がある。立体的な音楽を好む。
COVER - Ce matin-là, Barbara
https://www.youtube.com/watch?v=UwfPKcTNv-4

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番を練習している。難しい曲だ。
先般の練習録音を聴いてみた。全体として、安全側で演奏している。微温的。
安全対策は必要だが、温度を上げるところ、上げ方・下げ方を考える必要がある。全体を見通しておらず、ひたすら安全運転で「流して」いる状態。(自動車の運転は安全であるべきだけれど、室内楽は危険を冒した方が面白い)。

No.1 音程がもう少し良いと良い。だんだん整合してくるが。最後どこまで盛り上げるか?ちょいと遅くする?
No.2 私、動機がせかせかしとる。
No.3 短いのでヨシ。
No.4 ちょっとタルいかな?変奏らしさ、変奏ごとの方向性を出したい。そもそも長いので。
No.5 事故る。その後、強制リカバー(笑)。
No.6 音程ですね。
No.7 疲れが出ますね。

まだまだこれからだ。頑張ろう!

Continue reading "読書の記録(2024年4月)"

| | Comments (0)

読書の記録(2024年3月)

デュポール 奏法と練習曲
「読む」というよりは「弾く」の比重が大きいが。
なかなかに過酷な練習曲。だが、音楽的であるので、取り組む意欲が保てる。また、指番号初めとして楽譜としての校訂が演奏・研究の専門家によってなされているので、迷うことなく安心して練習取り組むことができる。
楽観的に見ると、左手(左腕・左肩を含めたシステム)が改善され、普段弾く他の曲でも「小指が離れているために遅れる」症状が改善されつつあるように感じる。

ステパンチコヴォ村とその住人たち ドストエフスキー
ドストエフスキー比較的初期の作品。ロシアのウクライナ侵攻以来、ロシアものを読む気になれなかっていたが、以前買ったものとて読む。
この書は確かに色濃くドストエフスキーである。道化だったものが居直って傲慢極まりない人間、高潔であるのに優柔不断な人間、卑屈を装う人間などなど。
なかなか面白かった。読んでよかった。凡百の結論にしないところがドストエフスキーらしくあるだろう。
話者の立場上、ナースチェンカをあまり描写できないのは仕方がないのだが、登場人物のバランスとしては少々物足りない(アンナ・カレーニナのキチイよりは人間らしさもあるけれど)。
(戦争と重ね合わせて考えると、こうした有象無象を「母なるロシア」が昇華してくれるというような甘ったれた理想主義がアカン政治をのさばらせる、とも思われてくる。他国のことを言えた義理でもないし、この一国限りのことでもないのが、さらに悲しくあるのだが)。
読み始めた時、あれこんな小説だっけと思ったが、それはゴーゴリのディカーニカ近郊夜話と勘違いしていた。これを読み始めた頃、ウクライナ侵攻があり、以降読まずにいたのだった。

銀河英雄伝説 第1巻 田中芳樹
アニメと並行して読んでみた。アニメは原作を概ねよくなぞっている。表現の粗密あるいは言及する時間配分なども含めて、そのように感じる。
文章はよくこなれており、さらに、経過が速い。細かな描写をあまりしない。そういう意味では「重厚な文学」より「軽い小説(ライトノベル)」に近いのかも知れない。登場人物も多少類型的である、その意味では「ライト」と感じる。
一方、描こうとしている世界の大きさ・深さ・複雑さはどうやら重量級でありそうだ。
アジモフの「ファウンデーション」においても、登場人物が複雑精妙であるかというと、類型に近いが、それに近い視野・解像度であると感じる。
ただし、アジモフのように「SF(科学を基盤に置いた小説)」ではなく、スペース・オペラに近いものと思う。これを「オペラ」と感じないのは、描こうとしている世界の大きさ等によってそう感じる。
私なりに(1巻しか読まずに)この小説を短く表現すると、『未来の宇宙を舞台として、群れとしての人間の愚かさを描く小説』である。
現在の国内外の政治状況とも重ね合わせて考えたくなるような、たいへん興味深い小説であるが、私の趣味「遠くへ行くこと」にはそぐわないため、一旦ここで打ち切りとする。と言っては見るが、読みやすくもあり、他の読みたい本が切れた時のバックアップとしては非常に貴重である。

捜査・浴槽で発見された手記 スタニスワフ・レム
まずは「捜査」から読み始める。早川文庫で一度読んでいるが、この作品はなかなか面白いのだ。
そもそも、ポーランドのSF作家がなぜスコットランドヤードを舞台に推理小説(風のもの)を書かねばならなかったのか。

以下、例に寄って、言葉遣いについて考えさせられたもの。
 p-29 湿気が飽満した → 湿気が充満した の方が一般的な表現か?

 p-31 「連れのいない、赤い鍔付き帽を被った女性が、蝋のような微笑みを浮かべながら舞踏会用ドレスを披露している、マネキン人形たちを眺めていた。」は悪文だと思う。「女性が・・・眺めていた」という主述関係が非常に読み取りにくい。「披露している、マネキン人形」と「、」で切っているのも良くない。「女性が・・微笑みを浮かべながら」という解釈を一旦してしまう。
「蝋のような微笑みを浮かべながら舞踏会用ドレスを披露しているマネキン人形たちを、赤い鍔付き帽を被った女性がひとりで眺めていた。」くらいが普通の表現ではないか。
あるいは、「マネキン人形たちが蝋のような微笑みを浮かべて舞踏会用ドレスを披露しているのを、赤い鍔付き帽を被った女性がひとりで眺めていた。」など。
「ひとりで」ではなく「連れがいない」としたいならば、「赤い鍔付き帽を被った女性が連れもなく眺めていた。」とするのも一案。
レム自身の作文がいささか冗長で難解なのはそのとおりだが、ここまで読みにくい日本語にすることはないと、私は思う。

p-35 「もう着いたか。それはよかった。ついてきてください」
 丁寧語と常体が並ぶと、日本人読者としては奇異に感じる。突然違う相手に向かって話しかけているか、あるいは、聞き手との関係が突然変化したか(変装を解く二十面相とか)。

青年茂吉 北杜夫
読み始めた。北杜夫にとって最初に憧れた文学者が父斉藤茂吉であったとは。彼は長く、トーマス・マンへのあこがれを語っており、そのことに嘘はないと思うが、同じように父へのあこがれもあったのだろう。親族であったからとて良い伝記・評伝が描けるとは限らないが、長く文学に携わってきた北杜夫ならではの視点もあり、面白く読めている。

鉄道ピクトリアル オハ35系特集
戦前・戦後に渡って製造された客車。様々な形態・様々な改造がなされており、興味深い。
客車列車を見に、大井川鐵道に訪れたいものである。

●雑感

林臥園漂舟という号を見かける。
フィリピンのリンガエンと縁がありそうに思うが、昭和3年=1928年(以前)から名乗っているようなので、まだこの地域と日本の縁は薄いように思われる。てっきり、太平洋戦争中リンガエン湾で乗っていた船を沈められ、小舟で漂流した・・・と想像したのだが、年代が合わない。

チェルシー終売の噂。
明治(製菓)が販売している飴チェルシー。だが、私は英国産だったことを覚えている。「バタースカッチ」は本当に油っこくてベタベタしていた。とても普通には食べられないほどくどかった(でも美味しかった)。
明治製菓が売るようになった時、「こんなさっぱりしちまった」と思った。まあ、不味くなったということではないが、当たり前の丸い味になったのは少々残念だった。 一方、ダイジェスティヴビスケットを明治が売るようになった時は、「不味い」と思った。 なんとなう、同じ材料を揃えられないのに、形式的に同じレシピを適用してしまった体であるように感じた。確かに、全粒粉に塩を入れたクッキーにチョコレートをかければこんな味になるが、本物はもっと一体感があったよな、何考えているんだ明治製菓、試作品食べたのか明治製菓、と思った。
明治(製菓)のチョコレートは本当に上質で美味しいと思うが、ビスケットなどの相手とどうするか、はまた別問題なのかと思った。
そういう点では、チョコレートそのものは大したことないが、マシュマロとの合体で印象を残す森永エンゼルパイの方が完成度がずっと高い。(でも、エゼルパイも一時はマシュマロ抜きになったりして、不味くなったことがある。試作品食べたのか森永・・・)。

ホットプレートにチーズ(融けないやつ)を載せて焼くと、おいしい。
上はとろとろ、下はかりかりになるまで我慢する。
フランスパンで受けても、茹でじゃがいもと食べてもその他モロモロなんでもよろしい。
焼肉のついでに隅っこで試せば楽しいであろう。

先日、電車を降りる時、ドア窓に写った女性の足がとても小さく見えた。
思わず振り返って見てしまった。
座っているママさんの膝に娘さんが頭を寄せて寝ていた。お二人の上着が同色だったので、お子さんの小さい足が、お母さんの足と見えていたのだった。
(急に振り返ってごめんなさい)。

先般、ある大きな駅で、外国の方にコインロッカーの在処を尋ねられた。その場にあった案内板を見て、「あっち」とお知らせしたけれど、工事の多い駅とて本当にあったかどうか確信がない。わからんちんは人にものを教えてはイカン、と反省。

先日、停車中の電車内で、何かモーターが回るような音が聞こえてきた。
昔の電車は、空気圧縮機が運転とは関係なく突然周りだし、突然止まったりしたので、そういうものかと思ったが、電車が発車した後も止まるようすがない。
次の駅で乗降があり、音源の位置が私の正面から右前に移動したことが判った。その方向を見るに、坊やを抱いたパパさんのリュックが音源である。
パパさんにそれを申し上げると、いささか思い当たる節がなさそうであったが、ママさんが「プラレール!」と言ってリュックを開き、走行しようと足掻いている新幹線を取り出し、スイッチを切った。
一件落着。御礼まで言って頂いたけれど、私は音源が判っただけで十分嬉しかった。
(こんなことは迷惑のうちに入らないので、ママさんパパさんは一切気にする必要はありません)。

電車の中で、ずっと携帯電話を耳に当てているご婦人あり。結局三十分以上、降車するまでそうしていた。
うるさくもあり、謎でもあり、気になった。ひとこと言うべきか考えてしまうのも煩わしかった。
かすかに聞こえる音声から「意味」を汲み取ろうと脳が空転するとイライラしますな。
あーゆーのはアカン。無神経な行動に慣れてしまった方なのであろう。

National Arab Orchestra の演奏
https://www.youtube.com/watch?v=piNFUb2Suv4
どうやら、聴衆みなが知っている曲を弾いているらしい。なんとなうテレビドラマの主題歌や流行した歌ではないかと思ったりする。そしてまた、多くは西洋楽器だが、アラブ楽器も相応数入っている。我々の「歌謡曲」「演歌」と同じように、民族性と商業性から成り立った音楽なのだろうか。
西洋楽器の人たちは、どういう音楽教育を受けているのだろう。アラブ音楽の教本があるのなら(読める文字で書かれているなら)読みたい。や、GoogleLenzで翻訳までしてくれる世の中なのだから、「読める文字」の範囲は広げて考えてもよいのか?云々

Nagoya Shostakovich Orchestra なるものを発見。
名古屋ブルックナー管弦楽団もあり、名古屋マーラー音楽祭で、アマチュア・オーケストラが分担して全交響曲演奏をしたり、名古屋の音楽家は熱い!
非常に野暮なことを言うと、日本で数少ない儲かっている企業であるトヨタ自動車(と系列企業)が存在するがゆえに、多くの人々が愛知県に集まっており、その中にオーケストラで音楽ができる人間が相応数いる、ということであろう。トヨタが儲かれば、系列も儲かり、周辺の金融・保険、不動産、建築、食品、流通販売なども潤う。そこにもオーケストラで音楽ができる人間が相応数集まっている。ということであろう。
さらに付け加えるべきなのは、徳川宗春以来の芸事奨励に起源を持つのか、名古屋は芸事が盛んであり、鈴木ヴァイオリン(製造および教育)の拠点でもあって、ヴァイオリン奏者の層が厚いこともあるだろう。 さらに突き詰めると、愛知県あたりはアルコール分解酵素の能力が低いらしく、それ故、酒など飲まず、お茶・お花その他芸事に真面目に取り組む気風がある、というのも付け加えたい。

ついでに、愛知県立岡崎高校が学業優秀である、というのもトヨタが儲かっており、それによって、社員・関連会社・取引先に優秀な人材が集まり、その子弟の進学先になっているからだと、私は解釈している(教員がさほど優秀ということではないだろう、と解釈している)。

偶々、「ファイアーストーム」について興味がありWikipediaを覗いた。
「火災旋風」は恐ろしいが「ストーム(学生生活)」は北杜夫の「ドクトルマンボウ青春記」で見たやつで、こちらに興味がある。
一橋・津田塾のそれは有名だが、少なくとも近年まで門を飛び越えていたとは懐古主義者としては欣快至極である。
https://pg.tsuda.ac.jp/visiting/hitotsudashi.html

『Big Two-hearted River』
ヘミングウェイの短編。川原にテントを張り、鱒を釣り、釣った鱒をフライパンで焼いて食べる。その程度のお話で何の事件もないけれど、空漠とした主人公の心情がそこはかとなく知れ、心に残る作品である。
「心がふたつある」のか、「心臓がふたつある」のか、翻訳には大変悩ましいであろう。おそらくは両義的であり、固有名詞でもあるらしいのでさらに。
ともあれ、「ふたつある心」とは何か、大変気になるが、それらしい描写は作品中になかったと記憶する。

おしもん・おしもち 「おしもん」は、米粉を熱湯で練って型にはめ、取り出したものに色粉をつけて彩る、桃の節句のお雛様に供えられる郷土菓子である。
(農林水産省 https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/oshimon_aichi.html)
小学校に上がるか上がらぬかの頃、友人宅で、「おしもち」作りを手伝わせてもらった。練った米粉を型にはめ、紅と緑を塗る。蒸した後に、少し炙って砂糖醤油を塗って食べさせてもらったような記憶がある。
思えば、地域のことを何も知らない私達家族を慮って、そうした風習や行事を教えて下さったのだと思う。こうした暖かい人々に囲まれて、私の鳴海生活は本当に楽しかった。

蕎麦
蕎麦は食べて当たり前で、好きとか嫌いというものではない。この点、米の飯と同じだと思ってきた。
とは言え、名古屋で長く暮らし、うどん屋はあっても蕎麦屋は乏しい。両親はうどん屋で蕎麦を頼み続け、挙句はうどん屋が「そばつゆを東京風に寄せてみたのですが、食べて頂けますか」と言わしめるほど、鞏固な蕎麦派であった。うどんは風邪を引いた時、鍋物の〆に食べることはあっても、日常の食べ物ではない。それが両親の信念であった。
私は、このうどん屋さんで、うどんを食べるようになったのだが、両親とともに訪れてうどんを頼むと、母は「本当にうどんで良いの」「本当にうどんを食べるの」と三度問い、私がうどんを食べていると「本当にうどんを食べるのね」と感嘆していた。
徹底した蕎麦食い、であった。
私も週に一度・二度蕎麦を食べないと落ち着かない。だが、蕎麦好きか、と言われるとそうも思わない。食べ習わしているだけである。それに、両親もそうであったけれど、高級蕎麦店を探して行こうという気があまりない。東京の下町にある町の蕎麦屋で「冷やしたぬき蕎麦」なんかを食べるのが良く 、目くじら立てて至高の蕎麦を求めるというのは性に合わないのである。

コンピュータの値段は大層上がった。
貧しくなりつつある日本において、今後、さらに中古PCの利用が進むのだろうなあ、と予想。
昨年久しぶりにUbuntu再インストールをしたが、以前使っていたHPマシンが壊れたためである。もう10年近く使っていたPCなので、誠に仕方がない。
動作しなくなる直前、画面表示が崩れるようになった。デジタルで崩れる感じである。その後、全く起動しなくなった。箱を開けると、コンデンサーがひとつ爆ぜていた。失われて困るのはHDDにあるデータであり、それ以外は壊れても仕方がないと思っているので、コンデンサーが壊れるだけで済ませたPCには感謝しかない。
これからはOS代・ソフト代をケチってUbuntu(Linux)という人が増えるかもしれない。

まつや とり野菜みそ
https://www.toriyasaimiso.jp/special/
漫画家東山アキ子氏が宮崎県出身でありながら、金沢の鍋用調味料「とり野菜みそ」に取り憑かれた経緯と、奇な縁に基づいて宣伝に関わるようになったかの、楽しいお話。
ネタバレはよろしくないが、水に材料を入れて、水から煮る、というのは盲点であった。説明書をよく読まねば。

雪崩からの生還
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-6513988.html
貴重な証言。10人中9人までが雪崩に埋まりつつも、よくぞ全員ご無事であった。また、生々しくも貴重な証言を残して下さった。
私は山に登らないし、まして雪山には行かない。とは言え、人間いつなにがあるかわからぬものだ。こういうものは心して読んでおこう。

自由民主党の皆さん、悪質にしてグダグダだね。(野党が素晴らしいとも言っていない)。
この悪質かつグダグダな様子を見ていると、次なるテロリズムが生じないか心配になる。
議員の皆さんは政局だけしか考えていないようなので、そういう世間の雰囲気なりに触れ、世間のことを考える能力・習慣は失って久しいのであろう。
私はほとんど中小企業にしか居たことがないけれど、小さい会社の良いところは「内輪揉めしている場合ではない」ことが身に沁みて判っている人が多いことだろう。大きくなるにつれ、安穏として「会社は潰れない」前提でものを考える人が増える。まあ、近年の「経営者目線でものを考えよ」と現場に無理無体押し付けるのもどうかと思うが、自民党(に限らずあらゆる政党)の皆さんは、なぜ政治家という商売があるのかよく考えるべきではないかな。

Culture eats strategy for breakfast.文化の前に戦略など無力だ。そしてまた、「鯛は頭から腐る」。
「国」もまさしくそのとおりで、現在の与党諸氏は、裏金文化が蔓延る不道理・不道徳の社会を勢力的に作ろうとしているようにしか見えない。
それは与党周辺の局部最適にはなるかもしれないが、全体不最適なのは間違いないし、負ける戦争をするような国、戦争をして負ける国になってしまう可能性がある。

魚魚子(ななこ)
彫金の方法だそうだ。魚卵型なので、さかなの子という語を用いるらしい。
魚魚子について調べていたらNIWAKAという高級ブランドのページに行き当たった。どの商品も素晴らしい意匠であるが、お値段の方も素晴らしい。こんな高価なものを誰が買うのだろう、と不思議極まりない。私など、数千円ばかりのネクタイピンを買うかどうかで随分逡巡したけれど、庶民たる者はかくの如し。
(後で思い出したこと。ユダヤ人は常に逃げることを考えねばならず、そのため、持って逃げられる小さい高価なものを持つようにしている、という巷説。私の如きチェロ弾きから見ると、ユダヤ人はヴァイオリニストが主で、チェリストがわずかなのもこれで無意味に説明できる)。

昔、「乱流モデル」を学んで思ったこと
乱流モデルというからには、乱流の計算ができると思ったら、違ってた。乱流を考慮した計算ができるということだった。
つまり、乱流(渦)がどのように流れているかが分かるのではなく、乱流がどの程度できているかの計算ができるのだった。
極端な例を出すと、空気粒子をひと粒ひと粒すべて計算できる場合、「温度」は考えてなくて良い。
「温度」は、空気塊の中でランダムに動く粒子の平均的な速度(エネルギー)の指標であるから、全粒子の運動が判っているなら、温度のような雑な指標は全粒子の運動からちょいと計算すれば良く、わざわざそんなマクロ指標を入れる必要はない。
で、ここで言っている「乱流」は、実は計算モデルの格子では表現できないミクロな現象だが、観測される「温度」に比べるとマクロな現象であって、それまでのモデルでは表現されていなかったもの、である。
なので、温度項と同じ用に、乱流項がひとつ増え、流れから乱流、乱流から温度という段階でエネルギーが流れてゆくのを経験式で表現するてふものなのである。
(ただしい理解であるか知らんけど。それに当時読んだ教科書のこの辺りの表現が非常にわかりにくかったので、長い間考えた結果がこれである。まあ、乱流に関係する数値計算をしたこともないし、金輪際することもないだろう。一応気になるので書いておく)。

ベリーダンスを漢語で「肚皮舞」というらしい。
ベリーがお腹であり、皮膚を晒して踊るのだから、ということか。
この字面、肝が冷える気がする(感じ方は人それぞれ)。

富士通のパーソナルコンピュターの宣伝。
「神PC」などと言って、外国の人々を使っているが、なんだかセンス悪い。
『神の名を濫りに称ふるべからず』という心持ちはないのだろうか。あるいは、宗教的なもの言いは、人によっては大きな不快感を与えることを知らないのだろうか。
貧すれば鈍すというか、何か形振り構わずものを売ろうとして却って客が逃げるようなことをしていないか。
まあ、今の若い衆と老いた私で考え方・感じ方は同じではなかろうから、あくまでも、老インテリの戯れ言にしか過ぎないのであえろう。

昔(昭和60年以前)、英語の「Congratulations」はおおむね「おめでとう」を意味するが、結婚する女性に使ってはいけない、男性には良い、と習った。
女性に対しては「うまいことやったね」と言うからだというが、「うまいこと」をやって何が悪いのやらとか、女性にそういう含意が不味いのに、男性には不味くないのはなぜか、よく分からなかったし、今も分からない。
まあ、近年ではどの性に使っても良いらしいので、英語も改良されたということであろう。

クァルテット・オチェーアノを聴きにゆく。
モーツァルト、ボッケリーニ、ライネッケの弦楽四重奏。
「アマチュアにはメンデルスゾーンは難しいかもしれないが、ライネッケならなんとかなるのでは」(大意)というご発言があり、私は前半には同意しますが、後半はあまり賛同できません。アマチュア奏者といっても、演奏能力に大きな幅があるので、「非常に腕の立つアマチュア奏者なら」と限定するのであれば、渋々賛同いたします(莞爾)。
ボッケリーニとライネッケは初めて聞くので面白かった。普段親しんでいるベートヴェンなどと違って、も少しラフに書かれているので、なんとなう(演奏能力の高い)高校生が午後の音楽室で一生懸命弾いていると面白いな、と思った。
モーツァルトを聴いていると、自分がアルバン・ベルクSQの演奏を基盤にしていることに気づいた。若い頃、最初に買ったCDがABQで、以来(大変失礼ながら)さほど好みとも思わず聴き続けているので、まあそういうものなのだが。古楽方面のモーツァルトのCDを聴き直そう、と強く思った。
以前、モザイクSQのCDを探したが、随分と値が高かったので、諦めた記憶がある。

で、知人の演奏会で、ハイドン Op.20-4、ベートーヴェン Op.18-3、メンデルスゾーンの弦楽四重奏を聴く。
3団体による3曲の演奏(奏者の一部は2曲乗り)。それぞれの団体の個性があって面白かった。「私がそうするか」というのとは隔たりがあるが、他人がそれをしてくれるのは大変よろしい。そうしたことも含めて楽しめた。

さらに知人の演奏会。キュイ、ピアソラ(ブエノスアイレスの四季)、ヴィヴァルディの冬・春。
変わった変奏の曲。どうしてもフルート、ヴァイオリン、ピアノ(鍵盤楽器)がいるのを見ると、チェロを入れてトリオ・ソナタができるやん、と思ってしまう。トリオ・ソナタは通奏低音が1人でも2人でも3人でも「1声部」扱いなので、3声部で「トリオ」。

こんにゃく座「神々の首都」
こんにゃく座のいわば「日本シリーズ」(私がそう言っているだけだが)。「遠野物語」もそうだったけれど、日本精神史とでも言うべきもの(日本製紳士と変化しては欲しくなかった)。
今回は、ラフカディオ・ハーンの個人史に寄っていたように思う。しかし、個人個人を掘り下げることで却って大きな枠組みを見通せるのかも知れない。ともあれ、このシリーズの展開は楽しみだ。
オペラを演奏するのに、外来曲を取り上げるのも、それはそれで楽しいことであるし、それを(短兵急ではなく)日本人として解釈し作り上げていくこともした方が良いと思っているが、一方で日本の国民歌劇もぜひ有って欲しいものである。こんにゃく座の「日本シリーズ」は海外でこそ取り上げて頂きたい。
(そういう意味では、こんにゃく座の「魔笛」や「虫の生活」は海外からのオペラ受容シリーズとも言え、これら選曲の妙を味わうのも楽しい)。

しんよんひさんの絵を見る。
不思議な夢のような色使い。
私がその名を知らない色がこんなにもたくさんあるなんて。

北海道を舞台とする(と称する)アニメーションを少し見る。
家の建てようをちらりと見たが、さほど北海道風とも思われない。地域漫画には期待するところがあるのだが。
私が知っている時代より雪が減ったので、家の建てようが変わった、というのもあるやも知れず。
一方で、春も近いのにふんわりした雪があるというのも違和感。ひと冬積もって密な雪、溶けかけた雪があるべきではないかな。
まあ、そんなことはどうでもよろしいのであろう。

己の練習録音を聴く。
もうちっとカルテット向きの風通しの良い音質を作ろう。私は強硬に音を通す方が得意らしい(音程にもよるが)。
一日三回これを唱えないと治らないね、きっと。
で、練習で少し試す。まあ、悪い方向ではなさそう。でも、ボロボロ落ちている(音づくりとは別な要因で)。これはアカン。

統計とグラフィックスのためのプログラム言語Rを使っている。特にdplyrライブラリは強力。あまりに強力で脳味噌が溶ける。
SQLとほぼ同じ構文で、Unixコマンドと同様パイプで繋げられて快適この上ない。さらに、joinは、inner, left, right だけでなく、outer も使えるし、さらにさらに anti_join まである(MS-Accessのjoinが最初の3つしか使えないことを考えるとまさに天国)。
プログラミング言語の中でSQL(っぽい)フィルターを重ねて使える楽しさよ。
SQLは強力なのだが、どうしても手続き型プログラム言語と組み合わせて使いたい場合から逃れられない。故に、Rでdplyrが最も「手に馴染む」。

手に馴染む、という感覚は、プログラム言語としての良さを表す指標として非常に重要だと思う。主観的なものに過ぎず、万人共通ではないけれど。

銀河英雄伝説(アニメ)を見る。
どうやら、この物語の主題は人間の愚かさである、と思った。
日本のような敗戦国で描かれる戦争・軍事はすべからくそうであるべきかも知れぬ。

福沢諭吉がお札から抜けるけれど、北里柴三郎が入る。
なんとなう、「慶應人脈」を思う。
この末流に属する人々の評判は最近よろしくないようだ。
この学校の立派な人達を見ていると「実学」志向で、世の中に立とうとしていて尊敬に値すると思うが、また別な人達を見ると、世の中から自分が利益を得ることばかり考えているように思われる。

渋沢栄一が一橋大学を作り、津田梅子が津田塾を作ったとすると、両者が並び立つ国立市の皆さんはなかなかお喜びであろうか。

バフチサライ(バフチェサライ)は黒海近くクリミア半島にあったのを初めて知った。
https://note.com/pencdiraht/n/n18c6ad225bff
バレエ「バフチサライの泉」でこの地名を知ったが、なんとなう、もっとモンゴルに近い土地のことと思っていた。
バレエを知ったのは、楽器の師匠から「こういうバレエの伴奏をするからチケットを上げる」という奴で、バレエはあまり見ず、楽器の演奏ばかり見て聴いていた。なかなか目立つチェロの独奏があったことを覚えている。

同窓会で19人集合。45人のクラスだったので、約半分。なかなか優秀ではないか。それだけ時間にもお金にも余裕がある世代になったということだろう。
それかあらぬか、旧知の人々と出かけようという夢を見た。何故かボロボロの軽トラック。
タイヤ交換が必要とて、タイヤを外すが、後先考えずにタイヤを外したがために、どうやって取り付けるべきか分からない。取り付け用のアルミ板を見て考える、というところで目が覚めた。乗用車のタイヤ交換ならしたことがあるが、どう考えても夢で見た構造はおかしい。
そして、なぜに軽トラックだったのか。愛読する漫画「クッキング・パパ」に軽バンで福岡・鹿児島を(楽しく)往復する話があり、そこからの類推だったのだろうか。漫画では様々な「事件」の後、「田中ちん」と「夢子さん」の幸福な将来を予感させつつ終わる。どんな私の潜在意識が関わるのだろう。

サブマリン707を見た。
淡水域に入ると浮力が不足して沈降してしまう、という描写はあり得るように思うが、密度が小さくて浮力が不足するということは、圧力も小さいのだから、圧力計が割れる描写はおかしいのではないか。あくまでも沈降はしているが、淡水域にいる限り圧力は小さく、淡水域から出て海水域に入ったところで、圧力上昇となりそうに思う。ともあれ、淡水が海底から上昇している以外には深海に淡水域は生成しているとは考えにくい。

銀座を訪れる機会があったので、中原亜梨沙氏の個展があるはずだ、と思いきや。3/30開始だった。でも、きくちちきさんの個展を見られたので、私の個展欲はとりあえず満たされた。今の私が銀座で用事があるのは、教文館・泰明庵・熊本物産館くらいだろうか。もとより寄るべき場所は乏しかったけれど。

札幌ひょうたん横丁がなくなるとのこと。出張時に偶々訪れた「倶知安」は、大変味わい深い店だった。日曜夜「明日休みだから今あるものを出す。それでおしまい」。親切で気風の良いおカミさんがお魚や煮物を出して下さって、ビールも飲んで4人で数千円みたいな。もちろんお腹いっぱいにならないが、近くに多くの店があり、これはまた非常に楽しかった。

名古屋市杁中(いりなか)にあったイタリア料理店マンジャーレ閉店
https://sho-wan.com/20231106-mangiare-irinaka-close/
なんでも終わりがあるものだ。40年営業とのこと。私が行きだしたのは開店すぐだったのだな。たしかペスカトーレが580円だったように思う。
土曜の昼などは、近所の女子校の生徒が多く、私がごとき男性には肩身が狭いこともあった。
フンギ、プロシュート、アラビアータ、ベスビオなど、ここで初めて知ったメニューもたくさんある。フライパンを滑らかに操るマスターの姿ももう見られないのか。時代は変わり、私は取り残されているが、いつか私も時とともに流れ去るのであろう。
さらば、マンジャーレ。ありがとう、マンジャーレ。

Continue reading "読書の記録(2024年3月)"

| | Comments (0)

読書の記録(2024年2月)

泣菫随筆 薄田泣菫
以前読み始めたが面白くないと感じて投げ出していたもの。今回、単に書物を整理しようと思って手に取り、偶々、徳富蘆花と国木田独歩を描いた頁が目に入った。面白かった。も少し読んでみよう。
こうした明治ものを読んで面白く感じるようになったのも、関川夏央・谷口ジローの「「坊っちゃん」の時代」のお陰であろう。この漫画のお陰で探し当てた鴎外森林太郎の「普請中」も非常に良かった。

海街ダイアリー 吉田明生
再読。よくまあ四人姉妹の個性を描き分け、それぞれの恋愛をさらりと描き、さらに周辺人物を造形しているよ、と感心するばかり。
これを映画化したかったのも分かるし、役者が演じたくなるのも、分かる気がする。

精選物理学の散歩道 ロゲルギスト
先月に続いて少しずつ読む。
「数理倫理学序説」が特に面白い。現在いわゆるリスク学として知られている考え方だが、この時点で現在も答えが出ていない問題について明確に指摘されているように思う。まあ、「価値」とか「価値観」には厳密な客観性がないからね。
ともあれ、新しい学問を構想する楽しさが感じられる。

「雫が水面に落ちる音」は音の興味のある私には大変おもしろかった。
私が日常生活で感じるのは、温度・湿度によって、我が家の音響機器の音の「聞こえ方」が同じではなさそうである、ということ。
なんとなう、湿度が低い秋頃に最も「明瞭な良い音」に聞こえ、湿度が高い梅雨から夏にかけて「ぼこぼこした悪い音」に聞こえる。
木製弦楽器でも同様のことが起こるが、通常それは楽器本体のこととして説明される。スピーカーコーンも多くは紙ないし繊維製なので楽器と同じ現象が起こっているのかも知れない。だが、それは楽器・スピーカーコーン本体の問題なのか、媒質としての空気の問題なのか、あるいは、「耳」の問題なのか。などなど気になる。
要約・反要約は私が日々推している「言語技術」そのものと思う。

ケストナーの終戦日記
古書店で見つけた福武文庫。岩波が出ていると知っていたらそちらを買ったのだが。仕方がない。
戦争に負けるとはどういうことか、戦争に負けた後、日常生活はどうなるか、など以前から興味があり読む。
私は、現在の日本の状況はある種敗戦であると見ている。そのため、ここで書かれていることと、私が日々見聞きすることの間に、相通じるところがたくさんあるように感じる。
「カール・ハインツ・シュトックハウゼン少尉」の名が出てくるが、作曲家「カールハインツ・シュトックハウゼン」とは年齢的に合致しない。

パンの文化史 舟田 詠子
前半は読むのが少々つらかった。この手の説明はも少し可視化しないと、今の軟弱な私にはダメね。一番良いのは、私が可視化作業をすることだが。そうすると、私は内容をきちんと読んで理解するので。
とは言え、パン焼き窯が各家庭にあるのか村の共同なのか、各家庭にあるとして住居と一体か別棟か、どのような頻度で焼くのかといったところから大変興味深く読むことができた。
惜しむらくは少し古い本なので、写真や図の品質が足りないのであろう。内容は興味深いだけに本当に惜しい。

人さらい シュペルヴィエル 永田千奈
私の期待するシュペルヴィエル調ではないぞ。私はメロドラマが読みたいわけではない。
南米とパリで引き裂かれた彼の自我について知るところもあって良いとは思うが。

キリスト教美術を楽しむ 旧約聖書編 金沢百枝
面白い・・・のではあるが、変に現代調の比喩を入れるのに、私はあまり良い思いがしない。最近学者が書くもの(学者が書かされるもの)はこの手のものが多い。中身だけで十分楽しいのだがなあ。編集者がアカンのかなあ。

物理学者の自由な楽園 朝永振一郎
賢い方の本を読んだとて自分が賢くなれる訳でもないけれど。
私は朝永が企画した「物理学読本」を大いに評価している。その関係もあってちょっと面白い。
朝永の大学時代の生活を読んでいると、何か非常に余裕が感じられる。現代の大学生はもっとあくせくさせられており、腰を据えて勉強するどころではないように見える。国力衰退の一兆候ででもあろうか。

ピンフォールドの試練 イーヴリン・・ウォー、吉田健一
うーん。あまり面白いとは言えなかった。私には、この書は粘着質で苛立たしい。

アンドロメダ病原体 マイクル・クライトン
うーん。「報告する」と前書で書いてあるわりには、本編に入ると小説的時系列描写で、「報告書」の体をなしていない。などと気になる私はある種の職業病なのかも知れぬ。頑張って読もう。
読み始めると、それなりにSFっぽくて楽しくなって来た。古い小説なので、現代だったら使わないであろう設定が散見されるが。
読了。楽しい読書であった。若干のご都合主義、説明不足、伏線回収放棄に伴うがっかりなきにしもあらず。とは言え、これはSFだろう。

ローマ帝国の崩壊 文明が終わるということ ブライアン ウォード=パーキンズ
少しずつ読んでいる。前半1/3は読みにくかったが、陶器の生産・流通の話あたりから調子が良くなってきた。
読みにくかったのは、●●族などと言われてもイメージがないからであろう。ヴァンダル族くらいは、「文明の破壊者」と聞きかじっているが、そこまでである。なんとなう。「部族一覧表をつけて、特徴を書いておいてくれ」と思ってしまう。
陶器の生産・流通になると少し図も出てきて理解しやすい。文字情報を読み通す能力が下がっているのかもね、私。

唐宋伝奇集
これまた少しずつ読むの書。なかなか楽しい。

機械探偵クリク・ロボット カミ
少々古いユーモア小説なので、現代風ではない。まあ軽い読書としては悪くない。

ルバイヤート(トゥーサン版) オマル・ハイヤーム 高遠弘美
ふふふ。入手。ルバイヤート邦訳はたくさんある。手元にも複数ある。で、この本を手に入れて後書きを見る。あらたな訳文を作る意図、ルバイヤートへの愛着、これまでの訳文への言及など、ルバイヤートの後書き標準セットが書かれている。
なんとなう、ルバイヤート愛好家サークルっぽさがあって好き。ゆつくり読もう。

デュポール チェロ奏法と21の練習曲 島根朋史(翻訳)
教本的なものを買うのは久しぶり。鈴木、ウェルナー、ドッツァーと来て、いちおう、モーリス・アイゼンバーグ「現代チェロ奏法」を少し読んで、セヴシックを少し、その後野放し。カザルスなどは読んでいるけれど、固有の楽器演奏技術の本からは遠ざかって久しい。
縁あって購入。まじめに学ぼうという気持ちになっている。年齢的に最後の挑戦ではあるよね。
ベートーヴェンで言えば、交響曲と弦楽四重奏初期ならドッツァーまでの教本で弾ける。チェロとピアノのためのソナタや中期・後期の四重奏曲を考えると、そこからもう数段異なる演奏技術が必要になる。この「もう数段」がデュポールに相当すると、私は今推測している。
練習曲の音を並べるだけで大変。脳味噌をたくさん使う必要がある。でも、それこそが「練習」なのだと思わされる(思い出さされる)。
デュポールの「試論」の訳は、注も含めて大変行き届いている。レッスンにきちんと就いていない私のような野良奏者には大変参考になる。そして、練習曲は試論を踏まえた指番号が付されており、これまた大変有用である。

●雑感

渡辺カネ氏について読む。晩成社の方であり、十勝の教育の母とのこと。
Wikipediaを覗いたところ、「優秀な記事」として挙げられていた。
私も北海道に住んだことがあり、六花亭のお菓子を通じて「晩成社」の名は聞き知っている。
Wikipediaの記事はたいへん行き届いたものであった。
あの時代のキリスト教宣教師に影響を受けた人々の行動を考えてみる。この人たちの共通点として「政・官ではない」ところだろうか。昨今の政・官の弱体化を見ると、同時に「民」も弱っているのではないか、と考えたりする。
自分の一家を考えると、「えらい人」や「有名な人」はいない。地味で堅実な一族である。でも、こうした我々の如き地味で堅実な人々がこの国を支えているのではないか、と私は考えている。我が一家にはキリスト者はおそらくいなかったものと思うが、宗教への憧れと崇敬の念を持つものが多いように思う。さてさて。

黄色く少し透き通った花が咲いている。蝋のように透き通っているからか「蝋梅」という。
私はつい「狼狽」を思い出してしまう。「老馬医」とも変換されるのね。

長谷川伸の「一本刀土俵入」の舞台が(最近いささかの馴染みがある)取手であると先日気づいた。渡しのあるような大きな河縁の話との記憶はあったが。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001726/files/56081_64124.html
この話、声に出して読むと大変面白い。戯曲なので当たり前と言えば当たり前なのだが。また、会話だけで情報の大半が伝わる様にできており(当たり前だ)、ラジオドラマにすると面白そうだ。
ラジオドラマなるものが今尚あるのかどうか、私は知らないが。昔、FMラジオで音楽番組の後、ラジオドラマがあったりして、そのまま聞いたことが何度かある。結構面白いものだった。
「FMアドベンチャー、アドベンチャー、アドベンチャー」と反響させている導入からして深夜静かに聞くにふさわしい情緒があったように思う。
小林まことによる漫画化もされているが、紙媒体は1万円近くもする。高価だ。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番の練習をしている。で、様々な演奏を探して聴くなかで、サクソフォン四重奏版を発見した。
https://www.youtube.com/watch?v=I2KTtE4KPEU&list=OLAK5uy_lKec-9FicDT_gJvOijn8VtT8ZUy8Kp_Dk&index=12
なんか違う曲みたいであるぞ。
音は原曲と同じだが、軽妙で大人しく、ベートーヴェン的苦闘・苦悩からは離れている。とは言え、これもまたベートーヴェンが書いた音の姿であり、大変楽しくも大変勉強になる。

ついでに出てきたストラヴィンスキー「春の祭典」木管五重奏版、
https://www.youtube.com/watch?v=Zs-0AOa4g84
もちろん、冒頭のアレはファゴットだった。木管楽器がオーケストラの音色の重要部を担っていることを再確認できる一方、「やはりここは弦楽器でなければ」という箇所もあり安堵した(雇用状況の安定?)。
金管楽器が担うところは全てホルンに行くのだが、私が金管楽器をさほど聞き分けていないせいか、これで十分に聞こえる(多謝)。

第一次世界大戦のいとこたち
https://www.youtube.com/watch?v=oXmMT4sETu8
第一次世界大戦が始まった際の英国、ドイツ、ロシアの元首は、英国ヴィクトリア女王の孫であり、いとこ同士だったとのこと。そう言われてみればそうだったか。。。
何度か書いているが、当時の実感として「まさかこんな大戦争になるとは思っていなかった」であり、「まさかこんな大戦争がふたたび起きるとは思っていなかった」でもある。ああ、それなのに、それなのに。

群馬県でも慰霊碑を破壊するなど、歴史修正を行っている。私自身は戦争反対だが、もし戦争を考え「中国と戦争になる」と煽るならば「韓国とは仲良くせねば」とならないのは不思議だ。ふたたび世界を敵に回すつもりなのだろうか。

豆撒き
以前、節分の夜、団地脇の道を歩いていたら、頭上から幼い兄弟の「鬼は外」の声が聞こえ、パラパラと豆の落ちる音が聞こえた。
「うわーやられたぁ」などと巫山戯て返したい気持ちもあったけれど、親御さんが私に命中したと誤解されると申し訳ないので、ガマンしました(大人として当然の行い)。

なお、静かな夜だったので、豆の落ちる音が聞こえたように思っていますが、団地建屋から道路までの離隔距離は相応にあり、余程の力がない限り、とても道路まで届くような距離ではありませんよ。
季節の行事を楽しく行っているご家庭の様が目に浮かび、私はたいへん嬉しかった。

我が家では、子供が幼い頃、殻付き落花生や個包装のお菓子を用意し、暗くした部屋で大きな掛け声とともにこれらを撒き、子供たちが競って拾う遊びをしていた。
亡母はどこでこれを思いついたのやら。母に孫たちとともに楽しい時間を過ごす機会が作れたのは、私の数少ない親孝行であるのだろう。

NHKブラタモリを見ていたら「吾妻鏡」の開いた頁に「山田太郎」という名前が書いてあった。
この氏名の方が実在するのを初めて見た。
地頭にしてやる、とかなんとか書いてあった。
https://adumakagami.web.fc2.com/aduma02b-03.html

ネット上で「装偵」という文字を見つけて煩悶している。おそらく「装幀」または「装丁」が正しいと思うが、「装偵」の用例も多い。
紙資料をOCR・文字起こししたところで「装偵」になったと推測する(それらしい例もある)。
https://dcollections.lib.keio.ac.jp/ja/fukuzawa/a52/116
「装偵」は装甲偵察の略らしい。

三菱電機の会員制サイトで個性的な図書館を紹介している。
「三菱電機」「図書館」という単語が並んだ時に思い出すのは、「岡崎市の図書館システムをめぐる事件」
https://www.jla.or.jp/portals/0/html/jiyu/okazaki201104.html
と言いながら、私が知っていたのは、第1の方だけ。第2は今回始めて知った。何でも確認しておくべきものである。
企業が忘れて欲しいと思っていることをいつまでも覚えている私。でもねえ、都合よくなんでも忘れる企業が多いのではないかな。
(企業よりさらに政党・政治屋の都合良きこと)。


ふだんなら、道路上を横に並んで歩く子供たちが、その朝は、縦に並んで歩いていた。
「かさじぞう」みたいだ、と思った。
雪が降り、多少雪かきがされているけれど、歩きやすい場所が一人分しかないので、縦に並ぶことになるようだ。
そうか、「かさじぞう」が縦に並ぶのはそういう意味であったか。
あるいは、僧が修行のひとつとして無言で歩くのに似せたのか。
最初の一人が雪漕ぎをする、風よけになる、という面もまたなきにしもあらず。

朝、除雪ごっこをする。
スコップの手元が折れた。除雪様の軽量型スコップであり、鍬がアルミニウム、他はプラスチック。
北海道に住んでいた時に買ったものだから、二十五年以上経過している。
むしろ、今までよく使えたものだ。柄だけ買ってみようか。
同じ様に柄が朽ちかけたスコップがあるので。
もう一本の除雪様スコップもよく見たならば手元が割れ始めている。
こちらは鍬も含めて全体がプラスチックで鍬先だけが金属製である。
こちらは二十年以内ではあるけれど、まだ元気だった母が買ってきたものだ。

雪見れば母ありし日を思ひ出し雪兎作り南天の目を入れ

佐藤富五郎一等兵曹の遺書・戦場日記
https://researchmap.jp/niheiyoshiaki/misc/29322399/attachment_file.pdf
SNSで知った文章。稀有な偶然によって世の中に出ることが出来たもの。ともあれ、あの戦争を始めなければこんな悲劇は起きなかっただろう。そしてまた、当時の我が国の細部を覆い尽くしていた非合理性の犠牲者でもある。餓死せざるを得ないと解った段階で降伏することもできただろうに。

VBAのDir関数(などのファイルシステムを触る関数類)は、OneDrive上のファイルシステムに対応していないようだ。
出たよ、MSのファイルシステムっぽく見せてはいるが、実は単なるアプリケーション問題。
ファイルシステムはOSで吸収しろよ。抽象化がOSの役割だろ。
こういう、「とりあえず便利っぽいアプリを作ったからバラ撒くぜ。互換性は気にしない。OSの抽象性?なにそれ」というのが、マイクロソフトの伝統であり、Unix屋などから嫌われるところだ。
まあ、そのお陰で生じている仕事が世の中にあったりするで、皆諦めているようでもある。

Théodore Dubois(テオドール・デュボア) – Piano Quintet, in F major
https://www.youtube.com/watch?v=BHote8hpTRw
フランスの作曲家による親しみやすいピアノ五重奏曲。オーボエを入れるのも良いね。

ヴァイオリン・オクテットについてWikipediaの解説を読む。
ヴィオラやコントラバスの不整合を考えると、「ヴァイオリン」属として設計したい気持ちもわからんでもないが、その結果、均質な音色が出せる楽器群になったというが。それがため、「音域が重なる部分において、面白みに欠ける」というのが、たしかにそうなるよね、という点で大変面白くも重要な結論だと感じる。
楽器音の「具体性/抽象性」について、私は考えて来たが、VnオクテットはVn属の中での抽象性を推し進めたものだ、と思う。一方の極は、ストラドとガルネリの音色を区別し、クライスラーの音色やうたい口を重視する。
先月のサックス四重奏によるベートーヴェンの違和感のひとつは、この点にもありそうだ。

タモリの音楽は世界だ 「サックス家の一族大研究」を見る。どの楽器も実は半オクターブくらいしか違わないのね。
まあ、Vn属もそうだし。しかも、オクターブ違う楽器を作ると長さが倍必要であるしねえ。

アンセルメのベートーヴェン
https://www.youtube.com/watch?v=Jj-PJ3fouIk
子供の頃、家にあったベートーヴェンのレコード(当然LP)は、5番と7番がアンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団、9番がフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。6番は謎の指揮者と謎の録音オーケストラだった。
聴いているとなんだか懐かしい、LPレコードと同じ録音であるのかは不明だが、ちょいとかすれたような強音、明るく素朴な木管楽器、気を持たせるよな余裕かました演奏などなど。結構覚えているものなのね。紅茶に浸したマドレーヌの味と同じで、言語として自発的に表現することはできなけれど、たしかに覚えているのだ。驚くべし。
ルネ・レイボヴィッツの「展覧会の絵」があったり、当時の我が家、なかなか凄い演奏を聴いていたね。
そういう意味ではカラヤンや小沢などは、家になかったし、自分も滅多に買わなかった。「世の中にたくさんあるし、いつでも聴ける」という感覚が強かったから。

「東京大学における性的指向と性自認の多様性に関する学生のための行動ガイドライン」なかなか素晴らしい。
「オリエンテーションの時期の自己紹介に出身高校を含めるように設定したり、他の人の出身校情報を勝手に公開したりする(トランジションしている学生にとってはアウティングにつながる可能性がある)。」などは、私自身まったく思いもよらず、参考になった。
一方、「東京大学の構成員(の多様性)」だけを強調しているようにも見える。「彼女は頭が悪いから」の反省はここに必要ないのだろうか。
LGBTQ差別だけに限定して書くならばさもあらん。それが自然でありわかりやすくもある。しかし、全ての差別に反対し、その一部としてLGBTQがあると考えるならば、男女差別・学歴(成績)差別もアカンのではないかな。

小澤征爾氏逝去
あまりご縁のなかった方であり、この十年ほどほとんど活動されていないこともあり、また、亡父と年齢が近いこともあり、ついに来るべきものが来たてふ感慨。RIP。
昔言われていた若手指揮者五人(アバド、メータ、マゼル、ケルテス、小澤)のうち存命なのはメータのみ。

『思考の整理学』は「東大京大で一番売れた本」とのこと。私も読んだことがあるが忘れてしまった。
さほど良いことが書いてあったようには思えない。もうちょっと読んで意味がある本を売り込んだ方が良いのではないか?
物事を批判的に考えられる本とか。たとえば「それゆけ論理さん」の方がずっと意味があるのではないか?
あるいは学問があるということで社会から求められる倫理についての書物とか。


楽器を弾く夢は見たことがない。皆が楽器を弾いているのに、自分だけ間に合わない、あるいは、楽器が壊れている、という夢はしばしば見る。
先日は、例によって自分だけ間に合っておらず、オーケストラが(なぜか箱寿司のように矩形に並んで)バルトークの「管弦楽のための協奏曲」を弾いている夢を見た。チェロの首席が大学の同級生だった。
ちょいと面白いね。

HMS Pinaforeを歌うスター・トレック
https://www.youtube.com/watch?v=sOtgMujbZsY
みんな大好き軍艦ピナフォア。

1815年のタンボラ山噴火
Wikipediaで記事を見る。ワーテルローの戦いの頁からリンクがあった。
ワーテルローの戦いの悪天候も、「フランケンシュタイン博士の怪物」や「吸血鬼」を齎した長雨による無聊も、ターナーの絵画の黄色い夕暮れも、みなこいつのせいだったのか!たいへん驚く。

コロナ感染
5回のワクチン接種を以ても防ぎきれず、最後に油断があったのがアカン。反省しよう。どうか後遺症が出ませんように。
最高到達発熱39.1℃。39℃を超えるなんて30年振り位。

二日ほど食べずにいたせいか、何を食べても味が濃い。味覚障害でないのはありがたい。
一方、足元が若干あやしいよね。コロナのせいというより、熱で寝込んでいたり、久しぶりにうろうろしているからだろうが、悲しい。気をつけよう。
なぜかこのタイミングで「ラスムス クルンプ」の公式X(Twitter)の話題が。
そして、それに仮想的にツッコむ自分の作文が微妙に辛口な気がする。
「おい、ラスムス。いつ『ペッチ』を辞めたんだよ」みたいな。
コロナの後遺症かも知れぬ。今月の読書で微妙に辛口なのもきっとそのせい。

イタリア映画「ふたりの少佐」
https://www.youtube.com/watch?v=QdO8wvOug9E
戦争コメディ。ギリシアでのイタリア軍とイギリス軍の戦いに始まる冒頭からパンチが効いて凄い。
占領軍が代わるごとに肖像画をかけ直す地元住民、運命の逆転と酒飲み合戦、惚れた女を互いに母親の方だと思いこむ好都合さ等など。
酒飲み合戦で、英軍少佐が「ムッソリーニに乾杯」というと、伊軍少佐が目を背け、伊軍少佐が「チャーチルに乾杯」と返すと、英軍少佐が目を反らす。これによって、お互いが「建前としての元首礼賛ではない、本音としての元首・上長忌避」を共有する付合いをしていることを示して楽しい。
主演トトが、知人に似ている(この知人が好人物かつ多少演説っぽいので殊更)。
史実として、米軍と伊軍が馴れ合っているところに独軍が入ってきたせいで深刻な戦闘になった場所があると聞く。あるいは伊バドリオ政権樹立で英伊が同盟関係になってしまう。そういう意味では少しだけ史実的か。
町の様相がそれらしいのが同時代作品の強み。

youtubeでこうした古い喜劇役者が出ている映画を探し出して見るのはなかなか良いものだ。
ルイ・ド・フュネス、とか。

「経済」の語を使っている者どもが「経世済民」を考えるに乏しいこと如何。
己の懐温めることだけ考えているように思われる。己が懐温めることを否定はしないが、そのために他を蹴落とそうという身根が許しがたい。
私は田舎の学校を出ているが、田舎の学校だとひとつの学級にいろいろな人間がいる、金持ちのボンクラ息子も、洟垂れ小僧も、勉強ができる子、新しい遊びを発明できる子などなど。皆で遊ぶ時も、全員が遊べる方法を考え、場合によって「洟垂れ用特別ルール」を作ったりもする。それが人としての暖かさであり、社会としての方便でもある。
で、都会の受験予備校化した学校を見ると、皆さん親御さんはしっかりしており、お子さんたちは塾に通ってお勉強を仕込まれているけれど、どうやら「他人様は蹴落とすもの」と思っているし、「他者を蹴落とす以外に己の栄達はない」くらいの勢いで生きているようにも思う。
で、後者の人々向けの雑誌は「ワンランク上の」とか「ちがいがわかる」と称して要りもしないピカピカしたガラクタを売りつけるのであるし、お金さえあれば何事も意のままになると思っているフシがある。
まあ、私が見たことがないような更なる上流階級はもっと余裕があるのであって、他人を蹴落とす云々は下流の上くらいなのであろう。

楽しかったブラタモリも終わるそうだ。ありがとうブラタモリを作ってきた皆さん(特に各地の研究者のみなさん)。
とは言え、タモリさんもご高齢であり、日本中回っておくべきところは回ったやに思える最近の番組だったので、これで良いようにも思う。
前半は何が何でも見る、という気合だったが、近年は、見ても良いな程度だった。
番組作りがパターン化して、若い女性アナウンサーに歓声を挙げさせておけば、後はタモリが何とかしてくれると、適当に作っているようにも見えた。
後継番組は虚妄捏造で有名な「プロジェクトX」だそうだ。やめれば良いものを。
あれは、『日本人下士官・兵は優秀だが、上級将校は無能」なる批判を都合よく忘れられる人が見る番組だ。
「我が社の黒歴史」くらいにしておけよ。あれだって、結局、回り回って役に立っているという仕組みではあるのだから。

ヴァイオリン用品製造販売会社トマスティーク社によるチェロ弦マップ(もちろん自社製品のみ)
https://www.thomastik-infeld.com/en/new-releases/dominant-pro/cello
WarmとBrilliantが相反する概念かどうか、私にはちょっとわかりにくいが、BroadとFocusedはさらにわからん。 W/Bは全般に高周波成分の多少 and/or 発音時の子音成分の多少を示すと思ったりしたが、では、B/Fは何なのか???
奇数次倍音と偶数次倍音?

銀河英雄伝説のアニメを少し見る。
お互いを遮るものとて何もない宇宙空間で艦隊戦をすると、結局海上での艦隊決戦(しかもナポレオン戦争に近い)あるいは、平野での槍騎兵決戦、砂漠での戦車戦みたいになるしかないのかな。
これを人間ドラマとして見るべきなのか、戦略ドラマとして見るべきなのか、あるいは、SFとして見るべきなのか、まだ分からない状況。

しらかわホール(名古屋)閉館とのこと。
私が名古屋を離れた直後に出来たホール。一度か二度、帰省の際に、知人たちの演奏会が偶然あって、その時に覗いたことがある程度。
あれから、ひとつのホールが世を去るほどの時間が経過したのね。途中で、カザルスホールの日本大学への売却話があったり。林真理子日本大学理事長が、カザルスホール復興について言及されていたが、ちょっとそういう趨勢ではなさそうだ。そもそも日本大学は体育系は重視しているが、それ以外の文化系に力を入れそうには感じられない。知らんけど。
そもそもで言えば、「ホール」という箱の重要性以上に、どんな演奏会を行うかという「企画」を大事にしなければ意味はない。それを「カザルス」という看板で積み上げてきたのが、日本大学以前の「カザルスホール(企画室)」であったし、日本大学は結局のところその良き伝統を断絶させたに過ぎない。
私見では、まず「カザルス」の名前をカザルス夫人にお返しするとともに、よき伝統の断絶を謝罪すべきだろう。それが最低限。
然る後に、新しく日本大学としてのホール名を付け、日本大学として企画者を集め、日本大学としてホール運営をすれば良い。それが正当なやり方ではないかな。
(ところで、小澤征爾の名前は今後どこかで何かしら使われてゆくのだろうか)。

音楽理論は「家訓」ていど説
物理法則はこの宇宙において普遍的であり、何物も逃れ得ないが、音楽理論はある地域のある時代の音楽の「家訓」ということ。そういう家訓があっても良いが、異なる家でそれに従う謂れはない。
私は物理系だったので、宇宙において普遍的な「音楽理論」が存在するのかと大いなる幻想を抱いていた時期がありますが、ちょっとがっかりしました。

南北朝正閏論は「せいじゅんろん」なんだ。うるう年の話題で初めて知った。
長らく「正閨論(せいけいろん)」と勘違いしていた。幸いにして、これまでこの単語を発語する機会がなかったものの、不敬のきわみであった。

自由民主党の皆さんが駅前で能登震災復興支援のための募金を集めておられた。
我々貧乏人にも一枚噛ませて下さるくらいなのだから、きっと何億円もあるという「裏金」(ではないんだっけ)は全部このためにお出しになるに違いない。
なんなら支援金を集めるためのパーティも開催されるのではないか。
万一そうでないならば、我々貧乏人の怒りを買うだけだろう。まさかそんなことはあるまい。伝統ある自由民主党ともあろうものが、そんなにも判断力を欠如しているなどと想像することすら困難である。
・・・などと書いていることの虚しさよ、まさにゴマメの歯ぎしり・ミミズのたはこと。

昨今の政治情勢について心を痛めている。
まともとは思えない政治屋集団が改憲を口にしている。
おそらくは、まともでないから改憲したいと思っている、と思うべきなのだろう。

政治倫理審査会とて、まともに回答できぬ(せぬ)首相の無能・無責任さよ。
同時に有名野球選手の結婚のニュースを流すメディアの無能・無責任さよ。
かくも重大な無能・無責任は、国全体に影響を及ぼすゆえに、極度の害悪である。

Continue reading "読書の記録(2024年2月)"

| | Comments (0)

読書の記録(2023年1月)

ゴールデンカムイ 野田サトル
無料公開にほだされて正月休みに読破。ちょっとやりすぎた。
まあ、年末年始に映画を見る代わりと思えばこんなものか。
アイヌ考証については、専門家がきちんと見ているとのことで、安心して読めた(いちいち疑って読んでいると疲れる)。
時代考証はあえて破っていそうなところがあるが、話の勢いの前には些事であろう。
「ニヴフ」とか「ウィルタ」は「デルスウ・ウザーラ」で見た名前であり、なんとなう親しみがあるのもよろしかった。
こういうスケールが大きく、かつ、正史をあまり歪めないお話が私には一番楽しいかな。
山田風太郎の小説「地の果ての獄」も北海道の樺戸監獄を舞台にしており、「北海道歴史もの」というジャンルで同類であーる。
さらに広げて「北海道もの」と考えると、「銀の匙」、「チャンネルはそのまま」なども仲間であーる。

私は、元北海道在住者なので、こうしたものには興味があるし、それ以外の「地域もの」の漫画も好物である。
福岡・博多の「クッキング・パパ」や、矢口高雄「おらが村」、高妍「緑の歌 収集群風」等など。思ったより少ないが、地域性を出すためには、地域の中にいてもわからないし、外にいてもわからない。その難しさがあるからかも知れない。

国鉄 「日本最大の企業」の栄光と崩壊 石井幸孝
趣味で読むには若干深刻な書。話の速度・粗密が様々であるが、それはある意味当然でもあり、「栄光」と「崩壊」の行きがかりを双方書くためのものでもあろう。
ともあれ、趣味的に知ったり齧ったりしている断片がひとつの大きな絵になってつながるところもあり、興味深かった。
いくつもある労働組合の確執を趣味者である私が正確に追尾する必要はないので、少々理解が浅いが、こうしたことも含めた上で、未来への提言を行っている点が貴重である。
どういう人に薦めるべきかいささか迷うが、国鉄の栄光と崩壊から学びを得たい方には良い、というところか。 また、石井氏がディーゼル技術者であったことから、ディーゼル機関車の国産化等の記載は非常に貴重な証言になっていると感じる。
(特に、ディーゼル機関・ディーゼルシステム開発の「難しさ」について端的な説明があり貴重。)

動く人工島 ジュール・ヴェルヌ
ヴェルヌには、楽しい技術解説(うつくしい未来像)とわかりやすいドラマの二面があるが、この書はほぼ前者に尽きる。
主人公(というか視点人物)を弦楽四重奏者とする意味があったのかどうか、等など。
いつもの英国人蔑視(仏人称揚)は喧嘩友達のこととて構わないが、現地人差別は昔の小説と解っていても少々気になる。
まあ、現代の人が喜んで読むような内容ではないね。

新編 不穏の書、断章 フェルナンド・ペソア、澤田直
脈絡もない迷路のような美しい文章。訳も大変こなれているように感じる。
いや、良い本を買えて良かった。(下北沢のB&Bさんありがとう)。
こういう本は実際の本屋でなければなかなか買えないと思う。つまり、本との出会いは、いつでも良いということではなく、自分の側の状態にも依存するので、実際に開いてみて、その時の自分に適しているかを考えずには買えないということである。
ところで、翻訳の良さに、お名前で検索するとフランス文学の方である。不思議に思い、後書きを少々覗くに、仏文の方でありポルトガル語はご専門ではないが、どうしてもペソアを訳したくてポルトガル語その他を参照されたとのこと。(素人考えには、ラテン語・ロマンス語系で共通するところが多いようにも思うが、あらゆる言語には地方差・時代差もあり、一概には言えまい)。

「不穏の書」の原語と見ると「desassossego」。「desassossego」(ポルトガル語)をGoogle翻訳すると「落ち着きのなさ」と返ってくる。
ふと思いついて仏語にすると「agitation」。音楽用語としての「アジタート」や、日本語化した「アジる」は、相当の熱量を感じさせる言葉だが、「落ち着きのなさ」とはいささかの隔たりを感じる。
とまれこうまれ「不穏」と訳すのはなかなか悪くないと思う(なぞの上から目線)。落ち着きのなさを漢語にする才覚が私にはないが、「軽挙妄動」と結びつけて「妄動の書」とする・・・と一瞬思ったがあんまりだな。「惑乱の書」の方が少し良いかも。このあたりの言語感覚は言語化するのが難しいぞ。
で、Google翻訳で「desassossego」を中国語にすると「不安」と出てくる。まあ、妥当なのだろうが詩語としては「不穏」の方がおののきがあるようで良いな。
(以上、勝手に訳語検討ごっこ)。

「尾形亀之助 美しい街」
行く先々で見かけたので、購入。まあ、そういう場所にばかり行っているということなのだが。
山川直人氏の漫画で取り上げられており、親しみを感じていたので購入。
嘘いつわりなき庶民感情や良し。
近頃の政治屋やテレビで垂れ流しになっている雑話業者の汚れた文言を(間接的にではあるが)目にするにつけ、嘘いつわりがない、というだけで清々しい。
「汚れっちまった悲しみ」なのかな。
そもそも私はセッカチ人間で、ゆっくり詩を楽しむということが難しい。であるがゆえに、自分にあった詩を、少しずつ楽しむ、ということしか出来ない。
であるがゆえに、詩をたくさん読むことはできないし、少ししか読めないならば、余程自分にあった詩でなければ読めない、ということになる。
なかなかメンドウであるね、私。それで誰に迷惑をかけるでもないので、お許しいただきたい。

肝っ玉おっ母とその子どもたち ブレヒト 岩淵達治
読んで良かった。最初の1ページからブレヒトの皮肉が炸裂し、最後までそれが持続する。戦争を非難する文言はほとんどなく、戦争を礼賛しているのだが、その礼賛の仕方があまりにも滅茶苦茶で、これを読むと、笑いながら戦争の悪が身に沁みてゆくことになるように思う。 翻訳はわかりやすいが、劇として演じられることを想定しているからか、私が求めがちな「小説としての良さ」とは異なる文言を選んでいる。(というのをメモしておくが、これを翻訳の品質の問題と考えているわけではない)。

精選 物理の散歩道 ロゲルギスト
なかなかおもしろい。私の知識・能力ではわかりにくいものもあるけれど、日本語文法やリスク評価(今で言う)など先見的な試みは本当に素晴らしいと思う。
私が夢想しているのは、同じような「数理経済学」である。(私は経済学素人なので、誤解多数があると思うが)、現在の経済学は根本原理がなく、マクロの経験則をあてている程度ではないだろうか。それに対し、エネルギー保存則をベースに貨幣価値を評価してゆくような経済学はできないものだろうか。というやつ。まあ、誰か考えて失敗しているのだろう。アシモフの「心理歴史学」などが典型だ。

愛撫 庄野潤三
私のようなものにはちょっと読みにくい。後年の淡々とした幸せを描く庄野からすると、意図的な不幸、意図的なグロテスクを描いているように見える。

これまでに読んだ様々な本の記憶も薄れると、「天国に財宝は持ち込めない」という『財宝』のひとつが『記憶』であると感じるようになる。
多くの苦しかった記憶もまた薄れており、それを慰謝と思っても良いのかも知れず、禍福は糾える縄の如しと思うしかなかろう。

●雑感
「ローグライクしかやったことがない人間が「Rogue」やってみた。」
https://www.4gamer.net/games/535/G053589/20240105025/
移動キー[h]左、[j]下、[k]上、[l]右、は、普通にviエディターのキーアサインである。というのは常識だと思っていたが、この「常識」も最早インターネット老人会(Unix支部)の話題にしか過ぎないか。
ゲーム「ローグ」は昔から有名だが、私はやったことがない。ローグライクの文字列がウィスキー「ラフロイグ」に似ていると思うくらいだ。

『ブラックジャックによろしく』を読んで勘違いして欲しくないこと
https://medley.life/news/56bd3a5169e1ce7e008b6242/
良い漫画なんだよね。それだけに事実関係をきちんと指摘することも大切だろう。

ドヴォルザークの弦楽四重奏曲 Op.105 の本番中、A線が緩み演奏を止める。こういうケースは初めて。
後で湿度20% だったとの話も聞いており、おそらく低湿のせいであろう。自分が舞台上で調弦する貴重な姿を録画で見た(別に見たくはない)。

今回も含めて今年は演奏会4回を予定している。そういうこともあってか、「復活」と言われた。
深い意味はなかったのであろうが、印象深い言葉だった。確かに、この数年音楽が詰まらないと思っていた。コロナによって、あるいは、戦争によって、多くの人が傷つき死んでゆく傍らで楽器を弾くことには罪悪感さえある。個人的にも両親の他界もあり、深刻で切実な時間があった。形式的には音楽活動を続けていたけれど、最近になってようやく少し真面目な音楽活動に「戻って来た」という感慨がある。その点を旧知に看破されたようで少しく驚いたのであった。
ところで、「復活」と言われて思い出すのは、ラザロ、イエス、トルストイの順番か。トルストイは読んでないや。アンナ・カレーニナを読みはしたけれど、働く必要のない貴族の恋愛を読んだところで、私にはあまりおもしろくなかった。そういうこともあり、トルストイにはあまり愛着がない。
「立て、ラザロ。愛は行動の前を通りかかるが、お前はまだ宿屋から出てきていない」というセリフがアルセーヌ・ルパン(正確にはボワロー=ナルスジャックによる高度な贋作)にあった。このセリフの意味が何十年経ってもわからない。

人気漫画に習って、「冷凍のフローズン」というのを思いついた。
フリーレンはドイツ語で「冷凍する」の由。

クーデターはフランス語で実は3単語 coup d'État 「国家への攻撃」。
クードグラース coup de grâce 「慈悲の一撃」と比べてみよう。
フランス語は「ラテン語が訛ったもの」と考えてよい(だって、プルーストがそう言っているから)。
我が国の東北弁(特に津軽方言)が短いのと軌を一にするものである。「け(食べて下さい)」「く(いただきます)」など、ほのかにフランスの香りが感じられるではないか(嘘)。
ついでにメモ 国家理性 Raison d'État と 存在意義 Raison d'être。前者は「国家的理由」だと思っていた。

サラディンのドラマ(らしい)
https://www.youtube.com/watch?v=o1b-cTUM_ig
オスマンも140話を超えている一方、こちらも見始めるのか・・・。迷う。Wikipediaでアイユーブ朝について読むと、なかなか面白い。為替の存在などなど。
まこと、知らないことがたくさんあるものだ。

たとえば、大阪万博は中止すべきだろう。人もお金も資材も震災復興に回すべきだ。また、自民党の裏金・脱税に関しては、きちんと捜査し、摘発すべきは摘発すべきだろう。
庶民の常識で「犯罪」と思われるものを放置するのであれば、検察などの捜査当局はその理由を説明すべきだ。
日本は正当な理屈、自然な考えの通らない国になってしまった。
阿部謹也氏の書を見ると、「贈与・互酬が社会関係の基盤になっているのが前近代、『平等』となるのが近代」と感じられる表現がある。我が日本は前近代であり、「贈与・互酬」で政治を動かしているのだ、と感じる。
まあ、いつまでも前近代で頑張る国であっても良いのかも知れないが、そんなことをしていると世界中の若者からそっぽを向かれ、衰退して当然ですよね、と初老の私でも思い至るのだが、この国のえらい人たちにはそういう感覚はないらしい。あなや。

露語で書かれたトルストイの大型本を間違って通販で買ってしまう夢を見た。8,300円でも高いと思ったが、何故か買ってしまい、思いの他大きい本が届いて、値段を見直すと83,000円であるという恐ろしい夢。
まあ、トルストイも好きではないし、露語は読めないし、読む気もないけどね。

我が師杉浦薫の演奏が公開されていた。
http://npowfao.or.jp/blog/theory/p06_j/#jump
お元気にされているだろうか。杉浦師には本当にお世話になった。そして、私は、森下元康氏とは直接の接点を持ったことがないが、杉浦師を通じて師匠筋である、大恩があるものと思っている。徳は孤ならず。
まさに杉浦師らしい「うたい口」と「音色」が録音に残されていることが大変うれしい。
これを仰ぐにいよいよ高く、これを切らんと欲するにいよいよ堅し。
おそらくは、杉浦師の「自分で感じ、自分で考える」という根は、ご自身の志向でもあったろうが、森下先生の志向でもあったろうと信じる。

三村先生からは「私はヴァイオリンのことは分かるがチェロのことはわからない。自分で考えなさい」と仰っていただき、杉浦師からの最後のレッスンで「考えるのをやめるな」と言われた。私は本当に師に恵まれつつも、これら大恩をどこにも返すことなく生きており、忘恩の徒である。

Rosinha de Valença ホジーニャ・ジ・ヴァレンサ
https://www.youtube.com/watch?v=hxi_qliU3DE
とっても素敵。

Paco de Lucia - Tico Tico
https://www.youtube.com/watch?v=HIXLC5SRC7w
こちらも。私、昔から撥弦楽器が好き。アランフェス協奏曲くらいしか知らなかったころ、たいへん困っていた。今やyoutubeなどを通じて無尽蔵に(でもないが)様々な曲・様々な演奏に手が届くのは本当に有り難い。ただし、きちんとメモをとって置かないと、手から滑り落ちるのも仕方がない。

Echo Bridge Cello
https://www.youtube.com/watch?v=vbCulZIUF7c
達者なチェロの四重奏。韓国系だろうか。私、韓国系の奏者は味付けの濃さで敬遠気味だったが、この方たち、そうした無理なドライブはしないので好き。日本の古い奏者も無理しがち(だから好まなかった)だったので、昔の韓国系奏者も同じように無理しつつ、出てくる無理味が日本と韓国で違った、ということかも。

プルーストの眼
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/10613/ronso1220300820.pdf
「この絵を私が数時間で描いたとあなたはおっしゃいます。しかし私は全生涯の経験によってそれを描いたのです。」はホイッスラーの言葉であるとのこと。大事なのでメモ。
(と言いながら、ホイッスラーをホガースと勘違いしていた私。)

関水金属KATOの飯田線シリーズはやはりクロハ59改造クハ68やクモル23050を計画していたのか。
https://ameblo.jp/bon-syosai/entry-12836799114.html
まあ、計画するのも当然だろうし、優先度として後回しになるのも当然だろうけれど。私はもちろん「惜しい」と思う口である。

電車内で幼いお子さんの笑顔を拝見すると癒やされる。
先日「叩いて・つねって・階段のぼってこーちょこちょ」をされている若いパパさん・ママさんが居られた。事の次第を理解するにはまだ幼いようではあったけれど、温かいお二人の話振りに私も嬉しかった。
時によってはスマホを見なければならない事もあろうが、お子さんと向き合っているパパさん・ママさんを見るのは、私には嬉しい。

デカルト『音楽提要』 における spiritus について
https://researchmap.jp/read0163018/published_papers/18652274/attachment_file.pdf
名須川学氏による平松希伊子氏の批判への「反論」。注1にある誠実さが心を打つ。私はどちらの論考をも理解・判断するだけの素地を持たない者だが。

ブラームスの弦楽四重奏第2番
Johannes Brahms, String Quartet Op.51 No.2 - GoYa Quartet
https://www.youtube.com/watch?v=_sZFNAd-lMA
GoYa四重奏団はアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の団員とのこと。素晴らしいうたい口とアンサンブル能力。驚くべし。

Shanghai Youth String Quartet Brahms No 2 A minor Opus 51
https://www.youtube.com/watch?v=P4Hw5KkCYH0
こちらは上海若者四重奏団。

これらのふたつの演奏のうち、前者は快いが、いい気分で聞き流してしまって勉強にはならない(いや、勉強になるんだけどね)。後者は様々なひっかかりがあるために、気づく点も多い。後者を聞くことで前者の工夫や凄みが分かるところも多い。
若い方々なので、これからも頑張って欲しい。

私は、あるアマチュアの四重奏団の演奏を聞くのを楽しみにしている。この人々は大変腕達者であるのだが、「私なら絶対やらない」ことをたくさん繰り出す。あえて言えば、「『私がやりそうなこと』を非常によく知っていて、その上でひとつひとつ丁寧に否定しているのではないか」と思われる演奏をする。だから、私自身がアイデアに詰まっている時、彼らの演奏を聞くと、「そこはもっと・・・したい」「そこは・・・はしない」とたくさんの考えが浮かび上がる。だから、私はこの団体を尊敬し、いつまでもそのままでいて欲しいと思っている。
そして、私と彼らの違いを考え続けている。

【NNNドキュメント】200人以上が死亡 封印された沖縄の鉄道事故の真相
https://www.youtube.com/watch?v=qA7buVeEzU8
私は鉄道史を好んでいるので、ある程度大きな鉄道事故について知っているつもりであった。しかし、沖縄における事故についてはまったく知らなかった。

女の園の星
https://www.shodensha.co.jp/onnanosononohoshi/
ひと頃パオロ・マッツァリーノ氏の文章をよく読んでいた。久しぶりに彼の名を見かけ、ブログを覗いていたところ、この漫画が紹介されていた。とても面白い。いい意味で脱力系、いい意味で下らない。
静かな画風なのも良い。絵は頭文字Dと似せているのだろうか。すごく絵がうまいが中身が脱力という漫画は、私はなかなか好きで「クロマティ学園」も好みに合う。女の園の星。もっと読んでみたい。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲のサックス四重奏版
https://www.youtube.com/watch?v=I2KTtE4KPEU&list=OLAK5uy_lKec-9FicDT_gJvOijn8VtT8ZUy8Kp_Dk&index=12
弦楽四重奏団が演奏するのとまったく違う曲に聞こえる。恐ろしいことだ。

Continue reading "読書の記録(2023年1月)"

| | Comments (0)

読書の記録(2023年12月)

寝ぼけ署長 山本周五郎
正直なところを言えば、書店から出られなくなって買った本ではあるが、こういう気軽な本を読むのは好きだ。
有力者の横暴、法さえ守っていれば道着も何もなく、否、法を守らずとも罰されなければそれでも良い等読んでいると、昔の話とも思えなくなってくる。万古不変の趣があるか?
私の人権意識も大概古く良からぬものであると思うが、「人情」もないのが今の浮世であるなあ、と改めて思う。

ロボット物語 スタニスワフ・レム
「宇宙創世記 ロボットの旅」とは別なお話。という事を知らず、この書の存在を知らず、偶然、古書店にレムがたくさんある中で発見。ありがたい。他は持っているものばかりだったので、これ一冊を買ったが、ポーランド語原書も2冊あった。どんな人が持っていたのだろう。凄い。
そういえば国書刊行会のレム・シリーズII続刊が出ない気がする。応援しよう!(どうやって?)

河野裕子 永田淳
笠間書院の和歌の本は買わざるべからず。と言うか、ちらっと見て、「第一子すなわち筆者を詠んだ」云々とあり、さらに「買わざるべからず」と思い購入。
永田和宏の書いたものをこのところ好んで読んでいる。和宏、裕子、娘の紅は歌人ながら、ひとり息子の淳は(少なくとも表立っては)歌人ではなく、「疎外感はないのかしら」と余計なことを思ったりもしていた。そういう下世話な興味もなくはない読書である。 和宏の書いたものは、裕子と同じ時間・同じ場を生きたものとして、その場その時の感懐を共にするようなところがある。一方、淳の書いたものは、自分の知らぬ時代知らぬ場を思い、それを自分の知る母や自分の知る事ごとに結びつけているように思う。あるいは、和宏は歌人として、淳は編集者として裕子の歌を見ているともとれる。
現在の私は、物事を複眼的に捉えるのを面白いと思っているので、こうした和宏と淳の見方・書き方の違いが大変面白い。そしてまた、そうした様々な見方・書き方の向こうにある裕子の歌を読み直すのが面白い。
改めてご経歴を拝するに、河野氏は、熊本に縁があること、生年、病気など、私の母に近い。
昔のお写真など拝見するに、(本当は時代的な近さによるものだろうけれど)、熊本人としての類似性があるように思われ、似た病気であったこともあり、親しみと懐かしさを感じつつ拝読している。

母の如き親しみを以て歌を眺む会ひたる事のつゆなけれども

と勝手なるうたを詠んでみる。

行きつけの店 山口瞳
家のどこからか出てきた本。昔のファンタジーを読むような具合。昔の人々は、多くの情報がなかったから、なんとかたどり着いた店のうち、気に入った店を「行きつけの店」にしていたのではないか。そして、お金が自由になる人々は相応の店を「行きつけの店」にしており、一般人のたいそう憧れるところであった。そうした背景で書かれた書だろう。
今尚、様々な商業主義の元、「お店の紹介・宣伝」はあるけれど、どちらかというと、テレビ・雑誌・ネットの三者で行われており、こうした書籍はあまり見ないかも、と思う。
この書に書かれた店が今もあるかどうか知らない。多くはきっと無くなるか、雰囲気が変わっているだろう。だからこれは今の私にはファンタジーだ。で、年取ってこういうものを読むと、「上手に作文するなあ」と感心する。まあおそらくは、こうした上手な作文に騙されるのも楽しみのうち、ということだろう。

蒙求
読了。「孟母三遷」みたいな四字の歴史格言とその解説。日本人が知る事績も非常に多く、いい加減にしか知らなかったことが確認できるなど、大変良い。
ちなみに、孟母三遷を取り上げてみたが、孟母のタイトルはこちらではなく、「孟母断機」である。なんで「三遷」のほうが有名なのだろうか。引っ越し業界の宣伝でもあるまいが。

動く人工島 ジュール・ヴェルヌ 三輪秀彦訳
弦楽四重奏団の4人が主人公なので読んで見る。いつものヴェルヌ節。
ふつうであれば眠くなるような、説明的言辞を読んでいるだけで楽しいのだよね。夢と勢いがあるというか。
そして、他民族に対する素朴な優越感。まあ京都人の「イケズ芸」だと思って、私は楽しく読んでいるのであるが。
まだ途中。もちろんこれからひと波乱あるのであろう。
古い訳なので、文句を言っても仕方がないが。
 発電機→電動機 電流によって動かされる方なので。
 騎士→騎兵ないし乗馬者、馬乗りなど 封建制度・貴族制度における「騎士」ではないよね。
 メンデルスゾーン弦楽四重奏曲第7番→存在しないはず。他にも、モーツァルト等の名曲と言っている番号が怪しい。適当に書いているのか、読者をおちょくっているのか、さて。

自分の中に歴史を読む 阿部謹也
昔読んだ本。整理中に読み始める。阿部の問題意識のすべてが私と重なるものではないけれど、たいへん興味深く、切実な問題設定をされていると感じる。
また、阿部の個人史として読むと、何時にあっても、孤独で静かな阿部の眼差しを感じるように思う。
阿部学説が現在も正当なものとして流布しているのか、私にはわからない(阿部説が正当/不当であることを証明することも難しいので、現代的な学問の流れからは傍流となっていると想像したりもする)。
バロックから古典派に向かって、音楽が「語りから歌」に転じてゆくのと、阿部がいう、世界が贈与・互酬的関係からキリスト教的普遍的関係に転じてゆくのと、いささか重なるところがあるのではないか、と私は思ってみたりしている。
また、前近代と近代の違いとして、贈与・互酬性によって直接的な関係で結ばれた社会と法や制度の下における平等社会(用語は私が勝手に変えている)という点を挙げているが、報道で見る我が国のあり方は明らかに前近代の贈与・互酬性社会ではないか。これで先進国でございと言っているのは矛盾の極み。
新しい本ではないが、再読で教えられること・考えさせられることが多く実りある読書であった。良い本を再読できて大変うれしい。

阿房列車 内田百閒 一條裕子
驚くべき漫画。人間百閒が活写されている。原本を読んだことがない人が面白いと思うかはわからないが、原本を読んだ人には原本と等しく楽しめるのではないだろうか。
頑固だが愛嬌のある老人百閒。でも、今の私より若いのではないか。
百閒および参詣氏が乗車した列車の編成表が付されているのも、私には面白い。この漫画と、鉄道模型の列車セットなどあれば、私は買ってしまうだろうな。「阿房列車急行「霧島」セット(百閒および山系氏のミニフィギュアつき」とか。そうなると、同じように漫画「エンジニール」セットも欲しくなる。「関西鉄道急行列車(牽引機は『早風』)」(島・雨宮のフィギュアつき?)。
この編成表はどうやって作ったのだろう。それはそれでちょっと気になる。

欲望という名の電車
偶小耳に挟んだ会話中に現れた戯曲が、書店で眼の前に現れたため購入。読んだことがないので、多少恥じつつ。
小説には通例「視点人物」が出てくる。この戯曲にはそれがないように見える。以前、ゲーム・オブ・スローンズの登場人物解説を眺めていたら、「視点人物」が何人か挙げられていた。
ということは、戯曲であっても視点人物を設定することができるわけだ。
私の推測では、舞台劇は観客の視点が固定されているので、視点人物を設ける必要はない(低い。あるいは設けることができない)。
テレビ・映画などでは、場所や時間が移動することから、「誰かの視点」がないと視聴者が混乱しやすい。そのために「視点人物」を設けることで物語の流れを作り出すことができ、それによって、視聴者の混乱を防ぐ。
まあ、素人の仮説に過ぎないが。

「年末年始に読む本」を買う。言い訳しないと本を買うこともできないのか、私。
「入門 公共政策学」、「パンの歴史」、「河野裕子」、「尾形亀之助 美しい街」、「シェイクスピアの記憶」(ボルヘス)、「精選 物理の散歩道」(ロゲルギスト)など。
文庫・新書の類が多い。貧乏中学生だった頃からの習いでもあり、持って歩いて電車の中で読むためにも仕方がない。

昔、大学受験のため「源氏物語」の粗筋を諳んじようと思った。
田辺聖子「絵草紙 源氏物語」で概略を把握。全1巻で短く、かつ、絵があるので、理解しやすかった。
円地文子「源氏物語」(全5巻)を読んだ。谷崎潤一郎・与謝野晶子なども読んでみたかったが、「色」がついていることを警戒して避けた。円地文子はそれぞれの巻冒頭に、登場人物の関係図がついているがたいへんよろしい。これがないと誰が誰やらわからなくて困る。
その後、田辺聖子「私本 源氏物語」(続編も含め3冊)を読んだ。まあ、当然これが一番面白いわな。でも、田辺が源氏を枉げていると、私はあまり思わない。源氏の中で不幸せになりがちな女性たちを、田辺は強く・美しく描き、自ら救われるように描いていると感じる。田辺の源氏物語とその登場人物への愛情がなせるわざと、私は思った。今も時々私本源氏を引っ張り出す。
そうそう、大学の文学部に潜り込む、という野望は果たされなかった。それで良かったと思うけどね。

海街diary 吉田秋生
鎌倉あたりに行くことが時々あるので、読んでみた。
面白いストーリー展開。深刻になりすぎないようよく調整された「深み」。
マナスル初登頂者のお話が出てくる。私の大学時代、近くの研究所の教授がヤルンカン初登頂者(凍傷経験者)なので、ちょっと親近感。
様々な要素が相当の密度で進んでゆくが、相応の味わいもある。

●雑感
ミード(蜂蜜酒)を初めて飲む。
甘いことは甘いが、酸味も程よくあり、美味しかった。少し甘めの白ワインと言ったところ。
ともあれ、一つのミードで百のミードを語るなかれ(今思いついた格言)、すべてのミードがそうなのかはわからない。

ジャンヌ・ダルク。英語で Joan of Arc。相当に趣が異なる。
仏語では Jehanne d'Arc。いずれにせよ、Arcが地名というわけでもなさそう。

「なんて素敵にロマネスク」というのを思いついた。氷室冴子氏の「なんて素敵にジャパネスク」のパクリでござる。と言って通じる時代ではないかな?

生れかわる客車 国鉄客車鋼体化の記録 高砂工場  昭和28年制作
https://www.youtube.com/watch?v=K481r0Kh6gw
台枠は縦横に延長、車体は新製、車輪のタイヤははめ直し、台車のバネは新たに入れており、もはや「改造」の意味があるのか、と現代の視点からは思ってしまう。
また、床、内装、天井、椅子など木工品も多いが、丸太からの製材自体を国鉄工場が担っていたのも知らなかった。確かに大量に使うのであり、独自の規格などあればそうなるだろう。今となってはもったいないような無垢材を惜しみなく切り刻んでいる。
基礎的な資材の入手が困難であり、人手が余剰であるならばこそこうした手立てを採ったものであろう。
オハ61 379(米子鉄道管理局鳥取客貨車区?)および前身の木造客車が主人公。B50など後年あまり見かけなくなった車両がちらちら写るのが嬉しい。

1960年代 国鉄深名線 豪雪地帯を走る
https://www.youtube.com/watch?v=h-Cd4ESMFcc
機械式気動車キハ05が走っている。総括制御ができないのに、2両編成だ。北海道といえば、キハ22の印象が強いが、キハ22受け入れの素地がこうして作られていたとも言えよう。
前面4枚窓のうち、3枚は中桟があり、おそらくこの3枚が開くのであろう。当時の窓の構造・工作から言って、隙間風が入りたいへん寒かったのではないか、と思ってしまう。
Wikipediaでキハ05(キハ04)の記事を読むと、涙ぐましいほどの国産化努力をしつつ、スパークプラグとローラーベアリングはどうしても国産化できず輸入している。また、エンジンも米国ウォーケシャ製品に及ばなかったということである。昭和10年頃の日本の工業力を知る意味でもなかなか重要だと思う。

テフロン(PTFE)は、マンハッタン計画でも用いられたとのこと。
サランラップがもともと軍事用に研究されていたことも含め、感じ入る。

紛失した眼鏡発見。 庭木に登って作業していたところ眼鏡を落とした。棕櫚の葉の上に落ち、そこからさらに落ちたところを見ていた。
眼鏡なしで作業を続け、作業後木から下りて地面を探したが見つからなかった。何日も探したが見つからない。これが1ヶ月前。
道路に出ていったか、光り物を好むと言う烏が持ち去ったか、などと思っていた(あるいはKGBのスパイ説も)。
その後、野朝顔がはびこっているのを相当に片付けた。それもあって、庭が明るくなった。で、それら木々を眺めていたところ、落ちた場所の棕櫚の葉の下にある月桂樹の枝に、眼鏡が引っかかっていた。
眼鏡を畳んでシャツのボタンにぶら下げたりするが、ちょうどそんな具合に畳まれており、少々歪んでいるものの、大きな不具合はなかったので、洗剤で洗い、眼鏡屋さんで調整してもらい、ふつうに使えている。
慌てて次の眼鏡を買わなくて良かった。まあ、前の眼鏡があったし、老眼が進んで間近であればむしろ眼鏡なしで暮らしているので、そんなに困ったわけでもないので。
六十歳にでもなったら、オシャレ眼鏡でも作ろうかな。眼鏡屋さんで丸眼鏡を試すと、大正時代の人みたいで実に似合うが実に悲しくもある。
(山田参助氏をちょっと思い出す。彼のCDを買わねば)。

「翔んで埼玉」続編出来。
第一編公開時、埼玉県民なる知人が見に行った感想は「埼玉県は特に disられていない。他の県の方が disられていて心配」だった。
私が映画を見るに「埼玉県民の disり耐性の高さに恐れ入った」ところである。
ともあれ、どんな人でもゆかりのある土地に愛憎の思いがあって当然であり、それを超拡大して見せてくれる曲芸をこの映画では楽しむことができた。

日本大学の部活動には、3段階あるようだ。
競技部、学生部、サークル。
まあ、なんか変だな。大学改革を行うなら、こういう部分の方を直すべきと感じる。
大学生なんだから自主運営くらいしなさいよ、と思ったりする。まあ、事情はそれぞれであろうが。

某無名宗教団体の不名誉な新聞記事を見る。
まあ、そんなところなんだろうな。と腑に落ちてしまう。
私が若い頃持っていた宗教へのあこがれをきれいに粉砕してくれたことにはいささかの感謝をしている。

日本最初の地下鉄、上野・浅草間が開通したとき、待ち行列が上野・浅草より長かった、というお話が好き(ほんとかな?)。
移動目的ではなく、乗ること自体がお楽しみの「アトラクション」感覚だったようだ。
私が最初に銀座線に乗った時、時々車内が真っ暗になるのでびつくりした。ここで騒いでは「イナカモノ」だと思って我慢した記憶がある。
新旧雑多な車両で編成されていたが、まだ、リベット打ちの車両が混ざっていた。

忘年会。
外気が暖かいと気分が出ない。
寒い中、コートの襟を立てて移動し、店に入ってコートを脱ぎ、「や、今日は鍋だ」と喜び、熱燗を頼む。
鍋が煮えるまで、あれこれつまみながら、盃を傾ける。
温かい鍋を啜った後、帰路、火照った頬を寒風で冷ましながら歩く。
これらも昔話になるのだろう。

連続式の輪ゴム銃を作ったことがある。
感想は、
1)装弾がたいへん
2)弾道を見ながら狙いを修正してゆけば良いので、いつか必ず命中する。
というもので、1からは「工業化→輸送力→総力戦」と連想し、2からは「塹壕戦→戦車→工業化→総力戦」と連想した。
装弾における工業化とは、つまり、連続的に利用可能な弾薬セットの製造であり、弾丸つまりを起こさないような、高度な精度管理が必要ということである。
もちろん大量に消費される弾薬であるから、設計・製造技術・生産管理など全工程における一体的な技術力ばかりでなく、国家としての資源管理や工業規格の達成が必要である。
さらに、その弾丸を的確に戦場に届けなければならない。かんたんに言えば「輸送力」であるが、むしろ「物流システム」というべきであろう。
こうした生産力・物流力が必要となるとまさに国家全体が戦争のための生産と物流に総力をあげる「総力戦」と考えるべきだ。
ということで、ごく当たり前のことだが、物量戦すなわち総力戦である、という結論に至った。
あまりにも当たり前のことであり、この結論・思考過程は、人類にとっては些細な一歩に過ぎない。でも、私にとっては実感から当然の結論に至ることができたのだから、自分自身の巨大な躍進だ!

RIASの意味を始めて知る。「Rundfunk Im Amerikanischen Sektor: アメリカ軍占領地区放送局」
RIASのオーケストラ、合唱団は良い演奏を残している記憶がある。こういう意味だったのね。

渋沢社史データベース
https://shashi.shibusawa.or.jp/index.php
なんぞ凄いものがある。

偶然「目黒銀座」を通る。
なかなかいい通りね。私にはいささかお洒落すぎるけれど。
祐天寺の「カレーハウス ナイアガラ」も発見。
小学生の時分に雑誌「旅」か何かで見た覚えがある。四十五年程昔だ。店舗前の踏切遮断器と店主の笑顔の写真が、当時のあまりきれいでない印刷紙面にあったと記憶する。
関東に居住するようになり、そういえば行ってみたいと先日から思っていたのだが、偶然見つけてしまうとは。これまた面白いことである。
まあ、人が流れるような飲食店向きの立地であるということでもあろうけれど。

Google Photo
「この写真に「彫る」が写っていますか?」と訊かれる。
塑像を入れるべきか迷う。彫像はもちろん該当するのだが。直訳の弊害。

久しぶりに機械式メトロノームを使う。
錘の高さで速度を変えるのだが、錘の上端を目盛りに合わせるのを忘れ、下端を合わせる。
「アンダンテはこんなに遅かったっけ」と惑う。

真空管アンプの去就を考える。
そもそもロシア管をよく見かけたが、ロシアから物を買うのは、現在の私の好まないところである。
また、円が弱いこと、真空管の生産数が少なく、値上がりしがちであることを考えると、あまり明るい将来が考えられない。
まあ、私が他のアンプと使い分けつつ消費するくらいの真空管は購入可能であろうけれど。

「情熱の真空管」ペルケ氏亡くなったと聞く。
私は、アンプ実装には至らなかったけれど、トランス式DACは作って楽しんでいる。
彼の「生き方」や「考え方」にも興味があり、そうした文章を拝見した。たいへん尊敬できる方であり、貴重な情報の開陳にはまことに感謝している。
また、彼が紹介ししている音源もたいへん素晴らしいものであり、徐々に聴き進めているところだ。
一方、彼が比較的最近知ったらしいシベリウスの弦楽合奏曲については、私が昔から知っているものだった(演奏は違うが)。
世の中に発信する価値のある知識・情報は、私には乏しいが、わずかでもよいからこうした情報を世の中に発信すべきではないか、と考えている。

スピーカーについて調べる。
「フルートの音域にクロスオーバーを持たない。」って良いな。
https://jun.fishing-forum.org/2009/10/post-143.html
楽器弾きなら当然考えることだろう。
チェロならA線を220Hzとしてその2オクターブ上まで出すならば880Hz。も少し上まで出すと考えても1kHzあれば良さそう。
むしろ、下の方がC線が55HzのAのちょっと上。
現在、Dali Menuet II なるスピーカーを使っているが、再生周波数帯域70Hz~55000Hz、クロスオーバー周波数4.2KHz。
クロスオーバーは良いとして、下が足りん。まあ、人間の聴覚は、倍音から下の音が鳴っていると補完する機能があるので、ふつうこれで問題ないらしいが。

この点でいえば、Tannoy Mrcury m2 の48Hz~20kHz、クロスオーバー周波数 2.5kHz や、Wharfedale 515 の 42Hz~25kHz の方が優秀に見える。
Mercuryは古くてもっさりドカドカした音、Wharfedaleは地味にきらきらしているけれど、いわゆるカマボコなんだけどね。

古文・漢文不要説。
歴史に学ばなくて良いなら、これらは不要なのだろう。でもね、歴史から学んだ方が良いと思うな。
プロフェショナルとして古文・漢文の機微を学ぶ必要はないと思うが、我々が日々用いている現代文にも様々な形で忍び込んでくる古文・漢文があるのだから、それらに触れた時、「これは古文/漢文なのだから、現代文と勘違いしない方が良い」と思う感性は持っていた方が良いだろう。
まあ、自分は小学生だった時、親父に「新唐詩選」を渡されて読んでいた。そのお陰で学校の漢文で困ったことは一度もないので、特殊事例ではあろう。あれ一冊でマーラーの「大地の歌」までおおむね到達できる。

藤沢製本の事業撤退。
https://note.com/fujisawabb/n/n383bc1810b6f
こういう切実な話はなかなか外に出てこない。非常に貴重である。
(どうでも良い成功譚は表に出やすいが、本当に重要なことは出てこない。まして「撤退」においてをや)。

島根朋史氏の『J.S.バッハの装飾・弓使い』を聴講
音楽雑誌も買わず、音楽会にもほとんど通わず、教科書も含め音楽系の情報に接することが少ないくせに、楽器だけは長く弾いている人間には大変刺激的で面白かった。
まあ、「最新」であることに全く興味はないけれど、情報が多いがゆえにそれに縛られるのではなく、多くの情報の中でより自由により開かれた思考が出来、それによってより自由で楽しい音楽が花開くというのは大変楽しい。

Continue reading "読書の記録(2023年12月)"

| | Comments (0)

より以前の記事一覧